はてなキーワード: 難解なとは
1週間ぶりだね
買うな、俺は買わないと言いながらも200円だけNHKマイル買ってしまって当たり前に損する競馬増田だよ
さて今週はヴィクトリアマイルだね
春の最強牝馬決定戦という意味合いがあるので、適性外の牝馬も出てくる難解なレースだよ
でも、馬券が当たるとか当たらないとかはおいておくとしても、今年は役者がすごく揃ったのでとても楽しみなレースだよ
しっかり予想して、少額でも馬券買ったらもっと楽しめるから、一応ちゃんと考えよう!
となっていて、人気順で買っても当たらない、とても難解で荒れるレースと言えるよ
その反面、過去10年で馬券に絡んだ30頭のうち16頭は5番人気以内だよ
5番人気以内が馬券内に2頭入った年はは10年中6回あって、5番人気以内が1頭も絡まなかったレースは1回だけだよ
5番人気以内、というキーワードで注目すると難解さのわりに取れるチャンスがあるレースだよ
また、アーモンドアイやグランアレグリアのような、牡馬も凌ぐような絶対女王が出走した場合はきちんと勝っているし、ブエナビスタも敗れはしても2着に入ってるよ
何より東京1600mというコースは堅い決着になりやすいコースとして有名だよ
同一コースでもNHKマイルカップは力関係も変わりやすい3歳馬で、色んな路線からやってきて初顔合わせもあるため予想は難しいのだけど、古馬の東京1600であるヴィクトアマイルが本来は難しいはずはないんだよ
ところが荒れてしまうのはなんでなんだろうね?ということを考えるといいんじゃないかな、と思うよ
また、気になる点としては、東京1600は枠の有利不利がほとんどないコースとも言われているけども、ヴィクトリアマイルはなぜか内枠がはっきり有利な傾向が出ているよ
これなんだけど、有利不利はない、って話が本来、強い馬は外に行っても勝つ、って話なだけで、突出して強い馬がいなくてみんなが同レベルなら当たり前だけど内枠が有利だよ
さらに、ヴィクトリアマイルの週からBコースにかわるため、内の荒れた馬場を使わなくなって、内外の馬場の差は一応はなくなるよ
馬場の差が内外でない=内が有利ってことで、それがそのまま結果になってるってことだと思うよ
要するになんだけど、ヴィクトリアマイルの難解さって、本来差なんかないドングリの背比べなのに、無理やり序列をつけようとしているから、荒れたように見える、ってだけの話なんだと思うよ
言ったら失礼かもしれないけど、牡馬含めてガチンコでやるレースと比べたら突出した馬がほとんど出走しなくて低レベルって話になってしまうと思う
実力馬も外に行けば3-5着とかになるし、人気薄も内枠に入れば勝ちまで狙える
違う世界線で10回同じレースをしたら、10回ともバラバラの結果になるようなレースなら、予想に意味なんてないんだよ
仕上げ具合の差もあるよね
強い馬からすると、天皇賞やダービーなんかと違ってヴィクトリアマイルを最終目標としない子も多い反面、G1を狙えるとしたらここしかない、みたいな力が劣る子がメイチで仕上げてきたりもするよ
その仕上げの差は結果の差になるよね
しかし、今年に関して言えば、役者が揃っていて上はハイレベルに見えるので、例年のように荒れた結果にはならないんじゃないかと予想しているよ
というわけで
手掛かりは古馬の牡馬ともG1レベルで互角に渡り合って勝ち負けできている馬がいれば、その子に関してはレースが荒れるとか、疑う必要はないと思われる
今回のレースに関して、そんな馬がいるのか?というといる、4頭もいる
疑いのないのが1頭
まあほぼそれに該当するというのが1頭
実績から言えば該当するけどこのレースでその実力を発揮できるかわからないのが2頭だよ
ソダシは、札幌記念とフェブラリーステークスがそれに該当するので、まあ、当てはまってるっちゃ当てはまっている気はするけど、札幌記念で最も強い相手が牝馬だったのと、ダート競走のフェブラリーステークス3着をそのまま高評価してええんか?というと少し考えてしまう
デアリングタクトも伝説のジャパンカップがあるから一応クリアしてると思うが、故障明けだから参考外
レシステンシアは、昨年高松宮記念2着、スプリンターズステークス2着だし、短距離ならば間違いなく当てはまっている。
けど、今年の高松宮記念敗戦と、昨年のヴィクトリアマイル、一昨年のマイルチャンピオンシップを考えるとまた印象違うよね、という感じ
さし当ってはこの4頭の見極めをまずしなきゃいけない
この4頭のうち、今回のレースでばっちりハマる!いける!と踏んだ子が見つかれば、それは信じていい
強いけど荒れるからなー、とか思わなくていいと思われる
でも、実際問題、デアリングタクトとレシステンシアを不安なく信頼できる人はいないだろう
現実的にはつまり、レイパパレとソダシの2頭の見極めが予想のスタートラインでしょう
レイパパレに関しては大阪杯をメイチに仕上げていて調子が落ちているかどうかが懸念点
ギリギリまで仕上げていたら通常はその後休養させないとリフレッシュしないもの
そこがどうなのかをきちんと見極めたい
一応短期放牧にも出ているし、1週間前追い切りも悪くなく、調子維持という話
調教の動きに怪しさがないなら信頼していいのでは
マイルレースが久々だけど、スピードに不安はないし、むしろ2200でよく善戦してたなという印象
1600は川田も待ち望んでいたそうだし、ファンだって待っていた面はある
適性は疑う必要はないでしょう
最終追い切りと枠の発表を待ちたい
ソダシは急にやる気なくしたり根性出すのアホらしくなったりする気分ムラのある子だから難しい
これはパドックから返し馬で見るしかないかもしれないし、見ても馬の気持ちなんてわからんから何とも言えない
信じるかどうかでしかない
あとダートから芝の走りに戻れてるか、だけど、そこはそんな問題じゃないぽい?
ただ、本気出せたのなら、一般的に思われている以上の能力は持っているはず
地方競馬ちょこちょこ見てる増田からすると、中央G1で3着絡む馬なんて化け物だしパワーは牝馬では抜けてるだろう
ソダシ自身がこれ以上ないくらい本気を出してくれるなら、適性ばっちりのマイルならレイパパレにだって負けないだろう
まじで馬の気持ち次第
今回の予想で一番難しいのはここ
デアリングタクトは故障明けで今回はちゃんと走れたらそれで満足、みたいなところもあるだろうし、宝塚記念が目標という話もある
故障明けでいきなりギチギチに仕上げることもできないだろう
楽しみではあるけど、勝ち負けのレベルかは疑問に思っている
案外あるでってなったら当然無視できない
レシステンシアは阪神JFや桜花賞でマイルG1の実績はあるけど、古馬マイルG1は2回出てて8着と6着
弱くはないけど、短距離のイメージほど、マイルで強い馬とは思えない
距離延長に対応できるように仕上がっているかどうか?がポイント
個人的にはタワーオブロンドンが高松宮記念負けて終わったように、レシステンシアもピークは過ぎた気がしていて、全盛期で無理だったマイルに今更行けるんか?と思うとちょっとダウト
でもさー、それこそが穴馬って感じもするんだよねー
冷静に実績、実力だけを見れば、その力は疑いようがないわけ
もしレシステンシアが勝つようなことがあれば、なんで切ってしまったんやろ、って思うよね
なやむー
ソングラインやファインルージュはもちろん有力だと思うし、実力は上位にほとんど迫っている気はする
上の4頭、というか上位2頭が少し本調子じゃないだけで十分勝つチャンスがある馬だと思う
他にも、アンドヴァラナウトやテルツェット、マジックキャッスルみたいな、阪神牝馬Sとか、牝馬の前哨戦を戦ってきてここでメイチ、みたいな馬もいるし、そういう馬も穴をあけるチャンスは十分ある
この辺の上がり馬的な立ち位置の馬の、本当の実力の評価はアンカツさんの評価が大体当たっていると思うので、なんと言うのか待ちたいと思う
もし、レイパパレからレシステンシアまでの実績馬4頭のうち、これだ!信じられる!って馬が見つからなかった場合
例年並みの、どんぐりの背比べレース、つまり、荒れる、と言われる結果になる可能性が出てくる
3着まで、というなら全頭にチャンスがあるのは例年の傾向が示しているところだし、何が起きても不思議はない
けど、今回に関しては、上がしっかり強い分、勝つ馬は5番人気以内だろうし、おそらく3着内のうち2頭以上は5番人気以内で占めると思っているよ
とりあえず今回はいつも以上に調子、仕上げの見極めと、枠の差は大事
全てはそれが判明してから考えたいですね
その対策として、投票が記名式でなくマークシート式になったら良いのにと心から思った。
そもそも、外国から来た方もだんだん増えているのに、難解な「漢字」というものを記入させる記名式はやはり問題だと思う。
それに、マークシート式なら機械的なチェックが可能であり、案分票もなくなるので、開票作業が圧倒的に早くなるだろう。
今のように、人海戦術で一つ一つ目で見ながら開票するなんて、まさに税金の無駄遣い。無駄遣い叩きが大好きな国民が、なんでこのことを問題にしないのだろう。
あと、マークシートの場合、候補者が確定しないと投票用紙が作成できないという問題があると言われるが、これは候補者に番号を付けることでほぼ解決できる。早期の変更を望みたい。
1946 年の内閣告示により 1948 年に制定された「当用漢字」は、
1973 年に改訂され、1981年に「常用漢字」の制定にともない廃止されました。
1973 年の改訂では、添付文書で改訂の趣旨について以下のように述べています:
・改定に当たっては,昭和23年内閣告示の当用漢字音訓表の持つ制限的色彩を改め,当用漢字改定音訓表をもって,漢字の音訓を使用する上での目安とすることを根本方針とした。
これは、1946年~1948 年に制定された「当用漢字」には制限的な意味合いがあった
ということを公式に認めたものだ、と読むこともできます(表現規制だぁーww)。
では何故、「制限的色彩」があったかというとあったかというと、
わが國において用いられる漢字は、その数がはなはだ多く、その用いかたも複雑であるために、教育上また社会生活上、多くの不便があつた。
大本営発表をはじめとする政府(特に軍部)から出てくる公式文書や、
戦中の御用メディア(当時の新聞)の文章が大袈裟で難解な漢語表現ばかりで
「なんかスゴそうだけど、よく考えたら意味不明だった」「あの表現に騙された」という感覚だったんだろう。
つまり、大きな流れとしては、1946 年に戦中の反省から「当用漢字」ができて、
1973 年に「そろそろ戦争の反省より実用性かな」というノリになり、
中曽根康弘が総理大臣になる(1982年)ような時代になって廃止されたということですね。
というようなことを週末に家族と話してたんだけど、
月曜の朝にミリタリークラスタが「鹵獲」なる言葉を使ってるのを見てモヤった次第です。
英語だと「キャプチャー」という日常の言葉と地続きのフツーの言葉なのに、
日本語の「鹵獲」はどの辞書を引いても戦争や軍隊という文脈限定の
自分は(他人もだけど)専門用語を多用したくなったら要注意だと思ってる。
専門用語を多用したがる「気持ち」はどこからやって来るんだろう?
ここに書いた内容から察して俺におすすめの漫画を教えてほしい。
ジャンプ+も全部読んでるわけじゃないんでこれが抜けてるっていうのがあったら教えてくれ、あ、ファイアパンチは読んだぞ。
ヒーローと太ももが好きなやつには間違いなく刺さる、俺には刺さったね。
アクションシーンが分かりにくいっていう不満もあるんだけど、そこはアニメ見て補完せよってことなんだろう。
アニメ見るのは苦手なんだけどこれは太もものためにも見てみようと思ってる。
話が短い中でよくまとまっている、1本で完結する映画を見ているような感じ。
連載が途中で途切れてしまったので記憶の彼方にある人もいると思うんだけど全話通して読み返してほしい。
最近良く見るサキュバスものの中でもかなりギャグよりの漫画、真面目に読めば性癖についてもう少し強く考えることが出来るかもしれないし、そうじゃないかもしれない。
サムネイルの絵にあまり魅力を感じていないので読んでいなかったのだけど、ふとした拍子に読んでみると気がついたらコイン払って一気読みしていた。
縦読み漫画が珍しいことはさることながら、画面内の配置(こういうの何ていうの?)などが素晴らしくてSFの難解な部分はさっぱり分からなくても漫画は分かるぜ!という気持ちで読める。
首を捩じ切るシーンがよくないんかね?
サムネイルの絵にあまり魅力を感じていないので読んでいなかったのだけど、ふとした拍子に読んでみると気がついたらコイン払って一気読みしていた。(その2)
DJ漫画では無い気がするし(そもそもDJ漫画とは?)料理漫画でもない、ギャグな気がするけど多分ギャグでもない。
正直、この漫画の魅力を言葉に出来ないのだが気がついたら一気読みしていたんだ。
俺が何か言うことなんてなにもないよな、面白いし読んだことない人は読むといいよ。
俺が何か言うことなんてなにもないよな、面白いし読んだことない人は読むといいよ。
アニメは見ない人間なので初めての魔法少女もの体験だったんだけど魔法少女ものというジャンル、なかなかいいじゃないですか。
魔法少女ものに限らずカワイイ女の子がたくさん出てきてキャッキャウフフしてる作品が全般的に苦手なんだけど、きっと魔法少女というジャンルはそういう話じゃなかったんだね、
多分ミステリー、芸能界もアイドルもよくわからんけどこの漫画は面白いよ。
これもなんだけど俺が何か言うことなんてなにもないよな、面白いし読んだことない人は読むといいよ。
個人的には柳さんが好きです(一緒に働きたくはないけれど)。
内容も決して悪くないので少しでも気になったら単行本買ってくれー
全く違う。
現代の英語教育は、英文学を原文で読むことなどを到達目標としていない。
一昔前の受験英語ならともかく、現代の英語教育で難解な文学や評論が題材とされることはまず無い。
高校生が到達すべき目標を設定して、「この程度の単語や文法が分かれば、このくらいの文章が読める」という分析をきちんと行っている。
一方、古典の教科書には「桐壺(源氏物語)」とか「鴻門之会(史記)」などが掲載されている。
それを読むための必要事項はほとんど解説されないし、それを頑張って読解しても何の役にも立たない。
平安時代の古文常識は江戸時代の古文を読むときには何の役にも立たないし、時代が異なれば使われる語彙も大きく異なる。漢文の場合はさらにひどく、ある作品で出てきた難熟語を覚えてもそれが他の作品の読解に役立つ局面はほとんど無い。
渡辺明王将(名人、棋王)に藤井聡太竜王(王位、叡王、棋聖)が挑む第71期ALSOK杯王将戦七番勝負は、2022年1月9日、静岡県掛川市の掛川城で開幕した。王将含む三冠を保持する渡辺と、竜王含む四冠を保持する藤井。三冠と四冠によるタイトル戦は史上初で、文字通りの頂上決戦である。両者によるタイトル戦はこれが3回目だが、2日制のタイトル戦を戦うのはこれが初めて。より深い次元で互いの読みをぶつけ合う、最高峰の舞台がここに整った。過去2回のタイトル戦では、藤井の前に敗れ去った渡辺。初となる2日制の対局で、藤井相手にどのような将棋を見せるのか。戦前に今回のタイトル戦を「(自らにとっての)正念場」と語った渡辺、過去6戦全勝と抜群の相性を誇る掛川城で、最強の挑戦者を迎えた。
戦型は相掛かり。振り駒で後手番となった渡辺は、比較的穏やかな形を選択し、自然な駒組みを続けた。先手番の藤井がどのような作戦に出てくるか、その動きを静かに待つ。
盤上に突然の嵐が吹いたのは41手目。藤井が指した▲8六歩という一手は、盤上に突如緊張を走らせた。この▲8六歩という一手は、将棋をある程度知っている人からすれば、思わず何事かと凝視してしまうような衝撃の一手である。この8六の地点は、盤上にある一つの「火種」。後手からは、△8六歩▲同歩△8五歩と合わせる継ぎ歩の攻めや、△8六歩▲同歩に△8七歩と垂らす垂れ歩の攻めがある。さらには桂馬を跳ねてくる手もあり、やられる先手としてはどれも相当に嫌らしい攻めである。できれば先手としては触りたくない火種に自ら歩を伸ばしたのだから、解説陣は騒然。立会人で永世名人資格保持者の森内俊之は、「何が起きたのか、すぐには分からないくらい衝撃的な手」と評した。
盤上に嵐を読んだこの手だが、藤井がこの手を昼食休憩の直前にさらりと指したことにも衝撃が起こった。このような大胆な手があったとして、普通は休憩後に一呼吸置いてから指すのが定跡である。大胆な手は後に引き返せないし、休憩前に指してしまえば、休憩中に相手の渡辺に考える時間を与えてしまう。勝負術という面でも、休憩後に指すのが有効と思われるところ、藤井は何事もないかのようにその一手を指した。ただ、この「▲8六歩」という一手は、初見なら相当な衝撃を受ける一手だが、すでに類似形の将棋も現れており、トッププロの間では水面下で着々と研究が進んでいるという見方もある。藤井にとっては、この手は大胆でも何でもなく、すでに嵐は過ぎ去った後なのかもしれない。現代将棋は、ものすごいスピードで変質を遂げている。昔は、2日制の将棋といえば、1日目は互いの了解で通い慣れた手順をなぞるだけ、本格的な解説もほとんどないというような時代もあった。しかし、現代ではそんなことは全く通用しない。2日制の1日目から、研究がぶつかり合い、激しく火花が散るのが現代将棋である。1日目の、まだ昼食休憩も迎える前に時間に放たれた「▲8六歩」の一手は、かつての常識が全く通用しない、むしろかつての常識を全て疑ってかからなければ始まらないという、現代将棋の一端を高らかに宣言しているかのようだった。
藤井に大胆な一手を提示された渡辺は長考に沈む。藤井が自ら突っかけてきた▲8六歩を咎める手順はないのか、それともこれは「罠」か。非常に悩ましい時間だったと思う。長考すること1時間31分、昼食休憩も含めば2時間30分以上も考えた末、渡辺は△1四歩と反対の端の歩を突いた。藤井が突き出した歩には触らず、引き続き戦機を窺う一手だった。
藤井の▲8六歩は、本当に突いて大丈夫な一手なのか。危険はないのか。それは、これから研究が深められる点であり、まだ分からないとしか言えない。ただ、盤上の形勢を示すAIは、▲8六歩が指された後も特に波打つことはなく、「互角」を示し続けていた。盤上に嵐が来たと人間が騒然とする中、その静かな波形はどこか不気味だった。嵐とは、これまでの価値観に囚われた人間だけが見てしまう、幻のようなものに過ぎないのかもしれない。
その後はじりじりとした難解な手順が続いた。互いに間合いを取り合い、ひりひりした駒のポジション取りと鍔迫り合い。何がどうなっているのか。つかみどころのない将棋だった。この将棋には「羅針盤」が見当たらない。羅針盤を取り出したところで、針は決まった方位を示すことはなく、ただ揺れ動くだけである。羅針盤が機能せず、どこにどのように進めばいいのか分からない。そのような中で、二人の対局者は(AIが示すところによれば)均衡を保ちながら進めていく。これが現代将棋の最先端かと、半ば呆然とするような気持ちで盤面を見つめた。
戦機は熟し、堰を切ったように局面は動き出した。ここからの応酬も難解を極めており、私には手の解説をすることなど到底できない。ただ、難解な応酬の中で感じられたこともあった。それは、渡辺明が、今回の王将戦に向けて、自身の将棋観を相当にアップデートしてきたということである。
「玉の守りを固めた後、細い攻めをつなげる」。かつての渡辺が得意にしたスタイルはもはや見る影もない。渡辺は現代将棋に対応するため、バランス型の将棋に棋風をシフトさせたが、今回はそれをさらに進化させてきたということが随所に感じられた。戦いが始まり、渡辺の玉の周りには守り駒がほとんどない。74手目、△4四金と強く盛り上がって、玉の周りの8マスにはついに一つも駒がなくなった。裸の王様。藤井の攻め駒が前に出てきており、傍目には相当に怖い。しかし、これでも均衡は保たれている。堅さより「広さ」「バランス」。ここにも現代将棋の価値観が現れていた。このような将棋において、「囲い」の概念はすでに消失している。戦いは、盤上の空間を広く使って起こさなければいけない。駒の価値、手の価値に定まった指標はなく、局面によってその価値は微妙に揺れ動いている。玉はもはや、周りの駒に囲われ、ただ守られている駒ではない。玉もまた戦っている。盤上を泳ぎ、時には自らが攻め駒にもなる。盤面は液状化され、局面に羅針盤はない。難解熾烈を極める現代将棋だが、37歳の渡辺明はここに来てさらに自身の将棋観をアップデートさせてきた。新時代の棋士、藤井聡太を挑戦者に迎えた番勝負への覚悟は並大抵のものではなかった。そうして、濃密で難解な異次元のねじり合いは演じられた。
将棋は激戦のまま最終盤に突入し、双方1分将棋を迎えた。互いにどうなっていたのか分からないと述べた大激戦。「終盤は悪手の海を泳ぐようなもの」。1分将棋では、到底全てを読み切ることはできない。二転三転の展開で、双方にチャンスがあったように見えたが、最後は藤井が渡辺玉に生じた長手数の詰みを読み切っていた。1分将棋の中を抜け出したのは藤井。大激戦を制し、七番勝負の初戦を白星で飾った。
この将棋が終わった時にまず湧き起こったのは、勝敗についての感情ではなく、「この将棋を永遠に見ていたかった」という思いだった。最後は1分将棋という制約の中で、盤上は1つの結末を迎えた。しかし、この将棋には途中で気の遠くなるような、膨大な数が分岐があり、この結末はその中のたった一つでしかない。もし、持ち時間が無制限で、両者が次の一手を極限まで追求できたとしたら、この将棋はどこまで均衡を保っていたのだろうか、そんなことを思った。実際には、持ち時間が無制限というルールは不可能だし、仮に無制限に考え続けたとしても、膨大な分岐がさらに膨大に広がるだけだろう。81マスと40枚の先にある結論には、まだ誰もたどり着けていない。人間はいったいどこまで行けるのだろうか。番勝負の行く末のはるか遠くにあるそんなことを思うような、壮大な将棋だった。
渡辺明と藤井聡太。人類最高峰の番勝負を生で見届けられる僥倖に感謝しながら、次局以降も、一局でも多くの熱戦が繰り広げられることを期待したい。
仮想システムを構築するにあたり、CIFS しか使えない NAS をバックアップ用に選定してきた SI 屋さんが居たので、CIFS と iSCSI のどちらが早いのか、試してみました。
テストに使う NAS は QNAP の Turbo NAS TS110
http://www.tekwind.co.jp/products/entry_6719.php
です。もう6年以上愛用して、カビが生えてもおかしく無い程に古いし, Marvell 800Mhz という低スペックな Qnap NASです。 100Mbps 時代のモノです。
昨年、HDDがお亡くなりになったので、3Tb の HDD に交換しました。ファームウェアはこんなに古い機械でも、QNAP シリーズの最新バージョンが利用できます。
iSCSI は、今あまり見なくなりましたが SCSI ケーブル規格や、SASケーブル接続のハードディスクを、一般的なIPネットワークで規格で仮想化したものです。
マウントするホストシステム側は iSCSI initiator, ディスクストレージの機能を提供する側を iSCSI Target と呼びます。
ホストから「マウントするしない」はイニシエータ側のソフトウェア的な操作で行います。これは便利な機能で、ディスクの故障などで、一時的に物理的に取り外さなければいけない場合でも、ホストからの操作だけで実際のケーブル結線の脱着を行う必要がないので、今時での SAS の外付けディスクドライブの様に、ホストもシャットダウンして電源を切り、結線を外して修理、交換する、という必要がないので、ディスクデバイスの修理をホストの電源を止めないで実施できると言う、実に便利な事ができます。
という事で、仮想環境では実に使いやすいストレージデバイスなのです。
マウントするホスト側から見ると単純に SCSI/SAS のハードディスクに過ぎません。iSCSI のストレージをマウントしてからは、通常の増設ディスクの様にフォーマットして、ホスト側で使う一般的な XFS, ext4, NTFS などのフォーマットでフォーマットする必要があります。
Linux の iSCSI ターゲット側からは、内部にターゲットとして使う「巨大なファイル」が、どん! とあるだけです。この巨大ファイルを、イニシエータ側に仮想ディスクイメージとして提供しています。当然シンプルな仮想イメージなので、ファイルそのものをバックアップコピーすれば、ストレージのイメージそのもののバックアップができます。
※ qnap NAS の場合、iSCSI イメージは、 /share/HDx_DATA/.@iscsi.img の下にドンと作られるようです。
[Solved]How to mount iSCSI file?
https://forum.qnap.com/viewtopic.php?f=180&t=25322
[/share/HDA_DATA/.@iscsi.img] # pwd
[/share/HDA_DATA/.@iscsi.img] #
[/share/HDA_DATA/.@iscsi.img] # ls -l
-rw------- 1 admin administ 6442450944 Nov 12 2017 iSCSI-2015ace1-5a078d66.000
-rw------- 1 admin administ 1073741824 Jun 24 09:52 iSCSI-lun4-5d0de534.000
-rw------- 1 admin administ 107374182400 Nov 4 2015 iSCSI-nss01-56399e1a.000
-rw------- 1 admin administ 5368709120 Nov 11 2017 iSCSI-nss2015-5a06cf6d.000
-rw------- 1 admin administ 21474836480 Jun 22 17:11 iSCSI-test-56b3ce90.000
-rw------- 1 admin administ 5368709120 Jun 22 17:11 iSCSI-test-56b3ce90.001
[/share/HDA_DATA/.@iscsi.img] #
※ とても重要
CIFS/NFS のファイル共有NAS と違い、iSCSI でマウントして一つのターゲットを制御できるのは、一つのホスト、一つのイニシエータだけです。複数のホストからイニシエータでマウントする(できちゃいます)と、ファイルの排他制御は行われないので、ファイルシステム自体の不整合が起こります。
つまりファイル共有という目的には向いていない、という事です。あくまでも iSCSI ターゲットはネットワーク上の仮想ディスクです。
もっとも、一つのホストからマウントしてファイルを保存して、いったんオフラインにして、ターゲットを別なホストからマウントする、という事はできます。また、ターゲットは一つの iSCSI デバイスで複数作れるので、1台の iSCSI 装置に複数のターゲットを実装して、複数のホストから別々のターゲットイメージをマウントする事は問題ありません。
極端な話、ホストのハイパーバイザーは USB メモリやSANブートさせて、後はマウントした iSCSI の仮想イメージ上で、仮想マシンを動かす、HDDレスなハイパーバイザー運用もできます。
物理的な転送速度は、ネットワークの速度とディスクデバイスの性能に依存します。当然 10Gb base のネットワークカード、HUB、高規格なケーブルを使えば、論理的な性能は 10Gbps です。大抵は NAS の性能がそこまで出ないのですけどね。ヨドバシカメラあたりで売っている 4,000 円程度の 1G HUB でも、そこそこの性能が出てしまいます。
距離は、IPがつながればどこでもなので、ホストコンピュータとメインのストレージを自社のサーバールームに置き、イニシエータを動かし、バックアップ用の iSCSI ターゲットをデータセンターに置く、なんてこともできます。
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感想(0件)
iSCSI の耳慣れない言葉に LUN (論理ユニット番号 : Logical Unit Number)というのがあります。
昔の SCSI は、 SCSI バスアダプタに7番のIDを振り、残りの 0 ~ 6 のディスクや CD, Tape などに ID を振り分ける物理的な3ビットのディップスイッチやジャンパ端子が付いていました。これが SCSI アドレスです。
これが実に難物でした。特に、複数の SCSI バスアダプタカードをデュプレクス設定する場合、割り込み番号も別々にするので、手が滑ってジャンパピンを飛ばして床を這いまわって探したり、難解なディップスイッチを前に数日悩んだものです。
つまり一つのSCSIバスには 0~7の合計8台(うち大抵7番はSCSI バスカード)の物理ユニットデバイスがつながって別々に見えたという仕組みだったわけです。
ところが SCSI バスを使った Raid コントローラが出てくると、ディスクの鈴なりが、一つの物理デバイスに見えてしまうわけです。これを「論理的な仮想番号」に分割して、システムからは、単一の鈴なり Raid ディスクを複数の論理番号に分割したわけですね。
これが LUN というヤツです。
iSCSI 機器のターゲットも、内部のソフトウェア的に複数の論理デバイスに分割して、複数のホストコンピュータから複数の物理デバイスのように見せかけるわけです。
別々な LUN は一つ、あるいは複数の iSCSI 機器によって、複数のホストに別々のディスクデバイスとして見せかけるンです。
https://en.wikipedia.org/wiki/Logical_unit_number
Qnap NAS の場合、iSCSI ターゲットはウィザード形式で簡単に作成できます。EXT4 ファイルシステム上で、オンラインでも簡単にサイズの拡大ができるので、 Windows の Storage Server のように NTFS の VHD 形式ではないので、そこそこ性能が出ますが、いかんせん古さと遅さは否めません。
Qnap NAS の iSCSI ターゲットの設定は、偉そうな Linux 系サイトに書いてある程、面倒なことはありません。ストレージマネージャから iSCSI タブにあるウィザードに従って iSCSI ターゲット名に任意の名前を付けると IQN にその文字列が追加されるだけです。わざわざ vi エディタに「正確に」綴りを間違えずに設定する必要もありません。ここでは Chap 認証は付けませんでした。
仮想化時代の NAS 選び - やっぱり iSCSI は早い。_a0056607_16405779.jpg
機械は古いのですが、逆に言うと、「古くて遅い」ため、サーバーとNASとの接続プロトコルの性能差が、如実に現れる事になります。
QNAP TVS-951X 10GBASE-T/NBASE-Tポート内蔵
Windows10 の Microsoft 製 iSCSI イニシエータは「コントロールパネル」>「システムとセキュリティ」>「管理ツール」の中にあるので、ここで、設定済の iSCSI 「ターゲットを」 「検索」して選んで「接続」します。Chap 認証を付けておいた場合はターゲットで設定したパスワードが必要でしょう。
仮想化時代の NAS 選び - やっぱり iSCSI は早い。_a0056607_16412132.jpg
新規に作成して、接続した後は、フォーマットされていないため、ディスクマネージャからフォーマットして使います。ちなみに、フォーマットして利用した iSCSI ターゲットの仮想ディスクは、他のマシンでマウントすることもできます。つまりHDDを取り外して、他のPCに繋げる事と同じことですね。
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ちなみに opeSUSE で使うにはこんな感じになりました。
open SUSE Leap 15.1 で iSCSI NASを使ってハマった
https://islandcnt.exblog.jp/239328437/
一番イラつくのは、巨大なファイルの転送でしょう。という事で 3G 程ある SUSE Linux のインストール用DVDの ISO ファイルを CIFS でコピーしてみます。
仮想化時代の NAS 選び - やっぱり iSCSI は早い。_a0056607_16414334.jpg
3分11秒かかりました。1Gビットネットワークで 12~3% 程度の帯域を使って通信しています。明らかに古いNAS の性能が足を引っ張っているようです。
スループットは 150Mbps 程度で全体の最大15%程度でしょうか。
仮想化時代の NAS 選び - やっぱり iSCSI は早い。_a0056607_16415832.jpg
仮想化時代の NAS 選び - やっぱり iSCSI は早い。_a0056607_16422170.jpg
初速は出るのですが、その後は、ボロイ TS-110 の性能がモロに出ます。それでも 20 MB/s から 25 MB/s 程度は出ています。
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2分25秒でした。 大体20%程度のスループットです。
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数字に弱い私の脳みそですが、 iSCSI は CIFS より 1.5倍くらい早い、という事が言えます。
Zabbix で QNAP TS-110 の I/O を見てみると、前半の CIFS アクセスより後半の iSCSI アクセスの山が高い事がよくわかります。
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CIFS を使ったリモートディスクのマウントは、他のPCからもアクセスができる、というメリットがありますが、iSCSI は単一のホストからのアクセスしかできません。<--- これ重要.... -- もっとも、ターゲットストレージを複数作って複数のサーバーから異なるデータ領域にアクセスはできますが -- バックアップ用途や、サーバーの増設ストレージとして考えれば、良い選択であると言えます。
もっとも、iSCSI デバイスそのものは、ターゲット単位で別々なホストから接続できます。しかし同じターゲットで別々のホストからイニシエータから繋ぐと、とても笑いごとにならない事態になるので、普通やりません。
ハイパーバイザー同士で一つのターゲットを共有してライブマイグレーションはしたことはあります。
こうした性能のわずかな違いが、仮想化システムのハイエンドな領域で違いとなって出てきます。なお Qnap でも openiSCSI でも Windows Storage Server でも取った領域そのままのサイズのでかいファイルが作成されるようです。
国産 NAS の「ハイエンド」と称する「LANxxxx」などのモデルでは Windows Storage Server を使って NTFS フォーマットしています。Windows Storage Server は見た目 Windows サーバーそのものなのですが、ところどころちゃんとデチューンされているようで、SOHO向けが限度です。
こういった国産 NAS メーカーの製品カタログでは、「ハイエンド」は Windows Storage Server を搭載して、低価格のNASは Unix 系のシステムで「低価格」を謳っていますが、そもそも、上位モデルは、CPUやメモリの性能が高いものが使われています。性能が違うのは当たり前なのですが、あまり性能が出ないだろうと思います。
Windows Storage Server じゃなくて、ちゃんとした Windows Server と CAL 買えよな、という事なのですね。
このあたりは独自OSを NAS としてチューニングした Qnap や Synology, asuster などの iSCSI 機能付きの NAS を中規模ネットワークのミドルレンジの NAS として利用したほうが良いと思います。
仮想環境でのネットワークアタッチストレージ(NAS)は、本回線(構内LAN)とは切り離し、ストレージ専用のネットワークとして独立して運用させるのが基本です。サーバーとNAS間で凄まじい通信が発生します。サーバーNICが2ポート以上のものが推奨されます。
iSCSI はあくまでもネットワーク上のストレージのみの機能を提供するものであり、ファイル共有の手段ではない、という事です。
NAS をCIFSで使うと NAS が持つ独自のアクセス権限を設定しなければなりません。セキュリティも当然 NAS 独自の機能で設定します。
iSCSI はあくまでも「外付け SCSI デバイス」のネットワーク版なので、マウントする側のOSそのもののファイルシステム、セキュリティ機能、アクセス制限がホスト側の機能をそのまま利用できます。セキュリティ的には、マウントする際のパスワード制限しかないので、独自のストレージネットワーク内に配置すべきで、ユーザが使う構内ネットワークに配置すべきではありません。
