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はてなキーワード: 社会現象とは

2018-04-10

学生時代打ち込んだものはなんですか?

はい増田です。

増田というのは株式会社はてな提供する、インターネットサービスひとつであり、

はてな匿名ダイアリー通称です。

その名の通りに匿名日記を書くことができるので、属人性のない公平な意見を求めることができます

私は大学の四年間、一日10増田、一日10ブクマ目標毎日休まず投稿を続けました。

それにより具体的な目標を定め、それに向かって着実に努力を続ける忍耐力が培われました。

大学二年生のときには最高で1312ブクマを達成したことがあり、成果としても優れているものだと思います

また最新の情報をいち早く掴むため日々巡回しており、

社会現象にもなった保育園落ちた日本死ね記事においては、まだブクマが1桁の段階でトラバを残しています

時には創作自演記事を盛り上げることもあり、そういったネット上における

マーケティング手法についても習熟しているため、御社においてもこのスキルを十二分に発揮できるものと考えます

NANA読んだんだけど

あんなクソ女しかいない漫画社会現象になった2005年大丈夫あん恋愛がしたいってやつで溢れかえってたの考えると怖い。今で言うどのポジション漫画かは知らんけどNANAに憧れる女子高生が大多数の世界怖すぎる

2018-03-06

anond:20180303064407

最終2話で庵野ふざけんな(オブラートに包んでおります)って思ったのはほぼ全員だと思う。

死海文書などのキリスト教関連の書籍大学生協で売れるようになったのが社会現象としてニュースになっていたはず。

2018-03-05

anond:20180303064407

当時中学生リアルタイム組です

深夜放送で人気爆発というのは個人的にはちょっと違和感があります。当時フィルムブックというのがアニメ放送の1ヶ月遅れくらいで刊行されていて、これは単にアニメ画像台詞をつけてアニメ漫画風の本なのですが、見逃し組やビデオ持ってない組がこぞって買っていてこれが本当に爆売れでした。初版完売で刊が進むにつれて入手しづらくなる感じです。やっぱりストーリーが難解でなんども見て理解しようとしたのと、ちょっとした解説があったのが大きかったと思います。当時のネットでも話題でしたし、ネット小説なんかもエヴァ二次小説なんかが先駆けに近いものかなと。

それから最終回炎上っぷりなどから深夜放送が始まって、そこからウォッチしてなかった人たちがチェックして…と連鎖的に社会現象になってった感じですかね。なので深夜放送流行っていたからやったというのが正しいと思いますよ。ただ中高年以上のアニメ見ない層に届くのは、劇場版からでしょうね。

anond:20180305182803

アニメファン以外に知られて社会現象化したのは映画に合わせて一般メディアで取り上げられてから

ちょうどその頃深夜再放送があったのでそれで初めて見た人が多かった

2018-03-01

[] #51-1「ノットシューゴ」

受け手にとって最もコスパに優れた大衆娯楽はアニメである

そして作り手にとって最もコスパに優れていない大衆娯楽はアニメである

……というのが作り手側である父親の談だ。

その言葉にどれほどの大した理屈があるか俺には計り知れないが、20ちょっとアニメに多くの人手や時間、金がかかっているであろうことは想像に難くない。

はいえオープニングやエンディングスタッフロールを真面目に眺めてなお、そこに実感を覚える受け手はそこまでいない。

アニメというものは、多くの人で一つのものを作り上げた成果物こそが重要であり、個の力がモノをいう世界ではないからだ。

これも父の言葉だ。

だが、それでも一つの“個”が変わったり、なくなったりすることで甚大な影響を与えることもあるらしい。


…………

父の所属するスタジオハテナアニメーション』、通称『ハテアニ』。

そのスタジオ看板アニメといえば『ヴァリアブルオリジナル』、通称『ヴァリオリ』だ。

このアニメが世に出たのは今から数年前。

当時、そのスタジオ大衆にウケようがウケまいが、ひたすらアニメ制作を続けることで成り立っていた。

しかしある時期、元請け会社から企画がこないという事態が起きてしまう。

金を払ってまでアニメ化したい原作がなかったのだ。

まり自転車操業であるにも関わらず、仕事がないという崖っぷちに立たされていたのである

そこで苦肉の策で立ち上げた企画が、オリジナルアニメ制作

下請けや、原作ありきのアニメばかり作っていたスタジオにとって敗色濃厚な企画ではあったが、それでも何もやらないよりはマシだったのである

企画体裁が調っても問題は山積みだった。

中途半端な時期に立ち上げた企画だったため、スケジュールの都合で外注していられない。

しかも優秀なフリーランスアニメーターはことごとく別の会社に持っていかれている。

セールスポイントがないに等しいのでスポンサーが少なく、予算も少ない。

このため、自社のスタッフだけで作画はもちろん、背景も音楽制作するハメに。

メインキャスト無名かつ新人声優ばかり。

そんな状態で作られたアニメが『ヴァリオリ』であり、スタッフの誰もが期待していなかった。

実際、当初は一部のオタク冗談半分で持て囃していた程度だ。

しかし、これがまさかの大ヒット。

まりにも予想外の事態に、関係者オタクたちがこぞって、その理由について様々な考察をした。

しか結果論の域を出ず、最終的には『ヴァリオリ現象』という言葉が残るのみとなったのだ。


こうして偶発的に広がった『ヴァリオリ』旋風の影響力はすさまじかった。

大ヒットしたアニメというものは、社会現象を起こす。

有名なのが『ヴァリオリ・アレ事件』だ。

きっかけは、劇中で主人公が発した「あのチェーン店の“アレ”美味かったよなあ、今じゃ販売してないけど」という何気ないセリフ

それがチェーン店社長の耳に届き、なんと実際に期間限定再販されたのだ。

そして熱烈なファンチェーン店に押しかけて、後には何も残らなかったというのは、今でも『ヴァリオリ伝説』として語り草だ。

そんな『ヴァリオリ』も現在は当時ほどの熱狂はないが、放送が深夜からゴールデンに移行して第三シーズンも始まるなど、成熟の段階になっていた。

色んなグッズが出たりなど、様々なメディアで引っ張りだこなのも変わらない。

しかし熟したものというのは、えてして腐敗の道が待っている。

順風満帆に見えた『ヴァリオリ』だったが、その裏では暗雲が立ち込めていたのだ。

(#51-2へ続く)

2018-02-26

或るIPの死

或るありふれた新規IPがあった。

そのIPソシャゲアプリを起点としたメディア展開により、認知と売り上げの確保を狙っていた。

だが、本体アプリは不発、アニメ放映前にあえなくサービス終了となった。

ここまでは、ここ数年の間で何度も見てきた、ごくありふれた新規IP誕生と死であった。

だが奇跡は起きた。アプリサービス終了の後に放映されたアニメ社会現象となった。

アプリと同様、いやそれ以上に、アニメの間口は広くはなかった。

多くのアニメファンが、最初1話で脱落していった。

だが回を重ねるうちに、その魅力が徐々に人の口を介して広まっていった。

最終回を迎える頃には、号泣する多くのアニメファンの声がSNSに溢れるようになっていた。

かくして、一度確かに死んだそのIPは、いくつかの奇跡を経て復活を遂げた。

新たなアプリの開発、そしてアニメの二期も発表され、人々はそのIP奇跡ストーリーを讃え未来を夢見た。

ある日突然、アニメのヒットの立役者であった主要スタッフ降板が発表された。

最終的な発表では、版権等の管理を適切な状態にするため、ということであった。

ファンは大きくどよめいた。

製作側の舞台裏が、アニメ作風とあまりにもかけ離れていたかである

そしてさらに数ヶ月後、新たなアプリたちがリリースを始めると、ファンさらに落胆することになる。

疑心暗鬼ファンの前に出されたのは、劣化ねこあつめ劣化キャンラクローンだったかである

コスプレをした声優ステージで歌っていればいいのか?

パッケージ印刷されたキャラクターコンビニで売られていればいいのか?

一度死に、復活したその奇跡IPは、今また死の道を進もうとしている。

2018-02-06

anond:20180206115351

もともとは作者と作品てのは同一人物のようなもので、創作は一人で完結し得るもの

自分が終わったとおもえば終わり、やっぱり続けられるとおもえば続く。

もちろん、ネタがなくなった、飽きた、一般にいう「オチ」での終わらせ方がよくわからない(作風として起伏のないストーリーしか描写したくないタイプ)で読者に続編を期待されたけどもう自分の中では完全に終わった、といった自発的要因で終わらせるものもある。

でも、アニメ化マルチメディア化は過酷なことをやらせてあたりまえ。

同じ創作者でも全く使う脳やスピード感が違うアニメーターと付き合わさせ、枠にはめる部分がどうしてもある。

 

それを知っていて編集部アニメ化マルチメディア化作品をずっと探しているのも事実

そして版権契約を結ぶのは編集者(部)だ。

いざ新人採用となると編集部著作権法にあわない独占契約をまずさせる(サインした覚えがないのに契約があるといわれる漫画家もいる)。

不公平な独占契約をさせて縛ったのだから、逆にいえば創作者(作品)の意に沿わない表現なり仕事のやり方がなされたらすべての責任者編集者でなければならない。

テルマエロマエヤマザキマリさんもこれで訴訟しかけてた。

 http://moretsu.exblog.jp/17405608/

今は使い果たしのスピード尋常じゃなく早い。

もちろんツイッター雑誌にも乗らない情報を早バレする人とか転売ヤーとか作者に苦労をかける社会現象はたくさんある。

編集プロダクションはそれらの取り締まりも手伝うから作者にとってはとてもありがたい存在だ。

でも、それはまず何も知らない新人さんに対して出版権をまるごと独占した以上、すべて編集責任

そして編集者はそれで給料もらってるプロだ。

医者患者を殺して(=命を救えない体験つんで)一人前になるんだというけれど、

編集者も「現代スピード感」にあわない作品を殺してスピードのある人だけを救ってしまっている。

そしてゆっくりでもいいのにと思っている読者や視聴者はそれを知らされない。

こんなことなピクシブでよかったとおもってるプロがいるんじゃないかなあ。

2018-01-24

[]『King of Kings 2017』決勝に見る日本社会弱者像の変化

 初投稿HIPHOP史にも社会学にも詳しくないんで諸々トンチンカンかもしれんけど、とりあえず殴り書き。

 一応ネタバレ注意。

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 2週間くらい前のKOKを見に行きました。GADOROがだいぶ仕上げてきていたので、個人的には納得の優勝。ちなみに僕はダンジョンGADORO回とKOKを両方見られたので、もうGADOROの苦悩がスーパーハイビジョンで伝わってきたよね。いや~、持ってるよね。

 んで、決勝の53 vs. GADOROだよ。僕は53→53→53→GADOROと挙げたけど、もはやどっちの勝ちかは一人ひとりの好みで決まってくるレベルにかなり迫っていた気がしたので、割れるのはしょうがいかなと僕は思っていたし、特に判定への文句もない。一応僕は一バトルとして見続けるよう努めたつもりではある。

 問題は、このバトルに隠れている構図だ。

 しばしば「日本HIPHOPメジャー化でダメになった」という話をCOREな方から耳にするような気がするが、僕はこう考える。「HIPHOP」がメジャーに媚び始めたというよりも、「日本人が想定する弱者」の像が変容したのだ、と言うべきではないか、と。

 90年代当時(まで)は、テレビの影響力、集団動力を重視する教育いい大学・いい会社に入れば幸せになれるという信仰なんかがまだまだ根強かったはずで、それらが複合的に重なり、「安全第一人生」を至高とする日本社会形成されていたはずなのだ。そして安全を脅かす「ハミ出し者」を仲間はずれにし、自我を捨てて世間に身を委ねる則世去私イズムで多数派安心感を得ていた。

