はてなキーワード: サスペンスとは
帰省した。
郷里は2時間サスペンスドラマの被害者か加害者の実家とかでよく登場するような中途半端な田舎である。
夜も更けて、風呂に入ろうとしていたら、老母が神妙な顔で言うのである。
「入浴の際には、脱衣所のドアを、完全に閉めなければならぬ…さもなくば、恐ろしい目に遭うだろう」
「…もし、…もし、ドアを閉めることを忘れたならば、タオルはラックの左側を使うことじゃな…くれぐれも、気をつけよ」そんな忠告が背後から聞こえた。
入浴。
いーい湯だな。とご機嫌で湯に浸かり、身体を洗っていると、私は自らのミスに気づいた。
脱衣所のドア、完全に閉めたっけ?
…まあいっか。
左…左…
極度の近視のため、ぼやけまくりの裸眼のまま手探りでラックに手を伸ば…
手には、タオルとは異なる、生暖かく、濡れた皮膚にまとわりつく感触…そう、毛皮のような…
「だから、脱衣所閉めろって言ったでしょ。」
「ニャア」
「あれ、いつもは右側にいるんだけど」
「ニャアッ」
見かけたらお近くの駅係員まで〜…てアナウンス流れてるけど、不審物の基準?が分からず、なんかもう全部不審物に見えてしまうというか、報告して手間を取らせるの申し訳ない気持ちと、いやでも本当に何か爆発物だったりした場合を考えると言うべきなんだよな…と思いつつ、見かけても伝えたことない…
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今まで見かけたことあるのは、立派な望遠レンズ付きの一眼レフカメラが誰もいない座席にそのまま置いてあったのとか、ドアの前に大きいビニール袋置いてさっきまで立ってた人なんか違うとこ移動してたり、小さいキャリーケースが置いてあって周りに誰もいないとか
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駅じゃないけど共用のゴミ捨て場にキャリーバッグが置いてあって、サスペンスドラマの見過ぎで死体か…?とか思ってしまいバクバクしてしまったが、よく見たらなんか粗大ゴミの紙貼ってあったとか
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とにかく今回のは何事もなく良かった
GooglePlayでセールスされていたので、知らない古い映画だったけど見てみた
ストーリーとしては炭鉱の町でバレンタインパーティーを前に謎の炭鉱夫が現れて次々と人を殺していくというサスペンスホラーもの
色んなところがこういうシーン好きだろ?、好き!大好き!って感じでツボだったのだけど、特に好きなのが中盤くらいのパーティでの喧嘩シーン
ヒロインをめぐって二人の男が喧嘩になり、友達が羽交い絞めにして止めて、片方を出口近くに突き飛ばすんだけど、突き飛ばされた男がその勢いのまま近くのビール缶を手に取り、プルタブをプシュッと開けて出口方向に振り向きなおし、その回った勢いでビールが少しこぼれ、そもままドアをドカッと蹴って出ていく小気味よさよ
たしかにわざとらしいといえばわざとらしい演出なんだろうけど、男の少し悲しげな表情もビールの音とドアの蹴る音も無駄なくかみ合っていて見ていて気持ちよかった
無理ない展開の中で、ピタゴラスイッチ的なギミックを見れたような感じ
90分の中で何通りも殺し方を見せてくれサービス精神の豊富さも拍手したい
鑑賞後に深く考えさせられるみたいなことは全くないけど、見ている間はとても楽しかった!
「サスペンスドラマとか殺人を描いたような小説とか、映画とかドラマ」を例に出す人達って
そういうドラマの中で殺人楽しい!殺人最高!みんなもっと殺人をしよう!って描かれているとでも思っているのかな。
例のハフポスト記事で「見たくない表現に触れない権利」を主張した専門家の方.実は,昨年の東京都の男女平等参画推進総合計画では,委員として逆に批判的な発言をしていた.
(背景)東京都は「公共空間において不快な表現に接しない自由」を東京都男女平等参画推進総合計画に盛り込もうとしていたが,パブコメで表現の自由の観点からの反対意見が多く寄せされた.そのため,事務局はお詫びし文言を削除することになった.以下はその報告がなされた部会の議事録である.
東京都男女平等参画審議会 第5回男女平等参画部会 議事録より,以下抜粋(強調は筆者).
https://www.seikatubunka.metro.tokyo.lg.jp/danjo/shingikai/files/0000001567/5danjyobukai.pdf
○治部委員 ありがとうございます。
私も是枝委員と同じ趣旨だったんですけれども、ちょっと一番分からなかったのは、なぜこういう文言が入ってきたのかという、その背景ですね。それは、今、事務局からのご説明いただいたので何となく理解はできました。
それで、基本的に、行政なり国だったりの機関が表現に対して介入をするというのは憲法21条でやってはいけないということを言われていることなので、これが残っていたということ自体について、これまでの過程で憲法違反ではないかという議論がなかったのかなというのが、ちょっとすごく不思議に思います。それで、パブコメを拝見していても、その表現に対しての規制の仕方がすごく曖昧な形でなされているというところも問題で、憲法、これ学部で1年生で習えば、そういうことをしてはいけないということは習っているはずなので、別に法律家でなくても私も法学部出身なので常識として知っているようなことです。
行政が様々な公共の福祉に資するために私権の制限ということをするのですが、その中でも経済的な権利に関しては比較的制限する、徴税とかがその最たるものだと思いますけれども、一方で、表現に関しての介入というのは、できるだけ基本はやらない、やってはいけないということは割と叩き込まれることなので、そこは、多分、行政側としても結構強く認識を持っておいたほうが今後いいのではないかなと思います。
もう一つ、私のほうでちょっと懸念というのかな、議論の流れで気になったことは、もちろん性暴力的な表現ないしは過度に性的な表現というものが、目的に対して適切ではなさそうな形で使われている例というものは見受けられることがあります。それはケース・バイ・ケースで、広告主等々が判断することだと思うんですけれども、表現と現実に起きる被害・加害というものの因果関係というものが、エビデンスがあるのか。私が少なくとも様々な報道とかを見ている限り、あまり立証されていないかなというふうに思うんですけれども、その辺のところが、このような表現がなされているから、例えばDVであったり性暴力が増えるというようなエビデンスがあって、こういう表現規制のような文言があったのか、なかったのかということは、ちょっとちゃんと振り返って議論すべきことかなというふうに思います。
例えば、世の中にはサスペンスドラマとか殺人を描いたような小説とか、映画とかドラマがいっぱいあるわけですけども、それを見たから人が殺人を犯すということでは基本的にはないと思うので、そのフィクションと現実との関連等々は、これはきちんと研究もされているはずなので、そういったことを踏まえて議論をしていく必要があるのではないかなということを思いました。
私も、こういった表現があることはきちんと気づくべきであったなということを改めて反省するとともに、この文言を、たくさん反論が来たから単に修正しました、終わりですというよりも、なぜこれが入ってきてしまったのかということはきちんと検証すべきでありますし、そういうことを怠ると、男女平等政策ということそのものが市民社会からの信頼を得られなくなってしまうということを、むしろ危惧するものであります。
以上です。
行政として「見たくない表現に触れない権利」を市民に強制するのはダメだが,新聞広告など民間領域では当然に認められるべきという立場なのだろうか?
また,性犯罪と表現規制の間にエビデンスがないことも指摘しているようだが,これも行政が立法する際にはエビデンスが必要だが,民間ではエビデンスなしに規制してOKということなのだろうか?
しかも新聞って言論の自由的にかなり重要な主体だと思うのだが,それでも行政じゃないからガンガン規制すべきということなのか?
あーこれは、ゲームに限らず今まで物を作った経験が多分少ないでしょ?
考え方が整理できてない。
「魔法でものを別のものに変身させて謎を解くみたいなゲーム」って、考えた側はそれだけで満足しちゃうけど、実は何一つ具体的じゃないアイデア。
これだけをゲーム好きの人に話しても、どんなゲームか、PCのレトロ風ゲーなのかスマホアプリなのかすらもイメージできないと思う。
正直、あと一歩ではない。
謎解きゲーなら、具体的なゲームプレイ部分が謎解きなんだから、それをまず具体的に思いついてなきゃおかしい。
「石を鍵に変える」では正直どんな謎解きなのか全然わからない。
脱出ゲーム的なアイテム謎解きなのか、RPGでステージを進みながら道中のギミックをアクションで解くゼルダみたいな感じなのか?
魔法というのも、シミュレーション的なリソース管理をして生成していく魔法なのか、ただのアイテムなのか。
とにかくまずは、自分の作りたいゲームを他のゲームに置き換えて説明できるようにしよう。
例えば、Rusty Lakeみたいな謎解きと、シレンみたいなローグライクで魔法はステージクリア報酬で、キャラクターと世界観はアンダーテールで、ストーリーはマリオとかドンキー程度の簡単なので良くて、音楽は東方で〜とか。
(ここまで詰め込む必要はない)
他のゲームに置き換えて説明するといったが、もしかしたら、新しいゲームを作るのに既存のもので説明するのは不満かもしれない。
ゼルダはRPGとアクションと謎解きの組み合わせだし、ロックマンはアクションとシューティングとボスシステムの組み合わせ。
換骨奪胎とか温故知新ってのも要はそういう話で、既存の物を組み合わせるから新しい物ができる。
(スマホだって携帯電話とPCの組み合わせで、携帯電話だって電話と持ち運びの組み合わせで〜と無限に続く)
で、これをやるためにはまず、自分のイメージに少しでも合うゲームを全てリストアップして、それらの要素をカテゴライズするといい。
例えばゼルダならさっきも言ったようにRPG+アクション+ギミック謎解きみたいになるはず。
INSIDEなら非言語+アクション+ギミック+ホラー+雰囲気。
baba is youなら論理パズル+ひらめき+シンプルゆえのシビアさ+ゆるキャラみたいな?
ヴァンパイアサバイバーなら、簡易シューティング+ハクスラ+ガチャ+ローグライクとかかな?
こういうことを、地道に繰り返す。
既にあるゲーム知識でも、頭の中で複数のことを同時に考えるのは難しいから、一旦アウトプットして吐き出すのが何より大事。
他のゲームがどういう要素で出来てるかリストにすることで、自分の頭も整理されてやりたいことがクリアになる。
これをしてると、そのうち絶対に具体的な謎解きを思いつく。
俺もこのパズルやりたいなとか、このゲームのギミックを俺ならもっと上手く活かせるなとか、これは複雑なプログラムだから自分には無理だなとか。
それを元にバリエーションを作り、膨らませていけばいい。
そして自分の持ってる知識をリストアップしたら、さらに情報を仕入れる。
作りたいのが謎解きゲームなら謎解きゲームをとにかく検索する。
ゲームの概要を読んで、これはなぞなぞと恋愛の組み合わせだな、アイテム謎解きと心理サスペンスだな、とカテゴライズしていく。
謎解きゲーのつもりだけど探索の要素を増やした方が面白そうだなとか、ループものはありきたりだから嫌だなとか、意外とホラーと組み合わせてもいいかなとか、無駄なことでもとにかくメモする。
それを他のアイデアと組み合わせられないだろうか、と頭を捻って考えていくのだ。
アイデアっていうのは、こういう具体的な作業をして、頭が整理されてから初めて湧いてくるもの。
勿論、謎解きの部分だけじゃなくて、魔法で変身させるって要素も組み合わせたり膨らませるといい。
石や蛇と言ってたけど、マリオみたいにキノコで主人公自身が変身してもいいし、可愛い召使いのヒロインを無理やり鍵やロープに変身させて利用するお色気コメディにしてもいい。
変身するたびヒロインの服が脱げたりね。
実際には作らなくても、こういうことを考えるのは楽しいよ。
ちなみに、このリストアップとカテゴライズはゲームに限らず物作りやアイデア出しをする時の基本だから、メリットはあってもデメリットは絶対にない。
あと、余裕があるなら紙に手書きでメモを取った方がいいと思う。
個人的にペンで紙をなぞる感覚が脳への刺激になるのか、頭がスッキリする。
それと単純に物理的にノートやメモが埋まっていくと、デジタルデータにはない充実感があってモチベーションになる。
(個人差はあるだろうけど)
何より、自分の書き溜めたアイデアをあとから日記的にペラペラ読み直すのは、物作りをする上でかなり楽しい瞬間だ。
ゲームを面白くするには「リソース管理」と「報酬」の要素が大事だから、なんかつまんないなーと思ったらまずここを見直してみて。
RPGの経験値とレベリングやゴールド、アクションの残機やライフゲージ、アイテム管理、シミュレーションでいう素材なんかのこと。
これはプレイヤーに戦術とか戦略を考えさせるためのもので、あるとないとでは大違い。
ただ目の前の謎を解くだけ、アクションをするだけなら、計算問題や反射テストと変わらない。
リソース管理があることで、ゲームとプレイヤーの間に駆け引きが生まれる。
そして報酬は、
まあ言わなくてもわかるけど、レベルアップとかアイテムゲットとか、そういうものがゲームにはやっぱり大事。
ヴァンパイアサバイバーも、宝箱の演出が抜群に気持ちいいわけで。
報酬は、ゲーム進行度ごとにどの段階でどれだけ報酬を与えるか、みたいなのを紙に書いて割り振った方がバランスよく仕上がる。
多すぎても飽きるし、少なすぎるとやりたくなくなる。
以上豆知識。
これをやってみてちょうだい。
あと、もし出来たゲームがつまんなくても気にしないで。
皆さんのブコメや反応を見ました。
うーん意外と? 線引きすればいいだけ、という反応が多いような気がして、ドライなんだな。って思いました。
あと、ミステリーやサスペンスを楽しむのと、現実の殺人はダメなのと同じとかという意見には違和感しかなかったです。
小説はフィクションだから。モデルになるような事件はあったかもしれないけど、小説の中で死んだ人は現実には存在しないですよね。
フィクションと現実の区別がついていないという意見もありましたが、史実に基づいた話のことについて書いたつもりだったので、それも違うなと思います。
内心の問題。そうですよね。
自分の中の矛盾は、歴史モノは本当は殺された人がいるにも関わらず、
その人達を「あえて見ない」ことにし、登場する英雄たちの行動や勝利、あるいは敗北でさえ娯楽として、消費してしまったことにあると思います。
日本で人気のある武将では織田信長が1位になったりしますが、延暦寺の焼き討ちはシンプルに虐殺では...?と思います。
現在のウクライナ侵攻では、ほぼリアルタイムに被害にあった方々の声を聞き、破壊された街を見ることができます。
当然のように、戦争には反対します。被害者の方々に同情します。
であるならば、歴史モノに対しても、そうであるべきだったと思います。
当時も多くの被害者がいただろうけど、その人達の声が聞こえてくることはありません。
美味しいところだけを食べ捨ててしまった。という罪悪感。