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はてなキーワード: 若者たちとは

2021-05-12

2006より 愛を込めて

君たちが絶望に打ちひしがれる時が来るかもしれない

こんなこともあろうかと 根性だけで這い上がるアイドルをよういしておいた

 

歌は下手かもしれない

踊りなんてクソみたいかもしれない

だが、根性だけで 握手だけで這い上がろうとする アイドルを用意しておいた

なにもできなくても やる気だけで食らいついていく そんなものが君たちに必要だろう

 

日本3位から若者たちへ 足を踏み鳴らせそれがドラム

エレキもっと簡単だ 手首をふりゃぁいい

2021-05-11

ワクチン若者に打つべきでは

感染広げてる若者たち(自粛してる若者たちスマン、お前らは偉い)にワクチン配ったほうがよくない?

若者感染抑えられる→じじばば感染減る→死亡者減るで連鎖断ち切るしかないじゃん?

申し訳ないけどじじばばには死んでもらって、医療費の削減して今後の日本の憂いを払うべきじゃない?

2021-05-07

アメリカ帰りの天才AI人材に騙されて、SESに人売りされた話

または「すいません、名刺は切らしておりまして...」と言うのが板につくようになるまで。

あー、もうかれこれ10年も経過するのか、と思うと感慨深くなる。ヤクザのような(自称プログラマーに騙されて、多重請負転々とする羽目になったのも昔の話だ。語尾に「かなーと。」をつけるテック系に誘い込もうとするインフルエンサー達にノコノコついていく若者たちの末路はどうなるのかというのを、オジサンが教えなくてはいけない時期にきていると思い、書き込むことにした。

さて、冒頭に挙げた人物を「A氏」とする。もちろん実在するし、なんなら本まで出版している。今ではツイッターユーチューバーとして発信している。全く売れてないし、内容も洋書をパクってきたものなので、まったく価値はないがね。

A氏との出会いは、とある SNS だった。ちょっと、嘘を書くが、「どうかな、いちどうちに来ない?」というので、ためしに行ってみると「マーチ文系学生コーチする、反社団体所属してそうなお兄さん」がそこにはいた。

うわぁ、と思ってポカーンとしていたら、「せっかくなので、彼らが作っている課題をやってみて」という。ふむ、と思って、すぐに仕上げた。まぁ、当時の自分は【経歴がクソ】ということを除けば HTML/CSS を使ってブログをやっていたし、Java/Ruby/PHP/JavaScript/Objective-C をひと通り書けたし、Linux の初歩や SQL勉強していたし、AWS にてサービス運用するぐらいには気力があったので、当然ではある。

どんなもんだーい、と思ってコードを得意げにみせると、彼の表情は厳しい。A氏は「なにこれ?」というのだ。確かに【わざと】再帰を使って記述したが、シンプルに仕上げたつもりだ。それで「なにって、再帰ですよ?」とかえすと、A氏の表情はみるみるうちに厳しくなっていった。

ちょっとバックヤードにおいでや」というので、共同スペースの給湯室に行く。そこで「なんで履歴書を持ってこないの?」からはじまって、散々ディスられて「1日棒に振ったなぁー」という表情していたら、ますます怒らせたらしく、「キミは態度も顔も悪いねー」と言われ、さすがの俺もブチギレる。

もう時間無駄から帰ろうとしたら、「ポートフォリオを作ってこい、出来が良ければサ●バーエ●ジェントに紹介する」というじゃないですか。いやぁ、甘かったね、当時の自分は。そんなの、嘘に決まってるじゃないですか。でも、信じちゃったのですよね。

そのあと履歴書を書かされ、【未】登録派遣事業会社員正社員でなく、保険もなし)となり、禁止されている事前面接をされて、客先常駐に無事にはめ込まれましたね。ぶっちゃけ、ここまでは「世間知らずが身ぐるみ剥がされたね、勉強になったね」でおしまいなんですよ。ええ。

本当に書きたいことは、ここからだ。この A氏という人物が許せないのだ。どう許せないかというと「プログラミング計算機科学に対して愛はないのに、人工知能のことは語れる」と本気で思っているからだ。

知っている人は当然なんだが、【教師なし学習】といった類のもの1970年代には存在しているのだ。【深層学習】なんてものも、1970年頃には理論は完成していたのだ。どうして、21世紀になるまで注目されなかったのか?それは、ハードウェア能力が不足しているからだ。そして、未だに不足している。加えて、場末中小企業努力しても手に入れられないものがある。それは、【教師あり学習】に必要な音・画像データだったりする。こればかりは、グーグルマイクロソフトを超えてくる会社日本にはない。

まぁ、世の中には仕方のないものがある。別のところで勝負しよう。じゃあ、どう勝負するか?そりゃ『技術』でしょ、と普通は思うよね。それが、A氏は違うのですよ。彼の場合は、源泉は「学生酷使する」という戦略をとったわけ。そう、ベンチャー企業がやりがちな「やりがい搾取」ってやつだ。

はっきり言って、社会人ちょっとやったら、彼の言っていることが「感覚的におかしい」というのがわかるのだ。例えば「未認可の派遣事業をやっている」「インターン成果物営業する」「講演会執筆ばっかやってる」とかね。あと、勝手に祝賀会とかに行って「有名人ツーショット」を撮ってくるのよ。その写真マウンティングしてくるのは、真正キチガイ所作だと思ったね。

ちなみに、A氏はアメリカの名門大を出ている(arxiv論文あったからマジ)が、計算機科学じゃないのよね。とある彼の手記を読むと「友人がこれからAI」と言っていたかスタートしたらしいですのよ。逆算すると、勉強期間はたったの 1年。絶対に無理だってば。当時の自分ですら「再帰を知らない人をプログラマーと認めたくない」と思ったし、こいつ計算機科学知識ゼロに近いと感じたもんね。

A氏の名誉のために書くと、努力はしてたとは思うよ。彼のブログを読んだら、Mecab やら TF をさわっていたしね。まあ、でも、それでも本をかけるほどの実力はないよ。だって、オレ知ってるもん。彼がラ○サーズに執筆依頼していたの見ちゃったし、インターン生に代筆させてたから。

疲れたので、途中で書くのやめます。どうしてスキルのない AI人材執筆依頼がくるのか、なぜ A氏はAIにすがるのか、出羽守AI人材未来はあるのか、は希望があればやります。)

2021-05-06

anond:20210506140611

毎年予防接種しても、今年の新型コロナよりもたくさんの30代以下の若者たちが死んでるんだけど、それはOKってこと?

2021-05-05

anond:20210505214722

昭和の昔は音楽結構お金つかってたと思う。それなりにビバルディとかポールモーリアとかYMOとかレコード買って聞いてた。

なので昭和のおじさんおばさんの音楽教養度は今の人よりずいぶん高い。

平成生まれ若者たち音楽環境は便利なようでして貧しい。いまはサブスクで気軽になんても聴ける。

でも体験は乏しい。昭和山下達郎とか大貫妙子とか竹内まりあとかとてもハイレベルだったので、

シティポップとか言ってアメリカとか韓国とか海外山下達郎レコード聴いている人たちがいる。

フェミと違って弱者男性対抗手段がないみたいな話

「今の若者シルバー民主主義に対抗するためにどんどん外に出て「俺たちを重視しないと拡大させるぞ」とかやればいいのに当の若者たちがビビっちゃって情けない」ってTwitter氷河期独身男性が呟いててまあまあ称賛を得ていたのを思い出した。

同じことをやったらいいんじゃないの。学費の高い私立小学生を○すとか、アニメーターを焼くとかじゃなくてさ。

弱者男性金も社会資本も手に入らなくて嘆いてるわけでしょ、で金を手にすれば社会資本もある程度手に入ると思ってるわけでしょ。そうなってないのは「普通でいること」を許してくれない社会構造のせいだっていう話だったじゃん。じゃあその社会構造を創り出したヤツはたくさんの人を不幸にした奸臣でしょ。竹中とか進次郎の親父とかさ。

幕末志士みたいに「こんな社会にしたのはお前のせいだ!」っつって偉い人に天誅食らわせるっていう選択肢は青葉や加藤にはなかったんかね。

サムライソウルを取り戻せよ。男だろ。みたいな話、出てこないよね。

「今の私の人生がうまくいってないのは社会が悪いんです」「だから誰かなんとかするのが妥当でしょ、誰か早くなんとかしてください」

っていう言い分はフェミカスと表裏なんだけど、当事者以外誰もなんとかしないでしょ。これまでもこれからも。だからフェミカスはマ○コパワーで強者男性をうまく操縦する選択をとった。

歩行者天国の通行人を○すとか、罪のない小学生を○すとか、もういっそ自らロープ使って部屋の壁のシミになることを選ぶくらいなら、命を有効に使ってみたらいいのにって思いません?あくまでどうせ死ぬなら、の話だけど。

でもまあしないよね。人生に完全に見切りつけてはいないんだと思う。自らを「弱者男性」と揶揄する酷い逆境の中であっても、まだ逆転の目を捨て切れないのも人情かなとは思うけど。

もしかしてこのエントリのせいで逮捕されたりする?

