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はてなキーワード: メジャーとは

2018-10-15

anond:20181015114843

メジャーだろうがマイナーだろうが、褒めようが貶そうが、「映画について語った」時点で、映画オタクマウントに巻き込まれるんだろ。やだやだ。

2018-10-14

anond:20181014145726

それって結局あるカルチャーメジャーになって販路広げるのを妨げるってことじゃん

2018-10-13

anond:20181013113202

誤解してるかもしれないので最初に言っておくと、

ガンダムの名が付いた作品がすべて同じ世界観作品ではないってことを知っておいてほしい。

アムロがいる世界」のガンダムもあれば、「アムロがいない世界」のガンダムもあって、

それぞれはまったく別の世界の話でつながりはない。

ちびまる子ちゃん」も「サザエさん」も架空日本舞台にしてるけど、全く別の世界の話でしょ?

それと同じ。

このMSはこのガンダム作品に出てきた!って結構分かるもの

メジャーものなら分かるし、マイナーものだと分からない。

あんまり詳しく知らないんだけど、作中の赤いMSのシャーのイメージが強くて、

彼は色々な作品に、手塚治虫で言うところのスターシステムでいろんな作品に出てたりするもの

アムロがいる世界」の作品複数あって、その中ではシャアは一人。

アムロがいない世界」の作品はより多くあって、赤いMS仮面っていうコンセプトが似たキャラは出てくるけど、全くの別物。

あとMSで一番強いのはどれ?

なんか聞いてるとチートっぽい技や技術もあったりするから

そういうの抜きで純粋MS単体の性能としての最強MSと言ったらどれになりますか?

上で書いたとおり作品が違うから比べられない。

無理に決めようとすると、きのこvsたけのこみたいな宗教戦争になる。

2018-10-12

自分がなぜ絵を描いているのかふと考えた話

最近絵を描くのがしんどいと思い始めたか自分気持ちを整理するために書く。

本題は下の方なので途中は飛ばしてOK

サイト時代から同人をやっており、以前はオフ活動積極的にしていたが金銭時間等の問題、家庭環境等の関係でここ数年ネットのみで絵を描いている。いわゆるオン専の絵描き

絵馬ではないが今まで色んなジャンルを渡ってきて、そこそこに見てもらえてあたたか言葉をかけてくれる人もいた。

交流も得意ではないがその都度ジャンル内で仲いい人も出来、それなりに問題もあったが楽しくやっていた。結局ジャンル移動や結婚出産等で同人を辞める人が多く、ほとんど音信不通だけど。

自分も数年前色々重なり一時期同人を辞めていて、久々に某アニメを見たらハマり数年ぶりに出戻った。

以前もそうだったけどとにかく描くのが楽しく、萌えを発散したい!の一心で絵や漫画を描き始めた。

でも出戻った時にはツイッターが普及し、個人サイトがほぼなくなっていて以前の同人雰囲気とかなり違っていて驚いた。

以前やっていたサイトは閉鎖していたので、この機会に二次創作用のツイッター同人以外ではツイッターをやっていたから使い方は知っていた)を始め、pixivにも登録してみた。

しかサイトと違って人の評価ダイレクトに見えるし自分評価ダイレクトに見られる。

以前はサイトカウンターくらいだったけど、1つの作品に大して数字で表される。

ただ、運よく出戻ったジャンルとは相性がよかったのかそこそこに見てもらえ他人評価はそこまで気にならなかった。

数字が伸びると嬉しい。ブクマが沢山つくとやる気が出る。

そしてその後時間が経ちいくつかのジャンル転々とした。色んなジャンルを描いた。

しかし段々人の性質も変わってきた。

とあるジャンルにハマって描いていた時、マイナーCPだったけどそこそこに見てもらえ超厳選フォロー大手にもフォローして頂けた。

私自身は厳選フォローでもなくフォロバも余程でない限りはしていたせいか沢山話しかけてもらえてこのジャンルにハマって絵を描き始めたという絵描きとは個人的に遊びに行くくらい仲良くなった。

しかし仲良くなった絵描きはけっして絵が上手ではなかったから厳選フォロー大手にはフォロバされていなかった。

後日わかったことだがそのhtr絵描き自分も厳選フォロー大手フォロバされたいがために私を利用していただけだった。

(厳選フォロー大手さんは私の作品を高評価してくれていて、私の周りの人も数人フォロバしていた)

念願かなって厳選フォロー大手フォロバされたhtr絵描き勘違い発言の連発で割と人間不信に陥った私はその人と縁を切りたくてツイッターアカウントを消してジャンルから去った。ジャンルごと嫌になってしまった。

その後新しくアカウントを作り直したが、フォローは超厳選するようになった。

しか交流ありきのツイッター、多少なりともフォロバしないと評価はされないし高尚扱い。

ワンドロに参加しても私だけはジャンルからスルーされていた。

けど新しいジャンルも好きだったから描いていた、が次第に疲れてきた。萌え語りを見る事もなくモチベも保てない。

どう見ても自分より下手な人が交流票で自分より反応をもらえているのがしんどい

そう思っていた頃また別のマイナージャンルにハマり、今度は萌え語りをしている人はフォローしようと思い探し、思いっき萌え語りしてる絵描きを見つけてフォローした。

その方はジャンル毎にアカウントを分ける方らしく新しくアカウントを作ったばっかりでフォロワーも1桁だった。

ひたすら萌え語りと絵を投下する方で私も負けずに萌えを投下するぞ!!といい意味で感化されてよかった。

…けどそれもつかの間。その人のフォロワーが徐々に増えだして突然「アタシ別アカ持ってて実はそっちはフォロワー○桁いるんです^^実は大手です^^壁サークルです^^」

「このジャンル今はマイナーですけどアタシがメジャーにしてみせます!アタシ影響力あるんで!○桁のフォロワーに広めます!」といきなり数字マウントを取り始めるようになった。

正直その低画力でその大手フォロワー数?と思ったが何かバズってそのジャンルの方には刺さったんだろう。

段々萌えてるというより「このCPといえばアタシ!アタシが始祖!」になりたいようで必死さがうかがえた。

絵も何度もセルフRTするようになり下書きチラ見せ、自分語りも増え別アカフォロワー数で数字マウント共通フォロワーがその人が別ジャンルでは大手と分かった途端必死の擦り寄り…TLを見るのが疲れてきた。

その上新ジャンルでは私はどれだけ描いても全く無反応、フォロワーが少ないので当然だが数人はいるのに誰一人いいねすらしてくれない。萌え語りも無反応だし何のためにフォローしてるんだろう。

マウント絵師も大して上手くない(もっと上手い絵師を何人も知ってる)のにフォロワーは皆アタシのファン!な態度にイラついてきた。最初ガンガン萌え語りをしていたアナタは何だったのか。

心が疲れて好きだったはずのそのCPも描く気が失せてきた。どうせ自分は描いてもまたいいねの1つもされずに流されていく…




というわけで本題。

自分が何のために絵を描いてるのかわからなくなってしまい、萌えてるから描きたいというより描かないと劣化する恐怖で描くがツイッター投稿すると評価もなく途端に萎えて心が病む。

以前はそれなりに評価してもらえていたからそこまでhtrでもないと思うのに、どうして見てもらえないのかわからない。描いても意味がない。時間無駄

ツイッター投稿しなければいいと思われるがサイト時代から人に見てもらいたくて(評価とかではなく純粋に見てもらいたいだけ)やっぱり投稿するのはやめたくない。

また再びサイトに籠ろうかと思ったが、サイトだと余計見てもらえない。やっぱり見てもらいたい。そう思う自分しんどい

そういう気持ちグルグルした。描いている時は楽しい投稿するとしんどいモチベが下がる。さらにTLを見てモチベが下がる。

要は自分のも人のも数字が見えることがしんどいSNSに向いてないけど時代SNSありきだから仕方ない。こんな誰から評価されない糞絵が嫌いになってきた。



で、なぜ絵を描いているのか。なぜ出戻ったのか、初心を思い出してみた。

まず、そのCPが好きだ。萌えすぎてつらい。いつもそのCPのことを考えていてネタが湧き出るように出てくる。絵も漫画も沢山描きたい。

そういう気持ちで描き始めたんだった。

見てもらえなくてもいい。手に取ってもらえなくてもいいから本も作りたい。

そう思って寝る時間を削って原稿してイベントにも参加して毎回新刊を出していた。

要は自己満足で描いていたものが、いつの間にか自己承認欲を満たしたいがためのものになっていた…と気付いた。

趣味なのにどうしてこんなにしんどい思いをしないといけないのかと思ってたけど、初心を思い出したらその気持ちも軽くなった。

好きな人には悪いけど、私にとってツイッター害悪しかない。

手っ取り早く自己承認欲を満たせるツールだし私生活駄々洩れな人も多いし好きだった描き手の性格が悪い意味で透けて見えて作品も嫌いになることもある。

ツイッターのせいで好きなことがしんどくて鬱になりそうだったけど、

とりあえずしばらくツイッターは全く見ず、絵と萌え語りだけ投稿していこうと思う。

今ハマってるCPが好きだから誰も見てなくても描きたい。と常に自分に言い聞かせるためにこのブログを書いた。

自分の絵がまた好きになれますように…。





まーでも数字ありきの時代だしフォロワー数の少ない絵馬フォロワー数が多いROMの時代からやっぱりフォロワー増えてほしいんだけどねwww

でも楽しんで描きたいなー趣味病みたくない。

日本版文化の盗用」議論

アメリカでは文化の盗用」に関する議論が喧しい。ボストン美術館キモ体験についたクレームだとか、当事者であるはずの日本人から見ても「別にいいじゃん」と思わせられるようなケースさえあり、それ自体差別的発想だという批判もあるくらいだ。実際、例の企画は、元々の画がジャポニスムテーマにした画であり、その画の前で日本人ではない人がkimonoを着て写真を撮る行為は、むしろ「ある時代存在したジャポニスム」そして「それを描いた画」という『オリジナル』を尊重した行為ですらある。たとえば日本人着物を着てその前に立っても全く意味がないどころか、むしろそれこそ「オリジナルへの敬意を欠いた振る舞い」として批判されるおそれさえあるだろう(皮肉)。

(※ちなみに、時間のない方は、このあと太字部分だけ読めば大体の内容が分かります。)

だが、そんな自分が、日本でしばしば気になって仕方ない「文化の盗用」がある。それは、TV番組などでしばしばみられる「関東言語話者による恣意的方言使用である。よく例にあげられる「外国の都会の人の言葉標準語で訳されるが、農夫の言葉東北弁で訳される」みたいな問題だけではない。地方舞台にしたドラマ登場人物が喋る台詞などにおいても、方言が、その地方やその地方言語に対する十分な理解を欠いた人間、つまりネイティブ以外によって「ちょっとした彩り要素」としてカジュアル使用される結果、おそろしくひどい形で表現されている。文化への敬意を欠いた使用は、まさに「盗用」と呼ばれるのにふさわしい。

たとえば、関西ネイティブとして断言するが、TVドラマや公に出版されるフィクションなどで見かける関西弁による会話」をみて「自然だ」と感じることは99%ない。それなりにお金をかけているはずのNHK朝ドラ関西指導:●●、などとクレジットが入っているのに)などは、最もひどい例の筆頭である

そういうひどい例を具体的にあげると枚挙に暇がないので、1%の「よい」例をあげてみよう。たとえば谷崎潤一郎細雪戦前作品だが、関西文化に対する深い理解をもとに、「自然な」関西弁が用いられている数少ないフィクションである。谷崎は江戸っ子だが、言語に対する深い感覚と、関西に移り住み関西ネイティブ結婚して緻密にその文化所作、その背後にある思考法を観察した結果として、たとえば第一章冒頭の流れるような会話描写を実現した。相手の反応を伺うような、どこで途切れるのか分からない古典時代のような会話、相手を立てるように話す長女と蓮っ葉な口をきく三女は、それぞれ阿吽の呼吸で話を推進する役/突っ込みを入れる役/疑問・答によって話のオチを付ける役、などの役割(ロール)を自在に演じながら会話を展開させていく。これに較べれば、NHK朝ドラ等の会話が、いか醜悪な「関西弁モドキ」の会話であり、結局「関東弁を関西弁ぽい口調にしただけ」の底の浅いものかがよく分かる。少なくとも関西ネイティブなら、その違いは明白に感じ取れるものだ。

NHK朝ドラで、たとえばヒロインに対して友人が、あるいはヒロインが知人や親に、時に熱く、あるいは涙を浮かべて関西弁で「○○○○なんや!」と叫ぶ。見ている私の胸には「ああ、またか」と鼻白む思いが広がっていく。あれで関西配慮しているつもりなのか。関西東京にとって単なる感傷的なエキゾチシズムの対象なのか。あん関西人おらへんねん。ほんまに。

関西では、関東人のように「正論」を「熱弁」することは、申し訳ないがノーマルナチュラルな振る舞いとは見なされない。話の半分をジョーク構成し、自分を「落とし」て低姿勢で粘り強く交渉するスタンス疑問形を多用して「相手に語らせる」手法、話にはヤマとオチをつけるという作法、そういうものを欠く会話は、下品で場をわきまえない失礼なものとみなされ、見下される。幼い子供を除けば、自分意志相手に伝えたいときにはもっとも用いないやり方だ。関西ネイティブ一見感情かに見えるが、それはあくまでロールを演じる意味においてでしかない。生の感情を表に出すのは、基本的に大きな怒りを感じている相当限られたケース・シチュエーションであり、その際にはまた普段とは全くことなる口調・態度・話の作法を取る(先ほどの「細雪」では、たとえば上巻九で女中を叱責するときの口調がその好例となるだろう)が、それもまた原則的にはストレート物言いを避けながら結論へと近づいてゆき、「自分の言いたいことを相手に悟らせ言わせる」ことを目指したやり方を取るのが通常である。そして、可能な限りすみやかに、通常の流れの会話への復帰が図られることで、その特異な状況の調停と幕引きが図られるのが常である(たとえば先の「細雪」の例では、女中を叱責して帰したあとすぐ長女が「やっぱり自分に落ち度があったのだろうか」という意味自分の「落とし」を始めることで、通常モードへの復帰を図っている。もっともこのシーンでは、普段無口な次女が想像以上にこの件について腹を立てていたため、復帰があまりうまくいかない、というシーンになっているが)。

真顔で、正論を、熱弁するヒロイン これを関西弁でやられると、演技の上手下手に関わらず(むしろうまければうまいだけ)、申し訳ないが周囲との調和を失い破綻した人格を演じているようにしか見えないのだ。このため、たいていの関西人が、あれを見て「奇妙に大げさで下手な演技をする演出朝ドラスタンダード」という歪んだ認知もつことでスルーしていることを、NHK関係者理解されているだろうか? 役者が上手に真面目に演じれば演じるほど、関西人には「下手糞」な演技に見え、演じたい役と演技の乖離は増してゆく。方言文化に対する敬意を欠いた行為は、こういう一見滑稽な、内実を考えれば誠に悲惨結論を生んでしまうのだ。

いったい、メディア関係者はこの明白な「盗用」行為について、どのように考えているのか。私はこれが何かを「考えた」結果であればまだ救いはあると思っている。しかし、おそらく「何も考えてない」というのが実情だろう。何も考えていないからこそ平気で「盗用」できるのだ。盗まれた側の痛みなどまったく想像もしていないから、平気で盗んで見せびらかすような真似ができるのだ。とんだ裸の王様である

国内メジャー方言である関西弁ですらこの有様だというところから見ると、おそらくそれ以外の方言についてはもっとひどいことになっているのだろう。異文化カジュアルに親しむことが「悪い」ことだとは言わないし、敬意をもって接してもらえるなら、触れてもらう側にとってもそれは喜びとなる。だが、少なからず敬意を欠いた異文化との接触は、しばしば悲劇的な結論しか生まないものだ。国内異文化に対する振る舞いは、必然的国外異文化に対する振る舞いにも敷衍される。奇妙に滑稽な「クールジャパンの現状、昨今の極めて「内向的な」外交のありようと、このことは無関係ではないだろう。私たち自分たちが何ものかも知らず、他者が本当は何者なのかも分からない中で、相手の予想のつかない振る舞いに、奇妙に怖れ、怯え、媚びているのだ。


文化の盗用」議論に実りある内容があるとすれば、こういったことへの自覚が少しでも私たちの中に生まれることにあるのではないだろうか。私たち自分たちのオリジナル文化とは何なのかについてもう少し自覚的になり、「(異)文化とは何か」ということについてもう少し考えてみるべきだと思う。無邪気な子供のように「世界中ミナトモダチ」では片付かない、異文化接触する際には慎重で警戒した身振りが必要となる、そういうリアル感覚をもう少し我々はもつべきだ。そうすれば、外交についてももう少し現実に即した対応が行われるようになり、海外との交流スムースに進み、そして関西に対する誤解をただただ広めるようなフィクション制作されなくなり私がイライラする機会ももう少し減るのではないかと期待する。(←これがオチ

2018-10-11

あるジャンルの賑やかし要員にアイドルが選ばれたとき

プロレスでもラグビーでも登山でも将棋でもなんでもいいんだけど

あるマイナージャンル野球サッカーほどメジャーじゃないもの)のTV番組

何の因果かそのジャンルに一切関連がなさそうなアイドル

賑やかし要員にアイドルタレントが選ばれることがある

初回の番組時に大体「この番組きっかけに詳しくなりたいです!」とか言うんだけど、

大部分は番組が終わるとそれきり。

たまーに一部の人ガチ勢進化したりして、

そういう人をみると、この人は誠実な人だなぁと思ってしまう。

そういうのを明らかにするためにあの変なキャスティングしてるんかね?

ここ10年でメジャーリリースされた楽曲で『Os-宇宙人』よりミックスがひどい曲マジで0説

マジであれ何なん?

「あえてローファイ感を」とかい次元じゃないだろ。

anond:20181011115045

1つ目は、どのような教義にしていくかのロードマップ

分かりやすければ分かりやすいほどいい。

出来れば日常の人の不安を煽れるようなものがいい。

病気が治る、の似非科学医療系でいくか、○○をやっていると地獄に行くけど□□をすれば罪が許される、系のどっちかがメジャー


2つ目は協力者。どんな弱ってる人も叩き落せるような

ダーティで頭のよい協力者がいる。

報酬は怠らないように。

医者とか弁護士とか博士とか、肩書きがあってお墨付きがあるとベスト


3つ目はターゲット(とそれに応じた場所広告戦略

ネットで起こしたって今日ネットリテラシーは上がってるから

しろねらい目はデジタルディバイド病気とかで弱ってる老人。


とりあえず、既存カルトとほぼ同じ教義で起こしてみたらいいと思う。

anond:20181011040543

人文学社会科学か。社会科学のほうが科学なのに怪しさが入り込む余地がある気がしてしまうのも奇妙だが、哲学とかだと論理的議論はあっても「正しさ」を決めることはできないからかな。

なんとなく「人文学」と書いたけど,「人文科学」と呼ぶこともある.私個人としては別にどっちでもいいかと思うけど.人文系社会科学系と呼んだりもする(総称は「人文社会系」とか「人文社会科学」とか).「社会科学」は略せないんだよな,「社会学」とかぶちゃうから.このへんは前増田で参考文献として挙げた隠岐さんの著作面白かったから読んでほしい.オススメ

理系でも教授の贔屓やコネはないわけじゃないけど論文数(あるいは引用数)で無能認定する仕組みは馬鹿排除には有効なんだよ(捏造動機にもなるけど)。

論文数で無能認定文系でもよくあることです(ただ,論文をあまり書いていないだけで該博な知識を有してる人なんかは尊敬される.周りは「もっと論文書いて! 読みたい!」って思ってるけどw そういう人がポストを得られていなかったりして業績少ないから仕方ないと思う反面すごいもったいないなと思ったり).ただこれも分野によっては1年に1本書いてりゃまあ標準的,というところもあれば1年に2・3本書くのが当然だろ? という分野もありで,その上分野によっては査読の有無での格付けとかもあまりしないので(そりゃ学振申請書では査読つきとなしを分けて書くけどね),安易に異分野の人が自分野の基準無能判定するのは本当に良くないからやらない方がいいと思う.今年は著書1冊書いてるけど論文は書きませんでした,を理系基準で業績ゼロって判定されたら暴動起きますよ.

あと歴史学文学だと,いちばん大事仕事論文執筆じゃなくて史料校訂だ,という感覚もあったりして,そのへんがきちんと評価されるのが望ましいよなぁと.ある平安貴族について論文書いても分析視角ニッチならあまり引用されないかもしれないけど,どこぞのお寺なり旧家なりにしまわれてたその貴族日記活字に起こして誤字脱字を訂正して単語意味解説して背景情報を補足して(日記って本人にとって当たり前のことは書かれないけど,1,000年経ったらそんなことわからないので),っていう作業をしたらその後平安時代歴史文学をやる人に参照されまくる基礎文献になったりする.こういう地道なレファレンス作りや史料校訂がきちんと評価される仕組みであってほしい……

で,引用数については問題点が2つあって,

1.どうやって数えるのか

これは技術問題.色んな言語で発表される紙の本での引用数,どうやって数えたらいいの……? ってやつ.異国の本屋さんで面白そうな学術書があったから手に取ってみたら私の論文引用されてたとか,異国で買った本をパラパラ読んでたら知り合いの英語論文引用されてたけどその知り合いはその異国語を読めないから多分存在を知らないだろうなとか,そういうの割とあるあるなので,人文系じゃ誰も被引用数なんて気にしてない.ぶっちゃけ無理ゲーだと思う.

あと,英語の本で引用されて,そのあとその英書が10国語翻訳出版されました,という場合は,何回引用されたと数えるべきだと思う? 1回? 11回?

2.それ数えて意味があるのか

そもそも優れた先行研究を褒めるのにもダメな先行研究をけなすのにも引用をするわけで,ある論文の中でむっちゃ参考にされた文献とけちょんけちょんにされた文献の2つがどちらも引用1回ってことにされちゃう不公平すぎない? って思うんだけど.それに,自分の専門分野についてあまりにひどい俗説が広く出回ってるとき学術文献じゃなくても引用して批判することがあるので,たとえば日本近代史の人が小林よしのりの『戦争論』を名指しで批判するとかよくある.純粋引用された数で勝負したら小林よしのり惨敗するマトモな研究者って大勢いると思うんだよね.

というか,文系だと「他人の書いた文章研究対象にする」というのがあるので,村上春樹研究なら当然村上春樹引用するわけで.さら学問分野によっては,「文献リストに先行研究研究対象を一緒くたに並べる」慣行を持つところもあり(これはその分野なら英語圏の査読誌でもそうなってる),たとえば樋口直人『日本排外主義』という日本極右研究した本の文献リストには,日本欧米社会学者が書いた真面目な研究文献と桜井誠櫻井よしこ西尾幹二の本がABC順でごちゃ混ぜに配列されていて,両者は引用形式からはまったく判別できない.本文を読めば前者を参考にして後者分析したり批判したりしてるのがわかるんだけど,機械的区別することは不可能.なので在特会に関する研究が進めば「桜井誠引用数で負ける研究者」がたくさん出てくると思うけど(というか現時点での私が負けてる疑惑),この基準どう考えてもおかしいでしょ.文系の業績を考える上で被引用数はマジで無意味だと思う.

追記

id:q-Anomaly 面白かった。一般文芸と一緒になっているから大変なのかな?理系だとわざわざトンデモさんに言及したりしないしね。間違いを指摘するとき論文ではなくて直接メール、もしくは研究会で議論かな。

もちろん文系でも別に公な場で晒し上げるほどじゃない間違いだったら直接本人に言うとかあるのでそのへんは批判する人の性格とか人間関係にも拠るところはあり,一方で理系でもSTAP細胞ときはさんざん批判論文出てたように思うので公開の場で批判する文化は当然あると思うのだけれど,間違いの指摘を必ず公開の場でやるわけじゃないとか言われるとじゃあこれまで理系には透明性のある評価基準があるけど文系にはそれがないかダメとか言ってたのはいったい何だったんだよ……って思うわ.あなたが言ってきたわけじゃないかあなたに言うのは不当なのかもしれないけれど.

id:hogefugapiyox 増田 理系(理論)でも独創的な論文で高く評価されるけど問題自体が超ニッチ引用は増えないことはありうる。そこで論文誌や国際学会のランクが役立つことはある。正しくてもレベルがそぐわないもの査読で落とされるので

これは文系でもあるあるメジャーテーマ研究していてもつまら論文しか書いてなければ意味はないしマイナーテーマでも面白論文が書ければ就職が決まる.

id:death6coin 参考にしたのと批判したのは別にリストアップする形式がいまからまれ得るかというと・・・難しそうですね。批判にも論外から一部の点で疑問があるまで程度があるだろうし。

「この論文はこんな資料を発掘してくれたので重要だ.でも発掘した資料解釈に疑問がある」とか,どっちにリストアップすればいいんだよという話で.

でもって,リストアップの形式については出典をどう示すかという形式が大きく絡んでくるんですわ.たとえば,歴史学なんかだと先行研究研究対象は別々にリストアップするけど(それでも流石に優れた先行研究ダメダメな先行研究は分けないよな),それは社会学とは違うやり方で出典を表記しているからそういうことが可能なんだという事情もあって,まあこのへんは自分学術書やら論文やらを読んで出典チェックしたことがないとわかりづらいかもねえ.社会学とか一部の分野で全部ごちゃ混ぜにした文献リストを作るのにも合理的理由があるんですわ.

id:hisawooo 増田に言うんじゃないんだけども、トンデモ論文への直接的な批判するなら一番マトモで普通な手段編集者宛のレター(つまりは読者からのお便り欄)じゃないかね(理系の話をしてます

なるほど,そういう慣習があるのね.言われてみれば文系でletter欄って見ないな.

で,文系論文だと本論に入る前に「先行研究の整理」ってやるんですわ.「先行研究Aは基本的妥当だがこの部分の解釈問題があり,先行研究Bは古いため近年発見された資料を使っておらず,先行研究Cは優れた研究だがちょっと私のやりたいことについてあまり触れられてなくて,先行研究Dは論外」みたいに整理した上で,じゃあ先行研究A~Cの成果を踏まえて先行研究Cが見落としている角度から先行研究Bが使ってない新資料を使って先行研究Aとは違う解釈します,みたいに自分論文の意義や新規性アピールするわけ.なので純粋な参考文献だけの抽出とか無理ゲー

id:enemyoffreedom 引用数の正しいカウントがやりづらいのは、さすがにその分野の引用慣習に問題ありな気も。他分野や門外漢から見た透明性の確保も今後は必要になっていきそう。まぁそれだけが業績評価を左右するようだと不健全だが

たくさん引用されたか価値がある研究! とかいローカル基準に基づいてヨソの分野の引用慣習をまるごとdisるならこっちもお前らのそれってPV数狙いのSEO対策でクソ記事垂れ流す互助会みたいなクソ慣習だなって言っていい? つーか文系査読なしで論文のチェックをしない! 不健全! と文系批判対象も引用に含めている! 不健全! ってマジどうやれば同じ口で言えるんだよって感じ.クソ論文をきっちり論文中で批判してるから正しいカウントが難しいって話に正しいカウントがやりづらいか問題とか言われるのマジ批判のための批判じゃん.全部ごちゃ混ぜで引用するのにも合理性はあるんですよ.そんなのはその分野の論文なり著書なりを読んで出典チェックしてみればわかりますよ.何度も言うけど英語圏でもこういうやり方なの.本当にこの慣習を是正たかったら理系の皆さんが大好きな英語で全世界普遍的問題提起をなさってくださいよろしくお願いしますクソが.

すごい大事追記

id:rci このシリーズはとても面白い。

面白いと言ってくれるのはありがたいんだけど,あなた一連の増田ちゃんと読んでる? このトラバリーの中で,私は何度も自分オタクだって言ってるよね? だからhttp://b.hatena.ne.jp/entry/372509722/comment/rciみたいな雑括りされても本当に困るんだけど.まあ記事の隅っこで書いてるから気付かなくても仕方ないところはあるけど,そうやって文系オタク対立構造にされて困るのは私みたいな文系オタクなんだよ.ほんと勘弁して.

正直私はキズナアイについては興味ないし,どうせならシロちゃんやらせればよかったんじゃ,とか思うけど,同時にあのくらいの服装が叩かれるとかおかしいよな,とも思うよ.なぜか服装に関してはゴリゴリ保守派になる連中が多くて目眩がしてるよ.色んな変わった服装を好む人への抑圧だろ.ぜんぜんNHKに出ていいよ.それが多様な社会であり自由社会だよ.

とにかく私は両側にもうウンザリ.ろくに事実関係を調べもせずVTuberについて基本的なことを知りもせずキズナアイを叩く連中にも,ろくに文系について知りもせずどんな研究をしているか理解もしないできないのにクソバイスを垂れ流す連中にもウンザリです.オタク叩きも文系叩きもクソくらえ.どっちも私の敵.ただもう本当にこれ以上関わり合いになりたくないのでここ数日の荒みきった心を『ヤマノススメ』の録画を見ることで癒やしてきます.一連のレイニーブルー展開を鑑みる絶対ここなちゃんはひなたをあおいから寝取ろうとしてるしかすみさんはあおいをひなたから寝取ろうとしてると思うんだよね.

anond:20181011022606

そうなんだ。

全集って言われてもメジャー言語だとどれ選んでいいんだかよく分からいからかな。

選集ならあるんじゃないの。

フランス文学はGallicaのブクマ数見る限りあん需要ないのかも。

2018-10-10

anond:20181010152800

お前はもうずっと増田で、「査読がないことは論文の質を決定する要素ではない」と言っているだけ。それに対して、高いレベル査読が行われていなければ再検証対象としての優先度は下がるし、再検証されない論文は被参照数が増えず、論文としての価値が低いと言っているわけだ。査読は優れた研究であることを同業者に認められるための条件の一つになるが、査読されていなければ再検証も行われず優れた研究と認められることは稀である。ゆえに査読されない事は、論文価値を実質決定する。

引用数にやたらこだわる人が多いと思ったらそういう理由があるのね。当たり前だけど、マイナー事象を扱っていればメジャー事象を扱ったものより被引用数は少なくなるから、それは直接価値を測る尺度にはならんよねって話をしてるわけ(この問題はとうぜん査読誌にも存在するよ。英語圏でも日本語圏でも、ナチスについての歴史研究とそのへんの小国歴史研究、読まれる頻度が高いのは研究人口からいって前者なわけで。まあ当の小国で出た論文に限れば頻度は逆転するわけだけど)。あと、論文の中でダメダメ研究引用した上で批判する、なんてのもよくやるよな(まさかやらんのか?)。このような研究分野において、被引用数は文字通りどれだけ多くの人に引用されたかという尺度に過ぎず、引用多寡は直接的には論文価値リンクしない……というのは流石に理性があればわかってくれるよね? まあ実質的リンクしている分野があるのは理解したけれど、他分野においてもリンクしている、あるいはリンクさせるべきだという主張はまったくもって理解に苦しむ。

そして、社会学においては、偉い先生が書いた査読もされない招待論文価値があるとみなされる構造問題があると言っている。当初から査読の有無は問題視されていない、論文クオリティ担保する仕組みについて社会学での在り方が、社会学者内でも文科省でも疑問視されている事を指摘されている。

偉い先生が書いた良い査読なし論文には、そのへんの若手が書いた微妙な出来の査読論文よりも価値がある、という話なので。そしてもちろん近年は査読重視にシフトしている、という話もさんざんなされているわな。同じ社会学でも世代とか環境によって「格」の考え方には差があるわけで、1人の学者放言に基づいて構造を云々してしまうのは到底科学的な態度とはいえない。まして、社会学限定するのではなく、「文系」というより広いくくりでの議論をしようとするならば。要するにきちんとリサーチしろと言っている。ろくに対象について調べずに的外れなこと言ってんじゃねーよバーカ、って言えばわかりやすい?

お気持ち明学問とは違って、理工学は先行研究との間の比較実験をして、実験結果について先行研究との比較を解析的に行う。先行研究との比較には、同様の実験を再度行う場合や、同じシステムを構築しなおす手間を含む。時には、予算時間も考えられない程かかる。

先行研究との比較ねえ。まず文系といっても色々あるので一概に言えないわけだが、たとえば歴史学なら先行研究引用されている史料はチェックするよな。文学なら、まあ文学といっても多種多彩だけど、刊本が容易に手に入る小説の内容についての分析なら手元か図書館に同じ本があるはずなんだから再検証は容易にできる。のでみんなやってるはず。逆に文化人類学なんかはフィールドワークデータ依拠する以上原理的に完全な再現不可能だけれど、そこは天文現象についての研究と同じだと思ってもらえれば。一回性の振る舞いを膨大に集めて理論を構築していくという意味で。社会学も、フィールドワークに基づいたやつなら文化人類学と同様だし、統計に基づいているなら統計に基づいた議論ができるよな。法学は、まあ、条文が目の前にあって、それをどう解釈すべきか、あるいは個別事件がまずあって、そこに条文をどう当てはめるべきか、という議論から再現性とかあんまり関係ないと思う。とまあこんなふうに、分野によって「再検証」のあり方というのは実に多種多様なのね。理系とひとくくりにされてはいても、工学天文学と生物学理論物理学と数学じゃあ「再検証」のあり方は違うっしょ? 理工系スタンダード研究のあり方、ということではまるでないわけで、そうなんですか理工系ではそうなんですね勉強になります、以上のことは言えない。

逆を言えば、文系場合は、査読の有無にかかわらずただ読むだけでいいという事だろう。論文の良しあしに関わらず、ゴミの山に埋もれるのは空しいな。そして競争もない。

ただ読むだけでいいというのが何のことなのかはわからないけれど、普通に競争はある。考古学なら新しい遺物発見されたとか、歴史学なら新史料を見つけたとか、そういうマテリアル新規性もあるし、独創的な理論解釈提唱したという意味での新規性もあるわな。そして同じ事象研究するにしても出来のいい研究と悪い研究とでは当然与えられる評価も異なってくるし、違う事象について研究していても同じディシプリンの中にいる以上出来の良し悪しというのはわかってしまうわけで(だから引用数を重視する文化存在しない。たとえどれだけナチス研究の方がそのへんの小国研究より注目されていようと、出来の悪いナチス研究と良く出来た小国研究なら後者の方に価値があるから)。

Pixel3発表の反応みて思ったこ

スペックなりの値段なのに「高い」って反応がおおいの見るとAndroid端末メーカーってほんとに不幸やなと思う

ただ、かつてAndroid端末の売りだったはずのイヤフォンジャックや外部ストレージが標準ではなく差別化要素になってきてるあたり、少し寂しい気はする。

そして個人的に気になるのは、Pixel3のアクセサリー市場について。

Android端末は片手で数えられるぐらいのメジャーな端末以外アクセサリー選択肢殆どないのが個人的に辛い。

テカった外装が嫌いなのと、落としたとき割れないようにという目的でマットな外装のケースを買いたいんだが、Android端末は端末によっては全く選択肢がない。

Pixel3はおサイフケータイ対応っぽいし、ある程度アクセサリーメーカーも乗っかってくれるんだろうか?

自由であるが故の不自由みたいな、なんとももどかしい感じ。

2018-10-09

anond:20181009141613

????????

元々はセーラームーン性的かどうかの話をしてて

いきなり持ち出されたクリーミィマミセーラームーンがどっちがメジャーかって話になってんのに

なんで魔法少女モノの分類の話になってんだ?

自分の論が言いたいだけで他人の話聞いてないよね?

anond:20181009133716

そういう話ちゃうねん

いや、こっちが言いたいけど

単純にどっちがメジャーかって話の時に意味不明な自説垂れ流されても…

anond:20181008103608

同人なら好きにすればいいけど商業は違う」と言う人が多いけど、

実際は(他増田も書いてるが)同人の方がよっぽど制約多いよね。

商業なら全年齢で許されるレベルの性描写でも同人18禁表示しなければならないし、

(でなければ印刷屋が印刷してくれないし、イベントでも頒布できないし、同人書店も扱ってくれないし、

webでもpixivのようなメジャープラットフォームに載せる事もできない)

他の人に嫌われるような表現をしたら容赦なく批判される(間に入って守ってくれる編集などいない)世界

他者プラットフォームを使わず自鯖でも立てるか自宅のプリンタ印刷して自力製本して自家通販でもして

どんな批判が来ようがお構いなしってなら(法律を守る限りは)何描こうが自由だけど

そこまで思いきれる人はほぼいないし、そもそもそれじゃ見て貰える数が激減する。

自由には責任が伴うんだよ。

商業出版社責任の大部分を負ってくれるが、アマチュアは全て作者本人が責任を負わなければならない、と言う違いがあるだけで

アマチュアであれば何をやっても免責される訳ではない。

anond:20181009095539

最初食わず嫌いみたいな感じで良いと思うんだよね。

その後に、意外と面白いかも?って感じ。

でも、マイナーだったはずの作品メジャーになると見たくなくったり嫌悪対象になりかねないか

最初のうちにちら見しておくのが正解かもね。

2018-10-08

みんな日本語学術言語としての重要性を軽く評価しすぎ

この件.

https://togetter.com/li/1274544

査読論文持ってないひとが責められるのはまあわかる(査読なし論文でも優れた論文というのは有り得るし,そういうのも業績として認められるべきではあろうが,このご時世ではまあ査読論文は持っといた方がいいよな……).でも英語論文を持ってないことが責められる理由になるのは本当に理解できない.

何度も繰り返すけど,フランスでもドイツでもロシアでもスペインでも,そしてたぶん中国韓国でも,文系研究業績の大半は自国語だから

文系研究業績が自国語で積み上げられるのは,世界標準から

インドサハラ以南のアフリカ諸国のように長いこと西欧植民地になってたり言語の数が多すぎたりして大学教育英語でやっている国や,ツバルナウルみたいに小さすぎて自国語のアカデミアが成立しない国を除く.そういう国がうらやましいと言うならもう何も言えないけれど)

そりゃ英語論文を持ってたらすごいと思うよ.でも英語論文がないことが叩かれる理由になるのは本当に理解不能.

そもそも社会学には膨大な日本語研究蓄積がある.いくつもの査読誌があり,日本語査読を経た研究成果が積み上げられている.博論をもとにした出版も多く出ているし,入門書からから日本語で一通り揃うようになっている.

自国語で用が足りるんだから論文執筆言語自国語でいいだろ.繰り返すけど,それが世界標準です.

イギリスアメリカ学者英語で書き,フランス研究者がフランス語で投稿し,ドイツ博士ドイツ語で教授資格申請論文審査を受け,ロシア院生ロシア語で報告している中で,なんで日本教授日本語の業績しか持っていないのを責められなければならないのか皆目わからない.

これは社会学に限ったことじゃない.政治学だって歴史学だって文化人類学だって文学だってそうだ.だいたいどの分野でも有力な査読つき学術誌を持っているし,それらの雑誌日本語で書かれている.

そして日本語というのは,世界でも有数の学術言語だ.もちろん英語ほどの網羅性は持っていないかもしれないが,ドイツ語やロシア語ほどの重要性は持っていると思う.それは,先人たちが日本語で積み上げてきた研究業績の賜物だ.

世界でも有数の学術言語」というのもいろいろな尺度があると思うが,どれだけ広い分野で高度な研究を積み上げているか,というのをここでは述べたい.

もしこれを読んでいるあなたが,アフリカに興味を持って,アカデミックな本を読んでみたいと思ったとしよう.大学図書館で文化人類学の棚の前に立てば,数ダースの優れたアフリカ研究あなたの前に現れるだろう.その多くが,西欧学者と同じようにアフリカフィールドワークをし,日本語西欧語の先行研究を読みこなした上で書かれたものだ.

あるいは,ヨーロッパ歴史を知りたいと思ったとしよう.あなた造作もなく,フランスドイツイギリススペインロシアや,そしてチェコポーランドポルトガルボスニアについての研究書を見つけられるだろう.どれも現地語の史料や文献を消化した上で,日本歴史学の積み重ねてきた問題意識接続されている.

それとも,言語学に興味があるだろうか.心配はいらない.オセアニアの数百人しか話していない言語文法記述した本も,ヨーロッパ小国言語の音声を論じた本も,中東言語政策についての本も,あなたは探し出すことができる.政治学? 問題ない,EU制度アメリカ大統領選挙,韓国歴史認識ロシア愛国主義湾岸諸国君主制,どれも日本語最先端研究が読める.

こんなことは当たり前に思えるかもしれない.でもこれは決して当たり前のことじゃない.

とあるアジアの国に行ったとき書店に行ってみた.西洋史の棚に並んでいるのはどれもそのアジア言語で書かれた本だったが,著者はみな西欧人だった.それらはいずれも西欧から翻訳だったのだ.たまにそのアジアの国の著者が書いた本もあったが,イギリスとかフランスとかメジャーな国についての本ばかり.マイナーな国の歴史について扱った本を開いてみたら,参考文献はほとんど英語で,ちょこちょことドイツ語やフランス語が挟まる程度.要するにその本を書いた学者はそのマイナー国の言語を読めなかったのだ.日本には,そのマイナー言語を読める歴史学者が何人もいるのだが.

あるいは,ヨーロッパ小国書店.その国は小さいので国民の多くが英語を達者に話すのだが,本屋を覗くと,自国史や周辺諸国歴史についての本以外は英語の本がそのまま置かれていた.もしも遠いアジアの国に興味を持ってしまったら,その国の人は,自国語のペラペラ入門書の次は英語を読まなければならないのだ.日本語なら,遠いヨーロッパの国についても専門書が手に入るのだが.

たとえ外国語が読めないシロートだろうと,ある程度自国語で難しい本を読める力があれば,中世ヨーロッパアフリカ社会ラテンアメリカ先住民近世朝鮮史東南アジア政治についての最先端研究書が読める.そんな豊かなアカデミアを有している国,そんな潤沢な研究蓄積のある学術言語は,実はそんなに多くはない.

私の感覚だと,英語網羅性には劣るし,フランス語の豊かさには負ける気がしないでもないけれど,ドイツ語やロシア語並の水準に達してはいると思う.もちろん自国民ゆえのひいき目かもしれないし,カバーしている範囲微妙に違っている以上正確な判定は不可能なのだが.

カバーしている範囲が違う,というのはどういうことか.たとえば,上で英語網羅性に劣ると書いたが,英語よりも日本語のほうが研究蓄積の豊かな領域というものがある.当たり前だが,日本史については英語の文献よりも日本語の文献の方が圧倒的に豊富だし,日本史以外でも前近代中国史についてはまだまだ日本語の方が英語よりも網羅性が高いと思う.なので前近代中国史については,読者はともかく,歴史学者は中国語の他に日本語を読まなければいけない.その人がアメリカまれ英語ネイティブ白人であってもだ.ザマーミロ.

というか,実は文系分野に関しては英語網羅性は理系ほど高くない.そんなのは当たり前で,ロシア人はロシア史についてロシア語で書き,カタルーニャ人カタルーニャ言語政策についてカタルーニャ語で書き,チェコ人はチェコ文学についてチェコ語で書き,韓国人は韓国社会について韓国語で書いているのだから英語の文献を読むだけでそれら全ての情報が手に入るわけがなく,本格的に研究しようと思ったらそれらの言語で書かれた文献を読まなければ話にならない.日本事情について一番詳しく正確な研究が読めるのは,英語ではなくて日本語だ.

なので,上で挙げた主要な学術言語は,それぞれ積み重ねが豊富領域とそうでない領域がある.得手不得手というやつで,たとえばマグレブ西アフリカ地域研究ならフランス語で,東ヨーロッパ前近代研究ならドイツ語で,旧ソ連圏の研究ならロシア語で重要研究が蓄積されてきたので,江戸っ子だろうがロンドンっ子だろうが研究を志すのならそれらの言語を読まないといけない.中国近世史を専門にする者が日本語を読めなければいけないのと同じだ.これらの分野で英語で書かれた研究だけを読んで済ますことはできない.

この辺が,理系とは事情の違うところなのかもなぁと思う.理論物理学とか分子生物学とか再生医療とか深層学習とか,ほぼ全ての分野で英語さえ読めれば研究には用足りる(んだよね?).英語最先端研究のほぼ全てが流れ込み,あらゆる情報が蓄積される.しか文系では違う.英語には限られた情報しか流れ込まず,最先端研究の全てが英語提供されるわけではない.

なので文系では,英語理系ほど特権的地位を占めているわけではない.もちろん英語文献が読めるのは今や前提だし,重要な先行研究英語なら読んでいないと問題外だ.けれど,英語ではなく自国語の研究でも研究業績にカウントされるし,外国語での業績といっても英語に限られるわけではない.韓国語やトルコ語論文を書くほうが英語で書くよりも楽だ,と言う研究だっているし,日本語でも英語でもろくな業績がないがそのかわりロシア語で何本も論文を書いているという研究者もいる.

というわけで,文系研究者が英語論文を書いていなくとも,それが直ちに問題だとは思わない.査読論文にしても,そりゃゼロってのはちょっとどうなの,って思うけど,研究者が集まって作った本の一章として論文を発表するとか(いわゆる論集ってやつね),出版社が出してる研究者~教養人向けの雑誌に依頼を受けて研究成果を発表するとか(岩波書店の『思想』とか,青土社の『現代思想』みたいなやつね),査読されてないけど業績としてカウントされ得る論文の発表形態というのはいくつもあるので,査読論文以外にそれらも論文としてカウントしないとフェアじゃないと思う(ただ,私は査読がついていない媒体に出すのは怖いなと思ってしまうので,なるべく査読誌に出している).

別に理系のひとが査読つき英語論文のみを業績としてカウント和文論文勘定しないというローカルルールをお持ちなのは結構なのだが,そのローカルルール文系押し付けないでいただきたい.

私が危惧しているのは,上で書いたような日本語で積み上げられた先行研究が,日本人に真っ当に評価されていないことだ.

文化の豊かさというものを考えたときに,自国語で世界中の情報を知ることができるということが,どれだけ重要なことか.まして,日本コンテンツ産業が主要輸出品目のひとつだ.中世ヨーロッパアフリカ部族社会について日本語での研究が充実していることが,創作者が想像の翼を広げる上でどれだけ有利か.たとえば最近Cuvieという漫画家さんが『エルジェーベト』というオーストリアハンガリー舞台にした漫画を描いていたが,巻末の参考文献にはずらりと日本人が和文で書いた研究が並べられていた.

