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はてなキーワード: 象徴とは

2024-04-27

anond:20240426211851

金髪も、顔面ピアスも、ロリータも、全部、異端象徴

平均的な女性は、みんなと同じような格好をしたうえで僅かに個性を出すのが精一杯。

よく、金髪にすると痴漢に遭わないっていうじゃん?

あれは、他人と異なる目立つ格好を平気でできる程度に、気が強いって思わてる訳ヨ。

2024-04-26

anond:20240426211851

歩く地雷象徴からだろ

普通の格好だと見た目だけで性格地雷に気づけないから寄ってくるだけ

2024-04-24

anond:20240424170556

2011年にはこうなっててもおかしくなかったんだけど

民主党政権世界的な円=安定の象徴だったか

円が不相応に高かった

なので東日本大震災と相まって若者失業率が半端なかった

スーパーとか小売り系とかすき家とかは変わらなかったか数字的にはそこまでもなかったけど

2024-04-23

政権交代どうやったらできる?何が起こる?

政権交代がどうやったらできる?  制度的な話

衆議院過半数をとると政権交代ができる。これは一つの単独では無くても、いくつかの党が協力することでも可能

参議院過半数をとっても衆議院過半数を取らなければ政権交代にはならない。これは衆議院優越性が憲法保障されていて、衆参両院対立した場合衆議院の決定が優越する。

日本場合議院内閣制なので、議員を選び、その議員総理大臣を選ぶ。

政権交代がどうやったらできる? 制度じゃ無くて、政治的政権交代する条件は?

そのままズバリ示すことはできないが、日本の歴史的に見て、戦後政権交代が行われたのは2回あるので、それぞれ見ておこう。

いずれも「経済の失速と何らかの象徴的な事件」によって発生している。

1回目 1993年 55年体制終結

簡単に言うと、自民党中道保守層自民党離れを起こし新党ができて、それが旧来の野党合併して政権交代した。

後は興味がある人だけ読んでくれ。


自由貿易協定ウルグアイランドリクルート事件佐川急便事件、そしてプラザ合意バブル崩壊などにより、政治不信となり自由民主党大敗自民党と当時野党第一党だった日本社会党が同時に凋落

それを受けて、政治改革が叫ばれる。主に小選挙区制への移行、政治資金規正などを含む政治改革法案が出るものの、宮沢喜一内閣で廃案。廃案に反発した自民党議員造反して、新党がいくつもできる。

この時点で自民党過半数を失っており、不信任可決→解散に追い込まれ選挙

その結果、野党が結束して政権交代が行われ、細川内閣ができた。

なお、細川内閣政治資金疑惑で失脚。その果てに日本社会党政権与党から離脱。その後羽田孜予算管理内閣で急場を凌いだ後、総辞職

その後村山富市首相とする自由民主党日本社会党新党さきがけの自社さ政権が発足し、自民党与党に復帰している。復帰時点では日本社会党委員長である村山首相だったが、その後の選挙日本社会党勢力を落とす。そして社会民主党改名などをきっかけに社会党が変節したとして分裂(分裂した先が現在民主党である)。結果、その次の橋本龍太郎内閣自民党党首総理大臣に復帰、さらに次の小渕恵三内閣では自民党単独与党政権になっている。

2回目 2009年 リーマンショック後の民主党大勝

簡単に言うと、小泉純一郎の人気を背景に強引に新自由主義政策を強めたため各所に反発が燻る中景気が上向かず。ITバブル崩壊するなどの経済情勢が見通せない中で軽度な政治的不祥事が続発。さらリーマンショックによる急激な景気の冷え込みがトドメになって、選挙民主党が大勝。それによって政権交代した。

後は興味がある人だけ読んでくれ。


元々、森喜朗政権では当時最悪の支持率を記録するなど、旧来の自民党政治への不信感があった。

そこで劇場型政治と言われた小泉政権ができてなんとか自民党を立て直したものの、小泉政権は敵も多く作る状態。一部の右派政治家が離反するなど、自民党政治基盤が揺らいでいた。その中で支持率が高い首相であった小泉純一郎政権から降りた。それを引き継ぐ形で当時若手のホープと見做されていた若き官房長官安倍晋三へと政権を交代したが、ちょうど安倍政権の後の菅政権のように噴出する問題の後始末に追われて失脚、さら劇場型政治をやり替えされるような形で様々な問題政争祭り上げられ、支持率が低迷。福田麻生政権交代が繰り返される。

さらに、この間、衆議院解散するタイミングを逸していた。タイムリミットが近付く中、リーマンショック後の不人気麻生政権という、本来ならば解散権があるはずの自民党にとっては痛恨のタイミング解散選挙となった。

自民党が100議席以上失い、民主党が大勝するという結果となった。

その後、リーマンショック比較的上手く処理できた日本だったが、2011年東日本大震災が発生し、超円高による国内製造業の失速などから野党政権も維持できず、鳩山→菅→野田と続いた民主党政権崩壊。再び安倍晋三首相登板することになる。

政権交代で何が起こる?

