はてなキーワード: オペレーションとは
ちょっと話してみたい。昔の話だ。
若い頃、都内の繁華街にある飲食チェーンで店長職を務めていた。今はもう会社を辞めて実家に帰り、細々と親の仕事を手伝ってる。農業を営んでるから、食料品という意味では繋がってる。
あの頃はまだ30代半ばで、男が乗っている時期だった。心も体も無理がきいて、若者の考えもなんとか理解できて。懐かしいなぁ。今では50代が近づきつつある。
守秘義務とか一応あるから、どこの飲食チェーンかは言わない。読んでるうちにわかるかもしれないが。できればそっとしておいてほしい。
何の話をしようか迷ったが、『人』の話がいいだろう。何人かに絞って話がしたい。皆、よくも悪くも思い入れがある。三人だけ挙げよう。
もちろん仮名だ。雰囲気で名付けている。背は低めだったかな。危なっかしいけど、素直な子だった。だが、ある事件を機に店を辞めてしまった。
大学二年生で、MARCHクラスの大学に通っていた。やんごとなき方々が通いそうな大学名だった。私は専門学校出なので、大学生と聞いただけで眩しい感じがした。
彼は夕方~夜のメンバーだった。クローズまで残ることもあった。ところで、ある従業員I氏との折り合いが悪く、さらにスダ君が好きだった女子店員TさんがI氏と交際していることもあってか、勤務中に不安定な感じになることがあった。若さというものだ。
閉店作業中にI氏と諍いになることがあったらしい。マネージャークラスのアルバイト従業員の場合、連絡日誌を付けるのだが、そういう報告をみかけた。
実際、迷ったものだ。I氏は当時、二十代前半のフリーターで、付き合っていたTさんは大学四年生だった。I氏はほかの女子アルバイトにも手を出していた。時には、新人クルーを無理やり自分のビッグスクーターに載せて、当店の近くにあるラブホテルに直行することもあった。
相関図
I氏 ⇔ Tさん ← スダ君
↓
当時は2000年代の半ばだった。男のそういう行為も甲斐性のひとつとされた時代だ。迷惑行為ではあったが、相当の戦力だったため目を瞑らざるを得なかった。
ある年の秋、閉店数時間前だった。いつもだと、店の目の前にある事務所でシフトを作ることが多いのだが、この日ばかりは実店舗で指揮を取っていた。どんな時間帯にもインして、店舗の運営状況を確かめねば……という意識もあったが、正直この日は気分だった。
夜9時頃、スダ君がお店にインしてきた。この日は3時間半のシフトだ。だが、様子がおかしい。足早にタイムカードを切ったかと思うと、店の奥にあるシンクに手をかけてうずくまるように立っていた。
ほかのアルバイトも「様子がおかしいのでは?」と察していた。私は、スダ君と仲のいい大学生ふたりに事情を聴くように指示した。こういう時はこれでいい。私が聞いても真実を答える保証はない。聞き取りするとしたら彼らの後だ。
大学生ふたりが聞き取ったところによると、スダ君が事務所に入った時、こんなことがあったらしい。
・運悪く、スダ君が入ってきた音に気が付かずに目撃することとなった
・過去にもスダ君の目線からみてそうなのでは、と思うことがあった
これには悩んだ。どう対処すればいいのか。店を預かる者としては判断に迷うところだ。というのも、I氏もTさんも、はっきりいって当店の最高戦力(I氏はマネージャークラス、Tさんは接客専門職クラス)であり、辞めてもらっては困る。困るのだ。ただでさえ人手不足なのに。
本来は免職処分とすべきだ。事務所を本来の目的以外に使うな、とは言わない。待機時間に学校での課題を片付けたり、シフトを上がった後にお喋りをするとか、そういう使い方をしてもいい。少しくらいは。
ただ、過去においては、休憩室で飲み会を催していたクルー3名をまとめて免職処分にしたことがある。線引きが難しい。
結局、I氏もTさんも当店に残すことにした。I氏は「次やったら辞めさすぞ」と何度もクギを差したうえで、出勤停止の処分とした。Tさんは、大学卒業まで残り数か月だったのもあり、比較的温情のある処分をした。※思惑までは書かない。自分なりにバランスを取ったつもりだ。
スダ君には、「人生いろいろあるけど挫けてはいけない」「あなたはひたむきだから。きっと報われる時がくる」など精一杯フォローしたものの、冬になるまでには店を辞めて、同系列チェーン店に移籍した。確か、そこの店長から電話があって、「面接に来たけど、彼どんな子?」と聞かれたから、「ひたむきでいい子です。ちょっと心が弱いところもありますね。でも、戦力になりますよ」と答えた。今でいうリファラル採用だった。
それから約一年後、あの時スダ君から聞き取りをしてくれた大学生から連絡があった。スダ君が、移籍した先の系列店でマネージャークラスにランクアップしたという。私もその店に行ってみたところ、確かにスダ君がいた。社員と同じ服装でキビキビと働いていた。あの頃とは雰囲気が違う。人間として成長したのだ。
それからすぐ、私も遠方の店に異動になってしまって、スダ君を見ることはなくなった。今はどんな人間に成長しているのだろう。いい男になっているだろうか。そんな未来を願っている。
この子は、いわゆるプレーヤータイプの極致だった。ほかの繁盛店から移籍してきた子で、クルーとしての実力は折り紙付きだった。POSでの接客もキビキビとこなすし、サービスレベルは最低限以上だし、料理を作るオペレーション作業も人並み以上にできた。
どんな分野でもマルチに活躍できる子だった……ただし、現場作業に限っての話ではあるが。残念ながら、性格であるとか、人格であるとか、気質であるとか、そういうところに問題のある子だった。
話は逸れるが、圧倒的美人だった。街を歩いていたら男は皆振り返るし、雑誌でモデルをしていたとして不思議ではない。そういうルックスの子だった。
ただやはり、性格に難があった。気に入らないクルーに雑談を振られても冷たい態度を取ったり、無視することがあった。相手のことをミカンの皮くらいにしか思っていないのだ。
ある時だったか、フナモトさんの接客の現場でこんなことがあった(※当時は、女子で厨房に入る子は極端に少なかった)。母親と子どもふたりがレジに並んでいて、子どもがおもちゃ付きセットの説明を求めた。店内のカウンター横には、おもちゃの反則セットが豪勢に飾ってあった。※フナモトさんmaidになる。
だが、彼女は冷たい様子で「ポケモンです。種類はこちらから」とメニューを指さすだけだった。そのお子さんが十秒ほど迷っていたところ、フナモトさんがローファーの先でコーヒーシロップやストローが入ったラックを何度も蹴り飛ばすのが見えた。
またある時などは、夜の店内におばあさんがテイクアウトの注文後、「お水を持ち帰りでくれませんか」と言ってきた。フナモトさんはマニュアルどおり「お水は持ち帰りができません」(※衛生管理上の問題。お客の家で水が品質劣化した場合など)と答えたところ、おばあさんは「車にいる孫が薬を飲むので……水がほしいんです」とのこと。
さて、こういう時はどうすべきか。一応、会社のマニュアルには、接客については「ルールに準じつつも、自分らしい接客スタイルを求めてください。お客様のためになる接客を。迷った時はマネージャーに指示を仰ぎましょう」といったことが書いてある。
フナモトさんはおばあさんに告げた。「その子がカウンターまで来るなら用意できます」と。なるほど、機転が利いている。おばあさんが了承したところ、フナモトさんが水を用意してカウンターの前にいるおばあさんに水を届けた。
しかし、おばあさんは水を取って、そのまま車に戻ろうとしたのだ。フナモトさんが一瞬早かった。おばあさんの二の腕を掴んで、水泥棒をガードしたのだ。
船「ダメっていいましたよね!?」
婆「いいでしょ。やめて!」
船「ダメって言ったよな、おい!?」
婆「ちょっと!」
船「おい!! ……お廻りさん呼びましょーか?」
婆「……」
さすがに堪忍したのか、おばあさんは諦めて外の渋谷通りに留めてあった車に歩いていった。私はその様子を観ていたけど、どっちもどっちだと感じた。フナモトさんはお客様ファーストではなかったし、おばあさんにしてもジュースを買えばよかっただけのことだ。別に水でなくてもよかった。
私だったら、「本来は衛生管理上の問題があり認められませんが、今回はお薬の事情があるということで持ち帰りを認めます」と言っていただろう。マニュアルに反する行為ではあるが、これなら上の人間が観ていたとしても申し開きできる。
三つ目になるが、フナモトさんが専門学校を卒業する半年前のことだ。店内のポジションを替わりたいという要望があった。弊社では、漢字表記だと接客専門職とでもいうべきランクがあり、それに選ばれるとお洒落な制服を着ることができる。昔懐かしい、アンナミラーズの制服にちょっと似ている。
だが、それはフナモトさんのわがままに過ぎなかった。本人から理由を聞いたところ、「可愛い制服だから、最後に着てから卒店したい」とのことだった。当然却下したのだが、それに激昂したフナモトさんは「だったら店を辞めます!!」と宣言して、マネージャールームのパイプ椅子を立った。そのまま事務所を出て行き、二度と連絡してくることはなかった。残りのシフトはバックれてしまった……。
約二週間後、別の系列店から「フナモトさんという子が面接に来ているけど、どんな子ですか?」という問い合わせがあった。ちょっと迷った挙句に、こんなことを答えたかな。
「一本筋が通った子です。いい方に働くこともあれば、そうでないこともあります」
と告げた。嘘は言っていない。確かに嫌な別れ方はしたけれども、かつての仲間だ。応援はしたい。少なくとも、ほかの店への移籍を妨害したくない。
人格者じみたことを書いたけれども、保身のためでもあった。フナモトさんとは過去に二度、ホテルに行ったことがある。お店の公式飲み会があると、私はいつも若い子だけの方がいいだろうと思って(一万円を置いて)早めに帰るのだが、その時は最後の方まで残っていた。
宴も酣(takenawa)ということになって、二次会に行こうと幹事が言い出した後で、フナモトさんと帰り道が一緒になり、いろいろ話すうちに飲み直そうということになった。私はまだ三十代だったので、いろいろと抑えることができなかった。
フナモトさんの見た目はクールビューティといったところだが、いざ一緒に寝てみると情熱的なところがあった。やはり、体のいろいろな部分が柔らかかったのを憶えている。そういう体験が二度あった。
それで、上の段で電話を受けた時は、フナモトさんが暴走したらよくないことになるのでは……!? という懸念があった。そうはならなくてよかった。
思い返すと、これも懐かしい記憶だ。あの子は今も元気にしているだろうか。健やかであってほしい。
この子も鮮烈だった。当時は大学生。独得な雰囲気の子で、普段はボーっとしているかと思えば、厨房でのオペレーション中は熱気に満ち満ちていた。閉店時のクローズ作業も抜群に早かった。
難点があるとすれば、マイペースなところや、人を怒らせる発言をするところや、常識のなさだった。ある時などは、冗談だと信じたかったが、早朝の開店作業中に「今日は気合いを入れるためにビールを飲んできました!!」と宣言していた。
今でいうところの、発達障害というやつだと思う。そうでないならパーソナリティ障害か。医師ではないので判断はできないが。
さて、そのワタベ君だが、大学三年生のある時に「マネージャーになりたい」と言ってきた(※説明が遅れたが、正社員の仕事をするアルバイトをいう)。確かに、作業能力的には余裕でマネージャークラスだった。しかし、彼の発達障害的な言動は、他のアルバイト仲間の間では賛否両論だった。マイルールに対して過剰適応なところがあり、それが特に若い高校生クルーとの間に軋轢を生んでいた。
当時のマネージャー全員に賛否を聞いたところ、半々ということになった。これは低い数値だ。普通は八割以上が賛成する。そして、ワタベ君本人に対して「貴君の意に添いかねる」という意思を告げたところ、なんと……彼は弾けた。バックレたのだ。
フナモトさんと違って、自分のシフトはちゃんと消化していったが、店長である私に何も告げずに店を辞めた。ほかのアルバイト仲間には辞めることを伝えていたらしい。なんということでしょう……(劇的ビフォーアフター)。
でも、これでよかったのだ。こういう極端な行動を取る人間は管理者として相応しくない。彼がマネージャーになっていたとして、またどこかで軋轢を生んで誰かが店から消えてしまうような、そういう事態になっていたに違いない。
それから、約七ヶ月が経った頃だった。なんと、ワタベ君がお店に戻りたいという(ほかのマネージャーから聞いた)。なんでも、そのマネージャーにワタベ君が電話をかけて「就職活動が終わったので店に戻りたい」という旨を伝えたらしい。
これは、社会人でいうところの根回しに相当する行為だ。ワタベ君は成長したかもしれなかった。直球ストレートではなく、カーブを覚えた的な意味で。ワタベ君やるなぁ……。
実際、この時期はとんでもない忙しさだった。スタッフの頭数があまりに少なく、基準に達していない人でも雇わざるを得ず、それがまた現在のクルーとの摩擦を生むという悪循環だった。さすがの私も、相当な日数出勤することになった。時間外手当はゼロだった。名ばかり管理職というやつだ。
話が逸れた。数日後、ワタベ君とマネージャールームで面談をしたところ、次のような意見があった。
・もうマネージャーになりたいとは思わない
・これまでは申し訳なかった
・週に四日以上必ずシフトに入る
まあ、バックレではあるが、これからちゃんとするならいいだろうということで、ワタベ君を再雇用することにした。
しかし、私が人を見る目がないのは皆様すでにお分かりのとおりだ。本当に見る目がない。この会社でも、最終的にはエリアマネージャー(部長級)までは行けたのだが、そこでさらに上のクラスの人達と揉めごと(本部長クラスのセクハラ関係)を起こしてしまい、最終的には理不尽な降格処分(店長に戻れ!!)を突きつけられ、会社を辞めることにした。
さて。ワタベ君は普段はマジメだった。しかし、稀に凶悪な面を見せることがあった。ある日の早朝、お店の目の前に食品資材を搬入するトラックが停まっていた。ワタベ君は、せかせかと動いてトラックドライバーと協力し、荷台から野菜ジュースやコーラのシロップタンクやPotatoを下ろし、店内に運んでいた。
だがある時、見てしまった。トラックドライバーの目を盗んで、ワタベ君が野菜ジュースが50本ほど入ったビニル巻きの段ボールを――丸ごと盗んでいるのを。一瞬の早業だった。私でなければ見逃していたね。※一応、どうやって盗んだのかは伏せる。同様の行為を防ぐため。
その時ほど、自らの人を見る目のなさを恨んだことはない。ワタベ君はすでに雇用三ヶ月目だったし、彼がいなければ深夜と早朝のシフトが回らない。困った事態だった。当時の私には、見て見ぬ振りしかできなかった。
それから、ワタベ君は大学卒業まで店に在籍した。発達障害はやはりそのままで、ほかのアルバイト仲間との小競り合いが度々起こった。実は、ある時期から人手不足は解消していて、別にワタベ君には辞めてもらってもよくなっていた。クビにしようかと思ったことがある。しかし、性格や人柄が悪いとしか思えない彼が、多くのスタッフから嫌われながらも、一部のスタッフには懐かれているという現象を目の当たりにして思い留まった。
なぜ、そんな判断をしたのか? 彼は本当に悪どい人間なのか、と思ったのもあるが――今風の言葉でいえば「多様性」だ。彼は確かに、社会人以前に人として未熟なところが多くあった。だがしかし、一部の得意分野においては紛れもなく輝いていた。だったら、嫌なところには目を瞑ろう。それが当時の私の判断だった。
風の噂だと、新卒時点での彼は、都内の某区役所で地方公務員としてのキャリアをスタートしたらしい。東京生まれの東京育ちだから、やはり地元が一番ということだろう。彼も、元気でやっているといいのだが。
以上で終わりになる。
当時を振り返ってみて、間違いだったと思われる行動は多々ある。どれだけ後悔しても足りない。でも、それも人間だ。迷いながら進んでいくしかない。
ところで、満たされない心というのは、すごく大切だと思う。当時も今も、満足できる仕事をこなすというのは、とてもとても遠いことだと錯覚していた。
成長していくためには、これまでの自分を一人ずつ殺害していく必要があるのだと30代の頃は思っていた。朝が来るから起きるのです、みたいな当たり前のことだと思っていたけど、違うんだな。
人生が満たされなくても、自分は自分なのだ。理屈も何もない。ただ、それだけだ。だから、店長として飲食チェーンで働いていた頃の失敗だらけの自分も、今では受け入れられる。そういう情けない私まで含めて私なのだ。再確認できてよかった。
普段タッチパネルで注文する日高屋に行くんだけど最近久しぶりに店員が注文取るタイプの日高屋行ったらなかなか注文できなくてイライラしたしどんどんタッチパネル入れた方がいいよ
タッチパネルを入れるチェーン店の場合、有人の丁寧な接客がタッチパネルに変わるというより人員不足でオペレーションが常に軽く崩壊してる状態がタッチパネルで改善されてるというのが実態
有人の丁寧な接客がある高級店とオペレーション崩壊の安い店の選択肢だったのが有人の丁寧な接客がある高級店とタッチパネルの安い店の選択肢になるなら悪い話ではないだろ
あとタッチパネルを導入するような店で無駄にコミュケーションをするなそういう店は店員とコミュケーションをとる店じゃないしそうする設計になってないんだよお前のしてることはソープで本番を強要する客と変わらないからな
金融政策は不安定だからやめるべきで、ゼロ金利固定を推奨している
インフレにはその原因となってるボトルネックを特定して、原因に合わせた対処をしろって言っている
"国債金利を考えたらやはりインフレに関係あるし、金融と財政は切り離せないし、MMTオジサンには煽られる。
オペレーション上も機能的にも、利上げは、国債の保有者により多くのカネを支払う形で国の赤字支出を大幅に増やすことに他ならないのに、それを引き締めと呼ぶのか?マジか???"
https://twitter.com/goethe_chan/status/1580427024144863233
このウォーレン・モズラーって投資家がMMTの始祖。この人の自費のパンフレットをポストケインズ派の経済学者が見た事により、MMT派の学者が生まれた
ついでに紹介
"MMTであれば、政府(中央政府+中央銀行)の支出が民間の純資産を増やすことは理解しているはず。中央政府または中央銀行による利払いの増加は民間の純資産を増やす。これは民間経済を刺激する効果を持つ。これがまず出発点になる。もちろん、だからと言って利上げが景気を刺激する、と言えるわけでは
ない。金利操作の経路は複雑で無数にあるため、効果を事前に評価するのは不可能、というのがMMTが繰り返し言っていること。政府支出による民間純資産増加の効果を他の効果が常に上回る、と言えるだけの理由は何か。それなしに「金融政策に効果がある」というのであれば、さすがにMMTをかじったとは
言えないだろう。MMTに多少なりとも学べば「この状況下では、これこれの理由で、金融政策は有効だ」と言えることはあっても、一般に金利引上げには景気を冷ましたりインフレを抑圧する効果がある、 と言えないことはすぐわかる。多少なりとも読んだのならね。"
https://twitter.com/wankonyankorick/status/1499590874384060422
GWということもあり、各列15組ほど並んでいる。
こんなもんだったら、ちょうど開始くらいには入れるかなと思い列に並んだ。
ところが一向に列が進まない。
一組あたり、2分ほど処理にかかっている。
これは上映間に合わんわと思っていたが案の定10分ほど遅れてしまった。息子よスマン。
オペレーションを見ると、注文受け→トレー準備→フード準備→ドリンク準備→会計まで一人でやっている。そりゃ効率悪いよ。カウンター内でも、フード入ったケースに待ち行列できてるし。
マックやスタバの分業に慣らされた我々からすると永遠レベルの待ち時間。調理も必要なく、ただ容器にいれるだけなのに。
なんか思想でもあるの?
鑑賞料あげる前にオペレーション改善した方が利益貢献できるのでは?フードとレジを一旦分けてみようよ。
マリオは息子が大喜びでよかったです。
入ったらカウンター普通に3席以上あいてて、いやもっと早く案内できたよね・・・と思う
グーグルの口コミあったけど、わざと行列作るような回し方をして話題作りしてんのか?と思ってしまう
狭い店内にやたら店員はいるけどオペレーションがgdgdっぽい感じ
定番らしいラーメン定食 (ラーメン、半チャーハン、餃子3個)780円をチョイス
ラーメンは大盛にした
よくいえばあっさり、悪く言えばとんこつに期待するこってり感やかおりが全然ない
メンもとくにオーダーせずに頼んだらクタクタな感じ
こないだ買ったチルドのラーメン2食200円と大差ない
具は小さくてぺらぺらのまずいチャーシューが2枚と、メンマが数本、それから家で味噌汁に入れるのに使うような輪切りの小葱がパラパラとでボリュームもない
チャーハンもまずい
べちゃべちゃしてるしなんか冷えてるしほとんど味しない
いやまあ値段考えれば、このほぼ一等地でラーメンチャーハン餃子で800円でおつりくるレベルなんだから
東京の三鷹のどさん子って店でくったまずいラーメンを思い出したわ
冷凍(チルド)食品のラーメン、餃子、チャーハンを自分でチンして作った方がうまいしコスパもいい(時間もコストも)
ここを食うために天神にまで来たようなもんだったのにマジでがっかりさせられた
もう二度と行かねえ
旅行へ行きました。
ホテルに到着すると、ネット予約をしていたにも関わらず、チェックイン時に氏名・住所・電話番号の入力を求められました。
ネット予約時には、全国旅行支援を利用していたので、クーポン券を発行してもらえました。
宿泊したホテルは、電子クーポンのみだったので、簡単な口頭での説明と専用アプリのインストール方法が記入された紙を渡されました。クーポンの取得には、番号入力が必須なようなので、6桁程度の数字が記入された紙を渡されました。
鍵を受け取り、部屋へ入り、早速アプリをインストールしました。
インストール -> アプリ起動 -> アカウント登録と順序通りに進めて無事に全国旅行支援のクーポンを手に入れました。
ホテルの近くのスーパーでクーポンを使用して、楽しく旅行をすることができました。
主に下記の三点です。
1. ネット予約をしたにもかかわらず手書きで住所などの情報を書くように指示しないでください。
Twitterを見ていると、河野大臣が不要と通達も出しているなど言っていますが、徹底が済んでいないようにも感じます。
本人確認のための署名を求められる分には対応しますが、住所や電話番号はネット予約の情報を参照してもらいたいものですね。
個人的にスマホのアプリは必要なもののみで、不要なアプリに個人情報を入力することに抵抗があります。
アプリに脆弱性が含まれていたことで、個人情報の流出が起こったりパスワードが漏れると厄介です。
3. 電子クーポンは便利ですが、紙のクーポンの方がそれぞれの店舗のオペレーション的にも容易な気がします。
自分もスーパーで働いていたことがあるので気持ちがわかるのですが、レジで多くのことをやるのは割と大変です。
なかでも他人のスマホをいじることほど気を使うことはありません。
電子クーポンは旅行者が慣れないアプリを用いて提示してくるわけなので、当然質問も多く受けることになるでしょう。
などと、それぞれの不満を述べましたが、それぞれ言いたいこともわかります。きっとホテル的には、長年続けた運用やマニュアルをおいそれと変えることに労力をかけられないのかもしれません。専用アプリはそれぞれの地域にお金を回す目的があるのかもしれません。紙のクーポンがダメな理由はよくわかりません。
ホテルでは、ネット予約された個人情報の変更可否の確認、クーポンは紙のクーポンを配布する。これだけで、もっと効率的になりそうな気もするんですけどね。
2023/04/05
お昼
モバイルオーダーで決済完了するも、カウンター設置のディスプレイに注文番号が表示されない
オーダの待ち列が長すぎてディスプレイに表示しきれなくなったため
モバイルオーダー完了後の注文番号とディスプレイに表示の番号を見比べると、待ち列は100名を超えていた
表示されるが提供されず
仕上がったハンバーガーの袋詰が間に合わず、実際に提供する前に注文番号がディスプレイから消え、オーダーが追跡不能に
どれほど待っても注文した品物は提供されないが、モバイルオーダーのアプリからはキャンセル不能(クレジットカード決済済)
昼食時間帯に店舗で提供可能なキャパシティを大幅に超えてモバイルオーダーで注文が入った
カウンターのみで注文可能な場合、あまりにも待ち列が長いと客はあきらめるが、モバイルオーダーの場合、待ち列の長さは見えないため、客は注文してしまう
モバイルオーダーの仕組みを作った本部が店舗の実態を知らず、店舗のキャパシティと需要量の間に大きな差があることがわかっていない
ベイコート倶楽部、エクシブの上位施設だね。「離宮」系列より下だけど「エクシブ」よりは良い、中間クラスだ。うちの会社もエクシブの会員権持ってるんだけど、一時期は「東京ベイコートの会員権買いませんか」って結構セールスがかかったよ。
ああいうのは法人や経営者のオーナーが多い。で、社員の福利厚生として使ったり、オーナー一族が使ったりする。会員権もってれば宿泊自体は安い。
会員制リゾートってビジネスモデルが面白くて、新施設の会員権販売という形で会員権を売り出す。つまり建てる前からキャッシュインするので、土地建物の減価償却のことを考えずにオペレーションだけに集中できる。さらに会員権販売が好調なら年会費も入ってくる。一方で、施設の平均稼働率(≒満床率)が上がっても、宿泊費を取れる客が多くない(ほとんどが会員の年間利用権内宿泊)ので、そんなに儲からない。いろいろと普通のホテルとは違う仕組みになっている。本当かどうかはわからないけど、エクシブの営業は「正直、占有権を使って宿泊したお客様に晩ご飯を外で食べられると赤字です」と言っていた。
いきなり物騒なタイトルで申し訳ないが、憤っている。メルカリで、宅急便コ〇パクト¥450にしっかり収まるように送った荷物が、¥750の普通サイズ60サイズで扱われたことにだ。自己分析としては、宅急便コ〇パクトの箱をガムテープで補強したことが、「サイズオーバー」と判断されたのかもしれない。しかし、明らかに無茶な詰め方をしたならともかく、ヤワな箱をテープ止めしただけでワンサイズオーバーとは、暴利ではないか?
先日も、ヤ〇トサービスセンターに持ち込んだ時、「あぁ~これはサイズ変わっちゃいますねぇ~」などとババアがほざいたことがあった。しっかり箱サイズを選んだことを伝えると「あ、なら大丈夫ですね」となったのだが、「なら」ってどういうことだ?一介の配送事務員のお前が、顧客の値踏みをするのか?その時のノリで?
まず、この「サイズは配達員の個別判断」という、クソアナログでクソ昭和なオペレーションルールをどうにかしろ。真面目に計測している人がほとんどだろうが、極論をいえば、中卒のゴミみたいなバイトが数字を読めない可能性だってあるだろう。はっきりいってこんなザルなオペレーションをしてるのは、運送業か個人の飲食業くらいではないか?結論的に言うと偏差値が低い。これで東証プライムというから恐れ入る。
また、この「ワンサイズ上にしたがる」オペレーションを感じるようになったのは、ここ1年だ。もはや「ぼったくれるところはぼったくる」という経営方針に変わったのではないか?と勘繰りたくなるレベルである。むしろこっちのほうがありえるように思う。配達員個人に罪はないと考えたい。公に値上げするならいいが、このような客を騙して儲ける手法は腹が立つ。誠意がないからだ。かなり憤っている。ブチ〇すぞと思う。
よくよく考えてみろ。合計370円の違いだぞ?軽食の代金レベルだ。そもそも、こちらは450円に収まるように70円の宅急便コ〇パクトの箱に投資しているわけだ。ところが結果的には750円。つまり820円だ。もしサイズが変わるなら一報してほしいし、最初から空いたダンボールを再利用すれば最初から750円で送れて、相手にも丁寧な梱包ができる。ところがサイズ変更に説明はいっさいない。そこに独裁性を感じるし、「相手に拒絶する権利がない状態でふんだくる」というのは完全にヤクザの手法だ。ヤ〇ト運輸は反社・ヤクザなのか?そこをはっきりしてもらいたい。
若かりし頃の話だ。ちょっと語らせてほしい。気持ちの整理がついたのだ。チャンスは今しかない。
当時、大学四年生だった俺は、いわゆるネトウヨに堕ちた。就職活動に失敗し、大学院受験にも失敗し、にっちもさっちもいかなくなり、卒業後はフリーターとして生きる未来がほぼ確定していた。
悲しいかな、自惚れが強い性格だった。ネット上で言うのは最初で最後になるけど、十数年前に慶応義塾大学で法律や経済のことを学んでいた。専攻は不動産登記とか、土地や建物の取引関係がメインだった。成績はまずまずで、サッカー部(※厳密には違うがサッカー部という名称を使う)では補欠だったけど全国大会に出た経験があったし、就職活動が失敗することはないと思っていた。、結果はこのザマだ。
日系企業を主に受けていた。第一志望だった総合商社はもちろんのこと、メーカー系もマスコミ系も金融系も20〜30社受けたけど、ぜんぶダメだった。大手も中堅もすべて。中小企業の内定は取れたが、プライドの高い俺はすべて辞退した。
面接まではとんとん拍子なのだ。大学名がよかったからだろうか、エントリーシートを適当に書いても、SPIの勉強をしなくても、とにかく面接までは辿り着ける。しかし、内定を取ることはできなかった。
今思えば、あの時の自分程度の実力では、まともな会社から内定を取ることはできなかった。30代半ばになった今の率直な感想だ。確かにサッカーはできたけど、精神はぜんぜんなってなかった。今やっている『ブルーロック』のアニメでいうと、実力のない馬狼照英みたいなものだった。
で、結果がネトウヨだった。大学四年の秋〜25才頃までなので、約三年ほどネトウヨに堕ちていたことになる。
今では黒歴史だ。『国民の知らない反日の実態』とか、圧倒的眉唾感のサイトがあるだろ。ああいうのを見て、中央省庁にテンプレメール送ったり、韓国人や中国人の応援をしてると思われる国会議員をディスったり、mixiやGREEで反日活動を認定されたアカウントに突撃をかけて垢停止になったり、とにかくクソみたいな人間だった。
今思えば、いろいろと失ってしまって自暴自棄というか、自分も他人も大事にしない状態だったんだろうなぁ。当時の俺は。
ここで、大学時代に読んだ本を引用したい。約二千年前の、ローマのネロ帝の家庭教師ポジだったセネカの書いた『生の短さについて』だ。
長いけどすまんな。先に要約しておくと、苦しい立場に陥った人間は何かにつけて逃避行動に出る、みたいなことが書いてある。なにげに、現代の異世界転生ブームを予見している感がある。特に『オーバーロード』なんかの異世界転生+光属性の人間が死にまくるようなコンテンツが流行る理由がわかった気がする。
すごく長いけど、可能な限り要約してここまでだった。
さらに、さほど移り気ではないが、その一貫性が恒心のゆえではなく、懶惰のせいであり、自分の意欲するとおりの生を送るのではなく、始めたとおりの生を送る者も、この範疇に加えるとよい。症例を次々に数え上げればきりがないが、この病態の結果は一つである。自己に対する不満がそれだ。その由って来る因は、心の平衡の欠如と臆病な欲望、あるいは完全には満たされない欲望である。望むだけのことを思い切ってできなかったり、望むだけのことを達成できなかったりして、すべてを希望に託す場合がそれに当たる。そのような人間は常に不安定で流動的であるが、何事においても中途半端な者の必然的な結果である。彼らは自分の願い事を手立てを尽くして達成しようとして、不名誉なことや困難なことまでみずからに唆し、強いるが、苦労が報われなければ、願いが叶わなかった恥辱感に苛まれ、しかも、歪んだものを望んだことを嘆くのではなく、望みが徒労に終わったことを嘆くのである。そのとき、彼らは挫折した目論見への後悔の念にも、また、新たな目論見に着手することへの恐れの念にも捉えられ、その精神には、欲望を制御することもできず、かといって欲望を満足させることもできないために、出口を見出せない心の動揺や、思いどおりに展開しない生への躊躇、断念したさまざまな念願の中で無気力になっていく心の沈滞が忍び込むのである。苦労の挙句の蹉跌に嫌気がさして、閑暇の生や孤独な学問研究に逃げ場を求めたとしても、こうした心的状態はどれもますます耐えがたいものになる。公人としての務めを果たそうと意気込み、行動を望む、生来落ち着きのない精神は、当然、みずからの内に見出せる慰めがわずかなために、そうした閑暇な生や孤独な学問研究には耐えられないからだ。世間的な仕事に奔走しているときにまさにその仕事から得ていた喜びが取り去られると、みずからの家に、孤独に、取り囲む壁に耐えかね、一人取り残された己の姿を嫌々眺めるのは、それゆえである。落ち着き場所をどこにも見出せない精神の揺れ、そのような精神への倦怠や不満、そしてまた無為の生に耐える悲しくも病める忍耐は、ここに起因する。そうした状態の真の原因を認めることを恥じて、羞恥心が責め苦を内に向け、心の片隅に閉じ込められたさまざまな欲望が捌け口もなく互いを窒息させ合う場合がとりわけそれに当たる。そこから生じるのは、悲哀や憂鬱であり、また、希望を抱いた当初はどちらともつかない不安な状態に置かれ、やがては挫折を嘆く悲哀を味わわされる、千々に乱れる不安定な精神の揺れである。無為の生を厭い、自分にはすることが何もないといって嘆く人々に特有の例の感情、他人の栄達を蛇蠍のごとく憎む嫉妬心は、そこから生じる。不幸な無為の生は嫉みを育むからであり、自分が進展できなかったために、誰もが滅びればよいと望むからである。この他人の前進への嫌悪感と自分の前進への絶望感からは、次には運命に怒り、時代をかこち、片隅に退嬰し、みずから招いた責めにくよくよと拘泥し、そうする己の姿に辟易して嫌気がさすまで考え込む精神が生まれる。実際、人の精神は生来動きやすいものであり、動きへと向かう性向をもつものである。そのような精神にとっては、みずからを刺激し、どこか(別世界)に連れ去ってくれるものなら、どんなものでもありがたいと思う。その才知を世間的な仕事にすり減らして嬉々としている最悪の人間(の精神)にとっては、なおさらそのようなものはありがたいのである。ある種の腫れ物は潰してくれる手を求め、触れられることを喜ぶし、身体に出来た汚い疥癬は引っ掻いてくれるものなら何であれ歓迎するが、それと何ら異ならず、さまざまな欲望があたかも厄介な腫れ物のように吹き出た精神にとっては、苦しみや悩みは(ある種の)快楽となると言ってよい。
そんなわけで今回、若かった頃の俺がやってしまったネトウヨ行動を取り上げて、自分を断罪したい。ネトウヨ活動では多くの人に迷惑をかけてしまった。ふたつだけ取り上げるが、どちらも個別案件だ。まずは、この一件から。
それは、2011年だった。当時、ツイッターを始めたばかりの俺は、タイムラインとか、検索のやり方とか、連携の仕方とか、いろいろと勉強していた。そんな折、『炎上』というキーワードが眼に入った。炎上自体は何年も前からネット上で起こっていたのだが、自分が直接関心をもったことはなかった。
なお、この頃の俺は、都内のサイゼリヤで働く一介のフリーターだ。毎日、レンジやオーブンやIHヒーターで厨房仕事をするのが仕事だった。ムカつく年下の女社員から、「増田さん慶應卒なのwwwマジすかwww」みたいな感じでディスられていた。
それで、ある時ツイッターで見たんだよ。炎上の場面を。有名ホテルに芸能人が来ていた時、そこのアルバイト従業員が「芸能人の○○が二人で泊まるみたい」とかなんとかをツイートして、「客の個人情報を暴露すんな!!」みたいな恰好で炎上したのだ。俺は、それを間近で見ていた。
当時は、炎上騒ぎに参加する人間が実は少数である、という科学的知見はまだ得られていなかった。本当に多くの人間が炎上騒ぎに参加しているのだと思っていた。それで、当時はストレスが溜まりまくって、シロクマ先生でいうと承認欲求に飢えた若者だった俺は、誰かを炎上させたいと心に決めた。
自分でいうのもなんだが、知能が高い自信があった。中味はクズだったが。それから毎日、俺は炎上の種を探し、それらしいものを見つけてはツイートしていったけど、ぜんぜん炎上に至らなかった。ダメだった。
何週間か経って、もうダメかなと思いかけた時、あるツイートが目に留まった。プロフにアディダスの社員であることを明記している人物が、あるツイートをしていた。要約すると、都内のアディダス店舗にアディダスがスポンサーになっているサッカー選手が訪れたのだが、その人の容姿を侮辱するツイートをしていた。
「これだ!!」
と思った。俺だって小学生の頃からサッカーをしていた。サッカー選手を馬鹿にするのは許せない。
サッカーの試合で、「いまだ!!」と思う場面がやってきたとするだろう。この時、「いまだ!!」の「い」の場面で行動を起こす必要がある。「いまだ」と心の中で叫んだ時にはもう遅い――
そんな、大学時代のサッカー部のコーチからのメッセージを思い出した。実際、俺のルーレットスピンは大変狭い界隈ではあるが知られていた。三人抜きをしたこともある。その指導を正しいものだと信じて努力した結果だった。
そして俺は、そのアディダス社員の行動を咎めるツイートをした。
……その次の日、俺は大好きなハムスター速報を観ていた。ツイートのことは忘れていた。そしてある瞬間に、マウスをクリックする手が震えたのを覚えている。
それはもう、見事な炎上だった。アディダス社員はボコボコに叩かれまくっていた。コメントの数をカウントしてみると、軽く数百はいっていた。
ツイッターを確認した。俺と同じ時刻にツイートをした人間の数は、確か二人だったと思う。1人は準アルファツイッタラーと思しき人で、フォロワー数がけっこういた。でも、確認できた中では俺のツイートが一番早かった(その二人、もしかして俺のツイート参考にしたんじゃね!?)。いや、絶対とは言い切れないが。そのはずだ。※俺のツイートは削除済み。
あの時、俺は世界で一番賢くって、一番運がよくて、一番強い人間なんだ!! と心の底から思った。全くそんなことはなく、ただそういう運に当たっただけだった。
その日から数日、ハムスター速報に夢中になっていた。その記事ばっかり見て、コメントが貯まっていくのを観ていた。今では思う、俺がやったのはクソみたいな行為だ。具体的には、畑の隅に捨てられた白菜の欠片だ。茶色いカビが生えてしまって、もはやハエすら寄ってこないほどに腐りきったカス野菜だ。そんなレベルに堕ちていた。
だから俺は今日、ここで謝罪したいのだ。俺の行動が原因のひとつで、炎上を招いたかもしれなかった。俺だけが原因ではないけど、でも、あの時ツイートをしなければ運よく炎上を回避できていたか、あの子は若気の至りで済んだのかもしれない。
あともう一つで謝罪は終わりだ。気が付いたらけっこう書いてるな。ここまで筆が進むとは思ってなかった。
同じく20代の頃、ニコニコ動画にハマっていた。ようつべよりニコニコ派だった。で、その中のサービスのひとつにニコニコ大百科というのがある。端的にいうと、wikipediaがもっとバーリトゥ―ドになった感じだ。なんでもあり感が満載のネット百科事典ということになる。
ここに電通の記事があった。やはり『国民の知らない反日の実態』などのネトウヨサイトを巡回していた当時、なにかやってやりたいという情動に突き動かされることになった。例えば、一集団内の駒として、都内某所で花王不買運動とかのネトウヨデモに参加するんじゃなくて、もっと大きいことがしてみたかった。
それで、ニコニコ大百科にある電通の記事を編集することにした。当時は、スパッとした端的な記事内容だったのだが、俺が編集を終える頃には、圧倒的ネトウヨ臭の漂う記事へと変貌していた。
こんなことをしていいのか、という認識はなかった。ただ、電通は反日企業として認定されていたから、鉄槌を下すべきだと信じていた。俺を役員面接で落とした逆恨みもあった。
さて、編集後はとんでもないことになった。コメントの数が増えたのだ。それまでは10件くらいしかコメントが付いていなかったのが、その後1年間で百件以上のコメントが付いた。
内容はお察しのとおりだ。俺と同じネトウヨ連中か、または『国民の知らない~(略)』が引用元だから信じなくていい、みたいな二極的なことになっていた。
残念ながら、要編集記事に指定されてしまった。その解除には約五年を要した。俺は、編集してから一年も経つ頃にはネトウヨ活動に興味を無くしていた。もうどうでもいいと思っていた。
というのも、内定を得たからだ。しがないファミレス店員だったが、数年間フリーターとして努力し続けた俺には、わずかずつではあるが、社会人としての力が身についていた。準社員マネージャーみたいな役職があったのだが、アルバイトでも正社員の仕事をやらせてもらえる。それで、組織の下部階層における事務管理とか、オペレーションの指揮とか、コーチングやティーチングを学んだ。それが活きて、就職に成功したのだ。
あの時、俺を馬鹿にして、「あんた、それで慶應卒すかwww」とほざいていた女子社員も、俺のことを見直していた。あの時からはいろいろあって、なんやかんやで一緒にご飯に行くようになっていた。内定を得た時には交際していた。公園デートの帰り道、俺の方から「ねえ、付き合おうよ」と言ったのだが……おっと、けれどもこれは別の物語だ。いつかまた、別の時に話すことにしよう。
それで、ネトウヨの道から遠ざかった。ネトウヨを卒業したのだ。
今は、都内のどこかでカタい仕事に就いている。この物語の舞台はずっと都内だ。思えば、勉強自体はできるのだから、これが一番効率のいい道だったのだ。この道は、父親に教えてもらった。マジで感謝している。やっぱり、こういうところだけ要領がいいのが俺だ。2023年3月になった今も、人として生きるにあたっての知性というか、そういうのが足りない人間なんだと感じる。成長していない。ネトウヨを脱出できたのと同じく、いつか成長を遂げることで、こういう気質をゼロにしたい。
終わりに、この日記を書くにあたっては、大学時代に書いたサッカー部や私生活の日記とか、フリーター時代にサイゼの卒店式でもらったみんなの寄せ書きとか、mixiやtwitterのマイページとか、公務員試験の学習記録とか、とにかくいろんなものに触れて自分を振り返ってみたつもりだ。
ネトウヨにならない方法は簡単だ。毎日の食事と、朝に日光を浴びて仕事に向かう、ただこれだけで解決するものと信じている。
つまらなかったのなら申し訳ない。ほんの少しでも、あなたの暇つぶしになれたのなら嬉しいと思う。読んでくれてありがとう。
---------------------------------
お気に入りに入れてた人がいたらごめん。
2~3年に1回ぐらいで中古型落ち白ROMスマートフォンに買い替えるという貧乏くさい生き方をしている。
初めて持ったスマートフォンである初代Xperiaを使いつぶして最初にスマートフォンを買い替えたとき、ドコモショップではなく秋葉原の店舗で白ROMを購入した。
以来、10年以上○ゃん○らにはお世話になってると思う。
なんでもまず中古で買おうとする性格の自分は、初代Xperiaの限界が来た時にヤフオクで中古スマートフォンを探した。
ところがそのうち面倒くさくなっていろんな通販サイトを見る中で○ゃん○らを見つけた。あたりを付けていた機種の在庫ありが秋葉原店で、秋葉原に用事もあったため店舗に立ち寄ることにした。
駅からGoogleマップで店舗に行って商品ページを見せると、周辺の別の店舗だという。確か在庫があったのが秋葉原本店で、自分が迷い込んだのが○号店だったかな?
カウンターの店員さんはご丁寧に地図の印刷されたビラを出してくれて、行き方を教えてくれた。当時秋葉原に不慣れだった自分にはとてもありがたかった。念のためにGoogleマップと照らし合わせながら本店へ向かった。
そのまま何度か店舗で同シリーズの機種を、型落ち年数を短くしつつ買い替えることが続いた。
歳を重ねるごとにスマートフォンに出せる金銭的余裕も増えてきた。いくつかの店舗の場所と名前が一致するようになった。
引っ越しで秋葉原への便が悪くなってからは通販を利用し始めた。
浜松や神戸の店舗から購入したこともあるが、問い合わせをした際にはどの担当者も丁寧で、届くスマートフォンも問題はなかった。
必要十分なスペックとコンディションのものが、なかなか安く買えるのは自分にとってとても価値のあることだった。
焼き付きや擦れ、傷は基本的に気にしない性格だし、自分の引きが良いのかバッテリー消耗も相応で、ハズレを引いた経験がない。
自分のスマートフォンがまだ防水でなかったころ、湯舟に落としてしまい完全に故障してしまった。
取り急ぎ連絡手段がないと困る。そのころ、何度か落として画面が液漏れしてから買い替えることが多く、手元に使い物になる代替機がなかった。家からすぐ近くの新宿店でそれまでと全く同機種のものを何も考えずに購入した。
新婚旅行から帰った直後だったので、妻とのLINEアルバムに共有してない自分の趣味パートの戦艦ミズーリや射撃の写真・動画が消えてしまって呆然としたことを覚えている。
いつかやろうと思いつつ放置し、すべてのライブラリをバックアップしている状態ではなかった。また、そのときなぜかSDカードではなく本体を保存先にしていた……。
とはいえ、おおむね同じ環境を即座に復元でき、仕事や生活に影響がなかったことが救いであった。ブラック企業で私用のスマートフォンを使って業務をしていたので。
都内であちこち展開してくれて、欲しいと思ったものがすぐに手に入る商品在庫の充実具合に感謝。
なんとなく自分にとって担当の美容師さんと同じで、とりあえずここなら失敗して不幸になることはないと思えるし、今のところなった経験もない。
在庫の仮押さえから本購入までのオペレーションやサイトの使い勝手もきちんとしてる。もうちょっとサイトのここがこうだったらな、とたまに考えもするが、まあ使えてるからいいかとすぐどうでもよくなる。
こういう仕事をする人たち、好き。
そろそろスマートフォンの買い替えどきなのだが、前回買い替えたときは発売半年の中古品だった。
長いので
コメントありがとうございます。弁護士さんからも道路管理瑕疵判例を紹介してもらいつつ、原則、自損事故の場合、運転手に10割の責任があると伺っています。
ただ本案件は、
1. 損害対象が(第三者ではなく)相手方の財産である事(軽トラの帆及び駐車場の天井が損傷)
2. 相手方に高さ制限2.2mに対して帆が2.8mのため、駐車場に入ってはいけないとする重大な説明義務違反があった
と私は思っており、それでも私が過失100:0なのだろうかと疑問を感じています。
https://note.com/n_mibu/n/ncbe9d4a4d137
もちろん運転手として安全運転を行う義務があるのは承知しており、私もしていたつもりなのですが、月1カーシェアのペーパードライバーが軽トラを見て2.8mと判断し、雨の中駐車場に入る際も天井高が2.2mと判断するのは、事前の説明がなかったらできないと私は思っています。(すみません、反省したいのですが、反省する気持ちが正直ないというのが率直な感想です。)
なおこの店のオペレーションはかなりずさんで、事故証明を書くために警察を待っている間、「先方の車両貸出証書をコピーさせてくれ。」と言われました。理由を尋ねると、シュレッダーにかけたからと言われました。当然断りました。
https://www.bengo4.com/c_18/n_15608/
明らかにペロペロした奴は悪いんだけどさ。
これをリツイートして、こんなのもういけないとか言ってる奴もそれが広まってスシローの評価を落としていることを自覚していない。個々人がお気持ち拡散しなければそいつの仲間内でバカだねーで終わっていたという側面もあるんだよ。
それを淡々と通報してガッツリ怒ってもらって終わればいいものを変に正義/被害者ぶってもう行かないこれはひどいとか拡散するから、影響範囲であったその店舗を越えてチェーン全体に影響がでてしまう。
暴走交通事故みたいな事象を炎上させてスシロー全体のオペレーションに負荷をかけて100億までチェーン全体の信用を最終的におとしめたのはある意味外野なんだよなぁ。
車で跳ねて人が死んだ。それは悪いことであり裁かれること。それを燃やして車は害悪、この車メーカーは信用できないからもう乗らないみたいな変な炎上になっている気がするよ。そいつがいない場所では基本的に発生しない事象を無駄に怖がって全てを性悪説のオペレーションにさせようとヒステリックになってしまっている。
決して本人の罪を擁護するわけではないけれど、彼に対して裁くべきは個人とその罪であり、行かないとか怖いとかパニックを蔓延させる外野のリテラシの低さはまた別の罪でもあるということ。
ガストでのひどい体験。この不愉快な気分は、おそらくコロナが始まってからの3年のすべての経験としては私の中ではダントツなものであったのでここに記録しておく。
隣の4人席の家族が、かなりの長時間にわたりマスクなしで大声でしゃべっていた。小さなこどもが複数いたが、特に大きかったのは母親の声。その声の大きさだけでも非常識なレベルで大きく迷惑だったのだが(①-1)、現在のコロナの状況を考えると輪をかけて迷惑(①-2)。隣のご家族と私の家族は、仕切りで空間的に区切られており、このブースと私の家族のブースは同じ狭い区画の中で2家族のみの区画であったこともあり、母親の大声の話の内容がはっきりと聞こえてきて、それはそれはうるさいものであった。「あの女が不愉快だ、きにくわない」とかいう話の内容まではっきり聞こえてきて、感情的に大興奮していることが明らか。まさに「口角泡を飛ばす」勢いの喋り声なのだ。父親の声の大きさは並レベルで話の内容までは聞こえなかったが、煽る感じで迷惑(マスクはもちろんしていなかったが)。そんな話を静かな区画で大声で延々とされるのであるから、たまったものではない。
それだけでも迷惑なのだが、時は第8波もたけなわ、感染力の極めて強いコロナが蔓延し、一日あたりの死者数がこれまでで最大となっている今である。となりのご家族の飛沫が狭い区画の中で飛び交っていたことがイメージされた。
そこで、店員さんをお呼びし、もう少し声を落としていただくよう、また大きな声で会話をするのであればマスクをするように注意をしていただくようにお願いしたいと思い、タブレットで店員の方をお呼びした。呼んでから、すぐに対応いただくことができず、かなり待たされた(②)。タブレットで呼んでから、ようやく5分くらいしたところで店員がいらしたが、こともあろうか、隣の当該の家族がその店員さんを呼び止めて追加注文を行ってしまい、そして店員さんは、その注文をとって戻ってしまった(③)。週末で客が多く人員不足なのだろうが、店員をお呼びしてから来るのは遅いし、誰が呼んだかを確認もせず、隣の家族の注文を聞いて不注意にも戻ってしまった。この待時間の間にも、隣の家族は大きな声で喋り続けていて、その会話の内容も品のない内容(というか、かなり下品)なもので、私の家族のイライラは募るばかりであった。
そこで、もう一回、タブレットで店員をお呼びしたところ、さらにその5分後くらいに、ようやく来た。
「隣のご家族、声がとても大きいので、もう少し声を落としていただくようお願いしてもらえないでしょうか。また大きな声で会話をするのであればマスクをするように注意をしていただけないでしょうか。」
と隣に聞こえないように小声でお願いした。
するとその店員さんのおっしゃったのは、
「注意をすることはできません。別のところへ移動していただきますので、お願いします。」
と。つまり、私の家族に移動しろ、ということを命じてきたのである(言い方として「命ずる」印象のイライラ感のあるぶっきらぼうな態度で;④)。
「なぜ私たちが移動しないといけないのでしょう?ちょっと声を小さくしてもらうよう、言ってもらえばそれでいいのですが。」
という私の言葉に対して、
「それはできません。」
とキリッと。
と申したところ、
「それはやめてください。」
とまた命令調(⑤)。人が他者に何をお願いしようが、それは自由なはずで、なぜ店員さんに命令されないといけないのか?
私も、上の①〜⑤があってイライラが募って頂点に達していたこともあり、堪忍袋の尾が切れてしまい、
と。店員さんは、
「やめてください。」
とのことでしたが、ここまでの積み重ねで、私も怒り心頭に発するレベルに達していたので、隣のご家族に直接、
「会話はもう少し小さな声でお願いします。マスクもお願いします。」
と自分でお願いをした。以上のような経緯だったので、私の声は大きくなってしまっていたこともあり、そこで、現場の責任者の方がご登場された。
「申し訳ありません!謝ることはありませんよ。何も悪いことはされてませんので。」
と、これみよがしに、こちらに聞こえるような大きな声で言ったのである(⑥)。しかも、その責任者、私の家族には何も言わず無視しつつ、というか敵対的な視線を送りつつ、である。
その後、私も声が大きくなり(マスクはしてました)、お相手のご家族の父親・母親も大きな声で、
「気分が悪い!もう帰る!!」
というような口論に。まわりの方々も驚いていらした。
まあ、ちょっとした「事件」になってしまったと言って差し支えないであろう。
私は普段、怒って大きな声を出すことなどは人生の中であまりないのであるが、あまりの普通でない条件(①から⑥)が重なったからだと思うが大きな声を出してしまって、こんな事件の当事者になって大きな声を出してしまったことが悲しいやら不愉快やらで本当にやるせない気持ちとなった。
なお、後でガストを運営するすかいらーくのウェブサイトを見ると、
「
お持ちでないお客様へは店内でご利用いただけるマスクを無料でお渡し
健康上の理由などでマスクを着用できないお客様に、会話や離席の際にハンカチ等を口元に当てていただくようご協力を要請
」
https://www.skylark.co.jp/en/company/news_covid19.html
上の店員の方々の対応は、この防止策にまったく反するものであると言えるだろう。
あと、上のこととは関係は直接ないが、この店舗は、かなり小汚い印象で(壁が剥がれているなど)、「へえ、東京なのにこんな場末感を出しているんだ」とお店に入ったところで少しびっくりしたことは、申し添えておく。割れ窓理論というのがあるが、こういう小汚い店には、常識を欠いたヤンキーのような人々が集まり、それ相応の雰囲気になってしまうのかな、と。
---
上の苦情をすかいらーくの窓口に送ったところ、すぐに店長さんからご連絡をいただき、
・上の苦情の事実確認をしたが、店員の不適切な対応を確認したこと、
・ひとえにマネジャーであるこの店長さんの監督不行き届きであり、弁明のしようもないこと、
などを含むお詫びをしていただいた。
お電話でお話しをお聞きしたところ、上の案件が起きた時間帯は、この店長さんは不在で、「責任者」も含め全員アルバイトであったとのこと(ちなみに、調理をしている人もアルバイトとのこと)。
私は、レストラン業界の事情は全く詳しくなかったのだが、かなり東京の住宅地の大きめで混雑するファミレスでも、社員が不在の場合が多いのだな、と。ガストでは、1店舗に社員が一人のみであることは普通であるので、社員が不在となる時間帯はかなりあるとのこと。そういうものなのか、とちょっと驚いた。また、こういう事案が生じてしまったわけであるが、当該のアルバイトの方々は店長や本社に対応をどうすればよいかについて問い合わせるということはしなかった、とのこと。
まあ、時給1000円ちょいのアルバイトの方々に、対応をきちんとしてもらうことは容易ではないかもしれない。オペレーション全員がアルバイトでは、食べ物や接客が「安かろう、悪かろう」は仕方ないかもしれないが、感染対策はきっちり企業の規則や厚労省のガイドラインは遵守するよう徹底してもらいたいものである。
つい先日第2クールが最終回を迎えた『SPY×FAMILY』、このED曲の『色彩』(yama)を10年後のアーニャが過去を振り返ったものと解釈するとしっくり来ることに気付いたので、ここにその仮説を展開してみたい。
きっと大人はそれらしくするのでかかりきりになるんだ
関心はまだ僕ら
冒頭2行の部分は、10年後のアーニャが自分自身に対して「ロイドとヨルの機微を見逃すな」と言い聞かせていると解釈できる。「僕ら」はアーニャとボンドを指す。
からくりのなかで廻る僕ら命だ
「真珠の欠片」はロイド、ヨル、アーニャ、ボンドを指し、「物語」はこの四者の家族としての歴史を指す。「からくり」はオペレーション・ストリクスのこと。元々フォージャー家はオペレーション・ストリクスの遂行を目的として形成された人工的な家族なので、家族としての物語(歴史)をあえて意識的に作らないと、ロイド以外の三者は単なるオペレーション・ストリクスという「からくり」の中で廻るだけの命になってしまう。仮にオペレーション・ストリクスの失敗によって西国やWISEが深刻な危機に瀕するならば、ロイドはこの家族を見捨てる可能性が高い。彼にそれを思いとどまらせるのが家族の「物語」である、と10年後のアーニャは内なる危機感を抱いている。
...
落ち込む夜でさえ多彩で気まぐれなように
この部分はこれまでの家族の歴史を10年後のアーニャが回顧している。
どの人生も悪くはないだろう
強がる事を知れど今までの
アーニャは心を読む超能力によって、ロイドに自分を引き取らせるよう仕向けた。ということは、別の養親に自分を引き取らせるよう仕向けてスパイとは無関係の別の人生を歩むこともできた。しかも、超能力によってその人生は悪くはないものになっただろう。これが「どの人生も悪くはないだろう」の意味である。しかし、これまでのフォージャー家での歴史としての「足跡や産まれたことは消えやしない」ので、もはや全く別の人生を選ぶのは難しい。
あぁ間違っていないね
喜劇ばかりじゃここには立っていないってこと!
現在のアーニャはまだ幼年期なのでオペレーション・ストリクス遂行に際しても厳しい局面は立たされず「喜劇ばかり」のシーンが続く。しかし、長じるにつれて厳しい局面に何度か立たされる。「喜劇ばかりじゃここ(=フォージャー家)には立っていない」は、このことを示唆する。
気晴らしに今ならどこへだって
僕ら光のように気がつかない
考えてみるとアーニャの心を読む超能力にボンドの未来予知能力が合わさると、社会的にほぼ無双できる。他人の心と未来を読めるならば、ほとんどの事柄で大成功を収めることができるからである。現在のアーニャは知性が低いために無双からは程遠いが、10年後の成長したアーニャはロイドやヨルが足元にも及ばない程の力を獲得している。アーニャとボンドの力を以ってすれば「気晴らしに今ならどこへだって(行ける)」、つまりオペレーション・ストリクスを離脱することもできる。しかも「僕ら(の超能力は)光のように(誰も)気がつかない」だろう。
10年後のアーニャはオペレーション・ストリクスに嫌気が指して離脱することも考え始めている。彼女の超能力を以てすれば、そんなことは朝飯前だろう。しかし、「物語」(フォージャー家の歴史)に後ろ髪を引かれて踏み止まっている。『色彩』の歌詞からそんな情景を夢想するのである。