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はてなキーワード: 路地とは

2024-04-27

人が誰も居ない路地裏で心細い時は、煙草に火をつければいいよ。

人っ子一人いなかったのに気づいたら人いっぱい来るから

くっせーとか手でブンブン払いながらいっぱい通りがかるから

どんなに人が通らない路地裏でも煙草さえつければすぐ人が湧くよ。

嫌煙家って煙草の煙に群がるゴキブリみたいなもん?

2024-04-24

anond:20200804152152

そんなお前に山崎まさよしOne more time,One more chanceのリリックを教える

いつでも捜しているよ どっかに君の姿を

向いのホーム 路地裏の窓

こんなとこにいるはずもないのに

2024-04-22

春は露出。やうやう青くなりゆく路地裏、すこし明りて、紫だちたるちんぽの、太く勃ちあがりたる。

2024-04-20

ビール広告気持ち悪い

4月20日

この日が何を意味するのか、インターネットの暗部や特定文化精通している増田ならお分かりだろう。

そう、それは「大麻の日」であるしかし、現大日本帝国においては大麻は厳しく禁じられており、THCを含む製品は法の壁に阻まれている。

一方で、若者たちの間での認知度は高まっており、それにも関わらず、社会は変わりゆくペースに追いつけていない。

一方で毎日散々とCMがやられているビールという他の「ドラッグ」は、クリーンイメージで大々的に広告され、広く社会に受け入れられている。

アルコールによる健康への害は広く知られており、私の友人二人もその犠牲になった。彼らは過労と飲酒により肝臓を痛め、苦しんでいる。

な~んてことを書くと「大麻カス解禁したすぎて必死だな」「大麻で脳をやられた下戸依存症が僻みで書いている」

アルコール大麻を同一扱いする馬鹿」「大麻を使うとこうなります(笑)

とか色々言われそうな気もするが、まあ今日はそういう日なのでそれくらいは書かせてほしい。

私自身の経験からも、大麻がもたらす影響はアルコールのそれとはまったく異なる。

初めて大麻体験した時……場所は伏す

ここで有能な効能を書くとろくなことにならないのは知っているので詳しくは書かないが、

私はその安全性ポジティブ効果に驚かされた。なぜなら、それは心を開き、新たな認識を促すものだったからだ。

この二面性には明らかな矛盾があり、私はこの認知破壊を促したい。

アルコールが「無害」として受け入れられ、いや、「有害であるのにも関わらずそれは当然と黙認され、

飲み会というなのドラッグパーティーが平然と行われる中で大麻での娯楽は一切許されず、

アルコール広告が出される一方で、より安全である可能性のある大麻がなお禁じられている現状には、根本的な見直し必要だと感じている。

そんなことを書きながらテレビに目をやるとキンキンに冷えたビールの滴がグラスの外側に流れる様子が強調された

若々しく活動的な人々が友人や家族との楽しいひととき自然や開放感のある場所飲酒する広告が否応なしに流れる

さも健全であるかのように。

では大麻はどうだ。ラッパーニット帽を被った子供路地裏でモクモク吸ってるイメージだろう。

そう一人で悪態をつきながら私は安倍晋三のおかげで安くなった発泡酒の蓋を開けた。

もう終わりだよこの国

ビール広告気持ち悪い

4月20日

この日が何を意味するのか、インターネットの暗部や特定文化精通している増田ならお分かりだろう。

そう、それは「大麻の日」であるしかし、現大日本帝国においては大麻は厳しく禁じられており、THCを含む製品は法の壁に阻まれている。

一方で、若者たちの間での認知度は高まっており、それにも関わらず、社会は変わりゆくペースに追いつけていない。

一方で毎日散々とCMがやられているビールという他の「ドラッグ」は、クリーンイメージで大々的に広告され、広く社会に受け入れられている。

アルコールによる健康への害は広く知られており、私の友人二人もその犠牲になった。彼らは過労と飲酒により肝臓を痛め、苦しんでいる。

な~んてことを書くと「大麻カス解禁したすぎて必死だな」「大麻で脳をやられた下戸依存症が僻みで書いている」

アルコール大麻を同一扱いする馬鹿」「大麻を使うとこうなります(笑)

とか色々言われそうな気もするが、まあ今日はそういう日なのでそれくらいは書かせてほしい。

私自身の経験からも、大麻がもたらす影響はアルコールのそれとはまったく異なる。

初めて大麻体験した時……場所は伏す

ここで有能な効能を書くとろくなことにならないのは知っているので詳しくは書かないが、

私はその安全性ポジティブ効果に驚かされた。なぜなら、それは心を開き、新たな認識を促すものだったからだ。

この二面性には明らかな矛盾があり、私はこの認知破壊を促したい。

アルコールが「無害」として受け入れられ、いや、「有害であるのにも関わらずそれは当然と黙認され、

飲み会というなのドラッグパーティーが平然と行われる中で大麻での娯楽は一切許されず、

アルコール広告が出される一方で、より安全である可能性のある大麻がなお禁じられている現状には、根本的な見直し必要だと感じている。

そんなことを書きながらテレビに目をやるとキンキンに冷えたビールの滴がグラスの外側に流れる様子が強調された

若々しく活動的な人々が友人や家族との楽しいひととき自然や開放感のある場所飲酒する広告が否応なしに流れる

さも健全であるかのように。

では大麻はどうだ。ラッパーニット帽を被った子供路地裏でモクモク吸ってるイメージだろう。

そう一人で悪態をつきながら私は安い発泡酒の蓋を開けた。

もう終わりだよこの国

2024-04-19

ドーナツの穴ってドーナツを食べたらどこに行くのでしょう

カバンの中机の中向かいホーム路地裏の窓は探したけれど見つからない

2024-04-15

   ベクトルという理論驚愕的なものであるかどうかの評価は分からないので置くとしても、ベクトルを整備するとかなりの問題を解くことができる。しかし我々はベクトルというもの

  どれだけの威力を持っているかまだ正確には教わっていない。道路法における道路が、ベクトルのように驚愕的な技術であるかどうかの評価はまだ分かっていないが、道路法における

  道路普遍的一般的存在し、その上を自動車等が通過する。自転車が脱輪した場合、我々は自転車店にやってもらうことになるが、前野町にはそうした自転車店がない。

  セオサイクルは前野6丁目にもあるし、戸田市にもある。しか店員性格が悪いため一般には利用したくない。板橋区では色々なところに修理店があると思うが、蓮根駅前の

  小高商会が一番無難である。しっかりしていて頑強な老人がする。その付近にも、サイクルハウスヒロなどもあるが、こちらは中国人がやっているし、話が臭いのであまりいきたくない。

  ところがコダカサイクルは、蓮根駅前の路地にあり、非常に遠い。

2024-04-11

自立とは、賃貸物件を探して審査を通過し独り暮らしを維持するだけの収入および社会的身分を獲得することである。と、きちんと定義を示したうえで10から準備を進めさせてほしかった。新宿の裏路地オッサンの吐瀉物みたいな人生だった。

2024-04-10

イジメについての増田」がはてな投稿された意味を読み取れないブクマカ共……流石にヤバくないか

中学の時、個人的に性格が合わないやつがいた

これを単なる「実話」として終わらちゃ駄目だよ。

嘘か本当かって話ではなくて、「なぜ、このサイトにこの話が投稿されたんだろう?」ってことを考えなきゃってこと。

結論から言おうか、この増田の正しい受け取り方は「はてなーよ、お前らのしているのもイジメではないのか?お前らの中に「イジメになりそうだから俺が率先してブレーキかけておくか」という意思はあるか?行動には移せているか?」だよ。

最近とある人を皆でよってたかって「超大型新人だー!マジキチ巨人キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!」みたいな感じでよってたかって好き放題だったよね?「病院に行け」「マジでヤバイ」「こういう人の心理が分かって勉強になった」「おいおいこれ相手側もヤベーじゃん」「キチガイvsマジキチ 勝手に戦え」みたいなことを皆で言ってて本当に楽しそうだったよな?

遠い昔とあるYotuberが残した言葉に「あなた達1人1人が揃って同じ相手に息を吐けば、それを受ける相手にとっては台風のように感じるのです」みたいなのがあったはずなんだが、インターネット書き込みをする時、お前らはその認識ちゃんと持っているか

ヤギを使った拷問に「足の裏に塩を塗って舐めさせる」というものがある。これは最初のうちはただくすぐったいだけでなんともないが、段々と皮がこそげ肉がこそげドンドン痛みが増すという。

1人から受ける罵倒は「は?まあ聞き流しとこ」で終わるかも知れないが、それが数十数百になるに連れて「俺が間違っているのか?だがどう間違っている?皆違うことを言っている!頭がおかしくなるー!」とメンタルに大ダメージを受けてしまう。これは「ガスライティング」と呼ばれていて、洗脳を行う前に相手精神を粉々に破壊するために用いられるようなマジでヤバイ精神医学的な呪術だ。

お前たち1人1人は「ちょっと面白い玩具をみつけたか感想を書き込んだだけだぞwwwこれマジで面白www見つけた奴天才wっw」ぐらいに思っているだろうが、そうやって少しずつ叩きつけられた言葉は、全てが一度に本人に向かって飛んでいっているということを理解しているか

「これ以上読んだらヤバイと思った段階でネット回線を切ればいいだけでは?」ぐらいに軽く考えてないかヤバイと思う前に「◯百件のコメントが届いてます」といった文字を見たら、それだけの人間から攻撃を受けているという事実に確かなダメージを受けることは想像できるか?実際に全てに目を通さなくても、大勢から同じように酷いことを言われているという数字が増えるだけでダメージは間違いなく加速するんだ。それを利用して分身の術で大量の悪口を書き込んでウォチ対象を壊す呪術についてお前らが知らないとは思えないが、1人で分身してないだけでやってることの結果は同じだと自覚はあるか?

いか、お前ら、特にこの増田に「学生時代にこんなことに気づくなんて偉いなあ」「この増田は立派だ」「正しいことをしてるね」みたいにコメントしてる奴らよ!

他人事ではないぞ!

お前ら、ネットリンチを楽しみすぎだ!

そしていざネットリンチで傷ついた人がボロボロになっているニュースが出てくると「こわいなーとずまりすとこ」みたいな態度を取るのをいい加減やめろ!

ここの程度が便所の落書きスラム街マンホールの底に広がるネット老害ミュータントのすくつだってことぐらいは分かるが、それにしたって暴力性が高くなりすぎている!

いかはてな別に空間を隔てた先にある異空間じゃない!

サイトにあるB!のボタンを押すだけで飛べるような路地裏でしかない!

あらゆる倫理感を捨てて暴れまわるには表通りから目と鼻すぎるんだ!

単にお前らが自分等の下世話さを披露するだけなら良いが、その過程ネットリンチに加担するようなことはやめろ!

止めろ!

誰かが積極的に止めろ!

単なるスター稼ぎでも良い!

ちょっと男子ー!そろそろ弁護士(せんせい)が来るよー!」みたいなことを書き込め!

お前が書き込むんだよ!

お前がだ!

誰かがじゃねえ!

お前がだ!

お前がAになるんだよ!

お前がだ!

”ご自由にお持ちください”

DPZのこれ

https://dailyportalz.jp/kiji/gojiyuni-omochikudasai/page/3

いいね

パリッコさんて東京だよね?

ワイは札幌在住なんだけどこういうものをあまり目にすることがない

こういう文化も街自体が古くて、下町と言われる場所があって駅というか町々が狭いというか、家と家が密集してるような狭めの路地のあるところだとやりやすいのかな

なんかこっちの路上でこういうのあったら唐突で不自然な感じするもんな、なんでだろう

ガレージセールなんかはもっとあってもよさそうだけどほぼ遭遇しない……

2024-04-03

かえりたい

ブラインドを閉じる

コピー機の電源を切る

シュレッダーの電源を確認する

モニターの電源を切るのを忘れない

システムの打刻

最終退館の入力

照明を落とす

施錠とセキュリティを起動

廊下の消灯で一度真っ暗になる

エレベーターで1階に降りる

玄関は閉じているので裏口に向かう

駐車場横のシリンキーを開けて出る

一階のピザ屋の匂いを嗅ぐ

大通りを歩く

高速道路沿い、高架につく明かりが深夜でも明るいオレンジ色をしている

小さく歌を歌いながら帰る日が多い。頭を空にするための歌なので、なんの歌でも良い。TikTokで聞いたサビしか知らない歌でも、学生時代合唱コンクール課題曲でも。車が多いか迷惑にはなっていないと思ってる。

いつも曲がらない角を曲がって帰る日もある。知らない坂の先の景色をみたり、通れるかわからない細い路地を入ってみたり。

自転車で帰った日もある。電動式のシェアサイクルはわたしをぐいぐい引くように走った。

自分の足で走った日もある。通りを走るランナーはたまに見るしそれほど浮かないだろうと思った。自分自分の体をコントロールして、心拍を上げる行動は何かに良い気がした。

酒を買って歩きながら飲んでみようとした日は、缶を路上に落としてしまい中身が噴出した。甘くないジンソーダで助かったと思いながら拾って帰った。

誰にも迷惑をかけない範囲で行う小さな奇行は、私が私に許す小さい遊びだ。1日の大半を仕事に明け渡してしまった今日ちょっとだけ取り返してから自分を寝かしつける、そういう儀式最初ちょっと外食をして自分の機嫌を取ったりしていたのだが、夕食をしっかり摂るのも憚られる退勤時間になってからは「帰る」ことに遊びを見つけていた。人目につかない深夜に、小学生の帰り道みたいな、誰にも話さな1人遊びがたくさんあった。

何も出来ない日は大抵泣きながら帰る。あの時の自分なかに何の感情があったのかわからない。悔しいなのか苦しいなのか、誰かに心配されて嬉しいなのか情けないなのか、

あのとき取りこぼしてしまった自分気持ちはもう、私がわからないってことはこの先誰にもわからない。

泣いている時に頭の中に入っていたのは、周りの人が私に投げかけた言葉だけで、それを咀嚼して反芻しても、なんの味を感じたのかわからないまま、子どものように口角をひん曲げてボロボロ泣いた。マスクの中に水分が溜まって蒸れて、でも外した顔はひどいから付けたまま歩く。

公園の横を抜けて、ファミレス駐車場を突っ切って、その先の横断歩道は押しボタン式の時間帯。渡った先のコンビニに寄る。朝昼は胃痛を避けるために軽いものしか摂らないので夜は多少好き勝手に食ってやろうと思いながら入店するが、運が悪いと夜中に腹を下すので結局中途半端惣菜軽食を買う。大体いつもボブヘアの男性店員シフトに入っている。コンビニの横の坂道を上ったらあと少しで家に着く。

徒歩25分。家も職場も駅からまり近くないせいで、電車に乗ってもせいぜい5分短縮できるか微妙な所だから歩いて通勤した。

机に縋り付いている記憶の方がたくさんあって良いはずなのだが、私は長い間、家に帰る道をずっと歩いているような、ずっと夜みたいな感覚を1番よく思い出す。

日中は、

食事睡眠、どちらかを満足に出来なくても片方が人並みならまだ保つ」

「このくらいの度数のロング缶を一度に飲み切ると眠れて二日酔いも残らない」

「この会社栄養剤がよく効くのであっちのコンビニで買う」

大丈夫だと口に出せるうちはまだきっと大丈夫

働き始めてから何年かで身につけたおまじないのような「これが出来ればまだ大丈夫」を幾つかポケットに入れて、指先で手触りを確認するような日々を過ごしていた。

 

「酒や乳酸菌飲料の力を借りて睡眠は取れているからまだ大丈夫

「胃が荒れていて平日は差し障るだけで、食欲はあるからまだ大丈夫

「朝は起きて支度できるからまだ」

部屋は荒れているが、不精なので繁忙期はそんなものだ。青クマデスクワーカーの職業病

「まだ大丈夫」を肯定的に捉えてサバイブしていたつもりだった。

つのまに切り替わったかからないが、これらの一つ一つが「まだ私が壊れてくれないから、大丈夫じゃなくなるのを待つしかない」のカウントになっていた。

勤務中、気を抜くと頭を上げていられなくなった。

ひとの目を見るのは元々苦手ではあるけど、顔を見せるすら苦しくなった。

対面で働くチームメンバーには両手で伏せて早口で指示を出す。通話会議は声を出せれば成立する、まだ大丈夫

大丈夫自分を演じているのか、大丈夫ではない自分演出して逃げ出そうとしているのか、どっちにしろ何かのフリをできているうちは大丈夫なのか、大丈夫ってなんだ?

わたしは席に座れる、手を動かせる、web会議通話が出来る、謝罪を述べることができる。出来るけど、帰りたいと申し出てある日早退した。これはダメなことだってわかっているからまだきっと大丈夫。平日の明るいうちに外出するのが久々でなんだかスカスカした気持ちになりながら、せめて身体を労わるポーズをとらないと均衡が取れないか大戸屋で品目の多い定食を食べた。ポテトサラダが重くていつまでも口に残った。

わたしにも少ないが友人はいる ありがたいことに定期的に会う用事がある

他愛ない近況の報告をしようとしたら、言葉が出ない日があって、そのとき友人は精一杯わたしを傷つけないように、「頑張る私」を否定しないように選んだ言葉で、心配に思っている、あなたを害するものあなた拒否する権利があるとだけ 言葉を投げてくれた

書いて消して何度か回り道しただろう、書かれなかった文にたくさんの気持ちが詰まっていた それに対して言い訳のような自虐で返事をした 最悪だ

病院探しを始めた。

躊躇いは特になかった。「自分に限って」なんていうバイアスは思い上がりだ。弱さを認められる方がまともだと思う、そういうペラペラプライドを持っていた。「まだ大丈夫」のうちに、近い将来ダメになった時の避難経路を決める、それは賢い判断だと思った。

まあまあ都心に住んでいたので選択肢はいくつかあると知っていたし、思ったよりいっぱいあった。逃げ場ってコンビニほどはないけど歯医者くらいはある。場所を見つけて、予約を取ったあと、メモを書くことにした。

うまく話せるように、話せなくてもとにかく伝わるように。カンペなのか手紙なのか問診票の別紙なのか、わからないけど言葉を起こす必要があった。

身体精神状態を書き連ねた。

相手自分を「大丈夫」に見せたいのか、「大丈夫ではない」と言わせたいのか、なんだか意図がブレブレのメモ書きになった

紙に書き写す以上はありのままなんてどこにもない、本当のことを書いたのかどうか主観で見てもあやふやな文面。とにかく話せなくなればそれを読むか手渡すかしようと思って、印刷したものを携えて心療内科に行った。初診の予約は平日の昼しか取れないルールで、14時過ぎに中抜けして向かった。

名のついた診断が出た。

有給休暇の残数を尋ねられたり、直近で休養の取れるタイミングなどの話を流れるようにし始めた医師に、そんなつもりではない。 まだ大丈夫から、もう少しマシになるための方法をくれと訴えたら、それはまっすぐに否定をされた。でも自分に「休め」を許せなかった結果、中途半端診断書を持ち帰った。

朝、眠りから浮上する感覚を覚えると同時に心臓が跳ねるようになっていた。生きている、意識があるということに気づくと心が怯えるのはまあ自然なことかもしれないとその時は思っていたし、動悸そのもの業務差し障りないから「大丈夫」「ダメ」の判断基準にならなかった。寝覚めは悪いが寝起きは良いので、遅刻もしなかった。