まず、別にドラマに対するヘイトじゃないし、企業努力を否定したい訳じゃないのは分かっておいて欲しい。あと俺はこの件に関してブログの記事とか書いてないから、今書いてる人を疑ったりするのはやめて欲しい。単に感じた変化や違いを書いていくだけだから、意見表明はそこまでするつもりはないです。
エヴァ・すかすか・Undertale・まどマギとかの難しめの作品に昔から「考察」ってあったと思うんだけど、最近話題の「考察ブーム」のメインストリームってそれとはかなり質が違うかもしれないなぁって思った。
昔ながらの考察は知る限りは(さらに歴史の古い評論的なものを除けば)「作品のよく分からない部分を解釈する」ものなのに対して、ブームの中心となっている考察は「作品に散りばめられたヒントから、意図して隠されたものを探す」というものになっている。
こう書いても違いがあまりハッキリしないので例を出すと、例えば「『□□(作中の用語)』は○○という意味で⋯⋯」は前者に、「『□□』という証拠から、次の話で明かされる真犯人は○○に違いない」は後者に含まれる。
ここまでは当然のことだと思うので、それがどんな需要から生まれたものなのか?ということを考える。
まず、「作品のよく分からない部分を解釈する」従来の考察においての需要は当然「作品のよく分からない部分を理解したい」という"単なる好奇心"から来ているんだろうと思う。エヴァなどの難解な作品に触れて考察記事などを漁ってみたことのある方なら分かるだろうが、少なくとも自分にとって考察記事は引っかかりのあった部分を説明して欲しくて漁るものだ。
やる側、つまりそういう記事を書いたり、動画を作ったりする側の動機は単に(例えばキリスト教、哲学などの)知識をひけらかすことだろう。
(たぶん誰にでもある欲だから悪いとは思わない。そういう動機があるからやるのだということ)
対して、新しい形の考察は「次に明かされる真実を描写から予想する」というもので、需要は同様に"好奇心"からくるものだが、「考察をやる側の動機」は別のところにあると思う。
考察ブームを盛り上げている作品は、謳い文句や関連の記事などから「考察ブームを巻き起こし、SNSで話題」らしいとわかる。
つまり、(少し飛躍はあるかもしれないが)「SNSで考察が盛んに行われている」と読み取れるし、実際、ハッシュタグなどでツイートを検索しても沢山のファンが色んな説をツイートしているのが見られた。
(破綻したものはかなりあったが⋯⋯まあ色んな層に広まったということだろうと思う)
また、それ以外に特に謳い文句はない。例えば、エヴァの旧劇は「人間関係」が大きなテーマとして広告(特にポスター)に組み込まれていたと思うが、そういった他のテーマは全く見られない(ディスではありません!念の為⋯⋯推理という形の考察に特化した作品だということです)
ということは、「SNSで考察が行われること」を主軸に据えた作品だということになる。
では、この「SNSでの考察」を行う人の動機はなんだろう?話題になった作品には、色んな学問の知識をひけらかせるような引用は特にないはずだ。
真実だと思うものを予想して、考察として投稿し、当たったら周りに自慢できる。自慢というのは評価されることを前提にやるものだから、承認欲求や自尊心を満たすものだと言える。(世の中は相手を傷つけるためだけに自慢を言う異常者ばかりではないと思うので)
また、次のエピソード(あるいは、他に公式が明示するもの)が公開された後にはアタリとハズレがある以上、戦略のあるくじ引きとして捉えることが出来る。(自分の仮説の前半が正しいとすれば)アタリなら承認という快楽を得られるのだから、こういったものに射幸心を覚えるのは人間なら必然だろうと思う。
以上から、知識を公開する従来の「考察」とは本質的に異なっているのがわかって貰えたと思う。承認欲求 は従来の考察をする人にもあったかもしれないが、少なくともほとんど正答が明示されないのは確かなので射幸心は煽られないはずだ。
「考察」は「難解な怪作を解釈し、他人の好奇心と自分の知識をひけらかす欲を満たす」という従来のものから、「後から正答が与えられる作品において『射幸心から』予想を公開し、正解なら『承認/自尊心』という報酬が周りから貰える」という新しいものに転換しつつあるのだと思う。
SNS時代だからこそ可能な、共感とコミュニケーションをベースにした形態だと感じました。
(結局当たり前のことしか言ってない⋯⋯)
エンタメや芸能で本当に好きな人だけ見れる場でやる、一切表に出ない、をやってしまうと2つの問題が発生する。
1. 市場として先細る
好きな奴だけしか残らないということは、新しいお客さんの流入を既存客のコミュ力に大きく依存する形になる。
いわゆる口コミとか布教ってやつだけど、それがマスコミや大規模なPRに勝る流入をたたき出すことはほとんどない(ブームの起爆する起点にはなるけども)。
ということは演者に落ちる金がどんどん無くなっていくので必然的に自由度が無くなる。
もっとも、1人あたりの客の支払う金額が多くなっていけばこの問題は辛うじて回避できるが、
2. 表現が先鋭化しすぎる
表現者も所詮売り手に過ぎないので客の反応は常に気にする。客を気にせず独自路線を突っ走れる人間なんてほんのわずかだ。
すると今居る客に最適化した形にどんどん表現を変えていく。楽屋オチだったり身内ネタだったり過激すぎるネタだったりそれは様々。
最適化しすぎると今居る客以外、まったく訳の分からず楽しくもないものがひたすら生産され続ける。
すなわち新規客が入らなくなるので既存客の死とともにジャンルも死ぬ。
解説を流してくれるガイダンス装置を貸し出したり、ボカロやアニメなどの現代文化を取り入れた新作を作ってみたり試行錯誤して
何とか新しい客を呼び込もうとしている。
実際に毅然とした態度で礼節をもって接すれば田舎でも結構なんとかなるからな
毅然とした態度ってのはよりどころにする権威を持つってことでまあ例えば東大卒(東大に限らず大卒、修士、博士とかでも十分)とか大企業とか役人とか官僚とか
まずカッチリした社会的ステータスをひけらかし、話し言葉にも難解な語彙を織り交ぜ知的であることをアピールする
そうすると善良な田舎のおじいちゃんおばあちゃんは滅法弱く、うちらではその領域は考えられないから頭のいい人にお任せします、と思考停止して責任転嫁してくる
そうなればつまり言質を取ったということでまあ勝ち
その場をやり過ごすだけならそれでいいが、今後もそいつとバトる可能性があるときは「合意した」旨の録音や書面があるとなおよい
悪質なおじいちゃんには通じないこともあるが、その場合は警察や法律といった暴力装置の存在を示唆してやはり毅然として対応する
おじいちゃんの後ろ盾もやはり(一般に市民を守ると考えられている)警察や司法なので、予測される場合には地元の警察や司法組織、行政施設にあらかじめ話を通しておく
話を通したという事実はメールや書面などエビデンスを残しておく
そうすると警察側ではおじいちゃんとこちらの権威、こちらが「先に話を通した」という事実、そして双方の主張を比較考量して、結局より権威のあるこちらに味方する
警察からバックアップされないうえに団体ですらない個別の市民なんて堅気の世界では雑魚中の雑魚。暴力を喪失した相手が口で何を言ってきたところで既に勝っている。
昨年はトランプ不正選挙騒動、今年は反ワクチンやイベルメクチンなど、陰謀論の勢いはとどまるところを知らない。
自分はTwitterで陰謀論者とレスバするという悪趣味な人間だ。陰謀論者たちと話していてわかったことをまとめたい。
陰謀論者たちは隠された真実を白日の下に晒そうと日々奮闘しているように見える。しかし、彼らの主張は数分使ってデータを調べれば完全に事実無根であることが明らかなことが多い。どう見ても陰謀論者の主張と矛盾する、信頼性の高そうなデータを見せると彼らはどう反応するのか?
彼らは必ずと言っていいほど、違うトピックの陰謀論を持ち出して「ではこれはどうなんだ?」と言ってくる。
例えば、「新型コロナウイルスは存在しない」という主張に対して「ウイルスはとっくに分離されている」という情報を提示すると、「ではワクチンが大量の死者を出しているのはどう説明するのか?」といった具合だ。
たいていの陰謀論者は「陰謀論ストック」を大量に蓄えており、1つ反駁されれば別のデマを持ち出し、弾が尽きるまで撃ち続けようとする(実際は早くにブロックされることも多いが)。
真実に目覚めていると言いつつ、反論できないと判断するとその主張は一瞬で忘れ、別のデマで戦おうとする。彼らは「何が正しいか」には驚くほど無頓着なのである。
陰謀論は社会の敵だと思うが、社会から白い目で見られる陰謀論「者」のことは正直気の毒に感じてしまう。たいていの陰謀論は少数のインフルエンサー的存在が発端であり、まんまと騙されインフルエンサーの養分になっている陰謀論者たちは「被害者」でもある。
そんな彼らは、自らの主張を「デマ」と唾棄する人間に対し攻撃的になっていることが多い。社会ののけ者扱いされ、信仰ともいうべき自分の意見を嘘扱いされれば、そうなるのも無理はないだろう。
そんな彼らに、時々優しくしてみることがある。暴言を吐かれても、「ゆっくり休んでくださいね」と返してみるのだ。
そうすると、彼らはペースが狂う。それまでマシンガンのように陰謀を撒き散らしていたのに、突然黙り込んだり、困惑しつつもそれまで不可能だった人間らしいコミュニケーションが取れたりする。得体の知れないブログサイトのリンクを貼り「それならこれはどうなのだ」と延々とデマをぶつけ続ける「陰謀論エンジン」がバグるのである。
ここからは自分の勝手な推論である。人々が陰謀論にハマるきっかけとして、日常生活がうまくいかないという事情が大きいのではないか(無論、そうではないパターンもあるだろうが)。
家族・友人関係がギクシャクしている、仕事がうまくいかない、就職先が見つからないなど、現代社会で生きていれば不安なことはいろいろあるだろう。そんな心の隙間を埋め、なにか特定のコミュニティへの参加を可能にするツールとして陰謀論は広まっているのではないか。かつて話題になった「父親が定年退職し暇を持て余した結果ネトウヨになってた」みたいな話も似た構造だろう。
人生がうまくいかないときに感じる「自分は多くの人が知らないことを知っている」という優越感はさぞかし中毒的だろう。エビデンスに基づいて反論したところで、精神の安寧を求めて陰謀論を信奉している人には無力だと思うのだ。
陰謀論者の主張のほとんどは事実に反している。しかも、難解な科学上の問題ではなく、説明されれば素人でも誤りが理解できるレベルである。
しかし、大前提を見るべきだ。多くの人々は科学的に正しいとされる知識を信じる。しかし陰謀論者は究極的には科学的な正しさを求めていない。
科学的裏付けがあるかのように話しつつ、実際のところは「科学的に正しいと証明したい」ではなく「自分を認めてほしい」「自分は正しい側にいたい」という動機があったりする。
話をする上での前提が違うので、「あなたの言っていることは事実に反していますよ」という論法で責め立てても、どっぷり陰謀論に浸かった人々には全く効かないのである。むしろ、攻撃性を増すだけだったりする。
どうすればよいか。正直解決策は思いつかない。もちろんエビデンスベースの正しさは重要である。新型コロナのデマは健康の問題に関わる。アメリカ大統領選のデマは民主主義という国の根幹に対する信頼性を貶めてしまう。最近流行ったデマは実害を伴うのである。
しかし、正しい情報を提示しつつも、精神的なケアの重要性はもっと強調されるべきだ。乱暴な予想だが、仕事がうまくいき高収入で、家族や友人関係にも恵まれ、心身ともに充実した人生を送っている人が陰謀論者になることはかなり稀ではないか。
フェミニズムへの支持は人によって強度が様々だというのは自明だけれども、フェミニズムへの支持の強度とは別の軸としてフェミニズムという難解な分野を深く考えたくは無いという層が無視できない規模で存在すると思われる。
一部のフェミニストの主張を女性以外へ置き換えた際に自由とはかけ離れたものとなったり、むしろ女性の自由を制限してしまう方向になってしまうことがあるのは、おそらくはフェミニズムを支持するが難しいことを考えたくはないという人間誰しもが持ちそうな怠惰から来てるんじゃないかなと。
ある種、フェミニズムを支持するが難しいことを考えたくはないという人々はデウスエクスマキナを期待していて、まさに物語の悲劇で描かれるように困難に陥ったことを主張することによって後は神に任せるような考えが無意識に働いているのではないか。
心配してくれた人達、同じ境遇の人達、リアクションありがとう。
いつもニコニコ愛想よく、仕事も全力で取り組むのが気持ちいいに決まってるし、充実するのはわかっているけど
最近は、いじわるババアみたいに不機嫌そうにダラダラ過ごすのが一番楽という結論に落ち着いた。
なんなら30分で終わる仕事に1日かけて、報告は更に翌日に持ち越す。
調べればわかりそう、技術的にはできそうと思っても「難しそうですね、頑張ってください。知らんけど」で会話終了を心掛けている。
なんかね。
パソコン難しいからわからん→自分がわからない事は簡単なはず→簡単な仕事しかできないから非正規、なのか
ゆみちゃん?あいなちゃん?あー!しのぶちゃんだったか!がっはっは!いやもう、ちゃんって年でもないか?失礼失礼!(笑)と、毎回必ず言って来たり
マイクロソフトへの苦情
買ってきたデバイスやPCの初期設定全部やれ、パソコンの事なんだからそっちの仕事でしょ
気が付いた人がやるルールのコピー機の紙の補充やインクの交換は、気が付いた人が私に言うか、気が付かないフリで待つだけ。
新しく導入したソフトの使い方誰もわからんから簡単な手順書を作れ
電話に出るのは女の仕事、面倒な問合せやクレーム・サポートの対応は電話に出た人間の仕事
テレワーク用ソフトのセキュリティが「絶対大丈夫だよな?な?」と何度も確認してきたり
DXでクソ高いソフト導入したから後は簡単でしょ?よろしく頼むわとか(これは全力で逃げた)
うちは50↑のバブル世代以上が全員こうなので、若い世代も弱者に丸投げ文化が育ちつつある。
人生も終盤を意識する年齢になり、今の働き方を考えてなおしてみた。
そしたら思ったのよ。
今更正社員になれたとしても、家も車も家庭も老後資金も手遅れなので吹っ切れた。
いつも不機嫌そうで遠巻きにされていたお局様は正解だった!
私も面倒なお局様になる!
腫れ物に触るように扱われる!
本当は半裸で踊りながら料理して腹に火傷するような間抜けなのに
職場で身を守るために、世界が敵みたいなしかめっ面で過ごさなければならない。
属人化しないように気を使ってきたけど
もういろいろ作っちゃうし、使える仕様書もマニュアルも残さない。
【以下追記】
私は時給で働いているので。
金・時間・メンタルの全てを満たす職場を探すのは自分の条件では厳しすぎるので、私は時間を選んだ。
なので管理職含めた誰もが貧乏くじを引かないように、ルーチンワークだけを抱えて忙しい顔をしたがる。
誰も部下の仕事や全容を把握しておらず、トラブルも各自の責任で各自が対応する。
課長に頼まれた仕事の進捗を報告にいくと、そっちで勝手に終わらせたらいいのになんで報告にくるの?という顔をされる。
他企業を知ってるからその感覚で頑張ってたら、便利な使い走りとして浮いてしまったのだと思う。
現在最高位のお局様は二人いるので、牛頭と馬頭のような貫禄がある。
敵に回したくない…という共通認識があるから、部長レベルの人が
「彼女に頼むの怖いからな〜(苦笑)」で仕事を逃げる茶番が成立するんだよね。
事務職の女性達とはうまくやって、彼女らの後継者を目指したい。
仕事以外に自分が所属できる小さい趣味の世界を、できるだけたくさん増やそうと思う。
待遇が上がらないならちょっとずつ仕事の質を下げて、その分他に使いたいね。
Microsoftへの苦情について。
Windows Updateへの苦情がすごく多い。
そろそろサポート切れるから次のバージョンのテストしてねって言うとものすごく嫌がられる。
古いOS使ってても増田さんがサポートしてくれたらいいじゃんとか。
個人でサポート無理だし、リスクを説明してもその時は聞いてくれるけど
私の話は「なんかまたギャーギャー騒いでる」受け止め方しかされないので流される。
それと弊社は、仕事としての開発は未経験かつ大学でPython得意でしたみたいな人たちが
様々な言語で独自に作ったツールがたくさん転がっていて、仕様書もコメントもなければ製作者もわからない。
自分の仕事の範囲で使うならいいけど、それを基幹システムに組み込んでしまっている。
なのでOfficeやOS更新とかで動かなくなるとクレームがくるのです。
20年前に作られたVBAとか、かろうじて見つけた仕様書が30年以上前のCOBOLだったり。
それと彼らはDOSやTeraTermの黒い画面こそが一番偉く、その中でも難解なコードは一番偉いと思っているので
画面系は作った事がないしバカにしてるし簡単にできると思っている。
ユーザ-や事務職員用にどうしても画面が必要になったら制作依頼されるが
結局それを使ってデータ入力するのは私の仕事になったり、使われなかったりもする。
これ割とダメージある。悲しい。
プリキュア映画の問題作「映画 スター トゥインクルプリキュア 星のうたに想いをこめて」は、見に行きたくて、しかし幼女先輩や保護者の方々に迷惑をかけないよう、平日の午前中という、幼稚園でも休みじゃない時間に行った。てっきり貸し切りを期待していたのだが、おもったよりは親子連れがちらほら居て、同じ列にはいなかったものの、ポツポツと前後左右を取り囲まれてしまった。
まあ映画は応援ペンライトもちらほらで、みんな行儀がよく静かだった。
「映画 スター トゥインクルプリキュア 星のうたに想いをこめて」は、なかなかの問題作で、お決まりの展開は冒頭10分で終わり、プリキュア5人のうち3人は用事で退場、あとはひかるとララの二人だけでほぼ進む「なるたる」とか「海獣の子供」を連想させる、やや難解なダウナースペーススピリチュアル映画である。
「書評が書けない」という投稿を読んで、いつか自分が言語化したいと思っていたことだったので整理したいと思います。
https://anond.hatelabo.jp/20211010201513
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https://anond.hatelabo.jp/20211010213345
これはこれで少し躓いている人には良いアドバイスだと思うのですが、
私の「書けなかった」のはかなり深刻なので、下記のブコメに納得していたところもあります。
そのため筆を執る気になったということも付記しておきます。
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こういうのは「得意だったタイプ」の人のアドバイスよりも、「壊滅的にできなかったけど教えてもらったらそこそこできるようになった」みたいな人のアドバイスの方が欲しい気がする。|「なんとでも書け」ないんだよ
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私も大学生の途中までレポートが全く書けませんでした。そこそこの大学に通っていたのでそれなりに学力はあったとおもうし、その後書けるようになってからは書くことが楽しくなって今ではムダにFacebookに長文を書いているぐらいなので、つまづきのポイントは自分の中では明確になっています。
私の場合の結論から書くと、「読み手がどう思うだろうか」「読み手が気分を害さないだろうか」という配慮が働きすぎて、怖くて文章が書けない(主張ができない)というものが原因でした。
自分は少し毒のある家庭環境で育っていたので、正直に自分の考えたことを吐露すると家族に叱られる。みたいなことがよくありました。(今となっては少し社会的配慮が足りてなかった側面は否定できませんが。)
今回の「書けない」方の状況に必ずしもマッチしているかどうかわかりませんが、参考になれば幸いです。
一般的に対話において過度な配慮をするような性格の持ち主は、日常的なコミュニケーションでもつい遠慮がちに話したりするので聞く側もそれなりの配慮が必要になるケースもあります。
何れにせよ、そういう性格、気質の持ち主の場合は「自由に書いていいんだよ」ということを伝えても内在する遠慮が邪魔してなかなか改善されません。
私の場合問題の解決につながったことは、私の場合は大学の途中でマーケティングリサーチの会社でアルバイトをするようになったことがきっかけでした。
最初は報告書に使う帯グラフなどをExcelでシコシコつくるような作業をしていたのですが、その後の工程でその集計結果を見てかんたんなコメントを書くようになりました。
「ウマ娘をプレイしている人についてみると、女性より男性が20ポイント高い」みたいなコメントです。このようなほぼ事実を記述する内容はほぼ怒られる心配はありません。
単純な文章ですがその作業を任されるようになって楽しくなりました。
一般的なマーケティングリサーチの報告書ではそれらの単純な集計結果を統合して、「ブリーフィング(まとめ)」を書きます。
これはそもそも調査の目的が、いまとある商材を売っているメーカーが今後どんなプロモーションをしたらもっと売れるようになるか?みたいなケースが多く、ある種の問題意識や仮説が明確です。
その仮説を検証するためにアンケート調査を設計して、結果を分析しているので概ねまとめは書きやすいものが多いです。
もっともまとめはある程度シニアなリサーチャーが書くので、バイトが書くものではありませんでしたが。
私はこれらの経験・作業を通じて、自分の意見を主張する、考えを披露するということに関する自分なりのパターンを掴みました。
整理すると下記のようになります。
4)解釈をまとめて、問題意識に対する自分なりの見解を書くこと。
結局、私はバイトで経験したマーケティングリサーチが面白かったので、その後色々あってアンケートやスクレイピングデータを用いた実証的分野の大学教員になるのですが、文章を書くときの考え方の基本は一緒です。
もっとも、実証的な研究というのは論文の価値にしめる実証データの存在が大きいので、上記の考え方を当てはめやすいですが、実証という考え方が存在しない読書感想文や書評のケースでは困ってしまうかもしれません。その場合の「事実」はその本に書いてある表現や書き手の主張として考えてもらえると良いのですが、自分が大学教員としてレポートを指導していても書けない学生にはなかなか伝わらないことも理解しています。
そのため、下記のような思考実験をやってみてもらえませんか?
A)自分が興味がある対象を選ぶ(漫画でも鉄道でもいわゆる趣味と呼ばれているものが良いと思います。)
B)その対象において自分の選択を振り返る(例:少年漫画より少女漫画が好きだ。)
C)その理由について考えて、構造化する。(自分が少女漫画が好きな理由は〇〇である。)
世の中の読書感想文のよくある問題は、読み手が全く興味がない本でも読まされて何か意見を表明しなければならないことだと思います。
すくなくとも、同好の士との対話を想像して、自分がそれなりに語れる(周辺知識と単語が内在している)ジャンルを選んでください。その語りの内容をテキストに落とすことを考えます。
もちろん書評の場合は、自分が興味のある本をA)の対象にしてください。
また、読み手の読解力に比べて記述内容が難解な本の場合はなかなか感想が出ないことも一般的だと思います。
(例えば村上春樹は私にとって面白い小説であるが、感想をかけと言われてもとても困る題材だったりする。そのあたりは個人によって異なる。)
Withコロナの時代になり、私もフルリモートで勤務していますが、知識労働としての適切に文章のまとめられる能力はますます重要になってきていると思います。
というかそういう問題じゃなくてね。たとえば同じ意味を表す数式でも同値変形によっていろんな形式があるでしょ。
そのうちのより難解な数式どころか一番すっきりした形の数式も浮かんでこない状態に憂いているんだよね。
不定形のもやもやっとしたものを一番簡単な言い方ですら言語化できない。
幼児は語彙が足らないから自分が置かれた状況を正しく表現できず虐待があっても見過ごされてしまうということがある。
その段階を越えるとまあ生存に必要な意思は伝えられるようになるよね。
それでもより高度な思考を持ったり発表したりしたいということになるとむしろ語彙そのものの豊富さよりは語彙を整理したり統合する能力の重点の方が大きくなると思う。これはもう地頭であり才能次第なところがあるよね。俺みたいな馬鹿はそもそも高度な問題をもやもやしたとして一時的に抱えることはあっても的確に対象化したりすることはできない。こればっかりは文章読本やらボキャブラリー集や役に立たなかったわって話。
ひいては高度な思想を持てない高度な自己実現ができないってことにもつながってると思うわ。増田で一家言戦わせてる人たちみてるとそう感じる。
確かにあの人達の言語能力やそれに付随するもろもろは俺の一段も二段も上を言ってる。「そういうことはそうやって言えばいいのか」と伝える技術に目から鱗が落ちる。
なんだけど俺の「そのとき」言いたいことはその人たちとは当然違うわけだし直接どころか間接的にも参考にはならないんだよね…。逆に同じだったら既に代弁者がいるんだから別に署名活動みたいに声(人数)がでかい方が有利みたいなことをしてるわけじゃないんだし俺が改めてネットに書き込むまでもない。