「1970年代」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 1970年代とは

2019-04-21

anond:20190421212203

韓国フェミ省ができたのはいつですか?

先のグラフでは、左翼っぽい思想弾圧されまくってた1970年代軍事政権時代から少子化が劇的に進んでます

anond:20190421210053

かにフェミ産児制限を唱えた時代もあったけど

本当にフェミ啓蒙だけで少子化が進んだのかなあ???

1970年代にはノスタラダムスの大予言みたいな終末論一種で、人口爆発資源ヤバいみたいに煽られてたけど、昔からある大災害予言で民をびびらせるキワモノ話の1パターンみたいなもんで、フェミ関係あったとはあんまり感じないなあ

実際に少子化が進んだ理由も、高学歴化による育児コストの高騰という経済的問題の方が、フェミときの影響よりずっと大きい気がする

2019-04-15

anond:20190415042641

本当に1990年代から2000年代前半ごろのエロゲ

オタクサブカル最前線という地位」だったとして

その理由は何か?

エロゲクリエイターで今でも形を変えて繁盛してる型月とかニトロプラスとか見るに

「最低限エロが入ってれば何をやってもOK」な自由プラットフォームだった点だと思う

1970年代末の自販機エロ本の編集者もそんな感じだったらしい)

本当は泣かせる文芸ものがやりたいとか、ハードアクションがやりたいとか

凝りに凝りまくったオリジナル設定のファンタジー物がやりたいとか

そういう連中がエロゲーに関わってたのだと思う

奈須や麻枝や虚淵みたいな1970年代まれ団塊ジュニアクリエイター志望者は数が多かった

静止画シナリオ場合によってはCV無しでも可)で成立するエロゲ

金をかけずに表現できる最良の手段だったんだろう

――が、2000年代後半に入ると、クリエイター志望のオタの表現手段の幅も多様化した

ニコ動とかネット動画の台頭、ラノベレーベルの乱立でデビュー窓口も増えた

なろう系みたいな投稿サイトも出てきた

それで2000年代前半までならエロゲ業界に行ってた層の人材

ジャンルに行くようになったんじゃないかなあ、と

かには、もっと単純に

学生で暇で長大シナリオプレイできた層が就職して時間が無くなった

作品消費からイベント消費(声優ライブなど)への嗜好の変化

・高額なパッケージソフト全般の売れ行き不振

・実況動画サイトなどで手早く内容がわかるようになった

スマホの普及によるPC利用の衰退

などなどの即物的理由があるんだろうけど

2019-04-12

anond:20190411115252

不遇な世代というのは歴史上ほかにもあったと思うが

広義の氷河期世代1970年代まれ?)は

だいたい日本ネット史の黎明期からやたら発言してる連中

1990年代後半(20代中期)のころからネット掲示板に出入りし

2ちゃんねるの全盛期を支えたような連中(その後は動画サイトSNSに移行)

ネット上ではこいつらの声がいちばん多く目立つ(人数も多いし)

そんだけの話かも知れん

2019-04-06

[]エッチスケッチワンタッチ

エッチスケッチワンタッチとは、1970年代から、当時の子供たちの間で流行した言葉である

語源不明だがエッチスケッチワンタッチ345文字数の語呂が良い事から鬼ごっこタッチ時の掛け声や天国地獄地獄代用として使用された。

一説によればエッチ、スケベがエッチスケッチ進化し、グリコワンタッチカレーのワンタッチが広まったとされるが、最後の5文字について特に決まっていない為か全国的ワンタッチ派が多いもの乾電池やマイペットなど様々な呼称存在している。

またエッチスケッチワンタッチの後に、「お風呂に入ってアッチッチ」や「あなたおっぱいセンチ」「お前の母ちゃんデーベソ」など345の語呂合わせとして使用されるケースもあった。

2019-04-04

とりあえず笑う人々

たまたま家で「じゅん散歩」というのを観ていたら、モリダイラ楽器クロマチックハーモニカ教室高田純次が来た。最初自己紹介がてらボケるのが恒例なのだが、高田氏は、

ブルースハープセノオという者ですが」

と言い、教室の生徒達が一斉に笑った。で……笑った人達、本当に意味を分かって笑っているんだろうか、と私は引っかかったわけだ。

妹尾隆一郎という人がいた。この人はブルースハープ第一人者で、1970年代東京関西ライブハウス……丁度愛奴とかシュガーベイブとかセンチメンタル・シティ・ロマンスとかが出ていた頃……では「ウィーピングハープ・セノオ」名義で有名だった人だ。残念ながら一昨年に亡くなられたが、高田氏はちゃんと知っているんだから大したものだ。しかし、あの教室の人々のうちどれだけが高田氏がウィーピングハープ・セノオを念頭に置いてこれを言ったことを理解しているのだろうか。

こういう状況を見ると、いつも思い出すことがある。NHK放送した立川談志ドキュメンタリーで、談志が大きな寺の本堂で『芝浜』を演じていたとき談志が何か言う度に客がけらけら笑う。閉口した談志が遂にこう口にしたのだ:「お客さん、そこ、笑うところですかねえ」……ところが客はこれを聞いてまた笑ったのだった。

『芝浜』は代表的人情噺で、談志が大変大事にしていた噺でもある。そして談志が懸命にそれを演じているその前で、落語おかしもの落語は笑うもの、と信じ込んでいる客が噺をちゃんと聞きもせず脊髄反射的にただ笑う。私にはそのとき談志を見ていられなかった。

こんな風に「とりあえず笑う」というのは、もうやめてもらいたいと切に願う。笑えば無難、笑えば角が立たない、そう思っているんだろうが、それを向けられる者にとっては、時としてそれはあまり暴力的に思えるのだ。

2019-03-29

1945年日本敗戦負債は今も続いている

 

日本敗戦アメリカ属国になっていなければ、日本人が日本を取り戻すための運動は起きなかった。(1960年代1970年代日米安保闘争など)

日本近代史省みると、日本の失敗は、鎖国から開国に転じるとき国家体制に不備があったことが分かる。

 

他国には天皇がいないけど、それでも人間は生きていける。

天皇税金生活する公人ではなく、私財で生活する私人に戻っても、日本人は生きていける。

 

公武合体の代わりに、今なら日本大統領職を新設すべきなのだろう。(大統領現代将軍に相当?)

新しい時代日本は、明治維新以来の失敗を克服して、大統領共和制へ移行するべきではないか

それなら、日本宗主国であるアメリカ了解も得られるのではないか

anond:20190321101902

カラーグループ四季に分類する方法は、1970年代アメリカイメージコンサルタント キャロルジャクソンが始めた手法が元になってる。

(ちなみに「イメージコンサルタント」という職業が生まれたのは、1960年ケネディ大統領選挙での成功きっかけと言われている)

1980年にその手法をまとめた書籍Color me beautiful」が出版されて、世界ベストセラーになった。今も普通にAmazon原著売られてる。で、その書籍日本語訳をした人が、日本にも協会を作って日本人向けに理論カスタマイズして普及させ、今に至ってる。

広めた人の商売もうまかったんだとおもうけど、明快で学習やすいよくできてるメソッドから、それだけ広がる強度があったともおもう。

体型によって似合う服が違うのと同じく、顔型によって似合う髪型が違うのと同じく、色によって顔色が良く見えたり悪く見えたりするというのはあるし、単純に思い込み迷信と言い切れるもんでもない。

色にも形にも錯視効果はあるのはみんな知ってるよね。プラスに働く錯視を取り入れて、マイナスに働く錯視を踏まないようにする、それだけの話。

カラー分類は、科学でも占いでもなんでもない。顔型における丸顔、ベース型、面長、みたいな分類と同じく、単にわかやすくするための目安でしかない。

でも、分類するとそこに謎のアイデンティティを持つ人が出てきて妙な迷信みたいになり、そっちのほうがキャッチーなので流行ったりするというきらいはあるけど。

2019-03-28

anond:20190328103417

びた一文とは、日本語での「ほんの僅かなはした金」の意味の言い換えである

びた銭 室町中期から江戸初期にかけて私鋳された質の悪い粗悪な貨幣や、長い間使い続けられ表面がすり減ってしまった貨幣を指す。

ビタイチ納得してもらえなかった。」これは「イマイチ納得してもらえなかった」の誤用であろう。イマイチとは、「今ひとつ」の意味で使われる1970年代に生まれ現代である。余り良くないこと、今ひとつであること、などを幅広く意味する表現

2019-03-27

anond:20190327155120

武力だけで治めることが難しくなったので、江戸将軍様を崇めなさいということで、江戸幕府は利用していたんではないのかなー。

実際、日本の内資では年功序列を作る上での理論武装的に流用されているようにも思える。

もう、日本システムには合わなくなって来ているだろうが。

少なくとも、自己責任論とセットで、1970年代まれ人間は、反逆できなくなっている。。

2019-03-03

昔はどこの国でも古い建物大事にしなかった。

http://www.mlit.go.jp/kokudokeikaku/iten/onlinelecture/lec135.html

世界の潮流は古い建築物の保存へ

1970年代の半ばまで、日本も含めて世界ほとんどの先進国は、古い建築物に対して破壊的なまちづくりを行ってきました。例えばニューヨークにはペンシルベニア駅(通称ペンステーション)、グランドセントラル駅という二つの大きな駅があります。このうち「アールデコの傑作」とうたわれたペンステーションの駅舎は1960年代に取り壊され、今はもう、入り口がどこにあるのかさえ分からない、本当につまらない建物になってしまいました。そういう例は世界中にあるのです。

かに、古い建物は、現代的な設備施設をいろいろ取り入れないと、そのままでは住みづらい面もあります。また、経済が発展途上の間は、人々は車が欲しい、冷蔵庫が欲しいと新しいものを取り入れることを望み、古い生活様式はどちらかというと邪魔に思っていました。しかし、物質的にある程度豊かになった1970年代の終わりごろには、人々はいったん壊してしまうと二度と取り戻せない古い建物の美しさに気が付き、大事に保存しようという動きが始まりました。

国土交通省サイト掲載されているので信頼性は高いと思われる。

日本のごちゃごちゃした(汚い)景観アジアらしさという人がいる。

タイトルは忘れたけど、日本景観を綺麗にしようてきな内容の本にも、そのように肯定する意見もあると紹介されていた気がする。

でも上記を見ると違う気がする。

単に景観意識途上国はそんな似たところがあるだけで、単に日本途中経過にあるだけでは?

