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はてなキーワード: 生まれる。とは

2017-12-11

似非科学に関して青春時代の思い出を交えた個人的考察

 似非科学というのはいつの時代もなくならないものだ。パッと思いつく例だけでも、血液型性格診断ゲーム脳環境ホルモン水素水マイナスイオン、等々、枚挙に暇がない。多くはマスコミによって支持され、テレビ番組特集が組まれ、その科学的根拠あいまいにも拘らず世間に流布されて浸透する。テレビ番組などはあたかもその説を「検証」しているかのような映像を作り、怪しい肩書専門家コメントを添える。視聴者の多くはなんとなく「科学的に証明されている説なんだ」と信じ込み、疑問を持つことなく受け入れてしまう。一億総白痴化社会の完成である最近ネット上で多くの意見を比べて読むことができるので、情報収集能力の高い人たちはそこまで騙されやすくないとは思うが、未だテレビ新聞が主な情報源である人たちにとっては、上述の似非科学が今でも信じていることが多い。特に血液型性格診断などは、宗教のように信じ込んでしまっている人も相当数いるだろう。

 私も子供の頃はこれらの似非化学に騙されやす人間だった。最近ほとんど見ないが、昔はテレビが娯楽の中心だったこともあり、夕食時などはよく見ていたものである特に捏造問題で打ち切られた「発掘あるある大事典」などは、親が好きだったこともあって毎週見ていた。その中で血液型性格診断特集を何度か行っていたことは、今でも何となく覚えている。番組の中で「数名の幼稚園児を血液型別に分類してその行動を観察する」という検証が行われており、ものの見事にその血液型の特徴が行動として現れていた。見ていた私は「やっぱり血液型性格には関係があるんだなー」とぼんやりと納得していたが、今になって思い返してみれば数名の幼稚園児の行動で結論を出すのは早急すぎるし、番組が「○型かつ××な性格」の幼稚園児を数名集めることな造作もないことだし、そもそも集められた幼稚園児の血液型が本当に表示通りだと証明する根拠は何も無い。極めつけはあの「あるある」である。そういえば「あるある」マイナスイオン特集も何度かやっていた記憶がある。まあ、放送内容の真偽を検証するのは今となっては不可能に近いことだからやめておくにしても、心理学会において血液型性格判断の真偽は何度も検証されており、いずれも関連性を肯定するものがないことから、かの理論が出鱈目であることは疑いようがないだろう。

 しかし、科学価値は小指の爪の垢ほどもない血液型性格診断であるが、この似非化学が私に教えてくれたことが二つある。それは「人間客観的事実よりも自分が信じたいものを信じる」ということと「何かを信じ込んでいる人間を説得しようという試みは大抵徒労に終わる」ということだ。付け足すなら、当時私はまだ純粋ティーンエイジャーだったので、「大人は平気でうそをつく」ということも学んだと言えよう。

 私が初めて血液型性格診断反証する意見に触れたのは、中学二年生のことだったと記憶している。当時別段読書が好きでもない(むしろ嫌い)だった私が、たまたま休み時間図書館に立ち寄り、ふと目に留まった一冊の本を手に取ったのがきっかけだった。それは村上宣寛という方の著書『「心理テスト」はウソでした。受けたみんなが馬鹿を見た』(2005、日経ビジネス)という本である。新作であったこの本は本棚の上に表紙が見えるように立てられており、そのセンセーショナルタイトルに興味を惹かれたのを覚えている。

 10年以上前に読んだものであるためにうろ覚えな部分もあるが、本の内容は大きく2つに分かれていた。前半が血液型性格診断への反論、後半はまた別の心理テストへの反論が主であった(後半の内容は忘れた)。本文の中で、今日血液型性格診断の源流である能見正比古氏の著書をけちょんけちょんに貶し、また血液型性格診断のような「占い」を人に信じ込ませるための心理テクニックであるバーナム効果」についても詳しく説明があったと記憶している。

 当然、本の内容は著者の考えであり、本の内容が絶対的事実であるとは(今となっては)思わない。しかしこの本の内容は、血液型性格診断科学的根拠のある学説だと何となく思い込んでいた私にとっては、とても衝撃的な物であった。血液型性格診断のものというより、これまで固定観念的に信じ込んでいた常識が、脆くも崩れ去った瞬間で、まさしく目から鱗であった。活字嫌いな私が、数日図書館に通って本を読んだのは、(マンガ喫茶を除けば)後にも先にもこの時だけであろう。「借りて読めよ」と言われるかもしれないが、当時の学校図書館ルールで、新作は借りれなかったのである

 新しい知識を得たら人に言いふらしたくなるのが能のないアホウドリの常である。当時は全盛期こそ過ぎたものの、血液型性格診断世間一般根付いており、それを否定する論調は(少なくとも大手メディアでは)ほとんど存在していなかった。要するに「他の誰も知らないことを自分けが知っている」ような状況だったのだ。腕のケガだと偽って毎日手に包帯を巻いて通学していたリアル中二病の私にとって、これほどドヤれる材料は無い。とは言え、何の脈絡もなく血液型性格診断の話をするのも変である。友人との会話の中で血液型の話が出てくるのを待ち、出てきた瞬間にこれでもかと否定する。それによって「頭が良い奴」と思われて皆からちやほやされる。正に完璧計画だった。

 ところが、実際に反論してみたところ、いずれもあまり芳しくない結果に終わってしまった。どや顔血液型性格診断否定しても、「でも何となく合ってる気がするし…」と、決まって歯切れの悪い反応しか返って来ないのである挙句教師からも「屁理屈ばっかりこねるな」と言われる始末。今となってはどちらが屁理屈なんだと思わざるを得ないが、確かに思い返してみれば、血液型の話でわいわい盛り上がっている時に、キモいデブどや顔否定して来たら、場が白けてしまうのは明白だろう。要するに私の敗因は、イケメンではなかったこである

 冗談はさておくにしても、それ以降、私は血液型性格診断の話が出てきた時、余程仲の良い間柄でなければ、ニコニコして受け流すようにした。まさに2017年現在でも血液型性格診断肯定論者の方が言うところの、「否定する奴はモテない」という説を支持する対応であった。情けないとは思うが、当時ただでさえ友達が少なく、これ以上周りから孤立するようなことは避けたかった私を責めることなど出来るだろうか。ちなみに今は目上の人でなければそれとなく否定している。相変わらずチキンであった。まあ、事実事実として、TPOに合った会話合わせというのは必要だと思っている。

 そこで私が学んだことが、先の「人間客観的事実よりも自分が信じたいものを信じる」「何かを信じ込んでいる人間を説得しようという試みは大抵徒労に終わる」の二つだ。血液型性格診断を信じている人に、上述の心理学会の話や、バーナム効果の話をしても、決まって返ってくる言葉は「でも何となく当たってる気がする」「私の周りでは当たっている」と言ったものだ。査読のある学術誌に投稿された数千人規模の調査結果よりも、自分の身の周りの数名の事例を優先するのである。当然その事例には得てして強い確証バイアスが掛かっているのだが、本人はそれに気付くことができない。「客観的事実よりも自分が信じたいことを信じる」典型である

 これは、似非化学に限らず社会の中のあらゆる現象に対して言えることである。例えば昨今、「若者の○○離れ」という言葉をよく耳にする。○○の中には、テレビ新聞、車、バイク、酒、読書など、ありとあらゆるものが入り得る。そして、その原因は大抵若者帰着させることが多い。「最近の若者は人との関係希薄から酒を飲みながらのコミュニケーションをしないのだ」とか、「世間政治に対して無関心だからテレビ新聞を見ないのだ」とか、とりあえず若者悪者にするような結論が多いが、決して「社会の変化によってニーズも変容し、製品価値相対的に下がった、すなわち製品自体時代の変化に追いつけなくなったのだ」といったような、自らに責任帰着させることは決して言わない。やはり自分が信じたいことしか信じていないのである

