はてなキーワード: インパクトとは
1話のタイトルである「ぼくたちは、恋していく」が作品自体のタイトルであるかのように表紙にも目次にも書かれ、北海道を舞台とした普通の学園ラブコメのように始まる
前作の「いいひと」が心温まる路線だったので、本作もそのようになると思わせた
しかし1話の最後の方で突然空爆が始まり血まみれになって倒れる人々
おっとりしていた彼女が機械の翼を生やした姿で表れ「ごめんね。あたし、こんな体になっちゃった」と主人公に呼びかける
そこで見開きで「最終兵器彼女」とはじめてタイトルが明かされる
ネットも広まっていない時代を舞台に、情報統制により道民たちは知らなかっただけで
これは、埼玉県の市町村名を組み合わせて作られた、いわゆる「やられAA」や「死亡AA」と呼ばれるものですね。
やられAAは、主にネットゲームや対戦型ゲームなどで、敗北した時や致命的なダメージを受けた時に使われるAAの一種です。倒れたキャラクターが地面に横たわっているような形で表現されることが多いです。
このAAでは、「さいたま市」「川口市」「越谷市」という埼玉県内の市町村名が巧みに組み合わせられ、倒れて横たわっている人物の姿を表現しています。
特に、「さいたま市」の部分では、倒れた人物の腕が表現されており、「川口市」と「越谷市」の部分では、倒れた人物の脚が表現されているのが特徴的ですね。
このように、地名や言葉を組み合わせてキャラクターや物体を表現するAAの手法は、ネット上でよく見られる表現方法の一つです。単純な記号の組み合わせでありながら、ユーモアやインパクトがあり、ネットならではの創造性が感じられます。
大スーパー頭突きはガードされても少し離れた位置で-4Fでほぼ何も確定しないから、
届かない技で暴れてくるなら大スーパー頭突きでワンモアしたり、リターン重視でパニカン狙い大P降ったり、
遠い間合いから本体を直接潰す長い技をガードしたりインパクトするだけでそれっぽくなる
ドライブラッシュ大P>236K2P派生>大百貫>前ステで投げが届く距離且つ4F有利なので投げと打撃と投げ抜け狩りの理想的な攻めが出来る
ゲージあれば大百貫をOD百烈張り手からSA2か、大百烈張り手にしてSA3や!
スト6の戦い方は結構キャラごとに応用聞くことも多いので、とりあえず勝ち筋太い本田で気張るのおすすめやで
がんば!
さっき遭遇した
文章にするとどうってことないんだけど実際のインパクトは凄かったんだよ!
絵を描かない連中が永遠に理解してくれないから、屋上屋を架すことになった。いい加減理解してくれ。
少しでもデジ絵を触ればわかるんだが、生成AIで出力しただけの画像は、見ればもうAI産だとわかる。なんもしてないんだなって。こいつ何も考えてないってわかるんだよ。手が3本生えてるとか、髪がめちゃくちゃとかじゃなくて。もうコンテキストがない。わかるかなぁ。
絵を描くときには基本的に目的があって筆をとってるわけ。そうすると、何処を描き込んで、どこを描き込まないかっていう、気圧の差っていうか、そういうのが産まれるわけ。
これは絵を描くことが楽しいバーサーカーでも同じ。そういうやつはだいたい、普通はそんなことまでやらんってことをしてくる。こいつやりおったって。そういう、画面の向かいのニンゲンの意思が伝わってくる。何を伝えたいのか、なんとなく伝わってくるわけ。これはなにも高尚なメッセージじゃなくても、「金髪のチャンネー最高!」とかでもいい。本当に何でもいいが、おれたちはそのメッセージと、メッセージの伝達方法の工夫を楽しみにネットの絵を見てるわけ。
でも、生成AIから「出しただけ」の絵はそうじゃない。そういうのはもう気圧がめちゃくちゃ。おまえこの絵のどこを見てほしいの?何を伝えたくて書いたの?何もわからない。その結果、おれたちはどうでもいい天井のシワを見つめて、お前たちが伝えたいのはこれなのか……?っておそるおそるプロフを見に行って、やっぱAIじゃねーか!ってなる。全く無駄な行為だったわけだ。そこに意図なんてなかった。誤解したおれが悪かった。そんなことを繰り返した結果、絵を見た瞬間に「それが生成AI産なのか」がわかるようになった。