簡単に言うと革命期にあたるため、いろんなことがダイナミックに動きやすくなる。

そのほかにも、外交政策特に政権交代に影響を受けやすいと言われる。日本鳩山由紀夫による普天間基地移設合意撤回を求める事件は、その一つだ。

外国の例では、トランプ大統領によるMAGA政策により世界の警察から降りて諸外国軍事負担を求めると言ったものは分かりやすいし、韓国政権交代の度に日本への政策リセットしてきたことも分かりやすい。

また、教育政策政権交代で変わりやす政策の一つであると言われる。1回目の政権交代では狭義の「ゆとり教育」が導入され、2回目の政権交代ではそれが廃止されている。

また、政治の表に立つ人たちの顔ぶれも大きく変わるため、政治家にとってはまさにチャンスであると言える。

地方首長選では常に政権交代しているようなもの。あからさまに変わるので、選挙には行こう

日本場合国会議院内閣制議員を選んで首相を選ぶが、地方首長市長特別区区長など)を直接選ぶと言う方式になっている。

そのため、実は政権交代みたいなどんでん返しが常に起きている場所でもあり、自分たち暮らしに直結する。

例えば学校が統廃合されたり、水道料金が乱高下したり、若い人が出て行ってしまうようなクソ政策が繰り広げられたりする確率地方の方が多い。

国会の方はほっといても、地方議会と基礎自治体首長選には関心を持った方がいい。

2024-04-22

歴史的な収蔵物の保存と、若者文化の発展はバーターだということを忘れてはいけない

収蔵物が博物館キャパティを超えて保存され、その扱いに困っているという新聞社Web記事を見ていて、改めてそう思った。

昔、「正しい日本語」という概念流行り、それが何なのかという議論が多数交わされたが、それらは結局のところ、世代対立に過ぎなかった。

そして、この収蔵物もそうなのだと思う。

若者でない世代が、自分たち大事だと感じる資料を、「歴史的」というあたか価値のありそうな形容詞で装飾して、

キャパティ無視してでも、それに親しむものよりは若者だろう管理者に、たくさん押しつけようとした結果に見える。

どちらかいえば老人世代に近い自分だが、個人的には、キャパティを超えた分はすっぱりと処分すべきに思う。

若者もきっと、歴史的呼称した老人世代の未練に興味はないのだ。私たち世代のもの私たち世代で諦めるしかない。

そもそも、収蔵物の保存にはコストがかかるので、若者文化の発展はその分遅れてしまうし、

歴史的事物の保存という行為自体も、若者文化の発展には抑圧的に働くので、収蔵物の保存というのは若者たちに本質的に好まれない。

そして、誰も明言しないが、歴史的資料は「古いものは尊ぶべきだ」という価値観を無言で内包している。

歴史的資料は「文化『財』」という名称で、あたか自然財産然としているが、その実は若者にとってコストというか、若者文化を発露する際の重荷でしかない。

そして、歴史的資料は「歴史」という教科となって、あたかも覚えるべき知識であるかのように振る舞い、若者キャパティまで削ってしまう。

個人的には、若者認知未来に向かって注がれるべきと思われ、合理的でも道徳的でもない偶然の連なりである歴史」などに充てられるべきではないように感じる。

そもそもなんで、偶然でしかない、未来に決して通用することもない老人たちの教訓を、若者たちに記憶させないといけないのか。

そういった保守的歴史のがんじがらめが、地元流れる人間関係の重さと相まって、若者たちを都心部に押し出す格好になっている気がする。

すると文化財は、その費用からもその思想からも、若者たちを都市部に押し出すのを助けてしまっているとさえ思えてしまう。

掘れば遺跡が出てしまい、その保存で開発が全く進まない「文化財」だらけの地方自治体に、どんな若者が残り続けたいと思うのか。

思春期の子供が両親に反抗するように、若者たちはきっと、古い文化象徴である歴史的資料など捨てたい、

その保存コストを、古い文化の代わりに自分たち享受したいと思っているはずなのだ

まりは、歴史的資料は非明示的ながら、そしておそらく無意図的ながら、古い者たちの権力となってしまっていると思うのだ。

から一部の人たちにとっては無意識的に、歴史的資料コストをかけてでも博物館占有していないといけないのだろう。