別に文化に限ったことではない.政治経済,そして人権についてもそうだ.ルワンダ虐殺スレブレニツァの虐殺について日本語で書かれた研究があるのとないのとで,どちらの方が日本人にとって国際情勢を理解やすくなるだろうか.外国で一旗揚げようと目論む商売人にとって,その地域専門家が書いた本や論文和文で手に入るのと入らないのとで,どちらが現地の文化や歴史理解する助けになるだろうか.欧米フェミニズムについて日本語研究を積み重ねる学者がいるのといないのとで,どちらが日本女性の権利の向上に資するだろうか.

すべての国が自国語でこれだけ充実したアカデミアを持てるわけではない.人口があまりに少ない国ではどうしたって物理的な限界があるし,人口が多くとも植民地支配の歴史が長く自国語の大学教育が充実していない国では歴史的遺産がその発展を阻む.

日本人は恵まれ研究蓄積にあまり無頓着なばかりか,その豊かさをみずから捨て去ろうとしている.それが私にはもったいなく思える.

英語は,世界の始まりから覇権言語だったわけではない.明治時代日本医師ドイツ語で論文を書き,外交官たちはフランス語で交渉していた.英語外交学術の分野で覇権を握ったのはせいぜい戦後のことで,それまではフランス語やドイツ語と同格の存在だった.今も文系ではprimus inter paresに過ぎない.ひょっとしたら将来,欧米物理学者たちが中国語で論文を書くことになるかもしれない(そのとき現在私たちが定冠詞や三単現のsに悩まされるように,欧米人が泣きながら漢字習得するのだろう.そう考えるとなんとも愉快な未来予想図だ).せいぜい百年単位覇権言語の移り変わりにあわせて,自国語の学術言語としての地位貶める必要はないと思う.それは私たち社会の豊かさを,長期的に損なうことなのだから

最後に.

どうせ和文論文しか持ってないやつの負け惜しみだろって思ったひとがいるかもしれないけど,和文論文だけじゃなく英語論文も書いたことあるし,英語以外の外国語での論文も持ってます.今それとは別の外国語での研究発表を準備中.私より多くの言語研究報告してきたひとにならともかく,たかが1言語か2言語しか論文書いてないガラパゴスの住人にだけは文句言われたくないですわ~~~~~~.

追記

英語論文が優れているとは言わんけど、査読なしの研究なんてゴミだし。

日本国内の、査読なし論文が実績になる分野の教授たちによって、査読された研究にも何らの価値も感じない。

anond:20181008221502

id:bocola 自分でも言ってるように査読しなの問題査読なしの論文なんて、読書感想文と変わらない程度の価値。やはり文系は無価値だと改めて思った。

arXivのない世界からやって来たのかな? グリゴリー・ペレルマンって聞いたことない? 査読なし論文が業績としてカウントされてるひとだけど.

事前の査読は,論文信頼性担保するための手続きひとつであって,それが欠けている「からダメ論文というわけでも無価値というわけでもない……というのはわかってくれるよね? 当たり前だけど論文価値は最終的には書かれている内容に依存するわけで,だからこそペレルマン査読なし論文であってもポアンカレ予想を解いたと認められたんだよね.

私も査読はないよりはあった方がいいと思うけど,査読がすべての論文につくわけではない分野のすべてをダメと論ずるのは不当すぎる.まあ最近文系査読重要になってきているし,若手は査読つき業績を増やしたがっているけれど,査読がつかないかダメとは限らない,ってだけの話.当たり前だけどダメダメ論文は後発の研究によってちゃん批判されるか鼻にもかけられず無視される.公募の際には論文を提出させたりするんだから査読なしダメ論文を量産していればそこで撥ねられるでしょ.理系ローカルルールで事前の査読必須なのはよくわかったけど,そのローカルルール文系敷衍されても困る.

id:zyzy まぁでもこの噛みつきは、もうすでに南京大虐殺の時に通った道だし、虐殺否定論者と同じ轍を踏み続けている以上、恐らくオタにこの説明が通ることはないんですよ。

私もオタクですが.

追記

続きは anond:20181009084352 anond:20181009213503 で.

anond:20181007112538

女性容姿を魅力する仕事」じゃなくて、ロリコン批判されてんだと思うけどな。キズナアイの設定を調べたら16歳でしょ。

増田の主張にかぶせるなら、女子アナじゃなくて、AKBなどなどアイドルNGならおおいに共感できる。中高生の性を売りにメジャー活動してるのは気持ち悪い。そういう性的思考があるなのはしょうがないとして、普通に犯罪なんだから犯罪として法律適用しいくべき。

女子アナがそうであったとして)成人が自分意識ポルノをすることき問題ない。仮装キャラであれ、中高生ポルノすことの気持ち悪さを自覚してないやつは、感覚麻痺してる。

anond:20181007112538

女性容姿を魅力する仕事」じゃなくて、ロリコン批判されてんだと思うけどな。キズナアイの設定を調べたら16歳でしょ。

増田の主張にかぶせるなら、女子アナじゃなくて、AKBなどなどアイドルNGならおおいに共感できる。中高生の性を売りにメジャー活動してるのは気持ち悪い。

女子アナがそうであったとして)成人が自分意識ポルノをすることき問題ない。仮装キャラであれ、中高生ポルノすことの気持ち悪さを自覚してないやつは、感覚麻痺してる。

anond:20181007112538

女性容姿」とかじゃなくて、ロリコン批判されてんだと思うけどな。キズナアイの設定を調べたら16歳でしょ。

増田の主張にかぶせるなら、女子アナじゃなくて、AKBなどなどアイドルNGならおおいに共感できる。中高生の性を売りにメジャー活動してるのは気持ち悪い。

女子アナがそうであったとして)成人が自分意識ポルノをすることき問題ない。仮装キャラであれ、中高生ポルノすことの気持ち悪さを自覚してないやつは、感覚麻痺してる。

anond:20181007112538

きわどい服とかじゃなくて、ロリコン批判されてんだと思うけどな。キズナアイの設定を調べたら16歳でしょ。

増田の主張にかぶせるなら、女子アナじゃなくて、AKBなどなどアイドルNGならおおいに共感できる。中高生の性を売りにメジャー活動してるのは気持ち悪い。

女子アナがそうであったとして)成人が自分意識ポルノをすることき問題ない。仮装キャラであれ、中高生ポルノすことの気持ち悪さを自覚してないやつは、感覚麻痺してる。

anond:20181007112538

きわどい服とかじゃなくて、ロリコン批判されてんだと思うけどな。キズナアイの設定を調べたら16歳でしょ。

増田の主張にかぶせるなら、女子アナじゃなくて、AKBなどなどアイドルNGならおおいに共感できる。中高生の性を売りにメジャー活動してるのは気持ち悪い。おおいに同意できる。

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