はてなキーワード: 大事とは
今さら言うことでもないけど、いわゆるボカロ曲は他人がそれを歌ったり替え歌を作ったりすることが許されるような文化がある。
紅白で歌われた「命に嫌われている。」なんかもまふまふさんの歌ってみたが大人気だし、にじさんじの笹木咲が替え歌を歌ったのも有名だと思う。
みんな割と好き放題に作るからどういう替え歌ならいいかなんて基準はないけど、果たしてそれはどこまで許されるべきなのだろうか、ということをこの動画を見つけて考えてしまった。
【替え歌】作者に嫌われている。
タイトルから分かるように「命に嫌われている。」の替え歌で、歌詞としては「ぼくたちは勉強ができない」っていうジャンプでやってた漫画でうp主の推しキャラの扱いが酷かったということを訴えてる。
作者への誹謗中傷というよりは推しキャラの境遇への怒りや悲しみを吐き出してる内容なので、法的にどうこうという感じではないと思うけど、とはいえ攻撃性は結構高い。
替え歌はボカロ文化を豊かにしているものの一つだと思っているので基本的に制限してはいけないと思うけど、他人の曲を使ってこんな動画を作ることは制限しなくていいのかなと考えた。
ぼく勉は単行本全巻持ってるくらいには好き。アンケートも結構入れてた。
命に嫌われている。はまふまふさんから入ったにわかだけど原曲のほうも繰り返し何度も何度も再生したくらいには大好き。
なのでどっちのファンの気持ちも分かるんじゃないかと思ってる。
愛がない二次創作は駄目という格言がある。ではこの動画はどうだろうか。
こう書くとどっちのファンにも叩かれそうだけど、ぼく勉にも命に嫌われている。にもそれなりに思い入れがある身としては、どちらに対しても少なからぬ愛の込められた動画だと感じた。遊び半分で愉快犯的に作ったものではないと思った。
ぼく勉についてだけど、歌詞とか投コメにあるブログのコメントとかを見た感じ、きっとうp主は筒井先生がYouTubeでいつかうるかちゃんのその後のことを描いてくれるんじゃないかって期待してたんだと思う。
だけど半年前からぼく勉のことを描かなくなったからもうダメなんだと気づいて、それでやり場の無い思いを大好きな曲に預けて発表したかったんだと私は感じた。
愛憎半ばっていうのかな。フルで作ってるのにそれでも全然足りそうにないくらいの怨念に満ちた動画だけど、この動画で歌われている恨みはそのまま愛とイコールなんだと思う。
そういう愛憎籠もった歌詞なんだけど、原曲の文字数に合わせてたり歌詞を変えずに使ってるところも結構あったりして、聞いていて意外と違和感は少ない。
MVの再現具合もなかなかしっかりしてて、スクロールの速度もだいたい合わせてるし、文字がランダムで切り替わりながら歌詞が出てくるのとか、他の替え歌動画見てもあんまりやってないことやってる。
動画は作ったことないから詳しくないけど、そこ再現してるのあんまり見ないからきっと再現するの結構大変なんだと思う。それでも手間を惜しまずなるべく原曲に寄せたかったんだろうなと思うと、そこには少なからず愛があるんだろうと私は思う。
こういう動画を作るのはマナーとしてはいただけないことだと思うけど、自分の大好きな作品に対する思いを昇華するために、大好きな曲をどうしても使いたかったんだと思うと理解できる部分は正直少なくない。愛も恨みも大きいから、同じくらいの気持ちで好きな曲でないと釣り合わないのは正直分かる。
個人的には動画が法的に問題あるという感じはしないし、しっかりとした愛があって作られたものだと思う。うp主の怒りも恨みも決して理不尽なものではなく、そう感じて当然のことだと思う。
だけどそれでもこういった攻撃的な替え歌は許されるべきじゃないと私は思う。
もちろん表現の自由とか大切なんだろうけど、そういう法律や規約以前のマナーの問題として、コミュニティの発展のために攻撃的な歌詞は受け入れないとかそのくらいの基準はあってもいいんじゃないかと思う。
自分の曲を面白く替え歌してくれるのが嫌な人はそんなにいないだろうけど、自分の曲を攻撃的な替え歌に使われるのはほとんどの人が嫌なはず。実際単なるファンでしかない私でもこの歌を聞いてうp主に同情するのと同時に悲しい気持ちになった。
それに攻撃的な替え歌を許容するようになってしまうと、そんなふうに使われるのが嫌だと思う人が動画をアップするのをためらうようになってしまうかもしれない。そうするとボカロ文化の衰退にもつながってしまう。
例えば「たべるんごのうた」ブームのときに煽り要素のあったウィーアー!の替え歌をうp主が自主的に削除したことも、ブームが持続した原因の一つと言われてる。
個人の表現の自由も大事だとは思うけど、コミュニティが持続していくためには一定の制限が必要なんじゃないかと思う。他人の曲を使うのであれば、せめて攻撃的な歌詞にはしないという基準があってもいいんじゃないだろうか。
だからもしこの増田をうp主が見ることがあったら、どうか動画を削除して欲しい。
あなたの怒りも恨みも同じ作品と音楽のファンである私には届いた。どうかそれで十分だと思ってもらえないだろうか。
うp主はきっと何か目的があって動画をアップしたわけじゃないと思う。ただただやりきれない気持ちを発散したかっただけなんだと思う。
だからどこかの誰かにではなく、少なくとも私には届いた。それで満足して終わらせてくれないだろうか。
この増田はあなたに届けばいいなと思って書いた面もあります。広まるかも届くかもわからないけど、もしそうして貰えるなら同じ作品と曲のファンとしてこれ以上嬉しいことはないです。
人は死ぬときに生きてきて大事にしていたことを思い出すんだろうな。
家族を大事に思っていた人は死ぬときに家族との記憶を思い出して安らかに死ぬのだろう。
お笑い芸人なんかは自分がウケたことを思い出してニヤリとしながら死んでいくのかもしれない。
ホモ・サピエンスなんて言っても所詮は動物だろ?と倦怠感丸出しに生きてきた私には大事なことが何もない。
生まれてしまったからには死ぬのは嫌だしなと、ほどほごに快適に過ごせる環境と安心できる資産を作り、毎日ほどほどに生きている。
まともな親・嫁・夫は、
『アンタを大事にしない会社なんて大企業でも良い会社でもなんでもない。明日にも辞めてきなさい。なんならいま辞めなさい』
って言うんやで
ガチャ失敗しただけや
すごいニッチな話で吐き出す場所もないからここに書かせてくれ。
TikTokには短い数十秒の動画を上げること以外に、ライブをブロードキャストする機能もあるんだけど、ある休日の昼、ちょっとヤンチャめの女子高生(3年)が割と胸元の開いた私服でライブをやってたんだよ。まあ自分も見てしまったんだけど、本人なりに線引きはしっかり引きながらも、割とやらしめの要望にも応えてて、ライブは大盛り上がり、フォロワー数が爆発的に増えたんだな。
プロフィールを見るとその女子高生、結構前からTikTokで活動をしていて、ライブも動画も精力的にこなしてたんだけど、あまりフォロワー数が増えなかったみたいで、直近の何本かの動画が若干谷間を見せるような動画で、多少のお色気も出してフォロワー数を稼ごうと方針を変えたのが明らかな感じだった。
そういう流れでやってたのが自分が見た昼のライブだったんだけど、大幅にフォロワーが増えて数字的にキリのいいところまでその日に行ける雰囲気だったから、「夜もやる」と言って昼のライブを終えたんだわ。
それで満を持して始めた夜のライブ、その子は昼と同じ胸元の開いた服装で、ついつい自分もライブに参加してしまったんだが、昼の雰囲気とはうってかわったものになった。なぜかと言えば昼のライブにはいなかった古参のユーザーの何人かが(全員男)、ユーザーからのやらしめの要望があった時に、その要望に応えるのを止めるようコメント欄で逐一その子に言ってたからなんだな。「やらしめの要望」と書いたけど、ユーザーからの「立って」とか「目を近くで見せて」とかの少しでも胸元が見えてしまう可能性のある要望は無視するよう忠告する徹底ぶりだったんだよ。(普通の体の動きの中で見えそうになった際は「服装!!」と言う細やかさだった。)
