はてなキーワード: ティーとは
地裁の暇空弁護団→かきつば晶(何故か変換できない)、小沢一仁、渥美陽子、松永成高
相手をどやしつけることが目的であって勝利は最初から諦めてるダーティーなスラップ訴訟はかきつばが担当しているっぽい
かきつばは父親と祖父が法曹界では有名人で、働かなくても遊んで暮らしていけるレベルなので別に汚名かぶってもいいのだろう
地裁の時はワンチャン勝てるかもと期待していたが、無理そうなので他3人が抜けた
かきつばはかつては「カルピス」と名乗って活動していた「カルピスオリジン」「カルピスの原液」「原初のカルピス」と呼ばれる存在で、カルピス軍団の始祖
最近Xでダーティーハリーがコカされたことでおっさん映画ユーザーがキレ散らかしているのが映画ファンの間で盛り上がっている。
ただ、こういうおっさんユーザーはX上でいきり立っているだけの場合が多いし、そこまで多数派ではない。
とは言え、映画が何十年も息の長い趣味領域である以上、おっさん自体の数は多いのだ。
おっさんが危険なフェーズになる時は、映画系のオフ会に現れる時である。
映画系のオフ会がどういう事をするのかというと50人くらいの老若男女がでかい会議室みたいな所に集まって
主催者が事前に設定したテーマ、例えば「マーベル映画」とか「スターウォーズ」とか複数決めてテーブルごとに時間を区切って何回か話す。
参加費(3000〜4000円)が払えれば誰も行けるのでいろんな人間が現れる。当然そこには面倒臭いおっさんが入り込む余地が存在するのだ。
大概2種類いるんだが、一つはダーティーハリーの時のように自分の心棒する作品をコカされるとムキになるタイプ
個別に語っていこうと思う。
オフ会で癇癪起こすレベルでキレるヤバい奴は流石に見た事はないが、子持ちなら子供よりも歳の差ある若い参加者にムキになって知識爆撃をするおっさんは結構多い。
大抵自分が若い時に見ていたであろう作品を悪意なくとも貶されるわけでもなく疑問を呈されるだけでスイッチが入る。そうなったら他の参加者が喋る機会を一歳与えずに
独壇場が始まる。そうなると他の参加者が喋る機会がなくなるので、空気が明らかに悪くなる。しかもオタク知識の羅列なので聞いていて全く面白くないのだ。
ムキになっていない時でも自分の得意ジャンルで喋り続ける場合もあり、若い参加者は遠慮がちなので沈黙してしまう。そうして見切りをつけられる。
ちなみに、このタイプのおっさんがオフ会の後の飲み会に現れると大抵会計で揉める。
一度オッサン同士で酒代割り勘に入れるか入れないで殴り合い一歩手前になって最悪な雰囲気になったことがある。
不特定多数が集まるイベントなのでしょうがないのだが、女目当ての出会い厨が入り込む事がある。
街コンでオフ会の存在を知ってそのまま街コンのノリでオフ会に現れるチャラい奴と、青春を謳歌しそこねたオッサンがいる。
前者は若い奴でコイツらはコイツらで有害なのだが今回は省略する。後者は痛い行動パターンをとる事が多い。
タチの悪いの事に、こういうおっさんは自分はまだ若いか、ブラッドピットか勘違いしている。
なので若い女性参加者を舐め回すような目で遠くから眺め、女性が集まるテーマに行く。そして自分がいかに映画に詳しいかでアピールする。
そこでドンびかれることも多いのだが、おっさんは何もわかっていないので彼女らのXアカウントをフォローする所からスタートし
オフ会が終わってから暫くしてDMでデートを誘ったり気色悪い文面を送ってブロックされる運命が待っている。
運営側からすると会が終わってから事案が起こるのでその場で注意できないのも面倒臭い。
正直、こういう手合いが現れると口コミ(常連参加者は大抵LINEグループでヤバい参加者の情報を共有している)で
警戒されるようになって、そのオフ会ではハブられる運命を辿るか女性参加者が来なくなるのでそのうちオッサンは
ネットでまた新しい映画オフ会を探して参加するのである。変にポジティブなのでまた同じことを繰り返してオフ会を地獄にしていく。
稀に本当に映画狂いのコミュ強なオッサンがいるが、奇跡な存在だと思う。
しかもどちらのタイプでも自分が悪い奴だと思ってないので絡まれるとより面倒。
ぬお~早朝品出しタイミーからの喫茶店からの適当ウィンドウショッピング&買い出し疲れたぜ
ェ!
木材をふんだんに使ったテーブル・彩度高めのソファーでハワイアンな内装、英語バリバリ店内BGM
入った直後の非日常感
素晴らしい、これだよこれ
パンケーキ+コーヒーゼリーのセットを頼む、お供はトロピカルティー
持参のゴルゴ13を読みながら待つ
まずコーヒーゼリー、さすがコーヒー屋とあってしっかり苦味ばしっている
上にソフトクリームが載っててこれも舌の上でスッと溶ける
溶けてきたソフトクリームと一緒にゼリーを食べると苦味を全く感じなくなる、文句無しで美味い
で、パンケーキにはコーヒー風味のクリームがたんまりと付いている
でもね
パンケーキ2枚目まではウマウマ食えるんだけど3枚目でピタッとフォークが止まって素直に吐きそうになってくるの
そこにトロピカルティー、口に含むとオレンジ、パイン、ライチ、実に爽やかな南国が鼻腔に広がる
これがコーヒーだとコーヒーゼリーと被り微妙なことになっていただろう
我ながら素晴らしいチョイスである
…160円で紙パックで売ってるミックスジュースの風味じゃね?これ…
…いやそんなことはない!断じて!!これは南国!ハワイの香り!!!
と思いつつゴルゴを1冊読み終え「店内BGMうるさくね?帰るか」つって店を出ましたわ
ちなクリームは半分残した
上手に居心地悪くして回転率を上げてますな、さすがですわ
お食事メニューも美味いだろうがなんとなく味に想像がつくしまあいいや
今後もコーヒーゼリーだけ食べに行きたいがメニューになかったんだよなァ
来週は焼き肉屋に行くぞ!!
8月ももうちょっとで終わっちゃうわ!って切迫感に追われながら
なんかさー
7月とかならなんか夏始まる!ってそんな感じで夏の始まりを予感させる感じがしていたんだけど、
8月に入っちゃうとなんかもう夏が終わる感をつげるかぜあざみよね。
ただ!
これから夏感!を感じてやまないのことがあることを私気付いちゃったの!
それは蚊よ蚊!
この夏の暑い猛暑の猛烈に暑い時期には蚊が出てこないというのはそろそろ人類が学習してもいい頃だと思うし、
私の予想だとつーかここ最近の毎年のことだけど
10月ぐらいに蚊が出てくるじゃない?
そのころまで虫除け薬局やドラッグストアーに置いていて欲しいの。
秋だからもういいやーってお店も諦めて品揃えを秋の焼き秋刀魚フェアに変更するほど甘くない今年は豊作の秋刀魚らしいけれど、
私の通っている定食屋さんの今年の秋の秋刀魚フェアやんのかしら?って今からその蚊の発生とともなって今から楽しみなのよね。
なにしろ事務所って家の部屋の間取りの広さと違ってどちらかというと、
ワイドじゃない。
それに伴って電子蚊取りの薬剤も
それを使っているんだけど、
でもこれで蚊に刺されないようになるから
一応の効果は抜群なのよ。
昨日蚊に刺されて確かに!って蟹の絵文字が私の目の前を横切ったから
この盛りに盛った盛夏のマックスの時には蚊が出てこないという新常識に
驚き屋も驚いていいと思う。
洗濯洗剤のシーエムの驚きの白さ!ってそれだけに驚いているだけじゃなくて、
打てば響くの!
だから私が一番気になっていることと言えば
蚊の発生具合と
秋の秋刀魚フェアやんのかしら?ってところが一番気になるわ。
秋刀魚ってさまあ買えば安いけれど
焼いたり片付けたり焼いたり秋刀魚の骨を美味ーく1本になるように上手に食べて骨だけにしてあとでコンロのグリルにまたじっくりカリッとするまで焼いて骨煎餅!ってやるのもまた楽しみではあるんだけど、
家庭でそこまで時間を掛けてじっくり楽しむにはある程度の準備や片付けやそして他になんかいろいろと手間がかかるじゃない。
それをお店で焼き秋刀魚フェアやってるとお手軽に私たちの口元にも秋刀魚が届くって訳なのよね。
キャッサバのタピオカの中に入っているプチプチした食感でお馴染みの魚卵の漁獲量が気になるわ。
一時期はキャッサバの漁獲量が少なくなってタピオカピンチが訪れたんだけど、
あれ一時期増えまくったタピオカ専門店も随分少なくなって淘汰されたと思わない?
なんとかペイって支払い方法もどれにしたら良いのかもうちょっと淘汰されるのを待った方がいいのかしら?って結局なんとかペイの支払いはしたことがないいつもタッチビザの日々なのよね。
まあキャッサバの漁獲量に左右されるタピオカの魚卵のプチプチした食感でお馴染みのあのティーだけど、
ってことなのよ。
とにかく凄い自信なの!
秋の代名詞と清水寺で発表される今年の漢字一文字が蚊にならないように
で!私今思っちゃったんだけど
「金」って言っていいのは田村でも金!亮子でも金!の人だけなのよ。
うふふ。
新登場!って書いてポップがあったので思わず私はポップと手に取って買って食べてしまった美味しかったわ。
もう今シーズンは
水出しルイボスティーかレモン炭酸率で回しているようなものよね。
グレープフルーツ買っても忘れてて置いたままにしておくと芽が出ちゃうから
芽が出て初めてうわ!私グレープフルーツ買っておいたんだわ!って気が付くのよね。
そうなったらもったいないので、
買うのを恐れてしまうわ。
でも水分補給はしっかりとね。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
ハサウェイが死んで終わりじゃないし、処刑されるのは自業自得だし死ぬことは本人も腹くくってやってる
バッドエンドではあるけど、それは主人公が死ぬからじゃなくて、正体を露呈させまいと奮闘したケネスと、マフティー処刑に関与してないのに連邦政府の権威の誇示として勝手に名前を利用されたブライトが報われないからだろ
ハサウェイ映像化してくれってずーっと言われてたけど、この辺のニュアンス分かってないやつ多すぎてちゃんと原作読んだのか??って思う
あげくハサウェイ生存ルートにしてほしいとか言うやつバカじゃねえの?それで何が面白いの?
