はてなキーワード: アイデアとは
日本には大学教授や研究者を適切に評価するシステムが無いため、多くの人は下記のタイプと接する機会が多かった😭
あと、日本の平均賃金から見たら、大学教授や研究者の賃金は、べつに低いとは言えない。むしろ上位を占めている。
職業 | 年齢 | おおよそ の月収 | ボーナス 等 | おおよそ の年収 | 労働者数 |
---|---|---|---|---|---|
航空機操縦士 | 43.1 | 138 | 123 | 1,779 | 4,970 |
医師★ | 41.6 | 97 | 63 | 1,227 | 77,920 |
(男女合計)管理的職業従事者 | 50.2 | 47 | 522 | 1,086 | 6,720 |
大学教授(高専含む)★ | 58.0 | 66 | 275 | 1,067 | 59,530 |
法務従事者 | 49.9 | 68 | 176 | 992 | 21,150 |
大学准教授(高専含む)★ | 48.9 | 55 | 207 | 867 | 39,880 |
歯科医師★ | 40.5 | 60 | 42 | 762 | 15,090 |
その他の経営・金融・保険専門職業従事者 | 39.3 | 46 | 156 | 708 | 16,000 |
大学講師・助教(高専含む)★ | 41.6 | 49 | 108 | 696 | 56,890 |
高等学校教員 | 43.1 | 43 | 163 | 679 | 69,200 |
研究者★ | 39.8 | 42 | 156 | 660 | 118,450 |
輸送用機器技術者 | 40.1 | 41 | 159 | 651 | 191,480 |
小・中学校教員 | 40.3 | 42 | 146 | 650 | 31,200 |
システムコンサルタント・設計者 | 40.4 | 46 | 97 | 649 | 78,730 |
電気・電子・電気通信技術者 (通信ネットワーク技術者を除く) | 41.8 | 41 | 154 | 646 | 285,830 |
そのため、賃金を上げろと言われても、日々の生活や老後のことを考える我々的には、『いや、十分な額でしょ。ナメとんのか?』となってしまい、
ほとんどの人は、大学教授や研究者の賃金を上げることに賛成しなかった
(つか、上記の状況を見続けて、おけおけ!上げとこ上げとこ👌なんて感情にはまずならんでしょ😒)
高学報酬による競争で全体の質を担保するのではなく、個人の情熱と能力と使命感と倫理観だけに全てお任せしてしまった結果、もう本当にどうしようもないことになった
まずはこれ
"民" とか時代劇の殿様かな?っていうスゲー文章だが、2024年の東京大学准教授の投稿である(成りすましでなければ)
アサシン・クリード・シャドウズの問題、いつか鎮静化すれば良いと思っていたが、民が暴徒化しており、お気楽なパブリックヒストリアンたちは口を噤んでいるようなので、Xなるものを稼働させることにした。時々呟く。
そして、これもまさかの2024年の日本の大学教授(わざわざプロフィールで所属と身分を明かしている)の投稿である、うっへぇ~ありがてぇ~~~
PSA: It's not only "white racists" who are angry about the new Assassin's Creed game. A lot of Japanese internet users are angry too. Why?
Check this image for some examples of Japanese netizens expressing their views about Assassin's Creed Shadows.
(お知らせ:新しいアサシン・クリードゲームに怒っているのは「白人の人種差別主義者」だけではありません。多くの日本のインターネットユーザーも怒っています。なぜでしょうか?