で、その子はやはり古参ユーザーは大事にしたいのか、それらの忠告をしっかり聞き入れてたから、視聴者数は増えず、フォロワーは中々増えなかった。普通昼より夜の方がライブは盛り上がるのに全然盛り上がらない(正直彼女は昼と比べてライブがやりずらそうだった)。
そこでフォロワー数を増やしたい彼女は痺れを切らしたのか、事態を打開しようとライブを共有して他のライブホストと話せる「コラボ機能」を使ったんだよ。そしたら繋がった先のホストが若いピンク髪のチャラ男で、それを見るなり古参ユーザーは「コラボ相手には気をつけな、印象悪くなってフォロワー減るぞ」とまたご丁寧に忠告したんだけど、コラボ相手のその男との会話の中で胸元が何回か開いたことも影響したのか(彼女はコラボ中には胸元を手で抑えなかった)、古参ユーザーの予想に反してコラボ中にフォロワー数が一気に増えて目標の数値を達成したんだよ。
そしたらコラボ終了後、目標フォロワー数を達成したことに気づき、彼女が喜び始めた矢先、ある古参ユーザーが「純粋に応援していたのに、フォロー外すわ」とコメントを書き残してフォロー外したんよ。そのコメントを見た彼女テンションガタ落ち、「不快にさせてごめんなさい」と何度も謝って、それを残った視聴者がコメントで励ます始末で、すごく暗い雰囲気でライブ終えたんだわ。
はてなのジェンダー問題に詳しい有識者のみんなはこれについてどう思う?
自分としては彼女を思う気持ちはわかるものの、古参ユーザーの行動は少しパターナリスティックが過ぎる気がするし、彼女なりに決断してお色気路線を取ったのだし、もう高校も3年生で、昼のライブを見る限り線引きはしているようで彼女の考えを尊重したい気持ちが強いんだけど。そりゃあ自分の娘ならば止めるよう言うとは思うけどもさ。
体から黄金を出せる特徴のせいでその手の犯罪には狙われやすい面もあるけど、
でも黄金を出せるが故に基本的には国やら世間からは大事に扱われて、
統計的に見ても黄金が出せない非黄金人種と比べて例えば自殺率やらは野垂れ死に率は圧倒的に低いし、承認も得やすいからか幸福度だって高い
黄金出せる能力だけで人生乗り切ろうと思えば過酷な資本主義世界の競争から離れて生きていくことも一応可能で、
それは非黄金人種には基本的には与えられてない選択肢なので本音としては結構羨ましがられている、でもそのせいか出世欲みたいなのは平均的に低くて管理職割合みたいな社会的な地位みたいな部分は低かったりする
学歴が中卒とかだったり仕事ができなかったりしても黄金が出せるだけで最低限の保証されることが多くて、
その手の低スペ黄金人種は非黄金人種から見ると「あーこいつ黄金出せなかったら野垂れ死んでるんだろうなぁ……」みたいに思われてたりする
私は50歳代男性。皮膚科に通って5年以上、特にここ2年はかなりひどくなっていた。職場が変わったこともあり、よくならないのはストレスがひどいせいだろうと勝手に解釈していた。
皮膚科からは塗り薬(顔用、身体用)、ローション(頭用)、保湿剤、飲み薬(アレルギーを抑える薬)が出ていた。
飲み薬は、飲むと日中眠くなるような気がしていたので、3-4日に1回飲んでいた。
いっこうによくならないので、妻からも病院を替えるべきだと言われていたが、面倒なので近くの病院に通い続け、いまも続いている。
先生からは「日焼け止めを塗ること・保湿すること」を、それこそ口がすっぱくなるほど言われていた(これはずっときちんとしているつもり)。が、それ以外のことはあまり言われていなかった。
かゆみはかなりひどく、夜はよく寝ていると自分で思っていても、朝起きるとGARMINが寝ているうちに100歩前後歩いたと診断していることが多く、日中も眠くなることが多かった(飲み薬のせいだろうと考えればつじつまは合っていた)。5-6時間の眠りで深い眠りが「ゼロ」ということが週5日あるいはそれ以上あり、疲れもきちんと取れていなかったと思う。
皮膚の状態はよくならないどころか、ひどくなる一方だと感じていたので、自分なりに本など読んで勉強した。その結果、以下の結論に達した。
つまり、かゆくても掻かないことが大切。しかしかゆいから掻いてしまう。そこで、かゆくならないために「薬を飲む」。
なので、まずは薬を飲んでかゆみを抑え、その間に塗り薬をきちんと塗って皮膚トラブルを治してしまう。
そこに気づいてからは、毎日薬を飲むようにした。それまでは夕食後1回の服用だったのを、先生にお願いして朝晩の2回に変えてもらった。
ふだんは保湿剤を塗りまくって、皮膚の保護機能を万全にする。先生からは「朝晩塗るように」と言われていたが、とにかくいつでも塗る。カバンの中、会社の机の引き出しにも常備しておき、気がついたらとにかく塗る。
これで、ここ3か月ほどでかなりよくなった。頭のかゆみはまだあるのだが、身体のかゆみはほぼなくなり、顔のかゆみも本当にひどいときから比べるとよくなった印象。
先生がこのあたりを事前にもっとていねいに説明してくれていれば苦労しなくて済んだのに、と先生のせいにしてしまいたくなるが、よくなってきているので、これまで私がきちんと理解せず処置しなかったせい。劇的にとは言わないが、自分の中ではかなり楽になってきたのでよかった。先生すみません&ありがとうございます。
頭のかゆみは試行錯誤中。「毎日のシャンプーがよくない」と言われて2日に1回、3日に1回と減らしてみたが、2日目以降はやっぱりかゆいような気がする。薬用シャンプーがよいと聞いたので変更した。いまのところシャンプーは2日に1回、シャンプーしない日もお湯で髪を洗って汚れを落とし、市販のローションを毎晩頭に塗っている。これでマシにはなっている。
日本人がどのような人生を送ることになるのかを解明するテクニックとして、次の事実を考えることが非常に重要である。
昭和時代は色々あった。特に、昭和天皇は「激臭の天皇」だった。
昭和天皇が激臭で皇室からオーラを放つような天皇だったことからして、そこから、日本人の性質をassumeすることができる。すなわち、日本人はマンコである。
昭和天皇が激臭だったのは、自分を大事にしたからである。このことから次の定理が成り立つ。
証明: 昭和天皇は激臭だったということは自分を大切にした天皇である。また、 昭和天皇には一億人がついていったという事実からほとんど自明である。
証明 いかにも生きている価値がない。しかも誰もついてこない。死んだ方がいい。
次に、日本人がどのような人生を送るのかは、昭和時代における日本国民の人生の経緯を考えることが重要である。
昭和時代の日本国民は自然に生きた。学校で勉強し、会社に30年勤めあげ、老後は地域から尊敬され、安楽のうちに死んでいった。しかも、ほとんどの人が激臭であり
自然だった。昭和時代は、偉い人が近くに引っ越して来ればだれでもそのような感じがし、近くに犯罪者がいれば誰でもそのような感じがした。しかし今ではそういうことは全くない。
主成分分析くらいまでは、とりあえずよくわからんがやってみたんだけどさ。
敵「ワイくんは彼女とか欲しくないの?」
ワイ「実は学生の頃、なんとなく検査してみたらめちゃくちゃ不妊症だったんですよね……それで、なんか恋愛はもういいかなって思っちゃって…(曖昧な笑みを浮かべながら)」
敵「あっ…そうなんだ」
ワイ「すみませんね、なんか」
敵「いやいや…」
実際のところ不妊症だから恋愛しませんってロジックは微妙といえば微妙なんだけど、「無神経な質問で病気のことを話させてしまった」っていう状況が大事なんだよな
30代独身。
恋人も学生時代はいたが10年以上いない。作ろうともしてないけど作ろうとしててもモテてない方だと思う。
自分は遺伝の可能性がある持病があるし家庭環境が微妙で出産と結婚に忌避感があるからするつもりない。
生物としては子供産まないと種が絶えるし自分が回避した苦労への感謝で他人の子は大事にしようと思って生きてる。
御年92歳。一年ほどずっと寝たきりで、今月の頭には脳震盪を起こし、呼びかけると瞳は動く程度の反応しかできなくなっていた。
その為もう長くはない、覚悟しておいてほしい。とGW明け頃から医者に言われていた事もあり、訃報に対する驚きはなかった。
妊娠中の姉の悪阻がひどく、親族が多いこともあり姉は参列してもケアできる人がいない為、近日中に葬儀がある場合参列しないことになったらしい。
孫娘が二人とも参列しないのは祖母や他の親族に申し訳ないので、私はなんとか参列してほしい。という話だった。
祖母および私自身の実家は関西にあり、私は仕事の都合で上京して一人暮らしをしているので、参列できるか心配だったらしい。
職場はブラック気味ではあるものの、流石に冠婚葬祭に出るな仕事をしろというようなところでもないので、お願いすると問題なく休暇を貰えた。(何なら日数的には多めに休ませていただいた)
大学卒業時にスーツと合わせて買った礼服が問題なく着れたことに安堵しながら帰省し、通夜と葬儀に参列した。
通夜が終わった後親族へは弁当を渡し、時間がある人は控室で食べてくれと話していたのだが、皆家が遠いので、と結局控室で食事をしたのは祖母の実子とその家族だけだった。
翌日葬儀に合わせて斎場に入り、参列者が来るのを待っていると、通夜に参列していた母の従姉妹から「微熱が出たので欠席する」と連絡が入った。
私は内心ひやひやしていたのだが、関西へ戻る前に受けたPCR検査の陰性結果が届いてホッとした。
旦那さんは参列してくださったので、大丈夫なのかと尋ねればちょっと微熱が出てしんどいだけなので寝ていれば大丈夫だろうと言われたので、皆でお大事に、コロナじゃないといいねと伝えておいた。
葬儀の最中、参列者の数珠が千切れてしまった。何となく縁起が悪いなあと思いながら椅子の下に転がってきた数珠を渡し、姉からの弔電にちょっと泣きそうになりながら、眠る祖母にお別れをした。
年齢を考えればいつ亡くなってもおかしくなかったので、寂しくはあったもののみんな落ち着いていたように思う。顔を見るとどうしても泣いてしまったけれど。
それ以降は特に滞りなく葬儀を終え、納骨を済ませて祖母の家に戻って親族で食事を食べて思い出話に花を咲かせた。
個人的にあまりよく理解していなかった家族関係が分かってすっきりしたりしつつ、仏壇に飾られた西国三十三所めぐりと四国八十八か所の掛け軸を見て凄いなあとみんなで感心した。
掛け軸を完成させたのは葬儀を欠席した母の従姉妹夫婦で、西国三十三所に関しては5回ほど回ったことがあるそうだ(そのたび掛け軸を完成させて親族に渡していた)
数年前にまた一つ掛け軸を買ったが2か所ほどしか回れていないので、そろそろまた予定を組んで回らなければ。と話していた。
「行きたい場所には行けるうちに行っておいたほうがいいよ。年をとればとるほど足が動かなくなるから」と旦那さんが笑って言うと、親族皆が頷いていた。
それから七時ごろまで他愛のない話をして、四十九日までの予定を聞いて、皆帰っていった。
喪主だった伯父にまだしばらく慌ただしいだろうから無理しないでね。と伝えて私も両親と家に帰った。
翌日。私はのんびり関東へ帰る予定だったので、いつもより遅い時間に起きると、神妙な顔をした両親に「母の従姉妹が急死した」と伝えられた。
祖母の葬儀を終えて旦那さんが自宅へ戻ると既に事切れていたとのことだった。救急車を呼んで、心臓マッサージを二時間ほど試みたが蘇生しなかったらしい。
死因が分からないため、警察による調査などが入ること、コロナ禍で葬儀場の予約が取りづらい(一日に1家族しか葬儀が行えない)などの都合で葬儀の予定は未定であり、
母の従姉妹と私からは血のつながりが少し遠い為、私は葬儀には参列せず、そのまま関東へ戻ることになった。
一昨日、体調が悪そうだったとはいえ問題なく自力で歩き、普通に会話をした人が、両親よりも若い女性が、急逝した事に実感がわかなかった。
葬儀が終わった後、親族での歓談の時間がもう少し短ければ、彼女は助かっていたのだろうか。などと、たらればを考えては、意味のないことだとため息が漏れる。