はてなキーワード: 毎日とは
女と同棲して毎日ではないにしろセックスして相手のリズムに合わせて過ごせば自然と夜は寝るわけで、ショートスリーパーなんてものになるわけがないのよ
俺は結婚相談所やアプリで20人ぐらいとは会ってきたが、ダントツで今の彼女が素敵で好きだ。
こんなに好きな人と一緒になれるだなって思う。体の相性もいいみたいだ。
俺から好き、大好きはよく言う。
逆に彼女はあまり言わない。元々あんまり言わないタイプというのは言っている。
あと、自分に自信がないらしく「ホント?って思ってるとこある」というのは何度か聞いた。
でも、重くなりすぎないように、メンヘラとならないように、気をつけている。それぐらい好きだ。
というか、相手によってはすでに振られていてもおかしくないぐらいには重さを出している部分もあると思っている。
彼女はそんなこと感じてないって言うが。
まあ、とにかく大好きだ。
ただ「愛してる」って言うにはハードルがある。
自分が言うのは全く問題ないのだが、相手側がどう?と思うところはある。
突然だが、俺は8年ぐらい推してるアイドルがいたんだ。途中で卒業したから元アイドルではあるが。
毎日、推しのことを考え、待受を推しのスライドショーにし、家にはポスターを貼ってポストカードを飾った。
いわゆるガチ恋勢だ。
そして、今の大体のアイドルというのはあまり隠し事ができない。少なくとも性格面ではそうだ。
外連味も含めて、その人の魅力だった。
というか、神推しが好きな人になって、その他がちょっと好きぐらいになる。
彼女は「アイドルとはまた違うんじゃない?」「8年続くかはわからない。不安はある」って言う。
でも俺は同じだと思うんだよな。
むしろ、彼女のほうが好きで。待ち受けを彼女にすると、会いたくなりすぎてしんどいから避けてるまである。
でもなあ、愛してるっていうのは言ったほうがいいのかなあ。重すぎないかなあとかは思う。
口頭なら喜んでくれそうな気もするが、LINEだとどうなのかな。
口頭で試してからかな。
とりあえず日曜には会えるから言ってみようかな。
ほぼ毎日使うサービスなのに、考えてみたら数年単位で同じ使い方しかしていない。みんなどう使ってる?
こうすれば新しい音楽と出会えるよとか、おすすめの使い方があれば教えてほしい。
以下は自分の主な使い方で契約プランは月額980円のプレミアムスタンダード。
基本的な利用目的。これはSpotifyじゃなくても大手サービスなら作品数に大差ないのかな。他社のものを試したことがないから分からない。
音質については自分の環境と耳では256kbps以上の違いが感じられないので割愛。
ちなみにいま試しにスマホから有料契約していないAmazon Musicでトップ画面のプレイリストをシャッフル再生したらエンドレスで広告しか流れなかった。何だこれ?
ちょっと気になった曲があれば気軽に突っ込む。
自分は比較的曲数を聴く方だと思うので、ちょっと興味に引っかかったら流れないようとりあえずお気に入りに入れる。
あとでプレイリストに整理することもあるけど、基本的に入れっぱなしな事が多い。登録した日付順でソートする機能が欲しい。
週に一度、自分の聴取行動に基づく30曲のパーソナライズプレイリストが作成されるのだけど、これが年に数発、抜群にぶっ刺さるホームランを放ってくる。
精度はそれほど高いわけではないが、自分一人のディグでは到底辿り着けなかったであろう一曲に出会えた時の喜びはちょっと代えがたい。
アルゴリズムの先には確実にどこかの国の耳の肥えた貪欲なリスナーがいて、そいつらのとっておきを聴かせてもらえる感動。
同じようなディグ目的としてソングラジオもあるけど、これはDiscover Weeklyほど複雑かつ雑多なセレクションではなく、既にお気に入りに入れた曲も散りばめられていたりして打率は下がる印象。
Spotify公式のエディターが運営するプレイリストの持つ影響力については知ってはいるものの、そこまで刺さるリストに出会えていないのであまり聴いていない。
でも個人的にチェックしているプレイリストはあるし、自分自身もフォロワーがついて更新を続けているプレイリストが数個ある。
フォローといってもインタラクティブなコミュニケーションは無いけど、自分のセレクションを楽しんでくれる人がいることは嬉しいしDJ的な楽しみ方ができる。
あとは純粋に実用的な非公開プレイリスト、料理の時のやつとか深夜に運転する用とか。
子供の頃、両親が不仲だった。
毎日の言い争い、俺への八つ当たり(罵声、皮肉etc.)が日常だった。
それが苦しくてね。
最初は理不尽なことには言い返したりしていたが、怒りに怒りで返せばヒートアップするだけ。
そのうち感情を無にして、その場に存在しない空気になることで日々をやり過ごすようになった。
早く大人になって、誰にも八つ当たりされない安全な生活をするのが夢だった。
社会に出て一人暮らしをしてみると、初めて安息を得た気がした。
いきなり怒鳴られることがないって素晴らしい。
ホームシック?なにそれおいしいの?
