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2021-05-09

anond:20210509191502

かに何人かいたな。スーパーゲームボーイポケモンを遊んでた子って。

そういう子は対戦や交換するときだけ他の人のゲームボーイを借りて遊んでたな。

あと、俺は初代ゲームボーイで遊んでて、ゲームボーイポケットと通信ケーブルコネクタ互換性がなかったから(専用の変換ケーブルがいるが、その場合は初代ゲームボーイ用の通信ケーブル+変換ケーブルを買わなきゃならず、そんなもの当時のガキに買えるわけがなかった)、この増田が言う疎外感は割とよくわかる。スーパーゲームボーイ組と同じで、対戦や交換をするときは他の子ゲームボーイポケットを借りてたよ。

anond:20210509191502

子供の時の玩具重要コミュニケーションツールであり

無かったら無いなりのフォロー子供同士ですることは難しい

それ、単なるスクールカーストの上でのさばってる奴の言い訳

ゲームボーイを買わなかった親じゃなくて、子供同士の社会構造問題

親の倫理観を、「ゲームを買ってあげられる」ように変えてなんとかなる話じゃない。

但し、現実的対症療法としてゲームを買ってあげるというのは、否定はしない。

(5/10追記あり) ポケモンとスーパーゲームボーイで疎外感を覚えた話

ポケモン赤緑が爆発的に流行った当時

うちにはスーパーファミコンしか無かった


クラスメイトの間でどんどんポケモンプレイヤーが増えていき

親にゲームボーイ本体ポケモンを何度もせがんだ

しかしうちではそのぐらいの価格帯の商品を買ってもらえるのは誕生日クリスマスだけだった


子供には長すぎる数ヶ月を過ごし、ようやくそタイミングを迎えたとき

ポケモン赤はプレゼントしてもらえたがゲームボーイは与えられなかった

代わりに与えられたのはスーパーファミコンに挿して遊ぶスーパーゲームボーイだった


素直にゲームボーイではなかったのは、携帯であるため親の監視外で遊ばせたくないという思惑があったらしい

それに加えて

ゲームボーイ本体より安かった

電池というランニングコストがかかる

・小さな液晶を覗き込むよりTV画面の方が視力低下の影響も多少はマシだろう

という考えもあったようだ


ようやく憧れのポケモンプレイできる!と有頂天になり

親が懸念していた通りポケモンにのめり込んだ

しかしここで大きな問題が発生した


友達と遊ぶときにはプレイ環境一式を外に持ち出すわけにはいかず

ソフトしかないのでそれぞれがゲームボーイを持ち寄って遊ぶ空間では自分プレイすることはできない


公園ではもちろん無理だし

友達ゲームボーイを借りるにしてもみんなまず自分が遊びたいのは当然だ、貸してもらえることなど少ない

友達の家で遊ぶときでも、わざわざそこのスーパーファミコンを借りるというのも不自然ハードルが高く実現することは少なかった

そもそもその時に発売していた初代スーパーゲームボーイには通信端子が無いのだ

通信端子のあるスーパーゲームボーイ2が発売したのはそれより後のことで、スーパーゲームボーイを既に持っている子供が買い換えるにもメリットが少なかった)


混ざれるはずなのに混ざれない

こんな些細なことで友人間ヒエラルキーは決まるのだ

一番は通信ケーブルを持つ友人

その下にゲームボーイポケモンを持つ友人

一番下が自分だった


悪意を持って明確に仲間外れにされることはなかったが

その場でポケモンを一緒に遊べる仲間の方が親交が深くなるのは当たり前で

それがすごく惨めだった



20年以上たった今、その時のヒエラルキーが流石にそこまで尾を引いているはずもなく

至って普通社会人として健やかに過ごせてはいるが

ふとあの時の疎外感を思い出す時がある


子供の時の玩具重要コミュニケーションツールであり

無かったら無いなりのフォロー子供同士ですることは難しい


現代の子供もそれにあたる玩具があって

他と同等に揃えてもらえない子は

かつての自分と同じように寂しい思いをしているのだろうかと

ぼんやりと思いを馳せるのだ




(5/10追記あり)

はてブを見る限り、結構共感があったようで、書いた甲斐があった。

寄せられたコメントの中からいくつか取り上げたいものがあったので、追記しておきます

ゲーム自体禁止の家庭で育った人

自分の回りにもいました。

貧乏から買ってあげられない、というケースは見なかったけど、親の方針ゲームを買ってもらえない子。

90年代当時の親世代にとって、まだゲームへの偏見や未知なるものという認識は多かったと思います


やはり、禁止されている子供は逆に執着してしまう傾向にありました。

友達の家を渡り歩く子供いましたねー。

大人になって反動ゲーム三昧の人もそれなりにいるでしょうね。

かく言う自分も、完全禁止でないにせよ少しずつ不便や不満を重ねていたので、

まだゲームやってます


スーパーゲームボーイを選んだ親の判断は正しかったのか?間違っていたのか?

これは、当時は仕方のない話かと思っています

特に恨んだとか、間違っていたとは考えていません。

子供コミュニケーションツールとして重要ポジションにあったことは理解できていなかったのですから


ゲーム世代が親になり、かつての苦労と大人目線での懸念から葛藤しているのもわかる話です。

ゲーム理解があっても程よい距離感で向き合わせるには難しいでしょうね。

ネット接続SNSの広がりもあり、フォローアップしてあげることの難易度も上がってしまいました。


自分の家に招けばよかったのでは?

自分の家に呼べば友達ゲームボーイを持ってきて、自分自分スーファミで遊べますよね。

ここは地理的問題なのですが、小学校から自分の家が一番遠くにあり、坂の上にありました。

いわゆる新興住宅地(○○台と名前のつくような所)です。集まるには不向きでした。

まり場になる友達の家がありましたが、ゲームが多かったり集まりやすい立地にあったのが大きな理由ですね。


ポケモンスタジアム(N64)で遊べばよかったのでは?

