はてなキーワード: 経済とは
https://anond.hatelabo.jp/20230529185034
のつづき。
まず対米従属をやめろ。中立・非同盟の道を行くんや。調子のっとる多国籍企業も規制や。自衛隊も九条に則って段階的に廃止していけ。
過去の侵略戦争を反省し、アジアとの友好を心がけていこな。核はいらん。基地もいらん。テロや戦争にもNO……。でも非軍事的な国際的な人道支援はばんばんやってくで。
複数政党制や議会民主主義制は堅持していくで。政権交代ももちろん認める。とはいえ選挙制度や行政や司法の改革は必要やな。具体的にどうするかはいわんとくが……。
労働者の権利と地方自治、そしてジェンダー平等をめざしていくで。
天皇はんは……まあ、憲法の範囲から逸脱しないかぎり、当分はおってもええやろ。ただ、将来的にはね、国民の総意にのっとる形で廃止していきたいなーとは思う。
経済については介入していくで。大企業や大規模な公共事業への無駄遣いをやめて、社会福祉の充実をはかっていく。原子力発電は完全廃止。環境問題への取り組みは重要やな。
こうした改革へ向かうためにはみなさんの身分や思想信条を越えた統一戦線の樹立が不可欠や。反動的な内部の抵抗勢力や覇権主義の走狗からの妨害をこの団結によってはねつけていこな。
社会主義いうとなんでも国家の管理下に置かれるとおもわれがちやけど、うちらが社会化したいのは生産手段だけや。搾取はなくせ、いうことやな。
ソ連式の統制経済は色々問題あるし、日本は市場経済を通じた社会主義化が向いとるん違うかな。
私有財産は補償するし、思想・信条の自由や結党の自由は認めていくで。
改革は国民の合意のもと、長期的に、ゆるやかに進めていくべきや。
■ウクライナ情勢(2014年クリミア侵攻)に関して、ロシアに呼応する日本人についてのメモ
日本とロシア、一緒に未来をつくるのは、今であります。日本人とロシア人は、労働の喜びを分かち合い、若者同士は屈託のない笑いをともにする中で、歴史上初めて夢を一緒に見る力を、そしてその習慣を育み合っているのではないでしょうか。
ウラジーミル。君と僕は、同じ未来を見ている。行きましょう、プーチン大統領。ロシアの、若人のために。
戦いが終わって、来年で75年です。冷戦の終焉(しゅうえん)からでも、30年。私たちは、1956年に、二度と互いに戦わず、相互に敵とみなさず、平和愛好、善隣の原則に立って関係を築いていくことを堅く約束しました。
そして今、私たちは、貿易・経済、対外政策、文化・スポーツといったあらゆる分野での相互発展を、同じ方向へと向かわせるべく歩みを加速させています。
北方四島での共同経済活動、人と人との交流も、かつてないまでに進みました。日露の新しい協力関係は、我々二人の努力によって、着実に、その姿を見せつつあります。
そしてその先に、平和条約の締結という歴史的使命がある。未来を生きる人々を、これ以上、もう待たせてはならない。
ゴールまで、ウラジーミル、二人の力で、駆けて、駆け、駆け抜けようではありませんか。
平和条約を結び、両国国民が持つ無限の可能性を、一気に解き放ちましょう。
世界を、大きく変え始めるでしょう。
会場の皆様、ロシアの全ての皆様、日本が皆様の未来に加える新しい、そして大きな可能性に、想像の翼を、はためかせてください。
歴史を、一緒に作りましょう。
未来を、ともに、拓(ひら)いていこうではありませんか。
東アジア地域の安全保障環境が一層厳しさを増す中、安全保障及びエネルギー分野を始めあらゆる分野でロシアとの協力を進め、日露関係を全体として高めていくことは、我が国の安全保障を確保する上で極めて重要である。
このような認識の下、アジア太平洋地域の平和と安定に向けて連携していくとともに、最大の懸案である北方領土問題については、北方四島の帰属の問題を解決して平和条約を締結するとの一貫した方針の下、精力的に交渉を行っていく。
これとか、東大の川口大司教授その他が実証分析で負の影響があることを示しているのに、アトキンソンやそのシンパはずっと無視しているんだよね。ちなみに最低賃金の雇用への影響は、若年層とか低スキル層とか地域とかの属性で大きく変わってくるので、失業率のような全体指標だけ見るのも不適切という指摘にもまともに答えていない。というか答えられないんだろうけど。あと、最低賃金引き上げで弱い企業が淘汰されたら経済全体での生産性が上がるというのも(グラフを眺めるとかいったものではなく)ちゃんとした実証分析で白黒ついていなかったりもする。
国益とか国レベルの経済を増やしたがってるのってネトウヨだけなんだよな。
こんな外道は異常です。
こんな野党があるか。
@YuzukiMuroi
ほーら、酒飲んでセックス、ダメつってるじゃん。強要と未成年はダメだけど、それから逸脱しちゃってる。
寺田 学
@teratamanabu
今回の法改正は特段大きな負担を課すものではなく、性行為に際し、立場や関係を利用せず、酒の力も借りず、年齢差も利用せず、相手の気持ちと立場を尊重し、丁寧に相手の同意を取って臨むことを求めるものにすぎません。本要件に不安を覚える人は、性行為に及ぶこと自体を思い止まるよう説くものです twitter.com/nhk_news/statu…
@YuzukiMuroi
·
罰則にあたることを次々に増やすのではなく、性犯罪に遭ったら、警察にいく、ほかの犯罪に遭ったときとおなじように。という、啓蒙が大事なんじゃないかな、と思う。
@YuzukiMuro
この手の人の発言で、えーっ、日本は性犯罪を罰するちゃんとした法がないのか、みたいに誤解する人もいるかもね。
@YuzukiMuroi
そういう昭和の儒教思想に洗脳され何十年も経済を立て直すことが出来なかった無能なクソガイジ共は
あと10年前後でボケるか動けなくなるかで表舞台からは姿を消す
それまでの辛抱だと思いたまえ
アトキンソンの主張のど真ん中に沿って最低賃金引き上げやってるよ。
摩擦も沢山起こして戦ってる。
自民の支持層のクソみてえな中小企業経営者が嫌がることだからな。
なんて感じにメディアに叩かれてもいたよ。
政権批判はどんどんしていいんだけど
「どう活かしたのかさっぱり見えん」はさすがにムカつくって言うか
まったく知ろうとしない知る気もないまま
「さっぱり見えん」とかほざいたんじゃねえだろうな?まさかな?
ガースーに失礼とかどうとかよりお前はそれでええんか?
ちょっと興味持ってりゃ知れること、知らなくても1分ググりゃわかるようなこと「さっぱり見えん」で生きていくのか?
しかも検索する時間もねえのにわざわざ「さっぱり見えん」とか寝言を書きこむ時間はあるっていう
どんなタイムマネジメントだ
☆付けてる奴等もだよ
40歳過ぎたケチケチした日本人のおっさんより、若くてかっこ良くて金を持ってる韓国人や中国人が大人気
そんなゲスいことやりたくない、興味がない、男女差別がなんとか、そんなんじゃなくて日本人には「できない」レベルで経済力が違いすぎる
格差社会ガーとかそんなんじゃなくて、日本人には「できない」レベルのことをできる人間がめちゃくちゃ多い
中国の経済は崩壊するって数年前には言われてたけど崩壊するどころか日本との経済力が違いすぎて日本には絶対に追いつけないレベルになってる
韓国のエンターテイメントは世界的な評価を受けて、サムスンの知名度って言ったら日本のスマホなんて目じゃないレベル
単なる憶測にすぎないが、田舎でそれなりに立場のある親の子どもは、ガキのころに天狗になりやすい。
しかし都市部の大学に出たときに自分の実力を思い知る。今まで見えていたものは単なる幻想で、自分など大したことはなかったと。ここで非常な挫折を経験する。
「私がいちばん馬鹿」のようなポジションになってしまうとその中でもより挫折しやすい。これは都市部の私立高校でも発生する。
昨今では、地方と東京の断絶が進み、学歴差も大きくなっている。田舎しか見たことがない子どもは、東京の強大さを全く知らないのに「自分がナンバーワン。少なくともだいぶ優れている」と思っている。自分の田舎を100倍したものが日本のすべてだと感じるのだろう。だから、位置的にもそのようになるのだと感じるのは自然なことだ。「日本」と「アメリカ」の関係もあるが似たようなものだ。
こうした子どもが首都圏に行くと自分が味噌っかすであることを全身全霊・魂レベルで経験することになる。そこらへんのどこにでもいる凡愚とされる。準備などしていなかった衝撃である。年々、この落差がどんどん激しくなっているように思う。
彼らは「地元の名士」の子どもでもなかったりする。地元の名士は何かと東京と繋がっているものだからそういう情報が入ってきやすいが、彼らはそういう情報がなく、表面的な文化の部分でのみ都会を理解しているのである。これはしかし原理上どうしようもないことになっている。