こんなやつばっか増えたから閃光のハサウェイは映像化するべきじゃなかった
ていうか宇宙世紀ガンダムはもうシャアとかアムロの周り擦るのやめろよ
年表的に空白期間あったはずなのにもういつの間にかすし詰め状態でうんざりする
F91が逆シャアから30年後なのはシャアとかアムロとかの話からリセットするためだったのに、なんでも埋草的に利用しやがって
東浩紀の伝記を書く。ゼロ年代に二十代を過ごした私たちにとって、東浩紀は特別の存在であった。これは今の若い人には分からないであろう。経験していないとネット草創期の興奮はおそらく分からないからである。たしかにその頃は就職状況が悪かったのであるが、それはまた別に、インターネットは楽しかったのであり、インターネットが全てを変えていくだろうという夢があった。ゼロ年代を代表する人物を3人挙げるとすれば、東浩紀、堀江貴文(ホリエモン)、西村博之(ひろゆき)ということになりそうであるが、彼らはネット草創期に大暴れした面々である。今の若い人たちはデジタルネイティブであり、それこそ赤ちゃんの頃からスマホを触っているそうであるが、我々の小さい頃にはスマホはおろか携帯電話すらなかったのである。ファミコンはあったが。今の若い人たちにはネットがない状況など想像もできないだろう。
私は東浩紀の主著は読んでいるものの、書いたものを網羅的に読んでいるというほどではなく、酔っ払い配信もほとんど見ていない。しかし、2ちゃんねる(5ちゃんねる)の東浩紀スレの古参ではあり、ゴシップ的なことはよく知っているつもりである。そういう立場から彼の伝記を書いていきたいと思う。
東浩紀は71年5月9日生まれである。「動ポモ」でも援用されている見田宗介の時代区分だと、虚構の時代のちょうど入り口で生を享けたことになる。國分功一郎は74年、千葉雅也は78年生まれである。國分とはたった3歳しか離れていないが、東が早々にデビューしたために、彼らとはもっと年が離れていると錯覚してしまう。
東は中流家庭に生まれたらしい。三鷹市から横浜市に引っ越した。東には妹がおり、医療従事者らしい(医者ではない)。父親は金沢の出身で、金沢二水高校を出ているそうである(【政治番組】東浩紀×津田大介×夏野剛×三浦瑠麗が「内閣改造」について大盛り上がり!「今の左翼は新左翼。左翼よりバカ!」【真実と幻想と】)。
東は日能研でさっそく頭角を現す。模試で全国一桁にいきなり入った(らしい)。特別栄冠を得た(らしい)。これに比べたら、大学予備校の模試でどうとかいうのは、どうでもいいことであろう。
筑駒(筑波大学附属駒場中学校)に進学する。筑駒在学中の特筆すべきエピソードとしては、おニャン子クラブの高井麻巳子の福井県の実家を訪問したことであろうか。秋元康が結婚したのは高井であり、東の目の高さが分かるであろう。また、東は中学生時代にうる星やつらのファンクラブを立ち上げたが、舐められるのがイヤで年を誤魔化していたところ、それを言い出せずに逃げ出したらしい(5ちゃんねる、東浩紀スレ722の555)。
もう一つエピソードがあって、昭和天皇が死んだときに、記帳に訪れたらしい。
東は東大文一に入学する。文三ではないことに注意されたい。そこで柄谷行人の講演を聞きに行って何か質問をしたところ、後で会おうと言われ、「批評空間」に弱冠21歳でデビューする。「ソルジェニーツィン試論」(1993年4月)である。ソルジェニーツィンなどよく読んでいたなと思うが、新潮文庫のノーベル賞作家を潰していくという読書計画だったらしい。また、残虐記のようなのがけっこう好きで、よく読んでいたというのもある。三里塚闘争についても関心があったようだ。「ハンスが殺されたことが悲劇なのではない。むしろハンスでも誰でもよかったこと、つまりハンスが殺されなかったかも知れないことこそが悲劇なのだ」(「存在論的、郵便的」)という問題意識で書かれている。ルーマン用語でいえば、偶発性(別様であり得ること)の問題であろうか。
東は、教養課程では、佐藤誠三郎のゼミに所属していた。佐藤は村上泰亮、公文俊平とともに「文明としてのイエ社会」(1979年)を出している。共著者のうち公文俊平だけは現在(2024年7月)も存命であるが、ゼロ年代に東は公文とグロコムで同僚となる。「文明としてのイエ社会」は「思想地図」第1号で言及されており、浩瀚な本なので本当に読んだのだろうかと思ったものであるが、佐藤のゼミに所属していたことから、学部時代に読んだのだろう。
東は94年3月に東京大学教養学部教養学科科学史・科学哲学分科を卒業し、同4月に東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学専攻に進学する。修士論文はバフチンで書いたらしい。博士論文ではデリダを扱っている。批評空間に94年から97年にかけて連載したものをまとめたものである。私たちの世代は三読くらいしたものである。博論本「存在論的、郵便的」は98年に出た。浅田彰が「東浩紀との出会いは新鮮な驚きだった。(・・・)その驚きとともに私は『構造と力』がとうとう完全に過去のものとなったことを認めたのである」という帯文を書いていた。
郵便本の内容はウィキペディアの要約が分かりやすく、ツイッターで清水高志が褒めていた。「25年後の東浩紀」(2024年)という本が出て、この本の第3部に、森脇透青と小川歩人による90ページにわたる要約が付いている。森脇は東の後継者と一部で目されている。
