はてなキーワード: 女子高生とは
それはお風呂に入らないこと。
お風呂に入らないことは普通は不衛生でよくないこととされて忌避されています。
ですが最近の若い子たちの間ではお風呂に入らないことが良しとされているのです。
それはいったい何故なのでしょうか?
お風呂に入らない女の子に一家言を持つオタクに聞いて見ました。
嘘偽りのない本音を聞けました。
「従来はお風呂に入らない不衛生なことはカードゲームを嗜む男性らしさとされていました。しかしこれは女性は身綺麗でなければならない、男性はそれを行わなくても良いとする性差別です。なので、お風呂に入らない不衛生さは男性だけのものじゃない、女性も汚く臭くあって良いのだ、そういう若い世代の非常に前向きな活動を応援したいです。私たちの会は応援のために、女性限定のトレーディングカードゲームの大会を開くことで、お風呂に入らない女性が集まる場を作っています」
なるほど、私も無意識のうちに男性は臭い、女性は良い匂いがするという差別をしていたかもしれません。
女性も臭くていい、衛生的でなくていい、無駄毛を剃らなくていい、そういう価値観を学ぶことができました。
「いや無駄毛は剃れよ」
剃りません。
「脇毛とか陰毛とかは無駄じゃないから良いけど、足毛腕毛の類はちょっと違うかなあって」
一緒です。
そもそも、オタクの性的興奮のためにお風呂に入らないわけじゃないので、関係ないですから、あなたが理解できるとかできないとか。
そうでなくやりたいけど出来ないのであれば一緒にやれる方法を協力して模索したいです。
僕は無駄毛ボーボーで風呂に入ってない不衛生で臭い女性の方が好きなので、僕のためにそうして欲しいです」
きんもー。オタク君一人に好かれても嬉しくないのでどうでもいいです。
以上、洗髪はした方がいいと思いました。
もうすぐ誕生日を迎えて33歳が終わるので、いい機会だと思って平成初期生まれである自分のロマンス観の奥底に眠る作品について、水面まで引っ張り上げて雑語りしてみた。なお性別は男。
GL:これ
ガールズラブと項目を立てておいてなんだけど、実は未だによくわからない概念(もしかして期待して読みに来たかもしれない人がいたらゴメンなさい)。とりあえず自分のステートオブジアートとして率直な気持ちを残したいと思う。
BLの方で書いたように、筆者は昔からティーン向けの少女漫画や少女小説を摂取していたので、(少)女同士の関係性は友情(たまに愛憎)のものとしてプリセットされていた。なので女と女の距離が近くても「ああそういう感情ね」として頭の中の知っている感覚にラベルを振り分けていた。そこに特別な名前を付けることはなかった。ただ「友情・親愛」と。
その後、オタクとして成長すると共に、だんだんと百合という概念が男オタクの間に伸長してきたが、百合市場が出来上がるのを横目に眺めるだけで、自分自身がどうこうということはなかった。
覚えている限りだと、高校生の時(2006年くらい?)にオタク同級生の間で少女同士の関係性を題材にした漫画だったかラノベが友人の男オタクの間で流行っていたと思う。なんだっけ……4コマ漫画で……メガネの女子の眼の前で授業机の中から大量の煮凝りがぬぽって落ちるシーンだけは覚えているんだけど……。当時は百合という言葉は使っていなかった気がするけど、可愛い女の子同士がいちゃいちゃしているのがいいんだ、みたいなことを言っていた気がする。自分はそれに対して、特に思う感情はなかった。いや、逆に今更?という感情だったかも。なぜならば既にその場所は訪れたことがあったから。
自分が初めて少女同士の恋愛にも似た感情のやりとりを意識したのは、小説だった。図書館で借りてきたとある作家の小説で読んだS(エス)といううら若き乙女同士の関係。女学校に通う少女同士の疑似恋愛。そこにあったのは上辺は花畑を舞う蝶のように煌めき美しいが、内側に潜ると内蔵のようなヌメついた湿った感情だった。疑似恋愛、嫉妬、そして混じる疑似ではない気持ち。
そんな作品を読んできていたので、かわいい子とかわいい子がかわいいことをしている、みたいな作品に喜んでいるオタ友がどうにも幼く見えてしかたがなかった。
そうして百合とかGLとはあまり仲良くないまま、女同士の関係は友情というフォルダに入れて今の年齢まできたのだけど…………ただ……心の中で唯一引っかかっている、消化できなかった少女同士の関係があった(過去形)。それが恩田陸の小説「蛇行する川のほとり」に出てくる若い女子高生二人の関係性だ。
タイトル | 蛇行する川のほとり |
作者 | 恩田陸 |
本作は、高校美術部に所属する女子部員たちが、野外音楽堂で行う演劇の背景美術を仕上げるために夏休みに川のほとりにある合宿を行うというシーンから始まる。(一応)主人公の毬子は憧れの美術部の先輩である香澄さんに合宿に誘われ、有頂天で彼女が主催する合宿に参加する。本来ならば年頃の少女たちの楽しいお泊り会となるはずだったのだが、香澄さんをはじめとする他の参加者は、彼女に何かを企んでいるような、隠しているような態度を取る。次第にただの楽しい合宿ではないことが分かってきたころ、毬子本人が忘れていた幼い頃にあった事件が浮かび上がり彼女の過去を照らしてくる。そして過去を失い、少女は大人になる。
本作のあとがきで、作者の恩田陸は「私が感じていた『少女たち』を封じ込めたいと想って書いた」と記している。その言葉の通り、本作には様々な「少女」が登場する。まだ大人と子供の奇跡の狭間をうつろう毬子、過去を持たない完成された香澄、彼女の相棒で天才肌の絵描き芳野、一足先に大人へと羽化した真魚子。4つの章を通じて彼女たちは多様な顔を見せる。無垢でいながらも自分でも把握していない秘密を握っている毬子、どこまでも独立して半身の芳野にすら内心を明かさない香澄、優れた美術家の観察眼で本質を見抜きながらも最も大切な自分の中の香澄への気持ちに気付いていない芳野、そしてとある事件がきっかけでその輪に無理やり入れられた真魚子(まおこ)。章ごとに語り手が代わり、一つの側面の形質は、語り手へと姿を変えてると主観となる。
本作には、登場人物のうちに公式に女女カップルと呼べる組み合わせが存在する。香澄と芳野だ。常に二人で行動し、二人で一日を過ごし、どこでも二人の世界を作る。互いに互いを引き立て合うようなお似合いの二人。しかし二人は望んで一緒にいるわけではない。過去を共有してしまって、もはや離れられないのだ。お互いに過去という鎖を結びあってしまったと言っても良い。しかし、少なくとも芳野の方は、共に鎖を結びあった相手が香澄で良かったと思っている。
門外漢の自分が考えるに、多分世の中のGL?百合?好きは、芳野編を大いに好むと思う。そこで繰り広げられるのは、互いに誰よりも近く、親密で、そしてお互いに内面の99%まで理解しているのに、その残りの1%が、相手への愛が本当にそこにあるのか分からないという愛の物語だ。芳野編の、今まで無意識に避けてきた香澄の肖像画を描くことで、自分の中の気持ちを形作るという展開はとても美しいものがあると思う。
ただ、自分はこの二人の関係性は処理出来ていた、と思う。友情、親愛、そして強い愛情と。自分が最も咀嚼できなかったのはもう一つの組み合わせ、毬子と真魚子の方だった。
同級生の中でも子供っぽい毬子と、級友に先駆け一足先に大人になってしまった真魚子。恋愛面でもお子様な毬子と既に大学生の恋人がいる真魚子。正反対の二人は対極に位置するからか、親友同士であった。香澄と芳野という二人と比べると、一生離れずに共にある彼女たちに対し、高校生の間は親友でも卒業したら普通に進路が離れ疎遠になり、それでもたまに会ってお茶をする、というような関係だろう。仲良しで大好きだけど、互いに混じり合う程に近いわけでもなく、恋人よりも好きというわけでもない。そう、それだけなら十分に理解できたんだ。
