はてなキーワード: 携帯電話とは
30年ものスケールで見ると、その間にAIとロボットが急速に普及するだろうから、インフラと介護に人手を集中しなければならないタイミングがどこからどこまでなのかは、正直よくわからない。
約30年前はwindows95が発売されて、急速に一般人がインターネットにアクセスできるようになった時代。パソコンはモニターも本体も段ボール箱みたいなサイズだった。Googleもなく、Amazonもなく、SNSもなく、スマホも、生成AIもなかった。
「インターネットに接続可能で、そこらの人間より賢い回答を即答するAI入りの携帯電話(音声入力可能、接触操作も可能な液晶画面付き)を、一人一台所有している時代」が30年後に実現しているなんて、30年前は想像もしていなかったよ。
要は仕組み上、NFC対応スマホじゃないとマイナンバーを読み取れないからって話なんだろうが、
たかがスマホでログインするには以下のスマホを持ってないとダメってこんなんアカンやろ
あぶれた奴は、マイナポータルアプリすらインストールできず何もできないってあかんやろ。本気で保険証と統合させる気あるのか?
スマホ用電子証明書を利用申請・登録できるスマートフォンなどは以下のとおりです。
記載されている端末は、スマホ用電子証明書に対応したキオスク端末で、コンビニ交付サービスを利用することも可能です。
【Android】
・arrows NX9 F-52A
・arrows N F-51C
・らくらくスマートフォンF-52B
・arrows We2 Plus F-51E
・arrows We2 F-52E
・Xperia 1 II SO-51A
・Xperia 5 II SO-52A
・Xperia 5 III SO-53B
・Xperia 1 V SO-51D
・Xperia 5 V SO-53D
・Galaxy Note20 Ultra 5G SC-53A
・Galaxy S21 5G Olympic Games Edition SC-51B
○au
・arrows We FCG01
・arrows We2 FCG02
・Xperia 1 II SOG01
・Xperia 5 II SOG02
・Xperia 1 III SOG03
・Xperia 5 III SOG05
・Galaxy Note20 Ultra 5G SCG06
・OPPO Reno7 A OPG04
・Xiaomi 13T XIG04
・Xperia 1 V A301SO
・DuraForce EX A301KC
・MOTOROLA razr 40s
・Xiaomi 13T Pro A301XM
・すみっコぐらしスマホ A303ZT
○その他
・AQUOS sense4 lite SH-RM15 (楽天モバイル)
・AQUOS sense4 basic A003SH (Y!mobile)
・AQUOS sense4 plus SH-M16 (楽天モバイル)
・AQUOS sense5G A105SH (Y!mobile)
・AQUOS sense6 SH-RM19 (楽天モバイル)
・AQUOS sense6s SH-RM19s (楽天モバイル)
・AQUOS wish2 A204SH (Y!mobile)
・AQUOS sense6s SH-M19s-y (Y!mobile)
・AQUOS wish3 A302SH (Y!mobile)
・AQUOS wish3 A303SH-y (Y!mobile)
・AQUOS wish4 A402SH (Y!mobile)
・arrows BZ02
・arrows BZ03
・FCNT SD01
・arrows We2 Plus M06
・arrows We2 M07
・らくらくスマートフォン a A401FC (Y!mobile)
・らくらくスマートフォン Lite MR01
・Xperia 1 II XQ-AT42
・Xperia 5 II XQ-AS42
・Xperia 10 III A102SO (Y!mobile)
・Xperia 10 III Lite XQ-BT44 (楽天モバイル)
・Xperia 1 III XQ-BC42
・Xperia 5 III XQ-BQ42
・Xperia PRO-I XQ-BE42
・Xperia Ace III A203SO (Y!mobile)
・Xperia 1 V XQ-DQ44
・Xperia 5 V XQ-DE44
・Galaxy Z Flip4 SM-F721C (楽天モバイル)
・Galaxy A23 5G SM-A233C (楽天モバイル)
・Android One S6 S6-KC (Y!mobile)
・Android One S8 S8-KC (Y!mobile)
・DIGNO SANGA edition KC-S304
・Android One S9 S9-KC (Y!mobile)
・Android One S10 S10-KC (Y!mobile)
・DuraForce EX KC-S703
・DuraForce EX KC-S603 (Wi-Fiモデル)
・MOTOROLA moto g53y 5G (Y!mobile)
・MOTOROLA moto g64y 5G (Y!mobile)
・motorola razr 40
・Zenfone 9
・ROG Phone 8 ASUS_AI2401_C
・ROG Phone 8 Pro ASUS_AI2401_D
・ROG Phone 8 Pro Edition ASUS_AI2401_D
・Zenfone 11 Ultra ASUS_AI2401_H
・Libero 5G (Y!mobile)
・Libero 5G Ⅱ (Y!mobile)
・Libero 5G III (Y!mobile)
・Libero 5G IV A302ZT (Y!mobile)
・Libero Flip A304ZT (Y!mobile)
・nubia Flip 5G NX724J
・nubia Ivy Z6561J
・OPPO Reno5 A CPH2199
・OPPO Reno5 A CPH2199 (楽天モバイル)
