はてなキーワード: 議論とは
自由意志を否定するの流行ってるよねぇ。主義に背くようなら申し訳ないけど、親露っぽい主張を繰り返してる人もまったく同じような事を言ってて、小国は大国に逆らえるはずがない、強い者の論理に逆らえる弱い者などあるはずがない、という態度を徹底してるんだよね。こういう思想流行ってんのかね?自分たちにしか通用しないヘンな身内向け造語を駆使して糾弾にいそしむ所もそっくりだ。あやつられマウントみたいな感じ?
自由意志などないのだとうそぶくことには明確なメリットがあって、自分はメタなより強い論理を展開しているのだという強そうな雰囲気をかもしだせるし、自分は「わかって」いるんだという演出ができる。でもそれって雰囲気だけで何の反論にもなってないわけで。要は「俺の考える道徳に背いている人間は全員洗脳されているんだ」と主張してるってことでしょ。あんたは道徳を法やルールに先立たせて語ってるけど、それだと収拾付かないからルールを決めてみんなで守りましょうねって話をしてるわけよ。会話が成り立たないよね。ちゃぶ台をひっくり返して議論が成り立たなくすることで勝っているフリをしているというか。
地球上のあらゆる生命の中で自殺を行うのは人間だけだと言われている。しかし本当にその言説は正しいのだろうか?研究が進んでいる人間の細胞だけでも、遺伝子に異常が生じた細胞は自死を選ぶ作用、アポトーシスはよく知られている。
ダーウィンは進化の仕組みに関して、適者生存の原則を唱えた。多様な個体が産まれ、また自然淘汰によって収斂が起こるというものだ。これはラマルク的進化とは反対に、種々の様々な遺伝子変異を前提としたことが特徴である。ラマルク的進化では、特定の環境に置かれた生物の遺伝子変異は特定の領域にしか意味がないのに対し、ダーウィン的進化ではそれぞれの変異が未来につながるという意味での意味を持っていると捉えることもできる。これらの実績は菌類の実験成果によっても示されている。
さて、ここで人類について話を戻す。人類はその類まれなる創造性から、地球上の万物の霊長たる資格を手にした。その支配領域は他の種を凌ぎ、今や総個体数は80億に達しようとしている。これは昆虫に匹敵する数である。少なくとも先進国において、人間はあらゆる人権を保障され、種々の遺伝子変異は──たとえそれが障害をもたらすものであったとしても──保護されるのがrightとなっている。それは人権によるもので、人権というのは生まれながらにして与えられるらしい。与える主体というのは議論の余地があるが、この世の人類ではない神とするならば、中世の王権神授説と何ら本質的な変わりはない。
であるからして、わたしは人権保障という考え方は実態がなく、一種革命のようなもので覆されかねない概念だと考える。
市民による革命が起こったように、どれほど優れた思想であっても人の内心を侵すことはできない。現代社会、特に日本においては自殺はいけないこととされているが、自殺者が多数いることからもこれを抑制できていないことがわかる。
私たちの細胞は、どのような時にアポトーシスを行うのだろうか?
たとえば、遺伝子の修復ができず、正常にDNAを残せなくなった時
たとえば、ウイルスに感染して、自身を複製するのではなく異常なもの(ここではウイルス)を産生するようになった時
これらが示すのは、すべて正常な子孫が残せなくなった時に自己死を選ぶ、ということである。
人類がここまで発展した以上、このシステムの有効性は疑うべきところがないはずである(ほんと?)。人類をマクロで見た時、アポトーシスを選択すべき人間はここまでの考え方から確実に一定数いて、それは現代の人権思想などでは到底語り得ないはずである。
私はこれまでの人生において、自分が死ぬべきだと思っており、また因果関係は証明できないが異性に求められたこともない。以上よりアポトーシスに値すると考え、これから死に至るものである。
自分自身の身体の行先は自分の脳が判断するものであり、その脳になんらかの異常が起きていたとしても、他の人間にはそれを尊重する義務があると考える。
な
右も左も価値判断と事実判断を切り分けて議論しないからこういうことを言い出す人が出てくる。
たとえ「ワクチンを打てば生存率が上がる」ことが事実だったとしても、「ワクチンなんて不自然なものは身体に入れるべきでは無い。自然に任せて病気で死ぬのは仕方がない」という価値観を否定することは出来ない。
うちの近所に大きい公立植物園があるんだけど、この施設の改修を巡って議論が紛糾してる。
https://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/500166?display=1
自分はこの地に住んで30年ほどのギリ若者の立場だけど、若者向けの店舗や飲食店、文化拠点(昔はFMラジオ局があった)が次々と撤退して寂れた住宅地になっていることにただただ寂しさがある。それで賛成派の立場で一度住民説明会に参加したことがあるが、目にするのは高齢者の強硬な反対意見ばかり。声が大きい人にアジテートされて、皆が反対しているに違いないと先鋭化しているようにすら思える。
ポスターの掲示やら署名やらのお願いが来ることもあるけど、正面から議論するのも面倒臭いのでハイハイと受け入れてる。そのことで余計に民意を得たと思わせてしまうのは癪だし、反対派の扇動的な主張を強めてしまってることには責任を感じる。説明会で槍玉に上がってる担当者をニュースで見るたびに心が痛む。
近隣の声を聞く限り、改修に賛成している人も実際のところそれなりにいる。一定数の賛成派の存在がわかれば反対派もちっとは自論への疑いが出て視座が広がるんじゃないかと思うのだけど、賛成派には反対派ほどの活動へのエネルギーもないわけで、まるで錦の御旗を得ているかのような認識のズレは未来永是正されないのだろうなと感じる。こういった状態で、いったいどうすれば建設的な議論ができるのだろうね。
ハックルさんみたいな事言うけど、俺が思う『本質』はそこにあるんだよね。
悪徳に纏わる文化から派生したコンテンツを好むことは、果たしてその悪徳を肯定することに繋がるのかっていう。
たとえばコミックLOを自分から進んで読むという行為は「未成熟な肉体に対して欲情を持ってしまう性癖が存在する」というのを間違いなく肯定している。
そういった肯定は世界の水面下においてゆったりと広がり、まだ正常だった人間にさえ「もしかして子供の身体にエッチな気持ちを持っても良いのでは?」という意識を起こさせる。
これが果たして性犯罪の増加に寄与しているのか、むしろ捌け口となっているのか、暴走を防ぐワクチンとして機能しているのか、それについて安易な結論は出せない。
ただ間違いなく言えるのは、「人はロリエロに興奮してしまうことがある」という概念を世の中に広めているということだ。
そういったコンテンツは「法的に禁止された性行為に対して興奮してしまう人の存在」そのものは間違いなく肯定、認知している。
そこから実際に犯罪行為を行うか、漫画の中で済ませるかは別として、そういった行為、少なくともそういった行為が描かれたものに対して価値を感じる人がいなければ成り立たないものを安定的に供給しているわけだ。
アルコール・タバコ・ドラッグがもしも初めからこの世界に一切存在しなければ、誰もそれを求めることはしないだろう。
それらが存在することに気づいた時、それを求め、もっと強いものや、安価に手に入る代替品を探そうとしだすわけだ。
「ロリエロという性癖に気づかせてしまう」ということが、そういった探索の旅へと眠っていた犯罪者予備軍を駆り立てている可能性があるわけだ。
つまり、「戦争というものの中に人が憧れを抱くような要素がある」という事に気づかせるようなコンテンツが存在することが、そういった欲望を後押ししているのではないかという話だ。
賛美からは少しずれるのかも知れない。
テレビが流す戦争は悲惨であるというある種のハト派プロパガンダの中で戦争の中に秘められた格好良さや美しさが描かれることはない。
実験映像のような殺風景なカメラワークで撮られたキノコ雲や、そこから逃げ惑うタレント的な格好良さなんて持っておらずむしろ極限状態に顔をゆがめる醜い人間たちの姿が映し出されるばかりだ。
そうした映像の中でヒーローとして語られるのは兵士ではなく「悪辣な兵士同士のコロシアイから人々を守る普通の人達」である。
兵士は暴力を振るうことで金を得ようとする下劣で合法な現代の山賊でしかないかのようにメディアは語る。
それを見て軍人に憧れる人がいるだろうか?
美男美女、顔はともかく心は魅力的な数々のキャラクター達が、戦争という極限状態を通すことで自分の人生をより濃く美しくある意味で現代社会での歯車ぐらしよりもずっとずっと人間らしく自分らしく生きるさまが描かれてしまう。
その中ではロマンをくすぐるように脚色された兵器達が、少しでも魅力的に映るようにと工夫をこらして描き出されるではないか。
これを見た子供は「兵隊さんって格好いい!パイロットになりたい!」と思うのも無理もないことだ。
実際、ロボットアニメを見た子どもたちは自分もロボットに乗りたいと口にするし、ウルトラマンになって怪獣を倒すのではなく、最新兵器のプロトタイプに乗って敵陣営へのパイロットを撃ち落としたいと語りだすのである。
果たしてこれが「戦争を賛美していない?」と言い切れるのだろうか?
戦争の悲惨を描いている所はあるとはいえ、「戦争は賛美していないが、戦争の中にある輝かしい部分を箇条に脚色して見せつけようとしている」ぐらいのことは認めるべきなのではないか?
戦闘機がマッハで雲を割る姿に子供を憧れさせたことを「戦争を通して生まれたモノを過剰に持ち上げた。戦争は絶対的悪であり全面的に悪しきものであるはずなのだから、これはもう戦争賛美だ!」と叫ぶのは流石にやりすぎに思う。
だが「戦争によって失われる命を描いている。トレーズが戦いを賛美しているとは私には全く思えない」というのは作品をちゃんと見ろと言いたくなってしまうだろう。
22歳女、臨床検査技師を目指している大学生。最近子供を産む産まない後悔みたいな話が多くて色んな議論がされているのをみたから私の思いを書いてみる。
私は3,4年前まで、大学卒業したら◯歳までに結婚して◯歳までに3人の子供が欲しいな〜なんて考えていた。だけど最近は子供欲しいと思えなくなった。
私は田舎出身で大学進学で大阪に引っ越したが、コロナのこともありちょっと精神的にしんどい時期があった。毎日泣いたりこの先の人生に希望ないなーって寝れなかったり、今は大丈夫だけど試験前などストレスが溜まると抑うつ傾向になる。
そういう時期があってからただでさえ不安定なのに人生のことを考えた時に子供が欲しいと思えなくなった。
不安なことがありすぎる。奨学金も借りているし苦労して大学に行かせてくれた親の老後も考えたい。となるとお金に余裕ないな…。政治に関心はあるけど何から勉強したらいいのかわからなくて、できる限り調べて選挙には行っているけど不信感が拭えない、同世代の政治への無関心に悲しくなる。災害は身近で自分の子供が死ぬまで安全に暮らせる国なんてないんじゃないか(だけど人間は生きていくし生きてる間幸せに過ごせてもらえるよう大事にできたら…とも思う!)。高校生の時、両親の仲が悪くなりツイッターでの愚痴垢もよく見るようになってから結婚で幸せになれる人って一握り?結婚って協力して生きてくってことっぽい。やりたい事がたくさんあるけど、子供がいたら言い訳を作って行動できなさそう、それで嫉妬してそう。自分のコンプレックスが遺伝して同じように傷ついてほしくない。失う辛さに耐えられないと思う。とか
要するに私の場合、色々な不安があって子供が欲しいと思えない。子供の居ない老後も不安だけど、まだそっちの方がいい。
ありがたいことに長く付き合っている彼氏がいて学生ながらに結婚も意識する、となると子供のことも考える。
今はまだ学生で卒業してからどう考えが変わるかわからない。子供が居る友達は幸せそうだし親も私を産んで良かったと思ってくれていると思う(ナイスマインド)。大人になっても結婚したくないと言っていた友達が最近結婚して幸せそう。
今は精神的に不安定な時が多いけど、いつか安定>>>>不安定みたいな感じになったら考え方が変わるかも。そしたら子供を欲しいと思うかも。
保守・右派のブクマカでもコンビニでのグレーゾーン誌の取扱い中止に賛成している人は結構いた
今なら左右関係なくLGBT法案にトランス嫌悪な人が反対してるのと一緒だね
「取扱い中止するのは構わないけど グレーゾーン誌でない一般紙にも性行為描写はあるので
飛び火しないように慎重にやらなきゃいけないよ」と言う立場だった
その後グレーゾーン誌は消えても一般紙にはあまり飛び火しなかったので杞憂だったのかなと思ってたんだけど
「月曜日のたわわ」の広告が炎上した時にこんなブコメが人気ブコメに入ってて戦慄したんだよね
たわわがエロ漫画!サタノファニとかパラレルパラダイス知らんのか?ヤンマガ読んだことないだろ!?
こいつはヤンマガは黄色い成人向けマークを付けろって言ってる自覚があるのか?
以前はグレーゾーン誌をゾーニングしろってだけだと言ってた人もこういうブコメに苦言を呈すこともなくて
結局自分の都合のいい所で規制の波が止まると無邪気に考えてるんだなと思ったわ
まぁフェミニズムもTERFを御せてないしそんなもんよな
しかし元増田みたいに議論できそうな投稿しても基本伸びないんだよな
いつも「フェミガー」「オタクガー」みたいな煽り増田ばっかり伸びる
元増田は偉いよ俺は本当やっとられんわ
この増田が元増田よりブックマーク数が少ない場合「表自は論理的な議論が出来ない」と見做します。
「萌え絵」は、日本のアニメ、マンガ、ゲームなどのサブカルチャーにおける特定の描写スタイルを指し、キャラクターが特定の属性(たとえばロリ、メイド、猫耳など)を持つことで観察者からの強い好意、保護欲求、または親近感(「萌え」)を引き出すことを目指しています。
「萌え絵」が性的消費と結びつけられる主な理由は二つあります。一つ目は、このスタイルがしばしば非現実的な描写や過度のセクシュアリゼーション(特に若い女性キャラクター)に頼ることがあるためです。これらのキャラクターは、性的な魅力を最大限に引き出すようにデザインされることが多く、そのために視覚的、物語的な工夫がされます。
二つ目は、一部の視聴者や消費者が「萌え絵」キャラクターに対して性的な感情を抱くことがあるという現象です。これはキャラクターのデザイン、描写、シナリオなどによって引き起こされ、一部の消費者に強い性的興奮を引き起こすことがあります。
これらの理由から、「萌え絵」は性的消費と関連づけられることがあります。しかし、全ての「萌え絵」や「萌え」文化が性的なものであるとは限らず、保護欲求や親近感、美学的な鑑賞など、様々な感情や評価を引き出すことがあります。
「萌え絵」が性的と見做される基準は一概には言えません。しかし、以下の要素がその基準として考えられます:
キャラクターが性的に暗示的な衣装を着ていたり、性的なポーズを取っていたり、性的なシチュエーションに置かれていたりする場合、その描写は性的と見なされる可能性が高いです。
描写の背景に性的な目的がある場合、それは性的と見なされる可能性があります。たとえば、ストーリーの進行とは関係ない性的なサービスシーン(ファンサービス)や、性的な表現が販売やマーケティングの主な目的である場合などです。
性的な描写は個々の受け手の主観的な解釈や感情によっても左右されます。同じ作品やキャラクターでも、人によって感じ方は異なるかもしれません。特に、一部の人々が性的な快感を得るために「萌え絵」を消費する場合、それは性的消費と見なされる可能性があります。
表自の言い分
フェミの言い分
「まともな議論」って、例えばなに?www
そもそも議論の訓練を受けた人が少ない(社会学部などがちゃんとした教育をできていればいいのだけど、残念ながらちゃんとした教育を受けれていない世代が教える側になっていて再生産が起きている)というのがまず一つ、
そして海外のフェミニズムにはキリスト教という軸が(宗教保守であれアンチ側であれ)あった上での議論があるのに、日本ではその上っ面だけ輸入されてしまったので議論が浮ついてしまっているのがもう一つ、
といったところではないかな。
フェミだけじゃなくて社会運動をしてる連中は議論は避ける・潰す・一方的に自分の理屈を押し付けるって方法論でやってる。
建設的な議論をやって、もし相手の言ってることが正しいようなら自論を変えるなんて考えの持ち主は社会運動をやってない。
議論をしたら負けくらいの考えでやってる。
そんなんだから、自民党が反日である朝鮮カルトとズブズブでもなし崩し的に
擁護する羽目になるんやで
右とか左とかは先入観が生まれるから、おまえら1億総カルトの日本人には
絶対よくない
女性にも男性にもいる「天才」を埋もれさせたくない。同等の教育、待遇にすることで100人に1人の逸材を発掘したほうが人間の発展につながる。
言葉が通じる生物をむやみに悪い待遇にしておくと怒って反乱を起こす、その立場になるかもしれない他の生物が不安になる、同情した人間が解放運動を始める。
人材がアホなんじゃなくて、現代フェミニズム思想が誤っているので、それを擁護しようとするとむっちゃくちゃになるのだ。
女性の選挙権なんかが確保してある以上、現代のフェミニズムはラディカルフェミニズムになるしかなくて
「男女差は存在しなくてジェンダーだからどうとでもなる」だとか
女性の地位の向上を主張しているけれど、何故女性の地位を向上させる必要があるのかについて論理的に説明できている人が居ないなとは思う。
機会損失を解消することにより労働生産性を高めることができるとか、人民の反乱のリスクを減らすことができるとかだと俺は思うんだけど、そういった視点から議論している人が殆ど居ないのが不思議で仕方がない。
アメリカやヨーロッパのLGBTQや人種差別はキリスト教的価値観からの解放を意味している。
カトリック教会のローマ教皇庁(ヴァチカン)は、イタリア議会で審議中のホモフォビア(同性愛嫌悪)を処罰する法案についてイタリアに抗議した。
わかるかな?権威が反対しているのだ。
日本にももちろん反対する共同体はあるが、そもそも宗教的規範というものが曖昧なので
おれたちは黒人のラッパーの格好をまねするし、中絶もできるし、クリスマスを祝い、初詣に参る。
一般人レベルではちゃんと理解する人も少ないが、同性愛嫌悪まで思うひとも少ない。