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2024-11-02

意識高い系が30歳に近くなって思うこと

先日、フリーランスとして手伝っていた会社倒産した。この業界20代後半まで活動してきて、感じることがたくさんあるので、思うままに書いてみたい。

学生時代の私は、「"死んだ目をして満員電車に乗って働く"なんて絶対嫌だ」と思っていた。いわゆる意識高い系で、海外ボランティアに参加したり、地方創生を掲げて学生ながらイベントを開催したりしていた。あの頃、周りの謎めいた大人たちを妙に尊敬していたし、なぜ社会世界が変わらないのか、本気で嘆いていたように思う。

就活時には「スーツを着て面接なんてダサい」と反抗的姿勢をとり、仲間とそんなスタンスを共有しながら、迫る社会への不安を分かち合っていた。

それから10年近く経ち、振り返ってみると、自分も変わったなと感じる。大学時代自分をこうして振り返ると、つい冷笑してしまうし、同じような学生出会うと、自分が昔嫌っていた皮肉なおじさん的な振る舞いをしていることに気づき、少し恥ずかしくなる。

あの頃の私は、卒業後も「Twitter話題Webエンジニアブーム」に乗り、プログラミングスクールに通い、新卒ベンチャー企業入社して海外で働く――まさに意識高い系トレンドを突き進む、典型的ミーハーだった。今振り返ると、当時の自分が滑稽に思える。

この記事で伝えたいのは、「誰もが成功するわけではない」という、当たり前だけれど大切なことだ。学生時代意識高い系の友人たちも、今ではその勢いを失った人が多い。ワーホリ海外をさまよう者、鬱で社会復帰が難しい者、愚痴ばかり言う者、死んだ目をして満員電車に乗って働く者――それが現実だ。

また、当時関わっていた大人たちも、学生をうまく利用したい人や、社会第一から退いた人が多かった。地方創生行政にとっては「メリットのないことをやってくれる人材」を求める施策に過ぎず、学生をおだてて地方移住させる行政職員を見ると、なんとも言えない気持ちになる。

スタートアップ上場して億万長者になる」という夢物語簡単には実現しない。私が関わった3社も、事業整理で撤退コロナで身売り、倒産と、どれも悲惨な結末を迎えた。資金調達熱狂が終わり、エクイティ関係撤退もできずゾンビのように続ける社長たちも多く見てきた。VC学生をそそのかして起業させる光景にも、時折やりきれない思いが湧く。

「いい加減、俺にも夢を見させてくれ」と叫ぶ過去自分と、「これが現実か」と冷静に受け止める今の自分がいる。

債権者集会で、髪が乱れ、うつむいたままの社長を見たとき言葉にできない感情がこみ上げてきた。

そんな中、スモールビジネスブームに乗り、私はのらりくらりと会社を始めた。先日決算が終わり、売上は3000万、年収は2500万ほどになった。ミーハー意識高い系バンザイ

2024-11-01

男「すみません生理痛・・・

少子化がいよいよ止めようのないところまできた時、政府が打ち出したのは前例のない直接的な政策だった。

成人男性に、毎朝ホルモン分泌を促進する注射を打つことを義務付けたのだ。

この注射作用バイアグラのようなものと言われており、男性がより“元気”になるという趣旨だが、実際には他にも作用があった。

職場でもそれは顕著で、男性社員たちは何やら朝から神経質に席を立ったり、妙に落ち着きのない様子を見せることが増えた。

朝の通勤電車からして様子はかなり特殊だった。

今朝も新卒らしき若い男性が、明らかに下腹部に“テント”を張った状態満員電車に乗り込んできた。

その彼が申し訳なさそうに目を伏せ、つり革を握る手も微妙に震えている様子を見ていると、なんだかこちらまでいたたまれない気分になる。

こうした現象は、もう誰もが目にする日常となりつつある。

それでも当初は車内での勃起を目にして、女性たちは困惑を隠せなかったが、驚きもいしか慣れへと変わっていくものらしい。

実際に毎日見る光景ともなれば、「気にしなくていいですよ」とでも言いたくなるものだ。

それでも、痴漢と捉えるのはちょっとかわいそうというか、彼らの多くが本当にいたたまれない様子だから、なんだか放っておけない気がする。

職場に着いてからも、トイレがやたら混むのはいものことだ。

特に朝の始業時間帯には、男性社員が次々と席を立ち、少し恥ずかしそうにしながら戻ってくる。

そして戻ってきた時には、彼らはみな、すっかり収まっている。

こうした一連の行動は誰もが気づいているが、誰もそれに言及しない。見て見ぬふりというか、互いに分かり合っている感じだ。

けれども、最近になって少し困った問題が増えてきた。

生理痛でお休みします」という男性社員が現れるようになったのだ。

最初冗談かと思って聞き流したが、どうやら本気らしい。

出社している日でも、あの朝のホルモン注射の影響で頭痛や腹痛を訴える男性がちらほらいるのだ。

すみません生理痛がひどくて…」と、わざわざ控えめなトーンで電話してくる彼らの様子には、なんとも言えない独特の真剣さがある。

その電話口での訴えを聞いていると、ふと若い頃の生理痛を思い出す。

あれは、耐えがたく、かといってあまり周囲に理解を求めることができない、ある種の苦痛だった。

からなのか、彼らが苦しそうにするたびに「生理痛ねえ…」と、軽く肩をすくめたくなる。

男性社員たちもまた、ある意味で新しい辛さに耐えているのだろう。

とはいえ社会全体がそんな彼らの痛みを理解し始めているわけではない。

上層部古参社員の中には、「男が生理痛?そんなの、あり得ん!」と露骨に嫌な顔をする人もいる。

そういう人たちは、女性生理仕事を休むこと自体を快く思っていなかった経緯もあり、時代が進んでも「弱音を吐くのは甘えだ」と捉えているようだ。

男性ホルモン注射で変わっていく社会の中で、日常の一コマが変わっていくのを目の当たりにすると、なんだか妙な気持ちになる。

私たちは今まで「女性生理理解されないものだ」と感じてきたが、いつしか男性たちがその「理解されないもの」に向き合っている。

おそらく、これが一種進化なのかもしれない。彼らが苦しんでいる様子を見て、少し胸が痛むけれども、そこには不思議連帯感も芽生えているのだ。

すみません生理痛で休ませてください」

今日もまたその言葉電話口で聞くたびに、私は心の中で小さく頷く。

いずれ、社会全体がこうした痛みにもっと寛容になる日が来るのかもしれない。

そして、そんな未来を少しだけ、楽しみにしている自分がいる。

anond:20241031182206

>なんか事務方責任転嫁してるけど、代表より上の権限ある奴なんているの?本当にそうなら陰謀論捗りそう。そのくらい嘘つきですね。

事務方権限がこの話のどこにどう関係してくるんや?

まさか「だめとはいえないので」の部分を取って「代表なのに事務方に逆らえないのか!事務方が一番えらいんだな!」みたいに解釈しちゃってるの?

社長の頼みを社員が断るとか、逆に社員の頼みを社長が断れないとか、フッツーにどこの会社でも見られる当たり前の光景からな。

社員の頼みを断れなかったんじゃなくて社員勝手にやったんだよ

>どこの会社でもフッツー見られることじゃないよ


こう並べてみれば理解できるかな?「勝手にやる」のに権限関係あるか?

混在するとややこしいので、単純に事務方社員と置き換えると以下のようなやり取りになる。


玉木「社員一言挨拶もらっていいですかって頼まれたので、だめって言うわけにはいかないのでどうぞということだけでしたので」

お前「社員が玉木社長より権限上ってこと?あり得ないでしょ。陰謀論捗るわw」

俺「権限関係なくね?社員に頼まれ社長が断れないケースなんか普通にあるやろ」

お前「社員の頼みを断れなかったんじゃなくて社員勝手にやったんだよ。勝手にやる社員なんて普通おらんよ」


最後のお前のレスポンスだけ突如話がすり替わってるんだよね

今回で言えば「渡部勝手石丸に喋らせた」話とごっちゃになってない?

さらにいうと別に代表許可取らずに誰かを喋らせるなんて他党では当たり前だから

原口一博はあらゆる陰謀論者を応援弁士に呼んでるが、これは野田代表承認をいちいち得てるんか?

https://x.com/caffelover/status/1849045652870979963/photo/1

原口が「勝手に」やってるんじゃねえの?

2024-10-31

anond:20241031151035

社長の頼みを社員が断るとか、逆に社員の頼みを社長が断れないとか、フッツーにどこの会社でも見られる当たり前の光景からな。

社員の頼みを断れなかったんじゃなくて社員勝手にやったんだよ

どこの会社でもフッツー見られることじゃないよ

たまにはあって客(石丸)はニコニコあしらって社員は激詰めだよ

anond:20241030193306

このツリーの会話が全体に意味不明なんだが、事務方権限がこの話のどこにどう関係してくるんや?

まさか「だめとはいえないので」の部分を取って「代表なのに事務方に逆らえないのか!事務方が一番えらいんだな!」みたいに解釈しちゃってるの?

お前、身の回り人間コミュニケーションよく観察した方がいいよ。

社長の頼みを社員が断るとか、逆に社員の頼みを社長が断れないとか、フッツーにどこの会社でも見られる当たり前の光景からな。

まんが道」のテラさんは正しかった

アイドル界の混沌も描いた『推しの子』が、本来対象じゃない低い年齢層の子供にも受容されてて関係者が焦るみたいなニュースがだいぶ前にあったけど、

自分の子時代も含めてだが、この約四十年以上も、『推しの子』どころではない、本来子供に見せるべきではないコンテンツ子供向けと強弁して売り付けるような商売が横行し続けているとしか思えない。

親の本棚からとか、河川敷に落ちてるエロ本から見ちゃったとかそういう次元ではなく、最初から子供向けとして、人間性健全な発達や安心を拒むコンテンツが溢れている。

単なる暴力セックスの話では収まらなくなってきている。最近少女漫画ではメンタルヘルスが病んでいる状態をむしろ美化しているのが常態化している。学歴差別格差ギャグのように描く作品もあり、それを小学生女児がこれから自分が過ごす社会の有様として受け止めながら読む、そんな光景すらある。

自分の話をすると、小さい頃から色々な漫画に触れられる環境にいた。親はむしろ漫画を気にせずどんどん読ませてくれる側だった。

だが、何というか、しっくりくるコンテンツが無かった。平成中〜後期の現行コンテンツより、帰省先の母の実家に捨てられずに残っていた昔の漫画の方が、地に足についている気がしていた。

大学で「こども文化論」みたいな科目を取った時、子供向けコンテンツの変遷を調べる機会があった。月並み結論からいうと、70年代を境目に、子供へのアプローチが大きく変わっている。子供は育てるべきものではなく、子供もそこで消費者すり替えられていた。そしてそれは子供自身が望んだことではなく、明らかに大人商売のために作られたものだ。

もちろん昔から赤本漫画など色々な問題があったが、それはしっかりと不健全もの理解されていた背景があり、それに対して「健全」さがしっかりと対抗できていた。今は、少年漫画少女漫画も、その槍玉に挙げられていた赤本(技巧やページ数の限界で抑えられていた)より数十倍も酷い内容を、美麗な外見でやっている。

ここで、『まんが道』(とその続編)に出てくる、テラさん実在した漫画家・寺田ヒロオ)の話を思い出す。彼が何をしたかは、検索すればサジェスト経由ですぐわかるだろう。「闇」扱いされてるが。

自分の連載と同じ漫画雑誌で連載されていた他作者の漫画「恐怖魔人ゾンビラス」(漫画内の仮称で、実際は楳図かずお永井豪漫画か?)に対して、編集長に「子供に悪い影響を与える、連載をやめろ」と異議を直談判し、それが受け容れられないと自らの連載を切ったエピソードなどだ。

漫画的脚色はあるが、テラさんの行動は様々な方面から史実と言える。子供のための「健全漫画コンテンツ」を求めたテラさんの行動は、漫画内の描写はもとより、ネット上でも「時代変化を理解しなかった頑固な人間」「遺物」みたいな扱いを受けている。

しかし私は、テラさん立場の方がずっと正しく、明らかに子供に対して誠実だったと、60年も後から思わされている。

ただ付け加えると、テラさんは、大人向けとはっきりわかる形で描いたアダルト作風漫画までは否定していない。テラさんが心を割って話せる存在任侠アダルト漫画家の棚下照生だったように。

子供に、身の回りの有様を伝えるときに、まともな人間なら、「人間関係は全て打算で、あらゆるもの欲望で出来ており、全てが醜い」と伝える人はいないだろう。社会にそう言う側面があっても、そこだけを切り取って子供に植え付けるのはまともな行いではない。

テラさん当時の、技巧的に発展途上の漫画劇画ですら、子供たちの世界を暗く後ろめたいものにしていたが、当時はまだ最低限の良心タイトルで煽る形で分かりやすくしていたのかもしれない。だが現代ではそれは一見からない形で(ギャグロマンスなどの体裁を取り)提供されるようにすらなっている。

はっきり書けば、思春期より前の子供には、ごく単純な、心理描写が少ない、身近な人間関係を描いた作品以外、適していないと思われる。

近所で野球をするだけ。親の手伝いをするだけ。学校で仲間と学び合うだけ。動物と戯れるだけ。「それだけ」の漫画で充分だった。

それをしなくなったのは、そして子供向けではないコンテンツ子供蔓延したのは、子供事情や「時代要請」「技術の発展」なんてものではない(子供が「ハレンチ学園」や「トイレット博士」を望んだのではない)。大人商売の都合なのだ

子供漫画社会の両輪で我々以上にますます病む前に。今一度、テラさんの突きつけた建前を、考え直す必要があると思う。

anond:20241030145032

交通死亡事故動画3兄弟を連れてきたよ!

ロシア

冬の郊外の道で追い越しかけようとして対向車と正面衝突は親の顔より見た光景

トルコ

前述のロシアと並んで死亡事故動画の産地。

保険の条件にドラレコの搭載があり、保険会社が啓蒙目的積極的事故動画投稿するため潤沢。

中国

こちらも公安部積極的動画公開している。スピードの出しすぎ等々で建物に突っ込んだり崖から転落する動画が主流。

2024-10-30

外国人小学生に声をかけている動画

有名インフルエンサー外国人日本旅行をしていた。

その外国人英語で喋りかけたら子供英語で返答してじゃれていたんだが最近の子は本当に英語力が上がっていて…ある種騙されやすいのではと。

子どもたちも外国人と喋れるからウキウキで寄ってきて警戒心なく話していた。

これは自分子供の頃は見かけなかった光景だ。

だって大体みんな英語喋れないし、ここまで外国人も多くなかったので慣れていなかった。

しか教育外国人無視しろなんていうのは道徳的にもやばいと思うのだが「知らない大人に話しかけられても無視しろ。ついていくな」というのは徹底してほしいし、多分好奇心に負けて無意識的に「知らない人」枠から外国人がすっぽり抜けてしまってるのではないだろうかと思うので

【知らない大人外国人含む)に話しかけられても無視しろ。ついていくな】

というのを徹底してほしいと思った。

海外インフルエンサーがこの動画を上げることで日本の子供がチョロいのが世界中に広がって、被害に合う確率は上がっているとも思う。

親切な日本人ならこうする みたいな実験動画も多いが犯罪に直結する可能性も高いだろう。

あと教えておいてほしいことがもう一つある。

危険行為をしていたら温厚な大人でも怒鳴るぞ。従え】

2024-10-29

今日弱者男性バーに行ってきた

最近話題の「弱者男性バー」に足を運ぶことにしました。ここでは、美人弱者男性たちが接待してくれる特別空間が広がっています今日特別な日で、「逆バニーの日」。逆バニースタイルでのおもてなしを受けられるとのことで、ドキドキが止まりません。

バニーの日の魅力

バーに入ると、まさに目を奪われる光景が広がっていました。色とりどりの逆バニー姿のキャストたちが、笑顔で迎えてくれます。彼らの衣装は、通常のバニーとは一味違っていて、魅惑的な雰囲気が漂っています

「いらっしゃいませ!」

と、明るい声で迎えてくれたのは、逆バニースタイル美人キャスト。彼の笑顔に思わずドキッとしました。

色っぽさと品格の共演

カウンターに座り、ドリンクを注文すると、色っぽいキャストたちが近くに寄ってきます。彼らの色気はもちろんですが、何よりもその品格が際立っているのです。普段生活では味わえない特別体験に、心が躍ります

特に人気だったのは、一際色っぽさと品格を併せ持つキャストの子。彼は、しっかりとしたおもてなしをしながらも、どこか余裕を感じさせる魅力がありました。会話が弾むたびに、その存在感がより一層際立ちます

私たちサービスを楽しんでくださいね!」

と彼が言うと、周囲の視線が集まりました。まさに、その言葉の裏にある自信と魅力が、多くの人を惹きつけるんだろう。

特別なひととき

ドリンクを飲みながら、彼らとの会話を楽しむ時間はあっという間に過ぎていきました。彼らの笑顔優しい言葉に癒されながら、まるで夢の中にいるかのような感覚を味わいます。色っぽさだけでなく、品のある振る舞いがとても心地よく、何度も通いたくなる魅力を感じました。

終わりに

この特別弱者男性バーでのひとときは、心に深く刻まれる思い出となりました。逆バニーの日という特別イベントが、こんなにも素晴らしい体験をもたらしてくれるとは、まさに予想以上でした。

また訪れる日が待ち遠しいです!次回はどんなキャスト出会えるのか、楽しみでなりません。弱者男性バー、最高でした!

2024-10-28

立憲民主党の大躍進ってガチ奇跡的すぎる

立憲民主党には天使のご加護でもあるのかと口から言ってしまいそうになる。

自民公明議席激減も立憲民主などの野党躍進もまるで奇跡光景だよ。

2024-10-26

フランス産ゲーム史上もっと重要ゲーム5選

Another World/アウターワールド(1991)

 2Dゲームが中心の時代3Dで繰り出される、異世界転移してしまった学者が元の世界に帰るための冒険譚。

 24歳だったフランス人クリエイターが全て一人で作っており、一貫したプロットを築かないままその都度継ぎ足された先の読めない波乱万丈ストーリー

 ヒントのない即死ゲームで種類の多すぎる死に様、直線ばかりの独特なグラフィック、それらから伝説的な怪作となった。

Assassin's Creed/アサシン クリード(2007)

 超古代文明の残した奇跡をもたらす遺物を巡って紀元前から争い続ける二大勢力を描く長大シリーズ第一作目。

 当時としては最先端の美麗なグラフィックフランス発祥とされるパルクールを駆使し作中に登場するあらゆる建物てっぺんまで登れる超体力でステルスするシステムが受けた。

 21世紀若者が超技術によって、先祖である12世紀エルサレム暗殺者視点追体験させられるという設定で、12世紀風景を緻密に描写した街並みも評価された。

 遺伝子情報から再現された、あくまでも紛い物の風景のため「それっぽい」けど現実とは異なるしバグで有り得ない光景が発生することもあるという設定が、時代考証ミスによる怒られを軽減する効果にもなった。

Dishonored/ディスオナード(2012)

 発売は『The Elder Scrolls』などで有名なアメリカのベセスダだが、開発はフランスのArkane Studios。

 仕えていた女王を殺され、後継ぎたる王女さらわれた護衛官が、女王殺しの冤罪をかけられるも、超能力を得て王女を救出し黒幕を倒す話。

 「超能力シミュレーター」とも称され、瞬間移動・透視暴風を起こす・体を乗っ取る、など様々な能力を駆使し、能力同士を上手く使いこなしコンボを決めるなど創意工夫も楽しめる。

 例えば敵の体を乗っ取って高所の端まで立たせた後で暴風を起こして墜落死させたりできる。

 誰一人殺さず、誰一人に目撃されずに不殺ステルスクリアすることも可能で、殺した数に応じた展開分岐もある。

Life Is Strange/ライフ イズ ストレンジ(2015)

 現代アメリカ舞台だが、フランスである。後に、超能力+青春という要素だけ継承してシリーズ化。

 タイムリープ能力者になった女子学生が、ちょっとしたミスをするたびに時間を巻き戻し、その積み重ねがやがて大きな事件へ発展していく。

 ボタンを長押しすると時間が巻き戻っていくシステムゲームの手触りとしてもストーリーとしても面白い

 女性主人公が幼馴染の少女コンビで行動をすることが多く、その子百合百合することもでき、この作品百合に目覚めてしまった者も多いという。

Detroit Become Human/デトロイトカム ヒューマン(2018)

 人間そっくりの外見・思考能力を持ちながらも人権のないロボットたちが、プログラムの制約を破って人間に逆らいだす現象を追っていく。

 膨大なシナリオ分岐が最大の特徴であり、プレイした人によって全く違う展開・結末を辿るようになっている。

 シナリオ分岐量の多さ、実在俳優を用いたリアル映像表現制作会社Quantic Dream過去作にも見られたが、その集大成作品

 日本では腐女子人気が高くホモ同人が大量に出た。

anond:20241026215031

ハロウィンが近づくと、どうしてもあの夜のことを思い出してしまうんだ。静かな秋の夜に、ふと胸の奥にあの日空気が蘇る。

すべての始まりは、今の嫁との出会いだった。大学ハロウィンパーティーで、何気なくその場にいた俺は、浮かれた気持ち仮装している周りの学生たちに少し距離を置いていたんだ。ただ、友達に誘われて参加しただけで、特に期待もしていなかった。

しかし、その時——あの瞬間、俺の目に彼女が映り込んできた。彼女は黒いドレスに包まれ吸血鬼のような装いをしていた。夜の闇に浮かび上がる彼女は、まるで森の中に迷い込んだ魔女のようで、静かで強い光を放っていた。彼女の肌は白く、赤い唇が闇に映える姿は、何かこの世のものでないものを感じさせたんだ。秋の風が彼女の髪を揺らし、そのたびにまるで小さな木の葉たちが囁きあうような音が聞こえる気がした。

心臓が強く高鳴り、足が勝手彼女へ向かっていた。俺が彼女の前に立つと、彼女ゆっくりと振り向き、目を細めて微笑んだ。その瞬間、彼女はただの人間ではない、まるで精霊のように思えた。俺は気がつくと跪き、言葉自然に口をついて出たんだ。

眷属にしてください…」

その瞬間だった。

「オラもまぜて〜!」という大きな声が響いたかと思ったら、どこからともなくクレヨンしんちゃんが現れた。あの小さな坊主が、ニヤニヤしながら俺と彼女の間に割り込んできたのだ。

「おいおい、何してるゾ〜?眷属って何だゾ?かっこつけすぎじゃないか〜?」しんちゃんはそう言いながら、勝手彼女ドレスの裾をいじり始めた。

俺はあまりのことに呆然としてしまったが、しんちゃんさら調子に乗り、「ねぇねぇ、お姉さん、オラもその眷属ってやつにしてくれない?」と彼女に向かってお願いし始めた。

彼女は、最初は驚きつつも苦笑いし、しんちゃんに何かを言おうとしたが、その間にしんちゃんは「ねぇ、眷属って具体的に何するの?」とズバズバ質問を浴びせ始めた。

「えーと…それは…」と彼女が答えようとした瞬間、しんちゃんはお尻を突き出して、「じゃあ、オラの眷属ダンスを見てくれ〜!」と勝手に踊り始めた。

その光景に会場全体が爆笑の渦に包まれロマンチックだったはずの夜が一気にバラエティ番組のようなカオスな状況に。彼女も俺も、もう笑いをこらえることができず、しんちゃんに巻き込まれる形でその場に崩れ落ちた。

そう、あの日ハロウィンは、感動の夜になるはずが、いつの間にかしんちゃんによって台無しにされてしまったのだ。それでも、あの出来事きっかけで彼女とは結ばれた。だから今では、しんちゃんの「乱入劇」も含めて、俺にとってかけがえのない思い出になっているんだ。

(続き)週刊少年ジャンプ史上最も重要マンガ25選(改訂版)

anond:20241026155116の続き

14.SLAM DUNK 作:井上雄彦 1990年42号 - 1996年27号

ハイキュー最終回を迎えた際、Twitter感想を漁っていたら、「なんでバレーしてるだけなのにこんなに泣けるんだろう」というファン投稿が目に入った。自分ハイキューで泣けるほどの感受性はとうに持ち合わせてなかったが、そこから数えて24年前にほとんど同じ気持ちを味わっていた。

井上雄彦作品通底するのは徹底したリアリズムである。彼が本作で行ったのは、本気でバスケットボールに挑む人間思考感情をつまびらかにするだけで面白くなるということの証明と、人気が出なかった時のため不良路線でも行けるような作風を選んだことだけである(当時バスケットボールマイナースポーツであったことに留意したい)。この結果、フンフンディフェンスを除くあらゆる要素が後世のスポーツマンガにリアリティ基準点をもたらすこととなった。

桜木花道バスケットマンに変貌するたった4ヶ月の物語は、命のやりとりや世界が終わることよりも一本のシュートの成否の方が遥かに切実で重要問題になりうることを、今なお我々に伝えている。

15.るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚- 作:和月伸宏 1994年19号 - (ジャンプSQで連載中)

講談社1970年代末期には後発のジャンプマン業界盟主地位を明け渡しているわけだが、それを奪い返す最大のチャンスが90年代後半に訪れた。DB幽白スラダンといった作品が終了した暗黒期のジャンプを、金田一はじめの一歩GTOを擁するマガジン苛烈に追い上げ、ついには発行部数で逆転したのである

その中で強引に看板作品祭り上げられ、ジャンプ屋台骨を支えることになったのが本作だ。後に和月伸宏は「次につなげたい」という気持ちで描いていたと語っている。明治という激動の時代の中で不殺剣士・剣心が刀を交える相手は、旧時代に未練を持つ者や、新しい時代の荒波に飲み込まれた者たちであった。黄金期と暗黒期の狭間で奮闘した本作のありようは、皮肉にもそこに重なって映る。

ワンピナルトが出てくるまでを空白期間にせず、少年マンガ誌の代表というジャンプアイデンティティを守りぬいたのは同時代の誰も比肩できない功績だ(幕張封神演義BOYSにこの役割代替できたか考えてみてほしい)。現代ジャンプ読者はもっともっと本作に感謝すべきだと、佐藤健超人的なワイヤーアクションを眺めながら思うのである

16.セクシーコマンドー外伝 すごいよ!!マサルさん 作:うすた京介 1995年52号 - 1997年40号

連載終盤、もはや燃え尽きる寸前だったといううすた京介は後年、「マサルさんシュールではなく、ベタシュールに見せていただけ」と語っている。自分を含め、多くの読者は同意しかねるだろう。彼が未来永劫に参照点となりうる新たなベタを作り上げたことに疑いの余地はないからだ。

本作はギャグマンガでやってもいいことの範囲を大幅に拡大した。キャラクターの行動原理なんてなくていい。話の展開は唐突でいい。絵柄は毎ページ変わっていいし上手くなくていい。読者が知らなさそうなパロディだって入れてよいのである現代観点では至極当然と思える要素を2年弱、全7巻に惜しげもなく詰め込んだ。