最近はもう「その雰囲気」を感じ取っただけで見るのをやめてる。昔から知ってる神絵師だけをフォローして、新しいメッセージを、たまにしか降ってこない甘露を、延々と待つようになった。pixivをディグるのはもうやめた。イラストを凝視しても得られるリターンが担保されないので、虚しいからだ。
リターンがなければ、無視すればよろしい。それが黄金則だ。絵師と生成AI絵師は別世界に棲み分ければ良い。実際、生成AIにもメリットと独特の良さがある。それは認めるところである。
だがしかし、絵師には絵師なりの理由があって、今日まで生成AI許すまじと論争を続けている。ある問題があるからだ。
それは、生成AI丸出し、なんのコンテクストもない画像が、何故か一部民衆に受容されつつあるということだ。
他の、著作権がどうのという問題は、絵師が共通で抱えている嫌悪感のすり替えに過ぎない。無視したいが、なぜが周りの民衆が無視しないから、何かの理由を付けて批判せざるを得ないのだ。
冒頭で、審美眼がないと言った。それは一部の生成AI絵師もそうだが、何よりあれを「手書き並のクオリティ」と持て囃す消費者層を形容した言葉だ。
少しでも絵を触ったことがあれば、生成AIのファーストインパクトは「へーすごいね。でも仕事にはならないな。すげーおもちゃだ」だっただろう。それなのに一部の消費者層は、これを大変有り難いと言わんばかりに使い始めたわけだ。
おい待てと。これのどこがいいんだと。じゃあお前らはいままで俺たちが描いたもののどこを見てきたんだと。
当然、嫌悪感を抱く。だが、「だってそれ生成AIで出しただけじゃん!」と伝えても、彼奴等は首を傾げるばかり。
最近は、どうみても実写丸出しの自称「アニメ」がニュースに載った。何より驚いたのは、あれにゴーサインを出した報道陣である。絵に対する恐ろしいまでのリテラシーのなさだ。あれのどこが良いと思ったのか、まるで理解できない。仮にもアニメ制作会社と関係のある会社の振る舞いがこれかと、閉口したものだ。
どうせ伝えても伝わらない。そのうち、この嫌悪感を「そういう層」に伝わるような問題点にすり替えて問題を論ずるようになった。やれ著作権が、権利が、そういったものに。
だが、それらは理論上は手描きでも可能で、AI独自の問題じゃないということは、誰にだってわかる。だから平行線なのだ。
この感覚は、なかなか伝わらないらしい。だから、比較的広い層に伝わりそうな類例を持ってきた。
機械翻訳もまた著しい発展を迎えた界隈である。が、機械翻訳だけで全てが事足りるとは思っていないはずだ。
これはアカデミックに属したことがあればわかるが、英語の論文を機械翻訳して読む、という行為にはまったくの意味がない。著者が伝えたい事実を、機械翻訳は考慮しないからだ。そのうえ、業界の慣習を無視した翻訳がなされるので、その翻訳された文章に意味はない。なんとなく読んだ気になるだけだ。
小説もそうだ。ハリーポッターでもなんでもいい。あれらの「機械翻訳版」と「訳者監修の日訳版」どっちを手に取るか。当然後者だろう。
そうした現状にあるのに、海外製品の公式ドキュメントは多言語翻訳版を機械翻訳によって作成する。「機械学習により作成されたため、不正確な場合があります」と但し書きを付けながら。
これはビックテックであっても例外ではない。訳者を雇う金はありながら、正確な訳を提供しない。
なぜか?日本語話者なんてよく知らないし、どうでもいいからだ。
それでも有り難がる連中がいる。英語を読めない層だ。そんな不正確な日本語読んでる暇があったら英語勉強した方が早いよと伝えても耳を貸さない。それで満足している層に恐怖する。機械翻訳版を読んで何かした気になっているニンゲンの、その感性に恐怖している。それは天井のシミなんだって。そこに別の人間が伝えたかったメッセージは存在しないんだと、伝えても伝わらないことに恐怖している。
というわけだ。
