はてなキーワード: 医療とは
最近俺が気になる体の不調
その1 左手の手の平、生命線に沿うあたりに軽い痺れが3日ぐらい続いている
その2 首が痒い、触ると水膨れのようなデコボコしたできものの感触がする 乾燥していて膿などはない
なんかの病気か?
みんなが死んだ後になるなら田舎の詰んでる医療や介護サービスでおしめぇになるから、大人しく都会で骨埋めときなさいな
長年農家やってたならまだしも、老後から田舎生活とか不便すぎるどころか自滅まっしぐらだから悪いことは言わん、マジでガチで止めなね
ガチで痩せたいんだがどうすればいい?
https://anond.hatelabo.jp/20230926120623
12:00 昼飯 コンビニのちっちゃい惣菜2個(煮物と油淋鶏とか 野菜系と肉系の組み合わせ)
21:00 夕飯 だいたい炒めもののおかずと米
マジ腹立つ。
なんでかわかる?
量や個数を書いてねえからだよ。
なんも意味ねーじゃんそれじゃ。
お前がどれぐらい食って飲んでるのかさっぱりわからねーじゃん。
これでどうやって相談に乗るの?
でさあ、おまえさあ、これ本当にわからなかった?
「量を書かなきゃ意味ねえな」ってわかんなかった?
ほんとにわかんなかっただけならごめん。
ちょっと頭悪いとかちょっとウッカリした程度のことをガン詰めするのは正しくない。
でもこれはちげーよな?
わかってたよな?
お前は目を逸らすためにここぼやかしたんだよな?
全部それでそれが全てなんだよ。
聞いといてなんだけど結局つよい心で食う量を減らすしか無いんだろうな
ほんと笑うわ
お前のどこにつよい心があるの?
こんな誤魔化しやってるやつに。
だいたい心が弱いからいま太ってんじゃん。
「つよい心で食う量減らす」って不可能じゃん。
深夜のスナック菓子は毎日ではないが、細かい作業してるとながら食いしてしまう
これは真っ先にやめるべきだな
あと家では白米を大盛りで食ってしまうので、これも少し減らしたほうが良さそう
何なら夜は米抜きでも良いのかも知れない
でもこれも満足感が得られずストレスになりそう
こういうのもさあ
こうやってふわふわふわーってあれやめるべきだなこれやめなきゃつったって
やめないじゃん?心が弱いんだから。
むしろ未解決・解決不能タスク積んで鈍い頭がますます鈍くなるだけじゃん。
お前の脳や体にはそんな無駄なことやってるほどの余裕あるの?
あるとも言えるしないとも言える。
現実的に言えば筋トレはもっとも減量に確実な効果あるんだけど、
なんでかっていうと自分の体型に自覚的になるからなんだよね。ボディコンシャスになる。
その点筋トレは筋肉をプラスする、盛る作業だから、人によっては凄く楽しい。
そうやって筋肉がついてきたらもっともっと体型をコントロールしたくなって、
結構苦しい思いや集中を通してトレーニングして筋肉つけてきたときに
(筋トレで基礎代謝が増えるから痩せられる、って言うのは現実的には嘘。
怠惰なデブの心のままでは基礎代謝増えるレベルまで筋肉付かないし、
逆に基礎代謝が増えるほど筋肉付いてる時は既に心がデブじゃないので
一日1500kcalはくだらない消費カロリーだろう。
(日本語おかしくて行き返り合計で25キロの意でも一般人としては滅多にない運動量だ)
それでぶくぶく太るってどんだけ食ってるんだよって話で、
そのだらしない食事量を書くのが恥ずかしいという今更な羞恥心で量を隠したわけだけど、
食事はもうなんでも食えるっていうぐらいの総消費カロリーになり、その上で太るのは難しい。
それでも太ろうとしたらまともな食事では相当な量と出費になる。
12:00 昼飯 コンビニのちっちゃい惣菜2個(煮物と油淋鶏とか 野菜系と肉系の組み合わせ)
21:00 夕飯 だいたい炒めもののおかずと米
俺はこれを一番言いたかったんだが、
食事傾向はどう見ても糖尿一直線。
あと家では白米を大盛りで食ってしまう
発言の感じから言っても典型的な糖質馬鹿食いするタイプの食習慣が身に沁みついたブタなので
家を出てから食習慣が劇的に変わったというケースでなければ
ここまではそれほどおかしくない食事なので(量も伏せられていないところに注目)
21:00 夕飯 だいたい炒めもののおかずと米
このエンプティカロリー&ほぼ全部糖質の所で馬鹿食いしている。
