はてなキーワード: 宮台真司とは
本件の請求の内容は、令和4年11月30日に、延岡警察署が請求人を 強制保護した。 事案の段階は、延岡駅前のコンビニの電源を携帯電話の充電に使用し ていると、従業員がいちゃもんをつけて口論となる。店長が通報する。臨場 した警官は2名で、一人は、暴力団員のような風貌で、もう一人は、大学教 授(宮台真司)のような警官。その後ろに弱そうな女性の警官が立ってい た。 請求人がルートインの前から3名の警官に向かって、 腐れのクズ、 などの言動をしながら、踊っていた。警察官はそのさいに道路に飛び出して いた、轢かれる可能性があったというが、独自の主張をするだけで裏付け る証拠は何もない。 本件で延岡保健所が背後に持っている記録で、請求人の心身の状態 そのほかを、詳細に記録している文書や図画が存在するとは認めにくい。 法により精神錯乱で保護すべき場合とは要するに精神錯乱による し かし、本件の11月30日の事案では、 それをすべき鋭利で過激なポイントや事情が欠損していて認められない。
自分が襲われる理由を理解する能力がない。本当に社会学者か?詐欺師ではないか?哲学的には、 相手方が、そういうもの、であるから仕方がない。
しかし、宮台にしても、熊谷にしても、それが理解できない。だから凄まじく頭が悪い。
次に今になって思い出すのが、あの、蓮根の歩道橋で拡声器をしてたらなんか、立野先生みたいな人が出てきてそのまま、スナックバーのこゆきに誘導されたんですが話の趣旨が悪質で
俺は詐欺師でお前は黒羽だけど、黒羽がガチでも、俺の詐欺とお前のも内容量としては大して変わらないだろうということ。
そのときは、立野先生のような感じで苦しそうに近寄ってきたこと、自分は、蓮根レジデンスに住んでいるが老いていてそれどころではないというオーラの主張。
お前が部屋等にいるときに必死で操作するための装置を作動させていることというがその種の情報やものが存在していることは理解できるが、その装置も、この15年間常に
作動していたわけではない、消えているときは消えることに加え、俺が少しでも外出したりして外で自由行動している最中にはその装置は作動できないわけのものである
平成30年11月は容体が悪かったと書いているし、平成31年2月も相当悪い、 令和4年1月15には東大生刺傷を惹起 お前がしてきたことは次の事件を惹起している
① 令和4年1月15日 東大生刺傷
③ 11月30日 宮台真司重体
⑤ 令和5年5月25日 警官と老害の合計4名が猟銃でやられる
その次に結局、 おぺちは平成30年11月9日に、胴体がもげると書いている次に、令和から3地点でぺこらいぶを実施する、本気を出すとあるものの
平成30年11月9日に、荒川の土手から胴体がもげたことについて、当時武器が存在していないことから不明。
「ネット民の力を信じる」「スゴイ一体感を感じる」的なノリに冷静に距離置かせるカバオコピペがあったので2chは良いって棘が人気だけど
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2258034
そのコピペって2ch全体で貼られてた訳じゃないぞ。当時の2chは全能感全開だったぞ。
そんな中で特異だったのがこのコピペで、隣組破りというか異端というか、かなりの軋轢があって叩かれてたぞ。
元の「スゴイ一体感を感じる」の投稿がされたのは毎日新聞変態英字記事に対する炎上の中だったのが、この毎日の記事は単独のものじゃなかった。
当時、毎日のWEB版では時々変な性的な記事が載って一部の好事家の間で話題になっていた。
例えば愛染恭子というポルノ女優が居るんだが、彼女が紙面で夫婦間のセックス指南をしたり、関係が無いような社会現象でセックスが原因だからとまたセックス指南したりと結構訳が分からん記事を書いていた。
昭和40年代に「表現者」というアングラジャンルがあって、自分の性的な事を全面に出して芸術や芸能と結びつけるという表現形式が流行っていた。
三島由紀夫の聖セバスティアヌスとか『薔薇刑』とかはこの流れのものだ。宮台真司なんかがやたら自分の性体験を赤裸々に語るのも同じ流れにあるし、国民的アングラ女王椎名林檎の『歌舞伎町の女王』とかもそうだな。
多分この延長で「赤裸々な性」のコンテンツを目指したのではないかと思われる。
また紙の方に載っていたかも未確認だ。紙の新聞の日曜版は風変りな特集記事が載るし、また折り込み形式の特別版ともなれば全然新聞記事っぽくない、ミニコミ紙みたいな記事も載る。
そういう垣根で分かれていない、フラットなWEB版ではそれらはとても奇妙な記事群だった。真面目な記事と並列で愛染恭子などのセックス相談が載ってるというアレな状態だ。
炎上後直ぐに記事が見れなくなって増田は見てないのだが、そういう記事が英語に翻訳されて居たのではないか?という気がする。
ネットvs.旧メディアの図式でそれらのうち、「日本の娘はセックスが好きで」みたいな記事が炎上し、ROM人という法科大学院卒の人物が中心になって行ったのだが、当時の2chはかなりの全能感の中にあった。
郵政選挙で小泉純一郎は旧弊な既得権益に侵された日本vs.本来性を目指す右派革新という図式を提示して勝利し、2chもこの流れに乗っかっていた。今から見ると非常に紅衛兵っぽい。
変態記事想騒動は2008年の初夏であるから、この熱気支配されていて、迂闊に疑念を表したりすると叩かれてパージされてしまう。だから反対意見を態々いう者はほぼ居なかった。
また、大事なのは、犯罪予告連続逮捕事件群が2008年の冬にあった。「よーし、お父さん埼京線の上野駅で連続殺人しちゃうぞー」「学校の校庭で小女子を焼き殺します」が有名だ。
この事件群の以前には、ネットでの犯罪予告は全く逮捕されていなかったのだ。だから責任感とか全く考えず、その場の勢いで法人や個人を罵倒したりいわれのないデマ書き込みしたりが放置されていた。
これも全能感を加速させた。「あの新聞のこの記事は自分の一昨日の書き込みに反応したものだ」とかいうヤバゲな奴とか大量にいた。
そんな感じで冷や水を掛ける人がいない環境であった2chだが、幾つかの例外があって、その一つがガイドライン板、通称ガ板だった。
ガイドラインと言いながら運営上のガイドラインを議論するんじゃなくて、あるテーマに沿った面白コピペ収集やバカレスの晒しが大半だ。
ガ板ではそんな2chの全能感に水を注すようなコピペ収集が以前からされていて目を付けられていたんだが、「スゴイ一体感を感じる」のレス転載は一連の運動を馬鹿にするのが見え見えだから当然「〆る」つもりの反発も食らった。
だが、「スゴイ一斗缶を感じる」とか「すごい水上置換を感じる」とかの改変が多数行われると面白過ぎて盛り上がり、隣組圧力を突き放す形になった。
そもそも法科大学院を出た後にちゃんと就職しておらず、身分も精神も不安定であった。渦中の毎日新聞を提訴したのだが、そもそもこういう日本人の名誉=自分の不利益というのは反射的利益であって原告適格性を認められない。その法的文書も酷くて法科卒とは見えないレベルだった。
そして自殺予告や未遂を起こし、あまりに精神不安定さに同居家族がネットに書き込んで「これ以上持ち上げないで」と懇願するに至った。
因みに彼も1000万円を超えるカンパを得ている。
最近では見る事が少なくなったが、ネット中毒を拗らせて精神を病む、人格が社会から完全に乖離する、ゆえに破滅するというのは良く見られた。彼もその一人だ。ネットから引き離さないと直らないという典型的な状態だ。
こうして運動の方は自然消滅していった。カンパの1000万がどうなったかは知らん。
だから「すごい一体感」は2chの冷静さじゃなくて、全能感や一体感の隣組的圧力を意に介さなかったガ板の冷静さであった、ということ。
更に「ネット民の力を信じるすごい一体感を感じる」的ノリというのは、恥ずかしいもの、では済まず、結構悲惨で親族や本人の人生を巻き込んだ大仰な結果に至っているのだ、ということ。
東京都「ひとり親家庭就業推進事業の委託事業者が決定しました」⇒『しんぐるまざあず・ふぉーらむ』⇒ 暇空茜氏「ナニカグループやんけ」 =ネットの反応「スライド式ちゅーちゅーシステム」
https://anonymous-post.mobi/archives/29071
暇アノンとかいっている連中はみなクズで金をもらって交錯しているだけの存在です。
朝日新聞、毎日新聞、週刊金曜日、そしてすべての女性ジャーナリストはみなそういう腐敗に加担しているクズです。
また、大学の社会学者は全員そうです。宮台真司とて例外ではない。
韓国の正義連の場合、会計担当は自殺したといわれていますが、他殺としか思えないので、自殺に見せかけた他殺とします。
赤石千衣子(理事長)
丸山裕代(社会福祉士・産業カウンセラー・キャリアコンサルタント)
このように担当者のせいにするのは他のケースと比較して全く考えづらく、組織ぐるみでやっているというのが自然です。
よって、認定NPO法人などという資格は取り消し、歴代の担当者は懲戒免職にする必要があります。
とくに東京都は全員クビ。不正の温床に追い銭をうつのは行政担当者として失格です。
まず、4月の時点から、ここの会計はおかしいことが指摘されています。
つまり横領などが個人的なものではなく、組織的なものであり、かつ、「行政も黙認し、追認し、さらに支援していた」ということになります。
同様に国会議員、都議会議員、社会学者、弁護士、マスコミ、活動家(ただの馬鹿)も同様です。
動機は「カネ」です。
@kimura841
シングルマザーズサポート団体全国協議会の勉強会。寡婦控除税制の見直しや養育費未払い問題の早期解決を目指します。
諸課題の解決・改善が、子どもの貧困、児童虐待、少子化の歯止めにつながるはず。頑張りましょうね!
#しんぐるまざあず・ふぉーらむ
柿沢、稲田朋美も当然です。
しんぐるまざあず・ふぉーらむの赤石千衣子さんのロビイ史けっこう面白い まずシンママ団体界を統一し2002年頃に公明党とパイプを作って与党への影響力確保に成功 その後のロビイ活動も基本的に全党にアタックしてるが公明関係多いね 自民では木村弥生さん稲田朋美さんと親しい パワフルな人だなー
https://twitter.com/wakakusamidori_/status/1720405758175846640
@wakakusamidori_
なんにせよ木村さんに近いフローレンスやしんぐるまざあずふぉーらむには打撃になりそう
@wakakusamidori_
福祉NPO等への巨額の助成金の原資「休眠預金等活用事業」の議員連盟発起人の一人でもある
江東区長の木村弥生さんの件やしんぐるまざあず・ふぉーらむの件とももども、あの界隈の政治力に影響与えそう
https://twitter.com/wakakusamidori_/status/1717556362304200879
家宅捜査! 木村やよい江東区長と仲良しなのがまたまたこのお2人です。 向かって 左が 認定NPOしんぐるまざあず・ふぉーらむ (余剰金4.4億!👀) 赤石千衣子氏 右が 認定NPOフローレンス (余剰金20億円!👀) 駒崎弘樹氏 なお、この余剰金に法人税は課せられません。 増税!増税!の最中に…👀! pic.twitter.com/KSMqcGsOPE
公職選挙法違反や違反の会見で無報酬で職員使うとか醜聞甚だしい木村やよい氏の江東区長就任は以前から「大丈夫?ルール違反しないかな?」と不安でしかなかったですよね だって「NPO法違反」?のNPOしんぐるまざあず・ふぉーらむ赤石千衣子氏が応援したり、自民党女性議論が応援したりね(続 pic.twitter.com/pLsZ0Eihf2
「しんぐるまざあず・ふぉーらむ」 赤石理事長のロビイ活動 2002年頃に公明党と繋がり自民党への影響力確保その後は基本的に全党にアタック。 自民党では稲田朋美議員、木村弥生議員と親しい。木村議員は現江東区長。LGBTでは木村区長は稲田議員を精力的に応援。 共産党系赤石氏に深く浸透されてますね
こういう女性を食い物にしてうまい汁を吸っていたのがしんぐるまざあず・ふぉーらむと政治家です。そして当然学者、弁護士も金に群がっていました。
もっとも、森めぐみなどという人間もNPO法人なので、なんら信用がない。
なお、上田玲子は全く信用ができないです。当たり前でしょ。
女にまともな政治なんてできないわけですわ。
宮台真司が「クズ」「知的劣化」って表現で罵ってきたのって、専門でもないのにインターネットで検索かました結果で他人の無知と断言したらたり、そのうえ無差別に、くっくっく、とかマウント取ったりする奴のことじゃないんかい?
自分自身がクズであると証明したので、これまでの主張は逆に補強された形だが……じゃあ、クズはこれからどうしていけば良いのかについて、奴はこれから考えたりすることが出来るんかね?
宮台真司はすっかりサンドバッグになっているが、叩いている人も1959年にチッソ水俣工場の「工場で使用しているのは無機水銀であり、有機水銀と工場は無関係」という主張を聞けば「科学的!」と支持したことだろう。
・前世紀の薬害公害事件はまず明白かつ特異な健康被害が先にあって、科学的論理的に政府や企業を追い詰めて認めさせるという流れで成功を収めてきたんだけど、昨今は「健康被害があるはずだ」から始めて政府や企業の主張が正しい場合を全く想定せず、科学や事実関係を置き去りにしたまま突っ走ってドツボに嵌るパターンが多いのよね
・未だに発生メカニズムが全く異なる水俣病と同列にしている人達は水俣病は症状自体は認められその機序が認定されていなかったのにトリチウムはトリチウムによる症状自体が全く発生していないと言う事に無頓着
出世作はルポで、それは社会学的な業績と言えなくもないが、別にその後そのジャンルを専門にしたというわけではないし。
社会学者の宮台真司さん「トリチウム生体濃縮の根拠!」と1週間以上の沈黙から論文をミスリードし引用→総ツッコミ
https://togetter.com/li/2223352
そもそも論文一つで、なにか一般的な真実が明らかになることはほぼないと言っていい。
特に、一般性が高い大きなテーマや、論争になるような結論を簡単に出すことができないテーマにおいては。
論文というのは「◯◯の条件で△△の結果が出ました。そこから考えられるのは□□です」というフォーマットに則っている。
□□はその論文の結論と言っていいものだが、たいていの場合で語気が弱められている(断言しないような言い回しになってる)。
「□□の可能性がある」とか「□□は【より重要で一般的なテーマ】にとって重要な知見を与える」とかそんな。
件の社会学者が引用した論文でいうと(アブストラクトしか見てないけど)、
This paper presents a laboratory experiment developed to identify previously untested scenarios where tritium may concentrate or transfer in biota relevant to Baltic coastal communities.
(この論文は、トリチウムが濃縮する可能性がある未検証シナリオを特定する実験を示したものである)
current legislation does not adequately take into account the nature of organic forms of tritium and therefore may be underestimating accumulation and toxic effect of tritium in the environment.
(現在の法律はトリチウムの生体内での性質を十分考慮しておらず、それゆえトリチウムの濃縮と毒性を過小評価しているかもしれない)
may | かもしれない、を使ってちゃんと(?)結論をぼかしている。
(法律がトリチウムの性質を考慮していないの部分はmayがないので確信があるんだね。)
なぜこうなっているかというと、論理的に出せない結論は書いてはいけないから。
もし書いたら査読に通らない。
Aって書いてるけど、BかもしれないしCかもしれないよね?とか査読者に言われちゃう。
万が一査読に通っても、学会や論文で他の研究者に遅かれ早かれ指摘される。
でも「我々の実験はAかもしれないことを示した」は論理的に間違いではないから査読に通る。
逆にいうと、mayさえつけとけば何書いても許されるみたいなところはなきにしもあらずなところがある。
あまり良くないようにも思えるが、だからといって何を明らかにしたい(したかった)論文なのかは目立つところに書いておいてもらわないと読みにくいので、今の書き方が慣習となったのかもしれない。
結論を言いきれなかったからといって価値のない論文なのかというと、そんなことはない。
◯◯の条件で△△の結果が得られたことは、学術的に重要な知見である(かもしれない)のだ。
トリチウムがわずかでも生体濃縮するかどうか、みたいな結論を簡単には出せないテーマに対しては、あまり強い主張はできないけど限定的な条件でいいから少しずつ知見を積み重ねていくのが、現代の学術のありようだ。
この論文では生体濃縮の可能性を示した、あの論文では生体濃縮の可能性は見出されなかった、というのを積み重ねていくのだ。
一見相反する結論の論文があるように思うかもしれないが、実験条件がちがうのだし、ここまで書いたように結論を断定した論文は少ないので、おかしなことではない。
これで、一つの論文を引用しただけでイキったこと自体が、おかしなことであることを分かってもらえただろうか。
(論文の内容にもケチがついているようだが、その論文を読んでないし他の関連文献も見てないので、特に触れない)
これは余談にはなるのだが、もし何かの研究結果を調べなくてはならなくなったとき、たとえばトリチウムの生体濃縮について調べなければならなくなったとき、
一つの論文で結論を出せるものではないなら、どうしたらよいかを書いておく。
ようするにその研究テーマの主要論文を押さえればよいのだが、そのやりかたについて。
基本的にはGoogleかGoogle Scholar(Googleの論文検索サイト)で適当なワードで検索すればよいのだが、ほかにも一般の人はあまり知らないであろう方法をいくつか書き留めておく。
社会学者の宮台真司先生が、「植物性プランクトンからムラサキガイへの食物連鎖によるトリチウム生体濃縮を見出した科学誌の査読論文」を意気揚々と御提示されました。
(「自らの劣等感をエセ科学の威を借りて埋め合わせるヘタレども、どんどん湧いて炎上しな。 ただし炎上先は、定評ある学術誌・査読チーム・論文執筆者だぜ、くっくっく」と述べられておりますので、「意気揚々」と評して差し支えないでしょう。)
しかし、トリチウムの生体濃縮についてはそもそもこの論文では証明されておらず、また後の論文も含めて、トリチウムの生体濃縮は否定されているといって良いでしょう。
宮台真司先生は素人ですから、誤読されたり、最新の研究結果について無知であるのも無理はないとは思いますが、専門外のことなのであれば、同僚の専門家に聞いてみるという謙虚さも必要なのではないでしょうか。
宮台真司先生の能力以上に問題だと感じたのがそのスタンスです。科学の世界では論文があることが重要なのではなく、それを検証検討し、再現性の有無などを確かめ、その論文が本当に妥当であるか、問題があるとすればどの部分かを確かめるプロセスが非常に重要で、そのプロセスこそが科学と言えます。
今回の宮台真司先生は、「権威ある誌面に査読付きで載ったから正しいんだ」というスタンスを取っておられますが、まったく科学的な態度とは言えません。
社会学は門外漢なので非常に恐縮なのですが、社会学の大家たる上野千鶴子先生が「不利なエビデンスは隠す」と公言し、それに対して大した批判もないところも含め、このようなスタンスが社会学の世界で一般的だとすれば、おおよそ科学的な学問とは評価できないと感じます。
(これでは「○○先生が言ったから正しいんだ」という権威主義的な世界です。)
社会学が、このようなスタンスで社会を分析し、課題を見つけ、必要があれば政策提言をしたりマスコミに発信をしているとするならば、それは失礼クリエイターと揶揄されるマナー講師と同様に、社会学者は社会課題クリエイターなのであって科学者とは言えないのではないでしょうか。
また、社会学者として、現在の社会課題を「発見」することにインセンティブがある以上、社会学者と社会変革を求める左派政党(立憲や共産党)とが親和性があることは理解します。しかし、このようなスタンスで創られた社会課題解決のために政策を立案しているとするならば、これらの政党の政策も歪んでくることは必然でしょう。
余談ですが、共産党の言っている「汚染水」の科学的根拠って今回の宮台真司先生みたいなのではないのかと不安になりますね。
https://www.sankei.com/article/20230911-7EUGHAEVVRNXREXBB36ADTSE34/
ネット通販と電子書籍の勢いに押されて書店がどんどん街から消えている
大型書店ですら営業縮小傾向の厳しいこの時代に、昔ながらの個人経営書店など風前の灯
しかしそんな昔ながらものんびりとした書店の雰囲気を懐かしむ声も多い
近所を散歩していて、そんな希少な個人経営の小さな古本屋を見つけた
今時まだこんな店がやっているのか、せっかくだしなんか買って帰るかと思って入ったら置いてある本が片っ端からおもんなそう
まず文庫が多い、カバーが取れて背表紙が日焼けした昔の岩波とか古臭いやつ
それも絶版の名著とかじゃなくて、昭和の文学系大学生に流行ってそうな、
例えていうなら宮台真司とか成田ゆうすけの昭和版みたいな店主は思い入れがあっても現代に生きる我々が今更こんなの読んでどうすんのみたいなしょうもない奴
あとは四畳半フォークみたいな醤油と畳の匂いが漂ってきそうな小説、文芸雑誌、詩の本
クレヨンしんちゃん大人帝国の逆襲だとここで昭和のノスタルジーの匂いに飲まれて戻って来れなくなるところだが、
まぁ定期と言っていいだろう。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2218032
社会学】上野千鶴子、学問の中立性や客観性を否定していた。「不利なエビデンスは隠す」だけでなく、覆面査読の拒否、「学問の中立性や客観性は抵抗勢力」と主張。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2217225
宮台真司がどうとかよりも「社会学者憎し」がこれ程潜在的にある・あった事に大変驚く。みんな社会学の事が本当に分かってないか、初めから無価値と決め込んでるんだな。社会学に価値を認めないということはそもそも「社会」に価値を認めないということなんだろうな。
この手の議論となったとき、多くの場合は社会学(者)不要論から文系不要論に進んでしまい、非常に迷惑している。
いつも、特徴として、
○間違った知識で専門外のことを決めつける。
○間違いが指摘されても認めない。
といったところが見て取れる。
ただ、仮にも学者を名乗っているのであれば、ここで社会学(者)に求められるのは、「ワタシ悪くないもん!」と主張するのではなく、以下のようなことではないだろうか。
もちろん、これは「社会学は社会の真理を解き明かすから」などのお気持ち表明ではなく仮説を立てて実証する。集団(群集)心理の研究なんかは正に社会学のテーマと言えるでしょう。
というか今回の宮台先生だって、処理水の安全性ではなく、何故不安に思う人々がいるのかを科学的に分析していたなら正に社会学者の仕事と言えたのにね。
「不利なエビデンスは隠す」と公言するほか、査読への拒否感など手続きを軽視する姿勢が甚だしい。そういった者が主流となり、同業他者からほとんど批判もされない理由の分析が必要です。これも正に社会学の研究テーマと言えるでしょう。
というか、いつも「○○の社会学」って他の分野に切り込んで課題クリエイターとなるくらいなら、まず「社会学者の社会学」をやったらどうですか?
まぁ、他の多くの文系分野同様(経済学や法学の一部(商法など)を除く)に左派色が非常に強い(というか形だけでも左派に理解を示さないと出世できない)中で、出世に重きを起きすぎたせいでこうなったのかなぁ、という漠然とした印象はありますけどね。
こういったところまで視野を広げてアカデミズムの社会学をやろうとすると放逐されるんですよね、知ってます。
これをすると講座制から脈々と続く、後任は前任が事実上指名する体制が崩壊するからね、仕方ないね。
(ちなみに、「保守派は学問を軽視する」という研究は認められますが、「リベラル派は~」となるとかなりオブラートに包まないと無理です。実例あり)
的はずれなブコメがあったので。
「アカデミズムから放逐」(笑)ブルデューも知らんの?https://tinyurl.com/yfdnu3ah幼稚な学問イメージで一つの学を全否定できると考えるバカの戯言。社会学や人文学がこの手のバカに敵視されることがその必要性の証明。
ここで提示したのは社会学者の社会学ね。違いが分からないかな?
分からないなら分かるように書けなかったのが悪かったね、ごめんね。
社会学という学問への自己批判だけでなく(これは社会学の社会学)、何故このような人たちが出世してしまったのかの分析が必要ってことね
“某ツイートで「宮台真司」が挙がっていたけど、他の人と宮台を一緒にしている時点で無理解にも程があるし、宮台はむしろあんたらの「見方」、というより「魂の父親」だよ。”
むしろ「社会福祉士の受験対策書を持ってこい」の方が効きそう。
さもありなん。