「感情」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 感情とは

2017-07-21

自殺についての5つの誤解について

自殺についての5つの誤解 東京都福祉保健局 - http://www.fukushihoken.metro.tokyo.jp/smph/chusou/jouhou/jisatsu/5gokai.html

内容は分かる。でも、助けるって言っても助けようが無くない?

どんなに生きよう?生きていたら楽しいことがこんなにあるよ?っていくつか例を伝えたとしても、

本人はうつ状態みたいなもんじゃない。

聞く耳を持たない人に対して、どう対処するの?落ち着けっていってもその場限りしか落ち着かないよ?

またちょっと嫌なことがあったら死にたいって連呼するのがオチだけど、その都度聞いてるかわからないような言葉を投げかけて相手をなだめていくの?

気持ちを汲み取れって言っても、死なないでほしいよって伝えて納得する?

助けようって思っても、本人は結局そんな人達気持ちなんか理解できないでしょ。

自分世界で一番可愛そうって思い込んじゃってるんだし。

死にたいって言葉を聞かされる側が逆に死にたくなったら、死にたいって言ってたやつは止めてくれるの?

きっと同調してるだけでしょ。

あい言葉で、他人陰鬱感情感染させる事自体おかしいじゃん。

助けようにも助けらんないよ。

コメントの流れってなんなんだろうな

同じような内容の記事でもちょっとニュアンスを変えるだけで全然違う流れになってしま

「潮目が変わった」と言われるように昨日まで擁護一辺倒だったのに突然バッシングだらけになったり(その逆もまたしかり)

まあ、その場合は新しい情報が出てきたりして内に黒いものを貯めてた人達が機が熟したと烈火の如く攻勢に転じてるだけっだりでわかりやいのだが

なんというか偶然か故意かはともかくとして、こう来たからこう返す的なものばっかりで、雰囲気に乗じてコメントをしているようにしか見えない

こう言うとその流れが気に入らないだけだろって言われそうだし、実際に流れが気に入らなかったりもするんだけど

正直コメント感情とかイランし、基本感情を煽るメディアに乗せられてんのいつまで続くのーどういうことなのーうわわーん

でも感情に任せるのが正義人間にとっては理屈通用しないんだよな

おチンポくんもそう言ってるし

https://anond.hatelabo.jp/20170721161617

まず、「え、俺一人でやるなら復讐肯定してるし」に関しては、お前の個人的意見はわかった。ただ、法治国家日本においては、私刑違法だという前提を忘れちゃいけないと思う。感情にまかせて、何でもありにしていたら中世に逆戻りだぜ。

「圧倒的弱者側なら晒し全然オッケーだし」これもだな。お前がいいと思うのは別にいいが、社会通念上、オッケーのわけない。

「一人じゃ絶対に勝てない相手なら助けを呼ぶのもやむなし」これをやるのは警察裁判所役割。個々人が勝手にやってたら社会はめちゃくちゃだよ。弱者救済制度が弱かったら、そこは行政政治問題なだけ。

「そして今のお前は強者側にたって弱者叩きをしてるだけのゴミクズだ」これにいたっては、女性側の主張を全面的に信じるなら、というだけだな。

彼女のいっていることが全部本当かどうかは俺らには判別つかない。もしかしたら嘘かもしれないし、記憶違いで間違っているかもしれない。なので、制裁を加えるなら慎重に検討しないといけないはずなんだよ。推定無罪じゃないけど、一方の主張だけで、「彼女被害者だ!」「復讐もやむなし!」「男側をかばうのは強者側にたって弱者を叩いているゴミクズ!」っていうのは、あまりに短絡的な感情にまかせてるだけだよ。

https://anond.hatelabo.jp/20170721123558

具体的に言うと、グーグルの偉い人は「人間意識を他の生き物である鳥や魚に移植できる。また、無機物である木製の箱などにも移植できるようになる。人間は姿を変えて永遠の命を手に入れる」とか「人間意識を全て電子化でき、その結果、われわれはどこにいてもアイデア経験を瞬時に交流できるようになる。仕事のために人と会ったり、打ち合わせをする会議不要になる」って書いてて、

例えば普通作家が「人間AIが一体化する!」って書く場合はこの説明部分が抜けるんだけど

森博嗣が書いた17、8年ぐらい前の本にはしっかりと「人工知能の成長」「記憶感情電子化」「無機物移植」「アイデア経験、瞬時に交流」「どこにいても」「その末の永遠の命」まで書かれてストーリーになってる。

未来にこうなればいいな、っていうものではなくて、完全にできるものとして科学的に書いている。

からその名前出してる人はガチSF作家から書いててもおかしくないけど

日本にここまで詳しくこの時代SFに落とし込んで書いてた人は居ないと思うよ。

2017-07-20

https://anond.hatelabo.jp/20170720130428

よーし、この議題に拙い知識でぶつかってみるか!参加してみるか!より良い議題にしたい!と思って、一呼吸置こうと周り見渡したら、おじいちゃんが帽子ぶってて、くっそ草w

高齢で被られたら、若造のワイは、なんだよー。上の世代も被ってんじゃーん。ずりーよ。というのが今現在感情である。残念。

わたし峯田和伸さんのファン

朝ドラに峯田が出ている。峯田とは峯田和伸さんのことで、彼はGOING STEADYまたは銀杏BOYZボーカルとして知られている。現在俳優としても活躍し、その活動の幅を広げている。

今期のNHK朝の連続ドラマ小説ひよっこ」で、峯田和伸さんは、消息不明になった父親を追い上京する有村架純さん演じるみね子のおじ、宗男役で出演している。宗男茨城の片田舎マッシュルームヘアーバイクに乗り、ロックンロールをこよなく愛する農家のおじさんで、いつも人を笑わせている。

だがその笑顔の裏には戦争の影が……というキャラクターで、先々週、宗男上京過去がつまびらかになるビートルズ来日編が終わった。わたしはその録画を昨日見終わって、すごくよかったなと思ったので妹にLINEをした。感想を打ち込んでいるうちにわたしは昂ぶってしまい、真っ当な感想からは外れた見当違いな見方をしていることに気づき、はっと我に帰った。

***

時は2005年中学1年生として迎えた冬に銀杏BOYZアルバム君と僕第三次世界大戦恋愛革命」と「DOOR」が同時発売された。

北海道新聞日曜版のCDアルバム売れ筋ランキングの4位と5位にランクインしていて、聞きなれないアーティスト名に、なんだろう?と思った。BOYSではないのか?

それからすぐラジオで「青春時代」が流れだして、彼らが小学生ときに一回だけ聴いたことのあるGOING STEADYであることを知った。お小遣いで急いで「君と僕第三次世界大戦恋愛革命」のほうを買って聴き込み、いたく傾倒し、「DOOR」もそれからちょっとして買った。

当時のわたしは、Mステに出ないようなバンドラジオで聴いてCDを買うことがカッコイイと思っていた。お恥ずかしい話、今もその気持ちはあまり抜けていない。当時全盛だったMDプレイヤーを持っていなかったわたしは、ラジオカセットテーププレイヤーが一緒になったかさばるガジェットを常に持ち歩いていて、銀杏BOYZをいつも聴いていた。

中学生だったということで免じて許してほしいが、当時のわたしにはセックスなどとはいった歌詞が衝撃的だった。というか性とか焦燥感とかみじめな気持ちを歌にして世に出していいとは知らなかった。だから峯田和伸さん、もとい峯田は本当のことを歌っているなという気がして、信じられると思って好きだった。

友達にもたくさん貸したし、カラオケでも歌った。もしタイムマシンがあったら、おいおい、やめてAKBとかにしておけ!と言いに行きたいが、当時のわたしは今よりもなお浅はかだったので、カラオケで皆の前で銀杏BOYZを歌い、セックスなどと口にし、ぐにゃりと曲がったような気まずい空気になるのが好きだった。

***

以前、大学生ときに友人に

カラオケ銀杏BOYZとか歌うの正直やめてほしいんだよね」

と言われた。友人にとっての色々な思い出が詰まったバンドなので、目の前で歌われると複雑な気持ちになると言う。

その時は正直

「は?」

と思った。だが今のわたしもまた、自分よりかわいい女の子の口から銀杏BOYZ」という言葉が出るとムカつくのだった。

肌がきれいだったり目が大きかったり彼氏がいたり毎日充実していそうな自分より幸せそうな女の子が、ひとたびでも峯田と言おうものなら腹がたつ。お前に峯田の何がわかるんじゃい!なんぼのもんじゃい!と思う。何人たりともわたしのまえで銀杏BOYZの話、および峯田の話をしないでほしい。ライブに行った画像をインスタに上げないでほしい。わたしの知る限り峯田のことを一番身近に思っているのはわたしでありたい。そんな自分勝手な思いが溢れて止まらなくなる。

自分でもおかしな考えだということがわかっているので、皆さまにはどうぞ好き勝手銀杏BOYZの話をしていただきライブに行っていただき、インスタに画像を上げていただき朝ドラを見て峯田って人いい演技するな〜!などと思っていただきたいのだが、心の奥底で、やめろ〜〜〜と叫びたがっている卑小な自分がいる。

***

そんな折、先々月の銀杏BOYZライブ東京ロック好きの集まり」に行った。これだけ勝手なことを言っておいて恐縮だが、実は初めてだった。戦争反対ツアー実家の近所のペニーレーン24に来ていたはずだと手元にあるフライヤーにはあるが、当時はまだ室蘭に住んでいた頃だったので行けなかった。それからも本当はちょくちょく札幌に来ていたのかもしれないが行っていない。全裸になり書類送検されたことをヤフーニュースで知ったり気がついたらメンバーが峯田以外全員変わっていたりしたがよく知らない。

わたしのなかでだんだん銀杏BOYZはあまり触れちゃいけない過去へと変わっていて、ライブも気軽に行ける感じではなかったのだ。

ももういい加減成人したし、処女でもないし、峯田は朝ドラに出ているし、いくばくかの郷愁とともに軽い気持ちライブを楽しむことができると信じていた。

***

峯田が出てきて初めて生で峯田を見た途端に涙がボロボロ出てきて止まらなかった。ステージには本物の峯田がいて、すぐにモッシュダイブがはじまって峯田の靴がどこかへ飛んで行き、演奏が止まりやり直しになった。そしてまたモッシュ対バンのnever young beachがさっきまで作り出していた平和西海岸熱海の浜辺のような景色はいずこへ?「ネバヤン初めて聴いたけどいいね〜」などと言って、からだを揺らしていたギャルは?そんな疑問が解消されるはずもなかった。

峯田は10年以上前に作った曲を、目をかっぴらいて歌っていた。あっという間に大合唱になる。わたしも全部歌えてしまい、そのことをきっかけにまた涙した。峯田〜〜〜!!!と泣きながら叫ぶ人があちらこちらにいた。四肢がちぎれそうなほど暴れる人がいた。嗚咽しすぎて座り込んでしまう女の人がいた。さながらカルト教団様相であった。だがわたしもまた、全身の水分が出きってしまうのではないかというくらい涙が出てきてしまい、ボロボロボロボロ泣いていた。