ちゃごちゃした街並みと、古い建築物に対して破壊的な街づくりをするは同じかというと違うような気もするけど。

2019-02-24

anond:20190223115424

時代流行りっていうのもあると思います

星野之宣 30年前から同じ画風で唯一無二に思えるけど デビューはいかに1970年代

今 文藝別冊(河出書房望月三起也生誕80周年記念の本が出ててデビュー直前の作品載ってる

これも ぱっと見せて 誰が描いたかからない人でも 時代はだいたいわかるんじゃないか

2019-02-16

百合ジャンル歴史現在 前

 本稿では、BL/やおいと比べ論じられることの少なかった「GL/百合ジャンル確立歴史と、その現状について考察する。

 はじめに、「百合」というマンガアニメにおけるジャンルを示す言葉概要説明する。「百合」とは主に、女性同士の恋愛と、それに満たない関係性も含めて描いた作品ジャンルを指す。川崎によれば、定説として語源ゲイ雑誌薔薇族」に由来する。男性同性愛を指す「薔薇族」と対になるよう、女性同性愛者を「百合族」と呼称した「百合族の部屋」というコーナーが1976年から不定期連載されるようになったのが始まりであるとされる(川崎2014:44)。当時はレズビアンを指す用語だったが、徐々にサブカルチャーに輸入され女性同性愛を扱った作品群を呼称する言葉に変化していった。

 まず、日本での「百合」のマンガジャンルとしての成立について述べる。そもそも大正ごろの日本においてマンガとしての形態以外で女性同性愛テーマにした創作物としては、性描写過激男性向けポルノか、少女向けの小説に二分されていた。特に女学生同士の姉妹関係エス」をテーマにした少女小説金字塔として、「花物語」(1925)などが代表される。しかし、大正時代少女文化として流行した「エス」の概念現代の「百合概念とは違い、上田は「自覚的女性を愛することを選択したというよりは、良妻賢母になるための安全なる予行演習という側面もあった」と述べている。(上田 2014:192)

マンガが発展し、女性同士の関係性を主題とした最も初期の連載作品1970年代ごろから山岸涼子「白い部屋のふたり」(1971)、池田理代子おにいさまへ…」(1974)、「ベルサイユのばら」(1972-73)のオスカルロザリーなどにみられはじめる。これらは、「24年組」に代表される少年愛テーマとしたマンガと同時発生的に少女マンガ誌に掲載されたものだ。藤本は、このころの百合マンガの大きな特徴として

 ①対照的な二人の容姿(中性的・くっきりとした美人可憐少女イメージ)

 ②演劇モチーフ(宝塚歌劇の影響)

 ③悲劇的なストーリー(少年愛を扱う作品対照的同性愛による葛藤描写)

を挙げている(藤本 2014:101)。これらの特徴は、1970年代女性の抱えていた抑圧感を反映していたものなのではないかと考えられる。女性作家による「少年愛」が現実の抑圧から解放として、性的未分化存在(少女)の何物にも縛られない感情の動きを描写したものなら、このころの「少女愛」はそれと対照的に、抑圧からの逃避としての悲劇的な結末が設定されることが多かったのではないだろうか。表現手法舞台設定は耽美幻想的でありながらも、当時の日本での女性のおかれる立場に忠実な閉塞感が描写されたものだと考えられる。また、この時代百合マンガ少年愛ほどの大きなムーブメントには発展せず、作品数も多くはなかったため、自然消滅的に衰退していった。

 しかし、1990年代同人誌文化の発達に伴い、百合ジャンルも急速にその勢いを復活させる。

まず、「美少女戦士セーラームーン」(1992-97)によって、女児向けマンガにおける戦う美少女という概念ジェンダー論的な観点においての大きな転換点となる。異性愛的な要素が物語の中心に関与していたにもかかわらず、同人イベントではセーラー戦士同士のカップリングを描いた作品が爆発的なブームとなった。その理由として考えられるのは、消費される客体としてではなく主体としての戦う美少女像が確立されたことではないだろうか。これにより、百合的な描写70年代における悲劇的な結末に向かう物語ではなく、少女が二人で主体的に幸せを獲得していく過程が重視されるようになっていったと推測できる。

そして、物語の中の関係から百合文脈を汲み取っていた時代から、前提として百合のもの主題においた作品も増加していく。代表的なものとして、「少女革命ウテナ」(1996-98)がある。この作品は、古典的少女マンガシンデレラストーリーを基盤に「王子様」と「お姫様」を少女同士に置き換えてなぞりつつ、70年代百合作品に見られた演劇的なモチーフや学園モノ、男装美少女といった設定を取り入れ、また絵柄としても耽美で繊細なものであったが、これらは意図して行われたパロディ化された演出だった。ストーリーの結末も、最終的には二人が離れ離れになる点は悲劇的にも取れるが、その後ヒロインたちの再会が示唆されている。アライによると、「王子様」と「お姫様」が結ばれてハッピーエンド、という構造少女同士で反復するだけではなく、最終的にヒロインたちは「王子様」と「お姫様構造破壊し、自身覚醒させ歩き出すことで、社会的女性規範を打ち砕くことができるのだ。(アライ 2015:57)それこそが「世界革命する力」であり、この結末によって投げかけられたのは、異性愛規範や家父長制へのアンチテーゼと、黒人女性解放運動日本女性ウーマンリブ運動などの背景を踏まえた社会的メッセージだった。

