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はてなキーワード: 本質的とは

2017-11-17

anond:20171117122004

別に子なし税じゃなくて基本的には所得税増税、子ありの優遇税制強化で損益分岐点年収800万になるってだけでしょ

損益分岐点が変わるだけで現行と本質的には変わってないよ

2017-11-14

anond:20171114163107

人口増加ってのは本質的にそういうもんだぞ。

洗練されたスマート人間だけ増やすというのは不可能(それをやったところでその中で序列ができて「稼げない人間」のレベルが上がるだけだから同じっちゃ同じだけど)。

anond:20171114125618

完全本質的には「誤りやデマや困らせ事を頻繁に流すサイトは閲覧者によって嫌われるだろう」という考え方が機能してないのがよくない

まりそのサイトの閲覧者はそういうサイトで困っていないのだ

直るわけないね

直るわけないわ

報告が上がるわけもないから検出もされない

2017-11-13

100分de名著、今月はバートランド・ラッセル幸福論。

このところ哲学めいた本が多くて良い。これは、題名が格好悪いなと思って読んでなかったのでなお良い。

幸福になるための3つのポジティブシンキング、とまとめると今時のPV稼ぎのまとめサイトのようだが

1 自分が一番望んでいるものがなんであるかを発見して、徐々にこれらのものを数多く獲得した

2 望んでいるもののいくつかを、本質的に獲得不可能ものとして上手に捨ててしまった

3 自分欠点に無関心になることを学んだ。だんだん注意を外界の事物に集中するようにした

フリップでまとめられたこの3つは、確かに十分すぎるほど実践的。

書かれたのは1930年代?のようで、ああさすがにこの時代は既に十分「現代的」だったのだなぁとしみじみ。

第一次世界大戦後、世界恐慌の次の年に出たわけか。

anond:20171113131118

おまえが「その場所しかまれなかった新しいネタ」と思ってるもの本質的には他のネタアレンジなんだよ。

おまえよりネット歴の長い先生が「これ××でやってたネタの使い回しだなー新しいコミュニティかと思ったけど結局は××と同じかよー」とか思ってんの。

[] #41-4「注文の多い客」

俺はオサカの話を思い出していた。

バイト仲間のオサカは映像コンテンツが大好きで、自前のサイトレビューもちょくちょくやっている。

そんなオサカにレビューの是非について何気なく尋ねたことがあった。

皆なんで、他人評価をそこまで求めるのか俺には分からなかったのである

結局、自分にとって最も信頼できるレビュアーは、自分自身じゃないかと思うからだ。

理由は人の数だけある。意見を分かち合いたい、何らかの指標が欲しい、千差万別さ。それでも言えるのは、レビューを求める人間がいて、レビューを書きたい人間がいるのは間違いない以上、無下にするのも難しいということ」

レビューそれ自体にも価値があるってことか?」

「そう言ってしまっていいだろうし、自分もそう思ってレビューに臨んでいる。だからこそ下手なことは書かないよう心がけているわけだし」

「お前の考えは分かったが、みんながそこまでレビューに対して何らかの志を持っているとは俺には到底思えない」

「まあ……そういう人も含めての“千差万別”だから

レビューを書いているオサカですら、芳しくない答えだった。

そんなものにガキの弟が関わることを、俺はとてつもなく危険だと感じたんだ。


…………

弟がトイレに行っている間に、俺はタイナイに詰問した。

タイナイ、どういうつもりだ?」

「え? 何が」

とぼけるなよ。弟をあんなにレビュアー気取りにさせて、どういうつもりだって聞いているんだ」

「マスダが何を問題にしているのかよく分からないよ」

「本気で言ってんのか? 弟のような実績もない人間に見せかけだけの権威を持たせて、そんな人間発言大勢の前に発信する。弟だけじゃなく、大衆や店を弄ぶ行為に何の疑問も持たないのか?」

レビューというもの本質的には個人意見だ。それを他人にも理解できるよう体系化することがレビューだよ。是非もなし、だ」

「何がレビューだ。こんなネガティブヘイトにまみれたものが。何かを貶したりすることをわざわざ書かなくても、もっと誉めることばかり書いたっていいだろ」

「それは大した理屈じゃないね。貶してばっかりのレビュアーダメだというなら、誉めてばっかりのレビュアーだって同じことだろ。マスダはそもそも前提の段階で誤解している」