 まあ、阪神淡路大震災だのオウムだの酒鬼薔薇聖斗だのでそういった仮初の平穏にどんどん綻びが生じてくるわけだが、頑張って頑張ってみんな汚染水を除きまくっていたのだ。村上春樹の『アンダーグラウンドあとがきでも、「地下鉄サリン事件実行犯たちを狂信者だとして遠ざける我々一般市民たちも、『何らかのシステム自我を譲り渡している』という点で犯人たちと同じ翳を背負っているのではないか」という指摘がなされていた。

 そんなstandardの波に排撃されたのがB-BOYたちというわけだ。僕みたいな聞こえても即答できないWanna b-boyが語るのもおこがましいのだが、黒人文化濫觴とするHIPHOPは、90年代日本において「(虐げられてきた)俺たちだけの文化」という局地的受容がなされていたはずだ。「俺たちだけが真の音楽を知っているのだ」と互いを励まし合い、常人では知り得ない独自文化を発展させているのだとの自覚を懐きながら、Bのつくoutsiderたちは明日を生きる希望を得ていた。

 この風潮なら、GADOROより53のほうが内部からの支持は強いということになり、MCバトルでも53の圧勝ということになるだろう。GADOROは大衆の中に帰れるが、53はそうではない。身の回りの仲間を守り、決して流行に媚びない53だけが、本物のB-BOYにふさわしいということになる。

 しかし、だ。

 僕が生きている21世紀日本社会は、もはやハミ出し者が後ろ指をさされる時代なんかじゃない。一人ひとりが個性を求められるようになった、オンリーワン時代になったわけだ。

 原因は色々考えられる。個性を重んじる風潮が教育界で強まったこと、グローバル化の波が激しくなって社会人コア・コンピタンスを求められるようになったことなんかがそうだろう。

 インターネット、ことにSNSの爆発的普及はやはり大きい。一人ひとりの「リアル」に触れられるようになったことで、世界中意見を発信できることはそう難しくなくなったし、それまで皆で一括りにしていた「大衆」も実は十人十色の人の集まりであって、決して「大衆」は無機質な集合体なんかじゃないのだと、みんなわかってきた。

 まだまだ社会は発展途上だが、それでも少数派にとってずいぶん生きやすい世の中になったように思う。もちろんB-BOYだって恩恵を受けているはずなのだ

 じゃあ、社会から必要とされない恐怖と戦っている「弱者」とは、いま誰なのか。

 それはずばり「個性を主張できずにいる人」ではないだろうか。

 自分しかできないことを自分は見つけられない中で、自分の代えを周りの人が見つけてしまうことに怯えている。

 いま、日本人は「個性」に脅迫されているというのは、主語が大きすぎるだろうか。そう感じさせる創作物やら社会現象の例やらは腐るほどあるから、ここではいちいち出さない。

 確かにGADORO自身は、「社会不適合者」からスター」へとのし上がった存在なのだけど、「社会から必要とされる自分」を否定しない。

 埋没の波から、前に、前に逃げ続けて、等身大感情表現して、世界で一人だけの存在として認知されたい、という、21世紀の「弱者」たちにとって、GADOROは希望とするに足る存在なんだと思う。

 一方53は、「MASS 対 CORE」と最初バースで吐いた(合ってる?)ことに象徴されるように、電波を受信できる人たちだけを助けようとしていたと僕の目には映った。

 透明な存在として苦しむ現代人たちから共感を集めるのは、GADOROだ(僕は53も好きだけどね)。

 そんな構図がKOKでは見え隠れした。

 フリースタイルダンジョン最近何かあったようだけれど、これからHIPHOPは、社会不適合者が生き残る術としてだけじゃなくて、怯えている人たちに「個性の手」を差し伸べる術としても発展していくのではないかな、と思った。

2018-01-18

ニンテンドー段ボールって原価結構安そうじゃね?

これ……物凄い勢いでバッタモンが飛び交う匂いがする。

その中には実際に使用したら発火するような奴も混ざってたりして子供火事起こしたりしそう。

あとは段ボール欲しさに子供がそこらじゅうのゴミ捨て場を荒らすとか、段ボールを手に入れるのに一番コスパがいい商品はコレだって情報錯綜して運送業者迷惑したりとか。

Youtuberが「ダイソーで買えるコレとコレとコレを組み合わせれば500円もせずワンキット分やぞ!」って放送して任天堂にBANされたりなんかもありそうだね。

凄い。

から次にマイナス社会現象が想定できる。

下手したらPokemon GO!なんかよりもっと酷いことになるんじゃないのか。

あれの後から急激に世界中観光地や様々な施設の前に「歩きスマホは駄目です!」って看板が立ったのは今でも驚きだよね。

怖いなあ。

クワクしてる人も多いんだろうけど、自分としてはヒヤヒヤだよ。

任天堂って、自分たちの作った商品が売れた結果、それが社会にどんな悪影響を及ぼすかなんて全く考えちゃいないんだろうね。

上っ面はクリーンになってきてるけど、中身は昔以上にEvilなんじゃないのか?

2018-01-06

君の名は。」(そして、星野源)がヒットして本当によかった

君の名は。」は名作だ。脅威的な興行収入を叩きだし、大人から子供までが映画館に向かった。結果的2016年という年を象徴するような、国内から海外をも巻き込んだ社会現象にもなった。メディアは'宮崎駿後継者'と新海監督を褒めそやし、関連商品が飛ぶように売れていった。

素晴らしいことだと思う。このブームは今の日本によくある、'大手メディア大手広告2社の大人達'によって、予め社会的意図として起こることが決められていたブームではないからだ。

もちろん新海誠監督にとって、一般的ネームバリューを獲得する本当の意味での出世作となるべく川村氏というプロデューサー広告会社バックアップにより作られた作品だったが、ここまでのヒットを誰が予想しただろう。これまで素晴らしい作品を作ってきた監督が、それにふさわしいヒット作と称賛を受け取ることができて、心から良かったと思っている。

