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はてなキーワード: 例外とは

2024-11-21

anond:20240124142918

年金延長なら、再雇用も延長されるさ。

賃金最低賃金例外にするとかなんかして。

anond:20241120122327

これを機に政策重視傾向が強まればよいですね、ほんとに

度を越えた癒着?(賄賂)とかは論外(どこかに税金を元にした利益が流れてしまうから)、パワハラも長期的にも社会的にも悪影響なので、どの辺まで受け入れるかもそれぞれ考慮に入れることにもなるだろうけど

不倫は国なり自治体なりに与える影響少ないので

行為後用のシャワー設置とかそれ用の仮眠設備(ベッド)置くは費用的に安かったり自費とかなら許容したくもなるが、そんなことが許されると思ってる人には任せたくない。

よっぽど実績あったりしたら話は変わってくるかも。けどそれぐらいセーフって考えが広がってしまうと、そんなことが許されると思ってる人への拒絶が減ってしまうから例外にしておきたいか

それでいうと不倫もバレない努力や、発覚後の対処とかも評価項目になってくるなぁ

2024-11-20

anond:20241120192330

似たような状況だが、彼が普段一人でしてるスタイルでやるとうまく行くが…

edは器質的もの精神的なものがある

精神的なものは負の性欲によるものなので、これを直したければ、彼から聞き出して、女性に対するヘイトをぶつけてもらうしかない

だが、この時、否定はせず、共感しなければならないんだが、それが無理なら、臨床心理士資格があるカウンセリングに通うしかない

その場合edに悩んでる君が全額払うしかない

彼氏目線だと女どものせいでこうなったと思ってるんで彼氏に出させてはいけない

次に器質的問題だが、これは歳を取ると誰でもそうなるし、女性edに近い状態になることがある

コレはバイアグラタダラフィルでなんとかなる

ただ、コレを長期間飲むのは金銭的に辛いものがある

なので、ハル薬局柴胡加竜骨牡蛎湯、黄蓮解毒湯+四逆散、桂花茯苓丸、加味逍遙散、桂枝加竜骨牡蛎湯、補中益気湯あたりを調べて該当する症状があったら、内科でもらうといい

二十代後半で高血圧狭心症耳鳴り更年期障害はないと思いたいがあることはあるし…

この時、メインの症状で、インポテンツとは決して言わないほうがいい

インポテンツは自由診療から原則として健康保険がつかえない

(なお、例外があるので調べたほうがいい)

あと、お腹の肉がついてるなら、2人ともどもお腹の肉を引き締めたほうがいい

お腹の肉を引き締めるとセックスした時の気持ちよさが違うし、狭心症動脈硬化の予防にもなる

(やり方は増田動脈硬化とくぐればでてくる)

2024-11-18

なんで戦争ができるのかわからない

ロシアウクライナ戦争で、兵士自爆ドローン攻撃されて、手足が潰れたり内臓が飛び出したりして死んでくのを見てるけど

個人立場からしたら絶対兵士になるべきでないと思う

唯一の例外があるとしたら相手国が自分民族を根絶やしにしたがってるときくらい

戦争に参加して酷い死に方するくらいなら多少困窮しようが闘わず譲ったほうが絶対にマシ

自分はこの考えが全ての個人に当てはまると思ってるので、みんな兵士になってほしくないし戦わないでほしい

経済理論多様性適用範囲

経済理論妥当性を議論する際、多くの場合特定理論が想定する前提条件が、ある国の経済状況に適合するかどうかという問題帰着する。

例えば、新古典派経済学説明力は、特定の条件下でのみ発揮される。

この認識は、経済理論に関する投稿への反論検証する過程で、教科書学術論文記事を精査することで得られる。

経済理論多様性適用範囲

経済学には、リフレ派やMMT派のような一部の「間違った」モデル例外を除き、多様な「正しい」モデル存在する。

これらのモデルは、それぞれ異なる経済状況や前提条件に基づいて構築されており、特定の状況下での経済現象説明するのに適している。

この事実に直面することで、経済理論の複雑さと自身知識限界認識できる。

デフレインフレ論争の本質

デフレインフレの良し悪し論」も同様の文脈理解する必要がある。

デフレが有利になる経済主体がいる一方で、インフレから利益を得る主体存在する。

このような状況下では、個別立場から自分に有利だからこうすべき」と主張しても、単なる多数決論理に陥ってしまう。

マクロ視点重要

したがって、このような問題に対しては、日本全体の利益という観点から分析を行うことが不可欠だ。

マクロ経済的な視点を持つことで、個別の利害を超えた、より包括的政策判断可能になる。

ただし、パレート最適性や功利主義を持ち出すことには一定の注意が必要である

2024-11-17

anond:20241116222849

コンビニについては、ファミマが優秀、駅まわりの繁華街でも8割くらいの確率トイレが利用出来る。

繁華街トイレ開放率だが、私の主観では

ファミマローソンセブンミニストップ > 泡沫コンビニ

だ。

例外として、駐車場のあるコンビニはほぼトイレが使えるケースが多い。

2024-11-16

anond:20241116175644

例外とは、O(お、オー)と0(ゼロ)を区別できなくするウイルスによってフールプルーフ例外処理をくぐり抜け全システムがダウンすることで人類白痴化させるお例外計画のことです

anond:20241116111824

実際には一部の例外を除いて下の世代に行けば行くほどどうしようもないからな女は

2024-11-15

anond:20241114141925

脳噛ネウロヒカルの碁暗殺教室それでも町は廻っている(これは最終回がない感あるから例外かな?)が好きです。

ネウロ

最終回に向けて強かったキャラクターが、弱かったけど強くなったキャラクターに支えられるという展開が良かった。それを飽きさせずに続けているからすごいこと。

ミステリーの皮を被ったドタバタヒューマンコメディ短編と見せかけた長編なので、絵柄気にしない方は読んで欲しいなぁと思う。


ヒカルの碁

読んだのが昔過ぎてなんとも言えないが、すごい良かったぜんぶ!という記憶しかいから良い作品だったのであろう。

暗殺教室

成長物語。読み終わった後はうおー!人生頑張るぞー!と思えるような最終回で素敵。

それでも町は廻っている

ほのぼの日常コメディ時系列が全てバラバラなので、永遠に続く感じ、というか永遠に続いてくれよぉ〜という祈り


坂道のアポロンとか僕だけがいない街とかも面白かった気がする。

anond:20241115125904

思考盗聴個人尊厳毀損する場合があり、時に危険行為です。しかし一方で思考盗聴人間普遍的能力で習慣ですから禁止することは難しいです。

いわば二酸化炭素が出るから呼吸を3割減らせという規制不可能無意味ものであるのと同様です。

人類歴史俯瞰すると思考盗聴に対する防衛策として考案されたのが思考の同質化だったと言えます教育や訓練によって異質な思考制限することで思考盗聴無意味化したわけです。

現在でも公教育によって思考の同質化が図られていると解釈できます。つまり、大多数の児童が同様の内容を学ぶことで思考の傾向を揃えているのです。これにより思考盗聴無意味化されました。

しか例外もあります

文化的思考的背景の異なる人物または集団による思考盗聴に対しては防御策とならないということ、ならびに、思考の同質化に失敗するケースがあることです。

前者に対しては、歴史的には物理的な攻撃戦争)と文化的統合(取り込み)によって対処されてきました。今日でも広い意味では状況は大きく変わらないと分析されていますが、手段多様化ハイテク化されており、もはや市民には何が起きているか理解することさえ困難です。しかし、市民にとっては理解することは無意味でもあります一般的市民は同質化された第三者大勢存在することから思考盗聴対象となる確率は非常に低くなるためです。1000人の同質な市民がいれば、思考盗聴対象は1人でよく、どの市民にとっても犠牲者となる確率は1000分の1とわずかです。

これに対し、後者、つまり非同質的思考者にとっては状況が大きく異なります例外的な存在であることからコミュニティの外部、例えば外国勢力から思考盗聴対象として狙われることは比較的稀です。しかし同じコミュニティに属する他者からは繰り返し思考盗聴文化的矯正経験する傾向があります。これは個人経験としてはかなり深刻なものとなるはずです。

同じコミュニティに属する他者から思考盗聴から防衛する手段としては、第一可能な限り思考の同質化を試みるべきです。他のメンバー経験を共有すること、つまり交流し、同じものを見て、同じものを食べて、感想を擦り合わせることです。それが難しい場合には、物理的な距離を取ることが推奨されます。なるべく人口密度の低い過疎地域に住むことで思考盗聴無効化できます

金属による遮蔽は思考盗聴のものに対しては有効ですが、思考盗聴から防衛することそのものコミュニケーションの妨げとなり、思考の非同質化が進みます。このため一般的には推奨されません。