「俺が何を誤解しているっていうんだ」

価値には絶対的もの相対的ものの側面がある。何かを誉めることは何かを貶すことに繋がるし、何かを貶すことは何かを誉めることに繋がるんだ。それを言語化することも批評の一形態なわけ。なのにダメだって思うのはマスダの気持ち問題しかない」

「その批評安易に振り回される人間がいることを知っていてもか? そんなものがなければ起きなかったトラブルだってたくさんあるはずだ」

「この大衆文化個人の確固たる意志だけでは止まらないし、止めるものでもない。できるのは個々人がそれをどう受け止めるかのみだ」

「それって要は自分レビュー責任はないし、持つ気もないってことだろ。なのに発言権だけは行使するなんてムシがよすぎる」

「だからネットってのはそういうもんなんだってネガティブヘイトを許容も順応もできず、無視することすらできないなら、レビューはもちろん他人意見巣窟であるネットのものを利用しない方がいい。マスダは僕たちの批評スタイルが気に入らないのを、善悪問題に摩り替えているだけだ!」

弟にレビュアー気取りをやめさせたくて、タイナイのほうを説得してみたが完全に失敗だった。

タイナイにとって、ネットリアルと地続きであることを忘れていた。

人は現実に対してどんなに不平不満をもったところで、それとなあなあに付き合って時には自ら楽しさを見出す。

タイナイにとってのネットもまたそう変わらないことなのだ。

「いやー、いまトイレ入ったらさ。今どき和式だったんだよ。この店サイテーだ」

「なるほど、レビューに書いておかなきゃね」

このままじゃ組合に目をつけられて、大事になるのも時間問題だ。

タイナイは承知の上かもしれないが、弟までそれに巻き込まれるのはよろしくない。

どうにかできないものか。

(#41-5へ続く)

2017-11-11

anond:20171110141358

悪いが現状では、何言ってんだコイツ?w としか

 サービスとは何か、そもそもハードの話なのかソフトの話なのか、それどころか使い方の話なのか提供側の話なのかもまるで突き詰めていない。

そして致命的なのは「ならばどうするのか」がまるでない点だ。

 本質的問題として誰かが意見を述べ、大勢がそれを目にする、若しくは返答をする行為パソコン通信時代から変わっていないというのなら、それは正しい。

だがそんな物は町内会にある電気を使わない物理的な掲示板からも変わっておらず、応答速度と意見を書き込める空間的な制約が減ったに過ぎない。保存と表示の変化に過ぎないと言うのなら、ARやスピーカーも同じ話だ。我々が意思疎通をする時に入力と出力が必要だと考えた場合、保存と表示法、その速度と制約を変える以外に何かがあるのなら、それをまず考えるべきではないのか?

 例えばVRやMRを使って経験(精々が視聴覚刺激にしか過ぎないが)を共有する場合、保存する行為が出力であり、共有する側にとっては入力となる。行為に対してまた別のレスポンスを様々な形で出力する事も可能だが、その反応も結局は保存を伴う出力であり、動画サイト掲示板だと言うならVRもMRも同じになる。MRはVRとARを融合させた先にある概念である為、ARについて言及する意味はないだろう。

 スピーカーハードウェア的に目新しく感じるのかもしれないが、モニターのないパソコンと考えれば分かり易い。加えて、操作系が音声になっているだけだ。

言い方を変えての繰り返しになるが、掲示板の例えは基本的データを保存する側が出力し、表示されたものを別の人間入力するという話なので、それに該当しないコミュニケーションを考え出さなければそこから脱出することはできないように思う。(風のリグレット、なるゲームを考えてみれば分かり易い)

 何か新しいものを、という発想は貴重なので全否定はしない。しか貴方の求めているのは入出力以外の"何か"という人知を超えたコミュニケーションになってはいいか

どれだけ処理速度が増してもコンピューターの基本はチューリングマシンから変化しておらず、それを否定するのであればコンピューター自体概念を変えねばならない。

 長々と書きながら私も凡夫の極みだが、入出力と保存を伴わないサービスコミュニケーションちょっと思いつかない。

貴方がありきたりだと感じる本当の原因は何なのか、もう少し考えてみてはどうだろうか?

