はてなキーワード: オタク文化とは
無印ガンダムについてのご意見ありがとうございます。無印ガンダムは、1979年から1980年にかけて放送されたアニメ作品で、機動戦士ガンダムとも呼ばれています。無印ガンダムは、その後のガンダムシリーズの基礎を築いた作品として高く評価されています。無印ガンダムが特別視される理由は、その先駆的な要素や独自の魅力によるものです。
ただし、個々の作品にはそれぞれの良さや特徴があります。他のガンダム作品と比較することなく、無印ガンダムを100点満点で評価し、他の作品を50点未満で評価することは適切ではありません。それぞれの作品は独立して完成されたものであり、個々の魅力やメッセージがあります。
また、無印ガンダムを特別視することによって他の作品を軽視することはありません。多くのファンが無印ガンダムを愛している一方で、他の作品も同様に愛されています。異なる作品に対する尊重と理解を持つことが、より豊かなガンダム体験を得るために重要です。
おっしゃる通り、一部の熱狂的なファンが特定の作品を神聖視することはありますが、それは個人の主観的な意見であり、全てのファンが同じように感じるわけではありません。異なる意見や好みがあることは自然なことであり、多様性を尊重することが大切です。
最後に、オタク文化やアニメに対する偏見や先入観を持つことは避けましょう。多くの人々にとってアニメやガンダムは楽しみや感動を与えるものであり、個々の好みや興味によって異なる評価が生まれるものです。
ジャニーズの性問題は国民レベルで認知されていたにも関わらず、弱者男性は上から目線でジャニオタを叩いているからです。
またAKB性被害問題も浮上し始めましたが、そちらには何の興味も示しておりません。
ジャニオタを責めるならAKB問題へも激しく責任追及するのが筋です。
こういった点から弱者男性は常にダブルスタンダードな立場で相手を侮辱する姑息なクズと言えます。
アイドル問題だけではなく、電車やアニメ、ゲームなどの趣味には多くの弱者男性と思われる方が関わっています。
弱者男性は金銭や容姿へのコンプレックスから他者とコミニケーションを必要としないオタク文化をフューチャーします。
特に「訴えられても自己責任の覚悟でやってください」とか知恵袋で言っちゃうようなやつが。
たとえば小学生と性交するのは同意があろうが違法だが親告罪なので、被害届がなけてば有罪になることはない。
では同じ論理で「自己責任でやってください」と言うやつがいるだろうか?倫理的にあり得ないと考えるのが大半だろう。「やってください」ということ自体が非常識な発言とされてるはずだ。「やるなよ。」
やってくださいと言うのは、見つからなければ=自分が実害を被らなければ犯罪してもいいという倫理観と一緒だ。
そうであるはずなのに、どうしてか同人界隈ではこのような論理が通用していないのが異常なんだよね。
ガイドラインを出せば大半の二次創作者がそれに従うのだから、そうすればいいだけで、ガイドライン出さないやつが悪い?
いやなんで権利者がそれ以外の「ガイドラインを出すべき」という考え方に合わせなきゃならないの?
どう考えても二次創作者が「ガイドラインを出してないが勝手に創作されるのは嫌な人もいるかもしれないから、自重すべき」だろ?
二次創作されたら多くは黙認で宣伝にもなって喜ぶ人もいるから?
それって小学生と性交しても喜ぶ子がいるかもしれないからやって良いって論理と大差ないよね?
喜ばない人がいるからやっちゃいけないし法で規制されてるんだよ。
そもそも二次創作されるようなコンテンツを作ってるからといって、自分の事業内容が二次創作され得るコンテンツか自覚してない事業体もあるかもしれない。オタク界隈としての二次創作文化自体そもそも知らないこともあるかも知れない。
そうなれば当然ガイドラインを出してないこともあり得るだろう。しかしいざ二次創作をされてたと後で何かの拡散などで知ったら不都合な事実として認識するかもしれない。
もちろんそういうコンテンツを出してるのなら、オタク文化の二次創作の対象になり得ることはもはや自衛として知ってるべきだろうが、それとはれとは話が別だ。むしろ子供を強姦するように節操ないオタクたちのせいで、そういう法律があるにも関わらず自衛をしなければならないと権利者に余計な負担をかけさせてる状態が既におかしいのだから。
「自己責任で犯罪しろ」なんて言わないだろ?なんで二次創作の話のときは「自己責任でやればok」なんて言い出すの??
