はてなキーワード: 犯罪行為とは
なぜなのか。
セクハラには断固対処する。しかし推定無罪の法則ゆえに調査段階では中立的立場とするので今すぐの処分はしない。
これでいいはずなのに、「福田はハメられた。女記者のやったことは犯罪行為」とか言ってしまう。どう考えても政治的センスがない。馬鹿じゃないはずなのにどうしてこんなことを言ってしまうのか。なぜなのか……
ららぽーと新三郷のある埼玉県三郷市で市議会選挙があった。昨年7月23日。ここの自民党系21世紀クラブは以前、議員が万引き。ところが・・・
自民党公明党、がこの議員をかばいまくる。まるで麻生財務大臣のように。
「芳賀浩議員は、2010年3月20日に、市内商業施設において商品を商品を窃盗した容疑で、現行犯逮捕された。報道によれば、本人も犯行を認めているところである。
芳賀議員の行為は、公職である市議会議員にあるまじき行為であり、本市議の意思として、芳賀議員の速やかな辞職を求めることを決議する。」
という決議案である。共産党、市民派クラブ、民主党(当時)らが賛成。
ところがこの議案を提出することに意義がかかり、提出することに反対多数で否決されたのである。
反対したのは、公明党三郷市会議員団、自民党系21世紀クラブ、自民党新政会(現・政志会)で結局議論もされないまま廃案。
さすが自公。笑。
本人側に事情があるのかもしれない。
即刻辞任すべきだ。
理解出来ないのは辞職勧告決議案に自民党と公明党が反対した事である。
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埼玉県警吉川署は20日、三郷市高州、同市議芳賀浩容疑者(67)を窃盗容疑の現行犯で逮捕した。
発表によると、芳賀容疑者は同日午後1時15分頃~3時15分頃の間に、市内のホームセンターでヘアカラーやポリ袋、
ラップなど日用品66点(計1万2314円)を万引きした疑い。芳賀容疑者はカートに商品を入れたままレジを通らずに店外に出て、
駐車場で持参した袋に商品を詰め替えたところを、同センターの女性保安員(58)に取り押さえられた。芳賀容疑者が店内で
きょろきょろするなど挙動がおかしかったため、見張っていたという。
芳賀容疑者は、2009年7月の市議選で7選を果たしたベテランで、市議会最大会派「21世紀クラブ」の代表。議長や市の
監査委員も務めた。調べに対し、「魔が差した」などと容疑を認めているという。
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20100320-OYT1T01022.htm
理性というのは、自分にとってももっとも都合のよい納得感のある理屈を考え出す道具でしかないので、
普通は、仕事したり友達とご飯食べたり、何か楽しいことをするととてつもない喜びを脳が感じて、
あぁ、俺はこのための生きているんだ、これこそが俺の生き甲斐だと実感するんだよ。
ボランティアみたいな目に見える社会貢献活動に対して感じる人もいれば、
地下アイドルを追っかけてる時に感じる人も居れば、深夜にこっそりアニメを観る時に感じる人も居る。
時として、犯罪行為にそれを感じる人も居るけれど、脳の活動としては正常なのね。
たぶん、あなたの脳は、脳に喜びを感じさせる報酬系が機能しなくなっていて、
それがいわゆる鬱の状態なんだけども、
その状態で、理性が必死になって考えても、人生には意味が無いという答えしか出ない。
「共産・志位氏『首相は知らなくてもアウト』文書改ざん」
首相は「知らなかった」というが、公文書改ざんは国民主権、議会制民主主義を破壊する犯罪行為だ。知っていたらすぐにアウトだが、こんな大事なことを知らなかったら、それも行政の最高責任者としてアウトだ。https://t.co/yCEfQ0xI84— 志位和夫 (@shiikazuo) 2018年3月25日
Q3 テロ等準備罪を新設しないと、TOC条約に入れなかったのですか?