東の若いころの友達に阿部和重がいる。阿部はゲンロンの当初からの会員だったらしい。妻の川上未映子は「ゲンロン15」(2023年)に「春に思っていたこと」というエッセイを寄稿している。川上は早稲田文学の市川真人によって見出されたらしく、市川は渡辺直己の直弟子である。市川は鼎談「現代日本の批評」にも参加している。
東は、翻訳家・小鷹信光の娘で、作家のほしおさなえ(1964年生まれ)と結婚した。7歳年上である。不倫だったらしい。98年2月には同棲していたとウィキペディアには書かれていたのであるが、いつのまにか98年に学生結婚と書かれていた。辻田真佐憲によるインタビュー「東浩紀「批評家が中小企業を経営するということ」 アップリンク問題はなぜ起きたか」(2020年)で「それは結婚の年でもあります」と言っており、そこが根拠かもしれないが、明示されているわけではない。
そして娘の汐音ちゃんが生まれる。汐音ちゃんは2005年の6月6日生まれである。ウィキペディアには午後1時半ごろと、生まれた時間まで書かれている。名前はクラナドの「汐」と胎児用聴診器「心音ちゃん」から取ったらしい。ツイッターのアイコンに汐音ちゃんの写真を使っていたものの、フェミに叩かれ、自分の写真に代えた。汐音ちゃんは「よいこのための吾妻ひでお」 (2012年)のカバーを飾っている。「日本科学未来館「世界の終わりのものがたり」展に潜入 "The End of the World - 73 Questions We Must Answer"」(2012年6月9日)では7歳になったばかりの汐音ちゃんが見られる。
96年、コロンビア大学の大学院入試に、柄谷の推薦状があったのにもかかわらず落ちている。フラタニティ的な評価によるものではないかと、どこかで東は推測していた。入試について東はこう言っている。「入試が残酷なのは、それが受験生を合格と不合格に振り分けるからなのではない。ほんとうに残酷なのは、それが、数年にわたって、受験生や家族に対し「おまえの未来は合格か不合格かどちらかだ」と単純な対立を押しつけてくることにあるのだ」(「選択肢は無限である」、「ゆるく考える」所収)。いかにも東らしい発想といえよう。
2 ゼロ年代
東の次の主著は「動物化するポストモダン」で、これは2001年に刊行される。98年から01年という3年の間に、急旋回を遂げたことになる。「サイバースペースはなぜそう呼ばれるか」はその間の論考である。
東はエヴァに嵌っており、「庵野秀明はいかにして八〇年代日本アニメを終わらせたか」(1996年)などのエヴァ論も書いている。その頃に書いたエッセイは「郵便的不安たち」(1999年)に収められた。エヴァ本をデビュー作にすることも考えたらしいが、浅田彰に止められたらしい。だから、サブカル本を出すというのは、最初から頭の中にあったのだろう。
「いま批評の場所はどこにあるのか」(批評空間第Ⅱ期第21号、1999年3月)というシンポジウムを経て、東は批評空間と決裂するが、それについて25年後に次のように総括している。「ぼくが考える哲学が『批評空間』にはないと思ってしまった。でも感情的には移転があるから、「お前はバカだ」と非難されるような状態にならないと関係が切れない」(「25年後の東浩紀」、224-5頁)。
動ポモは10万部くらい売れたらしいが、まさに時代を切り拓く書物であった。10万部というのは大した部数ではないようにも思われるかもしれないが、ここから「動ポモ論壇」が立ち上がったのであり、観客の数としては10万もいれば十分なのであろう。動ポモはフェミニストには評判が悪いようである。北村紗衣も東のことが嫌いらしい。動ポモは英訳されている(Otaku: Japan's Database Animals, Univ Of Minnesota Press. 2009)。「一般意志2.0」「観光客の哲学」も英訳されているが、アマゾンのglobal ratingsの数は動ポモが60、「一般意志2.0」が4つ、「観光客の哲学」が3つと動ポモが圧倒的である(2024年8月3日閲覧)。動ポモは海外の論文でもよく引用されているらしい。
次の主著である「ゲーム的リアリズムの誕生――動物化するポストモダン2」までは6年空き、2007年に出た。この間、東は「情報自由論」も書いていたが、監視を否定する立場から肯定する立場へと、途中で考えが変わったこともあり、単著としては出さず、「サイバースペース」と抱き合わせで、同じく2007年に発売される(「情報環境論集―東浩紀コレクションS」)。「サイバースペース」は「東浩紀アーカイブス2」(2011年)として文庫化されるが、「情報自由論」はここでしか読めない。「サイバースペース」と「情報自由論」はどちらも評価が高く、この頃の東は多作であった。
この頃は北田暁大と仲が良かった。北田は東と同じく1971年生まれである。東と北田は、2008年から2010年にかけて「思想地図」を共編でNHK出版から出すが、3号あたりで方針が合わなくなり、5号で終わる。北田は「思想地図β」1号(2010年)の鼎談には出てきたものの、今はもう交流はないようである。北田はかつてツイッターで活発に活動していたが、今はやっていない。ユミソンという人(本名らしい)からセクハラを告発されたこともあるが、不発に終わったようである。結婚して子供もできて幸せらしい。