これらの2作品によって、社会的な動きと呼応した百合マンガの潮流が形作られはじめる。「セーラームーン」も「ウテナ」も少女マンガ誌に掲載されており、本来ターゲット層は10代の少女対象にしていたと考えられるが、ここでのプラトニック少女たちの絆がオタク層にも受け入れられ、恋愛的な文脈解釈した成年層による二次創作が爆発的に流行する。これと同時に一次創作オリジナル同人誌においても、「百合」という概念が定着しはじめ、少女同士の恋愛主題にした作品がみられるようになる。

 そして2000年代に入ると、マンガジャンルとしての百合を専門に掲載した「百合姉妹」(2003-2005)が発刊される。その後、「コミック百合姫」(2005-)に統合され、現在刊行中。専門誌の発刊は大きなジャンルの発達の手掛かりとなり、この雑誌に連載されていた作品アニメ化や二次創作流行によって、「百合」というジャンルがはっきりと定義されはじめ、広く認知されるようになっていく。しかし、その定義に関して「男性が主要人物として登場し、恋愛関係に介入する」「性的関係が生じた場合百合ではなくポルノ」などといったさまざまな議論が巻き起こったのもこの時期である

また同時期に、「神無月の巫女」(2004-05)や「舞-HIME-」(2004-05)などの少年誌で連載される百合作品が登場する。これらの作品は、少女マンガ作品よりも直接的な同性間の恋愛としての描写性的表現が強く押し出されていた。ここから現代男性向けと女性向けの要素を同時に内包した現代百合マンガ形態確立しはじめたといえる。2007年には、前述した「コミック百合姫」の姉妹紙として一迅社からコミック百合姫S」と「コミック百合姫Wildrose」が発刊。「S」は本誌よりソフトで繊細な関係性の百合を扱い、なもりゆるゆり」(2008-)が代表するような「日常系百合」の流れを作った。一方「Wildrose」は、それまで成人向けポルノとしての過度な性描写忌避されがちだった(厳密な定義での「百合」ではないとされる議論があった)当時の風潮の中、直接的な性描写掲載した作品を扱う専門誌として独立した挑戦的な試みだった。

 ここで、2008年に行われた「コミック百合姫」の読者アンケートを参照してみる。2008年7月号時点の『コミック百合姫』読者の男女比は男性27%、女性73%であるのに対し、『コミック百合姫S』の方は男性62%、女性38%となっている。つまり現在統合された「コミック百合姫」の購買層は、この男女比を単純に平均すると男女差はほぼ半々で、やや女性読者のほうが多いということになる。ここでは百合マンガの購読層を性別と消費の形態に4つに分類して考察した。

①「傍観」型女性

 女性購読層において基本的には、社会的比率を前提にすると異性愛女性のほうが多いと考えられる。彼女たちは少女同士の関係性に、「現実における異性愛ジェンダーロールによる苦痛から隔絶された「非現実的な同性間による越境快楽」を心の拠り所として愛好するのではないだろうか。なおこれについては、やおいBL ジャンルを愛好する女性においてもほぼ同じ理論適用できる層が存在すると思われる。

②「投影」型女性

 百合というジャンル性質上、他の恋愛形態をメインとしたジャンルよりもレズビアンバイセクシャルを自認する女性が購読層に多い傾向にあることは考慮するべきである彼女たちは、異性愛女性が「少女マンガにおけるロマンティクラブ」を夢見るのと同じように、自身性的指向に一致した自己投影先として「百合マンガにおけるロマンティクラブ」を享受していると考えられる。

③「傍観」型男性

 百合自分投影先の存在しないストーリーを消費するものとして受け取っている購買層。①「傍観」型女性とほぼ同じ論拠が適用できると考えられる。

④「投影」型男性

 百合マンガ登場人物自己投影する男性は、ジェンダーロールから解放と、女性との恋愛の疑似体験を同時に達成できる。この購読層の性的指向に関しては、社会的比率として異性愛男性が多いと思われるが、異性愛コンテンツNL)ではなく百合GL)を愛好する彼らに関しては、③「傍観」型男性よりさらに複雑な感情ルーツを持っていると考えられる。また、TS願望を持つ男性MtFとは区別する)や、同性愛男性共感を持って少女同士の関係性を愛好する例も、この枠にひとまず収めることとする。

⑤「乱入」型男性

 特に男性向けの性的描写の含まれ百合マンガ等においては、その世界の中に没入し登場人物の中に「混ざりたい」という観点で消費する層も存在する。これは上記の4つの例と異なり、少女同士の関係性ではなく「(男を知らない、穢れのない存在として描写される)レズビアンである少女を自らの男性性によって屈服させたい」というマウンティングによる性的欲望や、男性主人公やその代わりとなる女性キャラクター存在しない「ハーレムもの」といった受け止め方に由来するものと思われる。ただし、これらの男性百合ジャンルファンから忌避される傾向にあり、特に近年の百合主題とした作品においては減少している。

これらのファンがそれぞれ百合というジャンル定義について議論を重ね、各需要を満たすような創作物制作していったことにより、百合ジャンルが発展していった時期だった。

次に、2010年代百合文化を振り返る。このころに代表的な作品として挙げられるのはテレビアニメ魔法少女まどか☆マギカ」(2011)だろう。この作品は、「セーラームーン」にルーツもつ戦闘美少女系譜を受け継ぎながら、現代調に前提として百合意識して構成された作品ひとつで、魔法少女同士のカップリングを扱う二次創作が爆発的に流行した。

 また、少女マンガ誌において百合を扱った作品が満を持して再び登場する。70年代以降、異性間のラブストーリー(NL)に偏っていた少女誌において約30年ぶりに百合が復活した形で、「野ばらの森の乙女たち」(2011)や「ブルーフレンド」(2010―2011)が連載された。これらの作品は、少女漫画特有の筆致でありながらも明確な少女同士の恋愛関係としての描写があり、また両作品とも70年代のような悲劇的なラストを迎えることはない。少女向けの要素として、学園設定や疑似姉妹などの設定は残されているものの、これらは批判的なパロディというよりも前時代少女誌における百合作品に対する敬意からくるオマージュ解釈するほうがふさわしいだろう。これは近年において少年誌よりもジェンダーロールの強固だった少女誌界隈に百合ジャンルブームの波及がみられた、極めて注目すべき例である

<続きと参考文献リストこちら>

https://anond.hatelabo.jp/20190216025236

2019-02-09

「男には、弱さを語れない弱さがある」という話

現代日本では、男性たちは弱音を吐きづらいし、なにかと「男らしくない」と言われるプレッシャーがあるのは、確かだと思う。

男たちには、現代日本では多くの「足かせ」がついているよね。

ワレン・ファレルが、1970年代に「男性権力神話」の中で「フェミニズムガラス天井ならぬ、《ガラスの地下室》に閉じ込められて男たちは危険なことを無理やりさせられている」といって、男たちばかりが致死率の高い、危険仕事従事している様相比喩したように、未だ日本社会では男性特有の困難感は内在すると思う。

あと、精神科医松本俊彦が「アルコールうつ」に関する著作の中で「女性の方が精神疾患罹患率一見すると高く見えるけど、実際の精神科医としての感覚はそうじゃない。男性の方が問題が大きくなるまで助けを求めない」と言っていたみたいに、これはジェンダーという社会構造問題だと感じたりもする。

もちろん、ファレルに対する批判もあって、「いやいや、社会構造としては、男性が有利な社会じゃん?片手落ちじゃね?」という話もある。

もちろん、それはそうなんだろうけど、もう1つの流れとして、支配力を手にして、そうした社会背景の恩恵に預かっている男性もあれば、そうじゃない人もいる、という視点もある。

dominantな男性性とか、その周辺の男性性とかってヤツ。

この辺りの議論がさ、比較的理知的に感じる、増田でさえも入り混じってしまっているのは不思議にも感じる。どうしてなんだろ。

アレかな、なんというか、そうしたこと理由には「持って生まれ身体という、簡単には変えられないものに対する無力感」がベースにあるのかもしれない。

まり男性性とその周囲の状況が批難されるとき、私を含む男性は、自分の変えられない部分が批難されたように感じてしまうのかな。

あと、もう一方で、私たち男性は「弱音を吐くのが恥ずかしいことだ」という男性規範駆動され、援助希求能力は決して高くないと思う。

女子はすごい。鍛え方が違う。

(もちろん、そうでない人もいるだろうけど、傾向として、というお話です。念のため。)

からさ、男たちも「自分たちの苦悩」を安心して話せる場が必要なんだと思うのですよ。

それが、それこそが、よりよい多様性のある社会を作るための、橋渡しになるじゃないかなぁ。

まあ、個人的には弱音を吐くことって、スキル必要だなぁとは思う。

少なくとも僕は弱音の吐き方が分からないし、自分気持ちなんて、蔑ろにしてきました。

(2/9 1:48追記 修正

2019-01-29

汚点

1990年代上司タイバンコクにいった。

夜に日本大使館からそれほど離れていないところにある少女買春の館に連れて行かれた。

ホテルからそこに着くまでのタクシーの中で、1970年代に彼がESCAPに赴任していたとき

いかにたびたび少女買春にいき買春宿で朝を迎えたかを、彼は懐かしそうに私に語った。

当時、バンコクの夜は交通渋滞目的地につくまで1時間近くかかった。

買春宿について私はやめたほうが良いと、もはや50歳を過ぎた彼に説得を

試みた。「ここまできたのだから、せめて中を見学だけでもしよう」と彼に言われ

買春宿の中に入った、入り口から入るとガラスの壁というか仕切りがあり、

ガラスの向こうには中学生くらいの少女たちが十数人いた。美しい人たちだった。

そのせいか、彼は勢い付いて少女の中から指名をしようとした。

こんな犯罪共犯者にされ、一生弱みを握られるのは死んでも嫌だったので、

「いま、エイズ流行っていますから絶対に危ないですよ!!」と私は必死になって

彼を宿から連れ出し、タクシーに再び乗りなんとかホテルに帰ることができた。

それから婚約者国際電話をかけた。

後記:このような出来事は当時の日本人社会では、よくあったのかもしれない。

2019-01-12

anond:20190111135924

定番任侠物を見たら、1970年代の『仁義なき』シリーズ以降の実録路線に入る前に

勝新太郎の『兵隊やくざ』を観るといいかもしれない

あれは元侠客主人公戦争映画だけど

満州舞台股旅渡世人みたいなもんだから

2018-12-08

anond:20181208075649

逆説的に、俺がリアル小学生だった昭和後期(1970年代後半)ころのほうが、子供でも演歌積極的に好きとはいわんまでも、「テレビでよく流れてる歌謡曲」の一種としてアイドルソング等価に消費していた印象

幼児からすると「紅白歌合戦に出てる歌手」は20代も50代も等しく「大人」だった

それが色気づく年齢になると「演歌おっさん文化」には興味が乏しくなり、そのまま年齢を重ね、「おっさん文化」に触れる機会がないまま50歳手前になると、相変わらず20代当時に好きだったor最近J-POPやらアイドルソングやらアニメソングしか聴かないオサーンができあがる

1970年代まれ以降であれば、演歌に限らず、ゴルフやら料亭やらバーやら、旧来のおっさん文化に接する機会がないまま30代40代になって年齢を重ねてる者は多かろう

で、元田が記しているような問題結果的21世紀演歌は残らなかったという展開は、「ストーンズとかピストルズみたいな1960~70年代洋楽」にも該当しそう

俺がリアル20代だった平成初期ごろには、オールタイム定番になると思ってたが、今の若い奴がみんな普通に「1960~70年代洋楽」聴いてるかというとねえ

いや、映画ボヘミアンラプソディはヒットしてるけどさ、ああい懐メロ映画って定期的にあるやん

2018-12-04

増田プログラマー養成講座 その23 SQLを巡る物語

前回は、データベース設計について学びました。

今回は、その他のデータベース話題について見てみましょう。

 

 

リレーショナル・データベース理論

問合型言語SQLは、「関係代数」という計算モデルを基に作られたプログラミング言語

一度「関係代数」について学んでおくと、RDBの使い方について、理解が深まる。

↑このスライド作者さんは他にもDB関係資料作成されてるので見ておくといいかも?

 

 

SQL以外の問合型言語

SQL以外にも「SPARQL」、「TMQL」(Topic Maps Query Language)等、いろいろな問合型言語がある。

実際に使う機会は少ないかもしれないが、「問い合わせ」で処理するという発想は参考になるかも?

 

Datalog

Datalogは「Prolog」(論理言語)を源流にもつ宣言的なデータベース問合せ言語。DatalogはSQLと同等の表現力を持つ。

Datalogは様々なプログラミング言語で利用できる。

 

トピックマップ

トピックマップ」は、本の索引もっと機能にしたような仕組みで、RDBとは違う形でデータを蓄積/検索できる。

 

 

RDB以外のデータベース

SQLを使わないデータベースもある。

 

NoSQL

NoSQL一般に "Not only SQL" と解釈される)とは、関係データベース管理システム (RDBMS) 以外のデータベース管理システムを指すおおまかな分類語である

関係モデルではないデータストアの特徴として、固定されたスキーマに縛られないこと、関係モデルの結合操作を利用しないこと(場合によっては単にそのような機能が欠落しているだけ)、水平スケーラビティが確保しやすい事が多いこと、トランザクションを利用できないものが多いことなどが挙げられる。

学術的な世界では、この種のデータベースのことを構造ストレージ (structured storage) と呼ぶことが多い。

 

NoSQLデータベースは、関係データベースのような汎用性は欠くものの、その制約された条件下ではRDBMSより高いパフォーマンスを持つ。

そのためビッグデータソリューションでしばしば活用される。

NoSQLデータベース管理システム有用な場面は、関係モデル必要としないデータを扱う時や、大量のデータを扱う時である

 

有名な実装として、GoogleBigTableアマゾンAmazon DynamoDBなどがある。オープンソース実装も数多く存在し、例えばMongoDBRedisApache HBase、HyperTable, Apache Cassandraなどがある。

 

 

SQLRDBに慣れたら、NoSQLも調べてみよう!

 

 

その他、データベース関係話題

DB運用管理で学んでおきたい話題を列挙してみよう。

 

 

SQL開発物語

問合型言語学習最後に、SQLを巡る物語も見てみよう。(SQL学習ドラマチックで楽しいものにしたいねw)

 

 

RDB活用すれば、大量のデータを処理して、多くの仕事効率化できる。(金持ちへの扉が開かれる。)

暇があったら、SQL物語登場人物も見ておこう。

 

エドガーフランク・コッド(Edgar Frank "Ted" Codd, 1923年8月23日 - 2003年4月18日)は、イングランドまれ計算機科学者

関係データベース理論的基盤であるデータベース管理関係モデル発明した。

 

1960年代から1970年代、コッドはデータ配置に関する理論を構築し、1970年 "A Relational Model of Data for Large Shared Data Banks" (大規模共有データバンクのデータ関係モデル)という論文を発表した(IBM内ではその1年前に公表している)。

しかし、IBMライバルがそれを実装し始めるまで彼の提案を実行に移そうとせず、コッドは失望した。

当初、IBMはIMS/DB収益を守るため、関係モデル実装することを拒んだ。

コッドはIBM顧客自身モデル実装した場合可能性を提示し、顧客からIBM圧力をかけさせた。

そこでIBM関係モデル実装を開発する System R プロジェクトを Future Systems プロジェクトに含める形で立ち上げたが、その開発チームとコッドは分離され、しかもコッドの理論精通した者はチーム内にいなかった。

結果として彼らはコッドの Alpha 言語を使わずリレーショナルでないSEQUEL言語を開発した。

 

ラリーエリソンSEQUEL 完成前に発表された論文に基づいて Oracle を完成させ、先に発売している。

IBMは、SQL/DS を発売した。

幹部技術音痴だと、部下の名案も却下してしまうんですね?

 

ローレンス・ジョセフ・エリソン(Lawrence Joseph Ellison、1944年8月17日 - )は、データベースソフトをはじめとする大手ビジネスソフトウェア企業オラクルコーポレーションの共同設立者であり、元CEO会長CTOである

2014年現在総資産は500億ドルで、世界で5番目の富豪である

 

ニューヨーク出身アシュケナジムユダヤ人母親フローレンススペルマン(Florence Spellman)は出産当時未婚の19歳で、生後9ヶ月のラリーシカゴに住む叔母リリアンエリソンとその夫である義理叔父ルイスエリソン養子として引き取ってもらった。ラリーは実の母の名も知らず育ったが、48歳の時に初めて対面した。

 

高校時代秀才だが、無愛想な生徒だった。イリノイ大学アーバナシャンペーン校に二年生まで通っていたが、リリアンの死後まもなく退学。カリフォルニア州北部で夏を過ごした後、シカゴ大学で学ぶために実家に戻ったものの三ヶ月でまたも退学し、カリフォルニア移住。この頃、コンピュータに触れ始めている。

 

1970年代エリソンはアンペックスで働いた。彼の関わったプロジェクトのひとつCIA向けデータベース開発があり、彼はそれに「オラクル (Oracle)」と名づけた。

エリソンエドガー・F・コッドのリレーショナルデータベースシステムに関する論文 A Relational Model of Data for Large Shared Data Banks に触発され、1977年自己資金1400ドルオラクル設立した。

彼はIBMのSystem Rデータベースがコッドの理論に基づいたものであると聞き、Oracleもこれと互換性のある製品にしたかったのだが、IBMエラーコード秘密にすることによって互換製品が出てくるのを防いでいた。

オラクル最初製品Oracle 2であり、Oracle 1は存在しない。このリリース番号は、それ以前のバージョンバグが全て解決されていることを暗示しようとして付けられた。

 

1997年8月ラリーエリソン親友スティーブ・ジョブズアップルに戻った後、同社の取締役就任した。2002年9月20日取締役会に出席する時間が充分に取れないことを理由アップル取締役を辞任した。

この人、キャラクター的にはあまりきじゃないけど、行動力はすごいね

コッド博士論文を見て自分RDBを作っちゃった!

Oracleバージョンを「2」から始めて、改良されているように見せかける。~ちょっと詐欺っぽいけど、商売うまい?w

 

 

 

SQLデータベース活用して、素敵なアプリWebサービスを開発してください。

では、これでいったん、増田プログラマー養成講座を終了します。

御清聴いただき、どうもありがとうございました。

 


anond:20181015215004 未経験からプログラマーなんだが全然からない

anond:20181016015826 増田プログラマー養成講座 その1 パソコンの用意

anond:20181016164341 増田プログラマー養成講座 その2 プログラム=データ+処理、プログラム言語の種類

anond:20181016180059 増田プログラマー養成講座 その3 構造プログラミングの基本(順次、反復、分岐

anond:20181016193144 増田プログラマー養成講座 その4 子ども向け教材「Scratch」で構造プログラミングの練習

anond:20181017161003 増田プログラマー養成講座 その5 オブジェクトとは何か?

anond:20181017191404 増田プログラマー養成講座 その6 OOPの種類、PHPの準備

anond:20181019181549 増田プログラマー養成講座 その7 OOPの仕組み(前半)

anond:20181020230044 増田プログラマー養成講座 その8 OOPの仕組み(後半)

anond:20181022232327 増田プログラマー養成講座 その9 MVCフレームワークを使ってみよう

anond:20181023184616 増田プログラマー養成講座 その10 OOP参考書

anond:20181024214133 増田プログラマー養成講座 その11 データベースを使ってみよう

anond:20181026145516 増田プログラマー養成講座 その12 データベース参考書

anond:20181028152656 増田プログラマー養成講座 その13 SQL文法

anond:20181031014212 増田プログラマー養成講座 その14 Webアプリの試作品作成

anond:20181101225335 増田プログラマー養成講座 その15 Webアプリの完成見本

anond:20181101230220 増田プログラマー養成講座 その16 Webアプリの完成見本(続き)

anond:20181104161900 増田プログラマー養成講座 その17 Webアプリの骨組み

anond:20181104233013 増田プログラマー養成講座 その18 SQLデータの追加と取得

anond:20181110120715 増田プログラマー養成講座 その19 SQLデータ更新

anond:20181110182445 増田プログラマー養成講座 その20 SQLデータの削除

anond:20181111205255 増田プログラマー養成講座 その21 データベース設計 (1)要件定義

anond:20181119224031 増田プログラマー養成講座 その22 データベース設計 概念物理

anond:20181204142213 増田プログラマー養成講座 その23 SQLを巡る物語 ←★今ここ★

anond:20181024214737 増田プログラマー養成講座 コンテンツ一覧

2018-11-12

anond:20181112133400

奇跡バーゲンセールだぜ。

経済奇跡(Wirtschaftswunder) - 第二次世界大戦から1970年代にかけての西ドイツオーストリア経済成長

栄光の30年間(Trente Glorieuses) -第二次世界大戦から1973年までのフランス経済成長

メキシコ奇跡(Mexican miracle) - 1940年代から1970年代にかけてのメキシコ経済成長

ギリシャ奇跡(Greek economic miracle) - 1950年から1973年にかけてのギリシャ経済成長

イタリア奇跡 - 1950年代後半から1960年代にかけてのイタリア経済成長

スペイン奇跡(Spanish miracle) - 1959年から1973年にかけてのスペイン経済成長

台湾奇跡 - 1960年代後半から1970年代にかけての台湾経済成長

漢江奇跡 - 1960年代後半から1970年代にかけての韓国経済成長

イボワールの奇跡 - 1960年代から1970年代にかけてのコートジボワール経済成長

ブラジル奇跡(Milagre econômico) - 1968年後半から1973年にかけてのブラジル経済成長

2018-11-05

1970年代に書かれたFORTRANコード

たまに業務で目撃することがあるんだけど、あれ何でそのまま使ってるんだろうね

数値計算って勘定系とかと違ってミッションクリティカルなわけじゃないんだし手の打ちようがあったろうに

2018-10-18

anond:20181018164022

三角食べ」という言葉を初めて知った。

参考になりました。どうもありがとう

肥満は万病の元」というから目標体重に向かって頑張ってください。

 

三角食べ(さんかくたべ)とは、和食を食べるときに飯と味噌汁とおかずを“順序よく食べる”方法のことである

もともと、1970年代頃、日本の一部の学校における給食指導で広められた言葉である

和食をおいしく味わうため”として指導が行われたが、過度の管理教育につながった。

そのため、現在では、ご飯とおかずを順番にバランスよく食べることは推奨されるものの、「三角食べ」として指導されることはほとんどない。

2018-10-09

https://togetter.com/li/1274544

自分メモ社会学では査読付き論文がなぜ重要視されないのか

人文学社会科学の国際化について」(独立行政法人日本学術振興会人文・社会科学の国際化に関する研究会 p.73-75)

https://www.jsps.go.jp/j-kenkyukai/data/02houkokusho/houkokusho.pdf

阪大を去るにあたって: 社会学危機希望

http://sociology.jugem.jp/?eid=277

Laudanの研究伝統論による社会学理論発展法の考察 - J-Stage

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jsr1950/57/1/57_1_41/_pdf/-char/ja

太郎丸博氏の論↑の極私的まとめ)

日本社会学には「学説研究」と「理論形成(構築、発展含む)」の2つがある。

学説研究」とは優れた理論を適切に読み、解釈することである

社会学」を欧米から輸入した日本では、この「学説研究」が(すくなくとも2000年代まで)社会学の中心となってきた。

一方、「理論形成」は社会の諸問題経験問題)を「以前より効率よく解決する」ためのものである

創造的で想像力必要仕事であり、歴史的にはフーコーハーバーマスのような一部の天才的な英雄によってなされてきた(英雄史観)。

例えば、新しい人間観や社会観の創造採用、適切な概念を作り出すことがこれに当たる。

日本でも「学説研究から理論形成」へと移行すべき時期なのだが、「どうすれば理論形成できるようになるのか」というハウツー世界中のどこにも未だ存在しない。

1970年代アメリカでは理論構築のためのテキストが数冊出版されており、

1.学説専門家ではなく,統計数理モデルに詳しい研究者によって書かれており,

2.具体的な現象説明するための理論=モデルをどう作るかを学生向けにひもといたものであり,

3.しばしば数式で理論のコアは表現され,

4.思想哲学的問題最初に登場するだけで,その後はほとんど登場しない

といったものであった。

データ収集分析重要であるという考えは社会学の「統計学化」として社会学から懸念されていた。

これは理論形成データから帰納命題から演繹によってのみなされるわけではないかである

(「社会学理論役割」を考える際、統計学化された社会学では認識論存在論、人間観や社会観などの哲学的問題が脇に追いやられてしまう)

また、理論を発展させるためには「解くべき問題発見(未解決問題発見)」が必要である

「なにが未解決であるか」「すでに言及している・使える学説はないのか」を知るためには、今までの学説研究研究伝統基本的な文献)が結局のとこと必要となる。

まとめると、社会の諸問題経験問題)を解くにはデータ収集分析重要であるが、手法問題概念問題)の解決への手掛かりは学説研究の中にある。

凡人であればあるほど、二兎を追うべきなのである

(まとめここまで)



北条かやインターネット死ぬということ』

https://twitter.com/kaya_hojo/status/1049257254552125440

私は研究者というよりコラムニストになりたかったんだな。もともと東浩紀上野千鶴子大塚英志宮台真司に憧れて社会学を志したのだから研究者というよりは表現者への憧憬が強かったんだろうな。でも社会学を学んだ6年間はすごくキラキラしていて充実していたよ。合掌。

ここに挙がっている名前がすべてで、学者じゃなくて文壇の延長線上にいるコラムニストだよなという感じ。

権威付けで学者を名乗っているだけで、天才にあこがれて社会の諸問題を論じているだけの人々という印象。

2018-10-08

anond:20181007223207

1970年代に穏当な学生運動をしていた人が連合赤軍の行状を見たときのような嘆きだな。

アーカイブ ヘルプ
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん