はてなキーワード: 引用とは
https://srad.jp/submission/80905/
さてさて、ここで紹介されている、亀山あゆむ(亀にゃん、鶴亀、うさにゃん)というDQN。
狂信的なJR東海ファンでライバルの名鉄や近鉄、JR東海にちょっとした苦言を言ってる輩を片っ端から攻撃しているみたいだけど頭大丈夫かな。
このDQN、↑のaokumaとかいうユーチューバーの狂信的アンチだけどまさに低能先生そのものだね、東海を批判されただけで発狂するとか幼稚園児ではあるまいし。
ああ、こう書くとこの亀山あゆむとかいう低能は発狂するんだろうなw
運転マナーの悪い車として有名なプリウスを始めトヨタはあるし、JR東海の敵は名鉄ではなく車社会だろうがᴡ
さてさて、冒頭の引用先でも指摘された事ですが、
幸いなことに、aokumaやHagexなら、こういう性質の悪いアンチとして粘着されるとダメージを受けるのだが、これがツイッターやブログ等別の土俵になるとてんで話にならない。連中はその土俵にすら上がって来れないのだ。
亀山あゆむというDQNがaokumaにここまで嫌がらせが出来るのは、Youtubeが脳内都合でもって潰せる、アンチ活動が出来る環境だからこそ。
逆に言えば、ヤツらのようなDQNの脳内解釈や脳内創作の承認欲求が安易に通ってしまうのがYoutubeやはてなだと思った方がいい。
だからそんなバトルを知らないあぶく銭稼ぎのYoutuberやはてな民は実に目出度い。
https://www.youtube.com/channel/UCuAS5nQO2TTRQgd607Ib3OQ
http://www.news24.jp/sp/articles/2019/11/08/07541255.html
飯塚元院長が書類送検されるらしい。日本では年間3500人以上が交通事故で亡くなっているというのに、なぜこの88歳の老人だけが、ここまで批判の的なのだろうか?キーワードは二つある。一つは、上級国民であり、二つ目は、逮捕(されなかった)である。どうやら彼は、上級国民だから交通事故を起こしても逮捕されなかったと思っている人々が多数いるらしい。そして彼らは 上級国民が、交通事故を起こしても逮捕されなかった というだけでここまで88歳の老人に向かって心ない言葉をぶつけ、人格否定までしているのだ。
ここからは私個人の見解である。飯塚元院長が犯した犯罪は、残念ながら全国どこにでもある交通事故だ。彼は勿論故意ではないし、そこまで批判に晒される理由など、客観的に見てないのだ。逮捕されないのであれば警察を叩くべきだし、高齢者が車を利用できる制度を作り出す国を批判すれば良い。それにも関わらず、元院長の人格否定から何から何までし続けるのは、結局母子を轢き殺した老人を叱ってるという正義感からくる悦に浸っているからに過ぎない。やってることは小学生や中学生がやる虐めと同じレベルの事であり、全く許される話ではない。正義を振りかざすのなら、人なんてそこらへんにいる虫けらと同じように扱ってもかまわない、別に殺してもかまわない、などと考えている 真のサイコパス の人間が何と多いことか、日本という国はまさしく、狂っているのだ。集団心理と呼べば良いのか、結局過失で交通事故を起こした犯人をいくら叩いても世の中は何一つ変わらないのに。交通事故を起こすな、この老人は◯◯!、はやくあの◯にいけ!とか、そんな小学生レベルの思考から一歩二歩先に進むことすらできない人間が、大多数を占める国が、日本なのだ。
はっきり言わせてもらう、君は
https://addons.mozilla.org/ja/firefox/addon/twitter%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%AB%E3%82%BF/
https://github.com/lvnkae/twitter-filter
質問箱回答だけうざい
NewsPick発言が痛々しい
表示名ミュートの詳細設定
例)
例)
<>宇佐美 *定満
宇佐美定満
宇佐美 定満
宇佐美 定満
宇佐美 定満
等、姓名間にスペースが0個以上ある定満はを含むツイートを削除
絵文字の扱い
| amba.to | bitly系(ameba) |
| amzn.to | bitly系(amazon) |
| bit.ly | 本家 |
| buff.ly | bitly系 |
| dlvr.it | |
| goo.gl | google独自/APIは廃止されたらしい |
| htn.to | hatena独自/19.02.28API廃止 |
| ino.to | Inoreader |
| ift.tt | bitly系(IFTTT) |
| is.gd | ※ |
| j.mp | bitly系 |
| kisu.me | |
| lb.to | bitly系(livedoor) |
| nav.cx | ※naver独自 |
| npx.me | ※NewsPicks独自 |
| ow.ly | hootsuite |
| tinyurl.com | ※tinyurl |
twitter検索結果がかなりきれいになった。まとめサイトとかまず見ない。
ファストアンドスロー、実際すこし読んでみたんだけど、件の記事で引用されている部分はかなり最初の方(まえがきの一部)から出てくる。
ただ、この手の心理学の実験ってレギュレーションとしていままで顔を見たことないような赤の他人を被験者として行うのが一般的だから(from 予想通りに不合理、他)、実験の手続きや前提条件の詳細を確認する前にそこだけ読んで「部下の質問の答えが単純なのはそういうことなんだな」とするのは結論を急ぎすぎている気がする。
心理学に近しい分野の成果としてこの文言を渡されたときに確実に適用できる範囲は「知らない人から聞かれた文脈がわからない難しい質問においては」くらいでは。
また、一般的にこの手の実験で使われる事柄は非常に一般的な事柄や関連性のない事柄なんですね(ファストアンドスローの最初の方の事例だとバスケしながらゴリラとか)。
けど、ふつうのお仕事でそうした事態はめずらしいんじゃないでしょうか。
ので、こういった研究の話をそのままストレートに仕事に適用できるみたいな発言をあまり元気よくなされると、
「御社は宗教のチラシの見出しレベルの具体性でコミュニケーションもとらず仕事教えてるんですか」とか
「御社は仕事に関する情報をバスケしながらゴリラ見せるくらい集中できなさそうなときに脈絡なく伝えてるんですか」とか雑に言い返したくなりますよ。。
仕事の結びつきがわかってくるだろうオンボーディング終了までは、人間の脳みそにある一般的なバグのせいで相手の本来の能力は判断できない、くらいのお話だと思います。。
バスケしながらゴリラの話についてはSlack使ってても伝わらないなら朝会などみんなが人の話を聞かなきゃなーと思ってるタイミングを利用して手短に伝えるのと併用したら解決しやすいと思ったけど、たぶんふつうの仕事の仕方なのでやっぱりあんま大声で興奮する前に落ち着いたほうがいいと思いますね。
最後に、2桁どうしの暗算はすぐにできない、と真理のように例として出てますが、そろばんとかフラッシュ暗算習ってる人は顔の表情よりは遅れるものの3秒以内、まあいわゆるすぐの範囲でできます(増田は暗算6段)。訓練してない人が無理という話で。
ミリシタが今まさに炎上しているので、せっかくだからこの機会にまとめてみた。
この人色々おかしくなっちゃったね。これ要は「嫌がっているけど本音は俺にレイプされたいはず」論法。自他の境界が崩壊している。自分の感情を投影し相手の言動を本当じゃないはずと言い出す、典型的なレイプ魔思考 - zyzyのコメント / はてなブックマーク
https://b.hatena.ne.jp/entry/4676980874859644162/comment/zyzy
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prattoさん がこの人色々おかしくなっちゃったねを引用してスターを付けました。
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在華坊のツイートへのzyzyの批判ブコメにあままこが☆連打してて笑っちゃったんだけど、あままこと在華坊ってなんかbeefとかあったっけ
『あのさー、表現で食ってる人が「人を傷つけない表現なんて不可能」って言うのってさあ、トラックやタクシーのドライバーが「事故を起こさない運転なんて不可能」っていうくらい無責任なことだと思うぜ?(;´Д`)
シロウトが横着な運転の言い訳してるんじゃないんだからさ、プロならプロらしくしてよね。』
救えねぇな…
最近、「ツイフェミ」という言葉を検索するのが趣味になりつつあります。きっかけは某WJ作家の炎上だったのですが、それについてはもう少しその周辺が落ち着いてから色々考えたいと思います。さて、その某WJ作家の炎上について様々な意見を目にする内に、「#Kutoo」でお馴染みの石川優実さん(@ishikawa_yumi)のツイートでこんなものを目にしました。
(A)「なでしこ寿司さんの件、指摘する部分は袖がついちゃってたやつだけだと思うんだけど。
カウンターで調理してるのに髪の毛全部入れてない飲食店なんて私普段からたくさん見るけどな?寿司屋だけ髪の毛が落ちて料理に入りやすいの?お化粧だって接客と料理兼ねるなら女性はマナーとして義務付けられる」(https://twitter.com/ishikawa_yumi/status/1191829224421642240?s=20 2019.11.7アクセス)
(B)「ことが多いし。化粧のにおいがとか言い出したら化粧してる女性客の入店断らなきゃでしょ。なんで他の飲食店よりお寿司業界がここまでぴっちりしてるのかってそれこそ今まで男性ばっかだったからな可能性も高い気がするけど…」(https://twitter.com/ishikawa_yumi/status/1191829227814785025?s=20 2019.11.7アクセス)
(C)「そもそも、今の日本で人前に出る仕事はお化粧をするのがマナーという風潮があるはず。にも関わらずそれを良いふうに捉え楽しもうとしたら叩かれるってなんか変じゃない?」(https://twitter.com/ishikawa_yumi/status/1191832962024656896?s=20 2019.11.7アクセス)
ここまでが一連のツリーです。(文章が途中で途切れていますが、字数制限の関係と思われます。Twitterの仕様上仕方ないですね。)その後、以下のようなリプライがつきます。
さらに素人の腕前なのに学校を開いて多額の金を取ろうとしている」(https://twitter.com/oZayHCwzzN7LEBD/status/1191832292202692613?s=20 2019.11.7アクセス)
以上のリプライにたいして、石川さんは引用リツイートで以下のような返答をしています。
(D)「だから不衛生なのって袖がついちゃってた事と絆創膏の件で、化粧とか髪を全部入れないこととかって他の飲食業界ではよく見る光景だけど寿司業界だけ不衛生になるのはなんで?って話なんですけど。
腕前が素人がどうかは私は食べとらんので知らん。」(https://twitter.com/ishikawa_yumi/status/1191835052109230081?s=20 2019.11.7アクセス)
この先は以上のツイートに対して、見解と言うには非常に粗雑ですが、私の思ったところをまとめていきたいと思います。
まず、(A)の1文目、「なでしこ寿司さんの件、指摘する部分は袖がついちゃってたやつだけだと思うんだけど。」については、「袖がついちゃったやつ」自体を石川さんが問題視していることは読み取れます。ただし、「だけ」と限定することで石川さんのツイートを見た人は違和感を感じ、他の例として「絆創膏」を挙げています。
(例) https://twitter.com/ayumix45/status/1191939488001527809?s=20 2019.11.7アクセス
https://twitter.com/raiasinmama/status/1191866943147347968?s=20 2019.11.7アクセス
この1文目に対する私の個人的な意見は、「随分と食品衛生に対する意識が低いんだなあ」といった感じです。
私自身、今は社会人として飲食業界ではない職場に勤務していますが、以前は全国展開するファミリーレストランで約3年程アルバイトをしていました。個人経営の飲食店ならいざ知らず、さすがに全国展開するお店になると、衛生管理に少しでも綻びが見つかれば、店全体、その店が所属するエリア全体の問題となり、関わった全ての従業員(社員、アルバイト、パート関係なく)が指導されました。衛生管理マニュアルは何度も何度も改定され、改定の度に従業員は勉強し実行します。
私の元アルバイト先がここまで衛生管理を徹底していたのは、安心安全なお料理を提供することがお店の義務だからです。また、少しでも雑菌等の混入が予想される事態(今回某寿司屋の写真にあったように、食品に袖が触れるなどの事態)が目に着けば、「雑菌が混入した」という事実の確認も重要ですが、「雑菌が混入したのではないかとお客様を不安にさせた」「衛生管理に不備がある店という印象を植え付けた」等の、“消費者または消費者に今後なり得る人の感情”が、より重要になると思います。石川さんが食品に袖が触れる事態をどの程度重要視しているのかについては述べられていないのであまりその部分には突っ込めませんが、少なくとも真面目に食品の衛生管理に関わった人ならば「袖がついちゃったやつ」と軽々しい表現はしないかと思います。
次に、(A)「カウンターで調理してるのに髪の毛全部入れてない飲食店なんて私普段からたくさん見るけどな?」についても、物議を醸す要素は強いと感じました。
石川さんが「カウンターで調理してる」飲食店について、どのような経営体制をとっている店を想定しているのかは、このツイートだけでは判断出来ません。先述した通り、個人経営の飲食店、チェーン店と区別するだけでも、店ごとの衛生管理ガイドラインは異なります。(個人経営の飲食店に衛生管理ガイドラインがあるのかどうかは知りかねますが。)また、調理の程度によって服装規定が変わることはよくある話です。
また私の元アルバイト先を例に挙げます。私の元アルバイト先はカウンター調理ではありませんでしたが、主にデザートや飲料の盛り付け・準備をメインとする従業員と、それ以外の料理を担当する従業員とでは、服装規定が異なりました。前者はホール業務も並行することがあったため、基本的にホールスタッフと同じ服装です。ただし、食品に触る際には必ず専用の使い捨て手袋を装着し、髪の毛はホールスタッフと同様、ゆらゆらと揺れる部分が無いように丁寧にピンやネットでまとめていました。後者の服装規定は更に厳しく、ネットで髪の毛を全て覆い、その上から使い捨ての紙製帽子を被り、キッチン専用の長靴、ユニフォームを装着していました。ユニフォームは色が白く、汚れたらすぐに分かりますから、汚れがあれば店長から厳しく注意されます。これでも本気で衛生管理について考えるなら生ぬるいくらいです。
さて、石川さんの指す「飲食店」がどのような店を指すのかは存じ上げませんが、「髪の毛全部入れてない飲食店」が「袖がついちゃったやつ」と比較してどの程度無問題なのかは考えるべきだと感じます。「髪の毛全部入れてない飲食店」の数について、石川さんは体感で多いと感じているようですが、多ければ問題にならないのでしょうか。もしくは、数が多ければ問題を軽く捉えてもよいのでしょうか。
(A)「寿司屋だけ髪の毛が落ちて料理に入りやすいの?」については、皮肉としての文脈と捉えたので特に何も言及しません。
次に、(A)「お化粧だって接客と料理兼ねるなら女性はマナーとして義務付けられる」(B)「ことが多いし。」についてです。
この文脈は、先述の「袖がついちゃったやつ」と比較して、「お化粧」は指摘されるような問題ではないと主張したいのだと読み取りました。どちらがより重要な問題かというのは、比較するための条件や前提によって色々異なると思います。私の意見としては、もしこの「お化粧」が一般的な化粧の過程を辿るようなもの(私が想定するのは、下地→ファンデーション→アイシャドウ・リップ・眉・チーク・睫毛)であれば、確かに大騒ぎするようなことではないと思います。もちろんそれぞれの過程における程度にもよりますが、「けばけばしい」と表現されるような化粧でなければ、そこまで気にはしません。ただ、食品を扱う以上はお客様への不利益に繋がる可能性があれば、お客様第一で行動するのが飲食店として重要なことだと考えます。さらに言えば、そもそも衛生管理的には化粧は必須ではないですが、化粧以外の身だしなみはかなり重要視されるものがあります。
