はてなキーワード: 携帯とは
Apple Watchが欲しい
理由は①体温測定+月経周期予測機能を使いたいから、②少し離席するときとか散歩するときにiPhone持ち歩かずに済むと便利だから
でもそれだと7万超えてしまう さすがに高すぎてびびる
①を諦めてSE+cellularだと5万しない
(今AppleStoreちょうどメンテナンス中で価格わからん)
超迷うなどうしよう
①に関しては、舌下体温計で毎朝基礎体温を測るのは面倒すぎるが、生理不順すぎてシンプルにいつ来るか怯える生活がだるいので、簡易な体調管理のためにはなかなか魅力的な機能
②に関しては、心配性なので会社でトイレ行く時とかゴミ出しに行く時に携帯持っていく癖があり、でもシンプルに邪魔なのでcellular機能超いいなと思った
忘れそうだからどっかに残しておきたかったんだけど、どこもしっくり来なくてここに書き散らす。
震災の話を書くので苦手な人は読まないでね。
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家には父(無職)と犬(デカいけどビビり)と自分(高3。卒業式も終わって春休み中)
そもそも宮城は地震が多くて、震度5〜6も数えるくらいだけど体験してた。最初はいつもの感じかなーと思ってたんだけどなんか長くて、ヤバさを感じたからとりあえず犬を抱えた。犬は震えながらテーブルの下にいた(避難訓練やってたんか?)。ちなみに父はテレビ押さえてた。
そしたら揺れが大きくなって台所の食器棚が倒れて皿が割れるデカい音と砂煙が舞って(マジかよ〜)って気持ちになった。多分正常性バイアス。
家にいるのも危ないのか?と思い犬を抱えたまま外に出ると大人がたくさんいた。近くの一軒家のブロック塀が崩れてて(本当に崩れるんだ)と思う。
母は出勤してたので出迎えも兼ねてたんだけど、場所が悪くてすれ違いになり「どこいるの?」とメールが来る。空にはガァガァ鳴いて飛んでる白鳥の群れと雪がチラついててなんだか絶望的な気持ちになった。
(家の近くで白鳥は飛ばないので、普段と違う様子の怖さと寒さのせいだと思う。それと人間が大変なことになっても変わらず雪は降るのか…っていう無力感)
家に戻ると母が割れた食器を片付けてた。割れた食器の中に神戸旅行で買ったレトロなお皿もあった。勿体無いから使わずに取っておいてたんだけど使わないまま割れてしまった。
確かその時は電気が通っててテレビが付いてた気がする。緊急事態の時の縁が青い画面で、右下に被災地域の地図と沿岸に赤いライン。確か津波来るから逃げてくださいって言ってた気がする。
こんな地震でも電気来るなら大丈夫かなって思ったけど夕方?くらい?には電気も止まった。
家にいるのも危ない気がしたので近所の中学校の体育館に避難する。父は犬と家に残った。
体育館には結構人がいて、ストーブが炊いてあった。ストーブ囲って近くの知らない大人とちょっと話した。携帯でニュースを見るけどイマイチ状況がわからない。充電もなくなるので寝た。
朝、体育館の入り口に河北新報だか朝日新聞の号外が貼ってて、デカデカと気仙沼?石巻?松島?の火事の写真が載ってた。
えーここに住んでる人どうしたんだろう…と思う。
家にいても学校にいても同じなので、次の日からは家で寝ることにした。
この後の記憶はなんとなく時系列順に箇条書きするけど順番間違ってるかもしれん。
・こういう時ってご飯どうするんだろうって思ってたけど、うちはお歳暮のお菓子(マドレーヌとか)があったのでそれで食い繋いでた。元々少食だけど不思議な事にお腹はそこまで減らなかった。
・ライフライン全部止まってるのでトイレは2回したらちょっと流す でやりくりした。ご飯も水も最小限だったのでトイレ自体あんまり行かなくならなかった気がする。
・近所の集会場の水道が出るって話を誰かから聞いて、バケツとかペットボトル持って並んだ。並んでたら夜になって星がめちゃくちゃ綺麗で、こんなに星見えるんだ と思った。
・タバコ屋のじいちゃんがやってる自販機も開けて飲み物売ってくれてたらしいけどコーヒーしかなかった、と父が言ってた。(買って来てたかは覚えてない)
・コンビニはロープ張って立ち入り禁止になってた(スナック菓子とか売って欲しいなと思ったけど従業員も被災者だからな…と諦める)
・ヨークベニマルが食品を売ってくれるらしいという噂を親が仕入れて来たので行ってみる。駐車場一帯を大きく円を描くように人が並んでた。(こんな時でもちゃんと並んでてエラい と思う)店舗の前で長机に電卓でお会計してる店員さん、カート運んで並んでる人に商品選ばせてくれる店員さん、みんな家族がいて自分も被災者なのにありがたいなぁと思う。
・なんか父親ががっくりしてる日があった。何かと思ったら津波で被害を受けた地域が祖母宅がある場所だったらしい。具体的にいうと陸前高田。祖母と連絡が取れない日が続く。ラジオではずっと同じニュース。
・とうとう電気が復旧してくる気配を感じる。マンションから夜外を見てると市役所がある方が明るい。数日に1度?電気が付いてる区画が広がる。母と明日かな?明日かな?と言い合う。電気が戻ったときは歓声がわいた。ガスと水はまだなので2,3週間くらいお風呂に入ってない。
・大学の入学式は予定通りやると連絡が来た(進学先はあまり被害がなかったらしい)。この3週間風呂に入ってない、しっとりツヤツヤヘアで入学式出ろと!??と驚いた。っていうかそもそも出席できなくね?2,3日後、式は1ヶ月後にやると連絡が来た。電気も戻るまで3週間かかったのに1ヶ月後に入学式出れるのか???と思う。(結局出れた)
・ガスか水道が戻る前に高速バスが復旧した。進学先の他県にアパートは借りてるので食料調達兼入浴に出かけた。びっくりドンキーでほぼ1ヶ月ぶりくらいにちゃんとしたご飯を食べる。食べたら秒で腹壊してトイレに駆け込む。固形物ほとんど食べてなかったから胃がビックリしたんだと思う。勿体ない…。そのままアパートか温泉かに入り、まだ電気開通前の部屋で凍えながら寝た。(引越し前なので布団もないからフローリングにそのまま)
これ以降は更に時系列があやふや。入学式は普通に出れた。また父がグッタリしてる日があって母に聞くと震災で亡くなった方の特集を見てたら高校の後輩?が出てたらしい。
震災1ヶ月後くらいやっと落ち着いた時にまた5強?とか来て片付けたものがまた落ちたり倒れたりして地球氏ねって思った。
余震は死ぬほど来てたので震度4くらいじゃビックリしなくなった。
祖母とも連絡取れたらしい。家にそこまで被害はなかったけど壁が壊れたとかでGWに父と高田に行く。
車に乗っててそろそろ近くまで来たな〜と思ってるとなんか訳わからない丘に漁業船が乗ってる。
こんなんあったっけ?と思ってると瓦礫まみれになって行く。
でも場所がわからないので元々瓦礫まみれの土地なのか、津波でこうなったのかわからない。道も当たり前に変わってるので検討がつかない。
えーどこなんだろうここ、そろそろ祖母宅着いてもいい頃なんだけどって思ってたら見覚えのあるアパートが建ってた。
そこで今瓦礫まみれの場所が帰省の時使ってた道だった事に気づく。
コメリは?隣にあったスーパー(名前なんだっけ わかる人いたら教えて欲しい)は?お食事処のキリンの看板は?過去にあそこですれ違ったはずの人たちは?