2021-04-27

コロナ禍で失職している若者たち強者男性増田たちの本音を教える

女は体を売れ、男は肉体を使って働けや!

それが出来なければ死んでいけ!

全ては自己責任である

2021-04-18

anond:20210113134805

就職氷河期に対しての施策はいろいろとあったと思うんだけれど、大して功を奏しなかったというのがワイの認識

試用期間中賃金自治体が持つからとりあえず雇ってもらうチャレンジ雇用みたいな制度とか第二新卒採用とかあったと思う。

でも、雇用の調整弁をいくらでも開け閉めできる派遣労働者という果実を手にしてしまった企業にはそんなにリスクを伴う制度は受け入れられなかった。

若者雇用拡充のためにニューディール政策みたいな手段もとれたと思うけれど、国の借金問題が声高に叫ばれるようになり、緊縮財政が当たり前になってそれもなくなった。

その一方で男女共同参画により、若者たちは分断されたから集まって暴動を起こすみたいなことはしにくくなったね。

男女共同参画が生み出したものパワーカップル相対的貧困層。氷河期世代でも親の代よりもずっと稼いでいる人もいれば、親のすねをかじらないと生活できない人までいる。かつては収入の多い男性専業主婦というペアリング普通だったので、世帯収入に今ほどの格差はなかった。貧乏夫婦でも共働き世帯収入を上げられたからね。今は、パワーカップル貧乏夫婦を金で殴ってくる。ものの値段が需要供給で決まる以上、不動産などパワーカップルが値段をつり上げ、そうでない層は買えなくなった。若者共闘できるはずもない。

2021-04-13

雑誌映画秘宝』の記憶(48)

ロックの魂とは?】

 コメディ映画スクール・オブ・ロック』(03年)が公開された当時、この映画肯定的評価するか否か、「有りか無しか」を巡って賛否両論となったこから映画秘宝』誌面では、少しばかりの論争が起きました。

 ご存知ない方のために粗筋を説明すると「ロックバンドをクビにされた主人公が、ひょんなことから坊ちゃんお嬢ちゃんたちばかりの通う小学校にニセ教師として潜り込み、生徒たちに『ロック音楽スピリッツ』の教育を施した末に、筋が良い生徒たちをバンドメンバーに従えた主人公が再びステージに立つ」という、ファミリー層向けコメディ映画です。

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 当時の否定派の論調は「『反逆精神』が拠り所であるロックが(たとえニセ教師によるものとはいえ)、学校教育で身につくわけがねえだろ」とか「コメディとはいえ大人が『ロックは素晴らしい』と、特定価値観子供押し付けるのは正直いかがなものか」とか「ガキごときロックができてたまるか」とか、まあ大体そんな感じだったと記憶しています

 しかし「ひょんなことから『未知のカルチャー』に触れた子供若者が、その魅力に思いがけず目覚めて『カルチャー担い手』として育っていく物語」あるいは「大人側の視点で、色々な思いを抱えたり紆余曲折がありつつも『カルチャーの教え手』として年下の人間たちを育成していく物語」は、良くも悪くもありふれたものに過ぎず、そこまで腹を立てることだったのかと今でも疑問です。例えば、労働者階級の家庭に生まれ子供バレエの魅力とか宇宙ロケット打ち上げの夢に目覚めるといった物語が「有り」なのに、この映画がそんなに否定される必要はあったのでしょうか。それとも学校以外の場所舞台だったら許されたのでしょうか。こうして考えると、論争と呼ぶにも非常に掘り下げ不足であったように思えます

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 そもそも否定派の気持ちの根っこには、特定カルチャーの愛好家が陥り易い「選民思想」が有ったのではないでしょうか?何しろ「女『子供から映画を取り戻せ!」が旧体制の『映画秘宝』の合言葉だった訳ですから否定派には「『ガキ風情』しかも『裕福な部類のお坊ちゃんお嬢ちゃん』が『オレたちの』ロックに手を出すこと自体我慢ならない!」「ファミリー向け映画ロックをイジるな!」という気持ちも有ったことと思います

 もう既にお分かりのように、ここに見られるのは要するに、いい歳したオッサンたちが、いつまでも上の方に居座って「このカルチャーはオレたちだけのモノだ!」「コレは『本物』ではない!」「それが理解できん若い者たちは、まだまだオレたち(=オッサンたち)に及ばんな!」という態度をとることによって、若い世代から敬遠されてジャンル全体の衰退を招くという、非常にありふれた「『本物の✕✕』とは何か論争問題」「サブカルチャーにおける老害問題」の1バリエーションです。

 しかし、この映画が公開されて長い年月が経過しました。今や音楽活動を始める若者たちの中で「バンド形式から/ロックから始める人」が占めるパーセンテージは、昔のように多くはないだろうと思われます外国でも事情は似たようなものです。今ではおじいちゃんになってしまった外国の大物ミュージシャンたちと、日本アイドルBABYMETALが共演した際には、馬鹿にされたり嫌がられたりするのかと思いきや「孫みたいに若い子供たちが、ワシらの音楽に興味を持ってくれた!」と、むしろ喜ばれたと聞き及んでいます若者子供にとって、この映画に出てくるようなロックが既に「何だか知らないけど、お年寄りたちが聴いている懐メロ」となってしまった今日では「映画スクール・オブ・ロック』は有りか無しか論争」をしていた『映画秘宝』編集者ライターたちは、実に贅沢な悩みに基づいて議論していたと言えます

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 無論、あの頃に「ロックカルチャー担い手ファンの『高齢化』が問題になる」などと未来予測ができた人間は少なかったでしょうから現代人の立場で彼らの論争を「贅沢な悩みだった」と批判するのは酷と言われるかもしれません。

 しかし、未来予測とは違い、当時の人間でも『映画秘宝』の関係者や読者であれば、容易に気づくのが可能だったはずのことが有ります

 それは「当時の旧体制映画秘宝』と映画スクール・オブ・ロック』の主人公は、していることが『悪い意味で』五十歩百歩だった」ということです。

 旧体制の『映画秘宝』が「切り株映画は、世界真実を描いている!ヌル作品なんか観るのを止めて、切り株映画を観ろ!」とアジテーションする姿と、この映画主人公が「ロックが最高の音楽だ!ヌル音楽なんか聴くのを止めて、ロック名盤を聴け!」と生徒たちを『洗脳』する姿との間に、果たして本質的な違いが有ると言えるでしょうか?

 そうです。この映画主人公がしていることは「洗脳」です。もちろん「何らかのカルチャーの愛好家が、非・愛好家に対して自分の好きなものを紹介する」という行為は、大なり小なり「洗脳」の側面を持つものです。だから、単に「ロックは良いぞ」と他人に薦めるだけならば、何も批判される謂れは有りません。しかし、もしも「ロックを知らないのは不幸だ」とか「ロック以外のツマラナイ音楽聴くやつは馬鹿だ」とか説教をかまされたらどうでしょうか?そんなことをされたら「うるせえ」「布教するために他人価値観を踏み躙るな」と言いたくなりませんか?そもそも「『反逆精神』を拠り所にしてるくせに、上からモノを押し付けるんじゃねえよ」という話です。

 実際、この映画には、生徒たちが普段どんな音楽を聴いているのかを質問した主人公が、その回答を聞いて嘆息するという場面も出てきます。これを単に作品を彩るギャグとして軽く受け流すのか、見過ごせすに腹立たしく感じるのか、それは観る人によって受け取り方が異なるでしょう。しかし、仮に主人公批判する感性の持ち主ならば、同じことをしている旧体制の『映画秘宝』にも批判的な感情を抱くのが当然と言うか、それが「知的な誠実さ」というものではないでしょうか。仮にも批評活動生業にしている人間たちが雁首を揃えて「この描写は、自分たちみたいな(=若者世代に『本物のカルチャー』とは何かを教えたがる)オッサンのことを風刺しているのではないか?」という可能性に思い至る「内省視点」を少しも持たなかったのでしょうか。そうだとすれば『映画秘宝』関係者は「知的怠惰」と言わざるを得ません。

 まあ、可能性としては「映画主人公の行動と『映画秘宝』の行動は五十歩百歩」という事実に気づいていたけれども、センパイの機嫌を損ねるのを畏れて忖度して言わなかったというのも考えられますね。

 馬鹿なのか、忖度体質なのか、どっちにしても「批評活動を行う人間」としては「致命的な欠陥」だと思うのですが、そういう人たちでも業界デカイ顔をしていられる現状は、いかに本邦の映画ライター業界人材不足なのかを如実に物語ると言えるでしょう。

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 ちなみに映画スクール・オブ・ロック』には、主人公が「ロックの反逆精神とは何か」を生徒たちに実地に教えるために「『権威』に逆らえ!教室では教師、つまりオレが『権威』だ!オレを罵ってみろ!」と命令する場面が出てきます。すると、生徒たちは素直で良い子ばかりだから、色々と頑張った末に「デブ野郎!」という火の玉ストレートを投げてしまい、自分で反逆を命じたのに「オイお前、後でちょっと職員室に来い!」と主人公がマジ切れするというギャグ場面が出てきます。(なお、主人公を演じるのは、ぽっちゃりコメディアンのジャック・ブラックです。)これは「『反逆精神』を『教育』する」という根本的な矛盾表現した、秀逸な場面と言えます

 町山智浩高橋ヨシキてらさわホークも、一度「権威に逆らえ!オレたちを罵ってみろ!」と若手ライターたちに呼びかけて「反・権力/反・権威精神とは何か」を教えて上げたら良いのではないでしょうか。パワハラ説教マンスプレイニングかますよりも、よほど後進の育成に寄与できると思いますよ。

 まあ、センパイの機嫌を取るためにパートナーの肉体を献上する人間、それを享受して面白おかしく語る人間嘘八百解説を書いて間違いを指摘されたらそそくさと逃げる人間には、到底「権力に逆らうとは何か」を若手ライターに教えることなんて無理な話でしょうけど。

 この投稿は以上です。ヘイル・サタン

地元だけど岸和田だんじり祭が嫌い

クソ老害が将来の老害と一緒にイキって怒鳴り散らかすだけの祭は何なんや

怪我人は出るし物件被害も出るし人集まってきてウザイあんなん見て何が楽しいんや

岸和田若者たち名誉のために一言(こんな良いこともしています

毎年 学校冬休みになる頃から各町の青年団には年末夜警(火の用心)という地元ボランティア活動があります。日頃は大人の言うことなど、なかなか聞かない若者たちですが岸和田には、まだまだコワ~イ大人がたくさんいまして不満げにしている若者たちに「コラッおまえらゴチャゴチャぬかしとったら、だんじり曳かせたらへんゾッ!」この一言で少々ヤンチャな若者たちも「ハイッわかりました!」、何を言われても「ハイッわかりました!」、多少ムチャなことを言われても「ハイッわかりました!」・・・・みんなイイヤツでしょ!

とかドヤ顔HPに書いてるけど時代錯誤感がヤバすぎて死ぬ 昭和か?

コロナで無くなりゃ良かったのに

2021-04-09

しかできないことを奪われる、でも、もう戻れない

ディズニーダンサーをやるタイミングはもうない――コロナで「諦めた」夢、翻弄される若者たち

https://news.yahoo.co.jp/articles/cbd7ca3d46791ff5f3a2d4481bbbd3409334b351

バブル崩壊して新卒就職できなかった氷河期世代からはや20年以上、失われた20年があってこその、今の子のこの状況がかわいそうという風潮、世の中は少しずつでもかわってきてるんやね

2021-04-04

俳優田中邦衛さん死去 88歳「北の国から」などで存在感


2021年4月2日 22時10

テレビドラマ北の国から」や「新選組!」、映画学校」など、数々の作品存在感のある役柄を演じて親しまれた俳優田中邦衛さんが、先月24日、老衰のため亡くなりました。88歳でした。

田中邦衛さんは昭和7年岐阜県で生まれ昭和30年劇団俳優座」の養成所に入りました。

昭和32年に「純愛物語」で映画デビューし、昭和36年から始まった映画若大将シリーズでは加山雄三さん演じる主人公若大将」のライバル青大将」の役を演じて、存在感あふれるコミカルな演技で人気を集めました。

その後も、映画化もされた民放の人気ドラマ若者たち」で両親を亡くした5人きょうだい長男の役を演じたほか、ヤクザ映画の「網走番外地シリーズや「仁義なき戦いシリーズでは、悪役としても存在感を見せるなど、幅広い役柄を演じました。

中でも、昭和56年に始まった民放ドラマ北の国から」のシリーズでは、北海道富良野市大自然の中で息子と娘の成長を見守る寡黙な父親の役を20年以上にわたって演じ、温かみのある演技で幅広い年代視聴者をひきつけました。

また、平成5年に公開された山田洋次監督映画学校」では夜間学校に通う中年男性を熱演し、日本アカデミー賞最優秀助演男優賞を受賞しました。

このほか、平成16年NHK大河ドラマ新選組!」では近藤勇養父、周斎の役を演じ、平成17年NHKスペシャルで放送された終戦60年企画ドラマ「象列車がやってきた」では戦時中動物園で象を守り続けた飼育員を演じました。

平成11年紫綬褒章平成18年には旭日小綬章を受章しています

田中さんは、平成22年に公開された映画最後の忠臣蔵」に出演し、平成24年に亡くなった俳優地井武男さんのお別れの会に姿を見せていましたが、その後、俳優活動から遠ざかっていました。

家族によりますと、田中さんは先月24日、老衰のため、家族に見守られながら息を引き取ったということです。

葬儀家族葬の形ですでに執り行われ、お別れの会などの予定はないということです。

札幌市民

田中邦衛さんの死去について、30代の会社員男性は「大往生ではないでしょうか。北海道といえば『北の国から』。『北の国から』といえば田中邦衛さんだというイメージです」と話していました。

また、50代の女性は「とても有名な方なので残念です。それほど年をとられていたなんて、知らなかったので驚いています」と話していました。

倉本聰さん「気持ちの中に大きな穴」

田中邦衛さんが出演した民放ドラマ北の国から」を手がけた脚本家倉本聰さんは「気持ちの中に大きな穴があきましたね。とにかく人間的にも友人的にも無二の人です」と心境を語りました。

また、このドラマでの配役について「さまざまな候補者がいてその中で誰がいちばん情けないんだろうという議論になって、邦さんになった」と明かしたうえで、「ドラマを通じてとても演技が成長していったと思う。彼の芝居は、本人はとても悲劇的なのに端から見ているとなんともおかしくなる。これが彼の神髄だと思う。情けなさの中に詩がある」と評しました。

そして「邦さんは亡くなったけれど、僕の中で、彼が演じた五郎は厳然と富良野で生きています。またあしたスーパーに行くと、『先生』なんて言われて肩をたたかれるような気がします」と田中さんをしのんでいました。

加山雄三さん「今は何もことばにならない」

映画若大将シリーズ田中邦衛さんと共演した加山雄三さんは自身ホームページコメントを発表し「ショックです。邦さんに連絡をとりたくてとりたくて、ずっと気になってて、不思議なことに、2日前若大将DVDで邦さんの姿を見たばかりだったんだよ。信じられない。今は何もことばにならない。寂しいよ本当に寂しい。邦さん本当にありがとう」とつづりました。

山田洋次監督「一緒にいるだけで楽しい気持ちに」

田中邦衛さんが亡くなったことを受けて、田中さんが出演した映画学校」の山田洋次監督は「田中邦衛さんへ 善良が服を着て歩いているような人だった。一緒にいるだけで楽しい気持ちになるようなすてきな人だった。あん俳優が、あん日本人いたことを誇りに思う」とコメントしています

役所広司さん「本当にすばらしい俳優さん」

田中邦衛さんが亡くなったことを受けて、映画最後の忠臣蔵」で共演するなど長年親交のあった俳優役所広司さんは「邦衛さんには大変お世話になりました。ここ数年ずっとお元気なのか気がかりでした。スタッフにもキャストにも愛された、本当にすばらしい俳優さんでした。覚悟はしていましたが、悲しいです。邦さん、お疲れ様でした」というコメントを寄せました。

吉岡秀隆さんと中嶋朋子さんがコメント

田中邦衛さんが亡くなったことについて、民放ドラマ北の国から」の共演者コメントを発表しました。

息子の役を演じた俳優吉岡秀隆さんは「いつか、この日が来ることを心のどこかで覚悟しておりました。今は邦衛さんの笑顔しか思い浮かびません。自分覚悟の小ささとあなたの大きな優しさに涙しかありません」とコメントを寄せました。

また、娘の役を演じた俳優中嶋朋子さんは「幼い頃から、今まで、何も変わることなく、人として、深く接してくださいました。田中邦衛さんという存在出会い、見守っていただけたことは、かけがえのない宝ものです。役者として、人として、大切なものをたくさん教えていただきました。本当に本当に感謝でいっぱいです。大好きです。出会う人をみんな幸せにしてしま少年のように無邪気な笑顔ばかりが胸に浮かびます天国でも、たくさんの人を幸せにしてくださいねありがとうありがとうありがとう」とコメントしています

2021-04-02

anond:20210401234453

娘をなんとかして医者にしようと奮闘した母親は、志半ばで落命したとはいえ日本医療界に根深く残るジェンダーギャップに対し最期まで挑み続けた。

一人でも多くの女性医師誕生させようと、彼女なりに取れる限りの手段を講じた。

志はきっと娘さんやジェンダー運動若者たちが受け継ぐだろう。

2021-03-28

「東アジア反日武装戦線」の初心と過ち

韓国発の映画『狼をさがして』は何を描いているか

太田昌国 評論家編集者

 韓国発のドキュメンタリー映画『狼をさがして』が間もなく日本で公開される。金美禮(キム・ミレ)監督2020年作品で、原題は『東アジア反日武装戦線』という。映画が描くのは、1974年から75年にかけての出来事――「東アジア反日武装戦線」(以後、「反日」と略す)を名乗る人びとが「連続企業爆破」を行ったこと――とその背景である

歴史像と世界像が一新されてゆく時代のただ中で

 描かれる時代は、アジア太平洋戦争日本帝国敗戦してから30年近く経った時期に当たる。活動を担ったのは、敗戦から3~5年経った頃に生を享けた、当時は20代半ばの若者たちだった。いわゆる「団塊の世代」に属する。その彼ら/かの女らは、敗戦以前に日本がなした植民地支配および侵略戦争責任を問うた。同時に、戦後過程はすでに30年近い長さに及んでいるにもかかわらず、日本がその過去清算することもないままに、改めて他民族に対する加害国と化している現実に警告を発した。手段として使ったのは爆弾だった。

 その標的はまず、戦前絶対無謬の存在として日本帝国を率い、戦後は「平和」の象徴となった昭和天皇に向けられた。だが、「お召列車」の爆破計画が実現できなくなった後は、戦前戦後を貫いて繁栄する大企業に的を絞った。

 戦後日本象徴する言葉は、長いこと、「平和民主主義」だった。それは新憲法を貫く精神でもあると多くの人びとが考えていた。

 天皇戦争責任が問われることも裁かれることもなく始まった戦後は、「一億総無責任体制」となった。この体制の下では、日清戦争以降、断続的にではあっても半世紀もの間(1894年1945年アジア太平洋地域戦争を続けた近代日本実像を覆い隠し、この戦争全体像を、最後わずか3年半の「日米戦争」に凝縮して象徴させることが可能だった。広島長崎の「悲劇」を前面に押し出し米軍占領下の沖縄辺境ゆえに無視して、日本全体があたか戦争の「被害国」であるかのようにふるまった。「反戦平和勢力」の大勢も、そのことに疑いを持たなかった。

 1960年安保闘争の時にも、1965年日韓条約反対闘争の時にも、戦前日本帝国がなした対外政策と関連づけて現在分析する言動ほとんど見当たらなかった。すなわち、日本社会総体として、近代日本が持つ「植民地帝国」としての過去をすっぽり忘れ果てていたと言える。

 1960年代後半、この社会思想状況はゆっくりとではあっても変化し始める。日本は、高度経済成長過程で目に見える形での貧困は消え失せ、急速に豊かになった。この経済成長最初の基盤となったのは、1950~53年の朝鮮戦争による「特需景気」だとする捉え方が常識となりつつあった。

 時代はあたか米国ベトナム侵略戦争の渦中で、沖縄を軸に多数の米軍基地があり、インドシナ半島輸送される米軍物資調達地でもある日本は、再度の「特需景気」に沸いていた。近くに住むアジア民衆が苦しんでいる戦争によって自分たちの国が総体として豊かになっていく――この際立った対照性が、とりわけ若い人びとの胸に突き刺さるようになった。

 加えて、米国でのベトナム反戦運動は、黒人先住民族インディアン)の権利回復の動きと連動していた。植民地主義支配人類史に残した禍根――それが世界じゅうで噴出する民族問題の原因だとする意識が、高まっていった。

 「東アジア反日武装戦線」に所属した若い人びとは、それまでの歴史像と世界像が一新されゆくこのような時代のただ中にいた。彼ら/かの女らは、日本近代史と現在が孕む問題群に、「民族植民地問題」の観点から気づいたという意味では先駆的な人びとだった。

「重大な過ち」の根拠を探り続けた歩み

 「反日」はこうして獲得した新たな認識を、すぐ実践に移そうとした。当時刊行された「反日」の冊子『腹腹時計から鮮明に読み取れるのは、次の立場だ。「そこにある悪を撃て! 悪に加担している自らの加害性を撃て! やるかやらないか、それだけが問題だ」。政治性も展望も欠いた、自他に対する倫理的な突き付けが、行動の指針だった。「反日」が行った、1974年8月30日東京丸の内三菱重工ビル爆破は、8名の死者と385名の重軽傷者を生み出す惨事となった。

 「反日」にはひとを殺傷する意図はなかった。事前に電話をかけて、直ちに現場を離れるよう警告した。だがそれは間に合わなかった。しかも、なぜか「反日」は三菱爆破の結果を正当化し、死者は「無関係一般市民」ではなく「植民地人民の血で肥え太る植民者だ」と断言した声明文を公表した。映画の前半部で、この声明文がナレーション流れる

 多くの人びとはそこで「引く」だろう。半世紀前の当時もそうだった。それゆえに、彼ら/かの女らは、日本では「テロリスト」や「血も涙もない爆弾魔」の一言で片づけられてきた。

 その責任の一端が、「反日」そのもの言動にあったことは否定し得ないだろう。だが、実はそこにどのような内面の思いが秘められていたのかということは、路傍の小石のように無視されてきた。そんな渦中にあって、獄中の彼ら/彼女らは初心を語ると同時に、自らが犯してしまった重大な過ちの根拠を探り続けた。獄外には、その試行錯誤を〈批判的に〉支え続ける多様な人びとの存在があった。映画『狼をさがして』は、これらの獄中・獄外の人びとの歩みを74分間の時間幅の中に刻みつけている。

