名前を隠して楽しく日記。
当たるまでやり続けるんだよ
アメリカ人や帰国子女って実際定時に帰ったり、飲み会気が乗らないと出なかっり、自己主張はっきりしてるなぁって思うけど
またそういう「アメリカ的社会」に馴染めなかった人も多いっぽくて
「飲み会参加が前提」とか「イベント強制」っていう文化に、「ホントは飲み会好きだしイベント好きだけど、自分から言い出しにくい」っていう人は心地よく感じるっぽいのな。
あとアメリカは「個人的な同調圧力」ってのが強くて、「みんなと同じ考え方を自発的に主張しないと仲間に入れられない」ってのがあって、そうでないといじめられたり無視される
ある程度思想が違っても、和が大事だし……と許容される日本社会は居心地いいらしいね。
結局、どの文化にも許容される部分、許容されない部分があるのだと思う。
そりゃ感情論を生の感情論のまま持ち出したって「そうですねでもそれ個人の好き嫌いですよね」って言われておしまいじゃん
だから本音のところが気に食わない作品や気に食わない客層に対する反感でしかなかろうが、いちいち後付けの理屈こねて殴らないといけないだけ
思考力を鍛えるなら、高度に抽象化された数学じゃなく、実生活に即した問題をやればいいだろ。
それこそ詐欺の事例だとかプロパガンダの事例、疑似科学の事例を直接取り扱えばいい。
「なぜ数学なのか」という問いの答えになってない。
FGOはこれでもかってぐらいグリグリ動き回るし、ギルガメッシュがいい王様してるし
そりゃそうよ。どんな描写だって、好きな人もいれば、いやな気持ちにになる人も怒る人もいる。
でもインターネットでキレてるひとたちの中には自分自身の個人的なの怒りじゃなくて、ポリコレ的に正しくないことそのものに怒ってる人がいるでしょ?怒り騒ぐことことそのものが目的になってるんだよ。
ちなみに元増田を書いたのは、「not for me」で終わるレベルの事にさえ怒り狂ってる人のことを何人か見かけてなんだかなあ、と思ったことへのぼやきだったんだ。たぶんよくあるポリコレ問題ではなくかなり特殊事例だったから伝わりにくいとは思う。
そしてこれらの問題について個人的に思うのは、娯楽作品の描写で嫌な思いをすることは誰にでもあるし、怒ることも誰にでもあるだろうけど必要以上に騒ぐのは好きではない、ということ。そもそももし嫌いな描写があるのならできる限り自衛して見ないように避ければいいんだよ。自分はそうしてるからね。
社会の人的資源の運用単位を「個人」にするのって変だと思うんだよね。チーム単位でいいじゃん。って思うんだよね。
例えば気性が荒かったりスケジュールがぜんぜんダメなクリエイター。みたいなのいっぱいいるじゃん、そういうのを管理するじゃじゃ馬ならし役の人とセットでチームになれば使えるようになるのに、それをしない経営とか政策ってのは人的資源の活用がヘタクソすぎでしょ。って思えてならないんだが。
はてブのトップにヘッドラインがあったからたまに見てたけど、「商品名が表示されてるのでそれについての記事が読めるのだろうと思ってクリックしても、その商品が出てこない」ってのが微妙にストレスで、いつしか開かなくなってしまった感じ。
個人にプレッシャーをかけたらそんなものには耐えられないからだ。
負の連鎖が起こる。
作るとその人ひとりにプレッシャーがいって潰れる。
それが仕事をする人たちにとって最良。
一人当たりのプレッシャーが少ない。
これなら人が潰されることはない。
Wikipediaを読んでも要素が多くてよくわからないのだが、そこがはっきりしないからキャラクター性の議論ばっかりされてるように思う。
考えられることとして
だとしたら日本に関しては人口減少でCO2削減は確実だし、代替エネルギー開発もそれなりにしてて「セクシーに地球温暖化問題に取り組んでいる」。「アメリカと中国とインドに言うべき」で終わりだと思うんだが。
だとしたらそれは個々人の問題だし、ちょっとでもエネルギー節約してる人なら「うんうんそうだね、もうちょっと頑張ろうかな」って言って終わりだよね。
ただもっと進んで
③化石燃料発電を今すぐやめるべき
ってことなら日本には太陽光と風力をなるべく増やしても、残りは全部原子力にするしかないわけで、強力な原発推進論者ってことになる。それは日本での支持層と多分合わないんだよな。
あとはいろんなパフォーマンスをしてるけど、それを他人にも強制する考えで、
④地球温暖化問題解決のために飛行機には一切乗るべきでないし、牛肉も食べるべきではない
っていう考えなんだったら日本で広い支持得られるわけないよね。擁護してる人たちおかしくねって感じなんだが実際の所どうなのよ。
神はより上位の概念なので、法に縛られない。