 有益情報交換ができれば幸いである。

貴方努力を続けるのであれば、私もそれに反応をしたい。

2017-11-10

https://anond.hatelabo.jp/20171110165048

なんか男オタってアイドルとか声優を「みんなで応援しよう」ってノリがあるけど、女オタって本質的には推し被り嫌がるよね。

だいたい、どっかで自分特別ファンでいたいってみんな思ってるから炎上するんだと思う。

Webサービス掲示板の域を抜け出せていない

インターネット世界進歩しているように見えて、ここ20年くらい大きな進歩はない。

数多くのインターネットサービスが生まれ、育ってきたが、どれも「すごい掲示板」にすぎない。

例えばメルカリ

売りたいものメルカリという「掲示板」に書く。

買いたい人は「掲示板」を見る。そして買いたいと「掲示板」に書く。

すると、買った人と売った人だけが見れる掲示板が新たに作られ、取引が終わる。

例えばクックパッド

レシピを載せたい人が、レシピクックパッドという「掲示板」に書く。

料理を作りたい人はクックパッドという「掲示板」を見る。

これだけ。

例えばYouTube

動画を載せたい人が、動画YouTubeという「掲示板」にアップする。

動画を見たい人は、すごい掲示板であるYouTube動画再生する。

例えばInstagram

自分の撮った写真を、Instagramという「掲示板」にアップする。

写真を見たい人は、ハッシュタグなどで写真を探し、見る。

どのサービスも、ただの「すごい掲示板」だ。

テキストの代わりに、写真動画が見れるようになったり、特定の人だけが見れたり、検索できるようになっただけだ。

本質は、ただのデータの保存とデータの表示であって、そこは何も変わっていない。

2chが未だに機能しているのも、本質的な部分で差別化できているサービスがないかなのだろう。

最近になって、ARスマートスピーカーというもの流行り出そうとしている。

これらは、掲示板の枠をはみ出す可能性の高いものであり、インターネットサービスが次のステップに進む可能性を秘めている。

はいえ、掲示板である僕らは、ARスマートスピーカーも、すごい掲示板として使うのだろう。

掲示板以外をそろそろ見たい。

言葉の難しさ

人に言われるのは嫌なのに、自分では「普通」や「常識的」などという言葉をたまにポロっと使ってしまう。

その矛盾に苦しくなることがある。

自分もその言葉に囲われているということか。

本質的にわかってないで使用している言葉なんて山ほどあるよね。

2017-11-09

自分で金を稼いだら金が惜しくなって結局結婚なんか選ばないのが女という生き物なんで

問題彼女らの本質的ケチ臭さにあるわけですよ

結婚したいから頑張って金稼ごうとなっても、まあリタイアコースアウトのどっちかでしょうね

anond:20171109152704

スーパー転売本質的な違いは、在庫が潤沢にあるかどうか?だと思う。

在庫が潤沢にあるために、スーパーはいつでも安く買うことができる。

から問題視されない。

一方の転売は、在庫が少ないので、売る側はたくさん売ることができず、どうしても1個を高く売る必要がある。

買う側は高い値段で買わざるを得ないことと、そもそも買えない人がでてくるので、

その両方が不満をぶちまけてしまう。

キモいと表明する事の是非

アニオタキモい』も『同性愛者はキモい』も『ペドキモい』も、本質的にはあまり変わらないと思うんだけれど、「アニオタペドキモい」は許すし「もっと言ってやれ!」くらいの調子なのに、同性愛に限って「お前を軽蔑する」な人が割りといるのは何でだろう?

ウニ、そんな好きじゃない。

ウニ、そんな好きじゃない。

いや別に全然嫌いではないんだが、世に数あるデリシャスの中からピックアップして紹介するほど支持してない。否定はしない。美味いって言う人の気持ちもわかる。でもそこまで美味いかな?っていう気持ちもある。もちろん出てきたら食うけどちょっとまってなんか高くない?磯の香りするし、ぶっちゃけ、そこまで感動しないよね。いや別に全然嫌いではないんだが、(以下ループ

という気持ちをまるっと言葉にすると、「ウニ、そんな好きじゃない」となる。そうすると「美味いウニを食べたら変わる」と言われる。

美味いウニ

美味いウニを食べたことがないから、ウニが美味くない。

うーん…なんだろう。「好きになった人がタイプです」に通じる違和感。例えばトンカツトンカツは高度な調理技術必要とするので、ぶっちゃけイマイチトンカツ結構ある。しかしそんな不出来なトンカツもやっぱり美味い!となるのは何故か。これこそトンカツ本質的な実力であるトンカツ料理ウニは素材、比べる対象が違うという話はあるが、そこはいったん目をつぶっていただきたい。今はい反証が見つからない。

anond:20171108201122

互キブリ互助といいつつ本質的に互キブリ同士を信じてないか自演なんかに手を染めるんだな

2017-11-08

anond:20171108220559

問題としては「喫煙者の煙は許されないのに自動車排ガスが許されるのは何故か?」であり、「自動車排気ガスは不可分であり、かつ自動車有用なので利用せざるを得ない」「人間の行動と喫煙は可分である」「その上で自動車排気ガスは出来るかぎりにおいて規制されている」という答えを返したわけだが、それに対して「運転手が何らかの違反行為をしている」「自動車が何らかの違反状態にある」といった例を挙げるのは、本質的に上記の回答と関係がなく、何ら反論になっていない。自動車に乗っているか喫煙しているかに関わらず「違反はよろしくない」からだ。喫煙者が乗車しているだとか自動車を作っているだとかに至っては何を例示しているのかさえ分からない。車に乗るために喫煙が不可欠であるというわけでもないし、車の製造も同様である。こうした見当違いのまぜっ返しが有効反論であると思っているのなら、議論の流れを理解していないと判断せざるを得ない。

箱根駅伝に対するはてなーの反応さあ…

hiby この手の規制緩和的な流れを見るたびどっかの利権爺が死んだんだろうなーと思う。

2017/11/07

kyo_jukyo_ju 首都圏私大だけ特権的売名行為ができる状況が是正されるのであればいいんじゃね。より本質的には三が日にやるのをやめるべきだけど。 スポーツ 大学 マスコミ

2017/11/07

箱根駅伝なんぞ、単なる関東大会関係者各位と日本テレビブランディング努力によって価値を出しただけのものなのに

なんでこんな悪し様に言われなきゃいけないのかさっぱりわからん

まるで全国大会だったもの関東以外の大学を締め出したぐらいの言われようだ

つかこいつらは一体何目線なのだろうか

anond:20171107205343

そもそもリベラルヒーロー特別能力に恵まれ主人公が嫌いなのでは。

能力差の肯定を受け入れられないと思う。あるいは、能力のある人は大勢犠牲になるべきと思ってる。

アニメって、違いを誇張するところ(決して差別ではなく)に面白さがあるので、本質的に合わない気がする。

残響のテロルみたいなのは好きなのかもしれないけど。

リベラルが望むものは1つ1つは理想的だけど、全て実現するとかなり暗い未来があるように思えてならない。

anond:20171107110105

君のような後輩がリアルにいて、つい最近までの自分がそうだったから、助言というほど高尚ではないが、もし何かのヒントになればと思って書く。

君はおそらく、本質的には努力家で、学業にも真面目に取り組んでいたし、社会に出てから努力に見合う結果を残してきて、実力に自信もあったと思う。

はいえ、お酒(もしくは娯楽)が好きだし、バランスを保つために自分時間を大切にしていて、根っからの真面目というわけでもない。

ところが、たまに忙しくなる仕事に、家族との時間がとれなくなると心が枯れていく自分に気が付いた。

そして、そのことを悪いとは思わないし、そのせいにはしたくないと思ってる。というか、イコールで結びつかない。

ここまでは合ってるかな。違ったら読む価値のない駄文なので、そっと閉じてくださいな。

仕事はうまくこなしていても、純粋技術に向き合いたい欲求が残っている。欲求は焦りに近く、満たされないことに不満より不安を感じる。

でもさ、それくらい技術が好きなら、「今」じゃなくても取り組めるさ。

そして、老い自覚するからこそ焦る気持ちがあるだろうけど、なんてことはない、数年経っても意外とそれなりに追いつける。原理メタ技術要素)は変わらないし、時が経って取り組めるようになってきたら、むしろ、移ろいゆく環境や取り組んでいたのに誰かが解決したテーマトレンドの変遷に心が躍るんだ。

まり、時を待つという悪手に思えるだろう選択肢なんだけど、意外と悪くないものだと実感している最中だよ。

酔った帰りの地下鉄で書いたアレなので、もし悩んでいる君の心がすこしでも軽くなれば幸甚です。

2017-11-07

ゴーレムハーツかい最初読み切りで既に完成していた漫画

ジャンプ+での最初読み切り→本誌での二回目の読み切り→本誌での連載1話→2話 その全ての段階で着々と劣化が進行している。

1話が酷すぎたせいで2話がマシに見えるのでもしかしたら少しだけ回復している可能性はあるが……。

ともあれ一番最初読み切りと連載1話の落差は本当に目も当てられない。

なかでもヒルルクもどき劣化ぶりが本当にひどい。

ヒルルクもどき初期型真人間だった。

その後の姿と比べれば圧倒的に真人間だった。

一見役に立たなそうだけど使い道が全くないわけではない道具を必死に売り込む彼の姿は、心を持った奇妙なゴーレム製作者として納得がいく。

極めて不気味な男だが、本質的には無害な男なのだ

少なくとも、街中のゴーレムをぶっ壊して回る男よりは圧倒的に無害だ。

彼は街の住民に気味悪がられていたが、町の住民に害をなそうとはしなかった。

主人公ゴーレムの行動に対するアドバイスもただ甘やかすだけの連載版と比べて極めて適切だ。

何より自分教育不足を棚に上げて他人に声を荒げる事もしない。

特別技術と少し拗れた人生を抱えたちゃんと読者が共感できるキャラクターだった。

主人公ゴーレムの方も連載1話では町の住民に気味悪がられこそすれ迷惑をかけているわけではない。

自分を省みず他人の役に立とうとするゴーレムじみた行動原理能面のような無表情を持ちながらも、同時に人間のような外観とゴーレムとは思えないほどに自由思考を持つという姿のぶつかりあいが強烈な不気味の谷を生み出し、それゆえに町の住民から煙たがられていた可哀想な人造人間の姿がそこにある。

対して連載版の主人公ゴーレムはただのクズだ。

自分独善押し付けて結果として他人迷惑をかけてもお構いなしの自己中であり、そこには他人の役に立ちたいという気持ちよりも自己満足に浸りたいという欲望が有るだけだ。

そして後期量産型ヒルルクもどきはそれを後押しし続け主人公ゴーレムの中で自己満足という名の怪物をどこまでも大きく育てていく。

そうしてそだった身勝手すぎる生き様人間らしいと賞賛して、人間として社会で生きていくためにちゃんとしつけられた他の家の子供と同じように愛されるべきだとわめき散らすのだ。

それは違う。

人間として育てているからこそ、時に厳しく接するべきなのだ

読み切りヒルルクが「お前には心があるんだから」とゴーレムに諭すあの表情は親の顔である

なぜ読み切りヒルルクはただ優しく微笑みかけるのではなく、どこか厳しい顔をしているのか。

なぜ読み切り主人公他人迷惑をかけないように意識できるのか。

それは読み切り版のヒルルクが「人間には心があり、時に傷つく」と知っているからだ。

人には心がある。

から嫌なことがあったら嫌な気分になる。

その当たり前をちゃんと読み切りヒルルクは知っている。

そしてそれを主人公にも分かって欲しいから、「お前にも心があるから傷つくはずだ」と語る姿が、ただ励ますだけの生暖かい甘やかしでは終わらないのだ。

ゴーレムハーツの良さはそこにあった。

人には心がある。

お前にも心がある。

から悲しい時には泣け、嬉しい時には笑え、それが出来るなら、お前はきっと受け入れてもらえる。

そのメッセージには愛があった。

読み切り主人公が受け入れられたのは強かったからではない。

自分の親のために泣けたからだ。

彼がその悲しみを表に出し、そこに誰かへの愛があったからだ。

から彼は、心を持ったゴーレムとして街の仲間になれた。

町の住民は彼に共感し、彼の心を認めたのだ。

本誌版にはそれがない。

ただ強いだけで身勝手ゴーレムと、その身勝手ゴーレムをみてニヤニヤする親失格のマッドサイエンティストがいるだけだ。

参考資料

読み切り

https://shonenjumpplus.com/episode/10833497643049550104

本誌読み切り

https://shonenjumpplus.com/episode/13932016480029139684

連載1話

https://shonenjumpplus.com/episode/13932016480029150613

2017-11-06

なぜLGBTOKロリコンNGなのかガチ説明する

先日BBCの「若い小児性愛者の告白」という記事を読んで、色々と思うところがあった。これまで自分が考えてきた性的少数者人権についての考えを整理するために、今回初めて増田として日記を書いてみようと思う。

「子供に手は出さない」 若い小児性愛者の告白 - BBCニュース

この記事を読んでもらいたい人
僕が主に言いたいこと
前提の整理

本題に入る前に、議論の前提とする事柄を整理する。

前提1: 人権とその運用ルールについて

日本では、あらゆる人間には基本的人権が生まれながらに備わっている、という思想憲法で表明している。今回の議論関係がありそうなのは平等権」「自由権」あたりだ。それぞれが意味するところはWikipediaでも読んでほしい

(なお、人権よりも別の規律が上位に来る国ではこの前提は成立しない。そのような状況は今回の議論範疇ともしない。)

雑に説明すると、人間は誰しも生きる権利(生存権)があり、差別なく平等に扱われる権利(平等権)や、欲しいものを手に入れたり、やりたいことを自由にやってよい権利(自由権)がある。基本的には、これらの権利は最大限尊重されなければならない。

もちろん、この権利運用には例外があって、それはある人の権利他人権利侵害するケースだ。こういった場合は、より重要度が高い権利の方が保護され、重要度の低い権利制限される。あるいは、場合によっては両者がバランスよく制限される場合もある。この権利制限必要最低限度でなければならない。

こういった訳で「人のものを盗んで自分の物にしたい」「他人を意のままに傷つけたり、命を奪いたい」「相手同意なく暴力セックスしたい」といった自由は、他人権利を奪うため制限されるし、その決まりを守らなかった場合罰則もある。当然ながら、こういった自由よりも、その自由によって侵害される他者権利の方が、より保護する優先度が高いと考えられているためだ。

反対に、もし他人権利侵害していないのに、生存権平等権自由権などが制限されていたとしたら、これは是正されなければならない不当な権利侵害と言える。もしそのような立場に置かれている人がいたら、彼らにはその不当さを訴え、本来正しい状態是正してもらうよう主張する権利もある。

ここまでの話を端的に整理すると、次のようになる。……【前提A】

このため、ある権利制限が正当なものか不当かであるかを判断するには、例外規定した「2」の条件にあたるかどうかを検証すれば良いということになる。……【前提B】

前提2: 性指向性自認性的少数者定義範疇

性的少数者について特に問題となる概念として、自分本能的に欲しいと感じる性の対象が何であるかを表す「性指向」と、自分がどういった性別人格であるかを表す「性自認」がある。

性的少数者定義

「性指向」と「性自認」は「肉体的な性別性自認が一致しており、かつ異性愛である」という組み合わせが最も多い。この多数派の性指向性自認の組み合わせから外れたパーソナリティを持っている場合、その人は性的少数者である。……【前提C】

一般的性的少数者と言われている分類(いわゆるLGBTに含まれもの):

この中でも、両性愛者やアセクシャル比較多数派世界に溶け込みやすく、他の性的少数者に比べて存在が表面化しにくいとも言われている。

また、様々な理由からまり性的少数者としては分類されにくい小児性愛動物性愛、対物性愛といった性指向存在する。

一般的ではないが性的少数者定義合致する分類:
性的少数者の「矯正」は不可能

性的少数者の性指向性自認多数派と同じ状態になるように矯正しようとする試みが過去になされてきたが、成功しなかった。(多大なストレスで鬱になったり、自殺する場合もあった。)現在では性的少数者根本的に矯正することは不可能と考えられている。

なお、なぜ性的少数者が生まれるのかについては、先天的後天的両方の仮説がある。しかし、そのどちらかなのか、どちらのケースもありえるのかなども含め、原因は明らかになっていない。

このように、性指向自分意思によって変更できるものではなく、また、どういった原因によって性指向が決まるのかも明らかになっていない。……【前提D】

(ちなみに、性自認に肉体の方を適合させたり、半陰陽の人をどちらかの性別に寄せる、といった物理的なアプローチ可能である。)

指向性癖区別

特定の物・衣装行為に興奮する(フェティシズムSMプレイなど)などといった性癖と性指向言葉の上では区別される。しかし、時代によって何がどこまで正常/異常に分類されるかはとても曖昧になっている。

そこで、今回の議論では、ある人の性的な興味を形づくる根幹的な事柄であれば、その内容を問わず指向として尊重する立場をとる。……【前提E】

例として、異性愛者にとっては相手が異性であることは欠くことができない根幹的な事柄であるため、異性愛は性指向一種であるとする。

また別の例として、ある男性ケモナーで、ある種の動物性愛的とも言えるポルノを好んでいたとしても、実際の恋愛では人間女性交際結婚可能場合、必ずしも動物性愛が根幹をなしていないので、性指向としての動物性愛ではないと見なす。

逆に、もしこの男性にとって動物性愛が根幹を成しており、人間との交際結婚が全く考えられない場合、彼は動物性愛の性指向を持っていると見なす。

正常と異常

指向性癖の内容を問わず、正常/異常、良い/悪いの価値判断は行わない。ただし、その性癖他者他者権利侵害せずには成立しないもの(プレイではなく実際のレイプ行為など)については制限必要という立場をとる。

本題

前提が長くなったが、ここから本題となる。

なぜLGBT権利が認められつつあるのか

現行の社会の仕組みは性的多数派を前提とした仕組みとなっており、本来多数派と同様に保障されていなければならない権利制限されている。これを、多数派と同等のレベルにまで回復してほしいというのが、権利是正を求めるLGBTたちの主張として共通していることである

【前提A・B】に立ち戻ると、LGBTであっても可能な限り性的多数派と同等の権利が認められなければならないが、その権利他者権利侵害する部分については制限しても良いということになる。

では、上記のような事柄を認めることによって、他者権利侵害される場合はとはどういうときだろう?

同性愛者がはびこることによって、異性愛者がレイプされるかもしれない」

という懸念は不適当と言える。現状も異性愛者同士によるレイプ事件は起こっているし、同性愛者の権利回復したとしても、同意なくレイプして良いという特権を認める訳ではない。もしそのような事件があれば適切に処罰されるだろう。

LGBT不快感を持つ人々の権利侵害される」

というのは認められない。単に嫌いだから不快から、見なれないからという理由だけでは権利制限する根拠とはならないからだ。今まで生活していて、体臭が非常にキツかったり、顔立ちが全く気にいらなかったり、もの凄く性格が合わない不快な人と会ったこともあるだろうが、だからといって犯罪をしている訳でもない彼らから権利剥奪して良いかというと、全く関係がないのは明らかだ。

男性に見えるトランスジェンダー女子トイレに入ったり、その逆が起こるのは嫌だ」

というのは議論余地がある。男性から女性へのトランスジェンダーの人がありのままに生きたいという権利と、異性からトイレを見られたくないという権利が衝突しており、何らかの解決がなされるべきだろう。

最後問題のように細かい部分では利害の調整が必要な部分はあるにせよ、大きく見れば、LGBT権利回復することによって、他者権利が大きく侵害される場合というのは想像が難しい。【前提A・B】で説明した運用ルールから考えると、彼らの権利回復しない積極的根拠を挙げるのは難しい。

小児性愛性的少数者

【前提C】の条件によるなら、小児性愛者は性的少数者として考えて差し支えないと思う(ただし、単に小児性愛的な嗜好を好むだけで、その人の性的興味の根幹を成していない場合性癖範疇とする。これも【前提E】のケモナーの例に同じ)。

LGBTの例と揃えると、小児性愛者の権利多数派と同等な状態というのは、以下のようなものになるだろう。

LGBT事情が異なるのは、現代では子どもと成人間恋愛性交渉子ども人権侵害する行為とされている点である

【前提B】を鑑みれば、これは権利制限する十分な正当性があると見なせてしまう。同じ性的少数者でありながら、これほどまでに明暗が分かれてしまうのが悲劇である

という部分が認められることはほぼあり得ないだろう。

小児性愛者は差別されている

それでは、小児性愛者の権利制限されて当然なのであろうか。

しかに、子どもに対する直接の危害や、児童ポルノ製造は明確な犯罪行為であり、被害者の子もの権利侵害する行為である。そのような事件に対する世間の目はとても厳しい。

しかし【前提D】で述べたように、性指向自分選択できるものではなく、また、矯正可能ものでもない。異性愛者や同性愛者がたまたまそう生まれしまったのと同等に、小児性愛者もただそう生まれしまっているだけだ。子どもと実際の恋愛セックスに及ぶことはは制限せざるを得ないが、自身の性指向社会から否定されながら生きたり、その性指向理由にして社会的差別を受けるいわれはない。

なので、この権利可能な限り回復されなければならない。

LGBTと違うのは、ただその性の対象を実際に得る自由がないというだけで、それ以外の部分においては本来同様の権利回復が行われなければならないだろう。下へ、先ほどのLGBTの例と対応させてみる:

小児性愛者がはびこることによって、子どもレイプされるかもしれない」

という懸念は不当である。現状も異性愛者同士によるレイプ事件は起こっているし、小児性愛者の権利回復したとしても、子どもに手を出してよいという特権を認める訳ではない。もしそのような事件があれば適切に処罰されるだろう。

小児性愛者に不快感を持つ人々の権利侵害される」

というのは認められない。単に嫌いだから不快から、見なれないからという理由だけでは権利制限する根拠とはならないからだ。今まで生活していて、体臭が非常にキツかったり、顔立ちが全く気にいらなかったり、もの凄く性格が合わない不快な人と会ったこともあるだろうが、だからといって犯罪をしている訳でもない彼らから権利剥奪して良いかというと、全く関係がないのは明らかだ。

これが詭弁かどうかをよく考えてみてほしい。

小児性愛者への適切な寛容さとは

それでは、理想的小児性愛者と社会関係とはどのようなものになるのだろう。

私は、同性愛者やトランスジェンダーであることが、効き手が左効きであることと同じくらい何でもないことになることが理想だと考えている。小児性愛者についてもそれくらい「ふーん、それは大変だね…。」と言えることになるくらいが良いと思う。

そして、この考え方は小児性愛者以外の理解を得られにくい性指向にも適用されるべきだ。

争点となりそうな事柄

LGBTですら権利回復がままならない状況で、小児性愛者の権利回復までは遠い道のりと言わざるを得ない。また、具体的に小児性愛者と社会の間でどういった適切な関係がありえるかもまだ分からないところがたくさんある。それは、特にポルノの扱いについてだろう。

なぜ小児性愛者へライトがあたらないのか

言うまでもなく、世の中では犯罪と直結したイメージを持たれやすいことだ。このことを危惧してか、本質的に同じ問題があるにも関わらず、私が知る限り小児性愛者の権利回復を主張する団体は見たことがない。

また、この投稿でも前提が長くなっているように、問題を端的に説明できないことから、短絡的に児童への性犯罪容認しているととも捉えられかねない危険があり、公に意見を主張することもまだ難しい。

しかし、LGBT問題が同じである以上、いつかは必ず議論されなければならない。その意味でも、今回のBBC記事はかなり先進的なものである評価したい。

最後

お読みいただきありがとうございます。僕自身バイゲイの間くらいのセクシャリティですが、ほとんど葛藤なく生きてこられてきました。ただ、周囲にはセクシャリティについて大きな自己否定感を経験した友人や知り合いも多いです。BBC記事での独白が、そういった方の抱えていた気持ちほとんど同じような内容に思えたのが、この投稿を書こうと思ったきっかけです。また、もしご自身過去や、身近なところに児童性犯罪被害を受けている方がいらっしゃった場合不快かもしれず申し訳ございません。

anond:20171106005554

毎回言ってる気がするが、定着率に意味がないのなら時給を上げる必要性はない

すなわち、始めて1週間のスタッフも始めて3年のスタッフも同じような仕事ができるオペレーションなら時給を上げる必要性はない

(むろん、3年目のスタッフ仕事100ではなく仕事140を産み出すかもしれないが、その40はオペレーション本質的に余剰である

これも言うまでもないが、新人を3日余分に雇って研修させるよりもスタッフの時給を10円上げるほうが必要費用は高い

時給が上がるということは基本給が上がるということだからである

なんでたかだか100円のベアあんなに渋るのかというのの答えがこれだ


まあもちろん時給を上げて人員を確保する戦略をするに越したことはないのだが、企業局所的にはそんなことをするメリットが何もないのだ

から企業戦略としてはやらないことが多い

から最低賃金の上昇という外力による統制をおこなっている

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