対戦というより、自分ポケモンを進めつつ、お互いの進行状況をその場で共有して楽しむ、という場でした。

ポケモンスタジアムは持っている子もいましたが、起動率はそこまで高くなかったですね。

ゲームボーイで何をしていたかと言うと、赤緑の出現ポケモンが違うので、

赤でしか出現しないマンキーを持ってない緑の子のためにその場でマンキーを捕まえて交換してあげる、なんて光景も有りました。

製作者にとっては理想の遊び方かもしれませんね。

うちの地域ポケモンスタジアムが脚光を浴びたのは、ポケスタ金銀が発売されてからでした。

しかし、そこまで来るとポケモン一色ってほどのブームでは無くなっていました。

あくまで、ポケモン赤緑の一時期だけがそれ以外がほぼ無いぐらいに占めるコンテンツだったんですよね。


他のゲームをやらなかったの?

やりましたよ!スーパーマリオワールド星のカービィスーパーデラックスなど。

ドラゴンクエストなど1人用RPGプレイしている様子を眺めつつ、自分は置いてある漫画を読みふけるなんてこともしましたね。

もちろんゲームだけじゃなく外でボール遊びもありました。

その話を盛り込むと要旨がボヤけてしまうので、今回はポケモン赤緑の話に絞っていました。

みんな揃ってポケモンに傾倒した時期があって、そこで疎外感を覚えたのは大袈裟に受け取ったことでもなく事実です。

バトエンカードすごろくなんかも出ていたので、ポケモンブランドを冠した交流ツールゲームに限った話でもないですけどね。


からでもポケモン始めてはどうか

あ、やってます

図鑑は剣盾時点までコンプしてますアンノーンビビヨンも今の所全種揃ってますよ。

対戦はあまり興味ないですが。

遊ぶ相手というか、語る相手がいなくなったのが悩みの種です。

友達はお店で買えないですからね。

財力ができたら別の問題が発生してしまいました。


タイトルだけでおおよそ内容が予測できてしま

ええ、それを狙いました。

あの時代を生きていた人が「ポケモン」「スーパーゲームボーイ」と聞いたら

ピンと来るだろうな、という期待を込めてタイトルに入れておきました。

2021-05-04

anond:20210504185909

(続き)

といった問屋関係逸話が当時バンバン登場した。メーカーも対抗すべく(?)ダンピング出荷、返品受付などで一本でも多くソフトを売りさばこうと必死だった。このあたり、問屋小売店メーカーも、市場の異常さに気が付かずもがいていた感じが否めない。初心会二次問屋は、問屋の本分である日本全国に適正量の在庫ゲームソフト流通させる」という機能を忘れ、ただただゲームソフトを動かすことで得る利益をあげることに無我夢中だった。

ここで注意をしておきたいのが、「任天堂初心会が、一方的サードパーティ小売店から利益を吸い上げている」という既存論調は近視眼的だ、ということだ。スーパーファミコン市場に参入したサードパーティはおよそ200社。このうち途中で撤退を決めたのは10数社で、しかもこれら撤退したメーカーの多数は異業種メーカーであり、本業での業績が低下したためだったり、バブル期不動産に手を出して大やけどして倒産…といったもので、ゲームと直接関係あっての撤退ではないのだ。

小売店も同じことで、当時はファミコン-スーパーファミコンという新しい分野での市場拡大に手を出す小売店が多数いた。ただ問屋に苦しめられるだけの業種であるなら、こんなことは起きるはずがない。甘い蜜はそれなりに存在していたわけだ。ざっくり要約すると「不満はあるが儲けもある」といったところか。むしろPCエンジンメガドライブの有力ソフトスーパーファミコン移植して一旗あげようとするサードパーティのほうが多かった。それほど有望な市場であるがゆえ、いろんな輩が入り込もうとやっきになったわけだ。

市場が拡大している間はそれでもよかった。しかスーパーファミコンが円熟期を迎え、対抗馬として「次世代機」の姿がちらつくようになってきた頃に、いよいよおかしくなってきた。多数現れた三次問屋小売店二次問屋の中にねじ込み、己の利益を吸い取ろうとし始めた。手法としては品薄になりそうな人気ソフトを抱きかかえ、「小売店に小売価格そのままで」卸したりした。商圏を無視して跨いで他社の領域に食い込んで商売するところもではじめた。初心会の中にゲームソフト投機商品のように扱う問屋が現れ、二次問屋三次問屋が喜んで利益の分前を頂いた。その分小売店負担が偏り、結果的にはプレイヤーにも巡り、最終的には市場に悪影響を及ぼす。スーパーファミコン市場は歪んだまま大きくなり、そしてついに縮小を始めた。

衝撃が大きかったのはプレイステーションの登場だ。なんと問屋を使わずソニーが直接小売店ものを卸すという。革命的なやり方だった。返品なし、定価販売というところがネックになったが、どの商材も掛け率が一定であることに小売店は喜んだ。今までは問屋ごとに掛け率が違ったり、注文する本数によって掛け率が変動したり、そもそも抱合せ仕入れしかなかった(違法? しったことか!)からだ。

こんなことが可能なのはプレイステーションCD-ROM採用しているからだった。リピート生産ROMほど時間がかからない。お金も自前の工場からさほどかからない。最悪在庫になっても簡単に破棄できる。それゆえ最初こそ少量生産で行い、売り切れたら即リピート発注すればよい。こうすれば過剰な在庫メーカーも小売も苦しめられずにすむ。値崩れ・抱合せ心配いらない。

ROMカセット採用していたらすべて実現不可能なことだった。ちなみにセガサターンCD-ROM採用しているが、他社の工場での生産だったためなかなかリピートが上手く行かなかったらしい。(なお、詳しく書かないがここで上手くいった改革現在すべて崩壊している)

