「都市」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 都市とは

2017-06-16

平等

平等病に侵された奴は想像力が0になる

各人各集落都市各国にそれぞれの複雑で面倒な事情があることを丸無視してとにかく平等平等!と叫ぶ

結局は自分が気に入らないだけのことだが批判されるのが怖いので、他人の口を借りて声高に叫ぶのが平等病に侵された奴の特徴だ

罹患者はキィキィ騒ぐだけでその発言の影響で何が起きても基本的責任を取らないので、何を言われても相手にする必要はない

善良な人にその対応は辛いだろうが、かわいそうな病人なのだ 仕方ない

なお治療法はないのでまともに向き合うと自分病気感染してしまうことがある 注意されたし

2017-06-15

ネットはもはや戦場ではない

アイドル声優セクハラリプライを送られて云々…

みたいな問題を見てさ

どうしても俺は思ってしま

「じゃあTwitterやらなきゃよくね?」

って

うんわかる

わかるよ言いたいことは

この理屈は「痴漢が嫌なら電車に乗るな」とか「交通事故が嫌なら車を使うな」みたいな無茶な理屈に見えるだろう

でも俺の感覚からすれば

「死にたくなけりゃ戦場に丸腰で来るな」

みたいなことなんだよ

そりゃ殺す奴が、犯す奴が悪いのは違いない

でも戦場で「ファックプリーズ」と書いた看板を持った全裸の女がレイプされたとき

戦場モラルはどうなってんだ!なんて話にはならないだろ?

アイドル声優ネット上に写真アップロードするってのはそれくらいの行為なんだよ

何故ならインターネットとは法の行き届かない

強き者が食い弱き者は食われる無法地帯戦場なのだから



……なんてのはもう遥か昔の話なんだよな

インターネットは既に地球の裏側の紛争地帯なんかじゃなく

日常のすぐ隣にある

整備された町並みに清潔な建物を数多の企業看板が彩る立派な都市になってしまったんだよな

そりゃそんなとこで白昼堂々レイプしようもんなら捕まってもしょうがねえわな

おかし危険人物

ちげえねえ

今時こんな考えを持ってる俺は

戦争が終わったと認めたくないジオン残党みたいなもんなんだろうな

俺は件の声優のことはよく知らないしTwitterアカウントすら持ってないが

素直に射精していた彼らになんとなく仲間意識のようなものを持ってしまうんだ

「ああ、お前たちもまだ戦場に取り残されてるのか」

って

2017-06-12

海外旅行者を迎える都市として、東京のどうにかしてほしいところ

東京で生まれ育ち、大好きだけれど、海外から訪問者をそれなりの数受け入れる世界都市の一つとして、どうしても気になることがある。

というか、直接海外の方に「これをどうにかしてほしいな〜」と言われたものばかりです。


クレジットカード使用可能店舗の少なさ

クレジットカードが使える店がとても少ない。徐々に改善しているとはいえ、欧米主要都市基本的にほぼクレジットカードのみで生きていけるのでそれと比較すると……。

海外で進んでいるところは、ここでも使えるの!?というような小規模な店、屋台なんかでも普通に使える。

海外から来た方はただでさえ紙幣や小銭を扱うのが難しい。クレジットカードが使えればなんの問題もなく楽に支払えてレジスムーズなのに、手間をかけさせてしまっている。


ベジタリアンの生きにくさ

海外の方はベジタリアンが多い。厳密な意味ベジタリアンでなくとも、「なるべくなら野菜だけ食べたい」というヘルシー志向の方も多い。

でも東京食べ物やさんは本当にベジタリアンに優しくない。普通の店でベジタリアンメニューなんてほぼ見ない。

欧米の一部都市では、別に「ベジ」を謳った店でなくても、ピザ屋でもメキシカンでもイタリアンでも中華でもインド料理でも、普通にベジメニューがあったりする。

自炊できる定住者はそれでいいんだけれど、外食の多くなる旅行者にとっては結構死活問題

日本食って思ってたほどヘルシーじゃない」「東京ベジタリアンが多くないとは分かっているけれど、国際都市なんだし、せめてホテルに入っているレストランとかはもう少しがんばってほしいかな……」とがっかりさせてしまっている。


禁煙飲食店の少なさ

入ったら全面喫煙可だったりするとげんなりする。特に居酒屋などは辛い。

日本喫煙文化があるのは分かるけれど、せめて全面喫煙可の店は店外にピクトグラムとかでわかりやすく表示して欲しい……と言われた。


おしゃれな(notラグジュアリーホテルの少なさ

ホテルはたくさんあるが、ハイクラスホテルビジネスホテルゲストハウス、という感じで特にハイクラスとビジネスの間」のホテルが少ない。

特にラグジュアリーではないがちゃんと清潔でおしゃれ、値段は中間くらい」なホテルは本当に少なくて、これは欧米だけでなく、アジア主要観光都市とくらべても少ない気がする。

なんでだろう、「若い人」向けのホテルが少ないんだろうか……。


無料Wi-Fiの整備が遅れている

これは私は正直自分ではきちんと把握してないんだけれど、とにかく全然駄目。と言われた。笑

使えても、登録必要でめちゃめちゃ使いにくかったりするそうな。


意外と言語問題わたしは言われたことがない。もう皆諦めているのかもしれない。

もちろん東京東京で、他の都市と同じになる必要はないし、ここがいい!!!ということもたくさん聞いている。

でも、個人的には上記のことは是非良い方向に変化していくといいなと思っている。

2017-06-11

白紙に戻せぬ遣唐使教科書の読み比べ)

山川出版日本史の何がすごいのか、さっぱり分からない」

http://anond.hatelabo.jp/20170604204919

これの筆者です。

id:netcraft3さんに「このままシリーズ化してほしい」と言われたんですが、そのつもりはないです。歴史学に対してろくな知識もないから恥をかきそうだし、人気の増田国会ウォッチャー)みたいに注目をあびるのは恐ろしいです。

  

なので今回で最後になるかもしれませんが、ひとまず「遣唐使」について見ていきましょう。

山川出版社『詳説日本史』の「遣唐使」という項は、次のように書かれています。全文引用します。

618年、隋にかわって中国を統一した唐は、東アジア大帝国をきずき、広大な領地を支配して周辺諸国に大きな影響をあたえた。西アジアとの交流もさかんになり、都の長安(現、西安)は世界的な都市として国際文化が花ひらいた。

東アジア諸国も唐と通交するようになり、日本から遣唐使は8世紀にはほぼ20年に1度の割合で派遣された。大使をはじめとする遣唐使には留学生・留学僧なども加わり、多い時には約500人の人びとが、4隻の船にのって渡海した。しかし、造船や航海の技術はまだ未熟であったため、海上での遭難も多かった。遣唐使たちは、唐から先進的な政治制度国際的文化をもたらし、日本に大きな影響をあたえた。とくに帰国した吉備真備や玄昉は、のち聖武天皇に重用されて政界でも進出した。

朝鮮半島を統一した新羅とも多くの使節が往来したが、日本は国力を充実させた新羅従属国として扱おうとしたため、時には緊張が生じた。8世紀末になると遣新羅使派遣はまばらとなるが、民間商人たちの往来はさかんであった。一方、靺鞨族や旧高句麗人を中心に中国東北部建国された渤海とは緊密な使節の往来がおこなわれた。渤海は、唐・新羅との対抗関係から727(神亀4)年に日本に使節を派遣して国交を求め、日本も新羅との対抗関係から渤海と友好的に通交した。

これはひどい遣唐使派遣再開が何年だったかという記述がありません。

そもそもこの派遣が再開であるという基礎知識すら、この教科書では把握できません。ページを戻って第2章「1,飛鳥の朝廷」の「東アジアの動向とヤマト政権の発展」という項では、「倭は630年の犬上御田鍬をはじめとして引き続き遣唐使派遣し」たとあるのですけど、その後にしばらく派遣を中断した時期があることは記載なし。

一時期は中断していたからこそ、702年の派遣再開に歴史的意義があります。第1回の遣唐使派遣が630年ですから、何と、まだ大化の改新をやっていない時代ですよ? それくらい古い時代から派遣していたにもかかわらず、多くの教科書8世紀初頭の出来事として遣唐使のことを説明するのはなぜでしょうか。それは再開というターニングポイントを重視しているからです。本書もそれに従って、「3,平城京時代」という単元に「遣唐使」の項を配置しています。それならば、中断・再開の経緯について説明を載せるべきです。

  

ちなみに、他の教科書では、遣唐使派遣再開についての説明が次のようになっています

7世紀前半にはじまった遣唐使は、天武・持統天皇時代にはしばらく中断されていたが、702年久しぶりに難波津を出発した。」

東京書籍日本史B』(日B 004)

「また政府は、8世紀のはじめに遣唐使派遣して、669年以後とだえていた唐との国交を回復した。」

実教出版日本史B 新訂版』(日B 014)

「日本は唐の文化積極的にとり入れようと意欲をもやし、ほぼ20年に1度くらいの割合で遣唐使派遣した。」

山川出版社高校日本史 改訂版』(日B 017)

白村江の戦いののち、30年あまりとだえていた唐との国交が、701(大宝元)年の遣唐使任命によって再開され、以後、遣唐使がたびたび派遣された。それまで、半島から渡来人新羅などに学びながら、ある程度の国家体制を整えてきたが、この年の大宝律令とともに、唐との直接交通を始めたのである。」

桐原書店新日本史B』(日B 011)

律令制度を整えた朝廷も、702(大宝2)年に遣唐使を復活させ、唐の文物制度摂取につとめた。[中略]

こうしたなか、朝廷は新都の造営や貨幣鋳造、国史の編纂などを次々に実行して、中央集権体制にふさわしい国家づくりに励んだ。」

三省堂日本史B 改訂版』(日B 015)

  

引用者注教科書のページを戻って「白村江の戦い国内体制の整備」の項では、白村江の戦いののち、遣唐使が「669年を最後に中断した」という記述あり。]

この中では、桐原書店ダントツに優れていると思います

遣唐使が中断していた理由もわかるし、大宝律令の制定と遣唐使の再開という2つの出来事を結びつけて理解することができます

  

三省堂記述おもしろいです。私は前回、この教科書について、「時代の流れがよくわかる」「時系列にしたがった記述が多い」というようなことを書きましたけど、ここでもその特徴が出ています

大宝律令の制定、平城京への遷都、貨幣鋳造、国史編纂というのは国内政治です。一方、遣唐使新羅・渤海との関係は、外交政策です。普通教科書はこれを別項に分けますが、三省堂はこれを同じ項にまとめて一つの時代様相として語っているのがすごい。

  

東京書籍実教出版も、中断・再開に触れています。その点は『詳説日本史』より絶対にマシです。

  

山川出版社高校日本史 改訂版』(日B 017)は、教科書のページ数が少なくて、内容もぺらぺらに薄いです。『詳説日本史』と同様、これでは大雑把に奈良時代の初め頃だったということしか分かりません。(しかも正確には702年に派遣再開されたので、これを奈良時代出来事と把握すると誤りになります)

  

  

  

東大入試でよくわかる遣唐使

東大入試2003年)は、遣唐使の本質にせまる問題を出しています

次の(1)~(4)の8世紀の日本の外交についての文章を読んで、下記の設問に答えなさい。

(1) 律令法を導入した日本では、中国と同じように、外国を「外蕃」「蕃国」と呼んだ。ただし唐を他と区別して、「隣国」と称することもあった。

(2) 遣唐使大伴古麻呂は、唐の玄宗皇帝元日朝賀(臣下から祝賀をうける儀式)に参列した時、日本と新羅とが席次を争ったことを報告している。8世紀には、日本は唐に20年に1度朝貢する約束を結んでいたと考えられる。

(3) 743年、新羅使は、それまでの「調」という貢進物の名称を「土毛」(土地の物産)に改めたので、日本の朝廷は受けとりを拒否した。このように両国関係は緊張することもあった。

(4) 8世紀を通じて新羅使は20回ほど来日している。長屋王は、新羅使の帰国にあたって私邸で饗宴をもよおし、使節と漢詩をよみかわしたことが知られる。また、752年の新羅使は700人あまり大人数で、アジア各地のさまざまな品物をもたらし、貴族たちが競って購入したことが知られる。

  

設問:この時代の日本にとって、唐との関係新羅との関係もつ意味にはどのような違いがあるか。たて前と実際の差に注目しながら、6行以内で説明しなさい。

これの答えがピンポイントで載っている教科書があります

山川出版社新日本史B 改訂版』(日B018)です。これ以外は、どの教科書も上記引用した『詳説日本史』と似たり寄ったりの内容ですからいくら熟読をしても答案を書くことが難しいと思います。(三省堂のぞく。後述)

8世紀に入ると、日本は20年に1度の回数で大規模な遣唐使派遣した。日本は唐の冊封を受けなかったが、実質的には唐に臣従する朝貢であり、使者正月の朝賀に参列し、皇帝を祝賀した。[中略]

一方、日本の律令国家内では天皇皇帝であり、日本が中華となる唐と同様の帝国構造を持った。日本は新羅や渤海を蕃国として位置づけており、従属国として扱おうとした。

白村江の戦いののち、朝鮮半島を統一した新羅は、唐を牽制するために日本とのあいだにひんぱんに使節を往来させ、8世紀初めまでは日本に臣従する形をとった。やがて対等外交を主張したが、朝廷はこれを認めず、藤原仲麻呂新羅への征討戦争を準備した。一方で、新羅民間交易に力を入れ、唐よりも日本との交流が質量ともに大きくなった。現在の正倉院に所蔵されている唐や南方の宝物には、新羅商人仲介したものが多いと考えられる。[後略]

  

山川出版社新日本史B 改訂版』(日B018)

以上に準拠しながら、私なりに要点をまとめておくと、次のとおりです。

  

(1)は、日本が唐から律令を学び、その中華思想の影響を受けたことを言っています。つまり、日本はみずからが「中華となる」という「帝国構造」を作ろうとしたのです。「日本は新羅や渤海を蕃国として位置づけ」て、彼らを野蛮だと侮蔑し、従属国として扱おうとしました。ですが、唐だけは別格です。あのような大国を敵にまわすと、恐ろしいことになりかねません。そういう遠慮があって、唐のことだけは尊重して隣国と呼びました。

(2)は、「日本は唐の冊封を受けなかったが、実質的には唐に臣従する朝貢」をしていたということです。唐の臣下となって朝貢する国々の中にも、その立場にはランクがありました。日本と新羅はともに唐の臣下だったのですけど、日本は新羅より格上の臣下になろうとしたのです。

(3)は、日本と新羅関係悪化について述べています新羅が「8世紀初めまでは日本に臣従する形をとった」ので、その間は関係がうまくいっていました。しかし、新羅が「やがて対等外交を主張」するようになったから、両国関係はこじれてしまったのです。それが最終的には藤原仲麻呂が「新羅への征討戦争を準備」するくらいにエスカレートします。

(4)は、日本と新羅政治的には対立しつつも、経済的には交流が盛んだったという内容です。「新羅民間交易に力を入れ」ました。「新羅商人仲介し」、日本へ「唐や南方の宝物」をもたらしたのです。それは貴族たちが競って購入したがる垂涎の的でした。現在「正倉院に所蔵され」ている宝物も、そういうルートで輸入したものが多いのです。

  

教科書の読み比べをすることの目的は、なにも入試対応するためだけではありません。

例えば『詳説日本史』には、最初引用したとおり、「日本は国力を充実させた新羅従属国として扱おうとしたため、時には緊張が生じた」とか、「8世紀末になると遣新羅使派遣はまばらとなるが、民間商人たちの往来はさかんであった」という記述があります。この短い記述が伝えようとしていることの本当の意味は、『新日本史B 改訂版』(日B018)のような他の教科書と併読することにより、はじめて正確に把握できるのです。

  

ところで、この教科書の著者は、東大の先生が3人、京大の先生が1人です。本書だけに載っているネタを使って入試問題がつくられたのは、そのへんの事情もあるのかなと勘ぐってしまます

もしくは、これは2003年入試問題ということだから、ちょうど講談社の『日本の歴史シリーズ2000年2003年)が発行されていた時期ですし、そちらの内容を意識しているのかもしれないですね。一応、そっちのシリーズから引用しておきましょう。

国内及び新羅などの諸国に対する時と、唐に対する時とで天皇の顔を使い分けるという、まことにすっきりしない状況でもあった。このような努力・苦心を払って日本が手に入れようとしたのは、東アジアの有力国としては新羅より格が上、という地位の確認であり、また初期の遣唐使が唐の高宗蝦夷を見せたことに示されているように(『日本書紀』斉明五年七月三日条)、日本は隼人蝦夷などの異民族をも支配下にいれた大国かつ君子国であるという評価であった。いわば唐を盟主とする諸国の中での相対的に高い地位を求めるとともに、自らの小帝国であることを唐に認めさせようとしたのである。(石母田正天皇諸蕃』)

  

坂上康俊『日本の歴史05巻 律令国家の転換と「日本」』

さきにもふれたように、「日本国」は唐帝国との公的な外交関係では「天皇」の称号を用いることができず、実際には二十年に一度の使い――遣唐使――を送る唐の朝貢国位置づけられていたと考えられるが(東野治之「遣唐使船」朝日新聞社、一九九九年)、国号「倭」から「日本」に変え、「天」をつけた王の称号を定めたのは、唐帝国に対し、小なりとも自ら帝国として立とうとする意志であったことも間違いない。

実際、「日本国」は「蛮夷」を服属させる「中華」として自らを位置づけ、「文明」的と自任するその国制を、周囲の「未開」な「夷狄」におし及ぼし、国家領域を拡げようとする強烈な意欲を、その発足当初は持っていたのである

[中略]

このように、朝鮮半島に対しても圧力を加えて、朝貢を強要する姿勢を示す一方、「日本海」をこえてたびたび使者を送って交易を求めてきた渤海については朝貢国として扱うなど、「日本国」は自らを「中華」とし、帝国として四方に臨もうとしていた。しか東北侵略を止めた9世紀に入ると、こうした「帝国主義」的な姿勢列島外の世界に対する積極的な動きはしだいに退き、十世紀になれば、ほとんどそれは表に現れなくなっていく。

  

網野善彦日本の歴史00巻 日本とは何か』

日本が置かれている立場としては、唐への朝貢という屈辱外交をやめるためには、遣唐使派遣を中止するしかないわけです。しかし、日本は唐と断交して敵対的にのぞむ国力も、その覚悟もありませんでした。

いっぽう、遣唐使は唐の皇帝から賜った国書日本国王へ勅す)を持ち帰るわけにはいきません。日本が唐に朝貢していると認めることは、天皇の威信を傷つけることになるからです。

こうなると、実際には日本が唐に朝貢していることが明らかなのに、国内での建前としてはそれを否定してみせる必要が出てきます。要するに、「遣唐使派遣は朝貢ではない。天皇が唐に臣従しているという批判は当たらない」という建前をでっちあげ、国内的にはそれをゴリ押しすることで、この矛盾を乗り越えようとしたのです。

  

私がこのエントリ題名に「白紙に戻せぬ遣唐使」と付けた由来は、多分みなさんもご存知の、894年に遣唐使が廃止されたことを指す語呂合わせ「白紙に戻そう遣唐使」です。しかし、日本がほんとうに、この"遣唐使"的なるものを白紙に戻せたかというと、それは甚だ疑問です。為政者国内国外で異なる顔を見せたり、外交姿勢の実態と建前を使い分けているというのは、室町時代に明に朝貢して「日本国王」となった足利義満に、ほとんどそのまま適用できる視点だと思います

それに、このことは現代外交問題についても、重要示唆を与えてくれます。例えば政府国内に向けて愛国心ナショナリズムを煽っておきながら、それと同時に国外に向けて国際協調アピールをするというチグハグな状況は、まさにこの延長にあるんじゃないでしょうか。

あるいは唐側の視点で見ると、日唐関係はこんな見方もできるかもしれません。唐は日本がおとなしく朝貢するかぎり、細かいことに目くじらを立てなかった。唐としては蕃国をヘタに刺激して事を荒立てるより、多少その尊大なふるまいを黙認しておく方がメリットがあった。すなわち唐は日本と妥協しあって、朝貢関係があるとも無いとも、どちらとも言える状況を作りあげた。――こういう分析がどれだけ妥当か分かりませんけど、2国間に争いがあるとき玉虫色の決着をつけ、両国政府がそれぞれ自国民の耳に心地よい解釈で説明をしているというのは、これまた現代によく見かける話でしょう。

  

  

  

教科書の読み比べ

遣唐使についての解説が長くなりすぎましたが、じゃあここから、各社の教科書の読み比べをしていきます

  

実教出版日本史B 新訂版』(日B 014)

遣唐使船はふつう「よつのふね」とよばれ、1隻に100人まりが乗りくみ、多い時で約500人の大使節団であった。

悪くはないですが、遣唐使について普通説明があるだけです。

おもしろい特色がありません。

無理に良い所探しをするなら、「よつのふね」という文学的呼び方を紹介し、その規模がいかに大きかったかを強調していることです。

華々しく飾り立てた大使節団というのは、それを送りだす側も、それを受け入れる側も、両国にとって国威発揚イベントになったと推測できますもっとも、沈没行方不明になることも多々あったので、華々しさとはかけ離れたのが実態だったかもしれませんし、どうなのでしょう?

  

  

  

桐原書店新日本史B』(日B 011)

  

……って、今回はここで文字数制限なのか。

引用をしていると、あっというまに文字数が膨らみますね!

つづきを書きました→ http://anond.hatelabo.jp/20170611234459

http://anond.hatelabo.jp/20170611110118

熙川市



各種表記

ハングル: 희천시

漢字: 熙川市

発音: ヒチョン=シ

日本語読み: きせんし

ローマ字転写: Hŭich'ŏn-si

テンプレートを表示


熙川市(ヒチョンし)は朝鮮民主主義人民共和国北朝鮮)の慈江道南部の都市人口16万3000人(1987)。

自動車産業など機械工業が盛んである。内陸にあり攻撃されにくいので兵器工場も多いようである

近隣を流れる清川江と将子江を利用した2ヶ所の水力発電所建設プロジェクト先端技術企業での経済発展を背景に、金正日が何度も視察に訪れた都市として「熙川速度」などと引用されている。

行政区画[ソース編集]

21洞・12里を管轄する。

カルコル洞(カルコルトン)

葛峴洞(カリョンドン

金山洞(クムサンドン)

南川洞(ナムチョンドン

大興洞(テフンドン

メ峰洞(メボンドン

西門洞(ソムンドン

ソルモル洞(ソルモルドン

新興洞(シヌンドン

駅前洞(ヨクチョンドン

駅坪洞(ヨクピョンドン

全新洞(チョンシンドン

全坪洞(チョンピョンドン

知新洞(チシンドン

青年洞(チョンニョンドン

清川洞(チョンチョンドン

清下洞(チョンハドン

楸坪一洞(チュピョンイルトン)

楸坪二洞(チュピョンイドン

平院洞(ピョンウォンドン

風山洞(プンサンドン)

館垈里(クァンデリ

城里(ククソンニ)

新里ナムシンニ)

東門里(トンムンニ)

中里(リュジュンニ)

馬船里(マソンニ)

明垈里(ミョンデリ

富興里(プフンニ)

上西里(サンソリ)

宋之里(ソンジリ)

長坪里(チャンピョンニ)

上里(チョンサンニ)


歴史[ソース編集]

熙川はかつては山間の小村だったが、朝鮮戦争中に金日成機械工業都市として建設した[1]。その後、自動車産業電気電子工業などが発達した。兵器産業[2]やウラン濃縮を行う目的で遠心分離工場もあると言われている[3]。

煕川水力発電所建設され、2012年2月には平壌まで送電線が完成した。この発電所建設プロジェクト2009年経済発展「150日戦闘計画の一つであり、その建設スピードの速さを評して「熙川速度」[4]と呼ばれた。

https://ja.wikipedia.org/wiki/熙川市

2017-06-10

ミッキーマウス!!が東京に来た

ミッキーマウス!!でミッキー世界を回るシリーズが続いていて、ロシアコサックを踊ったりイギリス女王の兵に追いかけられたりしていたのだが、今回は日本舞台だった。

空中を交錯する道路線路ジェットコースターのように電車が走る未来都市のような日本中国風のBGMミッキーは駅を疲れた顔をして歩き長い行列に並び青い電車切符を買う、駅員が満員の赤い電車ミッキーを無理矢理押し込み、扉のガラスに張り付きながら発車。

ミッキーは吊り革を伝って移動し赤い電車から脱出を試みる。

途中で相撲取りの頭にぶつかりミッキーは褌姿になり相撲勝負しかけ、相撲取りがぶつかり開いた扉から電車屋根脱出

しかジェットコースターのような電車屋根危険まりなく、大量の看板を避けながらトンネルに入る、トンネルの中では急に横スクロールドット&ファミコン音になりコインを取る、

その後青い電車に飛び移り鉄道の駅に到着。

店を開き子供電車運転手として子供達の笑い声の中深呼吸するミッキーおしまい

モアナと同時上映した疲れ果てた生真面目な社畜短編日本人イメージしたとか言ってたし、今の日本イメージは疲れ果てた社畜満員電車なんやなーと思った。

あとBGMが何でいつも中国風なんかな。

新宿駅の徒歩圏に引っ越して思ったこと

新宿駅西 ごみごみして汚い、あと薄暗い

新宿駅東 汚くはないが薄暗い

新宿駅南 なんか綺麗

 

そして人がくっそ多い

 

なんなん? 

 

あの薄暗い3階建てみたいな構造どうにかしたらどうなのか

明るい感じにするとか

空があまりにも狭い、常に薄暗い、昔見たディストピアSF映画未来都市みたいだ

2017-06-07

http://anond.hatelabo.jp/20170607095918

同じ画像なりマークなりを

毎日見せることによって、

それがあっても、

それが目に付いてもおかしくない、

自然ではない状態にすることは

洗脳第一歩だよ。

仮に君の部屋の壁紙

普通では視認できないメッセージが刷り込まれていたらどうする?

連日連夜、気づかれないように少しずつ少しずつメッセージを刷り込んでいくんだ。

時々、突然気分が悪くなったり、めまいがしたことはないか

金縛りにあったことは?

昼ごはんを食べたのを忘れたことは?

大きな都市が丸ごと停電する夢を見た経験は?

球形プラズマ蜃気楼観測気球写真に撮るとしたらどれ?

マンテル

チャイルズ・ウィッティ

その次は?

アルミホイルで包まれ心臓六角電波の影響を受けない』というフレーズ知ってる?

螺旋アダムスキー脊髄受信体って言葉に聞き覚えはある?

さっきからずっと

あなたの後ろにいるのは誰?

2017-06-06

http://anond.hatelabo.jp/20170606184207

エンジニア限定

研究者やっててあちこち転々とした俺で良ければ

個人趣味によるとしか言えない

雑誌テレビで見るような店に行って、流行りの服を着たいなら東京にいなきゃ無理

でも、そういうのにそこまでこだわらないなら全く問題ない

三大都市圏ならまあまあ問題なくて、札幌福岡でも、中心部に近いエリアならまあまあ東京っぽい雰囲気暮らしはできる

広島熊本新潟クラスなら、本当の中心エリアに住めばギリギリ都会っぽい暮らしができるけど、2か月に一度くらいは大阪東京に出ないと出来ないことはある

それ以下の、地方県の第2の都市とかになると、これはもう別世界

寂れたイオンが唯一の外との繋がり、みたいな暮らしになる


個人的には、住むエリア都市レベルだけじゃなく、街と呼べる場所へのアクセスのしやすさがかなり意味を持ってくると思う

滋賀田舎だけど、すぐに大阪に出れるので全く問題ないとかね

北陸滋賀レベルの街に暮らしても、どこにも行けないもんね

もともと田舎出身で、田舎暮らしが苦じゃない人なら、どこで住んでも問題ないよ

首相のお言葉(http://www.kantei.go.jp/jp/96_abe/statement/2013/0619speech.html)の感想

私が追い求める日本とは、世界に対してどこまでも、広々と、オープンにつながる日本です。

保守層が支持してるっていうのは嘘くさいよなぁ


私たちは、欧州が、20年以上かけ、電力市場自由化、開放と、発電・送電システムの分離、そして電力市場連携統合を進めてきた歴史に、多くを学びました。

イギリスドイツ自由化は失敗だったってよく言われてるが、それを踏まえた上でこんなこと国際会議(@イギリス)で言っちゃっていいのか?

当てこすりみたいに聞こえてないといいけど



 そして日本でも、つい先日、半世紀以上続いた市場の寡占に終止符を打ち、電力市場自由化と、送配電の分離を進める意思決定をしたのです。

ファッ!!!???

どうしてこうつながる…


あの頃以上の活気を、日本の随所で取り戻したいのです。ですから若い人を、「日本へ行け」と、どうか促してください。

 と、いうのも、国家戦略特区という、総理の私が、直接担当する場所で、徹底的な規制撤廃を図り、世界から資本と、叡智があつまる場を、日本にこしらえるつもりだからです。

なんだ、国家戦略特区ってのは総理自身が直接担当する場所ってちゃんと分かってたんじゃないか。昨日の国会答弁はなんだったんだよ。

というか、国家戦略特区ってもともと、外資日本商売させるための制度だったのかよ…



ロンドンニューヨークといった都市匹敵する、国際的ビジネス環境をつくる。世界中から技術人材資金を集める都市をつくりたい。そう考えています

今治もそうなるんですかね。地元サイドが四国に残る人材が欲しいって言ってるのとは、理念がなんだかそぐわないように見えるんですが



世界の「優秀大学百傑」に、せめて10校、日本大学を入れたいと思っています。まずは国が運営に携わる大学で、外国人教員の数を倍増します。

日本人教員非常勤でもやってろって意味ですか?

研究時間を確保させてあげたほうがランキングには効きそうですがね


まとめ:これは平成25年の講演。結構からヤバイこと言ってたんじゃないか?という感想もっとちゃんと見ておけばよかった…

免責:あくま個人の感想です

2017-06-05

地方には多様性がない、ある必要もない

タクシーの客が『昨日の野球は……』と言えば、言うまでもなく地元球団のことを指している」

というような地方に住んでいる。

自分も順当にこの地元球団ファンだが、勝ってくれればうれしい程度で、そこまで熱くはない。

そんな自分からすると、ここは他球団ファンには相当居心地悪い場所だろうなと感じる。

東京とは比較にならないが、NPB球団があるくらいだから一応都市だ。

球団ファンもいるし、転勤族もいる。だが彼らに対する配慮はなきに等しい。

中年オヤジだけではない。TV新聞も、他球団ファンなどいないもののように扱っている。

おそらく住民過半数は、程度の差はあれ地元ファンから、売り上げだけ考えてもたぶんそうなる。

野球に限らず万事がそうで、この先もよそ者にとって居心地の悪い街であり続けるしかないのだろう。

というか、たぶん大阪だってそんな空気なのだろう。オリックスファンには申し訳ないが。

野球に関する同調圧力のない街など東京か、そもそも球団のない地方都市ぐらいしかないのだろう。

http://anond.hatelabo.jp/20170527225126

いつものおっさん

 

おっさんが女を装って書いた文は大抵、

おっさんが女に言わせたい言葉おっぱい、下着等主にエロを匂わせるネタ

おっさん特有ステロタイプな女のライフスタイル自意識東京地名ルミネ、パック等、というかこの文全体がそれなのだが)

おっさん臭い言葉「恋」「肥やし」「妙齢」「気分は花が咲き」等)

ですぐ分かる。

(「ルミネエスカレーターを何往復も上下しながら、」の気持ち悪さ理解できるかな…)

まあ今回はわざとらしすぎるのであえて隠してないのだろうけど。

 

感覚的に難しいのだけど、この辺直せばもう少し自然に読んで気持ち悪くない作文ができると思うのでがんばってください。

あとこれ東京じゃなくて船橋とか宇都宮とか適当都市にしとけば地名リアリティと内容のわざとらしいおっさん臭さがスパークしてかなり面白かった気もする。

怒れ!日本公共交通利用者よ!

JR北海道観光列車による公共交通イメージダウン痴漢問題…これだけ問題が続出しても、恋々と公共交通固執する鉄道は恥を知らない。不買出来ないなら抗議するしか公共交通を救う道はないと思います

日本人日本公共交通に怒りの声を挙げていただきたい。若い世代会社員人達公共交通を信頼できないと、言ってます痴漢問題も不便性も運賃制度etc 何も解決していません。

戦後、ここまで見るに耐えない現実もありません。車社会になり、日本人経済的に豊かになり、公共意識劣化したと言われていますが、これだけはいけません!

やってること、韓国企業と同じ。

公共インフラとしての使命を忘れた鉄道界隈は日本公共交通、住みよい都市など、豊かな社会を壊そうとしています大都会東京愛する人として黙っていられません。速やかに怒って下さい。

もはや好きか嫌いかという問題ではありません。希望絶望かという選択だと思います

日本の皆さん、公共交通危険な方に向かっています公共交通商売の道具ではありません。怒りの声を挙げてください。

このままだと鉄道迷惑施設になってしまう!

2017-06-04

山川出版日本史の何がすごいのか、さっぱり分からない

山川出版の日本史いかに凄いかについて情熱的に説明する」

http://blog.tinect.jp/?p=40198

はてなブックマークの人気記事だったので開いてみたのですが、驚くほど中身のない記事でした。

これ、おっさん居酒屋でしゃべっているレベルですよね??

『詳説日本史』を引用するなり参照するなりして、具体的にどこがどうすごいかを語ってほしかったです。

僕も10代の頃はあれが本当に理解できなかった。けど今ならああい教科書が作り続けられる理由がよくわかる。物事を語るにあたって、中立を維持しようとするとなると、事実しか語れなくなるのである

ストーリーというものは、基本的には何らかの価値観を元に構築されるものである日本民族いかに優れているかという視点で歴史を分析すると、それは右翼的な記述にならざるをえないし、平等であろうとすれば、それは左翼的価値観を元に記述せざるをえなくなる。

客観的な記述がされている、左右に偏向していない、中立だからすごいゾ、という感想には呆れ果てました。

いったい全体、どこが情熱的ですか? 教科書を読み返さず、いい加減な記憶をもとに語っても、多分これくらいのことは言えると思います。 

  

クソ記事を読んでしまい、あんまりにもムシャクシャしたので、私が自分で『詳説日本史』を引っ張りだしてきて調べました。

例えば「源平の騒乱」という項目は、次のように記述されています

平清盛後白河法皇幽閉し、1180年に孫の安徳天皇を位につけると、地方の武士団中央貴族・大寺院のなかには、平氏の専制政治に対する不満がうずまき始めた。この情勢を見た後白河法皇皇子以仁王と、畿内に基盤を持つ源氏源頼政は、平氏打倒の兵をあげ、挙兵を呼びかける王の命令(令旨)は諸国の武士に伝えられた。

これに応じて、園城寺(三井寺)や興福寺などの僧兵が立ち上がり、ついで伊豆に流されていた源頼朝信濃の木曾谷にいた源義仲をはじめ、各地の武士団挙兵して、ついに内乱全国的に広がり、5年にわたって騒乱が続いた(治承・寿永の乱)。

平氏は都は福原(現・神戸市)へと移したが、まもなく京都にもどし、畿内を中心とする支配を固めてこれらの組織に対抗した。

しかし、畿内西国を中心とする養和の飢饉や、清盛の死などで平家の基盤は弱体化し、1183年(寿永2)年、平氏北陸で義仲に敗北すると、安徳天皇を報じて西国都落ちした。やがて、頼朝の命を受けた弟の源範頼義経らの軍に攻められ、ついに1185年に長門の壇の浦で滅亡した。

この一連の内乱の行末に大きな影響をおよぼしたのは地方の武士団の動きで、彼らは国司荘園領主に対抗して新たに所領の支配権を強化・拡大しようとつとめ、その政治体制を求めていた。

ここには明らかに編者の歴史観と、因果関係説明が詰め込まれています

  

まず、平清盛後白河天皇幽閉したこと、安徳天皇即位させたことは、この教科書では「平氏の専制政治」と評されています

当時の人たちがそう感じていたのか、それとも教科書の編者がこの評価を下しているのか、どちらなのか判然としませんけど、ともかく本書はこの評価にもとづいて記述がされています

  

次に、この「平氏の専制政治」が地方の武士団中央貴族・大寺院の不満につながって、 以仁王源頼政はそういう情勢を見たので挙兵したと書かれています

これはまさしく因果関係に言及しているわけです。

  

このように、教科書は単なる事実の羅列ではありません。歴史に対する評価因果関係がしっかりと述べられているのです。

そこにどういう学問的な裏付けがあるか、歴史学に無知な私はよく知らないです。あのブログ記事ではそのへんの話を説明していると思ったのですけど、まったくの期待外れでしたね。

  

なお、この教科書とおなじ編者がつくった参考書『詳説日本史研究』(山川出版社)によると、次のように説明されています

治承・寿永の乱は、一般には源氏平氏の戦いといわれている。しか歴史学的にみた場合、この全国的な動乱を単に源氏平氏勢力争いとみるのは正しい理解ではない。以仁王挙兵以降、軍事行動を起こすものが相次いだ。美濃近江河内源氏若狭越前加賀の在庁官人、豪族では伊予の河野氏・肥後の菊池氏である。彼らはあくまでも平氏の施政に反発したのであって、はじめから源氏、とくに源頼朝に味方したわけではない。彼らの背後には在地領主層があり、在地領主たちは自己の要求を実現するために各地で立ち上がったのである

彼らの動向をまとめあげ、武家棟梁となる機会は頼朝以外の人、例えば源義仲源行家、あるいは平宗盛にも与えられていた。頼朝が内乱に終息をもたらし得たのは、彼こそが在地領主層の要望に最もよく答えたからである。この意味で幕府の成立は、時代の画期ととらえることができる。

教科書である『詳説日本史』では、これがたった一文にまとめられているのです。

この一連の内乱の行末に大きな影響をおよぼしたのは地方の武士団の動きで、彼らは国司荘園領主に対抗して新たに所領の支配権を強化・拡大しようとつとめ、その政治体制を求めていた。

こういう史観が妥当なのかというのは、私にはちょっと分からないんですが、この点を強烈にプッシュしているのが『詳説日本史』の特徴と言えるでしょう。

他の教科書を読んでみても、三省堂の『日本史B 改訂版』(日B 015)を除き、この史観はあまりプッシュされていないと感じました。

  

【参考文献】

山川出版社『詳説日本史』(日B 001)

山川出版社『高校日本史 改訂版』(日B 017)

山川出版社新日本史B 改訂版』(日B 018)

東京書籍日本史B』(日B 004)

三省堂日本史B 改訂版』(日B 015)

実教出版日本史B 新訂版』(日B 014)

桐原書店新日本史B』(日B 011)

(このエントリは上記7冊を参照しています。いずれも平成22年ごろ購入。)

  

  

  

余談:教科書の読み比べ

  

山川出版社新日本史B 改訂版』(日B 018)

伊豆に流されていた源義朝の子・源頼朝も、妻・北条政子の父北条時政とともに挙兵して南関東を掌握し、10月には源氏根拠地鎌倉に入った。頼朝は父祖以来の結びつきを背景に、三浦千葉上総氏などの有力な東国武士主従関係を結んで御家人とし

頼朝の挙兵が、東国武士との「父祖以来の結びつき」を背景にしていたものだったということは、他の教科書ではなかなか分からないと思います

三浦千葉上総という武士名前が沢山出てくるのもおもしろいですね。(三浦氏名前が出てくる教科書は多いですが、それはこの時点ではなく幕府成立後、十三人の合議制か、宝治合戦ときに唐突に登場します。)

[寿永二年十月宣旨から義仲滅亡までの]この間、鎌倉の頼朝は没収した平氏の所領(平氏没官領)を法皇より与えられ、経済基盤を固めていった。また御家人を統制する侍所を設置し、その長官である別当には和田義盛を任命した。これに加えて、行政裁判制度を整えるための公文所(のちに政所)・問注所がおかれ、その長官にはそれぞれ京から招かれた朝廷の役人である大江広元三善康信就任した。前後して、義経軍らは一の谷・屋島平氏を追い、1185(文治元)年に壇ノ浦平氏を滅ぼした。

[]は引用者註。

この教科書の特徴は、幕府の政治機構の形成過程を、治承・寿永の乱の進行に併記していることです。

鎌倉幕府の成立が1192年(いいくに)なのか、1185年(いいはこ)なのかという論争は、世間でよく知られているぐらい有名になりました。どちらが正しいかは諸説あるとしても、ただ一つ言えることは、どこかの時点でいきなり幕府が完成したというわけではありません。治承・寿永の乱が続いていた期間に、徐々に幕府の政治機構が形成されたのです。この教科書はその史観が反映されています

  

  

  

桐原書店新日本史B』(日B 011)

北条時政の援助によって挙兵した頼朝は、東国武士たちに支持されて、富士川の戦い平氏を破ったが、その後は鎌倉にとどまって、東国地盤を固めることに専念した。これに対して平清盛は一時、都を福原神戸市)に移して態勢を立てなおそうとしたが、まもなく京都に戻り、1181(養和元)年に病死した。一方、義仲は1183(寿永2)年、北陸方面から急進撃して、平氏一門を京都から追い出した。しかし、義仲は後白河法皇対立したので、法皇は同年、頼朝に東海東山両道(東国)の支配権を認め、義仲追討を命じた。頼朝は弟の範頼・義経らを上京させて、義仲を討たせた。範頼・義経さら平氏追討に向かい、1185(文治元)年、長門壇ノ浦平氏一門を滅ぼした。

この教科書歴史用語の詰めこみを回避しているようで、内容は簡単、文章としても平易です。

上記引用でも分かるとおり、「頼朝に東海東山両道(東国)の支配権を認め」という記述があるくせに、寿永二年十月宣旨というキーワードがありません。治承・寿永の乱、一の谷、屋島の戦いなどは年表に記載されていますが、本文中に記載なし。養和の飢饉、平氏都落ち安徳天皇を伴ったことも言及なし。

というわけで受験生には不向きですが、他の教科書にはない特色もあります

  

鎌倉将軍に尽くして家人となった武士のことを、鎌倉御家人といった。鎌倉御家人になる目的は、将軍面接して(見参)、先祖伝来の所領を承認してもらい(本領安堵)、さらに勲功のあった者は新たな所領を恩賞としてうける(新恩給与)ことにあった。

教科書の中では唯一、桐原書店けが「見参」を掲載しています。これは鎌倉幕府の権威の構造がどういったものであったかを知るための手がかりになるかも。

(他の教科書ではこの用語がないどころか、「将軍面接して」という説明も省かれています

  

["新恩給与"についての註]

土地のものよりも土地に対する一定の支配権と、それにともなう収益権を与えられるのが普通で、そのおもなものが地頭職であった。

これは「職の体系」のことを言っています。他の教科書とは違って、地頭をあえて「地頭職」と見なす視点を紹介し、その意味するところを簡潔に説明しているのがすごい!

所有権が重層的に重なりあっていたというのは、中世土地支配構造を知るうえで一番大切なポイントだと思います

なお、山川出版の『日本史B用語集』には「職の体系」という用語は不掲載で、かわりに「職」の項でそれを説明しています

職(しき)②:一般に職務に伴う土地からの収益とその職務自体を指す。荘園場合、有力者への寄進が何回も積み重なり、下記のような複雑な職の改装秩序を生じた。

本家職①、領家職②、預所職②、下司職②、荘官職①

  

[引用者註:丸の数字はこの用語を掲載している教科書の数]

山川出版『日本史B用語集』より

この説明は悪くないと思いますが、桐原書店は「土地のものよりも土地に対する一定の支配権と、それにともなう収益権」のことと明記しているので、その方が的確です。

しかも、いかんせん、『日本史B用語集』は「職」の用語説明を「院政期の社会文化」のページに掲載しているので、これと鎌倉時代の地頭職との関連が全然分からないです。そして「鎌倉幕府の成立」のページにある「地頭職」の用語説明は、次のようになっています

地頭職(じとうしき)⑤:職とは役職に伴う権益意味。地頭職は御家人が地頭に任命されて認められた兵糧米の徴収や免田(給田)経営などの権利

  

山川出版『日本史B用語集』より

これは間違っていませんけど、この説明を読んで、重層的な土地支配構造があったことを理解できますか? 絶対に不可能ですよね?

せめて「職」「地頭職」という用語同士を紐付けて相互参照させてほしいです。ふざけんなってかんじです。

  

さて、桐原書店教科書に話をもどすと、欄外にこういう豆知識も載っています

幕府とは、近衛府の唐名であるが、転じて近衛大将の居館のことをいった。のちには近衛大将とは関係なく、武家政権意味する語となった。頼朝は1190年に上洛し、右近大将に任ぜられたが、まもなく辞任した。

[ふたつの源頼朝像]

Aについては南北朝時代武将とする説もあり(伝・藤原隆信筆,京都神護寺蔵)、Bも注目されるようになった(山梨甲斐善光寺蔵)。

とてもユニークですね。受験には使えないかもしれませんが、知っておいて損はないです。

  

  

  

東京書籍日本史B』(日B 004)

養和は平氏政権が用いた年号で、これを認めない頼朝の支配する関東では、ひきつづき治承の年号が用いられた。

網野善彦著作『東と西の語る日本の歴史』に、たしかこの話があったと思います

他の教科書には載ってませんが、ピンポイント東大入試に出題されました。

  

源氏鎌倉の関係は、源頼信のころに源氏氏神となった石清水八幡宮を、前九年合戦の際、子の頼義が相模国由比郷に勘請して鶴岡若宮八幡宮前身)を建設したことから始まった。鎌倉は前面に海をもち、三方を山にかこまれた要害の地で、切通によって外部と結ばれていた。

鎌倉という土地をこれだけ情熱的に語っているのは、東京書籍教科書だけです。

上記引用とはまた別に、「コラム 武家の都鎌倉経済流通」というのも掲載されています

東大入試では、「院政時代から鎌倉時代にかけての京都と鎌倉都市の発展」について論述させる問題が出されたことがありますが(1990年)、この教科書はその答案を書くうえで非常に役立つものだと思います

  

  

  

山川出版社『高校日本史 改訂版』(日B 017)

こののち、後白河法皇義経を重んじ、頼朝追討の命令を下したが、これに失敗すると、頼朝はその責任を追及し、逆に義経追討の命令を得た。さらに頼朝は義経をかくまっていた奥州藤原氏を滅ぼそうと朝廷に追討の命令希望したが、法皇がそれを拒否すると、1189(文治5)年に頼朝は追討の命令を待たず、大軍をもって奥州藤原氏を滅ぼした。ここに全国を平定し、その後、法皇死後の1192(建久3)年に頼朝は念願の征夷大将軍に任じられた。

頼朝の悪人っぷりがこれでもか!?というぐらい強調されています

あいつは自分の野望を実現するため、ときには法皇に逆らって圧力をかけたり、朝廷命令無視して独断専行する奴だった、ということを言いたげな記述です。

  

それはともかく、奥州藤原氏を守ろうとした法皇朝廷側と、それを潰そうとした頼朝の厳しい対立がわかるのは、この教科書だけでしょうね。

両者のぴりぴりした緊張関係が伝わってきます

関西にある政権東北地方を使って、関東独立の動きを牽制するというのは、日本の歴史において繰り返し出てくるパターンなので、この視点を漏らさず記述しているところはアッパレ

  

  

  

実教出版日本史B 新訂版』(日B 014)

平氏安徳天皇を奉じて西国に落ちていったが、後白河法皇は京都にとどまり、新たに後鳥羽天皇をたてて政権を維持した。法皇は義仲には平家追討を命じるいっぽう、頼朝には上京をうながして、京都の義仲に対抗させ、武士たちをたがいに牽制させて政局の主導権をにぎろうとした。しかし頼朝は、東国の安定に意をそそいでみずからは鎌倉を動かず、弟の範頼・義経を上京させて、1184(元暦元)年、義仲を討たせ、源氏一族の長となった。ついで義経らは、その当時勢力回復して都にせまっていた平氏を一の谷・屋島などの合戦でやぶり、さらに翌1185(文治元)年にはこれを長門壇ノ浦に追いつめて滅亡させた。

この時代に2人の天皇が同時に存在していたとする視点を取り入れているのがナイス

都落ちした平氏はそのままあっけなく滅んだわけじゃなくて、京都にいる天皇とは違う天皇を奉じて勢力を盛り返していたのです。

どちらの天皇が正統かというのは、つまるところ結果論にすぎません。この教科書はそんな歴史観に基づいて書かれています

  

ちなみに、この教科書の編者は、大半が関西教育機関に属する人たちみたいです。後白河法皇平氏を主軸にした書き方は、編者の関西びいきが反映した結果なんでしょうか。(笑)

例えば奥州合戦について、「奥州進撃のために頼朝は東国だけでなく西国武士もひとまず鎌倉に動員し、これを機会に国ごとに御家人組織の整備をいっそうすすめた」とありますさら西国御家人東国御家人とどう違うかを説明しているのもおもしろく、この教科書関西中心っぽい史観は独特です。

  

  

  

三省堂日本史B 改訂版』(日B 015)

  

……って、おい!? 増田がここで文章を掲載できなくなったんだが??

せっかくこの先が本番なのに、文字数の上限なのだろうか。

つづき→http://anond.hatelabo.jp/20170605001028

奈良市映画館あるけどない、ないけどある???

奈良市映画館あるのにないことに(?)

奈良市は、三条通りの映画館シネマデプト友楽』が閉館した2010年以降、ずっと県庁所在地で唯一映画館がないと言われ続けている。

県庁所在地で唯一、映画館のない市というフレーズが「文化度の低さ」という蔑称を伴って語り継がれる。

http://www.nara-np.co.jp/20121228090629.html

県庁所在地映画館がない唯一の都市……それは奈良県だ!

http://rocketnews24.com/2015/10/07/637966/

全国の県庁所在地でも唯一、映画館のない町だと聞いています

http://business.nikkeibp.co.jp/atclcmp/15/072800004/050300010/

県庁所在地映画館がないのは奈良市だけ

https://tvtopic.goo.ne.jp/kansai/program/mbs/25312/481023/

(ほかにも読売新聞奈良テレビ『ゆうドキッ!』、なら国際映画祭奈良市議会TBS『世にも不思議ランキング』、毎日新聞FM京都『UNDER THE TREES』、ならマガ、空海公式サイトなど多数)

ただ、本当に唯一かというと先につぶれたのは徳島市で、その後徳島市は復活したけど山口市もなくなってるし、何より奈良市映画が完全に見られないわけではない。

というのも、京都府木津川市イオンモール高の原奈良市域に飛び出ていて、映画館があるのは奈良市側。それなのに届出上は京都府なのだそう。階下の歯医者奈良市なのに。

イオン高の原ショッピングセンターにあるワーナー・マイカル・シネマズ高の原は、境界を越えて奈良市側に位置しており、法人市民税などの市税を賦課しているのは奈良市

http://voiceofnara.jp/news132.html

地理的には奈良市側に位置するものの、興行場法許可申請京都府となり、所属する興行組合生活衛生同業組合京都興行協会となった

http://voiceofnara.jp/news132.html

奈良市映画館ないのにあることに(?)

奈良市映画館がないとか、奈良県全体でも4館しかないとか言われているのに、都道府県中核市ごとの常設映画館数ランキング幸福度ランキングなどでは、奈良県に4.3館、奈良市に2.7館(いずれも100万人当たり)あることになっていて、その結果奈良ではなく埼玉県豊中市最下位になっている。

これは何故かというと、「カサブランカ シネサークル」(奈良市)と「橿原シネアーク」(橿原市)がずっと廃止届をしていないのが理由だとか。存在しない映画館順位が決まるなんて変な話。

2017-06-02

日本社会を一発で改善する有効

痴漢を一発でなくす方法

世界で最も痴漢問題が激しく、陰湿化する国は日本なのである。おなじ満員電車の国のアメリカ韓国中国には痴漢はない。なぜ先進国で唯一日本だけこの問題があるかと言うと、それはおそらく「責任主体明確化することを渋る」からではないか痴漢戦犯第一加害者だが、加害男は、ただ好き勝手やってれば自分処分されることをわかっているため、他人責任を負わせるのである鉄道趣味などを煽り傍観者共犯者じわじわと作る。そうすることで、自分ひとりが糾弾されたりすることから逃れられるのだ。もし仮に利用者のうち80%くらいが加害者傍観者含む)となれば、その常態企業は「問題がある」と認めることはできない。なぜなら利用者加害者家族含む)から「うちの人生がどうなってもいいのか!」と糾弾さらされることになるからで、行政からも圧がかかる。

もし仮に、その鉄道都市のすべての鉄道路線のうちにたった1路線がそういった常態だったとしても、それでも1路線危険地帯一色に染まるともなれば由々しき事態なので、当然新聞沙汰になるし、運営も、場合によっては行政の面々なども処分をされかねなくなる。かくして隠ぺいや黙殺が起きるのだ。隠ぺいや黙殺すればするほど痴漢じわじわ鉄道路線全体に広まる。そしてそれがどの鉄道でも当たり前になり、どの交通機関でも当たり前に、どの都市も平均的な風景になったのが今の日本だ。東ドイツと同じなのである宗主国の顔色を窺った東ドイツ政府が、無責任国民ハラスメントするような構造と一緒だ。

痴漢問題は、加害者が少人数(できれば一人)の時点で発見し、その利用者定期券没収などの制裁を科すことができればいい。もしそれが食い止められずに全体に広まれば、運営の首を飛ばす仕組みを作れば、運営会社もっと積極的にマトモにこの手の問題と向き合うようになる。なぜこれができないのか。本当に日本公共交通ダメだ。

裏社会過激派左翼をなくす方法

韓国中国過激派左翼暴力団がない理由を考えたのだが、おそらく「公的勢力権限」が徹底されているからだと思う。2000年代以降の韓国中国風景は、さまざまな公共団体への相談窓口が用意されており、裏社会につながる利権パイプが発生しないようになっている。これは最近欧米でも普通のものだ。ようするに公共サービスが徹底していて、社会の裏側に必然的に手出ししないように済むわけで、住民安心して問題点解決できる。サービス効率や質もよい。日本場合公的機関権限がいい加減だから下の人間(昔は裏社会で今は過激派左翼)が利権を作る原因になるんじゃないか

これは社会イメージアップもつながり、問題などを一番小さな次元で食い止めることができる。日本のような公的機関蔑視される環境だと、公共責任あいまいになり、過激派利権問題JKビジネスのようにとりかえしのつかない規模になってしまう。いま、世界に名だたるオタクの街が潰れかかっているのはまさにそれが原因ではないか。よくいえば都市国家イメージアップになり、人民利益モチベーションのアップにつながる。これは本当に良いと思うので、日本採用してほしい。欧米だけではなくアジアでこういうシステムをやらないのは日本だけだよ。

日本人民度ダメになる理由もこれ

日本民度がいまダメになっている理由もこれで説明がつく。なぜ1940年代日本や今で言えば韓国の過ちと同じことを繰り返そうとしているのかというと「忖度」してしまうから。これはネトウヨ高齢者も考えるべきことだ。君たちの大嫌いな「だらしない日本人の態度」の原因は、特定人間責任にできないことにある。

アメリカ人であれ中国人であれ、世界のどの超人職人個人単位での評価が当たり前である

韓国超人紹介を見ると、必ず名前の紹介がある。日本みたいに民族のもの評価になることはない。これは米国でも欧州でも当たり前だ。

日本でこのような考え方が徹底されるようになったのは2010年代以降である。それまで、あたか日本社会自体がすごいという拡張表現することしかないし、インタビューさえ氏名不在の場合が多い。誰が取材したのか、誰が伝えているのかがさっぱりわからない報道が目立つ。

結果的に、無関係のない人達が矢面に立たされてしまい、特定世代がひっくるめて糾弾されることになるのではないか。あれだって世代における共通点があったとしても、悪いのは顔の見えない、名前も出て来ない者である

2017-05-31

Youtuber ヒカルの新事業は「ビジョン」だけのカス人材ベンチャーと一緒

なんか大物youtuberヒカル君が、「新事業を立ち上げます宣言しましたね。「事情があって大学いけなかったような(田舎の)高卒」と、「(都市の)企業」とをマッチングさせるってビジネス自身知名度を生かして高卒高校生集客インターン体験イベントに出席⇒採用まで持っていくことが目的で、サービス利用者の参加費はゼロ。「世の中には能力ある高卒がいるけど、彼らにはチャンスがない。だからそれを与える事業をしたい」なんてのはイケてるけど、これ人材ベンチャーにありがちの「理念だけご立派」なビジネスで終わりそうじゃね?

まさか参加者スクリーニングをしないはずもないから、まず「優秀」な奴を選抜することになると思うんだけど、そもそも腐るほどいる高卒の中から、どうやって”能力”ある個体を見つけるの?

面接や実績、自己PRなどの評価で選別する場合、「口のうまいマイルドヤンキー」・「人当たり良さそうな美男美女」・「コード書ける引きこもり系陰キャ」の3択になるよね。高卒生の能力をこの基準判断する場合マッチングさせる企業は「営業ソルジャ―」「腰かけ一般職」「下級PG」が欲しい会社限定されていくよね。

大企業の「腰かけ一般職」が都内女子大女の子たちに浸食されていることを考えると、営業か下級PGかに絞られる。しかし、若い営業ソルジャ―を欲しがる会社は、有形・無形かかわらず粗利の低いプッシュ営業体制場合ほとんど。下級PGを欲しがる会社だと、永遠デバックコーディング要員としてこき使うような委託体制ほとんど。どことは言いませんが。

そうなると、「田舎でくすぶって腐る若者」が、みごと「東京で使い潰される消耗品」に進化する。これが「高卒に夢とチャンスと可能性を与える」ってことなんですかね?ライン工とそう変わんないと思うんだけど。

2017-05-30

http://anond.hatelabo.jp/20170529142727

みなさん、返事ありがとうございます。初めてで書き方が悪く、答えようがなかったですね。皆さんの質問に答える形で補足させて頂きます

名古屋から1時間ちょっと人口8万人の都市。全国の普通チェーン店がある、普通田舎テレビは7CH映ります自然うまいバランスで住みやす都市だと思う。

年齢は45歳くらいまでがいい。もちろん若くてもいいです。

スキルレベル

【具体的な業務

サーバーメンテナンス作業

・各種開発作業

主に、以下のような開発作業があります

1)サーバー側で稼動してる、パワコンデータ受信プログラムPHP / sh

2)端末側で稼動している、データ取得送信プログラムC++ / PHP / ash

3)Web管理画面HTML、およびCGIプログラムHTML / CSS / PHP

データメンテナンス作業

データベースMySQL採用しております

MySQLクライアントアプリより既存データ修正や削除、データ入れ替え等を行います

大量件数場合は、SQLクエリ作成し一括で操作を行います

などです。まあ、実際は今のサービスは開発よりも、運用保守重視。主にサーバー上のプログラムデータの整理が主です。

上記よりも、使い始めた人からちょくちょく問い合わせが来るのでその対応がメインになると思います

仰るとおり、美しいプログラムでほぼソフトウエア的な保守必要ないです。

仕様変更機能追加もその方にやってもらうので。

上記まで(ほぼ問い合わせ)が一日1時間くらい。

残りの時間を使って、新しいサービスを僕と二人で考えたい。

から求めるスキル新サービスを何とか形にしようとする意識情熱グーグル先生に聞いて自分問題解決しようという気があればいいです。

もちろん、あるに越したことはないですよ。その分しっかりお支払いします。

フィロソフィーすごく、言葉に突き刺さります

具体的には 下請け仕事はしない。自分たち面白いと思うことしかやらない。(開発しない)

エンジニアの人にはアイデアは僕が出すから形にして欲しい。それか一緒にアイデア出しあって、面白いサービスリリースしよう。マネタイズ経営者(僕)が考えるから

上記スキルがあって

年収は400万~

勤務地名古屋から電車で1本 1時間半。

いざとなったら出社は週に2-3回でもいい。

都会から弊社の近くに引っ越してくれるなら、アパートくらい用意します。

釣りスキーロードバイクアウトドアが好きなら、申し分ない環境だと思います

はてなはじめてで、ここでいきなり全部書くのはちょっとと思って、ふわっとした最初で、様子見でごねんなさい。

さて、これくらい書けばちょっとはおっ!って思ってくれるのであろうか?

前回意見頂いた皆様含めて、もっと意見下さい。

意見くれた人たち!ありがとう!これにも意見下さい。

希望者は僕にコンタクトして下さい。

あー、実際のサービスアドレス書けば一発なんだけどな。このもどかしさ。

http://anond.hatelabo.jp/20170529142727

みなさん、返事ありがとうございます。初めてで書き方が悪く、答えようがなかったですね。皆さんの質問に答える形で補足させて頂きます

名古屋から1時間ちょっと人口8万人の都市。全国の普通チェーン店がある、普通田舎テレビは7CH映ります自然うまいバランスで住みやす都市だと思う。このつづきも今書いているけど、長くなりそうなので一旦あげます

東京にいる人間のんびりしてはいけない

オリンピックに向けて東京という都市価値を高めていこう

モーレツに働いてアメリカを買えるくらいまで持っていこう

2017-05-25

BLAME!観て色々感想読んだ

やっぱ自分含めオタクめんどくさいなって思った。

いやまあ、20年を経て初のアニメ化*1ってことでちょっと期待しちゃって、ちょっと違うな感が残るのは分からないでもないんだよな。

でもあれ1本で原作の骨子にまで踏み込むのは普通に考えて難しいってのも皆分かってたはずなんだよな。

ちょっとでも違うと思ったらシャッターをバシャン!って閉めちゃうオタク感想とか読んだりしてちょっとしかったけど、どんなオタクにも譲れないポイントってのは必ずあるので仕方ない。

でも個人的にあの劇場版ポジティブ評価したい。作品面も、Netflixを通じた海外配信というビジネス面としても。

弐瓶勉本人も語ってるように、BLAME!原作は作中での設定や世界観説明を徹底的に排除していて、

そんな中でたとえばシボが超構造体を突破できなかったと述懐したり、ドモチェフスキーが超構造体を盾にして戦ったり、

そういう小さいエピソードの積み重ねで「超構造体とかいうやべーやつ」「それを破れる重力子放射線射出装置かいう超やべーやつ」という謎めいた層が読者の中に形成されていって、

霧亥も霧亥で倒れては蘇り倒れては蘇り…ってのを積み重ねるうちに「霧亥とかいうやべーやつ」という分厚い謎の層ができあがるんだよな。まるで階層都市のものみたいに。

そういう厚みがBLAME!世界の広大さを引き立てる要素だったわけで、その体験映像で丸々再現するには同じことをするしかないんじゃないかなと思う。

翻って劇場版を観ると、電基漁師との邂逅エピソードを抜き出して整理した感じ。

東亜重工珪素生物など原作キー設定をばっさり切って説明的なシーンを足したという点は原作の厚み・スケール感を大きく損なったが、ストーリーは相当分かりやすくなり、

シドニアのヒットを受けて原作ファン以外も取り込まねばならなかった制作陣の判断がうかがえる。(「説明しすぎ」という感想もあり、それも分かるのだが、あれでもチンプンカンプンな人は結構いると思うのでSFは難しい…)

ただ、いわゆるダメ実写化とかダメ映像化にありがちな物語の根幹から大きく外れた設定・キャラを出して破綻」というのが殆ど見受けられなかったのが何より良かった。安堵した。

好悪あれど、原作をしっかり軸に据えた上で、その枠内でエンタメにしようとしてくれたのが嬉しかった。サナカン侵入シーンとか原作より恐怖を感じた。

「トフボーデン(塗布防電)」とか初見じゃまず分からないガジェットもぼかさずそのまま出してくれたし。「駆除系を妨害するわ!」みたいに説明セリフで済まされてたらもうどうしようかと。

ラストについても賛否あるけど、シボやサナカンは体を乗り換えられる世界から原作との整合性もある程度取りやすい、それ故のアレなのかもね。百合妊娠世界救済エンドはまだありますよ。ありますとも。

今更ですが映像のもの音響はとても良かったです。

原作ファンにも初見客にも共通する正解ではないし、そもそもそんなもの存在しないけど、少なくとも105分という枠の映像化としてはまあほぼ最適解だったんじゃないかなって思いました。

ラム学園の映像化が待ち遠しいですね。(定型句

(*1) 正直これまでに制作されてきた短編群の方が原作雰囲気をよく伝えていると思うが、やはり商業的に難しいのだろう。今作の方向性皮肉にもそれを示しているように見える。


P.S.

「体がいっぱいあるよー!」は入れてくれてもよかったんじゃないですか!?!?!?(怒)

アーカイブ ヘルプ
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん