はてなキーワード: ねじとは
普段はあることないこと書いている増田であるが、ここでは本当のことだけを書くことにする。
辛いものが嫌いなわけではなかったのだが、なぜかあまり美味しいと思えない。
夕食で出た時には、いつも我慢して食べていた。
ある日のこと。母がいつものようにカレーを作ろうとして、あっと声をあげた。
「じゃがいもを買い忘れた……!」
「美味しい!」
そう。私はカレーが嫌いだったのではなく、じゃがいもの入ったカレーが嫌いだったのだ。
あのドロドロした食感。舌にザラザラとまとわりつく感じ。カッと熱くなる辛さをデンプンの力でねじ伏せる傲慢さ。
じゃがいも自体は嫌いではないのだが、カレーに入った途端、私にとってソイツは紛うことなき罪人となっていた。
母にその感動を伝えたところ、(母にとってはどっちでもよかったのだろうが)以来、我が家ではカレーにじゃがいもを入れなくなった。
成長した私は、さらに自分好みのカレーを追求するようになった。
といっても、そこまでのこだわりがあるわけではない。
これが一番というカレーのレシピを見つけ、以来ずっとそのレシピで作り続けている。
詳細は省くが、
・肉は鶏肉
これが私にとって重要なポイントである。(レシピが気になる方は、エスビー食品の公式サイトをご覧ください)
諸事情があって恋愛どころではないので、恋人募集中でもないのだが、ひと段落したら本格的に動こうと思っている。
私が結婚相手に求める条件。その筆頭に来るのが「カレーにじゃがいもを入れない派」であることだ。
もし派閥の違う男性と結婚した場合、月に5日はあるであろうカレーの日に毎度喧嘩になるかもしれない。
できるだけ平和に暮らしたい私としては、それは絶対に避けなければならないと思っている。
しかし……。どのようにして、相手の男性がカレーにじゃがいもを入れない派かどうか見分けるのか。
マッチングアプリの場合、カレーの項目は無いだろうから、自己紹介文に書くことになりそうだが、そうするとおかしな人と思われないだろうか?と不安だ。
結婚相談所の場合、調べてもないのでよく分からないのだが、お相手に求める条件に「カレーにじゃがいもを入れない派の人」と言ってもよいのだろうか。おかしな人と思われて門前払いを食らわないだろうか。
となると、婚活パーティーが一番良いだろうが、初手でカレーにじゃがいもを入れるかどうか尋ねてもよいのだろうか。いや、もうちょっと頭を使おう。
「〇〇さんが好きな食べ物は何ですか?」
「××です」
「そうなんですね〜! 私も好きですよ! 美味しいですよね!」
「私さんは?」
「じゃがいもの入っていないカレーです! あ、〇〇さんはじゃがいもの入ったカレーと入っていないカレーどちらが好きですか?」
……いける、いけるぞ!
なんだ。簡単なことだった。
こんなことに私は何十時間も悩んでいたのか。
やはり思考を整理しながら文章を書くということは大切だと気づかされた。
最後に一つだけ書いておく。私が一番好きな食べ物はカレーではなく、蕎麦である。
[追記]
あえて書かなかったが、
・どちらでもいい派←OK
https://toyokeizai.net/articles/-/673455
取材を受けている「ある業界関係者」の発言はかなり疑問。昭和や平成の頃ならいざしらず、今、そこそこ以上売れている声優であれば、スケジュールはかなり埋まっている。ディズニーランドでの、おそらくは丸一日から半日は潰れるであろう接待デートを入れるような余裕があるだろうか?
