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はてなキーワード: 2006年とは

2021-11-17

anond:20211117210720

細野不二彦先生はまさに作画魔術師さすがの猿飛・グーグーガンモの作者とギャラリーフェイクの作者が一緒とは誰も気づかないだろう

マクロスの「変形の河森」さんと同期らしい

やよいマイラブ - 『週刊少年サンデー』(1980年24号 - 28号)

さすがの猿飛 - 『少年サンデー増刊』(1980年 - 1984年

どっきりドクター - 『週刊少年サンデー』(1981年 - 1982年

Gu-Guガンモ - 『週刊少年サンデー』(1982年 - 1985年

東京探偵団 - 『少年ビッグコミック』(1985年 - 1987年)→『ヤングサンデー』(1987年創刊号 - 8号)

青空ふろっぴぃ - 『週刊少年サンデー』(1985年 - 1986年

あどりぶシネ倶楽部 - 『ビッグコミックスピリッツ』(1986年

I'mナム - 『週刊少年サンデー』(1987年1号 - 31号)

ママ - 『ヤングサンデー』(1987年 - 1992年

ジャッジ - 『アクションBROTHER』(1987年 - 1989年)→『COMICアクションキャラクター』(1990年 - 1991年

うにばーしてぃBOYS - 『ビッグコミックスピリッツ』(1988年

BLOW UP! - 『ビッグコミックスペリオール』(1988年21号 - 1989年19号)

バイオハンター - 『月刊コミックバーガー』(1989年 - 1990年

りざべーしょんプリーズ - 『ビッグコミックスピリッツ』(1989年 - 1991年

ごめんあそばせ - 『月刊コミックバーガー』(1991年 - 1993年

愛しのバットマン - 『ビッグコミックスペリオール』(1991年 - 1996年

熱拳! ムサシ - 『月刊少年キャプテン』(1992年 - 1993年

太郎 - 『週刊ヤングサンデー』(1992年12号 - 1999年41号)

ギャラリーフェイク[9] - 『ビッグコミックスピリッツ』(1994年 - 2005年2012年2016年)、『ビッグコミック増刊号』(2017年 - 連載中)

幸福の丘ニュータウン - 『ビッグコミック』(1996年 - 1998年

S.O.S - 『漫画アクション』(1999年 - 2000年

ビールメガホン - 『ビッグコミック』(1999年 - 2000年

タケルヒメ - 『ウルトラジャンプ』(2000年不定期連載)

キャット・ウォーカー - 『週刊漫画ゴラク』(2001年 - 2002年不定期連載)

プライズハンターGON - 『週刊ヤングサンデー』(2001年52号 - )

ザ・スリーパー - 『月刊サンデージェネックス』(2000年 - 2002年

ダブルフェイス - 『ビッグコミック』(2003年 - 2011年

ヤミの乱破 - 『イブニング』→『モアイ』(2003年8号 - 2006年1号、2012年8号 - 2014年2月25日配信分)

電波の城 - 『ビッグコミックスピリッツ』(2006年1号 - 2014年2・3合併号)

アサシンichiyo - 原作担当漫画信濃川日出雄、『月刊ヒーローズ』(2013年1月号 - 2015年2月号、不定期連載)

メタク - 『漫画アクション』(2014年15号 - 2016年3月1日号、全2巻)

商人道 - 『ビッグコミックスピリッツ』(2014年30号 - 2015年32号)

いちまつ捕物帳 - 『ビッグコミック』(2014年21号 - 2016年23号)

バディドッグ - 『ビッグコミック』(2017年4号 - 2020年21号)

さすがの猿飛G - 『月刊ヒーローズ』(2017年7月号 - 2019年10月号)※『さすがの猿飛』続編

1978年のまんが虫 - 『ビックコミックオリジナル増刊号』(2021年5月号 -連載中)

恋とゲバルト - 『ピッコマ』→『コミックDAYS』[10](2021年4月 - 連載中)

anond:20211117155735

2000年DDIセルラーKDDIDO合併してKDDIになった

ボーダフォン2006年ボーダフォン(イギリス本社)の日本法人ソフトバンクが買い取った

 

俺がちょうど自分携帯契約しようかなってタイミングボーダフォンソフトバンクになったからよく覚えてる

KDDIはKDDDDIが合体してKDDIwwwって思った記憶があるわ

2021-11-10

女にモテて、兄や叔父に甘やかされた、カス犯罪者日高広明

高校時代までは輝いていた

1962年4月日高広明は多くの山林を持つ地元有数の資産の、3人兄弟末っ子として生まれた。

中学校時代ソフトボール部野球部活躍し、中学時代には野球部主将を務めた。

1978年4月入学した宮崎西高等学校偏差値71)でも成績優秀で、校内のマラソン大会では1位になった。

スポーツ万能の優等生」として名が知られており、友人も多く、付き合っていた女性もいた。

 

大学受験失敗。見下していた同級生よりも下層になってしま

高校3年生になると、担任から筑波大学の推薦入学を薦められ、受験したが、不合格だった。

絶対確実と言われた福岡教育大学不合格だった。

結局、1981年4月私立福岡大学入学したが、

私立大学ではたとえ教師になっても尊敬されない」と大きな挫折感を味わい、

高校時代までの友人たちと音信不通になり同窓会にも出席しなくなった。

また福岡大学でも「俺は筑波大学を推薦で受けたほどの人間だ。お前らとは違う」同級生を見下しつつ、

授業にはほとんど出席せず飲酒ギャンブルにのめり込んだが、

4年生になるとかつて見下していた同級生たちが国家公務員都道府県職員として就職した一方で

自身留年が確実となり、「このままでは市役所職員にもなれない」と強い挫折感を抱えていた。

福岡大学入学から4年2か月後となる1985年6月末、授業料滞納を理由に4年生に留年したまま大学中退

 

兄に支援してもらったが、23歳で犯罪者

学費を援助していた兄により宮崎市の実家に連れ戻され、宮崎市役所臨時職員として就職したが、

飲酒・女遊びに溺れるなどの荒れた生活改善せず、オートバイ酒気帯び運転逮捕された。

その後も遊ぶ金欲しさひったくりを繰り返し、1986年1月25日(当時23歳)には宮崎市内で会社員宅へ侵入し、

その妻に包丁を突き付け現金2万円・預金通帳を奪う強盗事件を起こし、

事件逮捕起訴されて強盗罪懲役2年の実刑判決を受けた。

この事件により交際していた女性と別れ、出所後に故郷宮崎を離れ、それ以降実家に帰ることはなかった。

 

叔父支援してもらったが、浪費してサラ金

出所後の1989年4月(当時27歳)には広島県広島市内へ移住して叔父宅に身を寄せ、

広島市内のタクシー会社運転手として就職した。

しかし、大企業エリート社員を客として乗せて働き続けるうちに

「俺はタクシー運転手なんかやっている人間ではない。筑波大学合格できていれば今ごろは

 国家公務員として地位名誉約束された生活を送っていけたはずだ」コンプレックスを募らせ、

当時の月収(手取りで約30万円)の大半を飲酒・女遊びに浪費し、不足分を消費者金融から借金していた。

 

妻と兄の貯金借金を返済

1992年初めごろ(当時29歳)には借金が総額約500万円になっていたが、叔父に紹介された女性結婚した。

1992年7月(当時30歳)には安佐南区新興住宅地建売住宅を購入し、

その住宅ローンを実際の金額より400万円上乗せして組み、妻の貯金100万円と足して

合計500万円を作ることで借金を完済した。

1993年4月(当時31歳)には長女が誕生

「家も持ったし子供もできた。これで世間も認めてくれる」と希望を持ち始めていたが、

長女誕生から2日後には産褥期の妻が精神疾患発症した。

そのため、妻を入院させ、娘を妻の実家に預け、再び遊興に明け暮れて借金を重ねるようになり、

1994年末(当時32歳)には200万円の借金を抱えた。借金実家の兄に肩代わりさせた。

 

女性を4人殺害し、死刑執行

1996年4月18日から同年9月14日にかけて(犯行当時34歳)、タクシーに乗車した4人の女性を次々殺害

精神鑑定の結果、大学受験の失敗以降、自分自身失望した反面で絶えず

自分はこんなものではない」という自負心を抱き続けており

自分の力を証明する方法」として女性殺害することを思いついた。

暴力犯罪空想などで強い男性像を示したい」という性癖があり、

犯行はこの空想を実行に移したものである。とされている。

2000年死刑が確定し、2006年死刑執行された。

anond:20211109132706

沢山書いたやで

 

実名主義

80年代末まで偽名でも銀行口座が開けた。だから複数社会的人格を持って経済活動する事ができた。

職場旧姓を使い続けても問題無かった。1986年米国マネロン規制法、その後1990年までに国際的取決め、日本もそれに倣い口座の実名証明必須になり社会でも実名主義が当然になった。

 

MDMAエクスタシー)の不使用

MDMA非合法化されたのは1991年頃(うろおぼえ)。クラブシーンやレイブパーティでは当たり前に使用されていた。

心臓発作を惹起する為に規制m.o.v.e.のmotsu所属していたMORE DEEPの曲には「エクスタシーをキメていた頃」というフレーズがある。

 

マリファナの不使用

90年代クラブではマリファナ普通に喫われており、自分は使わなくても中に居ると副流煙景色がとろけてくる、肉体遊離感が起きるというのは当たり前だった。また自衛隊員米兵経由で入手する者がおり、除隊後に北海道野生パカロロツアーとかアムステルダム飛びツアーなどを企てる人もいた。

 

・式場での結婚式

1970年代からブライダル産業が隆盛し一般化した。これ以前は神前式キリスト教教会一般的。

団塊世代ロマンチックラブイデオロギーのため。この以前、地方では婚姻自由憲法上の絵に描いた餅であり、親が決めた相手結婚して神前式を挙げるのが当たり前で共同体から排除されないための義務だった。