でも、歴史的資料をとるか、若者主体文化としていくかは択一であり、どちらが本当に重要かってことを、今一度考えてほしいと、この老いぼれはひそかに思う。

偉い学者が、日本人口回復のためには、面倒みるべき親を早く捨てろと言ったらしく、それは耳が痛いことでもあるが、

同様に、若者文化の隆盛のためには、キャパティを越えてまでも保存され続ける「歴史」は捨てるべきではないのかと、

老いたる人々には若者未来のために考えてほしいと思う。若者迷惑をかけないでおきたく思う。

国家国民の再編成はしても良いが

下手にアイデンティティナショナリズム国家象徴として固辞しようとすれば軋轢は大きくなるだろう

2024-04-21

弱者男性ポルノ表現の自由だ」ポルノ表現の自由埒外って大学1年生の憲法で習うけど、弱者男性ってマジで高卒か何かなのか?

埼玉水着撮影会ニュースコメント

弱者男性っぽい奴が

表現の自由があるからポルノOK」ってコメントしてて驚いた


ポルノ表現の自由対象外だって大学回生憲法の授業で習うじゃん


例えば、憲法テキストで芦部の次に学部生が読み出す4人組憲法を見てみると

(芦部は統治が弱いので、どんな底辺大生でも憲法統治の分野が始まる一回生の後期授業の時には4人組を読み出す)

こう書いてある


ポルノグラフィティ(原文ママ)」は、「女性身体性的表現文脈においてモノ扱いすることで象徴されるように、女性の性を貶しめ、人格を傷つけ、女性社会において肉体以外の存在として評価されないという心理的暴力行使し、男性支配女性従属という社会的に構造を構築する」ものである

有斐閣憲法Ⅰ、野中 俊彦、中村 睦男、高橋 和之、高見勝利p366)


だし、社会価値を認め難いから当然表現の自由埒外ってのが憲法上の考えなんだわ


こういった議論も知らずに

水着撮影会をさせろ」とか「エロアニメ規制するな」とか主張してる弱者男性ってマジで高卒なんかなのかなあって思う

2024-04-20

女性地位を高める方法がわかったぞ

小さい頃から三食しっかり食うことだ。

スタイルを気にしてちゃんご飯を食べないカルチャーがある限り、日本女性地位他国のそれに追いつくことはない。

なぜなら、食事は体力と頭脳に影響するからだ。

男と伍する力を得るにはまず食事

モデル体型が美の象徴であるかのようなファッション業界因習を打破しようぜ。

そうしないと女の給与水準は上がらねえんだよ。

「このままじゃ男は滅ぶ」ってなぐらいに強くなってくれよ。

俺はもう貧困に喘ぐシンママとか見たくないんだよ。

頼むよ。

2024-04-19

anond:20240418212609

孤独とinternal dialogueについては興味深い洞察だと思う。

サイコ』のノーマン・ベイツもヘンリー・ダーガーも確かに自分自身一人二役して会話していた。

それが孤独という苦痛ヘの慰めのために行ってるというのはあまり一面的すぎる。

それは『さかしま』、『オブローモフ』が提示するように社交的関係によって発生する苦痛からの逃避としての孤独存在する。『ツァラトゥストラ…』でも最終的には孤独が称賛されている。これらは文化的批評領域であり、現実とは無関係だと思うかもしれない。

だけれども、文化とは文化圏の象徴的秩序を内包しているためフィクションと隣合わせに語られることは常に避ける事ができない。現代でも『ジョーカー』とかその元ネタと言われる『タクシードライバー』がこれら議論に対して抱き合わせのように引き合いに出される。

これら文化批評を取り除けば、他者に対しては振る舞い以上のものを我々は知る事ができない。

仮に合意形成の結果から相手心理状態類推可能なら囚人のジレンマは発生し得ないことになる。

復讐意図弱者男性が持ってるかは動機主観的決定とその不可知性のため客観的な振る舞いからは推し量ることはできない。

そして主観的には人間自己幸福を測り間違える。

これはデイヴィッド・ベネターが統計引用して例を挙げてるが人というのは身体障害知的障害を抱えていても幸福を感じる人々の割合は健常者と変わらない。そして、自己幸福度の位置づけは相対的に決まる傾向がある。