問屋存在意義が問われ始めていた。

一方、任天堂ROMカセット採用を64でもやめなかった。ディスクシステムに手を出してそのあまりに長いロード時間に苦慮したこと経験があるからだ。そしてこれを機にもう一度市場リセットを図ろうとした。市場にはスーパーファミコンワゴンセールが始まっている。なんとかして初心会内外にあるゲーム投機的扱いをやめさせなければならなかった。ソフトの数が少なくなれば、そのような動きはできにくくなる。そのためサードパーティソフトをとにかく減らし、少数精鋭路線で進もうとした。初心会外に取引を広げ自前で流通を行うという選択肢もあったが、これは取らなかった(実はSFC時代トイザらス日本進出をしてきたとき任天堂や各大手メーカー直接取引を持ちかけてきたが、これは上手く行かなかったようだ)。山内社長ファミコン時代の遥か昔から取引を続けていた初心会を切ることに抵抗があったからだ。それに「絶対に売れない」といってたファミコンも買い取ってくれたのは初心会だ。この前もバーチャルボーイというズッコケハードを出したが任天堂は全量初心会ハードを買い取ってもらっているので被害は最小で済んでいる。(その負債初心会が被り、さらにその負債小売店押し付けられた構図だ。)

しかしそれでも、初心会二次問屋たちは目先の利益を追い求めるのに夢中だった。

スーパーファミコン市場末期の1995年発売の聖剣伝説3は初回出荷は70万本だったが、実は初心会からの注文本数は合計140万本だった。前作がミリオン超えをしていたのでそれだけ期待があった、という表側の理由だが、ようするにこれも投機的に扱われることが明白だった(そもそも前作聖剣伝説2結構な数がワゴン行きしていた)。あまりに酷い値崩れを嫌ったスクウェアは出荷本数を半分の70万本にし、かつ卸値を10%引き上げると初心会アナウンスした。こうした動きに一部の問屋がなんと小売店に対して「スクウェア公正取引委員会に訴える!」と言いまわってしまった。もちろんスクウェア側には一切の非はない。運が悪いことに(それとも狙ったかスクウェア夏休みに入ってしまったので、小売店真相確認することができず業界の一大事が起きたのではないかパニックになったところもあるという。この話は巡り巡ってなぜか「任天堂が悪い」ということになった。PSが発売されて半年以上経とうとする頃でも、初心会危機感は全くなかった。

その年の末発売のドラゴンクエストⅥの発売にあたっては、初心会エニックスの間で注文数の予測で大紛糾だった。初心会予測は250万本。エニックス予測は300万本。エニックスは自信満々だったが、初心会はそこまで売れないと踏んでいた。初期出荷は250万できまりエニックスは自前で50万の在庫を抱えることになったが、この読みは的中する。即リピート発注がかかり、エニックス二次出荷を行った。

最終的に320万出荷を果たすわけだが、売上予測ができない問屋メーカー価値を見出すだろうか?

そして、ついに、終わりのときは訪れた。



1997年2月21日任天堂本社で毎年のように行われる初心会の懇親会。その幹部会の席上にて初心会会長である河田会長宣言した。

本日を持って、初心会解散します」

幹事会は静まり返った。関係者には事前に知らされていなかったのだ。解散任天堂山内社長と、初心会河田会長トップ会談秘密裏に行われた。今後一切の取引商品ごと個別に行われ、しか初心会内の特定10社のみそれが行われる。今までゲームソフト投機的に扱って儲けを吸っていた会社任天堂から拒絶され、二次問屋に落とされた。しかも64の少数精鋭路線のおかげでこれから商材はどんどん減る。今までのような振る舞いは不可能になった。


任天堂スーパーマリオクラブの立ち上げにより売上予測をするようになった。つまり予測ノウハウを自ら身につけつつあった。そうなれば商材を投機的にあつかう問屋不要だ。「どれほどのソフトが売れるか、我々にはわかりようがない。流通プロに任せるしかない」。かつての山内社長言葉だが、流通プロプロに値する仕事をしないのなら、切られても仕方がないというわけだ。


この改革任天堂内に留まらなかった。

実はこの流通改革前後してプレイステーションでも問題が発生した。デジキューブだ。スクウェアプレイステーションに参入する条件として、コンビニ自分たちで卸すデジキューブSCE許可させた。

もともとプレイステーションはすべてSCEが自前で小売店流通することを売りにしていた。ところが後から来たスクウェアSCEを通さず自前で流通させるという。

このあたりを詳しく解説する。SCEソフトメーカー協議し、ゲームソフト初回生産量を決める(ということになっているが、実質決定権はSCEにあった)。

SCEは特約店(一部、ハピネットといった問屋使用していたが)からの受注数がその初回生産量に満たない場合SCEが自腹で在庫を抱える(ように努力いたします、という注釈付きではあった)。

掛け率はソフトメーカー一律。

と、ソフトメーカーにかなり親切のように見える。しかしこれには問題が含まれていた。初回生産量はSCEが決め、実際に流通させているのもSCE自身だ。ソフトメーカー営業しかけ多くの受注を獲得したとしても、SCEOKを出さな場合、本当にそのソフト流通しなくなる。実際に飯野賢治プレイステーションDの食卓自分たち在庫を抱えてもいいから多くつくるべきだと要望を出しても、SCEはそれを良しとはせず、結果売り切れを引き起こし機会損失を生んだことがあり、飯野賢治セガ陣営への鞍替えしたことがあった。

ソフトメーカーからしたら、リスクも多いが儲けも大きい自社流通に切り替えたがっていた時期だったが、任天堂SCEもそれを良しとはしなかった(ただし任天堂初心会通しであるため、一社が売れないと踏んでも他の問屋が受注してくれる可能性はあるし、このときPSの取扱店はまだ初心会流通よりは少なかった)。しかスクウェアだけには特例としてそれを認めるというわけだ。SCE流通に関わらず、スクウェアが直接小売店コンビニゲームソフトを卸すわけだ。当然、初回生産量も自由に決められる。

いったいどういうことだ、SCEロンチから頑張ってきたメーカーに対して不義理じゃないのか。こうした理論で反発したメーカーがいた。コナミである

コナミSCEに対して自社流通を求めた。ゲームをつくる製造委託費とロイヤリティは支払うから、お前のところの流通網は使わんぞ、ということだ。こうすることでコナミSCE流通分の費用を削ることができる。5800円の小売価格のうちの取り分を増やすことができるわけだ。もちろん在庫リスク小売店へのやりとりはコナミ自身がやらなければならないから、自社流通完璧というわけではない。結果的大手メーカーはみな自社流通になっていくが、ナムコだけは付き合いもあってか(ナムコはかなり初期からPSに絡み、ライブラリの整備も行うほどだった。自社プラットフォームを諦めたかわり、PSに注力したということだろう)SCE流通を使い続けた。

プレイステーション側でこのようなことが起きてるのだから、当然余波は任天堂側にも及ぶ。コナミは64やゲームボーイの自社ソフトに対して「これから初心会を使わず自前の流通網使いますから」と一方的任天堂要求した。かつての任天堂ならば決して受け入れるはずのない要求だろう。だかしかし、任天堂簡単にこの要求を飲んだ。そして門戸が開かれた自主流通のおかげで、ゲーム業界流通改革は全メーカーを巻き込んだ。最終的にはコナミカプコンコーエースクウェアエニックスといった大手は自前で流通網を持ち、中小サードパーティはそこへ委託流通する形に落ち着いた。つまり初心会問屋たちを全く必要としない流通を実現してしまった。


解体された初心会ボロボロになった。合併倒産が相次ぎ、その多数が姿を消した。残された10社は直接小売店取引するようになり、二次問屋三次問屋は居場所がなかったからだ。


しか任天堂から選ばれた10社も順風満帆ではない。10社のうちモリガングバンダイ系列ハピネットに買収された。石川玩具タカラ事業譲渡した。松葉屋はラスコム事業譲渡し、そのラスコムも後年自己破産している。そんな一方テンヨー、カワダ、カマヤは今でも元気に問屋業を営んでいる。(名前が出てこない他の会社は調べても出てこなかった。情報plz

そしてジェスネット任天堂の子会社となり、アジオカは事業譲渡を行って「任天堂販売」となったが、これはなんと2016年の話だ。初心会解体されて20年近くたったが、完全に自前で任天堂流通するようになった。


こうして初心会歴史の中に消えていった。良い面悪い面両方ともあったわけだが、特に末期には悪い面が強く出すぎていた。しかしこうして羅列してみると、「初心会があらゆるあくどいことを駆使して不法市場を牛耳っていた」というわけではなく「初心会市場を牛耳っていたのでいろいろとあくどいことができた」ということに気がつくだろう。その市場も確固たるものではなく急激に膨らんだ不安定ものであり、なおかつ悪行も任天堂山内社長の怒りが落ちない範囲内の話でしかなかった。

悪徳の町、ソドムゴモラは神の怒りに触れ一夜にして滅んだ。初心会も同じ運命を辿ったのだった。


参考文献

麻倉怜士 久夛良木健プレステ革命

高橋健二 スーパーファミコン任天堂陰謀

武田亨 売られた喧嘩、買ってます任天堂勝利青写真

山名一郎 ゲーム業界三国志

山下敦史 プレイステーション 大ヒットの真実

赤川良二 証言。『革命』はこうして始まった

東洋経済 1997年3.22号 盟友・初心会抜き打ち解散した山内任天堂 焦りの流通改革

参考ツイッターアカウント

岩崎啓眞@スマホゲーム屋+α @snapwith

平林久和/H.Hirabayashi @HisakazuH

大森田不可止 @omorita

初心会興亡記 -かの大帝国は如何にして一夜で滅んだか-

ちょっとゲーム歴史をかじったことがある人なら聞いたことがあるだろう言葉初心会』。

とにかくこの言葉へのイメージは最悪だ。「真っ黒組織」「ゲームヤクザ」「歴史の闇」「悪の秘密結社」etcetc。

そんな初心会だが、はたしてどれだけの人が正確に初心会とはなんなのか、どのような悪どいことをしてきたのか、そして最後はどういうふうに消えていったかを語ることができるだろうか? おそらく、ほとんどいないのではないだろうか。

この初心会について、私が調べたことをゲーム流通歴史を絡めてまとめて書き出すぞ。これで君も初心会マスターだ! ちょっと長いけど勘弁な!


まずは初心会のものについての解説だ。

もともとの任天堂花札屋であり、そこからトランプおもちゃを売り出したことは知っているかな? 創業明治時代だ。

1960年代前半の任天堂問屋を通じてテリトリー別に小売店団体で集め、トランプかるたの特売セールの景品といった形で温泉招待旅行などを行ったりしていた。そうした中、「ダイヤ会」という親睦会が問屋内で自然発生する。このときあくまローカルな親睦団体という形でしかなかった。

1973年2月光線銃といったヒット商品が出始めたのをきっかけに、このダイヤ会を全国規模のきちんとした親睦会の形にしようとして生まれたのが初心会だ。ファミコンが生まれるずっと前だ。そしてファミコンはこの初心会に参加している問屋(59社加盟、その中でゲームに力を注いでいたのは30社ほどだったそうだ)を通じてのみ、流通させようとした。これには理由がある。

ファミコンゲームROMカセットだ。ROMカセットCDと違って作るのが大変だ。発売日の三ヶ月前にはどれくらいつくるか数字を決めなきゃならない。一本つくるのに1000円以上かかる。もちろん任天堂は自前の工場を持っているわけではないから、他社の工場お金を払って作ってもらうわけだな。(ドラゴンクエストシリーズ京セラがつくっていたらしい)

つくってもらったゲームソフトを売る。売れればいい。残ったらどうするか? ROMカセットはとにかく廃棄しづらい。体積があるから倉庫在庫としては大変だ。処分するにも金がかかる。そのため在庫なしの売り切りスタイルであることが求められた。第一、このとき任天堂に「日本全国どこでどれほど、どのファミコンゲームが売れるか」という予測を立てる能力はまったくなかった。

それゆえ当時の任天堂社長山内初心会の力を借りることにした。ファミコンゲームソフトは全量初心会への返品なし買い切り制在庫は持たず、追加の注文が重なってきたら再販というスタイルだ。ファミコン専売権を与えるかわりに返品は勘弁してくれということだ。初心会は全国にその配下二次問屋があるので、彼らを通じて全国の小売店ファミコンを売りだした。ちなみに当初の初心会参加問屋意見としては「こんなもの絶対に売れない」だったそうだ。

ややこしいのがこの後、ファミコンの登場に衝撃を受けたハドソンナムコサードパーティとして参加することだ。当時の任天堂サードパーティが現れることを予測していなかった。というか、まさか他社がファミコンソフトを作れるとは思っていなかった。そのためサードパーティ参加用の契約書をあわてて作る羽目になったという。(このときアメリカにてアタリサードパーティであるアクティビジョン販売差し止めで訴えていたが、後に和解し、サードパーティ合法化された経緯があるため、そもそもサードパーティを認めない、という選択肢はなかったものと思われる)

このときナムコ簡単だった。ナムコは自前でROMカセットを作ることができたからだ。アーケードの雄はハードウェアを扱う力に長けていた。ナムコに対しては自社生産を認め、1本100円のロイヤリティを収めてくれれば問題ないという契約を交わした。

ハドソン問題だった。ハドソン能力こそずば抜けていたが、なにぶん会社の規模が小さかった。とても自前でROMカセットは作ることができず、任天堂に頼ることになった。

任天堂からしたらさら想定外事態だ。どうやればスマートサードパーティ用のソフト流通させることができるのか。任天堂リスクを負うことなく、かつゲーム市場が適正に伸びていくための方法模索する必要があった。

最終的な仕様は、まずサードパーティは一括して任天堂製造委託費を払う。その中からロイヤリティを差っ引き、任天堂工場ROM発注する。作る数は任天堂サードパーティ初心会の3つで相談して決める。初心会サードパーティ任天堂委託したROMを全数買取、支払いする。これで決まった。

もちろんこれが全てではない。年末クリスマス商戦を狙って多数のソフトメーカーソフトを投入してくるので、思ったような数が生産できないので任天堂が拒絶する場合もある。初心会の見込み以上に売れると意気込んだサードパーティが、自前で在庫を抱えてリピートを狙う場合もあった。ROMカセットは作るのにとにかく時間がかかるからリピート発注が来てもそのとき在庫がなければ応えられるのは早くて三ヶ月後だ(半導体在庫事情によっては半年待たされることもあったらしい)。そうなればすでに需要中古で落ち着いてしまう。そういう理由初心会の注文数よりも多くつくるメーカーもあった。そのままリピート注文が来ず在庫になった? その場合は大特価二次出荷するしかない。君はかつてゲーム屋でファミコングラディウスが新品980円で売られているところを見たことはないか? あれはつまり、そういうことだ。

この中で任天堂非難する流れがあった。サードパーティソフトを出すにあたり、任天堂はなんのリスクもなくロイヤリティ徴収していると。しかしこれはそもそもファミコンという当たるかどうかわからないプラットフォームを立て、リスクを負った会社が得るリターンとしてはむしろ当然ではないだろうか。不満があるならセガのように自社プラットフォームを出せばいい。ナムコも自社プラットフォーム計画していたらしいが、結局世に出ることはなかった。



ファミコン時代流通はこういうことで決まった。このあたりの動きでは初心会があまり悪の組織っぽくなくて意外かもしれない。こんな証言がある。スクウェア創設者鈴木尚2003年岡山大学にてインタビューを受けたとき発言である


初心会っていう問屋集団が、ある時期は全くファイナンス役割果たしてくれてたわけですよ。あまりに量が大きくなると「すみませんお金ないんですよぉ」って言うと手形をくれるわけです。その手形担保銀行からお金を借りるわけです。実質的には、ある日突然ファミコンブーム終焉しない限りは、返ってくるだろうという。

この時期はスクウェアファミコンに参入したての頃を指す。任天堂ROM製造委託費を前払いで求めてくるので、どこかが銀行の代行をしなければならない。そこで初心会が(正確にはその中の一つの問屋だろうが)その役割果たしていたということだ。

スクウェアはこの後ファイナルファンタジーで有数のRPGメーカーとして名を馳せることになるが、実は完全覚醒するまでにはもう少し時間がかかった。初代ファイナルファンタジーの初回出荷数は40万本で、これが最終的には80万本まで伸びる。次回作ファイナルファンタジー2にて70万本超えの実績を得たが、実はこれ、途中でかなり問屋内で在庫が残って大変だったという。しかファイナルファンタジー3では初のミリオン超え(最終的には140万本)を果たす。それに伴い過去作も売れるようになって、リピードがかかったというわけだ。このあたり初心会はうまくスクウェアバックアップに動いているように見える。


そう見えるのは、それはスクウェアが一流メーカー入りを果たしたからだった。ファミコン末期の他のメーカーはどうだったか? 1990年8月晴海にて「ファミリーコンピュータゲームボーイ展示会」「スーパーファミコン発表会」が行われた。年末発売のソフト中心に初心会小売店に対して各ゲームメーカー披露する展示会だ。この展示会自体1988年からやっている。

しか1990年ではついに「受注ゼロ」のソフトが出始めたのだ。しかも一つや2つではなく、この展示会で並んだソフト(約100タイトル)のうち、3割が受注ゼロだった。この時点でファミコン市場は売れるソフトと、そうではないソフトの差が尋常ではなく離れていた。

この場合メーカーには2つの道がある。一つは発売中止。もう一つは「任天堂には最低限の発注を行い、初心会には最大限の営業活動を続ける」というもの。もちろん初心会に対して売る気を見せるために大規模な広告活動をやれば発注はくるかもしれないが、その分当然損益分岐点はどんどん高くなる。もっと有効なのは卸値自体を下げてしまうことかもしれない。

そうしてギリギリの攻防が続けられなんとか出荷したゲームはどうなるだろうか? 端的にいうと、人気ソフトの添え物として扱われた。初心会問屋二次問屋小売店へ向けて1本の人気ソフトに対してこういった不人気ゲームや、在庫売れ残りゲーム抱合せで売りつけた。このときのレートによって「1対3」「1対4」などという言葉が生まれた。(場合によっては1対8なんてのもあったらしい)

さらにはバッタ屋ルートなるもの存在した。問屋の不良在庫を捨て値で買取独自ルート小売店に売る。このとき小売店ゲーム屋とは限らない。スーパーディスカウントストアリサイクルショップと様々だ。なかには「お楽しみ袋問屋」なるものもでてきて、中身が見えないファミコンソフトの詰め合わせが一山いくら世界だったそうだ。こういった不人気ソフトワゴンセールをとてもよく賑わしてくれた。

ちなみに抱合せ販売違法なので、公正取引委員会による排除勧告初心会問屋に入ったことがある。ドラゴンクエスト4の頃だ。そのためかわりに「新作ドラゴンクエストの受注を行います。なおドラゴンクエストの他にあの大人ソフト郡(大人気とは言っていない)のリピート販売を行いますので、ぜひ同時注文してくださいね」なんて手法が取られた。




これらの状況を任天堂は当然良く思っていなかった。もともと任天堂アタリショックを目の当たりにして、「クズソフトの氾濫は市場を殺す」と認識していた。そのため、サードパーティには本数制限をかけた。が、サードパーティ自体が増えれば意味がなかった。子供向けのおもちゃであるために表現規制を敷いたが、クオリティチェックはまだこの時行われていなかった。どんどん増えるソフト初心会流通在庫市場を殺す材料になりえた。どこもが不良在庫を減らそうとやっきになって価格ディスカウントしてしまえば、プレイヤー適正価格ゲームソフトを買おう、という意欲が損なわれる恐れがある。


そこで任天堂はこの状況を打破すべくスーパーマリオクラブという組織を立ち上げる。一般モニタープレイヤー2000人超を使い、彼らに発売前のゲームを二時間実際にプレイしてもらい、どこがどう面白いのか、つまらなかったのかを評価をする。評価は項目ごとに点数付けされ、集計されたデータ問屋小売店に送られる。このデータ雑誌ファミリーコンピュータマガジンなどにも送られ掲載されていたので、知っている人は多いんじゃないかな。そしてこのスーパーマリオクラブソフト売上の予測も立てるようになった。意外なことにこの素人集団予測が的中した。後年はマリオクラブ参加者自身が慣れてきてしまい、その予測が外れるようになってしまったが。余談だがマリオクラブはこの後正式任天堂品質管理部門となった。さらにその後分社化が行われ、マリオクラブ株式会社となった。

任天堂としてはスーパーファミコンを機に一度市場リセットしようと試みた。品質管理に売上予測、あまりに多くなりすぎた流通在庫。今ではピンとこない話だが、当時のゲームメーカーは「いったいどれほどのゲームが実際にプレイヤーの手に渡っているのか、どれほど流通在庫が眠っているのか」を把握する方法ほとんどなかった。商売相手小売店プレイヤーではなく、あくま初心会からこんなことになったわけだ。

当時の任天堂社長山内はこう語っている。「どれほどのソフトが売れるか、我々にはわかりようがない。流通プロに任せるしかない」。これは初心会オンリー流通自己弁護した言葉と思われた。しかしこの言葉には「流通プロでもわからないのなら、任せる意味がない」ということを含んでいる。この言葉の本当の意味はこの後判明する。


そうして新たなスタートをきったスーパーファミコン市場だったが、これは結論からいうと、なんら変わらなかった。むしろますますカオスになっていった。このあたりからいよいよ初心会初心会らしい悪行が目立ち出す。厳密にいうとこの美味しい市場に目をつけた業者が、なんとか流通に入り込もうとし、初心会の中の一部(ここはもしかしたら一部ではないかもしれない)が彼らと手を組んだ結果なのだが。

スーパーファミコン本体がほしい場合アクトレイザーとの抱合せで(違法? 知りません)。しかスーパーファミコン自体の掛け率は98%。場合によっては小売超え。別売りケーブルスーパーファミコンAVケーブル別売りだった)を売るほうが利益がでる状況だ。

・80万本の出荷実績があるサッカーゲームの第二弾が登場したとき初心会とある問屋一社が初回出荷数50万のうち25万を買い占めた。この25万は発売日に大量には卸さず、自前で在庫として抱え、市場在庫が枯渇して小売店二次問屋が注文してくるのに対し、他のクズソフトとの抱き合わせ違法? 知らない子ですね)で売りさばいた。

とある問屋メーカーに対して「うちは来週から社員旅行にでかけるんで、申し訳ないのですけど一週間早くソフトを卸してくれませんか?」と要望があった。それに応じて一週間早くソフトを送ると、なんとそのまま発売日よりも一週間早く小売店ソフトが並んでいた。社員旅行なんてそもそも嘘だった。

メーカーに対してゲームソフトを大量に仕入れることを約束する見返りとして、その担当者個人の口座にリベートを送るように要求した。

問屋勝手に掛け率を決めて発注書をメーカーに送りつけた

(続く)

https://anond.hatelabo.jp/20210504185958

2021-04-25

ゲームを買わない家庭

小4男子を筆頭に3人の子がいる知人が「ゲーム類は一切買わない」と言っててすごいと思った。

自分は兄がいて、子供の頃はファミコンゲームボーイ、そのうちスーファミプレステってどんどん買い足して当たり前に遊んだ世代から男子小学生がいる家庭でゲーム機一切なしって可能なの……? とビックリした。PCゲームスマホゲームしてるのかもしれないけどね。

子供本人がしたくないならいいけど、本当はしたいのに我慢させられてるなら気の毒だなと思ってしまう。中学受験するらしくて、そのためにも買わないのかもしれないけど。

好きなことを一切我慢せず、しかも当たり前に勉強もできて私立に入ってくる子っているじゃない。しかも成績上位みたいな人。そういう子たちと勝負させられ続けるの、しんどそう……。公立機能してない地域に住んでるとしたら、それも大変そうだと思うし。人の家庭のことなので絶対口は出せないけど。

うちの子寝る時間だけは厳しく言ってるけど、ゲームは無制限地方都市から中学公立。どうなることやらだけど、本人の人生から好きにすればいいと思うよ。

昔のゲームプレイできないのはおかし

俺の姉ちゃんがやってたセーラームーンゲームボーイソフトとかさ、バーチャルコンソールでも出てないしもうできないわけよ

なんかもうsteamみたいなところで昔のゲームアーカイブされて買えるようになってほしいわ

2021-04-12

anond:20210412155935

老後がゲロつまんねえから楽しむための金とかを取って置いてるんだろ

クソつまらん親戚の家行くのにゲームボーイ電池を沢山持っていくようなもんだ

2021-04-04

anond:20210404051852

魔界塔士Sa・Gaは、はやってた!

2も。

ゲームボーイテレビがなくても遊べるので爆発的に流行した。

ソフト土地によりけりで、私の住んでいた場所ではマッハライダークソゲー扱いだった。

クソゲー扱いした児童スペランカーを買った。

2021-03-27

ゲームボーイ

あっても、ゲームガールがない。

このことを問題視された結果、「ゲームキッズ」に名称変更される世界線

2021-03-03

anond:20210303120337

わかる。

ゲームボーイ時代のは、何度もやり直してる。楽しい

牧場物語系で唯一クリアまでいったわ。

anond:20210303075457

発売する前に画面見ただけでクソゲーだって一瞬で分かるわ

ゲームボーイPS時代サクサク動いてサクサク移動できる牧場物語面白かったのに3DS版出たとき買ったら動きモッサリで投げたわ

動きがモッサリになってクソゲー化するシリーズ多すぎん?

開発側はグラフィックの綺麗さよりサクサク動くかどうかを重要視してほしいわ

2021-01-25

歳をとってゲームができなくなってきた

30歳、ゲーム好き。

好きといっても下手の横好きってやつで、

スマブラとかポケモンみたいなレーティングがあるようなやつは大抵真ん中よりちょっと下。

FPSもやるけど、先週始めたエーペックスはまだ10キルもしていない。

初心者サーバーとはいえ、俺とデュオになった人は貧乏くじを引いたことになるので申し訳ない。

そんでも、好きだから楽しんでやっている。

 

人生で一番ゲームをやっていたのは小中高大のどれか、

児童とか学生という肩書があった時期だと思うんだけど、あの時は本当に1日中ゲームができた。

朝起きたらまずゲームボーイを起動して朝飯までの5分や10分すらも惜しむようにポケモンを育てた。

夕方帰ってきたら友達と育てたポケモンを戦わせたりスマブラやったり。

中学くらいからはひたすらパワプロサクセスをぶん回していた。

学校のある日でも1日に2、3人は作ったし、休日なら5人くらいは作れた。

高校生になってポケモンに復帰してからは、取り憑かれたように卵の孵化作業をしていた。

DSは良い。TVが一台しかない実家暮らしでも、夜に自室でこもって没頭できたし、

電気を消してもLite以降はプレイできたからな。

ゲームボーイライト?知らない子ですね……。

大学に入ってもそれは続いたし、一人暮らしWi-Fiを開通してからは家でも対戦できるようになって

「すげえ世の中になったなあ」とか思っていた。

この頃は、夜中の3時くらいまでゲームをしていた。

場合によっては夜明けまでやってしまうようなことも多々あった。

新作が出たとき、なんか知らんけど急にドハマリしたときちょっと思い立ってRTAマネごとみたいなことをしたとき

夜通し一人で、あるいは友人と、一心不乱にゲームにのめり込んでいたのが、俺の学生時代だ。

 

社会人になり、結婚し、子どもができ、30歳になった。

今でも子どもが寝たあとにゲームをしている。楽しい

けど、疲れる。1時間もすると、ふうっと息を吐いてコントローラーを置いてしまう。

目が疲れ、肩が凝り、頭が働かなくなる。

そんで、休憩と称してダラダラしてると、気を抜いた隙に寝落ちしている。

BGMがゆったりしたゲームなんかだと、キャラクターを動かしながら寝てしまっている。

 

なんだか悲しくて寂しい。

歳をとったことが?ゲームを満足にプレイできないことが?

多分、どっちも。

持て余すほどの体力と時間があったあの頃が懐かしい。

今では会社から通勤電車のなかか、帰宅してからほんの1、2時間くらいしか時間がない。

休日だって子どもの世話と家事が最優先だから、確保できる時間は同じだ。

なのに、その少ない時間ですら100%でプレイできない。

仕事家事で疲れているのか、はたまた衰えているのか。

自然積みゲーも増えていく。

部屋〜の隅〜、積まれ〜たゲームソフト、やら〜なくちゃ〜意味が〜ない〜のかな。

 

そういえば、本も読まなくなった。

学生の頃は好きな作家小説が出たら徹夜で読んだりしていたのに、

今では積ん読ばかりが増えていく。

 

時間、体力、お金

それら全てを高水準で保たないと、娯楽を楽しむことは難しい。

2020-12-27

叔母へのクリスマスプレゼント中古3DSを買った

なぜ叔母か、なぜSwitchではないのか。

自分なりに節目の出来事だったので日記として書く。

 

幼少期から一緒に住んでいる叔母は知的障害をもっている。知能は小2くらい。

小さい頃、私は叔母が羨ましかった。叔母の方がオモチャをたくさん持っていたから。

戦隊モノシリーズの変身道具とか漫画とかゲームとか。

私は白黒の初代ゲームボーイでポケモン緑でずっと遊んでいたから、

叔母によく貸して欲しいとお願いして嫌な顔をされたのを覚えている。

そういう時は亡き祖父母が「貸してやりなさい」と叔母を諭してくれたのを覚えている。

叔母のオモチャは古いものから当時の最新までそろっていた。

祖父母永久に続く子育てをしていた。

 

十年前に祖父母は死んだが、体調を崩した二十数年前から、叔母のオモチャ更新は止まった。

私はこの二十数年、オモチャへの興味をなくし、大学に進学し、就職し、働き、Uターン地元に戻ってきた。

その間も叔母はゲームボーイカラーで遊んでいた。

 

先日、叔母がいったいどういう風に遊んでいるか見せてもらった。

お気に入りポケモン金銀と星のカービィだが、クリアしたことはないらしい。

ゲームが難しくなるとブチっと電源を切る。

ゲームボーイカラーは、画面が調子悪くなっており、新しいもの必要だった。

 

 

おもちゃ屋で、ディスプレイに並ぶゲーム機を見る。

DSと64で知識が止まっていたが,ゲームキューブ,3DSwii,wiiU,Swtich,SwitchLiteと続々出てた。

値段にビビるSwitch,予想以上に高い。

Switch、隣に並ぶソフトラインナップも見る。

ストーリーゲームシステムがみるからに複雑そうだ。

最近の子供はこれをやすやすとやるのか。

叔母にできるだろうか。その場でスマホで調べる。

 

おもちゃ屋で一時間くらいスマホで調べた結果、隣に併設されてた中古3DSとした。

叔母でも遊べること。ゲームボーイからの形が似てること。ダウンロードコンテンツ3DSでも使えること。

ダウンロードコンテンツで今使ってるゲームも遊べること(データ移設はできないけど問題ないだろう)。

それと自分の懐事情Switchを買え与えられないことに情けなさを感じた。

 

周辺器具等も揃えてレジに向かう途中、足が震えた。

永久に続く叔母の子育て。祖父母からまり母親を経由し、そしてそのバトンがついに自分に回ってきた。

叔母に中古3DSを買い与えることが、そのことの象徴のように思えた。

 

家へと向かう車中、叫びたい気持ちをぐっと抑えた。

これから何度もその気持ちに襲われるだろう。

祖父母母親もこんな気持ちになったことがあり、それを乗り越えてきたんだろうか。

叔母にクリスマスプレゼントとして渡すと、20数年ぶりの新しいゲーム機を喜んだ。

これから、初期設定を私が行い、使い方を叔母に教える。

どんなゲームソフトにするかはダウンロードコンテンツを示しながら選んでもらおう。

いつか叫びたい気持ちも消えるだろうか。消えた時、わたしはどうなっているだろうか。

2020-12-26

anond:20201226090732

ポケモンみたいな相手モンスター捕まえるのっていつから始まったの?」

に対して

ゲームボーイ

って答えるレベルの虚無

2020-12-15

anond:20201215121943

元増田自分共通する部分があってでびびってる。

引きこもり障害者問題って、親の悩み→兄弟の悩み→孫の悩みと当事者シフトしてきてんだよな。

60年前の祖父母のクソな決断に俺たちが付き合わさられてるんだ。クソがよ。

 

 

俺の場合は伯母(母の妹)が軽度の知的障害還暦。2歳くらいで分かったらしい。

当事の医者に成人するまで生きられないと言われ、

祖父母は甘やかす方向性大事に育てたら60迎えた。

躾がなってない無邪気な小学一年生って感じだ。

 

多少の家事とおつかいができる。

風呂を嫌がる。

飯の食い方がエグいレベルで汚い(浮浪者食卓囲んでる感じ)

記憶力があまりない。低俗バラエティ番組が好き。内容は理解してない。

未だに初代ゲームボーイで遊んでる。

 

伯母は成人後も祖父母と同居していたが、俺が幼児の頃に父が亡くなり、母1人で子育ては大変だろうと俺達と同居することになった。

俺は擬似きょうだい児として育てられた。母はきょうだい児の優踏生タイプから受け入れたんだろう。

 

姉が結婚する時、両家顔合わせの時に伯母を見た相手ご両親に母は「この子(伯母)の面倒は増田(俺)が見ますので」と言った。

まあそうだろうとずっと思ってたけどね。

 

元増田は冷静落ち着いて叔父さんと向き合っていて偉いよ。

俺は「伯母って生きてる意味あるわけ?」と素直に思う。

 

仮に伯母が若い頃に障害者雇用とかで働かせて一人暮らしさせても、自己管理能力がないので40手前で死んでたと思う。

別にそれでええやんけと思うけどな。

自己管理能力がない奴が死ぬって当たり前じゃね。

なに孫の代まで影響あたえてんだよと思う。

 

小さい頃から一緒に育てられたせいで、

俺は自分遺伝子に自信がない。

毎晩、目の前で遺伝子可能性の1つが汚え飯の食い方して、馬鹿テレビみて馬鹿なこと言ってるんだ。そりゃそうなるわ。

怖いよ。

 

 

の子供に遺伝性病気があると知った時泣いた。

知能には関係ないらしけど、もしかしたらやっぱり将来的にそうなるかもしれない。

でも、だからって姉は変わらなかった。 

姉は最初からずっと子供が無事に元気に育つことを願ってるんだ。

親ってそういうもんなんだ。

伯母もそうだったんだって分かった。 

俺の好きだった祖父母がそうしてたんだよ。

 

だったらもうやるしかないんだと分かったよ。

合理性社会とかもううるせえとしか言いようがなくなった。

めちゃくちゃ恥ずかしいけど外出で外に遊びに連れて行くし、

見てもどうせ分からないし記憶にも残らないんだろうけど、見たいとかい映画に連れて行く。

怖くて毎回震えるけど、外で美味しいもの食べさせる。

風呂に入ってちゃんと頭洗えってちょっと言う。

今年のクリスマスは、画面の調子が悪いらしゲームボーイの新しいやつ(中古)をあげるつもりだ。

俺の金がどんどん出ていく。将来はたぶん、もっと

 

考えたって分かんねえよ。

祖父母が亡くなり、親もやがて亡くなる。

俺がやればいいだけの話だ。

クソみたいなことだけど、そのクソみたいなことに向き合うだけの力は全部もうもらってたんだ。

俺のこの変な感じの文章無駄エネルギーもいつか明るい未来にのどこかにつながるんだ。

そこでは俺も伯母も祖父母も母も死んだ父も笑ってるんだよ。

そういう世界に俺が連れていくんだ。

 

元増田も今は子供をめちゃくちゃ大事に育てればいいんだよ。まあ、もうやってると思うけど。

それが明るい未来つながるんだ。

2020-12-03

夜中になると憂うつ希死念慮に耐えきれず、周囲にもばら撒こうとする人がのそのそ這い出て来る

電気が悪い

明かりをつけられるから夜更かし出来る

スマホが一番最初ゲームボーイみたいに光らなかったら布団の中で弄り回すこともない

パジャマきて、歯を磨いて、あったかくして

まあ無理か

でもまだ1時、頑張れば起きるために眠れるかもしれない

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