むしろ体質は丈夫なのかもしれないが、食文化がこれでは健康が維持できるのは30代までだろう。
親や親せきの病気や死因を見ていけば自分の末路も想像できるはずで、
それがより早い時期に降りかかってくると考えていい。
正直お前の助け方がわからない。
既に糖尿が始まっている可能性すらあるのに
当人は「ガチで痩せたい」「流石に身体が重いので減らしたい」などと暢気なことを言っている。
いまだに食ってる量から目を背けようとしている。
こんな人間を救うのは不可能だから、好きなだけ食ってとっとと死ぬオプションも真面目なお勧めとしてある。
その道を邁進すれば5年ぐらいだと思う。
もしジムでウエイトトレーニングをするなら小さな筋肉やっても仕方ないので
脚が強いからいきなり重いウエイトが上がってちょっと自尊心が出たりして楽しくなるかもしれない。
ベンチプレスは別に必要ないが、やりたいならやればやればこれもいきなり重いウエイトが上がって楽しいと思う。
普通の初心者のBIG3の重量と比べてウオーこんなに上がった、俺スゲー
とか楽しくなれるなら筋トレにはまって体型にポジティブになるかもしれない。
その場合は人に言われなくても食べる量や食べ物の種類を自分で調べてコントロールできるようになる。
そのジムで一番筋肉がでかいトレーナーにパーソナルを頼んでおだてたりキレたりしてもらえば
トレーニング自体への慣れや上達は早まるだろうし、人に管理されることが嫌いでなければ食事も見てもらえばいい。
これはまあ好き好き。
足が折れてもガンができても年金や手当はなんら必要ありません。彼らは力強いので、足が折れてても新聞配達ができますし、病院には徒歩で行けるので何も必要ありません。健康保険が不要なのです。
独身の28歳の日本人女性が、日本で精子バンクを利用できない場合、他の国で精子バンクを利用することは可能です。
多くの国で精子提供や不妊治療が行われており、国によって法的規制や手続きが異なります。
以下は、精子バンクを利用する際に検討すべきいくつかの国とその特徴ですが、最適な選択肢は個々の状況に依存しますので、専門家の助言を受けることをお勧めします:
精子バンクを利用する際には、法的な規制、医療水準、費用、提供者の選択肢、匿名性の有無などを検討し、個々のニーズに合った国を選ぶことが大切です。
機械学習でとりあえずこれっぽくね?みたいなところまででいいよ
その後は病院推奨するよーXX科いってねーくらい。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B2%BE%E5%AD%90%E6%8F%90%E4%BE%9B
日本における状況
AIDの減少
日本産科婦人科学会によると、日本国内でAID(人工授精による精子提供)が可能な医療施設としては12カ所が登録されている(2020年5月末時点)[4]。
2016年には、全国のAIDの約半数を慶應義塾大学病院(慶大病院)が占め、慶大病院だけでAIDが1,952件行われた[4]。
2017年には全国でAIDが3,790件行われ、そのうち115人が出産された。AID1件あたりの出産確率は約3%であった[4]。
しかし、2017年以降、慶大病院でのAID実施数が大きく減少した[4]。その原因は、以前まで同院では精子提供者の個人情報を非公開としていたが、同年からは「子どもが情報の開示を求めて訴えた場合、裁判所から開示を命じられる可能性がある」ことを提供者の同意書に明記するようになったことだった。背景として、外国では子どもが遺伝上の親の情報を知る権利を認める例がある状況を踏まえた措置だったという[4]。
2018年、慶大病院では精子提供を希望する夫婦の新規受け入れを中止した[4]。同院の産婦人科の教授である田中守は、「AIDは本当に子どもをほしい人が、子どもを産む手段。少子化が叫ばれる中、ゆゆしき状態だ。」と2020年に述べた[4]。
近況
2020年5月末時点で、国内で「(現在でも)AIDを実施している」と回答したのは全12施設のうち7施設にとどまり、うち2施設は新規の受け入れを停止していた[4]。
何か勘違いしてるみたいだけど
マイノリティに対する人権侵害があるなら法や行政が解決することであって
広告や表現物にそんなことの配慮をする筋合いはないし、なによりそんなことの意味もないの
必要なのは合理的で社会的な政策(初等教育環境の充実や進学サポートとか)の繰り返しであって
CMに誰も素敵だと思わない醜いデブ黒人出して人々に押し付けることではないわけ
あんなものは頭の悪い人間のお気持ちを慰撫してるだけだから、弱者のためにすらなってないオナニーなわけ
ある種の医者には、自分たちは軍人であり、患者は捕虜(収入の道具)とみなしているような言動が見られる
趣味として何かを成すほどの熱意も持てず。
そこそこに休日出勤をし、中央値に届かないぐらいの年収を貰い。
毎日のように会社や自民党や老人や学生時代の自分への恨み言をブツブツ言い。
ロクな医療受けられずに死に。
死ぬ間際になり「何もなかった。何もなかったのに生きている間は毎日すごく苦しかった。苦しかったと思っているだけでそれも実はどうでもいいような辛さだった。プラスにもマイナスにもなにもなかった」とブツブツ言う。
それぐらいが俺の求めていい程度の幸せだったんだよ。
日本の将来が不安だから移住してきた、みたいな日本人に出会った
本当にすごいと思った
なぜなら俺はカナダの将来も普通に不安だしそのほかの国の将来ももちろん不安だから
こう書くと「日本はどんな国よりも不安要素が多いしすでに終わってる」みたいなこと言う人が現れそうだしその人の思うことを否定するつもりはないが
だってカナダだって移住してくる人めっちゃいるけど医療は崩壊してるわ不動産インフレやばいわで出ていく人も多いし
カナダ人も「カナダは終わった。かつてのカナダじゃない」って言ってる人かなりいるし
これは俺の印象操作じゃないってことはyoutubeとかでLeaving Canadaって検索したら分かると思う
そういう中で移住できる人本当すごいと思うよ
かと言って「始まって成長途中の国」(インドネシアとかタイとか)「今から始まる国」(アフリカとかインドとか?どちらももう始まってるけどさらにという意味で)に移住するのもめちゃくちゃハードル高いじゃん
で実際成長が続くかどうか、始まるかどうかわからんわけだし
だからほんと移住する人ってすげーっていつも思う、リスクテイカーだなって
ただの予想なんだけど、これからは移住のリアルとか拡散されて各自自分の国でがんばろって時代くると思う
と、体調悪いのに検査が2ヶ月待ちで焦ってる俺は思いました
ちなみに日本人が「岸田死ね」「移民入れるな」と言ってるようにカナダ人も「トルドーはゴミ」「移民入れるな」と言ってる
どこも同じだね
当方子宮内膜症、ストレートネック、IBS、自律神経失調症、鬱などいろんな病気を経験してきてようやく光が見えてきたんだが、振り返ってみると一番しんどかったのは親から病院罹るのを禁止されてたことだなと思う
寝込み続けるなど病状が悪かったので、大学生の時に休学してでも病気を治しておくべきだったんだけど、親から医療費は無駄遣い!我慢しろ!と言われたので、バイト代で凌いでいたところ、保険証をチェックされ、婦人科に通っていたのがバレてしまった
黙って変な医療受けるな!ピルや安定剤は害!とヒスられた結果、OTC医薬品の乱用になってしまった
胃も悪かったので胃カメラはやってたが、内科以外は禁止されてた
頭痛もあったが、頭痛薬を飲んでると怒られていたが、マジでしんどすぎるためこっそり飲んでた
社会人になって激務部署にぶち込まれたことを契機に鬱になり無理が祟り休職中だけど、どう考えてもちゃんと大学生のうちに病気治しておくべきというか付き合い方をちゃんと見出しておくべきだったなーと思う
後、ここまで拗らせなかったらもう少し病気も治りやすくなってただろうなーと考えるとすごく悲しい
私はほぼ呼吸できないくらいの鼻詰まりや喉から鼻くそ落ちてくるレベルの悪さだったのに、コロナ後遺症になるまで耳鼻科定期的に通わなかったよ…
ご指摘ありがとうございます。
リアルの知り合いに実はアホであることがバレなくてラッキーでした。
試しに俺が持っている某資格(医療関係)の合格率を検索してみたら約50%台で推移してた。
俺にとっては簡単な資格だったけど、受験者の半分が落ちてるってことは余程のアホなのかも?(俺よりバカが集まってる=バカばかりが受験する資格?)
年収は、「300万円以上400万円未満」が最も割合が高いが、就業形態で分けると、常勤勤務における年収は、「300万円以上400万円未満」と「400万円以上500万円未満」が約21%と割合が高い一方、非常勤のみでは「200万円以上300万円未満」の人の割合が一番多い
貧乏人の仕事なのでわざわざ取る気にはならないけど、時間があれば取ってみてもいいかも。
なるほど。
https://www.nhk.or.jp/bunken/research/kotoba/20201101_3.html
Q 「この病気には、対処療法しかない」という表現はおかしいだろうか。
<解説>
『新選国語辞典(第9版)』は、「対症療法」について、「①病気の原因をのぞくのでなく、あらわれた症状に応じてする治療法、②物事の目前の状況に応じた処理のしかた」という2つの意味を載せています。医療現場以外でも使われることばで、『広辞苑(第7版)』は、「対症療法で収支を合わせる」という用例を載せています。
「対症(たいしょう)」は、やや専門的なことばであるため、初めて耳で「たいしょう」を聞いた時に、読み方が似ていて、前後の文脈に合う「対処(たいしょ)」を当ててしまい、「対処療法」と覚えてしまっている人もいるようです。「対処法」ということばもあり、「症状に対処するための療法」と考えると、「対処療法」は、いかにもありそうなことばにも思えますが、正しくは「対症療法」です。
交通事故などの即死だと、死ぬ前にお世話になった人たちへの挨拶とか、遺品整理をする時間がありません。
しかし、癌など余命がある場合は、死ぬまでに多少時間が残されているので、お世話になった人たちへの挨拶とか、遺品整理をする時間が持てます。
もしも、病気になっても即死ではないなら、時間的な余裕があることぐらいでしょうか?
(即死と比べて病気だった場合のメリットが他にもあれば教えてください。)
もしも、癌になると寿命が10倍、100倍…と延びるとするならば、みんな癌になりたがるはずですし、医師も「誰でも癌になれる方法」とかの本を書いてベストセラーになってないといけませんね?しかし、現実にはそんなことは起こりません。
最初にかかった医者がヤブだと、真の原因に気付かず、適切な治療が選択できないので、病気が進行しますね。
世の中の大半の医者は金儲けのためにやってます。無償のボランティアではありません。
ぶっちゃけ患者が死のうが生きようが、自分が儲かればOKという割り切りがあります。医療事故で訴えられなければラッキーな職業です。
もちろん、このようなサイコパスの医者は一部ですが、他の医者も全員が優秀というわけではありません。東大医学部とFラン医大では、頭の程度が同じとは言えないでしょう。(もちろんFラン医大でも優秀な医師はたまにいます)
要するに病気診断で誤る場合があるので、一人の医師だけに頼るのではなく、複数の医師に分散した方が安全の確率が高まるという話です。(株でも「卵は一つのカゴに盛るな」という格言がありますね)
どうもおかしいと思ったら、セカンドオピニオン、サードオピニオンを得ましょう。
他ならぬ自分自身のためです。
医者に失礼だからと言って、セカンドオピニオン、サードオピニオンを他の医者に聞きに行くのは良くないと遠慮する人は、ハッキリ言ってアホです。残念ながら、アホは死ぬしかありませんね。それがアホの運命です。(ファイナル・デスティネーション)
医学の知識、とりわけ解剖学の知識は全ての人に必要であり、役立つ知識だと思います。
この増田を読んだ方で、自分の本棚に解剖学の本が1冊もない方は、今すぐ解剖学の本を買って勉強しましょう。
https://www.amazon.co.jp/-/e/B004L4AKYM
坂井 建雄について
大阪府生まれ。大阪府立天王寺高校卒、1978年に東京大学医学部医学科卒、東京大学医学部解剖学教室助手、1984~1986年に西ドイツ、ハイデルベルク大学にフンボルト財団の奨学生として留学、1986年に東京大学医学部助教授、1990年に順天堂大学医学部解剖学第1講座(現在は解剖学・生体構造科学講座)教授、現在に至る。
処女作の『からだの自然誌』(東京大学出版会, 1993)は解剖学を人体についての自然誌としてとらえ、生物の形態を意味づける視点と生物の階層性との関係を論じた、解剖学の基礎論である。
解剖学の学習に不可欠な解剖学の教科書・図譜を多数手がけており、代表的なものとして『プロメテウス解剖学アトラス』全3巻(監訳、医学書院, 2007-2008)、『カラー図解 人体の正常構造と機能』第2版、全10冊(総監修、日本医事新報社, 2012)、『臨床のための解剖学』(監訳、MEDSi, 2008)、『解剖実習カラーテキスト』(医学書院, 2013)などがあり、いずれも良質で分かりやすい解剖学書として高い人気を集めている。
医史学の研究者としても活躍しており、ヴェサリウスの伝記の定番である『ブリュッセルのアンドレアス・ヴェサリウス1514-1564』(訳、エルゼビア・サイエンス・ミクス, 2001)、『ガレノス解剖学論集』(共訳、京都大学学術出版会, 2011)、『日本医学教育史』(編、東北大学学術出版会, 2012)などがあるが、なかでも『人体観の歴史』(岩波書店, 2008)は原典に遡って古代から現代までの解剖学の歴史を俯瞰した傑作で、日本医史学会の矢数医史学賞を受賞している。
このような医療職あるいは専門家向けの教科書・専門書ばかりでなく、一般向けの著作もきわめて多数あり、いずれも明確で分かりやすい文章により人気を集めている。とくに『ぜんぶわかる人体解剖図』(共著、成美堂出版)はこの種の本として異例の爆発的な売り上げを示している。
[ASIN:4758102341] 解剖学 (PT・OTビジュアルテキスト専門基礎) 単行本 – 2018/12/3 町田 志樹 (著), 坂井 建雄 (監修) ¥6,160
[ASIN:486034670X] グレイ解剖学アトラス原著第3版 電子書籍付 単行本 – 2021/9/8 ¥11,000
もしも、現代療法で治る見込みがなければ、新しい治療法の実験台になって、効果の検証に参加してみてはいかがでしょうか?
光免疫療法(ひかりめんえきりょうほう、英: Photoimmunotherapy)は、癌(がん)に対して、光線力学療法と免疫療法を組み合わせた、開発中の新たな治療法の候補の一つである。
2015年4月にアメリカ食品医薬品局(FDA)から臨床試験開始許可を受け、現在は臨床第3相試験を実施中。
光免疫療法に使われる医薬品の第一号が2020年に日本において製造販売の承認を得ている。
昔の日本では、50歳を超えると「翁(おきな)」(おじいさん)と呼ばれていました。
食事や医療が現代ほど発展していなかった時代だと50年も生きれば長生きの方だったんですね。
栄養や医学が改善された現代では、健康に気を付ければ100歳以上生きることも可能です。世界各地に長寿村とかありますね。
しかし、50年生きようが、100年生きようが、相対的な違いでしかなく、どっちみち終わりが来ます。死なない人間はいません。人類の歴史が証明しています。
(不老不死の可能性について、これ以外の反論があればトラックバックで紹介してください。死んだ人間を復活させるゾンビはNGです)
どっちみち死ぬのであれば、死を恐れても恐れなくても死ぬのだから、恐れる分だけ損だと思いませんか?
どちらを選ぶかは自分次第です。
もちろん、自分に嘘をついて、自分をごまかして、死ぬのは怖くないと騙すのはダメです。うまく騙せたつもりでも、実際に死ぬときになってみて、やっぱ怖いと思ったら騙せなかったと分かるだけですね。
とことん死と向き合って、生きているときに味わえる喜び(五感の喜び~臭覚・味覚・視覚・触覚・聴覚の快感など)を失うときに、それでも平気と言える価値観を培う必要があります。
自分の内側が充実すれば、外側の影響を受けなくなりますね。内側の充実とは英知を得ることです。
恐怖の感情は対象を理解できない無知から生じています。(例:柳の下の幽霊)
死に対する恐怖が生じるメカニズムを理解して、損得勘定=価値観を変えることができれば、死に対する恐怖がなくなります。
この点について、古今東西多くの人々が議論して、いろんな解決方法を提案しているので、参考にすると良いでしょう。そして自分にあったオリジナルの解決方法を得てください。
お大事に。