今思うと、「大丈夫」と「ダメ」は同じ線の両端ではなかった。

なんの名前を付けたら良いのかもわからないけど、しっかりと質量のある「ダメ」の感触が胸の中に入っている日がある時やって来た。

もっと、動けないとかずっと泣くとか何かが出来なくなったことを以て「ダメ」に『なる』なのだと思っていたけど、そうではなかった。何がどうダメなのかなんてわからないのだけど、相対的な話ではない、とにかく「ダメ」が去来する朝が来た。突発の休暇をとった。休んだ罪悪感を原動力にその週は出勤する、というサイクルをいくらか続けた。

この頃に、「ダメ」になる階段を一歩降りたような気がしていたが、同時に睡眠も食欲も自分の思う「大丈夫」の基準のままだったのだから二元論で考えることが間違っていたと思う。

この「ダメ」は、「不安」の名前に片付けるものらしい。抗不安薬頓服の処方を受けた。「頓服」だから、常用してないからまだ大丈夫大丈夫の数をまだ数えていた。

かに怒っている日、逃げてしまおうと思う日、何も感じない日

そんなわけないのにいつもの道が歪んで見える日

物音が大きく聞こえる日

なんてことないじゃないかと思う日

そんなものちょっとずつずれながら積み上げてきて、綺麗に縛れない新聞の束のような、歪みが溜まっていくような感じがあった

退職願を書いた。

できるだけ綺麗な文字しかるべき封書に綴じた正しいフォーマットで、すぐに出せる完璧な一筆を仕上げようと思った。

遺書ではないけど、でも心持ちは少し近いかもしれない。白くて郵便番号欄のない封筒が望ましいとネットに書いてあったがコンビニにも百均にもなかった。緊急で必要になる人もいるだろうに。

下書きをして、それを見ながら丁寧に文字を書いた。書いている間は無心になれた。書いただけで、結局出せはしなかった。

退職願も、診断書も、私にとっての「勝訴」の紙にならなかった。結局私は、自分バツを付けて逃げるのが怖いまましばらく日々を過ごした。

ある朝、9時前、出勤してメール確認する

同僚が出勤してくる

涙が止まらない

頓服を飲んで、会議室に閉じこもって効くのを待ってみる

10時半過ぎ、何も変わらない

ここにいたらもう駄目なんだ、そういう日がついに来たのだと言われた気がした

トイレに逃げて、別の場所で勤務する上司に早退の連絡をする

そのあとは、とにかく手続きを滞りなく進めなければと、社会人として角の立たないように休職の手配をするために自分感情はどこか棚の上にでも置いたような感覚で、再診の予約をとり会社と連絡を取り、自分社会と切り離すことに成功した

今、会社に向かう朝も遊びながら帰る夜も無くした私は、子供の頃からの地続きの自分をあの夜の帰路に置いてきてしまって、残りかすの体だけがここにあるような気持ちで布団に横たわっている。じゃああの夜に私は何を思っていたのか、書き出してみようと思いメモ帳に書きつけるが、結局そこにも何もなかったとわかってしまった。今の私の回想だからそうなのか、本当に何も思うことはなかったのか、もうわからない。

出かけなくても良くなった今も、どこかに帰りたいような気持ちだけ残っている。

2024-04-01

anond:20240401103348

京都人民族性路地の角という角にクソ邪魔な石を置いているところで察する物があります

2024-03-31

anond:20240331220948

路地裏のつもりで好き勝手やってたらいきなり表に引きずり出される感じ?

https://anond.hatelabo.jp/20240328173656#

生き物ってカワイイ方向に進化してるよな


最近思ったことがある。多くの生き物って、人間にとって見た目がいいように進化している気がする。

哺乳類とかだったら、人間にとって気持ち悪いやつはあまりいないだろう。爬虫類とか両生類とか、特に昆虫類だったら気持ち悪いやつがけっこういる。

今回思うところがあったから、4つほどエピソードを語らせてほしい。

1.アナグマ

 去年の秋頃だったか、近所の裏山に登って、入会地の傍にある栗林で農作業をしていたのだが、そこにひょこっとアナグマが現れたのだ。アナグマというのは……約10年前にやってた「のんのんびより」のEDだったかな。「あれってハクビシンとか、タヌキとか、アライグマとか、イタチですよ」とか、そういう歌詞があったのだが、だいたいそんな生き物だ。

 アナグマイタチ科の動物で、体長1m未満のずんぐりしたイタチみたいなやつだ。顔はハクビシンに似ている。※ようつべ検索するとすぐに出てくる。

 で、そのアナグマだが、栗林で農作業をしていた私の方に寄ってきたのだ。まだ若そうな個体だった。当方だが、農業林業はこれでも10年以上やっている。これまで、数多くのイタチキツネアライグマその他の小動物が箱わなに引っかかり、漁師地元住民殺処分されるところを見てきた。

 正直、あまりいい印象はなかったが、半径数メートル以内まで寄ってきたところで、「けっこうかわいいな」という印象が支配するようになっていた。このあたりにはアナグマが少ないのもある。あと、私が育ててるのは栗だから、こいつらには盗まれんだろうという感覚もあった。

 そういえば、小学校高学年だった姪っ子が、同じようなシチュエーション農地の中)で、狸っぽい生き物にポテトチップスコンビニホットスナック(ファミチキ)をあげていたのを思いだした。あれは遠目からだったが、やはりずんぐりした見た目だった。

 結局、栗林に来たアナグマは、その辺りをちょっと掘り返しただけで山の中に帰っていった。もう二度と出会うことはないだろう。例えばもし、私が育てているのがイチゴだったとしたら、確実にその場でクワなんかを握りしめて、ヤツを叩き殺そうとしていただろう。

 実際、うちの畑でサルを見かけた時は、全力で追い払うようにしているし、タヌキやアライグマだったら石を放り投げてぶつけた後、スコップで殴り殺したこともある。蛇とかだったら、毎年20匹以上は駆除してる。長靴で踏んづけて、もう片方の足裏で頭を叩き潰すのだ。ジャンボタニシだったら、毎年夏になると百匹以上は生き埋めにしてる。イノシシは……あれはプロの量子さんの領域である農家は手を出さない。

 私はこれでも専業農家である。大切に育てた農作物を捕る生き物は憎くてしょうがない(人間まで含めて)。蛇足になるが、農業従事者は漁師率がけっこう高い。昔の農家は、田植え稲刈りの時期を除いては、鶏を育てたり、山に入って鳥獣を捕っていた。今でも、狩猟免許がある人もない人も、山でイノシシとか鹿とかを捕って食料にしている例はある。

 私の祖父もそんなだった。私がまだ小学生の頃に、鶏小屋キツネかタヌキかアライグマかはわからないが、そういうのに襲われてしまった。非金属ネット小屋だったから、鶏が何匹かやられてしまっていた。祖父は悔しそうな顔をしていた。

 或る夜に、実家で夕食を食べていると、鶏が騒いでいる声が聞こえた。祖父と親父はすぐに実家を飛び出して、鶏小屋に行くと、キツネのようなものが鶏小屋ネットを破ろうとしていた。なぜか、祖父よりも自分と父の方が早く鶏小屋に着いていたっけ。

 後ろでカチャッ、という音が聞こえた。祖父が目の前に出てきたと思ったら、パアンッ!! という音が聞こえた。※祖父散弾銃を撃ってた。

 キツネのようなものは、その場で転がって痙攣しながら逃げようとしていた。親父が、祖父に鍬を手渡していた。それで、祖父が走り出して、ほうほうの体で逃げるキツネに追いついて……後は、何度何度も鍬が振り下ろされた。ぐちゃ、べちゃという音が聞こえて、狐は何度か鳴き声をあげると……多分絶命したのだろう。※近づいてわかったが、縞々のしっぽだった。アライグマである

 祖父は「このバカタレが、バカタレがぁ、アアッ!!」って叫んでたっけ。愛鶏(?)を殺されたのがショックだったのだろう。とにかく狐に凄まじい恨みを持ってた。あの時の自分は、「すげー。銃かっこいい!! 撃たせて」って祖父にねだってたよ。それくらい衝撃的な体験だった。私にとってのエポックメイキングだった。

「なに、お前も撃ちたい? 大人になったら警察行って免許がとれるど!」

「じいちゃんは、警察に行って銃の免許もっとるん?」

「わしはもっとらん。ひいじいちゃんもっとった。でも、わしは撃てるけえええんよ」

「俺も撃ちたい」

「○○くんが撃ったらいけん。捕まるよ」

「じいちゃんは捕まらのん

「捕まらんよ。ハタチの頃からずっと漁をやっとる」

 平成初期の話である。当時はおおらかな時代だったのだ……。今だったら普通に逮捕される。絶対マネしないように。

 さしもの私も、祖父の遺品である銃剣類は所持しているが、自らの敷地内であっても使おうとは思わない。なにしろ狩猟免許もってないからな。ほかの地元民と同じく、鳥獣駆除行為はひっそりとやりたい。

 話があっちの方にいってしまったが、私は基本的に、うちの農地に入ってくる鳥獣類は殺そうとする。苦労して育てた農作物を食われるのは絶対に嫌であるしかし、たまに殺さない例もある。それが上の例でのアナグマだった。

 その状況で見逃したのは、なんとなくという理由が強い。農場内でメシを食ったばかりで、ゆっくりたかったのもある。しかし、珍しくこっちに寄ってくるアナグマが「かわいい」という感情もあったのだと思う。うちの地域では、アナグマが珍しかったのもあるかもしれない。しかし、不思議体験だった。

2.コガネムシ

 今度は市街地での話だ。

 まだ若いころ、農業者じゃなくてサラリーマンだった時代に、とある国道沿いの飲み屋街にいた。最初の一軒目を探していたのだ。ふわふわ路地をさまよいながら、国道に出たところで、そいつ出会った。

 歩道の上に、もぞもぞと動く物体があった。よく覗いてみると、コガネムシだった。背中の色が特殊で、なんとベージュだった。限りなく白に近い真珠色といってもいい。レア甲虫である。いとおかし!! いとおかし!!