彼の次回作(ピューと吹く!ジャガー)ですらも、ついにその革新性を更新することはなかった。90年代にうすたに憧れ新人賞に応募した有象無象ワナビー達も誰一人として出来なかったことを考えれば少しは気が休まるだろうけども。

17.遊☆戯☆王 作:高橋和希 1996年42号 - 2004年15号

闇の人格を持つ主人公によるダークヒーローものというコンセプトで始まった本作は、ほどなくしてマジック&ウィザーズという架空TCGを中心にした物語に変化した。この変化が、数十枚の紙束を並べる行為を、玩具ゲーム業界において最も存在感のあるエキサイティングな遊びに位置付けることになる。

コナミでは社内の遊戯王関連の部署をしばしば「造幣局」と呼ぶそうだが、紙を刷って売上1兆円に到達するコンテンツなど他に存在しないことの証左である。こうした状況に、高橋和希の優れたキャラクターデザイン、ストーリー構成が大きく貢献したのは言うまでもない。ゲーム友情を育むツールになりうると示し、メディアミックスの力を世に知らしめた功績は間違いなく彼のものだ。

18.ONE PIECE 作:尾田栄一郎 1997年34号 - 連載中

世界で最も多く発行された単一作者によるマン作品について何か語るべきことがあるだろうか?まだ言及すべき余白が。本作のように自然カテゴライズを避ける作品というのは極めて少ない。友情、夢、自由、強さという最もありふれたテーマに挑み、ついにそのすべてを超然と飲み込み描き切ろうとする本作を何らかの箱に入れて理解するのは難しい試みに思える。

毎週月曜日ワンピを読んで喧々諤々と考察できる世界に我々は慣れ切ってしまった。30年間マン業界の頂点に君臨する男がいるという現実に。一定年代以上の人間にとって、本作の終わりがジャンプという雑誌終焉に見える人がいても無理のないことだ(今ワンピの次に長寿連載しているのはハンタを除けば2019年連載開始の夜桜さんである!)。ルフィ尾田栄一郎という二人の男の、幼少期から練り上げた夢の果てを世界中が見届けようとしているのだ。我々がこうした光景にふたたび立ち会えるかは疑わしい。

19.HUNTER×HUNTER 作:冨樫義博 1998年14号 - 不定掲載

幽白は極めて質の高い作品でありながら、冨樫義博が抱える巨大なアイデアの数々を収めきれた作品ではなかった。それでも仙水編と、その後に異例の月一で掲載されたレベルE前人未踏領域に踏み込んだ彼は、自身4作品目の連載においても既視感のある展開とご都合主義執拗なまでに避け続けた。彼の描くキャラクター達は自身が取れる最善の選択を積み上げた末に、我々が期待する最善以上のドラマを生み出す。幾度もの休載を挟みながら。

「今週の『HUNTER×HUNTER』は休載いたします」の表記(今はこれすらなくなったが)を昼下がりのコーヒーブレイクと何ら変わらぬ平常心で見られるようになってもなお、自分に限ってはこんな感じであった───「HUNTER×HUNTER最終回を読める可能性があるというだけで、どんなクソみたいな人生でも生きる理由が生じる」

いまや冨樫は少しずつ体調を取り戻し、我々は一時期とは比べ物にならないほどコンスタントに彼の創り出す世界に触れることができる。何百何千もの作品ジャンプにおいて連載され、本作に近い作品、それ以上のものを期待し続けてきたが、その度に彼の偉大さを突き付けられるだけなのだろう。

20.テニスの王子様 作:許斐剛 1999年32号 - (ジャンプSQで連載中)

前例のないテニスマンガでの成功女性読者の流入クール生意気で強い主人公像、菊丸が分身して以降のテニヌ...といった誌面上で読み取れる新規性だけでは、本作のもたらした文化のごくごく一部しか語りえない。

1000曲近いキャラソン、出役としての役割を求められる声優たち、2.5次元文化の源流かつ若手俳優登竜門としてのテニミュ...現代における狭義のオタク文化の根を辿れば、必ずテニプリが残した功績にぶち当たる。「推し」という文化が、人間を描くあらゆるコンテンツ侵食して久しいが、許斐剛が生み出した世界は、ジャンプで築き上げられたあらゆるファンダムの中でもっとも複雑で永続的な強度を保ち続ける、史上最も「推す」に値する文化であり続けている。

21.NARUTO 作:岸本斉史 1999年43号 - 2014年50号

すみませんほんとに書くことが思い浮かびませんでしたでも世界的にマン文化を広めた功績は鳥山に並ぶと思ってますマジで

22.BLEACH 作:久保帯人 2001年36・37号 - 2016年38号

まりに多くの言及がこの作品になされ、そのどれもが口をそろえて言う。「描き分けが上手い...絵の引き算が上手い...ルビ振りのセンス...久保帯人中二病...ストーリーが薄い...」これらすべてはもちろん真実だ。

連載中、ワンピナルトブリーチの三枚看板最後尾というポジションが崩れることは一度もなかった。果たしてこの評価妥当だったのかは分からないが、少なくとも我々ネット民久保帯人センスバカにし過ぎたことに対し大いに反省すべきところがあるのではないだろうか。海賊忍者のような明確なモデルがいないのに、久保帯人はどうしてあれほどまでに洒落キャラクターセリフ回しを無尽蔵に生み出せたのか、系統立てて説明できる理屈は未だ見つからない。もしその答えが彼の脳内しかないとするならば、我々は本作を源流に大いなる歴史が作られていく可能性を認めなくてはならないだろう。

23.DEATH NOTE 作:大場つぐみ原作)、小畑健作画2004年1号 - 2006年24

デスノートという作品複数の点で極めて例外的成功を収めた。肉体的攻撃を伴わない心理戦、一切の引き伸ばしをしない、公権力宗教的崇拝、欠点の無い主人公ゴシックキャラ造形、ダークヒーロー、死亡エンド...

本作に散りばめられたこれらの要素は、すべて従来のジャンプ漫画では邪道、あるいは不要とみなされてきた要素であった。このような野心的な作品メディアミックスにおいても成功を収め、国民の誰もが知る作品となったのは驚異的だ。この作品が出たことは心理戦を描こうとする後世のマンガ家にとっては悲劇かもしれない。夜神月ほど賢く、悪どく、魅力的なキャラクター矛盾なく作れる人間大場つぐみくらいしかいないのだから

24.鬼滅の刃 作:吾峠呼世晴 2016年11号 - 202024

2010年代ジャンプを購読していた人間はみな共通してうすぼんやりとした不安を抱えていた。「ワンピの連載終わったらジャンプってオワコンじゃね?」

ジャンプの終わりという、週刊少年マンガ誌という形態の終わりと同義に思える未来を避けるべく、集英社は読者以上に血眼になって後継者を探し求めた。しかし我々の期待も空しく、トリコ暗殺教室ヒロアカソーマブラクロ約ネバドクスト呪術といった平成末期の傑作たちすらも、尾田栄一郎が築き上げた領域には辿り着けなかったように見えた───ただ一つの例外を除いては。

家族、友人への愛」「困難を乗り越える強さ」という普遍的テーマフォーカスした吾峠呼世晴の連載デビュー作は、あらゆる世代へ届く成功を収めた。特に劇場版無限列車編』は社会現象化し、国内興行収入1位を達成するなど、経済的にも文化的にも大きなインパクトを残すことになった。

出版業界の衰退、コロナ禍、趣味多様化といった逆境の中で、マンガが世界的なムーブメントを引き起こすことがまだ可能である証明した本作は、令和を生きる日本人心象風景に残る新たな「国民マンガ」として、時代に選ばれたのだ。

25.チェンソーマン 作:藤本タツキ 2019年1号 - (ジャンプ+で連載中)

ひとりのスター存在プラットフォーム価値定義することは古今ジャンルを問わずあることだ。ダウンタウンの登場がお笑い養成所という存在メジャーにしたように、米津玄師の登場がニコ動文化オーバーグラウンドものにしたように。

2014年に創立したジャンプ+というプラットフォーム目的である「紙とデジタルの垣根をなくし才能を育てること」が名実ともに達成されたのはいつだったのか?それは初めて本誌とジャンプ+両方でスターとなった人間の登場によって定義付けられる。

かつて秋田の片田舎から新都社に「長門は俺だ」という名前投稿していた少年は、その衝撃的なストーリー展開で我々を魅了する存在となった。ファイアパンチ以降、ジャンブ+はあらゆるWebコミックサイト、いや雑誌を含め、もっとも野心的な作品を読める場所ひとつとして認知されるようになった。

藤本タツキの本誌への到着は新たな才能の鉱脈インターネットに求める時代の始まりを告げ、媒体の違いというものマンガの面白さになんら本質的な影響を及ぼすことはないという事実を我々に突き付けたのだった。

2024-10-25

なぜAI絵師疑惑絵師作業風景をアップしない?

AI疑惑かけられたくないなら作業してる光景投稿すれば良くない?

絵を描くたびに動画を撮って、それを毎回アップすればいいだけじゃん。

なんでやらないの?

頭が悪いから

まあ他に理由は思いつかんよね。

まさか本当にAIてるわけでないし

うちの姉はギャルだ。

ギャルっていっても、まぁ今どきの清楚系とか地雷系とかじゃなくて、完全に昔ながらのガングロ系。

真っ黒に日焼けしてて、目の下には涙袋をこれでもかと強調するメイクをしてる。

そんな姉が最近彼氏にふられた。

しかも別れ話を持ちかけられたのが彼氏の家の前だったらしい。

からうちに帰ってきてから、怒りと悲しみのあまりリビングで大泣きしだした。

その泣き方が凄まじくて、涙でアイラインが滲んで顔がぐちゃぐちゃになりながらも、なおかつ涙袋だけは頑張って強調されているという、なんとも言えないカオス状態

その時、私の頭にふと浮かんだのがベヘリットだった。

あの不気味な形をした、泣いているか笑っているかからないような顔のアイテム

姉が泣いている顔が完全にそれだった。

なんだか神秘的ですらあって、思わず見入ってしまった。ギャル感情をむき出しにして泣き叫ぶ姿っていうのも、ある種の儀式に見えてしまうぐらいだった。

「もう絶対男なんて信じない!もう恋愛しない!」なんて叫びながら、部屋中にクッションを投げつけ、ティッシュの箱が吹っ飛んで、リビングちょっとした戦場になっていた。

見ているこっちとしては、どうしてもその光景ベヘリットに見えて仕方がなかった。

いや、たぶん姉が真剣に泣いているのは分かってるんだけど、涙袋が強調されすぎていて、涙がそこから滲んでくる度にどんどんベヘリット感が増していく。

こういったことも初めての事じゃない。

毎回、全力で恋愛して、そして派手に振られる。これまで付き合った男たちはみんな何らかの問題を抱えていて、姉はその度に今度こそ本物の愛!と信じて突っ込んでいくんだけど、結局裏切られて大泣きするのがいつものパターン

そんな姉を見ていると、「またベヘリット発動か…」って、私の中でいつの間にかそんなセリフが浮かぶようになってしまった。

姉にとっての恋愛は、常に危険な賭けであり、心のどこかでそれを楽しんでいるようにも見える。

彼女が次の男に夢中になっている姿を見るたびに、「またあのベヘリット顔を見る日が来るのかな」と思ってしまうのが、なんとも複雑な気持ちだ。

翌朝、姉はケロッとした顔で起きてきた。そして鏡の前でまた涙袋をしっかりと描き直して、派手なギャルメイクを完成させた。その姿を見て、私はなんだか笑ってしまった。まるで何事もなかったかのように、また「恋愛戦場」に出ていく準備をしているようだった。

「もう大丈夫?」と私が聞くと、姉は振り返ってニヤリと笑った。

「当たり前じゃん!泣いたのは昨日だけ。今日からは新しい人生スタートだし!」と、自信満々に言い放った。

この強さこそが姉の魅力なんだろう。私には真似できないけれど、何度振られても立ち上がる姉の姿には敬意を感じずにはいられない。

そんな姉を見て、私はまた思った。

ベヘリットは、ただのアイテムなんかじゃない。

姉の強さ、そのものなのかもしれない。

涙袋が再び強調された顔が、今度は勇敢に見えた。

姉は今日も、恋愛という名の戦場に出ていく。

そして、その姿を見ていると、私はなんだか勇気をもらえるんだ。

2024-10-24

anond:20241023215350

ワイはカリギュラが好きやで

さな軍靴はい男の子が皆から愛されていた光景想像するとなんだか涙が出てくるんや

2024-10-23

バイト情弱バカにしている人がスヤスヤ教でキャッキャしてる

まりにも面白い光景で笑ってしまった。

バイト強盗をする人を「情弱」と切り捨てておきながら、Xで話題になってるスヤスヤ教に入信していた。

愚か度では変わらないし、何なら宗教問題のほうがセンシティブであるにも関わらず、遊び心でスヤスヤ教に入るのである

からない人がいるかも知れないので細く。強盗と、宗教問題を一緒にするなという人が出てくるかもしれないので書いておく。

強盗日本震撼させる重大問題だが、闇バイト強盗キッズのような人が冗談クルアーンを燃やすようなことをしたら、

それがどれだけ大きい問題想像がつくだろう。

宗教問題はそれだけセンシティブであるスヤスヤ教と言って宗教揶揄するようなことはしてはいけないのである

2024-10-22

公園ジュリエット

休みの日は、大抵家で過ごした。掃除をしたり洗濯をしたり、たまには料理を作ったり。あとは布団の上に寝転がってスマホに熱中する。熱中などと言ったら、好きでやっているようにも聞こえるかも知れない。しかし私の場合スマホに触るのは、どうにもならない虚しさから逃れるためでしかない。何かをするよりも何もしないでいるほうが難しいのだ。不安という魔物に追われて逃げ惑う姿は、傍から見れば実に滑稽にちがいないが、誰かに咎められるわけでもない。安全な家の中で、私はひたすら自身孤独と格闘する。

今も昔も、おにぎり三角形に握るのは、私の唯一の特技と言って良いだろう。毎日、朝食に欠かさずおにぎりを食べたものだった。職場近くの公園のベンチに腰をかけながら。聞こえてくるのはスズメの声だけだ。砂場遊具もあるから、昼になれば児童が興を添えるのであろうが、今は散歩する人さえ通らない。朝の光が木々の梢を透かしておにぎりを含む私の頬を照らしている。春や秋にかぎらず、夏は額に汗を滲ませながら、冬は寒さに身を縮めながら、私は1年中ここで朝食をしたためるのである不思議ものだ。外に出るのも億劫がる子供だったはずが、大人になって公園が好きになるとは、いったい何の因果だろう。家と職場中間の、誰にも煩わされない微妙距離感の上に安住できるひとときは、私にとって最上幸福だった。

いつからか、公園にひとりの女性の姿が見えるようになった。出入口のあたりの、植え込みを囲うコンクリートの上に腰を下ろし、足を組み、あたか「考える人」みたいに頭をやや傾げながら、スマホを覗き込むように見ている。ベンチに座る私の位置からは、対角線上に進んで30メートルくらいは距離があるだろうか。顔は判然としないけれども、ショートカットで、すらっとしたきれいな身なりをしている。歳は私よりもいくらか上だろう。おにぎりを食べ終わった私は、職場へ向けて公園を後にするのであるが、その際、かならず女性の前を通ることになる。女性は相変わらずスマホを覗き込んだまま通行人存在には無頓着である。私が家で熱中するのとはちがって、彼女スマホへの接し方はどこかしら優雅で、気品があり、悠々とした感がある。当時シェイクスピア作品を読んでいた私は、いつしか心の中で勝手彼女を「ジュリエット」と呼ぶようになった。

ジュリエットは、来る日も来る日も同じ姿勢をしていた。服装も、もちろん日毎に異なるとはいえ上品で垢抜けたところは、いつだって全然変らなかった。そして常に私には一瞥もくれなかった。おにぎりを食べながら、横目でちらと様子をうかがうと、昨日の光景と寸分も異ならない。前を通ろうとすると、心もち身体に力が入るものの、ジュリエットのほうは我関せずといった風で未だスマホを覗き込んでいる。私が春夏秋冬おにぎりを頬張るのと同じように、彼女も季節の別なく自らを貫くのである。ただひとつ異なるのは、私ひとりだけが彼女勝手名前をつけ(まさか彼女は私を「ロミオ」と呼んではいまい)、家や職場からの逃げ場となっている公園に突然現れた女性を、妙な存在として気にせずにはいられなかった所だ。

幼い頃から友達と遊ぶのも気が進まず、家庭の中にも居場所がないと感じがちな、さびしい少年だった。勉強はできないし、かけっこをしてもビリが定位置学校に好きな女の子ができても、ばれないように取り繕うのに必死で、感情を表すのを恐れるばかり。そのまま体だけが大きくなり、大人と呼ばれるようになった。ひとりぼっち自分が見つけた幸福空間に、見知らぬ人が入り込んで来て、今、どうして嫌な気持がしないのだろう。ひとりで遊んでいるところに友達が来ただけで逃げてしまうような子供だったのに。私はやはり大人になったのだろうか? 考えれば考えるほど、むず痒い気がして、やりきれなくなる。この感情が一体何なのか、自分にもよく分からない。くだらないと思って何もかも打ち消そうとするけれど、朝日の下の残像が瞼のうらに貼り付いて離れない。しか彼女微動だにせずあそこに座っている。雨の日も晴れの日も、世の中がどのように移ろおうとも、ここだけは同じ時間が流れていた。ふたりの男女がそれぞれの世界に住みながら、公園という場所だけ共有している、夢の中のようなおぼろげな時間が。

私がその公園最後に訪れたのは、退職した日であった。冬用のコートを着たジュリエットは、寒さも忘れてしまったみたいに、その日もいつもと変らずスマホに夢中になっているようだった。が、おにぎりを食べ終わり、いよいよ出勤しようと出口を抜ける間際、彼女の頭がほんのすこしだけ上がって、こちらを見たような気がした。馬鹿馬鹿しい。気のせいに決まっている。もう会うことはないと悟った私の感傷が起こした錯覚というものだろう。でも、当時の私には彼女視線が重たく突き刺さるように感じられてならなかった。あの一瞬間が長い年月を経た今になってもよみがえる。私の生活はあれから少しも変っていない。休みの日は、掃除洗濯料理に、それから不安に苛まれながらスマホをいじるだけ。スズメの声と、朝の光と、おにぎりと、ジュリエットと。——遠く過去記憶のなかへ去っていくあの日常が、時々私には恋しくてまらなくなる。

急にモテの話を持ち出す女性がよく理解できない

数年前、割と結構問題対策会議である女性の先輩が、俺からすれば凄い突拍子もない意見を言いだした

詳細は書けないから例え話をすると

・全体的に売上が不調でこのままだと前年度の◯割減になる見込みだが、どの様に営業展開を改善したら良いか

という議題に対して

インターンで来てる子達を全員営業部隊に投入すれば良い。彼らは交通費しかコストからないし契約が上手く取れれば

ローコスト利益が得られるしOJTにもなるし、内定の話を出してノルマを設定すれば彼らもモチベが上がるから一石二鳥でしょ

みたいな意見を出した


どう考えても大きなリスクがあるし(上の例えだと新人ですら無いインターン会社看板営業活動させても責任取れないとか

給料も出してないのに内定をチラつかせてお手伝い以上の事をさせるの会社的にも倫理的にもアウトでしょ、みたいな)

常識的に駄目でしょと思ったので、その案はさすがに難しいです、ってやんわりと否定してしまったんだよね

すると、その事が気分を害したのか、会議が終わった後で呼び止められて

「あれは場を和ます為の冗談のつもりだったのに真面目に受け取られて困惑してる、もうちょっと空気読め」

という説教をされて(冗談提案を言い出せる雰囲気会議では無かったけど…)

まあそれはもしかしたら冗談だったのかなとか、だとしたらその空気を読めなかった自分に非があるとは思ったんだけど

最後に「そんなんじゃ女の子にもモテないと思う!今後気をつけてね!」と付け足されて、その事がしっくりこず、記憶に残っていた


その時は「何でこの先輩、急にモテの話なんて持ち出してきたんだろう?」と純粋に疑問だった

かにモテタイプではない自覚はあるが、その時点で交際経験が無かった訳ではないし、数年後には結婚して家庭を持っている訳で

仕事以外でロクに話した事も無い先輩に全て見透かされていた訳でも無いし、そもそも会議の話とモテモテない云々は全く関係がないし

先輩は説教ついでに人格攻撃でもしたかったのかな?

と、先輩個人の悪意か特有の行動としか思ってなかったんだけど、ネットを見ていると、どうやら女性がやりがちな行動として割と一般的らしいと知った

かにSNS掲示板レスバになってる時女性ユーザー男性ユーザーに対し「そんなんだからお前はモテない」とか「チー牛」とか言ってる光景は多い

レスバの議題と「モテ」は全く関係ない様な時も、「モテ」に繋げて相手非難する人って少なから存在するところまでは判明している


彼女らは何がしたいんだろう?と疑問に感じる時はある

いや分かるよ?

あの先輩みたいな女性だって馬鹿じゃないから、「モテ」を指摘されたら逆上して殴ってくる様な男には絶対言わないだろうって

言っても反撃して来ない様な俺みたいな人間を選んで言っているんだろうって事はね

モテがどうこうで愚弄された事よりも、関係ない事で人格攻撃しても反撃して来ない弱っちい奴、と侮られていた事に腹が立つやら情けないやらとなる

当時自分20代半ばで、先輩一回り近く上だったかな?30代半ばの人間が、10は下の異性に対してセクハラとも取れる説教とか…ぶっちゃけあり得ない


それにこちらの被害者感情が敏感なのかも知れないけど、俺を「そんなんじゃモテない」と愚弄する事は

今まで付き合ったり仲良くしていた人、俺に「モテしまった」人まで愚弄する事に繋がるんじゃないのって

寧ろ自分馬鹿にされるよりも家族馬鹿にされる方がよっぽど腹も立つし、キレて怒鳴り返してしまうかもしれない

人によっては「モテ」が凄いコンプレックスだったり、人生のもの否定されたと感じる人だっているだろうし

見た目は大人しくてショボい奴でもマジギレされて反撃されたらどうするんだろう?

そんなリスクを感じてないのか、それとも反撃されたら「被害者」になれるからそれはそれで都合が良いのかな?

どちらにしろ俺にはよく理解出来ない発想だわ

2024-10-21

中身も外身も腐ったオスが「どのメスにも選ばれない」という形で去勢されてく光景うつくしい

2024-10-20

平和運動反政府運動)に仮想敵国から資金が流れ込んでいるのは周知の事実では?

と言うと、「陰謀論w」と笑われかもしれないが、日本市民団体に対して、1990年頃まで旧ソ連から多額の工作費が流れていた事実(例:ベ平連)のには、どういう反応するんだろう?

 

うろ覚えだけど、日本学生運動の連中も、ソ連中国北朝鮮に援助を求めに行ったけど、若さと非現実的目標しか持っておらず、実績も無い連中に支援しても私服を肥やすだけだろうと判断され、慇懃無礼に追い返されるか、飼い殺しにされたみたいだね。余談だけど、昨今の若手スタートアップ個人投資家VC上から目線出資を依頼しに言って、爆散する光景が重なって見えるね!悲しいね

 

 

それはさておき、終戦直後日本には左右両側の工作機関から工作費が流れ込んで来たり、日本戦前世界中で現地の反政府勢力支援していたのも歴史的事実なんだけどな。東欧で反露反共運動やったり、中国軍閥支援したり、植民地独立運動支援したり…。

 

から現在でも日本仮想敵国が、日本国内の平和運動反政府活動政府の決定事項に反対する活動)に資金を入れるのは当然だと思うし、やらないほど愚かではないと思いたくはないのだけど、これらを陰謀論と笑う連中は歴史についてあまり詳しくないのかな?

中国の奇妙な現象田舎に戻って寝そべり族化すると人生詰む

https://anond.hatelabo.jp/20240921093915

失業者は日増しに増え、収入の道が途絶える一方で、家賃光熱費生活費など生きるための最低限の費用は賄っていかなければならない。多くの人々が大都市から脱出し、田舎の町に帰って「寝そべり族」化することを選択している。激しい不景気の波にさらされる中、田舎の町は、まるで時が静かに流れる安息の地を思わせるようだ。

その一方で、私の従兄が逆に田舎の町から大都市最近「逃げ戻った」のだ。

この二つの対照的選択果たしてどちらが現実的なのか? 

気になって、家族グループチャットで聞いてみた。以下は、親戚が教えてくれた田舎の町の最新情報だ。

  • 通りには配達員の数が増え、以前なら夜9時以降は自分バイクを走らせないと夜食を手に入れられなかったが、今では深夜1時でも配達員が動いている。

親戚たちがちらほらと送ってくれた田舎の現状を見て感じたのは、大都市よりも田舎の方が経済的に苦しいということだ。公務員ですら蓄えを切り崩しながら生活している。大多数の「普通」の人たちは、実家から支援も受けられず、だからこそ大都市に留まって奮闘している。一度大都市を離れ、田舎に戻ってしまえば、仕事が見つかるかどうかも怪しい。仕事が見つからなければ、家に引きこもるしかない。そして、経済問題家族関係の渦に巻き込まれじわじわと沈んでいく――もう二度と立ち上がれない。人生そこで終わりだ。

かに大都市生計を立てていくことは厳しく、生活費も高い。しかし、チャンスが多く、公平でもある。田舎リソースほとんどが上層階級に独占され、普通の人たちには生き延びるためのわずかな資源しか残されていない。発展なんて望むべくもない。だからこそ、苦しい時こそ大都市に留まるべきなのだ。少なくとも、大都市では利害が全てだ。そして、金の前では皆平等だ。

追記田舎上層階級について、親戚たちの話を聞くと、どうやら新たな権力の再編が進んでいるようだ。この件についてまた詳しく書いてみようと思う。なかなか興味深い話だ。

2024-10-18

anond:20241018155520

脳内に思い描いた光景は、他人には観せられないじゃん?忘れちゃうじゃん?

それを形にして残して、他人にみせることができるのが楽しい

2024-10-17

漫画ワンピースって、陽キャイメージだったのもはるか昔、今やあまりにも長大物語新規読者の参入を阻む勢いだが、それ以上に、少年漫画王道でありながら、そこかしこに「人間への不信感・不満」「世界残酷さ」「弱者が踏み躙られる光景」を入れ込んでいて、軽く読み飛ばすことを拒む負のエネルギーも持っている。

ただ楽しい冒険譚を描きたいだけなら、「死んだ方がいい世界」なんていう話のタイトルはつけない。

そういうど直球の不信感や怒りが入り込んでいるのも、あの漫画の魅力なんだろう。

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