はてなキーワード: 無差別とは
ヨブ記を読みました。
福音派は「サタン」を悪魔とするようですが、ヨブ記のサタンはおそらく神の遣いであり、悪魔ではありません。
人に善悪とはなんたるかを示すのに、「悪魔」という概念が必要なのか甚だ疑問です。
道徳的に非のない暮らしをするヨブに、サタンが試練を下し、「なんでこんな目に」と苦悩します。
さて、ヨブの前に現れた神ですが、グッドオーメン2で見ていたのと似ていました。
神がなにやらよくわからない不思議なことをいうので、ヨブは少し困っているように見えます。
天地創造について人間は知りうることがないので、無知に対して悔改め、神を畏れよというわけです。
私はヨブと議論をした友人たちが、本当に嫌な奴らだなぁと思ってしまいました。
ヨブに訪れた試練はサタンによるものですが、それを知る由もありません。
そのときに、ヨブの行為を疑って、ヨブをいじめているのは本当に見るに耐えないものがあります。
つまり、なにか苦しい思いをしている人に対し、信心深い人が「なにか罪を犯したのではないか」と疑うわけです。
その人は試練を受けているかもしれないのです。
ところで、自然災害が人の命を奪ったときに、それを「試練」と言うことができるのか、とふと疑問に思いました。
ヨブに起きた試練はあくまでも「命を奪わない」ことを前提とした試練です。
無実の人の命を無差別に奪ったのであれば、それはおそらく罰でも試練でもないでしょう。
令和6年3月15日
消防長 永谷正男 どのような消防をするかは私が指令します。最近では、ほとんど、今夜もカレー、 昨晩は、レトルトカレー。
裁判官 小池勝雅 は、 私の知り合いで、関東の分かりにくいところに住んでいて寝ています。
刑法25条第1項
独りよがりの考えに基づく犯行で、経緯や動機に酌量の余地がないこと、インターネットという匿名性を利用した卑劣な犯行であること、無差別殺人を連想させ、折から厚生省元高官
を標的とした殺人事件発生直後であり、被害者や関係者に与えた不安や恐怖には甚大なものがあることからすると、被告人の刑責は軽視できないが、反省していること、相当期間身柄拘束され、一応の社会的制裁を受けたと評価できることなどを勘案し、刑の執行を猶予するのが相当と判断した。
既存の法律と不整合な上にそもそも絵柄に著作権を認めようとしても類似した絵柄を持つ作家は他にも多数いるわけで著作権の帰属を明確に出来ないために不可能
世に出した時点で誰でも学習させることが出来るので取締コストが無限大に近く実質的に不可能、そして有限のリソースを割いて取り締まろうと作家の怒りが個人的にスッキリするぐらいの効果しかなく明らかに費用対効果に見合わない。建前的に税金で運営されてる警察にイラストのAI学習を取り締まれとか世論が納得するわけがない。
大体無差別に学習したモデルで学習させたかの立証は困難だろうし、Loraみたいな特定の学習をしたモデルであっても海外では違法ではないしそれをDLして使えばいいだけなので意味がない。Lora全般の使用を禁止するのも根拠がないし、特定のLoraモデルが学習禁止対象のものを使用したものかどうかユーザーが判断するのも困難だし使用したところで何らかの明確な損失が発生するわけでもないのでこれを取り締まるのも明らかにやり過ぎである。
無差別開示とか頭唐澤貴洋かよ