名前を隠して楽しく日記。
変態(Tcl)と変態(Tk)がマリアージュした早くて安くてうまい牛丼みたいな言語だが、この10年ほど見たことも使ったこともない
捨てていいかな
捨てよう
えー
ポイで
NBAと他海外リーグ(Bリーグ、NBL、ユーロリーグなど)を見ていて気がついたこと
・感覚的に、NBAはリッチで他リーグはチープに見えてしまう。
多分そもそものリーグの規模が違うので上記のように感じるのはあるとは思うが、視覚的・聴覚的に違う気がしたので考えてみた。
→ ユニフォームが違う。NBAは、チーム名とワンポイント(多くて2箇所)の企業ロゴが入っているのに対し、他リーグのユニフォームには多くの企業ロゴが入っている。ユニフォームデザインの余白が、リッチさを生んでいるのはないか。(正直、企業ロゴが多すぎるしサイズもバラバラなのでどれがチーム名かわからないときがあるw)
→ アリーナのクオリティが違う。会場の大きさが全然違うので、カメラの位置や音の拾い方や響き方がそれぞれ異なる。NBAはあんまりドリブルの音やバッシュの音は聞こえないように感じるが、BリーグやNBLを見ていると割とコート上の音が聞こえる気がする。カメラのクオリティが違うのかな?照明の感じも違う気がする。他リーグは少し暗い。
他にも違いはいっぱいあると思う。ボールの色とかコートの大きさとかコートのデザイン(企業ロゴやペイントエリアの装飾など)、あとはそもそもの選手の質やサイズとか。
(スーツを着ているBリーグの監督はなぜか偉そうに見えるw)
ただ、否定したいわけではない。ただ違いを感じただけ。
私はバスケットボール自体が好きなので、見れるものはいろいろ見ています。
エゴはそうなんだが、人々の個別の完成ってそんなにバラバラじゃなくて、各自がエゴで作品を評価しているとしても、結果としては全員の意見が一致したりする。
そうして全会一致で褒められる作品が「面白い作品」「素晴らしい作品」「名作」なわけだしな。
個別のエゴだから全体を統一しようとするのはダメだ、という意見は俺は受け入れられない。
名作は名作で、誰が見ても面白いもので、それは個人の意見とかで左右されない。
全体はあるんだ。
なぜお前がそういう個別のエゴみたいな考察に陥ってしまうかというと、進撃の巨人を読まずに感想を見るとかいう愚を犯しているからだと思うぞ。読まずに書評とかクソでしょ。
いいから読めって。
そもそも障害者に合わせる必要ないんだよ。日本の公共機関は20代の成人男性に合わせりゃいい
段差もバンバン入れて、みんなが早歩きで移動すりゃあ全てが合理的公立的なんだよな
公共交通機関使ってんじゃねーよ
誰がそんなこといってんの?
創作物は社会的にかくあるべき、という指針は個人ごとに違って規則には定められてない(わいせつ物以外は特に法律上規定されていないはず、多分)
だから社会的にかくあるべき、って意見も個人の願望として以下の文章ではくくっている
進撃が完結する前から、創作物と自身の倫理観の乖離を受け入れられなくなった旨のツイートは定期的にバズっていた(少年少女だけで戦うもの、男女観など)
「作品をありのまま受け入れるべき、思うところがあってもでかい声で触れ回るもんじゃない」という空気が主流だったところに、「感想の表明自体は自由であるべきだ」とする声が増えてきているんだなぁと思う
望ましくない表現の存在自体を許せない人が気持ちを共有できる機会が増えたとも言える
個人的にこの流れは好ましくない
でもそれらを拒絶することもできない
フィクション(特に連載物)に期待していたものが得られなくて、モヤモヤする気持ちを共有したいと考えた経験自体は自分にもあるから
それに寛容であってほしい(受け入れられない・理解できない意見の存在自体を否定してほしくない)と思うなら、まず自分から実践するべきだと思ったから
そうしてぐるぐる考えた結果、創作物が自分の望む姿であってほしいと願うことも、後から発された他者の言葉に影響されずありのままであってほしいと願うことも等しく一読者のエゴなんだよな、という結論に至った
(おつむの)弱い犬ほどよく吠える。
実際幸せになるぞ