峯田が目の前で10年以上前に何度も何度もカセットテープが伸びきってしまうくらい聴いた曲を歌っている。それだけで絶望的なほど悲しかった。恥ずかしい話だが、わたしはその時、中学生の時に部活無視されていたことをありありと思い出していた。クラスにも同じ部活の人がいたので無視がそのまま派生して、教室でも居場所がなくなって昼休みはずっと本を読んでいた。アンブシュア(口の位置であること)を変えようとして失敗して全然トランペットを吹けなかったこととか、天然パーマなので髪型が本当にきまらなくてどうしようもなかったこととか、人に話すまでもないみじめな思い出とその時の感情がありありと思い起こされ悲しかった。もう少し上手くやれただろう、という気持ちと、でも今も上手くやれないしな、という諦めの気持ち10年前と今を強く結びつけた。その中心に峯田がいた。

***

思うにわたしは、つらかった時に銀杏BOYZを聴きすぎていたのだろう。どれもありふれた大したことないつらさなのだが、そのせいで感情と峯田がほつれてからまり、ひき離せなくなっていた。わたしのつらい気持ち、悲しい気持ち自分のことが嫌で消えてしまいたい気持ち擬人化したものが、峯田その人だと認識してしまっているようだった。

峯田は、本当にしんどい時に自分もまたそうだと言って肩をさすっていてくれていた親友であり、同じようにみじめな姿をさらけ出してくれたキリストであった。少なくともわたしはそのように認識していた。勝手に。そしてライブ会場で嗚咽が止まらなくなっていたり、暴れていたり、自己コントロールが効かなくなっている人たちもまたそうなのだなと思った。

峯田、もとい峯田和伸さんは、本当は自分のやりたい音楽は、代官山シャレオツカフェで静かにギター弾き語りをするようなものだと言っていた。だが、求める人がいる限り求められる音楽をするとも言っていた。それが本気かどうかはわからない。だが最近の曲をやってもウケはイマイチで、対して10年ほど前の曲をやると客は熱狂していた。

客は皆、峯田を前にして自己憐憫におちいっていたのだと思う。つらかったとき、苦しかったとき、悲しかったとき、さみしかったとき銀杏BOYZの曲を聴いて、勝手に癒され勝手肯定された気持ちを手放したくないのだ。

もし峯田が出てこないで、ステージには代わりに峯田の3Dホログラム投影され、バックでCDをかけられていても、皆変わらずギャンギャン泣いたと思う。皆、過去に囚われていた。皆にとっての峯田はつらかった過去のものであり、みじめで変えようがない過去自分のものでもあった。

から皆、銀杏BOYZを好きな他者を認めることができない。その当時の自分をどうにかしてくれなかった人間に「銀杏BOYZいいよね」とか言われてもムカつくのだ。お前に何がわかる、と思うのだ。峯田は限りなく私的個人的存在だった。

***

そんな峯田が朝ドラである。天下の日本放送協会だ。自分の苦酸っぱい異臭を放つような過去が、大きな顔して朝ドラである。初めて知った時、もう、まともな気持ちはいられなかった。

でも「峯田」とわたしが名づけていた人格はこの世には本当は存在しなくて、この世には峯田和伸さんしかいなかった。峯田和伸さんは、最近映画舞台に引っ張りだこだったので、ちゃんと素晴らしい演技ができるのだった。わたし過去に囚われている間に、峯田和伸さんは大活躍していたのだった。というか銀杏BOYZの時点で既に大成功していたのだった。

そして今や母親や妹を含む日本中の人が峯田和伸さんをテレビで見ている。今では自然なことに思えるけれども中学生わたしに伝えたらびっくりすると思う。裏切られたと思うかもしれない。でももしかしたら、誇らしく思うかもしれない。なんとなく、そうであってほしいなと思う。昔の自分には、ホッとしてもらいたいなと思う。

宗男イギリス兵に助けられた命を大切に生きていて、その象徴ビートルズだと言う。ドラマを見ていると宗男は峯田そのものしか思えない。あくまでも峯田和伸さんではなく、峯田である

わたし勝手に作ってしまっていた峯田というパーソナリティが、お茶の間をにぎやかし人々に受け入れられていった(ように見えた)ことは、わたしを救った。峯田和伸さんその人とはかけ離れているかもしれないが、わたし勝手に作り上げ支えてくれたわたしのなかの峯田が、まるで時空を超え戦争すら経験しどこか浮世離れした人間となり、最後に全てを包み込むように、「だから笑って生きることに決めたんだよ」と言ったことはある種のセラピーだった。

「だから笑って生きることに決めたんだよ」の言い方はあまりにも芝居がかっていて、プロ俳優さんだったら絶対にこんな言い方はしないだろうと思ったが、とても優しく耳に響いた。わたしはこのシーンの録画を消していない。また何回も聴くと思う。それこそテープがすりきれるまで。

***

そんなこんなで銀杏BOYZ武道館公演のチケット当選しました。またボロボロ泣いてしまいそうなので誰と行くかはまだ決めていません。楽しみです。

他人ゲームNPCのようにしか思えない

人の感情っていうのを推し量れない

何かのルーチンに従って動いて喋ってるNPCしか思えない

https://anond.hatelabo.jp/20170628024650

同じように感じている人間は少なくないんだな

もしかして自分NPCなのかもしれない

為末大さんのつぃーと

マクロな視座でみれば確かにそうなんだが、

ツィッターを読んでる側がみんなマクロな視座を持てるわけでもなし。

あい発言をすれば、各自感情に従って藁人形を持ち寄って叩き始めることになる。

2017-07-19

https://anond.hatelabo.jp/20170719064948

「何も考えずに楽しめる」ことを相手に求めるあたり、

その社会学者と同じくらい拗らせてると思う

(というか社会学者ならその手の見方するに決まってんじゃん、てのは置いといて)

なんとなく楽しめることを自分なりに必死言語化しようとしてる

学者さんサイドの方がむしろ好感持てるし

自分意見が全てじゃないのは学者なら当然わきまえてるでしょ

 

もし審査員社会学者偏重してるなら、

ういういびつな構造生み出した企画側を責めるべき

 

あと元増田みたいに「なんとなく」作品評価される世界ってのも心底気持ち悪い

名作映画には大抵技術的な裏打ちもあるし、それを無視してひたすら

「楽しければいい」って感性になると文化絶対に停滞する

フィーリングですべて決まるなら

シコらせるまで感情を高めるエロ系が正義になるわ

死ね」って言うのやめようよ

みんなもういい大人でしょ?

死ね」はやめようよ。

こんなこと言うと、「お亡くなりになってくださいって言うことにするわ」みたいな人も出てくるんだけどさ、それもだめよ。

批判がしたいなら、感情的にならない大人文体で、相手を罵ったり、見下したり、死を願ったりしないで淡々と内容について語ればいいのよ。

はてなーロジックを重視するのに、なぜか文体感情むき出しになっているよね。

小中学生喧嘩して言うならわかるよ。彼らはまだ精神的に未熟でそういうことを言ってしまいがち。そしてそういう行為を叱るのは大人役割。そしてはてなー大人です。

はてなー高学歴インテリさんなのでしょ?

死ね」なんて言うのは、自分現実で持ってる素晴らしい肩書き、経歴、愛する家族、そういうものを裏切る卑劣行為だと思うんだよね。

もうこんなのやめようよ。絶対おかしいよ。

ラブドール好きって頭がおかしいなと

http://www.afpbb.com/articles/amp/3135749

この記事を見て思った。

子持ちの父親産後セックスレスが寂しくてラブドール内緒で買って家に持ち込んでベッドを共にするとか、娘がお人形さんだーと喜ぶのもおぞましいけど、ラブドールセクシーな服を着せて車いすにのせてデートって、絶対近所からキチガイ父親認識されて子供いじめられるやんこんなん。実際恥ずかしがってるし。

成長した娘がラブドールお下がりの服を着る事もあるとか恐すぎやん新しいのを買ってやれよ。

あげくに本人の言葉がきつい

最近日本女性は、ちょっと冷たい部分も増えてきている。心が汚いというのか、人に対して冷たい」と、彼はまゆとの海岸デートを楽しみながら語った。

女性わがままというのもある。男性は疲れて帰ってきて、やっぱり話を聞いてほしいだろうし。愚痴も怒らずに聞いてもらいたい」

冷たいとか心が汚いとかわがままとか、リアルラブドールを家にもちこんで家族被害を出す状況を自分が寂しいからって理由だけでやらかした人がよく言えるなぁと驚いてしまった。 

この人は圧倒的に家族より自分可愛い冷たくてわがままな人やん、普通の嫁さんならリアルラブドールと同居って堪えがたい苦痛だけどガン無視内緒で買ってる、実際嫁さんは苦しんでいるようだ。

それが相手にだけ一方的に求めて責めて自分を一切省みないで、人形の女しか無理なのは解る、感情のある人間と付き合いできる人ではない。

他の人達も、何も与えなくても自分に甘い女を求めた結果ラブドールみたいだけど、何でこんなに自分に甘くエゴ全開で女に人形レベル人間性の無さを求めるのだろう、今はもうラブドールセックスしてない頭の中の理性的なつながりの方が大きいとか言ってる人もさ人形と頭の中のつながりはできんから落ち着けと、この父親を持ってこの家庭で育つ人の事を考えたら地獄みたいな話で怖い。

https://anond.hatelabo.jp/20170719132319

まず「好き」が色々あるし

あるキャラ性的意味だけで惹かれてる場合欲望あんたの考えている「好き」とは多分かけ離れていると思う


次にあんたが考えてる「好き」に近い感情対象であるキャラには酷いことしないのかというとしないと言い切れないよね

しないケースもあるけどそれは作品全体の空気とかそういうのに左右される

ほとんどの「好き」って、突き詰めると「なにかしら感情を刺激される」と言う程度の意味から

そういう対象が酷い目にあってたら更に感情を刺激されるよね


で、「好き」とかそういううわついたことではなく

仏教思考感情である慈悲であれば

それはもう酷いことをしようとは一切しないよね

慈悲の楽しみはそういう、感情を刺激することで楽しむ楽しみでは無いか

https://anond.hatelabo.jp/20170719103308

他人の見た目にいちいち嫌悪感なんて持つ時点で差別主義者なんだよなあ

特に実害を与えられたわけでもない相手にそんな強い感情を抱くってキチガイじみてない?

https://anond.hatelabo.jp/20170719102048

そもそも清潔感というのがブサイクを邪険にするための理屈しかいからな

「こいつは清潔感がないから叩いても許されるんだ」って安心したいだけで

ではブサイク清潔感なるものを身につければいいのかというとそういうことはない

「こいつ生理的に無理」という感情が先にあって、全てはその後付けでしかいか

これは性欲じゃなくて単に好奇心快感の充足を求めているだけなのではみたいな感じがする。

だとすると両性にたいして恋愛感情を持ちうるけど、両性ともに性欲は持たないという面倒くさいことになるんだけども。

2017-07-18

今時タバコを吸ってる人の気持が感覚としてわからん

https://anond.hatelabo.jp/20170718002308

アラフォー田舎もんが上京して働いてる。底辺高卒

禁煙して7,8年。

1日2箱くらい吸ってたが禁煙した理由は「まあなんとなく昨今の嫌われっぷり見てるとタバコの習慣は色々不便な事がありそうだ」ってだけ。

別に目の前でタバコ吸われても「ちょっと煙い」位は思うが怒ったりはしない。

が、どうしても「こいつは馬鹿なんじゃないか」という感情が消せない。底辺高卒の俺でも理解できるこの程度の事がなぜ理解出来ないのかと。「理解出来ててもやめられない」となると「禁煙程度の事も出来ないとかどういう習慣で生きてるんだこいつは?」と思ってしまう。

どうすればこの感情を消せるのか。

死刑存廃の判断について知っておいてもらいたいこと

私は学生自体大学授業でのゼミ死刑存廃の判断について考えさせられたことがあります

どちらを支持するかではなく、どう判断するのかについてです

死刑存廃においては論点だけでも無数にあるのはご存知かと思います

ただ、どの論点においてもそれぞれの立場から妥当な論拠を示すことができます。そして、その論拠に対してもそれぞれの立場から妥当な反駁を繰り返すことが可能です。当然、その妥当性に強弱はあります絶対的ものではありません。

なので、論点に関してはどちらかが正しいと言えるものはありません。これは、白黒をつけたり勝ち負けを決めれる性質のものではなく、どちらも成り立つという二律背反にという関係に近いのかと思われます

もし、この論点においては正しいからとか反論不可能からと考えて判断根拠にしているのであれば、それは単に知識が足りないだけなのかもしれません。妥当性の強弱だけで違う立場の人を説得することも困難でしょう

そのため死刑存廃の判断というのは、知識が備われば備わるほど感情立場思想問題になることが圧倒的に多くなります。つまり議論の行き着く先は個人がどう思うのかということにかかっていると言っていいと思います

以上が、死刑存廃について判断するときに知っておいて貰いたいことです。

若手俳優出待ちが終わる日は来るのだろうか

若手俳優出待ちをしているわたし

【一生来ない】と思っています

昨日某2.5次元ミュージカル出待ちについての注意喚起ツイートがされた。「止むを得ず入場を禁止する場合もある」なんて脅しつきで。実際この夏に出待ちをしている俳優厨、所謂町厨が当日券購入を運営サイドから拒否されるなんて事もあったから効くと思ったのかな。この事件が起きた日はTwitterは大騒ぎだったけれど、今その出禁騒動を起こした舞台とは別の現場に行くとそこにはいつも通り町厨が揃っている。他所他所、その現場出禁にならないと脅しで終わってしまう。

それにもし出禁になったとしても出待ちを0にするなんて不可能だ。

だって外で推し対応する。

彼の出待ちわたししか居ない。ギャラリーも見た事がない。快適だ。

初めて声を掛けた時の推しはただ感情のない感謝言葉を小さく繰り返すだけで目も合わなかった。だから何回もプレゼントをあげた。手紙を書いた。お花を出した。公演に入った。

そして現在、彼はわたしの目を見て話すようになった。声をかけると自然わたしが歩きながら話すための歩道側のスペースをあけてくれるし、手紙プレゼントを渡せば笑顔で受け取り、「次も楽しみにしてて」と最後は手を振ってお別れをする。

こうしていつの間にか若手俳優達は対応するようになっていく。

彼らは好意を無下に出来ない優しい人達から

その優しさにつけ込むわたしは最低の屑だがそれでも彼のことが好きで仕方がない。たとえ彼に金蔓と思われていても、わたし存在する理由があるのだからこの上ない幸福だ。

から出禁になろうと彼が外に出てきて対応してくれるのであれば町厨であり続ける。

町厨をやめさせたいなら、わたしを殺すか推し監禁すればいい。

マジレスすると完全送迎させればいいのに。急な雨で濡れたり猛暑の中劇場まで歩いて来る推し可哀想で仕方がないです。

ジャニヲタアイデンティティ依存

アイデンティティ、という言葉はとても簡単に使われるけれど、高校の授業で改めて学んだときに、衝撃を受けた記憶がある。

アイデンティティ形成するには二つの要素が必要らしい。自己斉一性と、社会集団への帰属性。「わたし」の認めるわたしと、「わたし」以外のものが認める「わたし」は同一で、しか連続性を持っていなければならない(ということだとわたし認識している)。

その授業を聞きながら、ああ、私は一生アイデンティティ確立できないのかなあと思ったものだ。というのも、私は幼少期の私を「わたし」として認識できていない。性格が変わった、というレベルならそれは自己連続性を壊すほどのものではないけれど、なんというか、本当に他人事なのだ。昔にあったエピソード記憶に残っていないわけではないけれど、それに対して浮かんでくるのは「かわいそうだね」とか「よかったね」といった感情であって、「悲しかった」「嬉しかった」では全くない。子供最初に参加する社会である家族の人々も、「まるで人が違うようだ」と言っていて、社会集団への帰属性という意味でも、自己連続性という意味でも、アイデンティティ確立できるとは思えない。(もちろん、家族から意見過去の私と今の私を別人格として捉えているというほどの意見である可能性は低いが。)

なんとなく、それは執着心があまりにも薄すぎたからなのかなあと思っている。遅い子供だったのもあって、物質的な不満を感じたことがなかったから、ものへの執着が芽生えなかったのかな、と。嬉しいとか悲しいとかそういう感情は、執着からなるものだ。執着が薄かった頃の私は、今の私から見て、どこかぼやっとした、つかみどころのない、何かの膜に包まれたような存在なのだ

だが、別に今の私は普通にキレるし悲しむし自担への執着心は人一倍強い。二年前の「わたし」と、一年前の「わたし」と、昨日の「わたし」と、今の「わたし」は同一であると、はっきりといえる。それはいつ頃からか、と考えはじめると、実は自担を初めて見た頃ぐらいからだ。「私のアイデンティティ形成のキッカケはジャニーズです」だなんて笑ってしまうけれど、たぶん、本当にそう。もちろん、当時はそんなことを考えてはいなかったが、「何かを好きになる」ということは当時の私にとって非常に重要なことだったのだと思う。それが彼の魅力のなしえたことなのか、それともそろそろ何かに執着しなければならない、と深層心理的なところで考えていたときに彼がたまたまテレビに映っていただけなのか、はよくわからないが。ともかく、それからは彼に執着しまくったし、彼を馬鹿にされたら怒ったし、彼を見ると嬉しかった。そうしているうちに、なんとなく他のものにも執着できて、今の私からみて「他人事」とは感じない自分になってきた。

その時から今まで、ずーっと彼だけを応援してきたわけでない。でも振り返ってみると、いつの時代も何かに対する「オタク」であったように感じるし、友人には「何かに貢いでないと死ぬサカナかよ」と笑われる。アイデンティティを彼と出会った時点から連続性で捉えていいのならば、私のアイデンティティ形成の要は「何かを熱狂的に好きでいること」なのかもしれない。自己同一性の要が自分でないものへの愛だなんて、かなり寂しい人間な気もするが、まあ宗教とかもそんなものだろう。

から、私のアイデンティティは彼と、彼の所属グループに大きく依存している。例えばの話であるが、ある日彼らがすっかり全員芸能界をやめて、私を含む世の中の人全てが彼らのことを忘れたら?私の友人のアイデンティティは揺るがないだろうが、私のアイデンティティは揺らぐだろう。何か他の熱狂信仰対象を手に入れれば執着は取り戻せるけれど、自己連続性が示されない。他になにかの記憶を注入したら、もうそれは私ではない気がするし。(そもそも記憶唐突な変化が訪れた場合、それが消去のみであったとしても、その人間は私といえるのか?)

前振りだけで2000字近くなっているのだが、なにを言いたいかというと、彼(ら)の連続性こそが私の連続性を担保しているものであり、そのアイデンティティ崩壊は私のアイデンティティ崩壊につながる。

グループとして考えたときと、個人として考えたときアイデンティティを同じように考えるのは無茶なことだし、同じように考えられたとして、彼らのアイデンティティは人数ではないのだと思う(多分)。いくら彼等がデビューから今の人数であったかのように振舞っても、私の持っているシングルジャケット写真から一人消えることはないし、というか彼らの記憶からも消えることはないだろう。だから別に、彼らとしては連続性が揺らぐようなことはないし、私の連続性も揺らぐようなことは本来、あるはずがない。

しかし今現在私の依存先は彼であり、私はときに彼の言葉事実の重みを凌駕するような気になってしまう。彼が彼らの連続性を否定するときわたしもまた、わたし連続性を否定されるような気がするのだ。事実として、彼らの連続性が揺らいでいないとしても。

極論を言ってしまえば、別にエリクソンかいう会ったこともないおっさんの持論でギャーギャー悩む必然性はないのだが、それでも、今を生きるのに、過去必要なことは事実だと思う。そして、自らの過去を自らの言葉否定していくのは、どう考えても健康的ではないし、それが一部のファンが言う「前を向く」ことになるとは、私にはどうしても思えないのだ。



結局のところ連続性やらアイデンティティやら云々よりも、私にとって一番問題なのは私が彼の言葉事実以上に重く受け止めてしまっていることで、だけど私は趣味との適度な距離の取り方、がいつまで経ってもイマイチよくわからない。距離を置こう、と思うと((もしくは強制的距離を置かれると))、また新たな依存先にズルズルとのめり込んで、またそれとの距離感おかしくしてしまう。

もう潮時なのだと思う。やっぱり原点だから、戻って一からまたやり直しても、距離感おかしくなるスピードが他のものと段違いなのだ

でも他のものに移行しようと思っても上手くいかなくなってしまっていて、どうすればいいのかわからない。このままズルズルとダメになっていくのも、また私らしさなのかもしれない。

https://anond.hatelabo.jp/20170717200140

将来不遇の状況に陥ったとき姓名判断の内容が悪ければ名づけた人間にいい感情を覚えることはない

姓名判断を前提としている人ってこういうふうに考えるのか、とはっとさせられたのでメモ

武藤駐韓大使、「嫌韓本批判反論

ニュースソクラ編集長インタビュー武藤正敏駐韓大使に聞く

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170714-00010001-socra-int


知韓派として知られた武藤正敏駐韓国大使が著した『韓国人に生まれなくてよかった』(悟空出版、1250円税別、6月1日)が多くの韓国メディアから嫌韓本」と批判された。袋叩きのリスクを犯してまで、出版したのはなぜか。真意を聞いた。

――韓国の多くのメディアに、バッシングといえるような記事が載りましたね。

 見出しほとんどが「嫌韓本」というトーンでしたが、記事のなかでは冷静に内容を紹介してくれたところも多かったのです。中央日報記事などがそうでした。そのなかでは、「文政権の登場が韓国民全体を不幸にする方向に進めたように思えてならない」というこの本で訴えたかった点も取り上げてくれています