現在抱えている嫌悪感のその本質は、「メッセージ性も何もない破綻した絵を持て囃す連中の審美眼が信じられない」ということになる。
さらに恐ろしいのは、彼らが生成AIの発達とともに、その審美眼と理性を失ったわけではないということだ。
彼らとて、三歳児の落書きと、絵の修練を積んだ人間の描いた絵の区別はついていた。だから、絵師たちは自分たちが絵に込めていたメッセージが市井に伝えられているのだと信じることができた。それを感じ取ってくれているからこそ、自分は市場に支持されているのだと信じることができた。
が、今は違う。
生成AIから出しただけの画像と手書きとの区別もつかない連中がいるのだと知ってしまったからだ。
だから、自分の支持者の中にそんな「肯定派」がいないか魔女狩りもしたくなる。それを肯定する気にはなれないが、その絶望は理解できる。
そうせざるを得ないのは、少しでも正気に戻ったら「生成AI丸出しの画像のクオリティでいいなら、おれたちこんなに心身削って絵を描く意味ないじゃん」と気付いてしまうのを避けているからだ。
高精細なイラストなんていらなかった。市場がそれを求めていなかった。顧客は、一分で生成された「なんかよさげな画像」に吸い寄せられていく。なんだよ。それでいいなら、おれたちこんなに描かなくて良かったじゃん。
そして、この価値観が行き着く先は、「誰も作品に込めたメッセージを理解してくれない」「誰も自らの磨いた技術を評価してくれない」という絶望の世界だ。
それが繰り返されれば、当然続ける意味もなくなる。そして現在の伝統的製法によるイラスト制作技術は失われ、生成AIによる模造品が市場に氾濫することになる。廃業なんて話じゃない。業界自体の喪失だ。絵にメッセージを込めるという行為時代が廃れるのだ。
でかいよね
近所で3頭飼ってて川辺をいつも黒づくめの格好で3頭一緒に散歩させてる男性がいる
一匹はピンクのハートマークの毛染め?をされてていつもインパクトあるなって思ってみてる
他のも刈り方がなかなかアバンギャルド
借金玉先生のペンネームの由来となってる借金の出処について、諸説あるわけよ
まだ2000万ある、6000万ある、もう返した、etc……
返済を待ってもらってるって形(だったり返さなくて良くなってたり)
元本はもちろん利息にも税金が発生するし、その税金を借金玉先生は踏み倒してるよね
存在や理由が明るくない(か全くの嘘)でない限りこんな誤魔化す理由ないだろ
「やんちゃな人を引き連れて会いに行く」とか言ってただろ、何忘れてんだよ
めいてるってなかなか乙な表現どすなぁ〜
借金玉先生への批判ポストにえりぞ(その他多数)がいいねをする
↓
↓
待ちきれずに業を煮やしたえりぞが反訴する
って流れでしたよね
結局やるやる言ってやらなかったハッタリなんすよね?
これも立派な恫喝なのに恫喝癖に見えないんだからファンってのは有難いもんだぜ
それはそうだね
借金玉先生も弁護士先生のアドバイスのもと、良い方法だと宣伝されてたね
その通りだよね
「子供を本気で殺そうと思って」興信所まで使った方がおっしゃるとインパクトが違う
借金玉先生の知人関係で公のものって、ダイアモンド社と志学社と弟か
それ以外の知人に連絡する以前に、把握する方法がないだろ
まぁ3箇所やりゃ十分多いがw
えりぞは裁判によって本名を得たので、他の個人情報は知りようもない
まぁ一応勝訴よな
刑事告訴が不起訴になったのは割と早めに言及してえりぞも加速しまくってやろ
「張ってください」ではなかったが
「やる」「やっていく」「リーガルバトル」なんて繰り返してた
やんなかったが
でも恫喝なので本気にする方が悪!なんてことにはなんないんすよ
全員訴えるってイキッてたポストしたのは借金玉先生なんだけどね
当たり前だけど文脈で解されるから、全く無関係なものを債務不存在で訴えることは原則ない
訴えると息をまいた文章じゃないと
死ぬ死ぬ詐欺で脅してくる方が悪質やろ
どっちも関わりたくないタイプってのはその通り
何故かってほんとにわからないのか?
