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はてなキーワード: 特別とは

2018-02-18

才能が有れば猛烈な努力も楽勝なんだよ

才能があれば他の人より上手くやれるし、努力する才能もついてくる。やはり才能がすべてだ。

凡人ゴミ野郎努力してもくそみたいな結果しかでない。誰もが目を見張るような特別な才能が欲しかったわ。

2018-02-17

特別な才能が欲しかったな

将棋フィギュアスケートの才能が欲しかったな。

子供の頃、色々やってみたけど何の才能もないことが分かって自分という存在の残念さにガッカリしたのを思い出したわ。

anond:20180217164538

自分作品はこんなに優れているのにちょっと絵が描けるだけの奴のほうが評価されててむかつく!!!!というだけの話だね

評価されてもされても満たされることはきっとないから辞めたほうがいいんじゃない

あなたあなた思っているほど特別人間じゃないことを知ったほうがいいと思う

CCさくらクリアカード編 × ツバサ・HOLIC考察

全巻読み直した。以下ネタバレ

なおクリアカード編なかよし連載分まで追っているためそれを踏まえたものになるが、ここには書かないでおきます

第一さくらカードクリアカードになってしまった。とりあえずクリアカードを集め直してるが、さくらカードはどこに行ったのか謎。

さくらカードが変化した、というわけでも無さそうなので、帰還を待つのみ。

第二に夢の杖のことだ。現在、星の杖は木之本桜(以下 桜)が雪兎から桃矢伝いで貰ったブローチと箱に一緒に保管されている。怪しい。

まり星の杖が封印の杖を下敷きに作られたものとは違い、夢の杖は全く別物だということだ。夢の中で突然発生した。

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あと海渡と秋穂関連だが、なかよし現在進行形で重大設定が明らかになってきているので、今はスルーしておく。

海渡とファイのDは微妙に違うと想像する。

ツバサホリックの「サクラ姫」(以下 姫)は桜とは違う存在だ、ということを念頭に置いておくが

ホリックでは「木之本桜」という存在についても触れられている。確実に姫ではなく桜の話をしている部分があるのだ。

ツバサで姫は、自分そっくり存在に夢の中で出逢う。「絶対大丈夫だよ」と言い彼女は姫に星の杖を渡すのだ。これこそ、桜である

ネットでも話題になったこのシーンは、話題だけ見るに、ちゃんと読んでいる人が少ないのかもしれないが

桜は姫に「(星の杖は)あなた大事もの」と言いながら「杖が無くてもカードには会える」と言うのだ。なんのことかさっぱりである

そして姫(なお写し身姫)は小狼(なお写し身小狼)に「わたしたち出会った」と言うのだ。【わたしたち】とは…?漫画には中学制服の桜しか描かれていないが、わざわざ言い直してまで複数形を使った姫の目には何が見えていたのか。

絵を見ずに、文脈をなぞると、【星の杖を渡した現場に、桜だけではなく、李小狼(以下 小僧)も居る】と捉えるのが自然なのだが…果たして

そして星の杖に関しては、その後、桃矢(写し身の兄)と雪兎(写し身の兄のパートナー)の手によって侑子の店に届けられる。それが、写し身姫と写し身小狼の対価になったわけだ。

:

まり、桜はツバサホリック世界に大きな影響力を持っている。あそこであの対価が無ければ、彼らは消滅していた。

から桜はクリアカード編で、星の杖と別れなければならない。これは確定事項である。(何故なら大川ラストを決めて脚本を書いているからだ!)

現在、何故そんなことになったかクリアカード編では予想することもできない…。

桜は、夢を見て未来予知をすることができる。ツバサ・HOLICに共通することとして予知夢重要な要素になっている。

夢見の能力を持つもの同士は、夢の世界出会うことができる。

これは小僧エリオルが転校してきたときに見る夢とは違うもので、対話が出来るのだ。

桜はそれに気づいているのか分からないが、桜も必ず出来るはずである

夢の杖がどこからきたのか?そのヒントが、この辺に秘められているはずだ。

なお、桜が違う世界から持ってきた。という説も考えられる。CLAMP世界次元トンネルで繋がっているが、なにを隠そうこの初期設定はCCさくら初代劇場版から持ってきたものだ。あの世界には、確実に次元トンネル入り口存在している。

もう一つ押さえておきたい世界観としては、三作品の「時系列」は全て異なるということだ。HOLICは日本の話であるが、HOLICの店自体はどこでもない世界にある。あの店で起きたことと、外の世界のことは、時間的には全く一致しない。

いろいろと考察はできる。悲しいもの。見にくいもの。血なまぐさいもの

なかよしから一歩外に飛び出すと、ツバサやHOLICなどと言った世界が広がっているため、どうも考察が鬱々としていく。

しかしここで重要なのはクリアカード編は「なかよし」の「カードキャプターさくら」だと言うことだ。

きっと悪い人は居ない。きっと、そこまで悲しいことにもならない。

クリアカード編の桜はこういうのだ。「自分にできることを頑張る」

逆に言うと彼女は、自分にできないことはしない。対価は、過不足なくを本能として理解している。相手は勿論、自分が傷つくようなことを彼女はしないのである

エリオルもそのへんは熟知していた。彼女は自制できる。だから、桜が後継者になったのだ。

CLAMP作品に置いて、この点が彼女特別存在たる所以であるし、それをツバサホリックで散々書いてきたように思う。

それは姫とも違う特別な点だ。やはり育った環境が『なかよし』と『週刊少年マガジン』では、例え性質は同じでも考え方は変わるものである

桜はとにかく、強いのだ。

ツバサホリックの本編は「失うことの美」で終結したが、その後に出ている続編を見るに、彼らの物語はまだまだ終わっていない。

ツバサニライカナイでは、「もう一人の小狼に会う」という旅が始まっている。

ホリック戻では「侑子ともう一度会う」という目標ができた。

先に書いたように、「なかよしCCさくら」は平和世界が広がるはずだ。だからツバサホリックの謎に立ち入ることは難しい。

とすると、「クリアカード編」が終わった後が、考察が一気に進む時なのではないか

まだ連載が続いている三作は、確実に連動をしてくる。してほしくないとか言う人も居るだろう。もう、遅いので諦めてほしい。

とにかく問題は『星の杖』と『夢』である

ホリック本編の最後に「夢十夜」というキーワードが出てくるのだが、クリアカード編で桜が国語時間に習う文学であること。このあたりが、今後の考察にも重要であるのではないか

