名前を隠して楽しく日記。
例えは悪いかもしれないけど、要するに保育士とは「儲からない」仕事なんでしょ。
仕事が単純作業ばかり→報酬が少ない→利潤が少ない→給料が安い→人が集まらない→少ない人手で回すので一人当たりの仕事量が多い→更に人手不足・・・。
ホテル(グレードに関わらず)に宿泊した時、翌日何も用事がなければチェックアウト時間ギリギリまでだらだらしている。ビジホで朝食後、ベッドに転がってベッド前にあるテレビをぼーっと眺める時間が結構好きだ。例えば11時チェックアウトだとしたら10:58くらいにフロントに降りてる。
この話をなにかの流れで親にしたら驚かれた。親としては「チェックアウト時間ギリギリまで滞在する」という認識がそもそもなかった(?)らしい。いや用がないならさっさと出るだろ、みたいな。
俺としてもその感覚が結構意外だったので、友達にも話題を振ってみたらやはり「ギリギリまでいる派」と「用意が出来たらすぐチェックアウトする派」に分かれた。
○ギリギリまでいる派(俺含め)
・ぼーっとするのが楽しい
・せっかくこの時間までいていいと決まっているなら、ギリギリまで時間を使いたい
・(休日はどちらかというと家に引きこもりたい人がこっちな感覚)
○すぐチェックアウトする派
・暇だから早めに出ることが多い
分かるよ、俺も田舎生まれ東京暮らしで過ごした期間が同じくらいになっているから。
田舎か都会かの選択の問題はあんまり関係がないと思っている、それはその人の中の物事の優先度次第、状況次第、決断次第だから。無限通りのパターンがあるから。
人間生きてると考えが変わるし、知識や体験が増えるから、なんというか物事に対する解像度みたいなものが高まることがあるんだと思う。
昔は生まれ故郷の冬に降る雪は、雪かき手伝いを発生させる迷惑なもの、でも雪だるまや雪合戦、かまくらなんかの遊びに使えるもの、くらいに認識していたものが、今見ると手のひらに降った雪の結晶の形がそれぞれ違っていて、ずっと飽きずに見ていられるような。雪の積もった夜に家の中にいると、建物の柱と一緒にその重みを感じ取ったり、掛け布団の重みに雪の重みを重ねて屋根の気持ちを想像するような。
日常から感じ取れる物事の解像度が上がれば、田舎の閑散とした風景も都会のごちゃついた街並みも違った風に見えてきて、もっと楽しむことができるんじゃないか。そんな感じがする今日この頃。
どこの田舎でも大体こうだったんじゃないの?今はさすがに変わったけれども。
IRIAMの話?