外国政府公安機関による思考盗聴は大きなリソース要求されるため、重大な前科があるなどの特別事情がない限り、対象者となることはまずありません。また、私の知る限り閉鎖施設しか実施されないはずです。

繰り返しになります思考盗聴は、しばしば苦痛を与えることになるため、慎重に扱われるべきです。しかし一方で人間普遍的習性でもあります。これを禁止することは不可能といえます。正しい態度(平均的な態度)で他者に接することで無害化できると考えられます思考盗聴一般的な傾向について知り、適切に対処することが重要です。

2024-11-14

推しの子】のラストが描きたかったものは何だったのか

まさかこんなタイトルエントリを未読者が読むわけがないと思うが念のため補足すると、このエントリ最終回の内容を含んでいる。未読者はUターン推奨。

さらにいえば、最終回の内容に満足している読者に読まれることも想定していない。あなたあなたの読み取った【推しの子】を大事にしてほしい。

逆に本エントリ想定読者は、やれ竜頭蛇尾だの、読者のコメント欄を拾い上げてこっちの結末が良かっただのとインターネット上に書いてしまえる精神現在お持ちの方[^1][^2]を対象としている。

そのような方々の持つ不満はきっと決まっていて、「何故こんなにも救いがないのか」ということだと思う。

しかし、作中を紐解くと【推しの子】のメインテーマを取り扱うためには、作中で「救いようがない現実」を描く必要が出てくるのだ。

決して読者を苦しめるためだけにこのような結末を描いている訳ではなく、この結末の先にあるものを読者に提示たかったのだと筆者は考えている。

抱えている不平不満に対し、一つの解釈提供することによって、納得の一助となることができれば幸いである。

推しの子】のメインテーマは何だったのか?

こちらについては全読者が納得できると思うが、この作品「嘘」をメインテーマとしている。芸能界という身近であるが遠い世界舞台として、その裏側に密めく嘘を真実芸能界当事者として向き合うというのが大まかなストーリーだ。

言われてみれば、芸能界というのは嘘に溢れた世界だ。我々がスクリーン舞台を通して観ている芸能人たちが、その舞台裏ではどのような人間で、どのようなことをを考えているか、我々は全く知らないし、知る権利もない。

しかしながら、スクリーンに映されたキラキラした世界真実であるのか嘘であるのか、気になってしまうのも人間の性であると思う。そういった層へのリーチとして、元ドルオタアイドルの子供として転生し、そして本人も芸能界を目指すというストーリーは最適だ。一般人人格を持ったまま、生まれながらの芸能界人格を得る訳だから芸能界一般ギャップ体感する語り手としてはこれ以上ない設定だと思う。

そして、転生したルビーアクアもまたそれぞれのスタンス世間に対し嘘を吐くこととなる。そうして吐いた嘘、すなわちフィクションの裏側を、他でもない本人の視点から嘘も真実もなく全てを体感するという構成

まり推しの子】は作中のフィクションの裏側を描くノンフィクション、という体裁フィクションだ。

ゆえにこのストーリーでは、作中の芸能界で起こっていることと、読者が体感したことが一致することを許容するが、作中での世間芸能界像とは乖離していなければならない。この辺りを把握していないと、なぜ大団円ハッピーエンドでなかったか理解することができない。

何故嘘を付かなければならないか

トンチのようなことを言うが、嘘を吐かなければいけなかったか必要に迫られて嘘を吐いているのである

誰も愛せないだなんて言えないから。転生したなんて事実公表なんてできないから。アイを殺した犯人を見つけて殺したいなんて言えないから。誰かが死んだ悲劇を乗り越えられていないなんて世間には言えないから、彼らは嘘を吐く。至極明快な論理だ。

このように列挙してみると、「嘘を吐く必要性」が明確に整理されたストーリーラインが展開されていると気が付く。

しかし逆に考えてみたらどうだろうか。嘘を吐く必要がない素晴らしい世界だったら?己はこれ以上なく満たされていて、世間様に嘘をつく必要なんてございません。私は生まれついての公正明大です。そのようなキャラが、嘘を吐くことに説得力を持たせることができるか?

答えはNoである。ゆえに、この作品テーマを描くためには、嘘を吐く必然性がなければならない。

嘘で何を隠したいのか?

さて、【推しの子】のメインテーマ表現するためには、嘘を吐く必然性のある舞台を用意しなければならないというところまで整理できた。そして次に考えるべきは、何を嘘で隠すか、である

嘘と言っても、方向性が二つに分かれていると筆者は思う。すなわち、

幸福を独占するための嘘と、悲劇を隠す嘘だ。

おおよそハッピーとバッドで分ける軸だと解釈してもらって構わない。

もっと他の方向性区別することもできると思うが、ここでは【推しの子】がなぜハッピーエンドでないか説明したいので、このようにしている。

さて、後者想像やすいが、前者は補足が必要かもしれない。具体的に言えば、クラスの人気者とお付き合いできたという場面を考えて欲しい。あなたは身に余る幸福を自慢したくなるかもしれないが、周りを慮り、付き合っていないと嘘を吐くことにした、といった状況である想像できただろうか?

そして問題は、この二つの嘘のうち、どちらを【推しの子】で取り扱うべきか、である。そして考えて欲しいのであるが、芸能界舞台とした漫画を描くとき、どちらの嘘の方がしっくりくるか?

ここまで説明すれば、【推しの子】に悲劇が多い理由がわかるだろうか?

逆に前者を描いていた場合は、

有馬かなとアクアがイチャラブちゅっちゅしながら、それを世間からどう隠すか悩む、惚気お砂糖漫画になっていたかもしれない。

それはそれで見たい気がするが……

いや全然アリだな……

というのはともかくとして、ぶっちゃけて言うと、そういう類の漫画世間に溢れているのである有馬かなとアクアが注目を集めているのも、推しアイドルの子供として転生した後に、その推しが殺されるというセンセーショナルで周りとの差別化のされたストーリーで注目を集めたという基盤があったことを忘れてはならない。

まりメディア戦略的には「悲劇を隠す嘘」一択なのである

もう一つの悲劇を隠す嘘」について

ところで、「悲劇を隠す嘘」に該当するものはもう一つある。

すなわち、ハッピーエンドのことである

改めて考えれば、ハッピーエンドなんてものは、悲劇を隠す嘘の極致に他ならない。人間例外なく死という悲劇を迎えるし、筆者も画面の前の読者も、人生最後には消滅の恐怖に怯えながら消滅することになる。あるいは、恐怖を抱かせることすらさせない暴力的最後を迎えるかもしれない。

ハッピーエンドというのは、そのような悲劇を隠し、幸福絶頂物語を締めくくる、読者に優しい嘘、物語手法の一つでしかない。

例えば、作中の恋愛リアリティショーはアクアあかねキスシーンで物語を閉じた。あれこそが恋愛リアリティーショーにおけるハッピーエンドだ。あそこで番組を区切ることで、番組視聴者未来希望を抱かせつつ、大団円物語を終えることが出来ていた。その後のSNSでの交際報告はエピローグといったところか。

実際には破局するにも関わらず。その結末をひた隠しにする、優しい嘘だったのである

まぁ、アクあかは破局というよりも、アクアの己の手を汚してでも周りを傷付けたくないという優しさと、あかねアクアだけに手を汚してほしくない死んで欲しくないという意見の相違のために距離を置いたというだけで、全然破局という感じではないんだが……だってそれってつまり相思相愛じゃん……まだ改めて2人の心が通い合う可能性はまだまだあったんだが……

というか実質、アクあかは心が通じ合っているといっても過言ではないというか……

ではなくて。とにもかくにも、

ハッピーエンドというのは世間に支持された、いや支持されすぎてそれが当たり前になってしまった、嘘を嘘と思われない優しい嘘なのである

推しの子】において、作中の登場人物スタンスはともかくとして、物語最初から最後まで世間に嘘を吐き続けたが、読者に対して嘘を吐くことは一度もなかった。徹底して、厳しい現実を示し続けた。

世間に対して嘘を吐くことは良いが、読者に対しては嘘を吐くことはしなかった。アクアという人生の一生というリアリティを、作者は示したかったのだと思う。

作者はやろうと思えば、アクアとカミキヒカルインタビューのシーンで話を区切ることもできた。実際、あの場面は【推しの子】を「ハッピーエンド」にするか、それとも実際に描かれた「アクアの死という悲劇に遭っても立ち上がる、生きていくことを選ぶ」結末で話を区切るかどうかの分水嶺であったと思う。

ハッピーエンドにする方法簡単。カミキヒカルはあの場で罪を告白自首、そのニュースを皮切りに映画はヒット、物語ラストは使命を果たしたアクア有馬かなの卒業ライブ終了後に告白してハッピーエンド……それが、おそらく1番丸く収まる、読者への優しい嘘だった。いつか訪れる誰かの死を直隠しにする、最も優しい嘘。

しかし、それが嘘であることは変わらないのである

そうして、物語はどうしようもない悲劇に向けて突き進んでいく。そして、最後には遺された登場人物たちが、消えない悲しみを嘘で隠しながらも、同じく悲劇という暗黒を生きる人達を照らす希望の光となる……これは、ゴローでもなくアクアでもない「星野アクア」にとって、嘘でもなんでもない、真の救いになったはずだ。そう願いたいし、作者はそういった、悲劇を乗り越えていくエネルギーのようなものを見せたかったのだと思っている。

そしてそれは、表面上のハッピーエンドでは成し得ない。本物の悲劇を乗り越える、嘘偽りのない登場人物たちの心情を描く必要がある。さらに言えば、フィクションノンフィクションとして「悲しみを乗り越えられない」姿勢を見せつつも、作中のフィクションとして「悲しみを乗り終え世間希望を与えるアイドル像」を成立させる話の組み立てのためには、今回のような形を避けられなかったのだと思う。

そういった理由総合して、最終的にこの結末を描くと決心したのではないか

繰り返すが、耳障りの良いエンディング物語を終えることはいつでも出来たが、作者はそれをせず、創作であるが故のフィクションという制約の中で発揮できる最大限の真摯さで、悲劇を乗り越えようとする人々のエネルギーを書きたかったのだと思う。

そして、そのエネルギーを読者に持ち帰って欲しかったのだと思う。現実フィクション以上に嘘に塗れていて、正気とは思えない凶行もあったりする、明日にも希望のない、夢も持てない真っ暗な世の中だ。その中において煌々と輝き暗闇を照らす「推し」の存在。その光に嘘が含まれてないとは言えないけれども、その光に向かって世界が少しずつ好転していく。

きっと、そんな希望現実に持ち帰って欲しかったのだ。

筆者はそう受け取っている[^3]。その一心でこのエントリを書いた。まだこの話を悲劇しか受け取ってない人がいたら、その悲劇の後を懸命に生きるキャラクターたちをもう一度見てほしい。実際筆者は、最終話を見て、そのあと1話から読み直して、最終話モノローグがそういうことを伝えたかったのではないかと考えるようになった。アクアが死んでショックを受けただけで終わったら、それは勿体無いことだと思う。そんなファンからの一意見を伝えたかった[^4]。

話はそれだけだ。もう帰っていいぞ!

---

[1]: 読者の方は当然ご存知だと思うが、作中で「コンテンツファン相互監視状態にある」というセリフがある。当然、このセリフ記載した作者がファン監視していないはずがないと、多くの読者は感じるはずである。その中であえて、その行動を選んだのだから尋常ではない

[2]: 読者の方は当然ご存知だと思うが、作中では炎上について「その日のメンタル次第では本当に死んでやろうかと思う日もある」というセリフがある。キャラと作者の思想区分されるべきであるが、そのような思想が作者の脳内構成要素の一つとして存在していると、多くの読者は感じるはずである。その中であえて、その行動を選んだのだから尋常ではない

[3]: このエントリを書いてる途中に、赤坂アカ本人のインタビューが出回ってることに気が付き確認したところ、「ディスコミュニケーションを描きたい」といった旨のコメントがあった。じ、じゃあこのエントリの内容は……?となり怖くなったので、とりあえずアルコールを入れた。えっじゃあこのエントリも嘘ってこと?そうなのかな……そうかも……

[4]: そんな気持ちで旧Twitter自称Xを見に行って、検索欄がインプレ稼ぎなんだか炎上目当てなんだからからないツイートで埋め尽くされていた。インターネットというものはどんどん地獄に堕ちていくな。もう純粋収益とか考えずに己の意見を発信できるのなんて、もう増田しかないんじゃないか…… 増田、𝑩𝑰𝑮 𝑳𝑶𝑽𝑬 ……住民の質以外の欠点がないな……

2024-11-13

改めて言わせてもらおう!「七色弓箭(レインボウ)」はメモリ無駄遣い

良いオッサンはてなーは皆ハンタ読んでるよな?

そんな皆は、ブラックエール号におけるノブナガ活躍はもう知ってると思う。

今週改めて言及されたけど、ノブナガは艦内で刀を没収されたり破壊されたりしながらも必死にやりくりしてるんだ。

愛刀を没収されたノブナガは、今現在どうやって戦っているのか?

簡単だ。

その辺の刀にまとわせたオーラを刃状に変化させることで全然問題なく戦えている。

この状況に対して仲間たちも「急ごしらえのおまけみたいなもんじゃん」という意見が出ていることからも、ノブナガは刀っぽいものがあれば戦えるので刀の質には拘ってないことが分かる。

うん。

「刀っぽいもの」さえあれば十分なんだよな。


さて、それでは表題の「「七色弓箭(レインボウ)」の話に戻ろうか。

「七色弓箭(レインボウ)」はポックルの念能力で、指でぐわしみたいなポーズを取ることでオーラを弓矢に変化させる能力だ。

NGLで弓矢を没収された状態のポックルはこの能力を駆使して必死に戦っていた。

でも最終的には「最速の橙の矢を!」と驚いてるうちにボコボコにされて終わってしまった。

悲しいぐらいに貧弱な念能力だったわけだ。

なぜ、ポックルはこんなことになったんだろうか?

答はシンプルだ。

オーラを弓矢に変化させることにメモリを使ってしまった」×「別に必要ない能力をいくつも作ってしまった」のあわせ技である

ハッキリ言えば、やってることのレベルはヂードゥと大差がないと言っていい。

まず、弓矢なんてものはその辺にあるツタと木の棒でもそれっぽいものは作ることが出来るわけであって、没収されることを警戒して弓矢そのものを具現化する必要はないのだ。

弓状のオーラを具現化すること自体が「ゴムのような性質をもたせる」バンジーガムにも似たオーラ変化を必要とし、発動にも習得にも余計なメモリ消費が発生する。

その辺で拾ったそれっぽい弾力のある紐状の物体を「纏」で強化する方が遥かに効率がいい。

だって鏃部分はオーラで作ってもいいが、棒の部分はその辺にある木の棒でも十分なはずだ。

貴重な念エネルギー使い捨ての弓と箆(のう)に使ってしまうのが完全に無駄なのだ

そして、修行においてもそれらをイメージするために使っていた時間で念の出力を伸ばしたほうが遥かに効率がいい。

7つも効果を作っているというのも限りなく無駄である

登場しているのは2つだけだが、その両方が明確にメモリ無駄を感じさせてくる。

炎を矢に纏わせる赤の弓は屋外において火を素早く扱えるというメリットがあるように見えるが、そもそも火なんてものは強力な摩擦でも起こせるので念能力者が本気で木を擦り合わせれば一瞬で手に入れられる。

何らかの特別効果があるならまだしも、ただ火を起こすだけの能力なんて修行で身につけるようなものではない。

橙の矢はアイディアだけなら間違っては居ないのだが、これが7つの能力の1つであることがまずい。

オーラを矢の速度に変えるというのは一見すると理にかなっているのだが、そもそも論として「物凄い強い力で矢を飛ばせばすごいスピードが出せる」というものがある。

わざわざ念を速度に変換しなくても、素の出力が高ければそれに応じた速度で矢は飛ぶのだ。

高速で飛ばすことが出来たとしてスピードステータスを振ったせいで威力が下がっては結果が伴わない。

この能力本来の矢の威力が十二分に高まり「当たった時の威力が極めて高く、多少威力を削っても命中率を上げることを検討しても良い」という状態にしなければ話にならないのだ。

「七色弓箭(レインボウ)」は作中においては蟻兵士を何体か倒しており、一見するとそれなりの能力に見える。

念が使えない相手からすれば不可視であるし、そのような相手に対して一方的にぶつけるにはピストル程度の威力でも十分な殺傷力がある。

弱いものいじめの道具としては悪くないように見える。

だが、ポックルが相手にするのは幻獣だ。

ハンタ世界における動物メチャクチャヤバイ奴らがクソほどいる。

キメラアントだってそんなヤバイハンタ世界で生まれ野生動物一種だ。

ポックルが最終的に相手取りたいのはその辺のうさぎやイノシシではなく、そのレベル生物ではないのか?

だとしたら「単に念が使えないだけの奴には不可視(でも気配や音は感じられる)」「ピストルや火矢程度の威力」では全然話にならないのだ。

求められるのは「念や特殊感覚器官を備えた相手にも認識できない矢」だったり、「当たれば一発でこちらの有利に状況が変わる矢」だったり、ないしは「とんでもない威力の矢」であるはずだ。

幻獣渡り合えるような念能力の完成を目指すという点において、ポックルのやっていることは全くもってメモリ無駄である

弓矢を持ち歩く必要がないという利便性や、ちょっとした速度増加なんてものは、念が使えるという優位性に甘えたなまっちょろい発想から出てきた舐めプしかない。

ノブナガのように「その辺で拾ってきた道具にオーラを纏わせることで念能力は完結させ、メモリの大部分を基礎修行威力の面に集中させる」という運用を考えるべきであった。

ポックルの師匠が誰なのかは知らんが、あまりにもメモリの使い方についての教育が足りてない。

能力における理想的パターンは「当たれば必殺」か「基礎修行に比例してドンドン強化される」のどちらかであることは言うまでもなく。

ポックルの「七色弓箭(レインボウ)」はそこからまりにも遠い。

もしポックルがもう数年修行を積んでいても、多種多様などうでもいい能力を増やすことばかりにメモリを使って、肝心の基礎的な威力や必殺性は疎かにしたままだったであろうことは想像に難くない。

能力を他の能力バトルと比較したときに、かなり特徴的な部分が1つある。

それは「能力自分で考え、自分で開発する」ということだ(継承戦は超例外だってことは忘れるなよ)。

まり自分能力を開発する関係上、シンプルである修行効率がいいのだ。

また、分からん殺しが出来る程度の高さも重要となる。

ポックルの「七色弓箭(レインボウ)」はやたらめったら効果が増えていてシンプルじゃない(多様な能力が使えるという点では盗賊の極意は似ているが、クロロの念能力のものは「相手能力を盗める」という一点特化型だということを忘れないように)。

そして、半端に多様であるが故に使える能力自体は複雑なものではなく、相手からすれば何が起きているのかが簡単に分かってしまう。

多様な効果があって何が出てくるのかわからないというのは一見すると強力だが、それよりも遥かに恐ろしいのが「相手に行われた攻撃の正体が食らったあとでも分からない」という状態だ。

ポックルの能力は火を起こしたり高速で矢が飛んだりするだけで、撃たれてしまったあとはその効果を疑う余地は一切なく、これでは分からん殺しの性能は大したことがないと言って良い。

素手からの不意打ちによる分からん殺しという点でも、弓矢を具現化して発射するという工程により相手に次の手を読ませてしまうのがよくない。

同じく素手から遠距離攻撃する能力でも「俺の両手は機関銃はいきなり指から念弾が出てくるという予測しづらいものであり、また正体が分かった頃にはその破壊力によって相手は大きくダメージを受けている可能性が高いという不意打ちとしての完成度の高さがある。

念の戦いにおいては、基本がシンプルであり、何が起こったか理解される前に倒してしまえることが重要なのである

そしてこれは、自然界において多様な能力を持った幻獣同士の生存競争にも同じことが言えるはずだ。

ポックルの能力は単に「念能力者同士の戦いで弱い」というだけに終わらず、「幻獣をハントするというミッション攻略においても弱い」と言わざるを得ないのである

2024-11-12

ていうか、なんでディズニーを好きなのは女だけだという前提で語る人がこうも多いんだ?

ディズニーってプリンセスものが目立ってはいるけれど

トイ・ストーリーライオンキングなんかはどちらかというと男向けのコンテンツだろうし

男のディズニー好きだって普通にいるでしょ

風間俊介とか…まああれはビジネスから例外かもしれんが

パークに行けば男グループで楽しそうにしてる集団も見掛けるよ?

anond:20241112023926

名誉毀損侮辱罪や自殺教唆匿名相手を罰さないとは書いてないよね?

まりこれらの法律根拠法には書かれてないかが裁かれるという論理的帰結をしてるわけ

さないというならお前こそその例外が書かれた条文をあげるべきさよ

anond:20241112023459

既存の関連法規に、匿名相手では成立しないみたいな例外規定があるのって話。

刑法第百九十九条 『人』を殺した者は、死刑又は無期若しくは五年以上の懲役に処する。

刑法第二百三十条 公然事実摘示し、『人』の名誉を毀き損した者は、その事実の有無にかかわらず、三年以下の懲役若しくは禁錮又は五十万円以下の罰金に処する。


例外と言うか法律の基本として 『人』の定義があるので

2024-11-11

id:kyukyunyorituryoがスター工作をしているよ

↓ここね

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/shin-fedor.hatenablog.com/entry/2024/11/10/163413

2024/11/10 23:38までに付けられたブコメのうち、かなりの割合id:kyukyunyorituryoのみがスターを送ったブコメとなっている。

おそらく、上記時刻までにスターの付いていなかったブコメのほぼすべてにスターを送ったのではないか。(いずれも2つずつ送っているため分かりやすい。)

例外ブコメスターが1つも付いていない)は2個だけで、片方は自分ブコメなので、もう片方は非表示ユーザー設定にでもしているのだろうか。

何か癪に障る流れでもあるのかと思い当人ブクマ確認してみたが、今ひとつ動機が見いだせない。

しかし、以前のid:Aikoku_Senshiもそうだが、こんな限界集落スター工作することにどれだけの意義を見出しているのやら。

というかスターを2つずつ送るのってどういう効果があるんだ?

他のスター2つ以下のブコメを埋もれさせる意図

あれ?idが長くてリンクちゃんと生成されていない?

2024-11-10

サルと金子勝でも分かる!マイナカード保険証

https://president.jp/articles/-/87827

このままでは国民皆保険が壊れていく…金子勝マイナ保険証政治献金企業が儲かる究極の寄生システム

この記事が本当に💩なので、一つずつ説明していきます

敬称略です。

マイナカードシステム日本大手IT企業8社が受注しており情報産業のための救済事業? 日本オリガルヒオリガルヒ

政治献金技術的に遅れた日本情報産業のための救済事業との結びつきは非常に強い。
ほぼ10年間でマイナンバー関連事業を少なくとも3000億円近く発注していると見られるが、大企業8社が共同受注などで独占的に契約している。

そんなことはありません。むしろ大手IT企業はこの手の自治体公共事業が薄利すぎて足を洗いたがっているというのがほぼほぼ現在の状況です。最近では大手撤退が激しく、元々大手が担っていた部分を別の中堅SIerが無理して受注したものの、ノウハウもなく薄利過ぎて対応出来ず納期通りに納品できない案件が続発しています。そこで、入札参加条件が上げられた結果、入札が予定価格を上回り、随意契約になると言うケースが多発しています

やり玉に挙がっている8社とは恐らく以下の企業のことです。

見る人が見れば、NTT系が基本を抑えつつ、周辺の企業が参画しているというのがわかると思います大手5社のコンソーシアムで、NTTコムがメイン、NTTデータNEC日立富士通の合わせて5社で共同受注しています。そして、他に手を上げた企業はありません。

NEC日立富士通は関連公共システム(住基や戸籍、税務システムなど)が関わりそれらとのつなぎ込みが必要になるからですね。

他に手を上げた企業がない上、入札では予定価格を上回ってしまった結果、随意契約と言うケースです。報道によれば、いずれも随意契約にするにあたって、調整の結果入札価格よりも低い価格で受注させているようです。


他、凸版とDNP物理的なカードの発行業務をやっており、合わせて800億円ぐらいの受注額です。そしてマイナカードは1億枚発行していますので、1枚辺り800円。カード物理的に1枚300円はしますし、送付事務に使う簡易書留は350円しますので。単純に残りの取り分は150円です。全然高くありませんね。ここで事務手続きなどをやる事になります。数が多いので最大限コストは低く抑えていると思いますし、全てが郵送交付ではないとか細かい話はあるでしょうけれども。


JECCはリース会社です。国の予算関係でいったんファイナンスを引き受る。大手IT企業がごそっと出資している特殊会社です。金額はでかいですがこの会社が入るのは主に行政の硬直性の問題です。


さて、これは日本オリガルヒなんでしょうか?

何故か突然旧ソ連ロシア方面用語が出てきて面食らった人もいると思いますが、オリガルヒとは、官製新興財閥だそうで、その方面の人たちから社会主義国ソビエト連邦崩壊したどさくさに紛れて、民間にいくときに出来た悪しき存在という事で、よく批判に出てくる用語です。

さて、彼らはオリガルヒなのでしょうか?


そんなわけないんですね。

一般的IT企業が求める水準の利益率とは30%と言われる中、政府系の仕事利益率が1割を切る事があたりまえです。エンジニア不足の中でやりたくない仕事です。


NTT系が1300億円程度の受注をし、物理的発行やリース会社を合わせて8割以上で、残りとは大きな差があります。ここで金子らなぜNEC日立富士通を入れたのか。それは5社が献金していると言いたいが為に3社を水増しした感じがしますね。

マイナンバーカードマイナ保険証利便性セキュリティもまったくないために、普及しない。

まずは、利便性について検討しましょう。金子はこの一文のみ、内容も根拠も全く触れず、まるで自明のような扱いですが事実とは異なります

政府は、マイナンバーカード調査を定期的に行っており、最新の結果はこちらです。

https://www.digital.go.jp/assets/contents/node/basic_page/field_ref_resources/8adde791-e214-4b5b-b9ad-4eb89a354dbc/2c98d210/20240321_mynumbercard-promotion_outline_02.pdf

こちらはほぼ1年前のアンケートですが、

と言う結果が出ています。ほぼ食わず嫌いですね。

少なくとも、利便性が「まったくない」と言う事は「まったくない」ことがわかります


次にセキュリティについて検討しましょう。

やたら多くの紐付けをするために、なくしたり盗まれたりすると、すべての個人情報漏れしまう。

これは事実とは異なります

ここでは逆に、全ての情報漏れるにはどのような条件が揃う必要があるかを並べてみると

と言う事が必要

パスワードを用いずに物理的に情報窃盗するには

と言う事が必要です。

さてこれを「セキュリティがまったくない」と表現するのが適切でしょうか?

現状、これよりも固いセキュリティを強いているシステムは本当にわずかです。

複数種類のカードが発行されて、極めて不効率

暗証番号のない顔認証マイナ保険証スマホマイナ保険証(これもマイナ保険証スマホ接触させないと使えない無意味もの)など、数種類のカードが発行される極めて非効率もの

これは明確に誤りです。何故ならば、1人に発行されるマイナカードは1枚しかいからです。受け取る側のシステムも一つ。

マイナ保険証スマホ接触させないと使えない無意味もの」も誤りです。最初の1回だけ行えばよく、使う時にマイナカード必要ありません。

初回のそれはマイナカード認証する為に必要というだけの話です。


さて、金子はこの状況を「数種類のカードが発行される極めて非効率もの」とする一方で、「多数数の紐付けを止め、一つひとつ独自OSオペレーティングシステム)で」を提言しているのですが、整合性がありません。

最初からスマートフォンクラウド対応する能力がなく、

マイナンバーシステム設計されたのは今から10年前の2014年ですが、当時はまだスマートフォン安全電子証明書を持たせる仕組みがありませんでした。

現在できる様になったのは、日本政府や担う企業なども参画し国際標準規格を作ったからです。ISO18013-5が正式に出来たのは2021年です。最初からできた所は存在しないでしょう。そしてこの規格を世界が利用しようとしています

技術的にとんでもなく遅れた4桁の暗証番号で顔認証不安定プラスチックカード

これも誤りです。いまでもICカードが最も堅いセキュリティ確保の手段の一つです。

それは何故かと言うと、ICカードに入れた鍵は、現実的手段では取り出す事も複製もできないからです。これはパスワード漏れていても完全に中身を出せないと言う意味でもあります


こういったことを言っている人は、大抵プラスチックカードといえば磁気カード時代認識が止まっている事が多いです。

ICカードは、単に定型情報を返すものではなく、このカード自体コンピュータです。マイナカードを利用する時にパスワードを入れますが、このパスワードオンラインではなく、カードの中で処理されます。そして複数回数間違えると、カードの中の最も重要な鍵、電子証明書が消されアクセス出来なくなります。また、電子証明書も、このICカード演算して帰す事で行われます。こういったことを理解しているのでしょうか。


また、顔認証不安定という詳細が明らかにされていませんが、事実として顔認証は99%の精度があります。たまに「マスクをしていたのに顔認証が通った」という人もいますが、これはマスクをしていても顔認証ができる技術を使っているからです。他人マイナカード認証ができてしまったと言った話が出回っていますが、反マイナカード保険証団体調査した結果2件だそうです。日本保険医療件数は数億件ありますが、そのうち2件です。

今回のマイナ保険証では、日本IT企業クラウド運営するノウハウに欠けており、時代遅れになっている欠点が露呈してしまった

その理由オンプレミス方式で、クラウドプラットフォームにしてないからだと説くのですが、今回出てきたトラブルシステム的なトラブルはほんのわずかであり、ほとんどはインプットするデータ問題でした。

これは、仮にアメリ中国の巨大IT企業に依頼しても同じ事が起きていたでしょう。

金子は「マイナ保険証のひどい醜態」を自明のごとく上げていますが、その具体的な中身について一切論じていませんが、これが事実だと言う客観的証拠がありません。全国民使用しているシステムであると言う事を考えたとき例外マイナーなトラブルしか起きていませんが、これはむしろ過剰品質とさえ言える状態です。

台湾閣僚であるオードリータン氏をデジタル大臣につければ解決!?

オードリータン氏は、マイナンバーシステムの普及が必要不可欠だと言う事を自明のものとして扱った上で、普及を進めるにはどのようにしたら良いかと言う点で多くの提言を行っています

また、台湾日本以上に全ての情報が「中華民國統一證號」に統一されており、身分証携帯義務づけられているなど、日本より遙か前から国民総背番号制です。前からあるが故にシステムが古い所があって運用に苦労をしているようですが、その全てを捨てて失敗だなという暴論が出ているとは聞いたことがありません。

一つひとつ独自OSオペレーティングシステム)で丁寧にプログラムを組んでいくことが必要

ちょっとこれの意味が分かりません。金子は、オードリータン氏の名前を出した直後にこれを言っているのですが。その段落を全部抜き出すとこうです。

マイナ保険証については、通常の健康保険廃止を止め、一からやり直して、クラウド上でスマホアプリにする。多数の紐付けを止め、一つひとつ独自OSオペレーティングシステム)で丁寧にプログラムを組んでいくことが必要である

もっと意味が分かりませんが、ここから頑張ってエスパーしてみます

つのIDで多数の結びつけを行うのは危険

これについては全く逆です。マイナンバーシステムを通じてデータを関連づけすることによって、システム間で生の個人情報を槍と知りなくて良くなると言うメリットがあります

共通IDがない場合、一貫した行政処理を行う時には、住所氏名生年月日といった従来からの本人の個人情報判別するしかなくなります

一方で統一つぃたID管理されている場合は、その結びつけの情報だけでデータのやりとりが出来ます。また、結びつけの情報中央存在するシステム管理するのみで、接続されているそれぞれのシステムではユーザ識別する情報は別々です。中心に存在するシステムを通さないと結びつけが出来ない仕組みになっています

また、中央システムで結びつけの情報を捨てるだけで容易に結びつけが出来なくすることが簡単にできます

しかし、リアル情報を使ってしまうとそのような事はできません。

からやり直して、クラウド上でスマホアプリにするほうがいい?

既にマイナポータルスマホで動いていますし、一からやり直す必要はありません。

また、既に述べたようにICカードは現時点で全国民規模で動作させるセキュリティとしては最も固いものの一つです。スマホアプリ専用にするのはセキュリティ(これは情報保護不正アクセス回避という他に、可用性という意味も含みます)の問題があります

現在スマートフォンに入れることが出来る環境が揃ってきましたので、スマートフォンに入れた証明書普段使用して、マイナカード本体は家に置いておく、と言うスタイル可能になります

また、マイナカードアプリケーションはいわゆる「クラウド」と呼ばれるシステムで多数動いており、既にクラウドであると言えます

一つひとつ独自OSオペレーティングシステム)がよい?

既にOSレベル独自作成する意味はありません。それも一つ一つ別のシステムに刷るなどと言う意味はありません。

これは、交通安全のために、全ての自動車運転方法バラバラにするべきだ、と言っているようなものです。

また、問題になっているのはその上に乗っているサービスであるため、これによって何かが良くなることはありません。

丁寧にプログラムを組んでいくとよい?

一概には言えませんが、金子成功例としてあげるGAFAMなどでは「Agile開発」と言われる手法一般的になっていますが、これは「丁寧にプログラムを組んでいく」から連想されるものとは大きく異なるものです。

そもそも政府医療IT化の方向性が完全に間違っている?

最後金子はこう述べています

政府厚生労働省が描いている医療の姿はまさにこれそのもの(もう少し具体化され、洗練されていますが)だと思いますが、何故これが「完全に間違っている」のでしょうか。

また既に実現している部分があります

一方で実現されていない部分もあり、それを補うためにマイナンバーシステム共通IDとして活用しようと言う事になっています

感想

ツッコミどころが多すぎるのを真面目に突っ込んでみるということをやってみたが、人生時間無駄にしたと思いました。

なので推敲見直しもせずに上げます

ブクマカでっち上げデマ概念大学生協における書籍割引販売の「趣旨に反する」について

[B! 大学] 東京電機大学生、生協で取り寄せたらどんな本も1割引きになると凌辱物のエロ漫画を購入→大学「学内で調査を行っております。調査後、大学として厳重に対処いたします。」

いちいち引用しないが、事実を誤認した大量のゴミブコメトップに並んでいる。

生協エロ本を買うのは制度悪用であり、お目こぼしがなくなりルール厳格化を招く」? 全くのデマである

目次 兼 要約

  1. 一般書店で本を値下げできないことこそ、独禁法の「趣旨に反する」歪な既得権益であり、「お目こぼし」されているのが現状である
  2. エロ本を割引するなんてズルい!」こそ、「お目こぼしを良いことにイキる」行為のものである
  3. 大学生協書籍を割引できるのは学業支援目的ゆえではなく、組合員奉仕することを目的とする生活協同組合からである
  4. 大学生協書籍を一律で割引くのは、組合員たる大学教員/職員/大学生の総意に基づくものである
  5. 大量のバカブコメは、大学生による「生協ではエロ本も割引!」啓蒙活動の意義を逆説的に示している

一般書店で本を値下げできないことこそ、独禁法の「趣旨に反する」歪な既得権益であり、「お目こぼし」されているのが現状である

書店でなぜ原則本を値下げできないのかというと、日本には「再販制度」、製造である出版社が決定する定価を書店は変えてはならない、という業界慣行があるからだ。

だが、この形態取引方法は、独占禁止法において明示的に禁止されている。

二条⑨ この法律において「不公正な取引方法」とは、次の各号のいずれかに該当する行為をいう。

 四 自己供給する商品を購入する相手方に、正当な理由がないのに、次のいずれかに掲げる拘束の条件を付けて、当該商品供給すること。

  イ 相手方に対しその販売する当該商品販売価格を定めてこれを維持させることその他相手方の当該商品販売価格自由な決定を拘束すること。

  ロ 相手方販売する当該商品を購入する事業者の当該商品販売価格を定めて相手方をして当該事業者にこれを維持させることその他相手方をして当該事業者の当該商品販売価格自由な決定を拘束させること。

我々の生きる資本主義社会というのは、市場での公正で自由競争大原則とするものであって、価格決定権は小売業者が持つべものである価格統制を行い、小売業者同士の競争禁止するなぞ以ての外である

このような掟破り行為出版業界でおおっぴらに行われているのは、独禁法23条4項に、著作物の発行事業者による正当な行為であれば、独禁法適用しないという例外が定められているからだ。

なぜこのような特権が認められているのか? 独禁法教科書を開いてみよう。

著作物に係る法定再販制度趣旨は,必ずしも明らかではないが,戦前から定価販売慣行を追認したものとされている。また,著作物の種類ごとに,例えば,新聞については戸別配達の維持,書籍雑誌については多様な出版物の発売や書店での展示販売の確保といった説明が後付け的になされているが,再販行為必要性とは必ずしもつながらないと思われる。(『条文から学ぶ独占禁止法 第3版』p271)

趣旨は必ずしも明らかでない」「戦前から定価販売慣行を追認したもの」「説明が後付的になされているが、再販行為必要性とは必ずしもつながらない」なかなかボロクソな書きぶりではないか

当然「商慣習の追認」なる貧弱な理由で、大原則を曲げていいはずがない。再販制度廃止の動きはこれまでも何度もあった。今もなお現存しているのは、廃止の動きがあるたびに既得権益を守りたい新聞業界が大々的に抗議キャンペーンを行い揉めに揉めたかである政治的駆け引きの末の「お目こぼし」によって成り立っている制度なのだ

エロ本を割引するなんてズルい!」こそ、「お目こぼしを良いことにイキる」行為のものである

新聞業界という第四の権力がバックにある以上、既得権益廃止するのは難しい。されど、お目こぼしをいいことに既得権益を拡大しようとする、出版業界のイキり行為には公正取引委員会は否を突きつけ続けてきた。

この1つの例が2004年ポイントサービス禁止論争である

1990年代を通して喧喧諤諤の大戦争となった再販制度廃止論争は、2001年公正取引委員会による「当面再販制度を存置するのが妥当」という停戦宣言により一応の終結を迎えた。

事実上の勝利にイキった出版業界が次に目をつけたのがポイントサービス禁止である

かに再販価格維持契約定価販売義務付けても、ポイント還元がOKであるならば、事実上値引きと言っていい。「本はどの本屋でも同じ価格」というカルテルを侵す存在であり、再販制度に当面のお墨付きを得た出版業界禁止を目指すのは当然の成り行きであった。

されど原理原則に戻れば、現状の再販制度さえ、政治的判断による苦渋の決断として認められているにすぎないのである

出版業界の舐めた振る舞いに激怒した公正取引委員会は、ポイントサービス禁止運動を行う業界団体に対し、「事業者団体による共同行為禁止する」独占禁止法第8条違反を宣告。

結果、業界団体会長責任をとって辞任、クビを差し出して詫びる羽目になった。

ポイントサービス禁止論争で争点となったのは、1%程度のごく低率のポイントサービスであったが、

現在では、アマゾンヨドバシなどの大手通サイトを見れば、条件付きではあれど12%ポイント還元だとか10%ポイント還元だとか、大幅な値引きを行っている。再販価格維持契約?なにそれおいしいの?の域である

しか再販制度自体お目こぼし例外である以上は、再度「ズルいからやめろ」とヤブをつついて蛇を出したくないというのが業界の考えだろう。

再び公正取引委員会逆鱗に触れ、今度はアマゾン政治力を背後に一気に再販制度廃止まで持っていかれるかもしれないのである

この事例からわかるように「イキり行為」に気をつけなければいけないのは消費者である大学生ではなく、売り手である出版業界側であって、ブクマカ認識はまったくあべこべなのだ

大学生協書籍を割引できるのは学業支援目的ゆえではなく、組合員奉仕することを目的とする生活協同組合からである

ここまで述べた再販制度の縛りを、大学生協は負っていない。これは独禁法23条5項が生協例外例外の1つとして指定しているかである

まり書籍例外として再販価格を拘束する契約を結んでよいが、その例外として生協には通常の取引と同様に、再販価格の拘束契約を結んではならないということである

ブクマカ勝手でっち上げていう「学業目的の特例」とかそんなものではない。実際、書籍の割引は一般生活協同組合(例えばコープこうべ)でもおこなわれていることだ。

ではなぜ、例外例外が設けられたのか?

再販制度という大本例外が設けられた理由再確認すると「商慣習の追認」が定説である。ただこの理屈では再販制度生協のみならずすべての事業者において廃止すべきという結論しか導かれない()。

なので百歩譲って少数説である出版業界ポジショントークを参照すると、再販制度なしには、書店理念を見失い利益至上主義に陥り売れ筋の俗悪本のみが蔓延世界になるから、らしい。

しかしこの捏ねくりだ出した理屈ですら生活協同組合適応することはできない。生協は、利益目的としない消費者うしの相互共助団体であるからである

利益の追求のために消費者不利益を与える行為法律禁止されており、また組合員が持つ平等議決権及び選挙権によって効果的に阻止される。再販制度容認などという副作用の大きな例外を認めるだけの意義はどうあがいても見出すことができない。

大学生協書籍を一律で割引くのは、組合員たる大学教員/職員/大学生の総意に基づくものである

前節では、大学生協書籍が割引が「可能である理由を述べたが、愚かなブクマカは「大学生協学生学業支援するためにあるのだから制度可能であってもエロ本については割り引くべきではない」などと言うかもしれない。

可能であること」と「やること」は違うそれは正しい。

しか大学生協目的なぞをでっちあげたいならば、まず定款を見るべきだ。

第1条 この消費生活協同組合(以下「組合」という。)は、協同互助精神に基づき、組合員生活文化的経済的改善向上を図ることを目的とする。

事業

第3条 この組合は、第1条の目的を達成するため、次の事業を行う。

(1)組合員生活必要物資を購入し、これに加工し又は生産して組組合員生活必要物資を購入し、これに加工し又は生産して組合員供給する事業合員に供給する事業

(2)組合員生活有用協同施設を設置し、組合員に利用させる事業

(3)組合員生活改善及び文化の向上を図る事業

(4)組合員生活共済を図る事業

(5)組合員及び組合従業員組合事業に関する知識の向上を図る事業

(6)組合員のための旅行業法に基づく旅行業に関する事業

(7)前各号の事業に附帯する事業

どこに学業支援なる文字列があるのであろうか。

というか名は体を表すというように、大学生協とは生活、「大学に属するすべての人つまり大学生/大学職員/教職員生活」を共助する団体である役割学業に限られない、当然娯楽を提供することも含まれるのである

書籍の割引販売は、それが教科書であろうと、学術書であろうと、コミックであろうと、エロ本であろうと

(3)組合員生活改善及び文化の向上を図る事業

に一律で含まれるであろう。

追記id:worris 氏のブコメより、誤りの指摘があった。書籍は第3条第1号「組合員生活必要物資である。つまるところ、生協の言う「生活必要物資」とは日常用語生活必需品より広い概念であり、娯楽を含むのだろう。論旨の変更は必要ない。)

もちろん、娯楽の提供大学生協役割に含まれると言っても、程度問題存在する。

生協資金力にも労働力にも限界存在するのだから、何にリソースを投じれば「組合員生活改善及び文化の向上」を達成できるか、取捨選択必要になる。

決めるのは、一人ひとり議決権あるいは選挙権を持つ、組合員である

ブクマカは「イキるとお上のお怒りを買うぞ」という論調であるので、決定権が生協のおえらいさんとか大学経営陣とかにあるように勘違いしているように見受けられるのだが、事実は全くの逆なのだ

組合員自治原則念頭に置いた上で、なぜ本が一律割引されるのかを考えてみよう。

大学生とは多くの人にとって人生で一番本を読む時期である。これは今年『何故働いていると本が読めなくなるのか』という新書ベストセラーになったことでもわかることである

大学教員もまた大量に本を購入する。

そして生協再販価格拘束契約で縛ることのできない例外的な存在として、彼ら組合員独自価値提供できる。

そう考えると書籍の一律割引販売で、組合員合意がまとまるのは、ごく自然なりゆきである

仮に「娯楽本は除外」とか「教科書のみ割引」とかい制度になったならば、利益を得る層が組合員の中で偏ってしまう。みんながWin-Winになる制度こそが、民主主義的な議論で選ばれるものである

ただし、ここ最近若者の「紙の本離れ」が叫ばれて久しい。

紙の本をほとんど買わない組合員からすれば、事業資金は「書籍10%引きで売る」ことより「生協食堂メニューを1品増やす」方に費やしてほしいことだろう。

学術書読んでる同級生応援したいけど、エロ本はな……」と彼らの票が離れることは、あり得る展開ではあるかもしれない。

しかエロ本を割引販売することで、大学生協は何ら損をしていないことにも留意必要である。むしろ大学生協は新たな顧客層を開拓することで利益を得て、他の事業投資可能資金を増やしたと言える。

「割引率が10%であるべきか5%であるべきか」は難しい経営判断であり組合員間での真摯議論が求められるところであるが、割引中止とか販売停止とかになると誰のトクにもならない論上に上げるまでもない愚論なのだ

なお大学生協に客を取られなければ、定価でエロ本を1冊売ることができたであろう一般書店は損をしたといえるが、再販制度というお目こぼしに守られているものが「ズルイ!」なんて言える立場にないことは先に述べたとおりだ。

大量のバカブコメは、大学生による「生協ではエロ本も割引!」啓蒙活動の意義を逆説的に示している

大学生の行為を「バカッター」とか「バイトテロに等しい」だとか意気揚々名誉毀損行為を行うブクマカたちは、

実際は、自分たちがこそが大学生協役割勝手でっち上げたイキりバカブクマカであり、はてなというプラットフォーム名誉を大いに傷つけるブコメテロであることを認め、真摯謝罪すべきである

そして、大学生協役割学業目的だと誤解する人がここまで多いという事実は、「生協ではどんな本でも割引される」ということを声高く啓蒙する意義を証明している。

ルールを正しく理解する人が多ければ多いほど、組合員生活費を節約し、生協の売上は増え、サービスの質は向上するのだから

高校化学勉強し直してるけど全くわかんねーわ

例外に次ぐ例外が出てきて理解を阻害されて整理して頭ん中に格納できない感じ

歳食ってから勉強はやっぱ厳しいな~

2024-11-09

anond:20241109021307

特殊召喚できない」という永続効果があるときに、未開域の共通効果は発動できるが、なぜ発動できるかは実はわかっていない

発動後特殊召喚しない可能性があるからです

なんで「カクリヨノチザクラ」は除外できるのか理由が見当たらない

カクリヨノチザクラの除外は特殊召喚と同時に行われるので特殊召喚ができなかったとしても除外は行われます

根底でどういう区別をしているのかは何も明らかにされていない

何も例外じゃなくて基本的ルールの組み合わせなんだけど、総合ルール理解できていないだけでは?

anond:20241108115020

俺は元増田同意

アマチュアゲーム制作文化は廃れている

その原因はハッキリ言ってゲーム個人制作シーンで日本が諸外国に遅れを取っているからにほかならない


ツクールウディタティラノ、SRPGStudio等といった国産ゲームエンジンは多くがフリゲ抜きゲーのための道具でばかり使われており(勿論エレマスタ等の例外はある)

抜きゲーは一般向けゲームとは用途が違うのと、

フリゲ界隈は俺が観測する限りのコミュニティからアクティブユーザーが減っているのと、ウディコンにゲームを出す人のうち初参加者割合が減っていることから

今元気がなくなっているといっていい


じゃあ本来日本フリゲ界隈に入りうる層はどこにいったのかというと

他のトラバで挙がっているようなスクラッチやロブロックスといったアメリカ製の開発環境と、それに直結したアメリカ人によって用意された日本人向けに作られたコミュニティに流れている

同人ゲーム制作者は泥船のunity固執しては、やがてモバイル堕ちしていくし、

プロが使っているアンリアルエンジンビジュアルスクリプトデフォでとっつきやすいにも関わらず日本語の情報がとても少ない

そしてunityアンリアルエンジンもまたアメリカ製


いま日本アマチュアゲーム制作文化が盛り上がるには、

日本製の開発環境が、日本コミュニティ情報共有され、日本販路や公開場所で行き渡る

この流れができないとダメだと

実際に上に挙げた開発環境コミュニティに触れたことで確信した


色々触った結果、俺はゲーム制作のとっかかりにはウディタが向いていると思っている

アマチュアゲーム制作文化を盛り上げたくて体力のある人には

HDTV解像度に合わせたフリー素材を公開したり

フリゲ紹介をしたり

フリゲプレイヤーコミュニティを設けたり

といったことをして欲しい

障害児を持つ親の皆様へ

映画ルックバックを見ました。

直接関係は無いけど、なんか昔書いた日記の事を思い出しました。

読み直してみて、これが誰かの何かの助けになればと思い共有します。

誤字脱字含め当時のままです。

子供名前があったのでそこは消しました。

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2011.4.20

障害について。

障害者は生きる価値がないなんてことは絶対にない。

それは絶対に正しいと思う。

というかそれが正しくないなら、逆に正しいってことになんの意味があるのかと問いたいくらいだ。

最近障害について真剣に考える時間が増えた。

○○と○○が生まれた時、今後どうなるか分からなかった、今もそうだ。

子供だけの話ではなく、自分がいつ障害を負うことになるのかも分からないのだからこれを考えておくことは重要だ。

人生の豊かさや幸福というのは、その人自身が決めるというのは真理だと思う。

なので、障害人生に寄り添っても、その上での人生の豊かさと幸福を追求すればよいだけだと考える。

ただ、そのためには、それを含め幸福だと思える物の考え方に沿った人生にしなくてはならない。

なので、その考え方を決めることは重要だ。人生を決めるというのと同義な程に。

から障害者は生きる価値があるという正しさを自分の中で納得しなければならない。

障害者にも生きる価値がある、のではない、障害者は生きる価値がある、のである

私は生きる価値がある、と言いたいということだ。私にも生きる価値がある、ではない。

その考えを血肉にしなくてはならない。

様々なことを考える時に、その考えの元となる軸として機能させる程に自分が納得していなければならない。

その考えを自分の考えとして相手を説得できる程でなくてはならない。もちろん相手を説得することが重要なのではない。

相手を説得することができる程、自分の血肉になっていることが重要なのだ

自分の中で納得できない考えを元にして、自分の行動に結びつけることはできない。

自己矛盾を抱えたままでは強い意志が持てない、堂々と人生を生きていけない。

なので生きる価値について考える必要があるのだ。

まずは、ここから始めたい。

障害者は社会の役に立っていない。医療費介護治安の面で社会負担となっているのではないか?」

まり

社会負担から生きている価値がない」

ということである

まず、治安の面だが、これは社会負担ではないと言い切れる。

障害者→治安という結びつきは、多分知的障害等のコミュニケーションがとれないことを想定していると考え、話を進める。

知的障害者は、

コミュニケーションがとれない

→何を考えているかからない

→何をするか分からない

→怖い

このような経緯で治安の面の負担という議論が上がってくるのだろう。

しかし、実際治安の面で言えば、知的障害者よりも健常者の方がはるか犯罪率が高いのが事実である

ソースは忘れてしまったが、調べれば裏付けがとれるはずだ。

しかし、そうは言っても、やはり怖いものは怖いという人がいるかもしれない。

それに関しては、それでもいい、としか言えない。

怖いなら近寄らなければよい、そっと離れればよい。

街にいる健常者で危険そうな人にはそのように対応するだろう、それと同じでよい。

自分の身を守るという行為非難されるべきではないからだ。

というより、こうした議論に上げるまでもなく、そうした対応に関しては相手障害者かどうかが重要なのではないはずである

医療費介護の面で社会負担となっているということに関して、これは費用対効果ということになると思う。

障害者に対して、かかる費用とその効果だけを考えれば、それだけを考え社会負担だと判断するのなら、多分、そうだろう。

その事実に対しては否定はできない。

ただ、その見方では視野が狭過ぎるだろう。

人通りの少ない道の電灯は費用対効果がないと言っているようなものだ。

その電灯の明るさがもたらすものに目を向けていない。

人通りが少ないからこそ本当に必要な場面があるのだ。そこに電灯がついているという安心感が何をもたらすかということなのだ。

たばこなどにかかる医療費だって社会負担ではないか。それと同じなのだから障害者の医療費だけ問題にするのはおかしい。

このように、同じような他の悪者を上げて、その問題と比べると・・・といった議論の進め方をする人がいるが、こういった進め方は自分はあまり好きではない。

この方法では、本質に近づく議論にならないからだ。

例えば、たばこ議論に上げた場合なら、

たばこを吸う人は税金を納めているのだからプラマイゼロ位だろう

―いや、肺ガンになったらかかる医療費の方が大きいから少しはマイナスだろう

障害者でも、税金納めて自立している人もいる

―じゃあ自立してない障害者は社会負担ということか

―健常者で社会負担しかならない人もいっぱいいるじゃないか

押し付け合い、悪さ探しでは、生きる価値の答えからは遠ざかるばかりだと思う。

障害者は医療費介護の面で社会負担となっているので生きる価値がない。」

まりこれは、価値判断する側から見て、いらないのでいなくて構わないということである

本当にそうだろうか。

障害者がいないことが社会にとってプラスになるのだろうか。そうではないと思う。

もしも、障害者がいないことが当然という社会ならば、自分が健常者であってもそういった社会で生きること自体不安であると思う。

自分だって事故病気でいつ障害者になるか分からない。そうなったら自分は生きる価値がないんだ。

自分の子供が障害を持って生まれてくるかもしれない。そうしたら社会は誰も助けてくれない。

このような不安社会全ての人々が抱えている状態は、はたして幸福なのだろうか。

こうした不安を緩和するという点だけでも、障害者は生きる価値があり、安心して暮らせるようにすること自体社会にとって大きなメリットがあると言える。費用対効果は正確には表せないが、医療費とか、そういった細かいレベルではない。

ただ、障害者が幸福に暮らせることは社会にとってもメリットなのだ。だからあなたには生きる価値がある。

これでは、社会の人々から障害者が攻撃を受けることを防ぐ効果はあるかもしれないが、

障害者本人が―だから僕には生きる価値がある―と自己肯定するところまでには至らないだろう。

それではまだ、障害者には生きる価値があるということの本質には至ってないように思える。

生きる価値があることの社会的なコンセンサスを得ることも大事なのだが、それは本質ではない。

極端に言えば、どんなにおかしな考えだろうが、本人が自分には生きる価値があると納得できる方が大事なのだ

そういった個人的ものの答えを求めようとしているのだから、答えも個人的ものになるのかもしれない。

―例え両腕が無くなろうと、自分には生きる価値がある―

自分が強く思えるような納得できるような考えを見つけること。

―僕は歩くことができないけど、僕には生きる意味があるの?―

と言った子供の問いに、意味があると心の底から答えられること。

それが大事なのだと思う。それこそがこの問いの辿り着くべき姿なのだと思う。

逆に言えば、一般論では難しいのだ。

この手の問いに一般論で正解が出たことなんていまだかつてないのだから

費用対効果の部分で考えたこと―視野を広げて考えれば、障害者が幸せに暮らすこと自体社会的な大きなメリットがある―について、それではまだ、心に響く答えではなかった。なので、コストという面でもう少し掘り下げてみる。

コストという面から障害者を見ることは、コストという面から健常者、もっと広く言えば人間を見ることにつながると思うからだ。両者の答えが異なるならば、異なった考えが必要だし、同じならコストという面から障害者と健常者を分けて考えること自体無意味であるということかもしれないと考えるからだ。

障害者はコストがかかる。では健常者はどうなのか。

多くの健常者はコストより社会への還元の方がまさるだろう。

ただ、何を持って社会の役に立つ還元だと判断するかにもよるが。

環境破壊を伴う経済活動は、短期的には社会賞賛をもって迎えられるかもしれないが、長期的には何もしないよりもデメリットが大きいといった場合もある。

しかし、ここでは、世間一般視野レベルにおいて好ましいと思われるレベルと考えれば良いだろう。簡単に言えば社会的な成功(スケールは問わず単なる賃金等小さなものも含まれる)ということで良いだろう。

その基準判断するならば、やはり、障害者はコストの方が勝るだろう。

個別で見ていけば、社会的に成功する障害者も、社会的な害悪しかならない健常者も存在する。

だが、障害者、健常者という全体のくくりで見ると、障害者というグループに分けた場合にそのブループはコストが勝ると言うことができてしまうだろう。

コストに関して、障害者、健常者と分けて考える必要はあるのだろうか。どうであれ、コストが勝る人がいるということだけである

なので、障害者、健常者といった区別自体無意味だ。

と、言ってしまいたいが、生きる価値という部分を産むべきか否かといった側面から考えた場合には残念ながら簡単には言い切れない。

一生体を起こすことはできない、一生自分自分認識することができない、といったように、ほぼコストが勝るであろうということが、生まれる前から分かってしまうという事がありえるからだ。

ただ、これについても、ドーキンス博士のように例外もいる。彼は生まれる前ならコストが勝ると判断されても仕方がない状態であったと思われる。だが、彼が社会に与えた功績は非常に大きい。

これの意味するところは、コストが勝るなどと正確に判断はできない、ということだが、この判断と同様のケースにおいて、数が増えれば平均コストが勝ることになるだろう。

平均という概念にはその平均を算出するためのくくりが必要である、そのくくりとして障害者、健常者といった分け方がなされることになる。

平均コストで話を進めるなら、もうこの議論手詰まりだ。

あと残っている議論障害者と健常者の線引きをどうするかといったことだけだ。

この議論では生きる価値には辿りつかない。なのでこの方向で進めるのはもうやめることにする。

コストという面から人間を考えてみる。

もうこれは、誰にとってのコストかということに尽きる。

人間人間以外にとってほぼコストしか過ぎない。

他の生物にとって人間特に価値がない、地球にとっては逆に諸悪の根源かもしれない、宇宙にとっては人間などなんの意味もないだろう。まとめれば、人間は等しく生きる価値がないということだろう。

それでも、大部分の人々はそれぞれ自分には生きる価値があると思っている。

意識していないと言う人がいるかもしれないが、それは、自分には生きる価値がないわけではないと思っているということだ。

なぜ、大部分の人々はそう思えるのか。

それは、必要とされているという気持ちがあるからだ。

いや、もしかしてこれは、必要とされている度合いから、かけている迷惑を引いてプラスになるからということなのかもしれない。

あれ、よく分からなくなってきた。

この考え方で生きる価値があるという答えに辿り着けるのだろうか。

いったん、ここでやめる。

下記にネットに載っていた、何か訴えかけられた気がした文章をのせておく。



同じように重い障害を持って生まれてきて、

の子が死んで、この子がまだ生きていることの理由やその不思議

いったい誰に説明できるというのだろう。

そんな、人智はるかに超えたところにある命に、質もへったくれもあるものか。

「生きるに値する命」だとか「命の質」だとか「ロングフル」だとか、

そんなのは、みんな人智の小賢しい理屈に過ぎない。

まれてきて、そこにある命が

生きて、そこにあることは、それだけが、それだけで、是だよ。

本当は障害のあるなしとは無関係

誰がいつ死ぬかなんて、誰にも分からない。

から

の子もこの子も、生きてこの世にある間は

生きてこの世にある命を、誰はばかることなく、ただ生きて、あれ──

それを、せめて大らかに懐に抱ける人の世であれ──と

2024-11-08

「直接に示す物的証拠」について

犯行を撮ったビデオ脅迫状そのものがあるといった場合例外として、たいていの事件は、人証(証言)を直接証拠として、その人証の信用性を間接証拠・間接事実によって裏付けて立証する。

「物的証拠が無い」であれば被害者供述裏付け物証ではなく複数人供述によることになる、と読むが、そうではなく「直接に示す物的証拠が無い」とまで限定されて初めて相手が応じたのであれば、この「直接に示す」の部分は、直接証拠たる人証を裏付け間接証拠たる物証はある、と読むことになる。

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