突然の事でボーッとしてしまう。唯一残ってたアパートもよく見たら窓が割れてて、勿論誰も住んでなかった。
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とりあえずここまで。読んでくれた人ありがとう。その後の話はまた別で書きます。
【追加】
一昨日に体調を崩して、昨日は少し持ち直した。
今朝、母に抱かれて外の空気を吸い、多分そのまま旅立ったのだと思う。
家に戻ってきて様子を見たらもう呼吸も心臓も止まっていたらしい。
私は実家から1時間弱の場所で暮らしていて、弟から死んじゃったみたい、と連絡を受けた。
本当は昨晩実家に帰るつもりだった。大雨で帰るのは今日に延期した。
犬と最後にふれあったのはゴールデンウィークが明ける前の土曜日だった。
犬は1年前くらいから歩くのが下手になり、半年はひとりで立ち上がることもできない状態だった。
でも噛む力だけは衰えず、老衰で力加減を忘れた分、若いときよりずっと危険だと家族と笑いあった。
いつだかシルバーのバングルに不意に噛み付いて、傷を付けていた。
外につれていくと歩こうと前脚を動かすので、四足歩行の体制になるように支えて歩かせた。
人間の方がよほど疲れると母と笑いあった。
それでも老犬なりに動けないなりに、それなりに元気な老後だったと思う。
とにかく牛乳が好きな犬だった。
犬に牛乳はあまりよくないというのを知った頃には牛乳が大好きな犬になっていた。
老いてからは犬用の粉ミルクに切り替えていたけれど、それまで我が家の冷蔵庫の牛乳を消費しているのはほぼ犬だった。
煮干しの頭が嫌いだった。
頭だけ器用に残して食べていたので、一時期我が家のリビングには煮干しの頭が転がっていた。
鮎を貰って大喜びしていた。
近所のおじさんに冷凍した小さな鮎をよく貰って、人間より良いものを食べているなと笑った。
さつま芋が好きだった。
人間の食べ物にあまり興味を示さなかったが、焼き芋と干し芋だけは盛んにアピールをして食べていた。
抱っこが嫌いだった。
抱き上げると器用に身をよじり、脱出する様子はうなぎのようだった。
個人主義者だった、と思う。
我が家の人間はそれぞれ好きなことを自分のスペースでやるタイプで、犬もそんな感じだった。
好きにしていて、人間が集まったタイミングで犬も参加してきた。
甘噛が直らなかった。
直さなかった。塩対応の犬だったが、人間が帰宅した時は甘噛で出迎えた。それがうれしかった。
お手とおかわりと両手タッチと待てはできた。伏せはおぼえなかった。
目がよく見えなくなったときは家中の隙間や椅子に挟まって助けを呼んでいた。
夏の暑い日は、縁側の下に潜り込んで寝ていた。
よく額の毛に指を突っ込まれて穴模様を作られていた。
換毛期に顔に謎の模様が浮き上がることがあった。
はっきり模様が出たときは、近所の住民にこどものイタズラでペンで書いたものだと思われていたらしい。
キツネみたいな顔だった。
たまに顔がまんまるになっていた。
濃茶色の毛並みなのに、背中は焦げたみたいに毛の先端が黒かった。
しっぽの先端も黒かった。
額と耳の、濃茶色の短い毛がいちばんやわらかくてふわふわの毛並みだった。
犬に会うと尻の匂いを嗅ぎに行くのに嗅がれるのは嫌がって飛び退いていた。
犬よりも人間のほうが好きみたいだった。
亀に恐る恐るちょっかいを出し、猫には負けていたがよく猫を探していた。
そういえば散歩中、我が家の犬と同名の犬に会ったのを思い出した。
散歩で遠くまで歩けなくなっても、家の周りのパトロールは入念に行っていた。
近所の仲の良かった犬たちの中では最も長生きをした。
しばらく前に亡くなったボクサー犬の飼い主が、お供えと言っておやつを持ってきてくれた。
今日は犬の思い出を探して、家族みんな写真をグループラインで共有していた。
古いカメラや携帯を引っ張り出してデータをサルベージしては、思い出を語り合った。
家族は、午前のうちに気持ちを整理したようだった。さっぱりと涙を流して、
写真を見て笑い合って、腐敗を遅らせるために保冷剤を添えた犬に声を掛け、やっぱりたまに泣いた。
今、リビングに安置されている犬のそばにいるのではなく、日記を書いているのは、
犬がまだこの家にいるうちに自分の記憶を書き出さないと駄目な気がしたからだ。
犬は明日には灰なって、もうこの家には帰ってこない。
冷たい犬の額を撫でるたび、その事実が脳に布を掛けるような涙になる。
私は犬のいる家が好きだった。
母と父がリビングで寛いでいて、二人の弟はそれぞれの部屋で遊んでいて、たまに降りてきて会話を交わす。
そして犬は定位置か母の近くで寝ていて、起きたときには、チャカチャカとフローリングを爪ではじく軽快な音を響かせる。
この光景が永遠になれと願った。この家族の揃った家が私の永遠だった。
もう犬の魂はこの家を離れて、明日には身体も無くなってしまう。
今朝、犬は母に連れられて雨上がりの空気を吸い、少し地面に触れて、再び母に抱えられた。