顔割れしている人であれば目撃されるリスクもある。岡田斗司夫だとかメイザーズぬまきちみたいな、筋の悪い、かなり盛って話すタイプの関係者にリサーチしたのではないだろうか。
Aさんの話はわかる。個人的には、声優業界のセクハラ問題は、「接待」の根がもっとも深いと思う。ようするに飲みニケーション(死語!)が今でも幅を効かせている業界なのだ。コロナの影響で落ち着いていたが、また復活しそうな気配がある。先輩の声優や、アニメのスタッフが同席する飲み会で学べることも多いので、失われるのもそれはそれで残念だと思う気持ちも多少はあるが、しかし時代の流れに即して、変わっていかなければならないところだろう。
ただ、Aさんの話の中で、枕営業について触れているところは疑問。いわゆるタレントの世界で枕営業が成り立つのは、出演料や顔が売れることによって副次的に発生する金銭的なメリットが大きいからで、いくら人気商売になってきたとはいえ、体を張るほどのメリットはないだろう。あと、少なくともアニメにおいては、キャスティングに単独でそこまで決定的な力が及ぼせる人間はいない。監督や原作者はもとより、プロデューサーでも強引にねじ込むのは厳しい。候補に入れるのが関の山だ。
Bさんは・・・申し訳ないけど、あまり才能がなかったのでは・・・。力のない声優が粗悪な、小さい事務所の門を叩いた経験談をこれ見よがしに話したような印象を受けた。
咲野さんの発言は、一般論に近いものをぶつ切りにして論旨に沿うように当てはめられているような。
なお、ギャランティの件は声優業界にずっとあり続けている問題で、問題の指摘自体には異論はない。ただ、ソシャゲなどのおかげで、少し名が売れた声優は、アニメや吹替以外の仕事で比較的割よく稼げる状態になっている点は指摘しておきたい。むしろ10年前より、声優業のみで食っていくことは難しくなくなっている。ではそれでもどうして低賃金に悩む声優が多いのかといえば、90年代半ばの第三次声優ブーム以降、専門学校が大量の新人を業界に送り込んだことで、人材が過剰供給されたからだ。それ自体は仕方のない力学ではあるのだが、たとえば介護職などのように、必要とされている仕事であり、人材も払底しているにもかかわらず低収入である、というような話とは少し位相が異なるのではないか。
日本の教科書の冒頭って「ビッグバンからの無数の隕石オッスオッスの果てに地球が誕生。その後なんか雷が落ちたとかその辺の理由で生命が誕生してからまーあれこれして氷河期で恐竜が滅んでお猿さんの中から人間っぽいものが出てきましたねじゃあそろそろ石器の説明に入ろうか。つーかぶっちゃけ猿の時代から石は使ってたんだけど、丁度いい石がねーなら加工すりゃいいじゃんって発想を発展させるセンスがエテ公にはなかったのが人類との差なんだよな~~~」みたいのじゃん。
でもこれがキリスト教ガチ勢だと「はじめに神は平日6日間で世界を作り、日曜はカレンダー通りに休むことにした」からスタートでしょ?
日本だとこのタイプはウルトラマイナーだから『国によって違う』と皆認識してるけど、実際には宗派によるものだよね?
キリストガチ勢系の国であっても世界誕生が自然由来という教科書はあるだろうしさ。
その辺みんな生理きてるの?
冒頭に「悲しくなった」と書いてるから、文字通り読めば悲しみを表明してる文章なんだろうが、イライラ感はにじみ出てるよね
別れて「また会いましょう」って何?私程度の女なら好きになると思われてるのかな?
