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はてなキーワード: 排除とは

2018-05-25

anond:20180525083646

観測されないモノは存在しなくなるって、SFとかの鉄板ネタがある

それと同じで、誰にも承認されない人は周りに認識されない=排除されてる、という事なんだと思う。

2018-05-24

はてブでは日大山口組って当然の前提っぽい流れだけど

そんな話って昔からあった???

それとも今回の事件を機に何か分かった事実があったの?

もし事実だったら今あちこちで言われてる「反社会的勢力勢力排除誓約」で完全アウトになるよね。

大学の辞任云々のレベル簡単に超えた超強烈なスキャンダルだと思うんだけれど、

これブクマカの人たちは相当断言するに足る証拠があって発言してるの?

アメフトのつまらなさ

戦術がわからない

時計が止まりやす

フィジカルコンタクトが激しすぎる

という3点に尽きる。

アメフト戦略性が高い、チェス将棋みたいだ、というのは知っている。

でも将棋だって戦法や定跡を知ってないと見てても意味不明だ。

アメフト試合中継がもっと多ければ自然戦術理解するようになるかもしれないが、

現状では試合を観たところで「いまのどういうプレーだったの?」と疑問符だらけになってしまうだろう。

ちなみに将棋大盤解説だってもっとCGとか使って分かりやすくしてほしいと思っている。

あとポジション

サッカーなんて縦に三つ(FWMFDF)横に三つ(L・C・R)しかいから分かりやすい。

FW攻撃をするんだな、CB守備をするんだな、というのが感覚的に理解できる。

アメフトポジションは多すぎるし、パッと見で何をするポジションなのか分からない。

ポジションの分からなさは、戦術の分からなさに直結している。

アメフトは細かく時計が止まるからフラストレーションが溜まる。

野球だったら0(アウト)と1(ヒット)がはっきりしていて分かりやすいのに対して、

アメフトは0.1ずつ進んでは止まるようなじれったさがある。

そのうえ戦術が分からないので、余計に「なにをやっているんだろう」「どういう状況なんだろう」という感想になる。

アメフトでは、タックルブロックが、ゲームのなかで必然的に発生する。

バスケサッカーなら、もちろん実際には押し合いへし合いは発生するんだけど、それはルールとしての必然ではない。

理想的には、全ての選手がまったく触れ合わずにプレーすることも可能だ。

が、アメフト絶対フィジカルコンタクト排除できない。

暴力ルールに織り込まれているという点で、アメフトは非常に怖い。

それに「結局はフィジカルゴリ押しなんでしょ」という印象があることで、プレーそのものが大味に見えてしまう。

というわけで、アメフト日本流行らせるためには。

そしてなにより

ということでよろしく

[] #56-3「斜向かい過去

弟の方は、ムカイさんに踏み込んだ話をした。

「ムカイさんってさあ、何で母さんのことよく聞いてくるんだ?」

俺が慎重に立ち回ろうとしているのがバカらしくなるくらい、ド直球の質問だ。

急がば回れ”とはよく言うが、それは回り道がどこにあるか分かっている人間言葉であり、弟にそんなものはない。

「知り合いだ……昔のな」

しかし、多少リスクはあっても、駆け引き排除したことによるリターンも否定できない。

今回はそれが功を奏し、意外にもムカイさんはすんなりと答えた。

もっとも、あっちが覚えているとは思わんがな」

ムカイさんは続けてそう言った。

何だか妙だ。

さっきも説明したが、母の記憶は綺麗に整頓されており、しまってさえあればすぐに引き出せる。

もしムカイさんの言うとおり知り合いだというのなら、数秒程度の面識しかなくても母は覚えているはずだ。

「知り合いって、いつ、どこで出会ったの? 詳しく!」

「なぜ、お前らに、そこまで言わねばならんのだ」

だって自分母親のことだもん」

「それが、何か関係あるのか?」

弟は更に追及しようとするが、ムカイさんは突き放すように断った。

「なんだったら、母さんと直接会って、話してみたらいいじゃん」

「それは、お前が決めることじゃない」

ムカイさんの言葉には血が通っていないように思えるが、主張自体は一理ある。

なぜなら、ムカイさんと母の間に何らかの過去があったとして、その物語に俺たちは登場していない。

俺たちに話す義理道理も、あるようで、ないわけだ。

知的好奇心を満たす以上の意義を提示できず、ムカイさんにその気がない時点で、話は終わりなんだ。


…………

仕方なく、俺たちは現時点で集まったピースだけでも、はめておくことにした。

「母さんは、ムカイさんのことを覚えているような覚えていないような……つまり記憶曖昧らしい」

「ムカイさんは母さんと『昔の知り合い』だと言ってたけど、『覚えていないだろう』とも言ってた」

漠然とした情報だったが、二人の主張は矛盾していない。

パズルの完成絵は分からないが、少なくともピース自体は合っているわけだ。

「母さんが覚えていないってのが謎なんだよな」

メモリ故障してんのかな。だとしても、腑に落ちないけど……」

結局のところ、俺たちが分からないのは、そこだった。

母の記憶力は絶対だ。

覚えているか、覚えていないかそもそも記憶にないかでハッキリしている。

もし、何らかの理由で脳から記憶が完全に飛んでいたら、ムカイさんについては「知らない」と答えるはずなんだ。

曖昧な答え方はしない。

俺たちはそこが引っかかって、十数分間ほど同じ議論を繰り返した。

平行線を辿り、どうしても先に進めなかった。

かといって、これ以上はピースも揃いそうにない。

完全な打ち止めだ。

しかし、俺たちは気づいていなかった。

実はこの時点で、完成絵の“あたり”をつけることは可能な段階になっていたことに。

ピースはあるのに、パズルのやり方が下手くそだったのが原因だったんだ。

(#56-4へ続く)

2018-05-23

anond:20180523160700

無条件に変われ、なんて誰も言ってないよね。モテないならセックスしたいなら、その「相手」の考えてることをちゃんと読み取れよ、と言ってるだけで。

相手」の考えに従って排除されてきたのが非モテ


話変わるけど、「相手」の考えてることを読み取るって失笑だよね。

都合よく、「相手の考えっぽいもの」を考えてるだけで。

それが出来ないならセックスはできないよってだけ。

相手が拒絶の意思をあらわにしてれば、考えが読めたってセックスはできまい。

anond:20180523160731

私は教祖になりたいわけでもなく、そもそも教祖などいらない。

全員、公平。

「私だけ」なんて求めない

現状、「非モテだけ」排除されてるのを無理やり是正するには、それしかない。

anond:20180523161254

思い通りにならない非モテ排除してる、

非モテ以外の人たちも同じだよ。


ただ、非モテのほうが切実で、

孤立している故にストッパーもいない。

非モテ差別肯定する非非モテ自分差別されることを許容するのか

モテないと容姿が悪い奴は人間性が悪いという人間自分自分理解できない中傷排除を受けたとき許容するのか

anond:20180523152508

意見の相違だな。

他人を「生理的」なんていう主観的かつ基準が明らかでなく、また無礼理由排除することには

何の正当性もないと私は思っている。

anond:20180523151831

相手に受け入れられたいなら、ある程度相手に合わせることは必要だよね。当たり前じゃね?

相手に合わせたくないなら、相手を別の人に変えるしかない。増田の思う通りに他人が動かなきゃいけない義務はないんだよ。

1行目の譲歩の幅が、自分アイデンティティをゆがめるレベル要求され、

2行目のように相手を変えようとも、みな同じレベル要求をする。

これが非モテを取り巻く状況で、非モテこそ、アイデンティティをゆがめられてる。

プライド高すぎるよね。増田アイデンティティ大事なのは増田にとってだけだよ。相手にも当然アイデンティティがあるんだ。

非モテにもアイデンティティがある。

今、非モテアイデンティティけが下等とみなされ、セックスから排除されているという現実がある。

本来非モテアイデンティティもそうじゃない人のアイデンティティ等価なのに、それが考慮されていない。

増田ママを求めてるマザコンって指摘があったけど、正しいかもね。この増田には「他者」が存在しない。

他者存在しないのではない。

私は「非モテ」という他者のことを憂いている。

あなたたちこそ、「非モテ」のアイデンティティをなんとも思っていない。

anond:20180523151144

非モテだって本当は見えないところで頑張っているかもしれないのに、結果が出てないからと言って排除されたまま。

まぁ、格差は動かないよな。

anond:20180523145342

すまん、読みづらい単語だったわ

「無条件かつ無償の愛」ではなく、

「無条件」に「無償の愛」から排除されてるのが非モテな。

anond:20180523145005

なんでも非モテのせいにして、非モテ排除してたら楽だもんな、わかる

俺たちの輪に入れないのは非モテが悪い、努力不足だ。

そうやって育てた怪物に殺されてからでは遅いぞ

anond:20180523144518

違うな。


無条件で「無償の愛」から排除され続けたものが、非モテ

anond:20180523135510

さぁ。私は排除されてた側だから、それ以上のことは知らん。

でも、あなたのいう「余程のこと」なんてラインはこうやって簡単に飛び越えられ、

排除される「非モテ」を生み出すんだよ。

anond:20180523132101

でもそれは、一人ひとりの個別選択の結果=市場なわけでさ、

一人一人の個別選択は、必ずと言っていいほど全体の影響を受ける。

また、個別排除が全体になれば、それは「全体から排除される個人」を産む。

だいぶ抽象的だが、非モテ問題とはそういうもの



一人ひとりに「おい非モテの俺を受け入れろ!」と言いに行くのも変な話だ。

全然変じゃないよ。

個々人が、自分パーソナリティを、非モテ一方的に避ける価値観を見直す。それだけ。

非モテに「アイデンティティを変える努力しろ」という皆さんなら、きっと簡単にできるさ!

anond:20180523131845

あ!非モテだ!避けよう!と思って避けてるわけじゃないよね。より多くの人に「避けられやすい」から結果的非モテになるわけで。

個別個々の自由意志に基づく「近づきたくないわー」がたまたま集まっている。

この「たまたま」が全体になれば、それは「排除」というのだが。

たまたま」みんなで非モテ排除してるからといって、それが良いことだとは言えない。

そして、「近づきたくないわー」という人が減るようにする努力もなしに文句を言っている。

「近づきたくないわー」という側に非がないのならその理屈は通るが、

本当にそうなのだろうか?

anond:20180523132009

自身ののアイデンティティと、「自分とは違う意思を持った他人」とのコミュニケーションは、バーターじゃないと成り立たないよ。

ほんとにそれはバーターなのか、一方的否定されてるアイデンティティはないのか、というのがこの問題本質だと思ってる。

非モテ」のアイデンティティ一方的否定されてるように見えるが。

どうしても捨てたくないアイデンティティなら、アイデンティティを共有できる人と出会えるまで頑張るしかないし、

「その人と出会えない、そんな人いない」から非モテなのであって、

共有できない人に無理やり共有させる権利はないよ。

この理屈のもとに恋愛から排除され、「嫌なら無理やり共有できるようになれ」と言われてるのが非モテ問題本質

まり非モテにはアイデンティティを曲げることを要求するのに、その他の人たちは同じくらい曲げるのか?

anond:20180523124242

出れないよ

東南アジアでさえ就労は難しい

拘束が難しいんじゃなくて大卒も難しいし

医学部みたいな高学歴も現地の利権者ともめて排除され一時滞在しかできない

日本人日本で生きて日本死ぬしかない

諦めろ

anond:20180523120721

欲しいものがあるなら、手に入れるための努力は欲しがっている人が積極的にするべき

ほしいもの」ではなく、食欲と並ぶ「必須のもの

知ってる。女の子にも、イヤな人はイヤという言える多様性があるの大切。

あと、イケメンじゃない、もっさりした男性でも結婚してたり彼女が居る人は普通にいるので、十分多様性はあると考える

1.なぜ女の子に限るのか?

2.外見の話に限らない。「非モテ」的なパーソナリティが、「非モテ」でなきゃならない必然性について疑問視してる。

ある種のパーソナリティ、とは?具体的に述べよ。また一方的排除された具体的な被害を述べよ。

非モテ」的パーソナリティ

インセルを具体例としてあげられるだろうか。

anond:20180523115043

Q そもそも、そこまでしなければならないことに問題を感じないの?

欲しいものがあるなら、手に入れるための努力は欲しがっている人が積極的にするべき

Q 多様性って言葉しってるか?

知ってる。女の子にも、イヤな人はイヤという言える多様性があるの大切。

あと、イケメンじゃない、もっさりした男性でも結婚してたり彼女が居る人は普通にいるので、十分多様性はあると考える


Q ある種のパーソナリティ一方的排除されるのは、よいことなのか?

ある種のパーソナリティ、とは?具体的に述べよ。また一方的排除された具体的な被害を述べよ。

anond:20180523114910

お前が言う「やった」は本当に「やった」の?

いろんな可能性考えて、打てる手は尽くしたの?


そもそも、そこまでしなければならないことに問題を感じないの?

多様性って言葉しってるか?

ある種のパーソナリティ一方的排除されるのは、よいことなのか?

anond:20180523114618

あなたはそういう努力をしてる、と。

で、あなたの「パーソナリティ」が評価されて、

非モテの(私の、でもいいよこの際)「パーソナリティ」はあなたに完全否定される。

あなたパーソナリティは性の市場で受け入れられて、

非モテのそれは排除される。

ここの部分の、「値付け」の平等性を私は最初から問うてるんだ。

日大アメフト監督コーチは悪くない

タイトルには悪くないとは書いたが、

これは、「監督選手との認識の違い」という件に関して考察したいものであり、

自分自身教育者としてかつて行ってしまった、誤りを改めて見直す事を目的としたものだ。決して本件が悪くないとは思っていない。

問題なのは、対人に対して成果を求められる、あるいは成果を求める教育者がこういった状況に陥りやすい事について是非知ってもらいたいかである

仮に監督コーチが「ぶっちゃけていうと」どうなったのかを教育者としての経験とそこで起こった状況から、考えたいと思ったからだ。

したがって、私自身がどういう愚かな言い訳をするのか、客観的に見てみたいのだ。

この問題を考えずして、情熱をもって指導をすることを辞めてしまいそうになることが、どうも納得がいかいかである

もう一度言うが、本件は明らかに指導者が悪い。恐ろしい事だと、そう断言する。

監督選手との認識の違い

私はサッカーを少々やっていたことがあるが、サッカーというスポーツはとてもえげつない側面を持っている

(もちろん、この件をしっかり考えて、事実に基づき、その正当性について考える必要はあるが、ここでは「えげつない」という簡単言葉を使ってしまう事にする)

イエローカード程度に調整された意図的なファール、移動が困難になり、転倒寸前まで引っ張られるユニフォーム

次のファールを軽くしてもらえる、あるいはファールを取ってもらいやすくする審判への講義

どれも、ゲーム進行上、違和感なく行われている。

これは、ファールを取ってもらう為に痛がるパフォーマンス絶妙位置で転ぶ等に対して、審判がファールを取らない事から

その行為自体存在している事をが広く認知されている事を証明しているだろう。

よく、ユニフォームを掴んでしまうことに対して「とっさに掴んでしまう、ゲームに熱中していたからだ」という言葉を聞くが

何千男百との試合経験している中で、こういった行為抑制する事など出来ないはずは無い。

これが行われるという事は、試合の中で審判判断範囲内で裁かれないグレーゾーンを上手に渡り歩いているからだ。

この問題にはゲームの進行を止めてしまうとゲームスピード感を損なってしまうし、ロスタイムの増加に繋がるといった、

観戦者やスポンサー等に対するショービジネス的な要素も関わっているはずだ。

ともかく、どんなスポーツも「紳士的に行う事」が大前提とする中で、こういったグレーゾーン戦術的に行う事は、だれしも考える事だろうと思われる。

そこで、今回の件を思い出したい。

選手を潰してこい」といった、事がどのように行われるべきだったかという事だ

アメフトについて、無知である私がこのゲームについてどこまで許されるものかを書いて良いものではないが

すくなくとも、アメフトではボールキャリアに対してとびかかる様なタックルを行って良いものだと多くの人は認識していると思う。

前記したサッカーグレーゾーンについて考えると、監督が指示したのは「全身全霊をかけた、相手破壊する事を厭わないような危険タックルを行え」という指示だという事になる。

試合中にこの様なタックルをしたとして、審判相手チームは選手に対して警告を行ったとしても、今回の様な事態にはならなかったであろう。

それでは、なぜこの様な事が起こったのか、ここでもう一つの監督選手認識の違い」について考えたい、この件が今回私が考えたい本題なのだ

集団個人・また自分自身マネージメント学生教育者という関係性の中で生じる矛盾や歪みについて

選手記者会見で本人は「試合に対するやる気が見えない」と指摘されているまた、この件に対して選手自身に「その自覚が無い」と言っている。

ここから私自身の勝手な推察であるが、もしかすると監督コーチには、選手が以前からこう映っていたのではないだろうか?

選手に対するタックルに躊躇いが感じられる、有効な一撃を逃している」

といった、選手が考えてもいなかった側面、特にメンタル的な要素が起因した問題を何とか排除すべきだったのではないか

これは、学生に対する教育者特に悩む問題で、大きな肉体的、あるいはセンステクニックを持った学生メンタル的な要素で、その才能の邪魔をしてしまっている場合だ。

それを証拠に、試合後、選手に「やさしいから」等といった言葉をかけている事からメンタル的な要素に何か起因する問題があったのではないかと推察される。

こういった時、二次的に集団的にどういった事が起こるかというと、指導者の意図を察知した仲間が、悩む仲間に対して助け舟を出すのだ。

特に誰もが認める優秀な人物に対しては、熱心にそれをする場合が多い、自分の夢をアドバイスにして託す事は親にも指導者にもある、もちろん同じ夢を志す同士であればなおさらだ

問題なのはその仲間が本人に対して適切なアドバイスをしない事があるからだ。

今の私と同じように、ありもしないことを勝手想像し、相手に対して最善だと思う事を自分の中で構築するのだ。まるで親友恋愛話を親身に答えるように。

どうなったかというと「相手選手が潰れれば試合が楽になる」というアドバイスになった。

これは、チームメイトとして、この問題について解決すれば、大きな成長になることを信じて、一歩踏み出せない相手背中を押す行為だったのではないだろうか?

もちろんこの時、アドバイスを与えたチームメイトは、まさか試合中断中にタックルをするとは考えていない。あるいは、この様な大事になるとは考えていない。

そして、最後に念押しして指示される「やらないではすまされない」といった指導

この時、いよいよ思考は停止する。

この選手は、20歳の学生だ、学生の中には指導者の指導絶対である大人は正しい、先生は何でも知っている、そういった考えを持つ物がいる。

選手記者会見で再三「理不尽だと思う事もあるが、指導者に対して言う立場にない」等といった発言が出るのは、こういった側面があるからだと考えられる。

自分が未熟だから、考えも及ばない所で指導が行われている、そう考える学生がいるのだ。

一方で指導者はどうか、ほとんどが恵まれているのに、あと一つの所で伸び悩んでいる、何度も場数を経験させた、そんな選手をどう思うかだ。

こうした者に対して考えてしまう事は、自分の才能が認められたという事に対する慢心だ、その慢心から向上心を失っているという事だ。

もう一つは、先に挙げたような、メンタル的な要素だ。

この問題に対してやりがちな事は、対象を悔しがらせる事だ、まだ未熟だ、やる気を取り戻すまで、練習をするな等と、相手を奮い立たせるような挑発をする。

実際に、練習に参加させないといった、理不尽と思われる事を行っている。

そして、もう一つは、対象を新しい別の環境に置く事だ。

これは、現実は思っているより厳しい、大人もっとえげつない社会は間違っている、世界には間違っていることもある、そういった事を伝えたいというものだ。

とても紳士的で優しい人物であれば特に、この厳しい現実を伝えたくなるのだ、そんな時、自分の分野を引き合いに出すのだ。

厳しい勝負世界にどれほど立ち向かう覚悟があるのか、と考えた末に「殺れ」という言葉が口から出るのだ。

もし、荒くれ物の選手だったら、真逆の事を言っていたのかもしれない。

こうして、自分自身おかしいと思う行為の決行を判断する事になる。

本人は、この問題理解していないのだ、練習も頑張った、代表にもなった、指導のおかげだ、ほかに何が足りないのか

なぜ、自分をないがしろにするのか?なぜ、急に指導が厳しくなるのか?なぜ、特別な指示が出されるのか?

指導の通り頑張った。タックル踏み込みが浅いと指導されているので、きちんと踏み込みには気を付けている。

そんな時に、「確実に潰せ」という簡単課題を出されたときに、その問題解決できると信じてしまうのだ。

チームメイトや他の指導者の言葉さらに後押しをする。

多くの人が同じことを言えば、決して紳士的ではないグレーゾーン問題と同じように、問題ない行為に思えてくるのだ。

以上の事が、私の考える問題の全貌である

事実、幾人かの学生と向き合ったときに、もとい、人と本気で向き合ったときに、自分意図とは全く違う行動をする者がいる。

これは、自分意図という秤が自分基準にしている事が問題である事が分かった、自分だったらこうするだろう、こう伝えたら分かるだろう

といった、自分の秤は、どんなに水準を一般化させて展開させたとしても、学力能力の同等な人間を集めたとしても一致しないという事だ。

特に教育者は、複数人間相手にしなければいけない、問題は彼だけではないのだ。

多くの問題を抱えていて、すべて平等に行われなければならない。

そんな時に行いがちなのが、単純な命令による支配である

簡単かつ誰でもわかりやすい単純な物が良い、ただし、簡単であるが上に矛盾が生じる、一人だけ変更すれば他の物が混乱する、その為に強引に行うのだ。

時には、問題因子を排除する事も厭わない。個別指導するよりよっぽど管理やすいからだ。

次に、指導者を増やすことだ、自分代理複数立てる事だ、しかし、代理自分自身ではない、

どんなに忠実な代理だとしても、伝言ゲームの様に指導内容が違って受け取られてしまう。

それならば、同党の指導者を置けば、本来想定したものと違う指導内容になってしまうことになる。

そうなると、自分の手柄を作って信頼を得なければならなくなる。

その為には、多くの学生指導して、信頼を勝ち得なければならない。という悪循環が起こる。

最後

正直自分にはこのスパイラルをどう解消するべきなのか分からない

今は、教育平等でなければならないという考えを変え、学生自発的活動を見守り、問題は早期に発見して対処するといった事をしている。

しかし、熱心に、あるいは強制的に行う教育効果には遠く及ばない。問題はなくなるが、才能の開花を促進させる手伝いはできない。

適材適所バランスよく相手に合わせて状況判断して実施するという事が望ましいに決まっているが。

自分以外の人間をどこまで知りえる事ができるだろうか?それも複数人も。

何もしないで見守れば、育つ物も当然いる、同じように、愛情を注がなければ開花しないものもいるのだ。

そもそも学生に何らかのきっかけを与えるのが教育者なのではないだろうか?

特に大学スポーツチームとなれば、学生生活の期間、選手生命期間、どちらをとっても期間は限られている

他のチームはどうしたのだろうか?問題を起こしそうな選手排除したのだろうか?

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