団塊世代はそこからの逃避の為にフォークソング等でキリスト教式を称揚し、そのニーズに答える産業が発展して定着した。

古い評論を読むと戦中派、戦前派が式場での披露宴に憤っている文章がよく出てくる。

 

公共空間でのマナー

1990年頃まで日本人の公共空間でのマナー先進国ぶっちぎりで最低であり、酔って吐く、道にゴミや噛んだガムを捨てる、タンを吐くなど当たり前であった。終点近くの長距離列車車内はぶん投げたゴミだらけだった。

1990年代に反省の機運が起こり急激にマナーが向上した。

 

外国で旅の恥をかき捨てない

かつて旅の恥はかき捨てで、特に海外での不行跡が酷く日本旅行者特に団体)は眉を顰められる存在だった。

遺跡名前を彫ったり、腹巻で目抜き通りを歩いたり、コンダクター痴漢行為をしたり、名跡で立ち小便したり、売春ツアーをしたり、現地女性に「ハウマッチ」と聞いたりもの凄かった。

これを西洋宗教倫理文化日本恥の文化共同体の外では恥の羈束力は働かないからだ、と説明されていた。

自省により90年代に急速に改善

 

固定電話を初期費用無しで引ける

電話には加入権というものがあり、契約時に設備負担金を払う必要があった。金額は7万円と高い。

この為に電話加入権を売買したり、質に入れるという商売があった。2003年から段階的に廃止された。

 

役所サイトが一日中閲覧できる

森内閣の「IT革命」まで自治体や省庁のホームページは夜には繋がらなかった。これは庁舎内のドメインコントローラWindowsNTサーバIISインターネットインフォメーションサーバー)サービスHP提供していたため。

終業時間になるとサーバルータの電源を落として帰っていた。サイト作成役人趣味みたいな感じで作っていた。

コードレッドワームなどが流行すると当然に全滅。

 

ネットワークプリンタ共有

1998年ごろまでLANを構築していないオフィスというのが結構あった。プリンタパラレルポートで繋がれていたので、このパラレルケーブルを切り替える「プリンター切り替え器」というKVMのような装置が使われていた。

 

・駅のトイレトイレットペーパーがある

駅のトイレにはトイレットペーパーが無く、入口100円の紙販売機があるのでそれを買っていた。

民営化したJRが紙の常置を始め、1990年代前半に他社も倣った。

 

路上駐車車両が無い

90年代中頃まで路上駐車は当たり前に見逃されており、国道などの最左端は駐車車両で埋まっていた。駅近くでは駐車車両タクシー客待ちで二重駐車になっていた。

90年代中ごろに警察取締りを強化して根絶。

 

・TIMESなど時間駐車場

2000年から増える。警察路上駐車取締強化してから10年ほど、駐車場が無いのに路上にとめると必ず検挙という無茶な状態が続いていた。

 

洋室だけの家やマンション

和室は必ず設定されており、末期には3畳の納戸だけが和室なんてケースもみられた。1990年代前半に無くなった風習

 

家電量販店での価格表示

家電量販店が増えて競合で出来るようになると消耗品以外の商品価格は隠され、店員交渉で決めるという風になった。この為に店員電卓を持ち歩き、電卓を叩いて値段を表示した。

客足が減る悪習なので1990年代頃に取りやめられた。

 

スリム自販機

バブル後の都の財政難の打破を喧伝して都知事になった石原慎太郎1999年~)は増収策として無断で道路にはみ出し設置されていた自販機建物看板道路使用徴収を持ち出した。これまで自販機は当たり前に道路にはみ出して置かれていた。

これに対応して既存機の撤去スリムタイプへの交換が進み、他県でもはみ出し設置にならないスリムタイプが標準となった。

 

日本109キーキーボード

以前は富士通系の親指シフト配列を好む人が居たり、電源のオンオフリセットなどの余計なキーが付いている配列があった(誤爆シャットダウン頻出)。

2000年くらいに今の配列に一本化された。

 

プチフリしないSSD

2006年ころに一世を風靡したネットブックSSD一般化したが、最初の数年の製品は数秒に一度ごと動作が止まるなど酷いものだった。

 

会社員就業時間中に中抜けしない

嘗ては電気電話水道など公共料金というのは各社の窓口か郵便局銀行で「公共料金振込用紙」に書いて振り込むものだった。

当然平日3時までしかやっていない銀行会社員が行けるわけがない。

そこで振り込みの為に仕事中抜けするというのが黙認されていた。自動引落設定、コンビニ払いが一般化した1990年代後半頃に消滅

 

飲酒は二十歳から

18才は未成年飲酒できないはずだが、大学生は成人したものと見做され飲酒は黙認されていた。

ゼミ飲み会普通に教授も参加して飲んでいた。警察も何も言わなかった。

 

線路を歩かない

都電ローカル線などでは近道の為に線路を歩いていく人が普通にいた。電車進来時に警笛を鳴らされるが線路わきに避けていればそれ以上の事は何も言われない。トンネルや鉄橋で出くわすと流石に怒鳴られるがそれだけ。ストの時は皆線路を歩いて行く。家の玄関線路に向いている家も普通にあった。引っ越し作業は大変。

90年代中頃に写真撮影する鉄オタの事故連続し、その後厳しくなっていった。

 

飲酒運転絶対ダメ

初代のスーパーカブの取扱説明書などには「ビールコップ一杯程度なら良いが、ウイスキー酩酊するからダメ」と書かれている。

 

・小銭を所持しないで外出

1000円札の読み取り装置一般化したのは1980年代中頃。それまでは鉄道券売機でもバスでも小銭しか使えなかった。

この為、小銭の所持数が足りないとお金が払えないというのが当たり前だった。売店でガムなどを買って両替するのが必要だった。万券を両替する為に少額商品を買うのは喧嘩を売るのに等しく勇気が居る行為だった。常に所持している券種と小銭額の把握は必要だった。

 

一円玉の使用

1989年消費税導入まで物の価格は全て10円刻みになっていて1円玉公共料金以外殆ど使われていなかった。

 

・個室

和風の家の部屋割りは個室という概念が無い為、都会を除いて1960年代までの日本人はプライバシー空間というものが無い生活をしていた。個人あての手紙は親が勝手に開けて読んでいた。

 

個人

家にプライバシーが無く、また会社もイエが準用される社会だった為に「社員プライバシー踏み込む」という感覚が余りなかった。

会社以外の自分」も大事だと言い始めた団塊世代は「個人主義」と罵倒され、80年代世代は「新人類」と宇宙人扱いされた。

オークマンは街で個人空間に浸るものだとして批判対象になった。個人主義はそれ自体罵倒文句だった。

 

大学生勉強する

全共闘運動はあらゆる権威攻撃し、大学の知の権威というもの破壊した。この為その後大学教授というのは学生に対して尊敬されない状態継続。やがて学生は脱政治化したが大学学問には敬意が持たれず、特に文系では学生が誰も勉強せずレジャーランド化した。

90年前後大学改革ICU上智比較文化など厳しいカリキュラムに注目が集まり学生勉強するという当たり前の状態が復活した。

この為に卒業1994年頃を境に知識やモノの考え方で極端な程の違いがある。

 

・様々な塩製品

塩は国家専売品だったので専売公社製造する塩以外の岩塩ミネラル入り塩、胡椒入り塩などは製造販売禁止だった。塩の小売りには国の許可標識の掲出が必要だった。

1985年自由化により今の状況になった。

 

・「メイド喫茶」などの語

メイド」は放送禁止用語だった。基本住込みで働く為、身分制階級制の象徴のような職業であって、戦後身分平等にそぐわないと見做された為。メイドは家政婦と言い換えられ、住込みでなく通勤一般的な「雇用」となった。

一周回ってメイド構造過去帳入りした為に「メイド喫茶」などで使うのが問題視される事が無くなった。2005年頃。

 

・キャノーラ

キャノーラ油の原料は菜種。

米国では菜種油を食用販売することが禁止されている。この菜種油の成分を調整して販売を認めさせたのがキャノーラ油。

米国生産量が増加した後に日本に入ってきたので、一般化したのは1990年代。

 

弁護士事務所広告

過払い金などの広告が出来るようになったのは弁護士法改正された2000年から。それまでは屋号や執務時間などの表示のみ。

但し「勝訴率〇%」のような広告は今でも禁止

 

・夜まで開いてるスーパーデパート

1991年大店法改正されるまではデパート閉店時間はPM6時、スーパー閉店時間はPM7~8時というのが相場だった。更に定休日もあった。

基本的地元商工会意見で決められていた(大店法の定めによる)。これの改正商店街の全滅に繋がった。

 

生ビール

ビール酵母菌により発酵するが、発酵が進みすぎて飲み頃を過ぎると酸っぱくなってしまう。飲み頃に提供するのが生の地ビール

この為ビン缶詰では熱で酵母を全て殺してから詰める必要がある。

1970年代末にサントリーフィルター酵母を除去する製法を開発。飲み屋への営業力を活かしてジョッキ生を広めた。この為初期は生=サントリーだった。後に各社が参入して生戦争が勃発。

から地ビールの生はずっと昔からあったが、全国流通製品生ビールサントリー生が1970年代末、その他の各社は1984年ごろから。因みにサントリー生より生じゃないキリンラガーの方がずっと美味い。

 

サービス残業

バブル期の好景気期に端緒。残業上限規制が導入され36協定があっても残業上限40(80かも)時間/月の行政指導が主に大手企業に行われた。

それまで残業代はフルチャージだったが計算上打ち切るという慣行が発生。それらの会社はタダ働きしてると奇異の目で見られた。

これが平成不況時に残業代は基本支払われずに長時間労働という慣行に変化していく。当初の指導対象外だった中小企業ではずっと残業代フルチャージだったがこれらにも悪習が伝播していった。