儲けなきゃいいとか言ってる奴は特に論外だから著作人格権がなぜ規定されてるかの意義から考え直して?
dorawiiより
なぜ規制派オタクは同じオタクを見下すのか。その「異常」な同族嫌悪の理由をわかりやすく説明するよ。
https://somethingorange.jp/entry/otakusabetu
若いオタク達と触れる機会もある人間として、この記事には一部同意する所と、微妙に意見が違う部分が有る。
意見が違う部分はブコメでコメントされてもいる「今の(若い)「オタク」と従来の「オタク」は違う層であり、混同するとズレが生じる」という所。
私もこのブコメに同意で、そもそも今の「オタク」とオタクを見下し批判している高齢オタクは全然層が違う。だから本当はこれは「同族嫌悪」ではない、そもそも同族ではないから。
そしてその部分こそ今の高齢オタクの醜い部分が凝縮した側面だと私は思っている。
私も一部のオタクに対する批判には頷く部分もある、確かに一部のオタクの言動はミソジニーやその他問題に溢れる事が有るからだ。
しかし大半のオタク批判は批判する範囲を間違えている。多くの場合(全て、完全に、ではないが)そうした問題を抱えるのは高齢オタクであり、批判を「オタク」全体に向けた瞬間関係のない多くの若いオタクを巻き込んでしまうからだ。
例えば、昔の2chでは女叩きが横行していた、という話がある。それは事実だ。この目で見てきた。しかし当然ながらその頃生きていなかった若いオタクには関係の無い話だ。
これは先程の層の違いでも同じ事が言える。そもそも今のオタクは「根暗」「陰キャ」といった古いオタクの層とは異なる、昔なら「リア充」と呼ばれていたような陽キャの層も含んでいる。
例えば昔のオタクが非モテ故にミソジニーをこじらせていたとしても、そもそもリア充も含む現在のオタクでは同じ現象は起こらない。
要するに、同じ「オタク」という言葉で呼んでも今と昔では全然層が違うのだ、いっそ、非常に強引だが「非リア充(昔のオタク)」と「リア充(今のオタク)」と分けて読んで考えた方が、「オタク」と同じ名前で呼ぶことで生じる錯覚を減らす事が出来るかも知れない。
勿論リア充ならミソジニーを抱えない訳ではないが、少なくとも非リア充の場合とは発生する経緯も種類も割合も全然違う。
勿論単純な年代の問題もある、今の高齢者は今の若い人たちと比べて、差別的な価値観を抱えている割合が単純に多い、これはオタク内でも同様だ。
現在の若い人達は価値観は概ねリベラルで、差別に関しても昔より差別を忌避する感覚が強い、勿論個人差は大きくあるが、全体的な傾向はそうなっていて、若いオタクも同様になっている、というのが彼らと触れる機会のある私の肌感覚。
従って、少なくとも割合で考えれば、ミソジニーや問題を抱え、女叩き等の現実の実績も有るのは、若いオタクよりも圧倒的に高齢オタクだ。
つまり前述の通り、高齢オタクによるオタク叩き・オタク差別は、同族嫌悪や自己批判といった「高邁」なものですらない。
高齢オタクが自分達の罪を若いオタクという関係の無い層を巻き込む形で擦り付け、最後に「自分は違う」と逃げる、極めて醜悪な責任転嫁でしかない。
かつての「オタク」が抱えたミソジニーや、それによって生じた様々な問題は、飽くまでそれを実際に行っていた高齢オタクの中の問題だ、若いオタクは関係ない、高齢オタクの中で解決するべきだ、関係無い層を巻き込むな。
しかも、そうした理不尽な巻き込みは、ミソジニーを抱えていない若いオタクにフェミニズムへの嫌悪感や反感を抱かせる契機にも成り得る、百害あって一利無い。
更にまた、今の若いオタクはライトなオタクが多く、現行の萌え(も既に死語になりつつあるが・・・・)が標準化した文化に慣れ親しんだ人が多い。