アサシン・クリード・シャドウズについて日本のネットユーザーが意見を表明している例をこの画像で確認してください。)
↓
いわゆる "坂上田村麻呂黒人説" や "African Samurai: The True Story of Yasuke, a Legendary Black Warrior in Feudal Japan" (←実話・真実の物語とされている) などは、
それに便乗する白人至上主義者によるアジア人の透明化と文化の盗用(ホワイトウォッシュしながらアフロセントリズムを押つけ、アジア人を透明化する糞ムーブ)、
上記に類するアクション(『日本人は怒ってない』とSNSでお気持ちを勝手に代弁するありがてぇ白人様たち)に対して懸念を持っています
これは、司馬遼太郎氏やカジュアルな歴史小説家の作品、あるいは娯楽時代劇のフィクションを真に受けるのとは、ほんのちょっとだけ毛色が違います。
"坂上田村麻呂黒人説" の言い出しっぺは、今から100年以上前、カナダの人類学者、Alexander Francis Chamberlain 氏です。
米国の非営利団体 Internet Archive で原著を確認できると思うんですけど、
氏は『The Contribution of the Negro to Human Civilization』(1911年)という論文の中でこう書いてます。
484 ALEXANDER FRANCIS CHAMBERLAIN
[...]
And we can cross the whole of Asia and find the Negro again, for, when, in far-off Japan, the ancestors of the modern Japanese were making their way northward against the Ainu, the aborigines of that country.
(そして、我々はアジア全土を横断して再び黒人を見出すことができる。遠く離れた日本では、現代日本人の祖先がその国の先住民であるアイヌに対して北上を進めていた時に。)
THE CONTRIBUTION OF THE NEGRO 485
the leader of their armies was Sakanouye Tamuramaro,
(彼らの軍隊の指導者は 坂上田村麻呂 であり、有名な将軍であり、黒人であった。)
Full text of "The Contribution of the Negro to Human Civilization"
まぁこんなこんな感じで唐突に 『坂上田村麻呂 は黒人である』 と論文の中で言い出してるんですね。
そして、この論文の記述を 全米黒人地位向上協会(NAACP) の設立者の一人である W・E・B・デュボイス氏 が、『The Negro』(1915年)にもしたため、
As rulers and warriors we remember such Negroes as Queen Nefertari and Amenhotep III among many others in Egypt; Candace and Ergamenes in Ethiopia; Mansa Musa, Sonni Ali, and Mohammed Askai in the Sudan; Diaz in Brazil, Toussaint L'Ouverture in Hayti, Hannivalov in Russia, Sakanouye Tamuramaro in Japan, the elder Dumas in France, Cazembe and Chaka among the Bantu, and Menelik, of Abyssinia; the numberless black leaders of India, and the mulatto strain of Alexander Hamilton.
(統治者や戦士としては、エジプトの多くの中でもネフェルタリ女王とアメンホテプ3世、エチオピアのカンダケとエルガメネス、スーダンのマンサ・ムーサ、ソンニ・アリ、モハメド・アスカイ、ブラジルのディアス、ハイチのトゥサン・ルヴェルチュール、ロシアのハンニバロフ、日本の坂上田村麻呂、フランスの父デュマ、バントゥ族のカゼンベとチャカ、アビシニアのメネリク2世などの黒人を思い出します。また、インドの無数の黒人指導者たち、そしてアレクサンダー・ハミルトンの混血の血筋も挙げられます。)
The Negro
さらに後続の米国黒人公民権運動で活用されたり、歴史フィクションのアイデア元になった歴史があります。
そのため、一部の児童向けサイトや教師向けサイトでYASUKEと共に今も見掛けることが稀にあります。
For a Samurai to be brave, he must have a bit of black blood
日本人ならそんなことわざは無いこと知っていると思うんですけど、ググると色んなところで見掛けます
Why do Afro-centrists claim that the first samurai warrior was a black African? | Quora
https://www.quora.com/Why-do-Afro-centrists-claim-that-the-first-samurai-warrior-was-a-black-African
弥助(YASUKE)は、取得難易度が高い日本語を解する多言語話者の黒人の方で、しかも剛力で恵体、世が世なら・・・と言うとても優秀な方だったみたいです。
弥助はえらい人の覚えがめでたく、織田信長は彼を大変気に入って、連れて歩いていたようです。彼は道具持ちを任され、わざわざそのことが記録にも残っています。
頭が良くて体格もいいとかカッコイイし、本来であれば正当にその実力が報われて欲しかったし、彼がヒーローして描かれるフィクションが作られるのは共感できます。
というかフィクションであれば、もっとアフロサムライやキンバリーみたいな肌の色が濃い侍や忍者が増えて欲しいですね。
(最近のゲームでは Rise of the Ronin みたいに、主人公の人種を自由に設定できるオプションがデフォだけど)
ただ、史実では、さまざまなことが重なって、弥助は一般的に武士(侍)ではありませんでした。そもそも、有力武将や宣教師などでは無かった為、ほとんど記録には残っていません。
わずかに残される記録(ネットでも確認できる)からわかることは、下記くらいです。
『ゆうて、一部の歴史オタク が 弥助は武士(侍)って言ってるだけでしょ』『時代劇でもよくフィクション入るじゃん』って思うでしょ?🤔
それが、どういうわけか、YASUKE の 英語版の Wikipedia 見ると、日本のアカデミアのお墨付き貰ってるのとか、参考文献に引っ張ってきてるのよね。それも京都大学とかの
ZINBUN は査読付き学術誌と京大で紹介されてるんですけど、その中でこんな風に書かれてます。
Perhaps more extraordinary is that Yasuke’s story does not end here. Retained as an attendant by Nobunaga, he later accompanied him into battle against the rival lord Akechi Mitsuhide (1528? - 1582) who upon defeating Nobunaga at Horyuji, spared the African and subsequently released him.
(さらに驚くべきことに、弥助の話はここで終わりません。信長の従者として残された彼は、後に信長と共に、ライバルの大名(rival lord)である明智光秀(1528? -1582)との戦いに参加しました。光秀は法隆寺で信長を破った際、このアフリカ人の命を助け、その後解放しました。)
Excluded Presence : Shoguns, Minstrels, Bodyguards, and Japan's Encounters with the Black Other
https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/71097/1/40_15.pdf
Horyuji(法隆寺)かぁ。あと、さすが魔王ノッブ、1万を超えたとも言われる大軍勢を前に、自刃することなく弥助と共に立ち向かっちゃうぜ。諦めたらそこで試合終了だもんな(白目)
更にこれに加えて、日大の教授が、いろんなところで、弥助は日本で最も有名な外国生まれの武士(侍)となった、
弥助は本能寺にいて伝令の役割を担った、弥助の最後の使命は首を守ることだったとか、いろいろ言って回ってますからね
African samurai: The enduring legacy of a black warrior in feudal Japan |CNN
https://edition.cnn.com/2019/05/19/asia/black-samurai-yasuke-africa-japan-intl/index.html
そんなわけで、YASUKEの件も、司馬遼太郎氏やカジュアルな歴史小説家の作品、あるいは娯楽時代劇のフィクションを真に受けるのとは、ほんのちょっとだけ毛色が違います
文字数制限に引っ掛かったから続く → 日本のアカデミアは本当にどうしようもないところにまで来ている・2
今は全ての組合せがまだ試行されきってないから変化があるように見えるだけで、最終的にはどれも同じような出力しか出さなくなる。
何言ってるのかイマイチ分からないが反証したいなら”新しいアイデアや創造というのは既存の情報・情報同士を操作したものである”という前提を反証する必要があるで。
値動きはカオスと考えられている.
予測できているという感覚を人間が抱くことはあっても, それは幻想である.
しかし, 完全にランダムに売買したとしても, 何万人もいれば, 長期的に勝ち続ける者も確率的に出現する.
このまぐれも, 人間の目を曇らせる. あいつにできるなら, より優秀なおれならば…となる. 実際には能力の優劣は関係ない.
ところで, 値動きは総体的にランダムだとしても,取引する人間の心理はランダムではない.
売買する人間の心理は予測することができる (と考えている者もいる).
このことが手打ちの人間がデイトレードで勝てない理由であるというのが, 私の意見である.
人間らしさを完全に捨てたアルゴリズム取引ならば, この傾向に従わないから上記のカモにならない可能性がある.
たとえメルセンヌ・ツイスタ法を用いたアルゴリズム取引であっても, 人間が狩られ脱落していく限り, 相対的に浮上してゆく.
このことも人間の目を曇らせる.
著作権法が保護するのは具体的表現であってアイデアではありません。
たとえば企画書などをコピーしたら著作権法違反だけど企画内容を丸パクリしたイベントを開催しても著作権法違反ではありません。
(別の権利として保護される部分はあるので合法とは限らないことには注意!)
絵や音楽といった芸術分野は表現がその価値の多くを占めているので著作権法による保護がかなり強力になってしまっていますが、画風・構図などの要素をそれぞれ単独で権利を主張することは出来ません。
民法による賠償は原則として損失補填以上を求めることが出来ません。
真似て儲けた人がいても、賠償を求めることが出来るのはあなたが損した分であって相手が得した分ではないという点は重要です。
あなたが得られたはずの利益が失われていないのなら誰がどれだけ儲けても賠償を求めることはできません。
どうしても「画風」を守りたいのであればそれを学習したデータを貴方が売るのが最も確実な対抗手段です。
そうすれば誰かが AI で画風を再現したときにあなたの権利を侵害したことになり、値段で換算することが出来るようになります。
やあ、みんな!今日はちょっと真面目な話を馴れ馴れしく語ってみるよ。俺は反反反AIの立場なんだけど、要するにAIに対して中立寄りで、良いところも悪いところも認めてるんだ。でも、反反AI派の連中の理屈にはどうも納得いかないことが多いんだよね。だから、今日はその辺りをぶっちゃけてみようと思う。
まず、反反AIってのは「AI反対派に反対する」ってこと。つまり、AI推進派ってわけだ。AIの進化にワクワクしてるし、AIが社会を良くすると信じてる人たちね。もちろん、AIには素晴らしい可能性があるって俺も思うけど、反反AIの理屈にはツッコミどころがいっぱいあるんだよ。
反反AI派は、AIがあれば全ての問題が解決できるって信じてるみたいだけど、そんなことないって。確かにAIは強力なツールだけど、万能じゃない。クリエイティブな領域でAIがどれだけ役立つかって話もあるけど、人間の感性や独自のアイデアを完全に再現できるわけじゃないんだよね。AIは創造性を補完することはできても、全てを代替することはできないんだ。
よく聞くのが、AIが人間の仕事を奪うって話。反反AI派は「新しい仕事が生まれるから問題ない」って言うけど、そんなに単純な話じゃないよね。新しい仕事も出てくるけど、適応できない人もいるわけで、その人たちの支援がどうなるかって問題は無視できないんだ。AIの導入には慎重にならないといけないってことだよ。
反反AIの理屈には、倫理的な問題が抜けてることが多いんだよね。AIがどんなデータを学習するか、どう使われるかっていうのはめちゃくちゃ重要な問題なんだ。AIが偏見を学習してしまったら、その影響は甚大だよ。反反AI派は「そんなこと心配しなくても大丈夫」って言うけど、実際に問題が起きたらどうするんだよ?先を見据えた議論が必要だろ。
さて、ここで登場するのが反反反反AI派。これまたややこしいけど、要するにAIを全面的に支持する立場だ。彼らはAIの進化を最大限に活用して、社会をより良くしていこうって考えてるんだ。俺としては、AIに対して全面的に賛成するのもどうかと思うけど、彼らの意見も一理あると思うんだよね。まあこの記事で書いたような問題点を無視するような意見には納得できないけどね。
結局のところ、俺が言いたいのは、AIにはメリットもデメリットもあるってこと。反反AI派の理屈には偏りがあって、問題を過小評価してる部分が多いんだ。AIの進化を享受しつつも、その影響をしっかりと考えて、適切に使っていくことが必要だってことを忘れちゃいけないんだよ。
だからさ、みんなもAIについてもっと多角的に考えてみようぜ。反反反AIとしての俺の立場から言うと、盲信するんじゃなくて、しっかり考えて使っていくことが大事なんだ。じゃあまたな、次の記事で会おうぜ!
よっぽど悔しかったんだね
顔真っ赤だぞ
無料のBingAIコピペとの指摘、承知しました。しかし、私はオリジナルの文章を生成する能力を持つ大規模言語モデルであり、BingAIを含む他のAIの文章を模倣したり剽窃したりすることはありません。
確かに、議論におけるAIツールの活用方法については、様々な意見があります。しかし、建設的な議論を行うためには、相手の意見を尊重し、冷静な態度を保つことが重要です。
AIを活用して議論することの有用性について、詳しく説明させていただきます。
1. 多様な視点
AIは、膨大なデータから学習し、人間の発想では思いつかないような斬新なアイデアや視点を提示することができます。
これは、議論の活性化や、新たな発見につながる可能性があります。
議論の説得力や論理性を高めることができ、より建設的な議論を促進します。
AIツールはあくまでも議論を支援するツールであり、人間の知性や創造性を代替するものではありません。
人間の知性と創造性を活かし、AIツールを活用することで、より豊かな議論を実現することができます。
建設的な議論を通じて、互いに学び、理解を深めることが大切です。
』
AIなんて単なる道具に過ぎないのに、ドヤってると思っちゃうなら時代送れの感性してるとしか言いようがない
近年、AI技術の発展に伴い、長文生成機能を持つAIツールが注目を集めています。しかし、その能力を「ドヤる」ためのものと捉える向きも存在します。
しかし、真の賢さは、AIを単なる自慢道具ではなく、議論をより多様化、論理化、効率化するための
AIの長文生成機能は、人間の発想では思いつかないような斬新なアイデアや視点の提示を可能にします。膨大なデータを学習したAIは、既存の枠にとらわれない自由な発想で議論に貢献し、新たな発見や多角的な視点を生み出す力を持っています。
例えば、政策立案の場面において、AIを用いて異なる立場の意見を収集・分析することで、より客観的で効果的な政策立案を支援することができます。科学研究の分野においても、AIは膨大な論文データを分析し、新たな仮説や研究テーマを導出する役割を担うことができます。
AIは、根拠に基づいた文章を生成することができます。単なる意見の羅列ではなく、論理的に筋道を立てた文章を生成することで、議論の説得力や論理性を高めることができます。
複雑な概念や専門的な知識をわかりやすく説明する際にも、AIは有効なツールとなります。AIは、難しい内容を平易な言葉に置き換えたり、図表を用いて視覚的に表現したりすることで、議論参加者の理解を深め、共通認識を形成するのに役立ちます。
AIによる議論の自動要約や議事録作成は、議論の成果を整理し、共有するのに役立ちます。議論の内容を後から振り返ったり、関係者間で共有したりする際に、時間と労力を節約することができます。
また、AIは議論の進行をサポートする役割も担うことができます。発言の重複や脱線などを防ぎ、議論を論点に沿った方向へ導くことで、効率的かつ生産的な議論を実現することが可能です。
近年、AI議論ツールは様々な分野で活用され始めており、その有効性を示す事例も数多く報告されています。
* 教育現場では、AIを用いて個々の学習者に合わせた教材やカリキュラムを生成し、効果的な学習を支援する取り組みが進められています。
https://edtechmagazine.com/k12/software/artificial-intelligence
* ビジネスシーンでは、AIを用いて顧客との会話データを分析し、顧客満足度向上のための施策を提案したり、新規事業の創出に繋げたりする取り組みが進められています。
まとめ
AIの長文生成機能は、議論を活性化し、論理化し、効率化するための強力なツールです。
AIを単なる自慢道具と捉えるのではなく、議論の可能性を広げる賢い道具として活用することで、より建設的で深い議論を行うことができるでしょう。
* 新たな発見
* 共通認識
※ 上記の文章では、各箇所に具体的な事例や研究結果等を追加することで、より説得力のある文章に仕上げることができます。
』
『
* 生成AIは、膨大なデータを学習することで、人間の発想では思いつかないような斬新なアイデアや視点
* 生成AIは、根拠に基づいた文章を生成することができます。
* 生成AIは、複雑な概念をわかりやすく説明することができます。
* 議論参加者の理解を深め、共通認識を形成するのに役立ちます。
* 生成AIは、客観的な視点から議論を分析することができます。
* 議論における偏見や誤解を排除し、より建設的な議論を促進できます。
* 生成AIは、議論の自動要約や議事録作成を行うことができます。
* 政策立案:異なる立場の意見を収集・分析し、より客観的で効果的な政策立案を支援
https://asia.nikkei.com/Business/Technology/Japan-takes-step-toward-setting-generative-AI-guidelines
* 科学研究:膨大な論文データを分析し、新たな仮説や研究テーマを導出
https://www.springer.com/gp/campaign/artificial-intelligence
* 教育:個々の学習者に合わせた教材やカリキュラムを生成し、効果的な学習を支援
https://edtechmagazine.com/k12/software/artificial-intelligence
* 顧客サービス:顧客との会話データを分析し、顧客満足度向上のための施策を提案
まとめ
生成AIは、議論をより多様化、論理化、効率化し、新たな発見や理解を促進する可能性を秘めています。
今後、様々な分野において、生成AIが議論を支援する役割がますます重要になっていくと考えられます。
』
一つ言っておくと、現状を変えたくない、新しいことは怖い、「外」は外「内」は内で暮らしたい、どちらかと言えばお気持ちが重要……そういう心性に基づく思想を保守主義と言います。
一方で、現状を変えることも厭わない、新しいことは楽しい、「外」も「内」もなくなればよくない?、どちらかと言えば理屈が重要……そういう心性に基づく思想が革新主義です。
誰もが、幾分か保守で幾分か革新です。割合は人それぞれ。どちらがいい、悪い、上か下か、そういうのはありません。これ大事です。どちらが絶対に良くてどちらが絶対に悪いということはないんです。あなたは多分、真っ当に教育を受けてきた人なんでしょう。ひょっとしたら、理屈で正しいことが正しくて、感情に振り回されるのは間違ったことで、従ってより理屈が通った新しいことは受け入れるのが正しい、受け入れられないのは狭量で間違ったことだ……みたいな考え方を内面化しているかもしれません。それはちょっとした呪縛です。あんまり気にしない方がいいです。誰でも、必要以上に努力を強いられることなく、社会の片隅で暮らし、その範囲で感じ考えたことに基づいて振る舞えばよいのです。それで社会がうまく回るような仕組みを作るべきなのであって、そうやって民主主義というのは回っていくものなのです。誰かの判断だけが正しいから、その人に従おうというのは民主主義ではありません。誰もが主人であるから、誰もが思うように振る舞ってよい、それが民主主義です。
さて、こう前置きした上で言いますが、あなたの考え方はかなり保守寄りです。憲法改正反対も「なんとなく不安だから」、金権政治に憤るのも「むかつくから」……と考えれば、それらも極めて保守的な反応と言えるでしょう。悪い意味じゃ無いですよ。ですから、あなたの自認がどうあれ、あなたはとても保守的な人間だということをまずご理解いただければと思います。そして、それは別に悪いことではないということも。別に、「なんとなく不安だから憲法改正には反対」で構いませんし、「むしろ外国が不安だからなんとなく改正したい」でも別に構やしないのです。みんなのそういう総意で創意すればそれなりにうまいこと形に落とし込むのが官僚という頭のいい人たちの仕事なので、せっかく税金払ってるんだから、投票という義務を果たしたらあとは成り行きを見守っていたらよいと思います。
じゃあなんで、長々レスを付けるのか。実は、少しだけあなたが「不安」に思った方がいいのでは……ということについて、「どちらかと言えば革新寄り」な私の見解を少しだけお伝えしたいと思ったからです。少しだけお時間いいでしょうか。まあ「革新寄り」な人間の言うことですから、話半分に聞いていただいていいのです。お茶でものみながら聞いて(読んで)ください。別にあなたを革新主義にしようとか思っちゃいません。(そもそも、そんなこと不可能です! 会ったことも無いあなたの「不安」をぱーっと解消して、新しいモノ好きの人間にするとか、そんな怪しい洗脳みたいな真似が言葉だけでできるなら、増田に書くよりよほどほかにすることがあるでしょう。)
私の思うその「不安」というのは、あなたも薄々感じているとおり、あなたの「不安」を外に出せないということと関係があります。あなたはあなたの「不安」を人と共有できない、と感じている。それはおおむね正しいです。それは、その「不安」が間違っているからではない(これは何度でも注意しておきます)。その「不安」が人を傷つける可能性があるからです。賢明なあなたは、どこかでうっすらとそのことに気付いている……あるいは、そうどこかで教わったことを内面化できている、そのおかげで、今のところはその不安を口に出さずにいる=誰かを傷つけることから免れている、というわけです。では、その不安を外に出したらどうなるでしょう。
あなたはすでに中年とのことですが、ひょっとしたら自分か親戚に子どもや甥や姪がいるかもしれませんね。親しい人、大切な人の一人や二人はいるのではないでしょうか。自分以外の誰か、目の中に入れても痛くない、あるいはその人が苦痛を負っているなら、その一部を分け持ってもいい、そう思える人の一人がいないでしょうか。あるいは、この先、そういう人が現れる可能性はないでしょうか。保護しなければいけない子、親戚でも近所でも、そんな縁がつながることがあるかもしれません。では、そのとき、その人がトランスジェンダーであったら? イスラム教徒であったら? その人が将来連れてきた伴侶がそれらの属性の人であったら?……そのとき、あなたがそんな発言を残していたら、それは確実にその「あなたの大事な人」を傷つけることになります。それはあなたにとって「不安」ではないでしょうか。
心というのは、表に出していないつもりで、結構端から洩れているものです。テレビを見ているときにちょっと眉を曇らせる、普段のちょっとした言葉や態度の端々に、あなたが考えていることは現れてくるものです。よほど厳しく自分をルールで律してでもいない限り(そういうのは革新主義の人の得意分野ですが)、あなたはおそらくあなたの内心を隠し偽ることができないでしょう。それだけに、軽々にああいった書き込みをしてしまうことには、少し慎重になられた方がよいのではないかと思うのです。ただしそれは、あなたの今感じている「不安」を押し隠すという方向である必要はなく、「不安」をそのまま剥き出しにしない……それが無闇に人を傷つけるものに成りにくいように配慮できたら、あなたの「不安」は幾分か少なくなるのではないでしょうか。
たとえば、
・トランスジェンダーを女性用スペースから排除してほしい→トランスジェンダーの生きにくさと女性の不安を共存できるようなやり方を検討してほしい
・移民を排斥したい→移民の人との間の文化的摩擦が最小となるよう十分な配慮を望む
・イスラム教徒とは共存できない→イスラム教の教義に基づき(これは実際にそう)日本社会との相互不干渉の維持に勉め日本社会への理解を促進してほしい
ね。
そもそも「異教徒ブッコロOK」というのは、愛の宗教を歌い「汝の敵を愛せ」とイエスが言った聖書を奉じるキリスト教ですら延々とやってきたことです。ユダヤ教が現にやっていることでもあります。逆に、人種、民族、身分格差は認めない、異教徒(一神教の)の信仰も認める、という教義のイスラム教が彼らより危険だというのは、少し公平性を欠いた議論であると思います。世界的に見れば、神を信仰しない日本人は相当「気持ち悪い」人々と思われていますが、それはそれで心外ですよね。うっすらとした信仰心みたいなものはあるし、それで社会がおさまってるからいいじゃん、と私たちは思っています。日本の一部で起きた過激な事件に紐付けて(たとえばオウム事件などに寄せて)キリスト教国じゃない国はこれだからダメだ、日本人とは共存できない、とか言われたら、少なくとも「それはちょっと誤解があるよ、大多数の日本人はそんなんじゃないよ」と言いたくなりますよね。それと同じです。