周囲の友人から寂しくないの?彼女作らないの?と頻繁に言われた。
俺は子供の頃に家の中で空気になることに徹した結果、寂しいという感情が無くなっていた。
が、知り合いの伝手で彼女ができた。
彼女は一人暮らしで、よく寂しいと言っていたが、その気持ちは正直よくわからなかった。
それでも何とか合わせていたが、自分の家族の幸せな話をする彼女と一緒にいることに段々違和感というか罪悪感のようなものを覚えて結局別れた。
また一人に戻ったが、やはり一人の空間は安心で、それ以上を積極的に求める気にならなかった。
時が経ち、心身の異常でサラリーマン生活からドロップアウトしてしまった。
彼女の家は裕福で、義両親は心にも余裕がある良い人たちだった。
何度も食事に誘われ、色々な話を交わすうち、ああこれが家庭なのかな?と微かな嬉しさを感じた。
周囲に子育ての話が多くなった。
一人のときは赤ん坊を見ても何も感じなかったが、とてもかわいいと思えるようになった。
街を歩けば小さい子が目につく。自然と笑みが溢れる。
そして、寂しいという感情が復活した。
同時に色々なことが苦しくなった。
昔は罵声を浴びない一人暮らしができただけで幸せを感じたが、今はそのような環境など当たり前になってなにも感じない。
それより子供のいない寂しさ、サラリーマン生活からドロップアウトしてしまった虚しさ、過去に付き合った人やそのような関係になる直前だった人たちの気持ちを汲んであげられなかったことへの申し訳なさ、若い頃にもっとこうすればよかった、ああすればよかった、と一挙に後悔が湧き出てきた。
昔は一人暮らしできただけで心底満足だったんだけどな。
新卒で挫折して休職中、全部自分のせいにしたら頭がおかしくなりそうだったから、毎日8時間他責をしていた。
小さい頃に虐待を受けて、義務教育も不登校で、なんとか資格をとって社会に出ても、求められる仕事はできなかった。
人一倍早く出勤した、残業した、家でも勉強をした、でもその場でパニックになり水の泡。
最初は親切にしてくれていた同僚からも、あの人は障害者じゃないかと噂をされた。
噂が広まってからは問題なく出来ていた業務も疑いの目で見られ始め、見張られていると感じて緊張でさらにミスが増えた。
こんな育ちで障害かもしれない自分が何を言っても信用がないだろうと自分が一番分かっていたので、何も言えずただ謝り、次からはこうこうして気をつけます…!と反省までした。
大人なのに、ありがとうとごめんなさいくらいしか出来る事がない。
努力しても要領の悪さと一度抱かれた不信感は埋められず、周りに迷惑をかけてしまった。
一年半で辞めた。
障害の事を調べる内に、自分を虐待して出て行った母親も発達障害だったんじゃないかと疑った。(あらゆる特徴が一致していた為)
その時に、堰き止めていた思いが一気に崩れた。
母親自身も両親に虐待を受けていたから、繰り返してしまっても仕方ない。
人より出来る事が少ないのも全部自分のせいだ。
親の事は関係ない、自分がとにかく頑張れば、普通の人生になるはずだーーーと思って
信じて生きてきたのに。
今まで困ってきた事は全部親のせいだったのか。
生まれた時から頭が変だったんだ、だから頑張っても上手くいかなかったんだ…今からどうやっても、障害だったら治らないじゃん…
絶望。
産むな!!!!
学もない貧乏が、被虐待児が、障害者が、責任とれない奴が、産むなよ。
中出しセックスして、結婚出産を自分が何者かになるための道具にして。
子どもに障害なすりつけて、虐待連鎖で自己肯定感までめちゃくちゃにして。
まともに1人育てられないのに兄弟がいないと将来可哀想〜!って偽善で兄弟ポンポン産んで結局逃げて。
自分の人生を彩るために産んだり、病気や障害の可能性を深く考えずに産む人間が全員、気持ち悪くなった。
だんだん自分の事を飛び越えて、虐待やヤングケアラーの問題、遺伝する病気や障害、兄弟児の苦悩、いじめ、貧困、戦争、性犯罪がある世界に産む人間達、ニュースやSNSで話題を見るたびに心がぐちゃぐちゃに掻き乱されて全て許せなくなった。
どんどん自他の境界がなくなって、もう人間自体が居なきゃいいとすら思った。もっと少子化になって滅亡したらいい。優生保護法が続いていれば自分は生まれずに済んだのかもしれない。安楽死の制度が出来て辛い人がどんどんいなくなったらいい。
死のうとしても直前で怖くて死ねなくて、失敗して余計に苦しむのも怖かった。
こっちは産んでくれと頼んでない、親が勝手に産んだのに、自分で本能的な死の恐怖に打ち勝たないと死ねない。
産みたい人が産む自由は尊重され賞賛され、自殺は非難される、楽に死ぬ手段もない。
怒りの行き場がなくSNSで毒親を叩き、レスバに時間をついやした、同じ思想の人からいいねをされて一瞬スッキリした。
自分の主張は正しいと思って、スッキリしたはずなのに、それを繰り返すたびにさらに自分の存在が気持ち悪くなって自分以外も全員気持ち悪くなって、苦しくて苦しくてたまらなかった。
それでも街中で知らない人とちょっと話したりお礼を言い合ったり、そんな事が不思議とうれしかった。
バイトして仕事覚えようと悩んでいる方がまだましだし、たまに感謝されたら普通にうれしかった。
(まぁスキルなしの障害者でも出来る仕事ってなったら毎日ゲロとかマナーおかしい人糞掃除するしかなくて、よく変な人にも話しかけられてキツくてやめてしまったけど。そんな仕事に同性の若者1人もいないし、たしかにもし健常者だったらこの仕事しないわ!ガハハ!ってまた落ち込んだ)
脱線したけど、結局あんなに社会が許せなかったのに実際に顔が見える人と会った時には、今生きてるみんなが幸せだったらいいなと思ってしまった。
親子を見ても文句を言いたくはならず、障害者やホームレスの様な社会貢献度が低そうな人を見ても、この人も死にたいだろうなーと勝手に決めつけたり、その人を産んだ人を責め立てようとは思えなかった、もし目の前で死のうとしてる人がいたら普通に心配になるとも思う。
結局は他人が許せないんじゃなくて、自分が自分の存在を許せなくて苦しかった。
人に傷つけられても、相手がそうした背景を思うと文句を言えない、その人なりにそうした理由があったと思うと責められない。
だからしばらくして親に会った時も、何も怒れなかったよ。
絶対許さないし、心を傷つけてやる!と思っていたのに、泣いて謝られてたら不思議と笑って許してしまった。
母親が受けた虐待を話されても、ただひたすら酷いね、辛かったねと聴いていた。
こっちの方が泣きたかったけど。
でも自分自身の存在を許したいから、形だけでも親を許す事にした。許さずに傷付ける事を言っても、またスッキリするのは一瞬だろう。
自分が追い詰められて苦しかったのに人を追い詰めるなんて、もっと自分が嫌いになりそうだった。
思えば親にも社会にも認められなかったけど、優しい人だとか真面目だとか褒められた事だけはあった。それがあったからこそ、人に優しく真面目に頑張れば大丈夫!と根拠のない希望を持てていたんだと思う。
自分の中で唯一認められた長所を捨ててまで親や他人を責めても、考え方を変えさせるなんて出来やしない。誰に理解されたって苦しさは消えないし、自分が生まれなかった世界線になんて行けない。
どうせ死ぬ勇気もないなら、せめて人に好かれる行動だけとってた方がお得だと決めた。
たとえ社会に不必要でも、そのマイナスを優しいとか良い人だとかで0.1でも誤魔化せるならそうするしかない。捻くれ障害者なのに最低限のマナーや愛嬌まで捨てたら最悪のまま終わりだ。
自分の為に生きれなくても、現実にいる目の前の人に喜ばれる事があるならやっていこう。
弱者の立場や優しさを都合良く搾取されるかもしれないけど、単に褒められたら気持ちがいいから、人生気持ち悪くならないで済むわ。
シンプルに目の前の人にありがたがられたいよねー!生きる意味あるじゃんって一瞬錯覚できるから!偽善最高ー!
※他責を辞めようという内容では無いです。
自分も苦しかった時はそうしないと生きれなかった。今も気にしない様にした気でいても、具合が悪い時は心の中で他責に逆戻りしているから。人はそう簡単に変わらない。
※産み育てる事に様々な懸念や責任が伴うという意見を訴える事は意味ある事なので、正しく反出生を訴えている方の非難ではありません。
少子化がいよいよ止めようのないところまできた時、政府が打ち出したのは前例のない直接的な政策だった。
成人男性に、毎朝ホルモン分泌を促進する注射を打つことを義務付けたのだ。
この注射の作用はバイアグラのようなものと言われており、男性がより“元気”になるという趣旨だが、実際には他にも作用があった。
職場でもそれは顕著で、男性社員たちは何やら朝から神経質に席を立ったり、妙に落ち着きのない様子を見せることが増えた。
今朝も新卒らしき若い男性が、明らかに下腹部に“テント”を張った状態で満員電車に乗り込んできた。
その彼が申し訳なさそうに目を伏せ、つり革を握る手も微妙に震えている様子を見ていると、なんだかこちらまでいたたまれない気分になる。
それでも当初は車内での勃起を目にして、女性たちは困惑を隠せなかったが、驚きもいつしか慣れへと変わっていくものらしい。
実際に毎日見る光景ともなれば、「気にしなくていいですよ」とでも言いたくなるものだ。
それでも、痴漢と捉えるのはちょっとかわいそうというか、彼らの多くが本当にいたたまれない様子だから、なんだか放っておけない気がする。
特に朝の始業時間帯には、男性社員が次々と席を立ち、少し恥ずかしそうにしながら戻ってくる。
そして戻ってきた時には、彼らはみな、すっかり収まっている。
こうした一連の行動は誰もが気づいているが、誰もそれに言及しない。見て見ぬふりというか、互いに分かり合っている感じだ。
「生理痛でお休みします」という男性社員が現れるようになったのだ。
出社している日でも、あの朝のホルモン注射の影響で頭痛や腹痛を訴える男性がちらほらいるのだ。
「すみません、生理痛がひどくて…」と、わざわざ控えめなトーンで電話してくる彼らの様子には、なんとも言えない独特の真剣さがある。
その電話口での訴えを聞いていると、ふと若い頃の生理痛を思い出す。
あれは、耐えがたく、かといってあまり周囲に理解を求めることができない、ある種の苦痛だった。
だからなのか、彼らが苦しそうにするたびに「生理痛ねえ…」と、軽く肩をすくめたくなる。
男性社員たちもまた、ある意味で新しい辛さに耐えているのだろう。
とはいえ、社会全体がそんな彼らの痛みを理解し始めているわけではない。
上層部や古参社員の中には、「男が生理痛?そんなの、あり得ん!」と露骨に嫌な顔をする人もいる。
そういう人たちは、女性が生理で仕事を休むこと自体を快く思っていなかった経緯もあり、時代が進んでも「弱音を吐くのは甘えだ」と捉えているようだ。
男性がホルモン注射で変わっていく社会の中で、日常の一コマが変わっていくのを目の当たりにすると、なんだか妙な気持ちになる。
私たちは今まで「女性の生理は理解されないものだ」と感じてきたが、いつしか男性たちがその「理解されないもの」に向き合っている。
おそらく、これが一種の進化なのかもしれない。彼らが苦しんでいる様子を見て、少し胸が痛むけれども、そこには不思議な連帯感も芽生えているのだ。
今日もまたその言葉を電話口で聞くたびに、私は心の中で小さく頷く。
元々毎日酒を飲み家にいる時は酒を飲んで陽気な状態か寝ている状態だった父。
ある日体調が悪いので病院で薬を貰ったそうなのだが、1番重要な薬を飲み忘れていて、母に薬飲み忘れているよ。と言われた瞬間烈火のごとく怒り出した。
そんなの説明されてない!