夢十夜は「こんな夢を見た」で始まるので、「桜の夢オチではないか」という予想が出てくることも不思議では無いが

なかよし連載分を読んでいてると「誰の夢か」が重要になってきそうである

ここまで読んだ人は結局なにも分かっていないではないか、ということが分かりそうだが、そうなのである

なのでここで、強引に超予想をしてみる。上の長々しい文章は完全無視の予想はご覧いただこう。


やはりCCさくらは、平和な心を持って穏やかに視聴するのが、一番である


「死んだら、埋めて下さい。大きな真珠貝で穴を掘って。そうして天から落ちて来る星の破片を墓標に置いて下さい。そうして墓の傍に待っていて下さい。また逢いに来ますから

夢十夜夏目漱石

友達彼氏ができた

去年の冬、中学生の頃からめちゃくちゃ好きで仲良しだった友達彼氏ができた。友達女の子わたしも女です。

その彼氏はやさしくて、ちゃんとしてるっぽい。まだ直接あったことないけど顔もそこそこって感じだ。バレるのやだからあんま書かないけど。

サイコー!!!サイコー!!!わたしが好きで好きでたまらない、大好きな友達に素敵な恋人ができた!!!!!!!!それを友達はよろこんでいる!!!!!!!!しあわせな出来事!!!!!!!!わたしもよろこんじゃうねお赤飯炊いちゃう!!!!!!!!!!!!!!!!今後当人たちの間にしかからない苛立ちとか問題はこれから発生するかもしれないけど、どうか末永くハッピーでいてくれ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

で、その友達が、たぶん彼氏からもらったであろうめちゃくちゃかわいいプレゼントクリスマスにインスタにあげてるのを見て、わたし完全にひとりになったな、と思って、同時にしぬほど恋人がほしいと思った。

そのプレゼントが可愛かったからじゃなくて(いや、可愛かったけど)、もうこの子わたしクリスマスにすごしてくれることはもうないんだな〜とわかってしまたからひとりが浮き彫りになって恋人がほしくなった。

恋をする、付き合う、恋人になるって誰かの唯一になるってことでしょ?なんかサイコーだよね。特別行事とか誕生日とか一緒に過ごすんだろうな〜もちろんそうじゃないなんてことない1日もひとりじゃなくなるんだよね。

と思ったらめちゃくちゃゾッとした。わたしひとりじゃない日、ほぼないもん。わたし特別に思ってる誰かなんか親以外マジでいないから。男でも女でもどっちでもなくてもいいんだけど、みんなどっからそんな人見つけてくるのかな。埋まってんのかな?それとも生えてる?枝にぶら下がってるの?上探したほうがいい?

ていうか、無課金で恋する方法がわからない。金を払わないと会えない人、というか、デートドームアイドルしか好きになったことないし…。

わたしは今のところたぶん異性愛者なんだろうなあって感じなんだけど、そもそもキモくない?!?!って気持ちをなんとかできてないわたしがだめなんじゃない?てか、だめだ。

男、別にそんな全員が全員キモくないのに、ずっとキモいよ〜って気持ちをうまく処理できてないわたしには彼氏などできない。女の子が好きだ。物心ついてからずーっといじめられっ子だったわたしのこと、叩いて酷い言葉投げて影で笑ってたのは男で、守って愛してゆるしてくれたのはみんな女の子だったからもうこれはしょうがないだろって思ってるからだめなんだろうな。どうしたら治るのかな。病院行けばいいのかな。

この気持ち性的ものなのかは自分でもわからないけど、ただただ女の子が好き、大好き。そりゃ女の記号を纏う人の中には嫌いな人もいるけど、大体の女の人の魂もその入れ物の身体もみんな最高、愛してるといつも思う。好きだ。

じゃあわたし恋愛対象女性で、女の子と付き合いたいのだろうかと考えると、さっきも言った通り、ちょっと違うんじゃないかな…と言うのが現在見解だ。わたし女の子セックスしたいんじゃなくて、一生一緒に遊んでたいんですよ。女だけで飲み会してやいやい言ってだし巻き玉子たべながらヨーグルトサワー呑んで、カラオケで夜を明かしたりそのままラーメンいったり、一緒に美容院いったり時々コスメカウンターを巡ったりしたいんだ…。

わたし恋人ができない理由自分わたし価値がないからっていうのはわかってるんだよ。ブスだしデブだし性格も良くないし精神不安定だし、いいところは自分ではわからない。おまけにコミュ症で友達も少ない。マザコン。好きなものは酒とBLアイドル。ヤバそうな匂いがすげーする。わたしだったら絶対に好きにならない。やだよーひとりで死にたくないよー恋とかしてみたいよ!

もう精神面がダークサイドに落ちそうだからもうこの話やめよう…。誰かに相槌うってほしくて増田に書き込んでみたけど、こういうのはカウンセラーかに話すべきなんですかね?精神科?でもなんて言えばいいの?こんな世間の誰も興味ない無駄なこと、誰にも相談すべき話ではないのでは?

とにかく、わたし友達はみんな幸せになってほしい。幸せが何なんだかわからないけど、とにかく暖かく平和で暖かでいますように。きみと一緒にカラオケして聖どすけべ祭りゲラゲラ笑ってそのまま寝落ちした14歳クリスマス人生で一番楽しかったクリスマスだけど、それは一生思い出さなくていいよ。わたしだけの秘密にしておくね。

はてブ女性専用車両に対する知見に頭がクラクラした

ふだん差別人権にうるさいはてブ民が、女性専用車両には賛成一辺倒で頭がクラクラした。

かに乗り込んでくる運動家はマトモじゃない。なんせ一刻一秒を争うサラリーマン様の通勤車両を12分も遅延させたんだ。よりによってなんで俺らがこんな目に……殺意を覚えるのも無理はない。

しかし、彼ら運動家否定できる倫理的根拠を、はたして我々は持っているのだろうか?

実のところ、今回の運動家に対して寄せられた批判を見るにつけ、賛成派は大した説得力を持っていないのではないかと改めて確信させられた。

以下は、ハフィントンポスト記事に対してスターを集めていた上位2つ。

http://b.hatena.ne.jp/entry/www.huffingtonpost.jp/2018/02/15/woc-chiyoda_a_23363098/

1.これが女性専用車でなくプロレスラー専用車だったら絶対やらないだろう。所詮その程度の連中だよ。

そりゃ、プロレスラー専用車なら今回の事件が起きる確率は低いだろう。なぜならば、有無を言わさず力で排除される可能性が目に見えているからだ。しかし、これは明らかな論点のすり替えである。具体的には、運動家の主張の是非ではなく、「力の強弱にアタリをつけ、威圧行動を取っているのでないか」という行為道徳性が疑問とされている。

そもそも、この運動代替の効かない公共機関における、特定の属性を押しやる「専用車」それ自体問題になっているのであって、なにも「女性専用であることが問題となっているわけではない。今回のような示威行動が起きる確率は低くなるとはいえ、プロレスラー専用車でもやはり大きく問題になり、運動家は出てくるだろう。その場合、どのようにケチをつけるのだろう。今度は「殺人犯専用車だったら絶対やらないだろう。所詮その程度の連中だよ」とでも言うのだろうか?