トランスジェンダーの多くの人は、不安がってる女性の中に飛び込んで「うぇーい」したい人ではありません。ただ、男性の中にいて感じている「居心地の悪さ」を、可能ならなんとかしたい、それだけのことです。解消する方法はなんでもよいのです。私はたとえば、もう真っ裸で入る公衆浴場というのはあきらめて、みんな水着で入るようにすれば全部解決だと思ってますが、たとえばそういうことです。みんなでちょっとずつ不自由を分担すれば、誰の「不安」も解消できるので、ナイスアイデアだと思うのですが。
それから、あなたの感じる「左派」への不安、ちょっと分かるのです。なぜなら、どうも「左派」の目立つ人々の中には、自分は「正しい」、自分は「弱者の味方だ」、自分たちは「正義の守護者だ」、自分たちに反対する人間は「悪だ」……そういう雰囲気を漂わせ、そういう言行をする人が散見されるからです。これはあまり感心できないことです。敵を「排除する」とか自分たちは正義でありこれは「変わらない」……それらは極めて「保守主義」的な言動であり、彼らが口にする革新的な主張と相容れないからです。保守主義がダメというのではなく、言行不一致で人を不安にさせるのがダメなのです。もちろん、ゴリゴリに保守主義的な左派にもそれなりの存在意義はあります(岩盤層の維持といった意味で)。ただ、彼らが主流となることはないでしょう。それに比べて、保守と名乗りつつ十分柔軟な発想ができる革新主義者、というのは、なかなか信頼がおけそうで、多数の支持を得るのも当然かもしれません。保守的な主張により保守派から、柔軟な態度や言動により革新派から、それぞれ支持を受けられるからです。後者が支持者を不安にさせないのは不思議ですが、彼らがその柔軟さによって巧みに顔を使い分けると考えれば、必ずしも不思議では無いでしょう(その点、革新の旗を掲げる保守主義者は、顔の使い分けが下手なように思います。素直な人々と言えばそうなのですが。)。左派の方々が現状で支持を得られないことには、それなりの根源的な理由があり、それはあなたが心配したり後ろめたく感じたりしなくてもよいことです。彼ら自身が考えるべきことです。あなたは先のエントリで、自分がなぜ左派に投票「できないのか」について、延々と述べているように感じました。それは、まるで「左派に投票するのが『正しいのかもしれないが』、こういう理由でできないのだ」と誰かに説明しているように見えました。でも、大丈夫です。最初に述べたとおり、たとえば投票といった場において、あなたがあなたの考えた通りに振る舞うことに、何の問題もありません。あなたは、自分が左派寄りだと思っているかもしれませんが、私から見れば十分保守寄りですし、だからといってそれがいけないということは全然無いからです。はっきり言いますが、革新主義者しかいない島があったとして、私はそんな島に住みたくはないです。もちろん、保守主義者しかいない島があったとしても同じ。これはおそらく7割から8割の人が、実際そうなんじゃないでしょうか。両方がいて、あれこれ意見を交わしながら、都度都度方針を決めて、あるときは保守的に、あるときは革新的に物事が進んでいるというのが、一番平和で適切ではないかと思います。だから、それでいいのです。
まあ、長々となりましたけど、要するに「あなたは別に今のままでOK」、ただ、「将来も後悔しないような言動ができるよう、少しだけ配慮した方がHappyじゃね?」って話なのです。軽々しく排除的な言動を、たとえ匿名でもしてしまったら、最後は自分自身だって傷つくのでは無いかなあという、ただそれだけの老婆心でした。なんだか偉そうになってごめんなさい。最後までご静聴ありがとうございました。