私自身はアルバイトの際にホールスタッフとして従事していました。(デザートや飲料の担当もしていましたが、メインはホールでした。)女性は確かに、世間的には高校を卒業した頃からある程度化粧をすることが求められます。しかし、服装規定の上では化粧は必須ではありませんでした。何より清潔な身だしなみが重要視されます。清潔な身だしなみとは、清潔感を与えるためだけが目的ではありません。長い爪や何日も洗われていない髪の毛、洗濯されていないユニフォームは雑菌の温床となりますから、まずはここをクリアしなければ始まりません。
もちろん、石川さんが気にしているのはそういった明文化されたルールではなく、社会で慣習として根ざしている「女性に求められる身だしなみとしての化粧」だと存じています。ただ、あくまで「慣習」であって、「義務付け」る飲食店が全てではありません。化粧を「義務付け」る企業を指摘することについては、私もやりようによっては同意すると思います。しかし、この表現については少し「慣習」について偏った見方をしているように感じました。また、もし「袖がついちゃったやつ」と比較して無問題だとするならば、もう少し丁寧に考えるべきかなと思いました。
次にいきましょう。(B)「化粧のにおいがとか言い出したら化粧してる女性客の入店断らなきゃでしょ。」については、取り上げるのも馬鹿馬鹿しいのですが……。お料理を提供する側がお料理に化粧品のにおいを移してしまうことと、お客様が提供されたお料理及び周辺の空気に化粧品のにおいを移すことは別問題です。ただし、これに対して提示するような実例を私が持ち合わせていないため、もしこんな問題があったよという情報があれば教えて頂きたい限りです。
なんにせよ個人的な見解としては、提供するお料理にお料理以外のにおいをつけることは、お客様からのクレームに繋がることは簡単に予想でき、店側で注意して改善出来ることだと思います。それに対して、お客様がお料理に化粧品のにおいをつけてしまっても、それはお客様自身で責任を取る範疇です。また、店内の空気にお客様の化粧品のにおいが移ってしまうことについては、ご案内する席の位置である程度他のお客様への配慮へと繋げられるとは思いますが……。化粧に関わるドレスコード等が無ければ、基本的にご来店されたお客様を拒否することは無理でしょう。ですから、そもそも「化粧のにおいがとか言い出したら化粧してる女性客の入店断らなきゃでしょ。」という話は、「飲食店の女性店員の化粧は『袖がついちゃったやつ』と比較すれば指摘されるような問題ではない」という主張の根拠として力を発揮していないと考えます。というかなんでそんな乱暴な根拠を持ってくるんだろうと呆れました。
次に(B)「なんで他の飲食店よりお寿司業界がここまでぴっちりしてるのかってそれこそ今まで男性ばっかだったからな可能性も高い気がするけど…」について。
まず、「他の飲食店」が指すのは、石川さんが知る範囲の「髪の毛全部入れてない飲食店」だと予想します。もし違ったとしても、具体的なデータが示されていない以上、「石川さんが今まで見てきた飲食店」と仮定しておきましょう。
正直なところ「お寿司業界」については私自身関わった経験がないので、「ぴっちりしてる」が指す内容は、「ぴっちり」=「窮屈」という言葉の印象から、Twitterで見た「何年も修行しないと板に立てない」「板前の服装規定が厳しい」くらいしか予想が出来ませんでした。この窮屈さの理由が「今まで男性ばっかだったから」であるというのは、一側面で考えれば十分当てはまる理由だと思います。実際にお寿司屋さんの板前さんって、男性の方ってイメージが強いですもんね。ただ、これは何を考えるにあたっても同様なのですが、一つの事象が起こった原因をたった一つに絞るには、それ以外の可能性を全て検証し排除していかなければいけないんですよね。もしそれが客観的資料をもって不可能であれば、様々な原因があって然るべきと考えます。だからこそ、石川さんが考える「今まで男性ばっかだったから」という理由と同じく、「生物を扱う職業だからだ」という理由も同様に検証して考えていくべきだと思います。どっちが正しいとかではなく、どちらか片方のみを原因として定めてしまうことは危ういと考えます。(だからこそ石川さんも「可能性が高い気もするけど…」と断定を避けているのだと察します。)
次に(C)「そもそも、今の日本で人前に出る仕事はお化粧をするのがマナーという風潮があるはず。」については、この部分だけ切り取れば概ね賛同します。「風潮」というのも、私がしている認識に近いです。
その次の(C)「にも関わらずそれを良いふうに捉え楽しもうとしたら叩かれるってなんか変じゃない?」というのは、「人前に出る仕事はお化粧をするべきという風潮を、前向きに捉えて楽しむ」という行為が非難されている現状へ苦言を呈しているのだと読み取りました。個人的には、それまでの様々な文脈を無視してのこの文面であれば同意見です。
さて、この(C)全体について、確かに化粧の話に限れば、人前では化粧をするべきという風潮を逆に楽しんで受け入れてもいいと思います。ええ。しかし、「人前に出る仕事」の中でも更に絞って「飲食店の従業員として適切な服装」として話なら別です。
この(C)で石川さんは「飲食店」の話から「人前に出る仕事」へ対象を広げています。そこがだいぶ狡いな、と感じました。「飲食店」という枠組みの中で、服・髪の毛・化粧の問題を挙げている人々に対して、「人前に出る仕事」という更に広い枠組みで、化粧を楽しんで何が悪いの?と語るのは、さすがに論点が違いすぎますよね。「人前に出る仕事」なら、飲食店に限らず営業も販売員も芸能人も何でもかんでも含みます。今は「飲食店」の話をしているのですが。
また、某寿司屋に対して多くの人が問題視しているのは、お料理を提供する側としての衛生観念についての話が中心です。それに対して石川さんが唱えるのは、人前に出る仕事をする女性が化粧を義務付けられるという風潮といった、女性が抱える社会的な問題についてです。そもそも議論の前提が異なりすぎます。(もちろん、石川さんはフェミニストの立場としてジェンダーという土俵で闘うのは理解できます。個人的にはその土俵とは別の土俵でも語れるくらいの知見を持ってお話いただきたいなーと思います。あとは石川さんに意見する方々もそれを提示して差し上げたら話しやすくなるのかもしれないなとも。話が通じるかどうかは知りませんが。)
さて、長くなってきたのでそろそろこの記事を閉じたいと思いますが、最後に(D)「だから不衛生なのって袖がついちゃってた事と絆創膏の件で、化粧とか髪を全部入れないこととかって他の飲食業界ではよく見る光景だけど寿司業界だけ不衛生になるのはなんで?って話なんですけど。」について。
先述した通り、「他の飲食業界」は「石川さんが今まで見てきた飲食店」と仮定します。もし日本全国の飲食業界の衛生管理についてのガイドラインやマニュアルを入手しているのでしたら申し訳ございません。そして、これに対する私の実体験も先述した通りです。
「寿司業界だけ不衛生になるのはなんで?」は(a)「寿司職人専門店を名乗っているのに」に対する疑問なので、まあこの2つの発言だけ切り取って見れば特に何も言うことが無いのですが、強いていえば(寿司業界“だけ”って言えるほど他の飲食業界にお詳しいんですね……)と思いました。
長々と書きましたが、石川さんに対して思ったことは簡単に言えば以下のことだけです。
よく知らない業界について語りたいなら、業界人より業界のことを分かってからじゃないと各方面から叩かれても仕方ないですよね。もちろん、そのようなスタンスで今後も活動されるのであれば、それはそれで石川さんの生き方なので良いんじゃないかと思います。
以上でした。
花火みたいにパッと消そうと思ったんだけど、イメージとしては入稿ver.として整えようかなと思ってもいるけど、
いずれにせよちょっと面倒臭くて置いておいてる。
(入稿verも消すかもしれないから出来上がったら魚拓、取り直しておいてね…。お願い。)
で、言われてみればWaltzのこと大して書いてなかったなと思って(笑)、まだうまく纏まらないが、味付け薄目で考えを書いてみた。
■起点
おさらい的に書くのだが、Waltzが元増田に対して行った態度で叩かれている点として
・店舗が勝手に定めたルールを暗黙のうちの了解として求めてくる(客に求めすぎ・アンフェアである)
・暗黙ルールを守れなかった人間に対して厳しく、しつこかった(その辺は今は反省なさっているようだが)
みたいな部分が挙げられるかと思う。
メディアに露出が多い割に、メディアによって来店した一見客への対応が長年にわたり
不十分&不慣れで摩擦を生んでいる…という問題点が浮かび上がってくる。
今後その辺を整備する必要があるんだろうね。っていう感じだが、
店主(と思しき男性)が増田であんまりそういう客観的な話聞かなそうな感じだから燃えた。みたいな構図?