また、仮に「力の強弱にアタリをつけ、威圧行動を取っている」としても、それは運動価値毀損するものではない。声を通せる場で声を通すことが重要からだ。

2.女性専用車必要性裏付けられる悲しい話。

この言説は本当に悪質で、「Aを利用している人間不安に駆られる状況こそ、Aが必要証拠である」と言っているに過ぎない。つまり、利用している人間不安に駆られていなければ(満足していれば)、Aの必要性証明されているし、不安に駆られていれば(満足していなければ)、なおさらAの必要性証明されている、というわけ。一切の批判を許さないので、イデオロギーに近い。これは「共産主義に異議が唱えられ、圧力を受けている。同志の生活が脅かされている。これこそまさに共産主義必要であることの証拠なのだ」という議論を考えてみれば分かる。どう思いますか?

賢いリベラルの集うはてブですら、こんなブコメスターを集めてるのだから、まったくもって酷い有様だ。

ただ、浅薄ロジックはさておき、問題意識理解できる。以上の2つはともに、女性専用車両とは「弱い者のための暴力からの隠れ家」であるとの認識に立っているからだ。ここでは、関係性は暴力関係として解釈されている。ゆえに「より強い暴力を誇示できるプロレスラー」に、“ただの暴力”は萎縮するだろうし、「異邦者の闖入」という暴力が起きることこそが、暴力からの隠れ家の必要性裏付けている、というわけだ。

この「弱い者にとって『暴力からの隠れ家』が必要なのではないか」という問題意識自体は真っ当だと思う。3つ目にスターを集めていた「痴漢被害によるPTSD抱えてる人でも乗れる交通機関必要」というのは、優先席と同じで傾聴されていい。しかし、これを認めると、1つの帰結にたどり着く。

なぜ、女性けが暴力からの隠れ家」の恩恵あやかるのだろうか?暴力に怯える人間なら、誰であろうと招かれてしかるべきだ。

まり女性は「暴力支配された弱い者」なのか?そして、一般成人男性排除することは、一般成人男性それ自体潜在的暴力行使であることを前提としているのではないか

なお、女性専用車両に対し、「女性が『暴力支配された弱い者』であることを認めるのか」というフェミニズム的な指摘は、欧米でも盛んに巻き起こっている。

例えば、英メディア紙The GuardianTelegraphでは、女性記者が「女性専用車両の導入は、性的暴行中立化(normalize)するものであり、あたかも原因が私達にあるかのように、平等志向(equation)から女性排除することが解決策だ、と世界に向けて言っているようなものだ」と非難している。そこでは日本が、メキシコタイイランインドブラジルと同格の“人権後進国”として引き合いに出され、イギリスは導入することでそんな国、つまり欧米流行りのディストピアドラマ「The Handmaid's Tale」の世界のような、女性をモノのように扱う国と同じ方向には向かうべきではない、といったようなことが語られている。

  • Women-only train carriages: Keeping women 'safe' by separating them from men is Handmaid's Tale territory

http://www.telegraph.co.uk/women/life/women-only-train-carriages-keeping-women-safe-separating-men

女性トイレレディースデイはどうなのか」という賛成派の反論についても、女性専用車両正当化には繋がらないことを提示したいがキリがないのでヤメておく。とりあえず、リソースの適切な配分(特定の属性けが特定の扱いを受け、それ以外の属性が不平等負担を強いられるべきではない)、代替選択肢存在(「イヤならそこを使わなければいい」が可能か)、その施策が成り立つ前提の倫理的妥当性(女性専用車両なら「女性潜在的暴力被害者であり、男性潜在的暴力行使である」という前提)において、質が異なる問題ですよ、とだけ。ちなみに、スウェーデンでは、属性によって分けるトイレから「個室トイレ」に向かっていっているらしい。

はてブの皆さん、差別人権にうるさい皆さん、本当にこれでいいんですか?皆さんの大好きな世界標準から馬鹿にされてますけどいいんですか?「日本人男性世界標準以下の性欲アニマルから仕方ない」で開き直っていいんですか?

余談だがロケットニュースでは、ニュースタイトルが「【キモイ】今朝の東京メトロ千代田線の遅延理由が「頭おかしすぎる」と話題 / 男性複数人があえて女性車両に乗り込み……」となっている。この記事にも「然り!」のブコメが沢山ついていた。

https://rocketnews24.com/2018/02/16/1021546/

キモイ」「イケテナイ」「ダサイ」「カッコワルイ」。こんな調子で、本当にいいんですか?ネット最後良心だと思っていたはてブがこんな調子では、私は一体どこへ行けばいいんだ。


追記:

はてブにも良心があって安心しました。捨てたもんじゃないですね。ひとまず、Twitterブコメで寄せられた、いくつかの重要質問に答えます

  

手段が低コストであることが、その手段正統性付与するわけではありません。あくまでもその手段で影響を受ける人間利害関係によって調整されるべきです。これは極端な例ですが、麻薬犯罪を無くすために犯罪者中毒者はその場で殺害、あるいは火事を鎮火させるために周囲の家を片っ端から打ち壊し。ともに「ラク解決手段」ですが、 適切ではないのは明らかですね。

マシなものがないのではなく、マシなもの鉄道会社選択されないから、そう思うだけです。これは上の「低コストで予防できるんだからいいじゃん」とも関係しています。ただ、監視カメラ警備員の配置、満員電車の解消、あるいはより良いシステムの構築に向けた過度的なものなら悪くはないですね。

これは確かに一理あるのですが、この話をしだすと論点がズレるか、あるいは論点先取になっています(女性専用車両痴漢対策だ。痴漢こそが対策されるべき問題である。よって女性専用車両必要である)。かつて、盗聴法の成立時に「法の是非を問うより、盗聴されるような行為をするヤツをまずは問題しろよ」という議論があったのにも似ています。もちろん、諸悪の根源痴漢です。しかし、ここでは対策方法がもたらす帰結(あるいは、そもそもその対策方法妥当か)が問題になっているのです。

また、「痴漢を撲滅することの難しさが女性専用車両を生んだ」というのは「犯罪者を撲滅することの難しさが、(犯罪者の多くはAという属性を持つので)Aという属性お断りの○○を生んだ」と言っているのと同じですが、これに何も疑問を覚えないのでしょうか?それでも特定の属性を「潜在的犯罪者」として括りたいのであれば、もう私からは何も言えません。入れ墨外人温泉入浴問題と同じですね。どうぞ、ファシズムに突き進んでください。

その存在を「暴力からの隠れ家」として否定していないことには注意してください。

もちろん、特定の状況下における「合理的区別」は合法でしょうし、鉄道会社営業自由一定度は認められてしかるべきでしょう。すでに社会的認知されていることをもって、女性専用車両存在を「公知の事実」とする判例も出ていますしかし、ここで私が問題にしているのは、法律ではなく、倫理です(「まず痴漢倫理問題しろよ」という方は、上記の3を参照してください。「いや、それでも合法から正しいんだ」という方に対しては、これ以上私からは何も言えません)。

ちなみに、「障害者専用車両みたいなもの」という意見は、はてブ民が大好きな欧米リベラルフェミニズムから相当な反発を食らいそうですね。深くは立ち入りませんが、この例えを安易に使うならせめて「骨折患者専用の障害者専用車両」に限定した方がいいかと思います

