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はてなキーワード: モチーフとは

2019-04-24

日本海沖縄だと海って全然違うよね

日本海クラゲ海洋植物楽園で生臭いようなイメージ

日本ゲームだとそういうの描き分けてるのってないような気がする

洋ゲーで力入れてるゲームだと色んな国や世界観光名所モチーフにしてるから

海にも多様性があって生臭さが伝わってくるような景色もある

anond:20190424111158

初期案では「キャプテンジャパン」だったんだよね。

作品に登場するキャラクターは、ミスアメリカ(Miss America)をのぞき、すべて東映オリジナルキャラクターである点が日本版スパイダーマン』とは異なる。当初は「キャプテンジャパン」を中心としたチームだった。

だが、最初期段階でキャプテンジャパンモチーフであるキャプテンアメリカマーベル側の事情使用できなくなった。同じくマーベルキャラクターであるミスアメリカが代案として提示され、これを元にデザイン作業が行われた。ミスアメリカ自身も大幅なアレンジが施され、引用されたのは胸の星条旗アレンジしたマークデザインのみで、マスクタイツという要素は別のキャラクター「ミズ・マーベルからの影響が見られる。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%88%E3%83%AB%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%90%E3%83%BCJ

2019-04-17

2.5を安っぽくしてる要因の一つ

ミュージカルの新作が発表されてTLが楽しそうだけど、悪いけど話面白い?て毎回思う。

一度生で見たし、友達DVD鑑賞会開かれたりもしたけど、一部の内容の薄さにびっくりして、歌の下手さにびっくりして、これなんで人気?て思ったりもした。

思ったりもしたと。は書いたけど、理由知ってるけど。

みんな二部が楽しみなんですよね。

実際二部楽しかったよ。歌はともかく2人ダンスの上手い人の出る公演生で入ったから余計に思ったよ。

でも、原作とは違う感じじゃない。

伏せるけど「◯◯◯◯」って、歌と踊りの作品ではないでしょう?

原作キャラクターの、ガワだけ使ったライブそれが楽しいだけなんじゃないの。て思っちゃう

しか露出の多い衣装原作と色が同じモチーフが同じ、でも、そんな原作じゃないのにセクシーである意味って?てぐらい露出

本人のしたい事なのかな。とか思う。

ストーリーも良いよ!て反論する人も居ると思うけど実際ミュージカル好きだけど一部はそんなに面白くないから好きじゃないって言う人にもあった事あるから余計に思うね。

二部が2.5を安っぽくしてる要因の一つじゃない?


売れたいから出たいと思う俳優さんもいるでしょうけども。

売れたい事を悪いとは言わない。生きてく上で売れるのは大事

人間になった人魚姫の裸を数十年間オカズにしている話

世の中には誰でも知っている物語をこんな風に汚れた目で見ている奴もいる。

物心付いた頃から、世の中に存在する数多くの人魚姫絵本に対して、言いようのない困惑を抱いていた。

人魚姫、それは様々な子ども向けの読み物の中で唯一、女主人公が読者の目に全裸晒す場面のある物語だった。

幼少期の俺にとって、魚の尾鰭が人間の女の下半身にすげ替わった直後の人魚姫描写は、あまりにも衝撃的だった。

人魚達には人間のように、動きにくい服で生身の体を覆い隠す文化がない。

ほとんど生まれたままの体に装飾品をつけ、自由自在に海の世界を泳いでいる。

しかし、直前のページまで「人間ではない空想上の生き物」として許されていた人魚姫の姿は、人間下半身接続した途端、突然「子どもが見てはいけない生々しいもの」に変質する。

人魚姫人間になろうとして、何もわからないまま「なり損ねた」ぶざまで痛ましい姿が、あの裸身なのではないかと俺は考える。

実際、アンデルセンによる原作には、王子に姿を見られた人魚姫は、自分が何も身につけず裸であることに後から気づき、慌てて長い髪で体を覆い隠したという描写がある。

この恥じらいの描写は、人魚姫が目を覚ますまで、無言でその場に突っ立って彼女の姿を眺めていた王子の態度と併せて考えると、両者の間にいたたまれなくなるほど明確で圧倒的な力関係最初からあることを示しているように思える。

特に海外絵本挿絵にその傾向があるが、高貴な衣装で身を固めた王子が、恥ずかしそうな表情と共に髪や海藻乳房下腹部を隠している裸の人魚姫を見下ろしている構図は、見ていて心の奥がザワザワするほど暴力的だ。

かつて王子の命を救った尾鰭を自ら手放した今、高貴な人魚の姫はもはや空想上の美しい生き物などではなく、恥や罪や裏切り支配のある人間世界の一員、何も身を守るもののないか弱い全裸の小娘に堕ちてしまった。

人魚姫絵本で初めてオナニーを覚えてしまった幼少期から、こんなことを数十年間悶々と考え続けている。

正直恥じらいの描写だけではなく、人間の枠に収まるべきじゃなかった存在が、無理矢理人間に変身させられてしま理不尽自体性癖なんだと思う。

10代の頃からネット上で見つかる限り、世界中の人魚姫絵本画像を保存している。特に人魚姫人間に変身した直後の場面の挿絵執拗に集め続けた。

動画サイトに上げられている、この童話モチーフにした国内外アニメ作品(プロアマわず)のスクショもそこには含まれている。

気がつけばフォルダには2000枚以上の画像が集まっていた。

この物語時代地域を超え、世界中の人に愛されている証拠だ。

去年、最近人魚姫絵本萌え絵に寄ってきているとか、そもそも30年前から書店で売られている定番絵本画家は当時活躍していた有名なアニメーターだとか、そんな議論ネットの一部界隈を騒がせた。

俺にとっては今更な話だ。

子ども向け絵本に相応しい絵柄というもの時代によって変わるのだとか、特定の画風や表現に目くじらを立てる大人の方が歪んでいるのだとか、どちらも冷静で健全意見だと思うが、上記葛藤を長年抱えている俺個人にとっては疎外感しか湧かない。

絵柄がどうであろうと、この世で作品として表現された多くの人魚姫に対して、俺は欲情するし、ポルノのように見なしてしま事実がある。

絵本を生み出し子どもに届けることを職とする人々には、こんな読者がいることを心から申し訳なく思う。

しかし、原作の内容からして、やはり人魚姫は初めから人の心の後ろめたい部分を刺激する歪さを含んだ物語だったのではないだろうか。

人間への変身を遂げた直後の人魚姫の肢体を、露わに描くことの是非は正直わからない。

わざと扇情的に描くこともないんじゃないかと思う。そんなことをするせいで俺のような変な人間が出てしまう。

あくま自分体感だが、実は2010年前後から子ども向けの読み物における人魚姫挿絵表現に変化が現れつつある。

2010年代(ゼロ年代からそうだったかもしれない)の人魚姫達は、痛ましい裸体を王子や読者の目に晒すことが前よりも少なくなった。

浜辺に倒れて気を失っている人魚姫は、何も着ていないのではなく、鱗が変化したと思われる可憐ドレスを予め身に纏って描かれるパターンが増えている。

俺は正直、その傾向にものすごく安堵している。

もう欲情しなくて済むし、後ろめたさを感じなくてもいい。

作家達は最初からそう表現すればよかったのだ。

そうすれば人魚姫の清純さ、可憐さ、儚さ、気品は十全に表現される。

さっきまで被服の概念のない無垢世界で生きていたせいで、自分を愛さない男の目に一糸纏わぬ裸体を晒す、愚かで無知少女はいない。

俺は間違いなく、おそらく意図的にこんな理不尽無垢で蠱惑な物語歴史に残したアンデルセンを、良くも悪くも一生恨み続けることだろう。

追記

向こう見ずで愚かな少女の憧れが、最後宗教的に高尚な愛と犠牲の境地に昇華していく話だというのは理解しているんだけど、なんかそこに至るまでの過程に、清純になりきれないエグみやエロさが含まれているような気がする。

たぶんそれも原作者の計算の内なんだろうな。

個々の絵本アニメのような派生作品には、言いづらいけどオカズを探してたはずなのに純粋芸術性の高さに圧倒されてしまうような素晴らしいものも多い。特に東欧絵本とかすごい。

どちらかといえばアンデルセンだけじゃなくて、数年周期でよくネットで「人魚姫絵本エロい」と騒がれる絵(30年前からおそらく今に至るまで日本で1番手に入りやす人魚姫絵本が出典)を描いた高橋信也さんにも複雑な気持ちを抱いている。

エロ目的で描かれたものじゃなく、社会で広く受容されているし文化的にも高い評価を受けている作品を幼少期からずっとオカズにしていることは、とてもじゃないがこの先なかなか打ち明ける場がないだろうと思ったので、一度言葉にしてみたかった。

4/17追記

これを投稿して16時間後の今、「王様の耳はロバの耳」の床屋のような気分でいる。肩の荷が降りた感じだ。

訂正すると、画像が2000枚あると書いたのは多少不正確だった。

人魚姫関係以外の非三次元オカズ(MtFTSFとか)も合わせてまとめたフォルダ画像の総数が2500枚程度だった。

実際にあの場面の画像を今まで確認収集できている人魚姫派生作品の数は、300前後になる。1作品から複数画像を保存する場合が多いのでこうなるんだろうな。

基本的に俺は変身前の人魚姫の姿で抜くことができず、本当にピンポイント人間になった直後のあの場面だけに欲情してしまう。なので人魚の姿での画像は集めていない。

加えて、子ども向けとはいえ裸の少女が描かれている微妙な場面の画像が、人魚の姿での明るい表紙絵や、華やかなドレスを纏った終盤のシリアスな場面の挿絵に先んじてわざわざネットに上がる頻度は、やはり少ないと言っていいだろう。

こんな目的意識を持ってネットの海を長年徘徊していると、海外人魚姫好きが日本東映が昔作った長編アニメ映画とディズニー版を比較したレビューを書いていたり、ディズニー版はディズニー版で色々な(俺のようにおそらく性の目覚めを奪われてしまったのだろう人間を含めて)ファンがいたり、ニコ動ボカロ曲アンデルセン原作通りの筋書きを教えてくれる作品としてyoutube投稿者の間で何年も根強い人気を持っていたり、sim人魚姫物語再現する動画投稿者が定期的に現れたり、各国で様々な人魚姫が作られている様子がわかったりと、とにかく色々な受容のされ方を目にする。

