はてなキーワード: さよならとは
2月、雪国に免許合宿に行った。仮免に合格したのちの、二段階のカリキュラムには、複数人教習というものがある。教官1人、生徒3人で路上に出て、生徒が交代で運転するというものだ。そこでTさんと出会った。Tさんはかなりの長身の細身で、イケメンと言うほど華やかな印象はないが、スラッとしてきて目を惹く容姿をしていた。一緒に合宿に申し込んだ中高時代の友達であるSちゃんと私、Tさんの3人が複数人教習の固定のメンバーだった。最初の頃はまだ軽く挨拶を交わす程度で、特に話したりすることもなかった。2回目の複数人教習のとき、若い教官だったこともあり、4人で和気藹々と話しが弾み、私たちとTさんは打ち解けた。その教習(というよりドライブに近い)では交代で運転しながら私たちは雑多に話をした。
出身地のこと、大学のこと、Tさんの就職先のこと、お互いの簡単な恋愛事情、担当の教官が先月結婚したばかりのこと。
免許合宿は大抵、友人と2人か3人で来ることが多いのだけれど、Tさんは珍しく一人で来ていた。就職前のラストチャンスと思い申し込んだと言う。
その後の複数人教習やシュミレーターの実習でも、この時の教習ほどたくさん話すということはなかったが、互いに敬語で、教習所内ですれ違った時は程よい距離感で挨拶や世間話をしたりした。
無事、最終日に卒業検定に合格し、帰りの新幹線でSちゃんと私は偶然にもTさんの後ろの座席に座った。
Tさんは大宮で降りると話していた。私たちの降車駅は東京だった。疲れていた私は乗ってすぐに新幹線の中で眠りこけていた。別れは突然だった。
大宮に着く少し手前で目を覚ました私は、Tさんが下車の準備をしているのに気が付いた。Tさんは軽く後ろを向きながら準備していたので、私が目を覚ましていたのに気付いて少し笑っていた。
間も無く大宮に着いた。お疲れ様でした、と互いに挨拶を交わし、Tさんは、二週間の合宿にしてはやたらと荷物の少ないボストンバッグ一つを持って新幹線の出口へと歩いて行った。それが最後だった。もう二度と会えないんだな、とまだ覚めきってない頭でぼんやり思った。
目を覚ましたばかりの私は、ぼやけた頭で呆然としていた。こんなにも呆気ない別れがあるのかと。急に胸を刺すような切なさと喪失感で心は埋まった。LINEは交換しなかった。後悔はしてない。交換したところで、東京に戻ったあと、ふたたび会う約束をするとも思えなかったし、この場で完結する関係なんだと感じ取っていたから。そのぐらいの距離感の関係。高校の同級生も、しばらく会ってなくてもLINEがある。連絡しようと思えばいつでも出来る。一時的にでも毎日顔を合わせていて、仲良くなった人と、これっきりのサヨナラというのは私の人生で初めてのことだった。
不意に涙が溢れそうになった。お手洗いに立ったら、ポロポロと涙が頬を伝った。自分で、自分に驚いた。身の回りの出来事で泣くなんて高校の卒業式以来だった。
座席に戻っても、涙は止まってくれなかった。Sちゃんはそんな私の様子を見て、何事かとびっくりしていたけど、しまいにはもらい泣きをしてうっすら涙を浮かべていた。私より先に目を覚ましていたSちゃんは、次の駅でTさんとはさよならなんだな、とずっと考えてたとポツリと言った。私もSちゃんはTさんとは実質1週間だけの付き合いだったが、かなりの親しみの情を抱いてたんだなと別れてから気付いた。もう少し一緒に過ごしていたら好きになっていたかもしれないな、とも。私たちがTさんについて知っているのは名前、年齢、都内に住んでいること、就職先の業種、それくらい。互いの長い人生の中で、ほんとうに、ほんの一瞬だけ交わっただけの関係。それでも、私はTさんにこれからも記憶の中にいて欲しいと願う。別れの時の切ない気持ちをふと思い出すのだろうな、とも。
お互いに意識しあって4ヶ月くらい。
ライントークは最初の頃のにたどり着けないくらいのボリュームになった。
初詣では凶のおみくじに笑い転げて大吉を引くまで神社や寺を回って引き続けた。護摩札に願い事を書きあったとき、君はなんて書いたんだろう。
お互い春には運勢が拓ける、恋愛運は友達から恋に発展すると書いてあった大吉のおみくじ。
だけど、春が来る前に君は再び心の均衡を失ってしまった。
それをなんとかしようと僕は頑張ったつもりだけど、逆効果だったみたいだ。
君は心を闇に閉ざし、外に目を向けられなくなってしまった。
当たり前だけど、今は何を見ても君を思い出すし、何かを見たり感じたりしたら、君に話したくて仕方がない。
でも、もう僕から君に連絡はしない。
新しい春に、僕らは新しい人生に踏み出さなくちゃいけない。君の新しい人生のために闇を払うためにぼくは君の前から消えてあげる。
その時こそ、ぼくは君に本当のぼくの気持ちを伝えたいと思う。
君のことを妹のように思ったことなんて一度もない。
手のかかる部下だなんて思ったことは一度もない。
君が好きだ。君のことを愛している。
わたしの妹は結構本気の自殺を企てたことがあり、周りの人が彼女の想像を超えて無茶して頑張ったのと、いくつかの幸運も重なって後遺症もなく生き延びた。
Xデーは事前にわかっていた。彼女が決行する直前にわたしと彼女はラインをしていた。もともと妹とは疎遠だったのでわたしは彼女の鬱病も知らないことになっていたし、知っている=誰かが喋った=誰かが彼女を裏切った、になるので、そうと知っていれば分かる温度でさよならをほのめかすラインに、バレないように引き止めようとすることしかできなかった。
ちょっとダークさのあるオシャレなラインスタンプで「ばいばい」が送られ、深夜にラインアカウントが削除され、彼女は自殺を企てた。
前述の通り彼女は助かり、鬱病のほうも「なんで自殺を止められるのか理解できない」と語っていたのがその後の衝動的な自殺未遂後では「死ぬのは怖かった」と言うようになった程度には寛解というか落ち着いているようだった。自殺未遂ももう年単位でしていない。
彼女はラインアカウントを作り直し、ダークなオシャレなあのラインスタンプをまた買ったようだった。
疎遠なりにたまにラインくらいはするのだけれど会話の締めがいっつもあのスタンプだ。前のアカウントを消す直前に使っていたあのばいばい。
本当にぞっとする。何を考えているんだ。怖い。大丈夫なのか。どういう気持ちであれを。
本人に聞けはしないしまだまだ不安定な状態は長く続くと思われるがもう本当こわい。怖いから使わないでとも言えないし。
どういう気持ちなんだあれは。
知らん曲のくせにわざわざ乗んなよ…こっちはボーカルの歌声が聞きたいの。分かって。ほんとに。
歌いたいなら目の前にあるカラオケに入れよ、私を降ろしてからな。
終始真顔だったことに気づけよ。こっち死んだ目してたわ。
私服のセンスは壊滅的で正直隣歩きたくなかった。無理、どうしたらその組み合わせできんの……
帰ってすぐにLINEはブロックさせてもらいました。さよなら。
頼むからこれ以上イキるのやめてほしい。1500メートル牛丼見た時より吐き気したわ。
お前が一生懸命出そうとしてるのはいい男感じゃなくて、痛い男感だし、喋んなくても存在からしてすごい痛い所出てるからいちいち言葉にしないで静かにしてて。
急にモノマネ振ってくるの真剣にどうかと思う。え、楽しませようとしてる?苦痛でしかないわ。嫌って言ってるのに何回も「はいやって」って訳分からん。日本語通じろ。
やめてって言ったのに俺ドSやから笑、みたいなの。そう言ってる奴は大体のドSじゃないから。ツイッターとかでたまにそんな内容のツイートばか流行るやん、見ろよそのツイート。
入学してすぐ出会って3年間も付き合った同学部の彼女と先週別れた。
曰く、彼女が春休みに2週間実家に帰って地元の友達と遊んだら、その人たちがあまりにも自由に・正直に生きてることに感銘を受けたからだそうだ。
彼女とは付き合いはじめた頃から同居(というか俺が彼女の家に居候)していた。
同居してると恋人が常に横にいるから相手が何をしてるかすぐわかる。
俺はそれに慣れすぎてしまい、また、「好き」が過ぎて、彼女を段々と束縛していくようになってしまっていったんだ。
例えば、彼女の帰りが遅ければすぐLINEで安否状況を聞く、とか。
「安否状況」なんて言ってるけど、心の奥では浮気してほしくなかっただけだよ。
あと逆に、サークルの仕事が忙しかったら、彼女が部屋にいて話しかけてくれても雑に返す、とか。
そうなるとさ、彼女ってあまり話したがらなくなったり、嘘ついたりするようになるんだよね。
この「自分では歩み寄らないけど相手を束縛する」って今考えればクソ人間のすることで、彼女もそれに気付いて何度か指摘してくれていた。
でも俺は彼女の悲鳴の深刻さに気付かなくて、自分をちょっとだけ変えては、また元に戻ったりしてた。
根が面倒くさがりなのもあるね。
それで、サークルの上位職が代替わりして、俺は3月は暇になった。
その時に、昔から仲良かったオタク友達に彼女できたって話を耳にした。
陰キャのあいつにか??って思って本人に連絡してみたんだよ。
俺が驚いたのは、LINEの頻度の低さと、デートの頻度の高さ。
今まで俺は自分の彼女になんてとんでもないことをしてしまっていたんだ、って、本能を頼りに山の上に登った青年がツァラトゥストラの稲妻に打たれたような衝撃を受けたよ。
俺は彼女がいない日はほぼ毎日LINE送ってたし、デートなんか去年の秋にディズニーに行って以降どこにも行ってない。
普通のカップルはこんな感じなのか、ほんわかしてていいな、って思ったよ。
しかも俺には同居ってアドバンテージがあって、日々一緒にいる時間(朝やごはんや睡眠時間)があるのに、俺はなぜここまで彼女を束縛するのかと。
俺は猛反省して、彼女が帰省から帰ってきたらもう執拗なLINEは送らないことを決意し、また、デートプランを練った。
そして、今まで行った旅行の写真や、一眼レフで上手く撮れた彼女の写真を印刷して写真立てに飾った。彼女を大切にするしるしとしてね。
学校がなく彼女もいない期間の2週間って長くて、日々虚無をして過ごしてたんだ。
そういうところからも、普段いてくれる彼女の大切さがわかったんだよ。
2週間後、彼女が帰ってきた。
そこで、彼女から「あのね、別れてほしいの。これからは友だちになろう」……。
その時は頭が空っぽになったよ。今もだけど。
俺はもちろん反対して、本当に反省してるんだと伝えたが、彼女は「しばらく一人にしてほしい」と。
どうしても論破できなかったので、その日は諦めた。
次の日に彼女の部屋にもう一度お願いをしにいった。
……。土下座して伝えたが、断られた。
「これからは私のために稼いで、私のために生きるの」
「慈悲でまた付き合ったところで、私はもう俺くんのこと好きじゃないし」
表情と声の調子が重かった。
長くなったが、こういうことで別れたんだ。
おまえらは彼女がいくら好きでも独占しようとせず、適切な距離を取り、それがちゃんと彼女の要求にマッチしてるか、3日に1回くらいは確認するんだぞ。
友だちか。
短い期間ではあったが彼女と俺は友だちだった。
そこからどうやって恋人の関係に持っていけたかというと、奇跡みたいな話なんだが
1. 学部の新歓1で会ってお互いにややツイ廃なことで気が合う
4. 俺が元カノとの関係を相談したら「合わないと思うなら関わらなければいいじゃん!自由に生きるべきだよ!八方美人はもたないよ!」って言ってくれてインスピレーションを受ける
昔は「出会ったのって奇跡みたいだよね」って言ったら泣いて喜んでくれたのに、今回の彼女にこれを伝えても「だからなに?思い出は思い出だよ?」。
それでな、別れた後に学部の自由スペースを通りがかったら、彼女が違う男の人と死ぬほど楽しそうに話してるわけよ。
あの笑顔は、彼女と出会ったばかりの頃と、学園祭を完遂させられた時と、旅行に行った時と、ディズニーに行った時と、そのくらいしか見たことない。
つまり恋してる目なんだよな。
気になって聞いてたらね、その男の人はファッションに凝ってて、しかも高校は地理選択で、彼女と趣味が完全に一致していた。
おまけにトークが死ぬほど上手いのよ。しかも真面目そうな見た目で。
…… 彼女と付き合ってた頃、お互いの好きなところがお互いによくわかってなかった。
彼女とのカップル成立は、高校からの開放感から来る「自由」への渇望と、入学したてのノリと、学園祭という共通の大きな目標があったからこそ成立したと、今では思う。
だって今だったらさ、俺は「合う人と付き合いたい」じゃなくて「直前まで付き合ってた彼女と縒りを戻したい」だし、手段が目的化してる。
自分を変えても縒りを戻したいってことだし、全然自由じゃない。
俺が趣味を合わせるか?これも彼女は自由意志じゃないと、結論ありきだとして、認めてくれないだろう。
しかもな、イケメンで話がうまくて趣味が完全一致 な人が、たとえ彼女持ちだとしてもさ、そんな崇高な人を一度でも見てしまったらさ、
たとえ彼女がまた俺の元に帰ってきてくれたとしても、彼女は「俺くんはこの程度だけど十分か」、俺は「俺はこの程度にしかなれないけど十分か」って、お互いに妥協するしかないじゃんか。
いやでも、これに関しては、恋は盲目だし、付き合えばなんとかなるかもしれないが、でも付き合うのが成功しなさそうだなっていうのは上で述べてる。
新しい出会い…?おれのサークル女子いねえよ。4年から別サークルは入るのも気まずすぎるだろ。
後悔先に立たずとは言うが、意識してないおまえら多いんじゃないか?
繰り返すが、おまえらは彼女がいくら好きでも独占しようとせず、適切な距離を取り、それがちゃんと彼女の要求にマッチしてるか、3日に1回くらいは確認するんだぞ。
おれはね、アルバイトするのも、おしゃれするのも、料理するのも、部屋を片付けるのも、すべて彼女のためにやってきた、彼女がいたからこそできたことだと思うんだ。
その生きるモチベーションをだよ、自分の怠慢によって失い、しかもそれを深く反省したのに、もう彼女には反省を活かすことができない。
ところでこういう話があります: https://twitter.com/_KEN_ZEN_/status/977716389011075072
Werthers
これ読んでる人いるか分かんないけど読んでくださってる大半の人にとってはどうでもいいことだと思うんですけど!ただ文字にしないと自分の気持ちに整理がつかないから書いてるだけです。文章のまとまりとか皆無だけど。書きたいから書いてるだけなので読んでくださる物好きな方はこのままどうぞ。
ちなみに、担当が誰だかすぐ分かると思いますけど、一応個人名は出さずに書こうかなと思います。オタク辞めるけど担当のことを嫌いになったわけではないので!いろいろ言いますけど特定の誰かの悪口言いたいとか広まれ~と思ってこれ書いてるわけじゃないです。
担当には事務所内で彼にしかできない唯一無二の仕事があります。それがきっかけでまた違ったお仕事をもらえることもあるし、どれもきっちりと決めてくれるからいつだって満足してます。歌もダンスもそこまで上手ではないけど、でもわたしにとってはそれも良さの一つだし彼が輝いてることには変わりありません。
彼が笑うだけでわたしは幸せになれるし、いつまでも楽しくお仕事をしてくれたらいいなと思っています。本当に大好きなんです。
担当のこと嫌いになったわけじゃないしむしろ大好きならなんで辞めるの?って話なんですけど、理由はいろいろあるんですけど一言でいうと「公式の売り出し方と自分の気持ちが噛み合わない」ってことです。
事務所が力入れて売り出してくれるのは嬉しいことですけど、やっぱり自分が担当に思う気持ちや自分の応援スタイルと噛み合わないのってきついです。
担当がいるグループは人数問題っていうのがあって、本人たちもその話をすることが多々あります。グループの歴史としてそれって大きなことだしいろんな過去を乗り越えた上で今輝いてる担当がいることも分かってます。オタクどうしでもちょっと面倒くさくて「○人時代を知らない新規は無理」って人意外といるんですよ。
でも、正直な話わたしにとっては関係無いんですよね。だって今の人数の彼らを好きになったから。そんなものいつ彼らを知ったかの違いでしょ?ただ自分より先に彼らに出会っただけなのに古株ってそんな偉いの?って思ってちゃう。無理に馴れ合う気はないけど、ちょっと嫌だな~って。
それと今よりも人数がいた時代、担当本人も言ってるけどいわゆる「お荷物」だったんですよね。でもその話あんまりしないでほしい。わたしにとっての担当って誰よりもきらきら輝く一番星だから。わたしの中では担当はいつだってセンターであって主役だから、誰かの引き立て役でもお荷物でもないんですよ。この人数になってもう何年も経ってるんだからその話もうそんなにしなくて良くない?っていう。
もちろんグループのメンバーも彼の大切な仲間だから、オタクとしても大切にしなきゃいけないとは思ってるんです。
でもどうしても、他のメンバーのことが受け入れられません。好きになれません。
というか女絡みでスキャンダル起こしすぎなんですよ。アイドルでしょ?夢売る職業でしょ?それなのにだらしないプライベート隠せてないとか何なの?ガバガバにも程があるだろ?プライベート変えろとは言わないけど隠してほしいし女にしろ友達にしろ付き合う相手選べよ???
ここまでスキャンダル連発されておまけに謝罪の方向が斜め上にずれてたり公式ブログでオタク煽る人までいるとかさすがにアイドルとして信用できなくないですか?わたしはできません。担当がその人のこと大切だと思ってるから余計にしんどい。
担当はほぼスキャンダル無いのに、グループ名でまとめて叩かれるから巻き込みでイメージ悪くなるのもしんどい。
こんなことがあって去年ごっそりオタク消えたのに(少なくともわたしの周りでは何人も辞めた)、恋愛ゲーム作っちゃう公式って何なんですかね?煽りスキル高くね?
そもそもアイドルとは恋愛したくないし何なら育成したい人間なのでコンセプトが生理的に無理です。
間違い電話から始まる恋って何?本人たちアイドルっていうリアル設定なのにそんな軽い恋愛のシナリオでいいの?本人たちどんな気持ちで収録とかしてるんだろう。スキャンダルありすぎて実際それくらいの軽い恋愛してそうで嫌だし。なんでアイドル相手にそんな嫌な想像しなきゃいけないんだ。ゲームは担当のプロローグだけ読んでアンインストールしました。
オタクもめんどくさい。リア恋とか各1とか同担拒否とか潰しとか列とか死ぬほどどうでもいい。そういうことやってるオタクにたいした奴いないし。やれ誰がいつどの現場に来てたとか構われてたとか、だから何?って感じ。向こうからしたら認知以外は全員まとめてただのオタクだろ。
夢女子も腐女子もマナー悪い人多いんですよね。もちろん全員とは言わないですけど。
公式云々以外で大きな理由で、ライブのチケットの取りにくさもあります。今年のツアーはご用意されませんでした。そして定価譲渡はほぼ無いしデジタルチケットのせいで軒並み値段が高い。相場おかしい。
高額転売されてるの買ったって当日まで席分からないし公式には一円も入らないし売り手が潤うだけ。そこまで必死になって売り買いしてるの馬鹿みたいだなって思うんです。
彼らのライブには定価ぶんの価値しかないとかそういうことじゃないです。当たれば定価で買えるのに他のオタクの小遣いになるの分かってるし当日になるまで席分からないのに無理して転売チケ買って、それで後列だったり前列なのに干されたら文句言うんだろうなあって。
最初はただ彼らが好きでライブに行きたかっただけだけど、いつの間にか純粋に彼らのライブが見たいのか担当に構われたいのかどっちなのか分からなくなってた。何してるんだろう自分って思うと、不思議とライブ行けないのがあまり悲しくなくなりました。
わたしは今までライブも舞台もたくさん行ったしちょっとしたファンサももらえました。それに番組協力とかも行ってたから、ほとんどの同担よりはおいしい思いしてきたなとは思っています。
だからもういいのかなって思います。このまま公式とかオタクとかいろいろなことに不満溜め込んで嫌な思いして、いつしかそれが担当への思いと混ざって担当のことを嫌いになるくらいなら、担当のことが大好きなままオタクを辞めたい。担当との思い出を綺麗なままにしておきたい。
そうすれば、いつだってわたしにとって担当がいちばんのアイドルのままでいられる。誰よりもきらきら輝いて最高の笑顔と幸せをくれる、大好きな大好きな担当のままでいてくれる。
担当以外に好きなジャニもいないので、このままジャニーズじたいも卒業します。いまの担当より前にひとり別グループに担当がいて、そこから含めるとかれこれ10年ジャニオタだった気がします。何とも言えない事務所だけど、担当たちのこと守ってくれて大切にしてくれたから感謝しています。他に好きなジャンルが二次元にあるので、そっちのオタクをゆるゆるとやるつもりです。二次元は全然勝手が分からないけど、今度は気持ち的に楽にオタクできたらいいな。
マキアとレイリアの物語は竜に連れ去られたことで始まり、竜に乗って帰ることで終わるという構造になっていた。だから、エリアルの死は物語としてはエピローグと言うか番外的なものだったのかもしれない。二組の親子の関係は落城の朝にそれぞれ完結していたと見るべきなのかも。
マキアとエリアルはエリアルを飽くまでも子供として扱おうとするマキアと、マキアを恋愛対象としてみてしまうエリアルとの間で関係性が定まらなかったけれど、落城の朝にマキアがエリアルを自立した一人の大人であると認め、エリアルがマキアを母親であると認めることで完結した。
レイリアとメドメルは自らの産んだ赤子をもう一度抱きしめたいというレイリアと、母親に会いたいと願うメドメルの関係が、落城の朝にお互いがそれほど変わらぬ背格好であることを認めて、この子はもう私の赤子ではなく、この人はもう私の母親ではないとお互いに悟ってしまったことで完結した、のだと思う(この辺は来場者特典の冊子を参考にした。スタッフもレイリアはわからないって言ってたので、そういうもんなんだろう)。
それで、そういうふうに見ていくと、「さよならの朝」というのは、エリアルが死ぬ朝ではなく、落城の朝なのではないか。「約束の花」とはお互いが交わした言葉そのものなのではないか、という気がしてくるのだけれど、どうだろう?
竜ってそういえばなんだったんだろうなって考えてて、序盤にイオルフの村を襲ったところくらいしか活躍の場がないし、そこでも一頭病気で死んじゃうし、いざ戦争になったら全然働かないし、役立たずのハリボテじゃんと思ったけど、あの国は竜を持っているという権威によってこれまで他の国を圧倒してきたんだよな。で、竜がバタバタ死ぬようになってそれだけじゃ権威が足りないのでイオルフとの政略ロリ婚を企てた。
なんか似たようなのを前にどっかで見た気がすると思わない? そう、オルフェンズのマッキーが全く同じことをやってたよね。
マッキーの場合は順番が逆で、まずセブンスターズという権威筋の家柄の娘と政略ロリ婚して、そののちに(戦争ではそんなに役に立たなかった)ガンダムバエルという伝説の権威を手に入れた。それだけの権威があれば皆当然自分になびくだろうと思いこんでいたのだけれど、現実はそんなに甘くなかったのはマッキーもメザーテもおんなじ。実力が伴わなければハリボテの権威は役に立たないのだ。
マッキーの場合は、孤児だったために他者の感情というものを最後まで理解できず、勘違いしたまま突っ走った結果の自滅だったけど、メザーテの場合は権威のみに頼って生きながらえてきた大国の見苦しい断末魔を見るようであった。
とまあ、こう考えると、メザーテって国はマッキーから孤児としてのバックボーンを抜いて国家という形に組み替えたものだったんだなあということがわかる。同時に、マッキーから孤児という属性抜いたらほんとにただの嫌なやつでしかなかったなあとも思う。
気が合いそうだと思ってオタ垢繋がりでメル友になったら全く合わず、仲違いした。
性格というより相性だと思う。お互いがお互いの価値観を否定し合うかのような考え方を持ってることに気付いた。
気付いたけれど、お互いしんどいけれど、それでも「もう話すのやめようか」の一言が言えない。向こうも言わない。
趣味は合うと思う。話も合う。相性は最悪。
昨日、そう思ったのに。今日もまたそう思いながら日付が変わるのを見送るのかな。
エリアル、母親のマキアをネタにオナニーしちゃって強烈な罪悪感に襲われたことがあると思うんだよね絶対。
それこそアスカで抜いちゃったシンジなんか比べ物にならないレベルで激しく後悔したと思う。
でもマキアはエリアルをいつまでも子どもだと思ってるからエリアルが悶々としてることに気づかないで一緒のベッドで寝たがるし、もしかすると一緒に風呂にも入ろうとしたかもしれない(あの世界のお風呂事情はよくわかんないけど)
エリアルの抱いている思いは限りなく恋愛感情に近いものなのに、自分が幼い頃に織ったヒビオルを大切にしているマキアを見ると、この人は絶対に自分を恋愛対象としては見てくれないのだということを嫌でも思い知らされる。かと言って他の誰かとくっつくのかと思えばそんなこともなくて、徹頭徹尾自分の母親であろうとする。もう自分のほうが背格好も上だし、見た目だって年上にしか見えないというのに……。
こう考えるとどうあってもエリアルはマキアから離れざるをえない。あんな生殺し地獄のような女といつまでも一緒にいたら、そのうち何かのはずみで衝動的に一線を越えて、一生悔いるハメになるかもしれないし。
レイリアが娘のことを「忘れる」「ヒビオルには織らない」と言っていたのに対してマキアがエリアルのことを「覚えている」「私のヒビオルの一部」と言ってたのは対象的だった。さよならの朝とはマキアとエリアルの別れの場面だけではなくて、レイリアと娘の別れの場面も指しているのではないか。ならば、そこに飾られる約束の花とは「あなたのことを覚えている/忘れる」という約束のことなのかもしれない。知らんけど。
物語中盤以降のレイリアは、あの花でいうとイレーヌさんみたいな雰囲気のキャラだけど(ここさけの順の母親とも近いかも? クーデリアの母親はどうだろうか?)、あの辺のキャラって舞台装置以上の役割が与えられていないというか、脚本家がそこを描こうとしていないというか、ぶっちゃけ興味が無いんじゃないかという気がちょっとだけする。
レイリアにとって「飛べること」は自らの意思で置かれた環境から抜け出せること、新しくやり直せることを指しているんじゃないかな。レイリアの最後の大ジャンプは自殺でもあり、あの城での出来事を全てなかったことにすることでもあったのかもしれない。元気な娘の姿を見たことで、レイリアにとってあの城で思い残すことは何一つなくなって、昔のレイリアに戻る踏ん切りがついたということなのかも。
(これは一応 anond:20180307093757 へ向けたトラバ)
髪を染めてた頃のマキアはなんとか人間であろうと努力していたように見えるけど、金髪に戻ってしまってからは、もう自らが人間社会にとってのアウトサイダーであることを当然のこととして受け入れているようなフシがあったっけね。ラストでも、あの家族の曾祖母としてではなく、あくまでもかつてエリアルの育ての親だったものとしてあの家を訪問しているように見受けられたし。そういえば、最後に贈られたタンポポにはどんな含意があったんだろ。
イオルフの村、石灰質っぽい山に囲まれた盆地っぽい場所なので、あの山は武甲山でヒビオルは秩父銘仙なのでは。
岡田麿里にとっての花(もしくは華)って一体全体なんなんだ
彼女の十数年にわたるタカラジェンヌ人生のうち、最後の数年しか応援できなかったけれど、出会えたことに感謝し、最後を見送れたことに感謝している。とてもよい卒業式だった。でも、心残りなことがある。それは、彼女がいつどういったタイミングで何をきっかけに卒業を決意したのかということを、ちゃんと聞くことが出来なかったことだ。
そういう話が聞けるのだと思って、最後のお茶会に参加した。今思い返してみても、はて、お茶会で何を話されたかな、と何も思い出せないくらいに中身のないお茶会だったことがとてもショックだった。一緒に退団されるほかのジェンヌさんは、お茶会の中で詳らかにいろんなお話をされたようで、ツイッターに流れてくるお茶会レポを見ては、こういう話を私も聞きたかったんだという想いを強くした。恐らく、みんなが聞きたいと思ったような話は、大人会のお食事会で話をされたんだろう。そもそも大人会というは存在そのものがベールに包まれていて、その実態は知る人ぞ知る甘美な秘密だった。私にその参加資格があると知った時にはその甘やかな秘密に大いに酔いしれたけれど、その甘やかさは同時に恐ろしくもあり、散々悩んだ挙句に参加を見送った。あの時の決断を今もずっと悔やんでる。私の聞きたかった話が聞けなかったこと。彼女が感謝を表す相手がそこにしかいないということ。
迎えた卒業の日、それは怖いくらいによく晴れた青空の広がる日だった。白い服に身を包み、決まらない髪型を憂鬱に思いながらも、朝早くからたくさんの人たちと一緒に彼女を迎え、そして最後の舞台に立つ彼女を見送った。笑顔で見送って欲しいという彼女の願いをちゃんと守ったつもりだった。この舞台に立つ彼女を見るのはもうこれが最後。このセリフを言うのも、この曲を歌うのも、この踊りを踊るのも、これが最後。一つ一つの「最後」を大事に大事に嚙みしめて、見送れることの幸せを噛みしめた。舞台の上の彼女は最高にカッコよくて、私の自慢の贔屓だった。全てが完璧だった。緑の袴を着て言われた最後の挨拶の中で、タカラヅカは全てを懸けた場所でしたという言葉がとても心に突き刺さった。
舞台が彼女のすべてだった。では、なぜその舞台を降りようと思われたのだろう。
緑の袴姿のまま楽屋を出てきた彼女を、朝よりもたくさんの人たちと一緒に迎え、そしてあなたが大好きだという言葉と、ありがとうという言葉を伝えた。最後まで笑顔だった。
とても美しいその姿に、いい卒業式だったなと全う出来たことにほっと胸をなでおろした。劇場から去った彼女は、彼女に関わる人たちと別れを惜しんで最後のご挨拶をされるためにフェアウェルパーティーに出かけた。ファンもみな、参加できるのだと、数カ月前の私は無邪気に思っていた。彼女の本当の最後の言葉を聞くことが出来るのだと、とても楽しみにしていた。もしかしたら卒業を決めた理由を、話してくれるかもしれない。そう思ってわくわくしていた。
でも。
私はそのパーティーには参加できなかった。参加には条件があると伝えられた時、あまりのことに目の前が真っ暗になった。まさか最後の最後で、扉を閉ざされてしまうなんて。
タカラヅカという世界はお金と時間をかけた人だけが勝者で、それ以外の人は「ファン」ですらないというのは重々分かっていたつもりだけれど、そのことをまさか最後になって思い知らされるとは思いもしなくて、今もそれは私の中に蟠っている。大人会の会員であることもしくは去年一年間の楽屋の入出の参加の規定数を満たしていること。それが条件。私は対象外だった。そうか、対象外か。彼女の想定する「ファン」の中に私は存在しないんだなと、涙に暮れた。
千秋楽間近の楽屋出が急になくなったこともあった。卒業なんだし、たくさん我儘を言えばいいよって思ったけど、それでも寂しかった。ファンに会いたくないのかなってぽつり呟く若いファンの方の姿に胸が痛くなった。あと何回こうやって素顔のあなたに会えるかわからないのに、それを無下に反故にしてしまうことに対してどう思ってるんだろうって、好きって気持ちだけでは抑えきれないもやもやを抱えたりした。
卒業だからといって、千秋楽だからといってなにも特別なことはしない。何よりも舞台が大事で、舞台の上で最高のものを見せてくれる彼女のその姿勢は尊敬するし、それでファンが蔑ろにされてもそれはそれで構わなかった。舞台の上の姿が素晴らしかったから。
大階段を降りてきての最後のご挨拶の中で、スタッフの皆さま、先生方、上級生の方々、一緒に頑張ってきた同期、下級生たち、そして劇場に来てくれたみなさま、ファンの方々、それらを挙げてありがとうございましたと言う、それがテンプレ。でも彼女はそこに「ファン」を含めなかった。ショックだった。そもそも私はファンですらなかったのだけど。一体、なにがあったんだろう。なにか、あったんだろうか。
完璧を目指す彼女が体力の限界を感じて舞台を降りようとしたのかなとか、なんとか自分が納得のいく答えを必死で探した。
プライドの高い彼女はファンですらないそのほか大勢の前でそんなことはきっと言いたがらないだろう。それならそれでいい。気心の知れた、信用の出来る人にだけこぼす本音であっていい。ただ、それを聞く立場になかったというだけだ。彼女のことが大好きで、大好きで、とっても大好きだったけれど、そんな私のありったけの愛なんて彼女にはなんの足しにもならなかった。そのことが、とても、悲しい。
彼女の十数年を長く応援してきた人の中には、ここ数年いろんな事情でお金も時間も彼女の掛けられなかった人たちもたくさんいるだろう。その人たちを蔑ろにするというそのことも、ショックだった。大人会という幻のような存在を明らかにしたこともまたショックだった。若いお嬢さんたちの中には、大人会なんて知らない人もたくさんいただろう。不文律や暗黙の了解がたくさん存在する伏魔殿。それがタカラヅカ。そして一番聞きたくなかった「まだ東京公演がありますから」という言葉。私には東京公演なんてない。大劇場のこの千秋楽が本当の本当にお別れだ。まだあるから、っていう人たちとは覚悟が違う。もちろん東京に行けないのは私の勝手な事情なのでそんなことはお伝えしないけど、でもこの大劇場で卒業するという意味をもっと大事にしてほしかった。エゴだね。たくさんのこういうエゴを抱えて、時々押しつぶされそうになりながらもなんとか踏ん張ってる私を、いとも簡単に踏みつけたことがショックだった。明日からはもう私の中にタカラジェンヌのあなたは存在しない。そういう悲壮な覚悟を持って臨んだ一日だったのだ。分かってもらえるとは思ってなかったけど、それでもここまで無邪気に木っ端微塵にされるとは思わなくてかえって清々しいです。まだ東京公演があるから、今日が最後じゃないから、そんなことを言ったのは、あなただけだった。
これは失恋の痛みと同じだ。好きな人に想いを受け入れてもらえない。振り向いてもらえない。優しい言葉をくれたと思っていたけど、それは私にではなく私の後ろにいる人に向けてたものだったと気づいた時のあの気まずさ。笑顔も振られた手も、それは私に向けられたものじゃなかった。そして本当にそれを受け取った人がすぐ近くにいることに耐えられなくて、だから私はこの世界から背を向けようと思う。私も彼女の気持ちが知りたかった。そんな思い上がったことを望んでしまったのが敗因だ。傷心のまま、私は夢のように美しくて、そして残酷なこの世界から去ります。さよなら大好きな人、ずっと大好きな人。どうか、お幸せに。
ずっとずっと、逃げてきた。
言葉にすることも、名前を付けることも、形を整理することも、どうしてもずるい臆病なわたしだったので、もう一方の過去や誰かを否定して手離してしまうみたいなそれやこれを、できないままでいる。だけど、「好き」なことを「好き」と言える誰かの愛や答える笑顔が羨ましかったり、それはほんとうに喉から手が出るほど欲しい勇気であって、だったらもうそんながんじがらめから解き放たれてみようって。
これは、所謂担降りブログというか、担当宣言なのですが、「今」のわたしを語る文字になります。主軸は今にあり、全ての想いや歩みを書き記すわけではありませんが、振り返ると変わらぬ道の続きを歩いているんだもの、どうにも抜かすことはできないから、思わずびっくり、話は4年前に遡るのです・・・。
2014年2月、金曜夜でおなじみの歌番組で、ハッとときめきを知ったのが、発光体のような伊野尾くんと、Hey!Say!JUMPだった。彼がシングル曲に初めてソロパートを得た『AinoArika』の披露である。それから、伊野尾くんがわたしの気になる存在になるわけだけど、例えば好きな女性のタイプを聞かれたとして、伊野尾くんは「みんな」と答える。素直な人間性で全ての自分とファンを受け入れ、「選択肢があることが幸せ」「知らないことを経験できる人生は長くて楽しい」と言う伊野尾くんが偉大で、夢をあきらめたくないってなんだかわたしの人生観まで変わって。今やってみたいことをやろうって志したのも伊野尾くんがいたからだし、そう選択しなかったら多分あのとき病院に行くことはなくて(健康診断を受けることが両親からの条件だった)、自分の病気に気づかなかった(大抵は出生後すぐ発見・中学生で治療するような生まれつきの心疾患があったようで、ちょうどその年齢が合併症なく手術できるタイムリミットだった‥完治済みなので心配無用です)し、伊野尾くんがほんとうの意味でのお薬で命の恩人になっている。
未知との遭遇みたいなHey!Say!JUMPと伊野尾くんは、自分でも驚きだったし、なんだか目新しい出会いへの興奮を愛に変換してしまっているのかなとも思えて。この思考回路が変わらないオタク気質なんだけれど、自分を試そう!と未開のジャニーズを摂取すべく『Sexy Zone Channel』も『少年倶楽部』も『ガムシャラ!』も、『お兄ちゃん、ガチャ』は勿論『49』も見始めた。ここでは、「やっぱりHey!Say!JUMPが好き」の結論になるんだけど、習慣にしたそれらは続くことになり、その産物が今への扉である。
当時の『少クラ』では、今のようなユニットは無いに等しく、所謂「Sexy鬱」のように、デビュー組でさえ個々人での健闘をするだなんて、グループに親しんできたわたしには馴染みがなく、どうしたものかと戸惑った。そんな折、トップバッターにも立つ「あらちか」はTravis Japanというユニットに所属するうちのシンメだと知ったし、 一目でわかるキャッチーで見栄えもダンスも良いふたりを確約の光に見込んで、ルーズながら思い入れの対象と決めていた。「クリエA」なメインにも、セクバとしてSexy Zone、トラジャとして優馬くんのバックにも立つ才能たっぷりにふたりで生きる「あらちか」は、わたしの思い描いたジャニーズJr.だったし、ふたりを見るとふわふわ胸が柔らかくなるようだった。性分としてわかりやすくユニットを支持したくて指名するように選んだわけだけど、セクボ(じぐいわきしあらちか)は愛くるしかったし、トラジュ・トラジャは成る程美しかったし、Travis Japanメンバーがレギュラーの『お兄ちゃん、ガチャ』は愉快であるし、顔が好いからまちゅまちゅ、みゅうと、あらんさん回は焼いてるのある意味奇跡だし、トラジュで唯一出ていない子・・・と意識したうみちゃんにビビッときたし、まぁ落選したクリエトラジュ公演でそんなそれをネタにせず『兄ガチャ』DVDを販促するうみちゃん(※ヒモ予備軍)レポに素敵だなぁ〜とほっこりした。キンプリが結成されてセクボ消滅が残念だけど、これできっとSexy Zoneも前に進むし、事実、5人のシルエットからのカラフルEyesを歌う彼らは涙ぐましく、情に厚く刃向かったふうまくんって絶対的青春だし、見栄えは着飾るのに言葉は着飾らないなんて魅力的すぎる人だと知った。深夜の『ガムシャラ!』はもはやバラエティとして毎週の生き甲斐だった。チーム覇は史上最高のユニットだし、Jr.のことをもメンバーだと称す「風 is a Doll?」のご縁から、パフォーマンスバトルを痛切に裁かなければならない司会に駆り出された「さなじぃ」にジャニーズJr.最高〜!と思ったし、美勇人くんのことはリアクション芸人だと思っていた。だから、嵐・JaponismドームにTravis Japanがいるだなんて夢のようで、豪華なお顔・あらみゅがいないのが寂しかったけど、Mr.FUNKするうみちゃんがとびきりキュートで『愛を叫べ』を踊る宮近くんが宝石みたいに美しかったことを、覚えている。ゆるゆるゆるゆるゆるゆる、ジャニーズJr.ならこの子たちだなぁ~と、セットのドリンクメニューを選ぶ感覚、わたしにとってメロンソーダみたいだったそれが、Travis Japanのように思う。そしていつの間にか、このメロンソーダのために、この店に通っていることに気付いていて。
それはまさに2年前、2016年3月4日は、Love-tune結成日である。まがいなりにもTravis Japanを意識していた人間としては、美勇人くんが公式にグループを兼任することも、顕嵐くんがいつのまにかそのセンターでマイクを持っていたことも、「待って待って」と思うばかりだった。顕嵐くんのことは、だって顕嵐くんなんだもの、輝くべき場所で輝けるのならそれは素敵だよと思って、けれどあらちかが隣同士でなくなってしまうのにズキッとしてしまうし、「宮近ももってけドロボー!」なんてまだ外野の立場なのに、それっぽいよう嘆いていた。だから、特別にダンスするみんなの美勇人くんには、どうしてもTravis Japanでいてほしくて、青山劇場とさよならもして、兄組・弟組別から改めてグループとして動きだした知り足りないTravis Japanに、そのままグループでいてほしくて、そんな勝手な願掛けで呪いをかけることが、始まりだったのかもしれない。
言うなればつまりわたしは、森田美勇人(Love-tune/Travis Japan)出のご新規・美勇人担です。両方の登場場面で現れた出ずっぱりな少クラの美勇人くん、嵐についたら翌日はえびバック、ドリボに出たら幕間で稽古、次はえび座で…、DIGITAL BOYS(えび座内アイドルユニット)のセンターで笑って、アイランドゲストガチャも最もバック選抜される名実休みのなかった美勇人くん。木星から金星へ、その場でジャケットを羽織ってTravis JapanからLove-tuneへ変幻する美勇人くんにハートは奪われたし、精神的な切迫を考え出すとキリがなかったのに、呼ばれるうちが華、なんてやっとのお休みもダンス留学なんてしちゃう。誰よりアイドルをして、歌って奏でて踊りまくる美勇人くんがいて、うみちゃんを見にお邪魔するようになっていた筈が、「美勇人くんにお金払ってるよ」と言うくらいにはもう充分なほど君を見つめていたし、「リア恋枠」を称して離れて行きそうな彼への、典型的な重い女な執着心を抱き、チャーミングで頑張り屋さんなうみちゃんを、極上スイートな存在にしていた。思えば、心の奥底でこうなる「いつか」を分かっていたから、1mmも責任や傷を負わないよう距離を図っていたし、悲しんだり嘆いたり、咎める権利だなんてほんとうはない。
昨年のジャニーズJr.祭り、Love-tuneの出番は美勇人くんうちわにしよう、と担当を名乗らないまま、どさくさに決意を握りしめるわたしがいた。唯一オリ曲を持っていないのが切なかったけど、こだわりの玉虫衣装を纏ってソークレ・スパノバを踊るトラジャのために心臓は動いていたし、「マスピを踊る美勇人くんが見たい・・」と言ったら埼玉で叶うだなんて夢のようで、パリマニで闊歩してCha-Cha-Chaで低音ラップする人一倍な出演者に膝から崩れ落ち、『山の手線外回り』を選曲して、大阪では2番の「御堂筋線」を歌うトラジャがなんの誇張なく天才だった。そんなふうにTravis Japanへの信奉と美勇人くんへの「好き」が顕になった祭り、「今はどっち?」なんてついつい神経質になるわたしを宥めるように、トラジャのジャケットのうえにらぶのジャケットを羽織ったり、らぶのジャケットのうえにトラジャのそれを羽織ったり、同じくらいの交互にする美勇人くんはとてもやさしい。横アリ開演前、早売りとして流れてきた「最後の一人になってもTravis Japan」の言葉と、そう言ってくれた現実が、ほんとうにやさしくて強かった。
「ジャニーズJr.なのに」と卑下せず、「ジャニーズJr.だから」努力を選んだ。ベースもラップもダンスも、誰より上手な美勇人くん。両グループのまんなかを歩いては、どちらでも0番になれた美勇人くん。ほんとうに最後まで、どちらも100%だった、美勇人くん。衣装を変える度、曲が変わる度、変身する美勇人くんは、ほんとうのみんなのスーパーヒーローで、仮面ライダーだった。グレちゃってたくせに、「もりたさんきょうだいでまわしてる」なんてひらがなで言う美勇人くん。出演公演数を知っても、昔の方が、なんて何食わない美勇人くん。トラジャを引っ張って、らぶを底上げして、全部を抱きながらアイドルで居てくれて、本当にほんとうに凄い美勇人くん。トラジャが冬の帝劇に呼ばれたこと、今やオリジナルの衣装や曲をもらっていること。多分、あと寸前のところで、影に覆われてしまわなかったのは、窓系列なトラジャに今があるのは、毎週の少クラにコンサートに、やっとおんなじ土俵に立てているのは、美勇人くんが、Love-tuneでTravis Japanでいてくれたおかげなのかな、と。そういう、守り抜き方をしてくれたんだ、と思う。美化しすぎだと怒られてしまいそうだけど、もう大丈夫なところまで、守ってくれたんだ、と思えて。
「いつか」来る「いつか」を知ってしまったとき、自分を最大限傷つけないよう「担当」と呼ばない逃げ道に立って、大好きなのにすべてを100%に応援できない、身勝手な自分を肯定していた。だけど、キントレトラジャ単独公演、あんなに泣きじゃくったのは最初で最後の夜だったし、すべてのエネルギーが注がれた美勇人くんは、それでも逞しく踊り続けるから、綺麗で綺麗でそして美しかった。「お仕事がんばって!」と笑ってアイドルでいてくれるいつも通りすぎる美勇人くんだったし、限界まで踊りきってくれるトラジャは只格好よくて前しか向いていない、もう大好きで大切なグループだった。6人の『夢のハリウッド』をお披露目したのに「オリ曲」と言わず、命の限り7人だったジャニーズJr.アイドル・森田美勇人くんとTravis Japanが、ずるすぎるくらいに愛おしかった。
こんなに大好きになってしまって、なのにこれが最後だったなら、「美勇人担」を自負して当事者として死にたかった、と思った。だけど、嫉妬心や独占欲から縋っているわたしにそんな資格はなかったし、最後にひとつ、身の程知らずな賭けに出た。Travis Japanは、5月13日から始まったキスマイツアーのバックに付いており、残すは、追加公演として発表された、8月26日・27日に仙台公演が待っていた。一方でLove-tuneは、8月25日〜29日にサマパラ橋本良亮ソロ公演に付くことがわかっている。美勇人くんは、仙台にいるのだろうか。もし、美勇人くんが、仙台にいたというなら、これからのことも応援していこう、と。いろいろな憶測がなされたけど、TDCに、そして仙台に、両方に現れる森田美勇人(Love-tune/Travis Japan)の美勇人くんがいた。キスマイの方が先約のお仕事だし先輩だし、当然と言われれば当然かも知れない(同じような状況で2016年、トラジャがバックの嵐オーラスとらぶバックのえび初日が被った際、美勇人くんは嵐に出演)。だけど実際、Love-tuneのクリエと日程が重なった美勇人くんは、キスマイツアーバックにニ都市目からの参加だったし、行かないという選択も自ら出来たんじゃないか、と思う。嫌いになれればどんなに楽か、なんて思ってしまうのに、最後の最後まで一途に筋を通し続けた美勇人くん、そんな生き方をされちゃったら、嫌いになれないわけなくって。(後に、"キスマイツアーを全うしたい"と嘆願していたことが明かされる。)
そうして立ち会った「Love-tune Live 2017」、後ろのカッコの中身が減ってしまってもキラキラに輝いて「好きなんだよ」「泣かないで」と恋させてくれるアイドルな美勇人くんが、たしかに泣けるくらい好きだった。Love-tuneは、完璧すぎるからずるい。熱を呼応させる高い求心力も、まんなかで指揮する最小最年長を含め、もはや二次元的バランスな個性も、魂から魂へ奏でる音色も、なのに努力できる才能も、幸せを作る力と信念も、思わず恋する運命共同体な笑顔も、バンドだけじゃないダンスだけじゃない、7人じゃなきゃLove-tuneじゃないLove-tuneに、まるっとときめかないわけがないし、わたし自身が完敗だった。出会う順番やこんな欠点のなさにも理由をつけて、「わたしなんか応援しなくたって完成されているじゃん」と卑屈になったり、当たり前ながら当たり前に「ファン」する方に引け目を感じて縮こまったり、羨んでしまう自分がどうしても存在してしまうけど、そんなそれらも好きを表す賞賛のひとつとして、まだ、ずるいのおあいこで持たせていてほしい。
そんなLove-tuneの頂点で、なにより踊って奏でる素晴らしい美勇人くんは、お茶目で熱い恋を沸かすし、使命を果たしてくれた美勇人くんによって、どこかで「言ってはいけないこと」と決め込んでいた無意識は解放され、言っていい言葉になった。「Love-tuneが好き」をやっと、言えるし、言いたい!Travis Japanで魅せる美しい美勇人くんも、Love-tuneで魂をぶつける勇ましい美勇人くんも、ほんとうはずっと、ほんとうにずっと、ちゃんと大好きだった。それ以上にも歴史のある人だけど、今の美勇人くんを、いちばん「好き」だと言っていたい。
最高のアイドルでいてくれているのに、目の前に答えはあるのに、それを言う自信はなくて、自制していた言葉、もう約1〜2年回り道をしてしまっただなんて、こんなぐだくだの自分善がり、伝える勇気を持てなかったこと、まっすぐな思いが眩しかったこと、弱いなあ。さらに、手離してしまうことたちをカバーすれば、結局言い訳になってしまうから、「好き」を宣言してしまうことが怖かった。きっとすぐ好きが増えたり減ったりするんだ、永遠を誓うことももうどんな誰かも自分も傷つけたくないから、「担当」のない人になろうかな、とも思った。けれど、美勇人くんの方は語らずにも区切りをつけて、今をありったけ生きてくれているんだ。後ろ手に隠せないほど美勇人くんが好きで、もう逃げたくなかった。胸を張って、美勇人くんの、「担当」を宣言したいと思います。
Love-tune Liveから8日後に行った「ABC座 ジャニーズ伝説2017」、前楽。日生劇場には、美勇人くんが見学にいた。5人になったTravis Japanはピカピカに輝いてハリウッドにいたし、見せ場のアドリブ、ここぞとばかりなのえしめを呼んでひっちゃかめっちゃかするうみちゃんはよくぞやってくれただし、ショータイムで完璧に美勇人くんへ指差しウィンクする宮近くんや、客席一番後ろへ目配せをして、美勇人くんのために、楽しそうに嬉しそうにこれでもかと"Dance for you"するTravis Japanがたまらなかった。人数が減っても不死鳥のように生き続け、武器を磨き上げるTravis Japanが、やっぱり今、真っ先に火を灯したい至高のエンターティナーだった。悔しい悲しい切ないでドロドロになってしまうのに、一瞬でその汗と笑顔に魅了されてしまうから、嬉しくて楽しくて最高の「生きる」をもらってしまう。わんぱくどろんこなのに、パフォーマンスとなるとキリッとお澄ましをして青年になるうみちゃんなんて、とてもとても可愛いらしくて。どうしようもなく愛おしくなるし、彼らのパフォーマンスになにより心が揺れ動くし、ドクドクと血は巡り、体温が何度だって上がる。誰もわるくなくってどうしようもできなくって、それでもちゃんと、彼らは彼らの幸せを描いていた。Love-tuneの美勇人くんを、100%好きだと言い切れない自分が負い目のままだったけど、美勇人くんを好きなTravis Japanを、Travis Japanを好きな美勇人くんを、まだずっと、好きでいいんだ、と幸せの渦に巻き込まれているようだった。
美勇人くんのおかげで、こんなにもTravis Japanを好きになるなんて、Love-tuneに出会うことができるなんて、!もらった運命を大事に、ついてくる未来ともかく今を本気で愛していたい。Love-tuneが好きだし、Travis Japanが好きだ!森田美勇人くんが、100%にだい、だい、だいすきだ〜〜っ。改めて、Love-tune・森田美勇人くんをはじめたいし、Travis Japanと生きたいな、と思っています。(やっと言えた!)
担当として、初めて迎えた美勇人くんの誕生日、更新されたジャニーズWebのボイスから流れた美勇人くんの声は、数ヶ月前、わたしもリクエストしていた、まさにその一言だった。