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はてなキーワード: センセーショナルとは

2017-09-23

マンガ不快バナー広告って権利的に問題ないのかな?

マンガ配信サイト広告いじめとか虐待とかエログロとか

センセーショナルショッキングコマだけ切り出して煽りコピー載せたやつ。

あれって作者や担当編集者が直接作ってるとは思えないし、配信サイト側の仕事だと思うんだけど

だとしたら権利的にああいう風に再編集してもいいの?

そういうのも含めた契約になってるんだろうけど、

連載してる出版社なら信頼できる編集者もいるだろうけど

作品ニュアンス勝手に変える権利たか配信サイトに渡すって結構すごくない?

2017-08-29

Call Me By Your Name@miffレビュー

8月29日、思ったより拡散したため追記。自分ではネタバレなしのつもりで書いて、ツイートにもそう明記してしまったが、ネタバレという言葉には個人差があることをすっかり忘れていた。ネタバレ見たら死ぬタイプの風上にも置けない。地雷を踏んでしまったら申し訳ない。配慮したつもりですが、どうぞご注意ください。太ももの話以外もします。

なにせ太ももがすごいらしいのである

俳優アーミー・ハマーの太ももである

サンダンス映画祭直後、賞賛と祝福の声とともに、あまりの刺激のために悩殺されてしまったという感想ツイート散見されて、映画祭参加の幸運に預かれなかったファンはもどかしさに身悶えしたのであった。

Call Me By Your Name1983年北イタリアとある町のひと夏を舞台にした、二人の青年あいだの恋を描いた映画である。くわしくはimdbを参考にされたい。

http://m.imdb.com/title/tt5726616/

この映画2016年5月世界中の一部界隈にて話題になった。言わずもがなアーミー・ハマーファン界隈である。そのあまりに蠱惑的なあらすじにつられて手に取ったのが原作小説である

そんなごく軽くかつ不純な動機で読み始めたAndré AcimanによるCall Me By Your Nameだが、回顧体で描かれた物語に一瞬で虜になった。

冒頭のシーンからして心憎いのである

まりにも印象的な出会い、一生を変えてしまうたった一言から語り始められるその物語は、意識の流れを実に巧みに取り込んだ、プルースト研究者でもある著者ならではの文体で読者を陶酔させる。やがて語り手であるエリオと一体化した読者はオリバーの冷淡さに苦しみ、意外な素顔を見せられはっと息を呑み、ただ呆然と結末を迎えることになる。

ツルゲーネフの「はつ恋」やらナボコフの「ロリータ」やらをこよなく愛するわたしにとっては好み直撃ど直球であり、そのうえアーミー・ハマーの太ももやばいとあってはなにがなんでも映画を見なくてはという気持ちになった。

しかネタバレ見ると死ぬタイプオタクにつき、どうしても世界公開より先に見たいという気持ちを抑えられない。はたしてMIFF(メルボルン国際映画祭8月3〜20日、CMBYNは4日と6日上映)に飛んだのである

笑ってほしい。

かなり早い段階でチケットも売り切れ(一度キャンセルが出たが、最終的に上映日までには両日完売!)ていたため、予想はしていたが、当日は冬のメルボルンにて1時間から長蛇の列である

席は早い者勝ちなのでみんな普通に必死だ。特に二度目の上映での、劇場をぐるり半周する列は写真に撮らなかったのが悔やまれる。みんなが手の端末にQRコードを表示させ、南半球ならではの冷たい南風に身を縮めながら待機している。

2度のCMBYN上映の他は同じくアーミー・ハマー出演のFinal Portraitに参加したばかりだが、それに比べるとやや平均年齢が下がるかなという感じ。

それでも、老若男女ということばがふさわしい、実に幅広い客層。

そんなことより映画だ。ここからネタバレはなるべく避けて進める。なにせネタバレ見ると死ぬタイプなので安心してほしい。後日一部シーンバレ感想もあげるつもりでいる。万全の態勢です。

さて、本編はピアノ音楽によって始まる。

劇中曲について、MIFFのQ&Aにてルカ・グァダニーノ監督が語っていたことだが、基本的には登場人物が耳にした音楽……エリオの弾くピアノ曲ギターオリバーが身を委ねて踊るダンスミュージック家族が耳を傾けるラジオレコード……に限った、とのことである。それを知らされるまでもなく、最初楽曲から没入感があり、一息に世界に引き込まれる。

そしてオリバーが現れる。イタリア太陽である。明るい陽光主人公エリオのいる部屋の暗がりを際立たせる。

エリオを演じる当時弱冠20歳ティモシー・シャラメは終始少年健全さと病的な魅力をひとしくたずさえて美しいが、とりわけ夜、ベッドでのシーンでの肌は内部から光を放つようだった。

アーミー・ハマーが、その見せ場においてはつねにイタリア太陽に照らされて灼けたなめらかな肌とあかるい金色に見える髪を輝かせているのと好対照で、一場一場面が絵画を見るようだった。あるいは、冒頭でわれわれを一息に映画世界に引き込む、連続的な彫刻群のショットのようだ。

この対照関係意識されたものだと思う。

エリオオリバーに魅了されるのはかならず真昼の屋外だし、エリオオリバーを室内に引き込むと、オリバーは初めて(ようやく、と言ってもいい)エリオに見とれるのだ。

野外と屋内、昼のシーンと夜のシーンが交互にさしはさまれて、われわれ観客はふたりうつくしい青年に2時間超の間目まぐるしくも目移りしてしまうのだった。

そしてくだんの、アーミー・ハマーの太ももである

ももに殺されたひとびとのツイートがいまならよくわかる。

しかしいざ太もも談議をするとなると血で血を洗う戦争になるにちがいない。

短いショーツか、あるいは水着でのシーンが大半で、太ももは終始晒されているので各人のフェイバリットももがあることだろう。

マイフェイバリットももとある場面にてエリオとともに床にぺったりと座るオリバーの太ももである。だが自分多数派である自信はない。これについてはまたあとで。

オリバー原作よりもなお複雑で謎めいたキャラクターになっていると感じる。

原作では物語がすすむにつれ、読者はエリオとともにオリバーの知らなかった一面に驚かされるのだが、映画ではむしろ序盤からオリバー大人の男としての魅力と奔放な子どものような無垢さが入れ替わり立ち替わり現れてエリオないし観客を翻弄するのである

(シーンバレありの記事にでも書くつもりだが)序盤からオリバーエリオよりも幼い子どものようないとけない振る舞いを見せ、グァダニーノ監督言葉を借りるなら、エリオより「なおイノセント」だった。

アーミーハマーファンの同志は心してかかってほしい。奇声を発するか原作エリオ言葉を借りるならswoonに至らないよう上映中握りしめるなり揉みしだくなりできる柔らかい布など持っていくことをおすすめする手ぬぐいとか)

そのような差異こそあれ、アーミー・ハマーオリバー原作を読みながら夢想していたオリバーほとんど完璧に一致していた。

この結論にはアーミーハマーのじつに感情たかな目の表現が大いに寄与しているのだと思う。たとえば「J・エドガー」でのクライドトルソン役において彼が見せたような目つきだ。沈黙の場面で熱っぽく目が話す。このものを言う目がとくに生きるのは、逆説的だが目の映らない場面で、たとえば映画の中でもひとつクライマックスにあたる戦争慰霊碑のシーンがその一例だ(トレーラーにも引用されていた)。

もうひとつ、結末に近い重要な場面でピントを外したカメラオリバーをとらえる。オリバーの顔が長く映されるのだけれど、けして鮮明な像を結ばない。観客は食い入るようにスクリーンを見つめてはじめて、自分エリオと同じようにオリバーの目に浮かぶ表情を読み取りたいと熱望していることに気づかされる。

目について語るならばティモシー・シャラメにも言及しなくてはならない。

ティモシー・シャラメは今後少なからず目にする機会が増える役者だとつくづく思いしった。身体の使い方が素晴らしく、手足の隅々まで神経を張り詰め、あるいは意図的脱力し、髪の先まで演技していると感じさせる。(この先エリオ面影を振り払うのが難しいのではとも感じるが、むしろその印象を己に利するものとして使ってほしいしこの期待は報われるにちがいない)

だがなによりも、その目つきである! トレーラーにも含まれていた、踊るオリバーをじっとりと見つめるあの目が全てではない。映画から小説通底する一人称の語りが省かれているものの(あれば安っぽくなり得たと個人的には思う)それを補って余りあるティモシー・シャラメの目つき。

まさに小説が羨む技法で、文字で書かれたフィクションを贔屓しがちな身としては、こういった映画化を見せられるとただひたすらに喜びを感じてしまう。

さてトレーラーといえば、あの実に夢見心地で幻惑的で、緊張感とせつない予感に満ちた映像を、わたしだってリリース直後には再生する手が止まらなかったほど熱愛しているが、 本編とは少しトーンが違っているとも思える。

トレーラーから、そして原作から想像していたものにくらべると、より明るく、ユーモアがあり、笑いだしてしまう瞬間がある。

かなりの頻度で笑いが起こっていたが、これは映画祭だったのと、おそらく英語圏中心とおもわれる観客層も関係してくるのかもしれない。

ただ、エリオ食卓でのとあるシーンについては国内映画館でも笑いが起きると予想できる。そしてその直後におとずれるエリオオリバー官能的な接触に息をのむことになることも。(さてくだんのマイフェイバリット太腿はこの場面で登場する。すくなくとも個人的にはこの場面はお祭りだった。細いのに肉感的な大腿部に釘付けになるあまり台詞をごっそり聞き逃したのだ……)

こういった感覚の急激な転換は映画全体を通して言えることで、一瞬たりとも気を抜けないと感じた。ほほえましく口元を緩めた直後に、心臓が指でひっつかまれるように締め付けられる。

ところどころに埋め込まれた、笑える箇所について、今ふと思ったが、これは原作にて重要役割果たしているが本来映画だと表現しにくい「時間性」をどうにか持ち込もうとした結果なのかもしれない。

10代のころの恋愛とか、恋愛でなくてもエモーショナルなやりとりは当時は必死真剣なんだけれど、そのときの行動を大人になって振り返ってみると、わがことながらおかしくて笑ってしまう、あの感じがよみがえるみたいだ。

そのようなノスタルジーを引き起こす展開に身を委ねるうち、二度の上映は割れんばかりの拍手でしめくくられた。自分も同じように手を叩きながらLater、と軽やかな別れの言葉脳内で繰り返していた。原作で読んで想像していたよりもなおあっさりと、冷淡で、なのに奇妙に耳に残るオリバーの声。

一夏の客人のその挨拶を、エリオが、母が、父が真似たように、自分もつい口にしたくなるはずだ。

じつは原作を読んだ時から自分は最適な読者じゃないと思っていた。

小説として心から好んではいものの、「この物語自分物語だ」「この物語によって救われた」「こういう物語が描かれるのをずっと待っていた」と感じる人がいることを、一行読むごとに、確信し続けたからだ。

この映画現代を生きるごく若いセクシュアルマイノリティに届くことを願っている。

キャロル』がそうであったように、相手性別特別なのではなく、ただその相手特別だっただけ、ということを描いた映画。だが一方で、両親という存在の描かれ方において、この作品はこれまでのクィア作品と一線を画している。

そして、『ムーンライト』があまりにも普通恋愛映画であるという事実特別だったのと同様に、Call Me By Your Nameエリオの一夏の恋愛は美しいと同時に「ごく普通青少年悶々とする」という部分が色濃くて、その事実をとにかく祝福したい。

自分はこの映画クィア映画だとは思っていないのだとグァダニーノ監督がQ&Aで語っていたが、この言葉がすべてだと思う。

10代の頃に出会ってたら人生が変わっていたなと確信を持つ映画はいくつかあるけれどCMBYNはそのトップに躍り出た。

現在のところレーティングはR18のようだけれど、そこまで直接的なショットはなかったように思う。

何かが起こったこと、そして何が起こったかから目をそらすという悪い意味での曖昧さは無いが、物語破綻させないように、そして必要以上にセンセーショナルに煽らないと努めての結果なのかもしれない。

からこそ、PG12かR15バージョンが作られるといいなと思っている。エリオと同年代の、この映画肯定感を本当に必要としているひとたちに見てもらいたい。

キャストきっかけに興味を持ったCMBYNだが、自分の中にそびえる金字塔を打ち立てた。日本に来た時にも従来の俳優物語ファンに愛されるのはもちろん、新しい映画として多くの観客に愛してほしい。そして本当に必要としているひとにぜひとも届いてほしいと思う。

ちょうどこのレビューを書いている最中8月23日)にMIFFの観客賞が発表され、Call Me By Your Nameが晴れて1位を獲得した。http://miff.com.au/about/film-awards/audience#

もちろん自分も最高点の星5つで投票したし、あの盛り上がりを考えると納得の結果だ。

アジア内では台湾映画祭での上映が決まっているCMBYN。東京国際映画祭に来ないはずがない、と信じている。

お願いします。

邦訳本もどうぞよしなに。

2017-08-28

https://anond.hatelabo.jp/20170826184330

すっごーい!よく年代別にまとめたね!

かつては社会課題世界問題について提言するようなことがあったのに、今は何やってんのかわからない・・・

タレントが走るのも意味不明

告白で、なんで小さな子供に「あなたの本当のママじゃない」ってテレビで言う必要があるのか全然理解できない。

センセーショナルならば何でも許されるわけでもなかろう。

NNNドキュメントを延々ゴールデンで流した方が全然いいのになー

http://www.ntv.co.jp/document/

2017-08-13

一見すると信じがたいけどもしかしたらそんなこともあるかもしれないという嘘に弱い

最近の若者はこんなに違う感性を持っている。

いまの流行はこんなにもおかしい。

海外ではこんな異常事態が起きている。

最新の研究ではこんな変なことが分かった。

…といった内容のツイートがよく流れてくる。

センセーショナルな内容なので広く話題になり、

それを見た人も「うっそ〜マジで〜信じられな〜い」と言いつつ信じてしまう。

しかし、よくよく調べてみると、発言者の推測や誇張が多分に混じっていたり、

たった一つの体験談から話を膨らましているだけだったり、

誤解だったり誤認だったり、といったことがほとんどだ。

奇抜で突飛な話に真実味があるのは何故だろう。

なぜ信じられないものを信じてしまうのだろう。

人類セキュリティホールって感じがする。

2017-08-10

https://anond.hatelabo.jp/20170810010236

父親光通信の息子で金持ちではあるけどヒトラー狂いのキチガイで、タイではこれをきっかけに代理母について非常に厳しく取り締まるようになったようなセンセーショナル事件

卵子白人などから買ってるから実質親はキチガイ一人で

普通より幸せとはとても思えん

2017-08-04

https://anond.hatelabo.jp/20170804211015

一般職高学歴大卒女子で人気っていうのも知ってるよね。

人気と言っても、全体からしたらあくまで少数派に過ぎず

一流大卒女子なら総合職希望の方が多い事に変わりはない

一般職希望もっと少なかった時期と比べたら志望者が少し増えた、ってだけ

それをオーバーに取り上げて「高学歴女子は皆一般職狙い!」とセンセーショナルに取り上げたがるのは

単なる意外性狙った釣りか、よっぽど女に仕事より子育てメインの人生歩んでほしいのか

専業主婦「人気」と同じ構図

専業主婦志望はあくまで少数派(統計上は2割)に過ぎず以下同文

もっと少なかった以下同文

それをオーバーに以下同文なのは

単なる同文か、よっぽど女に専業主婦になって欲しいのか

ってな報道大分から繰り返されてる

同文ばかりで済むくらい、本当に全く同じ構図

2017-08-02

絵師馬鹿すぎる

ろくに文献も読まない、漢字間違え、名称誤りは当然の事

知能が低いのは分かってたけどせめてもう少し知る努力をして欲しい

そういう事もせずに描きたいものばかり、観衆を驚かせるようなセンセーショナルな物をばら撒いて

見てるこっちが恥ずかしくなる。自重して欲しい

2017-07-31

や、いいこと言ってる風ではあるけど、全然間違ってる。

なぜAKBが売れてあなた音楽が売れないのかというと、皆忙しくてあなた音楽に辿り着くまでの時間や労力、関心といったコストを払えないからです。AKBはそのコストをほぼ0にするために莫大なマーケティング費用を払っています。「真っ当な音楽を作ればリスナーコストを払う」など傲慢です。

Twitter /〇〇〇〇

や、いいこと言ってる風ではあるけど、全然間違ってる。こう言う考えは捨てたほうがいいし、耳を貸すと危ない。

akbと同じくらい売れている日本人アーティストはいる。彼らは良い音楽を作ることしかしてない。日本では売れず、世界で売れている。akb世界で売れることはないだろう。ボアダムズakbマーケティングコストの1/1000もかけてないがakb匹敵するくらいの知名度と売り上げを誇るだろう。日本ではもはや無名なんだろうけど。ちゃんとした世界芸術批評に晒されるポジションまでいってる。そう言う人はいっぱいいる。

日本で良い音楽が売れないのは、日本では良い音楽リスナー市場が小さいってことに尽きる。英語わからんこととね。

akb音楽とは言い難い。アイドル性のマネタイゼーション手段としての音楽だ。アイドルは素晴らしいと思う。創造的だ。でも、ドラッカー風に言えば、「客が何を買っているか?」と問うた時に、akbファンは、音楽を買っているのではなく、アイドル性と、そのストーリーへのコミット帰属承認)と、性欲などのブレンドを買ってる。応援する、好きなアイドルに対してお金を払う方法がないので、そのチャネルを買ってるってのが一番の欲求だ。マーケティング関係がない。こう言う誤謬音楽への冒涜でもあるとおもう。音楽マネタイゼーションとして用いることも別に戦略なんだからあいいと思う。

ビートルズさらに売るために、あるいはアイアンアンワインさらに売るために、ブライトアイズさらに売るために、akbのような手法を繰り出したところで、音楽としての売り上げが10倍も上がるなんてありえない。良い音楽このみ、それを探し続ける人が、忙しさに負けることはないし、そう言う音楽リスナー音楽ファンとは言い難い。世界の良質の音楽をきく人5000万人が、ボアダムズ音楽再生するのに辿ったロジックは、akbのそれとは全く違う。彼らはアイドル音楽無視する能力すら備わっているし。ビートルズスタジオに入って、つまらないマーケティングに引っ張り出されることをやめてさらに百年に渡ってお金も稼ぎまくる良質の音楽を作った。akbがやったことの真似をしろと言うなら、「欲望を正確にトレースしろ」、だろう。「それは音楽とは関係がない」ということも含めて。

「良い音楽を作っている」と思う作家の方は、こんな言葉無視しなくちゃいけない。僕は日本にもいるに違いない良質の音楽を作れる才能が成功することを願うが、良い音楽を聞いているリスナーの母数が、日本に置いて少ないことがあなたたちの最大の問題だと思う。音楽作る以外に頭使うところがあるとしたら、日本は当面、無視するといいと思う。



これTumblrで流れてきたんだけど、こんなにドヤってるのに「ボアダムス」のことを「ボアダムズ」って間違えて覚えているの誰か教えてあげてほしい。あとついでにボアダムスシンプルに「良い音楽を作ってきた」というより、その前衛性や山塚アイセンセーショナルパフォーマンスといった特異な存在感で強い話題性を持っていたっていうのも教えてあげてほしい。勿論ボアダムスは本当にかっこいいけど、「いい音楽を作れば売れるんだよ」の代表例で挙げられてるのを見たらなんだかすっごいモヤモヤしたよ。

2017-07-30

野党Youtuber

将来に渡り日本スタンスを決める重要法案に力を入れずワイドショーでやるような話題をあげつらう野党

センセーショナル話題をあげないと支持率とか後援会の話するなら違法でもないことを取り上げてあげつらう野党Youtuberなの?炎上芸人以下じゃんか

与党も気が抜けてるし、がんばって欲しい

2017-07-26

土用の鰻狂想曲

今年も土用の丑の日が終わりました。ウナギおいしかったですか?私は食べました。最高に旨かったです。別にこの日にわざわざ食べなくても良いとは思いますが、いやーいつ食べてもウナギは良いものですねぇ。

さて、2014年ニホンウナギIUCN国際自然保護連合レッドリスト絶滅危惧種IB類)に指定されて以降、このままウナギを食べ続けると絶滅するのではないかという意見インターネット上でよく見られるようになりました。年々その声は高まっていき、特に今年はTwitterトレンドにも上がるなど、大きな関心を集めました。人々の間でこうした水産資源についての関心や資源保護への機運が高まることはとても良いことだと思います。その一方センセーショナル話題ゆえか明らかに間違った言説やミスリードを誘う意見Twitterを中心に数多く見られかなりげんなりしました。ウナギ資源保護のためなら嘘、間違った意見も許されるという空気すら感じ、違和感を覚えました。まぁ、かようにウナギという魚は日本国民ソウルフードであり、多くの人の関心や意見を集めるものなのだなあと感じた次第です。

以下に私がそりゃねーだろwwwwwwと感じたものを列挙します。あ、不快に感じた人はブラウザの戻るボタンでもクリックしといてくださいw

バイオウナギ(う〇次郎くん)やウナギ味のナマズ(近〇ナマズ)はウナギと味変わらない!これはウナギ代用になる!というツイート。はっきり言って失笑モノですwどちらも食べましたけどね、結局のところすり身はすり身であり、ナマズナマズですよ。代用になんかなるわけがありません。本当に味一緒と感じておられるのなら味覚障害なのでは?そんな味音痴に今まで食べられていたウナギがかわいそうです。つーか世の中こんなに味音痴が多いのかと驚いたわ!!まぁ何でもうまいと感じられるのはある意味幸せなのかもしれませんが・・・また、そもそもナマズに関して言えば、コイツウナギ代用品として利用され始めたのってなんか見た目がにゅるっとしてて、泥っぽいとこが好きそうだし、どことなイメージが似てるからっていうただそれだけの理由だと思うんですけど。両者は分類も大きく違えば(ウナギ目とナマズ目)身質から脂の付き方まで何から何まで違いますウナギの脂の付き方は魚の中でも相当特殊で、だからこそ他に真似の出来ないあの味わいが生み出されるのですよ。ウナギ代用品なんて考えはありえません。

クックパッドで見つけた鰻を絶滅危機から救う天才的なメニューウナギのタレだけご飯)。ハイ偽善キングオブ偽善そもそも大概のウナギのタレにはウナギ抽出物が入ってるwwwwwwwwwwww乙!!!

ウナギの旬はそもそも冬、わざわざ旬はずれのウナギを食べる土用の丑の日の習慣なんて廃れたほうが良い。・・・天然ウナギならその通りでしょうね(本当は1011月くらいか?)。ただ市場の99%以上は養殖ウナギでちゃんと今の時期に美味くなるように調整してますからw 知ったかぶりでモノ言うと恥ずかしいっすよ?

ウナギ絶滅危惧レベルアフリカソウやオカピと同じなんですよ!そんな生き物を平然と食べる日本おかしい!(うろ覚え)。・・・まぁ、IUCNレーティングだけ見ればそうかもしれないけどさぁ、絶対的個体数も生息環境も生態的地位も何から何まで違うでしょうが・・・そもそもそういった大型哺乳類生態系中位に位置するニホンウナギを同列に語ること自体ナンセンスだとなんで思わないかなぁ?まぁこれは植物動物ひっくるめてすべての生き物を同じ基準絶滅危惧リスク評価するIUCNのやり方自体問題があるとも言えるんだけれど。(これやhttps://www.facebook.com/jsfs.wakate/posts/701605086579950 これhttps://c-faculty.chuo-u.ac.jp/blog/eelunit/conference_intro/ が詳しい)。あとよく引き合いに出されてたのがリョコウバトね。確かにかつて鳥類最大の個体数をもっていたこの種が乱獲に次ぐ乱獲で絶滅してしまったことは人類の忘れてはならぬ教訓にしなくてはならないでしょう。ただそれってまっっっっったく生態の違うウナギと同列に扱っていい事例なのかね?そもそも私はウナギ絶滅するとは思っていません。ウナギ産業が成り立たなくなるくらいに資源が減少し、蒲焼き文化が廃れる可能性はあるとは思っています・・・まぁそう思う理由はいろいろとあるんですが、ここでは割愛します。まぁ簡単説明すると海ウナギ資源実態がまだよく分っていないこと(相当な量があると考えられる)、ウナギの成魚も稚魚シラスウナギ)もそう簡単に獲れるものではないこと、私自身が川などで今でも腐るほどウナギを見ていることなんかが根拠です(最後のはちょっとアレですが)。

・・・ウナギ絶滅しないだろうとは書きましたが、水産庁役人の無策、密漁密輸を黙認する業界団体ウナギ価格が安いかいか以外に関心を示さなマスコミ、叩き売りして大量廃棄するスーパーには腹が立ちます(ただその正当性自分でも納得のいく形で合理的説明できない)。またニホンウナギ資源量が本来あった量とは比べ物にならないほど減っているのも事実でしょう。ただ絶滅を声高に主張する人たちにはもうちょっと冷静になってほしいと思います絶滅危惧からもうウナギ釣り行くのやめよう、なんてツイートも見ましたが、そうして本来身近な存在であるはずのウナギを遠ざけてしまうことで、結果的に彼らに対する関心が薄れてしまい、河川環境に無配慮改修工事が行われ、個体数に悪影響を与えるなんてことも起こるかもしれません。生物多様性保全の上で一番怖いのは、人々のその生き物に対する「無関心」です。ウナギ絶滅派(?)の人の呼びかけるウナギ不食運動採集を控えることはそうした「無関心」に直結するものである危惧しています。本当はウナギなんてどこにでもいる魚なんです。ただ夜行性なのと濁った場所が好きなのと、かくれんぼちょっと上手いせいでその存在になかなか気付けないだけなんです。まだまだウナギはたくさん川にも沼にも海にもいますうな重だけではなく、彼ら本来の活き活きとした姿を多くの人に知ってもらい、彼らと彼らの暮らす環境が守られることを願ってやみません。

2017-07-14

別に朝日新聞が上等な新聞社とは思わんけど

ネトウヨ勘違い憎悪の酷さがハンパねぇ

ネトウヨ 七生報國二生‏@sinsyu_samurai2

朝日新聞西部報道センター

http://blog.livedoor.jp/googleyoutube/archives/51929600.html

今まで気付かなかった

まとめサイトは嫌いだけど、○○○○○は好きなんて思っていてずっと見ていたけど、結局同じだったんだ。

本文中には色々不安を煽るようなこと書いてあるけど、英語の原文を読んだら全然そんなこと無いのね。

コメント欄を見るとまんまと記事の内容に扇動されている。

結局どれもこれも見出しや本文はセンセーショナルにってことだね。

添加物万歳か。

2017-07-08

https://anond.hatelabo.jp/20170708100846

後で乗っかるやつって、そもそもオリジナル映像とか文章とか読まないしな

センセーショナルタイトル先入観持って、切り取られた印象操作の部分だけを読む

2017-07-06

[]よくある質問

真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。

Q.アニメを観ている人間を観るのはなぜですか。

要は「コント番組の笑い音」だ。

どこが笑って、どこで泣くべきか、それを担保してくれる。

更に、そうすることで感情は増幅する。

より楽しめるということだ。

自分センス信じろっていうが、実のところ皆どこかで他人の顔色を窺わないと楽しめないのさ。

Q.フルチン凶器を持っていたら、政治的にはどちらが問題視されるのでしょうか。

そりゃあフルチンさ。

おっと、「別の凶器の方が目立つからですね」みたいなクソつまらジョークを言ったら脊髄を引きずり出してやるからな。

私のように健全精神を育むように。

Q.争いを止めるためにはどうすればよいのでしょうか。

生憎だが私は神様じゃないし、人間基本的に争いが好きな生き物だからな。

だが対症療法でよければ答えよう。

よりセンセーショナルな争いに参加させるよう誘導させるんだ。

要は先ほどの回答の応用だな。

凶器とフルチン」の法則だ。

毛が生えているなら尚よし。

2017-07-01

車椅子利用者事前連絡を強いるのは、なんちゃってバリアフリーでは

バニラ・エアの件、論点が増えすぎてうやむやになって終わりそうだったので、論点をいくつかに分類した上で私が思う問題点について書いてみます

長いので結論だけ先にまとめておくと、車椅子利用者のみが自主的事前連絡を求められていることはバリアフリーでなく、より確実なバリアフリーを目指すために航空会社システムの側で対応すべきということです。

ちなみに私は健常者ですが、中学の時にこのエントリと同じような趣旨卒業レポートを書いたり大学車椅子利用者向けのインターフェースについて勉強したりしていたので、どちらかと言うと車椅子利用者側の意見になっているかもしれません。

論点の整理

今回の騒動話題になった記事http://b.hatena.ne.jp/topic/300611893821289425 が割とよくまとまっています(おそらく自動生成ではありますが)。これらのエントリを見ると、論点は大きく4つに分けられます

エントリでは4つめについて主に述べたいのですが、一応私の立場の表明がてら他の3つについても軽く触れておきます。長くて読むのが面倒だという方は飛ばして次のセクションを読んで下さい。

バニラ・エア側のその場の対応問題であったか

その場の対応についてはバニラ・エア側も謝罪対応しており、搭乗拒否したことが問題である点については多くの方が同意するところでしょう。「バニラ・エア車いす利用者搭乗拒否に対するDPI日本会議声明 : DPI 日本会議」でも、やはり搭乗拒否についてが問題として指摘されています

LCC車椅子利用者対応を期待するのは過剰サービスだ」という批判も中にはあるようですが、これは障害者差別解消法でいうところの差別にあたりますコスト理由だけで搭乗拒否することは「合理的理由であるとは言えないでしょう。

報道の仕方に問題があるのではないか

報道の仕方については、やや見出しが過剰にセンセーショナルであったことは否めないように思います

【ラジオ書き起こし】荻上チキ×木島英登×石川准「誰もが暮らしやすいバリアフリー社会を実現するためには何が必要なのか(2017/06/29 TBSラジオより)- "シュプレヒコールを歌え" 」に、「あの、私は、階段を這って上ったことは、僕にとっては屈辱でも何でもなくて。 」とあります。つまり這って上る事自体木島氏も問題視していません。

一方で最初話題となった記事タイトルは「車いす客にタラップはい上がらせる バニラ・エア謝罪」でした(今は修正されたようです)。このタイトルからは「はい上がらせ」たことが問題であったようにとれる点で、そもそも論点がずれていたと言えます。結果として話題となったのは良いかもしれませんが、論点のずれによって初期の議論が迷走し、木島氏へのバッシングなども引き起こししまったのではないかと感じています

木島氏の行動・人格問題があるのではないか

3つ目の木島氏の人格についてですが、私はあまり問題であるとは思っていません。「プロ障害者」という批判があるようですが、当事者として声を上げられるのは当然当事者だけです。「 なぜ声をあげた障害者がバッシングを受けるのか?バニラ・エア問題、本当の争点はどこにある 」にもある通り、「声を上げた」ことは他の車椅子利用者の方にとっても救いとなるのではないかと考えています

一方で「本来必要とされている事前連絡をしなかった」という非が木島氏にあることはたしかで、この一点のために個人責任を問われているところがありますしかしながら、事前連絡必要であることそれ自体問題があるのではないでしょうか?すなわち、搭乗拒否差別であることだけでなく、事前連絡必要性もまた差別であり解消されるべきものであるということも、今回の件から考えるべきではないでしょうか?これについては次のセクションで詳細に述べたいと思います

事前連絡必要なことは差別なのか?

木島氏への批判理由として、「本来必要とされている事前連絡をしていない」ことがあるようです。今回のケースでは連絡していても搭乗を拒否されていただけであろうことを考えると、この批判は当たらないようにも感じますしかし一方で、木島氏は普段から事前連絡をしていないようなので、そのことを問題視する方がいるのも理解は出来ます

特に車いすで飛行機に乗る時は | いすみ鉄道 社長ブログ」によって、航空会社側の安全管理上の都合が多くの人の知るところになって以降、その傾向が強いようです。

この航空会社側の都合とは、車椅子利用者の方があると事前に分かっていれば対応できるのだから事前連絡をして欲しい、ということのようです。対応できる事自体は素晴らしいのですが、この考えには飛躍があります。その飛躍とは、「航空会社が事前に把握するための負担を、乗客である車椅子利用者が負わさせられている」という点です。

少し話は逸れますが、他のケースとの比較を通じてこの問題点について考えてみましょう。

機内食についての事前連絡必要性に関して、ベジタリアンや信教、健康上の理由からマイノリティでも事前に連絡しているという意見がありました。バニラエア確認してみると、機内食としてベジタリアン用の食事は予約時に選択できるようになっていますバニラ・エアグループ会社であるANA確認してみると、さらに多くの種類の食事が選べるようです。

さなお子さんがいる場合航空会社は把握する必要があります。この場合も、システム利用者誕生日入力させることによって航空会社は把握することが出来ます

すなわちこれらの2例では、マイノリティ存在を把握するための仕組みがシステムの中で事前に準備されているということです。

話を戻して、車椅子利用者についてはどうでしょうか?ANAでは「おからだの不自由なかたへの空の旅へのお手伝い|ANA 」にあるように、事前に電話で連絡する必要があります。今回問題となっているバニラ・エアではFAXまたはフォームからの連絡が必要です(「お手伝いが必要なお客様|ご利用ガイド | バニラエア Vanilla Air」)。すなわち、航空会社システムとして主体的車椅子利用者存在を把握しようとするのではなく、車椅子利用者の方から航空会社自己主張をするという構図になってしまっています

この対応の違いこそが差別的であると私は思います

もちろん食のマイノリティ幼児に比べて車椅子利用者は少ないという数の問題はあるでしょう。しかし、だからといってその存在例外として扱って良いわけではなく、存在するのが当然と見なして対応するべきです。マイノリティについて事前に把握する必要があるならば、そのコスト利用者側でなく航空会社側が負担すべきではないでしょうか。実際「障害者への差別的な対応しないよう航空会社に指示へ 国交省 | NHKニュース」でも、「搭乗前に乗客に聞きとる」という航空会社主体的な行動が要請されています(この記事に対して、やはり木島氏は事前連絡すべきだったとする意見があるようですが、それには前述した飛躍があります)。

一方で、電話で連絡すれば搭乗がスムーズになるというのは、搭乗できないよりは遥かにマシでもあります。それ故この対応を「差別である」と切り捨てることもできません。

まり重要なことは、「ある行動が差別であるかどうかは0/1で決まるものではなく、比較可能ものである」ということです。今回のような「比較差別的」な状態は、「比較バリアフリー」を継続的に目指すことで解決されると私は考えています

なんちゃってバリアフリー比較バリアフリー

差別が0/1で決まるものではないという話をしましたが、それは「バリアフリー」についても同様です。事前連絡をすれば搭乗できることは、全く搭乗できない場合よりはバリアフリーであるといえますしかし同時に、事前連絡せずに搭乗できる場合よりはバリアフリーではありません。本当にバリアフリー社会が目指すべきなのはこの、「事前連絡せずに搭乗できる」という状態でしょう。

つのバリアフリー手段が用意されていることだけをもって「バリアフリーだ」と言い張るのは簡単です。しかし、それによって既存バリアフリー施設問題点改善点が見えなくなってしまうという新たな障壁もあります。そのような「なんちゃってバリアフリー」の状態に甘んじることなく、全てのバリアがない「真のバリアフリー」を目指すことが、社会全体としては必要とされています

もちろん「真のバリアフリー」は理想論であり、全てのバリアを一度に完全になくすことは現実的不可能です。だからこそ、一つのバリアフリー施策実施するだけでバリアフリーになったとするのではなく、既存バリアフリー施策で足りないところを改善しながら一歩一歩「真のバリアフリー」を目指していくことが必要となります。この、漸近的に解消していくプロセスこそが合理的配慮である、と私は考えています

今回のバニラエア場合は、例えば予約時にモビリティ上の特記事項があるか否かのチェックボックスを用意すれば、航空会社車椅子利用者の利用を把握できる上、ユーザーの手間もそれほど変わらないでしょう。その上で航空会社がどのように対応するか、主体的に決めることも可能になります。多くの種類のマイノリティ存在する中でどれに対応するのかという問題はありますが、サポートする範囲を少しずつ広げながら、差別を減らしていけるはずです。

差別バリアフリーを0/1で捉えるのではなく、連続的に改善していける社会になればいいなと思います。長い文章でしたが、読んでくださった方ありがとうございました。私より中立的立場の方からコメントや、車椅子利用者の方のコメントが頂ければ嬉しいです。

2017-06-30

障碍者飛行機問題

両論これだけ盛り上がってるのを見ると、

結局センセーショナルなあの行動は一つの正解だったんだと認めざるを得ない気がする。

個人的信条では受け入れがたいのだけど。

 

ここまできたら、喧々諤々の末に落としどころに収まってほしいところですね。

2017-06-28

https://anond.hatelabo.jp/20170628205128

正義はてな民ブコメでも言ってるけど事前連絡必要ということ自体論外!はじめからどんな客が来ようとも予測して速攻で完璧対応が全ての会社でできて当然!!!それがバリアフリーってもの!!!これに文句言うやつはネトウヨ!これだから日本!!!!!って日本問題をまた一つ、そんなことも知らずにのほほんとしてたイカれるはてな民に知らしめただけでも意味があった。

これからも色んな所でいか日本バリアフリーでないかガンガンセンセーショナルに知らしめて日本の闇を暴いてほしい。

https://anond.hatelabo.jp/20170628194002

奴は、センセーショナルニュースにするために、わざとあんな登り方をしたんじゃないの?

という意見に対してはどう感じます

車いす飛行機に乗る時のこと

車いすユーザーになって10年目です。

車いす飛行機に何度か乗ってますがその時のことを書こうと思います

・予約時

自分場合自力車いすを乗り降りできないし、機内で必要ものもあるので事前連絡します。

JALとか大手だと登録しておけば二回目からは大体伝わっているので交渉は楽ですが、初めての航空会社だとけっこう手間です。

・受付時間

受付時間が出発時刻の1時間前なのと、そもそも空港に行くのに人より時間がかかるのでかなり早めに出ないといけないのがちょっと大変です。

空港車いすに乗り替え

積み込みの関係チェックイン時に乗り替えられる人は乗り替えた方がいいんでしょうが自分車いすじゃないと安定して座っていられないので直前まで自分車いすに乗っています

ただ、機内に入る時は機内の通路を通れる専用の車いすに乗り替えないといけません。

乗り替えるとき職員の方だと自分の体を扱うのに慣れていないため(当然ですが)、同乗者主導でやってサポートしてもらう感じです。

・乗車時

乗るのに時間がかかるので一番最初に乗せてもらいます。同じ優先順の人がいたら先に行ってもらいます

機内用車いす体幹の効かない自分にとっては恐ろしく不安定な乗り物なので、なるべく直前まで自分車いすで移動させてもらいます

ボーディングブリッジ場合飛行機の入口まで行けるのですが、タラップだと特殊タラップ車に乗らないといけないので早めの乗り替えでちょっと大変です。

特殊タラップ車だとバスの車体ごと高さが変わる感じなので階段昇降機がなくても入口まで行けるので便利です。

普通タラップに階段昇降機が付いていても自分だと乗るのも大変だし多分まともに座ってられないのでなるべくなら乗りたくないところです。

階段昇降機すらない場合自分ならそこに行くのを諦めるレベルですね。

職員の方が乗せてくれるといっても慣れない人が自分の体を扱うのは危ない事が多いので怖いです。

正直そういう場合は信頼できる同行者がいるならその人にお願いするのが一番楽で安心なのは事実かなと思います

・機内

機内用車いすは機内に入る時にタイヤとアームレストをはずして補助輪だけにするのですが、これは自分にはかなり怖いです。

ちょっと傾いてバランスを崩すと体が横に倒れてそのまま落車してしまますが、職員の方は割と豪快に動かすことが多いのでいつもヒヤヒヤします。

座席への移動も手伝ってもらいますが、女性職員さんはやはり非力な方が多いので、男性が一人でもいるとかなりスムーズにできます

・降車時

降車も時間がかかるので一番最後になります

怖いのは乗るときと一緒です。

今度のニュースに対する自分感想は、

階段昇降機のない奄美空港飛行機を飛ばすのにその対応をしていなかった点はバニラ責任があると思います

事前連絡しなかった点は、そもそも飛行機なんかのインフラに関する事前連絡は当日にスムーズに事を進めるのに必要ものだと思っているので、事前連絡をしなかったがために飛行機に乗れないということはあってはいけないことだと思います

急に必要になることもあるわけですし、ニュースの人は比較的に自立度の高い車いすユーザーのようですしそこまで特殊パターンとは言えないと思います

・当日の対応はいずれにしても何らかの方法で乗るかしかなかったわけで、なんとかなったなら今回はそれで仕方ないと思います。今後は対応するみたいですし。

正直言って同じ乗せるなら同乗者がやるのが一番手軽だっただろうとは思いますが、自力で上がったって事実センセーショナルに扱われ過ぎて議論があらぬ方に言っているなと言う感じがします。

とある新人漫画家に、本当に起こったコワイ話」とねとらぼ対応

https://togetter.com/search?q=%E4%BD%90%E5%80%89%E8%89%B2&t=q (参考)

一部でも話題になった色紙1600枚事件(そんな風に世間で呼ばれてるかどうかは知らない)の当事者である佐倉色氏の描いたエッセイ漫画を読んだ。

というのもたまたまトゥギャッターねとらぼ反論記事に関するまとめを見て本分に何が描かれていたのか興味が出たから。

問題記事だけだと何があったのかさっぱりだし、周囲の反応も漫画の方を読まずにあっちが悪いこっちが悪いと勝手な推論を言ってる人が多くてこりゃあ漫画の方も読まないと何がなんだかわからないぞぅということで即購入。本の内容自体面白そう(笑える方面じゃなくて好奇心を刺激される感じで)だったので。

で、読んだ感想としてはまあ色々ある。編集者さんヤバイなとか。

ただそのあたりは正直一般的感想として出尽くしているので、今回は場外乱闘的な部分であるねとらぼとのあれそれに絞って言う。ねとらぼという会社としてはともかく問題記事作成した個人の方とはあまり関わりあいになりたくないなあという結論

問題記事を「整然とした反論だ」と言っている人を見かけたけど、別に整然とはしてない。主張そのもの理解やすいけど。

おおまかな経緯

漫画家兼業作家)の佐倉氏は、当時の担当であるボーノ氏(仮名)との間にトラブルがあり、精神的にかなり疲弊していた。(このトラブル顛末をまとめたのがタイトルにも入れてるエッセイ漫画

そして編集とのトラブル疲弊していた時期に起きた「本来問題とは直接的に関係があるわけではないけれど、関連して起こったプチ騒動」がねとらぼの件になる。

佐倉氏は度重なるストレスから自身ツイッターブログで「色々あって疲れたので(今回問題にする部分とは関係ないので詳細は省く)商業から暫く距離を置くつもりでいる」という話をした。それを見たねとらぼ側が『「桜色フレンズ」の佐倉先生商業マンガ家引退を表明 月刊少年エース担当者とのいざこざが原因』というタイトル記事にした。

佐倉氏は該当の記事に関して不満があり、直接電話意見することになった結果、最終的に該当記事については削除されるに至った、というのがまあごく完結で客観的事実と言えると思う。

今回エッセイ漫画の中で騒動中の一幕としてこのねとらぼ記事や実際のやり取りに関する話題も触れられており、ねとらぼ側はそれに対して「事実と違う」と反論記事を上げた、という流れ。

佐倉氏の主張について

参考にできるものリンクできるところにないため解説。これは実際の漫画を読んで自分なりに解釈した内容になるので、気になる人は一次資料になる漫画を読んでもらった方が早いとは思う。

そもそもとして佐倉氏がねとらぼ記事に気が付いたのはボーノから電話によってであり、彼と話をしながらサイト記事を読んでいた状況であることが描写されている。ここは割と重要

まず、佐倉自身自分ブログでの発言について当時の心労や混乱、なるべく穏便に事を済ませたいといった様々な思惑から『「批判」と「フォロー」 「辞める」と「辞めない」が入り混じった不思議文章を書綴っていた』としていて、本人自身が分かりにくい点のある文章だったと認めている。

その上で、言いたかったことは『商業撤退。少なくとも当分はこりごり。もし縁があったら商業復帰したいけど当分は休みたい』であるとしている。

だが、ねとらぼ記事ではタイトルインパクトの強さや記事の要約の仕方から、この記事では本意が伝わらないだろう、ブログを読めば分かってもらえるだろうが記事を見た人がわざわざブログまで確認することは少ないだろうと判断

(補足:この時点で佐倉氏には「記者の人は本当に自分ブログを読み込んだのだろうか」「ざっと呼んだだけでセンセーショナル話題からと大雑把な纏め方をされたのではないか」といった不信感があったのでは?と思われる。)

また、ナイーブ話題であるのにブログ記事だけを元にされていて、発言の裏にどんな意図があったのか、ブログ記事事実なのか、といった詳細を確認しなかった、佐倉氏とは直接コンタクトを取ろうとしなかった点について『本人に事実確認もせず記事にする』と認識している。(補足:出だしの時点でねとらぼに対してよい印象を持っていなかったことがわかる)

こうして記事に対して不満を抱えていたところに、ボーノ氏がブログ掲載していた画像を使っていたことについてほのめかし、著作権に明るくない佐倉氏の画像を使ってよいものなのかという疑問に対して『普通にナシですよ』と発言

(補足:著作権的に引用範囲であれば無断で画像を使っても問題ない。問題画像引用範囲だと認められるかどうかはそれこそ権利に詳しくないと難しい、素人では判断ができないのではないかと思う。が、逆にそんなものを「普通にナシ」と軽々しく言ってしまえるあたりボーノ氏も著作権に明るくないと思われる。)

さらに補足:この適当説明のせいで佐倉氏はねとらぼに対して「人の真意を汲み取らずおざなりな要約記事掲載した上に普通にナシである画像転載までしたのか」とマイナスの印象を強めたと思われる)

そんな中で佐倉氏はボーノ氏にお願いされた「画像の取り下げ」(本人としても下げて欲しかったとは思う)を依頼するために直接ねとらぼ電話

(補足:佐倉氏がまず気にしていたのは大げさなタイトル記事だけでは氏の真意を汲み取れないことだったので、目的である画像取り下げとは別に個人の思惑として記事のものについてもどうにかして欲しいという思いはあったと推測できる)

会話の内容については

という流れだったとしている。

なお、折り返しの連絡を待っている間の描写の中には明らかに焦点のおかし自身の絵や、善意の気づかい言葉すら悪意に取ってしまうほど追い詰められていた、と自身が正常ではなかったことの説明も含まれている。

(補足:つまりこの時点で、電話の時も作者が冷静ではなかったことが読者に伺えるつくりになっている)

折り返しの連絡は編集長から最初電話をした人とは別人)であり、「許可は取っていない。今回の記事は削除する。しか記事タイトルは残す」という内容。

それに対して佐倉氏は漫画内で『私の希望無断転載された画像の削除と事実と違うタイトルの変更です』としている。

(補足:最初電話の部分ではタイトル変更を希望したということは描写されていない。タイトルを誇張だと認識していることは描写されている。)

しかこちらの主張は聞いてもらえず「(記事は消すが)画像無断転載ではない」ということを何度も言われ、『半ば怒鳴りつけるような強い口調』だったと描写されている。

画像の利用については佐倉氏の認識としてはお礼漫画(2ページ)全部を丸々掲載されたという状況で、これが無断転載でなければ何なんだろうと疑問に思っている。

また、記事の削除理由として佐倉から要請があったためと説明すると再三確認され、最終的に一方的電話を切られた、という流れだったとしている。

(補足:佐倉氏は名前を出すことを再三確認されることの理由がわからず、もしかして脅されているのではと受け取った)

そして記事は削除されました、という流れでねとらぼに関する描写はだいたいこのくらいだと思う。

ねとらぼの主張について

これは全文参照できるので直接見るのが早い。

http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1706/10/news018.html

あえて重要と感じた部分を要約すれば

画像は一部使用であり2ページ丸々使ったという事実はない

電話の内容として書かれている部分が事実と違う

といったあたり。

ねとらぼ佐倉氏の共通認識事実とみなしていいだろう部分)について
食い違ってる部分についての勝手想像について

これらを確認した上での個人的な推測を述べる(もしかたらこういうことなのではないかという話でこれが真実だと言うつもりはもちろんない)。

まず、前提として確たる証拠が出ておらずどちらも当時の記憶を頼りに話しているのだろう、という判断しかできない以上、どちらの発言も「主観的事実に基づいたものであり、一定事実性はあるけれど真実を語っているわけではない」と考える。

まず、佐倉氏はねとらぼ電話をした。主目的としてはもちろん依頼された「画像の取り下げ」である

しかし、氏はねとらぼ編集部に対してかなりマイナス印象を持っており、個人的には画像の取り下げよりもこちらの意図が伝わらないと思われる記事の内容の方が問題だった。

そしてまず記事の作者と話をした。話の内容として恐らく

(2)佐倉氏は次のように主張しました。「1:自分に断りなく記事掲載されている」「2:画像無断転載である」「3:文章ブログから無断転載である

ここは間違っていないと思う。漫画での主張(会話の内容としてと言うよりは本人の認識部分)とも一致しているからだ。

そもそも漫画会話内容は実際の会話の要約だと思われる(あんな短い会話で話が済んだわけがないと思うので)だろうから、全体としてまとめたらそういう話にはなるだろう。

ではその主張を元にどのような会話が繰り広げられたのか。

繰り返すが本人も認める通り佐倉氏は著作権に詳しくなく、編集部として直接取材はしていないことも画像の利用に許可を取っていないことも認めている。であれば「裏取りもせずに勝手画像を使ったと認めるんですね。であればこちらに断りなく使用した画像を消去して下さい」と依頼して何の不思議もない。それが主目的だし。

ただ、ここで画像に絞って主張したかはかなり怪しい。繰り返すがボーノ氏の希望である画像の削除とは別に作者自身希望として記事内容のものに不満があったのだから

というか二度目の電話の時にタイトル修正希望だと言っているので、一度目の電話の時に画像の削除と一緒にタイトル修正も主張したと考えた方が妥当

で、無断利用したものを消して欲しい、という希望に対して、もし仮に「いやこれは著作権的にこれこれこういう理由別にさなくてもいいものなんですよー」とか「今回の記事転載ではなくて引用範囲なのでー」という話になったのであれば別だが、ねとらぼ側の主張を見るにそういった説明をしたという記述はない。あくまで「事実から報道したまで」「転載はしていない」という主張である

無断で利用したことを問題視しているのに、「そうですね無断です」と言えば「じゃあどうにかしろよ」と言われるのはある意味当然の流れでしかない。

ここで「無断ではあるが無断であることは問題にはならない」ということを説明できれば話は違ったかもしれない(佐倉氏が冷静ではなかったのでその説明に納得してもらえたかどうかは分からない)が、ねとらぼの主張ではそれを説明したようには見えない。こじれるのも残当である。(文面と漫画だけで判断するなら)

「無断で使ってるんだから消して下さい」(誤った著作権への認識と心労による疲弊による主張)→「事実を書いただけです。転載はしていません」(引用なので法的に問題はない)→「いや、さっき確認取ってないって言いましたよね?なんで消せないんですか?」(法的に問題ないことの詳しい説明がなされないため主張の意味が分からない)→「いやですから転載をしたわけではないので……」(著作権には違反していない)

といったような堂々巡りがあったのではないだろうか。それならお互いに「話が通じない」という認識になるだろう。

あと、電話内容の(4)についてだが、「商業引退ではないのか」と聞いても作者は「いや距離を置くだけって書いてあるやん」としか思わなかったのではないだろうか。佐倉氏の言う真相とはもっとブログに書かれていない情報を引きだそうとする努力はないのか、編集者の行動が事実だったのかの確認はしないのか(漫画で「漫画家一方的な主張を元に記事にするの?」という疑問を持っていた)という意味である可能性があるので、この部分は認識の違いのような気がする。

記事自体の削除云々については、佐倉自身記事の内容そのもの問題視していた(事実とは異なる、誇張された表現だという認識)ので、その認識からくる発言記事の削除を求めるものだと受け取れるものであった可能性は高いと思う。

ねとらぼ対応問題はあったのか

疲弊してパニックを起こしている作者から電凸である。口調も実際は漫画であるような冷静な口調と考えるよりは興奮してそれなりの語気だったと考える方が自然。なので編集部が「この人話が通じないな」とおざなり対応になってしまったとしても仕方ないというか割と当然だし、間違った認識を元に問い合わせている作者に対してわざわざ間違いを訂正する必要もない。

よってねとらぼ対応は「間違ってはいない」し、仮に漫画の内容が正しくてもねとらぼ側に不利益な内容であれば当然反論する権利はある。

ただ、「漫画家編集者確執を取り扱った記事を裏取りせずに記事にした(電話取材は行ったが不在で話せなかったため漫画家ブログという片方の主張しか確認できない状況なのに記事を即公開した)」のに「当人が当時の精神状況は異常だったと再三繰り返しているエッセイ漫画での記述については事実関係が違うが裏取りはしたのかと反論する」のはなんともダブスタ構造だなぁと思った。(そして漫画家発言一次ソースとして掲載しました、編集者側の発言取材できなかったけど事実報道なので問題はないです、とするならそれこそ飛鳥新社の主張と何も違わないのでは?)

のでねとらぼ編集者ダブスタな人たちなんだなぁと個人的に感じた、という話。

2017-06-14

https://anond.hatelabo.jp/20170614201508

影響はあると思います犯人が自供したからこの漫画が悪くて許されない!というのは安直議論に値しないと思います

増田の方が書いていたようにチビハゲデブ馬鹿にしてもよいという風潮もそうですし

イジメやイジリを許容する風潮や

優等生勉強のしすぎで頭がおかしなるみたいなステレオタイプフィクション助長している偏見でしょう

そのような遍在する悪影響に向き合わずセンセーショナル事件にだけ飛びつくような議論には賛成できません

いじめっ子が死んだ

いじめられた期間も短ければ(その後は平然と友達のふりをしてきた)

ニュースになるようなセンセーショナルな内容でもなかったけど

年に何度か早く死ねと思うくらいには恨んでいた

小さい子供がいるらしいけど、ざまぁしか思えない

僕が小さい頃

大人舐めるなってCMがあった

子供の僕は大人を舐めようとは思わなかったが大人には従わなければいけないと思った。

ゆとり教育と言うものマスコミに取り上げられていた。

近所のおばさんが今の子はいいわねぇゆとり教育っていうんでしょ楽でいいわねぇと行っていた。

大人には従わなければならないと思っていた僕は謝った。

キレる若者などがセンセーショナルに取り上げられ若いだけで犯罪扱いする人が増えてきた。

ただ立ち話をしているだけで学校通報され怒られた。

そして今になって気がついた。

なめられたくないなら相手になめさせないのではなくなめられないように自分が気をつければいいし、

実体も知らずにしか子供相手に嫌味を言う大人は糞である

個人ではなく集団の色眼鏡を通してしか人を見ない人間の言うことなど聞く必要などなかった

2017-06-02

重要なのは国連の方から来ました」問題ではなく…

例のアナンド・グローバー氏の福島の件のように、専門性皆無としか言いようのないレベル専門家として口を出すことと、

彼らに実態に則した意見を述べるよりもセンセーショナルな形で自分達を売り込む・ポイント稼ぎするインセンティブが強く働く体制であること、

これらが大きな問題点としてあること。

http://anond.hatelabo.jp/20170602175447

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