 

東京自動改札機

1990年から1970年代にも導入が試行されたことがあるが全く普及せず直ぐに撤去された。例えば地下鉄では1974年開業有楽町線池袋駅だけに自動改札機があり、同駅の入場だけにしか使われていなかった。これも後の1986年頃に一度撤去札幌地下鉄などでは当初より継続して使われていたのと対照的

 

あきたこまちひとめぼれ等の米

1995年以降。それまでササニシキが絶大な人気だったが、冷害に弱く1993年冷夏で全国的な米の不作が発生、大騒動になった。

冷害に強いコシヒカリ系の後継種、あきたこまちひとめぼれが席巻するようになった。

 

バイク駐車違反

駐車違反バイクと車の別はないが、バイク駐車違反2006年まで摘発されていなかった。摘発民間委託してインセンティブを付加し原付まで摘発するようになると店舗駐輪場が無い都心ではバイク移動が不可能になり、バイク市場が干上がる効果となった。

 

大学生の専攻無し

学部でも一部以外では専攻は必ず取るものだったが、1990年代初頭の教育学部ゼロ免課程の流行福祉大などの開学で専攻無しの学生が増加。1990年代後半から

2021-11-08

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.nikkei.com/article/DGXZQOUC1318U0T11C21A0000000/

2005年1月10日 IT産業の潮目が読めぬ日本勢 モノづくりの強さ過信を危惧

ttp://www.mochioumeda.com/archive/sankei/050110.html

二〇〇四年の米国IT(情報技術産業は、IBMによる中国企業聯想集団レノボ・グループ)」へのパソコン事業売却(十二月)と、インターネット検索エンジン大手グーグル株式公開(八月)という二つの対照的出来事によって記憶されることになろう。

年に一兆円以上売り上げるIBMのパソコン事業の売却額が二千億円にも満たなかった一方、売上高約三千億円のグーグル株式時価総額は五兆円を超えた。この差は何を意味しているのか。インターネットの「こちら側」から「あちら側」へのパワーシフトが、米国では確実に起きているのである

インターネットの「あちら側」とは、インターネット空間に浮かぶ巨大な「情報発電所」とも言うべきバーチャル世界である。いったんその巨大設備たる「情報発電所」に付加価値創造の仕組みを作りこめば、インターネットを介して、均質なサービスグローバル提供できる。

米国が描くIT産業の将来像は、付加価値順次「あちら側」にシフトしていき、「こちら側」のモノはコモディティ日用品)になる、誰でもいいか中国で作って世界に安く供給してくれればいい、というものだ。IBMパソコン事業中国企業への売却はそれを象徴している。むろんこれから先、米国が描くシナリオ通りにIT産業が発展していくとは限らない。

ただ私が危惧(きぐ)するのは、モノづくりの強みを過信し、そこにしか生き場所がないと自己規定するあまりに「こちら側」に没頭する日本企業が、米国離れを引き起こしていることだ。違う方向に関心が向かっている米国現在を「われ関せず」と理解しようともしていないことである

東芝富士通とNECの時価総額を全部足し合わせても、創業からたった六年、わずか二千七百人のグーグル時価総額に及ばないのはなぜか。いったいグーグルとは何なのか、その台頭は何を意味するのか。本来そう問い続けなければいけない日本企業経営者が、インターネットのことを何も知らない。米国離れを起こしている場合ではないのである


2005年7月4日 ネットの開放性は危険で悪なのか 巨大な混沌こそがフロンティア

ttp://www.mochioumeda.com/archive/sankei/050704.html

日本携帯電話ブロードバンド(高速大容量)のインフラは、ほぼ世界一の水準にある。「光ファイバー接続インターネットを家庭から安く使える」なんて話をアメリカ人にすれば、憧れのまなざし日本を見つめる。インフラ面ではもう日米大逆転が起きてしまったのだ。

私たちより上の世代には「IT(情報技術)といえば何でもアメリカが圧倒的に進んでいて日本はどうそれを追いかけるか」という発想が染み付いているが、日本若い世代は全く違う。つい先日、シリコンバレーに赴任したばかりの日本企業駐在員(25)がこんな感想をもらした。

アメリカって日本よりずっと遅れているのに、インターネットの中はすごいんですねぇ。アメリカ底力を感じます。ショックでした」

私は一瞬耳を疑った。「アメリカが遅れている」という前提からまず入る発想が私にはとても新鮮だったからだ。でもこれが、携帯ブロードバンドでは世界一のインフラを持つ日本で育った若い世代アメリカに対する自然感想なのである。では、その彼が「すごい」と言い、「底力を感じ」てショックを受けたアメリカの「インターネットの中」とは何なのか。

それは「ネット社会」という「巨大な混沌」に真正から対峙(たいじ)し、そこをフロンティアと見定めて「新しい秩序」を作り出そうというアメリカの試みが、いかスケールの大きなものかについての驚きだったのである

2005年9月30日 ネットの開放性は危険で悪なのか 巨大な混沌こそがフロンティア

ttps://web.archive.org/web/20050930202614/http://www.shinchosha.co.jp/foresight/web_kikaku/u108.html

最近ある組織経営者アドバイザーが一堂に会する会議で、準備万端整えて臨んだ私の報告があまり理解されないということがあった。たぶん、小さな落胆が顔に出ていたのであろう。帰り際に、同僚アドバイザーである人生の大先輩からこう言われた。

あなたの話は面白かった。でもねぇ……。私もね、この歳(六十代半ば)になるまで色々な新しいことに出会ってその都度吸収してきたけれど、あなたの話、特にグーグル本質についての話は、インターネットを使わない私のような人間には絶対理解できませんよ。私だって、わかったふりはしているけれど、ぜんぜん想像ができないんだ。だから、どれだけ大きな意味のあることなのかも実感できない。でもねぇ……。たとえば私はこれから地方経営者たちと会うために全国をまわる旅に出るんだけれど、インターネットを使う人なんて誰もいませんからねぇ。はっはっは……」


2005年12月27日 グーグル成功秘訣は高度な技術開発(産経新聞正論12/28寄稿)

ttps://umedamochio.hatenadiary.org/entry/20051228/p1

日本ネット列強たる楽天ライブドアは、いまだ中途半端な達成しかできていないネット事業をそのままに、旧産業代表格たるテレビ局併合しようと動いた。

市場からの期待に応えるには、自らのネット事業強靭ものにしていくだけではダメで、売り上げ・利益をしっかりと上げる確実な事業を持つ旧産業を取り込んで融合するしかないと判断したのである

一方、米ネット列強は圧倒的な技術開発力を武器に、斬新なインフラを構築するグーグルに刺激され、「ネット産業は、ITを利用し早い者勝ちサービス展開すればいいという代物ではなく、高度な技術開発で道を拓くべき産業なのだ」という認識を新たにし技術投資に邁進(まいしん)するようになった。

技術投資が極めて重要」という機運が産業界全体に再び生まれ大学での技術開発やベンチャー創造も大いに活性化してきたのだ。

ちなみにグーグル検索エンジン技術は、二人の創業者がスタンフォード大学に在学中に開発したもので、大学がこの技術特許を持ち、グーグル使用を認める見返りに、グーグル株を取得していた。

スタンフォード大学はその株式を二〇〇五年に市場放出し、売却益は四百億円に上った。この資金は、再び、基礎研究高等教育へと還流していくのである

こうした違いは大きく、このままいけば五年後、十年後に、さらにその差が広がってくるに違いない。

「IT革命」とか「情報スーパーハイウェイ」といった言葉は、バブル崩壊後に死語となった。

物理的なITインフラたる「情報スーパーハイウェイ」を構築すれば「IT革命」が達成される−九〇年代には常識だったこ世界観が誤っていたからだ。

本当に大切なのは物理的なITインフラよりも、情報(I)インフラだった。

そのことを証明し、マイクロソフトに代わってIT産業盟主に一気にのし上がりつつあるのがグーグルである

そしてグーグルという怪物を生む環境こそが、シリコンバレー米国高等教育底力なのである


2006年01月21日 グーグルという神話

ttps://gatonews.hatenablog.com/entry/20060121/1137808057

グーグル無料サービスを支えているひとつの要因が株高、時価総額でしょう。

ライブドア批判してもグーグルは「違う」と言っている人が案外多いのですが、本業以外の「錬金術」で本業資金調達というやり方は同じなのではないでしょうか。


2006年04月19日 グーグルという神話

ttps://web.archive.org/web/20060616123115/http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/82654faa9356a65a4b66371eddb59142

先日も、田原総一朗氏に「グーグルのどこがすごいの?」と聞かれて、答に困った。検索エンジンとしての性能は、今ではヤフーMSNなどもそう変わらない。

広告というのは卸し売りのビジネスなので、市場規模は限られている。日本ではGDPの1%、米国では3%(*)でほぼ一定している成熟産業である

グーグル時価総額インテルを抜いたというのは、かつてのライブドアと同じような「局所バブルである疑いが強い。

2006年04月29日 グーグル価値

ttps://web.archive.org/web/20060621084450/http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/baab4ffbc75c641370747a59f442ccba

広告産業成熟産業だが、ネット広告成長産業であるしかグーグルCEO、Eric Schmidtの「ネット広告はまだ広告全体の3%しかない」という話はおかしい。

前にリンクを張ったTNS-MI統計でも、ネット広告(83億ドル)の広告全体に占める比率は5.8%だが、これは検索広告を除いた数字なので、これにグーグルの61億ドルを足しただけでも、10%を超えている。

問題は、この先ネット広告がどれぐらい増える余地があるかということだ。

ここで重要なのは広告卸売りのビジネスだという点である

企業予算のなかで広告費の比率はほぼ一定であり、宣伝担当者も各メディアバランスをとって出稿するから、おのずとメディア別のシェアはどこの国でも同じぐらいになる。

今はネット広告のほうが効率がいいので成長率も高いが、経済学でよくやるように、成長とともに各メディア広告限界効率が均等化すると想定すると、新聞雑誌テレビネットに各20~25%というのが妥当なところではないか

しかスポンサーは、ネット広告のなかでも各社にバランスをとって出稿するからネット広告の全部をグーグルが取るということはありえない。

かなり大胆にネット広告費の半分をグーグルが取ると仮定しても、広告業界全体の12.5%、180億ドルである。これは現在の61億ドルの3倍だが、このへんが上限だろう。

要するに、今までの倍々ゲームがあと2年以上続くことは考えられないのである

追記:この記事にはたくさんTBがついている。その多くは「グーグル広告産業以上のものになる」という意見だが、今のところグーグル収入の99%は広告であり、それ以上の収入源は見つかっていない。

しか検索エンジンOSのようにユーザーを囲い込むことができないので、たとえばマイクロソフトIE検索機能を内蔵したら、ネットスケープのような運命をたどる可能性もある。

2006年4月24日 グーグルは「すごい」のか「すごくない」のか(財務的に見たGoogle

ttp://www.tez.com/blog/archives/000676.html

それでも、一所懸命コストの使い途を考えて、4年後の利益率が現状からやや上がる程度としても、2009年の純利益10Bドル(1.15兆円)

6,675Mドル(約7600億円)となりますので、日本企業純利益第二位NTTドコモを超えることになります。(1位は、製造業利益世界一のトヨタ自動車1.17兆円。)

また、上記は、基本的にはグーグルビジネスモデル広告モデルの域を出ないことを仮定していたシミュレーションなわけですが、実際にはグーグルは新しいrevenue streamを作り出す可能性は高い。グーグルは、「広告業」を目指したいわけではなくて、大量の情報ハンドルするエージェントになりたいわけなので、「分母」を広告費に限定するつもりもないのではないかと思います

経済学的には「利益率の高い企業が小さな市場で大もうけ」というのはトリビアルな話かも知れませんが、財務的に見れば、グーグルはすでに世界企業の中でもかなり「すごい」企業だと言っていいんじゃないでしょうか。

グーグルは「バブル」か?

Google(GOOG)の本日のMarket Cap129.92Bドル(約15兆円)で、確かにインテル(INTC)の112.13Bドルを抜いてます

ただし、インテルの売上は去年38,826Mドルnet income は8,664Mドルのほどあるものの、グーグルと違って売上の伸びはここ数年10%台に留まっており、完全に安定成長モード

グーグルが成長を続けて前述のように世界広告市場ちょっとした割合を獲得するとしたら、4年後にPER1020倍台まで落ち込むとしても、10兆円台の時価総額は十分説明がつくことになります

今後の売上がホント上記のように伸びるかどうかは、あくまで将来の想定を含みますので、そういう意味ではバブル可能性はゼロではないですが、現時点ですでにちゃんと7,000億円以上もの売上を計上しているわけですからライブドアのように、買収した企業の売上を足しあわせて数字を作っていた企業と違って、大企業としての「実態」がすでにあるという点は、かなり違うのではないかと思います


2006年04月28日 Google広告会社か?

ttps://dankogai.livedoor.blog/archives/50473074.html

Googleは、単なる「電通2.0」ではない。

ここに一つのいい例がある。現在世界最大の時価総額を持つ会社は、Exxon Mobileである。ここが商っているのは石油。なぜ石油にそれだけの価値があるのだろうか?

それは、石油が「ネゲントロピー」(negentropy)、すなわち負のエントロピー代表からだ。人に限らずおよそ生物というのは負のエントロピー摂取して生きているが、その中で「現代文明人」の主食石油というわけである石油だけでは「栄養が偏る」というので、天然ガスへのシフトも起きているが、同じ地下資源ということもあって、Exxon Mobileに限らず、どの石油会社も手がけている。

誰もが欲しがるネゲントロピーを押さえたものは強い。そのネゲントロピー購入者がそれを何に転化するかに関係なく。

そしてGoogleは、情報のネゲントロピーを押さえているのだ。

本当に重要なのはGoogleが何を今売っているかじゃない。Googleが今持っているものでこれから何ができるかなのだ。

2021-11-04

エヴァンゲリオンパチンコスロット

販売台数2020年までのデータ

パチンコ:175.9万台

パチスロ:54.4万台

合計:230.3万台

 

仮に1台1万円だと230億円、5000円だと115億円の収入

なお、シン・エヴァンゲリオン興行収入102億円

 

パチンコ
新世紀エヴァンゲリオン2004年12月(12.4万台)
CR新世紀エヴァンゲリオン セカンドインパクト2006年2月(16.1万台)
CR新世紀エヴァンゲリオン 奇跡価値2007年2月(18.7万台)
CR新世紀エヴァンゲリオン 使徒、再び2008年1月(19.9万台)
CR新世紀エヴァンゲリオン プレミアムモデル2008年5月(5.1万台)
CR新世紀エヴァンゲリオン 最後のシ者2009年4月(23.7万台)
CR新世紀エヴァンゲリオン 使徒、再びYF2010年1月(2.4万台)
CRヱヴァンゲリヲンまり福音2010年6月(20.5万台)
CRヱヴァンゲリヲンまり福音 Light ver.2010年11月-
CRヱヴァンゲリヲン720121月(10.0万台)
(CRヱヴァンゲリヲン7) EVAライトIII20125月(1.6万台)
CRヱヴァンゲリヲン7 Smile Model201212月(1.2万台)
CRヱヴァンゲリヲン82013年7月(7.5万台)
CRヱヴァンゲリヲン92014年12月(10.3万台)
CRヱヴァンゲリヲン8 Extreme Battle2014年7月(2.0万台)
CRヱヴァンゲリヲン9 8号機プレミアム甘Ver.2015年2月(1.3万台)
CRヱヴァンゲリヲン9 改2号機 ミドルVer.2015年2月-
CRヱヴァンゲリヲン2015年9月(5.3万台)
CRヱヴァンゲリヲン9 零号機暴走ループVer.2015年5月-
CRヱヴァンゲリヲン9 暴走ループ199Ver.2015年12月-
CRヱヴァンゲリヲンx PREMIUM MODEL2016年2月(1.2万台)
CRヱヴァンゲリヲン いま、目覚めの時2016年12月(5.7万台)
CRヱヴァンゲリヲン9 180Ver.2016年9月-
CRヱヴァンゲリヲンx SPEED IMPACT2016年9月(1.2万台)
CRヱヴァンゲリヲン 2018年モデル2017年10(3.6万台)
CRヱヴァンゲリヲン11 PREMIUM MODEL2017年6月-
CRヱヴァンゲリヲン11 Start Impact2017年12月-
CRヱヴァンゲリヲン 2018年モデル GOLD Impact2018年3月-
ヱヴァンゲリヲン覚醒・超暴走2019年3月(2.7万台)
CRどらむ☆ ヱヴァンゲリヲンPINK2018年8月-
モードちんこ どらむ☆ ヱヴァンゲリヲンGOLD2019年1月-
新世紀エヴァンゲリオン ~シト、新生2019年12月(3.5万台)
ヱヴァンゲリヲン13 プレミアムモデル2019年9月-
ヱヴァンゲリヲン13 エクストラモデル2020年2月-
新世紀エヴァンゲリオン ~シト、新生プレミアムモデル2020年3月-
新世紀エヴァンゲリオン 決戦 ~真紅2020年???
スロット
新世紀エヴァンゲリオン2005年9月(2.3万台)
新世紀エヴァンゲリオン まごころを、君に2007年7月(9.9万台)
新世紀エヴァンゲリオン 約束の時2008年9月(9.0万台)
新世紀エヴァンゲリオン 魂の軌跡2010年3月(8.4万台)
ヱヴァンゲリヲン 真実の翼20113月(7.7万台)
ヱヴァンゲリヲン 生命の鼓動20122月(4.6万台)
EVANGELION2013年2月(5.7万台)
ヱヴァンゲリヲン 決意の刻2014年2月(1.3万台)
ヱヴァンゲリヲン 希望の槍2015年6月(2.6万台)
ヱヴァンゲリヲン 魂を繋ぐもの2015年12月(1.5万台)
ヱヴァンゲリヲン 勝利への願い2017年2月-
新世紀エヴァンゲリオンまごころを、君に~22018年2月-
EVANGELION 30ΦMODEL2018年1月-
パチスロ ヱヴァンゲリヲン AT7772019年2月(1.4万台)
新世紀エヴァンゲリオン 暴走4002019年3月-
エヴァンゲリオン フェスティバル2020年3月-