・OPPO Reno5 A A101OP (Y!mobile)
・OPPO Reno5 A (eSIM対応版) A103OP (Y!mobile)
・OPPO Reno7 A CPH2353
・OPPO Reno7 A CPH2353 (楽天モバイル)
・OPPO Reno7 A A201OP (Y!mobile)
・OPPO Reno9 A CPH2523
・OPPO Reno9 A CPH2523 (楽天モバイル)
・OPPO Reno9 A A301OP (Y!mobile)
・OPPO A79 5G A303OP (Y!mobile)
・OPPO A79 5G CPH2557
・OPPO Reno11 A A401OP (Y!mobile)
・Redmi Note 11 Pro 5G (楽天モバイル)
・Xiaomi 13T Pro 23088PND5R
・Redmi Note 13 Pro+ 5G 24040RA98R
・Rakuten Hand 5G (楽天モバイル)
上記に記載されている端末については、記載の通信事業者以外の携帯電話サービス・公衆無線LAN(Wi-Fi)環境でも、データ通信が正常に行える場合には、スマホ用電子証明書を利用申請・登録することができます。
スマホ用電子証明書の対象機種は上記のうち日本市場向けに販売されている端末となります。上記に端末名があっても、海外で販売されている端末については利用できない可能性があります。
端末はAndroid11以上のOSにアップデートし、最新のセキュリティパッチを適用した状態でご利用ください。
また、以下の販売中端末でもスマホ用電子証明書への対応を予定しています。
・Galaxy A55 5G SC-53E (docomo)
・motorola edge 50s pro (SoftBank)
・Google Pixel 9 Pro (Softbank)
・Google Pixel 9 Pro XL (Softbank)
・Google Pixel 9 Pro Fold (ドコモ)
・Google Pixel 9 Pro Fold (Softbank)
筆舌に尽くし難い精神的損害を受けたと慰謝料5億5000万と告発女性の「氏名」「住所」「生年月日」、さらには「携帯電話番号」「LINEアカウント」「容姿が分かる写真」まで明かすように要求。
↓
松本人志「暴露系配信者による女性の実名が入ったネット投稿」を証拠として提出。
民事裁判の証拠は通常一般公開されるので、女性の実名をさらすのが目的か。
↓
松本の弁護士が探偵を雇い告発女性を尾行、告発女性に出廷しないように要求し、断られると脅迫。
↓
翌月女性に謝罪するから取り下げさせてくれと突然の訴え取り下げ。
文春側との「合意文書」ではなく、松本氏側の「一方的な発表」で「強制性の有無を直接に示す物的証拠はないこと等を含めて確認いたしました」とコメント。
最近、父から連絡がきた。ラインへの着信が複数回、携帯電話への着信が複数回。
意図的にその連絡を無視していると翌日の朝にも同じような着信が、それも無視していると夕方にまた着信が。
これは鳴りやまないし連絡を返さないと後から面倒になるパターンのやつか…と渋々電話すると酒に酔ったやけに上機嫌な父の声が聞こえる。
元気にしているのか、仕事は順調か、今俺はこういうことをして過ごしているなど他愛のない会話をする、そんなんじゃ人生やっていけないぞバカと説教もされる。
暫くすると死にたいのに死ねない、どうしようもない、どうすればいい、と泣きながら話し出す。
私はそれに対してそう言われてもなあ…お父さんが元気な方がうれしいけど、と伝える。
覚えている限り、私が小学生くらいのときから父はこんな感じの人だった。
私が幼稚園生のときも父は定期的に酒に酔って癇癪を起していた記憶があるが、死にたいとかどうとかの話をしていたかまでは覚えていない。
私はその年の時分なんでか酔った父に襖を投げられ顔面にクリーンヒットし、鼻血がとめどなく溢れて鼻の穴だけでは排出量が追いつかず口からも血が出てきたことにより、
人体では鼻と口が繋がっているという当時としては衝撃の事実を知ったので父がとりあえず酒気帯び暴力マンであったことだけはよく覚えている。
父は定期的に酒に酔い暴言・暴力を奮い、死にたい死にたいと泣く人だった(酒さえ飲まなかったら昭和の頑固おやじとか関白亭主とかで表現できるような人ではある)。
とはいえ父としてもこの状態を良いものとは全く考えておらず、父なりに改善のための努力をしていた。
断酒会に通って似たような境遇の人とコミュニケーションをとったり、
暴力を多少配慮のある暴力としていったり(投げる物が茶碗とか灰皿から箸に変わったり、暴力体勢に入ると羽交い絞めにして止めても止まってくれなかったが、それが多少話を聞いてくれるようになったりなど…)、
お酒を飲んでしまったら、暴力的になるより先に自分を潰すために酒をあおるように飲むようになったり、
あまりうまくいっていないようだったがそもそもとしてお酒を飲まないように回数を減らそうとしたり。
傍目で見てまあ昔よりは多少マシになったのかなあと疑問に問いかけられるレベルには努力をしていた。
とはいえこんな家にいつまでも居ては人生潰されると思い大学から地元を出て、社会人になった今でも都会の方で私は暮らしている。
私が家を出た後、父は定年も数年後に控えた歳で仕事を自主退職し、収入が不安定になった。
そのときは今までの多少の努力を水泡に帰すような荒れっぷりになったが、祖父母の遺産が懐に入ったことで家計が安定し、老後の不安が解消したのか次第とアルコールへの依存がかなり減っていった。
憑き物が落ちたかのように父の生活はより穏やかなものとなっていった。
母はこんな家庭をずっと精神的に支えてきてくれていたのだが(鬱っぽくなったときも多々あったが)、ようやくこのタイミングで父との夫婦らしい生活を取り戻すことができた。
定期的にくる母からのラインでは今日はお父さんと一緒に散歩をしたなど、ほのぼのとした一日の出来事が綴られてあり、その連絡に安堵をして意気揚々と返信をしていた。
父と母の穏やかな生活が始まってちょっとのときの出来事だった。