物語の後半、とある事情により毬子の代わりに真魚子が合宿に参加することになる。自分が一番よくわからなかったのがそこだった。毬子が事情により参加できなくなるのは分かる、でもあんな事態になったとは言え、真魚子が嫌っていた香澄たちのところに単身乗り込むようなことをするのか、と。だって毬子と異なり彼女にはなんにも過去の事件に因縁が無い。だからいくら毬子に頼まれたからって、わざわざ事態を究明するために乗り込む必要はなく、ほとぼりが冷めるまで、物語が閉じるまで放っておけばいい。しかし、彼女は乗り込んだのだ。
この機序がずっと咀嚼できていなかったのだけど、最近、もしかし自分の考えは順序が逆であるかもしれないと気が付いた。頼みを受けて乗り込まねばならないほど、本当は彼女にとって、親友は本当に大切な存在だったのだ、と。誰よりも冷静で頭が切れる真魚子であっても、いや毬子の親友の彼女だからこそ動かざるを得なかったのだと。その時、すとん、と腑に落ちた音がした気がした。
香澄と芳野の唯一無二の分かち難い強固な結びつきとはまた違った、同級生の親友というどこにでもある女子高生の毬子と真魚子の結びつきも、それはそれで一つの思春期の素朴な輝かしい感情の頂点なのだと。
こういうのって複数からの証言がある方が全体として説得力が増すと思うので便乗。
そのとおり。若い人は普通にスタバとか(あとコメダとか)行くよね。
岡崎や豊田にも良店はあるが本場というとどっちかというと稲沢、一宮あたりじゃないか?
そもそもモーニングのガチ本場は実は岐阜なので、岐阜に近い方がガチ度が高い。
パンに付ける以外特異な点はないと思っている
そのとおり。自分で塗るという手順がなんか特異なだけ。
だいたい「小倉トースト」自体は名古屋発祥とされているが、関東圏にもあんバターとして普通に進出してるやん。
名古屋駅にかぎらず昔から名古屋近辺の駅そばは「うどん・そば・きしめん」から選ぶスタイルで定着しており、絶滅の危機に瀕したことなどない
そのとおり。「きしめん屋」と名乗っている店が元々少ないだけ。
発祥は岐阜らしいですね。うどん屋で温・冷を選べる場合、冷のかわりに「ころ」と書かれていることがあり予備知識がなければ全くわからないと思う
どうでも良い話ではあるが、店(店員)によって「ころ」がたまに通じないことがあるので、メニューどおりの呼び方で注文する方がいいぞ。
袋麺(乾麺)のスガキヤ味噌煮込みうどん5食入りは何気に非名古屋圏民へのお手軽なお土産として、あげると喜ばれるぞ。
何となくだが2~3カ月に一回くらいの頻度で自宅で味噌煮込みうどんを食べてるご家庭が多いイメージ。
個人的には外食でまで食おうと思う料理ではないが、年配の人が時々「味噌煮込みうどんを食いに行くぞ!」と言い出しがちなので、そういう時だけ外でも食う。
せやな。ただし店舗によってカレーを出汁で割った汁の場合とカレーをぶっかけてる場合とがあり、意外と店ごとの独自性があったりする。
名古屋圏の料理教室では、実はあんかけスパゲティの作り方を教えられるのよ。
つっても家庭料理としてのあんかけスパゲティは要するにスープというかソース部分に片栗粉でとろみをつけてあるだけっちゃだけなので、そんなゲテモノ料理ではない。
ご家庭によっては、ナカモの「つけてみそかけてみそ」が常備してあり、家でとんかつを食う時に味噌カツにしたければぶっかけて食えという位置づけ。
なんか非名古屋圏民で一部誤解してる人がいるように見受けられるが、味噌カツの味噌っていうのは味噌ベースのタレであって味噌そのものではない。
風来坊の方がスパイシーなので酒飲みは風来坊の方を好むイメージ。
一部「デカいエビフライ」を売りにしてる店(まるは食堂とか)があるので、そこに行くとなんか食わなきゃいけないような気にはなるが、その程度。
スーパーの揚げ物総菜コーナーにほぼ必ずあるので、なんかそれなりに食ってるような気もする。特に有難がってるとかはない。
地味に廃れてきてる気がする。
でも名古屋から新幹線で遠出する時に地雷也の天むす買って車内で食う人がなんとなく多いイメージ。
そのとおり。
迷うというか、値上がりしたとは言えまだ安いし、キッズメニューとソフトクリームがあるので、小さな子供連れの家庭がなんかフードコートで食うとなるとスガキヤになりがち。
夕方とかだと女子高生が集団でいたりする程度には地元民にごく普通に使われている。
すごい美味いとは思わないけどあの値段であのクオリティは実はけっこうすごいよ、スガキヤ。
そのとおり。存在だけは知ってるが行ったことないという人が何気に多い。
お土産品としての格付けが高い扱いをされているのでビジネスシーンとか冠婚葬祭で意外と使われている。
メニューにあるというか、汁を提供してくれるのでうな丼をひつまぶしにして食うこともできるよ、という店が多くないか?
言わんとすることは分かる
大きなマンションで最近は挨拶は控える動きがあるのはまさに満員電車と一緒なんだよな
母数を大きくなると挨拶の意味合いが変わり貴方に興味があります表明になる
おっさんが近所の女子高生に挨拶なぞしたら露骨に事案になるからな
なんかタイムラインでフェミニズムみたいな人たちが痴漢の話してて、別に詳細は見てないんだけどふーんと思ってて
女子高生だった頃もめちゃくちゃ陰キャでブスだったと思うんだけど、そういう人間でも電車で痴漢とかされたことあってそれを思い出したんだけど、
こんなことどこにも書けないから書く
冬だったから痴漢がコートを手にかけてて、それを隠れ蓑?にして下半身とか触られたんだよね
なんか痴漢に対して示談?とかにして金もらったわ、みたいな他校の女子の話を聴いたりしてたから、よっしゃワイも示談金ゲットやと思ったんだけど、
よく見たらその人の薬指に指輪が見えたんだよ
女子高生から見ておじさんだったから、今思えば40歳ぐらいなのかね、わかんないけど
当時痴漢免罪で人生がぐちゃぐちゃになったおじさんの話とか見てたからそっちも思い出して、
今陰キャでブスの私がこのおじさんを駅員さんとかに突き出したら、さしたる証拠もないのに(触られてたとは思うし、目も合ったけど、いかんせん確証がない)
あの時のおじさん、私からしたら見逃してやったのに近いので「あの時助けていただいた痴漢です」って私が困った時に恩返しに来てくれればよかったのに
まあ助けてないからいいのか…
いまこれ書いててもう一個思い出したんだけど3.11のときも痴漢にあったな
なんか都会の駅にいて、夜だったかな、電車が動くっていうんでその時遊んでた友達何人かと移動するとき
ぎゅーってすし詰めの電車の中で当然友達とばらばらになっちゃって、降りる駅だけ確認してじゃあそこで降りよう!あとで!って感じになったとき
たぶん後ろから下半身触られたんだよね 生理だったからナプキン敷いてて局部は触れなかったと思うけど
何の話なんだろうなこれ…極限状態でも痴漢する人っているんだな、極限状態だからかな
あとこの間も痴漢にあった気がする
気がする、っていうのはなんかちょっと確証持てないんだけど多分局部を腰にずっと押し付けられてたと思う
何の服着てたかは忘れたけど、え〜〜〜こんな陰キャの三十路女に痴漢すんのこの人と思ってしまった
降りる時にちらっと見たけど、ペットボトルが当たってた〜とかではないのでなんだったんだろう 人間の真ん中にあって骨っぽい感触のものある?
(いま思えばフンフン息の音が聞こえたぐらいだけど、本当に確証がもてない 触られたわけじゃないからこれは私の自意識過剰かもしれない)
中学生ぐらいの頃に初めて痴漢にあって、当時は驚いたけど今はどちらかというと「怖い」になったよ
ファンサイトを作って絵を公開した。毎日更新も苦じゃなかった。
社会人になって結婚して子供も出来たらそんな余裕はなくなった。
でも、なんとなくまた描きたくて一次創作を描いて公開。
ページ数は数百まで行った。大変さはあったが楽しさがあったので自然とついてきた結果だった。
読者は多くはないがまあ読んでもらえてると思う。感想米もちらほら来るし。うん。
大衆に受けるネタを考えて書けばまぁ、読んでもらえるだろと考えた。
ぜーーーーーーんぜん描く気が起きない
もうね、描いてて全然楽しくないってのがわかってるから全然描く気起きない。話は考えたけどそこてストップ
やっぱり自分の好み全乗りじゃないと描く気起きないんだわ〜!
うえええんお小遣い欲しいけど書きたくないよう!主婦ウケ狙いのドロドロとかやだ!読むのはいいけど普通のおばさんおじさん書いても楽しくないやい!かわいい女子高生とイケメン男子描きたいんごおおおお
この駅って周りに高校がめっちゃあるんだけど、それと比較するとオフィス街があるわけではないから、平日の朝は学生8割その他の一般サラリーマンが2割みたいなわけ。(西武新宿線の本川越駅も近いので、乗り換えの需要もある)
それで、駅も古くて小っちゃくてさ、階段とか通路もめっちゃ狭い。朝電車から降りるたびに、改札までの通路で周りを女子高生に囲まれるんだよね。
それがもう辛い。自分みたいな男がいることが恥ずかしい気持ちになる。
例えば階段とか、盗撮を疑われないようにスマートフォンとか手で持たないようにしてるし、極力体が触れないようにすごい気を使ってる。
でも毎朝毎朝そんな学生たちに囲まれてる自分が大変惨めな気分になる。
なんだろう、例えるなら「スイミー」みたいな感覚。なんか学生の中に一人だけエラーが混じってる感じ。
ここにいちゃいけない人がいるみたいな感じ。
周りみんな高校生ばっかなのに、どうしてここにいるの?みたいな。
別に周辺に高校しかなくて毎朝学生でごった返す駅なんて全国にいくらでもあるだろって感じだけど、とにかく本当にしんどい。
持田孝
・37歳の時に家出女子高生(16)と関係を持った後、家に帰りたいと言い出した女子高生を殺害し懲役10年
・さらに「レ●プしたことを言いふらされたくなかったら金を持って来い」と脅迫→金を受け取りに来たところを逮捕。
内心では「俺がムショに入れられたのはあの女が通報したからだ」と逆恨み
・出所後、ただちに東京に行ってかつてレ●プした女性社員を捜索。住居を突き止め殺害。
・「女性社員が警察に訴えないと約束したにもかかわらず、警察に通報して警察官に私を待ち伏せ、逮捕させた行為が許せなかった」と供述
胸が大きいって、本当に困る。みんなは羨ましがるけど、分かってない。
体育の時、走るのが辛い。ジョギングブラをつけても痛い。
制服のボタンが引っ張られて隙間ができる。男子の視線が気になって仕方ない。
電車で立っているとき、どこに目線を向けたらいいか分からない。
背中が痛くなることもある。姿勢が悪くなりがちで、先生に注意される。
でも、これが私の体。嫌いになりたくない。どうすれば自信を持てるんだろう。
維新というムーブメントもやった感とお友達優遇の利権の付け替え
女性記者に執拗に問い詰める動画や女子高生を泣くまで追い詰める動画。
一般人に戻った元首長の住んでいる自宅の周辺に街宣車を横付けして選挙活動と称して煽っている。
そして、今現在においても大阪万博についても無責任に大成功すると方言し続けている
明らかなハラスメントな行為があっても、関西のマスコミは止めきれなかった
メディアと特定政党が癒着し続けている状況では、難しいかも知れないけど