名前を隠して楽しく日記。
ファンキーモンキーベイビーズの「悲しみなんて笑い飛ばせ」っていう歌、前向きな歌詞だけどタイトルに「悲しみ」って入ってるのがもうダメだと思う
言ってることめちゃくちゃだよ
エイプリルフールで気軽に冗談にしたことが問題だって話なのに本当だったらどうするんだ!!!!!!!!!ってマジで頭おかしいんじゃないの
そして男性ファンが怒るからだ!!!!ってなぜ怒るのかって言ったら同性愛は嘘だと思ってて異性愛は嘘じゃないと思うからだろ?ただの差別やん
30、40ともなると組織の中堅どころで「それなり」の能力を求められる。
生きがいだのやりがいだの無くても働けるし生きては行けると思っていたのに、30、40になると生きがいも働きがいも無しに働くのはかなり辛くなってくるのだな。
精神的には20代と何も変わってないのに、能力は求められるし体力の減衰は嫌でも自覚してしまうのが原因。
「どうせ守るものなんて自分以外にないしな」「今死んでも誰も困らないしな」と思ってくると能力以上に働こうという気も無くなり、こうして「働かないおじさん」が誕生するのだと知った。
やるべきと定められてる訳でも無いし、そのうちいつでもできる、という先送り思想で全てを積んでいって趣味だと思っていたものはもはや趣味では無いことを思い知り、こうして「無趣味のおじさん」が誕生するのだと知った。
初期研修医です。3年目になりますが初期研修が終わりませんでした。
ずっと親の敷いたレールの上を必死で走ってきました。わりと(物理的に)叩かれて育ち、幼少期、物心ついた頃から医学部に行って医師免許を取りなさい、手に職をつけなさいと言われてきました。それ以外の選択肢はないものだと思っていました。
本を読んだり、海外ドラマを観ることが好きだったので、語学や文学を勉強したいなあとふと気づいたのは高3の秋。でも高校の理数科に所属していて、馬鹿なりに頑張っていたので成績はまあまあ良い方でした。気づいてしまったことに蓋をして、地元の国立医学部に現役合格しました。
学生時代はそれなりに楽しかった。部活に一生懸命になって、自分がやりたいことがなんだったのかを考えることはしませんでした。友達もできました。
初期研修は市中病院で始めました。でも1年目の6月に、消化器内科をローテートしていたとき、あまりにも臨床が自分の性格に合わず体調を崩し、休職しました。わたしは自他の境界線が曖昧で、入院患者さんが訴える苦しみや、患者さんが亡くなることに耐えきれなかったのでした。それでもなんとか休職明け頑張って仕事を続けていたけれど、その間何度死にたいと思って泣いたかわからない。気づいたらわたしはうつ病と診断されていました。自殺未遂を繰り返しました。
3月30日、わたしはこれで最後にしようと思ってマンションの非常階段から飛び降りようとしました。幼少期の辛い記憶も、普通に医学部を卒業して初期研修を終えて専門に進むというレールに乗れなかった自分も、全部終わらせようと思いました。でも、死ねなかった。結局わたしは死ぬのが怖かったんです。幸せになりたいと思った。死ぬことを選んだのは自分だったのに、死にたいんじゃなくて生きたかったのだった。
マンション(10階建て。タワマンではない)に帰ってきたら荷物を持った配達員がエレベーターを待っていた。
乗り込まないのでとりあえず乗り込んで開くボタンを押していたら「いえいえ、お先にどうぞ」と言ってくる。
お前は「自分が損することで居合わせた人に親切で譲ってあげた」つもりかもしれないが、本当に損してるのは部屋で待っている配達先の住人だからな?
むかついたから無駄に3,5,7,9階まで登ったあとに階段で降りることにした。配達先の住人さんも余計に待たされてかわいそうに。