ずっと言ってたのはえりぞだね間違いない
でも裁判を重視してる人は「認否を明らかにしない」なんて馬鹿なことしません
借金玉先生である証拠ではなく、借金玉先生の仕事の説明としてwikiを載せたんだよね
時系列がごちゃ
法律をまともに守る人は、認否を明らかにしないなんて時間稼ぎしないので
それはそう
全くその通りで、子供を害する目的で興信所使った例があったら、他でも行われる可能性があって怖いよな
借金玉先生の文章は、ハテナブログに書いてた時もっと読みやすかったし面白かったよな
誰かに書かせてたとしても、人を見つけて使って責任を負うのも仕事だから、悪いこっちゃないのよ
noteもどんどん劣化してるし、自殺未遂したあと自分の顔にノリ貼ってる場合じゃないだろ
いままでのカテゴリでは一人でできた 一方いまのことはそうではない
そのモデルでやると地雷を踏む ある意味その意味でやりたいのなら
巨大リソースを動かさないといけない 巨大リソース金がかかる それにアクセスする場合は
嘘でごまかして過ごしてしまえば 頼みもしないのに同じような朝が来る
両方といってもわかる人はいない
人がどのように評価するか
僕の思っていることは難しい 理解者がいない
ロールモデルになるような近しい人がいた
仲良くしたいとかではなくて なるほどまだそのマインド生きてるんだな
親 泥沼みたいな思いからきてる
苦しいという思い 泥沼のようなある意味地を這うような経緯できてる
その人たち本当のことを知っている 解明しますよだとか修正しますよとか
我々にとっては部外者かもしれない
「はいはいどうぜいつものなろうノベルでしょ」と思って観たら、思いのほか面白い。
その理由はあまりのテンポの良さと、無駄を一切省いたノンストレスさにあるのだと思う。
主人公がレベル99で最強、なんていう擦られ過多のテンプレを厭味ったらしく見せつけないのも良い。
なろうものの「こういうのでいいんだよ」を詰め込んだ作品で、それ故に希薄な感じも否めないものの万人受けしそうな感はある。
あとEDが秀逸で、EDに関していえば今季一かもしれない。モンキーダンス!!
展開もジャンプらしい王道かと思いきや、色々と捻りを利かせている。
原作を読んだことがないので意外な展開に「おっ」となることも多く、意外と凝った作品。
ただ難点は前回の振り返りの長さと引き伸ばし。
作画は悪くないでテンポが良ければバスったのでは?という印象。
それも納得というか、90年~00年に見られた懐かしいノリを繰り広げる作品。
暴力系ヒロインに謎のギャグが節々に挟まれ、シュールとシリアスがごっちゃになっているような。
人によって好みが非常に分かれそうではあるが、個人的には結構好き。
ただ全体的には馴染みのある設定と展開ばかりで目新しさには欠け、そこまでインパクトは感じず。
まったりした雰囲気の作品で、ほろ酔い加減に観るのがちょうど良い。
戦隊モノの悪役の休日を描く作品で。物語としては起伏に乏しく、だからこそ安心して観れる感も。
今期の癒し枠。
自分は男なのでBLには一切興味がないものの、それでも楽しめた作品。
なんだろう…この作品を一言で形容するなら「懐かしさ」かもしれない。
一昔にあった少女漫画の純愛系といった感じで、今ではテンプレ化し過ぎていて普通の男女物ではあまり見られなくなったような。
だからこそ形が”男×男”になっても楽しめたというか、変な技巧もなく、ここまで真っ直ぐな好意をアニメでは久々に見た気もする。
恋愛ものしては昨今、「素直に好きになったら負け」みたいな風潮が多い中、ストレートに愛情を示すシーンの多さが逆に新鮮に思えたりも。
作画も丁寧で、評判通りに面白い。膨大な設定が売りの作品でもある。
安定した面白さで、主人公と共にゲームを進めている感覚も味わえる。
独特な悪ノリが特徴的で人によっては大いに嵌りそうではあるけど、自分の場合はそれほどでもなかった。
ネットでは色々言われていたようだけど、普通に面白かった印象。
原作は少し読んだことがあり、比べると確かに間延びしている感はある。
ただ原作の緩急を抑えていることで逆にリアリティを感じられ、ハマれば場末スナックの退廃感が心地よくなってくる。
今季では1,2位を争う傑作。
作画は美しく、動く所ではぬるぬる動き、カット割りも素晴らしい。
動く鎧を調理して食べる、といった一見して「無理だろ」というものを合理的に描く想像力!
往年のファンタジー好きにこそ観てほしい作品で、目から鱗が剥がれ落ちるであろう作品。
世界観も秀逸。もしダンジョンが存在したら?といったことを社会的・経済的にシステムとして描いている点もシニカルで良い。
おすすめ。
拷問と銘打つもののグロテスクさは皆無で、こんな世界観だったらグリフィスも蝕しなかっただろうなという世界観。
基本的にはくっころ姫と可愛い拷問官ちゃんとのイチャイチャを観るような作品。
あと魔王様が今季一の聖人で、魔王軍は絵に描いたようなホワイト企業。うらやましい。
今の日本に足りないものを描いているような作品で、ただただ癒される。
・ぶっちぎり?!
オリジナルアニメ、ということで注目があまり高くなかったように思える作品。
しかし個人的には思わぬ掘り出し物。というか普通に面白かった。
確かに主人公のダメダメっぷりは鼻につくものの、その分周りのキャラクターが魅力的。
幽白好きとしては佐々木望さんのヤンキー声が聞けるだけでも楽しめた。
ギャグとシリアスのバランス、テンポも良くて、個人的にはもっと話題になってもいいんじゃないかなぁと思ったアニメ。
・魔法少女にあこがれて
えっど。
正直馬鹿にしていた感はある。
「安易なエロで客引きとか下品」、そう思っていた時期が俺にもありました。
ただストーリーは思いのほか作り込まれて、後半になるにつれエロがおまけに感じられるような展開は素晴らしい。
うーん…でもなぁ…。キャラ同士の掛け合いも悪くないし、個性も立ってる。こりすちゃん可愛いし。
それでも同人誌をアニメ化したような、二次創作感を払拭し切れなかった印象も。
けどアニメは綺麗に終わったのでヨシ!
熱い。熱すぎる作品。
王道かつ傾いているという、一つの作品内で矛盾を体現するようなアニメ。
ネットでも大いに話題となり、気持ち悪い巨大ロボということで評判になったほど。
ストーリーとしては主人公が巨大ロボと邂逅して、それに乗り、敵を倒してヒーローになるというまさに王道中の王道。
それに同性愛の要素をひと加えwみたいなノリの作品。ほんとそんな感じ。
でもこれは現代の性の多様性について語った作品でもあると思うんだ。
「本当の性の多様性とは?」そう自らに問いかけ、これが日本が世界に誇るアニメ文化の答えだ!と言わんばかりに突っ切った愛の多様性に、視聴者は驚愕し、感動すること間違いなし。
「美味しいメロンパン」というお題に対して、「本物のメロン果汁を使おう!」で挑むのはインパクト重視のハッタリ屋で、「サクサクとフワフワの両立を極めよう!」に挑むのがお題に対しての真摯な姿勢と言えるような感じか?
ぜんぜん違うな、だれかたとえられませんか?
「何かに使えそう」感はすごかったけど、結局何に使われてるの?
翻訳の精度があがる。いらすとやの代わりになる。プログラミングを支援してくれる。
いや、すごいっちゃすごいけど。
なんか無理やり使い道をひねり出してる感じ。
第一人者のGoogleから出てきたのが消しゴムマジック程度だし。
消しゴムマジックを実現するために大量の資金と資源をかけて大規模AIを作ってきたの?
大山鳴動して、ネズミではないにしても、シカが一匹、くらいの印象。
やっぱり「何を実現したいか」から逆算して作られたプロダクトじゃないんだよな。
IT業界でよくある、ろくに使い道を考えないまま「何かに使えそう」だけでどんどん投資して、
結局、使い道が思い浮かびませんでした、マネタイズもできません、ってなるやつじゃないの。
まだまだハルシネーションが多いし、著作権の問題も解決されてないし、電気代もすごいし。
いまのEVみたいになるかもしれんね。
今日も雨よ!
でも今日は楽しい雨になると思って私は事前に準備しておいたことがあるの!
以前傘さして傘なのに雨漏りして水玉がぴしゃぴしゃっておでこにいちいち落ちてくるので、
傘越しに落ちてくるこの雨の玉どうしようかと思っていて作戦実行を決意したの!
そう!
防水スプレー!
これがあれバキッと雨の玉をはじいて傘とは言え生地の隙間から水の雨が漏れ込むことが無いと思う撥水力を期待しつつ
私はそれを自信たっぷりに塗布したの!
とにかく凄い自信なの!
で結果的には
なんかでも染みてくる様な気がするけど
おおむね思って以上に水は染み込んでこなく結果オーライ!だわ。
よくガソリンスタンドで店員さんがオーライ!オーライ!って言ってバックの誘導してくれるけれど
悪いけど。
でも信じてない体裁を醸し出したら店員さんがせっかくオーライオーライしてくれたのに申し訳ないから、
ルームミラーでは一応店員さんを気にしてオーライ受けてますよ!ってイキフンを漂わせつつ。
でもそれは過信ではないからちゃんと真面目にバックして上手く駐められていること100パーセントを誇る私のバック駐車率!高くない?
ちゃんとオーライオーライ言ってくれた人には感謝の気持ちを伝えるの。
私も感謝!
車の運転席のドアを開けて後ろを見て目視してバックするタイプで無いこともここで公言しておくわ。
そのぐらい結果オーライな感じで、
雨漏りもしなくなった若干はするとは言え前回の全雨が全漏れするような酷い有様ではなくなったので、
雨の日が瘦軀では無く中肉中背といった感じの、
そのオーライオーライって言ってくれた店員さんの身丈の特徴を言うのなら瘦軀というより中肉中背といった感じかしら。
雨の日が苦にならないことは確かね。
ポロポロを気持ちよくはじいて転がる傘の上の雨の玉を見ていると
ショパンを思い出すわ。
ショパンって言うのは私が以前使っていた先代の折り畳み傘のことね。
次三代目になるまえにしっかりと使い続けたいと思うし、
大塚寧々さんの前夫の三代目魚武濱田成夫さんがなんの家業の三代目か分からないけどなんか魚屋さんぽい感じを感じさせつつ
相変わらず東出昌大さんがすごい東京の大学を卒業した仰げば尊し感の感じがする賢い感があるのを否めない感じがするのと同時に、
今の2代目ショパンには頑張って欲しいの!
雨の水の玉を弾く傘なら雨が楽しくなるわ!
春先神戸に行かなくても春の雨は楽しめるってことを気付いたの。
スニーカーもそうよ!
お気に入りの雨で全濡れしてしまったら靴下までべちゃべちゃになっちゃうでお馴染みの靴だけど
これも防水スプレー塗布したので
水をはじきまくり!
正にで、でたー!ってもはや誰も元ネタを知らないぐらいの
タイホー工業のクリンビューというコーティング剤のシーエムが元ネタのことを本当の水弾きのことで言っている人は私が人類で初めてなぐらい、
本当にで、でたー!なのよ。
そのぐらいのインパクト!
大インパクト大盛り一丁!ってカウンター居酒屋のそういうお品書きがあったら頼んでみたいわ。
もう青魚だけでいいと思う私。
スタメンを考えると
ツバス、ハマチ、メジロ、イナダ、ブリで決まり!って全部一緒の魚やないかーい!って思うほどそのぐらいの青いので揃えてもいい感じなのよね。
あ!鰺もあってもいいし
でも本当に美味しいマグロを食べたことが無いからかも知れないわ。
明日またここに来て下さい!本当のマグロを食べさせてあげますよ!って連れて行かれる日には
それ派よ。
首相の人柄が信頼できないって項目あるけど
その人のことどれだけ知ってるの?って思うぐらい私もあの小さいけれどそのシャリを信じたくないぐらいそれでお腹をいっぱいにしたくない人柄なの。
1回でも本当に美味しいホッペタが落ちちゃうほどのお鮨って食べてみたいなぁーって。
それはどこに行けば巡り逢うのかまさに三千里を旅する気持ちは私は持ち合わせているけれど
あいにく手持ちの高級お鮨代は心細いので
しっかりお小遣い貯めて一度一度美味しいシースーを食べたいなって思うの。
カウンターお鮨屋さんのファンタジーお鮨屋さんは信じているという全くの矛盾よね。
一体本当にそんな美味しい寿司屋の大将がツバメの子にご飯を与える親鳥のように
握ったそばから直接口に放り込んでくれるお鮨屋さんこそがそんなファンタージ鮨屋があるってことをね。
そんなこと言っていたら
すっかりお鮨の口になっちゃうわ。
今日は帰りにマーケットでファンタジーお鮨があるか寄ってみようかしら?って思ったわ。
その時のマーケットの駐車場で誘導してくれるオーライオーライの人の言うオーライオーライは信じないけど!
でも雨の日も悪くないわね。
うふふ。
コンロでかざして食パンが焼ける器具が伝説の器具があるとのことなので、
見付けて買って使ってみたいわ。
ホッツ緑茶も熱々では熱いので
ちょうどいいオンデのホッツ緑茶ウォーラーにできる70℃の電気ポットが大活躍!
いいわね!
70℃!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
サーバ ルータ はJIS規格でその呼び方知ってるなら仕事でかじったことあるんだろうけど
マイクロソフトが長音符に関して指針出したの知らないのかよ
日本工業標準調査会が定める日本の国家標準の一つであるJIS(日本工業規格)の規格票の様式及び作成方法(規格番号:JISZ8301)によると、アルファベットをカタカナで表記する場合、「2音の用語は長音符号を付け、3音以上の用語の場合は長音符号を省く」というルールが定められています。
マイクロソフトは2008年7月に発表したプレスリリース「マイクロソフト製品ならびにサービスにおける外来語カタカナ用語末尾の長音表記の変更について」で、従来のJISに準拠した表記ルールから長音を付けるルールに変更することを発表しました。
コンピューター業界の巨人であるマイクロソフトの方針転換は、先述のJISや文化庁のガイドラインよりも業界全体に大きなインパクトを与えることになり、以降はニュースや雑誌でも表記を統一するために長音を付ける表記が多くなりました。
今は刑事事件やっていないが、登録してから数年は国選を年20件くらいやった。最初の就職地は首都圏ではあるが支部管轄だったので国選がかなり回ってきて、民事が手薄な新人には重要な収入源だった。
被疑者国選のほとんどは自白事件なので情状弁護をすることになるが、過去は変更できないから犯情事実でできることは少なく、したがって理論上は量刑に与えるインパクトが最も小さい一般情状の、さらにその中でも示談・環境調整・反省が仕事の中心になる。示談によって被害の回復を図り、環境調整と反省によって再犯防止を図り、これらの事情を起訴・不起訴の判断や量刑に反映させるのが仕事である。
謝罪文や反省文というのは、被害者を慰撫して示談の可能性を高めるツールであると同時に、本人の反省の深化・具体化を促すとともにそれを証拠化するツールでもある。というか、すばらしい謝罪文があるから示談できたなどということはまず無いので、主な目的は反省の深化・具体化と証拠化である。
さて、そこで被疑者に反省文を書いてもらうのだが、累犯前科者でもない限り、初めはまず非常に薄っぺらい反省文が出てくる。多少文字を書ける人でも、書いてくるのはせいぜい「反省しています」を「海より深く反省しています」と修辞しただけのものに過ぎない。
そこでより深く具体的な反省を促すために、被疑者に課題を与える。たとえば被害や影響をもっと具体的に想像させる。被害者への言及がなかったなら被害者はどう感じたと思うかを書かせ、「被害者は怖かったと思います」と書いてくるならその恐怖を味わった人はその後その時間その場所を避けて生活するといった行動の制約が出てくるんじゃないかと想像させる。そういう形で、犯罪者の自分本位な視野を広げるとともに、より被害者の視点に立った再発防止策を考える手伝いをする。
こうして深化した反省を、十分に反映された反省文として証拠化する。普通の人は、書くべきポイントをリスト化して良い順番で並べて網羅的かつ繋がりの良い文章を書くことはできないので、弁護人の方で草稿を作ってあげる。だいたいの被疑者は弁護士の文章を書き換えずにそのまま清書するので、弁護士の草稿はそのまま反省文の原稿となり、反省文は弁護士の作文という状況が出来上がる。
弁護士の作文ではあるのだが、基本的には被疑者本人の反省の内容と水準を反映したものになる。弁護士が考えた最高の反省文を書き写させたところで、被疑者本人の理解と実感が伴わなければ取調べや公判での被告人質問に到底耐えないし、反省文に含める具体的な再発防止策は被疑者本人の同意のもとでなければ外に出せないからだ。被疑者に全文を自書させるのは、反省文の内容を本人に内面化させるための手続きでもある。
被害者との関係でいうと、反省文というのはさして意味はない。だいたい犯罪被害者というのは犯人のどんな反省文を読んでも薄っぺらいものにしか感じないもので、示談のポイントは基本的に示談書に書く内容、すなわち示談金と再発防止(特定の場所への接近禁止など)だ。
ただ、これは私自身が一度失敗したことでもあるのだが、比較的出来の良い謝罪文を書く被疑者について、被疑者自身の言葉で反省を伝えた方が良いのではと思い、ほぼ修正無しの謝罪文を被害者に渡したところ、こんな汚い文章のまま出すなんて反省が見られないと立腹されたことがある(まぁそうは言っても示談は成立したのだが。)。謝罪文の出来が良いことで示談できることは無いのだが、謝罪文の出来が悪いのはリスクかもしれない。
謝罪文の作文のことを書いているのは、これを生成AIで作成した弁護士の話が読売新聞の記事になったからである。
弁護人が被疑者について「反省の気持ちはあると感じたが、(男は)文章を書くのが苦手で、とても被害者側に渡せる内容ではなかった」という状況下で、生成AIに「「改善策も盛り込んで」と繰り返し指示し、被害者の心情に配慮しつつ、男から聞き取った反省の言葉も盛り込んだ」謝罪文を起案させたというのは、背景事情を善意に解釈(記者の悪意を斟酌)するならば、通常の謝罪文作成プロセスとそう異なるものではなかったのでは無いか。刑事弁護人が被疑者に「反省の気持ちはあると感じ」るハードルはわりと高い。口や文章では立派な反省を述べる累犯者をざらに目にしており(累犯者の方が謝罪文を書き慣れていて、充実した反省文を書く。)、反省文の出来の良さと内心の反省に相関が無いことをよく了解している。
そんな謝罪文が量刑に影響を与えるなんてけしからんと憤る人もいるようだが、謝罪文は量刑理論の中でも最下層に位置付けられており、かつその内実も上記のとおりであることを実務家はよくわきまえているから、謝罪文それ自体で軽を軽くする効果はまず無い。
それでも弁護人が謝罪文を書かせるのは、その作成プロセスを通じて具体的・客観的な再発防止策や真摯な反省を促すことで、考慮に値するレベルの一般情状を作るためだ。手書きさせたのはロンダリングかという批判もあるが、本人という出力装置を介すことで本人に対する感銘力を企図していることは、大抵の被害者にも感じていただけていると思う(し、「弁護士の作文でしょ?」と聞かれた時に説明しやすい。)。
最初に見るホラー映画によって、ホラー全体への関心は固まってしまうと思うんだ。インパクト勝負なだけに、あまりに怖すぎたらもう二度と見たくないとなるし、つまらないとホラーはもういらないかなともなりうる。
娘の学校で最近「変な家」ってのが流行っているらしく、うちの子も文庫本を読んでいた。それで日曜に友だちとその映画に行きたいと言う。「初めてのホラー映画でしょ、怖いの大丈夫?」とたずねても大丈夫楽しみにしてると言うのでちょっとだけおこづかいを渡した。家族以外と映画行くの初めてとも言ってて、中学生ってそんな感じだったなとか思った。
それで冒頭のことをぼーっと考えていた。初めての人にちょうどいいホラーってどんなだろうかな、と。彼女が見るその映画が導入にぴったりな作品だったらいいんだけどな。
こういう順番で見たらいいよとか、次はこれがいいよとかあったら教えてほしい。