はてなキーワード: 同性愛とは
小さい頃から、ディズニーのお姫様や自由なバリキャリ役に憧れることはあっても、母親役はない。もちろんフィクションと現実は違うけど、漠然とした憧れとしてね。
絵に描いたような家庭(夫婦と子供二人)の親戚が1組は妻が自殺、もう1組は離婚したからか。両親もいい人と思うが自由がなく忙しそうで憧れはしない。逆に親戚の独身たちはほぼ変人だが楽しそうだ。
でも!すごく不思議なのが、恋愛やセックスは大好きなんだ。ヤリマン気味。しかもオナニーも毎日。
もちろん、皆が子供欲しいわけではないのは分かってるよ?
同性愛は少数派だけど確実にあるし、あの人たちは子供を作らなくても恋愛やセックスを楽しんでいるはず。
更に言うと、世界中で出生率は下がり続けているから、少なくとも子沢山=本能とは違うんだろうなと思う。
ここまで書いてきて、じゃあ子なしでいいでしょ、となりそうだけど、子供が絶対欲しい!って人もいるんだよね。
誰かが大金はたいて不妊治療してるのを聞いた時なんかは特に思う。子供産むことの何がそんなに魅力なの?って。純粋な疑問。本当に本能だけ?何か私が知らない出産・育児のメリットとかあるの?
とは言っても私も「何でそんなにセックスしたいの?」と言われたら、本能としかいえないから、そんなもんなのかな?
セックス、気持ちいい以外のメリットが見当たらない。特によく知らない男とやる時は殺される可能性すらある。でもセックス中は幸せだからこのまま死んでもいいなーって思ってる。子供を持つともっと幸福感が味わえるのかな?
ドイツのベルリンで開催されているVALORANTの「女性向け」大会であるVALORANT Game Changers Championshipで、トランスジェンダーの元男性で自認が女性の選手を含むチームが参加し、全員生物学的に女性で構成されたアジア代表の日本チームZETA DIVISIONが1ラウンドも取得できずに敗退した。
トランスジェンダーの選手は、勝利確定のタイミングで、ゲーム内のスプレー機能を利用し、対戦相手であるZETA DIVISIONのチームロゴに対して銃弾を浴びせる挑発行為を行った。現時点で特に処分はない。
https://twitter.com/Rqrfishy08/status/1857084098042380670
ゲーム内のスプレー機能は試合前に最大4つの任意のスプレーを設定できる要素で、この選手は挑発目的のみで敵チームのチームロゴをスプレーに登録し、勝利確定時にその行動を取ったことから、明らかに悪意が感じられる。また、使用された武器には運営から特定の行動規範を遵守するユーザーにのみ配布されるストラップアイテムが付いており、その印象は非常に悪い。
そもそも女性向け大会であるにもかかわらず、多様性の観点から運営のRiot Gamesの判断により、生物学的に男性であっても性自認が女性または中性の選手が**2人まで**参加を認められている。男性中心の大会で活躍できなかった選手が、女性向け大会で荒らし行為を行っている状況だ。
VALORANTには、性別による参加制限のない通常のVALORANT Champions Tour(通称VCT)が存在する。過去に女性選手も参加しているが、目立った活躍はほとんどない。女性選手の活性化を目的に始まったGame Changersが、2年を経て元男性選手を2人含めることがメタになるという、あまりにも滑稽な結末に至っていることに驚かざるを得ない。
今大会には、外見から女性を目指しているとは到底思えない自認女性の選手も参加している。
https://twitter.com/VALO2ASIA/status/1855670326702878910
この選手は生物学的には男性に生まれ、性自認は女性だが、恋愛対象は女性の同性愛者であり、実質的にはほぼ男性と同等と言える。
https://twitter.com/StarBoundVal/status/1812245262586511870
水泳、陸上、格闘技に続き、ゲームの世界でも性別を超えて活躍する選手が増えてきている。
競技においては、多様性よりも公平性が最優先され、女性・男性ともに公平に輝く機会のある世界に変わることを心から願っている。
はてな民がしたり顔で経済云々で民主党が負けたと言ってるけどトランプの政策を見た事があるか?