どの立場であれ心理抑制環境によって与えられる不自由さの裏に悪意を見いだせばそれが防衛として他者に対して闘争行動をする動機付けになる。

隷属か破壊かはニーチェが扱っている議論だが、

ニーチェ正当防衛についてこう述べている。

━━正当防衛一般正当防衛道徳として是認されるならば、いわゆる非道徳的な利己主義ほとんどあらゆる発現もまた是認されなくてはならない、人は、自己を保存するためにまたは自己を守ったり個人的な禍いを予防するために、害を加え、奪い、殺すのである(中略)意図的に害を加えることは、われわれの実在または安全問題となる場合には道徳として許容される『人間的、あまり人間的』

そこに合意形成が介入する余地はなく、個々の主観的評価正当防衛基準が決定する。法が予防効果を維持する事を放棄した時、法は犯罪を事後的にしか処理できなくなる。

一方で社会システムに着目すれば、反対者あるいは敵対者は結局のところ対象としている前駆的社会構造寄与している。よって社会機能を一部担っていると言える。《弱者》や《敵》無くして強者価値付けの基礎となる社会進歩前進はありえない。

社会弱者はその機能故に巨視的観点では無くならないだろうし、目に見える弱者としての存在搾取する主体である強者必要としてるからこそ残り続ける。

まり、救っても救っても《弱者》は存続しそれを識別する指標であるスティグマ流行規定するモード存在する限り形を変えて生産され続ける。これは共同体幻想において神に等しい絶対者である絶対者の在り方は超時代的ではない。問題は疎外化された周縁に位置する人間たちがサイコパス/ソシオパスのような生得的悪というレッテルを貼られて尚、否、初めて絶対者剥奪し得ない自由意志による行動決定権が与えられる所にある。(シェリング)

万人は万人を殺す事ができる。野蛮な闘争状態規制しているのは社会報酬である。それが除かれた場合上記行為当事者にとって合理的行動である。ただし、万人が合理的決定を行うわけではない。

しかし何も対処しようがない訳ではない。社会上の功利性の総和を考える時殺人社会的に避けられないものならそれに方向性を与える事は決して無益ではない。これが畜群智慧である

2024-04-18

anond:20240418093856

そのチームは、はっきり言って、お話にならないくらい下手だった。もちろん技術面でもそうだし、ゲームに対する姿勢のものがいまひとつ弱腰だった。おそらくだが、このゲームクランマッチデザイン自体に、プレイヤー言い訳をさせるようなところがあるのだ。ふだんはある程度任意の動きを許されているプレイヤー達は、ユーバーチャージが貯まるタイミングでチームプレイシフトし、まとまって動いていかなければならない。しかし、チームプレイというものには、個別プレイヤーの動きとは異なり、実体がない。ここに自分への甘えを許す罠がひそんでいるのだ――おれのプレイが悪かったのではなく、チームとしてのまとまりが悪かったのだ、というような。

Nとの出会いと「MGE」

折しも大学合格したばかりで浮かれていた私自身も、この甘えに参加していなかったかと問われれば、違うとは言い切れない。そんな私とともにこの悪い流れに拍車をかけていたNも、私がチームに参加しはじめたころは、手数よりも口数のほうが多い人間だった。他のメンバーに不出来なプレイを指摘されると、よくもまあそんな理屈をすぐに思いつくよなと感心するほどの切り返しで、「だってから始まる台詞を連発した。

だってソルジャーが付いてこなかったんだ。」「だって相手ゴリ押ししてきたんだ。」「だって、おれは下手なんだ。」おそらく連日の負け続きのために、彼自身にどうしようもない負け犬根性が染みついてしまい、しかも彼はそのことを自覚できていなかったのだと思う。チーム自体にはおもしろ人間が揃っていたし、Nもまた日常会話ではとても楽しい思いをさせてくれたが、勝負事となるといかんせん悪いところが出てしまっていた。

第一回プニ4トーナメント」が開催されるころには、すでに多種多様な戦法が開発され、そのうちのいくつかは創始者名前を冠するほど有名なものとなっていた。たとえば「エアショ」という技術は、語感から空中にいる相手ミサイルを当てるものだと想像できると思う。しかし、たとえば高所に立っているプレイヤー視野の狭さを逆手に取り、地上からミサイルの直撃を狙う「タンザナイト」や、攻撃を避けるために圧倒的な地形的有利をあえて捨て、さらに対戦相手の動揺を誘う「ハイペリオン」、その派生系の「疑似ハイペ」などは、あの当時の盛り上がりと、そこで活躍したプレイヤー革新的発明がなければ生まれなかった、奇跡的な語彙と言っていい。