それ以後父はまた定期的に酒を飲むようになり、冒頭の連絡をよこすようになった。
母が他界してから私は父に多少の恨みをもつようになった。というのも、私は父に父親に対してするような相談を全くできていないのである。
父親に対して相談したい悩みならたくさんあったにもかかわらず。
父が私に対してそれなりの愛情と、うまく対応できるかどうかは別として何かあったときに尻ぬぐいしてやるくらいの器量を持ち合わせているのは知っている。
でも私がまず一番父に求めているのはどっしり構えた親の姿であって、ありがたいものの愛情や脆い器量がほしいのではなかったのだ。
父からの連絡がくる度にそれがないことが毎回分かってしまって、泣いてしまう日が増えた。
今朝がた母の夢を見た。癌で治療中の母のもとに私がお見舞いに行っているのを第三者視点でみる夢だった。
○○ちゃん(私のこと)がね、今日どこに行ってたのか看護師さんとお話してたんだよ、
お母さんね○○ちゃんが何をしてたのか知ってるんだよ、
と幼稚園生のようにたどたどしく話す母に対し、
ベッドの小脇にある丸椅子に座りながらどこか嬉しそうにそっか~そうだったんだね、すごいね、とひたすら相槌をうつ私の姿が病院の一室にあった。
音程も歌詞も良くわからないような歌なんかも一緒に歌ったりもしてた。
実際は病院でこんなに緩やかな時間を過ごしたことはあまりなかったように感じる。
詳しくは伏せるが、母は放射線治療のために入院した後、一週間過ぎたくらいでコミュニケーションがほぼとれなくなり、その三週間後には他界した。
私は母の闘病中に籍を入れたのだが結婚式をしなかったことに対して本当はしているところを見たかったのよと言われたのを覚えている。
なんで今回はこんな夢を見たのだろうと思案してみたのだが、私は母が私に大人になりなさいと伝えているのだと解釈した。
夢なんてスピリチュアルな領域を出ないものだし、確実にどうというものでもないのだが、逆に言えばどうとらえるもその人の好き勝手にすれば良いのだ。
親はいつまでも親でいてくれるわけではない。
無いものを数えては何で私にはこれが無いんだろうと嘆いてもしょうがない。
幼児退行した母と親のようにふるまう娘の私との会話で、暗にそんなことを示し、教えてくれたのではないかと感じた。
冷たく聞こえるようだが、父に私の望む親としての役を担ってもらうことに期待をしないと決めた方が心持が幾分か楽になったのだ。
そして今度は私が、そんな大人である親側の役を担う番であると決意ができた。
色々父に対して恨みつらみを綴ったが、父も父で大変な環境で生きてきたのではと思う。
父のいとこのおじさんが、父は他のいとこがちょっとしたことで大人から褒められると、よく癇癪をおこしてその子と喧嘩するような人だったと言っていた。
父方の祖母は他人のことを小馬鹿にするきらいがある人だった、私の初任給の額が自分の年金よりも低いと知ると嬉しそうにしている人だった。
父方の祖父は仕事が忙しく、夜中まで帰ってこない日も多々あったらしかった。あまり父から祖父の話を聞いたことがない。
父の職場では(そもそも昭和の時代だとどこも似たようなものかもしれないが)年功序列が厳しく、飲み会もかなり激しいものだったと聞いた。
父は若い頃酒は一滴も飲めないほど弱かったにもかかわらず、無理してお酒を飲んで帰ってきてゲーゲー吐いていたと母から聞いた。
実際のところはどうかわからないが、もう少し色んなところで色んな大人が相手のことを思いやって態度で示せれば、
私の父も何かに依存して心の安穏を保とうと必死にならなくても良かったのかもしれない。
父がこれから穏やかに過ごせるかどうかは父の努力次第である、私は助けを求められればそれ相応に対応する心づもりもある。
だがその結果に関してどうこうと思いあぐねることはもうしない。それは父の人生の結果であって私が囚われるべき人生の一部ではない、もうそういう歳になれた。
今までと変わらない様子でいるのであれば、私はお父さんが元気でいてくれた方が嬉しいんだよと伝えるだけだし、
もし頼りになる父になってくれるのであれば、そのときどきの相談事をすればいい、
もっと歳をとって老人のようになったら、夢での母との会話のように穏やかに何度も相槌をうつ。それだけでいいんだと思う。
ただ私は相手のことを考えた相手のほしい言葉をかけてあげられる大人になることをひたすら目指そうと思う。
それは父にも、パートナーにも、友人、職場の人、親戚、将来できるかもしれない子供に対しても、誰に対しても平等な姿勢で。
これまた勝手ではあるがこの目標を最後の母との約束として忘れないよう、覚書として残す。
2024年の現在から過去数十年を振り返った際の重要なイベントやトレンドに関してまとめてみた。筆者の出自(旧来側の小売企業に所属)によって、記載の濃淡がどうしても出てしまうが、その点は容赦いただきたい。
大型店舗の新規出店に対して規制をしていた「大規模小売店舗法」が1991年に緩和され
2000年に廃止された。経緯としては、日米間の貿易摩擦に対する折衝の中で日本の国内産業障壁の一つとして指摘されたことによるもので、大店法緩和の象徴として日本に進出したのがトイザらスである。しかし、大店法の緩和と廃止によって生じたのは米国企業の進出ではなく、商店街などの中小小売業の衰退とロードサイド化である。我々が日本の各地で目にしている、寂れた中心市街地と画一化されたロードサイド店舗が並ぶ郊外の風景は、これによってもたらされた。
楽天市場のサービス提供が1996年、Yahoo!ショッピングが翌年の1997年である。小売の各セグメントにおいて、Eコマースは食品スーパー、コンビニ等を抑えて堂々の一位にある。あまり詳しくないので記載はこの程度。
岡田卓也が社長を務める岡田屋ほか3社が合併し、ジャスコ株式会社が誕生。
大店法緩和以降(第1位参照)の小売業の郊外進出の時流に乗って積極的に出店と企業統合および業態の拡張を行い、イオンへの屋号変更を経て、日本最大の小売グループと成長していく。
米サウスランド社から前年にライセンスを取得したイトーヨーカドーが国内第1号店として、東京都江東区豊洲の酒屋を改装しオープンした。大店法緩和以降の、中心街および市街地における店舗フォーマットとして、フランチャイズにおける小型店舗という、毀誉褒貶の伴うビジネスモデルを確立した。国内初のコンビニに関しては実は諸説あるらしいが、いずれにせよ豊洲店が現在まで続く流れの中で最も重要な存在であることは間違いがない。なお、豊洲店は今なお営業しており、従業員に国内初のコンビニであることを尋ねると、嬉しそうな反応が返ってくる(何年か前の話)。
2000年にフランスの大手スーパーマーケットのカルフールが日本に進出し千葉県幕張市に店舗をオープン。また2002年には経営不振に陥っていた西友を買収する形でウォルマートが日本に進出した。しかしカルフールは2005年にイオンに売却され、ウォルマートも2018年に西友の経営から手を引いた。
両社の進出当時には、EDLP(エブリデーロープライス 特売に頼らない一定の値付け)や卸などの日本的商習慣の打破に対する期待もあった。両社の撤退後、国内のリアルの小売業は日本資本が担っていくという流れが決定的となった。一方で、川上側の流通構造の変化については、イオンやユニクロ等が手をつけていくことになったのだが、そこに海外大手の進出の影響があったのかもしれない。知らんけど。
ユニクロがフリースを目玉商品として原宿に出店した。ロードサイド型のフォーマットは、レンガを基調にしたオールドユニクロファンには懐かしい店舗スタイルで1985年にすでに最初の店舗をオープンしていた。地方発祥の一量販店に過ぎなかったユニクロが、原宿のオープン時に社会現象と言われるまでのニュースになり、以後は全国的なブランドとなっていった。またフリースから始まったユニクロオリジナル商品はジーンズなどの数々のヒット商品を経て、単なるアパレルショップという業態からSPA(製造小売)という別のビジネスモデルへの転換へと繋がっていった。今では想像もできないが、昔はユニクロでもリーバイスのジーンズとか売っていたのだ。
スマートフォン発売当初は、国内ではいわゆるガラケーと呼ばれた従来型携帯電話が主体であったが、2010年のiPhone4あたりから潮目が変わり始めて、スマホの普及が加速した。これに伴い、ECの担い手も従来のPCからモバイルへと変化していった。
今となっては想像もできないが、当時はECで買い物をするときには、PCの前に移動してブラウザを立ち上げてから買い物をすることが必要であった。
ネットとリアルの統合とかそういったことがこの頃から言われるようになった。リアル店舗における買い物体験については、モバイル化によって、当時期待していたほどに変化したとは言えないが、今後も続く大きな流れではある。
また、このモバイル化とほぼ同じタイミングで東日本大震災(2011年)があったのは、巣篭もり含む社会情勢変化の中で間接的な影響はあったのではないかと個人的に思う。
小売業界以外の人にはほぼ知られておらず、業界内でもペガサスクラブのことを知らない人が多い。読売新聞の記者であった渥美俊一氏によって設立された、研究機関ないし互助機関である。高度経済成長期以降、アメリカの小売業をモデルとした、日本の小売業の組織化と大規模化に、ペガサスクラブの「チェーンストア理論」は大きな影響を与えたとされる。
松下(現在のパナソニック)製のテレビを、ダイエーがメーカー設定を下回る価格で販売したことによる対立。大きくは流通業界全体における主導権を製造側が握るか小売側が握るかという点での争いである。より消費者に近い川下側が主体となって流通全体の効率化と変革を進めていく考えが流通革命であり、1962年に同名で出版された著書がある。
大丸と松坂屋の統合によるJ.フロント リテイリング、阪急百貨店と阪神百貨店によるエイチ・ツー・オー リテイリングの発足がともに2007年で、翌年の2008年には三越と伊勢丹が経営統合した。この一連のイベントは、統合そのものよりも、百貨店業界全体の不振として捉えたい。
今となっては信じられないが、かつては小売業の中での業態別の首位は百貨店であったが、売上高としては1991年の12兆円をピークとして現在まで半減している。
閉塞したチーム(闇)改革に意気込んでいたが、志半ばで閉ざされた模様
若者バイトが休憩室に携帯を置き、空き時間にちょくちょくメールなどをしている現状を改善する為に出した案。
携帯は事務所預かりとしタイムカードを押す際に返すというルールにした。俺将の出した案で唯一通ったが、それゆえに若者グループから敵視されることに。
・あだ名やくんちゃん付けを禁止し、役職がある者には「○○さん」だけでなく、苗字の後にちゃんと役職名をつけて呼ぶという案
指導的な立場を明確にするため、「闇非正規雇用統括長」の名に変更を求めたが、却下。しかも店長のチクりにより俺将のあだ名が闇トーカツ君に…
いろいろ忙しくて乗り遅れたのですが余裕ができたので書いてみる。
発明初期のライセンスの諸々は省略で、あくまでプロダクトとしての10選とします。
元ネタはこの辺。
https://anond.hatelabo.jp/20241012181121
現在のテトリスの基礎となる設置移動と緩急をつけて上昇する難易度が絶妙であり、
初心者からスコアのカウンターストップを目指す上級者まで楽しめる形となっている。
アーケードゲームの流行と併せ、当時の日本のテトリスブームはここから始まることとなった。
当時のゲームボーイにおける通信対戦機能を広めることになったエポックメイキングな作品。
横井軍平氏がプロデューサーを務め、通信対戦モードの導入はもちろんのこと、
当時のコンシューマのテトリス作品の中では非常に快適な操作性であったこともあり大ヒットを記録した。
「ハート」レベルは令和の現代でも通用する高難易度。現在はSwitchでの移植により遊ぶことができる。
海外版のファミコンであるNES(Nintendo Entertainment System)のテトリス。
ファミコン版はBPSから出ているが、こちらは任天堂から発売しており、ファミコン版とは操作性を含め全く別物となっている。
ゲームボーイ版に近い快適な操作性であり、またレベルアップについてもゲームボーイテトリスと同様に難易度上昇は非常に高速。
スコアのカウンターストップについては超高難易度であり、MAXOUTと呼ばれ多くのプレーヤーの最終目標となっていた。
10年ほど前からこのゲームの世界大会が開催されており、テトリスの権利元の協力もあり毎年の大きなイベントとなっている。
通常では人力では操作できないスピードに到達するためプレイに限界があるのだが、近年操作方法を工夫することにより超高速状態でもプレイをする方法が発明され、現在も世界大会のレベルが年々上昇している。
2024年1月に通常プレイを約1時間続けることによりクラッシュすることに成功したことが世界的なニュースになる等、テトリス史の中で最も重要なテトリスの一つであることは間違いないだろう。
キーホルダーサイズの小型の液晶のおもちゃ。テトリスを中心としたブロックゲームで遊ぶことができる。
入手性の高さ、そして小型のガジェットの手軽さから学生を中心に一大ブームとなった。
訴訟問題となった「テトリン55」を始めとしてほとんどが非ライセンス品であった。
その後ライセンス品としてはテトリスJr.という名前で発売された。
この時のキーホルダー型ゲームのブームはその後1997年のたまごっちに受け継がれていった。
競技向けに最適化された高難易度テトリスで、近代では一般的となった「出現後即接着(20G)」のシステムを初めて本格的に組み込んだ作品である。
続編である「Tetris: The Absolute – The Grand Master 2(とアップデート版のPLUS)」、「Tetris: The Grand Master 3 – Terror Instinct」とともに
長い時を経てようやく初代TGMとTAPの移植が行われ、今はSwitchで遊ぶことができる。
最新作である4については何度か発表と中止を繰り返しているが、2024年にテトリスのライセンスの取得をしたことをアリカが発表しており期待が高まっている。
携帯電話のアプリとして公開されたテトリス。アプリは買い切りが基本のため、十数種類の異なるバージョンが存在していた。
当時は物理キーの十字キーの中心に決定ボタンがある携帯電話がほとんどであり、その操作方法に最適化されたテトリスとなっている。
シリーズを通しておそらく遊んだことのある延べ人数としては日本最大なのではないかと考えている。
そのうちの一つであるTETRIS DIAMONDはSwitchに移植されたため遊ぶことが可能。
ワールドルールというテトリスの新仕様(ここにはT-Spinも含まれる)を盛り込んだ作品の中で一番普及に貢献したソフトであると思われる。
各種任天堂ゲームやキャラクターを活かしたステージやモードであることに加え、
システム上も新しい概念であるワールドルールをうまく昇華させたゲームバランスは見事というほかない。
そして世界中の人々と対戦が出来るネット対戦や、相手がソフト未所持でも最大10人まで対戦できるワイヤレス機能など、
3800円とは思えないボリュームがすばらしかった。宇多田ヒカル氏がエンドレスをカンストまで遊んだという逸話も。
特にネット対戦においては、近年の対戦テトリスにおける戦法はこのゲームで開発されてきたものであり、
テトリスの対戦を普及させた作品としては歴史上もっとも重要な作品であると考えている。
セガがテトリスのライセンスを取得し、ぷよぷよとの2in1として発表された作品。
ぷよぷよとテトリスの異種間対戦が売りであったが、対戦のバランスは初級者戦~中上級者戦に至るまで基本的にテトリス有利なバランスとなっていた。
理由としては、セガはコンパイル開発時代を含めぷよぷよ通ルールとしては長年の研究を経て高度化された対戦が繰り広げられていた一方、
相対してテトリスの対戦に関する知見に乏しかったのではないかと推測される。
次回作のぷよぷよテトリス2も含め、長期間にわたり日本のコンシューマのテトリスのデファクトスタンダードとして運用されてきたソフトであるため、
ゲームクリエイターとして有名な水口哲也氏がプロデューサーを務めた新時代のテトリス。
音楽と映像とゲームの融合が特徴の水口氏の作品の例に漏れず、このテトリスもステージ毎のビジュアルとサウンドの没入感が素晴らしく、各所から高い評価を受けている。特にVR機器との親和性が高く、VRでのプレイを推す人も数多い。
没入感を重視するためゲームとしては難易度を低く設定されており、文字通り誰でも遊ぶことが可能な作りになっているが、
それ以外の需要に応えていないわけではなく、各種対戦や高難易度モードも用意されている。
特に高難易度モードについては近代のテトリスの中で1、2を争うほどの難しさであり、完全クリア者は数えるほどしか存在しない。
続編であるテトリスエフェクトコネクテッドでは、先に述べたNESテトリスを再現したモードが追加しており、日本のテトリスプレーヤーにとって最も容易なNESテトリスの練習方法であった。
(なお、今年末に日本のSwitchオンラインでもNESテトリスが遊べるようになる模様)
テトリスにバトロワ系の要素を盛り込んだ作品。単純に既存の対戦テトリスのシステムを99人戦に拡張したのではなく、
独自のシステムを数多く盛り込む事で実力差がある人同士での対戦でも簡単にはやられないようになっている。
これによりバトロワ系のゲームを知らない初心者でも十分楽しめる作品となっている。
任天堂のサブスクシステムを登録している人にとっては実質無料で遊べることが大きく、テトリス単体でのソロプレイ機能も含めて非常に大きな人気を博した。
既にリリースから5年が経過しているが、現在もなお遊ばれている作品であり、2024年におけるテトリスの代表的な作品であることは間違いないであろう。
「親子は血が繋がった他人」
これは僕の根幹の考えである。
最近、親ガチャ、毒親という言葉が以前より目にする機会が増えたように思う。
この記事を書くことを思い立ったのも、Xでとある漫画が流れてきたからだ。
簡単にいうと、お金にだらしなくヒステリックな母親に子供が振り回され、主人公の女性がJKリフレに手を出すという話。
・逮捕歴は5回以上、刑務所入りは3回(詐欺、万引き、薬物使用etc)
漫画のようなここまで強烈な逆ギレはされたことないため、そこだけはうちの母親の方がまともかもだが...
実際に親が警察のお世話になっていることから、客観的に見て毒親にあたる母親に育てられたわけだが、32歳の今、結婚もして自分はとても幸せに暮らしている。
なぜそうなったか、いくつか要因があるとは思うが、
③絶縁したこと
3点が影響が大きかったと断言できる。
そのため、毒親や親ガチャで悩んでいる方向けに、何か一つ考えや行動のきっかけになればと思い、経験談を書いていこうと思う。
▫️前置き
・これは私個人の経験であり、すべての状況に当てはまるものではありません。この選択が誰にでも正解というわけではないことをご理解ください
まず、18−20歳の頃、生活保護を受けていた母親と、血が半分繋がった妹を置いて独立したことが初めて距離を置いたタイミングだった。
少し遡り、高校3年生の夏、再婚した義父と母が離婚をして、母、妹、自分の3人ぐらしとなった。
その時、妹は2歳だったので、母は定職につくまでの間、生活をするために生活保護申請をした。
僕は公務員になるための専門学校の体験講義などに行っていたが、母が離婚したことによって道は閉ざされ、高卒で即働く以外の選択肢がなくなった。
まぁ、正直卒業してからまた勉強したいと意欲的には思っていなかったので、早めに働くつもりではあったが、自分で決めるのではなく親の影響で道が閉ざされたことに対して、理不尽だと感じたのは覚えている。
また、兄は生みの親の方の父を頼り、大学に行っていたこともあり、表では気にしないふりをしても内心では不公平だと思っていた。
自分が中3の頃、母は詐欺で捕まり、その時にさんざん泣かされたので、母親には愛想は尽きかけてはいたが、まだなにも知らない2歳の妹を守りたい一心で働くことを決めた。
公務員試験にも無惨に落ちたり、就職の面接も3〜4回落ちたが、なんだかんだその年の12月に家から近くの職場で、正社員として雇ってもらうことが出来た。
会社ではちょいちょいパワハラみたいなのも受けたりはしたが、親よりマトモな大人ってたくさんいるんだなということを思ったのを覚えている。
新入社員の自分一人の給料では3人分の家計は支え切れず、続けて生活保護を受けていたので、自分が正社員として働き、加えて母親も精神病の病院に通いながらゆくゆくは定職につき生活保護から抜ける、というのが共通の目標だった。
しかし、結局母親は2年もの間、ほぼ定職につくことができなかった。
母親が働かない限り生活保護から抜けられなかったので、稼いでも稼いでも家にお金を入れるばっかりで、自分の使えるお金は増えていかなかった。
18歳の頃、手取り14万円で働き、10万円、家に入れていた。
20歳の頃には、給料が増えて手取りは16万円くらいになったが、家には11万円くらい入れていた。
世帯の収入が増えると、当然生活保護費は減らされるので、その分家に入れる金額が増えるので給料が増えても、むしろ損な気持ちになっていった。
なにかがきっかけというわけでもなく、なんで自分は新社会人でいびられながらも会社に行き続けてるのに、自分が信じて支える母は仕事にまともに行けず、適当な理由をつけて、数ヶ月で仕事を辞めるという日々が続いていた。
20歳の大人になったばかりの子供が、言い訳ばっかりして仕事に行けない親を叱りつける、という歪んだ日々も続いた。
そんな陰鬱とした日常から抜け出したくて、母親と妹を置いて、その時付き合っていた彼女の実家の近くに一人ぐらしで引っ越した。
この時、妹と母親を置いていくことはものすごく抵抗はあったが、それよりも自分の人生がこのまま改善が見られない母親の面倒を見ていくことだけで、終わってしまうことがたまらなく怖かった。
貯金をする余裕もなく本当に貧乏でお金がなかったため、家賃3万円台のレオパレス系の物件を借り一人暮らしをスタートしたが、初めて自分で決断をし生活を選んだことで充足感で満ちていた。
一人暮らしを始めてからも、小さな妹を残してきたことが気がかりで2〜3ヶ月に一回くらいのペースで、実家に顔を出すようにはしていた。
ただ、本当に家の散らかりようが酷かったのは覚えている。
しょっちゅう電気と水道が止まったり、たまにご飯に虫が入っていたりと。
それを発見するたびに母親に注意をし、妹には色んな世界を知ってほしくて、できる限り遊びに連れて行くようにしていた。
公園に行く時もあれば、スケートに行く時もあれば、自分の家でSwitchで遊んだりした時もあった。
母親が妹の前で万引きを行い、警察に通報され、妹が児童相談所に行ってしまったのである。
子供の前で犯罪行為を行ったということで、児童虐待と見なされた。当たり前の話だ。
今回の話の主軸とはずれてしまうので経緯は省略するが、この間家庭の立て直しのために毎週のように実家に行って最大限の努力をしたが、それでも最終的には母親が薬物にハマったことにより、猶予をもらっていた児童相談所からも厳しい決断を下され、離婚した義父(妹にとっては実父)のもとに行くことになり、もう2度と母親の元に妹が戻ることはなくなった。
その時まで、自分が独立したことは正しかったと自分に言い聞かしていたが、この時は本当に後悔の念に駆られていた。
「"自分がいたら"、妹が児童相談所に行くことはなかったのか?」
今となっては、結果的に父親のもとに行って良かったと諦めはついているが、この離婚した父親の元にはすでに不倫相手との間の子供がいたので、妹が疎外感を感じるんじゃないかと怖かった。
しかし、無力な自分には何もすることができず、自分の人生の中での最大の挫折をし、心に傷を負ったまま普段の生活に戻って行った。
そのころに今の妻となる女性とSNSを通じて出会い、反対に自分と同じく家庭問題で悩んでいた妻を精一杯支えることで、心の傷が少しずつ癒えていった。
一方その頃母親は、メンタルクリニックで知り合った男と一緒に暮らしていたが、そんな状況でもしょっちゅう犯罪を繰り返し、5年前後の刑務所生活を送ることになっていた。
母親が5年ぶりに出所したとのことで、叔母経由で連絡があった。
叔母の家にいる母とのLINE通話で少しだけお互いの近況を話した。
・「更生」するために意気込んでいること
最後、どこに住んでいるか聞かれたが、それは言えないと断った。
結婚した妻と一緒に数年前に新しく住んだ家にはどうしても来てほしくなかったからである。
独り身だったら決断は変わったかもしれないが、絶対に妻には迷惑をかけたくなかった。
電話越しの声のトーンからも母が悲しがっていたのはわかったが、妻との生活と天秤にかけた時に自分の意思は固かった。
たったそれだけの行動で、今まで10年以上縛っていた、自分の心の荷がストンと下りた。
ちなみに今年、刑務所から父親宛に手紙が届いたらしく、それでまた刑務所に入ったことを知ったのだが、「ああ、やっぱりな」という感想しか出てこなかった。
毒親、親ガチャの問題は様々なケースが存在するので、全部のケースで当てはまるとは言えないが、自分の人生を客観的に振り返った時に、下の3つがターニングポイントになっていた。
③親と絶縁する
まず前提として、僕は人より鈍感であるため、へこむことはあっても、精神が病むことはなかったので、心に傷を大きな傷があり、精神状態があまり良くない方はまずは病院に行ってみたほうがいいだろう。
実際に妻は家庭問題で最初あまり精神状態が良くなかったので、最初は一緒に病院に行っていた。
ただ、一方で薬や病院もあまり頼り過ぎも良くないと自分は考えているので、良きタイミングで仕事や友達などで人との繋がりを増やし、徐々に社会復帰できれば一番ベスト。
妻は、バイトで自己肯定感や自信を取り戻し、保育の専門学校で友達ができ、今は保育園で仕事に悩みながらも、精神状態が大きく崩れることはなく立派に自立している。
精神状態が問題なかったら、①のたくさんの大人と関わるという段階にステップアップする。
僕の場合は仕事で会った人の影響が大きく、「親よりまともな大人ってたくさんいる」という事実と色んな考えに触れることによって、親の悪い影響を受けなくて済んだと思っている。
ただ、仕事もぶっちゃけ「ある程度ピックアップが選択ができるガチャ」みたいなものではあるため、そのほかにも親戚の家に転がり込んだり、今ならSNSで繋がった趣味が会う大人と会うのもいいだろう。
僕はスプラトゥーンというゲームが大好きで、ゲームをしながら色んな人とSkypeやDiscordを通じて話したり、しょっちゅういろんな人とオフ会で会って交流関係が広がった。
独立と絶縁については、似たようなもんだが、独立だけで済むならそれが一番。
しかし、僕は絶縁までしないと本当の意味で心の荷が下りなかった。
絶縁したおかげで、たまにこうやって思い出して文章を書くことはあっても、自分の人生におけるウェイトはすべて自分と妻と愛猫で占めている。
僕は独立したことにより、結果として妹に悲しい思いをさせて苦しんだし反省もしているが、絶縁まで済んだ今となっては、自分に抱えきれない問題だったと諦めがつき、後悔はしなくなった。
最初に申し上げたとおり、僕のスタンスは「親子は血が繋がった他人」。
外を歩いていると落とし物によく出会う。
流石に携帯電話とかスマホ、財布とかは交番や施設の落とし物センターに届けるんだけど、それ以外は自分の物にしてしまう。
チープカシオの腕時計とか、ワイヤレスイヤホンの片割れとか、交通系ICカードとかは持ち帰って除菌して使ってしまう。
交通系ICカードは券売機で自分の名前をカードに印字して長年使っている。
それ以外はずっと持ってる。
もっと言うと、昔スーパーで買って間もないビニール袋に入った茄子も拾った。それを持ち買って料理して食べた。
罪悪感もあまり無いけど、バレたら捕まるやつだとは分かってる。時効の件もあるだろうけど。
自分の親はまともな方だと思うけど、「落とした奴が悪いんだ」というマインドを端々に感じるので、その影響なのかもしれない。
昔から拾ったと言っても「アンタは良いものをよく拾うね」で終わる。
逆に物を落としたりして失くすと、かなり怒られた。
まあ全部が親のせいとか影響じゃないけど、どうにもこの癖は直らなそうなんだよね。
道に落ちてない限りは人の物を盗らないけど。
他にもこういうこをしてる人っているんだろうか?
NTT移動通信網(株)(NTTドコモ)は、“iモード”サービスの海外進出を検討している。まずは香港を皮切りとして、将来は欧米への進出も視野に入れるという。
26日付けの日本経済新聞によると、NTTドコモは香港のハチソンテレフォンカンパニー(HTCL)にiモードの技術ライセンスを供与するという。HTCLはNTTドコモの技術を使って通信ネットワークを整備し、現行の携帯電話でもiモードのコンテンツを閲覧できるようにするというもの。
なお、26日現在において、NTTドコモはこの件に関する発表は行なっていない。また、同社では、「iモードの海外進出はあくまで検討中であり、サービスの形態や開始時期などすべて未定。HTCLに対する技術供与の事実もない」とコメントしている。
HTCLは、香港で最大手の携帯電話通信事業者。NTTドコモは'99年12月に、HTCLに対して約430億円を出資している。
20年ちょっと前、私がひとり暮らし一年目の女子大生だった頃の話だ。
当時は、携帯電話も持っていたけれど自宅の固定電話もまだまだ現役で、ネット回線のセールスとか支持政党のアンケートとかそんな電話がかかってくることも珍しくなかった。
ある日、まだ明るい時間帯だったと思う、電話がかかってきた。大学の研究のために広く電話でアンケートを行っているという。
当時私は大学一年生で、講義の前後にお邪魔しますと先輩学生が教室に入ってきて、卒論のアンケートに協力をお願いしますなんて言われるのがしょっちゅうだった。だから、この電話にも(はいはい。またアンケートね、協力いたしますよ)程度のものだった。
「肛門性交についてアンケートをとっている」という。若い男性の声で、誠実さとたどたどしさが混じり合ったような、いかにも緊張した真面目な大学生みたいな声だったと思う。
だいぶニッチな研究だなあ。とは思ったが、なにぶん当時は大学で毎日のように、
背中に触られたらくすぐったいか。5段階でどのくらいのくすぐったさか。
手の甲に触られたらくすぐったいか。5段階でどのくらいのくすぐったさか。
実験者と被験者で30分ほど歓談し、もう一度触ってみる。親しくなった後でくすぐったさに変化はあったか。
…なんて実験を、相手を変えて延々と13時から17時過ぎまでやってたのである。
実験だのアンケートだのは、心を無にして淡々と進めるに限る。でないと、いつまでも終わらないし帰れない。というのがすっかり身に染み付いていた。
「パートナーに肛門性交してみたいと誘われたら、応じますか?」「いやー、わからないですね」
「家族、ご友人などに肛門性交をしたことがあるという人はいますか?」「いやー、わからないですね」
「アンケートは以上です。研究にご協力いただきありがとうございました」「おつかれさまでしたー」
受話器ガチャー
競馬の女性騎手が通信機器持ち込み禁止の調整ルームにスマホを持ち込んで処分されそうになり辞めたニュースのブコメ欄がすごい
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/keiba.sponichi.co.jp/news/20241011s00004048121000c
↑以前に本人は「スマホ持ち込んだけど通信はしてない、ゲームしてた」と嘘ついててそれを元に軽い処分をしてたのが、今回は外部と通信してた(それも競馬関係者と!)と判明したから新事実に基づいて処分しただけですが…
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/keiba.sponichi.co.jp/news/20241011s00004048274000c
こういうのは二重処分とは言いません。
いわく「なあなあに済ませようと軽い処分で隠蔽してたのに週刊誌に騒がれたからいまさら再処分か!JRAの体質がクソ!」
↑だーかーらー本人が嘘ついたせいだってば。とにかく組織が悪い、組織幹部のオッサンたちが悪い、にしとけば感情(先入観)で判断するアホな皆から賛同得られて楽だよね〜
いわく「やらかした当時はスマホ禁止のルールはなかった!不当な遡及処分だ!」
↑通信機器持ち込み禁止のルールはあって、2015年に携帯電話持ち込んで処分されてる男性騎手もいるんですが…
「通信機器」は禁止されてるけど「スマートフォン」の名指しでの禁止項目がないから違反ではなかった!ていうご飯論法?まさかはてブで「募ったけど募集はしてない」論法を揶揄でなく大真面目に使われてるのを見るとは思わなんだ。
いわく「日本のルールは厳しすぎる!海外ではそこまで厳しくしてない!厳しすぎるから彼女にはもっと軽い処分にすべき」
↑海外でも金の動くギャンブルでは通信機器のルールはあるよ。日本では前々からこのルールでやってるのだから守るべきだし、ルールに文句あるならやらかす前にルール改正目指して運動しなよ。
ルールがおかしいと予め声を上げるのではなく、特定個人の違反が発覚してから特定個人を免責するためにルールを「遡及して」軽くしようだなんて、そんな不公平なムーブが認められるわけないでしょ…
いわく「八百長しようと思えば他にも手はある。通信機器持ち込み禁止は意味のないルールだよ。こんなガバガバルールで処分される女性騎手がかわいそう。」
↑まるで「公道の速度規制があっても死亡事故は起きるし、飲酒運転してなくても事故を起こす人がいるのだから、スピード違反や飲酒運転禁止は意味のないガバガバルールだ。」と、取り締まられた違反者が言ってるみたいだね。
アホか。通信機器禁止をなくしたらもっと八百長やりやすくなる、やりたい放題になるだろうが。速度規制や飲酒運転禁止と同じで、「八百長をやりにくくする=リスクを下げる」効果をなんで無視するんだ?
「可愛そうな女の子」を守るためならここまでバカに、愚かになれるのか…恥ずかしくないのかな。
ん?「先の記事の時点では騎手が『持ち込んだけど通信してない』と嘘申告してた(実際には競馬関係者と通信してた)のを知らなかったから仕方ないだろ!」
だって?
二者間で争いがあるとき、片方だけの主張を聞いて判断しちゃだめって、常識レベルの話だと思ってたけど、そうでないのかな。
「女の子は天使のような純真な存在で、嘘を付くはずがない!女の子の言うことは全部鵜呑みして当たり前だ!」
て感じなのかな。
なにより、以前に同じ理由で処分されて自殺した男性騎手がいたけどその時はこんな(無理筋の)擁護の声は上がらずスルーされて、今回女性騎手となったらこんな擁護・同情ブコメが殺到する、その非対称性に愕然としてしまう。