フィールズ株式会社財務企業関連データ 2021年3月期 第1四半期

https://www.fields.biz/ir/j/files/press/2020/press_20200806d.pdf

2021-10-31

ネトフリで水どうのヨーロッパ20国制覇の旅とか見てるんだけど、今の時代にやっても面白くないかもね。

今はカーナビスマホで経路案内サクサクだもんね。

あんなふうに地図と首っ引きで「A55だ!つってんだろ!!」なんて怒鳴りながらの道行きにはならんもんね。

注:上記の旅は、地元レンタカー借りて地図見ながら進むという無謀なものである

2006年に行われているのだが、レンタカーカーナビ付いてないもんなのかね。

わざと付いてないものを借りてるのかもしれんが。というか、付いてても使わないか

あー。それにしても水どうは面白いね。

でも、最初の頃に比べるとミスター大泉も年取っちゃって…。

今じゃこんな旅到底無理よな。大泉も48ぞ。

今年も紅白の司会らしいし、大河頼朝やるらしいし。

藤村君に馬鹿馬鹿言われてた大泉君も今では貫禄出まくりよな。

2021-10-27

誰しもiPhone覇権握るって思ってたでしょ

ネットで声がでかい人の意見歴史修正するのはちょっとどうかな、と思う

そもそもiPhone登場の前にiPodの躍進っていうのが史実としてあるし欠かすことはできない

2001年に初代が登場、躍進したiPod nanoが2006年iPhone登場が2007年

iPod登場以前からmp3音楽違法ダウンロードっていうのはインターネット普及と共にあって

mp3再生できるウォークマン相当のものが待望されてた

しか日本の各社、特にSONYmp3違法から開発に難色を示し、MDを推進したりATRAC作ったりした

そんな中で空気を読まないAppleっていう会社iPodを発表、mp3が聞けるってことで大流行

当初はMacしか連携できなかった(気がする)けど、WindowsでもiTunesが使えるという当時としてはビックリ対応世間を賑わせていく。

時を同じくして韓国系メーカーも参入。Rioとか懐かしいよね。当時からFLACとかOgg Vorbisとかが聞けるっていう尖ったデバイスもたくさんあった。

後はCDmp3を焼いたらフォルダ構成読み込んでアルバムとして再生してくれるやつとかもあったし、wmaとかとの覇権争いもあった。

日本権利問題が難航して全然そういうデバイスが出てこず、確かAIWAが発売してちょっと世間が沸いたぐらいだった。

そんな中でiPodが更に躍進したのがiTunesのおかげ。これで音楽ダウンロードっていう商売を成立させた。

日本では長らくiTunesで聞けるのは洋楽だけで日本レコード会社提供してくれないっていう状況が続いたし

SONYレーベル持ってたりするのでますます違法コピーの可能性があるmp3配信に難色を示して結果としては完全に出遅れ

そんな中でiPod nanoが発表。信じられないくらい小さくなっておしゃれになったデバイス

巷を席巻して、もはや携帯音楽プレイヤーiPod nanoって感じになった。

この頃から携帯電話音楽再生機能を盛り込み始める。(まぁ前からあったがおまけみたいな機能だった)

しかし例によって音楽業界の圧力なのかSONY圧力なのかmp3は聞けなかったりして独自仕様固執

SDカードは吸い出しできるからMemory Cardとか、いろんなプロテクションをかけてとにかく使いにくかった。

とはいえ邦楽聞くにはそれしか方法が無いので着うたフルとかLISMOとかが出て、SONYからwalkmanケータイが発表。

まぁそれはそれで結構流行ったけど海外流行るはずも無く完全にガラパゴスになった。

その頃からみんな噂してたのが

「逆にAppleケータイ市場に乗り込んでくる」

っていう話。

だって携帯iPodの2台を持つのが面倒だから一台にしたいっていうのが強い思いとしてあった。

Apple日本携帯メーカーと協業するっていうイメージが全くなかったから出るならAppleから直接出るだろう、と。

2004年に発売されたNintend DSタッチスクリーンUIの新しい方向性を見いだしてた頃だったので

Appleが乗り込んでくるならタッチスクリーンだろうことは間違いなかった

そもそもiPod nanoのディスプレイタッチスクリーンになるのでは?っていう話もあった。

だって当時のUICover Flowなんてタッチすること前提っぽい作りだったから。

まぁ乗り込んでくるなら名前は「iPhone」だろうっていうのもみんな予想してた。

iMacとかiPodとかiで攻めてるからまぁ安直iPhoneだろうな、と。

ただ、全面タッチスクリーンっていうのは難しいだろうという意見が多かった気もする。

これは自分の周囲だけかもしれないが、キーを無くすと視覚障害者が使えないのでユニバーサルサービス電話での導入は難しかろう、という話があった。

後は折りたたみにしないと液晶指紋で汚れる。

当時は画面が指紋で汚れるのは御法度クロスをみんな持参してことあるごとに拭いてた。

その画面を触りまくる携帯なんて考えられない、というのが大勢だった覚えがある。

ところがAppleはやってのけた。そういう弱者は全部切り捨てて全面タッチスクリーンiPhone発表。

日本音楽業界と繋がりの強いdocomo絶対販売しないと分かってたのでソフトバンク独占販売

下手したら日本販売されない可能性もあったかソフトバンクには感謝しかなかった。

このiPhoneiPod音楽業界を席巻したAppleから携帯業界でもやってくれるだろうという期待があった。

ただ初代は流石にしんどい部分が多くて音楽聴いてたら電池なくなるし電話しづらいし画面が指紋だらけになるし。

とはいえiPod nanoとの二台持ち解消のためにiPhoneを選ぶ人も結構いた。

最初iPodの代わりっていう立ち位置だったけどApple Storeがその情勢を変えていく。

Nintendo DSゲームとして提供してたタッチパネルを活かしたいろんなアプリアイデアApple Storeでアプリとして提供される。

ギターアプリインストールしたらギターになって、それを披露するとキャバクラモテるかいう噂が流れておっさんがみんなiPhone買い始めた。

後はもう、ご存じの通り、という感じ。

iPhone 3Gとか3GSとか4とかで盤石になっていった。

Androidが対抗馬として出てきたときはかなり期待したけれど

Appleのようにデバイス固定化できるOSとは違ってAndroidはいわばWindowsを目指したので立ち上がりに失敗した。

デバイスに合わせてゴリゴリチューニングすることができず、逆にOS内部まで手を入れるとアップデートが出来ないというジレンマ

そもそも各社がOSチューニングをするのはAndroid思想に反するし、とはいえ各社サプライチェーンがあるからデバイスバラバラ

Androidでまともに動くケータイの方が少なかったけどXperiaは頑張ってた。そこはSONYの意地だったな。

とはいえAppleみたいにクローズド戦略じゃないか世界的にAndroidの数の方が多いのは当たり前

デバイス差分が大きいかAndroidっていうプラットフォーム上で商売するのはちょっとしんどいんだけど

デバイス数が多いか対応せざるを得ないっていう状況

ただ、Androidデバイスが多いとはいえ公開したアプリが全てのAndroidデバイスで動く保証が無いので

iPhone向けにアプリ作る方が実際に動くデバイスが多いのは確かだろうな

なのでいまだにiPhone向けだけにアプリが公開されたりするし

iPhone携帯市場で大きな立ち位置を持ってる

anond:20211026193844

2021-10-24

実際問題として、(六代目)神田伯山が弟子に「伯」の字を含んだ名を付ける事は可能なのか?

2006年に死去した六代目神田伯龍の遺志で「伯龍及び、伯の字のつく名は、止め名とされている。」という事実無視している事にならないか?と考える。

この事実を踏まえるならば、伯山は自分弟子に対しては「山」の字の付く名を与える事は出来ても「伯」の字の付く名は一切与えてはならないと解釈するしかない筈。

本人は直接この事に対して見解を述べているわけでは無いが、類似の「7代目圓生襲名問題」等の言及を見るに、「止め名」に対しては批判的なスタンスを取っている。

(代々受け継がれたてきた名跡を当代の勝手な都合で「死蔵」してしまう事は演芸界にとって良くない事...etc)よって、おそらくは「講談師としての伯龍先生尊重するけど

止め名」という処しには講談界の行く末に際し責任を持つ立場にある者としては賛同しかねる。」というスタンスだと考えられる。ゆくゆくはこの件について一言及あるやも

知れない注目している次第である

2021-10-23

機業エンジニアですけど

10月1日適当に書き散らした文章(anond:20211001193856)が2週間以上してからTwitterリツイートされているのを発見

はてブを見るとまさかの500越えでびっくり。ブコメを一通り読んだが、言いたいことをわかってくれてるなという人もいれば、全然話がかみ合わないなという人、こんな視点があったのかという人もいて面白かった。

そのうえで、もうちょっと追加で書きたい気分になったので電気自動車の普及プロセスを考えるうえでケーススタディになりそうなディスプレイ産業の話をもう少し書いてみる。

なぜiPhoneXの有機EL採用インパクトが大きかったのか

ブコメでも指摘があったが、iPhoneXの前にサムスンGalaxy有機EL採用していただろうという話。そのことは当然知っててiPhoneXで有機ELが普及したと書いたわけだけど、その理由はなぜか。

年間の携帯電話生産台数って、サムスン電子3億台 / Apple2億台くらいで生産量はサムスン電子の方が多いわけだけども、Appleの2億台はすべてがハイエンド端末なので影響が桁違いだという事。(廉価版のiPhoneSEも世界的にはハイエンドに分類される。) サムスン有機ELを搭載していたハイエンドモデルGalaxyは全生量の一部なので、年度によっても変わるが5000万台オーダーくらい。なのでデバイス調達に対するインパクト全然違う。

iPhoneXで有機EL採用されて、いずれは全モデル有機ELになる将来が確定 = 少なくとも2億台分の有機EL需要が生まれることで、韓国LG電子中国BOEといったディスプレイメーカー有機ELへの積極投資を決めた。

こうしてディスプレイ供給が増えることでさら有機EL搭載の携帯端末が増えるという新技術の普及サイクルに入ることになった。有機ELの普及タイミングを読めなかったジャパンディスプレイ建設を進めていた白山工場は稼働後1年で需要を失う羽目になり、会社自体が傾くことになる。Appleディスプレイ採用は、業界投資動向に与えたインパクトが段違いだったのだ。

もう一つ大きいのが、Apple有機EL採用によって携帯機器有機EL搭載の流れが『不可逆的になった』ということ。ブコメでも誰かが上げてくれていたが、従来はPS Vitaのように最初有機EL搭載モデルだったのが途中で液晶に代わるというような逆の流れもあったわけだ。ところが、iPhoneX登場以降は有機EL搭載モデルの後継機種が液晶になるような逆転現象が無くなった。iPhoneXの登場は文字通り市場を変えたのだ。