アファーマティブアクションがいい例ですね。非対称性権力勾配の是正措置自体は、それが段階的な解消を狙いとした施策であればアリでしょう。

ただし、代替手段のない公共サービス鉄道、それも日本通勤電車で、はたして導入されるべきなのか。また、そもそも車内における男性女性関係において、暴力的非対称性一般的存在しているのかにも注目する必要があります。この存在を認めると「女性庇護されるべき対象」となりますが、ここから先はカトリーヌ・ドヌーヴ議論にも通じるものがあるかも知れませんね。

それから、私が「逆差別だ」とは一言も言っていないことには注意してください。あくまでも、ここで私が問題にしたいのは、賛成派とされるはてブ民のくだらなさ、何よりも“潜在的な何か”を理由にした排除の論理は、新たな権力構造を生むだけではないか、ということです(女子トイレなどとの比較は、別のホテントリにお任せします)。

しっかりと読んでいただければ分かるかと思いますが、私は「暴力からの隠れ家」として特別枠が設けられることには、否定的ではありませんし、優先席も公正な資源配分観点から注目すべきだとは思っています廃止すべきだ、という議論を完全に否定ではできませんが)。

これはシンプルな代案ですが、「ケア車両」はどうでしょう暴力に怯える人は誰でも入ればいいじゃないですか。その代わりその車両には、監視員監視カメラガンガンに配置する(もちろん通常車両なおざりにして良いワケではありません)。監視の目が行き届くよう、乗車の人数制限も設ける。

これである程度は、無関係人間による車両乗車への抑止力が働くでしょう。それでも「傍若無人なオッサン」が闖入してくる可能性はありますが、実のところ彼を排除する合理的理由はどこにもないでしょう。

女性専用車両よりもコストがかかる」というツッコミがあるかもしれませんし、「じゃあ早速オマエが鉄道会社に直訴してこいよ(笑)」という揶揄もあるかもしれません。しかし、コストがかる&直訴されて突っ返される可能性が高いからといって、この歪な構造、そして痴漢犯罪が「女性専用車両(あるいはケア車両)」を免罪符にして放置されていいことにはならないのです。

いろんな意見があるかと思いますが、これについては私のスタンス勘違いされるのも野暮なので、ハッキリ言っておきます。対抗して男性専用車両を作るのは、個人的にはトラブルを増やすだけだと思っています(総量を男女比に応じて適切配分するのはアリかもしれませんが、はたしてそんな前近代的ディストピアの到来を望みますか?それで賛成派の皆さんがいうところの「非対称性」は解消されますか?)。そもそもトイレと違って、ジェンダープライバシーが密接に関わり合うようなものでもありません。

しか男性専用車両を望む男性の皆さん、男性専用車両があるなかで一般車両に乗ってしまい、冤罪に遭った時のことを想像してみてください。もう、どうなるか分かりますよね。ちなみに、同じことが女性にもすでに起きています。こういうの、警察(「なんで一般車両に乗ったの?」)と鉄道会社(「専用車両を用意したじゃないですか」)が笑うだけなんですよ。男や女に対する排除の論理ではなく、上で挙げた「ケア車両」のような“包摂”の論理対策を考えませんか、と私は思うんです。そもそも鉄道会社が誰かをケアする義務を負うのか、という根本的な問題はありますが。

これは、以前Twitter流行った「『告発を無力化する話法』として無力化する話法」ですね。特定の集団が抱えている痛み・苦痛が、特定の属性排除を許すわけではありません。もちろん、何度も述べているように被害者の痛みに寄り添うことは大切だと思います。ただ、そうであるならば「痛み・苦痛を抱える人」は、男女関係なく包摂されるべきではないですか?もしかして、その有無・大小を性差(しかも外見)で見分けるのですか?

anond:20180217020126

私は男性です。女性専用車両には反対してません。男性専用車両も(冤罪リスクがないので)あったら良いとは思いますストレス無く乗れるし。

から機関が用意してくれた女性専用車両を、ひとまずの自衛に利用させてもらうのは、責められることだろうか。

女性が専用車両に乗るのは責められないのでは。

というか全ての女性はまず専用車両側に寄って欲しい。特別に用意されているので最大限活用していただいて、普通車両の混雑を減らして欲しい。特に女性専用車両の隣の車両にいる女性はもう少しなので移っていただけると助かる。

2018-02-16

そろそろ天才崇拝をやめてもいいんじゃない

メンタルフィジカルも弱いけど応援のお陰で最高の演技ができた、というコメントは素晴らしいと思うけど、それが本当なら他の選手との違いは何なのだろう?

穿った解釈すると「勝てない人達フィジカルメンタルも強いのに才能と努力と人望が足りてなくてかわいそう」って意味

何をどうすればそこまで至ったのか、本気のコメントが聞きたい。もちろん企業秘密的な部分はあるだろうけど、できるようになってからではできない自分再現できないだろうから、生の感触をなるべく伝えて欲しい。自分の中に留めておいて後で出すのではなく、リアルタイムオープンにしなければ埋もれてしま発見もあると思う。

一流の人は才能も努力も群を抜いてるのかもしれないけど、その才能とか努力にも多少は具体的な正体があるはずだし、いい加減それを一括りに天才とまとめてしまうのは止めて欲しい。

特別人間には、偶然の産物以上の存在になってもらいたい。それが現代天才役割ではないかと思う。

疲れた

今日疲れたなー。

今週は一日短かったのに、とても疲れた

普段仕事中に眠くなることなんてないのに、ずっと眠くて眠くて。

でも、終わってよかった。

金曜だからって特別なことがあるわけじゃないし、素敵な友人や旦那彼氏がいるわけでもないし。

だけど、今週もお疲れ様

私は私なりに頑張ってるから大丈夫

一番になりたい理由

みんなが争うときって、「俺いっちばーん!」てやりたいとか

「俺がいちばんえらーい!」ってやりたいとかじゃん?

一番になりたいと思ったことが無いんだけど

一番になりたいのってどういう気持ちからなの?

特別感あるのかな。

仕事続きで体がだるい

自分場合日中身体のだるさが出てきたら精神的にもつかれ始めている証拠

カロリー制限中だけど特別ということして

セブンでななチキとレッドブル買ってきた

肉食べて元気出す

まだまだデスマーチが続く

早くのんびりしたい

仕事特別疲れることがあり、くたくたになって帰宅したのに妻からは何の言葉もない。察してお疲れくらい言えないのだろうか

anond:20180215032409

学術的な著作が一本(博士論文)あって、形式的には論文3本あるので、非常勤(常勤?)講師になるには不足とは言えない。ただ留学もしてないし、研究者としての王道には乗ってないのかな。

受賞は論壇系のものばかり。博士論文が「特別優秀賞」とあるのが唯一学術受賞っぽいけど、この年の博士号取得者17人中15人が受賞してる。

http://www.u-tokyo.ac.jp/content/400064210.pdf

この資料だと、優秀な博論修論学会誌採録されるとのことだが、そのリスト三浦氏名前はない。(20頁以降参照)

私見だが「優秀な若手研究者」というより「博士号を持ってる保守論客」くらいの立ち位置では。

anond:20180215165820

奮発して年に一度、みたいな頻度だったらいつまでも慣れないだろうけど、のべつ行ける人は慣れてしまうんじゃないかな。

たとえば接待分不相応な店で飲み食いすることに慣れちゃってる人とかは、上のレベルを知ってしまっているだけに逆に気の毒かも。

慣れないドキドキも含めた特別感だと思えばいいと思うよ。ハレとケというか。

2018-02-15

anond:20180215213705

大人なら何となく相手が返したくないようなタイミングとか内容で連絡しないように、かなり慎重に判断して連絡するし、とくに特別親しくない人にはその気遣いは当然するものと思う。その判断力ちょっとズレてたり不足してたから、個人的コンタクトを取りたくないと判断されたのでは、、?世知辛い世の中ですが、がんばってください。

もしかして超能力なのか

リアルでは言えないのでここに書く。

ときどき他人言葉脳みそに突き刺さってくることがある。

特に誰かが「あっ」と思った時に頭に思い浮かべた言葉かな。

まるで自分には関係ない言葉も多い。

たとえば、喫茶店で隣の席の女性グループの1人が

「あっ」って言って、別の誰かが「どうしたの」と聞くと

今日夕方PTA会議だったのを忘れてたわ」みたいなシーンで

最初の「あっ」の段階で [PTA会議] みたいな感じで脳に刺さってくる。

他の人もみんなそうなんだと思っていたが、高校生くらいの頃にほかの人は

そうではないと知ってそれ以来あまり人に話したことはない。

だいたい話すとオカルトネタ扱いされるから

この能力があっても特別いい思いをしたことはない。

逆に友人と話している時に、これから話そうとしていることがわかっても

その単語を初めて聞くフリをしないと面倒なことになるので注意しなくては

ならないくらい。

いつでもわかるわけではなくて、年に5〜6回か?

百発百中、外れることはない。同じ経験のある方いたら教えてください。

バイトやめた

社会経験があまりないけど、上場してるとこでもこんなものなのか?と思って、愚痴

そもそもPC管理している癖に時給がシフト通りしかつかず、特別申請しないと早く出ようが残ろうが給料出ない。

自負は仕事が残ってようが帰るようにはしていたけど、いつも残っているパートさんたちがいた。聞いたら好きで残っているらしい。

もちろん残業代なんてつかないし閉店後も数十分だろうが無給で仕事をしている。

ときどき偉い人が来て終業態度のチェックがあるが、とくになんの指導もない。

仕事殆ど教えられない。

マニュアル無い。(薄っぺらファイルがあったが読んだ試しないとのこと)

常に人手不足なのに店舗を潰しては新しい店舗を作るため移動が多すぎる。

企業体事態に不満もあったが個人的には人間関係が嫌で辞めた。ガキ見たいな大人ばかりで不幸自慢、マウンティング喧嘩

尊敬出きる大人も一人も居なかった。

これが一番大きい気がする。

早く潰れろ。

2018-02-14

幸せになる方法がわからない

https://note.mu/hayakawagomi/n/n3bd89a48d68c

上のブログnote?)を読んだ。

ブログを読むのをめんどくさい人に平たく言うと「せっかく与えた機会を無碍にしてくれちゃう人(幸せになる気がない人)はいから、そういう人はいるんだなーと思ってほっとこう」っていう話なんだけども。

かにわかるんだわ。

自分はこのブログに書いてあるような「幸せになる気がない人」なんだろう。

けれど、逆にどうしろというのか。

自分幸せなんて大したことないと思っているし、自分本位に生きようとしてもどうもそれがしっくりこない。

常に自分などいなければ良いと思っているし、特別になにかをされたい、とか上に立ちたい!とも思っていないのである

だけど時にはそういう性質なのが妙に辛いときがあって、できることなら変えたいと思っている。

そう思ってるのに、このようなブログでズバッと切り捨てられてしまい「幸せになる気がないの人」への解決の指針も書かれていないのは釈然としないのである

自分のような人に傷つけられてきているのは大変申し訳無い。けれどどうやったらそういう風にせずに行動できるのか教えてほしい。

こっちもこっちで苦しいんだよ。ってことが言いたいのだ。

anond:20180212220528

元増田は本当にお疲れ様

前に飼っていた猫は乳癌で長く闘病していたのだけど、生まれた時から一緒に育った猫だったので大変辛かった。

その頃のことを思い出したのは、昨日、その後に飼った別の猫が死んだからだ。便乗するのを許して欲しい。誰かにまれたいわけじゃない。吐き出さないとつらい。


今回の猫は心臓悪化から機能が低下して内蔵まわりを水びたしにして呼吸困難で死んだ。

そんな疾患を意識したこともなく、ほんの三日前の午前中まで元気に普段通りに過ごしていたので寝耳に水としか言いようがない。

細かく書こうとしてみたが、すでに出来事の順番が曖昧になっていることに気づいたのでやめた。ともかくジェットコースターだった。レールが出発地点に戻らずちょん切られていて池の中に放り出された感じだけど。

前述の癌の猫について、飼い主の都合で痛みを長引かせてしまったという自覚があることと、呼吸困難の苦しさ(丸二日間ずっと苦しみ続けて睡眠もとれないのを目の当たりにみしている上、完治の見込みは一切無い)を考慮して安楽死を選んだ。

選択自体には後悔は一切していない。猫はもちろん一秒でも長く生きることを選ぶだろう、意識だってまだあるのだ。自分の顔を声を、撫でる手を認識している。酸素室で比較的楽な一瞬、しっかりとこちらを見て立ち上がった時、確かに意識はしっかりしていた。でも、苦しさが限界まできてから眠らせるんじゃ意味がないと思った。少しでも早く楽にさせてあげたいと思った。口から垂れた水滴がうっすらと紅色だったのを見て、呼吸困難の後、血を吐くというのは本当なんだと思ったし、そこまでさせるのは本当に可哀想だと思った。前日の夜、撫でさすりながら「この呼吸困難は落ち着くことはない」と悟った時の悲しさは深くて、その時にもう決断したのだ。落ち着かないんだから、早い方がいい。でもそれは今日その日のことだとはわかっていても、何時何分になるのか、どうやって決めればいいのか。その瞬間までずっと考えていた。今はまだ撫でれば寄り添ってくる。声をかければ反応がある。尻の付け根を撫でればしっぽも跳ねる。でも決めてしまったら最後もう二度と触れあえない。

バックヤードに入って声をかけてから就業時間ギリギリまでそばにいる許可を得て、酸素室のそば椅子に座って猫をずっと眺めていた。猫は午前中は水を飲んだりできるまでに安定していたが、午後から酸素室に入れる前のように口を開いて呼吸する状態に戻っていた。心臓を圧迫するから俯せになるより座る姿勢の方が本来は楽なのだが、疲れているので伏せっていた。どうにもできないのでアクリル板の前で声をかけていた。顔と顔を付き合わせてスリスリするのが好きな猫だったので、なるべく顔を近づけて、たまに話かけるようにしていた。

しばらくして猫が体を起こした。そのまま頭をアクリル板に擦り付けスリスリとした時、私は撫でてやることができなかった。すぐに猫は座りなおし、また伏せてしまった。この仕草が猫から最後要望だったこと、それにその瞬間に応えてやれなかったことだけが、後悔として未だに引っかかっている。最後の瞬間まで何もかもを飼い主が勝手に決めるんだから、その時の「撫でて欲しさ」くらい絶対的に満たされるべきだった。

その後、酸素室を明けてもらってチューブを口元に持って行きつつ撫でたりもしたし、それで尻尾はピンと張ったけど、そんなの飼い主が触りたくて触っただけだし、今こうやって失われた手触りを惜しんでボロッボロに泣いているのも飼い主の勝手なのだ

死も病も生きとし生けるもの代謝を続ける生物すべてに降りかかる災難であって、この出来事もことさら特別運命ではない。だけど、なんでついこの間までピンピンしてたのに撫でて温めても治らないのかわけわかんないし、その直前に何か特別なご褒美がないものか、よくわからんと感じてしまうのだ。ペットとして生きものを振り回している人間の罪悪感から来ているとか、そういうたいそうなもんじゃなく、あの時に応えてあげたかったと、叶わなかっただけに後悔というより残念感がドーッと心を浸したまま浮き上がることはたぶんない。

安楽死想像よりも一瞬の出来事で、ハッキリ言ってまだ生きてる状態なのではと思いつつ死体を抱えて帰宅したが、やはり運動としての反応がない以上、死んだものではあった。体温は一月の寒さ程度では全然去らず、猫を抱えているとき特有の暖かさがあった。その意味ではまだ肉体は生きていた。肉体が生きている、感触は変わらず生前のままなので、猫とはまだ別れていない、「魂はまだ離れていない」という感覚ストン理解できた。通夜をするのだと決めた。

猫を抱いた人は了解されていると思うが、猫を抱くというのは小さいものの魂を抱くということだ。あれの温かさはそういう種類のものだ。スピリチュアリズムとかではなく、あんなに小さくて柔らかくて温かい繊細な感触をするものが、電池もなしに瞬発力を持って動くことに感動する。あの感触を得るために(あと鳴き声や舐める舌を得るために)人間は猫を飼っている。

この撫で心地を一瞬でも多く体験したいと思って、コンパクト姿勢にまとめて、体から熱が去らないようにバスタオルで包みながらずっと撫でていた。

やがて家族が飯の支度が出来たと呼びに来たので、二回目の呼び立てで立ち上がって猫を置いた。いつまでも続けているわけにはいかないのは分かっている。ただ、失われるものを少しでも得たいという、やはり飼い主の勝手欲望であって、そんなものは不純な気もしたが別れの儀式なのだと思えば許されるのではという気もした。

寝る時はベッドのそばのローテーブルに安置した。なかなか寝入れないので無料ガチャを回そうとソシャゲを起動したのだが、そういえば一昨日もこれをプレイしつつ俯せになっていたら猫が胸の下に入り込もうと邪魔をするので追い払っていたなと思い出した、とその時は泣かなかったが今泣いている。そのことは特に後悔はしていない(猫は実際に邪魔な時は邪魔だ)のだが、失われた瞬間の尊さときたら途方もない。猫が生きている時は「寂しい」の気持ちは押し込められていて、ともかく理不尽な病に苦しめられている猫の「運命」が「可哀想」だという気持ちで頭がいっぱいだったのだが、死んでしまうと寂しいに浸ることが許される。寂しいは自分状態への反応なので、順番を間違えてはいけない。

翌朝、猫の体は冷えていたが、水が溜まった下腹部がぶにぶにとしているせいで毛並と相まって生前の手触りを保持していた。腹に顔を埋めると猫本来香りは一切しなかった。発症してから口臭や小便の匂いもせず、口鼻や肛門に詰め込まれている綿と、昨夜寝かせる前に口元を拭った時の消毒剤の匂いがした。

その後、猫を弔ったわけだが長くなりすぎたので割愛する。

私が猫を看取ったのはこれで六匹目になる。回数を重ねるにつれ慣れるものだと感じていたのだが、正確ではなかった。この最後の一匹になる前は多々飼いをしており、一匹が死ぬことで猫の気配がなくなるということはなかったのだ。

最後の一匹になってから四年。この一匹だけは老衰でヨボヨボになりボケてあちこちに放尿するのを世話しながら息を引き取ることになるのかなと、なんとなく考えていた。



ペットロスという単語検索してみたら気が滅入った。

例えばこの文章を書きつつ号泣するというのはよくわかる。自分体験を振り返り、気持ちを盛り上げて文章化するものからだ。

だが、なんの切っ掛けもなく涙がこぼれることがあって、その時の心境は確かに「悲しい」だから心体は一致しているものの、ささいな刺激で表出するので本当に困る。「悲しい」には悲しいし、寂しがっているのだが、そうしたいと思っていないのに気持ちが昂ぶってしまい困る。

その一方でその気持ちから断ち切られたくないと考えている自分もいる。猫の感触仕草を声を忘れたくない。何度も振り返って記憶に焼き付けたいと願っている。その中でその愛している相手がこの世のどこにも存在しないことを感じて自動的に涙が流れる

時間解決することはわかっている。涙がなくても気軽に思い出せる日はたぶん遠くない。でも今はいっぱい悲しい。悲しいので涙が流れるし鼻水は垂れるし、一昨日からずっと目蓋が腫れぼったいしおでこまわりが熱いし、今年はもう必要ないなと思っていた鼻セレブを買った。

猫のことが悲しすぎない心持ちになったら、また新しい猫を引き取ろうと思う。一匹目の生まれた時から一緒にいた猫と死別した後、猫はあの一匹だけだと思っていた自分を変えたのは昨日看取った猫だった。

猫は猫それぞれで全然違い、個性や猫格を持っている。上手く付き合える確証なんてない。でも捨てられたり放棄された猫と暮らすのはどんな相手だろうと悪くないものだし、そのことで幸せになれる猫がいるなら今までの飼い猫たちにも報いることにならないだろうかと、そうも思うのだ。それこそ飼い主の勝手解釈で猫にしてみたらどうでもいいだろうが、一匹でも多く飯で腹いっぱいな猫が増えるなら猫好きとしては嬉しい。




一匹目の猫は乳癌で死んだ。

腹が腐る匂いと一緒に眠っていた。腫瘍の膿を拭って消毒液をかけないといけないのだが、大きく身をよじって嫌がるので雑な対処しかできなかった。爪を切られるのさえ嫌がる猫だった。

最期が近くなるとトイレがうまくできなくなり、尻まわりに糞をつけていたので臭かったが、その頃になると体もうまく動かせなくなっていたので拭き取ること自体は楽だった。しかし、腰が抜けて糞尿の上でのたうつようなことが度々あり辟易した。

最後の日、私が居間インターネットをしている時に「ニャア」といつもの声で呼びかけてきたが、私は怒っていたので相手をしなかった。

学校から帰って死んだ猫を見つけた時、ついに来ものが来たということはわかっていたが、そのことが理解できなかった、というのが当時のノートを読み返してよくわかる。生きていた時なら絶対にしないことを猫にした。首を持って持ち上げた。そのまま持ち続けていたが、反応がなくて、手を離した。床に落ちた。現象として確認した。信じられないものを目の当たりにしたあの時の気持ちを私は今でも忘れていなかった。紙から取り出せる。いつでも。

風呂場に遺体を持ち込んで糞と膿を荒い流している間、全世界への呪詛を吐きながらずっと泣いていたことも覚えている。初めて触れた身近な死だった。なんて残酷なんだろうと思った。

あの頃のように大声を出して泣くことも、荒々しい気持ちになることも、もうないだろう。

供養もなにもかも、飼い主の勝手で、寄り添ってくれたあの瞬間だけが本物だった。

anond:20180210213227

それは非常に正論なのだが、その好きな人を選ぶ時点でズレてる女が多いと思う。

そういうのに見込みのない片思いをして、がんばっても相手が振り向いてくれないので非モテって思ってる女けっこういる。

たぶん、普通に気のいい身近な知人を好きになることから始めるべきなのではないかと。

バレンタインデーと言う増田風習ゅ詩風出すマウイトー電位反レバ(回文

電位反レバーをセットして

あとはタイマーを掛けたらご飯が炊けるわ!

おはようございます

今日バレンタインデーよ。

とりあえず、

なんかちょっとゴディバチックな小袋に

チョコレートを入れて渡せば完了ね。

こういう風習

チョコレート会社の商習慣にならってやらされてる感否めないんだけど

友チョコでもらったチョコ

美味しかったらちょっとやっぱりチョコッと嬉しかったりするわよね!

今年は気合い入れて、

チョコレートをわざわざ溶かして別の容器に入れて固めた感じの

手作りに挑戦しようと思ったんだけど、

やっぱり面倒くさくてやめたわ。

買ってきた温度計無駄なっちゃったわ。

昨年もそうしようかと思って買った温度計

出てきておととしも温度計買ってたのねって笑っちゃったわ。

まあ料理温度計は1つぐらいあっても便利よ。

最近流行ってるじゃない低温調理

特別調理器具がなくても温度計さえあれば

結構簡単よ。

時間はめちゃ掛かるけど、

それが欠点ね。

でもそれで出来た煮物とかしっとりして

お肉も柔らかくてなかなかうまくできるわよ!

うふふ。


今日朝ご飯

博多スパイシーキャビアをご飯にのせてゴージャスに。

軽くささっと済ませるわ。

というか、

やっぱり一腹は食べ過ぎ?

塩辛いわ。

デトックスウォーター

作ろうと思って板チョコミルクに溶かしてホッツミルクチョコ

ホッツチョコミルクかな?

どっちでもいいわ、

あら今日はウォーラー成分はないわね。


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

2018-02-13

勉強なんか出来なければよかった

義務教育ときの話だ。

小学生時代、私のクラスメイト個性的な子ばかりだった。

やたら計算が早くて算数が得意な奴、誰よりも漢字を知っている奴、国と首都を全部言える奴、作文を書くのがとてつもなく上手い奴、喋るのが得意で説得力が物凄い奴、とにかくいろんな子がいた。勉学において突出した何かを持っている子が、私の友達には多くいた。

かく言う私もどちらかといえばそちら側で、特別な何かがあったわけではないが勉強だけはできた。一応。この広いネットの海からすれば井の中の蛙しかないけれども。

結論から言うと、彼らは後にグレた。ほぼ全員がだ。

グレたといっても夜露死苦とか書いた短ランを着るようなアレではなくて、教師に反抗したり徹夜ゲームしたり、その程度。

その結果(一概に100%そのせいと言い切るのも危険だけれど)、学年でもトップクラス学力能力を誇った彼らは、高校受験の際にいわゆる地区トップ校には行けなかった。では誰がトップ校に行ったのか。

答えは「優等生」だ。

優等生トップ校に行くこと自体は何も不自然なことではない。問題なのは、幼少期から突出した能力を持っていた子達(変人とも言う)が軒並み途中でドロップアウトしていったことだ。

実はこれ、学年が上がるごとに変人の成績が下がって優等生の成績が上がっているのだ。少なくとも私の観測範囲では。

これは私の体験談だが、「終わった人から帰っていいよ」タイプ課題が出た際にとにかく早く帰りたくて全力でそれを終わらせて一番に提出した。すると教師は、早すぎる、本当にちゃんとやったのか、と怒った。ちょっと理不尽すぎて書いてて腹が立ってきた。

他にも、演習問題が終わったからと宿題範囲をやっていたら宿題は家でやるものだと怒られたりもした。一理あるが、ならば演習が終わったらただ黒板を見つめていろとでも言うのだろうか。

……私が怒られすぎなだけな気もしてきたがまあいい、続ける。

こんな感じで、特に小学生時代は「周りと足並みを揃えること」を強要された訳だ。

の子と違うことをしてはいけない。他の子と同じことをしなければならない。他の子より早く終わってはいけない。他の子より上手く出来てはいけない。最早これは呪詛だ。今でも私から離れない強迫観念

特に私が小学生の時はまだゆとり教育時代だったから、競うことは良しとされていなかった。みんな同じが平和だとされていた。みんな同じでなければ平和でない、と言い換えてもいい。

そういった価値観だったから、出る杭は打たれた。突出した能力がある子達は皆そうだった。彼らは頭がよく切れたが、それも教師の癇に障ったのかもしれない。出る杭たちは打たれて打たれて、その多くは折られてしまった。周りに好かれることが得意な優等生たちは折られずに済んだ。その結果が前述した「変人ドロップアウト優等生トップ校に行った」ということだ。

私自身も当時は出る杭だった。例に漏れドロップアウトした。教師同級生から同調圧力に耐えられなかった。今でも出る杭になるのが怖くて何も出来ずにいる。

あのまま伸びていたらとんでもなく凄い奴になっていただろうなという子もいた。本当に勿体無い。

どうして出る杭がここまで執拗に打たれなければいけないのか。生徒の能力を平らにならそうとして、折角の能力を削ぎ落としてしまってはいいか。心を折ってしまってはいいか先生に好かれ、周りの生徒に好かれることがいい生徒の唯一絶対の条件になってはいいか。多少模範から外れていても、秀でた能力をせめて認めてあげることはできないのか。

折れた心は元には戻らない。騙し騙しやってはきたが、義務教育を終えた頃から小学校後遺症が目立つようになった。何がやばいかって受験がとてつもなく苦しい。出る杭は打たれる、終いには折られると刷り込まれた頭でどうやって受験しろと?

勉強なんか出来なければよかった。

できなかったら、きっともっと生きやすかった。

カッとなって勢いで書いた。支離滅裂申し訳ない。

治安維持法日本人権抑圧

1925年治安維持法以降に日本では人権が抑圧されてたという意見を見たが

同様の法律運用されていたアメリカ他の国々でも人権が抑圧されてたって話になるんだが

そういう解釈大丈夫なんだろうか

あと、日本けが世界でも特別ヤバイ状態になったのは、1941年あたりからってのが妥当だと思うんだよね

お母さんだから、お父さんだから

父と母は、こんな特別可愛くもなく、優秀でもない、自分のために何を失ってきたんだろう。

申し訳ない。

推し有安杏果さんがいなくなったももクロライブを終えて

2/11ももクロレイベのライブビューイングに行ってきた。

現地のチケットはもともと行けるかが曖昧で取っていなかったので、

初の4人体制でのライブ映画館で観ることとなった。(2/10仕事で不参加。)


私はZになる少し前からももクロが好きで、ずっと有安杏果さんを推していた。


卒業発表と卒業ライブについての言及割愛


まぁとにかくこれを書いている時点で卒業発表からまだ1ヶ月が経っていなく、

何もかもがすごいスピードで決まり、終わり、過去のことになっていくのに今もついていけずにいる。


4人の新ももクロ映像画像を見ても、

有安さんは何度か喉の不調やインフルエンザステージを欠席することがあったので、

今回のお休みは長いなと思うことで現実から目を背けていた。


でも無理に受け入れる必要はない。時間解決してくれる。

4人のこともずっと大好きだったし、今はまず満員の東京ドームを見せてあげたい。

推しが誰になるかは分からないけど、私はずっとモノノフでいるのだろう。

そう呑気に思っていた。バレイベに行くまでは。


ライブ冒頭メンバー自己紹介が終わった直後私は泣き崩れた。


有安さんの自己紹介が無いことの喪失感は思った以上だった。

1/21の幕張で、これが最後自己紹介だぞと喉を潰す覚悟でありやーす!と叫んだのに、

最後とはどういうことなのか本当には分かっていなかった。

本当にもう二度と有安さんに向かってありやーす!と叫ぶことはできないんだ。

その絶望感がここで初めてリアルになった。


ライブビューイング最後まで観ることができなかった。

時々涙を流しながらも、だてありではあーりんMIXを打ったし、

白いペンライトを振りながらコールもたくさんした。

でも有安さんのフェイクがない怪盗、からの走れで、もうどうにも涙が止まらなく、

初めてももクロライブ最後のZポーズをすることなく会場を後にしてしまった。


私は走れの「待っていても始まんない」からパート(Cメロ?)を5人で順々歌っていくのが好きで

その日有安さんのパートが他のメンバーに替わっていった悲しさがそこで爆発した。


スクリーンを出て、劇場が入っているショッピングモールのベンチで息を整えながら思った。


 ライブ中、することななっちゃったな。と


私は多くのモノノフと同様、推し以外のメンバーへのコールサボることはしていなかった。

の子ソロパートにもその瞬間はその子だけを見てペンライトを振り名前を叫んでいた。

それでも有安さんに対するそれは毎回熱量が違った。

意識してそうしているのではなく自然とそうなる、だから杏果推し自称していた。

(当たり前にみんなそうだと思うけど敢えて文字したことがなかったので特別なことのように書いてしまった)


それがライブ中の自分の中の緩急であったと思う。その「急」の行き場がなくなってしまった。

どこに力をぶつければいいのか分からない。1曲1曲がふわっと終わっていく。

いつからか備わった「この曲の有安さんの良かったところ」をピックアップするオート機能エラーを起こしている。

有安さんの名前を叫ぶ、有安さんの表情や歌い方を噛みしめつつ記憶に残す、

そういったことを息をするようにしていたので、

それができないと曲中何をしていいかからない。

今まで4人のソロパートも楽しかったじゃない?コールしてたじゃない?

もしかしてもう少しで有安さんのソロパートが来るからという期待がそうさせていたのかもしれない。

考えたこともなかったけど。


そして私はいわゆるフリコピ勢で、バラード以外は大抵踊るし、

周りに迷惑にならなさそうな時はサビ以外や間奏も踊っていた。

それはすべて有安さんのフリだった。

有安さんが腕を上げるタイミングで私も腕を上げていた。

いつも有安さんと同じ動きをしていた。


ライブ中、メンバーが動いていないタイミングペンライトを掲げてしまった。

メンバーが順番に動くところで直立不動になってしまった。

どう動けばいいのかまったく分からない。

現場を重ねて慣れていけばいい、と考えるべきなのかもしれないが、

正直、まったく、楽しくなかった。

目で追いたい子がいない。動きを合わせたい子がいない。

ファンクラブサイトトップページのように私は自然箱推しになったのだと思っていた。

それは違った。

何年も命を削って応援してきた子が辞めてじゃあ今日から箱推しですとなれる切り替えの良さは私にはなかった。


4人のことも好きなんじゃなかったの?

何度も自分に訊いた。

れにちゃんは相変わらず聖母のような笑顔だった。レス範疇を超えたレスに感心した。

夏菜子ちゃんは髪型大人っぽいのにつるつるのおでこがあまりに可愛くて笑ってしまった。

しおりちゃんの自然な演技がとっても素敵で大好き。ドロシー、応援してる。

怪盗の「ささき あやか」の時の少し照れくさそうなあーりん笑顔、守りたいって思った。


でも、ライブ中、楽しくないって思ってしまった。

何してたらいいのかなぁって地蔵になってしまった。


強気でありつつも、「4人のももクロも少しずつ慣れてね」と優しく提示してくれたいいイベントだったと思う。

それを受け入れられない私に問題がある。


誰もがすぐ新体制ライブを受け入れられる訳じゃないよ!という意見は当然あると思う。

でも新体制に慣れるまで、箱推しもしくは誰か推しの振る舞いが身につくまで、

何度もこの辛さや虚無感を味わう余裕はない。


月並みな言い方だが日々の辛いことを忘れられるのがももクロという存在であり、

有安杏果さんを応援するということだった。

現場でまで辛い思いをする余裕はもう本当にない。

タイミングが悪く今現在私生活がかなり辛い。有安さんのことを考えるともっと辛い。現場に行っても辛い。

そしたらもう、ももクロを、離れたくなっちゃったんだよ……


じゃあ明日から他界します!と宣言する勇気もないが今は楽しみだった東京ドームに申し込もうという気もなくなってしまった。

有安さんを責めたいというような気持ちはない。

大好きだったオレンジノートのフリが変わってしまたことも強く否定しない。めちゃくちゃ悲しいけど。


しか向いてないももクロを、後ろ向きな気持ちのまま応援するのは失礼なので、ももクロから離れたいと思う。

これはキレイごとバージョンで、雑に言うと自分が辛いのは嫌なので、ももクロから離れます


もし時間解決してくれたら、また、ドームで。


こんなブログなんて書いたことがないので特にまとめずに書き始めた私情たっぷりの「日記」の名にふさわしい独り言だけど

読んで嫌な気分になったモノノフさんがいたらごめんなさい。

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