関税引き上げ一つとっても物価が上がるのは少し考えれば分かることで経済を重視してる人間はトランプには入れない
ハリスや民主党はやれ中絶の権利だLGBTの権利なんかをポリレコを声高に主張してたから目覚めたアメリカ人から否定されたんだよ
そもそも聖書には明確に女は男に従うべきと書かれているし同性愛ははっきりと罪であると書かれている
トランスジェンダーなんて神は人を男と女に作られたと聖書に記載されてるんだから存在すらありえない
それを弱者の権利だと否定して回った結果が今回の選挙結果であってまさに民主党の思想が拒否されたわけ
労働者を見捨てたからだのインフレだったからだの都合の良い事だけ見てると二度と勝てないよ
非白人系が離れたのも人種的マイノリティーである以前に一人のキリスト教徒だからそんな悪魔の様な思想を振りまく連中に入れる訳がない
逆にトランプは熱心に教会に近づいて選挙活動してたし中絶禁止の様な正しいキリスト教的価値観の実現に尽力してるぞ
選挙後にキリスト教徒のヒスパニック有権者がロイターの取材に家族の価値観を揺るがすハリスは支持できないと答えてた事が全てだよ
今更、BLって相当有害なんじゃないかって気づいた。ホント今更。これまでは同性愛者はBLを嫌ってるとか、ゲイは迷惑してるみたいな書き込みをネットで見ても「はいはい、何がなんでも腐女子を叩きたくて必死だなぁ」「ゲイを盾にするのやめたら?ただ自分はBLが嫌いってだけでいいじゃん」って思っていた。
でも最近、ふと「ゲイがゲイに向けて描いた同性愛作品よりも、女性の異性愛者が同じく女性の異性愛者に向けて描いた同性愛作品の方が圧倒的に世の中に出回っているってヤバくない!?」と思い始めた。BL作品って商業でも二次創作でもSNSで簡単に引っかかるし広告なんかにも出てくる。Xだとおすすめタブの影響で、BL好きじゃない人の目に触れる機会も増えたと思う。では「ゲイ向けは?」というと、すぐには思い浮かばない。田亀源五郎先生の「弟の夫」とか? 何食べは作者女性だし腐女子だしね。これってかなり不健全な状態なんじゃないだろうか。当事者が当事者に向けて描いた作品よりも、非当事者が非当事者に向けて描いた、異性愛者にとって都合の良いフィクションばかり世の中に溢れていて、LGBTの少年少女にとってもそれは同じと考えると、すごく申し訳ない気持ちになる。
「男女の恋愛だって当たり前のように娯楽として消費されてるんだから別に良くない?同性愛だけダメって逆に差別じゃない?」と突っ込まれそうだが、これはマジョリティとマイノリティの非対称性で説明できると思う。LGBTは身近にロールモデルが存在しないことが多く、人生について悩んだり不安になったりすることが多い。そんな中、BLが当たり前のようにSNSに溢れていたら、現実のゲイと実態とは異なるマジョリティに都合の良い描写や設定なのにもかかわらず「ゲイはそれが普通なんだ」と勘違いしてもおかしくはないだろう。例えばBLでは「受け」と「攻め」というセックスポジションを示す用語がほぼ全ての作品で使われているが、これはゲイは必ず挿入行為を行っているという誤解を招きかねないと思う。
そしてBLはミソジニー(女性蔑視)も内包していると思う。言い方が難しいが、女性が男同士の友情や恋愛を「さっぱりしていて羨ましい」と過剰に持ち上げ、ありがたがるのってちょっと嫌な感じがする。暗に女性同士はネチネチしていると言ってるみたいだし、女性を見下していると思う。それよりも女性は女性であることに自信を持って女性同士で連帯していくべきなんじゃないかと思っている。
この意見は、クィア運動がポストモダン思想の影響下に生まれたとする認識に対する疑問や批判を述べており、歴史的な視点からいくつか妥当な点がありますが、若干の曖昧な表現や不正確な点も含まれています。