そこで起きている現象自分しか知らないままでいるのは何となく惜しいような気がするので、具体的にこの派生作品のここがエロいと感じてしまうという懺悔を含めて、ろくなものにならないだろうが雑な考察をまたいずれ投稿するのもありかもなと考えている。

4/18 再々追記

ブコメの中に池田浩彰さんの名前が挙げられていたので回答します。

あの本は確か残念ながら絶版になっていたはずだけど、小学生の頃に図書館で見た時はかなり動揺した。

人魚デザイン(知らなければ画家名前でググってほしい)もそうなんだけど、画風の美麗さといい、しっとりと柔らかそうな人体描写といい、一度見たら忘れられないような印象の強さがある。唯一無二。普通に絵画として好きだけど、色々な気持ちになる。

この投稿を読んで実際どんな派生作品があるのか調べてみたくなったというブコメもいくつか見かけるけど、個人的には「little mermaid andersen」とか「人魚姫 絵本」とかに色々な単語(legsとか裸とか)を加えながら、グーグルyoutube、あとピンタレストでもずっと黙々と検索していた。

英語もいいけど、youtubeだとフランス語スペイン語、あとイタリア語とかで「人魚姫」を意味する言葉検索しないと辿り着けない動画も色々ある。正直その辺の検索ワードウィキペディア人魚姫記事の各国語版を参照しながら、読めなくてもスペルがそれっぽい単語を勘で拾って打ち込んだりしていた。

誰得なんだろうなこの告白

つのまにか性癖の話は脇に置いてでも、一つの童話に対してあれほど多様で豊富派生作品存在する様子を誰かに知ってほしい気持ちが湧いてきた。

実際に集めた画像を見てみたいというコメントもあるけど、しかし、その多くはそもそもエロ目的なんかじゃなく純粋作品紹介のためにネットに上げられたものが大半なんだ。

なのでこういう目線の語りに直接並べてしまうと何というか、いよいよ申し訳なくなってくるからたぶん無理だ。面目ない。

2019-04-16

anond:20190416091458

万人にBIが正解だと思う

人間コンピューターロボットにそろそろ負けるよ

今はクオリティがまだまだでも次の世代にはおいついてなくなる

翻訳家グーグル翻訳

絵描きリアルな町並みが表現したければモチーフ写真とってアプリ加工、キャラなら3Dアニメ技術スキンでつくったバ美肉ユーチューバ

彫刻家(3Dプリンター

 

結局、

コンピューター適性があればグーグル社員

立案ができれば公務員教育警察消防など含む)

あとはナマポ年金研究職(視察業・試験業・治験創作業など)くらいになるんだろ

今の老人が「へえ~昭和ってそろばんの玉うごかしてお金を儲けてる人がいたんだね~どうやるんだろ?」っていわれるでしょ

今後は同世代の異業種でも隣の部屋でなにやってるか「きいたことあるけどわからなく」なるまで専業化されるんだろな

2019-04-11

anond:20190411165016

煌びやかなデザインは止めといて地域にあったデザインにしようと思ったけど良いモチーフがなかったか無難デザインになっただけかもしれない

関口増田さんは歴史がお好きだそうですね?」

増田「ええ、はい、まあそうですね」

渡辺特にどういったところがお好きですか?」

増田「まあ、戦国時代とかですね」

関口「ということは、戦国武将なんかもお好きですか?」

増田「ええ、そうですね。上杉謙信とか、信長とか」

渡辺信長!」

増田「えっ・・・w」

イアリ「www」

渡辺「そんな信長好きの増田さんにはこんな問題です!」

関口戦国武将随一の人気を持ち、数々の作品モチーフにもなっている織田信長ですが、

   そんな織田信長女性として描かれている作品、5つ、お答えください」

増田「えぇっ・・・!」

渡辺スタートはい走って!」

2019-04-09

anond:20190408230305

人が動物の上に立つモチーフイルカアシカイエイヌが、けもフレ1以後の「人間がいなくなってる世界」でそれを強調されることが視聴者にとって不快で、それを書くなら悲劇性や罪悪感も書くべきだ、との主張でしたね。誤解していました。失礼しました。そうするとリョコウバトは構わないのでは。けもフレ1でもトキ絶滅していますが、人が上に立っているわけではないので問題ない。リョコウバトも同じ扱いでいいのではと思います

けもフレ2における、人間動物迷惑をかける点ですが、フウチョウたちが「確かにヒトのおかげで助かったケモノもいるが、ヒトが不用意に近づいたばかりに、迷惑するケモノもいたかもしれんぞ」と明確に問いかけてるんですよね。これに対するアンサーは必要であり「テーマとして昇華していない程度の示唆」で終わらせるのは無理があります

リョコウバトとトキ比較ですが、けもフレ1のトキ場合絶滅危惧動物であること、人間によって傷つけられたことに関する言及はないわけです。一方、リョコウバトの場合絶滅を暗示する演出がいくつもあり、先のフウチョウの問いかけもあったわけです。

イルカアシカについてですが、ネットを眺めた体感では、そこまで気にされてないように思うので、これが気になるのは俺自身問題であって、そこまで気にしなくても良いかもしれません。

ただし、フウチョウの問いかけにある通り、全体的に人間動物関係性の負の面に掘り下げるならば、イルカアシカも一緒に掘り下げたほうが脚本の完成度が上がるでしょう。

イエイヌについては、あれは監督交代のいざこざ抜きでも、居心地悪いかと。

詳しくないのですがハリウッドヒーロー物では技名宣言は少ないのではないでしょうか。国内で閉じるローカルルールに縛られずによりリアル表現模索したのでしょう。

マーベルやDC映画場合叫び声でパワーアップはしないわけですが、強敵との戦いをどう盛り上げるか、逆転を、どう印象づけるかの工夫がありますフレンズセルリアンとの戦いは、あまりそうした工夫がなく、盛り上がらなかったです。それなら誰かが「野生解放!」と叫んだほうがわかりやすいでしょう。

まあファンタジー蔑称ということもないのでしょうが、多くをノリで処理すべき寓話世界観というほどには、けもフレ2は堕していないと思います

まず私の立場は「多分、脚本の穴だろうが、寓話世界観と取れないこともない」というものです。ラストバトル前の葛藤(フウチョウ)と、ラストバトル勝利ギミックビースト)という重要な部分の両方が、ファンタジーな流れで解決されるので、その印象が非常に強いんですよ。

しかし、たつき監督けもフレ2をやっていたらそのカット問題にならないわけでしょう。監督が代わるごとに構図被りに難癖つけられるなら、正解は作らない一択ですよ。俺は野生解放こそ失念していましたが、かの名シーンの存在は覚えていて、でもその被りには気づきませんでした。観客が悪意を持ってアラ捜ししていることまで計算に入れて作っていかなきゃならないなら、アニメ制作者が家に帰らない期間は年単位で増えていくでしょう。観ると決めたら、ある程度製作者を信用することは視聴者側の責任だと考えています

点が三つあると人の顔に見える、と言う話がありますが、人間は、基本的意味のないところにも意味を捜す生き物です。現実には意味のないことは幾らでもあるのですが、作劇でそういう部分を作ると、視聴者は無理矢理意味を見いだそうとし、結果、制作者にとって不本意な受け取り方をされることがある。それを避けるためには、意味・印象が散漫なシーンを作らないことです。

結局、セルリアン型フレンズにあまり意味がなく、戦闘も盛り上がっていないのが、あら探しされやすい大きな原因だと思いますフレンズ型になった意味もさほどなく、あまり怖い印象もなく、なんとなく倒されていくという(このへんは脚本だけでなくアクションシーンの問題でもあります)。

けもフレ1の集合シーンは、ここからフレンズが、それぞれの個性を生かした連係攻撃を開始するわけです。例えば、それを踏まえて、セルリアンが巧みな連携を仕掛けてきて、「これまでのセルリアンと違う! なんて強いんだ!」とすれば、そこには一つ意味が生まれます

そういった点をクリアしても、ケチつけられる可能性は否定しません。結局、最終話評価は、それまでの1~11話の評価と切り離せないものですので。視聴者に信用されるために、制作者側は信用を積み重ねる必要がありますが、そこがうまくいってないわけです。

この先奇跡的にけもフレ2の人気が反転して評価が逆転したら繰り上がって「優しい世界」になるのでしょうか。だとすると「優しい世界」は「感じが良くて人気だった」くらいの概念になってしまうでしょう。

「優しい世界」に込める意味は、人それぞれで、深く考えてない人も多いでしょう。なので、最大公約数を取れば、まさしく「感じが良くて人気だった」くらいの意味になると思います批評として使うなら、定義必要になるでしょう。

私自身が「優しい世界」という言葉を使ったのは、「素直なキャラ面白いドラマを作ること」くらいの意味です。

けもフレ2でギスギスが解禁されたことで、G・ロードランナーやフウチョウ、イエイヌなど、けもフレ1に収まりきらなかっただろうフレンズへの間口が開かれました。

スギスした作品はギスギスした作品で楽しめる人も、癒やし系作品の続編として出されると「思ったのと違う」ってなりますよね。ラーメン屋いったらサンドイッチが出てきたみたいなもんで。ギスギスを狙ったのなら、作品の出来とは別にマーケティングミスです。そういうのは事前に告知して心の準備をさせるのが良いかと。

逆に言うと、ここまでギスギスな作品だと受け取られる、とは制作側は思ってなかったんでしょうね。

論理同意できません。自由意思はどちらの選択をとっても自由ときにのみ現れるものです。

そこはおっしゃるとおりですね。書いたことに矛盾があったので書き直します。

まず、1話からのヒキである、キュルルのおうちが、見付からなかったことに、消化不良があります。次に、キュルルが「おうち」を諦めるに至る過程曖昧なので、ドラマが盛り上がりません。

キュルルが「おうち」を捜す動機として、フウチョウに対して、「そこには、僕にとって大事な、なんかすごく大切なものがあった……気がする……」と言ってるんですよね。この「大事な大切なもの」が不明なまま、おうちより仲間と言われても、とってつけた感が出ます