 また、血液型性格診断を信じている人の共通点として、否定しようとすればするほど攻撃的になって反論するというものがある。先の中学生の時の教師がその典型例だろう。理論的な反論が出来なくなると「屁理屈をこねるな」と論点をずらして逃げるのである。「否定する奴はモテない」というのも同様で、血液型性格診断の真偽について反論しているのに、「モテるモテない」の話にすり替えさら相手を「お前は場の空気の読めないモテない人間だ」と罵倒しているのである。そうなってしまうと、もはや冷静な会話は成り立たない。こちらがいくら事実を述べても、返って来るのは罵倒だけであり、最終的に相手が逃げてしまうのである。そこに残るのは無駄時間の浪費と徒労感だけで、何ら生産性のない労力を費やされることになる。

 こちらもやはり社会全般で言えることだ。例えば「若者犯罪ゲームアニメによる影響だ」などの持論を展開する人に、「若年層の犯罪率は年々下がり続けており、反対にゲームアニメ市場は伸び続けている。」と反論しても、恐らくその後は謂れなき若者批判罵倒くらいしか返って来ないだろう。論理的反論を受け入れられない人間にとっては、実は事実などどうでも良く、会話を勝ち負けを決める手段としてしか考えていない。そして自分が負けるのが嫌だから最後子供のような罵倒に終始し、逃げてしまうのである。こういった手合いは、「自分の非を素直に認められない」ことも共通点と言えるだろう。人間であれば誰しも少なから負けず嫌いな側面は持っているが、この手の人間特にその傾向が強い(と何の統計的データもなく私の主観でそう思っている)。

 似非科学のような嘘を信じ込んでいる人は、宗教信者に近い。もちろん宗教否定している訳ではない。宗教というものは、「事実か否かを証明する術がない」にもかかわらず、「否定は許されない」というのが特徴である。これ自体別に悪いことではなく、「鰯の頭も信心から」と言うように、それを信じることによって本人の精神的支えとなるのであれば、それで良いと個人的には思っている。客観的証明できなかったとしても、個人の中で信じていれば問題はないのである。ただし行き過ぎると他者に対する不寛容に繋がり、戦争弾圧に容易に発展してしまうため、注意は必要である仏陀キリストと「顔を描いてはいけないあの人」の誰が一番偉いかというような論争は、決して行ってはならないのである(仏陀キリストが同じアパートの一室で生活しているマンガはあるが)。

 「宗教」と「似非科学」の明確な違いは、前者は「事実かどうかわからない(事実であることに重きを置いていない)」のに対し、後者はそれが「明確な嘘」だということである。明確な嘘を流布すれば、社会に対して損害が生まれる。血液型性格診断であれば、近年問題になっている「ブラハラ」なる差別を生じる。ゲーム脳であれば、本来何も悪くないゲーム会社風評被害を受ける。水素水であれば、医学的根拠のないただの水を健康に良いと信じ込んで高額な値段で買わされる消費者が現れる。そして、損をする人の裏側では、他者を騙して得をする悪人存在しているのである。大抵は嘘っぱちの本を書いた奴とその取り巻きだ。

 だからこそ似非化学は撲滅しなければならないし、似非化学の考案者やそれを流布するメディア批判されなければならない。日本表現の自由保障されているから何を言おうと自由であるが、それはあくま公序良俗に反しないことが前提であり、嘘によって不正利益を得るのは詐欺である表現に対して批判を行う自由もあるのだから客観的に見て明らかに事実と異なる論説に対しては、毅然とした態度で批判すべきである

 そして、一般消費者である我々は、常にその情報事実であるか否かを見極める努力が求められる。媒体を問わずメディアは平気で嘘をつく。他人に言われたままのことを信じる人間は、その情報が誤りであった場合他人責任を求めがちである。何が正しいか自分判断し、自分責任において選択する力こそが、情報化社会を生き抜くために必要スキルと言えるのではないだろうか。

 似非科学流行は、社会におけるメディアリテラシー成熟度合いの指標と言えるかもしれない。

2017-12-10

anond:20171210202447

自分は素晴らしい」と褒め称えるのは自己肯定感とは全く関係のない精神論

自己肯定感とは、むしろ自分の感じること考えることを本音ベース直視することから生まれる。

自分はどこが駄目でどこが人並みでどこがマシか」

自分は何を背負っていて、何を背負っていないか

自分ぶっちゃけ何を背負ったりおろしたりしたいのか」

こういったことについて、良心とか建前に負けず言葉にし、直視する。

出てきた本音醜悪であっても、「自分はそう感じていたんだな」と思い、決して否定しない。

否定しないことで初めて自己肯定する感覚生まれる。

生徒が自殺をほのめかす手記を見過ごす教師

ニュース担任との不和自殺したり、イジメにあってたり、そう言うのを日誌とかに書いていたのに、「気が付かなかった」と言う教師校長を見てて、んなわけないだろうと思っていた。

教育現場に入ってみて分かったのは、ああいうことを生徒が書くことは日常茶飯事で、当たり前のように存在しているので、教師たちはあれを「特別なこととは思わない」のだということ。

そして実際ああいうことを書いて目を引きたいだけの生徒や、実際に自殺しない生徒の方が多い。

から教師達としては良く見かけることが書いてあるだけで、「気が付かなかった」と言う感覚だし、もっと言えば「運が悪かった」位の感覚しかない。

しかし、実際の所はヒヤリハットと同じ。

現場は、自殺をほのめかすのが当たり前な程に限界ギリギリでずっと進んでいるだけで、どこかで一瞬間違えれば自殺する生徒が出てくる。

軽いいじめが溢れかえってるために、ふとしたこから世間に発覚するような劣悪な虐めが生まれる。

常態化しすぎていて、もう教師たちは感覚がマヒしていて変なことが分からない。「今まで大丈夫だったから、これまで通り大丈夫だろう」と思っている。

それが虚構だと気づくのは事件になった後なわけだが。

ニュース問題になる教師が悪いのかどうかは、今はもう何とも言えない。少なくとも現場限界いっぱいいっぱいで、正常な判断を期待できる状態ではないってのは、理解してきた。

自分もきっとまともな判断力がなくなっていくんだろうとも。

2017-12-08

自分の好きな夢を見る方法はないらしい

寝てるときぐらい幸せでいたい

人間進化するなら良い夢を見る機能を追加してくれ。

みんながこれを思いながら育めば

いつかそんな子ども生まれる。

頼んだ。アデュー

2017-12-07

国民全員が決まりを守れば楽なのに

国民全員が『決まり』を守ることが当たり前なら、他人へ気配りをする必要が減って楽に生きられそうなのにな。

レジ打ちが、定時だから商品スキャン中に居なくなっても次のシフトスタッフが定時に就く。客はそれが当たり前だから失礼だなんて文句は出ない。引き継ぎが遅刻して初めて苦情となる。

歩行者信号も頑なに守ればよい。道路の斜め横断などもってのほか。車も日本国民全員が法定速度を守れば「車の流れ」に気を使ってスピード違反をする必要がない。

仕事に入る時、着替えは就業時間外の職場が未だに多いらしい。これらも法律違反だ。

他にも、エスカレーターは歩いてはいけない、道路で遊んではいけない、イジメはいけない、体罰もいけない、サービス残業いけない、ブラック部活動いけない。

ゴネて無理を通そうという輩も、法律規則を盾に一切の融通を利かせなければ絶滅する。

以上の事柄常識なら、決まりを守らない人間への目は厳しくなり自浄効果が期待できるのでは無いか

とにかく国民みんなが他人に気を遣い『空気』を読んで勝手判断法律を犯すので、他人への気遣いやそれ等の違反について許容をしなければならないと云った精神的負荷が生まれる。法律法律に基づいた決まりを守りたいのに守らせてもらない。更には融通が利かないと煙たがられ問題視され、決まりを守らない奴らが得をするのでたいへん憎たらしい。

皆が決まりを守れば忖度なんかせずに楽に生きられるのに。

2017-11-29

ニコニコ(く)でニコ生は死んだ

1.ニコニコ(く)がニコ生崩壊の引き金を引いた

有料会員は、2017年11月に発表したデータによると、前年同期の256万人から28万人減少。

まるで、シャッター街と化した賑わいをなくした商店街のように、客と店が閑散とし、それが負のスパイラルとなって更に客と店が逃げていくような状況に陥っている。

思い返してみれば、2009年から2013年頃は配信者も、リスナーも勢いがあり、ニコ生には熱があった。

しかし、その熱は徐々に失われ、人々の感情を動かす熱情は冷めつつある。

もちろん、一部例外はある。七原くんや、加藤純一のように、未だニコ生を楽しんで盛り上げている人もいる。ここで指摘しているのは、サイト全体の空気感の話だ。

しかし現状は、Twitterを眺めても、ニコ生を愛し、毎日のように生主話題で埋め尽くしていた重度のニコ生愛好者のアカウントの多くが、ニコ生のことをつぶやくのをやめてしまっている。自分が2年前に作った、情報収集用のヘビーリスナーを放り込んだリストの3~4割が休止状態だ。

先の見えない、絶望感漂う現状に、ニコ生にしがみついている(過去の盛り上がりを忘れられない)人々は、再びニコ生の隆盛を、最後希望ニコニコ(く)に託していた。

しかし、期待はやっぱりと言うべきか裏切られた。

この発表で、乾坤一擲、人々の希望を与えられるような内容があれば、まだニコ生は数年持ったかもしれない。だが、ニコニコ(く)の発表内容は、サーバーが重い、閲覧がプツプツ止まる、とにかく見づらいという、一番利用者が望み、改善を期待していたところすら手がつかず、子供だましのようなお茶を濁した機能追加のオンパレードで、我々利用者最後希望を打ち砕いた。

もう、ニコ生に期待することはないと思うので、その死に水を取るキモチで、ニコ生が衰退した原因を考察しつつ、何故ニコニコ(く)がダメなのかを書いていきたい。

2.ニコ生衰退の原因

ニコ生が衰退した原因は、一体何だったのだろうか?

そう問われた時、その人の立場により、多様な回答が出てくると思われる。

外部サイトの隆盛、稚拙運営、逃げた配信者、通報厨、リスナーの変化、支援者…。

それらは、複合的に絡み合い、単純ではない。これらを少しでも払拭するような内容であったならと、慚愧に堪えない

(1)環境の変化
外部サイトの隆盛

2013年頃までは、競合サイト比較してニコ生の優位点が多く、ニコ生1強の時代が4年ほど続いていたように思える。石川典行渋谷キングなどの有力な荒らし配信者(当時)を外部に放逐しても、隆盛を保っていた。しかし、現状は違う。YouTubeLiveLINE LiveInstagram Storiesなどの、巨大SNSを基盤とした巨大な競合サイトの台頭が顕著になり、その他独立系ツイキャス、ふわっち、showroom、OPENRECなどがニコ生の牙城を日々切り崩し、今や見る影もない。マクロミル2017年7月に行った調査によると、これから配信をはじめる10代の視聴しているライブ配信サービストップはYouTubeLive、2位がニコニコ生放送配信しているトップInstagram Storiesで、ニコ生ツイキャスYouTube LiveInstagramLiveなどの後塵を拝し、LINE Liveと同率の6位となっている。

実感としても、配信者やリスナーの外部流出が著しく、1強を誇っていた数年前と比べるべくもなく、シャッター街となった商店街様相を呈しており、寂れた印象を与えている。外部に人が流出した上で、新規が競合サイトに吸われたため、サイトとしての熱や勢いを失ってしまったのだ。

スマホ利用者の急増

ニコ生の弱点として、よく上がるのが「スマホ対応の不備」だ。

若年層のインターネット利用の主流がスマホに移りつつあった2013年から、競合サイトであるツイキャスはそのニーズを捉え、低帯域でも閲覧が可能な高性能なスマホ閲覧アプリ提供していた。一方で、ニコ生は未だにバックグラウンド再生もできず、低帯域での再生は断続的な切断によるストレスが多く、基本機能であるアンケートにも参加できないなどのチープなスマホ対応しか行ってこなかった。

利用者の利用環境の変化に対応できなかったことにより、より使いやすツイキャスなどの競合サイト新規ユーザー獲得負けてしまった。

利用者層の変化

ニコ生サービス開始2009年から8年。8年という歳月は、中学1年生が成人するほどの環境の変化をもたらす。

配信者、リスナーともにライフスタイルの変化により、閲覧を辞めることもあるだろう。

それに加え、ライブ配信自体認知が広がり、よりライト層が閲覧を始めたことにより、2ch文化を引き継いだ、垢抜けないニコ生ギーク感(おたくっぽさ)は忌避され、よりスマートツイキャスLINE LiveInstagramなどに流れていった。(ここは、他サイト利用者意見を拾ったわけではないので、根拠に薄く、想像が含まれる。異論があれば教えて欲しい)

ニコ生時代に取り残されてしまったのだ。

(2)運営ドワンゴ
システム改善不備

ニコ生システムは今年実装された「新配信」になるまで、ここ5年ほど、ほとんど改善が加えられていない。

それは、無計画増改築を繰り返した上、低待遇技術者が大量に退職した結果、システム改修がほぼできなくなってしまたことに起因する。

 参考URLhttp://hiroki-uemura.hateblo.jp/entry/2015/09/01/230611

結果、超会議や町会議などの「イベント」を繰り返すことにより、利用者の不満をかわす方針を取ったドワンゴ。不満は見事抑えられたが、上記の外部環境の変化についていけず、緩やかに競争力を失っていった。

しかし、ツイキャスの台頭に危機感を覚えたドワンゴは、ツイキャスパクリのような「ニコキャス」をローンチするも、あまりのできの悪さに3日で閉鎖に追い込まれしまった。

それから2年、2017年システムの大幅な刷新を予告しているが、大幅な後手に回ってしまった感が否めない。

加えて、マネタイズ収益化)が競合よりも上手くいっていたことが、結果的に変化に対応するリスクを取ることができなくなったという面も考えられる。

ニコ生では、リスナーが「広告」を打つことにより、配信時間を延長できるチケット配信者にプレゼントできるシステムがある。これ、運営収益を上げることができ、配信者は延長料500円を払わずに延長でき、リスナーは目立つ形で広告を売って、配信者に名前を覚えてもらったり感謝してもらえるなど、「三方良し」の理想的システムだった。

しかし、競合サイト投げ銭システム一般的となった今、一部配信者は「自分の懐に入らない投げ銭広告)」に不満を感じ、上記Win-Win構造が崩れてしまっている。

技術的な問題と、成功体験による現状維持が原因となり、外部環境の変化に対応できず、ずるずると現状を維持し続けたことで、結果的競争力を失ってしまった。

サイト操作性(UI)とユーザー体験UX)が最悪

ニコ生は、同時閲覧数がある一定数を超えると「満員」状態になって配信をみることができなくなる。

それはシステム上の問題なのだが、ここで「プレミアム会員なら優先入場!」的なボタンが出てきて、プレミアム会員への入会が促される。渋々入会して「優先入場」ボタンを押すも、画面が1瞬切り替わって同じ画面に戻される。プレミアム会員にはいっても入場できない状態が続いているのに「こちらが入り口です」と入れない入り口への誘導が繰り返される。このような、利用者視点がまったくない操作性の悪さがサイト内に山ほど散見され、利用者ストレスを与える作りになっている。ストレスを抱えた利用者は、このような稚拙サイトを再度利用したいと思うだろうか?ユーザー体験UX)が全く配慮されていないのだ。

新規配信者のケア不足

ニコ生トップページをみると、他サイトと大きく違う点が1つある。

それは、他の配信サイトの多くが、盛り上がっている配信や、新規配信者をトップページで紹介しているのに対し、ニコ生企業配信の紹介が大きく割かれているのだ。これにより、新規配信者が配信をはじめても、ふらっと立ち寄るリスナーの数が減り、いつまで経っても過疎から脱せない停滞感が生まれる。

過去においては、ある程度の閲覧数を稼げば、ちくらん上位に掲載されてリスナーを獲得することが出来たり、ミラー大手のこざまミラー新規配信者を「発掘」してリスナーを獲得する機会があった。

また、ランダムでいろいろな配信を見せる「ニコ生クルーズ」や、配信者のコンテスト「ナマケット」などで配信者が発掘されることもあったが、今や殆ど機能していない。

現状においては、新規リスナーがただでさえ減っているのにもかかわらず、初見が最も訪れやすニコ生トップページ企業配信大手チャンネル配信に埋め尽くされ、過疎配信者は日の目を見ることもなく、ただ根絶されていっている。