相手への苛立ちを露わにして書いたら共感が得られないと思って、書き出しは抑えめにしたけど、言葉に出しているうちにだんだん腹立たしさが抑えきれなくなったってとこだろうな
まず私のプロフィールを明かしておく。
大学院生。社会学と文学のあいの子みたいな分野で、とくにジェンダーとかセクシュアリティとかそういう事を学んでいる。
映画は学部時代に少しかじった程度で、評価はB+だった。だから的外れなことも言うかもしれない。すみません。
匿名なのでもっと書くと、同性愛者で、SMの実践者で、フィクトセクシュアルに片足つっこんでいるので、わりとどの界隈でも少しなじめない気持ちになりがち。
「映画としてはちょっと……」というような意見が主にアカデミックや評論の場で散見される。
これは分からないでもない。ちなみにここでは個人攻撃みたいにするつもりはないので、引用は特に必要でない限りはしない。
「すげえ! マリオってこういう解釈ができるんだ!」みたいな「新しいもの」はなかった。しかし、「マリオの映画といえばこういうのが見たいよね」という「見たいもの」が詰め込まれており、「新しいもの」を入れる余地は90分にはないように思われる。
メディアミックス映画としては一つの模範解答であり、文句なしの一級品といってもいいかもしれない。面白い映画といい映画は別だが、以下では「いい映画」(いい映画って何すか?)としての切り口を見てみたい。
ゲームをアニメとしたら、キャラクターの解像度や物語の運び方だけでなく、どのようにゲームの快感が写し取られているかが重要ポイントに思う。
マリオのゲーム体験を思い返すと、快感は大きく二つに分けられる。
「スーパーマリオブラザーズ」ならステージクリアのタスク消化に似た快感。
「スーパーマリオ64」に連なる「箱庭マリオ」なら新しいマップを開いていく探索の快感。
マリオシリーズだけでなくゲームの快感はむしろこの二者に共通する「試行する」快楽が大きいのではないか。
私はといえば、ゲームが苦手だった。
クリボーに激突する。穴に落ちる。ドッスンに潰される。空から落ちる。燃やされる。溺れる。
我ながらヘタクソなプレイである。しかし、プレイを重ねると、一つ一つそれらを回避なり消化できる。そこにゲーム的快感がある。
翻って「映画マリオ」に戻る。キノコ王国に迷い込んだマリオは、ピーチ姫の旅についていくためにゲームばりのアスレチックに挑むわけだが、このプレイングも経験者ならば笑ってしまうほど失敗に満ちている。そしてその分だけマリオは「試行」を試すことになる。
アスレチックだけでなく、ドンキーコング戦、クッパ戦と繰り返し作中で強調される「諦めの悪さ」が導くゲーム的快楽とはこのような「試行」の快楽が適切だろう。
文学研究者の藤田直哉は上記のようなことも含めて、「物足りなさ」を指摘している。
https://twitter.com/naoya_fujita/status/1655397557198278662
ここは鑑賞者のバックボーンも関わってくるのかもしれない。
周回前提のゲーム「ドキドキ文芸部」「UnderTale」「シュタインズ・ゲート」の記憶が私にはすごく強くあるし、マリオシリーズから距離を取っていたので(ここまで多くの作品に触れたわけでもない)、試行錯誤性は面白く観た。
また、勉強不足と笑われそうだが、3Dの映像で2Dのフィールドを表現する映像も、私としては十分に真新しいものだった。
「反ポリコレ」とか、「ジェンダーから距離を取っている」いう話も聞く。
しかし私はそうは思わない。LGBTと「マリオ」作品群の関わりは以下のコラムに詳しいため、これ以上は言及しないが、さらに男性性との関わりについて分析する。
https://cinemandrake.com/pokemon-musashi-kojiro-lgbtq
こちらも藤田直哉の評を引用する。私のマリオ映画への評価は彼とは異なるが、この評と私の見解は一致している。
https://twitter.com/naoya_fujita/status/1656110486713434113
クッパは名誉と所有、暴力を原理においたキャラクターであり、婚姻と幸せを直結させる家父長制を背負った男である。
ピーチ姫に対し無茶な論理で婚姻を迫ったり、彼女の知人も含めた囚人を婚姻の犠牲として殺そうとしたり、人の論理の届かない人外らしさが映画における彼の輝かしい魅力でもあることは間違いないが、それは悪しき男性性の発露でもある。
この「有害な男性性」を退けることを軸にマリオ映画を見てみると、マリオは退けた先に何を得たのか。
それは物語のラストが示すように、ピーチ姫ではない(ピーチ姫とマリオとの恋愛の成就がほのめかされてはいる。しかし、ほのめかされていることと明らかであることは違う)。
マリオはゲームにおいてプレイヤーの分身であり、あまり感情を発露しない。
葛藤もあまり読み取れず、さらわれたピーチ姫を取り返すため、躊躇いなく絵画に入ったり火山に行ったり宇宙に行ったりしているように見える。
しかしマリオ映画においては、夢を追う自信のなさげな男として描かれる。
イタリア系アメリカ人の家庭で育ち、家族仲はおそらく悪くないが、「父親に認められたことがない」ということが恐らく影を落としていて、自分のやりたいことと、父親に認められたいという二つの想いが両立できていない。
そしてマリオは映画の終わりに藤田のいうところの「有害な男性性」の発露であるクッパを倒し、父親からの承認を得ることとなる。
婚姻に大きな意味をおく家父長制の権化を倒した先に、父という家父長に認められるというメビウスの輪的な権力のねじれについて、私はまだうまく説明ができない。こういう嫌な書き方をすることで、妙な引っ掛かりを表明するしかできない。
その是非について何か言いたいわけではない。
現実では家父長制や異性愛規範や同性愛差別やトランス差別や人種差別が吹き荒れている。そのような不均衡な権力は改められるべきだし、悪しき男性性とは決別すべきである。
その是非についても何か言いたいわけではない。
ここまでが建前。
「家父長制の権化」と表現したけれど、理屈の通じない愛情を持て余す魔王クッパが大好きだ。
本気で惹かれると言っていい。
そして彼は多くの部下に愛されながらも、彼の愛はどこにもたどり着かない。
槇原敬之の「軒下のモンスター」から「いっそ妖怪にでもなって 君を軒下からただ見ていたい」を引いてもいい。
三島由紀夫の「仮面の告白」から「お前は人間ではないのだ。お前は人交わりのならない身だ。お前は人間ならぬ何か奇妙に悲しい生き物だ」を引いてもいい。
ピアノを弾きながら「ピーチピーチピチピチピーチ」とか歌ってる彼のカットでは劇場で笑い声が起きた。
「悪しき男性性」の回路ではもう誰かと心を交わしあうことはない。ピーチが振り向くことはない。彼の歌うラブソングは哀愁に満ちて、あるいは滑稽かもしれない。
私も笑った。でもぶっちゃけ泣きそうにもなった。
今ギリギリこの男を笑って愛でながら見られるくらいには私もマジョリティにいられてるんだろうけど、こういうジェンダーやクィアの批評は規範を可視化させ内破する営みであって、次に生み出される新しい規範にいられなくなったら、次は私が笑われる番なのだ。
本当は、弱者はクッパの方なのかもしれない。でも私は彼にあまりに感情移入しているから歪んだ読みをしているのだろう。
お前の横暴さも、報われなさも、情けなさも、関われなさも好きだぜ。ほんとに。
最近のAVを見てると女優が当たり前のように男優のアナルを舐めている。
大概の女優が当たり前のように舌をねじ込むかのような勢いでアナルをベロベロ舐めましている。
自身の印象だと、年々アナル舐めが当たり前のプレイのように変わってきた印象がある。
アナル舐めされるのが好きなのでお願いすると、自身の経験ではほとんどの嬢がやってくれた。
これは業種や価格帯にもよるだろうが。
ではAV女優でもなく風俗嬢でもない女性の中でアナル舐めはどこまで普及しているんだろうか。
自身の経験だと3人にお願いしてOKしてくれたのは1人だけだった。
AVによりこれまで変態的なプレイと思われていたものが一般的に普及していったという過去がある。フェラチオやクンニがそれだ。
炎上中のカフェの件だが、法律・ルールのそもそも論の話をするとカフェ側が圧倒的に不利な立場のようだ
世論と感情論で自分らのワガママを通そうとしている状況であることが見えたきた
ツイッターで拡散される告発系マンガっていつもこういうオチばかりだよな
本来非がある立場の人間が、都合の悪い事実を隠して相手方を悪者にして
頭が悪いやつを大量に釣ってネット世論を燃え上がらせて譲歩を引き出すというやり口だ
しかし本来自分9に対して相手1ぐらいの過失に対して、過大な要求をねじ込もうというやり口はまるでヤクザだ
マンガに煽られて事実確認もしないまま炎上に加担するバカは、バカすぎるのでマンガしか読めない
マンガが読めるので多少はマシなバカかもしれないが文章は読めないのでマンガを言い分を鵜呑みにしてしまう
近頃はサヨク界隈が事実歪曲マンガを書いて世論を煽るという手口を覚えたので、
SNSに流れてくる告発系マンガを見かけたら本当は書いてる奴に非があるので叩かれてる相手を擁護するというポジション取りをしていこうと思う
なんとなくA君の気持ちが分かる
言語化できるかどうかは別として、彼は自分が「持ってない側」だと分かってる
恐らく成績は良くないし、スポーツも苦手。身長もそんなに高くないし、顔もあんまり良くない。もちろんコミュも苦手。全体的に要領が悪いんだ
だから劣等感にさいなまれて、でもプライドを守るために努力しなくてもできる告げ口やどうでもいい意見アピールで辛うじて自分を守ってる。そうすれば少なくとも先生は褒めてくれるから
そうやってねじ曲がったプライドが、「自分の失敗を他人にフォローされる」ことを拒否したんだろう
自分はできない奴なんかじゃない。自分はかわいそうな奴なんかじゃない。だからフォローはいらない。それを受け取ってしまえば、自分ができない奴、かわいそうなやつだと認めることになる
でも本心では自分ができないやつだって分かってるし、変なこと言ってるのも分かってる。にっちもさっちもいかなくなって、泣き出してしまったんだろう
女性専用車両に始まり、本来能力で決められるべき地位も「女性」という理由で解体し、無理やりねじ込んできた
仕事という男性の場所を壊しつつ、家庭には決して介入させない。そういうことを繰り返して来たわけだよね
それでLGBTが風呂に入ったりトイレに入ったりするだけで、「女性の居場所が!」とかギャーギャーいうのおかしい
いままで男性が明け渡して来たように、女も明け渡すべきでしょ。それが社会ってもの。
数年前なら俺もLGBTに反対していたけれど、
お前の押入れ、何入ってる?
「自分の押入れだから、自分のものだけ入ってて何が悪い」って思うだろう。
じゃあ、同居家族の押入れって何入ってる?
広い家で押入れたくさんあります!パントリーも広々、脚立とかは庭の倉庫に入れられます⭐︎って家で、それぞれの押入れにはそれぞれの荷物だけで大丈夫なんです⭐︎ってご家庭はいいんだ。100%使ってもらって。
お前の家の押入れはそんなに広いか?一回見直してみろよ…!!!
って家の人に思ってるって言う愚痴。
寝室に押し入れが大小一つあるんだけど、相手が「荷物多いから大きいほう使いたい」と言うので明け渡した。
結果、相手の押入れには着ない服がぎっしり。何入ってるか思い出せない書類(この辺りは実家を引き払ってて思い出の品を持ってきてるので仕方ないが)でパンパン。
一方で私の押入れは来客用布団や脚立、防災バッグを入れた上で私物を入れてる。
私のベッドの下は圧縮袋を使って毛布をねじ込んでるし、ベッドと壁の隙間に加湿器とかこたつとかをしまってる。
その代わりに私の書籍類や趣味のものがしまえないので、できるだけ目立たないところに平積みにしてる。
のに!
私が新しい本や趣味のものを買うと「片付けられないのに増やして」と言われる。
お前の着てない服捨てたらこたつも加湿器も全部押入れに入るんだよ!!!!時々勝手に押入れ整理(服たたみ直してギチギチに詰めたり)して隙間に荷物ねじ込んでるけど気付いてないし。そして、使った後は元の場所に入らないって外に出しちゃうし。
文句言いまくってるけど、あんまりピンときてないぽい。てか、来客用布団はお前の親類のために買ったやつだったはずだけど?