それがパークのどこにもなく手がかりの絵も尽きて絶望したことが示されているので

何話か見返したのですが「キュルルの手がかりの絵が尽きた」ことが描かれたシーンが見当たりませんでした。教えていただけると幸いです。

でもそうするとセンちゃんアルマーさんを入れる尺がなくなりませんか。誤解させるための設定も用意しなくちゃならない。というかイエイヌちゃん完全に救われちゃってますよね。

思いつきプロットですので、詳細まで詰めてないのはご容赦ください。作劇において、尺やバランス問題は常につきまとうので、やりたいことの優先順位を決めて整理すれば良いかと。

優先すべきものイエイヌとキュルルの関係なら、他のキャラの出番を減らして調整しますよね。逆にカラカルとキュルルが仲直りして関係性を深めるほうがメインなら、プロットが重くなりやすイエイヌでなくて、別の困ったフレンズにしたほうが、すっきりするかもしれません。

キュルルちゃんホテルで海に落下させるためにイエイヌ回で下げたのではないでしょうか。落ちたときニコニコ動画では「ざまああwwww」が連発されましたが、あれは制作の狙いだったと考えています。そして必然的落下からのフウチョウ説教・海底火山紹介に自然につながります

通常、主人公とは「こいつがどうなるか見届けたい」と視聴者に思わせて、物語ドライブする存在です。そのためには視聴者を引きつける魅力が必要になります。魅力がないと、作品を見続けるモチベーションが湧かない=つまらないとなるわけです。魅力としては「いいやつ」から「かっこいい悪」「人間欠点があるが、どこか憎めないボンクラ」まで様々です。

さてキュルルは、別に「かっこいい悪」や「憎めないボンクラキャラではなく、概ね、フレンズを助ける心優しいキャラとして描かれてたわけで、それをこういう下げ方したら、キュルル自体の魅力が損なわれ、作品自体への評価が下がります。さすがに制作者が意図してそういう風には描かないと思います

キュルルが落っこちた回でニコ動アンケートちょっと上がったのは知ってますが、主人公がそこまで嫌われてる時点で、作品としては末期症状でしょう。

しろ話の流れのメインだったのは”スケッチブック最後のページの行方”だったと思います。すべてのドラマスケッチブックに沿って展開され、最後の絵は破られていたことは最初の話で既に明らかにされていて、ホテル海上で悩むキュルルちゃんは千切られたページの跡を見つめていました。

長い時を生きてミライさん時代からパークを見守ってきたイエイヌに対してキュルルちゃんが「おうちにお帰り」を言い、逆にイエイヌ彼女から送られた絵をみて(観念的に)おかえりを言うわけです(実際に口にはしてないけど、まあ立場的に)。キュルルちゃんはそのシーンを持って本当におうちに帰った、受け入れられた。それを最後のワンカットで示すのが強い、と思うのですがいかがでしょう。

この解釈は私が気づかなかったもので、なるほど、と、思いました。

ただ、「スケッチブック最後のページの行方」がメインだったとすると、エピローグ的な部分で登場しても、もうその時点では、セルリアンは倒され、キュルルのおうち探しも終わっており、ドラマとして盛り上がらないかと。

イエイヌの「おうちへおかえり」と、キュルルの「おかえり」を重ねて、メインテーマに結末をつけたいのであれば、もうちょっとそこに重点を置いた作劇にしないと視聴者に伝わらないと思います

一般的エンタメの作劇上のセオリー評価できないというのはわかりましたが、しかしそのセオリーに従わなければいけない強い理由があるのですか。

作品の出来、不出来は、究極的には個人の好みになります。その上で、「多くの人が好む/嫌う最大公約数」というものもあります。それをまとめたのが、エンタメセオリーと呼ばれるものです。

けもフレ2の一般的評価が低い論拠として、そうしたセオリーを守れてないから、という点を指摘しているわけです。

もちろん、セオリーをぶっちぎって、面白い作品はあります。私から見る範囲で、けもフレ2に、セオリー無視したが故に面白くなってる点は見当たりませんでした。ただこれは私の意見なので、「そうではない。ここが面白い」という意見は拝聴します。

2019-04-08

anond:20190408180028

人が動物の上に立つモチーフイルカアシカイエイヌが、けもフレ1以後の「人間がいなくなってる世界」でそれを強調されることが視聴者にとって不快で、それを書くなら悲劇性や罪悪感も書くべきだ、との主張でしたね。誤解していました。失礼しました。そうするとリョコウバトは構わないのでは。けもフレ1でもトキ絶滅していますが、人が上に立っているわけではないので問題ない。リョコウバトも同じ扱いでいいのではと思いますしかけもフレ1でカフェを訪れるフレンズは別の鳥でも良かったわけで、トキ選択されたのは何らかの意図があるでしょう。以前に書いたような「テーマとして昇華していない程度の示唆」でとどめても善いのではと思います不快になるまで強調されるならドラマに絡めて決着を付けるべきだということですね。ならばイルカアシカイエイヌでそこまで不快になるということ自体製作者の想定外なのではないでしょうか。俺もグロテスクさは感じましたが話が入ってこないほどは気にならなかったです。「そこに居心地の悪さを感じるのは当たり前」とおっしゃいましたが、監督交代のいざこざ抜きでもそう言えると断言できますか。

ヒーローがなんか技名叫んでパワーアップ」は、戦隊ものでもプリキュアでもアンパンマンでもあるので、そうそう引っかからない

これまでそういう表現が主流だったというだけです。戦闘ときに技名を叫ぶのはフィクション的です。攻撃タイミングがバレてしまうし、叫びに使うエネルギーを拳の乗せろよ、です。詳しくないのですがハリウッドヒーロー物では技名宣言は少ないのではないでしょうか。国内で閉じるローカルルールに縛られずによりリアル表現模索したのでしょう。「サーバルの目が光ると、ビーストも同じように目が光るカットがあるので、『同じ系統のパワー』に見えるんですよね。」とのことですが、同じ系統でよいと思います。常時強制的に野生部分が開放されているのがビーストだと俺は捉えてます

私の意見は「内面世界の外への進出自体は、多くの作品共通する、いわゆる「盛り上がる」部分です。ただ、その進出の仕方に、世界現実の仕組みに矛盾しない理屈がある場合と、理屈なしでイメージが直結する場合がある。ケムリクサは前者で、けもフレ2は、後者のように見えるという話です。

俺はケムリクサの最終話での細かいつじつま合わせに納得していません。「盛り上がり」とはリンが赤い木に対峙するシーンからですよね。ケムリクサでは草周りが特に緻密に組んであるので引っかかっているのかもしれませんが、矛盾していてノリで処理するの範疇に入っていますけもフレ2でのキュルルちゃん葛藤は「盛り上がる」部分ということでいいですね。とすると問題はフウチョウよりむしろ吹っ切れた後にタイミングよく飛んでくるビーストのような気がしますが… ただそこに至るまでに作品評価は決してしまっていたし、葛藤をフウチョウという便利な舞台装置で処理したところで全体がファンタジーということにはならないのでは。むしろケムリクサは柔軟性のあるギミックやしがらみのないプレーン舞台を用意していることで矛盾をでなくしているように思います。まあファンタジー蔑称ということもないのでしょうが、多くをノリで処理すべき寓話世界観というほどには、けもフレ2は堕していないと思います

1と2の共通するクライマックス部分で、似た構図の印象的なカットを出して、共通性を感じないわけがないです。そこは制作者は気づくべきです。

しかし、たつき監督けもフレ2をやっていたらそのカット問題にならないわけでしょう。監督が代わるごとに構図被りに難癖つけられるなら、正解は作らない一択ですよ。俺は野生解放こそ失念していましたが、かの名シーンの存在は覚えていて、でもその被りには気づきませんでした。観客が悪意を持ってアラ捜ししていることまで計算に入れて作っていかなきゃならないなら、アニメ制作者が家に帰らない期間は年単位で増えていくでしょう。観ると決めたら、ある程度製作者を信用することは視聴者側の責任だと考えています

視聴者視点では行動が横暴に見える」のであれば、それは「優しい世界」「癒やしとしての芸術表現」として失敗してるのではないかと思います。...(中略)...「優しい世界」というのは、面白かった作品への誉め言葉として使われているように思えます

この先奇跡的にけもフレ2の人気が反転して評価が逆転したら繰り上がって「優しい世界」になるのでしょうか。だとすると「優しい世界」は「感じが良くて人気だった」くらいの概念になってしまうでしょう。批評文脈でそのようなものを論じるのは意味がないのでは。作品制作において(俺は関係ないですが)、優しい世界を目指すというのは単に売れるよう頑張る以上のものであって、今のところは曖昧ですが、これから更に研究していく必要があるほど奥の深い領域だと考えていますけもフレ2でギスギスが解禁されたことで、G・ロードランナーやフウチョウ、イエイヌなど、けもフレ1に収まりきらなかっただろうフレンズへの間口が開かれました。そこはメリットだったのですが他方優しい世界性は減じてしまったということです。スピリットは二作品継承されましたが、休日リピートして癒やされるのはやっぱり一期ですよね。

話が前後して申し訳ないのですが、作劇論について…

ドラマとして盛り上がる重要ポイントで誤解を与えてはいけない

なるほどこれまで俺は不備を、設定の矛盾のようなものに絞っていましたが、重く捉えてらっしゃるのはプロット上の未消化や演出上の目論見の失敗、などですね。この方面は完全に素人なのですが、胸をお借りするつもりで議論に足を踏み込ませていただきます

「おうち探し」がテーマで、「仲間と一緒のここがおうちだった」に落とすためには、通常、「おうちは見つかったが、その上で、仲間と一緒にいることを選ぶ」というプロットします。そうしたほうが「自分意志で選んだ」感が出るからです。「おうち」が見付かったけど、廃墟だったとか、「おうち」側から同胞と認められなかったとかでショックを受けて、その後、決心するとかが基本パターンですね。そこが全くないので響かないんですよね。