「MGE」は、相撲将棋を掛け合わせたようなゲームだった。要するに、狙ったところに駒を正確に打つために専門技術が要り、しかも持ち時間ゼロなのだ技術、体力、精神力集中力、持続力――思いつく限りのあらゆるゲーミングスキルが試され、しか言い訳はできない。繰りかえすが、負けは負け、勝ちは勝ちなのだ私たちは否応なく加熱していく舌戦とともに、ただ次の戦いに勝利することだけを望み、全身全霊をかけてこのゲームに臨んだ。

そして、いつごろからか、あれだけ言い訳ばかりしていたNが、「プニ4」での試合に限って、だんだん自分欠点を認めるようになっていった。あそこで高所から降りるのは悪手だった、あそこで狙いが乱れたのは集中力不足だった、もっと大胆に動くべきだった――そんな言葉が彼の口からいくつも溢れだし、その希望象徴するかのように、彼の強さを表すポイントは天を突くような勢いで伸びていった。

そして5年が経った。先日、私はこのゲームの思い出を記すために、かつての「山本Gaming」のメンバー、Gにコンタクトを取った。彼は快く私を迎えてくれ、ボイスチャットに誘ってくれた。矢のように過ぎ去った時をほんのすこしでも埋めようと、Gと話をしているとき、仮眠から目覚めたNがボイスチャットに現れた。どう話を切り出したものか迷っていたが、私が「プニ4」という言葉を口にすると、Nの口から光に満ちた言葉がとめどなく溢れだした。彼は昔とおなじように、私のスクリーンネームを短く縮めた「ロールさん」という言い方で、私のことを呼んだ。

「ロールさん、これだけは言っとくよ。もし『プニ4』がなければ、いまのオレはないよ。オレはあそこで、勝負おもしろさを知ったんだ。あれがなければ、おれはこんなふうに戦えていなかったよ。たとえば、いま、負けるとするじゃないか。でも、そんなことは当たり前のことなんだよ。負けるなんて当然のことなんだよ。だってオレは何百回も、何千回も、何万回もあそこで負けてきたんだ。でも、そのたびに取り返してきた。戦ってきたんだよ。いまやっているゲームだって、負けることは当然ある。でも、そんなこと、ほんとうに当たり前のことなんだよ、ロールさん。だって、オレの心は、絶対に負けないんだから。勝つために、オレたちは戦い続けることができるんだから。」

【電遊奇譚:其七】敗北の先にある戦い

2024-04-16

anond:20240416112315

キモくて金のないおっさん」という言葉象徴されるように「キモい=非モテ」「金がない=貧困」を兼ね備えたおっさん弱者男性なのです。

貧困フォーカスしたがゆえに非モテ論壇からスピンオフした概念でもあるので、そうした歴史的経緯からしても年収条件はマストです。

平和象徴ボノボ、実は「ワル」がもてる? チンパンジー比較研究

ほら、やっぱり悪人モテるんじゃん…

2024-04-15

anond:20240415120717

ざっくりと、フェミ左派矯風会化と軌を一にした流れだとは思う。

ひと昔前、左派ポルノ人間性解放であり体制管理欲への抵抗象徴って言ってたのに今はえっちなのはいけませんになっている。

情緒保守もその影響を受けて(従属的に)立場を反転させている。

2024-04-14

彼女を作るのが難しくなった

私は今あまり彼女が欲しいという気持ちがない。

モテないわけではない。何なら年に一度くらい誰かしらから交際を申し込まれる。また、そういうことが起きるくらい異性との交遊関係も広い。

思うに、この「交友関係が広い」というのが問題の根幹を成す。ある程度ちゃんとした意味で「友達」が多いのである

肉体関係を持たず、たまに遊んだり、食事に行く。そういう異性の友人が少なくないくらいいる。

そして、こちらと「異性」として扱う気がない。別に肉体関係を欲していない。

もちろん、男友達みたいに扱ってるわけではない。彼女らは女性であり、性別による差は尊重している。

性欲がないわけでもない。けど一人でも処理できるのに、恋愛関係になりたいと思ってない友達と肉体関係を持つのは「使ってる」みたいで受け付けない。

そして友人らのうちごく一部から稀に告白されても「そういう関係じゃない」と思って断ってしまう。(付き合ったことはあるけど束縛関係が煩わしくて別れてしまった)