あと、自分は何故Waltzみたいな店が苦手なのか?と言うと、まず浮かんできた言葉は「イキった感じが苦手」だった…。
でもそのイキリ感を紐解いていく内に「Waltzって、結局何がしたいんだろう?」と思うようになった。
そして「自分は、店として提案したいことがぼんやりしている割に、なんか偉そうから寄り付きたくないんだ」と感じた。
※前提
まず、増田がWaltzについて周囲から聞いていたのは、勿論ポジティブなことも聞くのだが、
近寄りたくなくなった話をピックアップすると
・店主がプライドの高い人らしい、気難しい
・トレンディスポットになっちゃってよくわからん客(カッペ)が来て、
音楽ちょっと聴いて帰る(←買える、ではない…)場所として認知されてしまっている
ということであり、音楽好きが行っても楽しくなれない場所な気がすると思ってスルーしていた。
元増田の投稿を見るときっとそれらは大体当たってるのだろうなと思った。
■展開
じゃあ、なんで店主はそこまでイライラするのか?自分は何故モヤるのか?気になった点を整理する。
1.パーソナリティ
一応彼のインタビューなどを色々読んで、自分なりに分析したのだが、
彼の言葉をどれだけ読んでも、深みのある個性的な音楽愛・リスペクトがあまり伝わってこないのが不思議だった。
WAVEやAmazonなど彼の経歴・好きなミュージシャンの名前や知識は出てくるのだが、
その両者が結びつくような思い入れやディテールがなく、不思議と消毒されている…。
ex)「自分のPOPで〇〇を500枚売ったんすよ!」とかそういうやつ。
今回、Twitterでレスポンスがあった際に挙がっていた長門芳郎氏のエピソードを掘ったり、
少し前に話題になっていたVICEのレコ屋インタビューの内容↓などを改めて読んだが、
音楽を売る店として、音楽に対しての捉え方がどこか深みが違う気がしませんか?
https://www.vice.com/jp/article/8xvzm3/records-shop-history-1
2.ビジネスの貢献先として
キャリア観も一貫して「自分のためのキャリア」「外れないように進めるビジネス」という印象を強く感じ、
音楽文化の利益のために直接奉仕するという風な気概が薄いように感じた。
業界全体に数字や存在感として間接的に貢献したい、という意図が一応あるのだろうとは思うが、
すぐに数字にならない、ブランディングにもならない(が、直接的に意義がある汚れ仕事的なこと)ことは
あまり気が進まないのかな…と思った。(いや、もちろん店やってる時点で滅茶エラいんすけどね…!)
彼はAmazonの働き方を否定したくないゆえに、何かのビジネス形式にこだわっているようにも感じた。
→そこで気づいたのが、もし、文化に貢献したいという気持ちが強ければ、
1発目のエンカウントでいきなり「情報の万引き」という言葉は出てこないのではないか。
情報が広がっていくようなことは長い目で見れば逆にアリ、いい気分で帰ってもらってファンになってもらおう、とは
なぜならなかったのかなと。
それに、元増田みたいな困った客に対して「他のお客さんの邪魔になってしまうんで、
長時間のスマホ操作は外でやってね、撮影は辞めてね」とテンプレを言えばいいのだが
何か、具体化されていないルサンチマンみたいなもので、元増田をオーバーキルってしまったのではないか。
3.文化的貢献として - 1
この店を所謂フェイバリット激通いショップに挙げている著名人がいない。
水原佑果氏がちょろっと紹介したぐらい。(彼女の店舗来訪記をよく見てみよう。
https://www.gqjapan.jp/culture/bma/gq-guide-to-analogue-music-waltz
ここでカセットを買いまくっているとか一切書いてないんだこれ!
引用するとテイトウワに紹介されて「以来、ちょくちょく遊びに来るようになり、アナログ盤なども
購入するようになった(←えーっ!!??レコード?っていうかそれ言う?正直すぎじゃね…?)。
ウォークマンに興味津々の様子。」としか書いてなく、このカセット買ったーとか
そういう気配がまるでない。せめて1本ぐらいカタログ名出してあげりゃいいのに…。
つか、いいのか?この記事…。)
「有名人・DJが来た」とはオープン初年度のインタビューなどに書かれていたが、
ここ暫くで彼女以外で店を紹介している有名人・業界人が見当たらなかった。
「行きつけにしている」とか、「角田さんのセレクトまじ好きっす!!!1」的な話を見かけることがなく、
「海外からもウチにカセット置かせてくれって営業来るんすよ」「飲食店の選曲もしてるんすよ」みたいなのしか出てこない。
お店という肩書とかハードではなく、ソフト的な本人のセンスが文化的に根付き、人々に愛されているのか?という点に疑問が残る。
4.文化的貢献として - 2
店主が「CDでもなくレコードでもなく、カセットテープを通じて提案したいライフスタイル」というのは
意外と、フワッとしている印象だった。
「モノとして可愛い」とか「音にもアナログな良さがある」はわかるのだが、それってレコードでも言えることだし、
更に言うと聴いてなくても想像できる、誰でも言える(増田でも言える)ことである。
むしろ現状のカセットカルチャーというのは、カセットDJをする若者やアートのフォーマットとして
料理される率の高さから見て「レコードに対してのカウンター」的側面があるモノな気がするんだが、
あんなに日々、世界中のカセットカルチャーに触れているのに、そこまで考察はしないのだろうか…?
つまり、他でもないカセットを通じて何がいま本質的に受けていて、カセット愛好家(がいるとして)に
何を求められていて、その上で何をしたいのか?というのは、もしかして本人の中でも、
実ははっきり言語化されてないんじゃねーかな…?
別にアナログでもやれることを、(キャラ立ち的に?)カセットに固執しているのではないか?という気持ちになった。
この辺は、元増田の「某カセット・レコード専門店に怒られた」というタイトルに対し
増田に登場した店主と思しき男性の書き出しが「「某カセットテープ店」こと〜」と
店内の写真を見ても、あれだけレコ棚作っといて、レコードを敢えてアイデンティティから外す感じ…、気になるよね…。
代々木八幡の15℃ぐらいのボリューム(エサ箱2個程度)でレコード売ってりゃ、
「うちはペストリー&カフェですので…」って言ってもいいと思うけれど、
あのレコードの量はさすがに「実質カセット&レコードショップ」なのではないか?
フワッとしてるよね〜…。
5.ブランディングとして
まずわかりやすいのがGUCCIとのコラボである。GUCCIというブランドの持つケバっとしたイタロ感、金持ち感というのは
ビッグメゾンだったらどこでも良いという訳ではないのではないだろうか…。
そういうとことホイホイコラボしてしまったというのは、ちょっと…ブランドを損ねているのではないだろうか…?
その辺がなんか、ブレてるなぁと感じる。ブランディングについて本当にわかっているんだろうか?
気になるところである。実際、そういう話来たらすごく魅力的だけどさぁ…。
また、音楽を売る店なのに、音楽そのものについての発信が少なく、音楽の楽しみ方の切り口の提案が少ない。
(例えばセレクトショップ「雨と休日」みたいな角度みたいなシーン提案がもう少しあってもいいと思うのだが…)
その辺りのブランディングのミスマッチがどうも気になる。音楽を売ろうと思って…いるのか…?
消費者が求めていることと、店主が「こう見せたい」と思うことが剥離しているような気がするのだ。
個人的な考えだが、カセットをアート的に昇華させることは、日本ではぶっちゃけ流行らないと思う。
カセットというフォーマットが小さすぎるし、環境に馴染む形状のものだから。小さいゆえに遊びがないから。
アートとして遊ぼうとしたら、カセットというかたちを破壊しなくてはいけなくなると思う(笑)。
勿論、数が揃えばあのフォーマットのまま何かできるだろうが、マニア以外はそこまで余裕ない。
「1個あるだけで場の空気が変わる」ような提案ができなければ、アートとしては無理だと思う。
だからレコードがみんないいわけだ。でっかくて存在感あってレコードプレイヤーという装置も割と安く手に入るし。
そうするとインテリアになる。「そういうライフスタイルを送ってる人」ってわかりやすくて。
そう考えて思うのは、カセットプレイヤーすらも高く売るっていうのは、広めたいのかなんなのか?
個人的には、「カセット集めてたし誰もやってなかったから急いで始めたのかな〜」以外の理由が
あまり見当たらなかった。まっ、それもある側面から見たら正解出し十分な気もするが…
続けていく意義的なやつがなんか…フワッとしてるんだよなぁ…。
「いやぁ実は探り探りなんですよー」とかは言えなさそうだからツラいんじゃないか?と思った。どうかな?
纏めますと…
≡店主の言うことに倣ってカセットを買っても、導きが中途半端(店主が怖いのはブランディング的にはautoではないの?)なので
本質的・具体的には客は幸せ・豊かになれず、物質的・一時的にしか楽しくなれそうにない感じがある。
経験として残っていかない感じ。なのでそういうものを(無意識にも)求めているタイプの人にスルーされそう。
≡だけどハード的には洗練されているように見えるので、表層的な言葉に踊らされがちな
客・店、お互いのために早くカッペ対策打ったほうがいいと思うし(頼むから張り紙してくれよぉ🥺)、
なんつーかビジネスの角度からの音楽業界論(「音楽が売れない時代にカセット専門店が好調な理由」的なアレ)は
もういいので、消費者が共感できる音楽愛を述べるべきであると思ったよ。
Waltzのショップバッグ持ってる人、ダサいってずっと思ってて…
小さいカセット買って、A4サイズ超のデカイ布の袋もらうっていうセンスが全然よくわからなくて…。
貰ったけど、持ちたくなくて捨てちゃった。すまねぇ。悪気はねぇ。別の人にあげればよかった。
それであれば余程、カセットぴったりサイズの小さいスリーブバッグとか
カセットぴったりサイズのポケットの付いたトートバッグを作るとかしたほうがと思う。
カセットならカセットなりのいい所(オモチャ感)を引き出して欲しいんだよね〜。
何故、デカイ袋にしたんだぜ??そういう詰めの作業大事なんだぜ…??
あと増田のバックグラウンドを勘繰っている人がいるが、残念ながら編集者やライターではないね〜
ただみんなが「この増田〇〇好きだろ?w」って書いてあった物は、実際大体好きだった(笑)。
ぶっちゃけ言うと、列挙した店に行く時はニコニコ笑顔で握手&挨拶しちゃって
だけどこんなイキリカルチャー、クソだなって思ってるよ!
全方面で爆発して欲しいので昨日は色々書きました。
だから、韓国がお前みたいな偏った思想の持ち主のお気持ちに配慮しただけの話を引用して何がしたいんだよ?
ドイツ海軍がハーケンクロイツを持ち出したら、世界各国がそれを取り下げろと要求するだろ
日本の旭日旗も帝国主義軍国主義を象徴賛美するものだからそれを取り下げろと言うのは当然の話だが、そうしてないと言ってんだよ
IQが低いやつとの会話が成り立たないって本当だな
ビジネスホテルに宿泊する際、備え付けのケトルで小便を沸かす行為は現在、なんJを中心に「ケトション」などの呼称で周知されている。では、この行為は一体いつ、どのような形で周知されるに至ったのだろうか。
まず、「ビジネスホテル ケトル 小便」などのワードで検索を行ってみる。結果に出現するサイトのうち、最古と思われるのが次の2015年12月の記事である。
30人に1人はビジネスホテルの電気ケトルで小便を沸かしたことがあるらしい – ニュースサイトしらべぇ
https://sirabee.com/2015/12/18/66826/
ネットアンケートの結果、326人中12人がケトル小便沸かしを行ったと回答したのだそうだ。大した内容のない記事であるが、検索結果には本記事をソースとした2chのスレやまとめサイトが見られ、言説の拡散に大きな役割を果たしたことがうかがえる。
以前からインターネット掲示板などの「ビジネスホテルでよくやること」といったスレッドでそういう行為をするという人が出ていたが
ケトル小便沸かし行動はこの時点でインターネット掲示板(要するに2ch)で周知された行為だったことがわかる。実際、筆者の記憶上での初出も、このころの2chニュース速報(嫌儲)板である。
2chでの初出を確認すべく、ログ速(www.logsoku.com)において「ホテル 小便」でスレタイ検索を行う。すると、最古のものとして次のなんJのスレが引っかかる。
【悲報】嫌儲民、ホテルの電気ケトルで小便を沸かす [転載禁止]©2ch.net
http://orpheus.5ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1421040355/
2015年1月12日のスレであり、同日嫌儲に投稿された「ビジホスレに毎回ホテルのケトルで小便沸かすって奴が出現する」というレスを>>1に引いている。同スレは3で落ちるものの、翌13日にかけて同趣旨の計3スレが立てられ、14日には嫌儲へ逆輸入されるに至っている(http://fox.5ch.net/test/read.cgi/poverty/1421042435/)。これを皮切りに多数のスレが立てられたこともわかる(ログ速が2ch.netのスレ収集を停止したため2ch.scばかりであるが、雰囲気はわかるだろう)。
電気ケトル「水以外入れんなよ」 俺「レトルトカレー、卵、ウインナー、パスタ」電気ケトル「・・・」 [転載禁止]©2ch.net [186586446]
http://fox.5ch.net/test/read.cgi/poverty/1421037879/
ケトル小便沸かし行動に言及した>>7に向けて、多数の驚きに満ちたレスが飛んでいる。なんJのスレタイに反して、嫌儲においてもあまり周知された行動ではなかったようだ。とはいえ、ビジホスレにおいて毎回ケトル小便沸かし者が出現したという事実は興味深い。
そこで、同じくログ速を「ビジネスホテル」でスレタイ検索し、(あまりに結果が多いので)わりに伸びたスレだけを辿り、起源を調べてみた。嫌儲においては次のスレの>>303が注目できる。
ビジネスホテルに泊まったら嫌儲民は何してるの? 暇すぎるだろ [転載禁止]©2ch.net [522515305]
http://fox.5ch.net/test/read.cgi/poverty/1417328684/303
2014年11月30日のレスである。「対応悪いホテルは電気ポットで小便沸かして帰る」と述べており、>>310が「これにうんこも入れる」と嫌儲らしいレスを返している。嫌儲の伸びたビジホスレにおいては、これが最古の確認例である。やはり、ケトル小便沸かし行動は嫌儲民に帰せられてしまうのだろうか……と思いきや、さらに古いケトル小便沸かしの例が存在した。
ビジネスホテルの魅力wwwwwwwwww
https://tomcat.5ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1398605545/256
「ケトル」「ポット」などの固有名称こそ出てこないものの、今回確認できた限りでは最古のレスである。日付は2014年4月27日。まもなくゴールデンウィークという週末の夜に投下された衝撃のレスであったが、「やめーやwww」など2つのレスがついただけで流されてしまっている。だが今回確認した限り、このレスこそが現在の「ケトション」伝説につながる始祖なのである。
なんJ民はクソ。はっきりわかんだね
某献血ポスターの件でまたあちこちが燃えているけれど、フェミニズムについて両陣営がよく理解していないまま戦争しているなあ、と考えていたらふと学生時代に書いたレポートを思い出したので供養しようかと思う。
これは「ポルノグラフィの法規制」に対してのフェミニズム的観点がテーマであって今回の件とは必ずしも直接は関与しないが色々なところが補助線として使えるのではないかと思うのでもし議論の整理に何らか役立てば。
字数が切れていたので分割。
以下本文
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1. 問題設定
本レポートでは、ポルノグラフィとその法規制について、いくつかの観点から検討する。ポルノグラフィは、フェミニズム運動の中でリプロダクティヴ・ライツやセクシュアル・ハラスメントなどと並んで一定の地位を占めてきた。一方で、その規制は、日本国憲法21条や米国憲法修正1条にいう表現の自由と正面から激突するものでもある。本レポートにおいては、日本国憲法の射程に限定しつつ、これらがいかに衝突するものであり、どう分析されるべきかを簡単に整理することを目標とする。
最初に検討されるべきは、規制の対象たりうるポルノグラフィがいかなるものと定義されるかということである。もちろん、いかなる性的な描写もポルノグラフィであって規制の対象たりうる、という立場自体は不可能ではない。しかし、表現の自由が強く保障されることを前提としたときに、容易には首肯しがたい立場であるということは言うまでもない。表現の自由への制約は可能な限り小さくなくてはならないというのが前提であるとすれば、規制の対象となるべきポルノグラフィもそれ自体また狭く定義される必要があるであろう。
まず、一般的なポルノグラフィの定義について俯瞰する。いわゆる四畳半襖の下張事件において、「わいせつ性の判断に当たっては、文書全体としてみたとき、読者の好色的興味に訴えるものであるかどうか否かなどの諸点を検討することが必要で、これらの事情を総合し、その時代の健全な社会通念に照らして、チャタレー事件で示したわいせつ三要件に該当するといえるかどうか判断すべきである」という判断がなされており、わいせつ三要件(通常人の羞恥心を害すること、性欲の興奮、刺激を来すこと、善良な性的道義観念に反すること)をベースとしたうえで、社会通念に照らして文書等のわいせつ性が判断されるという判例を構築している。
判例の立場は、わいせつ性が前面に出ているのか否かという観点を取り入れることによって性的な対象を扱った作品であっても、芸術的価値の高さなどに応じてわいせつ物該当性を認めないという形で一定の制約を設定しているといえる。ここには、表現の自由との緊張が見て取れる。つまり、本来は性的表現であっても、直接他者に危害を与えるものでない限り、国家によって自由を制約されるべきではない。しかし、わいせつ該当性があるならば、例外的に規制することが許されるとしていわゆる定義づけ衡量を行ってわいせつ図画を規制しているものであるといえる。
一方で、Andrea DworkinやCatherine McKinnonはポルノグラフィをいかに定義したか。それは、実際に彼女たちが起草した反ポルノグラフィ条例に見て取れると考えられる。ミネアポリス市の反ポルノ条例第三条 は、「ポルノグラフィとは、図画または文書を問わず、写実的に描写され、性的にあからさまな形で女性を従属させるものであり、かつ次の各事項の一つまたはそれ以上を含むものを言う。(1) 女性が人間性を奪われた形で、性的な客体、もの、または商品として提示されている、(2) 女性が苦痛や辱めを快楽とする政敵対象物として提示されている、(3) 女性がレイプされることに性的快感を覚える性的対象物として提示されている、(4) 女性性が縛られ、切りつけられ、損傷を加えられ、殴られ、または身体を傷つけられた性的対象物として提示されている、(5) 女性が性的服従の姿勢で提示されている、(6) 女性が、その身体の部位……に還元されるような形で示されている、(7) 女性が生まれつきの娼婦として提示されている、(8) 女性がモノや動物によって挿入された状態で提示されている、(9) 女性が、貶められたり、傷つけられた李、拷問されたりする筋書きにおいて、汚らわしいものないし劣等なものとして、または出血したり、殴られたたり、傷つけられたりして描かれ、かつそれらの状態を性的なものとする文脈の中で提示されている」と詳細に定義している。最高裁判例の打ち立てた上記の基準と比べるとこれは、はるかに明快である。
ところでこの二つの定義には、その明確性を超えて、根底的な部分でのポルノ観の相違が明々白々と見て取れる。これは、ポルノ規制を日本において考える際にも重大な差異であると考える。
最高裁におけるわいせつ概念の定義は、三要件を用いたその定義から明らかに、社会的性道徳、善良な性風俗といったものを保護の対象としている。つまり、過度に扇情的なポルノ作品が市場に氾濫することで、社会を成り立たせている道徳基盤が破壊されることを防ごうという目的である。いわゆるチャタレイ事件の控訴審における判決理由中の「かゝる文書が猥褻文書として排除せられるのは、これによつて人の性慾を刺戟し、興奮せしめ、理性による性衝動の制御を否定又は動揺せしめて、社会的共同生活を混乱に陥れ、延いては人類の滅亡を招来するに至る危険があるからである」という文章は、まさにこの懸念がわいせつ文書を規制するべき理由であるということが念頭に置かれているものであると考えられる。
ミネアポリス市ほかいくつかの都市で起草された条例は、こうした目的のもとにポルノグラフィを規制しているのではない。それは、McKinnonらの論文や、また、条文そのものから明白である。ここで、ポルノグラフィはまさしく「女性差別」そのものとして認識されている。
ポルノグラフィは、女性を隷属させ、性的に対象化objectificationするものである、とラディカルフェミニストたちは考える。つまり、「ドウォーキンはいう。『女性の従属においては、不平等そのものがセクシュアルなものにされる』。マッキノンも次のように述べている。『ポルノグラフィーは女性の不平等をセクシュアルなものにする。それは女性の不平等をセクシーなものに仕立て上げる。それは、言葉の最も広い意味で、支配と服従をセクシュアルなものにする』」 。
ここで、ポルノグラフィに対する定義が、二方向のアプローチを有しうることが示されている。つまり、ポルノが消費されたときに、社会が倫理的、道徳的にどのような影響を受けるかという観点と、道徳的観点を一切取ることなく、ポルノの中で女性がどのように扱われているか、またポルノを消費する男性が女性に対してそれを再演することでどのような危害が生じるか、という観点である。
Millの提示した危害原理を素直に適用する限り、後者の観点の方が規制の根拠としては明らかに優れている。前者において、明白な危害は存在していない。先に引用した人類滅亡論などは、まさしく論理の飛躍であろう。一方で、後者のアプローチをとるならば、それが証明される限り、実際の危害が生じていると言える。これは、いかに表現の自由の価値を絶対視し保護するとしても、しかしそれを規制する十分に強力な根拠たりえる。次章では、ここで主張される危害について検討する。
ポルノグラフィが「危害」を有するものであるならば、それは表現の自由を主張してもなお規制に当たることは言うまでもない。表現の自由に対して強く保護を与えることを主張したアメリカのOliver Wendell Holmes Jr.判事であっても、満員の劇場で「火事だ!」という嘘を叫ぶことをいかなる表現の自由も保護しないと明言している 。また、実際にポルノグラフィが一般的な危害を生ぜしめないとしても、上記の条文を見るに、発生しうる危害から逆算的にポルノグラフィが定義されており、これは限定列挙であると考えるべきであろう。
もっとも、注意しなくてはならないのは、ここで挙げられたものは、危害を「創作」したものまで範疇に含まれることである。つまり、女性が傷害を受けるという「現実」の存否にかかわらず、そうした創作は、ポルノグラフィとして定義される。そうした映像が、現実における傷害と必ずしも一致しないことは、あらゆる劇作の前提である 。そして、実際に生じた傷害については、こうした条例や法律にかかわらず民事上、刑事上の責任を負わしめることが可能である。
危害がどの広さで認識されるべきかということについては、確定的な見解はいまだ存在しないものと考える。元来はMillのいう危害原理、すなわち身体的な危害を指していたものであるが、現代的にはこれを精神的(に深刻)な不快の限度にまで拡大した不快原理offense principleと言われるものまで提唱されている 。もっとも、身体的な危害については明確で客観的な基準の定立が可能である一方で、主観的な不快およびその深刻性については、客観的な判断が困難であり、現行の法システムに馴染むのかという点で深い疑義がある。
ラディカル・フェミニズムの主張する「危害」がそうしたグラデーションの中でどこに位置するものであるかは、詳細な分析を必要とする。McKinnonの言明する危害は、ポルノグラフィはそれ自体性差別であり、それによって女性が従属化されるということである。そして、そのポルノグラフィの撮影において、また、ポルノグラフィが再演されることによって、女性は「縛られ、殴られ、拷問され、貶められ、時には殺される場合さえある。あるいは、単に犯され、使用されている。視角ポルノに映し出されているあらゆる行為のために、女たちは実際に、縛られ、切りつけられ、焼かれ、猿ぐつわをはめられ、鞭うたれ、鎖でつながれ、肉吊り棒や木からロープで吊り下げられ、あるいは、……放尿させられ、排泄物を食べさせられ、ウナギやネズミやナイフやピストルで貫かれ、喉の奥までペニスで侵され、血や泥や糞便や精液で汚される。……ちなみに、膣にペニスが挿入されるという意味での性交は、そこでは副次的なテーマに過ぎない」 。すなわち、ポルノグラフィは、男性の女性に対する性欲そのものが充足されるためのものではなく(それは副次的なテーマに過ぎない)、もっぱら女性に対して暴行を加え、二級市民化することによって従属せしめることが目的とされ、そのためのプロパガンダとして成立しているものであるとされる。「ポルノグラフィは女性憎悪の純粋蒸留物であり、女性の経験の中でレイプ、女性殴打、近親姦、強制売春と結びついている。そのことを考えるなら、ポルノグラフィを擁護して発言する自称フェミニストがいったいいかなる道徳的・政治的原則にもとづいているのか、とうてい理解することができない」 と彼女は断言する。
実際にこれらが物理的危害として発生しているのならば、それは全く看過することのできない危害そのものであり、規制はされてしかるべきものである。しかし、これらは実際の刑法典、民法典の規定によって補足可能ではないか? という疑問が生じてくる。McKinnonはこれに対して、現実にそうした摘発がなされていないことをもって実質的に法は存在せず、それゆえ国家及び社会がポルノグラフィを公認していると見做される旨主張する。
McKinnonの熱烈なポルノ批判に対し、Drucilla Cornellはポストモダン・フェミズムの立場のもと、一定の距離を置く。「私たちは、ポルノグラフィの生産に対してとられるべき法的行為=措置を、ポルノグラフィの配給に特化してとられるべき行為=措置から区別すべきである。私は、この区別が、ポルノワーカーを含めた女性たちが、人格となるプロジェクトを引き受けるのに十分なだけ自己を固体化していく、というフェミニストの目的に根本的に寄与すると主張する。この産業の女性たちを連帯に値しない不幸な犠牲者として扱うことは、彼女たちの基本的な尊重を拒絶することである」 という言葉は、ポルノワーカー女性について、「ポルノグラフィに出演している女性の多くは、子どものときに性的虐待の被害者であった。……自宅から性的虐待を逃れて都会に出てきた子どもたちは、そこでヒモに拾われ、レイプされ、殴られ、麻薬づけにされ、売春やポルノグラフィに従事させられるのである。ポルノグラフィに出演している女性の多くは貧しく、たいてい教育を満足に受けていない。ポルノグラフィが存在している社会は、女性が経済的に不利な立場に置かれている社会である」 と記述するMcKinnonらを批判の対象としている。Cornellはさらに、「私は二つの特殊フェミニスト的な理由から、ポルノグラフィの規制を法律に過度に頼りすぎることに対して懐疑的である。第一に、反差別法の基礎としてステレオタイプな女性性を強化すべきではない。言い換えると、キャサリン・マッキノンの仕事のように、女性を「ファックされる者 fuckee」か犠牲者に切り詰めたうえで、そのような存在としての女性に対する保護を要求するような、文化的にコード化された女性性を促進するような法はいらない。そういうわけで私は、マッキノンやアンドレア・ドゥウォーキンのそれのような、ポルノ規制の適切な法的手段としての市民権条例案を拒否する」 と言う。
Twitter不毛すぎんか〜〜〜〜! と思って何か書こうとしたが、調べてみるとこんな良記事(https://blogos.com/article/413806/)があった。これを読め! 解散!