技術への投資は本当に、本当に難しいという話

もうちょっと追記したいと思う。2000年ごろから日本主要メーカー次世代ディスプレイ技術投資スタンスについてだ。この時代の日系メーカーディスプレイ技術への投資を振り返ることは電気自動車への投資戦略を考えるうえで、非常にいいケーススタディになる。当時の各社の戦略とその後の流れはざっくり書くとこんな感じだ。

シャープ場合次世代ディスプレイ技術本命液晶とみて集中投資2004年亀山工場2006年亀山第二工場2009年に堺工場と大型投資慣行するも、液晶パネル需要変動による赤字に耐えられず会社経営危機に。台湾鴻海精密工業傘下に入り、経営再建を進める。

パナソニック(当時は松下電器)の場合次世代ディスプレイ本命を大画面化に向くプラズマとみて集中投資2000年代半ばまで投資戦略成功していたが液晶の大型化が進むとプラズマメリットが薄れ撤退製造子会社は5000億という日本製造業史上最高記録の負債を抱えて倒産液晶への投資視野に入れて、日立東芝と合同で設立した液晶製造会社のIPSアルファテクノロジを子会社化、自社でパネル製造進めるも利益を出せずこちらも撤退している。

ソニー場合次世代ディスプレイ技術本命有機ELと考え、液晶はそこまで普及しないと判断。当面はCRT延命して凌ぐも液晶テレビの市場立ち上がり時期を読めず、パネル調達不安を抱えてサムスン電子と液晶合弁会社設立。日系メーカー商売敵に技術依存し、資金を出す行為に当時は批判が集まった。

20年後の後知恵で見れば、2000年ごろの判断として一番正しい投資戦略をしていたのはシャープで、一番大規模に投資していたのはパナソニックで、一番時流が読めていなかったのはソニーで間違いない。

だけど2021年現在、一番テレビ事業利益を上げているのは一番時流が読めていなかったソニーだ。世界シェアは今でも3位を維持している(1位、2位は韓国サムスンとLG、パナ、シャープ10前後)。新技術への投資出遅れたのだが、裏を返せば大規模投資による消耗を避けられたしその後の販売戦略で巻き返せたという事でもある。

そんなわけで、電気自動車への投資を全力で進めよという話が異様に盛り上がってるけども、別業界から歴史的な経緯を通してみれば「そんなに単純な話じゃないよ」と思ってしまうのである。新技術への投資戦略って、本当に、本当に、難しいのだ。

2021-10-11

マジック:ザ・ギャザリング世界大会日本人が優勝した

それが今日の朝9時のはなし。その感動の勢いに任せてキーボード叩いてる。

優勝した人の名前高橋優太さんといい、大会正式名称世界選手権という。

この大会は現時点での世界最高峰プレイヤーを16人だけ選抜して競う、競技マジックの頂点。

いわゆる「MTG地球代表」を決めるトーナメントと考えてもよい。


高橋氏はそこで開幕3連敗して、あと1敗でもしたらその場でトーナメント敗退が決まる崖っぷちにいきなり追い込まれる。

そんな土俵際に片足ついた状態から、なんと以降負けなしの11連勝でまさかの逆転優勝。

こんな大記録、27年続く世界大会歴史の中で一度もない。ほんとにすごいことなんよ。


マジック興味ない人には長文であーだこーだ伝えるよりも実際の動画を見てもらったほうがいいよな。

決勝トーナメント進出が決まった瞬間

https://youtu.be/NWd2FgWGHrw?t=22353

優勝の瞬間

https://youtu.be/3Ve9Hk3k5X8?t=28417


いい年したおっさんが画面の前でひとり声を抑えることも忘れて泣いている。

それぐらいすごい偉業だったんだよ。世界一のタイトルは彼にとって悲願だったしね。

その姿みていい年こいたおっさんの俺もすこし泣いちゃったわ。




コロナの影響で去年の世界選手権は開催中止、そして今年は初のオンライン開催。

また2019年から公式運営下で始動したプロリーグ麻雀でいうMリーグみたいなの)が来年には廃止されることが通告済み。

MTGに生涯を捧げてきたプロプレイヤーたちにとって2021年はまさに激動と困惑の年だった。


そんな奔流のなかで頂点をつかんだのがこの高橋選手だった。

日本人による世界一のタイトル獲得は2012年以来じつに9年ぶり。


そもそもこの大会アジア人には時差のハンデがめちゃくちゃあった。

現地アメリカの時刻に合わせてるから日本だと深夜24からスタートして朝9時に終わる超過酷スケジュール。それをぶっとおしで三日間。

これもコロナによるオンライン開催の弊害

例年のオフライン開催だと数日前から現地に飛んで(開催地パリとか千葉とかラスベガスとか毎年ちがう)時差順応するわけだけど、オンラインではそうはいかない。

カードゲームマインドスポーツとよばれたりするけど、今回アジア人プレイヤーにとってはそもそも身体的にハードトーナメントだったことをまず伝えておきたい。




はてな民ネットコミュニティのなかでもマジック履修率が謎に高いイメージ偏見)があるが、

それでも昨今のマジック競技シーンについて熱心に追いかけてる人はすくないだろう。


日本はもともと競技マジック強豪国で、市場規模本国アメリカに次いで二番手の大きさ(たしか)。

前述のプロリーグにも、2020年度の上位リーグ24名のうち日本人は3名参加しているし、

2005-2006年および2011-2012年には日本人世界選手権タイトルを連年で獲得している。

過去にいちどだけ開催されたチームシリーズも、優勝したのは日本人率いるチーム「武蔵」だった。


競技プレイヤー平均値が高い=プレイヤーコミュニティ一つ一つの練度が高く、チームプレイが得意。

また0から1を生む発明家より70点のアイディアを洗練させて100点にするような職人的なプレイヤーが多いのが日本の特徴といえる。


だけど日本はいつも勝者のスポットライトのあたる位置にいたわけじゃなく、

30年近いMTG競技シーンの中で、日本勢だけがまったく勝てなくなってしまった暗黒期があった。

日本勢は上位にいて当たりまえ」なんて過去の栄光を知っている者たちからすれば、

そのとき日本の一人負けっぷりは衝撃的で、公式からこんな考察記事を書かれるほどだった。


日本勢は、なぜ勝てなかったのか。 (Internet Archive)

https://web.archive.org/web/20121107070840/http://archive.mtg-jp.com/eventc/ptams10/article/008381/


記事によればその原因は複合的なものだが、

いくつか抽出するならそれはリーダー発明家の不在だったり、語学ハンディキャップによる情報戦の遅れだったり、コミュニティ高齢化や硬直化だったり……

日本社会全体の問題として挙げられるような要因が、実はカードゲーム勝敗世界にもそのまま通じる課題だったりする。


それから10年の月日が流れ、日本マジック競技シーンがどうなったかといえば……

高橋氏の優勝からわかるように、いまふたたび最盛の季節を迎えている。

実は全世界で16人しか加わることのできない世界選手権の参加枠に、今年はなんと日本勢が5名も入っていたんだよ。

ちなみに2018年日本人参加者は1人、2019年にいたっては0人。

すごくないかこれ。

日本勢はもう終わった、なんて言われてた時代を通ってきた人間からすれば、今ほんとうにちょっとした奇跡を目にしてる気分なんだよ。


先述の日本コミュニティ問題をどのようにして解決していったかはわからない。

危機感原動力に率先して改善していった部分もあるだろうし、技術インターネットインフラの発展によって自然と乗り越えられていった障壁もあるだろう。

今や日本勢が世界に一歩先んじた発明家的なアイディアを生みだすことも珍しくなくなった(ホロウワンや原根グルール、ジェスカイ変容)。

ひょっとしたら発明家が乏しいとされた日本人環境の激変期には出遅れものの、

けっきょく最終的にはその職人肌によって最適解へとみずからを研磨して適合させていくのかもしれない。


そして、今大会で優勝した高橋選手

彼は競技マジックコミットして20年近いストイックな古豪プレイヤーで、

国内外で実力は認められていたものの、肩書になるようなタイトルだけは手に入らないような状態がずっとつづいていた。


彼はまさにひとつの道を究める職人タイプで、今回使っていたデッキ最先端から半歩引いたようなイゼットドラゴンだ。

このデッキを使っていたのは16人の参加者の中でただひとり彼だけ。

海外勢が持ち込んだ最先端デッキリーア入りのグリクシス天啓)が発明家による最先端の発想だとすると、イゼットドラゴンはむしろその対極。

一世代から職人たちの手によって100点に磨き上げられた、既知のアイディア結晶のようなデッキだった。

対戦相手テクニカルで繊細な応酬を好む高橋氏らしい選択だと思ったけれど、正直言って下馬評ではほとんど話題にあがることのないようなデッキだったと思う。

それがまさか構築ラウンド無敗での優勝。



職人型の日本人プレイヤーが、既知の技術の到達点で、20年かけて、世界の頂点を獲った。

プロシーンに終止符が打たれた最後の年に、崖っぷちの3連敗から歴史に名を残す11連勝で。


こんなんさ……もうさ……ドラマやん!

競技マジックいかけてたら泣くっちゅうの!