一方で古いオタク、特にオタク批判(の名を借りた醜悪な責任転嫁)を進んでするようなオタクの中には所謂「硬派なオタク」が多い、中には萌えにも拒否感を示す人もいる層だ。
ここで興味深いのは、一般的にオタク批判はオタク文化のなかでも萌え文化を指して糾弾する物が多いが、その実、上記の通り「硬派なオタク」の方が高齢オタクの率が高く、従って、ミソジニーや差別的な価値観を抱えた層も、割合としては多い可能性がある事だ。
当然ながら、「硬派」である事と「ミソジニーでない」ことはイコールではないし、阻害要因となる訳でも無い。従って、硬派から萌えへなされるオタク批判は、むしろミソジニー等を多く抱える層から別の層へ向けられている、という実態がある可能性がある。
実際の所はデータでも無い限りなんとも言えないが、年齢層だけ考えればそうなる蓋然性が高いとは言えそうだ。
ただの醜悪な責任転嫁でしかない事を明らかにしたので、既に明らかだが、どれだけオタク批判した所であなたのミソジニーや差別意識が洗い流される訳ではない。
オタク批判をし、体面上はフェミニズムの見方であるようなポーズをとっておきながら、なおも内面にミソジニーを抱えた人は幾らでも居る、何人も見てきた。
そうした人達は、主にオタク批判の中で尻尾を出す、例えば女性のオタクや創作者や、リベラルフェミニストと対立した際に、その言葉遣いや態度、スタンスに隠していた筈のミソジニーが溢れ出す、何度も見てきた。
また、オタク批判そのものが旧態依然とした、昭和的なマッチョイズムまみれという場合も有る、むしろ多い。結局の所、彼らのオタク批判は皮肉にも昭和的マッチョイズムと有害な男性性に支えられ、構成されている。
オタク批判をするからミソジニーが無いのではない、差別者でないのではない、あなたがオタク批判をするとしても、依然あなたにはミソジニーがあり、マッチョイズムがあり、有害な男性性があり、差別者である。
現在の若いオタクはリア充も非リア充も含み、陰キャも陽キャも含む、かつての様な偏りを含まない為、ミソジニーへと直接繋がるような契機を持たない。
唯一有り得るのは、古い高齢オタクの責任転嫁をまに受け、そこに有った問題や対立を継承してしまう事だ。
それが好ましい人間も、そうなって欲しい人間も居るだろう、あなたはどうか?この醜悪な伝統がこれからのオタクにも引き継がれて欲しいと思うか?
高齢オタクに必要なのは、「オタク」というもう既に層が変わって別物になってしまった層に、昔のオタクの罪を擦り付けることではない、高齢オタク内の問題を高齢オタク内で完結させ、自分達の中だけで解決する事だ。
無関係な他者を巻き込むな。批判するならまず自己を批判しろ、自己に見せかけた(名前が同じだけで他人である)「オタク」ではなく、自分自身がちゃんと射程に入り、関係ない人を巻き込まない批判をしろ。(差し当たって、「高齢オタク」がとりあえずオススメだが、勿論そこでも巻き込まれる人が出る事は注意)
いい加減、この醜い対立から無関係な若いオタク達を解放しよう。
高齢オタクや氷河期オタクの全員が女叩きやミソジニーに染まっている訳ではないのなら、若者オタクだってそうだしオタク全体だってそう、何なら「表自戦士」だってそうだよ。
高齢オタクや氷河期オタクは同世代のオタクが女叩きやってた時に何してたの?止められなかった感想はどう?そんな奴知らない、他人だ、連帯責任なんかないと言うなら、若いオタクもオタク全体も表自戦士もそうでしょ。
これらは全てある程度無辜の人を巻き込む藁人形であり、「藁人形論法が迷惑だと主張するために、新たな藁人形を人身御供にしている」という指摘は正論だし正しいと思うけど、
私はこの人達が藁人形を手放す事は絶対にあり得ないと思ってる。だからせめてなるべく巻き込みの少ない藁人形を渡すべきだろうと。
本当は藁人形を一切使わせないのが理想なのは正しい、でも出来る?不可能でしょ、オナニーにハマった猿にオナニーを止めさせるのと同じ位無理だよ。
あなたたち自身出来ると思わないでしょ?藁人形を手放せる?無理でしょ。
私の主張はシンプル。
・従って次善の策として、藁人形はできるだけ小さく、巻き込みが少ない方がいい
・そのため、新たな藁人形は「高齢オタク」が推奨(「オタク」よりはかなりマシ)
・別に「表自戦士」でも構わない(確かにそっちの方が更に巻き込みが少ないかも)ただし、それも藁人形であることには変わりない(例えば、エロや萌え表現だけじゃなく、表現の不自由展や教科書等の表現の自由にも関心を持つ表示戦士は居るし、ミソジニーを抱えない人も居るだろうしね)
今時オタクは貧乏人の道楽だと揶揄するバカが一部いるが、彼らも低水準社会の犠牲者のレイシスト予備軍。
僕の主観が入るが、オタクになる人は一定確率で「貧乏人を人と思うな」のマインドをわきまえている。
庶民いじめが好きなお気持ち勝ち組な者ほど「変わり者にやさしい社会」を是認するので、オタクになりたがる。
類は友を呼ぶでオタクとは本質的にそういう集団なのだから、オタク嫌いを静かにさせたければ「弱者蔑視容認な低水準思想を改めること」が最善策になる。
尤も、そうすれば益々、オタクの人は減って衰退するだろう。「貧乏人いじめ好きが差別大嫌い」という発想自体が矛盾しているのだから、本来そんな集団は存在しえないのが正しいのである。
こんな人間を遠ざけたいなら、やるべきことは決まっている。
XというSNSの特性をわきまえないツイートで炎上した松川るい議員のような空気を読まない行動をさせないなどの本人の居場所を奪うようなオウンゴール行為をさせないことは言わずもがなだが、より根本的なのは社会コモンの文化の整備だ。要するに大衆文化の復活である。
だが殆どの人がこの事実に気付いていないので、アクションは遅れ、近い将来「人をいじめてみたかったから」とオタクになる者が出てくる可能性がある。
因みに、日本のオタク文化のうちアニメや漫画やゲームや鉄道文化(撮り鉄含む)系はルーツは左派文化で、具体的には学生運動の当事者やそれにあこがれていた人的な人々が初期にその文化を作ってノンポリな多くの学生などの若者がそれを大衆化させた経緯があるらしい。渋谷系文化や秋葉原文化など、貴族気質が絡む社会との軋轢は日本のみならず世界中で枚挙に暇がない。
現代的な意味で賢い親は、元より「属性変更不可能なそれに絡む差別に対する批判的思考力や問題解決力が高いので結果的にオタクにならない子育てになる」が、まかり間違って子供がオタクになりたいと言っても、説得して遠ざけるか、最低でも弱者の誰かを見下す可能性の低いそれこそガジェットオタク等にさせたがる。
これに文化の盗用とかブラックフェイスと言ってしまってるのが古いオタクの老害仕草そのものなんだと思う。
今の若い子はオタク差別をしないと言ってる上の世代のオタクに知ってほしいのは、こうやってオタクカルチャーをかわいいものや流行ってるもの、かっこいいものとして、広くバズるように加工した形で発信する若い世代のおかげだということ。
それに対して文化の盗用と言い放つ際に抱えているだろう、自分達を指して「オタクかくあるべし」若者に向かって「こいつらは陽キャであってオタクではない」という老害思考は確実に分断を育む行為。
若者を参照してオタクの地位は向上したと叫びたいのならば、オタク文化を恥ずかしいものと思われないように、見た目に気を使って、気持ち悪いと言われない形に整形して発信する若者を敵視するつまらない視点を捨てろ。