ビジョンの欠如

ニコニコサービス追加は、これまで良い意味でも悪い意味でも、ノリと思いつきで行われてきた。

既になくなった機能ニコる」然り、マストドンの追加然り。

スタンプなど、ユーザーモチベーション維持に役立ったものもあったが、これらの機能追加は、裏を返すとシステムの複雑化を招き、システム改善難易度を高めていった。ニコニコ(く)において、ニコ生ニコキャスが並行して運用されるのも、複雑化した現状を整理できなかった苦肉の策だろう。

しかし、それらを今回の改定で、整理し、川上社長は、あるべきコミュニケーション像を、ビジョン提示すべきだった。

それらのビジョンなく、枝葉のどうでもいい機能追加に終始し、抜本的な根治を目指さなかったことが、今回のニコニコ(く)の失敗だと思う。

(3)配信

配信者の離脱マンネリ化も、ニコ生の衰退の一因であろう。

新規配信者の参入が困難な現状も相まって、リスナー大手配信者に固定化し、一部の大手はその座にあぐらをかいて惰性で続けている。それは、いつまでも「安泰」な地位約束されている、新規が伸びてきにくい環境からこそ、古参大手既得権益が守られ、切磋琢磨が生まれにくい環境にある為だ。

しかし、ニコ生全体の熱が失われた今、先を考えている配信者の多くはニコ生に見切りをつけ、配信環境が整い、収入源としても有望な競合サイトに流れていっている。

(4)リスナー

配信者だけでなく、リスナーも惰性で続けている人が多い。

惰性で配信を見続けると、様々な弊害が出てくる。

過去と同じことを見ていても、再放送のような気分になり、楽しみを見いだせなくなる。

しかし、配信を一度見るのを辞めると、「流れ」がわからなくなり、取り残されたキモチになる。

結果、面白くもないのに、飽きた配信者の配信をずっと閲覧することもなり、不満を抱えながら配信を見続ける。その中の歪んだリスナーは、楽しみを通報などの妨害行為に見出すようになったり、特定をして配信者を潰すなどの犯罪スレスレ好意に手を染めるものも居る。

リスナー流動性がある程度あれば、このような弊害は生まれにくいが、リスナー固定化された環境下では、このような現状になってしまうのも自明の理かもしれない。

3.ニコニコ(く)を「失敗」と断じる理由

これは簡単な話だ。

上記で掲げられた課題殆どこなすことができず、既存利用者失望を招き、期待感を生むことができなかったことにある。

期待感さえあれば、様々なニュースサイト露出し、SNS拡散され、人々の話題に上がって熱が戻ってくるきっかけになったかもしれない。加えて、一度外に出た配信者やリスナーが「古巣」を見に来ることも会ったかもしれないし、その流れで他サイトリスナーがやってきた「かも」しれない。

しかし、その機会は永遠に失われた。

この先、ニコ生は、数年前にmixi体験した、坂道を転げるようなユーザー離脱が待っている。

2017-11-27

アニメを視聴する回路って整流回路なのだと思う

まとめ:

クソ要素が強すぎるアニメはそれはそれで面白い人間の脳はマイナス方向の刺激を反転させてプラス方向に解釈できるのでは?

面白い部分とクソな部分がはっきり切り分けにくい作品だとプラスマイナスの反転部分を見出しにくくて見づらい。

まり視聴者に優しいアニメとは「プラス方向、マイナス方向、それらのエネルギーの流れが安定していて、どういう回路を脳内に組み上げて視聴すればいいのかが分かりやすアニメ」なのではなかろうか?

いっきりクソな要素は笑える。

普通に面白い要素は見てて楽しい

強烈なクソさは割り切れば強烈な面白さとニアリーになる。

面白い部分もあるけど、駄目な所は本当に駄目なアニメ面白さとクソさの混ざり具合で評価が大きく変わる。

面白い部分とつまらない部分が切り分けやす作品だと(脚本はいいが作画崩壊している等)、面白い部分はそのまま楽しんで、つまらない部分はギャグとして楽しめる。

面白さとクソさが複雑に混ざり合っていて切り分けが難しいと、プラマイが打ち消し合って楽しめない。

まり理想的には、強烈に面白いアニメ、強烈に酷いアニメのどちらかに触れているのが視聴者に愛されるアニメとなるのだ。

さて、ここで疑問点が生まれる。

面白さの波は小さいがクソな部分が少ないアニメはそれはそれで面白く人気があるのは何故なのか。

とにかく揺れ幅が大きいほど良いのなら、プラスにもマイナスにも幅が小さい作品はどうなるのか、である

それは、アニメ視聴用の脳回路は整流回路だけでなく増幅回路も備えているからだ。

さな波が続くのならば、それを増幅してやればいい。

まったりとしたアニメを見る時はそのまったりに心の有り様を合わせればいい。

そしてそこに、まったりアニメで鬱展開が嫌悪される理由がある。

もし心を繊細に緩やかにしてやってくる刺激を増幅している時に鬱展開が唐突にやって来ればどうなるか。

それはまさに全裸でトゲの中に投げ込まれるようなものだ。

わずかなプラスの揺らぎを感じるために調整した脳に、強烈な負の揺らぎが飛び込んでくるのである

出社の時間が近づいてきたので急いで結論をまとめる(増田にも下書き機能があればいいのに)。

視聴者に良い(優しい)アニメとは「プラス方向、マイナス方向、それらのエネルギーの流れが安定していて、どういう回路を脳内に組み上げて視聴すればいいのかが分かりやすアニメ」なのではなかろうか。

途中で方向性が変わる作品視聴者に優しくない。

だが、前もって予告されていたのならば視聴者は頭の中にその為の回路を用意し、もしも作品の流れが急変したらそちらにすぐ切り替えるための回路も用意できる。

たとえばまどか☆マギカは初期から不穏な空気が流れていたし、けものフレンズセルリアンとの戦いを何度も繰り返していた。

これらのアニメ一見玄人向けに見えて、実際はかなりマイルドユーザーフレンドリーなのだ

では、ユーザーに優しくないアニメとはどんな作品なのだろうか?

それを口にするといわゆる「アンチ信者聖戦」が始まるので今回はそこには触れないでおこう。


おわり

2017-11-25

LGBTは裸の王様

あいつら全員基地外だろ?どのみち性欲が強い獣であることには変わりがないわけで、通常の性癖では満足できないからよりハードな刺激を求めてアブノーマルに走ってるだけ。

正常細胞の分裂に失敗すると癌細胞になる。正常な生物の複製に失敗するとLGBT生まれる。LGBTは子孫を残せないから淘汰される。(バイは子孫を残せるかw)

ポリコレ棒で殴られるから関わらないけど、ブラックリスト登録する手間が省けるから良い目印としては使える。

2017-11-20

anond:20171120185914

政治的であること自体別に醜悪だとは思わんけど、自分たち政治的な態度を取った結果、先鋭化・抽象化して

政治的になった目的を置いてきぼりにする現象は、人間的すぎるほど人間的で、醜悪だとは思う。

これは左右関わらず発生する。ネトウヨも同じ構造生まれる。

2017-11-18

anond:20171118225719

ゲームルールを作った者が勝者になる。

自らゲームを作る者は最初から勝者であり、他人の不幸を願わなくても幸福になれる。

 

他人から与えられたゼロサムゲームの中に生きる者は、他人の不幸の上に立脚した幸福を求める。

サイコパス他人を食い物にする寄生虫から生まれる。

2017-11-11

30人の壁・50人の壁を見上げるイチ社員つぶやき

会社が成長するにつれ起きる主に人事関連で起きる問題象徴的に表す言葉で「●人の壁」というのがあります

その30人の壁・50人の壁を体験している社長さん側の語りは見たことがあるのですが、社員側の意見を読んだことがないなと思い、筆を取りました。

ちなみに特に結論みたいなものはありません。「ふーん」と読んでくれればと思います

しばらく前になりますが、六本木の安い居酒屋ベンチャー社長たちと飲んでいるとひとりの社長が語り出しました。

いまちょうど30人の壁のようなものにぶち当たっている気がするのがけれど、何がいけないのかわからない。会社は順調だし、ブラックでもないし」と。

数億の資金調達をし、界隈ではそこそこいけている感じの会社だったと思います

自分は少し前に独立したのですが、話を聞いた時はこの社長とは別のベンチャー社員でした。30人の壁とやらで辞めたうちの一人です。

30人の壁を前に、そして真っ最中に、どういうことか起きるか、起きたかを羅列してみたいと思います自分は辞めた側なので当たり前にマイナスなことが中心になります

ちなみにこの壁とやらが30人で起きるのか50人で起きるのかは会社によるのですが、簡単言葉で言うと『社長の器による』という印象です。20人で起きている場合も、50人でも平和のものという会社もあります