星野源の作る曲や新海監督の映画がヒットしたというのは、私たちや名も無きクリエイターにとって大きな希望となるだろう。

現代の、特に日本という国のポップカルチャーという枠組みの中では、「本当の意味で'いい作品'というのは、そこまで売れない」という主張が一般的だ。

しかし、そんな醒めた常識を彼らは打ち砕いてくれた。私としては、この流れがこれからもなるべく続いてくれればいいなと思っている。

いずれにせよはっきりとしているのは、来るべき新海監督の新作が楽しみで仕方がないということ。

本当の意味で、富も名誉も手にしたであろう稀代のアニメーション映画監督は、次にどんな世界私たちに観せてくれるのだろうか。

2018-01-02

キモカネ女はフェミニズムから無視される

1980年代に「マドンナブーム」と呼ばれていた社会現象があった。当時の社会党の躍進が注目されたこから始まった。

土井たか子田嶋陽子世代フェミニストたちの全盛期の時代だったと思う。

彼女らが注目される一方で、同じくらいに経済力発言力を持ち始めたブスの叩かれ具合もひどかった。

現在もブスは普通に叩かれるが、当時はブスが権力を持ち始めるかもしれない世相だったので、今以上にブス叩きも凄まじかった。

あれから30年が経過したが、世の中の女性運動は様変わりしてしまっている。

あの騒動が何を生み出したかと言うと、ブスは自分フェミニズム思想を持っていることを、世間公言することができなくなった。

テレビに出てくるフェミニストたちも、一定レベル以上の容姿をした女ばかりで、皆結婚して子供を産んでいる。

結婚しない子供も産まないブスは全くと言っていいほど見なくなった。

たまに田嶋陽子テレビに出てきても、やはり叩かれている(彼女場合自業自得で同情は出来ない)。

社会の最底辺であるキモカネ女を救うことこそ、フェミニズム運動本丸であったのに、どうしてこうなってしまったのか。

2017-12-29

私はアムラー全盛期の3年間に高校時代を過ごした。

wikiで調べてみたら1996年が最盛期だったというから、ばっちりあう。

女子高生たちのルーズソックスの丈は日に日に伸びて、顔はどんどん黒ずみ、白いテカテカ光る粉の厚みは増す一方、という時代であった。

当時、女子ヒエラルキーの頂点が安室奈美恵だった。

抜群のスタイル。お人形みたいな顔立ち。何をしてもカッコよく、超絶的な人気者。

彼女がそこに存在しているだけであらゆる価値を生じる――。そんな存在

なりたいものは何か、と聞かれたら、安室奈美恵、と本音では答えたと思う。

いくらスポーツができても音楽が得意でも、勉強トップクラスでも、安室奈美恵を乗り越えられることはない、絶対に。

どんな努力をしたって、私の顔が半分ぐらいに縮み、彼女と同じサイズになることはない。

奇跡が起こったって無理だ。

努力でなんとかなるものと、ならないものがある。

一流大学に入ったりお金持ちになったり、ビジネス成功したり、その道を極めたり、お金持ちの伴侶をみつけたり……

そういうのをするのは、努力である程度、なんとかなるかもしれない。

しか安室ちゃんのような、太陽のような存在になることは、

どんなに血を流しながらの努力をしても、科学いくら進歩しても、それは不可能と思われた。

(実際、そのときより20年以上が経過した今でも、いまだに顔の大きさが半分にできる技術など存在していないだろう。)

私はそのことで、根源的な失望感を味わったように思う。

彼女存在により、人生を諦めたように思う。

少しでも彼女に近づくための方法アムラーになることであった。

当時の世間を覆う雰囲気は、アムラーにあらずんば人にあらず、という雰囲気だった。

女子高生というだけでメディアはいつも注目されていて、輝いている存在のように映し出されていた。

ただその、アムラーになるためには過酷な条件があり、まず、小顔スタイルがよくないと、悲劇に見舞われるのだ。

ガングロと呼ばれる女子はそれでも、いろんな高校すべての女子100人いたとしても、そのなかでせいぜい数人ぐらいだったものと思う。

渋谷にはみなこぞって出現していたので社会現象になっていたが、それは総体のうちあくまで数%という存在女子たちだったと思う。

一般女子ほとんどは日々の生活で充実しており、そんな盛り場に出向くこともあまりなく、地に足のついた生活を楽しんでいた。

以上、何が言いたかたかというと、

私にとっての「雲の上の存在」が、まちがいなく安室奈美恵であるということ。

40歳目然の今でも、本能的にそう感じている。

大金持ち、ハリウッドスター、お偉い政治家とか大成功している経営者かには、

そういう憧れというか溜め息がでるような感じには、ならない。

まり羨ましくなることは、ない。

なのになぜ、安室ちゃんにだけ、このような思いを寄せ続けてしまうのだろう??

しかも数十年にわたって。

私は歌やダンスに興味があるわけでもなく、とくに芸能界に興味が強いわけでもない。

趣味読書であるようなおばさんである

そんな私がこのような有様であるから

間違いなく彼女は、ほぼすべての日本女子が、憧れを抱き続ける存在なんじゃないかと思っている。

そんな彼女の、収入面や私生活は、その国民的な憧れを引き受け続ける存在であるには似つかわしくないほど

派手すぎるというわけではない。

月給制だったとのことで金銭的にも成功した経営者なみの収入しかなかったようだし、

離婚もして、贅沢なくらしをしているというようにも思えない。

こんなにも思われている存在なのに、そのギャップは何なんだろう。

高校生時代は、彼女の華やかな、表面的なところしか見えていなかった。

安室ちゃんみたいに華をもって生まれていたら、世の中をすいすい、自在に、泳ぎ回れるんだろうな、

何をしようとしても、道は勝手に開かれていくんだろうなと。

でもこの年になって、わかった。

違和感のある引退報道を受けて、しばらく彼女のことを久しぶりに、思い出していた。

それで昔はなかったネットで、彼女の裏の顔を知ることができた。

彼女ダンスや歌は、後天的努力をして素質をのばしていたったものであること、

ツアーではそのストイックさに見た者は感激するということ、

女性は贅沢をさせてくれる結婚相手を求めがちだが、そういうことにも興味がなさそうだということ、

息子を大事に育てているということ。

彼女の中身は地味で真面目で、不器用女性なんだろう。

2017-10-03

ここに糞みてえな戯言を延々と投稿する人って

大量のトラバブクマがつくことを夢見てるの?

そんで思ったより反応がなかったら落ち込んじゃったりするの?

いつか自分社会矛盾を突いた意見が、ネットを中心に社会現象を巻き起こして、ひいては国会議論されることも夢見てるの?

かわいい

9.25 けものフレンズ殺害事件の回答編

やあ。通りがかりの名探偵だ。なぜけものフレンズは死ななければならなかったのか?誰が殺したのか?動機は?君たちにもわかるように解説してあげよう。

まず、前提を整理しよう。

  1. 公式プレスリリースには嘘は書いていない
  2. たつき監督降板は、プロジェクトに打撃を与えることは皆承知していた
  3. 常識外れの愚か者や、隠された怨恨などはない

これだけだ。2点目は、要するに吉崎観音逆恨み説や、カドカワ内部対立説は除外する、ということだ。公開情報からは、常識外れの愚か者存在はうかがわれないしね。これを崩せばどのような荒唐無稽ストーリーも成立するが、今回はその可能性は考慮しない。オッカムの剃刀、というやつだね。

プレスリリースからわかることは

たつき監督ヤオヨロズ/福原P 以下略)にとって、情報を共有するくらいなら、降板するほうがましだ、と考えていた

ということだ。この場合の「情報共有」ということの内容は曖昧だが、よく言われている、3Dモデルの共有説については除外してよいだろう。3Dモデルの共有というのは、要するにヤオヨロズの関与を減らす、ということだが、たつき監督重要性はプロジェクトに共有されていたはずで、カドカワ/制作委員会にも、ヤオヨロズにも、ヤオヨロズの関与を減らすことに合理的理由は見いだせない。

では、たつき監督にとって降板考慮するほどに共有したくない情報、というのは何だろうか?殺害前にも、制作委員会たつき監督不和示唆する事件はあった。テレビ東京関係者不快感を示していた、12.1話の作成承認に関する情報共有だ。ここ増田にも、監督勝手に公開することで、プロモーション全体の計画に悪影響が出ると怒っている記事もあったね。

さて、いよいよ核心に近づいてきた。なぜ、たつき監督は、情報共有を拒んだのか?ここで、たつき監督が成し遂げたことを改めて評価する必要がある。彼は「声優以外のすべて」を担いアニメ成功させた、と言われているが、それは彼の成し遂げたことの本質とは何も関係がない。けものフレンズアニメ特別なのは、一人で作ったからではない。アニメの質が高かったからでもない。作画宣伝予算原作声優等の標準的アニメ評価軸で評価すれば、けものフレンズはせいぜい中の下だ。けものフレンズは、ソーシャルで盛り上がり、社会現象になったから、特別なのだたつき監督福原Pとファンとのコミュニケーション奇跡的にうまくいったから、特別なのだ

これで、情報共有を拒み、降板に至ったたつき監督動機が見えてくる。彼が作りたかったのは、けものフレンズアニメによって作られるファンフレンズのやさしい空間なのだファンとのコミュニケーションをとるために製作委員会確認するような組織では、その空間は作れない。制作委員会は、彼らなりにたつき監督に残ってもらうよう交渉をしたに違いない。でも、たつき監督が求めるような、フリーハンドファンとの直接コミュニケーションは、どうしても認められなかったんだろう。原案吉崎観音であるけものフレンズプロジェクトには、たつき監督希望するやさしい空間を作る余地はなかったのかもしれない。

まとめよう。けものフレンズは、制作委員会との見解の相違から、よいものを作れないと判断したたつき監督により、殺された。監督ツイッターにより引導を渡される、というのは、実に本事件本質を表しているではないか

2017-10-02

あらゆる社会現象説明できるが何も言ってないに等しい三大概念

  1. 閉塞感
  2. 心の闇
  3. 過渡期

2017-09-30

anond:20170930182853

「光の戦士」の方はわからんが、少なくとも「勇者」の方は間違ってる。

勇者シリーズ第1作のエクスカイザー1990年2月〜、「勇者」という言葉が初めて使われたドラクエ3の発売は1988年2月

大ヒットして社会現象にまでなったドラクエ3職業システムが初めて導入され、主人公の専用職業として設定されたのが「勇者」。

続編のドラクエ41990年2月発売)でもこの呼称踏襲され、以後ドラクエシリーズ象徴の一つとして定着した。

ドラクエ5発売前には「今度の主人公は、勇者ではない!?」というのがちょっとした話題になったりもした(5の主人公モンスターを仲間にできる「魔物使い」))

別にリメイクで強調」したわけではなく、シリーズの初期から

ファンには失礼かもしれないが、当時から知名度勇者シリーズとは比べ物にならなかったはず。

2017-09-28

抗がん剤治療 58日目

 三度目の抗がん剤入れました。これで、だいたい半分。あと半分。

 

 症状はいつもどおりです。

 ぼーっとしていて、慢性的気持ち悪い感じ。気持ちわるいのも波があって、おおむね平常通りと吐きそうを行ったり来たりする。特に、食後と動いたあとは、つらい…。

 あと、味が変。水に、あまじょっぱい味を感じる。不快表現だけど、鼻水とか痰とか体液に近い味で、うげーって思う。薬飲む時は飲まなきゃだけど、普通お茶飲んでる。

 今後1週間そんな感じかー…。

 でも前回よりつらくない気がする。食べない方が楽ってのは、私にとってはあんまりない感覚

 

 世の中の、ドッタンバッタン大騒ぎしてるの見る余裕もないくらい…。まぁ結局見ちゃってるんだけど。

 作品自体は、そこまで興味ないけど、社会現象としてはすごく興味がある。現代っぽい作品って思うの。あと、キモさと一般受け絶妙バランス。遊ぶ余地がたくさんある作品だったのもよかったよね。ニコ動はまっどちほーちょー見た。

 どう落ち着くかは気になってる。

 

 政治系もちゃんと見とかないとなんだけど、情報を得るのもちょっと体力使うよねー。

 選挙の時までには勉強しとこう。

 ただなあ、そっちもまた、喧嘩してすっちゃかめっちゃかしても仲良しな感じがしてるのがなー…。

 

 体重は術前と比べると大きく減ってるけど、間4kgをうろちょろしてる。

 でもまぁ減ってるかな… 体脂肪率が減ってなくてむしろ増えてるから全然だめだめだけどもー。

 動いてはいるんです。ただ、元々、おうちが大好きなフレンズもので…。

 ウォーキングに加えて、スクワットとかもはじめてみた…。

2017-09-11

「直虎」の一考察~男女のバディ関係恋愛関係描写について

昨日酔っぱらった勢いで書いた事に意外とブクマがついていたので、

http://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20170910230205

調子に乗って今日寝不足な頭で直虎考察を書いてみる。

あくま個人の感想です

ドラマを見てない人にも分かるように書いたつもりだけどやっぱり分からんかも。勿論ネタバレ

「おんな城主直虎」の8/20放映分の33話は、「主人公の井伊家の女城主・直虎が、

幼馴染&家老であり、敵の罠にかかって反逆者として処刑される事になった小野但馬守政次を自ら刺し殺す」という

大河歴史に残る衝撃展開、神回と言われ、多くの(女性視聴者に「政次ロス」を引き起こし

大河では至上初の特定登場人物スポットを当てたサントラまで発売されて

売り切れ続出&オリコン一位を叩き出す、という社会現象引き起こした。

これは沢山の記事になったため(ネットだけではなく文春等でも取り上げられていた)

ドラマを見ていなくても知っている人も多いと思う。

でも記事だけではいまいち構図が分かりにくいので、その後のストーリーも交えて「直虎」の、主に男女関係描写考察してみる。

まず大前提として、実は「直虎は政次に対して恋愛感情は持っていない」んだよね。

直虎の恋の相手は、死んだ許婚である直親や、ふとした事で出会って協力関係になる盗賊団の頭・龍雲丸であって、政次ではない。

このドラマはやたら「バッグハグ」というシチュを使いたがるんだけど、

直親や龍雲丸にバッグハグされた直虎がドキド乙女モード全開になるのに対し、

政次の場合は何とも反応しない辺りが物語っている。

その辺を理解せず、「直虎と政次は恋愛関係」という前提で捉えていると、

昨日の36話の「直虎が井伊家再興を諦めて色々後始末をした後に龍雲丸と結婚する」という展開は

「お前恋人殺しておいて速攻で他の男に乗り換えるのかよ!」となる。

でもそうじゃない。直虎が恋愛相手として、男として好きなのは最初から龍雲丸の方であって、政次じゃない。

あくまであれは「何もかも失った女がこれから人生どうしようという所で、ずっと好きだった男に求婚されてそれを受けた」

「それまでずっと他人の為に生きていた女が、初めて自分幸せの為に生きようとした」、って話。

じゃあ直虎の政次に対する感情は何なんだよ、というと、

最初は幼馴染としての絆だったが、最終的には同士愛というべきものになっていたと思う。

井伊を守るという目的の元に一緒に戦う相棒、お互い尊敬し合い何もかも分かり合える相手安心して背中を預けられる相手、というか。

所謂バディとかブロマンスと言われるような関係(の男女版)。

そしてその相手たる政次が、恋愛相手である龍雲丸よりも、直虎の中で上位の存在として描かれている。

龍雲丸を家臣として召し抱えるかどうか、という話(23話)の時に、直虎は「政次の言う事に従う」という。

自分がやりたい事は強引に押し通す傾向にある直虎にしては珍しい行動だ。

直虎にとっては、超絶人手不足故に多少素性が怪しかろうが使える奴は家臣に加えたいモードな井伊にとって

龍雲丸は貴重な役立つ存在であり、勿論好きな男だから傍に置いておきたい本音もあるけれど、

隣国木材泥棒をした盗賊である龍雲丸を井伊の家臣にするという事は、井伊にとっては隣国にバレたら不和をもたらすリスクがある

(実際にバレそうになり、隣国領主近藤を騙して誤魔化している)ため、ここは政次の判断に任せる、という事だ。

まり「好きな男を傍に置きたい個人的欲望」より「政次による政治的現実的判断」を優先している。

(因みに政次は、リスクもあるし本音としては直虎の恋の相手である為気に食わない&直虎が恋愛脳で暴走しかねない不安もあるが

龍雲丸が役に立つ存在であるのは事実なため、家臣にする事を認める。んで龍雲丸の方から断られる)

ついでに、この「龍雲丸を庇う為に近藤を騙した」因縁が、近藤の恨みを招き、

後の近藤の罠によって政次が処刑される、という展開に繋がっている。

33話だけ見ると分かりにくい「何でこのモミアゲ(近藤)は政次をこんなに恨んでんの?」の答えがこれ。

この構図が分かりにくいなら、直虎と龍雲丸の性別をひっくり返せばいい。

片思い相手(女)がいるけど、それより大切な相棒(男)がいる男」という構図の物語は珍しくもない。それと同じこと。

「おんな城主直虎」は、普通は男同士で描かれる事が多いバディ的な関係を敢えて「女主人公で」「相手役は男で」描くと同時に

それとは別に主人公と他の男との恋愛も描くという、それが珍しくも面白いドラマだけども、

やはり「男女の強い結びつき」というと多くの人が「恋愛」としか考えないようで、色々誤解されている所が多いと思う。

因みに政次の方にも、直虎とは別に大切な女がいる。弟の妻であるなつがそうだ。

政次処刑前夜の32話、夫が戦死した後も「実家の奥山家と夫&政次の小野家の架け橋となるため」小野家に留まっていたなつは、

いつしか政次に惹かれるようになっていたが、その気持ちを押し殺したまま

その架け橋としての役割必要となくなったために小野家を出ていくと言い出す。

それに対し、その気持ちに気付いていた政次は「この戦が終わったら一緒にならぬか」という死亡フラグど真ん中台詞をなつに言い、

直後に近藤の罠にかかって処刑されることとなる。

現代価値観で考えれば「死んだ弟の妻と結婚」はドン引きだが、戦国時代別に珍しくない)

これも一部の視聴者からは「直虎を好きなはずだったのに別の女に乗り換えるのかよ!」と叩かれていたけれど、

あれも乗り換えとかそういうんじゃない、と思う。

もっとも政次の場合最初から一貫して政次を「男として」「恋愛相手として」は見ない直虎とは違って

直虎の事を「女として」「恋愛相手として」も好きだったのが伺えるし、

幼馴染の頃はそういう気持ちの方が強かったように思える。

でもいつしかその気持ちより、上記の同士愛的な愛の方が強まっていった。

直虎が城主になりたての頃は、「愛する女を危険晒したくない(何せ先代城主である直親が今川に殺されているわけで、城主の座は危険まりない)」一心

直虎に対して「城主を降りろ」と散々脅したり城主の座を奪い取ろうとしていた政次が、

最後に、直虎が「城主の座を降りて政次に譲ってもいい」と言い出した時には

直虎の城主としての実力を認め、とても自分がそれに成り代われるものではない、もう降りる事など許されないぞ、と言う。

そしてその直後に、政次はなつに上記の死亡フラグ立てプロポーズをする。

なつはそれに対し、「もうすぐ直虎の還俗が出来るようになる(=直虎が結婚出来るようになる)、

ずっと直虎と結婚たかったんだろうに、私でいいのか」と言う。当然の疑問だ。

それに対して政次はこう言う。

「殿をしている殿(直虎)が好きだ。幼い頃より、自由にのびのび振る舞うおとわ様(直虎の幼名)に憧れていた。

その気持ちは恐らく生涯変わる事はない。

でもそれとは全く違う気持ちとして、そなたには傍にいて欲しいと思う」と。

何だか分らんかもしれないが、つまりこういう事だ。

直虎は例え還俗しても、殿=城主を降りない限り結婚はできない。

城主となった直虎は幼い頃と変わらず色々と破天荒な事をして政次をやきもきさせるが、結果的に色々成功させている。

自分結婚する為に城主を辞めさせ、自分の妻として過ごさせるよりも、このまま城主である直虎を一生支えていきたい。

でもそれとは別の話として、なつと結婚して一緒に人生を歩んでいきたい、と。

仕事上の相棒の女と、夫婦として一緒に生きていきたい女は違う、という事だ。

馬鹿正直すぎて、なつにとっては酷な台詞でもある。

しかしなつは、そういう時は直虎の事はもう何とも思ってないと言うべき、と言いつつも

そういう、直虎の事が好きな政次が好きだから仕方ない、と言ってそれを受け入れる。(受け入れた途端に政次は死ぬんだけど)

そして直虎は、「自ら処刑場で槍を奪って政次を刺す」というまたもや破天荒な事をする。

これが結果的に「自分を騙した家老をそれほどまでに憎んでいる元城主」という構図を作り出し、

「政次=裏切り者家老、直虎=騙された被害者であると印象付ける。

政次は「これでこそ自分が好きなおとわ」と思った事だろう。

そんな直虎も、政次の死と共に城主としての輝きを失い、

結局何の策も取れるままに井伊家再興を諦める事となる。

直虎の師である南渓和尚が「政次が死んでしまえば、あれ(直虎)は死んでしまうからな。片翼では鳥は飛べぬ」と言った通り、

政次の死と共に、城主としての「直虎」は死んでしまった。

そして残った「平凡な女・おとわ」は、一農婦となって愛する男との平穏生活を選ぶ。

おんな城主直虎・完…となりそうな展開だが、まだ9月で残り14話あるんだからそうは行かない。

早速武田がやってきて井伊谷戦場になり、おとわと龍雲丸の平穏生活も壊される予定だ。

そしておとわはまた直虎として戦う事を選ぶんだろう。

それがどういう展開で行われるのか、そこに政次(の思い出)は絡むのか、それとも自力で復活するのか。

龍雲丸はどうするのか、いかにも死にそうな展開だが。

かつて直親や政次、それ以外とも沢山死に別れている故に、「自分と関わった者はろくな事にならない、自分は不吉な女子だ」という直虎に対して

同じように身近な人と何度も死に別れて自分だけ生き残る経験をしている龍雲丸は

「死に損なう事は得意だから自分あんたより先には死なない」と言った。

主人公とか絶対死なないであろうキャラが言うならいいが、大河オリキャラが言ったら死亡フラグです正直。

ここで

悲報】直虎さん、また大切な人を失くす(3年ぶり3度目)(というか父とか大祖父様とかも色々含めたら何度目だ)

という展開になったら流石に立ち直るのは厳しい気もするんだが。

この後に瀬名姫(家康正室の。このドラマでは直虎の唯一の女友達という設定)の処刑という史実もあるんだし。

2017-09-08

嗜好が問われる分野で1つが他を駆逐したことがないのです

社会現象になったほどのドラクエでもコンシューマJRPGという超せまい範囲ですら、他を駆逐したことがないのです

その後の音楽に多大な影響を与えたビートルズでもロックバンドという範囲ですら、他を駆逐したことがないのです

相対的に1位になったアイドルは数あれど、他を駆逐したアイドルはいまだ現れていないのです

どんなにカレーがおいしくても、いまだ販売されている飲食物すべてがカレー味になっていないのです!