A3 TOC条約は、犯罪を実行することについての合意(計画)か、または犯罪組織の活動への参加を処罰することを義
務付けており、TOC条約に入るためには、テロのような組織犯罪について、実行に着手する前の計画・準備の段階で
なお、一部「予備」の段階で処罰できる罪もありますが、予備罪では、そもそも上記のTOC条約の求める義務を満た
すことはできません。
これはウソ。
「テロのように思想に由来する犯罪に対応する目的には作られていない。」
なぜあんなにみっともない金田前法相の答弁で議論は尽くされたと自公維の国会議員が言えるのか?まったくもってわかりません。
報道ステーションでは、パレルモ条約を立案した当事者のパッサス教授のインタビューがあり、法案にこだわる安倍政権の理屈がことごとく粉砕されています。カメラで撮った言葉を並べてみます:
この条約は経済的利益や物質的利益を目的とする犯罪のためのものです。」
「この条枠は組織化された犯罪行為と戦うために作られたもので、テロリズムについても対象犯罪から除外されているのです。」
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「思想的なテロに対処するための手段はほかにたくさん用意されています。」
「9・11以降、凶悪なテロ集団に対しては国連憲章の7章に基づく決議があります」
「イスラム国」などへの制裁措置を定めた国連決議がすでに機能している」
「東京オリンピックのようなイベントの開催を脅かすようなテロなどの犯罪に対して現在の法体系で対応できないものは見当たりません」
で、新幹線に乗ると二回に一回は前の席の人が「リクライニング下げてもいいですか?」と聞いてくる。
リクライニング下げていいかだと?知るかボケ、そんなことはJR東海に聞いてくれ。
俺はのぞみの座席の設計者でもないし、乗車規定を決める担当者でもなんでもない。
そんなこと百も承知のはずなのに俺に聞いてくるのは、このバカがルールとマナーを履き違えているからだ。
ルールの守備範囲は権利で、マナーの守備範囲は気分、もしくは感情だ。
人と人が狭い社会で肩ぶつけ合いながら生活している以上、権利同士が衝突することがある。
犯罪行為はもちろんだが、例えばそれ自体としては合法な営利活動である工場操業が、住民の安眠を妨げている場合、ルールとして夜間の操業が禁止されることもあるだろう。
工場の営利追求も、住民の幸福な生活も、どちらも守るためにはルールを設ける必要があるし、そのルールは権利を守るためである以上、公権力その他によって強制されるべき性質のものだ。
ルールを守って生活していれば、誰の権利も壊さないし自分の権利も保たれるので、ルールは守るべきだと思うし、他人にルールを守ることを強制して望ましいと考える。
一方のマナーはそうではない。
満員の神社にベビーカーで行く、電車内で子どもがうるさい、新幹線で肉まんを食べられて臭いというのは、どれもマナー違反だからやめろと糾弾されそうだ。
なんとなく邪魔な気分になる、うるさくて眠れない、臭くて嫌な感じがするというのが理由だろう。
だが、権利と違って気分や感情は、誰かがそれを害されたことをもって、禁止、ないし強制する性質のものではない。
犬も歩けば棒に当たるではないけれど、一歩家の外に出れば思いがけない災難だって幸福だってある。
それが嫌なら家に閉じこもるか、誰も人のいない野山を駆け回っていればよい。
生きている以上、誰かに迷惑をかけるのは当然なので、いちいち気にしていたら仕方がない。
俺も他人から迷惑をかけられるのを見越して、万全の準備をしながら暮らしている。
近所のガキがうるさいので家では耳栓、電車で大声の酔っぱらいがうるさいので電車でも耳栓、ただでさえ混んでる神社にベビーカーでこられると腹立つので初詣にはいかない。
こう考えて暮らしていると、本当に生きるのが楽になった。
イラッとすることは多い。
ファミレスの接客の粗さ、医者の横柄で適当な診察、市役所のお役人態度。
そんな場面に出くわすたびに心の中で自分の権利が侵害されたのか、感情が害されただけなのかを考え、後者の場合はこういうこともあるさと納得するようにした。
で、表題に戻るわけだけれど、新幹線でリクライニングを下げる下げないはルールでなく、マナーの問題だ。
だから、「リクライニング下げてもいいですか?」と聞かれるたびに俺はこう答えている。
「僕は下げられると嫌だから下げてほしくないですが、あなたの勝手なので好きにしたらどうですか?」
大抵相手はムスッとした顔をするのだが、俺はこれが百点の回答だと自負している。
イジメをヤンチャと言い張り続け最後には社会人になってからも同僚を自殺に追い込む正真正銘のクズ
日本中の子どもたちの中で法令遵守の意識は下がる所まで下がってきている
今回のチンチン事件はこれを正すいい機会だ
悪戯と言い張って犯罪行為をしたら法的に罰せられるという事を一度子供に教えるべきなのだ
少年誌はただ面白ければいい読み物ではなく、遊びを通して子供を育てる役目を負っているはずだ
ましてや発刊部数において上位に立つ雑誌であるならその地位と比例したノブリス・オブリージュを背負わなければならない
いまその役目を全うせずしていつやるのだ
さあ、早速連載開始だ
これは単なる思いつきなのだが
ここは一つモンゴル人への謝罪を込めて犯罪者のモデルは現代日本の人物を使ったらどうたろうが
ちなみにアゴラで「森友問題の本質は関西社会の闇だ」という記事で思わせぶりなこと書いてた八幡和郎さんという方は
ツッコミを受けて
>籠池氏に対して「ワル」とは申しておりますが、それは、一般的に強引に自己の利益を図る人と行った軽い意味でしかありません。
>関西社会の関東にはないような社会的状況を闇と表現しておりますが、それは、犯罪組織を意味する裏社会などとは違う、より軽い意味でしかありません。
>まして、籠池氏を闇の組織の人だとかいうようなことを臭わす表現などどこにもありません。
と述べており、つまり「関西の闇」とは「関東にはあまりいない強引なおっさん」程度の軽い意味に過ぎないということらしい。
私は20代の時にヒーリングに手を出したせいで、一時期心身を壊して普通の生活ができなくなってしまいました。お祓いしたり色々して、今は何とか普通っぽく生活できるようになりましたが、体に障害を抱えてしまいました。
同じヒーリングをやっていた私の知り合いは、対人恐怖症になって働けなくなってしまったり、狂ってしまい警察のお世話になり続けている人もいます。また、知り合いでは無いですが急に病気になって死んでしまった人もいるそうです。
思考パターンを変える、とかマインドブロックを取り除く、と行ったようなモノに絶対手を出してはいけません。人間らしく生きていけなくなってしまいます。
・今までなかったはずのトラウマが増えた
・身体が思ったように動かなくなった
上2つは解決しています、体重はまだ完全に元には戻ってませんし、下2つは今も抱えています。どれも思考パターンの置き換えをする前は無かったものです。
今、少しずつですが思考パターン置き換えの悪影響は薄れてきています。しかし、自分が生きているうちに全てが解決するかは分かりません。ここまで読んでくださったそこのアナタ、私のようになりたく無ければ、絶対にヒーリングなんぞには手を出さないでください。
犯罪行為にお金を出してしまうと、幇助の罪に問われる可能性があります。
彼らが逮捕されたときに、一緒に逮捕されても構わない状況であれば、ご自由にどうぞ。
正犯を幇助した者は、従犯とする。
彼(彼女?)の絵を見るたびに、彼が去年の夏頃描いた漫画を思い出す。
少女と父親が花火をした後、「ゼンイ」でゴミを拾い、翌日見て見るとほとんど元の状況に戻っている。少女は父に「私たちのゼンイは無駄だったの?」と涙ながらに問い、父はそれに答えられない。
といったようなね。
まあ善意があっさりと踏みにじられるという展開は非常によくある寓話ですわ。
この漫画を初めて読んだ時から反感をものすごく覚えるんだよな。
この作者が一体どのような目論見でこの漫画を描いたのかは知らんので漫画内の父娘に対しての話になるんだけれども
そもそもボランティアのゴミ拾いは何かのイベント後とかで突発的に大量のゴミが発生した場合を除き、定期的に行われる。
そうでなければ当然再びゴミが溜まる。
じゃあそのたびにボランティアの人たちの労力は無駄になっているのか?
当然違う。ゴミ拾いが行われた後は間違いなくその場は綺麗になっているし、拾った何袋分かのゴミはその場に舞い戻ってきたりしない。
間違いなく"拾った分"はゴミが無くなっている。
この父娘はまずそこを見誤ったのだろう。「今この一瞬この場を綺麗にすればその状況は永続するだろう」というぼんやりした期待を持っていたのだろう。
ただ、「ゴミを拾った」という行為自体を無駄だと考えるのは間違いだ。
それは言ってみれば池の向こうに届かせたいと思って投げた最初の石が沈んでしまったから無駄だと断じるようなものである。
石を投げ続ければ池が埋まって向こうに転がるかもしれない。
「向こう岸に届ける」という目的を見つめ続けるならば、最初の一投は無駄になったりはしない。
勿論諦めてもいい。
「池の向こうに届かせなくてもいいや」と考えたって、やはり最初に投げたことは変わらない。
「ゼンイだからただゴミを拾う」ではきっとあの世界のゴミは永遠に溜まり続けるのだろう。
立て札を立てたり、定期的にゴミ拾いをしたり、人を集めたり。
とにかく「あの場を永続的に美しく保つ」という希望を目的に据え、計画的に努力するという行為に考えが至らなかったのだ。
それもまたよくあることだと思う。最善の希望を目的に据えなければ最善の希望は実現できないのは当然だが、それは最善ゆえに困難が多いだろう。
ここで諦めたっていいのだ。それでもこの父娘が拾った幾らかのゴミは無かったことにはならないのだから。
ところが彼らはどうやら自分たちのした事を無駄にしたいらしい。無かったこととして認めたいらしい。
彼らと同量のゴミを、同じように拾い、同じようにその場に再びゴミを投棄された人にも彼らは哀れみの視線を向けそうなところが非常にムカつくのである。
ここまでだいぶ長くなった気がしたが、まだもう一つの主題が残っているのである。
「ゼンイ」の話だ。
この話の中でたしか父は「ゼンイ」だからという理由でゴミを拾っていたのではないだろうか。
素晴らしいことである。実際その「ゼンイ」によって幾らかその場所は不法投棄という犯罪行為が拭われたわけだしね。
しかし、前述の通り、この父娘は自分たちの行為を無為だと認識した。「ゼンイ」は無駄だったと判断したのである。
ふざけた話だ。そもそも「ゼンイ」が無駄にならないという希望を、顔も見えない相手になすりつけるのはお門違いでは?
「ゼンイ」とかいう何となく偉そうな行為を何となくして、何となく裏切られた気がして、何となく失望しているのだ。
まあ娘は仕方ないかもしれないな、子供だし。この作者の描く人物はあまり年齢による区別がないからあやふやだが、多分小学校の中学年とかだろう。
「ゼンイ」が無駄になってしまったのかと泣いてる娘に対して何だその態度は。お前の頭も小学生女児か。
せめて昨日の行為は消えたりしないことは分かるだろ。慰めることもできないのか。親として子どもの心を守ることもできないのに他人に対して「ゼンイ」振りまいてる場合か。いやそれはまあ人によるだろうけどさ!!
そもそも「ゼンイ」が必ずしも良いことみてえな言い方自体が俺は非論理的だと思うんだけどさ。
人に感謝してもらおうとしてする「ゼンイ」は感謝を求めない「ゼンイ」と比べて劣っていやしない。
しかし、「ゼンイ」に限らず、目に見えないものが認識され、更には感謝されるのは非常に難しい。
だから人目にさらされなかった娘の「ゼンイ」がもし父にだけ見えているなら、父が娘にしてあげられることはあるはずだ。
それもしね〜で(以下繰り返し)
まあ、漫画の中の話に何マジになってんのと思う人もいるだろう。気持ちわかるよ。
でも、ある表現の中の仮想的な話に批判をすることは無意味ではないと思うんだ。
実際この漫画すごい拡散されただろう?いろんな人が関心を持ったのは間違いない。俺は俺の関心の持ち方をこんな形で表現したんだよ
この作者のイラストだの何だのがTwitterで流れてくるたびにこれを思い出してイライラしてたからその整理ってのもある。この人が作ったイラストとか動画で好きなのあるし、それ見るたびにフラストレーション溜めてちゃ世話ないしね。
自分が本当にしたいことは何なのか確認しながら行動をしたほうがぼんやりした失敗や失望をせずに済むということと
「ゼンイ」を目的に据えるということは他者に目的決定権を委ねる原因になること