そして悲願だった世界一の称号を手に入れて、次の目標はありますか、と優勝者インタビューで訊かれたとき

彼の回答もまたすごく印象に残ってる。

世界一のタイトル獲った直後なのに、ほんとうに穏やかな口調でこう言ったのよ。


コロナが終わったらまた世界中どこへでも大会に行きたい」

「強いプレイヤーと戦うのが楽しいから



前に増田で見かけたLoR大会解説記事(https://anond.hatelabo.jp/20210919095507)がすげー面白かったか自分も書いてみた。

今年はTCG競技シーンにおける日本人活躍がすばらしいよね。

みんなも自分ニッチ情熱もっと増田に書けばいい。

助詞「は」を「ゎ」って書くのは〇〇構文になりえるか

今日ゎ雨で 私ゎつらい・・・」みたいなやつ

若い人がこの書き方をケータイという文化の中で書き始めたのが2006年ごろだった。

15年前だ。

ツイッターを眺めているといまだにこの書き方を見かけることがあるが、年齢をみるとやはり30歳よりは上だ

当時15歳~20歳くらいだった人がこの書き方が染みついてしまい。令和の今も使っているのだろう。

30代の人の子世代はまだまだ小さいけれど、これが5年くらいたつと思春期になるだろう。

中学生になると親世代文化が古臭いと感じるようになり、その印象が若者世論形成していく。そうすると「ゎ」文化も急速に、古く気持ち悪い平成文化とされてくるだろう。

オジサン構文のようにオバサン構文とか、そんな名前が付けられてくるのかもしれない。

もっともオジサン構文はオジサンから若い人に接触をした時の文化軋轢により発生しているが、オバサン構文は若い人とつながらず内輪で使い続けられるだろうからしかしたら今後もバレないでひっそりと生き続けるのかもしれない

2021-10-10

ベルプリンター進化に驚いた

会社2006年製のテプラしか使ってなかったから驚いた。

こういうニッチだけど着実にニーズがあるものにたいする地味な努力日本企業ってすばらしいよね。

https://www.casio.com/jp/label-writer/product.EC-P10/

2021-10-09

anond:20211006074701

https://pmazzarino.web.fc2.com/saikin2.html 

スタンダード 反社会学講座

最近の○○・バックナンバー 2(2006年)

より抜粋

自由多様性のある社会を目指そうという主張になら、私も賛成します。しかし残念ながら観念論スローガンを唱えるだけじゃ、弱い。弱すぎる。それだけじゃニート問題はおろか、なんの社会問題教育問題解決にもなりません。それどころか、海千山千ヘリクツボーイたちの手にかかれば、「自由社会なんだろ? だったら、ニート差別するのも自由じゃねえか」と悪用されてしまます。それとどう闘うのですか。やっぱり、リベラルだったら「ニートでもいいじゃねえか」と開き直るべきでしょう。

 

この時代を生きてきたおじさんに言わせると「仕事を愛せよという程度の広告撤去されるわけがない」が常識です。

2021-10-08

死刑囚病死

法務省は8日、横浜市鶴見区1988年夫婦殺害現金を奪ったとして強盗殺人罪に問われ、死刑が確定した高橋和利死刑囚(87)が誤嚥肺炎のため東京拘置所で死亡したと発表した。

事件1988年で、最高裁死刑が確定したのが18年後の2006年

更に15年後の今年、誤嚥肺炎で死亡。

 

裁判が長すぎる上に、死刑執行もせずにだらだらと生かしておいた結果がこれだ。

https://news.yahoo.co.jp/articles/35ac00689b0422cafe97ca6358d54359577397c8

 

2021-10-05

anond:20211003125552

元増田のいう「オタク」とはちょっと違うかもしれないけれど、

アニメゲーム調のイラスト市民権を得て、公的機関アニメ調のキャラクターVtuberとして採用するなんて、20年前はちょっと想像できなかったな。

20年前に、アニメゲーム系のイラストキャラクターを見つけようとすれば、

アニメゲーム

ライトノベル(富士見ファンタジア文庫電撃文庫)

アダルトパソコンゲーム

ぐらいしかなかった気がする。

一般向け小説の表紙がアニメ調になるなんて思わなかったし、鉄道会社市役所一般企業広報アニメ調のキャラクターが登場するなんて思ってもみなかった。

2000年前後の事例としては、アイスちゃん(1999年くらい)、大和町まほろちゃん(2001年くらい)、程度じゃなかっただろうか。

あくまでも自分感覚しかないけれど、

鉄道むすめ(2005年発売)、下妻市シモンちゃん(2006年くらいに登場)、涼宮ハルヒの憂鬱(2006年放映)、らき☆すた(2007年放映)、あたりから一般社会にアニメ調のキャラクターが浸透し始めた。

初音ミク(2007年発売)、けいおん!(2009年放映)、あたりから世間アニメゲームに対する見る目が変わり始めて、ガルパン(2012年放映)、艦これ(2013年サービス開始)、あたりで肯定的立場に切り替わった感じ。

2021-09-30

トップの在任期

立憲・枝野代表「残念ながら自民党は変わらない、変われない」

https://www.asahi.com/articles/ASP9Y6631P9YUTFK035.html

政府与党である自民党は変わらなければならない。

トップの顔が変わっても政治の中身が変わらなければ意味がない。

というような意図だとはわかる。

わかるんだが、立憲の代表って変わってないよなー、とか

連立組む相手共産党も長期独裁だよなー、という思いが去来し

ドイツメルケル首相退陣ニュースもあったのでトップの在任期間を調べてみた。

自民党

総裁 安倍晋三2006年2007年2012年2020年

総裁 菅義偉2020年2021年

総裁 岸田文雄2021年~)

公明党

代表 山口那津男2009年~)

立憲民主党・(新)立憲民主党

代表 枝野幸男 (2017年2020年2020年~)

日本共産党

党委員長 志位和夫2000年~)

外国

アメリカ バイデン大統領2021年~)

ドイツ メルケル首相2005年2021年

イギリス ジョンソン首相2019年~)

フランス マクロン大統領2017年~)

ロシア プーチン大統領2000年2008年2012年5月7日~)

中国 習近平国家主席2012年~)

北朝鮮 金正恩総書記2011年~)

カザフスタン ナザルバエフ大統領1991年2019年

ベラルーシ ルカシェンコ大統領1994年~)

2021-09-28

まさかデジタル庁関連で豆蔵の名前が出てくるとはなあ。Java屋の重鎮揃いだよな。平井氏が株券を購入したのは2006年6月持株会社に移行したのが同年10月。なかなかいタイミングじゃないか

2021-09-27

なぜAUKUS同盟による原潜取引は核不拡散にとって悪影響なのか

以下はカーネギー国際平和基金による投稿抜粋超訳です。日本であまりキチンと指摘されていないと感じていたので気になる部分をテキトーに抜き出してテキトーに訳してみました。先日のQUAD会談でモリソン首相から日本へはフランスより先に事前通告があったとの報道でしたが、政府内で日本としての反応をどれほど検討したのでしょうか。対北朝鮮では豪州のそれを認めるのは悪手のような気がしますが・・・

https://carnegieendowment.org/2021/09/21/why-aukus-submarine-deal-is-bad-for-nonproliferation-and-what-to-do-about-it-pub-85399

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AUKUS同盟が核不拡散に果たす役割については、少数の核専門家twitter上で論を交わしている一方で、大多数は大戦略議論に気を取られてしまっている。核専門家の間でも、同盟が核不拡散に及ぼす影響がどれだけあるか、そしてその与える影響が負のものかについては議論が分かれている。

 

私の評価では、AUKUSの原潜取引は核不拡散にとって深刻かつ負の影響を及ぼす。豪州が原潜を運用することは、IAEAの定める核原料の査察システムから核原料を取り除く「抜け穴」を利用する、最初核兵器保有国が出現したこと意味する。私は豪州それ自体がこの原料を悪用するとは思わないが、この抜け穴の利用が危険前例を作り出すことを心配している。将来、核保有を企む国々は海事原子炉隠れ蓑として使うことができるようになるだろう。

 

2002年ジョージブッシュ政権テヘランに対して「ウランの濃縮と再処理活動を破棄せよ」と勧告した...私にとって、日本ドイツオランダといった核兵器保有国が濃縮プログラムを行っていることは脅威では無い...だが、イランは、自国日本比較することによってこのダブルスタンダードの隙を突き、この「濃縮する権利」を主張した。この主張は功を奏した。欧州においてさえ、イランに濃縮を辞めさせよという主張を支持する国はなかった。特にドイツは、イランに濃縮プログラムを破棄させることに強行に抵抗した - それは恐らく自国ウラニウム濃縮を行っており、将来的に自国が同様の圧力さらされることを恐れてのことだった。結果、2006年合衆国安保理決議において濃縮プログラムを破棄するのではなく、「停止」するよう変更した。

 

多くのアメリカ人の読者は、「だからどうした?安保理が不拡散強制できないのであれば、合衆国が、必要とあれば単独で、制裁もしくは軍事行動をもって不拡散強制するだろう」と考えるかもしれない。

 

この反応は近視眼的である米国による制裁はより幅広い国々から同意があってこそより効果がある。実際、合衆国制裁正統性がないと受け取られた場合は多数にのぼり、今後中期的にドルに変わる国際基軸通貨が出現する可能性がある以上、合衆国単独政策効果は低くなると予想される。

 

NPT条約核兵器保有国に原子炉を搭載した艦船を建造・運用することを禁じていない。だが現実的には、IAEA海事原子炉保障措置(セーフガード)をすることができない(その位置が秘匿されアクセスできない潜水艦特にそうだ)。結果として、IAEA包括的保障措置協定(Comprehensive Safeguards Agreement)において、核兵器保有国に「禁止されていない軍事的活動」、つまり海事原子炉のためなら保障措置から核原料を取り除くことを許している。

 

これは明白で憂慮されるIAEA保障措置の抜け穴である。だが今日までは、海事原子炉核兵器保有国とNPT条約の非批准国によってのみ運用されてきた。包括的保障措置協定が約50年前に起草されてから、非核兵器保有国がこの抜け穴を利用しようとしたことはない(かつてブラジルカナダを含む少数国が、真剣検討したことはある)。

 

にも関わらず、この抜け穴が核保有を企む国によって利用される恐れは常にあった。実際に2018年イランIAEAに「将来的に海事原子炉を建造する」計画があると通知した。その上で、もしイランが実際にこの手段に出れば、ロシア中国を含む国々から制裁、あるいは軍事行動さえも含めた深刻なバックラッシュ にあっていただろうし、それがイランの行動をおそらく抑止したのだと考えられる - 少なくとも、これまでは。

 

AUKUS原潜取引により、この潜在的バックラッシュは弱まったと考えられる。もし豪州が実際に核原料を保障措置から取り除けば、このバックラッシュは更に弱くなるだろう。従って将来において、核兵器を取得しようとする国 - イランであれ他であれ - は、豪州の先例に倣うことにより、核原料をセーフガードから取り除く費用を許容可能なうちに抑えられると計算するようになるだろう。

 

豪州イランでもブラジルでもない」は全く正しい評価であると同時に、国際外交においては殆ど無関係議論である世界の残りの多くの国々は、豪州海事原子炉の取得という抜け穴を許す一方で、合衆国敵対国が同様の行動に出ることを罰する行動をダブルスタンダードだと考えるだろう。従って、国際的制裁執行合衆国独自単独行動に強く反対することになるだろう。結果として、AUKSでの原潜取引保障措置抑止力を低下させ、核拡散を引き起こす恐れが高まることになる。

※残りはこの取引の及ぼす悪影響を低減させるための現実的政策提言の部分なので興味あったらご自分でどうぞ。

 

2021-09-21

Javaを救うOracleレジスタンス

悪の帝国 OracleJava有償化し重税を課そうとしたその時、正義勇者 Amazon が立ち上がり新しい Java 実装 Corretto を無償で広めて救ったのだ!

……という情弱が好きそうなデマがあるんだが、こんな陳腐シナリオに喜んでいるようではインチキテックYouTuber に食い物にされてしまうぞ☆

Oracle レジスタンスはいた。彼らは Oracle の中に潜んでいたんだ。

赤字に苦しむ Sun

時は2005年に遡る。

Java を開発した 米 Sun Microsystems は赤字にあえいでいた。

2004年Java 5 (目玉機能ジェネリクス) がリリースされてしばらくの頃だ。

この頃、ひとつオープンソースプロジェクトが立ち上がる。名を Apache Harmony という。

開発は2005年5月に開始され、2006年10月には Apache 財団トップレベルプロジェクトとなった。

Java は当初より、 Sun の独占物ではなかった。

Sun は多数の企業をまきこみ、いろんな企業Javaライセンスしていた。

Java実装Sun が持っていたが、各社が独自実装したり、Sun契約してコード提供を受けたりしていた。

Java を名乗るためには Technology Compatibility Kit (TCK) という互換チェックをパスしなければならない。

初期の Javaオープンソースではなかった。誰もが自由コードを参照し用いることができるものではなかったんだ。

Javaオープンソース化を目論んだ Apache Harmony

これをオープンソース化しようという野心で始まったのが Apache Harmony プロジェクトだ。

Java実装をいちから書き起こしオープンソース代表的Apache License Version 2 ライセンス提供したのだ。

しかし、SunApache2 ライセンスを良しとせず、Harmony に Technology Compatibility Kit (TCK) を受けさせなかった。

Java を名乗らせなかったということだ。

なるほど。彼らが Javaオープンソース化したレジスタンスだったわけか?

違う。話はそんなにシンプルではない。

OpenJDK の登場

2006年 SunJavaオープンソースにする意志があると発表した。

SunJavaリンク例外付きの GNU General Public License でオープンソース化することにした。

これが OpenJDK である

Harmonyライセンス自由な改変を認めるものだった。

OpenJDKライセンス派生物を作ったなら、そのソースコードの公開義務がある、という点が大きな違いだった。

OpenJDK は出た当初はまだ SunJDK との非互換が多かった。しかしこれが現代まで続く OpenJDK の始まりだったのである

2007年11月 GoogleAndroidを発表した。 AndroidJava 言語で開発することができる。

そのベースとなったのは Sun との火種くすぶる Apache Harmony だった。よりにもよって!

これは揉めに揉め、巨額な賠償金をめぐる裁判となる。

(後にGoogleが負けて賠償し、現在Android は OpenJDK ベース)

Sun の身売り

その渦中、赤字に喘いでいた Sun はついに身売りを決断する。2009年のことである

当初 IBM との交渉が報じられていたが金額で折り合わなかったようだ。

そこに颯爽とあらわれたのが Oracle であるOracleSun Microsystems を買収することになった。

しかOracle にはよくない噂がある。敵対買収してプロダクトを潰してしまうという黒い噂だ。

SunJavaOracle に食い物にされてしまうんじゃないか、いわゆる 「悪のOracle」 のイメージはこの頃からのものだ。

しかし、 Sun はすでに Javaオープンソース化していた。 派生物もオープンソースにしなくてはならない OpenJDK で!

OracleJavaSun 社ごと買ったが、 Java はすでに独り占めできるようなものではなかった。

Java オープン化の仕上げ

時は流れ、2018年 Java 11リリースされる。

Sun 本家JDK を引き継いだ Oracle JDK と、OpenJDKがついに統合される。

Oracleソースコードを OpenJDK に寄贈し、 Oracle JDK も OpenJDK ベースとなった。

ここに OpenJDK への移管は完全となり、Javaオープン化は成就した。

それまでの OpenJDKOracle JDK との非互換不安視されていたわけだが、Java11 からはその不安もなくなった。

こうして完全にオープン化された Java は、各サードパーティーからディストリビューションが出るようになった。

Java11 での Javaオープン化を経て、Javaディストリビューション乱立時代へと突入する。

Amazon Corretto もそうした OpenJDK派生ディストリビューションひとつである

OpenJDK の開発は今なお Oracle が主力となって牽引している。

レジスタンス

Java解放しようとしたレジスタンスは、赤字に喘いでいたSunの中にいた。

たとえ Sun が身売りをすることになろうとも、Java邪悪独裁者の手に渡さないように。

Sun が倒れてしまう前に Javaオープン化された。Java仕様策定Java Community Process (JCP) にて行われる。

Java仕様策定Oracle独断で進めることはできない。 OpenJDK の開発も Oracle独断ですることができない。

GNU General Public License でオープンソース化された Java は、派生物のライセンスGPL強制されソースコードを公開しなければならない。

未来永劫、Javaオープンソースでありつづける。

そんな OpenJDKリリースした、当時の Sun中の人達こそがレジスタンスだったんだ。

Oracle はそんな Java を、そういう存在だと分かって Sun ごと買った。

Sun中の人達の多くは Oracle へと移籍した。そして、今でもオープン化された Java を作り続けている。

2021-09-14

追記アリ)もし今の記憶を持ったまま大学生ぐらいに戻ったら

株を買う

ライブドア2004年1月20日まで上昇するから、それまでにバイトしまくってがっつり突っ込む

大学休学してバイトしまくる

売り抜けたら、2006年が明けるまでサイボウズを握る

明けたら全力でライブドア空売り

その後任天堂に突っ込む

アメリカ株にどのタイミング投資できるのかわからんが、スイスフランショックやリーマンショックも日付を覚えておきたい

前者は2015年1月15日後者2008年8月15日には円高になり始めてた

2011年3月東電空売りアベノミクスビットコインGAFA

これで来世では大金持ちだ~

なお今のワイのポートフォリオ

追記

うおおおおお!偽物登場しとる!わいが本物の元増田!!!

暴力革命路線を無かったことにする歴史修正主義政党共産党

2021年

日本共産党は、社会変革の道すじにかかわって、過去の一時期に、「敵の出方」論という説明をしてきましたが、その内容は、(1)選挙で多数の支持を得て誕生した民主的政権に対して、反動勢力があれこれの不法暴挙に出たさいには、国民とともに秩序維持のために必要合法的措置をとる。(2)民主的政権ができる以前に反動勢力民主主義暴力的破壊しようとした場合には、広範な国民世論結集してこれを許さないというものです。それは、どんな場合でも、平和的・合法的に、社会変革の事業を進めるという日本共産党の一貫した立場説明したものにほかなりません。これをもって「暴力革命」の「根拠」にするなどということは、まったく成り立つものではありません。

https://www.jcp.or.jp/akahata/aik21/2021-08-06/2021080607_01_0.html

1968年平和革命必然論を全否定する不破さん

暴力革命唯一論』者の議論は、民主主義擁護する人民の力を無視した受動的な敗北主義議論であるしかし、反対に『平和革命』の道を唯一のものとして絶対化する『平和革命必然論』もまた、米日支配層の反動的攻撃にたいする労働者階級人民の警戒心を失わせる日和見主義的『楽観主義』の議論であり、解放闘争方法を誤まらせるものなのである

— 不破哲三日本社会党綱領路線問題点」[8](1968年1月、『前衛』、日本共産党中央委員会[9])

1964-1970年

革命平和的か暴力的かは敵の出方による。現在国家権力がたやす権力人民譲渡するとは考えられない。

— 1964年5月21日 第八回党大会政治報告」[4]

革命への移行が平和的となるか非平和的となるかは、結局敵の出方によることは、マルクス・レーニン主義重要原則である

— 宮本顕治日本革命展望』(1967年新日本新書

わが党は革命への移行が最後的には敵の出方にかかるという立場をとっている。

— 不破哲三人民議会主義』(1970年新日本出版社)

ちなみに不破さんは2006年まで共産党議長をしていた方なので共産党お得意の「アレは分派勝手にやった(言った)事と言い訳するのも無理

2021-09-05

anond:20210905202132

robloxて2006年リリースゲームなのかよ

マイクラより古いのにやばいぐらい知らなかったわ

どこが最近ゲームなんだよ

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