しかし他にいくつか思うことがあるので書く。
一に、この議論に関わらず、何と戦っているのか不明な人が多すぎるので議論の種類について整理してみたい。おおよそSNSやブログで議論/主張を行うときの目的は僕には三つくらい考えられる。1.問題を周知/提起すること・2.相手の意見を変えること・3.相手に社会的制裁を加えること、だ(いま考えただけなので他にあってもおかしくないが)。「献血のポスターが女性を性的に消費しているぞ!」というのは主に1.である。今まで問題とされていなかったことを取り上げて、これはおかしいぞ、みんな見てくれ、というわけだ。それに対して個人的に「いやその論はこれこれの部分が間違っているようだからポスターは置いても構わないんじゃないですか」というのが2.である。考え直してください、ということ。最後に「これこれの部分が間違っているからこいつはバカだ。バーカ」というのが3.で、ポスターを置くことの是非はもはや二の次、相手を排除することを主眼に置く手合い。相手のアカウントが凍結されるとか、相手が恥をかくとかそういうことを願っている。
1.と2.をはっきり区別しておきたいのだが、同じ主張であっても最終的に何らかの問題解決を目標とする場合は1.、議論自体を目的とするものを2.と(ここでは)定める。例えば、フォロワー数の少ない二人がお互いに意見を戦わせて二人なりの結論を得るのは後者。有名人同士が引用ツイートで以ってお互いの主張を戦わせ、結論には至らないまでもそれぞれのフォロワーにアピールするというのが前者だ。もちろんグラデーションは存在する。
また、2.と3.も実は区別が難しい。2.の人も、相手との対話を諦めた時点で3.になりうる。あるいは、罵詈雑言を投げながら、当の本人としては「相手に改心して欲しかった」などと2.のつもりでいる人もあると思う。これもグラデーションで考えるのが良い。1.と3.も同じ。
二に、議論をする際には目的を明確に意識すべきと言いたい。概ね文字というのは対面に比べて趣旨も気遣いも汲み取りにくい。緻密なコミュニケーションは望めないのだから、目的外のところに関しては互いに譲歩すべきである。例えば、「献血のポスターが女性を性的に消費しているぞ!」という主張と「ポスターを規制するのは表現の自由の侵害だ」という主張をお互いに問題提起として戦わせるときには、前者にあっては「宇崎ちゃんのポスターを公の場から取り除くべきである」後者にあっては「宇崎ちゃんのポスターを規制するという事態を避けるべきである」という問題を周知するのが第一義だと考えられるので、それ以外の主張の些事に関しては無視するか、好意的に解釈するか、あるいは互いを気遣いながら齟齬を埋めるのがよい。「論点をずらした」などと言って人格攻撃をするのは最悪手である。論点をずらすのはもとよりよくない。しかしその論点はそれとして別に議論すべき大切なものかもしれないし、相手には同じ論点だと見えているのかもしれない。意見が違うからと言って、そのような点で攻撃するのは礼のないことだ。「論点がずれているかどうか」などと言う最もどうでもいい議論に目的を失することのないようにするためにも、相手が論点をずらしたと思うようなときにこそ丁寧に接するべきである。さらに言えば、相手が無礼であるときに激昂するのもやめるべきだ。誰が得をするだろうか。
三に、あまり論理的に複雑なことを言うのもよくない。主張のぶつかるのは感情的な原因によることが多く、それがゆえに是非を問いにくいことも多い。是非を問いにくいので、論理的な正しさで決着をつけようとする。しかし、多くの主張にはどうとでも理屈をつけることができるのだ。なるべく大元の感情から離れぬ方が、また自分の主張が感情から生まれていることに自覚的な方が良い。例えば道路で立ち小便をする人間は不快である。彼を批判しようというときに、それが軽犯罪法に抵触するなどと言うことができる。法律があるからにはそれが成立する法学理論的基礎があるはずである。また、社会の秩序を守る上で立ち小便の位置を論じた統計的資料があるかもしれない。しかし、それらはどうしてもその論点で戦わざるを得なくなる場合以外武器とするべきでない。立ち小便が不快であるという一事から離れずともこと済むからである。だいたい、ルールと言うものはより多数の人間が良い気持ちで生きることのできるようにと作られることが多いのに、個人的感情を論理に劣ったつまらないことのように扱うのは解せないことだ。
もちろん、全く理屈を使わず議論することはできず、そんなことをすれば子供の喧嘩である。ここで言いたいのは、Aという理屈、Bという理屈を戦わせているときに、Aの些細な欠点を発展させて別の論理的戦場を作るようなことをなるべく避けるべきだということだ。立ち小便は法に触れると言った時に法治国家の是非を問う類のもの。
だいたい、論理が複雑になれば間違う箇所も増え、それが本来の主張の欠点のように見えてしまう。益のないことだ。
四に、我々はそろそろ相手のことを思いやるということを覚えるべきである。これは特に、相手の意見を変えようと思って議論する際に必要である。世に問題を提起しようとするときは、なるべくフォロワーの感情に訴えるべく強い言葉を使うことが多い。これは喜ばしくはないがある程度仕方ないことである。一方、個人的議論において強い言葉を使う必要は皆無と言っていい。主張が対立するとき、その双方が「自分は被害者であり、相手は加害者である」と思っていることは多い。宇崎問題でも「女性の権利が侵害されている」と思う人と「表現規制がなされようとしている」という人が対立する図をよく見る。被害者Aは毅然と加害者Bに立ち向かう。これを逆から見るとBは被害者であるにも関わらずAから無闇に攻撃されていると感じる。Bはさらに頑なになる。「あなたは議論のできない人なんですね」「あなたこそ話のわからない人ですね、さようなら」などという風景は見飽きてしまった。
何かを伝えたいがためにわざわざ議論を始めたはずである。努力の無駄ではつまらない。なんとか議論を成立させようというという意志をもう少し堅固に持ちたいものだ。
議論をする上は、いくら自分が被害者のように思われようと、相手に心理的負担を与えている。相手も被害者なのだという認識を持っても良いと思う。相手は怯えた獣なのだ、まずは相手の理屈を受け入れ、主張を聞いてやってもよかろう。主張を聞いて、「聞いてやったがここがおかしいだろう」という態度も問題である。こういう理解をしましたがあっていますか、私はこう考えるのですがあなたはどうですか、という謙虚さを常に持つべきだ。これは、相手がたとえ似非科学や陰謀論や人種差別といった是非もなく間違いであるように思われる主張をしている場合にもそうだ。そんな思想信条を持とうと相手は人間であり、どんな思想信条であろうと批判されるのは不快に決まっている。
なお蛇足ながら、冒頭に挙げたブログはかなり中立的に論点を示していて素晴らしいのだが、やや「フェミ」を攻撃者、「オタク」を被攻撃者と捉えているきらいがある。「フェミ」の攻撃性(のように感じられる部分、すなわち規制しろ! という主張)は根本において女性の権利が侵害されていて守らなければいけないという価値観から出たものである。さらに言えば、「フェミニスト」として一貫性のある活動をしている人々(つまり、具体的に何を規制しどんな社会改革があればいいのかに関して基準がある人)もいる一方で、単に「女性は社会の中で立場が弱くて/損をすることが多いからそれを変えたいな」くらいの感覚でフェミニストに同調している男女も少なくないように思う。前者に比べて後者はさらに攻撃に対して敏感であろうと思う。攻撃の理由に関して無知だからだ。また、立場が曖昧であること自体を批判するのは間違っている。誰でも自分の/自分に近しい人の権利は守りたいからだ。
それを考慮せずに、初めから「あなた達の攻撃は...」というとなかなか議論がかみ合わないだろう。「あなた方はこれを守りたいんですね、我々はこれを守りたいんです、利害が対立している部分を明確にしていきましょう」という立場でなけれななかなか建設的にならないのではないだろうか。
特に、一部の「オタク」は「フェミ」を十把一絡げに罵詈雑言を浴びせるし、それが被害者意識を生む。同様に、一部の「フェミ」は「オタク」(時には「男性」)を十把一絡げにして罵詈雑言を浴びせる。真面目に議論をしようとしているあらゆる立場の人に迷惑なことだ。
五に、もちろん相手が議論するに足るかどうかは別の問題である。議論すべきでないと感じた場合は直ちに議論をやめ、可能ならブロックするのが良い。ブロックするのが負けのように感じるのは愚かな感覚だ。また、ブロックした後に相手の発言を覗きにいっていちいちスクリーンショットで揚げ足をとるような行為も君子の仕業ではない。そのような卑劣な行為をするくらいならきちんと自分の心理的安全性を犠牲にしてでも相手と対等な議論を行うべきである。相手に社会的制裁を加えようとする行為は言うまでもない。
六に、この文書はSNSなどでの議論に特殊の意見であった。ディベートや日常での議論についても適用されるとは必ずしも考えない。むしろ、ディベートや日常での議論の延長線上でSNSでの議論があるような感覚の人が多いのでこのような惨状があるように思う。短い文面での主張は言い足りないことが多く、普段耳にする意見に比べて拙く見えることがある。しかしそれはコミュニケーションの不備であり、相手の不備ではない。自分の意見を相手が理解できないように感じるのも同じ。普段の十倍、百倍に相手への思いやりと好意的な解釈を必要とする。