論理同意できません。自由意思はどちらの選択をとっても自由ときにのみ現れるものです。事実上その選択しかないのにそれを選ぶのを決心するのは意思ではなくて屈服ですよ。敗北したのではなく自分で選んだと言い聞かせるために自分発破をかけているわけでしょう。けもフレ2のキュルルちゃんは諦める必要がないときに諦めの決断をしているので、そこに確かに彼女自由意志があると判るはずです。響くか響かないかは決意の重さを事前に示しているかでしょう。リリの「会えないのはもっと嫌だ!」は赤い木を生み出した(観念的な)責任彼女にあるし、あそこで「好きに生きて」などいわれて逃されて、わかりました楽しく生きますは納得感が全く無いので、戦線復帰が可能だとわかった時点で行動は一択なわけです。でもワカバとの日々でお化けになることを怖がったり、ワカバが倒れるのを心配したりしていたので、彼女自身が消えることの怖ろしさは十分に示されてる。それでも積極的に行くところに決意の強さが見て取れるわけですよね。キュルルちゃんはそれまで三人でおうちを探して旅をしてきて最後に、それがパークのどこにもなく手がかりの絵も尽きて絶望したことが示されているので、諦めるということがそれなりに重い決定であることは判っているわけです。それで充分だとは思いますが、まあ死ぬほどの重みではない。先々週にリリの決断をみているのでそこからすると見劣るのは否定できないです。

増田さんのプロット案は面白いですね… そっちのバリエーションも観たかたかも(実はプロの人なの?)。

最初イエイヌが、キュルルを、去って行った飼い主と完全に誤解している。キュルルや他のフレンズの助けで、イエイヌが元の飼い主のことをきちんと思い出す。その時、元の飼い主がイエイヌと別れた時に、安易に捨てたわけではなかったことがわかる。キュルルはイエイヌの寂しさを受け止めつつも、今の自分に出来ることはないので、別れる。一人のイエイヌの家に、他のフレンズが遊びに来る、などとします。

でもそうするとセンちゃんアルマーさんを入れる尺がなくなりませんか。誤解させるための設定も用意しなくちゃならない。というかイエイヌちゃん完全に救われちゃってますよね。このときのキュルルちゃんが横暴に見える、とまでは俺は思っていませんが、視聴者の多くはそう捉えたようです。おかしいと思わない人はサイコパスとまで言われていました。素人考えなんですけど、あそこでキュルルちゃんが(観点的な)非道を働いてしまうことには狙いがあったのではと思いますお話の上でキャラクターが何らかのミス悪事を働いて被害を作ってしまった場合、それに悪意がなくても、天災的な事故観念的な罰を受ける。視聴者の溜飲を下ろすためなのか、そういう処遇はよくあると思います。でないと消えざるを得なかったリリ・ワカバがただひたすら不遇ということになってしまう。キュルルちゃんホテルで海に落下させるためにイエイヌ回で下げたのではないでしょうか。落ちたときニコニコ動画では「ざまああwwww」が連発されましたが、あれは制作の狙いだったと考えています。そして必然的落下からのフウチョウ説教・海底火山紹介に自然につながります

肩すかしなのは、キュルルちゃん出自と、最終話に至るドラマキャラ動機等が、特に関連しなかったからです。キュルルちゃんがキュルルちゃん本人のフレンズで、疑似不老不死だったことを眼目とするなら、それが何かと絡む必要があります

キュルルちゃん疑似不老不死説は俺の自説で、そこまでの確証はないことは一応留意してください。むしろ話の流れのメインだったのは”スケッチブック最後のページの行方”だったと思います。すべてのドラマスケッチブックに沿って展開され、最後の絵は破られていたことは最初の話で既に明らかにされていて、ホテル海上で悩むキュルルちゃんは千切られたページの跡を見つめていました。長い時を生きてミライさん時代からパークを見守ってきたイエイヌに対してキュルルちゃんが「おうちにお帰り」を言い、逆にイエイヌ彼女から送られた絵をみて(観念的に)おかえりを言うわけです(実際に口にはしてないけど、まあ立場的に)。キュルルちゃんはそのシーンを持って本当におうちに帰った、受け入れられた。それを最後のワンカットで示すのが強い、と思うのですがいかがでしょう。

通常、作品における伏線・回収は、プロット重要なメインの部分についてやるものだと思います

一般的エンタメの作劇上のセオリー評価できないというのはわかりましたが、しかしそのセオリーに従わなければいけない強い理由があるのですか。不勉強ながら俺はそれを知らなかったし、多くのファンも同じではないでしょうか。視聴者には考察班的に楽しむ人もいるし、癒やし目的カジュアルに流し見る人もいるでしょう。教科書的な表現から逸脱することで芸術進歩してきたのではないですか。

anond:20190407225535

まり関心を持ったことのないポイントなので、勉強になります僭越ながら、グロテスクさが感じられうる示唆的なシーンが、人物の行動の結果などに繋がって作品としてのテーマになるまで昇華されていなかったとしても、芸術的意味はありうるのでは、と考えています。例示していただいたアイデアのように正面からこれをテーマに据えてしまうと、作品自体目的が”説教”になってしまうので避けたが、示唆したいことは確かにあった、という可能性です。別の方の増田引用します。

芸術というものは非常に幅広い概念であり、故に、善し悪しを語るのは、非常に難しくなります。話が拡散しすぎてもしょうがないので、ここでは、いわゆる一般的エンタメ(これ自体もかなり広い概念ですが)の方法論に沿った評価します。

あるモチーフをメインテーマに直接繋げると説教臭くなる場合は確かにあります。メインテーマ一本調子にならないように「Aの正しさ」を中心に描きつつ、「A以外の正しさ」にも軽く触れるといった構成はよくありますね。ただ、その場合でも広い意味調和し、繋がる必要はあります。さもないと単に、とっちらかった話になってしまます

けもフレ2の場合、キュルルが「みんなのことが~大好きなんだー!」と叫び、これが多分メインテーマなわけで、だとすると、「リョコウバトを絶滅させ、イルカアシカにショーをさせ、イエイヌ人間なしには生きられなくした人間の業」はメインテーマと真っ向からぶつかるアンチテーゼなわけで、その業とどう向かい合うかは、避けて通れない話でしょう。軽く触れるだけで終わらせるのは構成的に不備があります

私は、それを「深く考えないで出した」と考えますが、「示唆したいものがあったが描ききれなかった」と考えることもできるでしょう。意図はわかりませんね。

それを仰るなら、けもフレ1の黒いセルリアンとの戦闘でも多くのフレンズは野生解放していないです。

「さぁとっとと野生解放するのです」「我々の群れとしての強さを見せるのです」からの、闇に光る数々の目、は名シーンであったと思います。あれを見ると、「ここが正念なのだから、野生解放できるフレンズは全員した」という流れが伝わるかと。

それはそうと、あのシーンを、フレンズセルリアンで再現した、けもフレ2は本当に何をしたかったのだろう……。

ところで「野生解放を言わない」ということには、けもフレ制作陣の明確な狙いがあると思いますけもフレ2では他にも「ちほー」や「フレンズ」といったタームがほとんど言われません。推測ですが、これは一般受けを狙うために途中から入ったりぼーっと観てる視聴者キッズが引っかからないように配慮したものだと思われます。逆に明確に説明するようになったものもありますキャラクター性格です。「私、体が丈夫なだけじゃなくて記憶力もいいので」「私は用心深いから」… などなど、けもフレ2ではキャラクター自分性格自己申告します。作劇技術的な難度という点ではこのような表現はおそらくレベルが低く、エレガントでもないのでしょう。しかしそれが直ちに作品として悪い、ということにはならないでしょう。解りやすいというメリットは確実にあります。あざといくらいハッキリ言うので、おそらくここを起点に自分でも動物性質を調べてほしい、という願いも込められているのかもしれません。

全体としてキッズ向けのノリで、わかりやすくする意図はあったかもしれません。それはそれで一つの方向性ですよね。ただ「野生解放と言わずに野生解放で急に強くなる」は、わかりやすさ優先ではなく、むしろ、わかりにくくなっています子供なのだから、そのへんの脈絡を気にしない……と仮に制作者が思っているとしたら、それはそれで、子供馬鹿にした話です。子供向けにわかやすくするというのは、そういうことではないでしょう。

ケムリクサ周りは、まだまだ見返して伏線を捜しているので、勘違いしてる点もあるかもしれないことを先に述べて起きます

おっしゃる点、それぞれについて、説明はできると思います。例えば、ミドリケムリクサ自体回復できるのに、なぜ、赤を回復してしまわないか、は、複数の葉を重ねて作られた赤を「治す」ことで、元に戻してるのかもしれません。あるいは、ワカバが苗床になった時に、ミドリに赤に対する抵抗力を与えたのかもしれません。リンの中に、リリの記憶漏れていることは、わかばロックを解除して、そのまま開けっぱなしの状態だったのかもしれません。光については、木を倒して、残った全部の力を、わかば治療に使った描写に思えました。

このへん、贔屓の引き倒しというか、脚本ミスの部分を無理矢理、好意的に見てるものは混じっているかもしれません。好意的に見れば、けもフレ2の矛盾点とおぼしき部分も説明をつけることができるとは思います

ただケムリクサという作品は、全体を通して様々な伏線があり、矛盾意味不明に思えた描写が「なるほど、こういうことだったのか!」と思う瞬間が何度もありました。だからこそ、矛盾と思える部分についても「もしかして、これはこうなのでは」と考えたくなりますけもフレ2は、そういう作品ではないので、その点は一緒にできないなと。

しかし「優しい世界」では全然ないでしょうということは主張しておきます(でもりつ姉はオアシス)。

ケムリクサは、けものフレンズ1に比べて全体的にダークなわけで、それを「優しい世界」と呼ぶかは意見が分かれるかもしれません。ただ、ここで書いたようにキャラ基本的な優しさ、裏表のなさなど、けもフレ1とも共通してる作家性があり、だからこそ、全体として、けもフレファンの人にも人気が出た、くらいは言えると思います

設定や伏線において、けもフレ2に不備があるように思えるのは錯覚で、実態作品の狙いと得意な表現範囲の違い「へーきへーきフレンズで得意なこと違うから」、で済むレベルなのではと考えているのです。

作品の狙い、得意な表現分野の違いにすぎない点が、1との比較で、不当に欠点とされてる部分は多いと思います。その一端は、一連の記事で書いています

その上で、けもフレ2の設定や伏線に不備がない、とまでは私は言えません。もちろん、どんな作品にも瑕疵はあるわけで、減点法だけで評価するのも、考え物です。どこを重視するかの違いかもしれません。

2019-04-06

いまのFalloutへの文句

けものフレンズ2が大いに荒れているそうだ。まー見てないけど。

から振り返って1のおはなし。あと、これけもフレに云々言うのではなくFO3/4への文句なのでご注意。

1のエンディングみゆはんの「ぼくのフレンド」。

歌詞はとりあえず置いといて映像を見る。

遊園地モチーフになっているように、世界観方面不安を煽っていく。

実際作中でも露骨ポストアポカリプス的な要素が散見されて、実際人類は滅んだとまで作中で言われているわけで。

でも、それでも前向きに話が終わっているから、逆にFalloutへの不満が思い出されてしまった。

ちょっと話は変わるが、「ポストアポカリプス」的なフェチめいたものはわりと歴史的サブカルチャーの中にあり続けた。

たとえば「ヨコハマ買い出し紀行」。最近だと「少女終末旅行」とか。

海外でいえば「マッドマックス」。ただこれはだいぶカルチャーの部分なのでゲームを見てみると、その中には「Fallout」という傑作が燦然と輝いている。

冷戦真っただ中で明日いきなり核兵器が頭の上に落っこちてくるっていうのがまああり得ない話ではなかった時代に生まれ作品が、そうした懸念が晴れた後の世代に影響を与えてできた作品と言えるのかもしれない。

Fallout」はどちらかといえば「1984」とか「すばらしい新世界」の方向かもしれないが、ジョーク的なレトロフューチャー世界に準じているし、そういうロマンが詰まっている。

ことにこれらの作品に顕著なのが、「破壊のあとに生きる人間」というテーマだ。

Fallout」の1、2を製作した製作会社の作品には特にこれが現れている。「war never changes」という言葉は「第三次世界大戦は石で殺し合う」という意味もあるのだが、大事なのは世界が終わっても人びとは生きるために殺し合う」という明確なテーマを指すものだった。

わたしが初めて「Fallout」に触れたのは3だった。もともと「Oblivion」が大好きだったのでこれにも結構ハマったわけだが、もっとハマったのは「New Vegas」だった。そしてあとになってやった「4」は救いようのない駄作だと感じた。

なにが不満かと言えば、結局は「古い世界への郷愁」をわざわざ誘うような展開ばかりだったからだ。そのうえローカライズは「人は過ちを繰り返す」と訳した。

3のマップデザインを見てほしい。廃墟ばっかじゃん。戦争から何百年とか経ってるのに、ビル建物あんまり風化してない。

何が言いたいかといえば、「人が住んでない」ようにしか見えないのだ。

レイダーにはまともな拠点とかないし、ウェイストランド人の居留地なんていうのも生活感がまったくと言っていいほどない。

4はもっとひどい。風景が「せいぜい戦後20年とかじゃない?」という程度なのだおかしいだろ!

その上4ではロールプレイの幅があまりにも狭すぎる。

オンラインのヤツはやっていないのだが、正直こんなゲームを出していくのならBETHESDAには二度とFalloutシリーズを作らないでほしい。

まあ、それは無理があるのでわたしはNVのスタッフが作ってる「The Outer Worlds」を楽しみにしておくということで、愚痴おしまい

https://www.youtube.com/watch?v=O4UEOhcbb20

「悪意」の解体けもフレ2のアレ~

けものフレンズ2について1への「悪意」があると良く言われる。あるいは悪意ではなくとも、「1の優しさと相互認証に対して、孤独自己肯定物語を描こうとした(筆者要約)」(http://blog.livedoor.jp/fukukan2009/archives/52306934.html)といった意見がある。

かに、そう受け取れる描写はあるのだが、その多くは、1と2の思想基盤の違いから来てるのではないかと思うのだ。

動物園サファリパーク

 けもフレ1のジャパリパークは、人間がいなくなって長らく経つ世界で、動物たちが気ままに暮らしている世界である。「ヒト」というのもフレンズ一種であり、対等の存在として描かれる。

 一方の、けもフレ2では、人間動物の違い、人間動物の上に立つモチーフが強調される。拍手とご褒美を要求するイルカしかり、イエイヌしかり。ここに居心地の悪さを感じるのは当たり前の話であり、「悪意」を見いだす人も多い。

 これはしかし、けもフレ2が、けもフレ1を否定しているというよりかは、アプリ版等の大本のコンセプトに近い。今からなら漫画版が一番手に入りやすいだろうか。そのコンセプトは、昔風の「動物園」であり「飼育員と動物」「飼い主とペット」の友情物語である。飼い主とペット上下関係はあるが、お互いそれに満足しており、飼い主は責任持って、ペットの世話を世話をし、ペットは飼い主を喜ばせ、芸をする。それはそれで、一つの関係だろう。

 なぜ、それが、けもフレ1で変わったか理由はいくつか考えられる。

 大きな理由は、舞台が「人間がいなくなってる世界」だからだろう。人間の世話に答えて動物人間を好きなのは良いとして、人間がいなくなってる世界で、それでも一方的人間を崇める動物というのは、まぁ、あまり気分のいいものではない。

 もう一つ。現代的な動物園は、見世物的な展示、ショーは避け、動物になるべく野生に近い生活をさせ、ありのままの生態を見せる方向へ進んでいる。フィクション上の動物園がどういうものであっても良いと思うが、現実動物園コラボ、協力する作品において、旧時代的な動物園肯定したくない、というのもあっただろう。

 けもフレ1は、サファリパークだったり、行動展示だったりする現代風の動物園アプリ版、けもフレ2は、旧来の見世物的な展示をする動物園と言った具合だろう(参考:http://kemono-friendsch.com/archives/77528)。

 けもフレ2は、おそらくは、アプリ版の「飼育員と動物関係に基づいて話を作ろうとしたのだと思う。が、けもフレ1の続編という形も取ったため、前述の矛盾点が噴き出してしまっている。アプリ版の路線を復活させるならさせるで、どうすれば良いかを練るべきであった(それが許されない環境は多々ある)。

人間がいないのに、人間を崇める動物」は、気持ち悪い。そこを敢えて描くなら、その悲劇性や罪悪感も描くべきだが、特にそれはない。多分これは「悪意」ではなく、「深く考えていなかった」ことだろう。

 同様に「人間と対等な知的生物」としてのフレンズを描いた続編で、「人間に芸を披露して喜ぶフレンズ」を出すのは、えぐい。これも「悪意」ではなく以下略

リアリティライン

気持ちよいお話セオリーの一つとして、内面世界と外部のシンクロというものがある。

主人公が悩んで心が暗い時は、夜だったり、雨が降ったりして、世界も暗くなる。

主人公が悩みを克服すると、夜が明けたり、空が晴れたりして、バトルで勝利したりする。

リアリティラインが低い作品場合、深い理由がなく、そのまま内面世界に反映する。

魔王が復活する時は、黒雲が渦巻いて雷が鳴ったりする。悩みを克服した主人公は、勢いで超パワーアップしたりする。

現実レベルが高い作品場合、そうはいかないので、偶然で説明できる範囲ささやかなことであったり、なんらかの理由必然性があったりする。

主人公が悩んでる時に、雨が降ってるのは、「たまたま」「偶然」の範囲であり、悩みが吹っ切れて、主人公がバトルで勝つ時は、「悩みのせいで今まで気づかなかったけど、あいつにはこんな弱点が」という閃きがあったりする。

けもフレ2では、カタカケフウチョウ、カンザシフウチョウが、内面の声を代弁しまくる。キュルルの「思い入れ」が、絵を通したり、通さなかったりして、直接、セルリアンに反映するらしい。これらの深い理由解説等はない。

ホテルでは絶滅動物のリョコウバトのぬいぐるみが売り切れてたりする。「たまたまリョコウバトだけ売り切れだった」なら「作中現実としては偶然」で済むが、「レッサーパンダとオオアルマジロとリョコウバトが少なく、ハブはいっぱいある」までやると偶然では説明できなくなる。が、これも理由特に語られない。

ここからわかるのは、けもフレ2は、リアリティラインが低めの、「ふわっとしたファンタジー童話的な世界であるということだ。

一方、けもフレ1は、作品論理整合性は、SF的に取っている部分が大きかった。ラッキービーストが人の声にだけ反応する、ジャパリカフェに、太陽電池がある等、SF的なガジェットがあり、崩壊世界日常がどう維持されてるかが目配りされている。もちろん、作中で全部の設定を説明するわけにはいかないにせよ、目につく範囲での、あからさまな矛盾は減らし、それによって、「かばちゃんの正体」と言った謎に緊張感が残った。

けもフレ2単体で見た場合リアリティライン低めの作品だと受け止められるのだが、リアリティラインが高めの1を見たあとに2を見ると、アラや問題が多く見えてくる。

ただ、けもフレ2は、全体的に伏線の回収がうまくいってないので、意図的リアリティラインを低めに保とうとしたというよりは、設定について深く考えてなかったり、伏線を消化しきれなかったりして、そうなってしまってると考えられる。ここもまた「悪意」ではなく以下略

キャラ周り

イエイヌの報われなさっぷり、ビーストホテルの下敷きになったことを誰も気にしてない等は、悪意として描くなら、もっと強調のさせ方、後への繋げ方があるはずなわけで、ストーリーとして処理しきれなかったと考えたほうがよさそうだ。

サーバルちゃん周りだが、以下の証言がある。

かばんさんに何があったかはわからない、偉い人が作るだろうと

かばんさんの経緯は知らないが、再会の喜びを描いた

内田さんも間に起きた事を知らない為、自分の落し所を探られたとのこと

http://kemono-friendsch.com/archives/78566

サーバルがなぜ、記憶をなくしたっぽいのかも、かばんさんとの間に何があったのかも、監督自体知らされてないのなら、「それっぽい」シーンでお茶を濁すくらいしかできないだろう。

もちろん設定がないだけなら、他にやりようがあったかもだが、こういう状況だと設定がないまま、あーしろこーしろと言われた可能性が強い。ご愁傷様である

結論

自分が見た範囲では「けもフレ2」に見いだされる悪意は、1,2のコンセプトの差(およびそれに対する無策)、脚本演出技術の未熟、現場のしがらみ、などで説明がつくものであった。

から良いという話では、別にない。

2019-04-05

anond:20190405164445

こんな時間に長文投稿仕事の一環?

さてはおまえ、電通関係者だな?

こんなところで火消ししてる暇があったら、本人に謝罪会見させろよボケ

使えねーなオイ

 

勝海麻衣さんと湯島ちょこさんの件、銭湯クラスタからみた事実を書く https://anond.hatelabo.jp/20190405164445

銭湯ファンです。

勝海麻衣さんの盗作騒動に関しては疑いようのない事実ですが

その後湯島ちょこさんによって暴露された件に関しては疑問が多い。

ネット民鵜呑み憶測であることないこと言ってるわ~とびっくりしたので

いちファンとして知っていることを増田で書いてみる。

個人的には勝海さんと湯島さん、どっちも銭湯文化の普及がんばってくれ!って感じです。

自分銭湯関連のイベントによく行ってるので

勝海さん湯島さん丸山さん町田さんの全員と面識がある。

その上で、ここ数日の湯島ちょこさんの発言や周りの反応に違和感があるのでそこについて書く。

 

1 丸山さんの弟子は誰か問題

丸山さんは今まで弟子を取らなかった。

理由は、銭湯絵師では食べていけないから。

でも銭湯絵を後世に伝えたい気持ちはあるので、今まで一般向けに銭湯教室を開くなどのイベントは快諾していた。

丸山さんは人がいいのでいつも人気者。

銭湯絵に興味のある若者からしょっちゅう「弟子になりたい」と言われたり周りが盛り立てたりするので

湯島さんだけではなくいろんな人に「じゃあ弟子になるかw」くらいのリップサービスはしてる。

自称丸山清人弟子」も結構いっぱいいるw

でも誰もが認める丸山さんの弟子は確実に勝海さん。

町田さんの紹介で周りを固められたからってのもあるけど

たくさんいる弟子希望者の中で丸山さんの現場に何度も足しげく通って富士山を模写する真面目な姿勢を見せていたのは勝海さんだけだった。

から丸山さん本人も弟子と認めた。

家が金持ちから彼女なら銭湯絵師になっても食いっぱぐれないだろうって理由もあったんじゃないかなw

「あの子真面目すぎるんだよ。手伝うことないから来なくていいって言ってる時も来るしw」と丸山さんがぼやいてた。

この1年、丸山さんの出るイベントに何度か行ったけど、大体いたね勝海さん。

ちなみに湯島さんが手伝ってる現場はみたことがない。

FBマメ更新してるから活動知ってるけど、丸山さんの弟子らしい活動投稿ほとんど見たことない。

半年に一回やってる銭湯教室もたぶん1回か2回しか行ったことないんじゃないかな。

から姉弟子を追い出した」みたいなツイートがあるとすごい違和感がある。

弟子ついでに田中みずきさんのこともちょっとだけ。

田中さんは中島さんの弟子だった。

でも意見の食い違い?があって、ケンカ別れしたと聞いた。どっちが悪いとかは知らない。

銭湯絵師という職業資格なんて要らないから、言ったもん勝ち。

から田中さんが中島さんの弟子をやめた時、銭湯界隈は困った。

日本に○人しかいない銭湯絵師」というキャッチフレーズを何人と言うべきか問題w

昭和から描き続けてきた本流の絵師丸山さんと中島さんの2人だけ。

ここに、修行半ばで中島さんとケンカ別れして一人で活動し始めた田中さんを数に入れるかどうかで

当時結構記述がばらついたのを覚えてる。

町田さんの「銭湯絵師は2人」発言は、その時代のことだと思われる。

自分特に田中さんに恨みはなく「2人」と言っちゃってた。

今となっては立派に活動されているので「3人」が公式見解っぽい

 

2 勝海さんは銭湯絵を描いているのか問題

まず勝海さんは弟子から基本的に描かない。そこは礼儀

丸山さんのサポートに回ってる。

最近は空をローラーで塗るのを任してもらえるようになったらしい。

から銭湯絵師の修業は空3年松5年富士山一生、とか言われてるらしい(うろ覚え

あと丸山さんは動物を描くのが嫌いだから

動物モチーフの依頼があった時は勝海さんに任せてる。

最近も鷹とか猿とか描いてる投稿、あったよね。

実際描いてる所を見たことあるから、これは間違いない。

 

3 湯島ちょこさんは本当に勝海さんに「被ってて迷惑してると 弟子として選ばれたことを事実ではなかったと謝罪するように」言われたのか

これはさすがに事実関係知らないか想像が入る。

まず銭湯クラスタから見て、湯島さんと勝海さんがかぶってるなんて思ってる人、正直ほとんどいない気がする。

これが田中さんだったら別だけどね。

二人とも銭湯絵一本だけの活動銭湯界にいるから、田中さんが「勝海さんのせいで仕事が減った」とか言うならまあそういうこともあるだろうね~と納得できる。

でも湯島さんはいろんな活動をしてる。

銭湯アイドル銭湯グラビアイベント企画銭湯グッズ制作

銭湯絵もその中のひとつって感じ。

もともと絵画というよりも銭湯まんがやイラストを描くアイドル~みたいなふれこみだったか

勝海さんよりも塩谷さんとか銭湯まんが家さんの方がキャラ被るイメージだった。

あとはステファニーさんとか銭湯OLやすこさんとか、どちらかというとそっちのマルチ方面

なんとなくだけど、勝海さんの方からそんなメール送るとかあんまり想像できない。

勝海さん、ルックス学歴も全部持ってるし、わざわざそんなことする必要性あるかな、と。

湯島さんが嘘ついてるわけでもないだろうから、二人の間でなんかやりとりはあったんだろうね。

それで湯島さん側は「迷惑から謝罪しろと言われた」と受け取った。

勝海さん側としてはそんなニュアンスで言ってないと言いたいだろうが、盗作問題があるから何も言えない。

そんな感じだろうな。

 

もやもやするところは他にもいっぱいあるけど、とりあえず一旦おわり。

勝海さんが盗作の件で下手打ったのは間違いないし、湯島さんが傷付いたのも間違いないけど

そこから炎上して、ネット丸山さんまで悪く言うのはどうかと思う。

1万枚も描いてきた巨匠なのに偉ぶったところが全然なくて人格者

銭湯界にありがちなセクハラ言動も一切みたことがない。

もう80歳過ぎてるのに、今でも足場のぐらついた危険現場で汗かきながら銭湯絵を描き続けてる。

そんな人を憶測で叩いて、もしこの騒動のせいで丸山さんの寿命が縮んだらネット民のせいですね。

2019-04-03

エロ同人「初めての寝取られマゾ調教シリーズ雑感

 エロ同人「初めての寝取られマゾ調教シリーズを読んだ。

 一応断っておくと、筆者には寝取られ属性は有るはずだ。セックス上手いかあんたと別れる的なエロ同人結構大好きだ。魔法少女モチーフにしたエロゲーエロ同人で、セックス気持ちよかったか悪堕ちして、それまでの味方を裏切ったり平気で悪事を働くようになる展開とか大好物だ。艦隊これくしょんの雷やドラクエ11ベロニカバブみを感じておぎゃりたくなるくらいには健全変態だ。

 だが、この作品は巻が進むごとに愚息が反応しなくなっていった。4巻や5巻は読み進めることが苦痛レベルだった。

 なにがつらいって、ヒロインの行動が悪質なDV加害者しか見えない。4巻5巻で主人公自尊心を徹底的に破壊する言動セックスが下手、チンコが小さいというエロ漫画的にありふれたレベルの話だけでなく、間男ヒロインセックスするためのコンドームを装着させるりダッチワイフを使わせヤリサーの仲間と徹底的に笑い物にすると言う、えげつないものがまでふくまれる)をしておきながら、貴方のことは愛していると主人公に言う下りは、お手本のようなDV加害者によるマインドコントロールの流れだ。第1巻のラストを見るに、この悪質なマインドコントロール意図的にやっている可能性が高い。

 このまま、主人公ヒロインに「調教」されて「Mに目覚める」って言うのは、恋人によるDV被害者精神が徹底的に破壊された現象に他ならない。当然、自分意志での逃亡はもちろん、万一職場を追われていた場合再就職などの社会復帰PTSD鬱病のために困難になっている可能性が高い。

 あまりに深刻すぎて、オナニーで気軽に消費できる次元を遙かに越えている。個人的にはM趣味自尊心破壊は別物だと思う。

 と、否定的言葉を書いておいて言うのも何だが、実はこの作品結構楽しんでいる。

 エロ漫画と言うよりは、交際相手が突然DV加害者に変貌した際の男の反応を描くサスペンスとして。

 どうか主人公には、ヒロインから逃げ出して無事に新たな人生を送ってほしい。過去はとにかく、今のその女は悪質なDV加害者だ。

 幸せになれなくても良い。

 ヒロイン制裁が下らなくても良い。

 ただ、主人公に最悪の結末だけは訪れないでほしい。

2019-03-31

ハンドメイドショップ

なんかみてると、凄い可愛くてやばい

私は絵はちょこっと落書きするけれど、

ハンドメイド系はからっきしだめ。

編み物も母がマメだったので、編んでもらってばかり。

手作りの、アクセや小さいモチーフカバンや服をみて

心がふわふわになりました。

可愛くてすごいよ、みんな。

ほんと推しツアー行きたくてしょーがなくて

ずっと考えてしまうので(母のことと交互にだけど💦)

かといって現状出来る事と

したいこととは相容れないので

そのへんを縮めるために

出来ることをするのだけど

それはしたくないことだったり

どうしていいかからないことだったり

から全部調べたり人に頭を下げまくって

教えを請わないとよくわからないようなこと。

なので

地味にストレスはたまりまくるんですが

調べて出来てしまう事はあるけど

やらなきゃなことが多すぎる。

ストレスを主張(アウトプット)しても

善いことは無い気がするの。

ストレスがあるの判るわ、という共感や、優しい気持ちに触れることは出来るのだけど

恐縮するばかりで、ありがたいばかりで。

現状お返しめいたことができないので

それがまた私をかなしくさせるのです

ふがいないとか、そういうこと。

自分フィジカルメンテナンス部分は

しなきゃだけど(春調子崩すことあるのでやや怖い)

これがいつもあとまわし。

Priorityの順だけど、それに

集中できるやると気持ちのいいこと(掃除とか)が入る。

頑張ります

未だに固定電話のDataが某所で残ってて、

でも書き換え出来るProfile携帯番号にちゃんとなってて、

何処の階層にあるんだろうこれは、という。

しかオンラインのData。

訂正して貰わないと、電話をかけたけど現在使われていませんになってしまう。

どうして、自分個人情報を、自分で書き換えられるようになってないんだろう。

最新じゃないんじゃないの?とも思えてしまう。

謄本をとったら父が次男アップグレードされていたけど、

父は、三男なんです。

人間のすることは100%じゃない

でも違うからって言っても

正しくても

訂正してくれる機関がしてくれないと

間違ったままなんだよ。

そこを触れる権限の人たちが。

よろしくねがいします。

2019-03-26

さよならオトカドール

ファンは読まないほうがいいと思う。

(こんなとこみてる人いないか)

ひたすら愚痴


どうしてこうなった


なぜ日本語がまともに出来ないのにこんな長文を書くに至ったかは、一言で言えば界隈が荒れているから。

荒れているというのはあくま自分主観しかないので、純粋オトカドールを楽しんでいる人は本当に読まないほうがいいと思う。

自分でも書いていて気が滅入りそうになる。

前提として

自分オトカドールアンチではない。

好きだからこそ、素直に楽しめない現状がつらくて、

オトカドールキャラクターを見ただけで嫌悪感をおぼえる自分に腹が立っている。もちろん作品キャラクターに罪はない。

荒れている(と自分が思っている)要因は

お問い合わせメール問題

ファンのもの問題

の二つ

今の界隈がどんな状況なのかはわからないけど、少なくとも自分が無理になったのはこれ。

お問い合わせメール問題


まず、お問い合わせメール問題

ある一部のファン更新公式に促すため週に一回程度、

毎週共通テーマに沿ってファン一人一人が要望を送ろうというもの

しかしこれには

「毎週送るのは流石にどうか」

「送ることによってなにか成果は得られたのか」

「そんなことをするよりも、筐体でプレイするほうが公式には利益になる」

など、どちらかと言えば否定的意見が多かったような気がする。

送る側の主張としては

「たくさん送ったほうが更新再開を望むファンがたくさんいることがわかる」

意見は蓄積され、必ず製作側に伝わる」

彼らの主張には同じコナミから展開されている「ときめきアイドル」の事例が出されることが多い。

ときめきアイドルは、配信開始から一年と経たずサービス終了となってしまったスマホゲー。(直球)

自分プレイしていて、キャラクターは多くないけど、《推し》の色々な姿が見られるのは魅力だった。

VRモード楽曲に惹かれ、もっと彼女たちの活躍を見たいと思っていた矢先のサービス終了通知は本当に悲しかった。

このアプリサービス終了後も遊べるようにしてほしいという声がお客様相談室に寄せられたらしく、結果としてオフラインで遊ぶことができるようアップデートが施された。

恐らく、オトカドールにもお問い合わせによる公式アクションを期待してのものなんだろう。

何らかの形で公式に動いてほしい、という気持ちはとてもよくわかる。

でも、ときめきアイドルのように必ずしも反映されるとは限らないこともわかっている。

自分カスタマーサポートセンターで働いていたことがある。

自分職場では同じようなお問い合わせを同じ人物が何度も送ってきても業務に反映されることはなく、定型文で返すのが常だった。

検討する、とは言うけどもちろんそんなことしない。窓口で終わり。

しろクレームのほうが大事にとってあったりする。

もちろんコナミで働いていたわけではないので実際意見が伝わっているのか、蓄積されているのかどうかはわからないけど、

メール推進派は「必ず」いい方向に向かうと断言している。

本当にそうなんだろうか……そこだけは引っ掛かっている。

ときめきアイドルだって作ったモデルが勿体ないとか、オフライン化が楽だったからお問い合わせがたくさん来た体にしたんじゃないか、くらいゲスパーしてる。

その他の行動


個人的メール推進派に嫌悪感をおぼえるのは彼らのお問い合わせメールに関する行動だけではない。

若手俳優界隈やアイドル界隈のファンたちはライブイベントなど、現地に行かない自称ファンのことを《在宅》や《お茶の間》という蔑称で呼ぶことがある。

このメール推進派はそのような人たちが中心にいる。

筐体で遊ばず、ネットの隅でヘイトを垂れ流し、お前らより愛はある!と純粋ファンたちにマウンティングしてくる。

きっと更新が再開されたら「自分たちがメールを送ったおかげだ!」とドヤるに決まっているし、

仮に終了の告知が出されたら「お前らがメールを送らないから!」と責任を擦り付けてくる。

本当に害悪

また、彼らは「オトカドール同人活動をする層がオトカドールイメージを悪くしている」と壊れたレコードのように繰り返すが、

新規層を取り込む際に障害になっているのはむしろメール推進派をはじめとする《終了おじさん》的な立場の人たちだ。

公式から終了すると発表があったわけでもないのに恣意的なまとめを作り、ファン不安を煽る。

ツイッター上でオトカドールについて検索しようとすると最初候補は「オトカ 終了」なんてこともあった。

本当はファンの皮を被ったアンチなのでは?とすら思う。

また、彼らは同人活動ファン主催イベントにもまるで公式側の人間かのような口出しをする。

公式利益にならない」同人活動を見下しているが、一体何様?

同人活動を何か履き違えているのではないか

人口も筐体も少ないオトカドールにおいてはファンアートなどから存在を知る人も多いはず。

少なくとも「オトカドールは一部の自称ファン創作制限し潰されるジャンル」だとわかるほうが同人活動よりはるか害悪だ。

この問題からファン同士の交流もギスギスしたり、盛り上がる話題愚痴になってしまたこともあり

ジャンルを離れる大きな原因となった。

普通ファン


もう1つの懸念はその《普通ファン》たちについて。

オトカドールプレイ人口は少ないし筐体の設置店舗も少ない。

からこそファン同士の繋がりは強く、また閉鎖的になりやすい。

語彙力マイナスまで振り切ってるのでうまく言えないが、

要は「マイナージャンルに命捧げてる自分を見てくれ!」みたいな人たちが多いような気がする。

原因といってもこっちは完全に私怨

周りはそんなこと思ってない人が大半だと思う。

ファンのせいで界隈が荒れているというのは予め言った通り、あくま主観しかないのでこちらは真面目に読まなくてもいい。

狭い界隈だからこそその界隈の中では猿山大将になれる……つまり承認欲求を満たすための道具にオトカドールが使われている気がしてならない。

ファン同士の交流楽しいし新しい発見もある。

まり多くを語らない作品であるから解釈はたくさんあるし 、モチーフ元ネタから創作できる人たちは本当にすごい。ただ尊敬する。

でも、愛をアピールするためには何をしてもいいのか?

変なことをすればするほど注目を集められると味を占めて、何かとオトカに絡めて暴れる輩がいる。

ぶっちゃけ痛い。

自信を持つことは大切だとは思うが、特殊性癖をドヤ顔で自慢するような痛さで自分は耐えられなかった。

若いファンも多いから、中二病の一部だとは思うけど、成人したファンでも悪ノリに付き合っている今の界隈は正直疲れる。

ファンの中で心配なことはもう1つあって……

男女関係……女性ファンが多いからか、女性ファンワンチャンを狙う男性ファン結構いる。

いや、男女間のことなんて余計なお世話かもしれないが、ファンの年齢層が幅広いからこそ、気を付けなければいけないと思う。

実際被害が出ているという話も風の噂で聞いた。

よくツイッターを見ていれば、未成年女子執拗に絡む成人男性ファンが少数いることはわかると思う。

女性相手にされないかジャンルを去った人がいるということを聞いたときはげんなりしてしまった。

男が全員ワンチャン狙いじゃないとわかってほしいが、自分も警戒されているんだろうと思うと迂闊に話しかけられない。

でも被害に合ってからじゃ遅いから、みんな自分の身は自分で守ってほしい。

自分含め、大人は頑張ってフォローします。

……まあ、特にだって声をあげているファンがいない以上、おかしいのは自分のほうなんだろうけどね。

気にしすぎかな。

さよならオトカドール


昔はどんな形でもオトカドールが続いてくれさえすれば何でもいいと思っていた。

このゲームの魅力は挙げればキリがない。

語り尽くせないくらいこのゲームが好きだった。

でも今はむしろ終わってくれとさえ思う。

きっとオトカドール出会った頃のように純粋に楽しむことはもうできない。

どこの界隈にもこんなような話はあるあるなのかもしれないが、自分は長いことオタクをしていてこんなことはなかった。大きいジャンルだったからかもしれないが。

からファンの行動でここまで作品を好きな気持ちが左右されるとは思わなかった。

こういうことを名前を出して主張すると、

「じゃあやめれば?」

お気持ちヤクザw」

って言われるから今日ここに書いた。

ファンが界隈を変えるなんてどだい無理な話で

から自分が離れる。ただそれだけの話。

吐き出してすっきりするかと思ったけど案外そうでもない。

自分はまだオトカドールオタクとして界隈に存在しているけど、こんなこと考えてるって知れたらあっという間に人は離れていくんだろうな。

それまでの関係だと割りきるしかないけど。

オトカドールは夢だった。

長くて楽しくてとても大好きだった夢。

それなのに今は、筐体の前まで行ってもプレイできないくら重症になってしまった。

でも本当にオトカドールが好きだから

いつかまたプレイできるようになりたい。

から、それまで

2019-03-25

anond:20190324090455

世界観ファンタジー色がいやと話なら、ボトムズ異能者とかワイズマンとか、SFモチーフを借りたファンタジー色が結構強いと思うけどな(特に後半)

木主が求めているのは、リアリティー方向ではなく渋さとかダサカッコ良さとかそういう物のように思える

2019-03-17

戦隊微妙すぎる

1話目にして視聴者の心境置いてけぼり戦隊だった。

唐突に挟まるユーチューバー

唐突に始まるシリアス展開。

シリアスなくせにグッズや変身バンクコミカルすぎる。

何故かわからないが仲間の恐竜ロボが起動してレッドが一人で解決する。一人で解決するのは追加戦士だけでいい。戦隊に求められているのは一人で解決できる強さじゃない。あと多分レッド孤高の天才とかじゃないよね?引き継ぎの様子やユーチューバーに対する態度を見ててもどちらかというと騒がしい巻き込み型明るいレッドと思われるのに何故一人で行かせたのか?

唐突な名乗り締め。

まだ二人出会ってねえっていうのにEDは5人。元々5人戦隊って発表されてるけど杜撰

EDダンスコミカルダンスで締めるならそこまで視聴者の心境を上げてくれ。

子供に人気の恐竜モチーフ持ってこよう!

でも割と近い年代に人気恐竜戦隊たから少しずらそう!シリアス展開最初に入れよう!

でも人気の恐竜戦隊の良いところは欲しいかダンス要素は入れよう!

王道さをそのまま取り入れるのはつまらないし色々外してみよう!

結果、クソつまんない1話だった。

主要キャストが演技初心者というのを差っ引いてもひどい。

大人の思惑と、脚本家功名心から本当に滅茶苦茶な出だしになったと思う。

これから盛り上がってほしいけど、既に見る気が起きない。火薬の量とかロボの動きが軽快とかどうでもいいんだよ、面白い話を見せてくれ。

2019-03-11

anond:20190311022926

私は一クリエイターとして働く男ながら、フェミの言うことにも一理あると考えている。

フェミの主張は、公共の場では性的表現を控えろと言うものだろう。

そもそもが複雑な問題である
どの程度から性的とすべきなのかなど前提からして問うべき点があり、それを一言感情論と切って捨てるのは適切ではないと考えている。

端的に言えば、公衆福祉表現の自由のバランスもっと議論すべきだ。

クリエイター界隈でも話題に登っており、価値観が移り変わる過渡期にあると実感しているが、ネット上では中傷合戦に終始しているようにしか見えない。
論点が置き去りにされた言い争いは不毛しかなく、落胆せざるを得ない。

例えば、公共空間にある女性の裸体をモチーフとした芸術作品
これに対しての非難フェミ荒唐無稽言動の一つとして槍玉にあがるが、芸術と娯楽の線引きをどこに置いても女体は女体である
芸術作品扇情的な要素はないとされているのは学校教育の成果であり、公共空間に相応しいものなのかという点には疑義が残る。

どのような価値観人間いるかからないのが公共空間である
そこに扇情的創作物を鎮座させることが表現の自由だとするのは暴論ではないか
クリエイター目線では、極端な思考フェミであっても公共空間存在し得る人物像として想定しなければいけない。

社会にある以上、真の表現の自由は存在し得ない。
もし、引き出しの中の鍵付き日記のような私的空間での表現すら規制すべきだとフェミが言うなら
それは果たして表現の自由の侵害かもしれないが、彼女らはそこまでは言っていないだろう。

是非の線引きは常に社会に問い続けなければいけない。
不快のぶつかり合い、それこそ感情闘争のなかで許される表現を探っていくのが本来の姿なのだ
憲法を盾に不快封殺しようとするのは現実逃避に等しい。

から、私は表現の自由の戦士に加担しない。

横だけど整形したぞ、読みやすくなった?

anond:20190310232047

影響がないとは言えないけど、映画2000年公開なんだよな。

それから19年間ずっと影響を与え続けていたかと言われると疑問。

(似たようなもので、なろう系の勇者魔王モチーフドラクエ3だけど、それが出たのは1988年だし。)

社会情勢とか出版事情とか他の要因もあっての量産だと思う。

2019-03-10

表現の自由戦士に肩入れしない理由について述べる

毎回フェミ晒しあげられる光景を見る度にモヤモヤする。ブコメだけではではいつも言いたい事が何も言えず、一度そのモヤモヤを雑ではあるが増田アウトプットしてみたいと思い、不慣れな長文を書いてみる。当方フェミに同情的な商業クリエイター、オタ男性

フェミの主張の大筋は要するにエッチものを世に溢れさせるなという主張だと何となく考えている。この問題は非常に議論しづらい難しさがある。例えばエッチものとはそもそも何なのか誰が決めるのかという切り口だけでも大変複雑な難問であり、それに対して「表現の自由侵害」「お気持ち押し付けるな」という反論だけでは有効カウンターになってないのではないかというのが俺の見解だ。後に詳しく説明するが、この問題において議論されるべきだと俺が考えているのは公共空間デザイン表現の自由バランスについてなのである。ところが当のフェミからもオタからもそのような議論がされている様子はほとんど見られず、見るも無残な中傷合戦に終始している。クリエイターからはそのような話が出る事が多々あるのだが、オタもフェミもこれらの問題に対して無関心を貫いていると言わざるをえない。ある意味で我々の価値観の過渡期であるにも関わらず、肝心の論点が置き去りになるその不毛な状況に対しての失望こそが俺が感じるモヤモヤの正体なのだ、とようやくこの文章を書きながら気づいた。

例えば近年、学校官公庁公園などといった公共空間に設置されている裸の少女の像や裸婦像の絵画などがフェミによって問題視されるケースがある。一見するとそれは荒唐無稽な主張かもしれない。しかし裸の女性というモチーフ西洋芸術文脈においては古くからの一大ジャンルではあるが、一方ではエッチモチーフでもあり、我々は単にそれをエッチものと捉えてはならないと繰り返し教育を受けてきただけに過ぎない。パブリックアート公共空間における彫刻や造形、絵画のあり方としては、すでにエッチものには疑義が生じているという状況と考えてもいいだろう。

言うまでもなく公共空間というものは幾多もの他者自分とが相互に関わりあう空間であり社会のものである。そのような場にエッチ創作物がさも当然のように鎮座する事が保証されるのが表現の自由というのはいささか暴論だ。他者と関わりあう場だからこそ公共空間における表現は常に綱渡り的なバランス取りを強いられる。仮に頭のおかしフェミによる病的なクレームであるにせよ、クリエイターは観客のリアクションを受け止めざるをえない。おそらく世の大抵のプロアマ含めたクリエイターはそれを十二分に自覚しているはずだ。つまり表現の自由公共空間社会という危うい綱渡り最初から常に晒されており、真なる表現の自由というのはそもそも幻想なのである。真なる表現の自由がもし完全に存在する空間があるとするなら、それは引き出しの中の鍵付き日記のような私的領域における創作という場において以外はありえず、フェミがそこまで創作行為批判しているようにはどうにも思えない。公共空間作品を送り出す以上、我々は常に公共空間にとってセーフかアウトかを社会に対して問いながら、あるいは喧嘩を売りながら生きていく他なく、現代においてエッチもの忌避されるならばそれは綱渡り判断材料の一つと捉える他ない。それは別に表現の自由侵害でも何でもない。元から創作活動というものはそういうものなのだ

そんな議論ができればいいなとは思うのだが、フェミもオタもそういう話には興味がないらしい。公共空間からこそ快不快という主観のぶつかり合いが大切なのに、一番のキモであるお気持ち」が軽視されている現状は何なんだろうな。

2019-03-07

お笑い芸人芸名キャラを考えたよ

 キャラ作りに模索する芸人さんや、宴会芸を考えている人など、どなたでもご自由に利用してください。

アリスとテレス

 ギリシア哲学ネタにするコンビ。得意ネタは、ソクラテス式問答法による論破業界大御所にもソクラテス式問答法を用いたら怒られてしまったので、仕事を干されている。

安全第一漫才

 ヘルメット作業服を着たコンビ。「ゼロ災で行こう、ヨシ!」の掛け声から工場作業員ネタを始める。ネタ以外でも安全にうるさいので、落とし穴ドッキリは安全帯を装着したうえで行われた。

御珍々 敏々丸(おちんちん びんびんまる)

 戦国の世より現代によみがえった落ち武者、という設定のピン芸人童貞のまま死んでしまたことに未練を残しており、客席などに若い女(おなご)がいると男性器が勃起してしまう。興奮をしずめようと腕立伏せや背筋運動をするが、それによる陰部の刺激で果ててしまう。

久野 一(くの はじめ)

 くノ一(女忍者)姿をしたピン芸人忍者あるあるネタにするが、ネタをしゃべりすぎると(秘密を言いそうになると)自害する。舞台が暗転して切腹や爆発の音がすることで、自害表現する。その後、何事もなかったかのように再登場し、「あやつは影分身。拙者は不死身だ」と締めくくる。

多糖 過多(たとう かた)

 加藤鷹モノマネ芸人メタボリック体型なので外見は似ていない。チョコボールが好物。

力のパワーと技のテクニック

 ゴリマッチョと細マッチョコンビ。「Today今日も観客のオーディエンス笑顔スマイルディストリビュートして広めて、このワールド世界で一番トップ」という挨拶からまり英語日本語重言を力技(力業)でネタにする。まるで二か国語放送のようだが、当然のように英語話者には伝わらない。

電電 みかか

 音響プラの声マネポケベル暗号ネタにする女ピン芸人。「みかか」という名前意味若い人に通じないことでジェネレーションギャップを感じている。

破邪太郎(はじゃ れいたろう)

 1980年代流行した伝奇小説主人公モチーフに、霊能力陰陽道などをネタにするピン芸人。「そうか、鬼門の方角か」が口癖。フリートークでも「鬼門の方角」と言いすぎるために「鬼門から離れろ」と突っ込みを受ける。それでも本人は、「鬼門から離れよと…? ハッ! それすなわち裏鬼門!」とボケ倒す。

Man near the window

 スタイリッシュエリートビジネスマンを装うが実際は窓際族社員、という設定のピン芸人不要書類優雅シュレッダーに入れる。文字入力するわけでもないのにキータイピングする。手帳名刺入れを意味深に開け閉めするなどして、時間をつぶしている。

万年 豆一(まんねん とういち)

 大豆化身を演じるピン芸人。「〇〇は大豆が原料って、知ってるかい?」(〇〇…豆腐味噌など)という大豆うんちくは定番ネタ人類は一万年近くも大豆を食していることと、大豆栄養価の高さが食品ナンバーワン(自称)であることが、万年豆一という名前の由来であるネタの終盤には「すでに人類は我が支配したのも同然だ」と高笑いをする。しかし、直後に崩れ落ちるように倒れてしまい「なぜだ、なぜ、どの国家民族も我を主食とせぬ」と最後に言い残す。大豆といえども、世界三大穀物(コメコムギトウモロコシ)には敵わないようだ。

わんわん腕白小僧

 坊主頭兄弟コンビ夏休み中の小学生のように、半ズボンと白のランニングシャツを着て、虫取り網や虫かごを持っている。とにかく腕白で元気。コンビ名の名付け親は、少しは謙虚になるようにと五十音順最後になるような名前を付けた。兄の愛読書コロコロコミックだが、マセガキの弟はコミックボンボン

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