 その真珠コガネムシは、あまり元気がなかった。しか車道に向かってもぞもぞと進んでいた。このままでは自動車に轢かれて死ぬだろう。ぐしゃ、という音がするのだろうな。昆虫類が車に轢かれると、意外と大きい音がする。

 私は、そいつの目の前に人差し指を延ばした。するとそいつは、六本の足でガシッと私の指を掴んで、勢いよく私の手を昇り始めた。

 土の中から出てきたばかりのカブトムシとまではいかないが、元気な様子で私の手指を昇っていた。そのまま徒歩で飲み屋街に移動して、レストラン沿いの並木を見つけた。おそらく欅だったろうか。樹の表面にコガネムシをくっつけると、また元気そうにどんどん昇って行った。

 どうしてあの時、コガネムシを助けてやったのだろう。そういえば、小学生の頃は甲虫が好きだったような気がする。懐かしい気持ちになった。

 今でも、夏場で路上に転がってるセミとか見つけると、拾って助けてやる。すぐ近くにあるクヌギコナラにくっつけてやる。

3.トカゲ

 これは私じゃなくて、息子の話だ。当時は小5だったかな。夏休みだった。

 ある日、家の庭の中にある小道(※田舎から家が大きい)で、息子が「トカゲ見つけた」と報告してきた。「捕まえたの?」と聞くと、「捕まえてない」と言う。

 現場に行ってみると、小道の上でトカゲが2匹、それぞれ離れたところに倒れていた。お腹を上に向けて。瀕死だった。おそらくだが、野猫にやられたのだろう。お腹に爪で引っかかれた跡があった。

 息子がそいつらを触ったところ、1匹だけはまだ息があった。残り1匹について、「よい旅を」と私がその場に埋めてやっていると、息子が生き残った方に落ち葉や土を被せてやっていた。どうやら、回復を待つつもりらしい。「これ、おうち」と言っていた。

 好きにさせるべきだと思った。息子に対して、「日光に当てないように木陰を作る」「できるだけ触らないように」「1日に1回は霧吹きで水をかけてやるように」「餌はやらなくていい」など最低限の指示をした。

 私はトカゲが1日以内に死ぬと思っていた。木の棒で突いても、片方の足が全く動いてなかったし、どう見ても虫の息だったからだ。早い話、移動能力を失っている。

 その日から、息子は毎日トカゲのところに足を運んでいたっけ。水やりは欠かさなかったし、日光を浴びて体がのけぞっていたりすると、木陰の位置を調整してやったりする。

 3日が経って、私が現場を見に行くと、どうやらまだ生きていた。土くれと落ち葉を払いのけると、少しだけ体が動いた。体にはまだヌメリが残っていた。片足だけを動かして、体をのけ反らせて私から逃れようとしていた。「シャー」みたいな感じで、口を開けてこちらを威嚇している。少し気の毒になって、植物用の霧吹きをしてやったのと、一応、ミルワームを顔の近くに寄せてやったが、無反応だった。やはり餌は不用のようだ。

 次の日だったか、息子が飛んできて、「トカゲが動かない」という。現場に行ってみると、そこには……「おうち」から出てきたところで静止しているトカゲの姿があった。口には小さいミミズのようなものが入っていた。目は閉じていた。

「餌をあげてしまったの?」

「うん。お腹すいてると思って」

「そうか。たぶん、びっくりして死んでしまったんだね」

「うん」

「……どう思った?」

「わかんない」

人間常識トカゲ常識は違ったのかもしれないね

「うん」

 そんなやり取りをしたかな。

 そのトカゲは、結局何時間たっても動かなかった。生命活動を停止したのだ……。推測だが、ミミズが喉に詰まって息ができなくなったのかもしれない。放っておいても、数日中には死んだだろうが。

 息子にとっては、トカゲがかわいかったのだろうと思う。私は、あまりそうは思わないが。大人になると、高速で動くトカゲちょっと苦手だ。だがまあ、カナヘビはまだかわいいと思える。トカゲと似ているが、比較するとあまり動かないのもある。

4.セミ

 先日、県道を車で運転していたところ、路側帯を走っていた自転車が急に停まった。その彼女アスファルトにゆっくりと降りて、自転車を端に寄せると、足先でなにかを小突いていた。

 ちょうど信号待ちになったので、その様子を眺めていると、どうやらそれはひっくり返ったセミのようだった。彼女が小突く度に、「ジジッ」という音でセミは鳴いていた。死んではいないようだ。

 その子は、セミに向かって指先を伸ばした。セミは指を樹木だと思ったのか、ホールドした。その子の指に乗ったセミは、一緒に自転車でまっすぐの方向に進んでいった。

 次の信号で、彼女に追いついた。自転車を降りて、民家の入り口に生えている樹にセミをくっつけようとしていた。指で押してやると、セミは樹にくっついて、もぞもぞと枝を張っていた。彼女セミちょっと撫でたかと思うと、また自転車に乗って県道を走り抜けていった……。

 一応、セミかわいい部類には入るのだろうか。丸っこい見た目だから好きな人いるかもしれない。当方はどちらともいえないが、今度セミがひっくり返っていたら、死んでいるか小突いて確認してみようか……と思った。新しい世界が開けるかもしれない。



話は長くなったが、結びにしよう。

大昔から、それこそ多くの生き物がいたのだろうが、人間にとってかわいくない種の生き物がどんどん淘汰されていった。それで、今みたいに哺乳類鳥類可愛いのばかりが残った。

それは、全然定かではない。でも、かわいい生き物はというと、殺される場面でも殺されないことがあったのではないか。大昔から。よって、醜い種に比べて生き残れる可能性が高かったのではないか。と、先日『利己的な遺伝子』を読み終えたばかりの私は感じた。

あなたはどうだろうか。生き物は、やっぱりカワイイ方が生き残れると思うだろうか。しかるに人間場合は、かわいげがあって、みんなに好かれる個体ほど早死にする傾向があるように思えるのだが。

2024-03-30

立ち回りを誤ってしまい、見つかってしまったので、

消されそうなので、中途半端は嫌なので、

オチを書きました。

終わらせました。

なのであとは、消されるだけ。

それで、完成します。今回の物語が。

路地裏に書いて遊んでいるだけだったのに、見つかってしまったので、

壊されそうなので、中途半端は嫌なので、

ネタバラシを書きました。

終わらせました。

なのであとは、壊されるだけ。

それで、完成します。今回のドラマが。

立ち回りを誤ってしまい、目玉が

2024-03-29

anond:20240329180141

アメリカ警察ヤバいのって911以降とか、ネトゲの対戦相手テロリストとして通報とかBLMとかで大体察せてたけどな

あんな強権的な癖に観光客が入っちゃいけない治安悪い路地裏が野放しになってるとか、完全に組織ぐるみで真っ黒やんけって

2024-03-28

コンビニからエロ本が無くなるらしい…

理由協議団体による「不快であるというそ理由のみで。

コンビニとはある種公共の場であり、エロ本が置かれているのではゾーニングが出来ていないのだと。

このままゾーニングの波が広がれば増田にまで波及し、風俗増田も追い出されてしまうかもしれない。

でも、そんなことしちゃ駄目だ。

そんなことしたら、それこそ増田存在意義が消えてしまう。

わかるだろ?

俺たちが増田で聞きたいのは、そういう話なんだよ。

パチンコでぼろ負けして居酒屋焼き鳥をくちゃくちゃ鳴らして食べながら貧乏揺すりして、シャッター商店街路地にある飲み屋横丁の一角の隅の席でちびちび酒を啜りながらその赤ら顔で「ちくしょう」って小声で言い続けている老年の男がつい酔った勢いで口を滑らせて話してしまうような、そんな話を聞きたいんだ。

          路地裏のつもりで好き勝手やってたら

           いきなり表に引きずり出される感じ

           ホント路地裏も糞もない世界だが

                一人だけでよかったのに

2024-03-27

中学校教員だけど、仕事休んで旅をした

私は中学校教員だ。

どうしても心苦しく逃げ出したくなったので、仕事を休んで旅をした。

その顛末を話したい。

休むことにした経緯

大学時代、親(同じく学校教員だ)に強く勧められなんとなく教職課程の受講を始めた。

なんとなく高校教員になろうと思っていたが、何の因果教育実習中学校に配属された。

実習中は忙しかったものの、生徒が人懐っこくこちらに近づいてくれたことが非常にうれしく、授業以外でも彼らとの交流(体育祭練習に一緒に参加するなど)に楽しさを覚えた。

この感覚が忘れられず、私は中学校教員になった。


着任当初から雑用が大量に入り、忙殺される毎日だった。

これって本当に教員仕事か?と思えるような事務作業がやたらと多かった。

また、「校務分掌」という名目でやたらと多くの業務が割り振られた。日本年寄りは何でもありの価値観蔓延しており、年齢の低い私には特に業務が集中した。

これらの業務事務職員仕事ではないらしい。事務補佐員は人数が少なく短時間しかいない。また、個人情報を含むものの取り扱いができないため依頼できることがほとんどない。

授業準備をしたくても事務作業で全く手に付かず。

やっと作業が終わり(もちろん時間外)ヘトヘトになったところで始めるほかなかった。

建前では休憩時間はあるらしいが、その時間業務が振ってきて休むこともできず。

おまけに最近アクティブラーニングICT重要性が叫ばれており、授業の事前及び当日の準備はそれどころではない大変さがあった。


それでも、教育実習の時と変わらず、コミュ障の私に偏見を持たず純粋な心で関わって、笑顔を見せてくれる生徒たち(教室に来れない生徒にも)に元気づけられていた。

体育祭は大嫌いで、私は自チームを応援する気は起きなかった(自チームカラーの服を着ている先生が目立ったが、私はどのチームにも関係ない色のものを着ていた)が、練習は一緒に楽しんだ。

