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はてなキーワード: 象徴とは

2023-05-30

anond:20230530151516

リストラ流行ったんだよなあ

今にして思えばあの時代から日本は成長が右肩下がりになっていった

モーニング娘。LOVEマシーンがヒットして

日本未来はウォウウォウウォウウォウがパンチラインになったが

あれは当時の日本の暗い雰囲気を吹き飛ばそうとする空元気感の象徴だった

anond:20230530144743

大谷選手コスメデコルテCM

https://www.fashionsnap.com/article/2023-03-27/cdecorte-shoheiotani-wbc/

ブランド大谷選手を、ブランド象徴する人気エイジング美容液リポソーム アドバンスト リペアセラム」のヴィジュアルに起用。3月15日情報を解禁し、翌16日は百貨店での新規購入数が通常時の3.6倍を記録し、公式オンラインブティックでの販売個数は通常時の約20倍という飛躍的な数字を叩きだした。その後8日間の1日平均では、店頭販売数が通常時の2.6倍、公式オンラインブティック販売個数は通常時の6.7倍で、購入者の半数が新客だったという。また、主要百貨店での男性購入者が通常の7.5倍に伸長するなど、大谷選手を起用したことで新客および男性からの注目が高まったことがうかがえる。

 さらに、WBC決勝戦が放映された22日の正午台は売上が約2倍に急上昇。試合再放送された21時〜23時台も、同日正午と同様に売り上げが跳ね上がった。店頭は平日でも行列ができ、一部の店舗では整理券対応が発生するほどの盛況を見せている。

だそうだけど

増田が「大谷翔平が美容広告に載ってるのに違和感がある」と言っても実際にそれで売れたんなら成功だったんじゃね

まあ大谷へのギャラを取り返せるほどに売れたのかどうかは知らんけど

男性への売り上げが増えたなら、これをきっかけにメンズコスメ買い続ける男性も増えるかもしれないという期待も出てくるだろうし

anond:20230529141423

マンガキャラクターを崇拝するのは、医学的な問題がある場合にのみ「狂っている」と言えるでしょう。たとえば、マンガキャラクターを崇拝することで、日常生活に支障をきたしたり、他人危害を加えたりする場合は、精神的な疾患の可能性がありますしかし、マンガキャラクターを崇拝することで、癒されたり、励まされたり、生きる力を得たりする場合は、決して「狂っている」ことではありません。

マンガキャラクターを崇拝することは、人々が自分自身自分人生をよりよく理解するのに役立つ方法です。マンガキャラクターは、私たち自分自身に欠けている何かを象徴していることがあります。たとえば、強いリーダーシップを求めている人は、強いキャラクターを崇拝するかもしれません。また、マンガキャラクターは、私たちが直面している困難を克服するための手本となることもあります。たとえば、困難な状況に置かれた人は、困難を克服したキャラクターを崇拝することで、希望を得ることができるかもしれません。

マンガキャラクターを崇拝することは、決して悪いことではありません。むしろ私たち人生をより豊かにする方法です。

2023-05-28

今のコスメがすごくてちょっと心配になるレベル

女性賃金が足りないというのはずっと言われ続けているが

ずっと横ばいの男性に比べて女性賃金はずっと微増してきた

30年前は女性賃金男性賃金が60%くらいだったが、最近は75%程度らしい

https://www.mhlw.go.jp/toukei/itiran/roudou/chingin/kouzou/z2021/dl/13.pdf

18,19ページ

 

そうなると企業女性向け商品を増やしていくわけだけど

そのなかでコスメは割とエグい進化を遂げている

 

コスメというのは商品の中でも「買って使ってみないと分からない系」である

健康食品のように「使ってもわからない系」よりはマシであるが、こういうのはどちみち「いかにガワをよく見せるか」「どうPRしていくか」の勝負になってくる

中身の本質的価値もそうだけど、ブランディングがメインになってくるわけだ

美に対する正当な評価というのは難しいし主観が入るので、とにかく物欲に訴える仕掛けが満載である

 

最近コスメコーナーへ行くとすごい

・人気アイドル、人気モデルとのコラボの嵐

・特典がめっちゃ多い

キラキラした物欲をそそる入れ物

@cosme◯◯年◯◯部門1位!の文字ほとんど全部1位)

そしてSNSを見ればインフルエンサーコスメPR

友達の盛れた報告

 

男の私が見ても「ああこれは物欲を止められない」とわかる

10女性にはプチプラキラキラしたコスメ提供

大人の女性にはハイブランドコスメ商品が購買欲を刺激してくる

 

これは容姿に興味があるならハマらないほうが無理だと思うんだが

話を聞くと「ほとんど使い切らずに次を買う」らしい

まりこれはコレクションアイテムなんだ、使うものであるはずなのに、購入・手に入れることこそ目的になっている

ジャケ買いパケ買いもよくある

特に若ければ若いほどそれが顕著だ

年をとると「そういうのは持ち帰ってから使わないしお金無駄」と気づくんだが、若い人はそれに気づけない

企業戦略も、そう言う人達を狙っているとしか思えない

リピートさせるよりも、物欲必要以上に買わせるのが正解になりつつある

 

そういうやり方をしてるビジネスの行き着く先は大体決まっている

正直少し心配している

 

参考

https://togetter.com/li/2155387 

コスメ市場規模の推移

https://gyokai-search.com/3-kesyo.htm

2018年時点の若者の化粧行動

https://www.cosmetic-culture.po-holdings.co.jp/report/pdf/181214henka.pdf

2000年移行の二人以上の世帯における年間化粧品支出東京、全国)

https://www.jcia.org/user/statistics/consumption

 

色んな統計を見ると、2019年までコスメ市場は急拡大して、コロナで一旦落ち着いた状態と思われる

コロナ明けでどうなるか

 

_____

 

うーん、あまりピンとこなかった?

事実として「1人あたりのコスメ代が増えている(特に都市部コロナ禍除く)」ってのはあるよね?

体感として「射幸心が昔より上がっている」ってのがある

そして自分の周りの女子学生の行動で「これ可愛いから買う」という中身や在庫無視の消費行動が見られた(N=10くらい)

データはないが「インフルエンサーマーケティングで若者に訴求しやすい状況がある」というのもあり

結果心配ってのは間違ってないと思うんだけどな

アットコスメ原宿店ができたのとか象徴的に思える

あとサンプルはいつ見ても使い切られてるし、サンプル使わずパケ買いする人結構いるかやばい

 

昔も似た状況はあったんだろうけど

昔より射幸心上がってないか?と言う懸念

カテゴリとしてはコンプガチャあたりに似てる懸念

2023-05-26

現状維持は停滞、いいものを長く使うことは長期の停滞を意味する

いいものを短く使うが正しい消費者

大量消費がベース

経済を停滞させるなんてもったいない

令和においてロングセラーとは主力商品や社の顔とはならず停滞の象徴となるだろう

2023-05-25

たばこデブおっさんっていう悪臭象徴みたいなおっさん

臭いが服を着て歩いてる

どうにかなりそうだ。どうにかしてくれ

国民全員に平等ゾーニングする権利を与えたらいいんじゃないか、と思った。

自分は前職でのパワハラセクハラのせいで、スーツ来た男性見ると嫌な気分になるようになったし、

そういった人権侵害や抑圧を産み出すヒエラルキー構造象徴たる企業という存在を心から嫌悪している。

から労働を賛美するような広告、例えば綺麗事を並べた求人広告は滅んで欲しいと思ってる。「働きがい」とか見ると反吐が出る。

こんな感じで、誰にだってトラウマはあるはず。

誰もが行使できる権利としてゾーニング権を付与する。

自分だったらどう使うか考えてみてほしい。

2023-05-24

サヨクと言う名のファシスト

先ず悪い奴らにはあだ名をつけよう。悪い奴らだから劣悪とわかるほど良い。

中心的人物は悪の象徴だ。悪魔だ。

悪魔絶対的な悪なのでどんな怒りでもありったけぶつけよう。

私たち悪魔に虐げられている弱者であり絶対悪に対しての絶対的正義だ。

少々言葉が荒くなっても悪魔がそれだけ悪いことをしているのだから悪魔が悪い。

絶対正義である私たち攻撃する人間は悪に染まった悪魔の手下だ。

悪魔私たちのような正義のフリをするな。許さない。

anond:20230524101129

いいぞその勢いで日本の男の象徴JTC家電メーカーぶっつぶしてくれ

ついでにドラム式洗濯機の中の埃分解しないと掃除できない問題も頼むわ

2023-05-22

広島出身首相という持ち札を最高の形とタイミングで場に出した

今の国際情勢で、G7広島で行い、各国のトップ平和記念公園で献花し記念館を見学したこと自体政治におけるメッセージ性は高いと思う。

さらインドのモディ首相がこのタイミング非暴力不服従運動象徴の人、ガンジーの胸像を広島で除幕したり、ゼレンスキー大統領を各国と迎えた意味も大きい。

そればかりでなく、韓国現職大統領広島訪問が初、かつ、韓国原爆犠牲者慰霊碑日韓両首脳が揃って献花してることの意味も大きい。日米韓首脳会議の前にこの献花を出来ていることの順番も大切だと思う。

安倍晋三麻生太郎や、安倍から首相になった人だったなら、日本がこのタイミング議長国やっていても、実りあるものは産んでいないだろうな、と思う。

2023-05-21

ロシア擁護リベサヨを許さな

世界では「ロシア擁護するのは極右だけ」が常識なのに日本では自称リベラル自称サヨクロシア擁護してる。

いくら別件でリベラルっぽい発言をしててもロシア擁護と受け取れる発言ひとつでもしたら「貴方は(自分では左翼リベラルのつもりでいても客観的に見れば)リベラルではなく極右です」と断定してしまってもいいのかもしれない。

個人的には「そもそも極右極左に違いなんかなくて、最初から反米(というかアメリカ象徴される自由民主主義男女平等などの価値観が嫌い)主義で、敵の敵は味方の発想から反米っぽいものなら何でもかんでも思考停止擁護するという点において、一致している」という説をとりたい

2023-05-20

アメリカ首相原爆記念館に行くけど、日本中国御免なさいしたのか?

単に俺が知らないだけなのかも知れねえけど、少なくとも俺は聞いたことがねえんだよなあ。

満州国とかラストエンペラーとかあの辺はやっぱかなりクソでさ、そういやラバウルとかの方にも大分謝らなきゃいけねえ気がするんだよ。

でもその辺を西欧諸国による侵略から救ってやったんだからトントンじゃねーかむしろ釣りが出て感謝されるぜってふんぞり返ってるようなイメージあんだよ。

なんかニュースでも事あるごとに日本が昔「解放」した地域人達が「ニホンジンダイスキーアリガトー」と言ってますよみたいな話が聞こえてくるのがなんか大本営発表の続きみたいだよなって。

あゆーて謝罪半分開き直り半分でやってくしかねえのが歴史との付き合い方だってのは分かるよ。

アメリカが今更インディアンにどんなに謝っても戻せねえものが多すぎるし、侵略象徴たる銃の携帯正当化するのを辞めて成立させられる社会構造にするにはあと200年ぐらい必要だろうってこともな。

日本満州関係もそういった曖昧な道の途上なのかも知れねえ。

でもさ、なんつーかもうちょい「我が国ちゃんと謝りに行きましたよ。エライ!」ってニュースを定期的に聞きてえんだよなあ。

そこに漬け込まれそうだから謝らないじゃなくて、謝った上で漬け込ませないっていうアメリカナイズされた外交的強さを持って欲しいんだな

萌え絵批判されるのはそれが象徴から

フェミニスト統合のためのね。

現実の、個々の問題や生きづらさにフォーカスを当てて原因を考える分析的な思考統合を阻害する。

(一部の)フェミニスト女性一方的被害者であることを述べ伝えること自体目的となっており、その世界観が教えと救済の根幹になっている。

ホストの件でフェミニストが何もできないのはその理由

問題認識抽象化され続け、現実の複雑さから純化された帰結萌え絵批判

なんかいつも広島平和反核象徴みたいに扱われてるけど

長崎の人らはどう思ってるんだろうか

2023-05-18

NTRとその効用

 NTR的視座を持って生きることは人生を豊かにする。

 それは、つねにおもいがけない可能性に対して開かれた態度であり、慣習的な物事の結びつきを超えてあらゆる未来否定せず、支配と被支配の天地すらもあいまいに塗りかえる。そうした状態政治性を求めるのならば、こういいかえてもいい。NTRとは革命である、と。

 NTRの宿る瞳は風景革命する。たとえば、あなたは都会とも田舎ともいいづらい、郊外住宅地に住んでいて、そこにしゃれたパン屋さんが建っているとする。味はそこそこで、町のなかでさえ注目度は低い。あなたはその店へ日常的に通い、品揃えと定休日完璧に把握し、なんとなれば五回に一回は店主が声をかけて二言三言挨拶をかわす。ちゅうくらいな好ましさがある。

 ある休日幸福な遅起きをしたあなたはその店に向かう。しかし閉まっている。開店時間は過ぎているし、定休日でもないのに。店の扉に張り紙がしてある。「Aデパート地下街新春スイーツフェア出店のため、誠に勝手ながら、〇日~×日はお休みさせていただきます」。

 世界がすうっと冷えて遠のいていく。

 そのデパート毎日百万人が乗り降りするような規模の駅の前にそびえている。

 そこに行くと、よく見知ったパンが知らない装いで売られており、おそらくあなたが手をふったとしても、他人のふりで無視されてしまう。三百円の買い物ごとにスタンプを捺してもらっているあなたカードも、存在しないものとされるだろう。

 もうあのひとかみごとに皮が崩れ散るクロワッサンも、あの固くなった餅のような生地ベーコンピタも、もうその手には届かない。あの店は二度ともどってこないではないか。そんな感覚あなたは襲われる。

 開期が終わると、パン屋はもどってくる。以前の顔のまま、あなたのとなりに、なにひとつ変わっていないかのように。

 だが、変わってしまったのだ。なにかが決定的に以前とは違うのだ。

 営業再開初日朝一番あなたはその店を訪れる。柔和な顔立ちの店長が、変わらぬ笑顔で「焼きたてですよ」といいながら、あんパンを棚にならべる。あなた礼儀正しく待ったあと、ひとつをトングでつかみ、瓶入りの牛乳といっしょにレジに出す。

 店の外のベンチで、あなたあんパンにかじりつく。

 あなたが知っているかはわからないが、あんパンパンのなかでもっと官能的なパンだ。NTRを体現している。それはおはぎと逆の極にある存在だ。おはぎで餅米を包んでいたオラオラ系のあんこが、西洋象徴であるパン出会ったとたん、しずしずと包まれるに甘んじている。 あなたあんこパン咀嚼しながら、自分が今、寝取っていると同時に寝取られているような、ふしぎな感覚を味わう。それこそがNTRの奥義だ。シナイ山モーセはふたつの神の名を与えられた。ひとつはYHMH。もうひとつはNTR。発音できないことはそれ自体神聖さの証だった。

 能動受動ーー寝取りも寝取られもNTRというひとつ言葉に封じられている。わたしたちはそうした矛盾を孕んだ言葉を何の違和感ももたずに使っている。どちらでもあり、どちらもない状態こそが自然なのだ。そうした状態自然にすることで、わたしたちは今ある景色転覆できる。


 NTRという言葉の両義性に想いを馳せるときわたし菅井の顔を思い出す。

 九十年代の善き日々に、わたしフリーランスでいわゆるNTRビデオレターディレクターをやっていて、彼はそのプロデューサーのようなポジション助監督的な雑用からポストプロダクションまでを一手に引き受けていた。

 あの時代を知らない子どもたちには、NTRビデオレターヤラセだと思っているものも多いと聞く。たしかにそうした側面があったのは否定できない。特に大手制作会社がAVのついでに量産しているようなものは、最初から商業的な流通を折り込んで、俳優を雇って制作されていた。

 だが、わたしのいた現場みな本物で真剣だった。寝取るほうには寝取るもの矜持があり、寝取られるほうには寝取られもの葛藤があり、そしてかれらを撮るわれわれはそうした昏い機微、愛の真理といってもいい、そのさざなみのような感情を、一コマも撮り逃すまいという気概があった。誰もが真剣に傷つけあっていた。

 独立系の低予算のチームである。撮ってくれと頼むのも、大手発注できないような貧乏若者ばかりだ。ビデオレターを撮って、送りつけたい。その情熱が何よりの対価だった。

 菅井もそんな情熱しか財産を持たない若者のひとりだった。彼と出会ったのは大学のあるサークル飲み会のことだ。三次会だったか四次会だったかを先輩の家に転がり込んでおっぱじめ、みなひとしくへべれけになったノリで、先輩が「おもしろものがある」とVHSテープを取り出した。

 それは当時話題になっていたNTRビデオレターで、メーセッジを収録している最中寝取られ女性(四十代の主婦という触れ込みだった)が感極まって泣き出し、泣くのはよくあることだったが、その上にすさまじい量のゲロをぶちまけて寝取り役も撮影スタッフも大騒ぎ、という内容だった。要はネタビデオである。皆視聴済みの有名作で、先輩もそのことをわかっていたはずだけれど、みな初めて観る体で盛り上がった。

 そして、例のゲロの場面が来ると、みんなで爆笑した。わたしも笑った。下に見る笑いだった。そうした笑いを仲間内で共有することが結束である、と信じていた。

 だが、菅井はそうでなかった。

 それまで部屋の片隅でちびちびキリンなどをやっていたのがいきなり、「笑うな!」と叫んだときは、おどけた反語表現なのかなと思っていたが、先輩にくってかかるに及んで本気だとわかった。

 押し倒された先輩の顔に浮かんでいたのは暴力を振るわれた怒りではなく、驚きと困惑だった。わたしたちも止めるでもなく、ただひたすら唖然としていた。先輩もわたしたちも、NTRビデオレターに対して真剣になる人間がこの世に存在するなどとは思わなかったのだ。 菅井酔っ払いすぎだとして家に帰され、後日、酒の席のことと暴行は不問にされた。菅井サークルで、なんとなくアンタッチャブル存在になった。

 サークルの他の人間たちとは逆に、わたし菅井に興味を抱いた。

 当時のわたしはNTRビデオレターの大半をヤラセだと考えていた。そうした作り物にたいして、あそこまで入れ込める人間がいるというのは不思議というより驚異だった。

 菅井はふだんから近づきがたいオーラを発している類いの一匹狼だったが、こちからしかけると意外に愛想良く応じてくれた。

 彼のNTRビデオレターについて該博な知識を持っていた。その歴史からジャンルゲームチェンジャーとなった名作の存在業界構造まで、事細かにしかも大変おもしろく教えてくれた。良い教師だった。

 あるとき、彼の部屋でふたりだけで宅飲みをしていたときわたしは彼に訊ねた。「どうしてNTRビデオレターにそんなに興味を抱いているのか?」

 菅井は、酒気に染まった赤ら顔しばらくゆらゆらさせたのち、立ち上がり、押し入れからひとつのVHSテープを取り出した。

 部屋の明かりを消し、無言のままビデオデッキにそのテープを挿入する。あまり上等とはいえない画質に、ベッドに座った二人の裸の男女が浮かび上がる。男のほうは下腹が出ていて、若いようにも中年のようにも見える。女のほうは透き通った印象の美人だった。

 男のほうがピースをしながら口上を述べる。さしてオリジナリティのない、平坦なセリフだった。菅井はその口上にかぶせるように、ぼつぼつと、VHSテープの来歴を語りはじめた。

 ビデオに映っている女のほうは菅井の伯母であるという。知的でやさしくて、幼心に憧れの存在だった。伯母夫婦には子どもこそいなかったものの、傍目から見れば、仲睦まじく、理想夫婦といった趣に見えた。夫婦菅井をかわいがってくれ、週末にはよく遊びに連れて行ってもらったそうだ。

 その伯母が急な病で若くして亡くなった。菅井高校生のころだ。意気消沈する伯父を励ますために、菅井は伯父の家をたびたび訪問して話し相手になったやった。

 しかし、伯父は一方的に話す菅井に黙って相づちを打つだけだった。菅井が三人で出かけた思い出を語らおうと、アルバム場所を聞くと、伯父は「焼いた」といった。そこで菅井は初めて、家の中から在りし日の伯母の写真という写真消失しているのに気づいた。

 菅井はそのことを問い詰めようとしたが、伯父の返答は要領を得ず、ついには泣き出してしまった。

 菅井は長らく伯母について伯父の前で触れずにいた。だが、大学進学が決まって伯父の家に挨拶へ行った日、めずらしく伯父が上機嫌で出迎えてくれた。自分から菅井にいろいろ話しかけてきた。流れで伯母の話題にもおよび、ひさしぶりに伯母の思い出について深く二人で語り合った。良い時間だった、と菅井はいう。

 微笑みながらも目頭を熱くしていた伯父は、ふと思いついたように席を立って、どこかからかVHSテープを持ち出してきた。なにそれは、と菅井が訊ねると、伯母の映っている唯一のビデオだという。

 そして、菅井と伯父はそれを観た。ふたりとも、ひとことも喋らなかった。

 伯父の訃報を聞いたのは、菅井大学下宿引っ越した直後だった。自殺だった。

 わたしたちの観ているビデオレターは山場にさしかかっていた。VHSと自らの由来を語り終えた、菅井の横顔はブラウン管の青い光にぼうっと照らされ、かそけく浮かび上がっている。画面を凝視している。そこにあるのが歓びなのか、哀しみなのか、あるいはまた別のなにかなのか、推し量ることはできない。

 その横顔に、初めて世界を知らない角度から見た気がした。

anond:20230518164139

紺色水着は、フェチ象徴ってことにすればいいと思うんですね。

紺色水着性的嫌悪感社会的高まると、ぜったい、フェミニストが紺色水着をやめろー

エロい紺色水着を着せるのは人権侵害だーって言いだしてくれる。

そのためには、紺色水着エロ漫画をたくさん流通させるのです。

「傷ついた」人を中心とする集団の持続(不)可能性について

大学ハラスメントを看過しない会というツイッターアカウントは、bioにもあるように「早稲田大学文学学術院元教授文芸批評家からハラスメント被害に遭った原告A /深沢レナとその支援者からなる団体」であり、無記名ツイート深沢氏本人によるものであるという。

先週末にこのアカウント(無記名なので以下深沢のものとみなして進める)が「ブラック団体」という言葉を用い、それに対して差別的用語だという指摘がなされるという一件があり、そこから支援者を巻き込みつつ揉め事的なやりとりが5日間にわたって続いている。

メンバーが体調崩しちゃったのでちょっと活動休み

いろいろと対応、お待ちください。

健康生活や家庭を壊してまでやらなきゃいけない活動なんか、絶対ブラック団体になるから

これは自分も常に気を付けなきゃいけないなって思う。

https://twitter.com/dontoverlookha1/status/1657404178275377157


常識的に考えれば「勉強不足で使ってしまいました。ご指摘ありがとうございます。以後気を付けます」で終わる話なのだが、深沢氏本人が「なぜこんな大変な思いをしている私に配慮せずそんな指摘をするのですか。それが本当に正義なのですか」というようなことを長々と言い続け、支援者たちも「大変なあなたはわるくないよ」「これいじょう深沢さんを傷つけるのは控えていただけないですか」と群がり、とはいえ指摘した方もそう反撃されて収まるものでもなく、今に至っているようだ。

でもこういうのは、やはり「勉強」しなくては知りえないわけで、毎日裁判やその他もろもろの加害によって、その「勉強」の機会も時間も奪われているわたしからすると、それを奪っている側の方に、あらゆる加害行為をまず止めるよう尽力して頂きたく思います

https://twitter.com/dontoverlookha1/status/1658009876482891776

わたしが大変な日常についてどれだけ発信しても、励ましの声をくれるわけでもない。活動支援してくれるわけでもない。普段交流があるわけでもない人が、突然、リプで「それは差別です」とだけ指摘し、その問題について詳細に説明する手間もかけないの、ほんとにそれは「人権意識の高い」行為なのか?

https://twitter.com/dontoverlookha1/status/1658417437589786627

支援者の一例

から失礼します。深沢さんがおっしゃられているとおり、mamegomaさんがおっしゃっている内容に対する応答はすでに深沢さんの過去ツイートhttps://twitter.com/dontoverlookha…)によってなされていると思いますので、どうか深沢さんをこれ以上攻撃するのをやめていただけませんか……?

https://twitter.com/hydropunk_2019/status/1658520258309931009

坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」のか、なぜか深沢氏は「トランス差別反対」にまで疑問を呈する事態に。

今回執拗に叩いてきている人たち、トランス差別反対を掲げている人が多いような気がするんだが、これはなぜだろう?

https://twitter.com/dontoverlookha1/status/1658481316260884482

支援者までも同調

また、彼らは「トランス」という括りでトランスの人たちの考えを単一化しているため、それ自体トランス差別になってしまっているわけだけど、その点はわかっているのかな……。

https://twitter.com/hydropunk_2019/status/1658988608190300161

下記のTweetは、「傷ついた」「恐怖を感じる」などヴァルネラビリティを全開にしたコミュニケーション手法が持つ限界象徴しているように思う。

ちょっと頭回らなくなってるんですけど、わたしツイートご覧になってるのなら、わたし今日どういう一日を過ごしたかもご存知ですよね? あなたRTやリプはこちらの痛みや疲弊に対して全く配慮がなく、正義感が先立っていて、恐怖を感じます。このようなやり方で、差別がなくなると思うのですか?

https://twitter.com/dontoverlookha1/status/1658511719982043137

深沢氏は被害者として感情が揺れ動くことがあり、それをTweetで綴っていくので支援者たちは見過ごすことができず逐一なぐさめの反応をしなければならない。

反応を怠ると「わたしツイートみてないのかな」とか言うに決まっており、次なる攻撃対象となる危険性もある。

こういう場合コミュニケーションは非常に難しく、全員が極度に疲弊していく。

2023-05-17

みんな堀井体裁繕いにマジレスし過ぎ

なぜ、選ばれなかったビアンカ独身を貫いたのか?その切ない理由を『ドラクエ』生みの親、堀井雄二氏が語る | インサイド

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.inside-games.jp/article/2023/05/16/145936.html

 

ビアンカがなんで独身を貫いたのかってプレイヤーに嫌なものを見せるために決まってるじゃん。

リメイクを重ねたことでみんなの記憶も塗り替えられてるんだけど、一番最初の5ではビアンカ選ばない奴は人でなしから

明白にそういう風に作られてる。

 

奴隷生活してた主人公にとっては数少ない子供時代の思い出と幸せ象徴でもあり

ビアンカ自身お母さん死んでお父さんも体壊してほぼ一人ぼっちの心細い身の上になってて

一方でフローラなんて父母健在で裕福で引く手あまたで主人公との間に特別絆もない。

奴隷時代のこと話したとしてフローラが何かわかってくれると思うか?ビアンカはきっとわかってくれる。

地元にはフローラを慕ってる特別な男までいて、この男が優男なりに本気でフローラの為に頑張れるやつで試練の為に重傷まで負う。

 

どういう角度から言ってもプレイヤービアンカを選ぶようになってるのよ。

フローラを選ぶのは「わざと有り得ない変な選択肢を選ぶ」に近い、しっくりこないルート

そういう風にはっきり差がついてるのが元々の4の面白いとこだった。

フローラは「裏ルートだけど選べますよ」って言う自由さが面白いというか。

 

からなんでフローラルートビアンカ結婚しないかって

プレイヤーに嫌な思いをさせるためにきまってるじゃん。

「お前が有り得ないひねくれた選択肢を選んだ結果ビアンカは寂しいことになっていますよ」を見せてくれる、

そういうサービスであったに過ぎない。

 

からフローラプレイヤーが選ばなくてもさっさと優男と結婚して幸せそうにする。

ビアンカを選んだ時に「お前の選択は間違っていたんじゃないか?」というメッセージは一切現れない。

最初の5は明確に「正解ルート」「裏ルート」に分かれていた。

 

であるから

「お前がふざけて変な選択肢を選んだせいで世界が壊れた」感を

ずーっと抱かされながら歩んでいくのが元々の5のフローラルート醍醐味

 

 

でなんで堀井がそれを正直にそう言わないかと言うと

「お前が選ばなかったせいで可哀想なことになってるビアンカ」の表現としての未婚

これはやっぱり大っぴらに言っちゃいけないことだし、

当時ならまだしも今の時代では許されにくい発想だからだよ。

 

こんなことモロに言ったら非難囂々だから

まあシンプルに古い男のロマンみたいな簡潔な答えにしてる。

 

でも最初の5をやった人、

そして目配せをちゃんと読み取れる程度には鈍くない人、

更に何度も重ねられたリメイクイメージ上書きされずに初期を覚えてる人なら、

堀井ビアンカ選ばなかったプレイヤーを刺し続けるために周辺のことをデザインしてた

ってのは自明のこととして理解してるよね。

 

Q.なんでビアンカ結婚しないのか。

A.プレイヤーへの嫌がらせです。

  

  

あとは蛇足だけど 

堀井はそれなりに「アップデート」する人だし同じままリメイクしてもしょうがいから 

リメイクを重ねるにしたがって天空の花嫁をどんどん人間化していくとともに

フローラにも主人公との絆を追加したりおもろい人格を強化したりして

フローラを「捻くれ裏ルートからビアンカと対等な花嫁候補」に変えていったんだよね。

からリメイクしかやってない若い人は最初から対等なヒロインたちってイメージしか持たない。

  

その発展性の極みがデボラで、

ビアンカ以上におもしれー性格だし健気さも垣間見せてくるので

ビアンカよりもデボラのことほっとけない!」って思うプレイヤーが多発するようになっている。

  

で、選ばなかった場合は未婚を通してるの見せつけてプレイヤー嫌がらせしてくるでしょ?

フローラビアンカを対等に戻した次はデボラでまた刺してくるっていうことをやっている。

ビアンカはもう「選ばないと人でなし」という絶対ヒロインではなくなったか

DSリメイクで選んだビアンカにこそ本当の自由意思によるビアンカ花嫁ルートと言う感動があるんだよ。 

  

何度でも繰り返された物語の果て

王道や正解や宿命運命という縛りから解放され

純然たる自由意思で選んだビアンカこそが俺達が最後最後に手に入れた本物のビアンカだったってわけ。

  

(なおスマホリメイクは未プレイなのでどうなってるかしらん。)

俺が「推しの子」を第一話で見るのをやめた理由と、「アイドル」で露呈したikuraの限界、あるいは「アイドル」という誰にも歌えない歌について

昨日投稿した記事がとてもありがたいことに伸びたので、調子に乗って別の話をしようと思う。軽い気持ちで書いてたらクソ長くなった。

これを読む前に注意してほしいのは

・これはアニメ推しの子」を見た感想だということ(漫画ではない)
ネタバレが含まれること
・全部俺の主観的意見にすぎないこと

だ。

え、「アイドル神曲やん

YOASOBIの「アイドル」を聞いて、これはすごいと思って推しの子を見た。

そして第一話でアイが殺されて「??????」となった。あまりにも納得がいかなかった。それは以下のような理由による。

第一話、そして主題歌アイドル」で提示されたこ作品テーマ性について

偶像としてのIdolを死守する(「嘘が愛」とかアイっていう名前からも推察できるように)というのが最序盤のテーマだったわけで、そこに子供がいるっていう嘘を死守するっていう物語があって、さらにIdolとしてファンを愛してるっていう嘘(本当は誰のことも愛したことがないから)もあるから、その嘘が本当のこと(ファンとほかの人々を心の底から愛することができるようになる)になる、っていうのが大筋のストーリーになるべきだったわけだ。

その重要過程(アイが少しずつ成長していく)が完全にすっ飛ばされたので肩透かしを食らったという感、殺されるところでいきなり愛してるって言っていて、正直第一話だけだとアイに対して人間としての共感が全くできない。

この物語評価されている大きな要因としては、まず推しの子自分がなるっていう第一話のインパクトコメディ性、次にアイが死んでしまうっていうさらに劇的な展開。

これ自体別に悪くないと思うが、やはりアイが本当の愛を知る過程スキップしているので作品としての完成度が低下している。

たぶんその理由として乳幼児だと行動の幅が狭すぎるっていうのがあるのかなーと。簡単に動かせないから話を作りづらいっていうのがあったんだと思う。それをどうにかするのが脚本家仕事ではあるんだけど。でも子役ルートがあるならそういう問題もなくないか

また、アクアルビー父親に関する伏線第一話だけっていうのもつらいポイントではある。

どうしてもそこからストーリー展開が難しくなる。第二話以降の話は割と自由に進めることができるはず(ルビーアイドルを目指すとか、主人公父親を捜すとか)で、その辺の先の読めない感じは面白い

クール目の最後でアイが殺されたりしてたらもっとよかったんじゃないかなーとか思った。

何よりOPが完全にアイの歌なので納得のいかなさがすごかった。

「え!? この感じなのにこの1クールを全部このOPでやるの!?!?!?!?

となってショックのあまりここで見るのをやめてしまった。

次に、YOASOBI「アイドル」について(こっちのほうが喋りたい)

初めてこの曲を聞いた時とんでもない衝撃を受けた。

それは初めてYOASOBIの「夜に駆ける」を聞いた時に感じた衝撃と同じものだった。

まず、「夜に駆ける」が空前絶後のヒットを叩き出した最大の理由について述べようと思う。

もちろんこれは俺の意見であって、完全に正しいということを主張したいわけじゃない。別の意見があればコメント等に書いてほしい。

”この曲が大ヒットしたのは既存音楽流行りを踏襲しつつ、独自の要素を絶妙塩梅ミックスし、絶妙な斬新さを表現することに成功たからだ”と俺は思う。

これがどういう意味もっと分かりやすく言うと

今までの曲と同じようでちょっと違う、なんか斬新な感じがする曲がヒットする

ということだ。「白日」とかがわかりやすいかな?

音楽というのはほぼすべてが感覚で成り立っているので、それを正確に記述することは本当に難しい。

「夜に駆ける」が大ヒットした要素

「夜に駆ける」を語るにはまずコンポーザーのAyaseについて紹介する必要がある。

Ayaseはもともとボーカルとしてバンド活動を行った後、解散したのちいわゆるボカロPになったミュージシャンだ。

ボカロP:Ayaseを象徴する代表曲は「幽霊東京」や「ラストリゾート」が挙げられる。

初めてこの曲を聞いた時の俺の感想は、”よくあるボカロ曲だなあ”というものだった。

正直これらの曲はボカロ曲としては古典的な印象を与えるものだと思う。DTM感が強い、打ち込みで構成されたボカロ曲……という感じだ。

しかしここで重要なのは、実はこれらの曲でAyaseのパーカッションリズムに関する凄まじいセンスが光っており、それが当時のネット音楽トレンドにぴったりとマッチしてある程度の人気を博していたということだ。

Ayaseのリズム感に関する才能には目を見張るものがある、というのは上記の二曲を聞けばたぶんわかってもらえると思う。もちろんこの曲が発表されてから時間が経っているので、当時は真新しくとも今では多少風化しているように感じるかもしれないけど。

「夜に駆ける」においてもそのリズム感が遺憾なく発揮されている。ただ、この曲がそれまでのAyaseの曲と大きく違うのは

・繰り返される転調

ボーカリストikuraの存在

だ。

この二つの要素が、「夜に駆ける」が大ヒットした要因だ。


一つ目の繰り返される転調に関しては「夜に駆ける」を聞けばわかる。最後Cメロのところとか二回くらい転調してる。で、たぶんなんか普通の転調とは違う感じがする。音楽知識がないのでその辺はわからないけど。まずそこの斬新さがある。異論は認める

ボーカリストikuraについて

「夜に駆ける」がヒットした最大の要因だと思う。


個人的に、歌手ikuraの卓越した点は二つ。

ikuraが持つ優れたリズム
自我の顕れない説得力のある歌声


まずikuraが持つリズム感についてはもうとりあえず「夜に駆ける」聞いてみてほしい。歌詞の子音がバスドラとクラップ気持ちよくハマっている。

この文章を書くにあたって今一度「夜に駆ける」を聞いていたら、そのikuraのリズム感の素晴らしさについてちゃんと語りたくなったので細かく述べる。興味ない人は飛ばしてください。

イントロの”沈むように「溶けて」いくように”の「溶けて」のリズム感が良い

・”二人だけの空が広がる夜に”ここのリズム感は全部いい

・その次の打ち込み感のあるピアノめっちゃいい

・”さよなら「だけだった」”の「だけだった」のリズム感が良い

・”その一言で「すべ『て』がわかった」”の『て』が良い

・”日が沈みだした空と君のすが「た」”の「た」のリズムの取り方がマジですごい

Bメロの”いつだってチックタックと「鳴る世界で」”の「鳴る世界で」のリズムの取り方がすごい。

Bメロの”触れることな言葉うるさい声に涙が”ここのリズムは全部すごい

・サビの”騒がしい「日々に」笑えない「きみに」”の「日々に」と「きみに」のリズムの取り方がすごい。

・二番のBメロは正直全部リズムの取り方すごい。”信じてたいのに信じれないことそんなのどうしたってきっと これからだっていくつもあってそのたんび怒って泣いてくの”ここがすごくいい

・その後のピアノソロめっちゃいい。

Cメロの”もういや「だって疲れただって」”の「だって疲れただって」のリズムがすごい。

ここにリズムの優れた曲を作るAyaseとのシナジーがある。偶然にしては出来すぎたユニットである

これが「夜に駆ける」がハマった一つの理由

次の”ikuraが持つ自我の顕れない説得力のある歌声”について

これは説明がとても難しい。

歌手には二種類のタイプがいると俺は思う。それは、

自分のことを歌う歌手

・なんでも歌える歌手

の二種類だ。一見後者の方がなんでも歌えて優れているように思えるかもしれないけど、事態はそんなに単純じゃない。

まず前者について具体例をいくつか挙げようと思う。

自分のことを歌う歌手について

とりあえず例を列挙する。

りりあ「浮気されたけどまだ好きって曲」

米津玄師「アイネクライネ」というか米津玄師はほぼ全部自分の話をしている感じがする。

back number高値花子さん

実はほとんどのバンドマンは自分の話しかしていない。ヨルシカが「八月、某、月明かり」の歌詞で叫んでいるように「心を売り出し」ているのだ。

ちなみにヨルシカは「詩書きとコーヒー」でも「寿命を売るなら残り二年」とか歌っていたりして、そういう自分のことしか歌えないナブナ自身をどこか皮肉めいて表現していたりする。

りりあの「浮気されたけどまだ好きって曲」を聞いてほしい。これ絶対自分の話だろと思って調べてみたけど明言してないっぽい。なら自分の話と考えていいのかな?

この曲は浮気された女の子の心情を歌うにしてはリアリティが高すぎる。

汚れた君は嫌いだ

君を汚したあいつも嫌いだ

この歌詞の下のほう、「君を汚したあいつも嫌いだ」ってそっちにヘイトが向く心情を表現できるのすごくないか? 普通浮気された曲って恋人に対する恨みつらみで話が終わると思っていただけにびっくりした。

こんな風に自分のことを歌う曲は”その人の人生の重み”が自然と声に乗っかるので、ものすごい破壊力がある。

でも、こういう歌手がほかの人の作った歌を歌うと、どことなくちぐはぐな感じになる。なんか違うな~とか、ぐっとこないな~みたいな気持ちになる。

あとこのタイプ歌手一発屋で終わる傾向が多い。劇的な経験がないと歌えないならそうなるのも必然、という感じはする。

なんでも歌える歌手について

ikuraやAdoはこのカテゴリーに分類される。

こういう歌手ボカロ文化の発展で増えたと思われる。

歌い手文化はいろんな人の曲を歌うっていう前提があるわけで、そこでさっき挙げたような自分の歌を歌うタイプ歌手歌い手文化にそぐわない。

自分共感できる曲だけを歌うことでその問題解決してる人もいるっぽいけれど。

なんでも歌える歌手の例を挙げる。

・ikura

Ado

Aimer

・yama

・suis

とかなんか今流行りのアーティストばっかりになった。

ヨルシカはナブナ個人的な、本来だったら本人にしか歌えないような歌をsuisが上手く歌っている感がある。

これらの歌手限界まで自分の色を出さない。でも無個性とは違う。ただひたすらに歌詞にひたむきに向き合って、そこから読み取れる感情をまっすぐに表現している。だから聞く人の心にダイレクトに届いているように思う。

「夜に駆ける」とikuraの関係

YOAOBIのコンセプトは”小説音楽にする”だ。このコンセプトとikuraのどんな曲も歌うことができるという特性は実に親和性が高い。

「夜に駆ける」の元となった小説は「タナトスの誘惑」というものだ。

あらすじをめっちゃざっくりと言うと、死にたがりの彼女を助けた主人公だったが実は彼女死神で、最終的に一緒による闇に飛び降りるという、中二病要素をこれでもかと言うほど詰め合わせたような物語だ。大学生が書いたらしい、笑った。

さて、どれほどこの物語がチープであろうとしても、この歌を実体験として生々しく歌うことができる人はなかなかいない。テーマが重すぎるし、全体的に闇が深いものからだ。

ただ、ikuraは「夜に駆ける」を独自解釈することに成功している。

この作品自体をどことな俯瞰的に見下ろして歌うことによってそれはかなった。過度に主人公ヒロイン感情移入するのではなく、どこか客観的視点から物語淡々と紡ぐように歌う感じ。無機質な――機械的な、ある種ボカロっぽい歌声と、どことな人間の闇を感じさせるPV(このPVもあの原作小説から作ったとは思えないほどクオリティが高い)が悪魔的に融合した。

これが「夜に駆ける」がヒットした二つ目の要因だと思う。

もう一回PV見てるけどやっぱりいいな。

本題のYOASOBI「アイドル」のすごさについて

制限が新たな芸術を生む”的な言論があったりする。「アイドル」が素晴らしい曲であるのにはここに要因がある。

今回の場合

・Ayaseが持つ独自リズム感とベースライン

・最新の曲調(Adoが歌う「踊」に似てるとか指摘されてるね)

・”推しの子”のOP要求される、アイドルソングライクな(コール差しまれるなどの)要素

この三つが程よくミックスされた結果、既存の物にはない斬新さを持った曲としての大ヒット……だと思う。

YOASOBI「アイドル」とボーカルikuraの限界

この話をするにあたって、YOASOBI「アイドル」の歌詞について軽く説明する必要がある。

アイドル」の歌詞原作推しの子」とそのスピンオフ小説の「45510」をもとにしたものだ。

まず「推しの子」のあらすじを一瞬で説明すると

医者主人公のところに推しアイドル(アイ)が妊娠出産のために入院してくる→出産日に主人公が殺される→気づいたらアイの子供に生まれ変わってた→アイドルなので子持ちはまずい→なので必死に嘘で隠す

というものだ。

そしてスピンオフ小説「45510」の主人公は、アイとかつて同じアイドルグループ所属していた女性だ。

アイドル」の歌詞の中での主人公は歌の途中で変わっている。二回目のサビまではスピンオフ小説の「45510」の主人公がこの歌の主人公で、その後はアイ自身の歌に変わる。

1サビまでの歌詞は「45510」の主人公の、アイに対する憧憬を描いたものと思われる。同じグループの中でも抜きんでて人気のあるアイに対する羨望を表現している。

ここの歌詞をikuraは上手く歌えている。

問題はその後だ。

アイドル」の二番の歌詞についての見解

この話をするためには歌詞掲載しないといけない。

はいはいの子特別です

我々はハナからおまけです

お星様の引き立て役Bです

全てがあの子のお陰なわけない

洒落臭い

妬み嫉妬なんてないわけがない

これはネタじゃない

からこそ許せない

完璧じゃない君じゃ許せない

自分を許せない

誰よりも強い君以外は認めない

これはアイが所属するアイドルグループ「B小町」の別のメンバー:「45510」の主人公の心情を描写したものだ。正直、この歌詞を書いたAyaseは天才だと思う。

一見最初はアイに対する強烈な嫉妬心を表現しているように見えて、最後には

完璧じゃない君じゃ許せない

自分を許せない

誰よりも強い君以外は認めない

とアイに対する信仰とでも言うべき強い感情の発露を描いている。この一見相反するようでいて、しかし同一の感情を詳細に表現したセンスマジですごい。

ikuraはこの二番を歌いこなせていない

Vtuber歌ってみたとかを聞いた時に「お、この曲はこの子マッチしてるからいい感じだな」とか思ったことがないだろうか? 俺はその現象を”人格一致ボーナス”と呼んでいる。

ikuraの人格と「アイドル」の二番はあまりにも相性が悪いと言える


たぶんikuraはまっすぐに、幸せに育ってきたタイプ女の子なんだと思う。だから、こうした嫉妬などのどす黒い感情にそれほど縁がないのではないだろうか? なので、それを歌おうとしても、どうしてもうわべだけのものになってしまう。

先ほどの話に戻る。世の中には

自分の歌を歌う歌手

・どんな歌も歌うことができる歌手

の二種類が存在する、と言った。

しかしそれを逆に考えてみてほしい。つまり世の中には

とある人間しか歌えない曲

・ある程度どんな人間にも歌いやすい曲

の二つがあるのだ。

そして「アイドル」という曲は”とある人間しか歌えない曲”に属する。それはこの曲が極めて個人的体験(この場合だと、45510の主人公とアイ自身体験)をベースに紡がれているからだ。

ikuraのスター性と「アイドル」の明るい部分は極めて親和性が高い。特に一番のサビなんかは完璧に歌えている。しかし、45510の主人公のアイに対する嫉妬などのダークな部分は歌えない。聞けばわかると思うが、なんだか上っ面で歌っているような印象を受ける。

かに愛されたことも

かのこと愛したこともない

そんな私の嘘がいつか本当になること

信じてる

まれないアイの家庭環境を背景とした暗いCメロ歌詞だ。やっぱりここでも、ikuraの歌はどことな空虚な感じがする。ikura自身にこんな経験がなく、想像することさえも難しいからだ……と思う。

あるいは、

【ikura】今回は、レコーディングする前にたくさん話し合って…。どういうイメージで、どういう声色で、ニュアンスでやっていこうかっていうのを考えながらレコーディングしました。

【Ayase】そしてたどり着いたのが…「最強のかわいい!」です。僕はikuraがレコーディングブースに入って一生懸命歌っている中、勇気づけるようにディレクションブースからもっと自分のことかわいいと思って!」って伝えていました。https://news.yahoo.co.jp/articles/32691ffa10659b427d43550c4eda76ad09a1ea74から引用

とあるように、レコーディング環境が足を引っ張ってしまった可能性もある。

アイドル」の歌ってみたをいくつか聞いてみると、この二番を上手に表現する歌い手を何人か発見した。やはり、こうした現代的な嫉妬経験がある歌い手のほうが歌声説得力が増す。

しかしこうした歌い手は同時に、サビの部分で顕著に表れるアイが持つ底抜けの明るさ、可愛さを表現することが難しい。

アイドル」を完璧に歌える人間存在しないかもしれない、とか思った

あと原作読んでる人に聞きたいねんけどこの「45510」の主人公って作中で出てくるん?

というかここまで細かく考察してると逆に「推しの子」の続きが気になってしまった

ティアキンのおもんないとこ

待ち侘びていたティアキン

発売日からプレイしてて、ゲーム部分は楽しいストーリー感情移入できない

王政が無理

昔ながらの「姫と騎士」の物語なんだからしゃあないとは思うが、民主主義国家まれとしては「王国」や「王族」に感情移入できない

・貧げな暮らしの村人たち←→バカかい城に住むゼルダ姫ら王族

・非文明的な暮らしをしている村人たち←→お抱えの研究者の作ったカメラ(プルアパッド)で趣味研究に没頭するゼルダ

らへんにまずモヤる。

・ブレワイの頃からゼルダ姫・リンク・プルアら研究者の持つ技術が村人らの暮らし還元されていない様子

技術があるならすぐに暮らし還元できるはず、しろ、というのは「なろう」じみた考えかもしれないが、王族として国を支配する立場なのにゼルダ姫はブレワイから今まで何してたんだ?と思ってしまう。

一心に姫を慕う村人たち

理解し難い。「ゼルダ様は凶作の年に隣町から物資を届けて下さった」的な説明があるならわからんでもないが、そういった説明もとくになく、貧しい村人たちが「姫、姫」と慕っているところが共感しにくい。現代日本にも「アベノミクス日本を救ってくださった安倍様」など言うやつは居なくもないが、普通感性では受け入れられない。所詮天皇象徴時代人間王政のような宗教的ものを受け入れる下地がない。

つまるところ

今作でもゼルダは未だに「姫」で、国政をメインに担うのは「王」。ゼルダが何してるのか、何をしてきたのかよくわからない。よくわからないのに慕われててよくわからない。

サピオセクシャル任天堂

ニンテンドー王族の次に偉いのは学者先生らしい。好奇心旺盛であることが良いこととみなされる。ゼルダ・プルア筆頭に研究オタクキャラが多い。多すぎる。ニンテンドーゲームに必ず1人はいる気がする。

「あーはいはい好奇心旺盛で研究のこととなると夢中になっちゃオタクなのね」。いかにも「好奇心旺盛」「勉強熱心」が誉めそやされる世界で過ごしてきた人間のつくるキャラクターだ。おもしろみがない。

キャラクター、好きになれない

任天堂キャラの「ガワ」を作るのはうまいが、「中身」を作るのは下手なように思う。

キャラクターは個性豊かだが、どこかで見たことあるものが多い。大抵のキャラが同じセオリー、同じ価値観に基づいて作られており、ロールに沿った言動しかしない。現実人間ならあるようなゆらぎがない。大味でつくりもの感が強い。

編集者会議して作った漫画は没個性でつまらなくなる」とバクマンだかで言ってたが、任天堂も同じなのかもしれない。

よく考えたらRPGそもそもきじゃない

ゲームストーリー部分をボタン連打で読み飛ばす系の人間ティアキンのストーリーパートを楽しむのは無理なのだろう。

アクション、謎解き、オープンワールド主人公の強化、あたりは楽しいムービーNPCとの会話のような茶番を見せられる時間が発生するのがだるい

ブレワイのストーリーパートを楽しんでるやつとかあんま見たことないが、なんでストーリー重くしたのか……

ってま、グッズ販促タイムか。ライダーベルトやプリキュアの変身グッズのCGと同じだよなあ。真面目に考察してもしゃあないわ。

……とか思わせないでほしいっすわ。いや無理な要望だわ。ソフトしか買わない金落とさない客だしな。

anond:20230517133751

良かった、読めたんだなw

そして一言レスってのがまた象徴的。

プロレスはみんなで作り上げるもんだ

痛くても痛くないような顔して闘うのが真剣勝負

痛くなくても痛そうに見せて盛り上げるのがプロレス

なんでもかんでも白黒ハッキリさせようとするから無理がくるんだ

あいまい”でいいじゃねえか

“いいかげん”でいいじゃねえか

人間なんてそんなたいしたもんじゃないだろ

プロレスはグレーを楽しむもんだ

グレーだからこそ あらゆる事を許容する大らかさがあるんだ

ウソホントも取り込む 奥深い面白さがあるんだ

俺たちは最低の格闘家で 最高のエンターティナーなんだ

昔はよ 辛い時苦しい時⋯ そこにはプロレスがあったんだ

戦後復興象徴だったんだ 夢と希望勇気があったんだ

グレーでいいじゃねぇか

2023-05-16

不倫略奪婚で生まれた姪に会いたくない

1年ぐらい前に妹が産んだ姪に、何だかんだ理由をつけて会ってない。

姪は、不倫略奪婚で生まれた。

もちろん、姪自体に罪はないんだけど、「誰かの不幸の上に成り立っている幸福」の象徴のように感じられて、写真を見るだけでも正直キツい。成長していく度にキツい。

旦那は、妹と知り合った時はすでに嫁と2人の子供がいた。一軒家も建てていた。

出会いきっかけは、妹が新卒で入った会社上司だったこと。

採用面接の時に旦那が妹に一目惚れして採用した、というのが出会いエピソードらしい。(そもそもこのエピソード結構キモいだって旦那20歳年上の妻子持ちだぞ……?)

どういう経緯か分からんが妹はそいつセフレになった。

俺は元々妹とサシ飲みする程度には仲が良かった。妹から会社上司不倫をしてると言われた時は、全力で止めた。そいつを略奪するために計画的妊娠して、それをダシに離婚させるつもりだ、と言われた時は、さらにキツい言葉で止めた。でも妹は言ったんだよね、「正直彼も私も、妻子に申し訳ない気持ちはこれっぽっちもない」って。

そして妹は妊娠した。計画通り当時の嫁と離婚させ、妻子が出ていった家に住むことになった。姪が生まれた。

俺の会社にさ、旦那不倫を苦に自殺した人がいたんだよ。かつてその人が座ってた席の前を通ると気が重たくなる。自分の身内から加害者が出ることを止められなかったことに、自責の念を感じている。

ていうか世の中の上手いことやってるように見える家族の何%かも、不倫略奪婚だったりするのかな。

そんなことを考えていると、もう人間不信になりそうだ。

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