過去を振り返ることをしない社会は、前へ進むことができない

 画面には登場しない「主人公」のひとりは、「反日」狼部隊大道将司である。彼は2017年5月、長らく患っていた多発性骨髄腫で獄死したが、死刑が確定してのち、彼はふとした契機で俳句に親しむようになった。生前4冊の句集にまとめられたその作品は、人間関係自然とのふれあいも極端に狭められた3畳間ほどの独房にあっても、人間はどれほどの想像力をもって、ひとが生きる広大な世界を、時間的にも空間的にも謳うことができるものかを証していて、胸を打つ。それは、ひとを殺めたという「加害の記憶悔悟」を謳う句において、とりわけ際立つ。

 映画でも紹介される「危めたる吾が背に掛かる痛みかな」もそうだが、他にも「死者たちに如何にして詫ぶ赤とんぼ」「春雷に死者たちの声重なれり」「死は罪の償ひなるや金亀子」「ゆく秋の死者に請はれぬ許しかな」「いなびかりせんなき悔いのまた溢る」「加害せる吾花冷えなかにあり」「秋風の立ち悔恨の溢れけり」などの秀句がある。

 「反日」のメンバーの初心と、結果としての重大な過ちを冷静に振り返るこの映画制作したのは、韓国映画監督キム・ミレとその協力者たちである。ふとした機会に「反日」の思想と行動を知ったキム・ミレ監督がこの映画制作したのは、「人間に対する愛情、その人間を信じること」からだったという(「『狼をさがして』――金美禮監督に訊く」、東アジア反日武装戦線に対する死刑・重刑攻撃とたたか支援連絡会議=編『支援ニュース』420号、2021年3月6日)。社会正義のために、加害国=日本搾取され殺された東アジア民衆の恨みと怒りを胸に行動した結果、数多くの人びとを死傷させてしまった、つまり自らが加害者になったという事実に向き合ってきた「反日メンバーに対する思いを、かの女はそう語る。

 だが、その裏面には、次の思いもある。彼らは「長い期間にわたって、自らのために犠牲になった人々の死に向き合って生きねばなりませんでした。苦痛だったかもしれませんが、幸いにも『加害事実』に向き合う時間を持つことができたのです。8名の死と負傷者たち。それがこの作品制作過程の間じゅう私の背にのしかかってきました。しかし、彼らと出会うことができて本当に良かったと思います。この作品は、私に多くのことを質問するようにしてくれたからです。どう生きれば良いのか、今も考えています。」(キム・ミレ「プロダクション・ノ-ト」、『狼をさがして』劇場パンフレット所収)。

 74~75年当時の「東アジア反日武装戦線」のメンバーからすれば、韓国の人びととの共同作業は「見果てぬ夢」だった。日本自分たち戦後の「平和民主主義」を謳歌している彼方で、韓国および北の共和国の人びとは、日本植民地支配を一因とする南北分断と内戦、その後の独裁政権の下で呻吟していたからだ。

 そんな時代が40年近く続いた後で、少なくとも韓国では大きな体制変革が起こった。表現言論の自由を獲得した韓国新世代のなかから、こんな映画をつくる人びとが現われた。キム・ミレ監督は、この映画日韓関係の構図の中で見られたり語られたりすることを望まないと語る。過去を振り返ることをしない社会は、前へ進むことができない。日本韓国も、どの国でも同じことだ、と(前出『支援ニュース』および2021年3月18日付「東京新聞」)。

脈打つフェミニズム視線

 最後に、もうひとつ、肝心なことに触れたい。この映画を際立たせているのは、女性存在だと思われる。

 刑期を終えたふたりの女性が、生き生きとしたその素顔を見せながら、獄の外から窓辺に寄ってきた猫との交友を楽し気に回想したり、かつて自分たち闘争に大きく欠けていたものを率直に語ったりする。前者の年老いて元気な母親は、娘が獄に囚われてから、娘と自分たちを気遣う若い友だちがたくさんできたと笑顔で語る。二人は自宅の庭を眺めながら、「アリラン」を歌ったりもする。

 キム・ミレ監督らが撮影する現場に付き添う姿が随所に見える女性も、長年「反日」の救援活動を担ってきた。撮影すべき風景、会うべきひとについて、的確な助言がなされただろう。

 死刑囚の獄中書簡集を読んで、あん事件引き起こしたひとが自分と変わらぬ、どこにでもいるふつう青年だと知って、縁組をして義妹となったひとの語り口もごく自然だ。女たちの運動を経てきたと語るかの女の言葉を聞いていると、獄中の死刑である義兄とは、媚びへつらいのない、上下関係でもない、水平的なものだったろうと想像できる。

 そして、もちろん、韓国人のキム・ミレ監督女性だ。弱い立場にある労働者現実を描いてきたかの女は、男性の姿ばかりが目立ち、男性優位の価値観が貫いている韓国労働運動の在り方に疑問を持ち、スーパーで働く非正規女性労働者が大量解雇に抗議してストライキでたたかう姿を『外泊』(2009年)で描いた。日本でも自主上映されたこ作品に脈打っていたフェミニズム視線が、『狼をさがして』でも息づいていることを、観る私たちは感じ取るだろう。

2021-03-21

電柱無礼者カップル典型例。女たちはフレンドリー

街角ちょっとオシャレな電柱に身を委ねて、道行く若者たちに指をさしてこう叫ぶ。「お前ら、愛し合ってるんだろう」。あるカップルは男の無礼を避け、見て見ぬふりをしたが──。「あれは量産型です。良い仲だなぁ」。ついに男は、カップル以外にも声をかける。いかにも幸せそうな三人の若い女たちにである。「お前ら、好きで遊んでるんだろう」。女たちは、なぜか笑って見せた。一見可愛らしさにたくましさを覚えるが、さては蔑んでいるのではないか。「異性の考えていることはわからないよ」。男は眩しい電柱に向けて目を瞑ることもせずに静止した。「面白い」。若い女たちの声を、男の耳奥がとらえる。「面白い」と。

2021-03-17

anond:20210317185927

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%96%E7%B8%84%E7%B1%B3%E5%85%B5%E5%B0%91%E5%A5%B3%E6%9A%B4%E8%A1%8C%E4%BA%8B%E4%BB%B6

また、被告人となった海兵隊員の家族は「人種差別によるでっち上げだ」「若者たち日本に連れ去られようとしている」と主張し来日した。来日後も「沖縄だと陪審員に良く思われないか裁判が我々に不利になる。だから裁判の場を九州に移せ」などと被告人の妻らが主張する様子が日米双方のメディアに流された[注釈 3]。しかしながら被告人家族は泣きながら失神する姿まで披露したものの、そもそも陪審制が無い日本では的外れで空回りに終わった。また文化的にも白人黒人が絡む人種差別問題になじみが無いため全く同情の声は挙がらず、むしろ反感を煽る結果となり、世論から相手にされなかった。

人種差別権力勾配を理解しようとしないのに、自分たちの時だけ権力勾配を訴えるのは通らない。

結局はフィクションの敗北宣言であって、現実しか残らないということなのではないだろうか

例えば特撮自分にとってはありえない映像、どうやって作ったの?!と思ってしま映像であって、

それはスターウォーズであれウルトラマンであれ同じであって、

例えばウルトラマンだって、今から見れば稚拙に見えるところが増えてるかもしれないけれど、

虚構現実に見えるようなシーンが一瞬だけあるだけでもワクワクしたのが自分の子時代だったと思う

から、「八岐之大蛇の逆襲」はやっぱり当時としては凄かったわけで、

庵野氏や樋口氏のような大阪芸大学生が作った映像でありながら、

少なくとも瞬間瞬間では円谷どころか当時のレベルでの下手なハリウッドは超えてたと思うわけで、

そこに自主制作映像を作っていた人達は仰天しただろうし、

自主制作による特撮アニメブームを起こしたといっても過言ではないと思う

といっても、当時の自分小学生とかなのでリアルタイムでどうだったかはよく知らない

知らないけど、田舎特撮雑誌とかファンゴリアの日本語版とかそんなのばかり読んでたのでな、

薄っぺら知識だけはあったのだよ

ところで、現実ってのは本当にクソだと思うのだけど、何がクソかって色々あるのだけど、

現実というのはクソだとしても自分の思い通りに変えづらいというのもクソであって、

社会とか他人とか、自分がクソだと思ってもそれは変えられない、簡単には変えられない

でも、フィクションならいくらでも変えられる

から小説とか漫画とか映画とか、そういうフィクションなら当たり前だけどいくらでも変えられるわけで、

現実世界で何かをなし得る、マザーテレサじゃないが、そういうのは難しいわけだけど、

フィクションはいくらでも変えられるわけだから、どんどん手が込んでくるというのがある

要は努力と結果が比例しやすいわけで、フィクションを作り込むことにのめり込んでいく

でも、それがモーションコントロールカメラみたいな時代だったらまだ牧歌的というか、

特撮に関しては特に技術自体差別化ができてたりもしたわけだけど、

今の時代CGがもうメインであって、パッと見では実写かCGかは区別がつかないぐらいで、

ディープフェイクみたいなのだって眼球の光の反射がどうこう言われてるみたいだけど、

そういう問題もどんどん解決していくんだと思う

というか、自分的にはCGを全面に押し出し作品に飽きていて、

まあ、初代ジュラシック・パークも途中で寝てたんだけど…

技術が凄いか面白いというわけでもないのだけど、

でも、物語の内容がまったくない、それこそ「八岐之大蛇の逆襲」みたいな作品面白く思えるのは、

やっぱり技術というか、当時の若者たちの執念が込められているからだと思う

でも、今の時代CGにそれが太刀打ちできるわけでもなく、

かといって、自分トランスフォーマーパシフィック・リムみたいなのに飽きてる

シン・ゴジラ特に後半はそういう感じがして食傷気味とでもいうかつまらなさを感じた

といっても、後半に庵野氏が試みてたiPhoneによる撮影のようなカメラワークや臨場感活躍する場はなかっただろうし、

やったらやったで完全にクローバーフィールドみたいになってしまうだろうし、

自分としてはそっちの方が面白いとさえ思うのだけど、それをやるとゴジラではなくなってしま

そうするとストーリーはともかく、打算としてもああい映像になるのは仕方がないのだと思う

話が脱線したが、今日に至るまでフィクションを作り込むことに精力を注いできた面があったわけで、

そのためにモーションコントロールカメラもそうだがコンピュータは非常に活躍してきた

そして、今はコンピュータ映像を作り出し、コンピュータ「が」勝手映像を作るところまで来てるとも言える

一方、商売として考えるとき差別化必須なわけで、その差別化特撮技術だったりした時代があったと思うのだけど、

最近比較安価CGによる特撮可能になってきていることもあり、それがYouTubeを賑わせたりしてる

こうなるとフィクションだのCGだのは完全なレッドオーシャンとも言える

仮にその辺を歩いているオバサンや子供でさえ簡単無償で高度な特撮映像が作れるような時代になったとしたら、

もう特撮技術自体価値は完全に陳腐化してしま

となると、技術でないところで勝負しなければならないわけだが、

それは物語とか内容とかレイアウトカメラワークだとかになるわけだけど、

それはそれでまた溢れてるように思う

その上、震災津波のようなリアル映像にとても特撮は勝てない

リアル映像の圧倒的なリアルさに、当たり前だが、圧倒されるだけで、破壊されるビル模型をちまちま作ったり、

CGシミュレーションしたりすることさえ、リアルで人が死ぬという現実には敵わない

そうすると、最後フロンティアとして残るのが現実と考えるのも変ではないのかもしれない

まり、消去法で現実が残ったということである

フィクションを突き詰めて虚構現実に極限まで近付ける努力をしてきたが、結局はリアルには勝てなかった

その虚構現実に近付ける技術も高度に発達はしたもの陳腐化し一般化してしまった

となると、最後クリエイティブ領域として残るのはリアルしかない

虚構現実に近付けるために熱中してきたが、CGのような技術震災も相まってフィクションリアルに負けた

当たり前だが、結局は自分が今地に足を付けているクソみたいな現実に戻ってきた

2021-03-13

anond:20210313191847 anond:20210313192056 anond:20210313191948

やっぱりここからコケてるんだよな。自己決定から逃避している。他者強要されたと。

セックスするのは義務ではなく増田選択だ。

世の中には『アセクシャル』も『デミセクシャル』もいる。

 

一応確認だけど この増田(anond:20210313190848)であってる?

それとも横?男女厨ちゃんとは話したくないよ?

 

一度に詰め込んでも読まない・読めないと思うので、ここでは『セックス義務ではない』と

下記の2つの概念、『アセクシャル』、『デミセクシャル』があることだけ理解できればいいよ。

 

 

増田(anond:20210313190848)だと想定して

 

アセクシャル (Asexuality)

他者に対して性的欲求(や恋愛感情)を抱かないセクシュアリティ

 → 誰に対しても性的な魅力を感じないし他者に向ける制欲がない

 

▼ デミセクシュアル(demisexual)

他者に対して基本的性的欲求を抱くことはありませんが、強い愛情や深い友情を持った相手に対してなど、

ごく一部の場合性的欲求を抱くこともあるセクシュアリティです。「半性愛」とも呼ばれています

 → たとえ結婚しても本心から心が通じ合ったと納得できるまで性欲が湧かない

 

[WIRED] セックスを拒絶する若者たち──アロマンティック・アセクシャル

https://wired.jp/2016/05/08/aromantic-asexual/

 

「手を握る以上のことは、わたしにはとても奇妙に思えました」。高校に入ると、人生は厳しさを増した。

周囲にアンドロイドだとか血の通わないやつだと呼ばれ、いつも自分変人であるかのように感じていたという。

彼女は、自分に異常があるのではないかと考えるようになった。医師にも診てもらったが、君はかわいくて若いんだから心配しなくてよろしい、と笑われた。

情報が何もなかったんです」と彼女は言う。「真っ暗闇のなかにいるようでした」

 

そこで彼女は、自分が唯一愛せるものである音楽に身を捧げることにした。17歳のころまでに、彼女バンドは少数ながら熱狂的なファンを獲得し、

本物のロックスターたちが出演する大きなイヴェント前座を務めたり、そのバックステージに出入りできるようになったりもした。

 

スターグルーピーたちのふしだらで乱れた世界10代で投げ込まれたにもかかわらず、彼女はそんなことにはまったく興味が湧かなかった。

セックスを誓っていたわけでも、眼前の光景道徳的に反発したわけでもない。ただ単に心惹かれるものがなかったのだ。

 

しかし、いずれ自分もそれに調子を合わせることを期待されると彼女は知っていた。よりセクシーイメージをつくるために、

スカートを短くし、トップスタイトにするといったようなことだ。幻滅した彼女ロック世界から距離を置いた。

アートの話がしたいのに、楽屋に行ってヤるだけなんて」

 

そんなとき彼女ネットジェイムズと知り合った。数カ月の間親しく友達付き合いをしたあと、1年間の遠距離恋愛を経て、

彼女は彼のいるテネシー州へと引っ越してきた。

 

「性衝動という点では、わたしたちは一致していませんでした。でも彼は、わたしには欲情しないようにしてくれたのです」。

ジュヌヴィエーヴは言う。彼は我慢していた。ずっと我慢していたのだ。彼らが出会ってから3年後、彼女はようやく初めて自分のなかで欲望うずくのを感じ、
彼と性的関係もつようになった。

 

「彼のことを十分に知って、わたしの心が『彼こそがソウルメイトだ』と判断したときに、体のほうもそう判断したんだと思う」。彼女Tumblrにそう綴っている。

自分にとって庵野氏の作品がつまらなく思えるのは正しいのかもしれない

シン未見組だけど、高評価する人たちも不評の人たちも、

俺達の庵野が帰ってきた、

みたいな点では共通しているみたい

(あと、戦闘シーンが駄目という意見

シンゴジラも含め、マンネリズムさえ感じるのは寧ろ当然であって、

それは庵野氏というか、ガイナックスというか、

リスペクトする過去作品オマージュパロディー、そこから新たな記号お約束を作り出したわけで、

それは確かに歌舞伎とか伝統芸能に近いのかもしれない

そこにマンネリズムを感じるなら、それはお門違いであって、

まりシンゴジラまらんと自分が思うなら、それは庵野氏を卒業したというか、

他の何かを求めて自分が出ていくべきなんだろう

自分には庵野氏のように新たな記号お約束を生み出せるような能力も運も何もない、

凡人以下のコロナ無職になったKKOであって、社会的にはゴミにも劣るかもしれない

そんな自分ではあるが、恐れ多くも御大大先生成果物に不満を思うというのなら、

それは単にnot for meであって、俺が自分のfor meを求めてさまよい続ければいい、

ただ、それだけの話なんだろう

しかしながら、仮に自分が何か作品を作るとしても、

あと、プログラミングだって立派なものづくりではあるわけで、

それは学ぶは真似ぶであり、過去コピーからスタートして、守破離の破、

守破離の離を目指すしかない

なんとなく、自分庵野氏よりも長生きできない、

庵野氏よりも若い世代だけど多分長く生きられないと思うのだけど、

社会的評価は別として、なんか自分なりに自分人生にケリをつけなければならない、

特に最近常々思ってる

いうならば因果というか、カルマというか、因縁というか、

例えば、自分虐待された過去があったとして、それをマイナス評価するのではなく、

かといって自己啓発的に無理にプラス評価するでもなく、

その因果に何らかの自分なりの納得というか、決着をつけたいと思っている

それは単なる自己満足ではあるわけだが、そういった不愉快過去とか、

そういったこれまでの人生の諸々にできるだけ決着をつけて、納得してから死にたい

そう思うようになった

他人作品がつまらないというなら、おまえは代替案があるのか?

代替案はある、

しかし、それが他人面白いと思ってもらえるかは分からない、

まり商業的に社会的成功するかではなく、自分ならこうするは明確にある、

だとしても、それは仕事としてはどうなのか?という問題がある

繰り返しになるが、どことな庵野氏は、その仕事としてはどうなのか?

みたいな大人の発想になってしまい、

というか、庵野氏より貞本氏の方が、特にオネアミスBDだかのパッケージの絵とか、

周囲に望まれる絵を描くのが大人でしょ?ではなくて、

できるだけ、昔の、スポンサーサイドに嫌われていた、

そうはいっても、作り手である若者たちは貞本氏のあの頃の絵に惚れて賭けていたとも思うわけで、

なんでエヴァみたいな絵柄を判で押したように描いたんだと思ってしまったのだけど、

しかし、上述のように、これは御大先生方の到達点であって、

自分がとやかく言う筋合いはないのだ

それより、おまえの、俺の到達点は、人生の到達点は何なのだ?ということだろう

アウシュビッツ経験したフランクルによる「夜と霧

私が人生に問うのではない、

人生が私に問うのだ、

これは言葉遊びのようではあるが、しかし大きく異なる点がある

人生に、運命に、運に、神に、なぜ俺の人生をこんな風にした?と問いかけるのが1つ目であり、

2つ目は、人生が私に、おまえは何を成し遂げられれたのか?と問うているのだ

そこには当然、仕方がなかった、怠惰と諦め、打算も入り混じっている

しかし、人生というのは本来そういうものなのだ

メディア生存者バイアスというか、社会的成功者を持ち上げすぎる余り、

まるで、この社会に、世界に、何か正解があるように思い込んでしま

生き方に正解があるように思い込んでしま

人生からの問いに対し、自分なりの答えを死ぬまでに用意していくのがこれから自分課題なのだろう

それは他人の、世間価値観とはまったく関係のないもの

自分が納得する答えを探す、人生最期へ向かう旅なのだ

2021-03-11

この20年間起業政府が煽って弱肉強食論をやってて不思議に思うんだけど



新自由主義バリバリで、金稼いで納税したやつが正義でそれ以外はバカゴミカスで生きる価値のない命なのだってレベル新自由主義称揚して

氷河期世代格差拡大に繋がったわけなんだが

金さえ稼げりゃ何でもいいのに何で年々法規制だけ強くなってんの?

金アホほど増やしたかったらバブルの時みたいに営業持金復活させれないいじゃん

なんでJKレンタルデートとか円光自由化させて10代の頃から起業して稼いでる次世代スーパー若者たちって称揚しないの?

なんでコストセンターだとかほざいて郵政民営化したのに

国が持ってるコストセンターの筆頭である警察自衛隊民営化したり自由化させたりしなかったの?

「(ルールとして成り立っているとは誰も言ってないが)ルール守って競走して負けたらゴミカス無限年貢を持ってこい、保証は金がないか自己責任なンだわ」なんてふざけた事言い続けて、日本人イノベーション精神がないとか生産性が上がらないって当たり前じゃん、誰が真面目にそんな制約で競争しようなんて思うんだよ

そんで今更MMTリフレーションだなんて、都合がいいにも程があるだろ

2021-02-20

非正規アルバイトでも、死ぬなよ、殺されるなよ

今日、知り合いのひとがお葬式から帰ってきたところで話をききました。

亡くなられた方は、自死だったそうです。

亡くなった男性は、実家暮らしで親と同居。アルバイトコンビニエンスストアで働いて、稼いだお金の半分以上を家にいれていたそうです。

ずっと就職のことで家族からプレッシャーさらされていたようです。

家族というのは「ホーム」「巣」「味方」、たとえ、外の世界いくら敵がいたり、イヤな目にあったり、攻撃さらされようとも、「家に帰れば救われる、味方がいる、ほっとする、安全地帯」そういうものではなかったのでしょうか?

お葬式では家族みんな泣いていたそうです。

話をきいたまわりのひとたちもみんな泣いていたそうです。

まじめなその子は、親にみとめられたかったんだと思います。「おまえがいてよかった、たいへんな時期によくがんばって毎日仕事してるな、ありがとう」そう言ってもらいたかったんだと思います

私は、親が子供を死に追いやり、殺したんだと思います

いまどきの複雑高機能コンビニという職場で働けるということは、たいへんな実務能力労働能力があるということを証明しています

ぶっちゃけて言いますが、ひとに負債つけまわして仕事ほとんど外注業者発注して自分らはのうのうとボーナスたっぷり休日福利厚生に浴して税金泥棒している連中よりも、よっぽど立派に社会に役立っている労働者です。

当事者自死するのと逆に、口うるさい親を殺してしまニュース毎日のように報じられます

どうかこれを読んで、もういちど立ち止まって考えてほしいです。

正社員就職の決まっていない子をもつ親の立場のひと。

正社員就職の決まっていない子の立場のひと。

2021年現在日本で、全員が正社員就職するような現実社会存在しません。

大昔の幻想子供いじめて、死んでから後悔してもおそいです。

(その幻想のツケをいま若者たちが額に汗して払っているのです。負債をつくってきたのは、おとなたち、年寄り世代たちです。)

子供達も自信や柔軟性をもってほしい。アタマのなかを広くやわらかく。世界はひろいよ。

アルバイト非正規労働でなにがわるいか、わるいことなんてあるわけない!

年寄りやむかしの大人は口ばっかりでずるばっかり、

若者に不平等な世の中のルールを作って押し付けておいて、そんな連中の言う事をまともにきく必要ないです。

まりうるさかったら、家のなかにあるもの全部もって、家出すればいい。

死ぬ必要も争う必要もありません。

死ぬことなんかないからね。

こんなキツイ、無茶な不公平な世の中、

税金泥棒や、ずるいことしてるやつのほうが威張ってるデタラメな世の中で、

じゅうぶん、まじめに、がまんして、よくがんばって、生きてる、はたらいてる。

若者、えらいよ。

すくなくとも、年寄りより、何倍もえらいし、がまんしてる。

ほんと、死ぬことなんか ないからね。

ちゃんとわかってる、おとな、人間日本人もいるからね。

絶望することないからね。

2021-02-09

一人の学生としての見解

ベルリンの壁崩壊した光景を見たことのない若者たち

人間制御する新興宗教のおぞましさを学び

貿易センタービル飛行機が突っ込んでい映像を見て育ち

定義不詳な終わりのない紛争貧困をまざまざと見せつけられ

化学が万能であるという幻想原子力発電所の爆発と共に吹き飛び

見えないものにより突如として死ぬ時代に生きている

私たちは「良かった昔」を生きてはいない

時代は選べないからこそ,この時代の中で精一杯生きていくつもりである

お利口な大人たちは私たち走馬灯再現に使わないでほしい

シンデレラガールが特大にすき

シンデレラガール」はアイドルグループデビュー曲である。「君は〜シンデレラガール マイプレシャスワン〜」で始まるあの曲だ。イケメン達が王子様みたいな服を着て少女漫画主人公しか体験できないような世界観歌詞を歌いあげるのだが、私はこの曲が好きです。聴くと「あっっ…私って…シンデレラガールだったもんね?…?(催眠状態)」となる。少女マンガに憧れる気持ち全く知らずに生きてきたけど、この曲を聴いて完全に分かった。

 

なんでここまで私がこの曲を好きになったのか、整理してみる。

 

1.アイドルと「永遠

 

アイドル永遠との戦いだろ。というか愛は永遠との戦いだろ。だから結婚って形で相手契約させたりする。好きなものなんて永遠になくならないで欲しいし永遠に好きでいたいに決まってる。でも愛ってどこかで終わりがちだし、アイドル卒業するし、永遠なんてものはどこにもない。だからドルオタって最終的に「瞬間」に重きを置くようになるよね。「いまが最高!」とか言っちゃってね。もう今この瞬間を楽しむしか残された選択肢いから。

 

そんなアイドル無常を知っている私に対して、シンデレラガール永遠約束してくる。「いつになってもいくつになっても僕は君を守り続ける」とか言う。デビュー曲で、この世に存在しえないものを、誓ってくる。あーおいおい何にも分かってないこの若者達やっちまいましたよ…ありがとう。そう、これが最高の「瞬間」なのである永遠なんて存在しないのに、なのにもうこの歌詞を聴いている瞬間だけは、「永遠」の存在確信する。この若者たちと共に過ごす幸せ未来しか見渡せない。ありがとう、ずっと永遠に好きだよ。デビュー曲永遠提供してくるのは福利厚生よすぎだよ。

 

まり何が言いたいかというと、真に輝いてるアイドルは「瞬間」の中に「永遠」を作り出すことができるし、シンデレラガールはその力を最大限に引き出す曲なのだ

 

2.架空現実にする説得力

 

だが永遠を歌う曲はアイドル業界に山ほどある。なぜシンデレラガールはそこまで私を感動させたのか。それは2番の歌詞リアリティがあるからだ。

 

ある時友人が恋人と別れた時に言っていたのだが、「恋してるときの方がよっぽど異常な状態で、別れるのは正気に戻るってことだ」と。その友人が本当にそう思っていたのか、自分にそう言い聞かせていたのかは分からないが、なるほどそういうものかもな。恋してる時は、終わりを想定できるほど賢くなれない。盲目で異常で精神病だ。あれ待てよ、これって瞬間の中に永遠を見出すか意味からないことを言って必死になってる私のことか?

 

となったところでキンプリは一度現実を思い出させてくれる。2番の歌詞で「時が経てば宝石ガラス玉さ」と言ってくるのだ。ここで私はほっとする。なぜなら現実には永遠などないと知っているから。1番の歌詞のノリが2番も来てたら、なんとなく他人事で聴いちゃってると思う。だからここで一般論として「愛は冷めるらしい」というのを出してくることで、架空現実距離が一気に近づく。

 

そしてその上でキンプリさんは言うんだ、愛が冷め、形が変わっても、君が君でいる限り、僕はまた君に恋をすることになると。もうこのガラス玉の比喩表現絶妙すぎて上手く訳せないんだけど、とりあえず2番の歌詞は遠い先を見越しているのだ。冷めきった結婚生活だと思っていた日々が、ある時をきっかけにこれが幸せで穏やかな毎日だと気づく、そういう瞬間をリアルに描いている。愛は冷めないのではなく、愛が何度でもはじまると言っている。「瞬間」の連続により「永遠」を実現する。ああ、そういうことか。永遠なんてないと思ってたけど、瞬間の連続の中に永遠があるんだな…これが愛だし、アイドルなんだな…やっぱ現実に「永遠あるじゃん…となる。

 

まり何が言いたいかというと、シンデレラガールの2番の歌詞には、「永遠」に現実感を持たせる説得力があるので、非常に魅力的曲になっている、ということだ。

 

あと関連してもう一つ言いたいのは、おそらくこの曲の歌詞キンプリというグループに重ね合わせられてしまう点です。

 

デビューってジャニーズアイドル的には一番盛り上がるタイミングじゃん。無敵じゃん。そんなタイミング永遠を誓う。これからはもう楽しい予感しかしない。推し自担)が大好きで推しが誰よりも人気者で…もう最高だよね。分かる。でもさそんな宝石みたいな日々は過去になることを、古いオタク達はしってるんだよ。痛いほど知っている。CDの売り上げが落ちたり、テレビに出ることが減ったり、箱にスカスカ感が否めなくなったり、誰かがグループ抜けたり、あからさまにオワコン扱いされたり。そんな中で担降りする日が来て、今キンプリを追ったり、はたまたキンプリから降りたりするわけじゃん。

 

でも、そんな日が来たとしても、好きだった日々を懐かしい思い出だと言って、今を楽しく生きてくれるなら、それでいいってキンプリさんは言ってるんだよ。宝石がただのガラス玉になった時、捨てるでもしまっておくでもなく、普段使いの耳飾りにする、その姿に恋をするっていうのは、そういうことじゃないのか。キンプリデビュー時の勢いでファンになったけど、数年してファンを辞めた子。たまたま音楽番組で、キンプリ10周年とかいうの見かける。この歌詞聴く絶対泣くじゃん。この宝石みたいなデビュー曲を聴きながら、それを大切におもうし、その時の自分の延長に今の自分がいると気づくじゃん。はやくこれになりたい。

 

まり何が言いたいかというと、この曲は今後、デビュー時のみんながキンプリに恋した日々をメタ的に歌った曲としての意味も持つようになり、より歌詞に深みを増すだろうということ。

 

なんか自分でも何言ってるのかよく分からないけど満足したので終わり。

2021-02-08

若者は腐るほどいるのに

それこそ渋谷の大騒ぎやらなにやら見てると

都会には若者がだだ余って悠々遊んで暮らしている

自粛なんかもどこ吹く風であちこち練り歩いているし

そういったために使う金の出どころも大抵は親やらコネやらで

遊ぶ金だけふんだんに使い、年金は納めず歌うキリギリス


頼むからもう少し若者から税金を取りましょう

別に我々も同じくらい苦労したんですから

今の裕福な若者たちの負担を少し重くしたところで

全然彼らには応えないのが見て分かりませんか?

高齢者バンバン死ねばいいと吹聴する大学生

中年は楽しすぎたか薄給底辺しかいない

そう言った言葉は聞き飽きました

彼らから税金を取ってください

富める所から貧しいところへ

このコロナで停滞している今こそ改革のしどきだと思います

70の年寄り暮らしを少しでも楽にするために

遊び呆ける若者負担是々非々重くしていただきたいです

2021-02-06

団塊世代よりも悪質なコロナ世代

結婚しない

子供を作らない

ふるさと納税をして税金も納めない

ろくに働かず経済成長も出来ない

挙げ句の果てには政府10万円を要求して国の借金を増やす

そのお金ゲームガチャガチャ海外企業課金

将来、若者たちから国をダメにした戦犯として老害扱いされ蔑まれ存在であることは間違いないね

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