世の人たちは、異性と仲良くなるのに「友人関係」というカードを切るより「恋愛関係」というカードを切る方が簡単なんだろうな。

正直、確かに異性と仲良くなるのに友人関係に拘る必要は全くないと思う。

私も中高生のころに妙な哲学を拗らせなければそうなれてたと思う。

ちゃん女性と友人関係になる技能を身に着けてしまったのが多分悪い。大半の人は中高時代にたとえ拗らせてもここで失敗する。

そもそも「付き合う」とは何だろうか。私は別に異性と付き合わなくても遊びに行けるし仲良くなれる。

付き合ってないと二人で出かけるなどは何となく難しい気がするが、それは社会から圧力しかない。

肉体関係を持つこと、社会体裁を保つこと、あとは暗黙の束縛による支配欲を満たすのに「付き合う」が使えるのかなぁという気がする。

この価値観全然良くないと思う。

それなりに歳をとってきて、結婚願望は出てきた。

あと数十年後に(たとえ関係が冷え切っていても)自分社会的に承認してくれる象徴のようなものがいてくれると、どれだけ安心するだろうか。

将来の結婚を考えるならこの「付き合う」というプロセス必要なのだろう。

別に誰かと付き合いたいわけではないが、付き合った方がいいんだろうな。

そうは思っているが、女性と仲良くなる時に手癖でまず友人関係になってしまうため、なんかそういう関係にならない。困った。

anond:20240414094708

弱者男性不安から、柄物を着ると安心するんだよ

無地のシャツなんて不安で仕方がない

あとブランド物を買うお金気持ちもないので、せめて柄物で誤魔化したくなる

あと「チェックシャツ無難でオシャレ」と思い込んでるんだ

自分若い頃の流行を引きずってるから

から知識アップデートができずに弱者のままなんだ

モテないし、だからダサいし、そしてさらモテなくなる

負のスパイラルに陥ってるんだ

じゃあどうしたらいいか

どうしようもない

彼らは彼らのままだ

俺と同じように

人生を諦めてるんだ

チェックシャツはその象徴

チェックシャツは諦めのシンボルなんだ

悲しいけどね

からユニフォームだという指摘は当たっているんだよ

くそ

お前なんてうんこ踏んでドブに堕ちろ

2024-04-12

   人文社会科学系と、自然科学系の違いをどうしても述べると言えば、  人文社会科学場合はおそらく、 ゲーテもいうように、虹でも、15分も経過したら誰も見向きもしないだろうという

  のごとく、美しいものでも、数分を経過したら誰も興味がない。しかし、数学のような形而上学であると、偉大な定理は発表されたとき驚愕されるがその美しさは永遠には続かない。

  ウィキペディアでは、 1970年代に発表された7次元の超球の定理について、「現在では」  誰もに美しいと言わせるものではない、と述べている。しかし、数学定理一般的に、

   その美しさを失って陳腐な真理と化すまでには、30,40年はかかることを説明している。したがって数学でも、 永遠不変の美が存在するとは一般には思われていない。しかし、

  ウィキペディアによっても、証明技術については、永遠不変の美があるように書いている。

    ゲーテが、人間けが不可能なことをなしうるし、不可能を信じる者を神は愛すると書いているが、フェルマーの最終定理は、400年の間、不可能象徴であるとされてきた。定理はもちろん

  予想であり、それを確定できるかは、証明である。その証明不可能であると信じられてきた。しかしここでの形而上学においても、どうしても、永遠不変の美はないように書いている。

   すなわち、ゲーテ解釈すると、 人生有益ものから真を通じて美に至ることであると書いているが、 結論美の永遠性の不可能性についてはまだ誰も論じていない。

 

    

anond:20240412231451

かにあれは象徴的だったよね

結局この国は国内で当たり前に行われてる不正外圧がないと変えられないのは悲惨

2024-04-11

外国人講師が選ぶ「一番好きな日本語」 1位には「信じられないほど便利」と衝撃 2位「お疲れ様」に大差 - ライブドアニュース

https://news.livedoor.com/article/detail/26207863/

 3位には「大丈夫です」(12票)がランクイン。「『大丈夫』はすべてを乗り越えていけます」、「日本語の中でも最初に覚えるべきで、最も使い勝手の良い言葉だと思う。いろいろな場面で使えます」と便利さが高く評価された。

 2位は「お疲れ様でした」(13票)。「英語にはないフレーズだが、他人経験を共有したいという気持ちをあらわす素敵なフレーズ」、「日本労働文化の非常にポジティブ言葉で、励まし、評価、チームワークがいかに高く評価されているかを示していると思います」、「私たちはこれまで毎日仕事が終わって別れる時、同僚にお礼を言うことはありませんでした。これは素晴らしい考え方だと思うし、とても尊敬に値します」と日本独自文化象徴する言葉として評価された。