その頃は2ちゃんねるがネットの中心であったが、北田は「嗤う日本の「ナショナリズム」」(2006年)で2ちゃんを俎上に載せている。北田は「広告都市・東京」(2002年)で「つながりの社会性」という概念を出していたが、コミュニケーションの中身よりも、コミュニケーションが接続していくことに意味があるというような事態を表していた。この概念を応用し、2ちゃんでは際どいことが言われているが、それはネタなので心配しなくていいというようなことが書かれていた。2ちゃん分析の古典ではある。
東は宮台真司や大澤真幸とも付き合っているが、彼らは北田のように鋭くゼロ年代を観察したというわけではなく、先行文献の著者である。宮台は98年にフィールドワークを止めてからは、研究者というよりは評論家になってしまった。大澤は日本のジジェクと称されるが、何を論じても同じなのもジジェクと同様である。動ポモは彼らの議論を整理して更新しているのであるが、動ポモも「ゲーム的リアリズムの誕生」も、実際に下敷きになっているのは大塚英志であろう。
宮台や大澤や北田はいずれもルーマン派であるが、ルーマンっぽいことを言っているだけという印象で、東とルーマンも似ているところもあるというくらいだろう。しかし、ルーマン研究者の馬場靖雄(2021年に逝去)は批評空間に連載されていた頃から「存在論的、郵便的」に注目しており、早くも論文「正義の門前」(1996)で言及していた。最初期の言及ではないだろうか。主著「ルーマンの社会理論」(2001)には東は出てこないが、主著と同年刊の編著「反=理論のアクチュアリティー」(2001)所収の「二つの批評、二つの「社会」」ではルーマンと東が並べて論じられている。
佐々木敦「ニッポンの思想」(2009年)によると、ゼロ年代の思想は東の「ひとり勝ち」であった。額縁批評などと揶揄される佐々木ではあるが、堅実にまとまっている。類書としては、仲正昌樹「集中講義!日本の現代思想 ポストモダンとは何だったのか」 (2006)や本上まもる「 “ポストモダン”とは何だったのか―1983‐2007」 (2007)があったが、仲正は今でも読まれているようである。本上は忘れられているのではないか。この手の本はこれ以後出ていない。需要がないのだろうか。
佐々木の「ひとり勝ち」判定であるが、そもそもゼロ年代の思想の土俵を作ったのは動ポモであり、そこで東が勝つというのは当たり前のことであった。いわゆる東チルドレンは東の手のひらで踊っていただけなのかもしれない。懐かしい人たちではある。
北田によると、東の「情報技術と公共性をめぐる近年の議論」は、「批評が、社会科学的な知――局所から全体を推測する手続きを重視する言説群――を媒介せずに、技術、工学的知と直結した形で存在する可能性の模索である」(「社会の批評Introduction」、「思想地図vol.5」、81-2頁)ということであるが、ゼロ年代の東はこういう道を歩んでいた。キットラーに似ており、東チルドレンでは濱野智史がこの道を歩んだのであるが、東チルドレンが全てそうだったわけでもなく、社会学でサブカルを語るというような緩い営みに終始していた。宇野常寛などはまさにこれであろう。
佐々木「ニッポンの思想」と同じ2009年7月に、毛利嘉孝「ストリートの思想」が出ている。文化左翼の歴史をたどっているのであるが、この頃はまだ大人しかった。ポスコロ・カルスタなどと揶揄されていた。しかし、テン年代(佐々木の命名)から勢いが増していき、今や大学、メディア、大企業、裁判所を押さえるに至っている。しかし、ゼロ年代において、動ポモ論壇と比較できるのは、非モテ論壇やロスジェネ論壇であろう。
非モテ論壇は、小谷野敦の「もてない男」 (1999年)に始まり、本田透に引き継がれるが、ものすごく盛り上がっているというほどでもなかった。本田は消息が分からなくなり、小谷野も2017年頃から売れなくなった。ツイッターでは雁琳のような第三波フェミニズムに応対できる論者が主流となっているが、そういうのの影に隠れたかたちであろう。大場博幸「非モテ独身男性をめぐる言説史とその社会的包摂」(2021年、教育學 Permalink | 記事への反応(13) | 17:44
昔から明晰夢がはっきりとコントロールできて、最近その話を人にしたところ「やり方をまとめて教えてくれ」と言われた。
自分なりに「明晰夢を見て、コントロールする方法」をまとめたので、それをここに記す。
完全に自己流だが、一時期2ちゃんねるの幽体離脱スレを見ていて、そこから影響を受けていたりするので、一部出典があるものもある。
明晰夢を見たいと思っている人は参考になるかも…?
①夢の中で夢だと気づく。
これが一番ハードルが高い。訓練に近いと思う。
生活をしている上でなにか違和感があったとき、変だなと思ったとき(たとえば外がクソ暑いのに長袖の人がいた、とか)
絶対に夢じゃないと分かっているときも、折に触れてこれは夢じゃないか?と頭の中で一度疑問に思うクセをつける。
その時に「自分の手を見る」「自分の体の部位を触る」など決まった行動を伴うとよりよいと思う。
本当に夢の時は感覚が伴わなかったり、見えるもののディティールがどこかふわふわしてたりするから気付きやすい。
自分は10代のときからこれが癖になっていて、夢だと手相がなくて手のひらがつるつるなのでよく手を見る。
あ、夢だ!って分かったとき、緊張したら覚醒しやすいので、夢だな〜ってぼんやりしとくのがポイント。
眠るときに、うとうとして考え事なのか夢なのかはっきりしない、あ、今夢見てたかも、みたいなタイミングがないだろうか?