 主に保守系の方々からタイトルは刺激的だが、内容は納得できるものだという声もいただいています

 実は韓国から日本語の本なのに60部ほど注文がありました。韓国語翻訳したいというお話も3件ありました。しかし断りました。

――どうしてですか

 冷静に読んでもらえないことが分かっているからです。内容は、嫌韓派ではなく、ごくごく一般的日本人から視点意識してまとめていますしかし、文在寅政権が80%以上もの支持を得ている今、特に若い世代は読まずに嫌韓と反応しだします。韓国社会全体としても本を出せば「けしからん」という反応になることは明らかです。

 タイトルが少し刺激的に過ぎたとも正直感じてはいます。(タイトルで踏み込んだことで)私自ダメージを受けましたが、それでも文政権のありようや、韓国社会問題点は訴えておきたかった。

――先週から週末にかけ、文大統領は米、中、日本首脳会談しました、いわゆる外交デビューです。韓国メディア評価する論調が多かったようですが。

 メディアブリーフ政権側の説明)に引きづられます。確かに、安倍首相との会談では慰安婦問題への直接的な言及はないなど、日中米のどことも無難にこなした。しかし、よく発言分析すれば、新大統領の最大の関心事が浮き彫りになります北朝鮮問題です。韓国が主導権を取り、対話路線北朝鮮問題解決すると、各国首脳に伝えました。安倍首相トランプ米大統領習近平中国国家主席のいずれに対しても、対立は避けながら、北朝鮮との対話路線を主張しています

――対話北朝鮮の核・ミサイル開発を抑えられますか。

 対話北朝鮮の核・ミサイル開発を止めることができないのは過去20年の経緯から明らかです。しかし、文在寅大統領は本気で言っています。少なくとも中国ロシア対話路線の方が都合いいと思ったのかもしれません。韓国提案に乗る形で米韓軍事演習の規模縮小などを言い出しています。その一点では、文在寅外交は成果を上げています(苦笑)。

 文政権の対話路線で、北朝鮮圧力をかけていこうというムードが殺がれていますトランプ大統領がどう出るかが焦点です。

――オリンピックの共催提案はどうですか。

 現実感のなさには驚かされます。都鍾煥・文化体育観光相は来年平昌冬季五輪スキー競技の一部を北朝鮮スキー場で行う案を明らかにしました。兄を毒ガスで殺すような人物が治める国に、世界一流のアスリート世界メディアを入れ、各国の応援団も入れ、そこから世界生中継しようということです。

 IOC国際オリンピック委員会)も北朝鮮も、受け入れられるはずがありません。それを提案するわけです。

 経済政策財閥改革南北統一政策文在寅政権政策はいずれも現実感がありません。一人あたりGDP有効求人倍率日本より低いのに最低賃金東京以上に上げるなど、経済を知っていればありえないことですけどね。

――韓国国内でそのような指摘はないのですか?

 文在寅がすべて正しく、朴槿恵がすべて間違っているという「感情」が今、韓国を動かしています。文さん自身も、外交をうまくやっていると確信しているように見えます

 

――大使館総領事館の前の慰安婦像撤去を声高に言う段階ではないとお書きになっています

 それは戦術的な問題です。基本的慰安婦合意は断固として履行させるべきです。あの合意日韓政府が互いに譲歩してまとめた歴史的ものです。これまでの日韓交渉日本が譲歩ばかりしていましたが、その時代にはもう戻れない。日本がそれではもう持たないことをうまく伝える必要があります。彼らが理解するためにも合意からの譲歩はあり得ません。

――朝鮮半島をめぐる今後の展開をどう予想されていますか。

 文在寅大統領の対北朝鮮対話路線世界の流れになってしまうことを恐れています。その兆候はすでに出ています。肝心のアメリカがそちらの方向に向かっているのではないかと思わせるサインを、マティス国防長官発言などから感じています

――どうして韓国左翼勢力は力を維持してきたのでしょう。なぜ、左翼政権誕生したのでしょうか。

 政府財閥癒着が強く、コネ社会である韓国では、財閥批判政権批判に直結するからです。韓国IMF管理下になった時、大統領左派金大中だったことは韓国にはある意味幸いでした。金大統領財閥との関係が薄かったため、いわゆる「選択と集中」に成功したと言えます

――文在寅外交対話推し進めるなか、北朝鮮核実験をすれば、対話路線は失敗となるのでは。

 一時的には北朝鮮批判しても、文政権は対話路線を変えないでしょう。ある種の信念を持ってやっているのでしょう。それは人事にも表れていて、北朝鮮との実質的責任者である国家情報院長には、これまで2回の南北首脳会談を仕切ったソ・フン氏を、青瓦台大統領官邸)の秘書室長には、左翼学生運動の元議長国会議員のイム・ジョンソク氏を選んでいます。ほかにもありますが、どの人も対話派ばかりです。文政権は安倍政権以上に「お友達内閣」ですよ。

 仮に、核実験があっても彼は「外交的成功している」と主張するでしょうし、外交面で大統領批判する大きな流れは起きないと思います文在寅政権が崩れるとしたら、最大の要因は経済でしょう。もしくは北朝鮮統合する負担が大きいと分かったときです。対話路線への反対で政権が崩れる可能性は極めて低いと見ています

――北朝鮮の核・ミサイル問題解決の鍵は何でしょう

 米中が北朝鮮の将来についてビジョンを共有することでしょうね。その際には日本韓国蚊帳の外になるでしょう。それは文在寅大統領が最も嫌うところですけれど。

武藤正敏(むとう・まさとし) 横浜国大卒、外務省入省。韓国語研修の後、在大韓民国日本国大使館勤務。クウェート大使を経て2010-2012年韓国大使。著書に「日韓対立の真相」「韓国の大誤算」(悟空出版

聞き手 土屋直也(つちや・なおや) ニュースソクラ編集長

日本経済新聞社ロンドンニューヨーク特派員経験1991年の損失補てん問題で「損失補てん先リスト」をスクープし、新聞協会賞を受賞。2014年日本経済新聞社退職ニュースソクラを創設

構成 豊川博圭

名前はだれのもの

名前は「親」のものではない。では、「子供のものか? と言えば、それも違う。

「親が子に贈る最初プレゼント」みたいなお花畑理論を聞かされると、心の底からぞわぞわするんだが、

あいうそれこそ「何の根拠もない」名づけ理論を信じてる人間がいることに、時々当惑する。

増田、アンタのことだ。

あなたの所有物」に「あなたが名づける」なら、それはあなた自由だ。その名前が名づけられるものへの贈り物だといいたいならそう言っても別に構わない。

だが子供は「あなたの所有物」ではない。あなたとは別の人格を持ち、別の人生を送る他人だ。訳あって、たまたま10数年共に暮らすことになった、他人だ。

そこを勘違いした人間が、お花畑理論を振りかざし、子供に関わる周囲の人間に噛みついて回る迷惑毒親となる。

名前というのは、これから子供が生きる人生社会の中で出会う人と共有される、一つの符丁だ。人間名前とは、何をおいてもまず「社会のため」に必要ものなのだ

そこでは親の「想い」とやらはどうでもいい。

例えばアンタが飼い犬に「タウマタファカタンギハンガコアウアウオタマアポカイフェヌアキタナタフ」とか名付けても、別に誰もあなたを咎めはしない(馬鹿にはされるだろうが)。だが、それを子供名前にしようとしたら、全力で止められるだろう。役所の受付ですら書類を突っ返すかもしれない。そこにどんな「親としてのご立派な想い」があろうと、そこはくつがえらないんだ。それを忘れてはいけない。「社会にとって利のない」名前社会によって拒否されるんだ。

これは、字画判断がどうという話をしてるんじゃないぞ。俺が問題視してるのは、何をおいてもまず嫁さんに対するアンタの態度のことなんだ。

想像するに増田は、字画判断かいう「非合理的もの」が、自分人生にまつわってくるのが「嫌」なんだろう。だが、アンタの「嫌」という感情だって十分に非合理的だ。いい年をして、理で全てを説明できると思ってるなら大馬鹿を通り越してお目出度いとしか言いようがない。自分「理」に縋る「理由」はなんだ? 「理」のないものに身をゆだねる不安の源泉は「理」説明されるべきことか? 全てを理で説くならそもそも「こっちがいい/悪い」などという「価値」の概念こそ真っ先に捨てるべきじゃないのか? だが、あらゆる「価値概念放棄したら、人間としての健全社会生活など送れないだろう。

人間は、「理」以外の価値も持たなければ生きていくことはできない。絶対価値規準など、ない。だから重要なのは他者価値規準を知り、認めつつ、共同の価値規準を創出していくという姿勢であり態度なんだ。増田がすべきことは、嫁さんが「画数にこだわる」って知った時に、「なるほど、俺にはそういう発想がなかったけど、そういう発想をするひとがやっぱりいるんだ」と気付いて、「なるほど分かった。じゃあ画数のことも考えながら、いい名前を付けることにしようぜ」っていうことだったはずだ。

なのに、「画数?は?」みたいな対応をした、と。馬鹿か? 馬鹿なのか? 社会ゼロの子供か? 小学生ももう少し相手への気遣いをするぞ?

今すぐ嫁に謝ってこい。そもそもそんな「どっちでもいい」ことで、妊娠中の嫁の負担やすことにそれこそ「何の意味がある」んだよ? 人間社会で、メスの仕事が子を産むことなら、オスの仕事はメスが安心して子を産める環境作ることだと有史以前から決まってるだろうが。名前など、一でも二でも、分かりやすく周囲が呼びやす符丁でさえあれば子は育つんだ。それよりもっと大事なことが目の前にあるだろ。

不合理に満ちた世の中で、誰でも不安で何かに縋る。それは別に悪いことじゃない。ただ、少しばかりの寛容さと、だまされない賢さ、それは必要だ。姓名判断とやらに何十万何百万をつぎ込むのは、それは愚かな行為だ。だが、画数を気にするのに、現実にどんなデメリットがある? 小さいことでいちいち嫁の不安をため込むと、そのうちとんでもない宗教にハマったりするぞ。夫の支えというのは、そのくらいプライスレスものなんだぜ。

https://anond.hatelabo.jp/20170717145213

他人の死を喜ぶ義務

他人の死を喜ぶ義務」という発想が、どうやら今の日本から失われてしまったようだ。実際に自分が嬉しいか嬉しくないかにかかわらず、世の中には、立場によって、特定の人の死を喜ぶべき立場にいる人とそうでない人に分かれている。対立している者同士は、互いに死を喜ぶ義務を持つ。実際に喜ぶかどうかとは別に、喜ぶべきかどうかが社会通念や常識によって決まっている。

健常者は障碍者の死を喜ぶ義務があるし、障碍者は健常者の死を喜ぶ義務がある。実際に喜ぶかどうかとは別に、喜ぶべきかどうかが社会によって決められている。そして、その義務通りの感情自分が持たなければ、持たない事自体に罪悪感を持つべなのだ

2017-07-17

https://anond.hatelabo.jp/20170717235326

はいつも必ず冴えない方をおだてる。すると本命の方があんたと同じように嫉妬感情が芽生える。そこで、するっと本命の方に乗り換えるんだよ。

アーカイブ ヘルプ
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん