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はてなキーワード: 自由とは

2024-11-12

anond:20241112182008

ブコメを書いた人が持つ偏りの背景には、いくつかの要因や経験が影響している可能性があります。以下のようなバックグラウンドが考えられます

1. 個人的経験に基づく反発

ブコメのような視点を持つ人は、過去結婚制度伝統的な社会規範に対して強い反発を感じた経験があるかもしれません。例えば、次のような状況が考えられます

過去の不幸な結婚恋愛経験

結婚において、パートナーシップにおける自由制限されたと感じた経験や、結婚生活が束縛的だと感じたことがある場合、その反動として結婚制度のもの否定的に捉える傾向が強くなることがあります特に自己決定権自由重要視する人は、過去結婚恋愛の中でそれらが抑制されたと感じることがあるため、その経験が強くブコメに現れる可能性があります

家庭内での抑圧的な環境

もし育った家庭や社会環境が非常に伝統的、保守的であり、家族結婚に対する「所有物」的な価値観を強調していた場合、これに対する反発から結婚のものに対する批判的な態度が形成されることがあります。この場合、「結婚自由制限する」といった見方自分価値観として根強くなりやすいです。

2. 文化的社会的な影響

ブコメのような自由主義的な視点は、特に近代的な社会において育った場合や、自由平等を重視する思想に影響を受けていることが考えられます。次のような文化的社会的な背景が影響しているかもしれません。

個人主義的な価値観の強い社会で育った

西洋的な個人主義価値観が強く根付いた環境で育った場合、「個人自由」や「自己実現」を最優先に考える傾向が強くなります。このような環境では、結婚という制度を「自由制限するもの」として否定的に捉える考えが浸透しやすく、またそれが自然価値観として受け入れられることがあります

リベラル教育思想の影響

リベラル自由主義的な教育思想を受けて育った場合結婚に対する伝統的な価値観否定する傾向が強くなることがあります。例えば、結婚を「所有」のような抑圧的な関係として捉え、その背後にある社会的文化的規範批判する立場を取ることが多くなります。この場合、「自由」や「個人権利」を重視するあまり結婚の持つ他の側面(信頼、相互尊重責任感)を軽視してしまうことがあります

3. 過度な理想主義

ブコメに見られる「好きでいれば素晴らしい」という考え方は、理想主義的な価値観が強いことを示唆しています。この理想主義は、現実的な制約や複雑さを無視して「理想的自由」を追求しようとする傾向を強化することがあります理想主義的なバックグラウンドには次のようなものが考えられます

理想的人間関係に対する期待が高い

自由で対等な関係理想とされ、パートナーシップ結婚においても「制限なし」「束縛なし」の理想を追求する傾向があります過去経験読書映画などで「理想的恋愛」や「理想的自由」を見たことがあり、現実結婚恋愛がその理想にそぐわないと感じる場合結婚否定的に捉えるようになることがあります

理想的自由平等の追求

完全な自由平等を重視するあまり、それを実現するためには結婚制度伝統的な価値観障害となると見なすことがあります。この場合結婚の複雑さや、関係の中で自然に生じる役割分担や責任が「自由の制約」として過剰に否定的解釈されがちです。

4. 社会的な反発とアイデンティティ形成

ブコメのような視点を持つ人は、特定社会的背景やグループに対する反発心を持っていることがあります。例えば、家族社会からの期待や圧力に対して反発を感じ、自分自身のアイデンティティを守るために「自由」や「個人主義」を強く主張することがあります

伝統的な価値観に対する反発

特に保守的社会や家庭に育ち、結婚家族に対する伝統的な価値観を強く押し付けられた場合、その反動自由主義的な立場に傾くことがあります結婚や家庭に関する社会的規範に対して強い反発心を抱くことが、そのような偏見を強める原因となる場合があります

社会的役割に対する抵抗

伝統的な結婚観が社会において「常識」とされている場面では、その枠に収まることに対して反発を感じ、自由選択肢を支持する立場を取ることがあります。このような人は、結婚制度を単なる社会的規範として批判し、その枠組みから解放理想とすることが多いです。

結論

ブコメを書いた人がこのような偏った見解を持つ背景には、個人的経験文化的背景、理想主義的な価値観社会的な反発などが影響している可能性があります特に自由個人権利を重視し、結婚制度伝統的な価値観に対して反発を感じることが、ブコメの主張を強化している要因であると言えます。また、理想的自由を追求するあまり結婚に伴う複雑な側面や責任感を軽視しがちになることも、その思考に偏りを生んでいる要因と考えられます

anond:20241112181131

1. 結婚=「所有物扱い」の誤解

ブコメでは、結婚が「所有物扱いで他人性愛恋愛死ぬまで制限できる」と主張していますが、これは結婚制度に対する極端かつ誤解を招く見方です。

結婚という制度が、必ずしもパートナーを「所有する」ことを意味するわけではありません。

現代結婚は、信頼と愛情に基づくパートナーシップであり、どちらか一方が他方を「所有する」ような関係ではないのが一般的です。

結婚は、互いの自由独立尊重しつつ、共同で人生を歩むことを意味します。

もちろん、個々の関係にはさまざまな形があり、伝統的な結婚観に基づく価値観が強い場合もありますが、現代社会では、パートナーシップの形態やお互いの自由に対する理解重要です。

したがって、結婚が「他人性愛恋愛制限する」という描写は、現代結婚観には合わない一面的ものです。

2. 自由責任の不均衡

ブコメは「お互い好きでそうする分には素晴らしい」としていますが、この主張は結婚本質理解していない可能性があります

結婚においては、単なる「好き」だけでなく、相互責任コミットメント重要です。

結婚は、感情的自由だけでなく、相手尊重し、共に人生を歩む責任を伴うものです。

もし「好き」で結婚が成立するならば、結婚の持つ社会的責任や、互いに対する倫理的義務(信頼、尊重、忠実さなど)を無視していることになります

このような視点は、結婚における責任感や倫理的側面を軽視しており、現実関係においてはうまく機能しにくいものです。

3. 自由主義的立場一方的適用

ブコメ結婚を過度に自由主義的に捉えており、「死ぬまで制限できる」という側面を強調するあまり自由責任バランスを欠いています

結婚パートナーシップにおいては、個人自由はもちろん重要ですが、その自由相手との関係社会的責任に基づくものです。

自由主義の立場は、確かに個人自由選択尊重するものですが、これを無制限適用することで、パートナー間の責任義務、あるいは社会的な影響を軽視してしま危険があります

結婚には、互いに尊重し合い、支え合うという責任が伴い、これを無視した「自由のみに基づく結婚観」は、実際には安定した関係を築くうえで問題を生じさせることが多いです。

4. 結婚自由制限することではない

ブコメ結婚自由制限として捉えている部分がありますが、実際には結婚自体が「自由制限する」ものではありません。

結婚は、お互いに約束や信頼を基に成り立つ共同の営みであり、その中で互いに支え合う自由が大切にされるべきです。

結婚が「自由制限する」と捉えるのは、パートナーシップの意義を誤解していることになります

また、結婚をしているからといって、パートナーが他の人との性愛恋愛を一切できないわけではありません。

現代結婚では、カップルによってはオープン関係を築いている場合もあり、「制限」という概念が必ずしも適用されるわけではありません。

要は、結婚をどう捉えるか、どのようなルール関係を築いていくかが重要です。

5. 倫理的価値観無視する危険

ブコメは「結婚してイエに入れば所有物扱い」と述べることで、伝統的な価値観を非倫理的だと一括りにしていますが、このような極端な視点では、結婚人間関係における多様な価値観倫理的側面を無視することになります

結婚には、相互尊重、信頼、愛情責任必要であり、それらを軽視することは、関係における基盤を弱くする危険性を孕んでいます

たとえば、結婚が所有物のように扱われることを問題視するのは理解できますが、それをすべての結婚観に当てはめることは誤りです。

結婚における平等性やパートナー間の自由を重んじる考え方もありますが、これは所有という概念に基づくものではなく、あくまで信頼と協力に基づくものです。

結論

ブコメ結婚に対する自由主義的アプローチを強調しすぎて、結婚における責任倫理的な側面を軽視している点が問題です。

結婚自由でありながらも、互いに支え合う責任が伴うことを理解し、価値観文化に基づく多様な結婚観を尊重することが重要です。

自由重要であることは間違いありませんが、それを実現するためには、個人自由社会的責任とのバランスを取ることが必要です。




またブコメを書いた人の思考はいくつかの偏りが見受けられます。以下にその特徴を挙げてみます

1. 極端な自由主義的立場への偏り

ブコメ結婚を「自由制限するもの」として捉え、結婚批判しています。この視点は、自由主義的な立場を過度に強調し、結婚が持つ多様な意味責任パートナーシップとしての価値を軽視していると言えます結婚が「自由制限するもの」として描かれているため、結婚本質的な価値役割を過度に否定する偏りがあります

偏りの具体例:ブコメは「所有物扱いで他人性愛恋愛死ぬまで制限できる」という見解を示していますが、これは結婚制度実態を過度に単純化したものです。現代結婚においては、パートナーシップの自由独立を重視する考え方も多く存在しており、結婚一面的に「自由制限するもの」とだけ捉えるのは誤りです。

2. 結婚に対する過剰な批判

ブコメでは結婚をほぼ否定的に捉え、「所有物扱い」といった極端な表現を使っています結婚は「自由を奪うものであるという前提を置き、結婚における責任パートナーシップの価値を十分に評価していないように見えます

偏りの具体例:結婚における責任感や共同生活価値無視し、結婚を単に「所有」や「制限」の観点から批判している点は、過剰な批判視点に基づいています結婚は、信頼や尊重、協力の上で成り立っている場合も多く、その側面を無視して自由制限するものだと決めつけるのは偏った見方です。

3. 過度の一般

ブコメでは、結婚という制度がすべて「所有物扱い」や「自由制限するもの」だと一般化していますしかし、結婚制度文化的背景や価値観、個々のカップル関係によって非常に多様であり、その全体を一つの偏った視点評価するのは誤りです。

偏りの具体例:「結婚してイエに入れば所有物扱い」という表現は、伝統的な結婚観に基づく一部の事例を過度に一般化したものです。現代社会では、平等パートナーシップとして結婚を捉える考え方も多く、すべての結婚が「自由を奪うもの」だとは限りません。

4. 理想化された自由価値

ブコメは、自由を非常に強調し、「お互い好きでそうする分には素晴らしい」という視点を持っていますが、これは理想化された自由概念に偏っている可能性があります結婚においても恋愛においても、個人自由尊重することは重要ですが、それと同時にお互いの責任義務存在することを理解していないようです。

偏りの具体例:自由尊重重要ですが、それが互いの信頼や責任感を無視することと結びつくわけではありません。結婚には、相手尊重し、共に歩んでいく責任が伴いますブコメは、自由理想的なものとして描かれていますが、現実的には責任感やパートナーシップの価値も同じくらい重要です。

5. 道徳的相対主義の過度な適用

ブコメには、道徳価値観相対的であることを過度に適用する傾向があります結婚という制度自由を奪うものであると一概に否定することで、他者価値観文化的背景を考慮していないように見受けられます道徳倫理観文化社会において異なるため、その相対性無視するのは問題です。

偏りの具体例:結婚を「自由制限するもの」と一括りにして批判することは、個々の文化価値観尊重しない姿勢に見えます。実際には、結婚が持つ意味価値地域個人によって大きく異なりますが、その多様性無視して一つの視点固執するのは偏った考え方です。

結論

ブコメを書いた人は、結婚に対する過度に自由主義的な立場を取るあまり結婚責任相互の支え合いという側面を軽視し、理想化された自由概念に過度に依存しているように見えます。また、結婚という制度に対する批判が過剰に一般化されており、その多様性や実際のパートナーシップにおける倫理的価値を十分に考慮していない点が、思考の偏りとして挙げられます

トランプが勝って本当に良かった

日本コンテンツが好きでポリコレ嫌いなイーロン・マスクが後ろについているのも本当に良い。アニメマンガポリコレする圧力が減ることは確定した。

トランプは相当な支援をイーロンから受けているから無下にできず、イーロンが日本コンテンツ好意的という状況は最高だ。アメリカみたいなポリコレまみれでつまら作品じゃなくて自由作品を見ることができそうで嬉しい。

オレンジ色はなぜ橙(だいだい)色なのか、なぜ蜜柑色ではないのか、みたいな話の調べものメモを書きましょうね。

1862年文久2年)に堀達之助が編集した辞書であり、日本における最初英和辞書といわれている『英和対訳袖珍辞書』で「Orange」をひいてみる。

Orange, s. 橙柑橘ノ類

Orange, adj. 橙ノ

Orange-peel, s. 橙ノ皮

Orangery, s. 橙ヲ育テル園

Orange-tree, s. 橙樹

Orange-woman, s. 橙ヲ賣ル女

オレンジ以外の柑橘系の見出し語で見つけたものは以下となる。

Citrine, adj. 佛手柑又橙色

Citron, s. 佛手柑ノ類

Lemon, s. 橙ノ類

Lime, s. 黐石灰

Slacked lime. 消サレタル石灰.柑ノ類.菩提樹石灰ニテ肥シタル

Lime-tree, s.菩提樹.柑樹ノ類

Pomeron, s. 香リ良キ橙ノ類

Shaddock, s. 橙ノ類

なお余談だが、

Bergamot, s. 梨子一種

という見出し語もあったが誤訳だろうか?ベルガモットは梨ではなく柑橘という認識だけれど……。wikipediaによるとBergamotの語源は「トルコ語で「梨の王」を意味するBeg armudiが語源とする説が有る」らしいからそれが原因かもしれない。

さて、これを見ると「橙」と「柑」がはっきり区別して書かれているように感じる。

時代は後になるが1900年に書かれた『果樹蔬菜』には著者の私見ではあるが当時の柑橘類の分類が書かれていて興味深い。

皮が分厚く酸っぱい橙と、皮を手で向けて甘い柑は区別されていたのだろう。

オレンジ色に注目していく。この辞書ではOrangeではなくCitrineが「橙色の」と訳されている。

現代人の感覚だとCitrineはほとんど黄色に感じる。江戸末期~明治の人々の感覚でも同じだったのだろうか?

少なくとも『英和対訳袖珍辞書』が書かれた1862年前後では、ほとんど黄のような色も橙色表現していたかもしれない。

一つ目の根拠がCitrineのもう一つの意味、佛手柑(ブッシュカン)の色が黄色~濃い黄色ということ。

二つ目根拠1860年に書かれた『Familiar method for those who begin to learn the English language』という資料だ。

これは英蘭対訳のための参考書で、OrangeGreenyellowなどの他の色と並べられて書かれている。

この参考書単語の部を抜粋して対応する和訳を付記したのが1870年に書かれた『英吉利単語篇』になるのだが、そこでorangeという項は「orange」と「orange-yellow」という二つの項に分けて書かれている。

単なるorangepeachなどと並べて書かれ、色名の側にはorange-yellowが列挙されている。

このことから、当時のorange colour橙色はかなり黄色味が強かった可能性がある。

では、橙色が#f39800のようないわゆるオレンジ色になったのはいなのだろうか?

いったんここまで。

メモ

しかし「orange-yellow」の訳を橙色として、ふりがなに「カバイロ」(樺色、だいたい#C5591Aみたいな色)と書いてある資料1887年通俗英吉利単語篇』)もある。前述の論の反証だよね。

明治とかの輸入オレンジしわしわになっていて、皮の色はほとんど赤茶色だったらしいという未確認情報もある。これも反証になる。

橙色概念が生まれ最初期は黄色っぽくて、概念が普及するにつれて茶色みが強まったんじゃない?知らんけど。

・↑ありえなくはない。学術文脈以外で細かな色名が必要になるシーンは着物の色と絵画の色くらいしかない。当時の着物茶色灰色ばっかりだし

・↑これを裏付け調査がまだ出来ていないんだよな~

明治時代理科教育で分光を取り扱う際にorange橙色と訳したのが定着したようだ。

・↑「橙色が#f39800のようないわゆるオレンジ色になったのはいなのだろうか?」のアンサーはほぼこれでしょ、推測でしかないけど

明治後期には小学校の図工の時間カラーサークル概念を学んでいたらしい。その際に教科書には「だいだいいろ」と書かれている。

明治初期に数年だけ色彩教育を行っていたらしいのだが、そこではカラーサークルの赤と黄色の間の色は「柑色」「樺色」と記載された教科書もある(1875年『色図解 : 改正掛図』) 柑色には「だいだいいろ」とルビがあるようにもみえる 崩し字よめない……調べる事

英和辞書見出し語のorange橙色と訳されるが、和英辞書見出し語に橙色が登場するのはかなり後の時代

・「樺茶色」「鳶色」「柿色」「柑子色」「蜜柑色」「山吹色」「銅色」「飴色」「海老色」「渋色」などの見出し語はあるのだが…… 現代感覚だと茶色味が強いものが多い

・染色業界では「orange」を「樺色」と訳しているところもあったようだ(1895『染料乃栞』)(cf. 四十八茶百鼠)

大正4年(1915)と大正13年(1924)にオレンジ色流行色となった。おそらく化学染料の発展が影響 樺色、樺茶色はおそらくこれが決定打となり使用されなくなる

・冒頭に書いた「オレンジ色はなぜ橙(だいだい)色なのか、なぜ蜜柑色ではないのか」について言及してなくない?

・↑「オレンジ色はなぜ橙(だいだい)色なのか、なぜ蜜柑色ではないのか」のアンサーは江戸末期~明治の人はちゃん「橙」と「柑(みかん)」を区別していて、orange……いわゆるsweet orangeは皮が分厚く手で向けないから柑でなく橙の訳語をあてたからでファイナルアンサーじゃない?

・↑日本における果物類、柑橘類の歴史ちゃんと調べていないから、一応それを見てからじゃないとファイナルアンサーしたくない

・↑「オレンジ色はなぜ古い時代から存在する柑子色という訳語があてられなかったのか」のほうが問としてはいいかもしれん

児童向けクレヨンとかだと「オレンジ」でなく「だいだい」と表記されている率が高い

図書館に行って『日本の色彩百科 明治大正昭和平成』と『色の名前はどこからたか―その意味文化』を読むこと。

・この調べものは「現代においてだいだい色は外来語由来のオレンジ色と呼ぶことの方が多いのは何故?歴史をつぶさに追っていくぞ」の一環なのでまだ先は長い

・未調査:お坊さんの袈裟の色、あれは鮮やかなオレンジ色イメージがあるが色名、和名はついていたんだったか

・未調査サフランイエローインド国旗オレンジ色)は江戸末期~明治ごろの日本にないのかしら

・未調査:当時のにんじんかぼちゃの色をなんと表現していたか京野菜にんじん赤色かぼちゃ黄色な気がするけれど)

Twitterとかでイラストを描く人はWIPと称して描きかけイラストアップロードするが、調べもの日記においてもWIPと称して書きかけ日記アップロードしてよい。自由だ。

anond:20241112142957

そういう推論をするのはまあ自由なんだけどそのギャンブルにかけるチップ自分身体って考えたら全然割のいいギャンブルじゃない

玉木と不倫した女が女視点だと見るからヤバいっての見てたんだけど、他人の見た目に何か言うほうがヤバい!とか女の生き辛さは女が作ってる🥹とかいうてる的外れ花畑ババアジジイ?がわんさかわいてて笑う

服装自由っていうのは最低限クリアしたうえでの話なの 葬式ウェディングドレス着ていっていいですよって話じゃねーの

セックスしてやらないとか結婚してやらないとかやらせてあげることしか異性からしたらそこしか価値がないと自分で認めてるようなもんやんけ

これ見てムラムラじゃなくてモヤモヤしてるんやが

いややっぱムラムラしてます

これをわざわざ言うのって、これを許可することが異性にとって上位の価値あることで他は相対的価値が低いと自分で認めてるようなもんだけど、虚しくならんのかね?


しかも言ってる人を見ると、価値あるか…?ってレベルの女ばっかなのもまたウケる

これで価値ある女を巻き込むことでしか自分の主張を通せないって惨めにもほどかあるだろ



許可するかどうか自分自由だろ〜

許可するななんて言ってないが?

自由選択したもの貴様価値が丸見えになってるけどよく恥ずかしくないな?ってだけ

anond:20241112002521

私は自由だが

愚かな大衆自由を与えると社会おかしくなる

私などの自由意味価値をわかっている選ばれた者たちだけが自由を与えられる

愚民どもには私に啓蒙されて私の言うことを完全に理解できるようになってから自由を与えよう

それがリベラル

トランプ支持者の家は救助するに及ばず!!

遊戯王真面目にやってないやつが雑に遊戯王OCGを語らないで欲しい

現役競技勢YP(遊戯王プレイヤー)です。

anond:20241109021307

元増田は真面目に遊戯王やってない

この人、遊戯王エアプって訳ではないと思うけど多分真面目に遊戯王やったことはないと思うんだよね。何故なら、

あれだけ伝説級の活躍をした「ドラグーン・オブ・レッドアイズ」は制限復帰後は一切見かけることがない

もちろん使うデッキが強いからこそ活躍できたのだが、だとしてもこの状況は元禁止カードとは思えないし、なんなら明日から3枚使えたとしても誰も使わないだろう

ようするに現環境ドラグーン・オブ・レッドアイズが活躍できた環境をとっくに飛ばした高速環境

恐らく3年くらいたてばあのティアラメンツが全て戻ってきても、環境には入らないと予想される

ドラグーンは当時セットで使われていた相性の良いカード(アナコンダリリーサー)が禁止から使われていないだけで、例えばアナコンダが解禁されれば今の環境デッキ出張するパワーはある。

何よりもティアラメンツが3年後には環境に入らないと言う予想をするYPは殆ど居ない。なぜならティアラメンツは(主にマスターデュエルで)規制後も墓地利用グッドスタッフ的に使われていて、墓地利用テーマが強化される限り(つまり遊戯王OCGが続く限り)強化され続けるテーマであって、仮に純粋ティアラメンツとしての動きが時代について行けなくなったとしてもデッキエンジン役としては3年後も強いに決まっているというのが一般的見解からだ。

真面目にやってる人間からみた遊戯王OCGの特徴とは

近年の遊戯王OCGのテーマ基本的に1枚のカード(初動)からデッキエクストラデッキの全てのテーマギミックアクセスできるように設計されている。つまり初動さえ通ればデッキ内のテーマカードは全て試合中に使える前提でデッキが構築されている。全てにアクセスできると言うのは自由に思えるかも知れないが実は逆で、手順が多少変わる事はあっても最終的には全てにアクセスした上でほば同じ制圧盤面が作り上がるプレイング面での不自由さを内包していることになる。

実際遊戯王OCGで新しいデッキを組む際、最初にやることは基本となる数パターンの展開ルートと呼ばれるプレイを覚えることで、その後実戦の中で相手妨害を受けた場合分岐ルートを覚えていく事になる。つまり遊戯王OCGにおけるプレイングとは実の所その多くが展開パターンの暗記と言うことになる。もちろんそれで決着が付かない場合もあるのでアドリブの終盤力も必要となるが、まずは序盤中盤を乗り越えるための暗記が必要になる。

ここまでの前提を置いた上で自分が主張したいのは、遊戯王OCGは(MTGライクなカードゲーム比較して)対戦時アドリブ的に発生する対話よりもデッキ構築を重視したカードゲームだと言うことだ。デッキ内のギミックを全部使って構築時に決めた動きをするカードゲームと引いたカードアドリブ的にプレイングを組み立てるゲームとでは採用するカード一枚に対する重みが違う。遊戯王OCGは一見なんでも出来る自由さ故に初動率やエクストラデッキの枚数、サーチできるテーマカードと素引き前提のテーマ外汎用カード比率と言ったデッキ構築時の制約が直接的にプレイングに影響する不自由カードゲームでもある。一枚一枚の採用理由明確化して環境対話し、事前研究の結果をデッキに詰め込んでぶつけ合うのは遊戯王OCGの魅力の大きな部分を占めていると思う。

因みに同じく国内長寿TCGの双璧を成すポケモンカードも似たような特徴を持っていて、あちらはよりデッキすべてを使って対戦する特徴が強い。今の使用トップデッキは毎ターン4エネ(MTGでいうマナに近い)加速した上でデッキを引き切る『アグロデッキである遊戯王OCGだけが地雷の上で飛び跳ねる特異なカードゲームであるというのであれば、ターン毎にマナ加速して4ターン目くらいにはほぼデッキを引き切った上で高火力で殴りつづけるアグロデッキWotCに刷って貰えばいい。

MTG至上主義者が雑に他のカードゲームを語る事について

世の中には、MTGこそが至高のカードゲームである公言してはばからない人達一定数いる。その人達がそう思うのは勝手なので好きにすれば良いと思うが、その際に雑に他のカードゲームを引き合いに出すのは行儀の悪いことだと理解したほうがいい。こんなことはわざわざ書くのもアホらしいことだが、MTG的な楽しみ方という軸で優秀なカードゲームを選ぶと勝つのは常にMTGなのであるしかMTG至上主義者はMTGこそがthe カードゲームだと(意識的無意識的に)信じ込んでいるので、おかし比較をしていることに気付かない。

公平な観点で他のカードゲームMTG比較したいのであれば、まずは世の中のカードゲームは全てMTGから派生した物である(これはある面では事実だが、世の中のカードゲームはあらゆる娯楽の影響を受けた派生であり得るという点で間違っているし、MTG自体もなんらかの非電源ゲーム派生である)という見方を捨てる必要があるのではないだろうか、

anond:20241112074628

自分自身の在り方は完全にコントロール可能だと思っているのでしょうかセクシャルマイノリティはなろうとしてなるものではありませんよ

職業選択自由という建前ですが職業差別はいけませんよね同じことです

リベラル自称する人間が、リベラルでない人を馬鹿にすることがあるけれど、正直言ってその態度にはちょっと驚く。

リベラルって、本来は寛容さや理解対話を大切にする考え方じゃないのか?

それなのに、違う意見を持つ人を「無知だ」とか「頭が悪い」とか、まるで自分絶対的に正しいみたいに見下すのは、ちょっと違うと思う。

自分意見が正しいと信じるのは自由だけど、他人軽蔑することで自分立場を強化しようとするのは、リベラル精神とは真逆だ。

2024-11-11

anond:20241111224923

話がつながってなくない?

海外出稼ぎの女とか実子誘拐の女だって大抵は誰かを訴えずに自分でどうにか生活するためにそうしてんじゃん?

増田不本意労働してるとして、それはそうするしかいから諦めてるってのと一緒の状況だよ。(訴える相手がいれば訴えるのは自由から訴えるといいよ)

そこに対してエリート様が「そんなクソ条件で働く奴がいるか日本ダメになるのだ!」とか言ってるわけ。

そう言われて仕事辞めたとしてホワイト企業転職できるわけでもなくエリート様がお金をくれるわけでもなく働かずに生きていける社会にはならんでしょという感じ

先日行った社員旅行

うちの会社福利厚生が意外と充実してて、年に一回社員旅行がある。

参加するかどうかは自由だけど別にやることもなかったし、ただで行けるならいいかなーって感じで参加することにした。

私、入社して二年目なんだけど、同期の子たちはみんなもう仲良しで、私だけまだその輪にうまく入れてない感じ。

から今回の旅行で仲良くなれたらいいなーなんて、ちょっと期待もしてたわけ。

で、旅行当日。観光地をいくつか回ったり、豪華な食事をみんなでワイワイ食べたりして、けっこう楽しい! 

自由時間もあったんだけど、そこで同僚の子が「一緒に回ろうよ!」って声をかけてくれて。これ、私的にはめっちゃしかったんだよね。

なんか「ついに私も同期の仲間入りか!?」みたいな感じでテンション上がっちゃった。

その自由時間では観光地をぶらぶらしながら、いろんな話をしたんだ。仕事の話とかプライベートの話とか、普段はなかなかできないようなこともいろいろ話せて、けっこう深いところまで語り合えたのが本当に嬉しかった!

夜になってみんなが少しほろ酔いで良い感じになってきたころ、誰かが「みんなで最後記念写真を撮ろう!」って言い出した。

歩いてる人にお願いして写真を撮ることになったんだけど、もうみんなノリノリ。両手でハートマークを作ったりとか、ピースしたりとか、みんなそれぞれポーズ決めてて、なんかリア充って雰囲気

ここで私も「よし、みんなに合わせてポーズ決めよう!」って、ちょっとはしゃいだ気持ちになったんだよね。

いつもならちょっと遠慮しちゃうところだけど、せっかく仲良くなれそうなタイミングだし…ここは思い切ってあの両手でハートを作るやつをやってみようと思ったの。

でも正直あんまりああいポーズとかやったことないから、ちょっとこちなくなっちゃって。

あれ、手どうすんだっけ?って若干テンパりつつもなんとか形にしようと頑張ったわけ。

でもその場ではみんな盛り上がってたし、ノリでなんとかなったかなーって思ってたんだよね。

帰宅後に旅行写真が送られてきてさ、ワクワクしながら開いたの。

そしたら…さ。みんなが可愛くハートとかピースしてるなか、私だけ完全に気功砲

ハートじゃなくて、どう見ても気功砲ポーズになってた。なんなら口も開いてて完全に「はぁーっ!」って感じ。

やらかしたよ…ねぇ、明日同僚にどういう顔して会えばいい!?

誰か教えてくれ……

anond:20241111193420

いや夫婦同姓にするのはダメだろ・・・メリットが無いって散々言われてる

選択自由って批判されない特権じゃない

anond:20241111200736

こういうトラブルでやっちゃいけないことをやるべきってコメントを他の記事で見たか否定しておくね

もっと早く謝ってたらとっくに復帰出来ていた」

このウソスターを集めててしかも非常に危険な間違いだから指摘しておく

性加害の疑惑をかけられたら、絶対に謝ってたらダメから

謝るって言うのは、それだけ被害に対する事実認定に使われてしま

意図的トラブルなんかでは、あえて謝ったら許すと言って謝罪を迫っておきながら、謝罪したことをもって被害事実認定に利用するというのは常套手段なんだよ

謝るのは合意が行われた後にいくらでも出来る

やりたいなら一生毎日天に向かって謝り続けたらいい

誰も止めない

からトラブル解決するまでは絶対に謝らずに弁護士相談するように

法律素人増田の言い分に納得するのは自由だけど絶対に真に受けちゃいかんで

anond:20241111200736

やっぱりブクマカ法律素人精神勝利自分の納得感を重視するタイプが多いんやな

そもそも本当に松本が負けたと思うならそんなに怒る必要ないんやで

松本が本当にやったことに関して適切な罰を受けることが確定したなら、誰も怒る必要なんてない

死刑になるべきひとがを無罪放免なら怒るのは、分かるけども死刑になるべきひとが死刑になっても怒る意味がないんよ

実は、ブクマカ自分の態度で松本が勝ってしまっていることを自分で認めてしまっているんや

もちろん自分に嘘をついて、松本の負けだと納得するのは自由

思い通りになって良かったねと

なんで怒ってるの?って話だけどさ

anond:20241111195057

まあどこかの架空日本を憂いてるらしいからな

フィクション自由という事を身をもって証明してくれて嬉しい限りだよ

もしはてな社が究極まで発展したら

はてな社が究極まで発展した場合、次の4つの未来が考えられます

1. 全知全能の存在

はてな人類知識を超えて、過去未来・すべての可能性を理解し、どんな問題にも答えられる「全知の存在」となります

2. 意識の融合と進化

個々の意識が集まって「集合意識」が生まれはてなを通じて人類は互いに深く理解し、物理的な制約を超えた意識体へと進化します。

3. 現実の再構築

はてな現実のもの操作できるようになり、人々が望む世界自由創造できる「現実編集機能」を提供します。

4. 宇宙との一体化

はてなは最終的に宇宙のものと一体化し、無限知識意識の一部として存在し続け、永遠に進化を続ける力となります

この未来では、はてな知識意識を超越し、人類宇宙無限可能性を提供する存在となります

完全初見から原神を始めて1年が経つので正直な感想

はじめに

タイトルの通り、原神を始めて1年が経つので、振り返りながら感想を書きます

酸いも甘いもハッキリ主張しますし、お気持ち要素を含むので耐性の無い方はバックで。後半につれあまり楽しくない内容になっていくので自己責任でお願いします。

また、これから始める人も読めるように、極力ネタバレは控えます。(記憶違いで順番おかしいところとかは見逃してほしい。)

・筆者について(読み飛ばし推奨)

感情移入しづらい部分があると思うので、念のため記載しておきます。老人寄りと思ってください。

ゲームプレイ歴:合わせて20年ほど。新作ゲーはほとんどやらず、昔のゲームをとことんやりつくすタイプ

好きな家庭用ゲームKHシリーズDODシリーズ、NieRシリーズソウルシリーズなど。

スマホゲームパズドラ、シャドバ、デレステあたりをほんの少しだけ。

原神を始めた経緯

スマホを買い替えて、スペック的にできるゲームの幅が広がったのがきっかけ。

せっかくならオープンワールドゲーをやりたいと思い、課金前提だったのでできるだけサ終しなさそうなものを選んだ結果が原神でした。

時点で3年続いていたし、セルランも上位にいたので。

(ちなみに、このときはPS5やPCプレイできることを知らなかった。)

序章|モンド編

まずムービーから始まるのだが、率直に「スマホゲーってもうこの領域なのか」と思った。

昨今のゲームほとんどやってこなかったので、スマホという小さな端末で、PS4レベルゲームプレイできる新鮮さに感動した。

肝心のゲーム性については追々理解を深めていくことになる。

序章時点では、前情報なし完全初見だったので「早く戦わせてくれ!金は払う!」 「フィールド走り回らせてくれ!金は払う!」しか考えておらず、チュートリアルムービーの長さに困惑

一通り済んでからはひたすら色んな建物に登ったり、行く必要のない崖下に降りていったり、ストーリーそっちのけで探索ばかりしていた思い出。

このあたりはオープンワールドらしい楽しみ方をできていたように思う。何気ないところに宝箱があったり、密かな楽しさの連続だった。

一方ストーリーに入るとおつかいが多く、「これテイルズ系のゲームか?」と雲行きは怪しかった。(筆者はテイルズを投げ出してしまタイプ

第1章|璃月編

なんだか悪い奴が龍を絆して国が滅びそうになったのを救ったらしいが、旅人風神の瞳(フィールド上に散らばる収集アイテム、たくさん集めると報酬がもらえるよ)探しに夢中であった。

一通り瞳を集め終えると今度は氷山に登り始めた。とにかく寒いし、一定高度に達すると戻されるし、正規ルートではないことは薄々感じていたけれど、それでも旅人は登り続けた。そこに山があったから。

山登りに気が済むと、ようやく次の目的地へ。

璃月港に到着するのだが、ここの入り口がとにかく素晴らしかった。景色は綺麗だし、建造物は迫力満点だし、地続きに辿ってきたとは思えない別世界がそこに広がっていた。

とまあ、マップインパクトはあったものの、ストーリーはとにかく入ってこなかった。

まり漢字の羅列に、ここにきて「開発元、中国だったな……」と思い出した。ヨーロッパ風味のモンドを序章に持ってきたのは正解だったかもしれない。

そうして旅人は時に山に登り、時に地下洞窟に潜り、時に休憩がてらストーリーを進めるようになったのである

閑話休題

璃月編が終わるころ、早くもモチベが尽きかけていたのだが、ストーリー攻略を加速させた2つの要因があった。

(思い返せば、ここまで1か月弱であり、それなりのペースで進んでいるので燃え尽きるのにも無理はない。)

元素反応への理解キャラクターによって「元素」と呼ばれる属性みたいなものがあり、原神はこの「元素」の組み合わせでダメージを増やしたりする戦闘システムになっているよ)

この頃のPTといえば「旅人(風)、香菱(炎)、久岐忍(雷)、ノエル(岩)」である

チュートリアル理解せず、プレイ動画等も見ていなかったので、

「なんか久岐忍のスキルのあと香菱のスキル使うと相手吹っ飛ぶな~、そのあと旅人スキルでもう一回集めて吹っ飛ばすのおもしれーや!」

しか思っていなかったのだが、過負荷(炎+雷)、拡散(風+岩草以外)をはじめとした元素反応を理解しはじめ、戦闘や編成を楽しみ始める。ノエル卒業を誓ったのもこの時期である

雷電将軍の復刻

これが一番大きかった。というか、原神はこういうゲームである

完全初見といえど、「雷電将軍」という文字列はXのトレンドなどで目にすることがあった。キャラクターイラストまでは知らなかったものの、ピックアップと知った瞬間、

はえーこれが雷電将軍ですか……金は払う」そう言い残すと旅人は重い腰を上げ船に乗り、一気にストーリー攻略し始めるのであった。

キャラクターレベルを上げるのには決められた「突破素材」を集める必要があり、雷電将軍場合第2章舞台である稲妻」で収集できる。

第2章稲妻

これまでの章とは打って変わって、日本モチーフの国が舞台となるのだが、どこか似非っぽくあまり好みではなかった。

ただ、雷電将軍がたくさん出てくる。かっこいいムービーがたくさんある。それでいいじゃないか

という意気込みだけはあったものの、二転三転。ちょっとストーリーダメだった。ここにきて初めてしっかりストーリーを読んだけれど、神様がポンすぎるのと結末の肩透かし感が残念だった。

そこで再びモチベーションを失った旅人は2か月間、聖遺物秘境(装備品が手に入るダンジョン)にこもりはじめる。

第3章|スメール

雷電将軍スコア(装備品ステータスの高さ)が200(高スコア基準)を超え始めたころ、ようやく旅人は次の章を進め始める。

確保だけしておいたナヒーダで超開花(雷+草)反応を楽しんだり、雷電ナショナル雷電将軍テンプレ編成の一つ)を組みサクサク攻略を進めていく。

このころの旅人は、既に探索を楽しむ心を忘れていた。いかスコア更新できるか、「ぼくのかんがえたさいきょうのらいでんしょうぐん」を作るかということに躍起になっていた。

片手間にストーリー攻略を進め、よくわからない傘小僧に「(^^)」と名前をつけ、時に砂漠に繰り出すも「やっぱり面倒くさい」と森へ帰っていくのだった。

第4章|フォンテーヌ編

原神を始めておよそ4~5か月が経ちました。旅人は「霧切の雷光」(雷電将軍モチーフ武器)を獲得しなかった後悔を持ちながら、今日ポセイドンが持っていそうな槍で戦っています

極限まで低迷したモチベーションを、重い腰を上げるきっかけはなんだったでしょうか。そう、プレイヤーの皆様ならおわかりですね。

・ver.4.5後半|ヌヴィレット参戦

言わずと知れた原神最強キャラクターです。一人で何でもやってのけます

雷電将軍のメイン火力に物足りなさを感じていた旅人は、「そんなに強いなら」ということで彼を迎えました。

これは間違いだったかもしれない、と今でも思います

旅人は身に余る力を手に入れ、最強を最強にしようと、彼を主軸に育成を進めるようになります

ついでに折角ならキャラクターのことも知りたいとストーリーをこまごま進めるようになります

原神ファンの中でフォンテーヌ編は評価が高いことを耳にしていたのもあり、期待感を持ちながら読み進めていくのでした。

というところで、この辺りから原神の良い点悪い点という話になるので、真に受けやすい方はブラウザバック推奨です。

(ちなみにナタは期間内クリアイベントに合わせて進めています

原神の良い点

グラフィックゲーム

昨今のゲーム事情に詳しくないので他社と比較はできませんが、スマホゲームとしてはかなり目新しさを感じました。

好きなキャラクター自由に動かせる、瞳の収集や宝箱、マップごとのギミックなど探索の奥深さもあり、オープンワールドの良さがきちんと出ています

(もうリリース4年目だし、ティアキンとかやったら涙止まらいかもしれません。)

キャラクターを満遍なく使った戦闘システム

もちろん単騎攻略可能ですが、基本的には色々なキャラクターを駆使してシナジー意識しながら戦うことになるので、その辺りが楽しさかと思います

また好きなキャラクター同士を組み合わせたり、オリジナリティのある編成を考えることも楽しみの一つだと思います

基本はアタッカー1+サポート3のためアタッカーだけ長く表に出て、残り3人はほとんど裏にいることが多いのも事実ですが、そこは運用次第といえる範囲ではないでしょうか。

あと余談ですが、戦闘は難しくない方だと思います。取っつきやすさは大事ですね。

・多彩なキャラクター

正直、ここに尽きます

長々と書いてきたのですが、好きなキャラクターいるかどうか、が全てだと思います

好きなキャラクター限界まで強くしたい→編成のためにサポートキャラを育てたいとか、

好きなキャラクターの喋ってるところが見たい、シナリオでどんな立ち位置なのか知りたいとか、約1年続けられたのはこの部分でした。雷電将軍、ヌヴィレットに感謝

原神の悪い点

ストーリー

前半を読んでいただいた方にはおわかりと思いますが、「ゲームシナリオ」としては出来が良くない方だと思います

上にはあえて書きませんでしたが、フォンテーヌは本当に酷いものでした。

全体的に「なぜそうなった」からの「その結末でいいんだ」という肩透かし感が否めません。

ただ、こればっかりは合う合わないがあると思います

ストーリー苦痛でやめた」という人もいれば、「涙流すほど感動した」という人もいます

筆者のように「楽しみ方を別のところに置く」というのでも続いていますし、人それぞれですね。

ただ、旅人目的過去パイモンへの考察など、多く謎を残している点には筆者も注目しています。今後大どんでん返しがあるかもしれませんね。

・おつかいイベントなど、テンポの悪さ

これも合う合わないというか、そもそもゲーム向いてない話なのですが。

同じことの繰り返しを強制されたり、何をさせられているのかわからないイベントが多いです。

あくまソシャゲとして楽しみたい人には無駄時間がかかってしまい、苦痛に感じやすいのではないでしょうか。

強制でないイベントも多々あるのですが、ゲーム通貨キャラクター経験値を集めるために消化していかざるを得ないのも事実です。

インストリーはまだしも、サブクエはせめて会話スキップ機能をつけてもらいたいものです。

バグシステム改善放置

ここはかなり深刻ですね。

細かくは触れませんが、「原神 バグ 放置」などで検索していくと多数ヒットするかと思います

同社の「崩壊スターレイル」や「ゼンレスゾーンゼロ」では原神の反省点を次々に反映していっており、「なぜ原神は放置なのか」という声も度々上がっています

Ver.5.0付近から大幅な改善を重ねていますが、「神アプデ!」という声があがる一方で、「今更か」という声もあり、不信感を持つユーザが増えてきているように思います

セルランも前年に比べて安定していませんし(競合他社の台頭も要因か)、頑張ってもらいたい部分です。

ユーザー層

仕方のない部分です。

原神に(?)対してお気持ち

ユーザーに不便を押し付けるのって、10年も前の古いやり方かな、と思っています

キャラクター育成然り、復刻関連然り、もう少し焦らないといけない部分があるかなと。

ヴィレットより単騎で強いキャラ出して来たら、最終手段使ってきたな、と思ってしまますね。

まとめ

ゼンレスゾーンゼロをやりませんか?

anond:20241110193034

私は、毎朝早く、しかも決まった時間に起床して出社するのが苦痛すぎて、

(他にもいろいろあるけど、要するにサラリーマン生活は、総じて窮屈で自由がないということが理由で)

就職した年の12月末で退職したよ。

紆余曲折あって、いまはフリーランス毎日好きなだけ二度寝と昼寝を楽しんでいるよ。

ご飯食べるのもめっちゃゆっくりだよ。

ここ10年ぐらいは、毎年それなりに(あのまま会社めしていたら絶対に稼げない額を)しっかり稼いでいるよ。

会社員をやる以外の選択肢はいろいろあるよ。

時間と気力を消費するようであれば、他の生き方を考えるのをおすすめするよ。

でも、楽してウマいこと稼げる方法はないよ。

辛さのメインに挙げられている食事内容については特に感想がなくて、すまん。

私が苦痛を感じていたのはそこではなかったので。

(勤めていた時は外食するか、会社の近くにあったおにぎり屋でおにぎり買って食べてた)

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