その状態を長くキープして、最初から「夢を見ていることを自覚している状態」のまま眠ってしまう方法。
ベッドの上で一番リラックスできる体制で、まず一人称でぼんやりと景色を想像する。
バスとか電車とか、普段乗り慣れていてなんとなくずっと景色が思い出せて、その景色が動くような記憶があれば一番良い。
ぼーっとその景色を見ながら考え事をする。覚醒しないレベルの、そこまで難しくないことがいい。明日のメシ何くおうかなとか。
景色を見ながら、そういやあの工事中の建物ってどうなったのかなとか。
景色の中に、自分が意識的に想像していないものが映り込んできたら成功で、それを「夢が来たなー」と思いながらぼーっと見れたら最高。
②夢をコントロールする
夢で夢に気付いても、コントロールできないというのも聞く。
これは自分にもコントロールが難しいものと簡単なものがあって、
たとえば「翼が生えて飛ぶ」とか、体感として経験がないことはかなり難しい。結局夢は記憶と想像でしかないからかな。
「会いたい人を登場させる」とか「見たいもの(※見たことあるもの、想像できるものに限る!)を見る」とかが結構簡単で、
それが出てくるきっかけを作ってあげるとコントロールしやすい。
たとえば、夢の中で扉がある景色を作る。
扉は、「今、振り返ったら自分の部屋のドアの前にいる」と思いながら振り返ったりすると簡単に作れる。
自分の部屋が一番記憶に定着しているので唐突に出しやすいと思う。なんなら夢の最初が自分の部屋なことが多い。
ドアの前で「このドアを開けたらあそこにいる」と想像しながら扉を開けると思ったところに行けるし、
「このドアからあの人が出てくる」と思うと、想像した人を召喚できることが多い。
物であれば大きなダンボールや箱を出して、「これを開くとあれがある」と思いながら開けると出しやすい。
なので人がどこからきて、なぜそこに定着するに至ったかを考えることから始めます。
(日本は歴史的にそこら辺があやふやな部分が多いので、ローマの植民や異民族の侵入辺りを参考にするとよいです)
水場がある、戦争において有利だから占拠した、川の渡し場がある、港を作れる、近くの都市国家の安全保障圏内だった、などです。
ダンバー数という概念があります。社会的な動物である人間がコミュニティの安定を保つのに適正な状態を示すものです。
正直理論そのものは眉唾なのですが、経験則上一定の人数が集まると運営が困難になるのは周知の事実かと思われます。
どれくらいの人がいて、何を目的として集団を形成しているのか。これが統治であり国の在り方です。
部族が拡大しその首領が君臨するというのが古代的な社会ではあります。分裂もします。
血統が貴ばれるのは文明が発展し、人民がナラティブを受け入れる社会性を獲得してからの話です。
基本的には暴力です。ここで言う暴力とは当然直接的な暴行もそうですし、数を束ねて運用し少数者を抑圧する能力も含まれます。
また支配者に絶対忠誠を誓う暴力を保有する、財物で買える暴力を保有する、あるいは財物そのものを暴力として使用するなどもあります。
この支配者はどういう暴力をもって君臨しているのか、を意識すると国家としてのデティールが明確になるでしょう。
古代、人権とは王ただ一人が保有するものであり、今で言う憲法とは王の思想と同一でした。
絶対王権や中央集権は古典的暴力に思えますが、これは近代に入って人類が獲得した暴力の集大成です。
地主、あるいは領主、のちに貴族と呼ばれる人々は相応の暴力をもって君臨しています。
王とは彼らの同盟のリーダーであり、地主の忠誠など期待できないものでした。
領地貴族が別の領地貴族(王も含む)にへりくだれば統治の正当性(暴力の有効性)を失いかねません。
信仰が信仰として単体で成立するならいいのですが、組織宗教となり王の暴力を用いる側になると構造が複雑化します。
信仰、教えに留めておきましょう。
ここまででぼんやりと形ができたと思いますので、あとは暴力に魔法だのスキルだので色付けすればなろう小説としては十分です。
王を一番強い、強い力を運用するポジションにつけて、その支配を世界の隅々に下ろしていくことで自然的なレベルデザインも生じます。
30代中盤で診断された。
それまでは発達障害を専門にしていない心療内科でうつ病として治療を受けていた。
全IQ=89
知覚推理=97
ワーキングメモリ=79
処理速度=79
高卒。
年齢は30代後半。性別は男。
音に弱い。
例えば電車で会話する人や咳をする人が近くにいると逃げ出してしまう。
全ての音を同時並行で脳が処理している気がする。
人の動きに敏感。
仕事中も向かいの席の人の挙動や、席を立ってトイレに行く人の動きに常に気を取られている。
一つの物事を頭に入れると一つ前の物事が頭から消えるし、同時に何かを処理しようとすると脳が硬直する。
例えば電話応対では受け答え自体は人並みにできるけどメモ取りが壊滅的になる。
ADHDの特性として、将来の報酬より目の前にある欲求を重視してしまう。
単純に物欲に弱いというのもそうだし、スポーツなどでは練習を詰め込みすぎてすぐに足を壊したりする。
「ほどほど」が見極められない。
常に頭の中が混雑している。
やらなきゃいけないことが山積しているのはわかるが、その中の何を優先していいのか決めるのに時間がかかる。
「思い立ったら即行動」という行動原理が過ぎる。
瞬発力が人並み以上に高いのでそれで得をすることもあるにはあるが、大抵は思慮が足らず失敗する。
ある程度の道筋はつけられるが、厳密に計画するということができない。
例えば旅行などは常に行き当たりばったりで、スケジュールをきちんと組んだためしがない。
視覚的な情報を記憶する場合はディティールが著しく低下するので、動画として何度も見たりしないと頭に入らない。
どれだけ懇切丁寧に説明されても一度でそれを理解するのは困難なので、いつも必死に反芻と類推を駆使して乗り切っている。
聞こえてくる情報が断続的に途切れる。脳に入ってこなくなる。
聴覚の問題なのか集中力の問題なのか記憶力の問題なのかわからない。全部かもしれない。
常にカクテルパーティ効果のような状態で、断片的な情報から類推して会話している。
会話の途中で「え、それってどういう意味?」と聞きたくなる場面が多々ある。
でもそういう時に一々質問していたら会話にならず相手にストレスをかけるので、スルーする癖がついている。
上記の特性と相まって意味もわからず相槌をうっていると会話についていけなくなって頻繁に困る。
こうしたらコミュニケーションが円滑になるな、という嘘を思いついたらついついそれを口にしてしまいがち。
些細な嘘であれば方便として有用かもしれないが、その嘘をつき通せるほど能がないので大体は詰む。
これでも子供の頃よりはだいぶ自制できるようになった。昔はもっと突拍子も無い嘘をついていた。
相手が何の意図もなくそっけない返事をした時、「自分が何か悪いことしたんだ」とか思いがち。
朝の挨拶で返事が返ってこないだけで「嫌われたんじゃないか」とか心配する。
もちろんそれは認知の歪みでその都度修正するわけだけど、人との接触は常にそういうストレスがある。
ASDの特性としてよく「空気が読めない」みたいなことを言われるが、別に空気が読めないわけではない。
空気が悪くなった時は敏感に悟れるし、できるだけ変なことを言わないように意識することもできる。
ただこれまで述べてきた特性によって咄嗟に変なことを言ってしまう時がある。
側から見ると「空気が読めない奴」なのかもしれないが、後悔の念自体はある。
物腰自体は落ちつてる方だし、あまり喋る人間じゃないのでそう思われるのかもしれない。
診断を受けてからは治療薬を飲んでいるので多動はかなり抑え込めていると思う。
けれども頭の中はいつもとっちらかっているので、外見的な行動だけじゃADHDかどうかは分からない。
マルチタスクができない特性の裏返しなのか、普通の人が緊張するような場面でやたら自然体で臨める。
練習より本番に強い。
思いつきで行動する特性と相まってファーストペンギンになりがち。
なので人からの印象は初対面が好印象のピークになる。面接のような場面では強みになるが、段々メッキが剥がれる苦しみもある。
ネガティヴな感情を抱かない作業であれば人よりルーチンワークに強い。
学業も高校以降はドロップアウトしてしまったが、小中の単純な問題を大量に解くような作業は得意だった。
運動も瞬発力を競うものより持久力が問われる種目の方が断然好き。
他の人の会話をBGMにしながらわりと楽しく働いている。
就活のイロハやコミュニケーションのコツなんかを面白おかしく学んでた。
企業の見学や実習も手当たり次第に参加したので、いい経験になったと思う。
肉体労働の仕事の説明会で「福利厚生として塩飴が支給されます」とか言われた時はどんな顔していいか分からなかった。
まあ自分の経歴からすると「だよねー」という感じだけど、大学出ててスキルもある人が同じ条件で働いてたりするので闇だなと思う。
フルタイムじゃないので月給にすると12万円程度だし、一人暮らしは無理な水準という感じ。
1年も就活してるといろんな学びがあった。
まず給与の高い仕事は身体障害の人を求めてる。体の困難さえ調整すれば一般人と同じパフォーマンスが出せるからなんだろうね。
特に市役所とかの求人は「身体障害以外は要りません」と最初から言われる。謎。
肉体労働系だと知的障害が求められてる。仕事が過酷でもタフネスがあるからだと思う。
じゃあ精神障害はどうかというとよく分からない。強いて言えば清掃系とかが多い。人との関わりが少ないからかな。
事務系は競争率が高い印象がある。説明会とかに行くと意識高そうな人たちが集まってる。
でもなんというか、障害者雇用の採用で一番重視されてるのは「人柄」だと思う。
職場の輪を乱さず当たり障りなく仕事ができるコミュニケーション方法を身につけてる人が一番強い。
企業にとって最も大切なのは仕事がよく出来るかどうかよりも「長く働いてくれるかどうか」なので、より困難の少ない人を選ぶ。
働いてるこっちも分からない。
自分の場合は「優先順位を指示してもらう」とか「マルチタスクの状態にしない」とかがある。
でもこれは内容どうこうより職場の水準が全てだと思ってる。
今の職場は周囲がみんな正社員だし、営業やってた人たちだから話も上手くて大した苦労をしないけど、
これが指示を出す人もパートだったりして変化の多い職場だとどれだけ詳細に条件を詰めても働くのはしんどいと思う。
最初の2、3年は定着支援として月1で支援機関を交えた面談をしたりするので、そこできちんと自分の困りごとなどを相談するのが大切。
炊事は得意だ。昔は全然わからなかったけど、今は大抵の人より上手くこなすと思う。
YouTubeに感謝してもしきれない。料理の全てをYouTubeで学んだ。特にイタリアンは専門のYouTuberが多いので話題に事欠かない。
大体母と交代で炊事に当たっている。
自分はものを捨ててどんどんシンプルにしたい人間なので、それができない現状にはストレスを感じている。
金がかからないし健康にもいい。歩く時は10kmくらい歩く。ADHDの特性とも相性がいいのだと思う。もう10年くらいハマってる。
あとは漫画をよく読む。職場への通勤時間は大抵電子書籍を読んでる。
アニメもそこそこ見るけど、最近はなろう系がやたら多くて辟易している。いつまでブームが続くんだろうか。
そこそこ好きな方だが、持っている服は100%ユニクロとGUだ。他の店で買ったことが無い。
スタバによく行く。
と言っても甘いものは苦手だし太るのでホットコーヒーしか頼まない。
家でじっとしてるより適当に散歩したあとスタバに入ってスマホやPCで時間を潰すのがルーチンワークになっている。
コーヒーはお通じにもいいので百薬の長だと思っている。
どこから話したもんかねという感じだが、1つ言いたいのは「人より成長が10年くらい遅れてる」という感覚があることか。
20代の自分と30代後半の自分はほぼ別人だし、障害との付き合い方も全く違ってくる。
よくネットで特性が顕著に出てる人を指して何かしら論ったりするけど、その人も10年経つとだいぶ別人になると思う。
人は成長する。それは発達障害を持つ人も同じだし、俺たちは日々何かを学び取って生きている。
学校か、支援機関か、病院か、就労か、それがどの時点であれ、「こうすれば生きやすくなるな」と分かるタイミングがある。
生きづらさや苦しみはあるけど、チャンスを逃さずどんどん挑戦していってほしい。
名刺のディティールや予約するレストランの評判だとか、些末な物事へのこだわりはあまり身のあるものだとは思えない。
でも果たして芯まで身の詰まった価値なんてものが存在するのだろうか。
音楽の蘊蓄を語っても、浮かれたセックスをしても殺人をしても何か満足出来ない。
罪を告白して胸の内を見つめてみても浄化なんてないし、自身への洞察が深まることもない。そんな開き直りめいた気持ちすらも虚しさしか残らない。
みたいな究極的な空虚さがアメリカンサイコのテーマだと思ったけど、この受け取り方はおれ自身の物事の感じ方を投影し過ぎなんだろうか。
https://x.com/search?q=from%3Anaramanara3206%20%E9%B6%B4%E8%A6%8B&src=typed_query&f=live
現行の『クラッシュ・バンディクー』シリーズのファンで、かつてソニー・コンピュータエンタテインメントで『クラッシュ・バンディクー』シリーズのローカライズに携わっていた鶴見六百氏を始めとするPS1時代の『クラッシュ・バンディクー』シリーズ関係者への憎しみをぶつける。ノーティドッグも憎いらしい。
鶴見六百信者は苦手なんで、二度とクラッシュバンディクー作品に来るなよ。
ラチェクラの所にいけよな。
返信先: @naramanara3206さん
あのチー牛の言葉を使った名越と友達の鶴見六百は、本当に世間知らずですわな。🤣🤣🤣🤣
哀れな鶴見六百〜🤣🤭🤣🤭🤣
何が番組に偽りだ?
お前が恥を知れ!!😠😠😠💢💢💢
クラッシュバンディクーの原作(PS1版のクラッシュ1〜クラッシュカーニバルまでの作品)を壊されて、SIEと鶴見六百とノーティードッグの奴らが、泣いてトラウマになる姿が楽しみだな。
https://x.com/STeienshi/with_replies
コナミが展開する麻雀ゲームの運営への不満、企業への罵倒を公式アカウントへのリプライする。かなりの投稿頻度をキープしている。最近は自分はコナミから暴力を受けていると主張する。ゲームはずっと続けている。
返信先: @MAHJONG_MFC573さん
KONAMIって会社、早川社長になってから無責任で仕事のヤル気無い人材が増え違法な行動も正さず苦情を言えばイジメ
これが一流企業のする事でしょうか?
やる事ヤクザと同じやん
返信先: @KONAMI573chさん
勝負は出来ません
勝つ時も負ける時もバカ偏りしてるから、本格的なんてもはや『嘘』でしか無い!
ヤル気ある方なら、改善してるはず
6年以上同じ事を言い続けても無視
こんな企業あって良いの?
返信先: @konamistyleさん
現在、麻雀格闘倶楽部にてKONAMIのネット暴力を受け続け12試合連続して勝利無し
返信先: @mfcsp573さん
何も客にとって良い子どもは無いです
かつては熱心なソニックファンであったが、昨年11月ごろにファンを辞める。声優に殺されたらしい。
ずっと
金丸さんのTwitterの言動だけで正直もうソニックシリーズ人に勧めずらいなぁ
フロンティアでお客さんが増えても言動を変えないと思わなかった
正直
金丸さんはこの人よりも酷いことをずっとしててソニックが子ども向けに本格的に移行してても変わらなかった
本当に悲しいし辛い
お客さんにこういう妥協をさせ続けるのが声優の姿になっていくならAI声優に仕事をとられてもしょうがないよって思う気持ちはある
長くファンをやってればやってるほど損をするんだ
こんな思いをしたくなかった
妥協するけど
それでもう何年も傷ついた
これ以上は無理です
これからシャドウをヒーローとして好きになる人が傷つきませんように
#ソニック
#ソニかつ
#ShadowTheHedgehog
シャドウファンの私はセガとソニックチームと金丸さんと悠木碧に殺された
それだけだよ
金丸さんはソニックシリーズよりネットで政治的発言や陰謀論を言いたい人で
悲しい
ほんとうに
悲しい