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2017-10-10

anond:20171010112948

お前でも読めそうな簡単記事探してきてやったよ

フォーブスジャパン

新たな「世界工場」はどこに 優勢失う中国 2016/01/25 12:01

グローバル化アップルGEAT&Tなどの大企業に、労働コストが最もかからない国での工場開設を可能にした。そして中国は、これら企業が真っ先に選ぶ国になった。だが、その中国は今、そうした支配的な立場を失いつつある。中国人件費はもはや、以前ほど安くはない。

中国での製造コスト2010年以降、毎年およそ16%上昇。他のどの国よりも急速に伸び続けた。急速な高齢化生産性の高い労働力の増加がその理由だ。

中国政府1970年代人口過多への懸念から出生率抑制目的とした一人っ子政策を導入。しかし、実施から40年以上がたち、その結果としてあらわれたのが急速に進む高齢化だった。この間に生まれ子供たちの数は、退職していく労働力を補うのに十分ではない。中国は、世界各国の需要を満たせるだけの製品製造を担う生産年齢人口が不足している。

1

出典: fDiベンチマーク

中国の新たな世代労働者たちは、人数が減った一方で親の世代より生産性が高い。コンサルティング会社マッキンゼー・アンド・カンパニーによると、2007~12年の中国労働生産性11%上昇。同じ期間、タイインドネシアはそれぞれ、7%と8%の伸びだった。また、中国では希望以上の賃金を得る労働者が増加。こうした労働コストの上昇が、製造業に携わる多国籍企業の目を他の国々に向けさせている。

コンサルティング会社KPMGがまとめたデータによれば、中国製造業への外国直接投資(FDI)は、2010~14年の間に約20%減少。在中国の欧州連合(EU)商工会議所のイェルク・ブト会頭は、中国での製造コスト2020年までに2~3倍に増加し、「世界工場」としての優勢を失うと予想している。


次なる「世界工場は」どこに?

世界製造業が次に目指すのはどこだろうか?一部はすでに、東南アジア移転している。

だが、別の場所の方が少し経費を削減できるからといって、工場移転させるのは簡単なことではない。移転による利益の増加を目指すならば、コストには相当の差がなくてはならない。

inRead invented by Teads

中国東南アジア各国の製造コストの差は、下図に示すとおり広がり続けている。例えば、製造業従事する労働者賃金は、中国の1ドルに対してタイは40セントインドネシアわずか8セントとなっている。グラフに示されていないカンボジアベトナムは、これらをさらに下回る。

2

出典: ボストン・コンサルティング・グループウォール・ストリート・ジャーナルトゥルーウェルス・パブリッシング

東南アジア各国は労働人口が多く、人件費が安くビジネス環境も良好だ。中国工場を持つ多国籍企業の一部はすでに、「中国プラス1」と呼ぶ戦略実施している。中国工場は維持しながら、別の国に新工場を開設するのだ。そして、この戦略から大きな恩恵を受けているのが、東南アジア諸国連合(ASEAN)の加盟国の一部だ。

地域では、域内のより活発な貿易の促進を目指し、ASEAN経済共同体(AEC)が創設された。外資規制の緩和などに向けて準備を進めており、多国籍企業にとっての魅力は一層増している。脱中国の動きは、今後も加速していくだろう。

編集 = 木内涼子

2017-09-04

いい加減、少子化問題視するのは止めた方が良い。

1970年代出生率ピークアウトした事実を、よくよく検証するべし。

人口が大して伸びていないながらもGDPは伸びている国を参考にしないと、悲惨な結末になる。

2017-09-02

岡田斗司夫メルマガ面白かった件について

さて、今回はそんなアメリカの「原爆日本に落とす計画」に関してのTシャツです。

https://goo.gl/3Sa7Vk

 

すみません、もう後ろの方で、ちらちら見えてるからわかるよね。

これね、サンフランシスコお土産店で、僕が初めてアメリカに行った時に買ったんだけどね。

 

酷いよね。

MADE IN USA TESTED IN JAPAN」って書いてあるんだ。

アメリカ製造され、日本テストされたっていう。

これね、サンフランシスコフィッシャーマンズワーフっていうところのお土産屋で買ったんだけどね。

 

僕の父親師範学校を出て、学校先生になった。

師範学校から学徒動員にもひっかからず、このまま戦争に行かずに済むのかと思ってたら、

最後最後の年に徴兵されて、広島の方の兵学校に行かされたんだ。20歳くらいだった。兵学校は、

原爆が落ちるような都心部でなくて山の田舎の方だったから、何とかギリギリ助かったという人間なんだよ。

 

こんな経験をしてる人って、僕だけでなくてすごく多かったんだよね。

僕と同じクラスの子でも、家族の誰かが戦死したり、身体障害者になってたりというのが当たり前だった。

 

から、生まれて初めてアメリカに行って、サンフランシスコっていうすごく明るい街の明るいお土産物屋で、

こういうTシャツを堂々と売っているのを見てめちゃくちゃビックリした。

なんかね、ブラックジョークというにしては(笑)ちょっと酷いなと思ってたんだけどね。

 

これ着る機会あるかどうかわかんないなぁと思いながらも、一応買ってみたんだよ。

 

一応買ってみて、SF大会とかに持って行ってみた。

さすがに着るのが怖いから、「こういうTシャツ持ってるんだ」って話したら、やっぱ真面目な人はね、

「やめろよ」とか言うんだよ。

 

でも、当時、1970年代後半のSF業界というのは、本当にあらゆる価値を相対化することが正しいという

すごく大きな流れがあった。

 

例えばね。堀晃さんっていうSF作家がいて、この人、書くものハードSFなんだけど人格は本当に

デタラメという人なんだ。

かんべむさしさんと一緒に2大ちゃらんぽらん大阪SF作家だったんだよね。

ただし、かんべむさしさんの方は書くものちゃらんぽらんなんだけど、人格は大真面目なんだけど(笑)

 

で、人格ちゃらんぽらん堀晃さんは大喜びして、「それどこで売ってるの?」って、欲しがってくれたんだ。

でも、人格はまじめなかんべむさしさんには「そんなもの絶対に着るな!っていうふうに言われてしまった。

 

小松左京さんはどちらかというと喜んでくれた。

 

ということで、当時のSF界でも作家ごとに反応が違ってたんだよなぁ。

 

なぜこんなにSF作家の反応を覚えているのかっていうと、20歳くらいの僕にしてみれば、SF作家というのが、

第2第3の父親とか兄貴替わりみたいなもんだったんだよ。

その人たちがどう感じているのかというのを自分価値観にしようとしていたんだよね。

 

今言いながら、めちゃめちゃ恥ずかしいんだけどさ(笑)

小松左京先生が喜ぶから、俺も喜ばなきゃいけないとかさ。

かんべむさしさんが怒っているから、やっぱりいけないのかなとか。

そんなふうに、もうホントに、ワナビー君の恥ずかしい奴だったんだ。

 

筒井康隆さんにはすごい冷たい目で、「原爆とき過激ぶるな!ガキめ!」というような感じで

見られてしまったんだよね。

 

で、この間、捨てられないTシャツコーナー用に、「Tシャツどんなのがあるかな?」って掘り返したら、

これが出てきたわけ。

やっぱりその頃から30年以上たった今だから、それぞれの人の意見がわかるなぁ。

 

怒る人の意見もわかる。

そういうのは笑っていいかもしれないけど、人前で笑うもんではないっていう人の意見も分かる。

あと、堀晃さんの「いやそんなもんをTシャツにして売っているっていうアメリカ人感性面白いじゃん。」

というのもわかる。

 

なんかねぇ、いろんな人の意見がわかるようになったなぁって。

 

でも、逆にわかんなくなったのが、筒井康隆さんの「原爆とき過激ぶるな!ガキめ!」

「なんでお前、人のことをそんなに言えるんだよ!」(笑)って。

今に至るまでの筒井康隆人生(笑)、「お前そこで怒っちゃいけないんじゃないかな」って思いました。

 

という思い出のあるTシャツでした。

同じSFファンポール・アレンによって、今朝、インディアナポリス号が発見されたと報道されたのも

不思議な偶然だなぁとしみじみ思います

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このメール転載歓迎です。ただし、下記のメールマガジン出所である旨、必ず、URLを明記してください。

http://www.mag2.com/m/0001148694.html

 

岡田斗司夫という時点で読むに値しない」という人もいるだろうし、別に読みたい人だけ読めばいいと思うのだが、

個人的には、今朝のメルマガ結構面白かった

 

日本の大半のウヨク愛国主義)とサヨク相対主義)は皆インチキだよな」というか

 

上記の引用で「アメリカ憎し」の感情に飲み込まれたら、またそれも違うと思う

サイコパス相手に憎しみの感情だけを抱いても意味が無い

実力行使しないとサイコパスにとっては意味を持たない

それにサイコパス側面がアメリカの全てとは言えない、感情に流される側面というのも存在するのが現実

 

宮崎駿アメリカを嫌う理由も分からなくはないし、「この世界の片隅に」がアメリカで上映された意義というのも

非常にあったと思うし(米国人が例え理解出来なくても)、反対に、日本に対する拘束具としての平和憲法に甘えて

自立しようとせずに、こういう目に遭わせたアメリカ自身に守られている立場に甘んじる日本というのも確かにある

 

あれだな、アメリカで講演する日本人が、上記のTシャツを着ていったら、どういう反応をするか?という社会実験

見たい気分はあるな

2017-08-31

日本なんか国民総不良になっても、自殺大国に戻っても、どうにでもなれ

日本人国民性問題に対する反応を見ている限り、自分達の問題という意識は全く無いと、言ってるだけだったら、国民全員が不良になってしまえばいい。もちろんこれをリアルでいえば大騒ぎになるだろう。

ここからが本題なのだが、要は、例えばアメリカ市民啓発もそうだし、街中に駐車場地下鉄広告スペースとかにも「割れ窓をなくしましょう」って全く関係無い広告にそんなことまで書いてあったりとか、あと些細な迷惑行為をなくしたりとか、駐車違反排除ということをもう既にしてるわけではないか

本当に大人としての責任という意識であれば、もっと本気でやらないとダメだろう。

例えば、1970年代アメリカ学力低下問題になったと。その時に国民教育システムを変えるべきだと言い張ったわけではないか。それに大統領までもが心を動かされたと。そういう状況なのに、日本自分のところの社会問題について話をする時に「個人問題でわれわれは無関係です」と言うだけで、そんなのはもう勝ち負けはっきりしてしまったのではないかって話なのよ。

から、本当に国民精神の荒れはダメだと思うんだったらそれなりの攻め方があるだろうと。最近、「道徳自警団」と言われるような人たちがいる。ネットストレス発散する暇があって、私に国民の道徳問題のことを言うんだったら街中にでも行ってすぐやってくれよ、アクションを起こしてくれよと思うよ、そこまでのことを言うんだったら。

というよりも、私自身はその問題についてどう思ってるか。

本当は今非寛容政策なんてしたって何も旨みは無いんだから自助努力での自然解決というのが一番いいと思う。

でも、そこまで社会について熱い思いがあるんだったら、パトロールでもしてきれいにしてくれと思う。ということを言いたかった。

若者安易自殺などの所謂モラルハザードなんて考えてないだろう。だってもっとひどいことを言えば、練習船の乗組員が訓練に疲れたというので、スマホで連絡を取った後に突然自殺した。

こんなもの新聞記事を通じて戒めを込めて怒るべきなんだよ。(死者に失礼だが)若者に。

というのは、もっと前に民間企業過労死問題において「公務員過労死ラインを超える労働で平気でいられる」という風に報道したら、過労を生き延びた人(若者を含めて)たちが怒って、若者と論争できると。この時、中高年はちゃんと言えてるんだよ。言えて論争してるんだよ。今度、このような自殺が起きたときには、これは怒るべきなのにどの知識人も遠慮がちで言わない。

そうだね。勇気を持って安易自殺非難すべき。じゃないと「前向きな検討」ありきという、まさにこれは日本人右傾化問題も一緒、安易自殺問題国民民度低下も一緒なんだよ。結局やることをやってないんだよ。

2017-08-16

https://anond.hatelabo.jp/20170816161321

http://fundo.jp/wp-content/uploads/2015/01/fd150126q002.jpg

これ有名な画像だけど、

1970年代以降の為政者は全員なにやってんだ?って言わざるを得ないんだよなぁ。

日本ドイツ以外はわりと出生率改善できてるよね。

http://www.garbagenews.com/img11/gn-20110118-08.gif

少子化の40年、経済の失われた20年(もう30年近いか)、何やってんだ? って素直に疑問。

有権者になった以降に政治に興味持ち始めてからまだ10年たってない自分からすると、すごい絶望感がすごい。

2017-08-15

然るべき断絶

今日旦那が「俺はカサンドラ症候群かもしれない」と言った。つまり私がASDという現実を受け入れたということになる。

そして、「分かり合えないと割り切る」という結論が出た。

日本人外国人なら、笑顔や声のトーンなどで通じ合うこともできる。しかし、定型発達者発達障害者(あるいは健康な人と脳や精神問題を抱えた人)の間にはそれ以上の断絶があるのではないか最近そんなことを思っていた。つまり笑顔も声のトーンも通じない宇宙人同士が交流するようなものではないかと。

分かり合えないと割り切ると言われてとても悲しかった。しかし、それと同時にとても建設的な考え方だと思った。

互いに別の星の生物だと思えば、良い意味での諦めもつくし、相手負担も減るのだ。(私たち夫婦場合は、旦那のほうが負担を負ってくれていた気がする。)

人工知能も高感度なセンサーも取り付けられた最新式のロボットに、1970年代に作られた無骨ロボットのことが理解できるわけがない。なのに理解しあおうと努力してくれていたのだ。感謝している。

2017-07-02

https://anond.hatelabo.jp/20170702193608

次の日、俺はEbay仕入れたUSキーボード

最新Macbook12インチ)を開いていた。

AmazonPrimeビデオ1970年代の名作、エクソシストを見ていた。

もちろん、イヤホンを使って周りに配慮をしていた。

そこに、先公がつかつかと歩いてきた。

何故か不敵な笑みを浮かべている。

俺は例によってCtrlWを炸裂させた。

「何を見ている!」

「ふん...いつも通りだよ」

そこでは放送大学公式ページ動画が流れていた。

テーマは「障害者社会進出について」

ちょうど道徳バリアフリーについて習っていたときだった。

先公はつかつかと戻っていった。

そして、俺はまたAmazonPrimeを開いて続きを視聴した。

その五分後だった。

また先公がつかつかと歩いてきたのだ。

俺はまたCtrlWを押して回避した。

彼の頻度は徐々に増えていった。

最後には一分に一回俺の席に来るようになっていた。

「くっ...なぜだ」

彼は気づいていなかった。

俺がCtrl Shift Tを使っていることを。

彼が去るたびに俺はこのショートカットを使った。

すると、さっきまでみていたエクソシストが続きから再生された。

これを何度も繰り返した。

タブを破壊しては、再生する。

芸術破壊と生み出しと誰かが言っていたが

俺もある意味芸術家かもしれない。

2017-06-30

https://anond.hatelabo.jp/20170630071945

それはインフレの亢進が激しかった1970年代から暫くの間喧伝されていた説だね。

でもたとえば近年の日本財政一つ見ても、公共事業景気対策で増えることはあっても、

長期的に見ると明確な縮小トレンドにあるし、社会保障費も高齢化による規模の拡大はともかく、

個々人が受けられる給付水準は順次引き下げられている。

政治活動に熱心なニッチ業界団体が関わっているニッチな分野には、

ひょっとしたらそういう抵抗活動はあるかもしれないけど、そういう方面には

最初から金を出さなければいいだけだし。景気対策話題にも登らないでしょ?

2017-05-25

[]24年組

24年組(にじゅうよねんぐみ)は、昭和24年1949年)頃の生まれで、1970年代少女漫画革新を担った日本女性漫画家の一群を指す。

「花の24年組」とも呼ばれる。

年齢や作風において彼女らの後輩に当たる女性漫画家たちは「ポスト24年組」と呼ばれている。

メンバー

24年組

青池保子昭和23年生)、萩尾望都昭和24年生)、竹宮惠子昭和25年生)、大島弓子昭和22年生)、木原敏江昭和23年生)、山岸凉子昭和22年生)、樹村みのり昭和24年生)、ささやななえこ(昭和25年生)、山田ミネコ昭和24年生)、増山法恵昭和25年生)

ポスト24年組

水樹和佳(昭和28年生)、たらさわみち、伊東愛子、坂田靖子昭和28年生)、佐藤史生昭和27年生)、花郁悠紀子昭和29年生)

https://ja.wikipedia.org/wiki/24%E5%B9%B4%E7%B5%84

2017-05-09

[] 朝鮮飴

朝鮮飴(ちょうせんあめ)は、熊本県銘菓である。餅米と水飴と砂糖独自製法で捏ね合わせ、片栗粉を塗した求肥飴の一種である

食感は餅に近い。

  

16世紀園田屋の開祖園田武衛門により作られた当初は長生飴と呼ばれていたが、文禄・慶長の役での朝鮮への出兵の際、

当時の城主加藤清正の軍はこれを携行して篭城中の兵糧として役立てたことから朝鮮飴と呼ぶ様になった。

江戸時代中期までこれは藩の買い上げで、製法管理されて市販が許されていなかった。

代々の肥後藩主がこれを江戸幕府朝廷への献上品、諸大名への贈答品として用いた。

  

当初は黒砂糖と玄米使用した淡褐色の黒朝鮮飴しかなかったが、現在は白砂糖精白米を用いた白朝鮮飴が大半を占めている。

1970年代前半には30軒以上が手がけて売上高の総計が10億円に達したが、1990年代後半には2-3億円に減少し、業者園田屋など

数軒になっている。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E9%A3%B4

2017-04-10

http://anond.hatelabo.jp/20170410151430

歴史的にはトランクス誕生の方が先だけど、

1935年ブリーフが発表されると、爆発的に世界中で全年齢層の男性に普及したんだ。

その流行1970年代ピークを迎え、そこから徐々にトランクスが巻き返しをはかり今に至ってる。

ルパン誕生当時も男性の下着といえばブリーフが主流だったんだけど、

当時はブリーフは下着のイメージが強すぎて、人前で見せて良いものではなかったんですね。

しばしば裸になるルパンをかっこよくみせるためにもブリーフは避けたかったのではないかと思います

ルパントランクス、五右衛門=ふんどし次元ブリーフと3人に個性を持たせられるのもポイントです。

http://pbs.twimg.com/media/CYM_04LVAAAdzgG.jpg

2017-03-09

日本文化って歴史的栄光に反して現代ブランドイメージが低過ぎるのは何故?

http://anond.hatelabo.jp/20170309234833

あの発展途上国イギリス中国クラス歴史遺産クラス文化あったか

日本文化がここまで落ちぶれたのは、日本人韓国台湾コンプレックスで落ちた日本国民人間性責任じゃないの?

車社会コンプレックスとか、バイク乗りの高校生大学生とか、ポルノを叱れない大人とか。行き過ぎた統制主義とか。

秋葉原話題の続きだけど渋谷

一見外国人でにぎわうほどの栄えている地区だが、

鉄オタスポットが昭和時代に激減し路面電車が早期に消滅

1970年代にやっとブランドイメージ確立されたが、1980年代オタクの町として栄えるも10年も長続きせず。

挙げ句の果てに不良問題解決の遅れでイメージダウン

山手線バイパス1996年2008年にやっと開通。

ギャル文化あぼーん

おまけに今度は左翼運動事実上ホームグラウンド宣言と来た。

2017-02-07

[][][]

保護者職業1970年代から90年代まで、医師弁護士大学教授などの専門職や、大企業官公庁管理職、および中小企業経営者などの「上層ノンマニュアル」が約7割を占めている。

(中略)

20年間に、公立高校から東大入学する者の割合は70%から50%に減少した。一方、私立高校出身者は30%から50%へと増加した。

まり東大入学者の出身校が教育費の安い公立から高い私立へと移行しても、保護者職業構成は全く変わっていないのだ。

貧富の差はどこまで広がった?「格差社会」を読み解く



http://anond.hatelabo.jp/20170206102543

2016-12-25

パクチョイ

芯の白い青梗菜のことを、パクチョイと言うらしい。

最近ターサイ」という野菜にハマってどんなものか調べてみたら、同じく中華料理には欠かせない野菜である青梗菜からパクチョイに行き着いた。

(ちなみに青梗菜日本に普及したのは1970年代!意外と最近。)

パクチョイ

なんだろう、この声に出したくなる響き。

2016-12-21

はてなーはなぜ結婚しないのか

はてなー諸氏よ、教えてくれ。

なぜ結婚しないのか。

自分の話をしよう。1970年代まれとだけ言っておく。

自分場合は「タスクリストに入ってこなかった」だ。

学校を出て会社に入って、仕事とは何なのか、どうすればいいのかずっと考えてきた。

結婚の流れになったこともあったが、自分のことだという実感は全くないまま別れた。

一言で言えば「実感がなかった」という表現が最も自分感覚に近い。

テレビなんかで「いつかは結婚したいか?とアンケートすると yes多数派からみんな結婚したがってる」とかやっているが、あんなもんに意味はないと思っている。あんなのは宝くじに当たりたいですか」と同じで、そうなりゃ嬉しいけどそのためにくじを買ったりというアクションを起こすべきだとは思ってない。

世の中には結婚すべき理由、すべきでない理由結婚したい理由、したくない理由が溢れているが、自分にはどれもピンとこない。そもそも自分の視界にないのだ。

みんなは自分のこととして考えているのだろうか。

2016-12-15

日本の文化を豊かにしている「伝統継承」の存在

最近日本ゲームメチャクチャ品質に優れてると思うのは、表現リアルさだな。表現の良いものを据置機・携帯機で販売し、その補助としてPCゲームを利用している。1970年代からトンデモ文化だったゲームは今や大衆文化。従来型ゲームを残し、進化させたことが奏功したともいえるよね。リア充の人は、アニメを見て、そこからPCオンラインゲームなりスマホゲームをしている人がいると思う。パズドラを深く楽しみたい人は3DSのみならずスマホを買う。ソシャゲとはオンラインゲームに近いスケールのものであって、中毒性質のない古典型とは違う。オタクならよくわかると思う。ゲーオタにとって任天堂ソニーのそれはXBOXとともに本格的にゲームを楽しむための機械事実上ネトゲであるソシャゲ難易度が低く、リア充の遊びであって敷居が低い。深く味わうにはPCゲーム買うほうがよほど効率的だ。

こうしたゲームを含んだサブカルオタク圏というものがあり乗り物文化・非大衆文化がある。さらにそれと構造を共有する文化があって、それは「サブカル性」の存在日本文化繁栄を実現している場所なのだ問題は、それ以外のもの。そこには深く楽しむのための技術がない。

たとえば中国には据置機ゲーム開発メーカーがないという。PCソフトゲームこそあるが、その品質も据置機にすら負けていることは、マリオを愛する日本人間にはよくわかっている。ソシャゲ嫌いがほとんどだからね。韓流台流ゲームアメリカ流のそれと比較するべき水準ではなく、どちらかというと和製オンラインゲームと似ていると思う。サブカル拡張ために発展した据置機文化と共有できる要素がない。単に特殊アイテムを買うときだけに金を払わせるので収益性がない。ミーハーはともかく硬派から評価は高いといえない。

アジア諸国交通が長い間道路依存していてそれを鉄道が補っているように、韓国台湾中国鉄道オタクに対する理解が遅れている。アジア諸国マイルドヤンキーが多いから、中韓台より事情は悪いかもしれない。「日本は異常なんだからいいだろ!」とヤンキーに言われそうだけど寛容性は大事よ?大卒の元ギャルにお世話になったことがある。ギャルはい文化だと言っていた。誇らしげだった。しかし「リア充」という感覚ではなく「元ギャルの人」という意識があるような感じだった。鉄道好きだって鉄道オタクではなく元変わり者」という感覚が古い世代にはあるはずだ。車・バイク好きのオタクに以前噛みつかれたが、それこそヤンキー文化ソフト版が車・バイクカスタムフェチでしょう。痛車好きは一応オタク文化だが、敷居が低いこと、イメージの悪い時代存在、極めて似ている。鉄道好きも車・バイク好きもマイルドヤンキー化しているし硬派の存在無視した大衆化だそう。道での繋がり傾向のサブカルとは違うのだ。

2000年代に不良の衰退でまともになった点や文化的歴史位置づけにおいて、バイク文化キモヲタ文化は似ている。どちらもへそがないものだ。しかしこれらはマイルドヤンキーとは違い、縦方向上下があり、そこでは繋がりが途切れることない。バイクは1970~1990年代世代キモヲタ1990年代世代が変わり者の集まりになっている。一方、鉄道路線鉄道趣味人口密度関係はどうか。負の相関関係にあることは誰にでもわかる。とにかく地方ほど鉄道好きが多い。おまけに観光地化も進んでいる。足を引っ張る人間もいる。都会にこそアンチがいるどうもバイクよりかは可愛いバッシングに思える。

ソシャゲが生誕10周年を迎えるが普遍的ビデオゲームとの性質の違いがはっきりしているように、将来この溝は埋まらないと思う。そして、2000年代以降の最近に量産された書物にはこういうパターンが多い。物凄い売り上げになるが、誰にも知られない…。この手の似非サブカル文化がよくないのは、サブカルとは消費者構造の違いがありすぎるのに、内実を伴う本当のオタク文化のようにビジネス方向性として普遍化してしまうこと。しか財界の都合はどうであれマイルドヤンキー割合が高くなり、民度もばらつきが出てしまう。そこに道の繋がりはなく、完全な単細胞になる。

結果的ハイカルチャーでもなければ、サブカルでもない中途半端サブカルチャーが寂れる。ギャル文化は(業界面で)のイメージ凋落して久しいがその人達の評判もクソッタレてるでしょ?ヤンキーみたいな末路を追うことになるんです。いい加減な文化はみんなどこも。もちろんアニメ好きや鉄道好きに対するバッシングもあって1989年宮崎勤ショックや2002年西武鉄道ショックがまさにそうなのだが、低迷期はわず10年弱だったし、現在ではむしろ好かれている文化ので、私たち鉄道好きはほんとはめちゃ好かれ者なんだよね。「汚い日陰者」から一転して大成功ってすごすぎるよ。

最近都市部では駐車場駐輪場金も安くなっているのに、いざ買うとなるとかなりの金額がかかり、トータル費用原付バイクだけとっても最大で10万円台はいささか敷居が低いとはいえない。ロードバイクですら5万円以内で始める事等やろうと思えば可能だ。持続的に利用できて、かつ一定の敷居の高さがあればいいわけ鉄道は厳かな仕来りを残しつつ観光要素があるのは非常に優秀で、バスもその点では平成以降は充実の流れがある。

最近流行っている鉄道不買運動は、田舎外国から来たよそ者が参加できない、敷居が高いしか難易度の面でも非常に中途半端。ひどいと最低限度の駐車場駐輪場はおろかガソリンスタンドが整備されておらず、都会特有曖昧道路交通マナーとあって運転もめちゃくちゃ大変なのである。あれは遅かれ早かれにわかに終わる運命しかないと思う。別に日本大都会で増え続ける都市鉄道嫌いと車・バイク好きをDISってるわけじゃないが、日本ではロードサイド文化もろとも車社会は終わる運命にあるし、車やバイク都市部ではスポーツ用具以外もはや意味ないし、アジア諸国を手本にした再開発を実行したらその発展の犠牲欧米由来の都市文化の居場所が消えうせるのは必然しかない。したがって現代であれば満員電車も大量の外国人必要悪なので、日本は本当の意味観光大国化がしたいなら防災などの予算などで余った分を人口増加対応に充てればいいと思う。歩道車道を分離して歩道の容量を拡張する。近年では鉄道の整備に努めているようだが、例えば鉄道だけを取って鉄道女性専用車が役目を終えたら、その跡にグリーン車を設置したらいい。乗客分散させるのだ。

神奈川県横浜郊外はかつて、関東特有田舎文化があった。昔の相鉄ローカル線同然だった。それが昭和時代経済成長で都会の仲間入り。どれ程すごいかと言うと、昔は関東仙台同然だった横浜郊外仙台市とは比べ物にならないような高度なニュータウンへと変貌したというのだ。話がそれてしまった。

電車男サブカル文化が変わり、鉄道に対するイメージすらJR九州の躍進で変わった。縁の下の人を守り続けることが日本文化の持続可能性のポイントであり、もちろんそれを各現場の人が一番わかっていると思うんだよな~

2016-12-08

少子化への突入は少なくとも1970年代に分かってたんだな

分かってても回避できないことがあるってことか

2016-09-09

評論オーケストラプロジェクト2016年9月7日

http://www.orch-proj.net/

http://tokyosymphony.jp/pc/concerts/detail?p_id=6%2BvbOAadueg%3D

どうせ皆FBTwitterはいいことしか書かないだろうから、ここに本音を書く。

はいいつつも自分も招待券を貰った身分な上、表面的には良いことしか言えない。ならば匿名ならなんでも言いたい放題(しか中傷はしない)と思い、ここに書き連ねてみるわけだ・・・・・・

願わくば検索等でこれが当日来ていた聴衆及び、作曲者なんかが目にしてくれると嬉しいなぁ、しかし期待薄だけどもね・・・・・・

南聡 <<昼Ⅴ>>op.53(2006/09)初演

3楽章形式

本人曰く「今の傾向とは違うから~」とは言っていたが、それを免罪符としたかったのだろうか・・・・・・

正直、とても退屈な曲だった。1楽章リズムのセクションもよくわからないまま終わってしまったし、2楽章はもれなく睡眠タイムであった。3楽章の本人曰く「崩壊~」というのも、正直適当にちらばったものを「崩壊」と後付けしているようで、あまり良いとは思わなかった。

山内雅弘 主題の無いパッサカリアオーケストラの為の

意欲作であった。主題にはなにやら面白いものが隠れているようで、それを聴こう聴こうとする聴衆を引き込んでいたと思う。器楽的な技巧にも富んでいたし、総合するとこの曲は成功に限りなく近いと評価する。

彼の過去作でもある、なにやら西村朗っぽいPf+Orchの曲や、冒頭でマラカスで鍵盤打楽器を叩いたり、途中強烈なTuttiが入る管弦楽協奏曲考察すると、残念ながら、この曲に革新的ものは1つもなかった。そういう意味では少し退屈な印象もあったし、この音楽感のまま山内氏は一生を終えるだろうなという先が見えてしまい、少し寂しさも感じたのは事実であった。

まぁ、打楽器のアイタさんは凄く評価してるようだからいいんじゃないの?w

森垣桂一 ヴァイオリン協奏曲2番(2016)

2世代3世代も古いスタイルであることに本人が自覚がなさそう。ドラえもんを呼んで、タイムマシン1970年代とかに戻ったらいいんじゃないのかな?

木下牧子 <<ルクス・エテルナ 永遠の光>> 〜オーケストラのための

面白かった。なおかつ、オーケストラに対する問題意識が凄く高いと感じられた楽曲でもあった。

全ての楽器に機智が富んでいたが特に金管の使い方が上手く、さらにその処理の仕方(繋げ方)も非常に上手く、オーケストラという生き物をよく理解していると思った。

彼女自称オーケストラ作曲家というのがよくわかった気がする)ただ木下氏が今からすると古い世代であることは間違いないとも感じた。それは彼女楽器の纏め方や帳尻合わせの書法は、一昔前以前のものに感じ、もっと言えば、サトシンやノダテルあたりが威張っていた上野のあの学校ではとっても大きく評価されるだろうなという、それであった。もちろん良く響くけれど、どこか凄くお固いこだわる側面があり、それは曲想に対してすこし音符(というよりも縦の響き)を少し書き過ぎなのでは?ということが感じられた。

解説を見る限り、とても現代におけるオーケストラ課題というもの意識しているし、決して悪い印象は持たなかった。しかしこの曲も数多くのオケプロ演奏された曲と同じく、まずよほどのことが無い限り残念ながら作曲者が生きている間は再演されることはまずないだろう・・・・・・・とも感じたのも事実である

まとめ

もっと新しいものを書く人間招致したらいいのではないのだろうか。

もちろんお金問題はあるだろうけれども、それでもオケプロの意義を考えると近年は古い作曲家が多すぎないだろうか。ここでいう”古い”というのは、年齢ではなく、しっかり現代の流れを見れていない人のことで、少なくとも今回の4人の中では山内氏と木下氏しか見れていなかったように思う。

そういう作品オケプロでは聴きたいのであって、古くさい人間の古くさい曲なんて他でやれば良いのだ。

お客がオペラシティに1000人程も入っていたのは正直びっくりであったが、これのどのくらいが招待客なのだろうか・・・・・・・・?

入り口で余った招待券を配っているおじさんを目撃した、それでいいのかそれで・・・・・・・・

あとは同種の他の演奏会に比べて年配客が非常に多かった。毎年の固定客なのだろうか?

オケプロ80年代から続いており、近年出品する世代作曲家はおそらく長い歴史を身をもって知っている世代である。だから、これから次世代に繋ぐには、出品する年代が中心となり、意識改善必要ではないだろうか・・・・・・?、と私は感じた。

2016-08-17

[]よくある質問

真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。

Q.「すいすいすいようび」って何ですか。

このサイトとあるユーザーが書いている日記ワードとして認知されているな。

カテゴリ化されていないが投稿間隔が短いので、このサイトを利用し続ければ、いずれ目にする機会もあるだろう。

特徴の一つとして、見出し回文とされている。

まあWikipediaによると、回文とは「始めから(通常通り)読んだ場合と終わりから(通常と逆に)読んだ場合とで文字ないし音節の出現する順番が変わらず、なおかつ、言語としてある程度意味が通る文字列」のことらしいので、それに則った場合微妙な出来のものが多々あったりもする。

内容は、前半は雑感、後半はその日摂った食事や、飲んだデトックスウォーターなどが、女性語で書かれたものとなっている。

最後に「すいすいすいようび」、「今日も頑張りましょう」で締めくくられる(日記によって、表現微妙に違いがある)。

なお、別に水曜日とか関係なく投稿される。

多少の差異こそあれ、ある程度のお決まりに沿った内容から、この界隈では「水曜日」とか「回文」とか「デトックスウォーター」といえば、その日記や筆者を指すこともあり、ややも概念化している。

なぜ水曜日か、明確な元ネタなども分からないが、モチーフだと思われるCMが一昔前あったらしい。

CMは「日本防火協会(現在は「日本防火防災協会」という法人名らしい)」という一般財団法人の名義で製作され、1970年代 - 1980年代頃に放映されたようだ。

CM曜日ごとに種類があり、水曜日編で「すいすい すいすい 水曜日」というフレーズがある。

CMの内容も「水を大事にしよう」、「一日一善」といったメッセージから、恐らくこれがモチーフと考えてよいだろう。

余談だが、少し前にツイッターとかで「すいすいすいようび~」と書いた後に泳いでいるっぽいAAを乗せたネタトレンドになっていたな。

どうも曜日ごとにAAネタがあるらしいから、同じくモチーフは件のCMだと考えられる。

2016-07-31

オンラインに主軸を移す、といってはや数年

約30年前に創業した社長が、時代の変化にあわせ、

収益の主軸をオンラインに移すと言い始めてから数年が過ぎた。

今期こそ、全社を挙げて移行すると主張している。

自分提案したリニューアル提案や売上増につながる新たな施策は、

ことごとく無視され、まったくノータッチのまま、新たな経営方針が決まった。

その内容は、以前に提案したものほとんど同じだったが、核となるターゲットは違っていた。

最初提案した2009年、遅くとも2013年あたりにに実行していれば、

からスマホブームに乗って成功していたはず。

何度も繰り返した提案は、いずれも上司のもとで止まっていたのだろう。

オンライン重視を掲げつつ、実務はアナログベース旧態依然のまま。

スマートフォンが普及し、世の中は、確かにインターネットユーザーは増えた。

2000年代若者だった1970年代まれ以降の世代高齢になれば、

完全に、最大の情報源インターネットになる。

しかし、その使われ方は、身内でのやり取りが中心で、

動画の視聴、電子書籍の閲覧など、"閉じた”行為が多い。

昔、勢いがあった頃のインターネットは、趣味や嗜好が同じ無数の他人との交流が中心だった。

もちろん、ROM専の人も多かったけれど、とにかく、匿名で何でも書ける雰囲気があった。

スマートフォンの普及と、リアルオンラインの融合によって、

ネット上で発信すること」の影響力が大きくなり、制約が増えてきたと感じる。

ここでさえ、所属特定されないように、ぼやかして書くしかない。

言いたいことは、誰にも言えず、リアル叫びは、ネット上には、どこにも残せない。

ネットに残らない情報/言葉は、すべて「なかったこと」になる。

自分人生痕跡はどこにも残らない。結局、何者にもなれなかった。

アーティスト漫画家など、クリエイティブ面で実績を残した著名人40代で亡くなる人も多い。

人生は40年」とすると、残り数年。残りわずかな人生に悔いのないよう、本当に書きたいこと、伝えたいことを書き綴りたい。

正当な評価を得られず、創業者上司に振り回されるばかりの仕事より、プライベートを充実させたほうがいいと、ようやく気づいた。

今日は、私だけが知っている、終わりの日。

2016-07-10

「選挙」風景

海外から帰ってきて、空港に到着したとき飛行機の扉がひらいて乗客ゾロゾロと出てきて列を作った。どこまでも続くと思われる廊下をさっきまで乗っていた飛行機を横目に見ながら進むと、そこで列は2つにわかれるのだった。片方の列は日本パスポートを持つ人、もう一方は持たない人。普段意識をしないものの、不意にこのときばかりは自分日本人なのだなと思い知らされる。空港では様々なパスポートの色や図柄かいてあるのを見つけるなかで、自分パスポートには「日本国」と書いてあることが自分日本人であることに対する、まるで唯一のよりどころに思われた。

自分日本国籍を持つことを改めて感じるのは選挙の時だ。

灼熱のアスファルトをトボトボと歩き、やっと公民館投票所へつくと汗はダラダラと吹き出していた。入り口に掛けられた蚊取り線香からかすかな香りを感じながら廊下を歩くと、老若男女とすれ違うことによって国民の誰もが選挙権を持っていることに気付かされる。整理券と引き換えにもらった小さな紙と、銀色の台に置かれた鉛筆それからひんやりとして鎮座する投票箱。これが民主主義とやらを支えているのかと思うたびに、なんとローテクなのだろうと思いつつ、民主主義という人類発明に思いを馳せるのだった。

「どうせ自分選挙に行ってもなにも変わらない」という意見がある。それには全く同意だ。なぜなら、自分意志選挙の結果(当落)を左右できるひとは、大量の動員ができるごく限られた人たちだけだからだ。きっと自分の入れた一票は死票になる。それでも、自分はついつい選挙に足を運んでしまう。ふと隣国に目を向けると、日本とは異なった選挙のない(あるいはほとんどない)政治システムで動いていることがわかるし、世界歴史を振り返れば普通選挙が始まったのは「つい最近」のことだった。例えばアメリカでは1970年代になってやっと黒人の多数が選挙に行くことができるようになったことが示すように普通選挙歴史地理的に見てそれほど普遍的ものではないと思う。選挙にいけば、教科書で見た間接民主制が目の前にある。たしかに、いま自分は間接民主制採用する国に生きているんだなあ、というのを実感するために選挙に行っている。

今日の夜は一杯呑みながら、選挙結果を聞いて楽しむことにする。オヤジが贔屓の野球チームの勝敗一喜一憂するように、自分選挙速報を見ながらリラックスしたひとときを楽しむことにする。どうせ無駄とわかっていながらも投票してしまったがゆえに、その一票がどうなるのか気になって仕方がないのだ。

2016-07-07

真夏の夜の淫夢ロンドンパンクは同じだ

緒言

 ついさっき、こんなエントリーを見かけた。

私は淫夢を憎んでいる - はてな匿名ダイアリー

http://anond.hatelabo.jp/20141116192322

 これは1年半ほど前に書かれた文章で、当時はまだ淫夢コンテンツが隆盛の頃である。それが今更になってTwitterで密かな話題となっていた。この文章を見た瞬間に「俺も持論を展開したい!」と子供染みた高揚感に襲われたので、一つ、書いてみる事にした。

 その持論とはパンクロック淫夢根底では同じ現象であるというものだ。ただ、それを解説する為には、まず淫夢というコンテンツのものについて考えなければならない。

淫夢というコンテンツ

 ここで指すところの“真夏の夜の淫夢(以下、淫夢呼称)”とは、2001年コートコーポレーションから発売された「BABYLON STAGE34 真夏の夜の淫夢」とその他関連したゲイポルノビデオの内容を大手インターネット動画サイトニコニコ動画」に転載した一連のコンテンツである。そもそもは、プロ野球選手多田野数人氏がこのビデオに出演したとされるスキャンダル2002年の夏頃に週刊誌インターネット等で報じられ、それを面白がった2ちゃんねるユーザーがこれを「ネタ」とした事に始まる。要するに、このコンテンツはかなり息の長いものであり、その歴史は14年にも及ぶ事になる。

 一方で、淫夢日本に於けるインターネット文化メインストリームに飛び出してきたのはごく最近である。例えば、ニコニコ動画流行を発生される端緒となったMAD動画である霊夢 so クッキー☆」が投稿されたのが2010年10月30日のことだ。流行の原因はひとえに萌え文化に食い込んだ事にある。当時流行していた東方Projectに乗っかり、馬鹿にするような形で、淫夢は知名度を上げた。そしてこの動画淫夢要素として登場したのが通称野獣先輩(役名:田所浩二)」である最初にこの動画を見ると恐怖と嫌悪感を覚えることだろう。最初アニメキャラのMADなのに、動画後半でガタイの良い野性的な男が突然喘ぎだすのだ。インパクトは大きいが、初めてこの動画淫夢に触れた人間は到底笑う事ができないだろう。

 そう、冒頭のエントリーでも言われていたように、淫夢コンテンツは「人を遠ざけること」を以て成立していた。そして、同時に人気のコンテンツに対して「喧嘩を売る」ことも淫夢を支える原動力となっていた。ところで、冒頭のエントリーでは「理解されることを嫌う」という部分に主軸が置かれていたが、「風評被害」などの全方位爆撃と言われるような無差別迷惑行為が行われる原因には余り言及されていない。そもそも、意味もなく「風評被害」を撒き散らしてコンテンツ占領する事は、淫夢の大きな特徴の一つであるしかしこれを単に「定型文を楽しみたいがため」であると考えるのは早計である。このような無差別破壊行為を行う危険分子には一つ記憶がある。それは1970年代後半のロンドンパンクである

ロンドンパンク淫夢

 パンクロックと言われて皆さんは何を想像するだろうか。まずもってハードコアロック想像する人が大多数であると思う。次にセックスピストルズ連想する人が多いだろう。ここでイギー・ポップ想像された方は私と趣味が合うので、酒でも飲み交わしたいところだ。それはさておき、パンクロックというのは至極曖昧な分類である結論を言えばハードメタルロック特にパンクではない。パンクロックとは、超絶技巧進化しすぎたロックに対する反骨として、若者たち楽器を取って破壊的な演奏をしたことに始まる。パンクロックは常に若者と共にあった。その中でもロンドンパンクセックスピストルズパンク代名詞的に語られる事が多い。そして、今回淫夢ムーブメントと対比して語るのも、ロンドンパンクであり、セックスピストルズである

 パンクロックの特徴の一つとして、演奏適当で、歌も酷く、歌詞過激、という部分がある。最早そこに芸術性などなく、ただ単調な破壊行為のみが残る。そういう音楽である。そして、ロンドンパンク全盛期(のみならずパンクの曲)の歌詞を聞けば分かるが、その内容は全方位爆撃という言葉に等しい。そしてそれが流行した背景には当時の社会情勢があった。1960年代以降のイギリスと言えば「英国病(もしくは"Sick man of Europe")」と呼ばれる長い停滞の時代にあった。特に1970年代後半は労組賃上げ交渉のために社会機能が混乱に陥り、それが更に深刻な影響をイギリス全体に与えていた。

 淫夢流行の端緒となったのは「霊夢 so クッキー☆」であるとの持論を先程展開したが、それでも淫夢アングラ文化である事に変わりは無かった。淫夢一般的にも受け入れられるようになったのは2013年2014年ごろの事である2014年の冬には女子中高生流行語として「微レ存」(“微粒子レベル存在している”という内容の淫夢用語)が取り上げられているなど、ある程度社会に影響を及ぼす立場淫夢というコンテンツが進展している事が分かる。

参考:「Ameba」が2014年「JCJK流行語ランキング」発表 流行語1位は「ダメよ~ダメダメ」、「かまちょ」「KS」など新しいJCJK語も上位に 流行っていたモノ・コト1位は「壁ドン

https://www.cyberagent.co.jp/news/press/detail/id=9551&season=2014&category=ameba

 さて、2010年から2014年の間に何があったかと言えば、2010年ごろから尖閣諸島問題が表面化し、更にGDPでは日中順位が逆転、対中関係政治的にも国民感情的にも急激な悪化の一途を辿った。2011年には東日本大震災とそれに伴う原発事故が起こり、それ以来日本社会に大きな影を落とした。2011年から2012年に掛けては円高が続き、日本経済は大きな不況に陥った。そもそもバブル崩壊以後の日本経済は停滞を続け、災害リスク政治不信など、社会情勢はとても良好とは言えなかった。要するに、日本英国病と何ら変わらない状況に陥っていた。(もしくは今も陥っている。)

 当たり前だが、人間はそういう状況で不満を溜め込むものである淫夢はそういった不満の捌け口となる「パンク的」なコンテンツとして、この頃から急激に勢力を伸ばしていった。淫夢というコンテンツが「人を遠ざける」事を絶対の掟とするのは、この攻撃的な性質と表裏一体である。そして、今度は「攻撃する事」そのもの淫夢価値として利用されるようになった。

 ニコニコ動画に於ける淫夢というコンテンツの裏にはニコニコ動画運営に対する反骨精神が常に見え隠れしている。例えば「ニコニコ本社爆破シリーズ」や「ニコファーレ」を淫夢動画占領するなどといった行為にそれは顕著であるニコニコ動画では卑猥動画は削除されるようになっている。淫夢を題材にした動画もそういった理由で削除される事が多く、「ホモコースト」と呼称されている。ここでのニコニコ動画運営ある意味既得権益層として扱われている。そして、淫夢というコンテンツに集った人間抑制する「大人」として常に反骨の対象となっている。この構造ロンドンパンクでも同じだった。有名なセックスピストルズ契約を中途破棄した大手レコードレーベルEMIに対して中傷を加えるような楽曲EMI』を制作し発売している。

 かつては純粋同性愛者に対する侮蔑意味から成り立っていたコンテンツも、近年では方向性が変わり、日本社会全体に対する皮肉や激しい中傷が込められたものとなっている。

ロンドンパンク終焉淫夢の衰退

 ロンドンパンクは一瞬にして終焉を迎えた事で知られている。例えばセックスピストルズアメリカツアー中に解散し、それからロンドンパンクブームは急激に終息へと向かった。結局はバンドメンバー喧嘩別れなのだが、一般的には「セックスピストルズ時代に果たした役割は終わっていたから」と解説される事が多い。これは何を示すのか。

 淫夢に目を移してみよう。2010年頃、ニコニコ動画淫夢流行りだしたとき流入してきたのは所謂「はぐれ者」のような人間だった。彼らは「人に理解されない」という事を自覚している。そこでそれを逆手に取って、「絶対理解されないコンテンツ」で活動する事にしたのだ。淫夢が隆盛すると、淫夢という荒削りだったコンテンツにも多くの優秀なクリエイターが参入してきた。彼らもまた社会のはぐれ者だったが、その技術力によって淫夢というコンテンツニコニコ動画の中で確実に育っていった。そしてすぐにも一般的人間にも受け入れられるコンテンツへと淫夢は成長した。

 近年のアニメ文化にも同じ現象が見られる。元々深夜帯のアニメは「はぐれ者」の為のコンテンツだった。しかし、深夜アニメコンテンツとしての成長とともに、十分一般大衆に受け入れられるようになってきた。しかし一方でそれは“古参”のオタクと新たにアニメを視聴し始めた人間の間に溝を生む事になった。近頃では、社会的弱者というよりは立場の強い者でもアニメを見るようになったので、そういった人間の行動がオタクの内輪で問題になる事も多くなってきた。(ラブライブに関する騒動など。)

 淫夢でもこれと同じ事が、より急激なスピードで起こった。淫夢大衆化が進み過ぎて、比較的容易に理解されるコンテンツとなってしまった。動画コメントにも「掟」を破るようなものが出てくる。また、淫夢動画自体攻撃する側からされる側へと変化していった。そうなると、過激作品を作る意味もなくなっていく。淫夢に関連する動画を作っていたユーザーは更に先鋭化した動画へと転向するか、もしくは全く違うコンテンツに乗り換える事を余儀なくされた。もちろん、動画を作る人間が残されたユーザーに居なかった訳ではないが、理解しがたい価値からまれる笑いを作り上げる事は難しくなった。現在淫夢では、無意味誹謗中傷を繰り返すタイプコンテンツと、「現場監督」などの更に理解しがたいコンテンツへと興味が進展している。一方でコアな視聴者層流出も止まらず、最盛期にはニコニコランキングのその他カテゴリ10位以内を常に占拠していたが、今では半分にも満たないことが多くなった。

 セックスピストルズの解散理由であるところの「役割が終わった」とは、言い換えれば過激な事をしても面白くなくなったということである自分自身メインストリームに近づいてしまった事により、メインストリームに対する攻撃を加える事が最早できなくなった時点で、ロンドンパンク現在淫夢というコンテンツ終焉や衰退へと向かう事は規定路線であったということである

淫夢日本社会に残したもの、これから果たす役割

 攻撃的で人間を遠ざけるようなコンテンツは何も淫夢だけではない。2ちゃんねるの「なんでも実況板J」発のコンテンツには類似した攻撃性、特殊性を持ったコンテンツが多く存在している。一つは野球選手を題材としたカッスレなどの誹謗中傷を行うコンテンツである。もう一つは聞いた人も多いと思うが唐澤貴洋弁護士に対する一連の誹謗中傷である。どちらも淫夢より更に先鋭的であり、社会に与える影響もコンテンツの規模に比して大きい。後者特に爆破予告やGoogleMapの書き換え騒動などで、社会に対して影響を与え始めている。

 そしていずれも淫夢コンテンツに集っていた人間ユーザー層が被っているという事が重要である。そして、これから淫夢と同様に勃興していく可能性を秘めている。それはつまり淫夢というコンテンツはもしかするとこれから起こる日本社会全体に対する反抗的ムーブメントの始まりに過ぎないかもしれないということだ。淫夢というコンテンツは「因縁を付けて他のコンテンツ占領する」という重要特性を発現し、それが日本アングラインターネット文化に与えた影響は大きい。

 パンクロックが「タブー無視した過激表現」という点で後の様々なコンテンツに影響を与えたように、もはや淫夢というコンテンツ日本の文化に与える影響は無視できないものとなっている。冒頭の記事で「ニコニコ動画を滅亡させるもの」として記述されていた淫夢は、果ては日本一種意味で「壊す」コンテンツとしての役割を担う可能性がある。淫夢ニコニコ動画であり、日本でもあるのだ。つまるところ、今起きている淫夢というコンテンツ拡散はこのコンテンツ特有事象ではなく、もっと巨大な社会的情勢の要請から来るものであるという事だ。

 では、我々は次に何をすべきか。社会を食い潰しながら、次々と勃興しては衰退する攻撃的なコンテンツを前に、それをどうするべきか。淫夢風評被害を広める人間が悪い訳ではない。唐澤貴洋に殺害予告をする人間が悪い訳でもない。そしてパンクロック演奏した人間が悪い訳でもなかった。彼らに対して批判を加える前に、彼らに対して何ができるのかを考えてみてほしい。

2016-06-26

memo

キジ

行為のこと

ボンボン

行為のこと

ジャパゆきさん

ジャパゆきさんとは、1970年代後半から急激に増えた、日本出稼ぎに来る東南アジア女性のことを指して呼んだ語である。この言葉1983年流行語になった。

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