彼らのほとんどは挫折によって苦しみながらも自分の立場をなんとか確保して成長していく。とくに、若いころから苦い経験を飲み込んで努力を積み重ねてきた人間は、問題を抱えつつも人格的にも能力的にも徐々に成長していく。こうした人間は適応し、確固たる居場所を獲得する。そういう人々が家臣団として東京周辺にザッと住んでいるのだ。城下町のように、家来として東京の中心地を囲んでいる。そして主君のお望みの通りに馳せ参じるのである。また、各々の人生を歩む。よく成功しようとしたい者は海外に出る。海外というのは「アメリカ・イギリス・EU」などのことだ。ここ最近は主君をアメリカとみなしているのである。長いものには巻かれろということだ。
しかし、大した努力や積み重ねもなく、今まで1番を獲得し続けてきた子や、親から1番になること、1番でなくともある程度優位な立場を得ることを強いられ続けてきた子、強制的にレール上を歩かされてきた子は、ここで強烈に挫折を味わい、脱落していく。「挫折」と表現されたくすらないかもしれない。ちっぽけなプライドゆえに「挫折」と捉えられない。「挫折した」のではなく、「今も挫折し続けている」のだ。立ち直る術を知らない。
「本気を出してないだけ」「時代が悪かった」「環境が悪かった」と、なんとかして知性化という合理化を図り、自分の心が折れていることを観測できない。もう耐えきれない。心を捻じ曲げようとする。「お前ぐらい勉強ができるものは無限にいるぞ」と受け入れられない。そのような「田舎」など、全国で見ればほとんど無限にあるのだ。足軽にもなれないような実力なのに、身分は家老ぐらいあると感じている。穢多・非人程度の扱いをされるのは、到底受け入れられない。
自分を知らないし、他人のことも知らない。ただただ軽視されることに耐えられないのである。第一、もはや身分が違うからといって人を軽んじていい世の中ではない。ますます生きにくくなる一方だ。ポリティカルコレクトネスとはそういう流れだろう。
生きている意味とは何かわからない。親もまた、その挫折を真剣に受け止められない。立場が違いすぎるがゆえに、わかってあげることができないのだ。わかってくれるような親ならば、初めから違った教育をしている。
彼らは、性格も歪んでいるために、友人関係を結べない。「バカで無能で愚図でおまけに性格も悪く、カッコよくも可愛くもなく、一人で生きる力も無いし、人のために何かすることができず、依存性が高く、他の周りの人たちよりも恵まれた環境なのに文句ばかり言う割に、他人の助言を聞き入れもしない」という、どうしようもない子どものできあがりである。何者かになろうとしていると表現されている。アイデンティティの崩壊がある。すぐそこに救いはあるのに、自らが軽んじている相手に頭を下げて敬意を払うことができない。この私が。屈辱だ。なぜ私がこんな目に。私は軽蔑などされるべき対象ではなく、人を一方的に軽蔑しても良いはずなのに、なぜ人は私を軽蔑してくるのだろうか。なぜ人は精神を蝕んでくるのか。
わかっている人でも、これを鋭く指摘してはくれない。下手に関わって逆恨みされたくはない。全く無関係の嫌な奴の精神の奥深くを抉ってもメリットなどないのだ。すぐに離れていくことだろう。そもそもあまりに距離が遠すぎて、そういう人に出会うことがない。ただ運のみである。そういう運命の人がたまたま自分の近くに来ることは少ない。理解のある彼くん、私の王子様、ぼくの女神さま、オタクに優しいギャルなど。
大抵、こうした子の親は両親とも毒親であり、子どもはアダルトチルドレンである。
そして親にそこそこの金があれば、脱落しても引きこもりをすることができる。
自分がゴミクズであることを受け入れて、セルフネグレクトに邁進する日常を選択できる。幸福だ。絶望という名前はついているが、幸福で穏やかな毎日を送ることができる。
何をやっても無駄なのだという学習性無力感と精神の麻痺。突然湧き上がってくる希死念慮。荒廃した生活。死ぬという選択が取れない優柔不断さ。他責的・他罰的な発言。努力をしようと「学問」に活路を見出すも、それをどう活かせるのかは未知数であり、どうすれば生きることができるのかはわからないのだ。学問は決して救わない。機械的人間を大量生産する教育システムそのものが時代遅れなのである。経済の硬直化と後進性と長老支配。学問の民主化により、昭和初期の三流エリートぐらいの知識があるだけでは、生存には足りないのだ。自分の力での生き方はわからないのに、生存自体はし続けることができるという矛盾。欲が無い。欲を持つことができない。
そして、そうした努力も長くは続かない。学校の勉強ぐらいしか知らないのだ。狭い価値観ゆえにそれしか道がないと勝手に思い込んでいる。やがて意味がないと気付くのであろう。容易にやめてしまう。簡単にたどり着けるところまでやったあとはすぐにやめてしまう。見下していた賤業には就きたくないという都落ちを拒否する愚かなプライド。山月記で何を学んだのだろうか。そしてある日、その「賤業」にすら就けなくなる。精神は子どもなのに、体だけはしっかり老化していく。虎にすらなれないのだ。
親に中途半端に金があるのが厄介である。親は、償おうとする。子もときには努力しようとする。それでもうまくいかないし、近所は理解しない。何か精神的に異常なのであろうという、全く異なる価値観によって蔑まれる。それが村社会というものだ。
親に金がなければ、生きていくために自力で仕事につく他ない。首都圏で揉まれ続ければ、やがては苦しみながらも自分の生きる場所を確保できるだろう。
しかし、ただ親元で小さな世界で何年も何年も閉じた生活を送っていると、そうした道も閉ざされる。貴族的な生活。放蕩、放縦。嫌悪している相手に依存しているという忌避感。
年齢の数値は淡々と増えていく。やがて手遅れそうなことに気付くのであろう。
なんなのだこの人生は。なんなのだこの世の中は。許しがたい。テロリストたちへの深い共感。
人は言う。「自分が招いたことだ」「自己責任だ」と言う。この世には悪しかいないように見える。悪辣な社会の中で自分だけが虐げられている。他人に「自己責任だ」と言う者もまたコンプレックスを抱えている。「お前が悪いのだろう」と言いたいのだ。「お前の自己責任だ」という言葉は、「俺が悪いとでも言いたいのか?」の裏返しだ。
他人は楽しんでいるではないか。どうして私が苦しまなければならないのか。
異世界かもしれない。異世界に行けば、愚かな民たちを嘲笑い、自分が正しく認められる世界に行けるのではないかと、光を見出す。
更に狩られているだけなのだ。その精神は看破しているぞ。ただの餌だ。空想の世界へようこそ。現実を直視できない。現実はどうしてこう苦しいのか。
しかし、現実は「そんなどうしようもないものではない」ということをまだ知らない、という点が彼らにとっての最大の不幸である。価値観そのものがどうしようもなく古いのである。
自分がどうしようもないダメ人間だという真実をすべて受容して、それを打ち払おうと一歩一歩踏み出すことでしか道は開かれない。外に出て、本を読むなど世界を広げれば良い。また、生活パターンを変える。思考を広げる。それが本来の学問というものだ。
人材は不足している。別に自分はそういう人物なのだから仕方がないのだ。でもそれを、自分で変えようと進み続けることで自分の人生が拓かれる。ニートのままでも別にいい。全然変わらなくてもそれはそれで仕方がない。
本来、絶望する必要はないはずなのに、どうしても絶望したいのだ。能動的に幸福になるために受動的に絶望を選択している。
絶望することで、「ハンデを負っているのにここまでできる自分はすごいのだ」と思いたいのだ。セルフ・ハンディキャッピングという。
そうではない。より強い絶望を選ぶべきなのだ。能動的に絶望を選ぶことで、受動的に幸福になれるのだ。自ら絶望しなければならない。今より苦しめば、今より苦しまなくなる。
苦しみからずっと逃れようとして「楽な苦しみ」を選び続けているだけなのだ。世間はそれを看破して「楽でいいね」と言っている。世間側のイラつきもある。
もしくは、やはり目を閉ざして、元の穏やかで苦しいメルヘンワールドに戻るかだ。知らぬが仏という。こんな偏見にまみれた文章などくそったれだ。せいぜい凡人たちは、社畜を頑張れば良いさ。
教育ママも、また、気をつけなければならない。教育ママのコンプレックスは、子どもを愛玩動物のように扱おうとすることで子どもに伝染し、子どもを生涯苦しめることになる。愛と呼ばれるものではない。
頑張ってほしい。
原語の報告書読んでたわ
でも女性の家事負担が大きいのって、女性が下方婚したがらないなら当然じゃないの?(下方婚増田じゃないけど)
相手や経済状況が許すなら専業主夫になりたい男性は多いけど、女性の方がそれを拒否してるよね