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2017-07-18

天皇制なんてさっさと廃止しろ

天皇制本質は、家柄・血統による差別である

高潔なる天皇家を認めることは、当然その対極に、穢れたる存在を生み出す。

天皇皇族を、家柄や血統が良いとして崇める事は、構造的に部落民差別する事と一緒である

天皇が聖性を家柄・血統として、代々伝えることを認めるならば、部落民の賤性もまた、家柄・血統として代々伝えられることを認めることになるのである

また、賤であり穢れた存在を置くことは、天皇自らの聖性・浄性を相対的に高めるという効果がある。

天皇家にゆかりがある関西や、大和朝廷関係がある地域と思われる福岡熊本大分被差別部落が多いのは、おそらく古代中世期に天皇制権力賤民部落民の原形を作り上げたからではないかと考える。

天皇が聖性を家柄・血統として代々伝えることを認めるならば、部落民も当然その賤性を代々伝えていくことまで認めることになるのである

天皇家天照大神から万世一系に繋がっていると信じさせている。何が万世一系と見なされているのか。

一つ目は、三種の神器継承である。これは天照大神時代から代々伝わっているとされている。

二つ目は、霊が繋がっている、とされている。大嘗祭は、収穫を祝う祭であるが、それだけでなく、現在天皇が旧天皇死体と共に寝るという儀式もある。これによって、先帝の天皇霊が新天皇身体に憑くのである。したがって、天皇天照大神と霊的につながっている現人神とされたのである

三つ目は、血が連続している、とされている。皇位根拠古代以来連続してきた血統にあるとされた。

そしてこの連続性は当然今後も継続することが当たり前であるということを正当化させる。こうした天皇万世一系性は、あらゆる家系優越し超越する天皇家家系を強調し、皇位の不動性をわれわれに当然のものとして受け取らせるのである

万世一系を唱えることのメリットとしては、天皇宗教的権威統治権絶対性、さらには身分地位の永続性が担保されるということが考えられる。

しかし、万世一系大嘘である

奈良平安時代などは、天皇皇族後ろ盾にいる各豪族の抗争次第で、皇位血統原理関係なく移動したのである

例えば、聖徳太子は、血統原理から言えば正統な皇位継承者だったのだが、結局天皇にはなれなかった。また672年に起きた壬申の乱では、天皇と名乗る大友皇子天智天皇の子)を大海人皇子武力で倒し自らが天皇になった。

又、天皇家は、万世多系であった。桓武天皇母親朝鮮からきた人というのは有名な話である。また皇室には代々側室なるもの存在し、その側室平民から選ばれたのである明治天皇大正天皇側室の子である。(明治天皇側室大正天皇の生母であった柳原愛子さんは大正天皇知的障害者であったことの責任をなすりつけられたそうである)そのことは皇室家系図には書かれておらず、あたか天皇が一人で子供を産んだように書かれており、見る人に天皇家万世一系につながっていると思い込ませているのである

更に、現在天皇家足利尊氏が無理矢理作り出した北朝の子であることである血統原理でいくならば、正統な皇位継承権は南朝にあるのである。(南朝の子孫とされる熊沢という人が大東亜戦争後に、皇位継承権は自分にある。と訴えた話は有名である

天皇陛下はいつも国民のことを考えておられる。福祉にも御興味をもたれ、障害者にも優しいお方である。などと思っている人の何と多いことであろう。しか天皇家は実は思いっきり穢れた家柄・血統人間差別しているのである

天皇皇族部落民に対する差別事例をここでいくつか挙げてみる。

1868年に制定された『法令全書』の第1巻686号には、天皇が巡幸する際に穢れ多い部落が見えないように部落を筵で隠すべきということが書いてある。

そのことの事例として、1922年に起きた大分県の的が浜地区焼き討ち事件、がある。事件のあらましは、皇族列車で巡幸する際、沿道沿いにある、的が浜スラム地区、が皇族の目に触れないように、その地区警官が焼き討ちした、という事件である。的が浜地区は正確には被差別部落ではないが、非人系の部落民や、ハンセン病者や、浮浪者が多数居住していたスラム地区であった。

また、天皇は、部落民土地を取り上げたりもした。

これは大正年代出来事だが、奈良県畝傍山のふもとにあった洞(ほうら)部落が、その下にある神武天皇陵を見下ろす位置にあるとして、行政側は1917年にその部落強制移転を求め、20年にそれを強制執行した。その際、洞部落部落民の遺骨も穢れているとして、徹底的に取り除かせた。

今でも天皇皇族は家柄・血統差別を堂々とやっている。

例えば、宮中賢所に使える女官を選ぶ基準血統血筋である。穢れも未だに重視しており、彼女らが月経とき、お下り、といって強制的に休ませている。月経が終わっても穢れを祓う儀式をしないと元の仕事に戻れないそうだ。

そして最も重大なのが、結婚相手調査を正々堂々としているということである

1993年1月5日付け読売新聞朝刊の一面によると、宮内庁は、皇太子妃候補の身元調査大手興信所に頼んだとのことである。そこには皇室専門の興信所員がいるとのことである。そして直系は4代先まで溯り、大祖父祖父きょうだいまで徹底的に調べたそうである。そして雅子さんが優秀な家系で驚いたなどと興信所は言ったそうである皇室差別主義に凝り固まっていると言える。

天皇制擁護者の大多数は、天皇皇室日本の伝統だ。という理由で賛成していることだろう。しか天皇制日本オリジナルではない。天皇という概念は、中国における道教の最高の信仰対象であった天皇大帝から来ているのだ。

天皇家は、伊勢神宮京都御所儀式とか神主でもやるべきだ。もちろん、その際でも、天皇皇族国民という立場で勤労・納税の義務を負い、また参政権を含めた基本的人権を有する立場に置かれるべきだ。

2017-06-13

官房長官前川からせめて3月まで続けさせてほしいと話が1月に上旬にあったという」民進党 宮崎議員前川氏は1月5日に辞めると副長官に言ったと。弁護士の捺印入りの紙まで出している」

官房長官前川からせめて3月まで続けさせてほしいと話があったという」

民進党 宮崎議員「それは何月何日どこでですか」

菅「1月上旬だったと思う」

宮「前川氏は1月5日に辞めると副長官に言ったと。弁護士の捺印入りの紙まで出している」

菅「承知していない」

宮「この食い違いは証人喚問で質すしかない

2017-06-11

官房長官「(前文科事務次官前川からせめて3月まで続けさせてほしいと話が1月にあった」民進党議員前川氏は1月5日に辞めると副長官に言った」

官房長官前川からせめて3月まで続けさせてほしいと話があったという」

民進党 宮崎議員「それは何月何日どこでですか」

菅「1月上旬だったと思う」

宮「前川氏は1月5日に辞めると副長官に言ったと。弁護士の捺印入りの紙まで出している」

菅「承知していない」

宮「この食い違いは証人喚問で質すしかない

菅「前川からせめて3月まで続けさせてほしいと話があったという」

宮崎「それは何月何日どこでですか」

菅「1月上旬だったと思う」

宮「前川氏は1月5日に辞めると副長官に言ったと。弁護士の捺印入りの紙まで出している」

菅「承知していない」

宮「この食い違いは証人喚問で質すしかない

2017-01-08

ノンケ男だが男に恋してしまたかもしれない

頭悪いか文章変なところあるかも。

今までは自分性別について深く考えたことなんてなかった。

あたりまえに俺は男で、女の子が好きだった。

大学に入って、文化系のゆるいサークルに入った。

大学公認団体から部室はあるけど、実質ほとんど何もしてない。

暇なときに部室に行けば、だいたい1人か2人はいて、グダグダするだけ、みたいな。

ある先輩がいた(というか今もいるが)。

肌が特別綺麗だったり、体毛が特別薄いということはない。

というか、そもそも彼女がいる、普通にノンケの先輩。

でも、俺は最初からその先輩に違和感があった。

男なんてみんな男にしか見えないんだけど、その先輩は男にどうしても見えなかった。

かといって女に見えるわけでもない。果てしなく中性的な印象があった。

女っぽいのではない、男っぽくないのだ。

ただ、一つその先輩に特徴的だったのは、異様にコミュ力があるということ。

初めて出会った人と一瞬で仲良くなってしまう。

妙な口説き癖があって、女の子に対して「本当にかわいいよね」「付き合わない?」と平気で言う。

もちろん全部冗談だし、そういう言動冗談として許容される不思議さがある。

男すら口説くほどで、俺も何度か「お前ほんとにきれいな顔してるな~」とか「お前とならベロチューできるわ」とか言われた(シラフで)。

そのたびに妙にドキドキしてしま自分がいたけれど、気にしていなかった。

言い忘れてたけど今1年生なんだけど、決定的なのは去年の忘年会だった。

大して強くもないのにお酒を飲みまくった先輩は、べろべろに酔っていた。

たまたま隣の席だったんだけど、先輩がやたらさわってくる。

最初は肩とか腕を掴まれる程度だったけれど、次第に服の中に手を入れて背中お腹や胸を触られたり、おもいっきり抱きしめられたりするようになった。

最初は「やめてくださいよ~w」って言いながら軽く抵抗していたものの、なんども触られるうちにだんだんこっちも気持ちよくなってきてしまって、「ああ、もうこのまま身を任せてしまおうか」という気持ちになってきた。

まあそんなこんなで飲み会は終わったんだけど、結局年末年始はずっと先輩の手つきのことが忘れられずに一人で悶々としていた。

たとえば好きな女の子にさわられてしまったときみたいなドキドキした甘酸っぱい気持ちと性欲が混じったようなものじゃなくて、こう、思い出すたびにため息がでて、うっとりした気持ちになってしまうような。

こんなことが今までになかったから、本当にこれがどういう気持ちなのか、自分でも分からない。

例えば女の子を好きになったときって、そりゃあセックスしたいという気持ちがあるのは当たり前なんだけど、そういうのでもない。

あーでも、先輩に求められたら受け入れてしまうだろうなあとは思う。こっちから求める感じはないけど、求められたらとても嬉しいと思う。

1月5日から授業が始まって、部室に行ったらその先輩だけがいて、2人で1時間くらいグダグダして帰宅した。

その時間が異常に幸福で、うっとりするほど美しく感じられて、もう俺は駄目かもしれない、この人のものなのかもと思いながらこの文章を書いている。

男なのに、みたいな抵抗がありそうなものだけれど、そういうものが一切なくて自然にその先輩が好きだから駄目なのだ。。。

2017-01-06

[][] @Idesan Tsuyoshi Ide (井手 剛)

2015-06-25

たまさん死去

たまさん死去

たまさん(たま=和歌山電鉄社長代理常務執行役員)22日夜、急性心不全のため和歌山県岩出市内の病院で死去、16歳。紀の川市出身。自宅は和歌山県紀の川市貴志川町神戸803番地の貴志駅構内。葬儀告別式は近親者のみで済ませた。社葬28日午後0時半から貴志駅で営まれる。喪主は、たまの飼い主の住友利子さん。葬儀委員長同電社長小嶋光信氏。

2007年1月5日和歌山電鉄から貴志駅長に正式に任命され、日本初のネコ駅長となった。就任後、たまさん目当ての観光客が増加し、08年には課長職に相当するスーパー駅長へ昇格し、県から和歌山県勲功爵を叙勲された。さら10年には執行役員へ昇格し、貴志駅たま駅長モチーフとしたものへ改築された。翌11年には常務執行役員へ昇格し、県知事より和歌山県観光招き大明神称号が与えられた。13年には社長代理就任したが、近年は高齢のため部下であるネコに実務を任せ名誉職として時折、利用者への挨拶をするにとどめていた。先月、動物病院で定期検診を受けたところ鼻炎であることが判明したため19日から療養し、入退院を繰り返していたという。

2015-01-06

高齢者虐待通報をしたので状況結果報告のお願い→返答

元旦高齢者虐待を知りその大阪府M市の休日深夜用の電話番号に通報した。

メールした。

正月明けに返事メールがきた。

私のメールとM市からの返事メールを載せる。

■私のメール

1月2日 (4 日前)

To kousien

サポートダイヤル担当Tさん

通報内容:

M市のマンションにおいて高齢男性配偶者から虐待を受けており生死に関

わる状況を通報した。

現在大阪府外在住の私はこのマンション親族がおり1日昼にこのマンションを訪れた

エレベーターを待っていたがエレベーターのドアが開くと中からまず高齢女性が出てき

た。

中に高齢男性が這いつくばっており高齢女性が「他人が待っているから早くでてきなさ

い」と叱る。

すると高齢男性は這いながらエレベーターから出てくる。立てない模様。

高齢女性に聞くと「外で途中から歩けなくなった」と答える。

高齢男性は小さくうめくのみ。

手伝うことにして「肩につかまってください」と呼びかけるがうめきながら私の頭にし

がみつく。

高齢女性が「それは頭。肩よ肩。」と叱りつけるのみで手伝おうとはしない。

高齢男性は薄いカバンを脇に抱え錆びて折れたビニール傘を2,3本持っているので私

が高齢女性に持つように言ってようやく持っただけ。

脇に頭を入れて体ごと抱えてマンション廊下を歩いて玄関まで運んだ。

その時ようやく気付いたがホームレス特有の尿のきつい臭い男性の体から漂いまた服

もかなり汚ない。

玄関まで行くと玄関ポーチボロボロの服や毛布や空き缶やゴミ袋があふれている。

室内まで運び入れるつもりだったが高齢女性から玄関ポーチで座らせてくれということ

だったのでそこで降ろして去った。

その後に私の親族に聞くとあの夫婦についてはマンションでは以前から有名とのこと。

以下は親族に聞いた話である

高齢男性マンションの室内に入れてもらえず玄関ポーチで外飼の犬のように寝泊りし

ている。

朝になればマンションの外へ出かけ夜に帰ってくる。帰ってくるのは玄関ポーチであり

室内ではない。

出かける先は周辺の歩道公園

食事は外でパンを食べているとのことで栄養へったくれもない。

トイレマンション管理棟にトイレがあるのでそこを利用しているらしいが今日のよ

うに休日は閉まっているためその場合立小便をしている。

一時期このマンション廊下立小便の跡が見つかり禁止の張り紙廊下にしてあった

がこの高齢男性だろう。(証拠はない)

同じ階の住人数人があんまりだということで抗議に言ったが「我が家のことだから放っ

といてくれ」と高齢女性に言われ、住人ももう関わり合いにならないことにした。

この夫婦には子供が二人居たが成人してこのマンションには住んでいない。

私は親族への挨拶を済ませて大阪府外へ帰宅したが、あの高齢男性が気にかかり以下の

理由地域包括支援センター高齢者虐待として匿名通報することにした。

夫婦でありながら女性が室内で暮らし男性玄関ポーチで寝泊りさせられているので

住居が実質なくホームレス同様の暮らしを強いられている。

男性女性の言いなりでパンなどを与えられているだけ。

・私は素人だが肩を貸した時の状況や親族の話から考えると認知症などの精神障害では

ないのか。少なくとも会話が成り立たない。

公的機関への通報相談はあったのかもしれないが、もはや同じマンションの住人が

関わりにならないと決めていることから公的機関現在何も対応していないのでないか

・厳しい寒波がきており1日の夕方から雪が降り始めていた。薄い服装からみて玄関

ーチで過ごしていては今晩でも凍死の恐れがある。保護必要ではないか。

匿名理由であるが、通報した私の情報は守られるとのことだが残念ながら機密漏洩

不祥事新聞を賑わす時代であり、親族マンションに住んでいるので万が一でもば

れることは避けたい。

電話対応していただいたTさんにこの内容を伝え名前は申し上げられないが携帯

話番号だけお伝えした。

高齢男性健康状態も良くないように思えたためこの寒さで今晩でも凍死の可能性があ

る。

しかTさんからは私から警察通報するように頼まれた。

理由匿名では地域包括支援センターから警察への通報はできないと言う。

携帯電話番号を伝えても名前がわからないと動かないと言う。

しか大阪府サイト高齢者虐待防止への取組のページにはこうある。

>「もしかして?!」と思ったら勇気をもって市町村地域包括支援センター等の相談

窓口へ相談してください。秘密を守り、一緒に考えてくれます

>(高齢者虐待防止法では、市町村高齢者虐待防止の責任主体と位置づけています

にもかかわらず虐待防止の責任主体大阪府M市の窓口が一緒に考えた答えが

通報者が再びこの複雑で長い同じ内容を警察電話する。なぜなら匿名から」。

こういう典型的な「たらい回し」に付き合っている状況ではない。

警察では事件性が無ければ動いてくれないのでないかと思うから高齢者虐待防止専門の

公的機関通報したのだ。

玄関先であの高齢女性適当なことを言えば民事不介入警察を追い返すこともありえ

る。

から地域包括支援センターから警察への通報というパイプを利用したい。

このことをTさんに伝えたが「お名前を聞かせていただかないと」の一点張り

こういう方法を使うのは遺憾だが

「この会話内容の録音を橋下大阪市長ツイッターメッセージ送信する」

と伝えるとTさんの答えが変わった。

お客様に誤解を招いてしまいましたが警察へはこちらから通報いたします。ご報告は

どういたしましょう」

良い悪いに関わらず結果は同じマンション親族に教えてもらうと答えて報告はお断り

した。

しかし、M市のサイトを見ているとこのメールアドレス福祉保健部高齢支援から

回答をいただける旨を書いてあるのでメールにて行政としてどう対応たか報告をいた

だきたい。

通報夜の警察による保護はしたのかしなかったのかの状況

・高齢男性への支援などの経過

追伸

M市だから大阪市長は直接関係ないはずだが解決しないのなら一つの手だと考える。

以上

■M市からの返答メール

M市役所 高齢支援課 kousien@city.略.osaka.jp

To ○○

M市役所高齢支援課のAと申します。

平素はM市福祉行政にご協力いただき、厚くお礼申し上げます

このたびは、高齢者男性につきましてご通報いただきまして、ありがとうございました。

高齢支援課に送信いただきましたメールは、本日1月5日(月)に確かに拝読いたしました。

返信が大変遅くなり、申し訳ありません。

ご連絡いただきました高齢のご夫婦につきましては、所管であるW地域保健福祉センター内のY地域包括支援センター確認したところ、以前より把握しており、地域から情報も得ながら、定期的に状況や意向確認を行っていることを確認いたしました。支援方策につきましては様々な方向から検討し、ご本人にもご家族にもご提案と説明を繰り返し行っている状況です。

お問い合わせにありました「通報による警察対応」の内容及び「高齢男性への支援の経過」につきましては、個人情報保護観点からその内容をお伝えすることはできませんが、今後もご本人の体調や判断能力について確認、見守りを行うとともに、対応継続してまいりますので、ご理解いただきますようよろしくお願いいたします。

なお、W地域保健福祉センター内にあります、Y地域包括支援センター所在地等は以下のとおりです。

M市 略 電話番号 略 Fax番号 略

よろしくお願いいたします。

M市福祉保健部高齢支援

担当:A

2013-12-21

嫁が実家行きたくないと言い出した

結婚3年目の会社員をする20代の男です。

年収は600万程度で共働き子供は息子が1人です。

我が家実家は双方とも車で2時間程度の距離にあります

我が家では年末年始は1年おきに双方の実家で過ごすというルールがあり、

今年は私(夫)側の実家で過ごすことになっていました。

今年は12月28日から来年1月5日まで休暇だったので、

12月29日から1月3日まで実家で過ごすと私の母に伝えたのですが、

今週になって妻が急に私の実家には行きたくないと言い出しました。

なんでも長期滞在になると実家自分の服や下着を洗濯されることになる、それは耐えられない。

最悪でも1泊で帰って妻側の実家に行きたい、

できれば年末年始は妻側の実家ですごして、次の成人の日に私の実家に1泊で行きたいと言い出しました。

しかに言われてみれば最長で2泊しかしたことないのですが、

今年は妹夫婦の子供も生まれていて、親戚一同集まれるとみんな楽しみにしていますし、

私の祖父母も高齢で、あと何回ひ孫の顔を見せてやれるかかわかりません。

ただの妻のわがままなので、無理矢理にでもつれて行きたいのですが、

せっかくのお正月なので、なんとか妻を説得して家族で楽しく過ごす方法はないでしょうか?

追記 16:15

早速の回答ありがとうございます

服を多めにもっていけばいいというのは提案したのですが、

そんなに下着を持っていない。わざわざ実家に帰るために買い足すのはもったいない

と言っていました。妻は節約家を通り越して、かなりのケチなのでいくら言っても聞きませんでした。

ちなみに私は長男なので、ゆくゆくは実家に帰ってみんなで一緒に住まなければいけないのに、

これでは先が思いやられます

やはりびしっと私が叱るしかないんですかね。

追記 2013/12/22 13:38

たくさんのコメントいただきありがとうございます

予想以上のコメントに大変驚いております

ブコメトラバもすべて読ませていただきました。

洗濯の件、妻の本音は別の所にあるというコメントには、はっとさせられました。

これまでは帰省のたび2人で、私や父の愚痴をいいあったり、家計節約方法を話し合ったりしていたので

うちは嫁と姑で気が合い仲がよく、いわゆる嫁姑問題はおきないものだと思っていました。

私の考えが甘かったようですね。

妻だけが悩んでいることがあったのかもしれません。

ただ、いきなり帰省を断るとかどがたつと思うので、

今年は年末私と子供が体調をくずした事にして、どちらの実家にも行かず

家で3人でゆっくり過ごすよう、今晩妻に相談してみます

2013-11-30

年末年始の正しい過ごし方を教えてくらさい。

これまで、実家自営業社会人になってもサービス業だったために全く年末年始に休んだこともない。

紅白歌合戦とかダウンタウン番組とか年明けた後に録画してたのを見てた感じ。

なのに急に8連休を今年もらえることになった。29日~1月5日まで。

いちお一緒に過ごしてくれる人もいるけど、お互い何していいかわかんなくてこのままだとせっかくの休み無駄にしちゃいそう。

旅行会社とかも行ってみたんだけど、ちょっと高いし、行きたいとこは飛行機が取れないみたいだし。

予算10万円~20万円くらいの間で国内でも国外でもいい。5日くらい海外いけたら残りは実家のんびりしてもいいような気もするけど、

なんかいきなりふってわいた長期休暇にどうすればいいか困ってます

8日間とか家でのんびりしてたら、逆に疲れたりしないのかなぁ?

2012-12-04

http://anond.hatelabo.jp/20121203123633

鈴木敏夫ジブリ汗まみれ 2010年1月5日 庵野秀明ゲスト回その1 続き)

 

ナレーション

 

鈴木だってヱヴァ』って自分お金で作ったんでしょ。

庵野:ええ。

鈴木:すごいよね。

庵野100パー出資なんで。リスクも大きいけど、リターンも大きい。やるんだったらそっちの方がいいかなって。

鈴木40代は……なんていうの。30代からかもしれないけど、10年間ぐらい遊んでたでしょ?

庵野:遊んではいないですね(笑)

鈴木:でも遊んでたよ。

庵野:まあ遊んでるようには見えるかもしれないですけど、遊んではいないですね。

鈴木:だからヱヴァ』作るときに、ちょっとね、頑張るみたいな感じ出したじゃない。

庵野:まあ、そうですね。10年はやってないですけど。遊んではいないですけど。

鈴木:『キューティーハニー』作ったり(笑)

庵野:ええ、まあ、実写をしばらくやってましたね。

鈴木:なんかあの間、すこし休憩って感じがして。『エヴァ』のあと。

庵野:『エヴァ』のあと、アニメには本当に、どっちかっていうとアニメ業界失望してたんです。いまアニメを作ってもしょうがないんじゃないかって。まあ実写の方に興味が行ってましたね。

鈴木:50代なにやるの?

庵野:50代は……。

鈴木:50代、ねえ。40代に大概いろんな映画監督ってたいてい代表作を作ってんですよ。大概そうだよね、黒澤(明)はじめ。

庵野:まあ、そうですね。35から40代ですね。

鈴木:そうしたら、なんていうの。50代になったら大概違うものやるんですよ。だからヱヴァ』をやった――『ヱヴァ』代表作でしょ、そのあとどうするんだろうって。

庵野:うーん、なにやるんですかね。うーん。

 

ナレーション

 

鈴木日本アニメーションはどうなるんですか。

庵野:まあ、衰退するんじゃないですか。

鈴木(笑)。もうしてるよね。

庵野:ええ。

 

終わり

2012-12-03

鈴木敏夫ジブリ汗まみれ 2010年1月5日 庵野秀明ゲスト回その1

ナレーション

 

食事をとりながら鈴木庵野雑談

 

ナレーション

 

鈴木:いやあ、きょうはね、教えてもらいたかったんです。というのはね、『バッタ君(町に行く)』の……魅力。

庵野はい。魅力……。

鈴木:僕は正直言います告白します。お話のほうがね、なんでこういうものが作られたのかなって、見てるうちに終わっちゃったか(笑)、そこに気を取られて。アニメーション的にどうのこうのの前に、なんでこんなもの作ったんだろうって。だからきょう教えて欲しかったんです。

庵野:まあアニメーションとして好きっていうことですね。

鈴木アニメーションとして優れていますか。

庵野:そうですね……やっぱりアニメーション技術としてすごいと思いますね。やっぱ当時のアメリカは、ディズニーも、MGMも、ワーナーも、やっぱりすごいなって。

鈴木:どういう技術が優れてたの。だってバッタ君』好きだと思ったんでしょ?

庵野:『バッタ君』は好きですね。

鈴木だってEVA』を作った人が『バッタ君』を好きなんでしょ。これみんな聞いてみたいよね

庵野:画で描いて、動かす……なんていうんですかね、エネルギーみたいなものですかね。日本とはもう桁が違うぐらい当時は差があったと思いますね。1940年代ですもんね。

鈴木:41年。

庵野戦前ですもんね。もしくは戦中ですよね。

鈴木太平洋戦争が始まった年。

庵野戦前、戦中、戦後はもう、やっぱり桁が違うと思いますね。

鈴木:ああ、その時代ね。

庵野:ええ。

鈴木戦争挟んで、10年ぐらい。

庵野日本東映動画ができてからはどんどん追いついていったと思いますけど。技術的な部分とかそういうのも含めて。でもあの時代はやっぱりアメリカ世界一ですよね、アニメーション技術は。その技術集大成ひとつだと思いますね。まったく。まあ話は子供向けなんだか、大人向けなんだか、ちょっと、どっちなんだろうってとこはありますけども。

鈴木:あのー、ロトスコープっていうの、アレ? 人間の部分は。

庵野はい

鈴木:あれは正直言うとびっくりしたね、改めて見て。なんかすんげえなと思って。今のみんなが、いわゆるコンピューターでやることを、ああ昔の技術ではこうやってやったんだなって。で、それがあまりにもリアリティがあって。その対照としての虫たちがああやって描かれるでしょ。だから少しそこに世界が違いすぎるから違和感があって。

庵野:ああ、それはよかったです。

鈴木人間のほうがすごく見えちゃったんですよ、僕は。だから、いきなり虫になると漫画になるじゃない。それが、もっと人間を見たかったなって(笑)。で、それを人間がやってるんだと思うとドキドキしちゃって。脚だけしか出てこないのに。でもそれが凄かったから。やっぱり機械じゃなくて人間がやったと思うとすごく見える。それと『(崖の上の)ポニョ』じゃないけれど、やっぱりすんごい描きまくってるね。動きまくってるというか。あのー、『カールじいさん(の空飛ぶ家)』。

庵野はい

鈴木:見た?

庵野:まだです。

鈴木:見てない? ちょっと――ちょっとびっくりしたんですよ。これもね、お話じゃないんですよ。隅々までエネルギーが満ちてて。だから絵筆じゃないけれど、コンピューターでやってるんだけど、ひとりひとりのスタッフの持ってる、描きたい、動かしたいというエネルギー。すごいですね。驚きました。そして、やっぱり比較しました。いろんなところと。いま勝てないと思った。で、そういうスタッフがどんどん育ってる。ちょっとすごいです、あれは。

庵野ピクサー最近食わず嫌いやめて見るようにしたんですね。

鈴木(笑)。どうかなあって思ってたんだけれど。ピートドクターっていうの、監督のね、よく知ってたんで。ちょっと見ようかなって思ったら。ちょっと全然別のそういう感想持っちゃった。お話とかそれは、まあ、ねえ、置いといて。とにかくスタッフがのびのびと、しかもやりたいだけやってる、やりまくってる。それってやっぱり作品を色々膨らませてるよね。

庵野:いや、ピクサーはすごいですね。

鈴木:うん、だから、もしかしたら『バッタ君』も、それに満ち溢れてたのかなあって思って。

庵野アニメーターが多分好きにやってるとは思いますよ。枚数制限なく。

鈴木:一切ないよね、あれ。

庵野:ええ。

鈴木だってすごい余分なところでも動いてるもんね。

庵野:ずうっと動いてますね。

鈴木:うーん、やっぱり凄いのか。

内藤映像に音声をつけるとか、カラー化でディズニーに先を越されてしまって――。

鈴木彼女担当なんだよ。あのー『バッタ君』の担当の、あのー……なんていう名前だっけ。

内藤内藤まゆです。

鈴木:ああ、内藤っていうの。フライシャー兄弟が超えようとしたんでしょ?

内藤はい。けど最終的には越されてしまったんだけど、さっき鈴木さんが仰ってたロトスコープだったり、あとは背景に奥行きを与える、模型を使ってやることで――っていう、そういうセットバックっていう方法を考えて、ひたすら、こう、追い越せーみたいな。

鈴木チャレンジ精神が厚い人だよね。俺はね、『ポパイ』はね、見てたんですよ。フライシャー兄弟でしょ、あれ。子供ときにね、幻灯機っていうのを買ってもらって(笑)。そしたら付いてきたフィルムがね、『ポパイ』だったんですよ。それでね、初めて35ミリフィルムっていうのを見て。これで回すとさ、動くわけじゃない。それで気になるわけよ、一枚一枚の画はどうなってるのかって(笑)。それが子供ときの体験。それで初めてね、幻灯機をね、色々いじるわけ。どうして動くっていうのを思って(笑)

内藤:たしか不思議ですよね。画が繋がってるだけで。それを映しても、なんでそれが動いてるように見えるのかって、すごく不思議で。

鈴木:そうなんだよ。それで子供ながらにね、色々分解したりしてるとね、わかってきたんです(笑)

内藤:えっ、幻灯機をですか。

鈴木:そうそうそうそうそうそ(笑)。って言ってもたいしたあれじゃないけどね。『ポパイ』って、僕は昭和23年で、戦争が終わって3年後に生まれた身としてはですね、漫画って言うと日本漫画もあったけど、一方で『ポパイ』だったんですよ。そのぐらい強烈な印象で。だから、まさかその人の、あれが最後の作品? 『バッタ君町へ行く』。だから、興行的に上手くいかなかったわけでしょ。だからディズニーってのは商業的に上手くいったからね。

内藤庵野さんは、あの作品の中でどのシーンが一番お好きなんですか?

庵野:牛の住んでる楽園が、人間の手でこう次々に壊されていくスペクタクルですね。あれがすごい一番。ええ、工事のシーンですね。工事の車とかシャベルとか無機質さと、この右往左往する虫の動きの、このコントラストっていうんですか。そういうのも含めて、大スペクタクルですね。手で描くのを知ってると「よくまあこんなのを……(苦笑)」とは思いますね。それだけでも、もうすごいと思いますね。

内藤鈴木さんは好きなシーンありますか。人間以外で。

鈴木:俺? 俺はねえ、あの屋上へ行ってね、こうやってアメリカは滅びて行くんだなあっていう(笑)

庵野:結局、楽園ですらも人の手で人工的に作られないと虫は生きていけないっていうことですね。

内藤:当時はもう、ああいう高いビルはいっぱいあったんですか。

鈴木アメリカはそうなのよ。エンパイアステートビルをはじめ、いわゆる高層ビルアメリカの象徴だったから。相当昔から造られてんだよね。いわゆる地震の少ない国だったから。

庵野:なぜ「町」だったんですかね、あれね。

内藤タイトルですか。

庵野:まあタイトルもそうだし、なぜ町を舞台に虫の話をしたんだろう。

鈴木:うーん……。だからまあ多分アメリカっていう国が大きな変化を遂げていった、1950年代、大繁栄を迎えるわけだから。その大繁栄のなかでアメリカ人が見失っていくもの? そこらへんのを予感したんじゃないかな。

内藤:すごい不思議だったんです。そんなに歴史詳しくないんですけど、真珠湾攻撃の直後に公開してるのに、なんでこんな平和というか、一見呑気な話が作れるのかなって。

鈴木世界大恐慌ってあったじゃない、1929年。結局アメリカの、ねえ、そういうのから始まるわけでしょ。それで結局色々やったけれど、ニューディール政策その他。アメリカ復興できなかったんですよ。ところがヨーロッパ戦場になることによって、その恩恵に預かって、それでアメリカ復興していく。結局その戦争を待つことによって景気回復したんだよね。だから、やっぱりこの映画が作られたころ、アメリカは非常に豊かだったんですね。方や日本は、っていう。貧しい国でしょ。小さな国で。やっぱり宮さん(宮崎駿)なんかもね、およそアニメーションを目指す者はこれを見なきゃ始まらないみたいなそういうコメントを寄せて。

庵野:まあ僕はそう思いますね。少なくともアニメーターは見て損はないと思いますね。

鈴木:なんか、ここのシーンだっていうところはあるの? ここがすごいって。

庵野:全編すごいですけど、やっぱり最後クライマックスの壊れていくところ。あの虫のモブを一枚一枚描いている。

鈴木:頭おかしいよね、あれ。

庵野:あれは凄いですね。

鈴木:俺、どっちが先か判らないけれど、僕は……誤解も与えますが、宮さんの一番すごい仕事って、やっぱり『ホルス(太陽王子 ホルスの大冒険)』だと思うんですよ。最後モブシーン。あれ宮さんだよね。いろんな人が縦横無尽に動く。それで空間がどんどん広がっていく。あれはちょっと舌を巻くんですよ。

庵野:宮さんのモブは本当にすごいですよね。

鈴木:うん、それで……あれ以来見たことないんだよ(笑)

庵野:やっぱり若いというのはね。

鈴木:いやー、あれはすごいよね。

庵野:すごいです。

鈴木:こんな風に人がね、動いて、しか人間の手で描いて、こんなシーンが作れるのかって。最初に見たときラストシーンどういう人がこの画を描いたんだろう、設計をしたんだろうって。それで後で聞いてね、やっぱり宮さんだってことがわかって。うーん、「すごかったんだなあ」なんていうと怒られちゃうけれど(笑)

庵野:いやあ、アニメ-ターとしては超一流ですよ。『(空飛ぶ)ゆうれい船』とかも好きですけどね、宮さんの仕事だと。

鈴木:やっぱり過不足なく描いてたものね。

庵野東映で、ここはすごいっていうところは大体宮崎駿原画のだったりしまからね。

鈴木:ああ、なるほど。……宮崎駿のことはいつ知ったの?

庵野:「アニメージュ」だと思いますけどね。

鈴木:じゃあ大学生とき

庵野大学……いや、高校のときですね。意識したのは『(未来少年コナン』ですね。その前も好きでは見てたんですけど、なんだろう、ちゃんと見るようになったのはやっぱり『コナンからですね。

鈴木リアルタイムで見たの?

庵野リアルタイムですね。妹とチャンネル権の争いで、なんとか。

鈴木:えっ、裏になんかあったの?

庵野:裏は『(女王陛下の)プティアンジェ』っていうアニメが。

鈴木:『プティアンジェ』ってのがあったの(笑)

庵野NHKからっていうのでなんとか親を説得して。

鈴木:「NHKから(笑)

庵野1話を見たら、親が続きを見たくなってくれてですね。そのあとは毎週ちゃんと見れるようになった。それまでは『プティアンジェ』でしたからね。

鈴木:そうなんだ(笑)

庵野:『プティアンジェ』、オープニングだけ見ればいいんだって

鈴木:そうなんだ。……それ以来ずっと注目してるの?

庵野:そうですね、あとは『カリ城ルパン三世 カリオストロの城)』ですね。

鈴木1978年、79年か。

庵野:あれは劇場に見に行きましたね。

鈴木:満足しまたか

庵野:2回見ましたね。僕のほうは田舎だったので同時上映があって、そのあいだはロビーに出て。

鈴木:『カリオストロ』はねえ、たしかにねえ。僕が初めて(宮崎駿に)出会ったころです。

庵野:いいですよね。

鈴木:よく働いてた……。

庵野:あれが(制作期間)半年ってのはやっぱりすごいと思います

鈴木:作画4ヵ月だもんね。

庵野:ええ、あのスピードはすごいですね。

鈴木会社から言われたのは3ヵ月で、それで1ヵ月余分にもらって。

庵野:あとでなんかあって「もう1ヵ月あれば」って言ってました。

鈴木だってコンテ描き直したもんね、あのローマ水道のとこ。

庵野:あそこは僕にもなんか悔しいって言ってましたね。

鈴木:でも宮さんって、そういうときに描き直す人なんだよね。

庵野:まあ現実的でいいですよね。できる範囲のものに落とし込むっていう。

鈴木:だから……見てて、よく宮さんがね、「理想を失わない現実主義者」って。これ宮さんも言うし、実は元は高畑(勲)さんかなっていう気もするんだけど。ふたりともそうなんだけど、その理想現実の――なんて言ったらいいかな。微妙ふたり違うんだよね(笑)微妙に違うんだよ。

庵野高畑さんはそんなに詳しくないんで……。

鈴木:よく知ってるくせに(笑)

庵野:でも、こわい人だとは思いますけどね。

鈴木:でもよく覚えてるんだけど――『ホルス』だとね、村があるんだけど、一人狡猾なおじさんがいるじゃない。その人がいることによって村が成立している。(『風の谷のナウシカ』の)風の谷の方はね、300人くらいいて、ああいう悪い人がひとりもいない。

庵野:ええ、みんないい人なんですよね。

鈴木:一種、理想主義に貫かれてるでしょ? それで映画見るとね、高畑さんは一方で現実映画のなかに入れようとするし、宮さんはその現実は置いといて。ところが映画作り始めると、宮さんは間に合わないと思ったらコンテを変えてでもその映画を完成させようとするっていう現実主義があるのよ。高畑さんは違うんだよね。

庵野:変えないですよね。

鈴木:変えない。それで遅れたときもね、「それは僕には責任ない」と。「それはプロデュースサイドがコンテができたときに把握してるべきだ」って貫くんだよね。映画のなかは非常に現実主義なのに、映画のなかは。やり方は理想主義というか(笑)

庵野:まったくです。

鈴木:でもふたりのそういう差って、なんですかこれは。

庵野:なんですかねえ。

鈴木:で、宮さんなんかは非常に面白いって思ったのは、結局、『ホルス』作ったあと、それこそ『コナン』もそうだけど、『ナウシカ』もそうだけど、『ホルス』をひきずるでしょ?

庵野はい

鈴木高畑さんは違うんだよね。全然違うものを作り始めるんです。

庵野:まあ宮さんのほうが根っこがいい人なんじゃないですか。

鈴木高畑さんに聞いてみたことがあるんですよ。なんでファンタジーやらないのか、って。そうしたらやっぱり『ホルス』で創造できるもの創造し尽くした、と。でも、唯一その世界に持ち込めなかったのが『思想』である、と言ったんだよね。そうするとファンタジーっていうのはそれが出来る人がやらなきゃ意味がない、それが自分の総括だ、って。僕が聞いて、高畑さんいまになると違うって言うかもしれないけど、すごい印象に残って。だから宮さんが『ホルス』をひきずって。なんかっていうと『ホルス』みたいなのに戻るでしょ、宮さん。

庵野:ええ、基本はそこですよね。ずっと『ホルス』のリメイクをしてるようなね、感じがしますよね。

鈴木宮崎……オタクとしてはどう思いますか? なんつって。オタクじゃないか(笑)

庵野別に宮さんオタクじゃないですよ。

鈴木(笑)。でも面白いよね、そういう宮さんも『バッタ君』のアニメーションの部分って非常に着目してるし。

庵野:やっぱり宮さんは基本アニメーターからだと思いますね。僕もアニメーター上がりなので。

鈴木:やっぱそこなんだね。

庵野:今でもやっぱり原画とか動画とかやっちゃいますよ。

鈴木:ああ、自分で。

庵野:ええ。間に合わないときは。

鈴木:宮さんがいま、原画やってるんですよ、自分で。やり始めたんです。本編やってるでしょ、それでその横で美術館用の短編やってるんだけど、「スタッフがいない」って。最初1分でやるって言ってたのが10分になるからいけないんだけど。老骨に鞭打って。でも結構楽しそうに。でももう69なんだよ。アニメーターっていつまで描けるんですか?

庵野:目と手が動けば大丈夫じゃないですか。

鈴木:手が動けば大丈夫? 本人もう動かないって言ってんだけど(笑)

庵野:やっぱり、目と手ですよね。

鈴木:目は大丈夫なの?

庵野老眼きました。

鈴木:ああ老眼が。もう50になったんだっけ?

庵野:まだです。いよいよ。50代なんて来るとは思いませんでした。

鈴木:宮さん喜んでるよ。「庵野っていくつになったの」って言うから「もう50だと思いますよ」っつったらすごい嬉しそうに。

庵野(笑)

鈴木:「そうか!」つって。「歳取れっ」って。「俺の苦しみがわかる」とかなんか言っちゃって(笑)

庵野:僕が50になったら宮さん70じゃないですか。

鈴木:でもみんな……歳を取ってきたんですね……。

内藤:その宮崎さんが「アニメーターをやる奴は見ておくべき」っていうインタビューをしたときに仰ってた言葉を(『バッタ君』の)宣伝の柱にしてたんですけど、やっぱりアニメーターを目指す方って一部じゃないですか。

庵野:すごく少ないと思います

内藤:もちろん、その人達にはできれば来て欲しいとは思ってるんですけど、やっぱりそれ以外の人に、どう魅力というか、アニメーターは目指していないけどちょっと気になるとか、そういう人に来てもらえるのかなっていうのを考えていて。どうしたら人の心に響くようにできるんですかね。

鈴木:あの作品を?

庵野:僕が『バッタ君』を宣伝するんだったら、ビデオで宮さん撮って、それをテレビで流しますね。ワイドショー枠的なものとかで。それぐらいだと思います。だからバッタ君』を流すよりは宮さん流しますね。それでこっちにちっちゃく枠でそれを流して、なんか宮崎駿お墨付き、これ、っていう。そういう風に。

内藤:そこだけ切り取って。

庵野調子のいいとこだけ切り取って、もう編集して。もう、ほぼ捏造でもいいから、そういう風にして流しますね。それで、あとで宮さんには謝ります。ごめんなさいって。

内藤鈴木(笑)

(以下に続く)

http://anond.hatelabo.jp/20121204035509

2012-10-12

http://anond.hatelabo.jp/20121012182916

いそうだから じゃなくて いる事を証明しろよまず。

で、それが、朴念仁という単語が使われるより前であることを同時に証明しろよ。

 

じゃなければ、 僕が思うから正しい 以上っていってるのとかわんないよ。

仮定としては 面白いけど 仮定なら 誤用の可能性がある と 同じレベルしか無い。

 

それに当時は 南蛮渡来 は 舶来品で 今みたいな 民族的なわだかまりがあったかどうかも わからんだろ。

今の時代の当然を 歴史的考証には当てはめられない。

 

まず、当時 そういう民族わだかまりがあった。という事を証明する必要があるが・・・・・・

夏目漱石 にはすでに 朴念仁 という単語が出てくるが、 1867年2月9日慶応3年1月5日) - 1916で   戦前にはすでに使われていた

って事で まず 民族わだかまり証明からしないといかん。

 

1931年 満州事変 より前だし 坊ちゃんは  1981年6月(のってるらしい) らしいから 1894年日清戦争より前

逆に儒教など あるいみ 高度な学問とされる物は 中国由来だし 当時 中国がいまとおなじような扱いか?というのは 考証がひつよう。

2010-01-07

キャンベル次官補が「自分たちが呼び出した」と答えた

夕方になったらWEB載るかなと思ってたのだけど、UPが確認できないのでここで流しておく。

1月5日読売新聞カートキャンベル国務次官補に単独取材した。

大使呼び出しについての質問に、キャンベル次官補は「自分たちが呼び出した」と答えたらしい。

年末藤崎駐米大使ヒラリー国務長官に「呼び付けられた」との報道から始まり、

ゲンダイの記事がこれを否定し「外務省捏造」だの「マスコミ捏造」だの言われていたのだが、

外野がいろいろ騒いだけど噂は真実でしたに落ち着きそうだ。

2010-01-05

この日記は読むと不安とかが伝播する可能性があるから、そういうのが苦手な人は読まないでほしい。


社会人2年目。で、今日仕事始めなんだけど、仕事相方有給を貰って今日は休んでる。

ウチの工場は俺とその相方で回してるんで、今日仕事始めなのに工場には自分ひとりってわけだ。


で、俺は今風邪気味だ。それに、年末にポカをやらかしてる。

で、弱気になってて、1年間やっていけるのかって漠然とした不安を抱えてた矢先に、工場の年間の出勤日表を見たら、1月5日は左上にあって、12月28日仕事納めが右下にある。

これは当たり前なんだけど、なんか1年間の長さを具体的に表してる感じがして不安が爆発して、午前中も、午後のついさっきまでも仕事があんまり手につかなかった。

1年間って概念って恐ろしいよな。時ってのは連続してるはずなのに、そう区切られると長さが具体的になるから余計に怖くなる。


・・・ともかく、ここでこうやって吐いたら気持ちが楽になった。ちょっと早めの午後の休憩も終わりだ。定時までだけどがんばるぜ。

2009-01-06

なんでどうでもいいことがニュースになってるの?

初挑戦、ピラティスに苦悶 - ニワニュース - ニワンゴ

http://niwango.jp/pc/niwanews/search.php?id=26534

 プロ野球横浜内川聖一外野手(26)が1月5日インナーマッスルを鍛えるため、ピラティスに初挑戦した。トレーニングでは苦悶の表情を浮かべた内川、「正直なめていた」とのことで、自分のもろさを感じたとのこと。

現在の評価は

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2009-01-04

冬コミから帰ってから

ずっと家で寝てました。

12月31日1月1日1月2日、もいちど1月2日、そして今日1月4日

ああ、何ということでしょう。もう明日は1月5日ではありませんか。

これから私は一体どうすればいいのでしょう?

とりあえず布団にくるまって考えてみることにします。

2009-01-02

年越し派遣村の5日以降

年越し派遣村って、1月5日以降はどうする気なんだろ。

かいさーん、て訳にはいかんだろ。

2008-01-05

http://anond.hatelabo.jp/20080105153431

減るよね。

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なんで増えるの?


うちのgoogle(ウエブ)で検索してみた(2008年1月5日 15:45頃)。

ウェブ全体から検索

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結論:

なんかちゃんと減ってる。よって、なんでかよくわからん。

 
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