はてなキーワード: 威力とは
そろそろ時効な気がするから書く。あの店にはもう行かないから時効なんか気にしなくてもいいだろうけど。
ネカフェのマッサージシートが好きで、週1ぐらいでネカフェ行くのね。
んで、その日は新しいマッサージシートの開拓のために、行ったことが無かった店に行ったんだわ。
「いらっしゃいませ」
無愛想な男が受け付けてくれて、会員証作ってマッサージシートを希望。店は空いてたので無事マッサージシートにありつく。
店内見てたら張り紙があって、「ナンパ行為や淫らな行為を禁止」とか書いてた。
そんなん直球で書いてるネカフェあるんや、とか思いながらマッサージ開始。
ちょっとマシンの威力強めで「あー。コレはあんま良くないなー」とか思いながら、とりあえず背中揉まれながらどんどん下がっていくモミ玉。
腰あたりが好きなんだけど、圧が強すぎてイマイチと思ってたところ、モミ玉はどんどんおりていって、尻を揉み始めた。
グリグリ尻肉を揉まれながら、なんか妙な感覚が股間周りに広がる。
アレ…おしっこ出そう…?
「トイレでの淫らな行為を禁止!匂いでわかります!」という張り紙を見ながら(どんだけだよ)と思いつつおしっこを済ませてマッサージ機へ。
さっきの感覚が何なのか、わからないまま再びマッサージ機を起動。
再びモミ玉に、尻肉を揉みしだかれる。何故か尿道に伝わる快感。
鼠蹊部の少し上にキュンと伝わる感覚が、何か出ちゃいそうな気がして、ダメだ、と思う感覚と、出しちゃえ、と身体が求めるのがゴチャゴチャになって。
「〜〜っ!!」
濡らしたらマズイ、とパンツをずらして堪える。
こんなもん地上で爆発したらどうなるねん
https://www.youtube.com/watch?v=wtthhilAO3Y
昭和17年(1942年)5月、日本軍の攻勢により推移していた太平洋戦争は、後に戦局の変わり目として位置づけられる事になる「ミッドウェイ海戦」を目前に控え、重要な局面を迎えていました。
しかし、戦時中とは言え普段とほとんど変わらない生活を送っていたここ下湧別村の漁民にとっては、そんな国家の重大事など知る由もなく、折しもオホーツク海沖合に現れたニシンの大群の行方が目下の関心事でした。
ニシンの豊・不漁はその年の村民の生活水準にそのまま直結するため、その群の到来に村はにわかに活気づきます。
そんな5月17日、その日も沿岸では村の漁師たちが総出で網を仕掛けていましたが、その作業中に一人が波間に浮遊する金属製の樽状の物体を発見します。
そして、素人目から見ても異様な雰囲気を醸し出すその”水に浮く不思議な鉄の塊”がおそらく「機雷」であろう事に彼らが気付くまでにはそれほど時間はかかりませんでした。
思わぬ危険物の漂着に漁場は騒然となりましたが、「これが機雷であればなおさら放置しておく訳にもいかぬ」との”勇気ある”漁労長指示により網に掛けながらひとまず浜まで引き揚げる事にします。
数十分後、幸い移送途中で爆発する事もなく「ポント浜」の砂上に”恐る恐る”陸揚げされた直径約1.2m・長さ約1.5mの機雷と対峙した一同は、まず警察への通報が先決との判断により代表者が市街地にある派出所へと向かいました。
ところが、その時派出所では村の東側に隣接する「サロマ湖」内で時を同じくして発見された”もうひとつの機雷”を巡って既に大騒動となっていたのです。
”国籍不明”の危険物が二つ同時に漂着したこの”大事件”については、一帯を所轄していた「遠軽警察署」を経て直ちに「北海道庁警察部」へ連絡が取られましたが、意外にも警察部からの回答は「所轄署責任において爆破処理せよ」というまことに素気ないものでした。
実は北海道の特に日本海沿岸地域における浮遊機雷の漂着は当時それほど珍しくはなく、これまでの事例では当該所轄警察署の手によって難なく処理されていたという事実が、先の無関心とも思える本部指示につながる訳ですが、当地では前例がなく、ましてや爆発物処理の専門知識もない遠軽警察署としてはその対処方法に頭を悩ます事になります。
その後即刻開かれた署内幹部会議上では「軍の協力を仰ぐ」という策も提案されたものの、遠軽警察署長としては「他の署が自力で処理しているレベルの事案について他所の助けを乞う」などその自尊心が許しませんでした。
こうして、意地でも地元の手によって行わざるを得なくなった作業は約1週間後の5月26日午後1時に決行すべく、二つの機雷を「ポント浜」一箇所に集め、遠軽警察署の監督の下、その運搬・管理を地元警防団(警察や消防業務を補助する民間組織)に、そして爆破処理を管内にある「生田原銅山」の”発破技師”に依頼する事が正式決定されました。
しかし、この時署長の頭の中ではこれを機にもうひとつの”とんでもない”計画が進行中だったのです。
ここ下湧別村をはじめとする遠軽警察署所轄管内では普段大事件が発生する事もなく、平穏であるがゆえ警察署長の立場としては至って”退屈”な日々を過ごしていました。
また、生活のため日頃と変わらず農・漁業に勤しんでいる人々が、署長の目には「戦時中にも拘わらず危機意識がない不心得者」のようにも映っていました。
そこで、この機雷爆破処理作業を一般に公開、爆発の威力を見せる事で庶民の「戦意」と「国防意識」を高めると同時に、警察の威信を確固たるものにするべく画策していたのです。
かくして、村役場などを介し回覧や口コミで村内はおろか近隣地域にまであまねく周知されたこの”一大イベント”は、物珍しさも手伝っていたずらに人々の興味をそそり、更には当日わざわざそのために臨時列車が手配された事もあって、その日は爆破時刻の午後1時に向けて老若男女合わせて一千人規模の見学者が各地から現場へ向かっていたと聞きます。
さて、決行2時間前の5月26日午前11時頃、現場のポント浜では遠軽警察署長以下警察官9名と、署長命令によってなかば強制的にもれなく召集された下湧別市街及び近隣集落の警防団員約150名が事前集結していました。
二つ並べられた機雷を前に、あとは生田原から火薬の専門家が到着するのを待つばかりでしたが、しかしここに至って爆破方法を巡り現場が混乱する事になります。
通常、機雷の爆破処理というのは水中において一つずつ行われるのが定石であり、その日もそれに従って実行される予定でしたが、当日になってその事実を知る事になった漁業本職の警防団からの猛反対を受けます。
というのも、海中での爆破は一帯の魚介類を死滅させる恐れがあり、それは漁民にとっては明日からの生きる糧を失う事を意味しました。
彼らにしてみれば死活問題だけに警察側からの再三の説得や恫喝に対してさえ一歩も退く事は出来ず、しばらくの”攻防”の末、漁師たちのあまりの頑強さについに根負けした署長は陸上処理への変更をやむなく了承します。
粘った甲斐あって勝ち取った結果に安堵した警防団員たちでしたがその代わり、陸上で爆破するには現在近過ぎる二つの機雷を、誘爆させない距離として設定された約50mの間隔まで引き離す作業が待っていました。
こうして気乗りしないまま予定外の力仕事をする羽目となった彼らの心中には、これらが「既に機能を失った不発弾に違いない」という思いが一様にあったようです。
発見されてから1週間まったくの変化も見せなかったこの”錆びた鉄塊”に対して徐々に警戒心が薄れていった事に加え、ことサロマ湖から運ばれてきた方には、実は数日前に”命知らず”な村の鍛冶屋によってあろうことか持ち寄ったハンマーで叩くという危険極まりない試みがなされていますが、結果その衝撃にもびくともしなかったという事実も、「もはや危険ではない」と彼らを暗に確信させる要因になっていたのでしょう。
それぞれ多忙な仕事が待つ警防団員たちにとって、本業もままならない毎日を無理強いするこの”いまいましい敵”への扱いは、そんな思いもあってか最初と最後では大きく異なっていました。
初めこそその取扱いには慎重を期され、移動も衝撃を与えないように砂上をゆっくり”引きずる”方法がとられていましたが、この段階では労力を惜しんでか本体にロープが巻きつけられ無造作に”転がされて”いたと言います。
しかしやがて、鍛冶屋の”無謀な挑戦”を受けていない方、つまりオホーツク海で発見された機雷が、軟らかい砂から馬車道の硬い轍(わだち)の上に転がり出た瞬間…それは既に浜に到着していた気の早い数百名の”観衆”が見守る中で起こりました。
今まであれほどいかなる反応も示さなかった機雷が、まるでこの時を待っていたかのように火花一閃、大爆発を起こしたのです。
そもそも軍艦をも爆沈させるほどのその破壊力は当初の想像をはるかに超えるもので、破片は爆風に乗って障害物がない砂浜の中を数百メートルに渡り飛散、傍らにいた警防団員や警察官は言うまでもなく、一応安全を考慮して遠巻きに置かれた一般見学者の多くも無事ではいられませんでした。
爆発による黒煙が消えた後には、直径10m・深さ3mの穴と共に、周辺に斃れたおびただしい数の人々が残され、そのほとんどは瞬時にしてその命が失われたであろう様子が一目で判るほど現場は凄惨を極めたそうです。
現場から4kmほど離れた下湧別市街地でさえもその轟音と震動に激しく揺れたと言われるこの前代未聞の機雷爆発事故においては、死亡者112名・重軽傷者112名という未曽有の惨禍を見る事になりました。
そして、この”公開爆破”を企画した遠軽警察署長や、直前において爆破地点を変更させた警防団の代表者も、その過ちを悔やむ時間すら与えられないままこの日帰らぬ人となっています。
この大惨事により現場に居合わせた警防団員のほとんどが死傷し、下湧別村は多くの”働き手”を、そして家族にとっては一家の”大黒柱”を一瞬にして失いました。
「一体誰のせいでこんな事になってしまったのか」…機雷を放った知らざる敵か、現場に丸投げした道庁警察部か、それとも無謀な計画を立案した警察署長あるいは陸上処理を主張した警防団員か…もはやそれをぶつける相手もいない中、人々の行き場をなくした怒りと悲しみだけがポント浜には残されました。
合掌
今の場合、クラウンレースをシャカリキに外す必要ナシ?おそらくナイ。上側の大きなナットを薄型スパナで外せればフォークとフレームは分離できるのではないか?クラウンレースは新規のフォークに付属するので、クラウンレースセットという難題はあるが、それは別問題。
別途工具が必要ですので100均とホムセンで買ってきましょう。
① カッターナイフの刃のみを取り出し刃側をフォークとクラウンレースの隙間に当てる
② 刃の背側をハンマーで叩く(刃は欠けるが気にせず叩き込む。使えなくなったら新しいのに変える)
③ 刃が奥まで到達し動かなくなったら刃側を逆側に叩いて外す。
④ ①~③を反対側で行い徐々に隙間を開けていく。幅が均等になるように対角線上に。
⑤ スクレーパーを突っ込んで柄をハンマーで叩く。カッターの刃より厚いのでちょっとずつ浮いていく。逆側も行う。
⑥ 0.5~1mm空いたら本製品を突っ込んでハンマーで叩く(十分隙間を開けてからじゃないと刃が潰れて詰むので注意、私は3敗したのでヤスリで研ぎ直した)
⑦ ある程度クラウンレースが浮き上がったら反対側からも行う。均等に上がるように心がける。工具中心のRにコラムが当たるまで行う。
⑧ 柄の付け根を下から垂直方向に叩いてクラウンレースを外す。
https://www.biccamera.com/bc/item/9934351/
https://www.biccamera.com/bc/item/9934350/
キャリパーがフォークにある穴で据え付けられることを知ったのは、結構な進歩じゃないか?RINNEのフォーク購入し、キャリパーを取り付けるという選択肢もある。なんかこの選択肢が一番現実的な気がしてきた。パイプカッターを購入し、ハンドルステムもしくはフォークを切断する。そのあとフォークをフレームから分離する。そのあと、フォーク・ハンドルステム・ヘッドセット部品(取付金具)・キャリパーを購入し、換装する。
工賃
引き上げボルトが緩まなかったので ラスペネ(潤滑剤)を採用。これは強力と分かった。実際に使ってみたところ見事に緩めることできた。さすが浸透潤滑剤!威力あるわぁ。
ハンドルステムの件は浸透潤滑剤でもダメだった。フォークとハンドルステムがすごく固着してた。無理に引っこ抜こうとしてハンドルの位置決めおかしくなった。フォークもおかしくなった。フォークを買いなおすとかするくらいならフレーム+フォークを買い替えよう。
となるともともとのルイガノの原型を使っているのは、リアホイールの一部、クランクアーム、バッシュガード、ペダル、シートポスト、ハンドルバー、ブレーキレバー、変速レバーくらいか?
本当にあれ畳むのか?っていうフレーム (P/N = 1005003617006752)。26用だった気がする。それで組むか?
それならポータビリティが高まる(乗用車や電車に積載可能)ってことで、訴求力ありまくり。フロントホイールもいまやQRだし...。
DBマウントだったと思うので、フロントもリアもキャリパー一択。そのうちホイールがくたびれてきたら、DB用を購入しよう。
こいつも折り畳み化できると我が家で二つになる。二人で輪行。夫婦水入らずで輪行とか。父子で輪行・・はナイか?
26インチならスピードが出ない問題もある程度緩和されるし・・
コッタレスクランク工具は購入して、一応ルイガノに今つけてる新チェーンリングは生かそう。ボトムブラケットは専用工具じゃないと
ママチャリフレームがそんなに好きなのか?なにがそんなにいいのだろ?
その手のサイトでお気に入りは これ→ st162c.blog.jp/
使えずにおいてあるクランクアーム (HT-based)があるので、適合するBB (ホローテック、PW-BB73+)およびチェーンホイールを新規に購入。
よく考えずにMTB用クランクアーム買ってしまったもんだ。しかし大丈夫。クランクアームはBBに対しては圧入だな。BB側にスペーサーが付属してるんでBB shell width 68→73化して対応するんだね。
電動(しかも無線で)ギアチェンジさせるガジェット。これでハンドルからディレイラーまでの頑丈な金属線を張り巡らす必要がなくなるらしい。
NSXだかNXSだかという外国のメーカーでジェネリック出すらしい。いまなら半額セール中らしい。そうなるとこの前新しくしてもらったワイヤーは
電動アシスト自転車とかの張替用か?
単品(例、フレームなど)で入手しやすい規格は、次のような感じだと分かってきた。のでそういう部品を集めて組もう。
折り畳み式フロントフォークみたいなのがあるのか?自宅にあるアジサシ見てるとフレームヘッドに刺さってるフォーク折れ曲ってコンパクト
化してるようだ. これはなかなか市販されていないレアアイテムらしい。世間的には折り畳み式というのはフレームのTT相当部分が折れ曲がる
というだけで、フォークの一部やステムまで折れ曲がるってのは、レアみたいだ。ペダルは折りたためるだろう。すごい前傾姿勢で運転するっていう
タイプだと、別にハンドル周りが畳める必要ナイといえばないか?
フロントギアがマルチ (3s) なのが気に入らない。2か所もレバー操作必要だし、勾配のきつい坂道を延々のぼるわけでもないのに・・
「BBなど追加購入して、このクロスバイクに取り付けたらいいのでは?」と思いつた。
クランクはMTB用らしくてBBにいっぱいスペーサーがついてくるよう。
STIなどのシフター付ブレーキはめちゃくちゃ高いので、ブレーキだけの奴 (アリエクで)。AcadiaはブレーキがVじゃなくてキャリパーなのがGOOD. リアギア (7s) は サムシフターSL-TZ500でcontrol (アマで)。ペダルは流用。
ステムはキル (quill) ステム
現状のハンドルバーの寸法 (25.4/22mm)。ドロハン (Upanbikeがアマで紹介されている)購入? いずれにせよドロハンをねじ込むのが大変だと思う。当て板とか首下の長いネジとかでこじ開けるんだよな。
電アシママチャリ(ホイールはMTB風)における変速は、内装変速機(3速)なのです。これって 5速 に変更できるものなのですか?
シフターはこれに伴って変更ですよね。おそらく3→5速にするとハブ径変わってくるので、スポークも総取り換えですかね?
子どもが乗っていた子供用自転車(FSが350mmくらいしかない)が成育しすぎてダメになりそうだから・・
(ちな低身長者用のママチャリのFSは420mm)流用可能な部分はそこから部品とり。
リムタイプは将来絶滅するかな?ディスクブレーキ化されていくのかな?サイクルショップにしてみると、リムブレーキのノウハウなんてさっさと忘れさり、ディスクブレーキのノウハウだけ磨いていきたいって思うだろうから、リムは絶滅だろな。クロスバイクとかコミューターバイクとかそういう中途半端なものってなぜ存在するのだろうか?ママチャリ(シティサイクル)およびロードバイクでいいのに・・あとは山道で遊びたいMTBとかBTX。
ちょっと買い物に行って帰ってきたら、ポーチのタイルの上を、蓑虫がモコモコと歩いていた。毛虫ではなく蓑虫が、歩く。モコモコと、てくてくと。身体をくねくねと蛇行させながら歩くのだ。
一、二年前まで、私はてっきり蓑虫とは木や草の小枝を編んで作った硬い蓑の中にスポッと入って暮らす虫なのかと思っていた。例えばヤドカリが貝殻を被って暮らしているような。そんな感じだと想像していたのだが、違った。
ある日、やはり外出から帰ってみたら、ポーチに蓑虫がいた。タイルの上を歩行していたのではなく、ドアに貼りついていたのだが、うちの下の子の視界の中に入るくらいの位置にくっついていたために、「気持ち悪いからなんとかして」とせがまれた。
蓑虫の、簑の出入口部分? とドアが密着しており、そのため簑はドアから斜めに突き出て見えた。私はあまり無益な殺生は好まない方なので、へばりついているだけで無害な蓑虫などほっとけばいいじゃないかと子供達を諭したのだが、どうしても嫌だというので、しぶしぶ箒を手に取り、ドアをサッと払った。蓑虫はタイルの上を転がり、そして道路へと続くコンクリのアプローチへと落ちた。案外簑が頑丈に出来ていたお陰で、箒の威力でぐちゃぐちゃにならずに済んだ。軽いので、そのうち風に吹かれてどこかへ飛ばされて行くだろうと思い、そのまま放置して家に入ろうとした時、子供達が絶叫した。
見れば、簑を纏った身体を蛇行させながら、真っ直ぐ公道に向かって歩く、蓑虫の後ろ姿があった。遠目に見ると、ただの毛虫のようだ。それくらい、蓑虫の本体と簑の素材が一体化しているように見える。
蓑虫の足取りは、つい先ほど理不尽な暴行を受けたことなど無かったかのようにしっかりしており、そして迷いが一切見られない。車二台がすれ違えるくらいの狭い道路を渡った先の、イネ科の雑草が茫々に生えた場所を目指し、蓑虫は歩いていく。白っぽく退色したアスファルトの上をゆく蓑虫の後ろ姿は、腐海に帰る王蟲のように堂々としつつ、孤独をまとっている。
蓑虫が道程の半ばを過ぎた頃、左方から赤い乗用車が近づいて来た。農地から住宅街に入ってすぐの所なのに、赤い車は減速する様子もない。蓑虫は大きすぎる危機に全く気づかない様子で、歩みを止めない。車からはうちの子供達がアプローチのところにいるのも見えるはずだが、かといって飛び出しに警戒する様子もなく、かなりのスピードで目の前を通り過ぎていった。一陣の風が私達に吹き付けられた。
蓑虫は無傷で、歩調を速めることも遅めることもなく道路を渡りきり、草叢の中に消えていった。
そんなことがあって、蓑虫は歩くということを知った。たぶん、今日の蓑虫は今頃、玄関のドアの地味に邪魔な所にくっついていることだろう。
どこからともなくそのような声が聞こえた方へ目をやると散歩するかのように歩む男居た。その手には刃物。薪割り用だろうか。
男の視線はテントを物色するイノシシへ向けられた。
ご存知だろうか?野生動物は意外と人馴れしている。ただ人馴れしていると言っても野生動物は野生動物へ無関心な農夫などに馴れているのだ。
当然ながら自身へ危害を加えそうな者には警戒をするし、怯えから予測不可能な行動を取りそうな者にも野生動物は警戒を示すのだ。
男の歩みは驚くほど緊張感がなく自然体だった。キャンプ場という自然へ溶け込むような、まるで男が置かれている環境を利用するかのような歩みで、確かに目の前にいるはずの男、その男の存在感が希薄なのである。
ついに男はイノシシへ手を伸ばせば届きそうな距離まで肉薄し、一閃。
都合の良い餌場を得たと油断していたイノシシは急に身体へ走る痛みへ驚き、その痛みを与えてきた者がいつの間にか直ぐ近くへ居ることに驚いた。
イノシシは親から子へ受け継がれる本能のまま、考えるよりも速くすかさず体当たりを選択したものの男は後ろ歩きで軽く回避する。
メガネをクイッと動かしながら傍観していた別の男が言葉をこぼした。
「運動において蹴り足は重要でアスリートも蹴り足にこだわりを持っている人が居るくらいです」
男が体当たりを回避したことによりイノシシの思考は現実へ追いつく。初撃で蹴り足の力を奪われ体当たりの威力を削がれていたのだ。
男は刃物を振り回し、冷静にイノシシの視覚、聴覚、嗅覚を奪って行く。
ピギィッッッ!
光がなく音も無い暗黒の世界でしっかりと大地を踏みしめイノシシは雄叫びを上げる。気道にたまる血を雄叫びと共に吐き捨て息を整える。
コイツは強大な敵だ。負ければ死n・・・思考が急な衝撃によって遮断される。息をついたスキを狙う男の強烈なキック。
五感が制限される状態で平衡を維持するのは難しくイノシシは転倒してしまう。
現代格闘技においても蹴り足の重要性はもはや語るまでもなく、蹴り足を軽視することはボクシングに蹴り技が無いと主張してしまうような思春期中学生の戯言と同様であり、高校生ともなれば恥ずかしさのあまり訂正するのが普通です。
男は気配を自然へ溶け込ませ接近しイノシシの蹴り技を奪ったのです。
気配を消すことや視界を奪うこと、脱力した姿勢の有用性は、とある闘技場で立証されていることは非常に有名な話で、この男はかなりの「使い手」であることがわかります。
ウマ娘、美少女コンテンツなんだけど元ネタリスペクトというか、元ネタが競走馬である以上そのシリアスさや熱気を可能な限り再現しよう・引用しようと頑張ってる気概はよく感じていて、
そういう文脈で受けて大成功しているのも非常に理解できるのだが、理解できるからこそ「それでも美少女コンテンツの前提がないと駄目か…」とモヤモヤしてしまう部分がある。
分かりやすい例としてシンデレラグレイがあって、あれは「見た目美少女だけど中身実質熱血スポ根、マキバオーに近い」との評を見た覚えがあって、実際その通りだなと自分も思うのだが、
「見た目美少女か否か」はやはり作品の印象を左右する物凄い大きな要素だろうとも考えてしまう。前提としてマキバオーはむさ苦しい馬が走る漫画であって、美少女が走る漫画ではないからだ。
(まあマキバオーもごく一部除いて出てくる馬はわりと綺麗目のイケメンが多いので引き合いに出すものでもないかもしれないが)
美少女要素があるからこそオタク向けにコンテンツ化する価値も生まれるのであって、美少女要素がいらないなら元ネタだけ見ていろというのは本当にその通りである。
美少女コンテンツであったからこそ広くオタクに注目され、「中身」が評価される。また、そもそもウマ娘が単なる美少女ものだったならここまでヒットするどころか速攻で炎上しただろうし、真摯に中身を作っているが故というのもよく分かっている。
分かっているからこそ、1オタクとして「美少女化」の威力の強さに打ちのめされてしまうということもある。史実通りといいながら、オタク向けの商売である以上擬人化しても性別は美少女に揃えないとならないのか…。
……要は全員美少女だとウオッカの牝馬でダービーのインパクトがどうしても埋もれてしまうのでそこを何とか上手いこと表現していただけないだろうかという愚痴です。
元ネタ牝馬なのに男まさりな言葉遣いとかバイク趣味とかキャラ設定で特徴出そうと頑張っているのはよく伝わるんだけど、どうしても割り喰ってしまうというか。
仮に今後どんなにウオッカとダービー走った競走馬がウマ娘になったとしても結局全員女の子なので、「だから何だ」という話に着地してしまうのがあまりにも歯がゆい。元ネタリスペクト頑張ってますって姿勢が伝わるから尚更……。
世の中の多くは洗濯機や洗剤に関することはいっても、意外と乾燥機とかは発言しない
数少ない乾燥機関係だと、乾太くんvs洗濯乾燥機、のようなバトルモノしかない
それらは異能力対決に終止しており、なんやかんやで過去回想を挟んで主人公側が勝利している
話戻すけど、洗濯って乾燥や取り込みっていう工程のほうが難しいんだよ
乱暴な意見だけど、洗濯機や洗剤は割と最新のものを導入すればなんとかなる
人数に合わせた容量を買っておけば今の洗濯機はほとんど問題なし
そこにCMバンバンだしている洗剤を打ち込めばほとんどの汚れは落ちる
一番ポピュラーなのは天日干しだけど、例えば1階に洗濯機があって2階にバルコニーがある典型的な家だと、家事動線が非常に辛いことになる。
また花粉や梅雨の時期はコインランドリーなどを頼らざるをえない。
もし子供がいるならば洗い物の頻度は増えるだろうから干すだけで結構な重労働だ。
洗濯の部分だけよくなっても天日のままの家庭はあまり恩恵を受けない。
最強枠の洗濯乾燥機は、とりあえず実用的なのが10万台からなのがネック。コスパがいいとは思うけど、割りと長持ちする洗濯機を買い替えるには躊躇するよね。
なら天日干しや室内干しでいいやって人は多い。でも家事動線を最小限に抑えられるという点は捨てがたい。
結構おすすめのは衣類乾燥機だけど、これはガス式なら賃貸はまず無理だし、電気式でも設置場所がないケースがある。殆どの場合で浴室に設置するんだけど、洗濯パンが壁にぴったりとくっついてると乾燥機を設置しづらい。
こうやって考えると乾燥の工程はユースケースによってマチマチだ。
中には衣類乾燥除湿機でいいという人もいるけど、これはこれで合わない人も多い。
洗濯から乾燥までを1工程で済ませたいという願いは洗濯乾燥機が最適で万人向けだけどね。
自分の場合、引越し先の賃貸に浴室乾燥機がなかったので電気式の衣類乾燥機を導入した。もし浴室乾燥機があればサーキュレーターと併用して結構ちゃんと乾かせられるんだがね。ただ、今後は衣類乾燥機の設置を含めて部屋や家を選ばないといけなくなった。
注文住宅を作った人の意見の多くに、キッチンと洗濯機周辺の家事動線の問題があげられていた。やはり家の中でも特に動線にシビアになる部分だからなんだけど、一人暮らしだったり洗濯に関心がないと気づかない人も多いと思う。
乾かすのは天日干しという概念で育っているならたぶんそれが一番楽だとは思う。なぜなら家事動線が一番多くて天候などに左右される代わりに、最後の砦になりうるから。下手に乾燥の工程を最適化してしまうと、天日干しに戻れなくなる。
洗濯って割りと難しい。
シャクシャインはメナシクルの副首長であったが、メナシクルの首長であるカモクタインが1653年にシュムクルによって殺害されたために首長となった。
抗争を危惧した松前藩は仲裁に乗り出し1655年に両集団は一旦講和する。
この際シュムクルと松前藩は接近しシュムクルは親松前藩的な立場となる。
1667年シュムクル首長オニビシの甥が、シャクシャインの同盟関係にあるウラカワで鶴を獲り、シャクシャインによって殺されたのを機に再燃。
1668年5月31日仲裁するといって中に入った金堀り・文四郎の館にやって来た、オニビシをシャクシャインらが数十人で襲い殺害した。
とあった。
アイヌ民族同士で殺し合いをしていたからアイヌ勢力が疲弊して、松前藩の大和民族に漁夫の利的に権益を持っていかれてしまったのでは…。
シャクシャインにオニビシを殺されたシュムクルは松前藩庁に使者を遣わし、報復のため武器の提供を希望したが、対立の深化を望まない藩側に拒否された。
その帰路に、使者の一人でオニビシの姉婿であったウタフが疱瘡にかかり死亡してしまった。このウタフ死亡の知らせが、「松前藩による毒殺」と流布された。
これによって、シャクシャインは敵対していたシュムクルを筆頭に蝦夷地各地の各アイヌ部族へ松前藩への蜂起を呼びかけた。
決起した2千の軍勢は鷹待や砂金掘り、交易商船を襲撃した。突然の蜂起に和人は対応できず東蝦夷地では213人、西蝦夷地では143人の和人が殺された。
これで松前藩をマジギレさせたのもアイヌにとって良くなかった。
一斉蜂起の報を受けた松前藩は家老の蠣崎広林が部隊を率いて出陣してシャクシャイン軍に備えるとともに幕府へ蜂起を急報し援軍や武器・兵糧の支援を求めた。
幕府は松前藩の求めに応じ弘前津軽氏・盛岡南部氏・秋田佐竹氏の3藩へ蝦夷地への出兵準備を命じ、松前藩主松前矩広の大叔父にあたる旗本の松前泰広を指揮官として派遣した。
幕府側が統率がとれている。
松前泰広は松前藩関係の深い親松前的なアイヌの集落に対して、恭順させた。
部族意識が強く、長年の部族間対立や松前藩との関係に差があったために、中立を維持して蜂起側に参加しなかった集団も多かった。
松前藩のアイヌ分断工作も上手くいってしまった。シャクシャインはアイヌ側をもっと味方につけておくべきだった。
アイヌ人同士で部族間の争いをして恨みをかっていたのが何より良くなかった。
シャクシャインは徹底抗戦の構えであったが、鉄砲の威力で松前藩勢の優位の展開となり、償いの宝物などの提出、シャクシャインらは助命という条件で和議となった。
シャクシャインはこの和睦に応じ1669年11月16日、松前藩陣営に出向くが和睦の酒宴で謀殺された。
この他アツマ(現勇払郡厚真町)やサル(現沙流郡)に和睦のために訪れた首長も同様に謀殺あるいは捕縛された。
たしかに「戦わないことについてだけ問題を感じてる人」ってそんなの生み出したのは反戦教育の失敗だわね
9条が役に立たないとかさ
じゃあ実際戦うとなって、どの場所でどの兵器がどういう戦略で動いたら「日本が勝てるのか」って話してほしいね
海上でしか戦場がない日本が、どんな武器でどの軍隊とどうやって勝つのか 基本無理じゃん
戦争しない(実はできない)っていって平和主義だから日本に対して(近隣が威嚇として攻撃することで威力を示す)戦闘行為をしてくるのは違法だから親日国は援護してほしい、ってほうが無難だよね
日本に攻撃したら「報復核」があるのか「報復的国際措置」があるのかっていったら後者のほうがクリーンじゃない?動作不能にさせられる可能性のある単一選択肢より機能的に複数の動作が期待できるわけだし
反戦の反動で戦闘大好きになっちゃった人は「戦闘行為に関する国際的な状況選択」で解決するものではなしに、純粋に「戦闘行為で日本が相手の威力を削ぐ」ってどんな手段があるのか考えてみてもいいと思うよ