そうして自分の足が動くことに気が付いて、母の腕を離れ、軽快に力いっぱい走って、虹の橋を渡っていったのだと夢想する。
自由に走ることができて大喜びだっただろう。遊びに誘うような笑顔で振り向いてくれただろうか。
犬の友達は向こうにいるし、もとよりひとりでいても困らない性格だから心配はいらない。
私も、この別れは限りなく良いかたちだと思っている。
それでも私は、もっとこの家にいてほしかった。ずっといてほしかった。
家族はもう気持ちを整理できたようだった。水をさしたくないので、
この日記を書きながらひとり部屋で泣いている。私の永遠が終わってしまった。
別れたくないのに引き留められる場所にはもういない。いたって私には手段がない。
納得しているのに受け入れがたい。
去らないでほしい。ずっとリビングにいて、家族みんなに呼びかけられていてほしい。
犬が夜鳴きして、私ひとりが起きてきた夜のことを思い出す。
ずっと記憶にある思い出。
あの月を見たときは、犬と会話ができていたような気がしている。
意思の疎通ではなくて、おもいをひとつにするとか、そういう感じの。
もういない。
FeliCaははじめに掴んだJRという太客のおかげで目先の国内市場は安定して先行技術を確立して目先の安定成長が約束された。
ただ、JRの要求仕様が高すぎて海外向けの横展開が上手くいかず、国内とごくわずかの海外展開だけでシェア拡大は頭打ちとなった。
i-mode時代から始まるキャリア主導の世界に類を見ない高機能携帯で技術的に先行したが、キャリアの御用聞きで目先の成長が達成できたため、そこに特化しすぎて海外展開の足枷となった。
どちらも、なまじっか先行して優れたモノを生み出せてしまったが故に、それをそのまま海外展開しようとして失敗し、その失敗を補うために更に国内市場偏重に陥り、その後の市場の変化に対応できなかった。
むかし光通信の支払いをNTTでなくプロバイダー側にしたらお得になるよって電話かかってきて、じゃあそうしてください。っていったら、知らん間にネットフリックスみたいなやつのサブスクに入ってたことあった。これも数か月気づかず、一万円以上金をどぶに放り捨てることに・・・・なんだかんだでこういう詐欺まがい案件が潜んでるよな。こんな詐欺にひっかけるくらいなら あしながおじさん基金とかに寄付するからそっち系の人を来させるように手配してやって感じ。っていうか戸建ての光通信・・高杉。携帯料金だけでなくこっちも官製ダンピングしてほしかったよ!!!!!!!!!!戸建て、買う時にファイバー敷設料金は含まれてないよって不動産屋にいわれ、急遽頼んだわ。ポケットWi-Fiのショボい回線だと、コロナ蝸のころのリモワは阿寒湖だったろうし・・・しゃーないのかな?こういう金を湯水のようにつかってしまう話を書いていると朝ドラの万太郎おもいだすわ。
病院職員をしています。この仕事をして約5年が経ちました。ベテランとは程遠いものの、新人とは言いにくくなってきました。
中くらいの規模の病院です。様々な患者を見てきました。そこで得た経験知があって、それは、多様性叫ばれる令和になっても尚、良好な関係性の血縁が最強ということです。
社会の一員として、社会システムの利益を享受しまともな生活がしたいのなら、絶対に結婚したほうがいいし、せめて親や兄弟は近くにいるほうがいいです。
ちょっと前に流行った、『置かれた場所で咲きなさい』というのはとても真理ですね。あれは、植物のように、生まれついた場所で交配しなさいという意味だったようです。違うか。
まず病院は、入院してきた人が単身独居の時点で、「うわぁ…」となります。そんな人珍しくないでしょって思いますよね。いえ、そこそこ珍しいです。感覚だと10%ないくらい。
そういう人の援助のため働く人(ソーシャルワーカーとか)がいる、と考える人もいると思うけど、その場面で必要な援助って、家族以外誰もできません。例えば急に入院したけど現金を持ってないとか、着替えがないとか。実際に困るのってそういうところです。当たり前ですが、基本的に病院には最低限の衣食住しかないです。鍵を預かって家に入って荷物を取りに行ける人は、病院職員には一人もいません。そりゃそうだ、と思う人は常識人です。お願いすれば、病院の人がやってくれるって思ってる人は結構多いです。
確かに療養生活で起きた日常的な困りごとはソーシャルワーカーさんの領分ではありますが、彼らが初動でできるのはせいぜい関係機関への働きかけくらいです。主に役所系。このへんはイメージされている通り、めっちゃ動きが遅いです。
入院している時点で、すぐには自分の身の回りのことは自由にできないです。病棟によっては携帯電話の使用も制限されます。緊急であれば連絡手段がない状態で来てしまうこともありますが、携帯を持って来てくれる人はいません。公衆電話はあるから完全に通信が制限されてる状態ではないですが、公衆電話を使うにはお金がいります。そのお金は誰が?
親も兄弟も疎遠なので恋人に連絡してほしい、と職員に頼んでくる人がいます。
そんな重要な相手がいるなら籍を入れておいてほしかったです。だって家族じゃないとこちらは簡単には連絡できないもん。疎遠でも、血縁者への連絡が優先されます。
家族じゃない人に患者の個人情報を電話で話すのは、本人が想像している以上にハードルが高いです。私がいいって言ってるんだからいいでしょって訳にはいかないです。こっちは安い給料で、よく知らない患者と自分の身を守りながら慎重に動いているので。
家族じゃなきゃダメなんて今の時代に合わない、病院は遅れてるって思っていた頃もありました。でも今は、動きの遅い行政機関の気持ちの方が理解できます。だってこの国の人間の第一責任者は家族です。家族以外の他人の介入は慎重にならないといけないです。そこで生じたトラブルの責任を負える程の給料は誰ももらってないので。
一人で生きるって思っている方。
何か困ったことがあれば、然るべき職業の人が助けてくれるって思ってる方。
確かに生き方は自由だし、社会システムは整っているのでどこかに繋がれば見殺しにはされないです。なんとかなります。
でも助けてくれる人は、最低限、仕事で助けるだけというのは理解しておいてほしいです。
枠組みの中でしか動けないし、組織の端くれが何か決断できることはありません。判断には時間がかかります。書面のやり取りも必要です。どこか画一的なのは仕方ないです。
思ったように動いてもらえなくて怒る人に、口先では謝ることもありますが、腹の底ではそれがお前の生き方の結果だよ、って思ってます。無責任な生き方だと思ってます。仕事だから投げ出したりはしないけど、トラブルを避けるためにより慎重になり、もっと動きは遅くなっていきます。
なので主題。
リングとか岩井俊二とかが流行るのがわかるほど暗い社会だったし、
ウシジマくんの世界に転げ落ちそうな危なっかしい人たくさん居た。
97-99年ごろとか、流行ってた洋服、イケてる人ほど黒・白・グレー!だった。
静かに暗かった。もしくは薬でラリってた。おっさんの自己中さとモラハラ加減がすごかった。
多分俺今のあのおっさんよりも遥かに給料もらってるけど、それ知ったらどんな顔するかな。
世の中に出てる情報が少なすぎて雑誌と噂話ベースがメイン。科学的裏付けがなくて誰も信じないようなものもすぐに持て囃されてた。今表に出てるものはアングラの情報レベルだった。
そんな世界だから悲しくなっちゃったり街を彷徨っちゃったりする若者多数。
そして100円ショップなんてほぼないから今100円で売ってるようなものに1000円とか5000円とか払いながら手に入れてた。情報と金がなければ自由もなくてただただ檻の中にいるような時代だった。
紹介してもらった時に教育実習のために実家に戻るとかで最初に会えるのは一ヶ月後。
それでは何だからと、まずはメールして「相談にのってほしいから電話して」と言われて電話した。
その相談内容がひどくて、「一ヶ月前に彼氏と別れたんだけど、その原因が、私がバイト先の人と身体の関係をもったことなんだけど、まだ元カレのことが好き。バイト先の人と元カレどっちに行くべきか?」っていうもの。
もう、俺の頭んなかでは???ばかりで何されたか良く判らなかったけど適当に答えたはず。
長々と一時間ぐらい電話して携帯代こっち持ち(その当時LINEはなかった)。その後ほっといたんだけど、友達の彼女にクレームを入れたらしく、一応紹介をお願いした手前、会わなくて顔を潰すのもと思い、教育実習から帰ってきて三日後ぐらいに会う約束をした。そしたら会う日の直前で、「彼氏ができたから」と言われてキャンセルされた。なんか帰ってきた日にバイト先の人を迎えに超させていたらしく、彼氏になったんだと。めでたしめでたし。
女子高生のデートDV増 「モンスター彼女」は今や普通|NEWSポストセブン
・この調査結果は2016年。当時中高生が大人になった最近の調査では女性の被害が多い結果
すべてを書くのは面倒なので各自調べてね
とりあえずここではデートDV白書という毎年調査を行なっている団体の結果を置いとく
https://notalone-ddv.org/wp-content/uploads/2018/01/ddv_hakusho_vol5.pdf
これまたかいつまんで書くと女性の方が被害が多く、被害内容も酷い。
例えば、女性の受ける被害はつねったり、噛んだりするという軽めのものから、
殴る、蹴る、首を絞められる、突き飛ばされる、ひきづられるなど重いものも多い。
首を絞められる、突き飛ばされる、ひきづられるはほぼ無い。
嫌がっていのにセックスされるとか、体を触られるとか、避妊に協力しないとか、写真や動画を要求されたり撮影されたりと
対して男性の被害は非常に少ない。最大でも嫌がっているのにキスをされる:2.0%だ。
精神的暴力でも、バカ、死ねと言われたり容姿を批判されるのが女性で、男性は理由も言わずに無視をされるだ。
経済的暴力でも、女性は貸したお金を返してもらえない(犯罪)が、男性は高いものをねだられる。
ケータイを投げられた
LINEとか1日50件来た
トイレに行かせてくれない
持っていた傘を投げつけられた
とにかく性的なことを強要された。嫌がるとイライラして怖かった
裸にされて、服を外に投げて、自分も外に引きずり出された
勉強するねって言うと話したくないんだとか言われる
嫌なことは言われたことがある
でもこの手の話題だけ調査内容や調査方法にツッコミを入れないし元データを探す動きもない
当然ですが、この調査結果が出た2016年2月当時にもホッテントリに上がってました https://b.hatena.ne.jp/entry/s/mainichi.jp/articles/20160208/k00/00m/040/054000c 当時のブコメ欄と較べ、調査結果を素直に受け止められる人が増えている感じ
素直?本当にそう思われますか?
多重派遣プログラマを20年以上やっていた就職氷河期高卒増田が出会ってきたパワハラ上司、パワハラ顧客たちの記憶。全部昔の話。
増田が結婚した時のこと、新婚旅行で1週間休むと伝えたら「派遣社員なのに結婚するんだ?」と高笑いした某銀行システム部の50代社員。
そうなんすよーと答えつつ、ホントにこういう奴っているんだ!と感動した。
タクシーで帰ることが認められていた。
プロパーのリーダーは毎日15時すぎに出勤して24時にタクシーで帰るのである。
私は朝9時に来て、毎日21時~終電あたりで帰っていたが、タクシー男、自分より早く若者が帰るのが気に入らない。
ある日嫌がらせで、後に聞いた話だと「あいつは絶対出来ない」と他者に語っていた課題を渡された。
アホくさいのでその後は毎日昼すぎに出勤してタクシーで帰る生活にした。労働時間はさほど変わらなかったが何も言われなくなった。
ゴルフ経験者増田。若手の時は手取りが17万円なのに、参加費が4万円(名門コースのプレー代込)かかる年2回の自社ゴルフコンペにしつこく誘われた。
出向先に総務部長、常務、社長から電話がかかってきて、最終的にはゴルフをやれるほど給料貰っていないと言ったが、1度、老いた会長のキャディをやらされつつ回ることになった。
その日のコンペの準備も当然全部若手増田。楽しさなど微塵もない。苦行。
現場に入った直後、いきなり仕様書を渡され今週中にやれとだけ言われ、他は何も教えてくれない。
今であれば開発環境、システムの概要など現場に入ってまず何を見れば良いか解るが。
まず何をどうしたら良いかを尋ねるとブチギレ。他の社員に助けられる。
「田舎に帰って頭の使わなくていい缶詰工場で働け。業界にいたら迷惑だ」
強く叱責された後、地下鉄の電車に飛び込みそうになる自分が居た。
その10年後、別な現場の上司(プロパー会社の社員として転籍していた)として缶詰男が登場。
だが仏のような性格に変わっていて、当時の俺は頭がおかしかったと謝られ、2人で昼飯を食う仲に。
だがそのおかげで他人が死にかける事もある。
不具合多発のシステムの開発現場、SEを奴隷としか思っていない顧客システム部。
その中で25歳くらいの女性がいたが、まだ若手なのでシステムの知識が浅い。
顧客システム部の方針で指摘をいくつか上げなければならないのか、ドキュメントの語句のどうでも良いツッコミが多い。無駄なテストのやり直しも多数要求。そして性格が偉そうでヒステリック。周囲も止めないしわりと偉そう。
開発側にメンタルを壊される人間が現れ、一次受けのSI会社の営業が「お前が〇〇を壊したんだよ!!!」と客である姫にお前呼ばわりで超ブチギレ。
というPJの端に目立たないようにして座っていた。
リモートワークになった時、自堕落な増田が働いているのか、下手すると1時間おきに起きてます?働いてます?と聞いてくる年下現場リーダーがいた。
全く失礼なやつだが、わりと寝てたし、仕事してるときもアニメ見ながらプログラム書いてた。ごめんな。
これも20年前の話。
某巨大システムの現場の打ち上げ、1次会は普通に居酒屋だったが、二次会に連れて行かれたのがPMの大好きなフィリピンパブだった。
逃げれず、自分の前についたのは20歳の若い子だった。 だが、日本に来たばかりで日本語が喋れない。増田はコミュ障で喋れない上に英語が喋れない。今みたいに携帯で翻訳も出来ない。
次に行くぞ!の号令が聞こえた時に逃げ帰ってきた。
ちなみに支払いは大手SIの会社の若手が入社時に貴族カードを持たされていて巨額の支払いが来たと言っていた。
銀行システム部に出向(立場上は銀行員側になる)した際、海外の支店のシステム担当と毎日英語でやりとりをしなくてはならなくなった。
私は英語だけは本当に出来ないと伝えていて、出向する際はプロパーの営業から英語以外の仕事で大丈夫と聞いていたのだが、現場のリーダーにその事を伝えてみると、「そんなの(英語を使わないのなんて)許されないですよ」と笑顔で即答された。詐欺だ。
プロパーの営業に文句を言うと、ごめんね。じゃあがんばって。との返信。詐欺だ。
翻訳サイトを使い、泣きながら英語で文章を書いたが、高学歴の銀行員に文法の怪しい英語を嘲笑されつつ英語のメールを描き続けた。
とある現場の大手SI企業の40代後半リーダー、金曜日は早く帰って沖縄に発ち、月曜日の早朝に東京に戻って来る生活をしていて、月曜日は毎週のように雪塩ちんすこうをくれるのである。雪塩ちんすこうすき。
プロジェクトが終わった時には増田、韓国人中国人の部下達へ、南青山の高級フレンチで自腹で奢ってくれたりした。
人生楽しそうな人であった。仕事の振られる量も的確で嫌な空気になったことも無く、ほどほどの緊張感もある良い現場だった。
自腹で奢るのが良いという話では無い。
今は派遣プログラマを卒業して起業し、全く別の業種で働いているのだが、それから何故か更に8キロ太った。おかげで高血圧。
もっと酷いことが色々あったはずなのに、辞めてから2年以上経つともう記憶があやふやだ。
どうやら喉元を通り過ぎてしまったらしい。
30代で80kg170cmの典型的なワガママBODYのオッサンなんだけど、いままでズボンの穿き方間違えてたっぽい。
視覚的な印象でいうと、服屋にサイズがないまではいかないけど、だいたい何着ても腹が目立つしズボンのベルトには腹が乗っかる。周囲からも「あの太ってる人」と認識される程度。
最近いろいろあってみるみる体重が落ちて今73kgなんだけど、目に見えて腹の引っ込んだ自分の裸体やズボン一丁の姿を鏡で見て悦に入っていると、あることに気づいた。
今までは、身体の横から見てベルトの前が少し下がるように穿いていた。腹肉がベルトに乗っていて、腰骨にベルトの荷重が一番かかっている穿き方。袴の穿き方に近いと思う。
だから常に腰パン気味になってしまうんだけど、試しにベルトが水平になるよう穿いてみた。
すると、腹筋をほんの少し突っ張って腹を前に出すとベルトに程よく食い込み、身体の全周に荷重がかかってめちゃくちゃ楽。ポケットに携帯2台と財布を入れても腰骨が痛くない。今までみたいに腰パンか上げパンのどっちかみたいな高さにもならず、ちょうどよくズボンのシルエット本来の場所で穿ける。
体重が減ったからとウキウキでユニクロでジャストサイズで買ったスリムフィットチノも、なんだかお尻周りがぷっくらして「まだまだ痩せ足りないんだな……」と見た目良く穿きこなせるのは先だと思っていた。でもこの穿き方にしたらお尻周りもすっきりして見えるよー!!!!
上半身も、今まではTシャツやシャツを着たときお尻や腹のシルエットが目立ってたのが、ズボンの正しいシルエットに支えられてか上半身まですっきりして見えてくる!!!
振り込め詐欺の電話は、自宅の固定電話にかかってくることが多いらしい。
こうした事実から、市町村では録音機能付きの電話機を提供するなどの対策をとっているらしい。
鞄とか一切携帯せず、どっかの役所かなんかに提出するっぽい封筒入り書類(なんか役所っぽい名前が印字されていた)とレッドブルとチョコスナックを手に持っていてさ、財布とかは全部ズボンのポケットに押し込んでいた。
そういうスタイル何だろうと思うし顔もけっこうイケてる系で良い感じだったんだけど、チョコスナック食べようとしたらレッドブル持ってる方の手が疎かになったのか盛大にこぼして、なんかバツが悪そうにしてるけど拭くわけでもなく(そもそも拭くものを持っていないんだろう)、なんなら封筒にも(恐らく中の書類にも)まあまあ盛大にレッドブルがかかっており、無駄なものを携帯しない系ファッションボーイとしてはプライドが許さないのかもしれないが、やっぱ書類は鞄に入れた方がええで、とオバサンは生暖かい目で見ちゃったね。
よく作るんですか?豚の生姜焼き。そうですね、頻出メニュートップ3に入りますね。わかります、残ったらお弁当とかに詰めてもちょうどいいですもんね。あ、お弁当派ですか?いや~作りたいなとは思って、お弁当箱買ったりレシピサイト見たりしているんですけど、ついつい外食になっちゃいますね。わかります、お弁当作ったり一人分の食事をあるものでぱぱっと作ったりって慣れないと難しいですよね、忙しいとつい習慣にできなくって。最近はお仕事がお忙しいんですか?繁忙期がある業種なんですよ、春先が一番でその後は徐々に落ち着いてきます。私も春は引き継ぎとかでバタバタするんですけど、一年を通じてそれほどムラはないですね。今の会社は転職して4年目なんですが、最近はジム通いもできるようになりました。いいですね、適度な運動って大切ですよね。私はヨガに通っています。ヨガって難しくないんですか?体が柔らかくないとできないイメージがあって。そんなことないですよ、死んだ犬のポーズとか、面白い名前の型があるのでやってて楽しいです。死んだ犬!すごいですね。あ、僕実家で犬を飼ってるんですけど、ペット飼いたいなって思うことありますか?動物好きなのでいつかは飼いたいんですけど、東京だとなかなか飼える物件がないじゃないですか。あとちょっと喘息気味なのでアレルギーが心配で。物件探しは難しいですよね、ペット飼うこと考えると戸建てのがいいかなって思いが頭をよぎりますよね。実は私生まれてからずっとマンション暮らしばっかりで、戸建てって住んだことないんです。もしかして転勤が多いお家だったとか?そうなんです、父の仕事の都合で3年おきくらいに引っ越しをしてて。逆に私は地元しか住んだことしかないんです。社会人になってからは実家は出たんですが、それでも電車一本で帰れるような距離なので、全国に住まれた経験があるのって憧れます。いやー引っ越し大変ですよ、子供の頃はやっぱり転校が嫌で仕方なかったし。確かに友達と離れるのは子供にとってはつらいですよね、今みたいに携帯ですぐ連絡とれるわけじゃないですしね。あでも今でも福岡と新潟には仲のいい友達がいるのでたまーに旅行に行ってあったり、東京に来てくれたときにご飯に行ったりしてます。この間スカイツリーに登っちゃいました。スカイツリー!毎日のように見てますけど、登ったことないですね。そういう機会がないとなかなか中入ろうって思えないですもんね。都内あたりだと他にどんなところにお出かけされますか?散歩が好きなのでただ歩くだけで楽しい街によく行きますね。谷根千とか、西荻とか。時間のある日は鎌倉まで行ってみたり。アクティブなんですね!楽しそうで羨ましいです。お出かけはあまりされないんですか?山と温泉が好きなので、一人で弾丸旅行に行くことはあるんですけど、都内を歩いたりはあまりしてなくって。お店とかもぜんぜん知らないんです。一人で入りやすいカフェとかのおすすめありますか?うーん、甘いものお好きですか?お酒は?銀座にお酒と締めのかき氷が美味しいお店があって、早い時間だと雰囲気もカフェみたいで行きやすいんですよ。