生徒に交じって競技を楽しむのもまた一興。一緒に生徒の中に混ざるだけで生徒は喜んでくれた。

授業はただ真面目にやるのではなく、時にネタを入れると生徒が反応してくれてうれしかった。

アイマス(担当アイドルの話とか)をはじめとしたソシャゲネタ鉄道ネタ自虐ネタ淫夢ネタちょっと不謹慎ネタなどを入れるだけで笑いが取れた。

定期テストも、かなり完璧主義的に作ったにもかかわらず、その結果を見て教えたことをしっかり身に付けてくれたこともうれしかった。

勤務時間外も、次はどんな授業をしようかと自然に考えていた。


しかし、どうしても大変なことは大変で、それが私を疲弊させた。

例えば、生徒の失くしもの(学校からの貸与品)の捜索を命令され、どうしても見つから教頭に報告すると「知るか、自分で何とかしろ」の一点張りで取り付く島もない。

なければ学校に余りはありますか、それとも購入は可能ですか、と聞くと「お前さぁ、それ教育者としてやることか!?」と怒鳴られた。

また、目標申告書(全国でやっている)で下っ端は記入不要の項目も「制度上は記入義務はないがみんなやっている」と強制された。

(余談だが、記入例に不登校生徒減少の話があったが、なぜ不登校は生徒自身選択なのにそれを無視して無理やり連れだす必要があるのか、それが原因で自殺されたら本末転倒ではと思った)


あいいやこんなこともあると思いつつ耐えていたが、こんな出来事があり、ついに限界が来た。

生徒が下校した後、いつも通り雑用に追われていたが、なぜか隣の校舎の窓に火が見えた。

他の先生方に相談したところ、無関係な私が急行するよう言われた。するとなぜか鍵が閉まっていた。

鍵を開けると、面識のない生徒数人がおり、その隣には火柱が上がっていた。

どうやら裏側から侵入して火遊びをしていたらしいが、すぐに水をかけ消火した。

事情聴くと「これは作業だ」「面倒だから仕方ない」「効率的からやっている」と。

今後こういったことはやめるよう言えば「燃料は自腹だ。100円の自腹がもったいない」と反論。さすがにこちらもキレて「命と100円どちらが大事なんだ」と言って無理やりやめさせた。

大事案なので当該生徒が在籍する学年に報告すると、ある先生は「あー…最悪のメンバーがそろってる」と。

管理職に報告するとこちらの責任のあることではないのにやはり怒鳴られた。「どうするか自分で考えろ」「早くしろ」とわけのわからないことを言われ。

その後校長教頭の2名から時間のお説教

教頭から「怒るのはあなたを信頼して成長してほしいからだ」と言われたが、(わざわざ応募して選考突破した)管理職と下っ端は意欲が違うし、成長したくないので信頼せず放置してくれと思う。

校長は「生徒の失敗を大目に見たらどうか」と状況を理解せず、面倒をこちらに丸投げする発言


なぜ私だけこんな目に遭わなければいけないんだと思った。

気づくと、どうすればこんなことから解放されるだろうと思い色々検索していた。

隣の先生にこれを見られ、「行動に出る前に管理職相談した方がいい」「教頭は口調がきついから真に受けないほうがいい」「私も色々失敗した」などといろいろ慰めの言葉をくれた。

私と同時に着任した先生などにも相談に乗ってくれた。「あなた完璧を目指そうとしてたんだ。60点でいいのでは」とも言ってくれた。

また、該当生徒の指導はその生徒が在籍する学年に依頼できることになり、非常に助かった。


何もかもやる気を失った。大好きな曲を聴いても拒否反応がすごかった。

テレビをつけると、時代劇切腹シーンが出てきてますます気分が沈んだ。

通勤途中に外国人観光客を見ると、なぜ日本人だけ労働に苦しまなければいけないのかと思った。私も自由気ままに旅行したいのに。

(日本労働法規に甘く、バカンスもなく権利行使がしにくい、下手すると同じ立場労働者が権利行使を妨げてくるのはなぜだろうか。一説には資源の少なさと正社員制度が原因だというが…)

その後の数日、外出したいとも思わなかった。


ふと思いついた逃避行

そういえば、今までも出勤できていたものの、疲れというかなんとなく休み明け出勤したくない気分になることがしばしばあった気がする。

しかし今回はその気持ち特に強かった。そんななか、ベッドの上のぬいぐるみが私に話しかけてきた。


渋谷凛「もう休めば。疲れてるでしょ」

島村卯月「早く休まないと…大変です!」

本田未央「よく頑張ったねプロデューサー。思い切って休んじゃお!」


あれ、苦しいときは休めばいいんじゃね?なんでこんな簡単なこと思いつかなかったんだろう。

今まではこんなこと考えつかなかったが、思いついた途端肩の荷が一気に下りた気がして、気がすごく楽になった。

そういえば、小学校の頃の私は皆勤至上主義で、ひどい風邪でも登校していた。

高校でそのおかしさに気づき少しでも体調が悪ければ欠席するようになったのだが、なんでこの解決法を忘れてしまったんだろう。


だが、この計画は勤務校はもちろん、何かの機会で口外するリスクのある同僚には当然言えない。

一見仲間にも見える両親にも口外してはならない。

なぜなら母親仕事を、父親世間体神聖視しているからだ。

母親祖父(母方の曾祖父)が職を失いつまらなそうにしていたのを見て、仕事があることが素晴らしい、働かせていただいていると思うようになったそう。

まり、「クビになりそう」→「ならないようにどんなことでもする」という感覚の持ち主だ。

父親偉そうに上司にも独りよがりイデオロギービジネスマンとしての心構えを力説していたらしい(それで啖呵を切って職を転々としていたらしいが)。

自分の思い通りにならない、またはその仕事責任を120%果たせないなら辞めるべき」と思っているらしい。


その日は特別な準備を要する授業や前述の生徒の指導も予定されており、休んだら迷惑かと思ったが、どうでもよくなっていた。

となると、どのような手段で休もうか。

休むのは電話すればいいのは知っているが、真っ暗な家で引きこもっても体調回復絶望的だろうと思った。

じゃあ逃避行してしまおう。せっかくだし最近行っていない江ノ島に行こう。


ふと気になった。この休みはどういった扱いになるのだろうか。休暇の一覧表をみると、「病気休暇」があった。

利用条件は「ケガや病気で勤務できないとき」とのことだが、「病気」の詳しい定義がない。

ということは、「精神的に辛く体調がすぐれない」(これが悪化したものが「うつ病」「適応障害」などの精神疾患)も問題ないはずだ。

日数でいろいろ条件も変わるらしいが、今回の場合はまずは電話一本で、正式手続きは出勤できてから問題ないらしい。

ところで、病気休暇を取得している期間は病気の療養に専念しなければならない。

逃避行精神の不調が回復するのならそれも療養であるから問題なく、むしろ進んで行わなければならない。

病気休暇が使えないなら年次有給休暇の利用、それもダメなら(給与が減るが)欠勤扱いでもよい。いずれも無断欠勤よりずっとマシだ。


1日目・江ノ島に行った

今日は出勤しなくていいんだ。そういうつもりで髭剃りと歯磨き、自宅の風呂掃除トイレ掃除を念入りに。

教員労働環境のブラックさが世に知られ叩かれ出したことから働き方改革の一環で電話は始業時間までつながらない。

始業後に連絡すると迷惑だろうから自分所属する学年団への連絡手段(こちらは連絡時間制限特にない)があったので、先にそちらに体調不良の旨連絡した。

学年団の先生方(原因となった出来事を直接は知らない人含め)は「ゆっくり休め」と言ってくれた。

「次の日も厳しいかもしれない」と続けて言えば、「好きなことをしてしっかりとリフレッシュしなさい」とも。事情を知っているのかな?