人の押入れは気軽に開くものではないけどさー、同じ空間使ってるわけだし、家の備品がどこにしまわれてるかくらい気にしてくれよ。
業界や会社を変えてもあまり変わらないことで悩んでいたのに気づいた。
・同僚にクソがいること
・取引先との調整がブルシットなこと
でもこれはどこで何をしても変わらない。
時間に追われているせいでセルフチェックもままならずプロとしての完璧な仕事が出来ずに後出しを繰り返してしまうのは俺だって変わらん。
人間性の合わないカス、怯えてプルプルしてるのがコミュニケーションの基本になっている泣き虫や、田舎のヤンキーみたいに人を脅していい方に動かすことが人生の根幹になってる無法者、そんなのはどこにも多かれ少なかれいる。
まあ書類を通すラインにいるのは確かなんだが、自分の直属が以下に恵まれているかを毎週確認できるというのも悪くないのかも知れん。
この3つが辛すぎて今の仕事に興味を失ってたけど、よくよく考えるとクソみたいな事務処理のためにクソ野郎と調整するのが辛いだけで、そこを除いた仕事はそこまで嫌いでもないんだよな。
単にクソどもが自分の好き嫌いをねじ仕事に込むために積み上げた自社含めた各社のクソ社内ルールに合わせてヌルヌルと提出書類やデータの構造を弄り回したり色んな言い訳を付け加えてやらないといけないのが、なんの生産性も感じないクソワークすぎて自分たちがこの人間社会に捧げている時間がただただゴミになり続けていることに泣きそうになるだけだ。
だって少なくとも取引先の社内ルールがどこもクソったれなのはやり取りしてるだけでわかってしまうんだもの。
外資も外資で謎ルール好きっぽいしなあうちと取引してる所がたまたまおかしいだけかもだが。
それを抜きにして考えたとき、確かにもっといい職場はあると思う。
でもそれはガチャを何度回すことになるのかだ。
転職直後は新しい村の風土に慣れるためにエネルギーを使う必要があるからやたら疲れる割に成長は止まりがちだ。
https://togetter.com/li/2142288
ピーマンの肉詰め作って「こんなの」呼ばわりされたら、そりゃ作った側は辛い。
これは確実に言える事だけど、食べ物の好き嫌いは少ない方が絶対に良い。
単に栄養バランスがどうのという話だけではなく、人間関係の構築にも大きく影響するからだ。
冠婚葬祭に加え、なんらかの交渉を行う立場になれば会食の機会なんて腐るほどある。
食事を共にするという行為は、例え言葉が通じない相手であっても一定の信頼関係の構築に繋がるからだ。
「時代遅れだ」「価値観のアップデートが足りない」と言ったところで、会食というコミュニケーション手段の効果はそうそう変わらない。
もてなしとして出された食事に、特別な理由も無しに一切手を付けないという事はどう繕っても相手に失礼な行いだ。
友人関係の構築でも好き嫌いが少なく食事の選択肢に困らない人と、好き嫌いが多く「あれはダメ、これも嫌」と注文の多い人とではどちらが付き合いやすいか自明だろう。
もちろん好き嫌いがあっても我慢して食べられるなら、その場その場はなんとかなる。
とはいえ好き嫌いが多い人にとっての会食は、例えるなら慣れてないのに虫やら蛇やらモルモットの丸焼きやらを食べさせられる様なものだろうから、どうしたってストレスを感じる機会が増えてしまうだろう。
好き嫌いが少なく楽しめる食事の選択肢が多い人ほど、人生楽に過ごしやすいと思う。
だから親心として子供の好き嫌いを少なくしたいってのは分かるんだよね。
ただ子供の頃の味覚と大人になってからの味覚ってかなり変わる。
おれだって昔は全然ダメだった、「ふき」や「つわ」を食べられるようになってきたもん。
ピーマンにしたって子供の頃は全然ダメだったのに、大人になったら普通に美味いって人も結構いるしね。
子供の事だからって親が全部コントロールしなきゃいけないって訳じゃないし、むしろ子供を制御下に置こうとし過ぎる事が虐待に繋がったりする。
子供の味の好みも千差万別で、一概にこれが正しいと言える訳でもない。
ピーマンの肉詰めが苦手なのに、生のピーマンに鶏つくねをねじ込んだやつはバクバク食べる子もいるくらいだ(長く加熱して食感がふにゃふにゃになったピーマンが苦手らしい)。
食育だのと言われる様になって久しいが、子供自身が栄養バランスとか考えられるくらいの年齢になるまではあんまり気にしなくてもいいんじゃないかと思う。
それからブコメで虐待だなんだって言ってる人が居るけど、この程度の愚痴で虐待認定するのは流石にどうかと思う。
なるほどそれはそうなのかもな
そこまでは言ってないんだが
結局、君が書いてるように差別にどつき返す胆力が必要だったりして全部満点のとこなんてないんだから、(ツリーでの自分のおおもとの主張は)社会見学で現地みてこいよっていう話だよ
いまどきすぐ海外なんていけるんだから行ってみて体感すればいろいろわかるものもあるだろ
いまは現状認識さえできてそうな気がしなくてそれ以前の問題っていう
ツリーのだいぶ前に書いたけど日本の育児政策がゴミというのは俺も同意するところだし、そこだけ書いてあれば同意して終わりだったけど、海外は理想郷です日本には差別上等低知能のサルしかいませんがみたいに言われると、
いやそれは違うんじゃねじゃぁ本場を見てこいよ今時すぐ海外なんて行けるやろっていう気持ちになるってだけ
何かメリットがあれば表裏一体でデメリットは出てくるものだし、理想郷の理想の話だけ切り取られてもいや全体でみればそんな理想郷ないんだがとしか思えないわ
産んだ人間だが男性助産師絶対ヤダの感覚が全然わからないし男性ってだけで無理無理言ってるママ共ぶっちゃけキショいな〜〜〜〜て思ってるTwitterでママ垢やってる増田です。
名誉男性って言われるんだろハイハイそう思いたい奴はそう思っといたらいいよ。
助産師の仕事直接目の当たりにしてんなら当たり前に分かる筈なんだがあんなキツい仕事そうないでしょ。訴訟リスクやばいし体力使うし「お客様」は人生でMAXに気が立ってる奴らで。自分なら年収1億円でも絶対やりたくないね。
そんな仕事をマンコ合法的にいじりてぇ〜とか若い女の乳首いじりてぇ〜ウンコ出てるとこ見てぇ〜て思って続けられるってそれどんだけ強靭な性癖なんだよ。それを仮にリターンと思って仕事してるとしてもだよ、そのためにかける苦労がデカすぎるだろ。イメクラとかやった方が絶対コスパいいでしょ。
男性ってだけで上記みたいな奴と思われる助産師がいたら気の毒すぎると思うんだが?
自分だってなぁ助産師にそりゃ身体弄られたよ。マンコに手入れられるし指で膣の奥グリィ!てやられて「まだ硬いですね〜」「やわらかくなってきましたよ〜がんばって〜」とか言われたしさ身体の上に乗られたり、ケツ穴も腰もバンバン触られるし、下半身丸出しでウンコも出たし爆音のおならも聞かれたしさ(男性医師もいる中)
マッサージでもそりゃギャンギャンに乳房触られたし、乳首乳輪も世間一般の産婦と同じようにグイーーン!バキバキバキバキ!てギャグ漫画みたいにねじり弄り倒されたよ。
マンコから出る様々な体液の話も普通に聞かれたし答えたよ。でもそれをさぁ男の人にやられたらもっと傷つくかってそんなもんで傷つかねぇよ。
私のときの助産師さんはたまたま女性だったけど膣奥指でグリィ!は男性にされたこともある。産婦人科医は最初から最後まで男性だった。自分は4人の男性にマンコ見られてるよハッハッハ。
でもそんなもんどっちでもいいわ。向こうも真面目にやってんだから。逆に医療従事者ってすげぇと思ったよ。
自分もさぁお客さんの持ち物とか弄らせてもらう仕事してて、まぁ実際は全然違うモンだけど例えていうならAV満載のHDDやハメ撮りデータ入ってるビデオカメラとか、そういうお客さんからしたら弄られたくないレベルのもん弄る時もあるんだけど弄る人間は内容に関してはマジで無感情なわけ。そんなちゃらんぽらんな方向に意識向かないんだわ。仕事だから。
だから属性だけで気持ち悪い無理無理無理て言うやつ何様のつもりなんだよって腹立つよな。逆に貴女の方が助産師を性的な目線を少しおっ被せて過剰反応してんじゃねぇの〜キショ、て思ってしまう。
まぁ女性助産師に触られるのも嫌でした…てお気持ちはそうかいそうかいそりゃ大変だったなぁとも思わないでもないがそも彼女達は触るのが仕事なんだから「嫌でした…」て思われる助産師からしたらじゃあどうしたらいいんだよって話だよね。
.
一番腹立つのは時々報道される、仕事中にガチで性癖満たそうとして逮捕された奴。強靭な性癖持ちでさぞ苦労されたことでしょう。かわいそうですね。最初から生まれなかったら良かったのにね。