 そして、栄えある1位に輝いたのは、22票を獲得した「仕方がない(しょうがない)」。理由では「よく使います。信じられないほど便利です」と使い勝手の良さを評価する声のほか、「shouganai―この哲学を学べば、気分が軽くなる」、「自分の力ではどうにもならない状況を説明するのに使える、素敵なフレーズです」などの声もあった。

彼女を解剖したい

彼女は裸で、俺の横で眠っている。

寝息を立てて、心地良さそうに。

俺はプログラマーで、決して優秀ではないが、人並みに仕事は出切ると思っている。

ゼロから何かを生み出すことは出来ないが、コードを見ればどのような動作をするのか大体想像がつく。

から既製コードを応用することで仕事をしている。所謂リバースエンジニアリングというやつだ。俺はそれが得意なのだと思う。仕組みが原理還元されるような、そうした一連の流れには耽美ささえ感じられる。

俺は彼女の裸体を眺める。

付き合い始めて二年になるが、彼女のことを芯から理解できているとは思っていない。

心の底では何を思っているのか。

俺と会っていないときにはどうしているのか。

不安になるときがある。

もしも今ここにメスがあって、彼女お腹を縦に切り裂き、ピンク色の肝臓や、規律よく波打つ心臓を見れば、彼女のことがより理解できるのかもしれない。

規律調和だ。平和象徴プログラミングや、コードが裏切らないように。

俺は彼女のほっそりとした身体を見る。豊かな乳房を眺める。

俺は彼女の仕組を、還元したいのだと思う。

2024-04-08

推し活を始め、推し認知され、SNSブロックされるまでの1年半の感

全然面白くなかった!楽しみにしてたのに…」などと、Twitterに書いた。

そして、焦りが募るあまり、「ネタを書いてる山田さんにDMで連絡してみよう」と思った。

そのことと、DMに書こうとしている文面をTwitterサークルに載せると、

「これなら思いは伝わるはず。送っても大丈夫」との意見を他のファンからいただけた。

そして、めちゃくちゃ失礼ではあるけれど、山田さんにライブ感想DMを送った。

Twitterに書くまでは僕は全然問題ないと思う。自分感想表現するのは全く問題ない。

ただし、DMするのは、一線を超えてる気がする。

僕だけが頓珍漢な意見を言っているようにみえしまう。

なかなか厳しい戦いが続いた。

他の人と意見が異なることは別に、嫌がることではないと思う。

で、それをTwitterに書くのも問題ない。

でも、他人意見を変えようとして攻撃するのは良くない。

それを戦いって表現してることが、すごく象徴してると思う。

①と②、どちらかの人間が悪いとか、どちらの人間が正しいとかそういうことは無いと思う。どちらも本当に好きな人のことを愛しているだけであり、愛の形が2通りに分かれているだけだ。

本当にその通りだと思う。どちらが正しいなど無い。

だけど、たぶんこの人は、前述したみたく戦おうとして、相手意見を変えようとツイートしまくってたんじゃないかなと思う。

どちらが正しいなんて無いのに、自分相手攻撃してたんじゃないかなぁと思う。

差し入れを渡すファンを「厄介」「変なファン」と言ってしまったのは、悪い事なのであろうか。

これも別に特段悪いことだと思わない。言っても問題ないと思う。(まぁ悪いの基準って、程度と頻度によるから、一概に言えないけど、変なファンって一回言うくらい、別に問題ないと思う)

だけど、相手からは嫌われる言葉だと思う。

しかし、数時間後、洲崎さんはブロックを解除し、ツイートを削除した。

僕は、再度洲崎さんをフォローした。

これ、筆者は許されたと思ってそうだけど、別に許されたわけではないと思う。

「そんな限定された中で言うのもダメなら、ジャニーズファンとか全員犯罪者になるんじゃないかジャニーズファンとかみんなリアコだし抱かれたいとか言ってるだろ」など思ってしまうけれど、

結果としてバレてしまったら、書いた側が悪いということになってしまうのだ。

相手認知していない状態で、Twitterサークルで、クローズド環境でワイワイしてるのは、僕は悪くないと思うんだよね。

でも、なんかの拍子で相手に伝わって、相手が嫌がってるってるのがハッキリとわかっているのであれば、続けるのは悪いとも思う。

バレたから悪いじゃなくて、相手が嫌がってるから辞めるって感じかな。

新しくアカウントを作って、「ブロックされたので今後はこっちでラニーに関するツイートするかも。」と書いたら、そのアカウントブロックされた。なぜだ。

これはブロックされて当たり前だと思うけど。

同じく洲崎さんを応援している仲間たちと分かち合ってきた。敵対する人も多かったけど。推し活仲間と、推しへのいろんな想いを分かち合うことも、仲間同士で揉めたり、推しをめぐって対立することも、それもまた推しなのだ

でも、僕の推しにはそれが伝わらなかった。

分かってもらえなかった。

他人は変えられない。

僕のような人間は受け入れたくなかったのだ。まだまだ若手で、僕のようないろんな意見を言う人間のいうことを受け入れるほどの器は持てなかったのだろう。無理もない。仕方のない事だ。

他人は変えられないよ。



ちょっと擁護しようと、しっかりと本文読んだら、怪文書すぎて、度肝抜かれた。

ひとつ言えることは、この人は、相手言動から勝手意図を読み取って、自分の都合のいいように受け取ってる感じがした。

記事への僕のブコメは消そうと思う。勘違いされそうだから

2024-04-07

オッペンハイマー』観た。

元カノが死んでから自分を責めたり、実験の爆発を目の当たりにしてから水爆反対への心変わりに向かっていったりと、オッペンハイマーには自分のやってる事への当事者意識の薄さみたいなのがあるのかなって感じがした。

絶対悪」のナチスドイツなき後にもまだ(瀕死の)日本がいるじゃないか研究を続けて、いざ実験成功して投下した後になってから果てしない核軍拡競争への憂いで気持ちが揺れ始める。赤狩り時代が強調されてはいとはいえ水爆ソ連への牽制だという言い分にもあまり強く言い返せない。

ストローズの「奴は瓶から出した原爆魔神を元に戻そうとしてる」みたいな台詞は、オッペンハイマー憎しで出た言葉かもしれないけど彼のふわふわした感じを端的に表していたような気がした。トルーマンに腰抜けと一蹴されたのも。

学生時代に病んでたのは、物理学なんかやってると唯物論的な方面実存不安を抱えるようになるんだろうか。ピカソストラヴィンスキーに触れるシーンでそう思った。それに対してセックス不足だろと言われてたのも、そういう抽象的な事ばかり考えずに地に足つけて生活したら、的な意味だったんだろうか。共産主義唯物論は結び付けられて語られるようだけど、活動に傾倒していったのもそういう事なんだろうか。

日本にまつわる描写淡白だっていう感想もあるらしいけど、自分は投下後に言われていた「国内で抗議が"起こらない"のが心配だ」みたいな台詞結構印象的だった。

劇中で何度も鳴り響くオッペンハイマーの功績を称える足音軍靴の音に重なるものがあった。

実験シーンで爆破音を大分遅らせる演出は、まあそうなるだろうなあと思わせる猶予になってしまったけど、それを補って余りある ほどにオッペンハイマーが抱いたであろうアンビバレント感情を思わせられた。

「ほぼ0%」だからまあ大丈夫だろうと研究を続けたり、爆破の直前に賭けをしてたり、防護服を着る事もなく目視で爆発を眺めたり、実験成功すれば無邪気に熱狂する辺り、研究者達からはどこか呑気さを感じる。

それはしばしばハリウッド映画非難されていた核兵器への認識無頓着さへによるものではなく、むしろそういったものに関して意識的に描いているんだと思う。思いたい。核兵器が実戦投入される以前の出来事を描いたシーンでもあるし。

ローレンスやラビ出会いから関係比較的重点的に描かれてたけど、他にも色々と博士政府人間が出てくる中で、それ誰だっけって人名が飛び交ったりして分かり辛い部分も多かった。

証人に呼ばれたローレンスと廊下鉢合わせて、結局彼が来なかったシーンもいまいち意味が分からなかった。冒頭の1. 核融合 2. 核分裂も何か象徴的な事を言っているのだろうけどいまいちよく分からなかった。

ただ3つのパートが徐々に絡み合っていってオッペンハイマー人生が語られる感じは、テネットとかインセプションに比べたら大分と分かりやすかった気がした。

プロジェクトX、よりは粛々と進むマンハッタン計画、胃が痛くなるような小部屋の尋問ストローズの閣僚入りに向けた公聴会、というそれぞれのシーンの要点を抑えた上で2度目に観たら前半の印象も大分鮮明になってより分かりやすくなった。

今の所世界は滅んでないけど核兵器も滅んでいないらしいし、これからどうなんでしょうねえ。この手の作品を観て大量破壊兵器よろしくないですねえ、平和は個々人の意識によって作られるものですよねえ、というポーズを取りつつ、まあ言うても別にボーッと生きてたって自分の生きてる間くらいは大丈夫っしょ……って思ってる自分がいますねえ。

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