そして、ここ重要ですが、「社長はこう思ってるんだよ」「イチ従業員の君たちにはわからないだろうが」というのは当たり前ですが一切抜きでいきます

30人の壁を見上げる者、また後方から眺める者としての一方的意見です。

会社の動きとそれによるマイナスな影響】

1、フラットに近かった関係性に「組織」という概念生まれる。人事に納得のいかない社員がつまらない思いをする。(自分はこれです)

2、縁故採用だけではなく、一般採用が急激に増え、コミュニケーション不足による不協和音が発生する。

3、サービス認知の拡大により1→10のフェーズに入り、これまでヒーローとされていたゼロイチが得意なメンバー営業チームに押され、プライドが傷つく。(自分はこれです)

4、社長ブログパワーアップして胸焼けする。(自分はこれです)

で、この中で、2や3は社長さんたちのブログなんかでよく見かけるので(でも的外れ意見だったりするとは思う)、1についてやや深堀りし、4についてはもっと深堀りたいと思います

繰り返します、社長さんたちの思いはスルーしますよ。

まず1の組織化ですが、全員が納得する人事なんてあるはずもなく、自分もっと良いポジションにあるべきだという(自分のような)人は、よっぽどその会社に恩義を感じていたり、給料が良かったりしない限りは俄然やる気が消滅します。そして当たり前のように「会社やめよっかな〜」と言う考えが脳裏をよぎるようになるのです。

何せここは引き抜きが横行するベンチャー界です。しかも今は大型資金調達成功が続き、経営者たちは西にIoTプログラマーがいればウチならもっと唯一無二の開発ができるよと口説きに走り、東に死ぬまで売りまくる営業がいればビジョンと涙を垂れ流して獲得に行く、そんな時代ライバル企業メンバーを堂々と引き抜きにかかる猛者もいます人材流動性の高いベンチャー界においては人事は諸刃の剣となることはいうまでもなく、「このポジションでしばらく我慢してくれよ」と言っている間によそから引き抜かれてもしょうがないのです。

自分場合でいうと、辞めた会社では一桁台の入社で、自分能力会社を支えてきた自負がありました。技術方向性会社事業マッチしている。自分が開発したものが売れて、人の役に立っている様子はとても嬉しかった。みんな忙しいだろうなとひとり仕事を抱えたことも数知れず。でもベンチャーってそういうもんなんだろうなと思っていたので頑張ってました。

でも人事で自分の上に立ったのは、自分より後から入ってきた「人に仕事を渡すのが上手い人」。技術者として自分よりいい仕事をしているとは思わない。お恥ずかしながら勝手に感じていた社長との信頼関係はないものなのだと感じ、人事発令から2ヶ月で、辞めますよと(slackで笑)辛い時期を支え合った総務のメンバーに伝えました。

「情けないな、次の人事で上に行くように頑張ればいい」という、自分大人気のなさを諌める自分も出てきて一瞬悩みましたが、その時間ももったいないと思い、すっぱり辞めることにしました。

そもそも管理職になりたいのかというとそうでもない。ただ、会社行方には口は出したい、そんなわがまま気持ちがあることもここで気づかされました。

出した退職届はそれなりの引き止めののち受理され、いま自分独立してひとりで仕事をしています。誰かを雇うなどは考えていません。めんどくさいので。

さて、僕のしみったれた話はこの辺にして、次に、4の社長ブログについて。

そもそも壁とか関係なく社長ブログを好まない社員も多いと思います自分も嫌でした。

以下、社長ブログを書いている会社社員に聞いてみた、社長ブログで「まじ勘弁」と思っていることベスト3です。(3人しか聞いてませんが。プラス自分

1位 読んでることが前提なこと(勝手に発信して読んどけ感出すな。)

2位 すべてに感謝感謝みたいな内容(マジでやめてほしい。恥ずかしい。イタイ。 ※20代拒絶反応

3位 名前は出さなくても社員の誰のこと書いてるかわかる批判自分のことだなっていう内容を書かれたあとどういう反応したらいいかからない)

壁とどういう関係があるのかというと、やっぱり組織化すると雰囲気変わるんです。ブログちょっとより社長っぽくなる。

辞めるまでの2ヶ月、組織ってどう変わるんだろうと思って見てたんですが、それぞれがそれぞれっぽくなるんです。

総務がめちゃくちゃ厳しくなったり。営業でそれまで自由にやっていた子がなんかパワー半減してたり、その上に行った人はキリッとしてたり。「俺通して」感出るんですよね。

それが耐えられなかったんですよね。なんか。子どもですね。自分がそこに混れなかったからかもしれませんが。

前の会社は入った時から組織ができていたからなんとも思わなかったんだと思うんですけど、みんなが窮屈そうになったのがなんか嫌で。もう自由になろうと決めました。

社長ブログはよりラブ&ピースになり、以前からあった特定の誰かを示唆する内容がより増えました。僕以外にも人事に抵抗しつつ残っている人はなんかかわいそうなくらい書かれていました。あれって、社員には言い返す場がないんですよね。ずるいよ。

いきなりですが、ネガティブ気持ち書いてたら疲れてきたのでここらで締めます

結論はありません。では。

カードキャプターさくらの魔力相関図~CC増田解説

ネタバレなので再放送初めての人は抜けた回も全部見ろ。

ロウは『闇の力』をを持っている。太陽と月の力を扱える。

そして作ったのが太陽ケロベロスと月のユエである

当初、桜は自分の力と合わせて杖に込められた闇の力でカードを集めていた。

桜の力はクロウの力に似ていた。それはクロウ血縁小狼よりも、だ。(これは父がクロウの生まれ変わりだからだという結論に達する。)

小狼の持つ力は『月の力』だ。

強い魔力は人を惹きつける。小狼が惹かれたのはユエの持つ、それも自分と似た強大な月の力だった。

一方、小狼嫌悪感をぶつける相手になるのが観月先生だ。

観月先生が持つ力は強大な月の力ではあるが、クロウのそれとは違っていた。

観月はその力を持つことで、クロウカード戦に割り込むことができた。

しか小狼は異質なその力に反応した。

観月は「なんとなく」で予知してしまう人だ。アニメでは設定削除されてるが、わりとぼんやりさんだ。

その「なんとなく」理論によれば、桜の手助けをし、自分排除する人間を好くわけにはいかなかったのではないか?とのことである

小狼も「なんとなく」この人が自分邪魔をしてくるということは理解していたのだろうという話だ。

『月の力』と『太陽の力』は相反する。

小狼とケロが仲良くなれなかったのは、月と太陽性質のせいだと考えられる。そしてこれも「なんとなく」ケロベロス小狼を選ばないことを、小狼は察知していたのだろう。

そこで桜の立ち位置なのだが、桜はクロウカードの闇の力を制するために新しい力を生み出さなければなくなった。

それが『星の力』だ。桜が元々なんの力を秘めていたのかは定かではないが、月と太陽が混じりあうバランスのとれた力をもっていたようだ。

なのでケロとも仲良かったし、ユエにも観月にも『はにゃ~ん』となった。ただ雪兎の件を恋愛では無いとするとそれは違う話なのだが…。

(…これってケロベロスはにゃーんとならないのは、ケロベロスの外見に問題があるのだろうか?しゃーない)

そして一番不思議立ち位置にいるのが桃矢兄ちゃんとなる。

この男がどれほどの魔力を秘めていたかというと、桜がコントロールできないぐらいの力。それも桜と似た(というか多分同質のクロウ寄りの)力である

それとは別に霊力も強く(これも桜以上)「カードを集めるのは桃矢じゃだめだったのか?」という意見が時々散見される。

連載誌なかよしに、高校生カードバトル物は難しい。そういう現実的意見はここでは必要ない。

考えられる理由としてはシスコンからである。いやまじで。

桃矢はどうも正義感が「強すぎて」妹を守る意識が「頑なすぎ」る。

「最強の魔術師とかやると未来見えて大変だわ、変わってくれ」と桃矢が言われてたら、それはしっかりこなしただろう。

別の世界では王になる器の人間だ。

しかし既に、『妹の未来を見る』という『魔力暴走』を桃矢はしてしまっている。

もし桜ちゃんが小狼喧嘩した日には、桃矢小狼になにをしでかすか分からない。危なっかしいのだ。

まりロウカードの持ち主となる条件は『未来を見ないこと』『魔法を的確に使えること』だったと結論づけられる。

桜ちゃんくらいほんわかしてないと、上手いこと行かないという算段であろう。

最終局面では、もう一人魔力保持者が生まれる。藤隆である

しかし魔力より霊力が高くなったのか、撫子を見るにとどまっている。

ロウは霊力も高かったのだろうからエリオから力を分散させるときに『魔力のエリオル』『霊力の藤隆』としたのは自然だったのかもしれない。

エリオル「撫子さんそこ飛んでますよ。力あげますから見たらどうですか」的な感じかも。


なお新作では最近、撫子さんが出てこなくて心配してる藤隆さん。きっとまたあえるよ。頑張って。

桃矢は新しい力を手に入れたらしく、小僧も新しい魔法を使えるようになったみたいだ。

知世さんの魔法少女衣装パワーアップしているので乞うご期待。

2017-11-09

任天堂は好きでも嫌いでもないが殴ると楽しい

頂点でふんぞり返るうちに少しずつ闇落ちしていった怪物存在とそれに群がる盲目信者達って構図がいいよね。

殴ると良い反応が帰ってきてステキインタラクション生まれる。

ソニーはもう殴ってもしょうがない。

弱くなりすぎ。

サイゲとスクエニは闇落ちしすぎて信者も見放してるからまらん。

2017-11-02

アメリカの銃規制が進まないのには3つの原因があると思うという話

表題の件について、自分が納得できるだけの解説をしている記事があまりない、というか、前々から日本一般の人々にはあまりこの問題認知されていないような気がしていたので、需要があるかは分からないが個人的見解をまとめる私的メモという意味も含め、ここに記載しておく。

1つはアメリカ建国理念から来ていて、もし政府民衆に圧制を強いるとき民衆には武装して蜂起する権利憲法で認められているためである

もともとアメリカという国自体が、イギリスをはじめとする欧州圧政から独立してできたものなので、国家民衆が作るという意識が強い。そのためアメリカ合衆国は、政府暴走した場合対処法を、憲法公式に認めている。これが有名な「合衆国憲法修正第2条」である政府民衆国家権力で押さえつけ、搾取するような事態になれば、国民武装して現政府を打倒し、新たな政府を打ち立てることができる。(もちろん、他国から侵略に対する抵抗の意味もある)

そして最も重要な点は、そうするために国民武装することを、政府制限してはならないということだ。銃の所持を規制することは、すなわち武装することの規制に繋がる。これは国民のための権利であるから政府主導で銃規制をすることに対して、「そうやって武装できないようにして、俺たちに圧政を敷くんだろう?」という反発が生まれる。から規制は是か非かについて、明確に政治的正しさを持つ答えがなかなか出ないのである。極端な話、トラ○プが本当に危険独裁体制を築いたとき、現憲法下であれば銃規制を叫ぶリベラリストたちでも平等武装蜂起する権利を有している。

2つ目はより現実的市民生活に関する問題で、アメリカの広大な土地に起因する。

アメリカ田舎は、日本人には想像も付かない規模で広い。隣家まで車で何十分というケースはざらだ。たとえばワイオミング州鳥取県両国において最も人口が少なく、約56万人とほぼ同じだが、人口密度はおおよそ70倍以上にもなる。そんな地域でもし何か起こったとき警察保安官が到着するのを30分とか1時間、悠長に待っていられるだろうか?

こういった背景からアメリカでは田舎に行くほど、セルフディフェンスとかホームディフェンスと呼ばれる概念が浸透している。異常に治安が良いと言われる日本でも、ご近所同士のいさかいが原因で刃傷沙汰に発展するというのはよくある話だし、痴話喧嘩もあれば家庭内暴力もある。野生の危険動物だっているだろう。そういった事態に陥ったとき自分の身を守れるのは自分だけだ。だからみんな銃を買う。西部開拓時代、多くの人が傍らに銃を置いて眠っていた頃と、根本的には変わっていない。

なお、アメリカでこういった田舎に暮らす人たちは、人口の1割である3000万人ほどもいるという。3000万人と言えば近年急速な発展を遂げたメガティ中国重慶市と同じくらいだ。メガティ1つ分の国民安全自衛に委ねられているという、ある種異常な状態なのだ

3つ目はもっと単純で、ここまで広がってしまった銃を今さら回収するのが非常に困難な点にある。

アメリカでは1億丁以上の銃がすでに流通販売されており、およそ国民の2人に1人は銃を持っていると言われている。これほどまでに庶民の手に広まった銃を没収していくのは、そもそも物理的に難しいし、誰が何の権限でどのように回収するのか、抵抗に遭わず安全に回収できるのか、回収した大量の銃はどう保管あるいは処分するのか、これらのコストは、回収に応じない場合罰則は、などといった行政上問題も山のようにある。

ちなみに例として、戦後日本で行われた武装解除の際に提出された刀剣類の保有数は、平均して大体3軒に1軒くらいだったらしい。しかしもちろんそれがすべてではなく、未だに先祖の持っていたものが蔵から出てきたというニュースもあれば、土中に埋めるなどして隠匿したなどの話も聞こえてくる。またこの中に近代火器は含んでいない(登録された刀剣類の数を参考)。しかもこれが実行できたのは、敗戦という歴史的大事と、それに伴う武装解除のための占領政策GHQによる外圧という側面が大きい。平時にこれ以上の規模の銃規制を実現するのがいかに難しいか分かっていただけるだろう。

ここまで記したように、アメリカ国民にとっての「銃」とは何よりもまず自分自身安全保障するための道具なのである政府侵略者犯罪者、敵意を持った隣人たち、危険な野生生物などから自分生命財産家族、そして自由権利を守るための唯一にして最強の道具だ。

これが決して建前ではなく、国家の根幹と現実に即した実態であるというのが、今回私の言いたかった見解だ。これを読んだ方の、この問題に対する理解一助にでもなればと思う。

なお、一部の人たちが馬鹿ひとつ覚えのように諸悪の根源として扱ってしまうので、ここでは敢えてNRA=全米ライフル協会に関する記述は控えさせていただいた。ただ、誰もが銃を規制したいのに一部の頭おかしい人によって阻止されているという構図が正しくないということは、これを読んだ方になら分かっていただけると思う。

2017-10-29

おとなになったら エロゲをたくさん やるんだ

そういう妄想をしていた頃の憧れはどこにいったんだろう。

いざやってみると全く面白くない。

名作と言われているゲームが下手な文庫小説よりはずっと面白いことは分かるけど、それはヘタな小説ライバルに設定したから勝てているのだ。

ちゃんとした小説を前にすれば肉薄することすら困難を極めている作品だらけだ。

強いていうならば製作者と消費者の双方に共通した捨てきれぬ幼児からまれヒロイック幻想プライドの高さが混ぜ凝ぜになった欲望を満たすために作られた世界物語の歪さが醸し出す怪しさだけは中々の物がある。

だけど、それ以外の部分は稚拙も良い所だ。

18歳以上どころか40歳以上にすら思えるほどにおっさん臭いのに時には幼稚園レベル言動を繰り返す全く高校生らしくないキャラクター2ちゃんねらーのような喋り方をする地の文、たった一度のちゃぶ台返しだけを起伏としておきながら何十時間もかけて紡がれる物語

何もかもが低レベルだ。

絵のレベルも、名作と言われるようなゲームであっても決して高くなく、むしろ絵が上手すぎると抜きゲーとして扱われて名作という枠組みからはぶかれやすくなるのではないかという懸念すら生まれる。

18歳未満の名実ともに子供であった頃、エロゲに対して憧れを抱いたのはエロゲをやったことがなかったかなのだろう。

ゲームで一番楽しいのは購入した日の行き帰りの道だという人はいるが、その道中を延々と何年も歩き続けてきたのがあの日々だったのだ。

あぁ……あの頃は楽しかった。

楽しい道のりだった。

ありがとう

ゲーム自体面白かったとは言い難いが、いい夢を見させてもらった。

もう自分子供じゃないから、別れの言葉は前向きでお互いに気持ちよく終われそうなものを選ぶよ。

しかったよ。

本当に楽しかった。

ももう終わったんだ。

然らばこれにていざ別れ目。

今までどうもありがとう

2017-10-27

anond:20171027112354

仮に男性だけになってもその中に「女性役」が生まれるんやぞ。

逆に仮に女性だけになっても「男性役」が生まれる。

2017-10-25

日本マッチョイズムから自由な国

https://anond.hatelabo.jp/20171025111939

これね。冗談で書いたのかもしれないけど、結構まじでそう思う。

アメリカとか行くと、レディーファーストが徹底されていて、

アジア人の男なんか最下層民扱いされるわけよ。

その点、日本はなんて自由なんだろうと思う。

マッチョイズムの産物であるレディーファースト

リベラル文脈で語られるフェミニズムって、共犯関係なのね。

レディーファーストは、完全にマッチョイズムの産物なんだけど、

そのレディーファーストが、フェミニズムに台頭を後押しする。

そこで、「もてない男性」「権威のない男性」による、

バックラッシュアンチフェミニズム)が生まれる。

アンチフェミニズムを表明することは、

同時に男としての権威マッチョイズム)を捨てることを意味するから

もてる男性、金のある男性は、なかなかアンチフェミニズムなんて言えないわけ。

日本もそういうところがあるけど、アメリカとかそれが明確・・・っていうか、

普通にエレベータ乗っても、バーに言っても、

そういう実感を持てるっていうくらい極端な社会からね。

2017-10-24

パートならぬ、正社員1種、正社員2種みたいなのじゃだめなのかなあ

いきいきママ産休育休、時短で他の社員のように働けない、自分が他の社員フォローを求めることはあっても自分フォローすることはない、それでも給料は変わらず、フォローした側は評価されない、報われないのは不平等だ。やがて離職につながる。

「いきいきママ」が一般的になる前は(今も?)、正社員パートアルバイトという形で元々立場が違い給料責任の重さも違った。だから不満が出にくい部分もあった。ただ、いきいきママの方々にパートになれと言ってもそれを拒む人たちはいるだろう。社会保障とか生涯賃金とかを考えて、どんなに周りに迷惑をかけても仕事にしがみつく人もいるだろう。(個人的には子育てがひと段落するまでパート、ひと段落して働きたいという意思があり、周囲も能力と意欲を認めたら正社員でいいと思うのだが。)

なので、正社員1種、正社員2種みたいに違う扱いにして、給料も違う、仕事負担も違う、責任も違う、昇給も違うとしてはだめなんだろうか。地域限定社員とか既にやっている企業あるし。

かつてあった総合職一般職も似ているけど、性別で分けるのではなくて、本人の意欲と能力環境で分けるとよいと思う。自分ではどうにもならない属性だけで分けると、必ず不満を持つ人が生まれる。実際、属性だけではその人の仕事能力や意欲は判断できない。

子供がいる女性でも夫が子育ての大半を担い、本人が転勤や残業をいとわずに働くなら、その人を正社員1種(負担が重く責任も重いが給料が高い)、夫のほうを正社員2種にするとか。

働くのが好きで何を差し置いても働きたい人ばかりじゃないし、実際仕事能力が低く子供がいることを利用して権利だけ主張するタイプ一定数いる。そういうレベル人達も全員「いきいきママ」「いきいきパパ」にしようとするのが無理がある。仕事能力が低く、意欲も低く、それでも会社にしがみつきたい人をほおっておくと会社全体の士気が下がる。そういう人はそういう人のレベル立場で働いてもらうに限る。

元増田会社は、時短女性だけで回るのならそれで回して、回らないで倒産するなら倒産すればよいと思う。女性だけでちゃんと回している会社も、倒産した会社も両方知っている。

https://anond.hatelabo.jp/20171023112949

2017-10-21

anond:20171021165940

まず、商売からどうしても競争がある。

次に、パパママで完結せずに「本部」が生まれそいつとの相性や上納金仕事が降ってくる。

フランチャイズ自営業のようで自営業ではない。

本部がある程度サポートするが、逆に、本部という上司生まれる。さら責任自分がとるという中途半端なやとわれに近い。

しかも、コンビニであれば24時間開業しないとならないという圧力付きのね。

せめて、10時19時ぐらいならパパママでも行けるだろうに。

弁当食っていい程度の話じゃないよ。超絶長時間勤務しないとならないような状態円満な家庭なんて作れるわけにじゃない。

2017-10-14

何故糞アニメは生まれるのに、糞アニソンは生まれないのか?

クールたくさんのアニメ生まれる。その8割は糞アニメである

しかし、アニソンで「これは酷い!」「聴くのが苦痛」という感想

まりない気がする。

もちろん、それら全てが記録・記憶に残るような名曲になることはないので、

8割は忘れられていく。

ポップスを作るための音楽理論確立されてるおかげで、破綻している楽曲

リリースされずにすんでいるのだろうか?

2017-10-02

anond:20170729010018

その後

付き合って(?)おおよそ一年半年

まり、つい最近なのだが、また別れたというか付き合ってたのかすら曖昧なところである

自己完結型先行ブロック女であった彼女は今まで通りの行動を繰り返し。

何かきっかけがあれば変わるなんて、淡い期待を持っていた自分バカであった。

1ヶ月も経った頃に、警察の件の話を聞いたことがある。それに付いて彼女は「あれはお前が悪かった、私は怖かったから呼んだ」ということを言っていた。

警察ですら躊躇なく呼ぶような彼女に育ててしまった。

ここまでくると、もはやプライドが高いなんてものではなく、病気だ。いや知ってた。

今では彼女は、ナンパしてきた男に付いて行ったり、やんちゃを繰り返しているようだ。

ある人は僕に言った。「優しいだけでは恋愛はできない。然るべき時に、ちゃんと怒れない奴はダメ」だと。

彼女を僕がこうしてしまったのかと考えると、少し罪悪感と嫌悪感生まれる。

かに、この女は本当にヤバい奴で、大の大人が揃いに揃って「サゲマン」という言葉を投げかけるような奴だ。

でも、本当にヤバい奴はここにいるのかもしれない。

2017-09-25

LGBTポリコレとかどうでもいいから、とりあえず部屋を借りさせて

10年来の同性のパートナーがいる。

最近色々あって一緒に住むことになった。

二人とも職場や友人、家族にはカミングアウトしていない。

互いに同性愛者だから付き合った、というわけではなく友人から発展した関係なので、

他に同性愛者の友人もいなく、そういう界隈の情報も疎かった。

とりあえずルームシェアという形で探した。

見つからない。

あれ?今テラスハウスだのシェアハウスだのはやってるんじゃないの?

色々聞くと、友人同士だと関係破綻した際に滞納の恐れがあるため大家が嫌がるケースが多いらしい。

タグにはちゃんと「ルームシェア相談」と書いている物件なのに、

問い合わせるとNGを食らうケースもめちゃくちゃあった。

収入上、一人だったら連帯保証人通さずに借りれるのに、

ルームシェアとなると途端に両方に連帯保証人必要になるのだ。

なんでだよ。

もちろん、駅から距離とか、築年数とか、間取りとか、賃料とか、

何かをあきらめると可能性も大きく広がる。

でも、どうしても「一人で同じ条件ならOKなのに、二人だとなんで?」という行き場のない憤りが生まれる。

「二人入居可(同棲)」なのに「ルームシェア(同居)は不可」という物件も非常に多かった。

そして、「二人入居可(同棲)」に、「同性同士」の可能性はみじんも含まれていないのだ。


最近LGBT活動がよくニュースで聞こえる。

当事者のくせに、それまで「ふーん」としか思っていなかった。

SUUMOに「LGBTフレンドリー」の検索タグが追加されたらしい。

とりあえず都内可能性がある路線を全部入れて、ほかには何も条件を付けずに検索してみた。

33件。

まあ、こんなもんなんだろう。

おまけに何件かは、明らかにおとり物件も含まれていた。

なんだか泣けてきた。

私たちはずっと隠れてきた。

手をつないで公道を歩くカップルをうらやみ、

職場での恋人談義を曖昧にかわし、

今は「友人」と偽って部屋探しをしている。

情けないことに、私たちは日々の生活でいっぱいいっぱいで、

LGBT活動家の方々のように、いろんな偏見差別と闘うようなガッツはない。

それに、辛い思いをされている方には大変申し訳ないが、

たくさんいるLGBTの中の一人としては、トイレとか、更衣室とか、正直どうでもいいのだ。

生理的嫌悪感を催す方がいるのはわかっている。

家族や友人や、職場世間の人、全員に祝福されないのだってわかっている。

子供だって望めないのも、もちろんわかっている。

ただ、好きな人と一緒に部屋を借りたい。

何かあったときに、病院やそのほか機関から連絡がほしい、病室にいれてほしい。

手をつないで、近所の公園を、人の目を気にせずに散歩がしたい。

老い死ぬときに、一緒にそばにいたい。

それだけだ。


でも、とりあえずは、本当にとりあえずは心からいろんな人に他力本願承知で頼みたい。

他のいろんな権利はいったん置いといて、せめて、「2人入居可(同棲)」に「同性同士」を入れてください。

2017-09-19

俺の考える理想日本

卵焼きには醤油

・毎年クオリティの高い家庭用ゲーム機が作られまくる。スマホゲーム会社は爆発する。

人間の代わりにロボットほとんど仕事をしてくれる

・カッコイアニメ萌えアニメコメディアニメホラーアニメ共存して、幅広い作品がたくさん生まれる。

趣味マンガを描く人が多い

・みんなパソコンを使える

・完全自動運転車先進国

・和の心で、意見の違う人とも共存できる

居酒屋の「お通し」みたいなバカバカしい文化が廃れる

お前らの理想日本は?

2017-09-17

文化剥奪文化の盗用についてのメモ

ブログに書こうと思ったんだけど、どうもよく理解できないので、メモのままここに残しておく。将来利用するかどうかはわからない。


文化」とは、社会に共有された生活様式。この場合社会とは、コミュニティであったり地域であったり、場合によっては国家支配する領域であったりする。生活様式には、言語伝承なども含まれる。

文化的同一性」とは、その社会の成員がその社会に属しているものとして自覚できる文化社会に共有されたものであると同時にその個人のものでもあるため、所有意識が生まれる。

「所有」とは、他者排除して占有する権利のこと。権利であるがゆえに社会的に定まるものであり、社会的に定まるがゆえに社会によってその範囲は異なる。また、抽象的な存在に対する占有可能にするためには、何らかの概念が共有されている必要がある。例えば著作物に対する所有は、複製や営利に関する一定概念が共有されなければ無意味になる。

剥奪」とは、社会的強者社会的弱者権利を奪うこと。奪われる権利が物品財貨の所有権である場合搾取となる。

文化剥奪」とは、ある社会集団所属するひとの文化的同一性を保持する権利を奪うことである。例えば狩猟社会において狩猟禁止することや伝統的に行われてきた祭祀禁止することなど、旧来の生活様式禁止することは文化剥奪にあたる。創氏改名文化剥奪典型である

文化の盗用」(cultural appropriation)とは、社会的強者社会的弱者文化をあたか自分のものであるかのように占有する現象


文化の盗用が問題になるのは、盗用によって本来のその文化の保持者の文化的同一性が脅かされるからである。すなわち、自分自身所属する社会集団文化が他の社会集団のものとされることにより、自分自身同一性を脅かされる。すなわち、文化の盗用問題は、文化剥奪問題一種であるということができる。

文化の盗用問題に対する抗議が文化的標識(例えば特定民話伝承)の使用権問題として表面化するのは、弱者強者に対抗する論拠がそこに求めやすいからでしかない。実際の問題は、使用権にではなく、社会的支配・被支配関係にある。


文化剥奪問題は、弱者側の自主的同化を伴うため、外見上、単なる時代変化と線を引きにくいものになる。たとえば明治日本欧化政策は、軍事的経済的政治的に圧倒的強者であった西欧世界による日本文化剥奪であったが、それが日本社会の側から強者に対する弱者の対抗策として実施された主体的ものであったことも事実である。その際に、「和魂洋才」といった文化的同一性保持のための辻褄合わせが提唱されたことなど、分析すべき点は多い。

朝鮮人に対する創氏改名は強権的な文化剥奪であり、戦後在日朝鮮人韓国人通称使用第一の原因であるが、在日側の日本国内在住のための利便性からの選好という側面があったことも否定はできない。そのような姿勢経済的社会的権力関係が強い影響を与えたことも事実である。このあたりは非常に重層的で、軽々しく断じることができない。


いずれにせよ、文化剥奪強者弱者に対して行うものであり、このような議論が昨今日本人から発せられているという点は、社会集団の力関係の変化を考察する上で興味深い出発点になるかもしれない。

認めたくないことだけど、不幸体質な人:つまり大小さまざまな良くないことの被害者になりがちな人、その人の性質に何らかの原因があり、それを改善出来ないからそういう目に遭うんだろうなあ、と思うよ
何かが不足しているか、脱落しているか、もしくは何かが過剰なんだよ。それは想像力だったり注意力だったり思いやりだったり純粋さだったり、何かに欠陥があるんだよ
「何で私ばっかりこんな目に」って思うけど間違いなく本人に問題があって、かつその問題に気づけずに他人のせいにし続けているから、一生変わらずにその人は不幸で生きづらい被害者のままなんだと思うよ

そういう人ってある点では激烈な魅力を放っていて、とにかく人を惹きつけるんだけど、その分常に何かしらの揉め事も抱えていて、かつ被害者の顔をし続けるので
あるとき、みんなその人がトラブルメーカーであることに気付いて、この人はちょっと危ないぞ、と思い始めるんだけどその人は被害者なのでどうして自分が責められているかからない上に、
激烈な魅力にやられてしまったその人の信奉者がその人を擁護して、被害者意識を加速させてしまった結果、ぐるぐると、狭く、強固で異常な集団として成熟していくんだと思うよ

でも、そんな人が真人間になれる方法がある。

そう、それは筋トレ

筋トレをすると強い身体が手に入り、強い身体が手に入ったことで心に余裕が生まれる。何故か? それはいつでも、(あえてこの言い方をするけど)「加害者」をぶん殴れるからだ。鍛え抜かれた丸太のような腕を振り回せば「加害者」をぶん殴れるからだ。実際にぶん殴る必要はなくて、いつでもぶん殴れるということが大事で、いつでもぶん殴れると思えることが大事で、いつでもぶん殴れるぞと示せることが大事だ。
さあ、もし今あなたあなたの巻き起こす騒動あなた自身を巻き込んでしまい、色々と窮屈な思いをしているのであれば、一旦落ち着いて、街へ繰り出して(ずっと締め切った部屋にいると二酸化炭素中毒思考力が落ちるぞ!)、バーベルか何か、筋肉を鍛える道具でも買ってみないか? いや、何も買わなくてもいい。あなたにはあなた自身体重がある。それを使えばいつでもどこでも、あなたのいる場所ジムになる。そしてあなた筋肉について正しい知識を得るべきだ。つまりあなた自身トレーナーになればいい。あなたあなたというジムトレーナーになって、あなたというひょろひょろの迷える子羊を正しく導いてやればいい。

筋肉魔法だ。お前は今すぐにお前に魔法をかけてやれ。変わるなら今だ。

これはおすすめの本だ:
https://www.amazon.co.jp/dp/4484171066

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