また、始業時間直後には勤務校に電話し同様のことを伝えた。

元気のない声で、やる気を出そうにも空回りしている雰囲気を出した。

何の問題もなく休暇が取れた。休暇届提出は次回の出勤日でいいらしい(説明もその時するから急ぐなとのこと)。


混雑したバスが来るいつもと変わりないバス停。そこに私はとてもラフな出で立ちでいた。

家を出発する際は、勤務するときと同等の服装だったが、バス停近くの隠れられる場所で着替えた。

どんなラフ恰好って?それは…

本田未央ちゃんフルグラフィックTシャツ(二次元コスパ)を着てアロハシャツ羽織

本田未央ちゃんスポーツタオル首にかけ

本田未央ちゃん腕時計(キャラアニスーパーグルーピーズじゃないよ)を左腕に

本田未央ちゃんリストバンドを右腕に

本田未央ちゃんハンカチポケット

本田未央ちゃん渋谷凛ちゃん島村卯月ちゃんぬいぐるみカバンしま

・八宮めぐるちゃんライブ(空は澄み、今を越えて。他)記念のキーホルダーカバンに付けた。

どうだ、カッコイイだろ。


普段通勤時間があまり変わらないので混雑がストレスになるのは変わらない。

まあすぐに解放されるしいいか、と思っているうちに新宿駅に着いた。

ATMお金を引き出し、藤沢までの切符ロマンスカー指定券を購入(本当は特急券不要快速急行でもよいのだが、せっかくなので…)。

江ノ島方面ロマンスカー夕方までないとのことなので、相模大野普通電車に乗り換えることにした。

指定列車まで時間があるので新宿駅周辺を散策

横断歩道信号待ちをしていると、知らない人からサイエントロジーかい宗教団体のチラシをもらった。すぐ捨てた。


コンビニで酒(ほろよい桃味)とつまみを買ってから(車内は)滅多に人が来ないところなんで、そこでしこたま酒を飲んでから(デレステを)やり始めたんや。

飽きたので、Amazon大崎甜花ちゃんフルグラフィックTシャツポチっと購入。送料込みで7,321円也。

小田急線を乗り通すのは15年ぶりだ。複々線区間代々木上原向ヶ丘遊園まで伸び、列車種別構成の大きな変更があり、準急緩行線走行するようになったらしい。


藤沢に着いた。片瀬江ノ島まで行っても江ノ電を使ってもよかったが、せっかくなので大船まで戻る。

乗り換え専用改札があった。こういう改札は利用区間制限されないICカードしか通行できないものだが、聞いてみるとICカードとここまでの切符の組でも通れるという。

ここまでの切符を入れ、すばやくICカードタッチすれば通行できた。ちなみに、新幹線乗り換え口でも似たようなことができるらしい(クレジットカードEX-IC不要)。

ここから神奈川ジェットコースターとも評される、湘南モノレールに乗車。

強烈な地響きとともに列車が入線。駅壊れるぞ。

大船を出たばかりなのに猛スピード。おい、右に葬儀場があるぞ。車両棺桶じゃないぞ。

思ったほど揺れなかったが、心配なのは走行高度が低すぎる点だ。大型路線バスかぶつかるのでは。

湘南深沢から先はさらに本気を出した。70-80 km/hは出したか。これに匹敵するのは東京モノレールの一部区間(昭和島付近)だけだ。

15分程度で終点湘南江の島に到着。テラスアイドルたちと記念撮影


そのまま南に歩き、湘南海岸公園に。やることがないので近くの岩場で昼寝。

雲が動き日差しがまぶしいので、目隠しをした。時に涼しく時に熱くなるがこれが気持ちいい。

1時間ほど寝たら、桟橋の方を覗いてから15年ぶりに新江ノ島水族館へ。

岩場を歩いたり、飛び込み泳ぐペンギンさんが人間言葉を話せたら何を言うのか、不謹慎セリフを考えると非常に面白い

最後物販店くじ引き。2等が当たり、店員さんがハンドベルを鳴らした。後ろから拍手。恥ずかしいだろ。

景品は大きなイルカぬいぐるみだった。


江ノ島にも行った。

時間が遅いので頂上を経由してその奥の海岸洞窟だけ見た。

恋人同士が鳴らす鐘らしきものの前で、本田未央ちゃんと一緒に記念撮影

気づかず徒歩で戻ったのだが、どうやら船で江ノ島大橋のところまで帰れたらしい。


時間が足りず、江ノ島シーキャンドルやそのまわりの施設群、しらす丼は手付かずだった。また今度行った時味わおう。


帰りは江ノ電鎌倉を経由。

江ノ電は意外にもVISAタッチ決済による運賃収受を行っているらしい(決済端末は改札内なので、一部改札は不正通行検知装置を切っている)。

日本の改札は専用の券を駅などで購入し、機械に通す方式を取っており、欧州一般的QRコード付きの切符任意場所印刷して通行するようにするのは難しいとのこと。

そこでVISAタッチ決済による運賃収受が導入されたが、おそらく江ノ電日本で2-3番目あたりには早く導入したかと思う。

そんななか、また担当アイドルが話しかけてきた。

島村卯月「本当に休めましたか?もう一日休んだ方が…」

渋谷凛「ねぇ、まだ疲れてるでしょ。明日も休めば」

本田未央今日は楽しかったね!ねぇねぇ、明日も一緒にどっか行こうよぉ!」

よし、明日箱根へ行こう。


2日目・箱根に行った

勤務校と学年団に連絡した。2回目なので良心の呵責は全くない。

電話教頭ではなく事務職員が取るため、こちらの事情は知らない。「はい分かりました」で終わり。


汗で汚れるのだから昨日と同じシャツは着れない。

そこで、今日アロハシャツの下には乙倉悠貴ちゃんTシャツを。


いつものバス停に行く途中、ネームホルダーが落ちていた。手に取って見ると近くの幼稚園のものだと分かった。

グーグルマップでその幼稚園電話番号を調べ電話をかけると、「どこに落ちていたのですか」と聞かれた。近いので「そちらに持っていきます」と伝えすぐに向かった。

その幼稚園に着くと、ちょうど登園時間かぶっており保護者子供を預けに来ていた。

乙倉悠貴ちゃんTシャツ丸出しの男はロリコン扱い間違いなしなので、アロハシャツボタンを閉めて事務室へ。

対応した職員さんは、電話に出た人とは別のようだが、「これ落ちてました」と言えば「ありがとうございます」で終わり。さっさと退散。


暑いので路地裏に入って下着を脱ぐ。肌の上に直接乙倉悠貴ちゃんがくっついてきて興奮する。

昨日歩きすぎたのか、右足小指に水ぶくれが。

昨日よりかは早いが、それでもまた出発が遅れてしまった。

今日バス電車を乗り継いで新宿へ。今日小田原方面に向かうのでロマンスカーも多く走っている。

なんと小田急自動券売機クレジットカード対応していた。箱根湯本までの切符特急券を買うと、なぜか乗車券小田原箱根湯本のものしか出てこなかった。

仕方ないので隣の券売機新宿小田原切符を購入。

小田急の改札は切符を2枚重ねで投入できるが3枚重ねはできず、しかたなく新宿小田原切符特急券を投入。箱根湯本到着後有人改札事情を話すことにした。

今日セブンイレブンに行き酒とつまみを買い乗車。今日は酒2本(ほろよい桃味とぶどう味)。

電子レンジによる加熱が必要だが温め忘れてしまったものがあった。まぁ生で食べて腹を壊せば休みを伸ばせて都合がいい。

車内でつまみを全部食べ終わってからPermalink | 記事への反応(12) | 13:12

2024-03-26

東京 練馬区石神井公園駅前の再開発 異例の執行停止のなぜ?』 https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.nhk.or.jp/shutoken/wr/20240325a.html

この記事の反応で、ちょっと補足をしたくなったので。

異例の執行停止見出しにあるが確かに類似する都の都市計画上の手続きだと、昨今一番の話題になった某外苑再開発でも、イコモスなどに怒られていても差し止めにはなっていないので、これは相当異例。

練馬区サイトを見ると粛々と淡々スケジュールがこなされているのが分かる(https://www.city.nerima.tokyo.jp/kusei/machi/kakuchiiki/shakujii/saikaihatu.html)。ここまで(借地権の申告:ここで再開発をするので借地を持ってる権利者は早く言ってね保障するから)来て、土地の明け渡し(土地の所有者が再開発に伴いいったん土地を売却し移転する)を差し止める事案は個人的には初めて聞いた。

一般的には、あらかじめ決められている都市計画建蔽率とか容積率とか住宅専用地域とかそういうやつ、国と地方自治体が決めてる)を超えて特例的な建物タワーマンションとか馬鹿デカビルとか、通常の規定以上にデカく建てて儲けようとする建物)を建てる場合

地元意見集約→再開発しよう!と結束

区議会検討議会承認下りたぞ!

東京都の「都市計画審議会」という会議→何度か冷や汗の出る質疑を乗り越えて

承認下りたら、事業

と、いくつかの関門を経ないと建てられない(ものすごくざっくりとした説明)。デカ建物を建てるためには誰もが通る道。

で、この一番最初の「地元意見集約」がないと、行政は当然すべての再開発事業OK絶対に出せない。民間人が所有する不動産行政勝手に動かすことは基本出来ないから。例えば木造住宅が密集してて道路が狭くて救急車も入れないようなところを再開発したいよなぁと考えていたとしても無理。なのでこの1「地元意見集約」がとても大きな要素になる。

そしてこの「集約する」仕事は、多くの場合ゼネコンデベロッパーなど「ここにタワマン建てて儲けたいでゲス」という目的がある人たちが行う。

建前はあくまでも地元住民地権者から相談を受けて、という形だが、あけすけに言えば、何十人もいる地権者マイルドに立ち退きさせる仕事だ。平成以降の地上げ昭和のころのように放火してなんてことはしない。毎日街のバーサンの家に茶飲み話をしに行ったり、商店会の「有志の会」とか「〇〇町の未来を考える会」なんて名前になりがちの再開発推進派のオッサンジーサンどもと夜な夜な地元スナックで飲み明かしたりして、誰が反対しそうか、どうやったら立ち退いてくれそうかなどを探りながら、数年をかけて『地元住民意見を集約する』ということをやってる。これを綿密にねちねちと、時にはお金を使ったり(金で移転してくれる人は割とかなり多い)して、ぺんぺん草も生えないほどに賛成派を取りまとめることで「再開発準備組合」という、再開発の準備をするための組合ができる。組合員は地元地権者、つまり今まで懐柔してきたオッサンオバハン、ジーサンバーサンなどで、「再開発成功させて無事にみんなで儲けよう」というSameBoatのメンバーになる。

通常、東京都や首都圏の好立地の場合は、地権者再開発中の住まい保障なども含めて一銭も金を出さないことがほとんど。地権者自分がもともと持っていた土地差し出して、その代わりに、再開発間中生活再開発後の開発利益の一部(建物の中の新しい店舗だったり、タワマンに建て替わった新居だったり)を手に入れる。

あくまでも邪推だが、今回は、このSameBoatに乗りたくなかった地権者か、再開発不利益を被る可能性がある周辺の関係者(でかい建物が建つのから周辺環境は一変する)が複数いた可能性があるのかなと思う、まぁ邪推ですけども。

不利益を被るかもしれない周辺住民関係者(店やってる人とかね)」は実は、真っ先に懐柔しておくべきキーパーソンなのだが、この手順で業者が雑な仕事をしたんだろうなと思う。私見だが、N村不動産はこういうところがかなり下手というか雑というか、無視する傾向がある。まぁN村が合意形成にかかわってたのかは全然からないので本当に邪推しかないですが、当該の再開発予定地の周りにすでに恐らく同様の再開発スキームで建てたプラウドタワーが立っているので「行けるっしょ」ってなったのかもね。まぁ分からんけど、知らんけど。

ちなみにこのプラウドタワーは恐らく建物高さ90mぐらいじゃないかと思うのだが、NHK記事掲載されている完成予想パースの、当該建物左側に白でごくうーっすらと半透明に描かれている建物がそれにあたると思う。こういうズルいことをするのがデベロッパーである。ちな建物右側に白でごくうーっすらと描かれてるのはやはり再開発マンション「エミリ石神井公園」で恐らく建物高さ50m程度。石神井公園駅前にこんなに青空が広がってるわけがいから!

で、近年に再開発された両隣のタワマンの高さが恐らく90m、50m程度なので、「なんで100mをOKしてんだよ」とツッコミは入るよなとは思う。

まぁ、10数年前にできたプラウドタワー石神井公園よりも高く積まないと今の高騰する事業環境では採算が取れないんだろうなーと予想はできるので、そう言えば裁判で戦えたんじゃとと思うんだけどね。都市計画審議会でそういう言及でもあったら「だってその高さにしないと事業ができません、事業ができないと困る地権者もいるし道の整備もできません」と言えたと思うんだけどなー。さすがに都市計画審議会議事録を見るのは面倒なので、これもあくまでも邪推

で、ブコメにいくつかコメントをしたい。

「街のにぎわいを棄損してる」これは一面では本当にそうなんだけど、一方で、現地を知ってる人やGoogleMapを見た人ならわかると思うが当該地は正直、再開発した方が良い場所ではあると思う。

このあたりとか見るとなぁ。https://maps.app.goo.gl/oacM7JfmgrEmFjsw9 ブッコメにも「まなマート返してくれよ」とあるが、まなマートの辺りとかうっかり火事が出たら大惨事は免れないと思う。私もこういう地元密着スーパー大好物ではあるので気持ちは痛いほどわかるが。特に既に南でも北でも再開発マンションが建ってる石神井公園周辺では最後オアシスのような路地ではあるので本当に惜しい、が、地震火事リスク…。

でも味のある路地と古くからある店がなくなるのは、増田としてもとても寂しいことだよなとは思う(だからこそとても丁寧に反対意見が出ないほどに、広めに地元の人たちと話をする必要があるのだが。これを気合を入れてやったのが小田急下北沢再開発)。

優遇しすぎな面」

計算してないかわからんが、図書館公共用途)、もともとあった区道建物を貫いて再保存しているところから公共用途への供出がそこそこあるプロジェクトのようである。(https://www.city.nerima.tokyo.jp/kusei/machi/kakuchiiki/shakujii/saikaihatu.files/jigyoukeikakusyo-2.pdf)そのせいで、ある程度補助金が手厚いのでは、と思う。事業費や公共床の比率などで補助金額には色々制限があるので、この件だけが手厚いということはないのでは…。むしろそうだとしたら大問題だが恐らくそれはないんじゃないかな(適当な言いきり)。

野村不動産なら割と空間に余裕のある良い建物建てそう」

それは広告イメージ戦略に乗せられておりますな。タワーマンション容積率制限の緩和を受けてはじめて建てることが出来る。その代わりに一定計算式のもとに地面部分に「公開空地」を設けることが法律で決められていて、どのデベロッパーもその最低限度しか公開空地は用意しない。「建物を建てられる面積」は少しでも確保したい、タワー型ならなおさらである規制より多く空地を設けるのはデベロッパー業界ではほぼ有りえない。

そして分譲マンションとして売るので、ほとんどのデベロッパーは、事業を圧迫しないように最低限確保した公開空地を公園のように整備することが多い。何かい雰囲気になるからね。これは野村に限った話ではないっすね。そして一方で「いい感じの公園っぽくする」のは住友不動産にだけは当てはまらない。住友のタワマンの足元は本当に管理がしやすそう(で無味乾燥)、そういうのが好きな人もいるよな!管理費も節約できそうな気がする!

ちなみにこの「高いビルやタワマンの足元まわりの公園状のなにか」=公開空地は、「みんなが憩える空間を整備した代わりに容積を許してやったぞ」という空き地なので、みんなどんどん散歩したり休憩したりしようぜ!

地域を作り替えたい業と地元民として街を守りたい業のせめぎ合い」

このブコメは本当に言いえて妙。上にだらだらと書いたが、「街を守りたい業」の人もいる。この手の件は共産党は必ず絶対に反対に回る、が、本件は商店会の偉い人が表に出てるので共産党とはちょっと違う筋なんじゃないかニャーという気はする、知らんけど。

政治的な話は置いておいても再開発エリアの線引きに入れなくて損した気がする人が反対、なんてのは普通にあるある。どっちも商店会メンバーでどっちもJCにも消防団にも入ってて、それで大ゲンカして大変、とかね。

2024-03-19

障害者先進国欧州では、車椅子対応ってどうしてるんだろう?

ヨーロッパの町並みなんてとんでもなく古いものや、路地石畳が多くて

とてもじゃないがバリアフリーが完全ではないと思うんだが

そういうところでも車椅子が行きたいって言えば店の人が介助するのか?

あるいは大きい施設らするとか?

でも日本よりお客様が弱いヨーロッパだぞ?そんなことするかぁ?

2024-03-14

住民反対運動で街が発展した話すき

これの逆バージョン https://anond.hatelabo.jp/20240313123638

 

池袋サンシャイン地下道

巣鴨プリズン/東京拘置所跡にサンシャイン60ビルを建てるにあたり、池袋から地下道を通す計画があったが、地元商店が「人の流れが変わって駅前が廃れる」と反対し沙汰止みになった。

一番反対したのは洋菓子店タカセ。ここは戦後に繁盛して地元の顔的な立場であった。

これに他の人は「タカセのヤツ、勝手に顔役ぶりやがって」と陰口を叩き、裏では総スカン

地下道都道反対側からだけに短縮されてそこまで利用者は歩くことになった。代わりに都バス乗り入れが行われたが利用者は伸びなかった。

しか地下道入口東急ハンズオープンすると付近カメラ量販店(後にゲーセン)、飲食ビル映画館誕生し、池袋東口東急ハンズは若年向けの飲食サービス業が立ち並ぶ大商圏となった。

 

池袋馬券売り場

90年代JRA女性ターゲットとしたCMを打つなど競馬イメージアップに努めてはいた。

だが池袋東口に場外馬券売り場を開設する計画が持ち上がるとイメージ悪化を恐れて地元商工会は大反対。JRA土地も押さえていたが出店中止に。馬券売り場の上にサロン飲食室などを設ける大規模な計画だった。

この土地を後にヤマダ電機が押さえて都市型店舗第一号としてオープン。その後に近くの三越が閉店して建物が売りに出されるとヤマダ電機が取得して現在LABIとなり、池袋家電激戦区っぷりに火を注いだ。

 

立川飛行場

米軍接収した立川飛行場は手狭のためにジェット機用に滑走路を延長する計画があった。この為に滑走路延長先の砂川町の農地家屋に収用が掛かった。

これに住民は大反対し、そこに学生運動等が乗っかり、デモ隊基地侵入などの事件が起こり大騒動になった。

憲法問題などで出てくる「砂川事件/砂川判決」というのはこの事件

この事件などがどの程度影響を与えたかは判らぬが、米軍立川飛行場の拡大を諦め、瑞穂町横田基地に集約する事を決定。立川飛行場日本返還される事になった。

箱根ヶ崎付近八高線国道16号がぐにゃっと曲がっているのは、横田基地の滑走路拡大をした為である

 

返還された立川飛行場学校研究所法務修習所、陸自基地などに転用されたが、一番広い面積を有するのは昭和記念公園で、電車で3駅分ほどもある巨大公園となった。

真ん中には広大な広場もあり、大コンサートもよく行われている。

 

なお、騒動の原因となった滑走路の残骸が未だ残っている。https://maps.app.goo.gl/ewECyedzGvD9p88t7

(よく見ると滑走路アプローチ>>>>のペイントがうっすら残る)

 

埼京線大宮交通

東海道新幹線が開通して暫くすると、騒音振動問題になり訴訟も提起されるようになった。成田新幹線ゴリ押しによる頓挫もあり、山陽新幹線以降の新幹線開通は困難が予想されるようになった。

そこで都市近郊での建設スキームを変更、新幹線に付随した在来線も同時に工事して迷惑施設というだけではなくて近隣住民利益にもなるスキームにした。

この為に赤羽大宮間では通勤新線(埼京線)、大宮北側には高架にまとわりつく、つる植物のような新交通線が出来た。

なお、東海道新幹線は通常の鉄道のように地面に砕石を敷いて線路を敷く工法なので高速運転では周囲に振動が伝わる。その後は平地でも鉄筋コンクリートの高架を走るのが一般化した。杭基礎で支持されるので振動は地下奥深くに吸収され、コンクリの高架は重いので振動自体が押さえられる。その為に公害は発生しにくくなっているが、交渉時には工法までははっきりしていなかったのでこういう形になった。

 

神楽坂

空襲失地区の戦後復興東京都などが管理して区画整理などを行ったが、計画的過ぎて無機質であるとの反対意見も多かった。

そこで都は神楽坂については住民同士の話し合いで区画整理を決める自律的方法を試す事にした。

しか優越資本や有力な地元のまとめ役が居ない地区だったので、結局は路地などが沢山残る防災的にはアウトな形で復興する事になってしまった。

その為に神楽坂は失敗のモデルケースとされていた。

しか建物の建て替えが進むと、街路側は多くが不燃建物、その路地の奥は不燃建物と古い料亭などが混在する形となって何だか防火風流の両手取りみたいな地区になって、アンテナの高い外国人などにも好かれる町並みとなっている。

 

歌舞伎町

戦後歌舞伎町は全域がゴールデン街のような闇市バラック状態であったが、再開発をする事になった。

しか高田馬場を始発駅とする西武新宿線新宿駅まで伸びる予定であり、歌舞伎町付近に仮駅を設置された。

当時の西武鉄道経営陣としてはピストル堤と言われた堤康次郎も健在であり、堤は人を騙して土地を買収したり、ピストルの名の通りに暴力による脅迫で買収したり人の土地勝手占有して後に所有権移転したりと、要するにやり手実業家の皮を被ったヤクザであった。しか権力とみっちりと癒着しているばかりかその後に代議士にもなっていた。

その為に歌舞伎町地主たちは鉄道が来るのは歓迎だが堤が来るのはたまらねぇ、として西武の買収に対抗する策を練った。

そこで街路幅はきちんと確保しながらも、その所有区分を細分化、買収しにくくした。それが功を奏して西武も含め、大資本が入り難い地域となっている。道幅を確保しながらも細分化策が功を奏したのは主導的な町会長などが存在した為による。

 

鉄道忌避説は後世の作り話が多い

ブクマページの米でそれは違うというのを幾つか。https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20240313123638

 

流山

流山常磐線忌避したという話は良く効くが、多分これは違う。というのも、地理的条件があるからだ。

田端を起点にして北千住を通り、土浦に至るというのは決まっていた。で、その途中には避けねばならぬ「水」があるわけよ。霞ヶ浦牛久沼手賀沼は避けねばならない。だから柏の先のルートはこれしかない。

問題北千住から柏で、今の南回り松戸ルート八潮三郷流山の北回りルートTXコース)がある。

でも北ルートには難点があって、それは毛長川、大場川古利根川の氾濫域の土壌ぐちゃぐちゃ地帯に入ってしまう。今でも越谷レイクタウン南側田んぼのままで、ここは乱開発すると土地の保水力が無くなり八潮市街出水してしまうので開発禁止の状態になっている。武蔵野線敷く時もまず水路の開削からやって平地なのに築堤築いている。そうしないと列車振動で沈下して線路が狂ってしまう。それくらい地盤が悪い地域だ。

から日本鉄道はここを通るのは避けたかったはずで、そうすると流山に行くのは無理って事なのだ

 

鳩ケ谷

日光御成街道宿場町として栄えた名残が邪魔して鉄道忌避の街になり、ついに川口市吸収合併された、元鳩ヶ谷市とか?東北本線って計画では、王子以北は今の埼玉高速鉄道をなぞってたって言うし

これも違うと言い切れる。地形で説明するよ。

 

日本鉄道熊谷線(現高崎線)は日本で2番目の鉄道なので工事量を減らす為に「ここしか無い」という厳選されたコースを通っているのだ。工事期間がやたらと短いのも特長で、コースを厳選した結果だ。

 

海食崖

上野駅を出た京浜東北線大宮までは中距離電車じゃなくてこっちが元のルートを通る)は赤羽までずっと急な崖の下を通る。この崖だが、真っすぐなのが特長だ。こういう真っすぐな崖というのは海食崖の特長だ。海の崖だね。

地球の海面は氷河期には氷河南極に氷となって蓄積するので海面が下がる。一方、温暖な間氷期には海面は上がり、平野のずっと奥までが水没してしまう(海進)。

縄文時代などの間氷期の海進で、関東平野海の底となり遠浅の海となっていた(奥東京湾)。間氷期の気温で海進の程度は変わり、最大で高崎あたり、縄文時代では大宮までが奥東京湾だった。(そういう訳で、尾久とか東三条には貝塚がある)

海には波がある。この波は真っすぐ進んでドンと当たって止まり、ではない。斜めに陸に当たった時は、陸に当たった後にその勢いは横に流れる。波が引く時はその横向きの流れのままに引く。沿岸流が出来るのである

すると陸の出っ張っている所は削られて、やがて必ず真っすぐな海岸になるのである

まり上野赤羽の崖が真っすぐなのは海進時に波に削られたせいである。

 

波蝕台

波は崖を真っすぐに削っていくが、この時潮の干満により崖の下には平場が出来る。満ち潮では海面下に隠れているが引き潮では通れたりするアレだ。親不知子不知が引き潮の時だけ取れるというアレ。

上野赤羽では小規模な波蝕台が連続京浜東北線はこの上を通る。但し複々線化で判り難くなってはいるが。

この波蝕台跡は他の低地より少し高いか田んぼになっていないので用地買収がしやすい。更に少し高い故に大雨でも出水しにくいし、砂礫が多いので水捌けも良い。線路用地として優秀なんだな。

 

砂嘴

陸地の角があると波による沿岸流はその先に砂を置いていく(漂砂)ので、真っすぐの海岸線が延長された地形が出来る。砂嘴である北海道標津の野付半島京都天橋立が有名だ。砂嘴で延長された浜により沿岸流と漂砂の働きも延長されるから砂嘴はどんどん伸びていき海底が深くなると砂嘴の延長はとまる。

赤羽台地の角なので波蝕台に繋がる形で砂嘴が出来た。

この先で荒川を渡らねばならないので当然線路はこの砂嘴の上を走る。高さを稼ぐ為である。この砂嘴江戸時代荒川開削と田んぼ開発により削られているが、根元だけは残っている。赤羽の北で環八を跨ぐ時の橋台はこの砂嘴に乗っている。

 

荒川川口町

当時蛇行していた荒川を真っすぐ渡る為に(鉄橋の距離が短くなるから)右に曲がり、荒川を渡る。川口方には堤防曽根)があるのでそれを超えると熊谷に向けて左に曲がりながら築堤で地平に降りていく。地平に降りた所に川口町駅設置。川口宿からは離れているが駅は水平でないといけないのでここしか無い。

 

川口町から熊谷まではほぼ真っすぐ

川口町からは当初の終点熊谷、その先の高崎までは殆ど直線なのだが、所々に緩いカーブがある。このカーブの全てには必然性があり、全て工事の最小化の為のものだ。

特に芸術的とさえ見えるのは南浦和北浦和間だ。

https://maps.gsi.go.jp/#15/35.859927/139.661572/&base=std&ls=std%7Canaglyphmap_color%2C0.79&blend=0&disp=11&lcd=anaglyphmap_color&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1&d=m

南浦和までは低地にあるが、この先で大宮台地に登る。そこで沢が削った斜面に入り、他の沢の斜面側面に取りついて高さを稼いでいく。

浦和駅からはもう芸術点が高く、沢山の小さな沢がある所を、最小限のカーブでその谷頭を両側でギリギリかすめるルートを取っている。ここはダッジボーナスが沢山入る所だろう。舞踏家みたいな避け方である

 

大宮から先も小さいカーブ芸術点高いルートを通るが、中仙道に平行している。中仙道自体芸術点高いルートを通っているのでこの区間コピー忍者って感じだ。

 

このルートの良いところはもう一つあって、途中の蕨から中仙道が平行してくるので宿場町近くに駅を造れば集客と集荷が期待できる。更に当時は道が限定されているので、名のある街道に近くないと客や貨物が駅に来れないのだ。

 

当時の日本が高度な測量でルートを決められたワケ

文明開化したばかりの明治日本が、鉄道二本目でこんだけ緻密なルート選定出来たのは何故か?

お雇い外国人英国人の力だけではない。江戸時代新田開発と用水路開削をしまくっていた為なのだ

台地上に水田を作る場合もっと標高が高い場所から用水路を引いてくる必要がある。水は一度低いところに行ってしまったらもう高さが上がらないから、長距離の測量を正確にせねばならない。その技術が蓄積されていた。

 

やり方は結構単純だ。長い木箱を作り(水盛り箱という)、水を入れる。水面は必ず水平だ。両端の水面から10センチのところに糸を張ったらそれも水平だ(水糸という)。

更に両端の水面から10センチのところにライフルの照準的なものをセットする。その照準で200m先を見て、照準が合っている場所はやはり水平だ。200m先に助手が目盛りが付いた物差しを持って立つと、その地面はこっち側からセンチ下/上がっているかが判る。

これをずっと正確に繰り返す。だから両側の谷頭の直ぐ上を抜けるルートなんてお茶の子さいさいだったかもしれない。

 

という訳で、日本鉄道などが造った初期の鉄道路線は土木技術で地形無視って事を極力避けるルート選定をしているので、マクロ的にもミクロ的にも必然性の塊となっているのでありますよ。

2024-03-13

池袋はなぜ怖い感じがするのか

これ自分でも謎なんだけど

なんか怖いんだよな

 

たぶん建物の方向から日の当たり方に問題があるのと

オフィスっぽい無機質な建物が多いからかなぁ

なんか新宿渋谷よりどんよりしてる感じがするんだよなあ

 

____

 

例えば池袋駅の南はそんなに嫌な感じがしない、日当たりもいいし

東口は、南と東が駅ビルで塞がれてるんだよね

グリーン大道りまでいくと大丈夫、嫌な感じはしない

サンシャイン周りは首都高のせいでどんより

西口も、駅ビル太陽は防がれている

北口は、急に開けた空間がでるというか、あとは大体路地だし

路地にはなんかよくわからん人がいるし

なんかなあ

良くないのは主に駅周辺だけだな、5分10分あるくと割りといい感じ

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