はてなキーワード: 罵倒とは
主張は近いはずなのにそうやって縄張り根性発揮しちゃうものだから、労組みたいに商売敵になってしまって
https://anond.hatelabo.jp/20230224185550
どうせ「嘘つけデブ」と言われるのが関の山だし、自分自身、今でも夢ではないかと疑ってる。
でも「俺に彼女ができた」のは紛う事なき真実である。正直この文章を書くのも既にめちゃくちゃダルい。
前回の増田を書いた時、主にブコメを中心として肥満体型に関する罵詈雑言を相当な数、投げつけられたからだ。
叱咤激励という体で人の容姿をからかって嘲り笑うような手合いに、改めて自分の時間を割いてやる義理も道理も俺にはない。
こんな増田書いてるくらいなら彼女に電話して小一時間、他愛もない冗談を言い合ってた方がよっぽどか楽しいしな。
ただ数こそ少ないながらも丁寧かつ真剣に助言をくださった方もいらっしゃったし、
自分自身が相談の場に増田を選んだ以上、結果を報告しておかねばと思い、筆を取った次第である。
といっても微々たるもので、まだBMI25にギリ届かないくらいだし、そもそも今の彼女は太ってる時代から知り合いだ。
少し痩せて格好良くなったから付き合おうとなったわけでもない。なので少し痩せた事が今回の結果に結び付いたのかは疑問。
まあ運動習慣ができて健康に一歩近づけた事、多少であれマシな見た目になった事は素直に喜ばしいことだと思う。
まあ一般論としてデブより痩せのがそらモテるだろうよ。そんなことは俺でも分かっとるわい。
ただ彼女は見た目とか気にしないよ、性格が好きだからと言ってるけどな!ブコメ連中と違って心もキレイ、天使かよ。
このまま友達がどんどん増えつづけるのかな、とも思ったが一人の人間の可処分時間や
行動範囲なんてそもそも有限なのだから、そのうちよく会うメンツも固定化された。
ちょうどこの頃、同僚がマッチングアプリ経由で結婚したという話も耳に入り、
やっぱ自分もマッチングアプリを始めるしかないのかな、と思い腰を上げようとしていた。
そんな中、よく行くイタリアンバルにかわいいバイトちゃんが入ってきた。
かわいいと感じるのは付き合ってるお前の贔屓目だろうと言われそうだがそれは違うと思うね。
都心の繁華街という治安の良くない立地上、しばしば訪れるイケイケ系の兄ちゃんや
同伴出勤の見目麗しいお水系の方々に「お姉さんアイドルやってたりしますか?」とかマジ顔でよく聞かれてたから。
それがお世辞やイジりに聞こえない感じ、ガチで。
まず前述したような目を引くかわいさ、そして年齢も一回り違う、この時点で脈があるなんて欠片も思いもしなかった。
なので普通に年の離れた兄のように接した。
俺が店に行く時間帯は少々特殊なので、他のお客さんが居ない事がままあった。
バイトちゃんが暇そうならドリンク入れてあげて、身の上話やK-POPの話を延々聞いてあげてた。
そんな日々が続くうちにやがて向こうは敬語を使わなくなり、話す時の距離感がやけに近くなり、
こちらに好意を示すような行動言動が増え、お店が終わった後も会うようになり、
貴重な休みの日にも会うようになり、最終的には表題の通り、付き合う事になった。
「付き合ってると思ってるのはお前だけだろ、この糞ストーカー豚!」
待て、そうはやまるな。そこはさすがに俺も男だ。
ちゃんと然るべきタイミングに然るべき場所(ベタだがディズニー)で意を決して告白してOKを貰っている。
今年の年末年始には関西の彼女の実家にも足を運び、彼女の両親にも挨拶を済ませている。
確実に年の差の事を言われるだろうと危惧していたが、そもそも彼女の両親が我々以上に年の差婚で
そのあたりは全く気に掛けていなかった様子。
俺的には彼女と結婚したいと思っているし、幸い向こうもそう思ってくれているようだ。
こうやって改めて時系列で書くとマジで質の悪い創作にしか見えないな。
いやでも案外、皆こんな感じで彼氏や彼女とか作ってんじゃねえの?サンプル数1だから分かんねえけどさ。
まあ、別に嘘松認定でもなんでもしてください。こっちは一足先に幸せになってますので。
わざわざ時間割いてまでこんな悲しい嘘つかんて。てかそもそも彼女できてから増田なんかほぼ開かねえしな。
さて、そろそろこの辺で筆を置くことにするか。
「お前、中学受験するらしいけど、中学受験するのはこんな汚い字を書くような子供じゃないよ」って。
中学受験する程度には発達が進んでいた子供なので、言いたいこと自体はなんとなく分かっていた。
「お前の字マジで汚くて読みづらいからいつも迷惑してる。とりあえず一言文句言いたいから、お前が傷つきそうな言葉を必死に選んでとりあえずぶっ放すわ。40人のテスト答案を見るこっちの身にもなれよ。頭クソワリーガイジはまだ諦められるけど、お前みたいに考える頭持ってるやつにまでこんな他人を舐め腐ったようなことされるとこっちはマジで苛つくんだよ」ってことだろ?
分かるよ。
大変だよな。
でもこっちだってどうしたら字が綺麗に書けるのかよく分かんなかったんだ。
小学1~3年生ぐらいの期間、後に中学受験をさせるような教育熱心な両親の元で色んな方法で字を綺麗に書く練習をさせられた。
半透明の矯正器具を鉛筆の先につけ、指の握り方を何度も指導されたよ。
なんとなく形はあってるんだけど、力の入れ方がなにか違うらしい。
それを伝わるように表現してくれた教本に出会うことが出来ず、ただただ変な握りのままひたすら文字を書き写していた。
上手くなることはないと親はいつしか諦めたし、俺も「どうせ20年後にはみんなキーボードで字を打つから手書きなんて完全に消滅してるだろ?」と未来の技術発展に希望を託して全てを終わらせた。
今はもうそこそこまともな字が書けるようになっている。
ある日図書館で出会った小学生向けの教本がドンピシャにハマった。
そこに書かれていたのは習字における技術を徹底的に分解して、一つ一つの要素についてのコツだったよ。
小学1年生の頃に与えられた教科書にも同じことは書いてあったのかもね。
でも教師は「とにかくひたすら書き写しましょう」と言ってた気がする。
俺に必要なのは丁寧に一つずつの技術に向き合ってひたすら脳を経由して身につけることだったんだよ。
生まれつき運動神経が悪くてさ、身体的感覚で覚えろって言われても上手くいかないんだ。
逆上がりは卒論が上手くいかなすぎて夜道を散歩してたとき、公園で自棄糞気味にやった出来るようになったが、スキップは未だにやり方がよく分かってなくて5年に1度ぐらい人に笑われている。
最初に技術を丁寧におしえてくれる人にあっていたら俺は最初から字が綺麗にかけてたのかもなあ。
教本との相性もあるけど、『とめはねっ! 鈴里高校書道部』や『ばらかもん』で習字に対しての苦手イメージが薄れていたのも効果があったように思う。
俺にとって習字の授業は、「なんでこんなことも出来ないの!増田くん!いい加減にして!」と怒られる時間だったから。
なまじっか他の勉強はスイスイ出来るせいで、習字が出来ない理由を「やる気がない。舐めてる」で片付けられがちだったんだよな。
結局さ、字を綺麗に書くために必要なのは「どうやったらキレイに書けるか」を知ることだと思うんだよ。
体で覚えるのが得意な人は体で覚えればいいけど、頭で覚えることしか出来ないようなら頭の中にコツを入れてもらわないと始まらないんだ。
字の良し悪しなんてコツを理解しているかと、正しいイメージで練習をどれぐらいしたかだ。
間違ったフォームで素振りを繰り返したって、ボールに上手に当てることなんて出来ないよ。
感覚的にしろ理論的にしろ、正しいやり方ってのを知る機会に出会う必要がある。
それは運で決まる。
教師との相性、教本との相性、たまたま見かけた動画や本、そういった所での出会いの中で自分の持って生まれた器に会うやり方が身につけられるかだ。
字が汚い人は、「字を綺麗に書くために必要な運に恵まれなかった人」だと俺は思う。
字の上手い下手ってよりはあらゆる分野に言えるんだろうね。
コミュニケーションが下手な人も、その人にあったコミュニケーションの技術を身につける機会に恵まれなかっただけなんだろう。
わざわざ罵倒されるような程のことなのかなあ……「お前の運が悪いせいで俺たちは大迷惑だ」なんてさ。
世の中は相も変わらず狭量が過ぎるように思うねえ。
・人の気持ちがわからない、配慮のない発言などをして怒られる。
・興味のないことには全く能力を発揮できない。
・何かをやっている時に別のタスクが挟まると、それまでやっていたタスクを忘れてしまう。
持ち物を全部かばんに入れることで忘れ物を減らし、面倒なタスクや興味のないことから逃げずに向き合うようにした。
人の気持ちがわからないのは相変わらずなんだけど、前職でメンタルをぶっ壊してから感受性が増したのか、共感能力には目覚めた。
でも年齢を重ねるに連れ、
「何かをやっている時に別のタスクが挟まると、それまでやっていたタスクを忘れてしまう」がどんどんひどくなってきている。厄介なことに、「パニックを起こしやすい」が追加されてしまった。
今は接客業してるんだけど、レジとか受付とかしてるとき、混雑してれば並ぶじゃん、客が。それを見ただけでギャーッと火がついてパニックになる。早く捌かなきゃ、待たせたらいけない、早くするにはすべてを早くしなければいけない、そして間違えてはいけない、丁寧な対応もしなければいけない。
でも身体がついていかない。早く動きたくて仕方ないのに動いてくれない。脳みそもついていかない。一瞬計算ができなかったり、言うべき言葉が出てこない。客の言うことがすぐに理解できなかったり、口が勝手に何かを喋るけど、それが本当に正解なのかがわからない。(クレームが来てないからたぶん大丈夫なのだと思うが、全然自信がない。)
パニックが落ち着いたところで、幻聴が始まることが多い。聞こえないフリをしてやり過ごそうとするがこれが難しい。自分で自分を責め立てているだけ、と分かってはいるけど、家族や友達の声で罵倒されるし、その罵倒に反論する術がない。だって自分は何もできない役立たずのポンコツだからね。
前職はメンタルぶっ壊れて記憶喪失と遁走をした。転職して4年目ぐらいまでは気楽に働けていた。ポンコツだけどパニックも幻聴もなかったから。
5年目を越えたあたりからパニックと幻聴がひどい。職場限定かな?と思ってたら自宅でも度々起きるように。単語レベルだった幻聴がだんだん長文を喋るようになってきた。
パニックは混雑しやすい土日祝勤務のときによく起こす。幻聴は週4ぐらいはあるかも。夕方になると、母親が自分を呼ぶ声(もちろん幻聴)がして一気に全ての症状が無くなる。だから夕方が好き。
少しずつ少しずつおかしくなってるし、純粋なスペックも下がりつつある。「そういうものですよ、それが老化ってやつですよ」ってのは分かっている、分かっているのだが声がそれを認めてくれない。ポンコツは早めに殺処分しましょうねって言う。正論だからなんにも言い返せない。
まあここまで書き連ねたけども、ごはんは三食食べてるし、早寝早起きもちゃんとしてる。実家ぐらしってのもあるし、こんなポンコツでも仲良くしてくれる友達はいる。でも今書いたことは全部は話せない。
なんかそのうち死にそうでやだな。後始末で迷惑かけたくない。
Geminiに放り投げてみたよ。
ラウダは、自己中心的で傲慢な言動、成長や変化が見られないこと、無駄なMS戦と無意味な暴力、弟キャラとしての魅力不足、差別的な扱いに対する擁護、公式の扱い悪さなど、様々な理由で批判されています。
そんな時間などない、と考えられる皆々様方も多いのではないかと思う。
しかしながら、これは決して一日一本新しい映画を見ろということではない。
一度観た映画でも構わないから帰ったらとりあえず音楽代わりに映画でも流しておけ、というものである。音量は大きめならなお良い。
別に音楽だって学びはあるし、有名な投資家は一日一冊本を読むとも言うし、別に映画である必要はないのでは?
私は今『セッション』という映画を流しながらこの文章を書いているのだが、AIで簡単に出力されそうな顔をしたハゲがカマホモっぽい主人公を口汚く罵っている。
我が家には激安のプロジェクターがあり、それで映画をクソ狭い自称マンションのカスアパートの一室の薄汚れた壁一面に映し出している。推定80インチ。
みんなは顔面の全長が力士の肩幅ぐらいある巨大なハゲから精神崩壊レベルの罵倒を喰らったことある?多分ないだろう。
この映画を流すのはもう3回目なのだが、未だに罵倒のシーンは胸がキュッとなる。かわいそう。
別にちっこいテレビで流したって構わないのだ。出先の時は自分もそうするし。
元々読書の習慣はあったのだが、ふと思い立って違うジャンルの創作物を見る習慣をつけてみようかと思ったのがきっかけである。
その中でも映画が特に調子が良い気がする。たぶんだが、大事なのは感情が籠った言葉が常にある程度耳に入ってくる状況なのではないかと考えている。
でもよくよく考えてみたらさ、映画って本というか活字の要素入ってくるよね。字幕とかだと特に。
本は好きだし、必ずしも上位互換だと言いたくない気持ちは全然あるんだけど、実際映像って結構なジャンルが兼ねられてて娯楽として効率的な感じがする。
ちなみに今主人公がドラムを拳で突き破った。とってもいたそう。
このさ、なんというか作業の合間にちょっとだけ目を向けて映画を見る時だけに生じる快楽ってあるよね。微笑んじゃうやつ。
ハゲとユダヤ人がうるさくて集中できなくなってきたからそろそろ書くのやめるね。
数ある娯楽の中でもなんかコスパいい感じするし。
『セッション』みんな見ようね!
じめついた天気では病状が悪化する気がするが、晴れ渡る晴天も忌々しい
まるでモンスターのようだ
どれ程のストレスだったか、顕在化した今もなお罵倒する非人格者は罵倒する。
これは自慢でも何でもなく、真剣な悩み。
内側っていうのは、もれなく矢印を自分自身に向けてしまうという意味だ。人への愚痴や陰口、悪口、罵倒ができない。その代わり、自らに向ける汚い言葉は沢山出てくる。だからそういう時は、外部との接触をすべて絶って、一人で汚い言葉に向き合う。
学校やバイト先に行くと、(ネット、あるいはここもそう、)さまざまな悪口や陰口が飛び交っている。私もたまに、友人たちのこぼす負の感情を聞く。私はそれらに「悪いこと」という感情よりも先に、「すらすら言葉にできるなんて凄い」と思ってしまう。何も言えないのだ。言えないし、分からない。
今日、かかっているカウンセリングの先生から、「〇〇さんは孤独に過ごしているみたいで心配」と言われてしまった。自らに悪口雑言を向けている時は、前述の通り外部との接触を断つ。別に、悪口は言ってもいいのだ。少しくらいは。先生が言うにはそうらしい。
ストレス発散には、多少汚い言葉を吐くことも必要なのだろうか。本当に言えない。自分には溢れるほど出てくるのに。今も、何でこんなこと書いているのかと、ずっと自責している。