妥当な点
クィア運動がポストモダン思想と完全に依存関係にあるわけではなく、ポストモダン思想が現れる以前から同性愛者やトランスジェンダーなど、性的マイノリティが存在し、彼らの権利を求める運動も歴史的に展開されていた点は事実です。特に1969年のストーンウォールの反乱は、こうした運動の象徴的な瞬間とされ、以降のクィアコミュニティの活動に影響を与えました。
ジュディス・バトラーのようなクィア理論家がクィア運動の根底を形成したわけではなく、クィアコミュニティの中で自然発生的に進展した権利運動があり、それを学問としてまとめ上げた形がクィア理論とされています。バトラーもまた、既存の運動に触発されつつ、理論を構築しました。
フェミニズムやクィア運動の参加者が必ずしも関連する哲学や理論を学んでいるわけではない点も的を射ています。社会運動は必ずしも学術的理論に支えられているわけではなく、生活や経験に基づくリアルな問題解決からスタートすることが多いです。
クィア運動とポストモダン思想の関係を完全に否定している点は、若干極端に感じられます。ポストモダン思想、特にデリダやフーコーなどの影響を受け、1980年代から90年代にかけてクィア理論は発展しました。これにより「セクシュアリティ」や「ジェンダー」が社会構造や権力関係の一環として分析されるようになり、運動の理論的基盤が強化されました。クィア運動の実践が学問的に整理され、クィア理論が拡大したことで、社会に対する批判や改革のためのフレームワークが明確化した面もあります。この点で、ポストモダン思想をクィア運動の「産物」とまで言い切るのは誤りですが、関連性を無視するのも偏りがあるでしょう。
クィア当事者が社会的に疎外されても自由に生きられるという意見もありますが、現実には多くのクィア当事者が差別や偏見にさらされ、社会的支援を必要としています。孤立が深まると生活や精神面で困難を感じることも多いため、社会からの孤立が「普通に生きる」ために望ましい選択とは言えません。
社会運動と学問的な理論の関わりを一部の「知的エリート」に限定する点も、一面的です。学問的な理論は運動において重要な役割を果たし、政策提言や社会への理解促進に寄与しています。運動の根拠や道筋が理論によって補強されることで、社会的な認知度や影響力が増すことも少なくありません。
まとめ
この意見は、クィア運動がポストモダン思想の「産物」であると単純化する見方に対しての反論として、一定の妥当性を持っています。とはいえ、ポストモダン思想が運動に与えた影響も確かに存在し、運動と学問が互いに影響し合いながら発展してきたことを踏まえると、双方の関係を単純化せずに捉えることが重要です。
恋愛ができない。
もう一文字目で躓いてる。
みんなが当たり前に習得していく英語の授業。アルファベットは理解しても単語習得や文法でわけがわからなくなった自分は知ったかぶりして英語で話されても「あーね笑」って生きてきた。気がついたらアラサー。
多分"愛"の部分は分かる。
友人だとかペットに対しては愛を感じるし、大事にしたいし幸せであってほしい。
でも友人に対して"恋"の字を当てがうのは違うと思う。複数人に対して愛を感じているし、なによりそれ以上の関係になりたいとは望んでいない。ただ、何気ない連絡を取り合ったり、たまに会ったり、そういう関係をこれからも続けていけたらとても嬉しいと思っている。
一応趣味や飲み屋で出会った異性の友人もいる。でも同じく、今のこの関係を続けていきたいと願っていてそこに発展も性行為も望んでいないものだからこれもまた恋愛感情ではないと思う。
ちなみに性欲は普通にある。
小柄な女性から大柄な男性まで分け隔てなく興奮する。えろに対するこだわりもある。でも現実だと気持ち悪さを感じてしまう。酩酊状態だったら大丈夫。
AVも観るし18禁アニメも観るし漫画も読む。レズ・ゲイ・それ以外もいける。現実の知り合いでなければ「抱きてぇ」も「抱かれてぇ」も分かるし普通に抜ける。
正直この自分の状態にそれほど悲観はしていなくて、「人生薄っぺらいな」と感じることこそあれ、まぁこのまま生きていくんだろうなと思っている。
ただ、友人の話やネットの話、創作物を読んだりする上で理解度が足りないことは憂いていてどういう感覚なのか人間から聞きたい。映画や漫画の創作上の概念でなく、1人の人間としてどういう感情なのか要素が知りたい。
そうやって英単語を集めて集合知として"恋愛"ってものを理解したいから、一言でいいからどんな感覚なのか教えてほしい。
創作物を見るとどうしても「これって実は誰も分かってないからファンタジーとして書いてんじゃねーの?」って気持ちも生まれてくる。これ僻みかもしれない。「男性・女性間で生まれる恋愛ってただの本能的な性欲じゃねーの?」と思うこともある。これも僻みかもしれない。でも僻みじゃなかったとしても同性愛の場合子孫繁栄に繋がらないから説明できない。
教えてくれ。
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初めて使ったのもあって正直コメントくるかも怪しいと思ってたからたくさんコメントくれて本当にありがたい。
まず【「恋をするという行為」を理解しようとして自分自身ではできないからバグってる】ってコメントが刺さった。
確かに自分、恋愛するってどういう感覚なのかを教えてくれって言いながら感情じゃなくてその行為自体に視点が向いてた。そこからまずズレてたんだな。
【純粋に恋愛とは何かを学問や生物学的に知りたいんだろうか?それとも恋愛に発展しない原因を知り改善して恋愛をしたいのだろうか?】
→これに関しては、改めて考えるとどっちも合っててどっちも少しずつ違うかも。最初投稿したときは生物学寄りで、自分じゃ分からないからみんなが恋愛をしてどんな感覚になるのか知りたかった。そうやって解像度を高めたかった。でも、数日置いて、その間考えて自分は恋愛に対して強い憧れがあるんだなって思い知った。みんながめちゃくちゃ羨ましい。好き人がいて、その人と一緒になれない苦しみとか、一緒になれた時の幸福だとかを自分も味わいたい。恋愛について歌った曲に自分を重ねる経験とか、そんな人生の楽しみを方を自分もしたい。自分の状態に悲観してないとか強がりだった。諦めてただけだ。原因が分かれば自分にもまだ希望があるんじゃないかって無意識に閉じ込めた部分があったんだと思う。
【男女間問わない恋愛の創作してるけどまともにリアルの恋愛した事ないから増田の気持ちが凄くわかる。(中略)自分の場合他人に心身を委ねる恐怖に打ち勝てないんだけど増田はどうだろう?】
→他人に心身を委ねる恐怖に打ち勝てない。それ自体は分かるんだけど、恋人にそこまで全てを公開する必要もないと思ってる。もしかしてここから間違ってる…?人それぞれかな?多分この人は自分より素直で性格が良い人だ…
【独占欲】【執着】【性欲】ってワードがよく出てきて、それが自分にはないんじゃないかってのも言われてたけど、それは別々だったらめちゃくちゃある。これは俺の本当に気持ち悪いところなんだけど、自分より小さくて弱い人間に対してとんでもない独占欲と執着が生まれることがある。自分だけに依存させたくなる。これは男女ともに発生する。でも絶対そんなことしたくない。自分自身、自己肯定感はそこまで低くないんだが燻った自己顕示欲とか承認欲求があるのかもしれない。でもそういう対象に性欲は生まれない。ここのズレが影響してるのか…?
【今まで恋したと思ったこと
なんか喋っててすごくくだらないことで二人で笑いが止まらなくなった。相談されて、わが身にも代えても守ってあげたいと思ってしまった。】
→これ、めちゃくちゃ分かるんだけどどうしてもその先の「異性だから珍しかったので恋した」の部分にいけない。人間として本当にこの人好きだなって思う。何かあればすぐに駆けつけるし、できることならなんでもしたい。好きだから。でもこれは複数人の友達に対して同時に発生するし、異性だからって同性の友達と特に違う感情にはならずただ一列に並んでる。お互いに強い信頼があって、だからこそ大切にしたいと思うけど恋愛感情として大切にしたいとはまた違う気がする…
【おれもわかんないけど性欲はめっちゃ湧く】
→すっごい分かる。性欲まじで人並みにある。セックスもしたい。でも実際にする良さは未だに分からない。
一応これまでの人生色々試してきてはいて、好意を寄せてもらった子と付き合ったり、マッチングアプリに手を出して付き合ったこともある。こっちからはなにも言えないから向こうから交際を打診してきたからだけど。1番嫌なのが友達として関係を築いてきた人から好意を寄せられることなんだよな。だから関係性が薄ければいけるかと思った。友達の場合人間として好きだからこれからも関係を続けていきたいのに、そうなると終わりを迎えてしまうから。だからといって雑に付き合うのも相手に悪いし、友達相手に義務で性行為をするのも嫌だ。「異性の友人が結婚してもう会えないって言われたら」みたいなコメントがあったんだけど、そういうことはこの歳になると経験してて、「まぁ夫からしたら異性の友人がいるとか嫌だよな」ってそのまま消えてた。もちろん寂しくはあるよ。仲良い友達ともう会えないんだから。でもその人が幸せならそれが1番だし、"仕方のないこと"として受け入れてる。
いくつか質問があった自分の性別と性欲に関してなんだけど、性別は男。ここまで"性欲"って言ってきたけどなんか少しだけ違うのかもしれない。「小柄な女性から大柄な男性まで分け隔てなく興奮する」ってのはそこにえろさを感じるってことで、現実で思うのはもちろん、そういう動画を観て処理することもあるわけだけど幅広く興奮要素がある。全部オープンにいうと抱かれる妄想も抱く妄想もする。でもずっと性欲に支配されてるかっていうとタイミングによるってのが大きくて、しばらく性について考えたくもない、考えることすら嫌悪感があるけどルーチンで処理するみたいなこともあるし、進んですることもある。風俗とかは行ったこともないしこれからも行かない思う。昔なにか傷つく経験をしたわけでもないけど、どうしてもそういう行為を実際にしていると自分何してんだろうなって気持ちで虚しくなってしまうし、相手の子に申し訳なくて心がついていかない。だから実際にするのは違うくて、でももしそこで自分がちゃんと相手のことを好きだったら心もついていくのかなと馬鹿な希望を抱いているところがある。
私は百合が嫌いだ。百合が嫌いというか百合厨が嫌いという方が近いかもしれない。
そもそも女性同士の関係性(恋愛と書くと「百合は恋愛だけじゃなくて友情や親愛など多彩な関係性を包括するジャンルで〜」と百合厨が早口でまくし立ててきそうなので関係性と書いた。そういうところも嫌い)を百合と呼ぶこと自体嫌いだ。花の百合を調べたい人からすれば検索妨害でしかない。百合の花が見たくて画像検索したら、オタク臭い美少女キャラがイチャついてるイラストや漫画が出てくるの地獄すぎる。
百合厨の何が嫌だって、やたらと男女の恋愛やBLを下げるところだ。「男女の恋愛はただの生殖本能だけど、百合は真の愛」「ホモは汚いけど百合はキレイ」とか言ってとにかく百合を持ち上げるために他のジャンルを下げまくる。うっざ!!たとえ百合が綺麗でもそれを好む百合厨は見た目も中身も汚いわ!!
そして男嫌い(異性愛嫌い)が強烈なのが怖い。「百合尊い」の感情より「男死ね」の感情の方が強いんじゃないだろうか。女の百合厨ならともかく、男の百合厨とか自分も男じゃん。そして男オタクのお前が美少女を好むのも異性愛じゃん。異性愛が汚いと思うなら男キャラを愛でたらいいのにと思うのは私だけ? 男が嫌いで男を排除した美少女だけの世界を好むって、そこらの男よりよほど異性愛してるじゃんw 尊い百合とは正反対!
これは以前Xでもバズっていたが、百合=キレイで神聖なものみたいな扱いをされてるのが気持ち悪いし受け付けない。BLは嫌いな人がいて当然みたいな扱いをされてるのに、百合は嫌いな人いないよね?キレイだし神聖だし万人受けするよね?女も好きだよね?みたいに扱われてるのがムカつく。そして一般作品でも百合要素が出てくるからキモすぎ。美少女同士の百合は不自然に盛り込まれててもてぇてぇからポリコレアンチもダンマリ。なんでこんな勘違いをする人がいるんだろうと思ったけど、女性は男と違って表立って同性愛を叩いたりしないからだろうな。男はホモをやたらと毛嫌いして馬鹿にしたり、昔のゲイビデオをいつまでもネタにして面白がってるけど、女性はそんな馬鹿な真似しない。でも百合好きな女は正直少ないと思うよ。よく百合好きが百合は元々は女性向けだった!女性にも人気!ってアピールしてるけど、女性オタクに男女BL百合どれが一番好きですかって質問したら、百合に入る票は1割未満だろうね。百合作家に女性が多いのはそもそも絵描きに女が多いからで、百合だけでなく男性向けエロ漫画も女性絵描きがそこそこ多い。描く人が多い=読む人も多いではないんだよ、GLFesとか百合作品のリアルイベントの写真は男ばっか写ってる。
いや「ホモ」って言わず「ゲイ」って言った方がイイんだけど、アイキャッチ的に…。
※以下、下ネタを含むので要注意※
で、本題なんだけど…
・ノンケ男子ってビラビラ見ておっきするの?顔なしビラビラでもおっきする?
・ノンケ女子って棒見て…女子はおっきしないか?…変化あるの?顔なし棒だと?
いや、ずっと疑問で、下ネタ話せるノンケに会ったら聞こうと思ってたんだけど、増田があるじゃん!と思って。オッパイやケツ、キャメルトゥあたりなら理解できるんだけど、ビラビラってどうなの?
で、お前はどーなんだって言われると、俺はゲイでも多分ちょっとズレてて、顔なし棒だとあんまり、顔あり棒だと多少は…、モロ棒ってそれほどでもないんだよね。一番おっきするのは、立体裁断系のローライズビキニのモッコリだとムクムクするかな。あと、そーゆーコンテンツでいうとタイプ同士のキスシーンが一番イイかな。掘られながら別の人とキスだと最高かも。割と顔重視というか、前述のビキニも顔映ってないと半減かな。ただゲイの中でも主流派ではないと思う。
知り合いはスマホの中に棒(顔なし)の写真コレクションがあったから、やっぱり棒単体のビジュでおっきするゲイの方が多いのかな。つまるところ人それぞれに尽きるんだけど。
よくある誤解で「ホモを選択して…」みたいな言説を見るので、否定しておきたいんだけど、思春期の頃、いつか女子と結婚して子供…みたいに考えていた頃、おっきする条件が男だって認識して愕然としたよね。当時は差別当然って感じだったし。男は見ずに女子でおっきする訓練したりね。自然現象なので訓練でどーにかなるものじゃなかったけど、それって逆の立場で考えれば分かるでしょ?
そうそう、なんかちゃんと思い出せないけど変な理屈を考えていたような…。成長過程でおっきを練習するため、お手本となる男になぞって…だから自分は本当のホモではなくて…みたいな。あと、ゲイあるあるで女子と付き合えば…って考えるけど、当然ダメだよね。一人だけ女子と付き合って、その子が軽い子だったら若さの勢いで童貞捨ててた可能性あるけど、身持ち堅めの子で結局別れちゃった。仮にやってても、ノンケになることはなかったと思うな。当時からゲイ雑誌、しかもサムソン!愛読してたし。
そんなこともあって、ゲイやレズビアンを差別するのは楽しいかもしれないけど、むしろゲイはゲイ同士、レズビアンはレズビアン同士、よろしくやってって風潮を作った方が、同性愛者と付き合ったり、結婚したりする、異性愛者を減らせると思うんだけどね。自分の子供の結婚相手がって考えたら、どう?差別助長するのって、そういうことだと思うんだけど。
あと、もしよかったら、↓こちらの件も見て意見もらえたら。世界のニュースを見てる感覚だと、これ一発で社会的地位失うやつじゃん!と思ったんだけど、どーやら世間と俺はズレているようで。
今年の出生数がこのままだと70万を割る見込みらしい。
そのニュースに触れて、多くの人が政治の批判をしている。こども家庭庁が必要なのかという話や、政府はほとんど何も対策をしていないという主張が目立つ。
ただ、正直ずっと疑問に感じているのだが、少子化問題を政治の力で改善させることは現実的に可能なのだろうか。
よく少子化の最大の原因として「若者にお金がないから」を挙げる人をよく見る。もちろん要因としてありそうだと僕も思う。子どもを育てるためのお金がないという人もいるだろうし、結婚願望を持っててもお金がなくて婚活できないという人もいるだろうし、そもそも出会いすらためらう人もいるだろう。
若者の貧困が改善すれば、多少は効果があるかもしれない。でも、それが劇的に問題を解消するような「銀の弾丸」になるともあまり思えない。
というのも、少子化のグラフと給与水準のグラフに乖離がある気がするからだ。
たしかにどちらも下がり調子だから相関関係があるようにも見えなくないが、給与は1996年頃から下がり初めているのに対し、少子化は70年頃からずっと下がり続けている。
もしも貧困が一番の要因なら、給与水準と少子化はもっとダイレクトに反映されるのではないのだろうか。
もっとも、僕は統計や分析に関してはド素人だし、税金や物価なども考慮にいれないと実際の貧困状態をあらわすことはできない。ただ、バブルがおきた頃には既に出生率は下がり続けていたのだから、最大の要因は経済とは別の場所にあるのではないかという気がしてならない。
じゃあ何が一番の要因なのかというと、結局のところ「生き方の多様化」ではないのか。
出生率の高い国をみると、生き方の選択肢が限られている国が目立つ。
女性は「結婚する」以外に生きる方法がなく、結婚すれば子どもを産む以外に選択肢がない。そして家族は子どもという働き手を得るために夫婦に子どもを産むよう強制する。
そういう生き方しかできない国が今でも出生率が高い。そして逆に、いろんな生き方が選べる国は、軒並み出生率が低くなっている。
日本も昔は結婚する以外になかった。親族からの結婚圧力は高く、結婚すれば次は子を産ませるという圧力がかかった。
30代にもなって結婚してなければ社会不適用者の烙印を押され、男女問わず同性愛者は同性愛であることを隠して結婚するしかなかった。
結局そういう圧力や、選択肢のなさが出生率につながっていただけではないのか。
断っておくと、当然ながら「そんな昔がよかった」なんていうつもりはさらさらない。
いろんな生き方ができる今のほうがずっといい。
問題は、「生き方の多様化」が最大の要因だとするなら、少子化対策は政治でどうにかなる問題じゃないんじゃないかという点だ。
できるとすれば「生き方の多様化」を縮小させるような政策しかないのではないか。
しかも生半可な政策じゃ効果は薄いだろう。相当過激な、副作用も多いような政策じゃないと効果がでないのではないのか。
なんか、今のペースでゆるやかに減っていくのを許容しつつ、最終的にクローン技術とかでなんとかする以外に方法はないんじゃないのかな。