はてなキーワード: 広告とは
普通に歌うと広告収入を著作権者に取られるからわざとテンポずらしたりして歌う
ここまでならまあ模写ってことでギリ許されるかもしれないけど他のYouTuberが原曲使うと広告収入が入らないからってそのアレンジ版を動画内で使ってる
これは完全に泥棒
絵のトレースがパクリだと炎上するのに、曲の盗作は面白いと持ち上げられてる
おかしいよ
そのだいたいが「怒り」を含んだものだったり
恐怖煽りにみんな反応でしたね。
なんかそんな怒らなあかん?
こっちからしたらその「怒り」は
みたいに見える。
信じさせるようなことばかりみんなしてる。
ところが境界線上のホライゾンはオタク向けラノベコーナーに平積みされてたら
あの1件があったから
・広告に使うなと言っているだけ
という主張が信用できなくなってしまった
『便利屋斎藤さん、異世界に行く』ツイッターでちょくちょく見かけるなー。って思ってて電子書籍で一巻読んだら面白かったので全巻買ったら翌日アニメ化が発表された。
『チ。―地球の運動について―』は『図書館の大魔術師』を3巻まで買ってて、先週続きを購入して読み終わったらamazonのおすすめにあって何気なく買ったら今週アニメ化が発表された。
漫画自体あまり読まないし、ここ10年くらいは『ヴィンランド・サガ』とか『BLACK LAGOON』みたく昔から買ってるのの続きくらいばかりで、新規開拓はしてないので、珍しいこともあるもんだね。まあ、アニメ化するので広告を強めにしてたのが届いた可能性もあるが。
例えばさ、「キャラから性的な意匠はほとんど感じられないものの、『たわわ』というタイトルからは性的なものを連想させるので、誰もが目にするわけでもない新聞広告とはいえ日経という全国紙の全面広告に載せることは女子高生を性的に見てもよいというメッセージを社会に発信していると捉えられかねない危険性もあるんで、広告として若干適性を欠くようにも思えるのですが…」
くらいなら、まあ同意する人も多いと思うんだよね。
千葉県警本部、松戸警察署、松戸東警察署、千葉県、松戸市、松戸市教育委員会宛の公開質問状を提出。およびその回答について。 – 全国フェミニスト議員連盟
国連女性機関が『月曜日のたわわ』全面広告に抗議。「外の世界からの目を意識して」と日本事務所長 | ハフポスト NEWS
なかったことにしてんの?
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/KenAkamatsu/status/1541296486759419904
赤松 健 ⋈ 参議院議員(全国比例)候補者 on Twitter: "作家が政治に関わることを嫌うファンは多いのに一本木先生が応援に来てくれたのは、状況がかつてないほど緊迫しているから。外圧や行き過ぎたジェンダー論など議論の中心に当事者がいないのはおかしい。漫画家生命を賭けて表現の自由を守り抜く覚悟…
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/kakitama/status/1541388284227907584
田川 滋 TAGAWA Shigeru 타가와 시게루 on Twitter:"20年前にも 「行き過ぎたジェンダーフリー」批判は統一教会や安倍氏など自民”保守”派から出ていましたね。
そこから様々な政治的介入が起こった。 非常に”自民的な用語”。 女性差別撤廃条約の批准とその履行としての男女共同参画法がターゲッ…
田川は前方一致で反応して持ってきたうえに
それぞれの中身をよくチェックしていない
(悪意ではなく能力のせいだと思う)
ので代わって解説する。
まず赤松のは
「外圧や行き過ぎたジェンダー論など議論の中心に当事者がいないのはおかしい。
要するに表現の自由を脅かす敵として「外圧」「ジェンダー論」を挙げている。
こんにちのコンテンツ上の表現への攻撃・抑圧は大体フェミニズム系活動家が絡むためだろう。
絵の女の子の表現に対する「性犯罪を誘発する」「性差別を助長する」といった主張、
またそのエビデンスが無い代わりに学問的な権威付けで補強する動きのこと。
いわゆる反家父長制的な動きのこと。
わかるだろうか。
「ジェンダー」を掲げる人の立場と主張がそっくり入れ替わってんだよね。
20年前の保守
「行き過ぎた自由、自己決定を至上とするフシダラな性やその表現を許すことは
これ現在ではまるで同じこと左派表現規制派が言うようになってるんだよね。
現在、自分の意志で仕事する胸の大きいモデルやAV女優を攻撃・抑圧するのは
左派は根拠を聞かれて困るとクレーム攻撃とか国連御注進とか議論拒否に出る。
Janssen ああ、ようやく分かった。赤松健氏の言動だから可視化されたけど、これが自民党候補のテンプレなんだ。「(マイノリティへの)過剰な配慮で俺たちの自由が奪われている」という多数派を抑圧されている側にする魔法。 政治 自民党 ジェンダー
むしろ赤松のようなオタク野郎を敵視するフェミニストが兼務で盛んにやっていること。
sadamasato 行きすぎたジェンダー平等論とか、「行きすぎた性教育」というモットーで、支援学校の性教育を弾圧した自民党極右の方々を彷彿とさせる物言いですよね。本気で教育現場からジェンダー教育を排除する方向へ進みそう。
人気2位のこの人も田川と同じ間違いをしてて
赤松が敵とする「ジェンダー論」を20年前からのジェンフリ議論と誤解し
かつての性教育反対運動を赤松が主張してる(どこでよ??)と誤読している。
キモオタが守ろうとしてるのは絵の中に開放的な女性を描き掲示する権利であって、実在一般女性に性に開放的になれと要求はしてないし、逆に実在一般女性を性的に抑圧しよう(反ジェンダーフリー)なんて動きはなおしていない。
そこにあまり関心のない中高年はついてこれなかったり逆の意味で認識したりしているということ。
li1ipqb0ooi1n キミが定義している「ジェンダー論」などというものは、実際には存在しない。そんなアカデミックな定義はない。キミがおもってる「敵」に「ジェンダー論者」というレッテルを貼ってるだけ。終了
yas-mal 「ジェンダー」という言葉には「性別」以上の意味はない(「セックス」と使い分けることに主張が入る場合があるが)。
haruyato 女性が何か男性の既得権益に文句を言うと全部「フェミ」とか「ジェンダー」のカギカッコにいれてしまってるだけじゃないかね。思考停止の結果じゃなかろうか。
この3人共通の異議は
「そもそも赤松は何故ジェンダーなんて言葉を持ち出したのだ!」だろう。
やっぱり赤松は表現と関係ない話をし始めてる保守オヤジなのか?
これについては明確な答えがある。
赤松の敵たる表現規制派が「ジェンダー」という言葉を使っているからだ。
千葉県警本部、松戸警察署、松戸東警察署、千葉県、松戸市、松戸市教育委員会宛の公開質問状を提出。およびその回答について。 – 全国フェミニスト議員連盟
国連女性機関が『月曜日のたわわ』全面広告に抗議。「外の世界からの目を意識して」と日本事務所長 | ハフポストNEWS
https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_6257a5d0e4b0e97a351aa6f7
はい。
代表的な表現規制派で地位と権力を持つフェミニスト議連がまさに
自らの規制アクションの根拠として「ジェンダー平等」を掲げているのだ。
フェミニスト議連が表現規制根拠を「ジェンダー平等」としているので
対抗する赤松は「行き過ぎたジェンダー平等にNO!」と言ってたのだ。
フェミニスト議連の「表現規制はジェンダー平等」という主張を丸呑みして
対抗言説として「行き過ぎたジェンダー平等にNO」という言い方をしてしまったのだ。
それこそなぜか突然男尊女卑論を唱えてるだとか、
プーチンが「これはウクライナ開放だ」という言葉遣いをしたからといって
対抗言説で「ウクライナ開放にNO!」と言ったら別の意味にとられるのと同じ。
世間に声を出してから「あ、伝わらないじゃん」「あ、別の意味にとられるじゃん」と変えるのはよくない。
「行き過ぎたジェンダー平等」は誤解が生じてまずいから…「行き過ぎたジェンダー論」!
というのも未だにわかりにくいし、フェミニスト議連の言葉を参照しすぎ。
プーチンに対しては
「こんな侵略のどこが解放だ」「こんな大虐殺のどこが限定的軍事作戦だ」と突っ込むべき。
「表現規制のなにがどうジェンダー平等に資するのだ」と突っ込むべき。
表現規制の議論に「ジェンダー」を持ち込んだのは表自戦士の赤松くんではなく表現規制派のフェミニスト議連であるのはわかったよね。
表現規制の議論にジェンダー云々の語を持ってくるのが不適切だとか不自然だとかいうなら
そのクレームは赤松ではなくフェミニスト議連に向かうことになるよね。
casm
「僕の考えた愚かなるジェンダー論」だなぁ。「あいつらは知能が低いから、こういう知能の低い主張をしてるはず」っていう組み立て。
キモオタと戦うリベラル聖戦士団を愚かな低能だと言わんばかり。
きっと表自派のキモオタだなこいつは。
AKIMOTO
『この場合の(赤松が戦う)「ジェンダー論」とは』 これはどこで定義されてるの? これが本当だとすると「ジェンダー論」=「表現規制論」という意味で使われてるの? 政治 表現規制 ジェンダー
使われてるんです。上で見た通りです。
li1ipqb0ooi1n
キミが定義している「ジェンダー論」などというものは、実際には存在しない。そんなアカデミックな定義はない。キミがおもってる「敵」に「ジェンダー論者」というレッテルを貼ってるだけ。終了
フェミニスト議連様の「ジェンダー」用法がアカデミックな定義のないレッテル貼りだとぬかすか!
その通りだね。
yas-mal 「ジェンダー」という言葉には「性別」以上の意味はない(「セックス」と使い分けることに主張が入る場合があるが)。「ジェンダー論」と言われても、赤松健(と増田)が勝手に作り上げた謎概念とレッテル貼りでしかない
vtuberのへそが出てたらジェンダー平等への挑戦ってなんやねん。
それでなぜフェミニスト議連が「ジェンダー平等」言い出してたかだけど、
おそらく自分達の求める規制に法的根拠や科学的エビデンスが無いのを自覚してたため
li1ipqb0ooi1n くんが言ってる通り
アカデミックな定義に沿ってるとは到底思えない雑な言葉遣いだけど
でも社会思想って主にこういう使われ方してるし、学者からあんま反論もないよね。
vtuberの服に「性犯罪を誘発する」などと根拠ない非難をぶつけ抹殺することがどうジェンダー平等に資するのか、議論が分かれるところだし非難も多い。
でもフェミニスト議連様がそう言っているんだから素直に頭を垂れろよ。
繰り返しだが
赤松の言葉の取り扱いがガバついてるのは確か(政治家適性大丈夫?)。
だがそもそも「ジェンダー」という言葉の運用全般が歴史的にガバガバしており
この辺が定義の甘い謎概念だらけなのはむしろ左派に責任があるよね。
赤松くんが自分の相手として指す「ジェンダー〇〇」の表記揺れが激しいのは
左派や規制派による「ジェンダー〇〇」の運用方法がガバガバで恣意的だから。
Q.
A.
Q.
A.
Q.
結局「ジェンダー」ってなに?
A.
左派の頭悪くて無責任な人たちがグッチャグチャに運用してるジャーゴンだよ。
ブコメの左派の間ですら全然まとまってないのがよく読めばわかるよね。
「愛国的でないからこの表現は禁止!」とか言うやつと同じくらい頭悪いよね。
一部よくまとまってたトラバをそのまま使わせてもらいました。ありがとう。
おしまい。
何度かツイートで似たような言葉を使っているみたいなので、間違って使っているわけではないとは思うのだけど。
だからこそ「行き過ぎたジェンダー論」と言わず、「不当な圧力、クレームやバッシング」といった呼び方をしてほしいなあと思う。
俺が解決してほしいと思っていることと、赤松先生のいう「行き過ぎたジェンダー論」が同じものを指してるとは思っているので。
何が「行き過ぎ」かって話をするとどうしてもその人の主観的な判断になるため、そこで議論が別れてしまうから良くないと思ってる。
これまで萌え絵につけられてる難癖を見るとこう言いたくなる気持ちはわかるけど、つけてる側はアレが「行き過ぎてない」って思ってるんだよなあ。
「不当」でも同じことが言えるけど、正当か不当かはまだ客観的に議論できる言い方かなと思うし、
何より「その意見は不当であるから賛同できない」って表明できたほうが意図が伝わりやすくて良いと思うんだよね。
たわわを例にすると、キモいだのなんだのいうのは自由。ただ新聞社の広告に対して国連機関が出張ってきたら政治家の出番かなと。
戸定梨香も、彼女が支持される/されないはファンと市場の結果でしかないが、議連がお気持ちクレームをつけて取り下げになるのはおかしな動きだと思う。
こういうのは「不当な圧力」だと思うんだよな。
何が「行き過ぎ」かの話をすると、それこそ昔の男尊女卑の価値観からすると今の世の中は「行き過ぎた配慮」なんだろうっていうように。
主観的な話だから余計なところまで混ざってこないかとちょっと心配しているんだよな。
もしかしたら幅広い支持が取れそうなワードを選んだつもりなのかもしれないけど、俺個人としてはそういうのと一緒にされるのはちょっと…みたいには思う。
個人的には「行き過ぎたジェンダー論」と聞いても具体例はあまり思い浮かばないんだよなあ。
自称フェミニストがつけてくる難癖は、ジェンダー論というよりミソジニスト/ミサンドリスト/萌え絵ヘイターのヘイトからくるものだと認識してるからかもしれない。
俺個人としては、現実のジェンダー平等は否定してないつもりなんだよ。作品に対して好き嫌いを述べることも自由。ただそれを盾に難癖つけてくるのからコンテンツ、表現の自由を守ってほしい。それは政治的な話になるから、赤松先生のようなコンテンツ制作者の方が政治家を志すことは応援したい。
しかし難しいのはそのラインを引くのがそれぞれの常識、主観的な話になってしまう点で。
既存価値観に対する補正的な面もあるから、相対的には「行き過ぎ」に感じてしまうところもあるし、難しいと思うんだよ。
難癖つけてくる厄介をまとめて「ジェンダークレーマー」って呼称する向きもあるので、「行き過ぎたジェンダー論」って表現でも間違いではないのかもだけど、範囲が広くなるような気がして賛同しづらいなあとは思うんだ。
「表現の自由戦士」を自認する人の中にもいろんな立場の人がいると思うんだけど、ここでは、公共の場でなされた表現に対する「引っ込めろ」「やめろ」批判に対して批判をする人に絞る。
ここで尋ねたいことがある。
どこかの地域のゆるキャラや献血ポスターや広告が「グロすぎるからやめろ」という批判を浴びたとする。
「表現の自由戦士」なら、その表現がグロすぎて見たくないと自分で思っていても、「やめろ」という批判に対してやっぱり批判をするんだろうか?
というのも、ネットで話題になる表現問題はエロやジェンダーの話(とたまに天皇家)ばかりで、他の問題だとどういう議論がされるのかが気になるから。
てか、グロ表現って、リアル身体で過ごす公共の場での「自主規制」がエロ表現よりも強いんじゃないかと思うんだよね。
組織のマス向け広告とかに出される前に、広報を考える人たちが内部で却下してるんじゃないか(内部の会議にすらかけられないかも)と。
それって「萎縮」に当たるの?
もしそうなら、グロが萎縮してるのは問題なのか? これよりもっと萎縮しなければいいのか?
そのあたりも含めて話を聞きたい。