2017-09-05

初音ミクSFだった

初音ミクが登場した頃からインターネットに触れていた人たちにとって

初音ミクあくまツールだったと思う

素晴らしいソフトウェア、素晴らしいツール

喩えるならPhotoshopのような、あるいは人形劇人形のような、表現の幅を広げるものだった

どれだけキャラクターを全面に出した歌を歌わせたところで、心の何処かでそういった考えはあったと思う

 

だけどあの事象を振り返ってみると、アレは確かにSFだった

電子の力を得た若人が、偶像プロデュースする

毎日のようにいくつも極が作られ、その声だけでなくキャラクターに惹かれ

人々はそれに熱狂し、やがては3D化してライブまで行った

彼女はどこにも存在しないが、確かに最上級かつ最も身近なアイドルとなった

20年前の人にそれを聞かせたら、一流ではないかもしれないが、たしかSF世界出来事だと言うに違いない

 

もちろん実際に技術プロダクトをのもの注視すると、粗もあるし人力な部分も多かった

オーバー神秘テクノロジーではなく、地道に研究を重ねた成果が見えるに違いない

しかしそれで巻き起こった社会現象は、非常にSF的ではなかっただろうか

SFの魅力というのは、科学技術のものだけではなく、それによって巻き起こる社会現象という側面もあるはずだ

確かに私たちはこの10年、SF世界の住人だった

2017-08-23

[] Googleトレンドに見る「社会現象ライン

どうも、けもフレファンです

記事とかで「社会現象」っていう表現安易に使われるけど、ちょっとラインをよく考えようよって話

 

最近流行ってるような気がするもの

Googleトレンドで割り出すと、だいたいこんな感じ

数字はざっくり

 

ドラクエ 1000

艦これ 400

君の名は 300

ラブライブ 200

けものフレンズ 150

刀剣乱舞 150

シンゴジラ 100 (「ゴジラ検索が多そう)

2017年アニメの人気なやつ 20

 

アニメ単体じゃないのがいっぱいあるけど

ブームの大きさだから総量で考えたい

 

こうみると、大体けもフレあたりは「大ヒット作品」「ブーム」「話題作」なんだよね

もちろん一般的な人気アニメ10倍くらい熱量あるんだけど

君の名は。まで行ってようやく社会現象じみてくるんじゃないか

でも艦これだと、もうちょいって感じもする。

ドラクエまで行くともう文句のつけようがない。普通にニュースになるレベルドラクエやるから会社休むレベル

 

まあ個々人の感覚値にはなっちゃうんだけど

まり安易に「社会現象を巻き起こした」は使わないで欲しいなーと思った

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E7%8F%BE%E8%B1%A1

社会現象は、主に人間社会において特定方向性指向性が発生した際に観測される各々の現象である

 

もちろん、動物園ヲタ殺到するのは社会現象っぽいけどね

もう一個小さい言葉がほしい。「密かなブーム」とか(流行ってない定期)。

2017-08-14

オタクコミケ50万人! 俺たちはもはや社会現象! 世界に誇れるマジョリティだ!」

年間観客動員数

 

BIGBANG 180万人

嵐 90万人

関ジャニ 90万人

ももくろ 60万人

平成ジャンプ 50万人

2017-08-12

スカッジャパンかい個人的クソ番組

CM見て思い出した。

フジテレビスカッジャパンという番組している。

家族が割と好きらしく、月曜日は必ずこの番組が始まるくらいに帰宅するが、いつもこの番組が流れている。

のだが、わたしはこの番組が嫌いである。

学生のころ、興味本位学校課題子供向けヒーローヒロイン物のアニメ特撮作品簡単論文を書いたことがある。

それを踏まえても心理学的な方面から見てまあほとんどの子供はああいった構成ストーリーは好きだろう。(この場合の子供というのは、ちょうど就学直前から中学生になりたてくらいを指す)

(社会的に)日常を脅かす敵がいて、迷惑被る人がいて、ヒーローがやつける、いわゆる勧善懲悪パターンアンパンマン典型的だ。

で、重要なことだが、勧善懲悪文字通り悪を懲らしめることであって、悪人リアル正義鉄槌を下すことではない。これとても重要

アンパンマンプリキュアも、悪人を半殺しにしたり村八分みたいな社会的抹殺はしないのだ。

ルパン三世 カリオストロの城 とか もののけ姫 とかあれも悪人をやつける系の誇張パターンだが、結局悪人は何かしら失っている(命とか地位とか)

半沢直樹とか花咲舞とか池井戸潤原作ドラマとかも思い出してみて欲しい。悪い側の誰かにリアル正義の鉄槌が下されてはいないだろうか。

ここまでで思うことがある。

悪を懲らしめるストーリーは万人ウケする。これは幼少期の刷り込み以来だからしかたない。が、さすがに幼稚過ぎないか

ところで、わたしスカッジャパンのなかでも最も嫌いなのが胸キュンなんたらというコーナーである

正直、あれは大人の見る映像作品ではないし、お茶の間に流すな。というレベル不愉快である

これに関しては、ちょっと二次元臭い要素が大きいのが問題なのだ

モテモテの男に恋するヒロイン、それを妬んで影で虐めるヒロイン、助けてくれる男。そして告白ハッピーエンド

まりに安っぽい。

まり王道

このテンプレートは誇張版が過去流行ったのを覚えているだろうか。

そう、ケータイ小説である

レイプ妊娠いじめ暴力といった暗い話を盛り込み、10年ほどまえにちょっとした社会現象になっていたあれである

もっとまえだと中学生日記とか。

これも上記同様子供っぽすぎて見ているこっちが製作者の精神年齢を疑いたくなるひどいものだが、もっとひどいのは、先ほど述べたケータイ小説少女漫画ティーンズロマンス小説を読んで育った女子しか対象にしていないようなクソストーリーである

この番組不愉快の根源は現実味が皆無で本当に子供しか喜ばない純然たる勧善懲悪モノであることだろうと思う。

2ちゃんねる生活板とかのウソっぽいキチトメまとめのほうがよほど現実味があってまだエンターテイメントとして優れてるかな。まあどんぐりの背比べだけども。「アンパンマン頑張れー」ってな感じで外野が騒いでるような雰囲気コメントは同レベルだし。

こんな番組作るくらいなら月曜のこの時間歌番組でもやってくださいって思います

精神年齢低すぎて不愉快だし、視聴者舐めきってるとしか思えないから本当にさっさと打ち切ってほしい。

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