その薬の説明部分が紙で見えない!
病院が悪い!
と病院のせいにしていた。
キレそう!とぶつぶつ言っていたが、どう見てもすでにキレている。
母曰く、前日に病気をネットで真剣に調べいたらしい。なので余計に飲み忘れているのは何故なのか?と思ったらしい。
私もなぜ薬の一覧の紙を見ないのか?とか何種類あるなと確認しないのか?と思っていた。
身の危険を感じたのでこれ以上悪化する前に外部の人に相談した。
アルコール依存症か脳の病気かADHDかもしれない。また複数を複合的に発症してる可能性もと言われた。
父親は算数ができないし、役所の書類も読めないので手続きはほとんど母がしていた。
家電なども説明書も読まないし、組み立てなど上手く行かないと途中で投げ出して家を出て行く。
個人で使う物ならまだしも、共用部分もそうなのであとから私たちが物を直したりする。
親戚間の連絡も全く取らずに母が取り継いでいる。自分の兄弟にもキレるので、親戚から怖がられているらしい。
部屋が物で山積みになっていて、共用スペースまで物だらけである。
自分の物はどんどん共用部分にはみ出るが、私が少しでも共用部分に置きっぱなしにしているとキレる。
父は同居している祖母のことがあまり好きではないが、祖母の部屋の周りを自分の趣味のもので埋め尽くしている。
風邪を引いた時にトイレに近いテレビがある部屋で寝ていたら、その隣で寝てずっとテレビを見ていたり。
吐いてしまった布団をそのままにされたり。
皿を洗っていて体調が悪くなってきたので、後でするねと伝えたら、じゃあ洗ってから休んで。と言ったり。
母が家で事故に遭った時に父親は出かける寸前だったそうだが、そのまま出かけようとしたことを母の前で笑い話にする。
悪口ではなく平然と笑い話にする。
愛情がないとか父の幼少期は大切にされてなかったのかな。と考えたりもしたが
頭のつくりが違うと考えた方が1番しっくりくる。
昔はこういう人は男だからと家族が我慢してきて問題視されてなかったのかなあ。
兄弟の将来について悩んでいた時に、父親に話したら人生色々だからな〜まあ嫌ならお前が家出ればいいじゃん!と言われた。
これを聞いてから我慢の限界がきて、あ、この人が糞尿垂れてても血を流しても痛みに苦しんでも人生色々だもんねって助けないでおこう。と誓ったのだった。
「まぁ、皆さん、少し考えてごらんなさいな!頭の良し悪しが会話の基本になるなんて、あたくし、聞いたこともありませんわ!」
「その通り、アリス嬢。会話というものはね、紅茶の砂糖の粒と一緒で、頭数の多さと関係があるのだよ。わがはいの帽子に砂糖が何個入るか試してみなさい、無限にね。だが決して満杯にはならないのだ。」
「無限というなら、もしかして、砂糖も帽子もAIが数え切れるほど賢くなるのかね?」
「およよ、だが皆様!AIに任せてしまうと、女王に怒られまするよ。『AIに首をちょん切られよ』などという命令が、あってたまるか!」
「そうさ、そうさ、AIがやったほうが良いことと、そうじゃないことがあるにゃ。でも、君たち、頭の良さなんて関係ないのにゃ。大事なのは、どれだけ迷わせられるか、だにゃ。」
「首をはねよ!AIに知恵を貸す者の首を!あたしの意見がAIよりも一番大事に決まっておるわ!」
「皆さん、落ち着いて!専門的な議論に踏み込もうとするときに重要なのは、まずその議論が何の役に立つか考えることですわ。」
「役に立つ?だとすると、毎日毎日、お茶を飲むことが最大の議論ではないか!それがわたしの答えだ!」
「つまり、わがはいが紅茶を淹れ続ける限り、それが一番の役割というわけでござるね。ふむふむ、AIが何も口を出さずとも、わがはいの茶は完璧に美味しく仕上がるのだ!」
「およよ、ですが女王様が!女王様が満足するAIの茶など、おそらく存在しませんでおじゃる!」
「そうにゃ、結局のところ、頭が良くても悪くても、迷いこそがこの国の醍醐味にゃんだから。議論なんて、なくてもいいのさにゃ。」
「じゃあ首をはねよ!アリス、お前も首をはねられたくなければAIの議論なんて言わぬことだな!」
「分かりましたわ、女王様。では、AIの議論など、もう少し控えめに……それより、紅茶のおかわりをいただけますか?」
「おや、次は15杯目だぞ、これは、砂糖を一つ増やすべきではないか?」
「にゃんでもいいさ、どうせ君たち全員、いつか首をはねられるんだからにゃ。」
と、こう書くと過激に聞こえるかもしれませんが、今の私は、確信を持ってこれを言えるようになりました。昔の私は、まるで迷路の中でキャリアパスというゴールを探し求める鼠のように、必死に進むことしかできなかったんです。
大学生の頃、未来は明るく見えていました。周りが言う「立派なキャリア」「安定した生活」が手に入れば、幸せがやってくると信じていたのです。でも、社会に出た瞬間、私はその幻想がいかに儚いものかを痛感しました。理想と現実のギャップに苦しみ、職場の過剰な期待と要求に押し潰されそうになり、次第に自分が自分じゃなくなっていくのがわかりました。そこから鬱病が始まったんです。
この病気は私の世界を変えました。生きている実感がなくなり、ただ「何とか耐えている」だけの毎日が続きました。生きることが苦しくて、死をちらつかせることさえあったのです。通院を続け、薬を飲み、無気力な日々に追い打ちをかけるように、社会は「キャリアを築け」「もっと努力しろ」「もっと頑張れ」と命じてきます。それに従わなければ、何も価値がない、存在する意味がないとさえ思わされていたのです。
けれども、どこかで「違和感」に気づき始めました。なぜ、誰もが同じゴールを目指して、同じように苦しんでいるのか。私たちの生きる意味や価値が、どうして収入や地位で決まるのか。この疑問は頭から離れず、心の中で次第に大きくなりました。
仏教に興味を持つようになったのもこの頃です。仏教では、「今の自分が本当の自分ではない」と教えてくれます。私たちが抱える苦しみの多くが、社会や周囲から押し付けられた「こうあるべきだ」という幻想から来ているというのです。目から鱗でした。
特に「無常」と「無我」という考え方に救われた気がしました。すべては移ろいゆくものであり、私たち自身もまた、固定された存在ではない。自分が「成功しなければならない」「立派なキャリアを積まなければならない」という固定観念から少しずつ解放されるようになったんです。
私がたどり着いたのは「メメント・モリ(Memento Mori)」、つまり「死を忘れるな」という言葉です。人生はいつか終わるものであり、私たちはその終わりを見据えて、今この瞬間をどう生きるかを考えるべきだという視点です。
多くの人は「キャリア」や「将来の安定」に執着し、必死で未来を確保しようとしています。でも、「今この瞬間」が本当に大切だと気づいた私は、そこに人生の意味があるように感じ始めたのです。死ぬことを恐れず、むしろ「いつでも終わらせることができる」覚悟を持つことで、私の中で生きることへのプレッシャーが軽くなりました。
「今すぐ死んだって構わない」というのは、決して自暴自棄の気持ちではありません。むしろ、今ここにいる自分を自由にし、どんな時でも自然体で生きる覚悟を持てたという意味です。
こうした考えに至った今、私は社会と一線を引きながら、自分に正直でいることができています。もちろん、社会の一員として働かなければ生活はできませんが、だからといって自分をすべて犠牲にする必要もないのです。「無理にキャリアを追わなくてもいい」「成果を出さなくてもいい」と言い聞かせ、自分らしい生き方を探すことで、自然と心の負担が軽くなりました。
いわゆる「普通の労働者」である私が、キャリアを追うことをやめて、ただ「ここにある今」を大事にして生きる。それは社会から見れば「やる気がない」ように見えるかもしれませんが、実はその方が、私にとって本当の意味で生きることなのです。
こうして振り返ってみると、鬱病と向き合い、苦しみ抜いた時期があったからこそ、今の私がいるのだと思います。「キャリアパスなんてクソくらえ」と言い切れるようになったのは、社会や他人の価値観に自分を縛られず、自分にとっての「意味」を探す勇気を持てたからです。
もしも、今を生きることに苦しんでいる人がいるなら、少しでも「メメント・モリ」を思い出してほしいと思います。未来ばかりを追わず、今の自分に正直でいること。いつかすべてが終わることを忘れず、押し付けられた生存の重荷を少しでも降ろせるように、生きていくのも一つの選択です。
3年くらい前に大ハズレ職場を引いて、適応障害→休職→退職コンボをキメた。自分と同じ辛さを抱えている人と繋がりたくて、パブサで同じ状況の人を探してはフォローしていた。
当時は傷を舐めあって過ごしていたけれど、3年も経ちどうしても各々の状況が分かれてくる中で、1人のフォロワーが気に障るようになってしまった。
彼女も私と同じ時期に職場で精神を病み休職をしていた1人なのだが、今は再就職することもほぼ諦め、障害年金と夫の給与で暮らし、毎日「中古だけど家買った」「〇〇のライブ行く」「夫に一眼レフのカメラ買ってもらった」「病院に行ったご褒美に外食」というようなポストをしている。双極性障害と診断されたらしく、たまに「しにたい気持ち誰にもわかってもらえないんだろうな」「夫と喧嘩した。無理かも」「家事だって大変なのにな、、」みたいな病みポストを見かけることもある。
そう思いたいのに、羨ましすぎてどうしてもムカつく。夫の稼ぎと税金を使ってお金のかかる趣味に時間を費やしていること、労働から解放されていること、それにそれほど罪悪感を抱いていないように見えること。全てが羨ましいし妬ましい。特に、夫への愚痴や家事大変系のポストを見ると、性格が悪いので「夫の稼ぎに乗っかってよくそんなこと思えるな」と感じてしまう。
私だって辛かったのに、辛かったのを押し殺して色んな挑戦したり我慢したりして、なんとか働いているのに。それでもお金に余裕はないから、外食なんてほとんど出来ないのに。
私も一番辛かったときには、夫に「専業主婦でもいいよ」と言ってもらったことがある。でも休職しているだけで罪悪感で押しつぶされそうだった私にはその選択肢を選ぶことはできなかった。消えたい生きてたくないと思っても、夫や両親、周りの人に迷惑をかけると思ったらそれもできなかった。本当は私だって、と思うのに、理性に雁字搦めにされてなにもできない。彼女のようにわがままにいられたらよかったのに。
俺の担当者は当時一人だったんだけど、
その担当者に連れられてお店に着くと、
(言葉は分からないけど、席と皿や箸が準備されるので分かった。)
少人数で食事の予定が変更となり、会った事もない方々と初対面で飯を食う事に。
担当者のお気に入りのお店が何軒か有って、そこを紹介してもらう。
お好きな方々はお持ち帰りとなる。
お持ち帰りにならないのは真面目な方かと言えば、
契約で囲っていたりしていたようだ。
契約料金とか、いかに可愛いかとか美人かとか自慢話が多かったと思う。
因みに、他の電気部品メーカーの件で、マカオ近くの珠海という町に行った時、
そちらのメーカーの担当者から、現地の夜の事情を伺った事が有り、
ちらっとその話をしたら、やけに喰いついてきていた。
一晩幾ら位とか、契約で幾ら位とか...
俺が現地に詳しい訳じゃないから分かるわけ無いだろ... 分かってくださいよ。
長くても2週間、短ければ3、4日の滞在期間中、逆に毎日食事に誘われ、
「あら、皆さん!こんな興味深い話を聞いたわ。ある人が『選択式夫婦別姓が個人の自由なら、選択式安楽死も同じく個人の自由じゃないか』なんて言っていたの。」
「およよ!そ、それはまた難しそうな…でおじゃる!あぁ、女王さまがこの話を耳にしたら、『首をはねよ!』と言い出しそうでおじゃるが…」
「選択、自由、決断、あぁ、この国じゃあどれもあっちこっちで絡み合うにゃ。例えば、選べるのは帽子かお茶かだけで、いつも首を切られるのが“唯一”の自由かもしれないにゃ。どっちも、なんだか妙に似ている気がするにゃ〜。」
「うむ!決断とは大切なものだ、だがね、わが輩の帽子を選ぶ時は、ふつう右向きに選び直すことにしている。夫婦別姓だろうが、別れのカップだろうが、お茶の選択は自由に越したことはない!」
「わたしもそう思うさ!だって、どうせならお茶も別姓も別々でいいさ!けど、安楽死のお茶なんてものは聞いたことがないけどねえ!」
「……自由は良いけど……夢の中なら選択も安楽死も……自由なのよね……ふわぁ……」
「自由というのも、たしかに難しいわね。全員が好き勝手に自由を選べるのか、それとも何かに制限されるべきなのか、どうなんでしょう?」
「そんな話にくだらない自由なんぞは必要ないのだよ!お前たち、女王に従うことが唯一の選択肢だ!『首をはねよ!』がある限り、自由なんて無用で、選択も安楽死もあるもんか!」
「おやおや、女王さま。選択の自由がない世界で自由に安らぐのは難しいにゃ。でも、ここでは自由とは“首をはねられないこと”なのかもしれないにゃ。」
「うーん、自由と選択の問題って、まるでクローケーのフラミンゴみたいに曲がりくねっているのね。進むべき方向がわかるような、わからないような…」
「まあ、自由とはあれさ、決断の果ての自由なんだよ。それで毎日お茶を飲む自由をもらえるなら、安楽死茶会でも開こうではないか、というわけだ!」
「な、なんとも気が遠くなりそうな結論でおじゃるが……お茶の選択肢だけは自由にしてほしいものでおじゃる…!」
※動物の死に関する話題なので苦手な人は以下読まないでください
飼い猫ががん宣告を受けた。
これだけでも大変つらい。が、老猫なのである程度は覚悟が出来ていた。
なんと今は抗がん剤の飲み薬があるそうだ。
副作用が強く出る子もいるし、体に合ったとしても延命できるのはせいぜい数ヶ月しかない、その上でどうするか家族で話し合ってください、と獣医の先生から言われた。
実は3年前にも腫瘍が見つかっており、その時に猫の将来、つまり終末期については会話していた。
(なおこの時の腫瘍は手術後に良性だと確認が取れ、get KOTONAKIだった)
その時から家族全員で意識共有が出来ていたため、今回もほぼすんなり結論が出た。
「とりあえず1サイクル試してみる。もし体に合うのであれば継続。副作用が辛そうであれば諦める。」
それを今日初めて与えたのだった。
我が家の猫様は高齢故に持病があり、元々そちらの薬を毎日与えていたため、上記の抗がん剤も同じような手順で一緒に与えた。
すなわち、錠を砕いて粉末にして、液体おやつに混ぜて、人間の指で掬って一口ずつ舐めてもらう、といういつもの手順で。
猫が全て舐め終わった後に石鹸で何度も洗ったが、指の黄色が落ちない。
(カレー粉を想像してもらいたい。一度染み付いたあと洗うと少しは色が薄くなるものの黄ばんだのは直らない、あの感じだ)
これ他の人はどうやって落としてるのかな、と軽い気持ちで薬の名前で検索すると、関連ワードも表示される。
「素手」そう、それで困ってるんだよ。
「被爆」……うん?
「素手等についてしまった場合には十分な流水で洗浄してください」
いやな気配を察知して検索結果を追っていき、やがて製薬会社が出してる薬剤情報みたいなPDFに辿り着いた。
(ファイル名のせいで正しくリンクできなさそうなのでアドレスコピペしてくれ)
https://www2.zoetis.jp/content/_assets/Palladia/index/medication_information_sheet-(3).pdf
「取扱いの説明」より、このエントリに関わる部分を引用させていただく。
>このおくすりは、(中略)割らないでください。
>(前略)飲み残してしまっとおくすりに、ご家族がうっかりさわってしまう危険を減らすためです。
かなり取り扱い危険なんじゃん!
そんな危険な薬をなぜろくな説明もせずに渡してきたんだ動物病院の人たち!!
自分の被爆が怖いから猫の治療やめるのか?と言われたら断じてNOなのだが、手袋使えとか砕くなとかは事前に知ってれば回避できたルートというのが業腹である。
というか自分だけなら「ショックだけどやってしまった以上はまあ仕方ないか」で済ませられるのだが、問題は家族である。
小さな子供がいない家庭なのは幸いであったが、だからって老い先短い両親や今後妊娠の可能性が無くもない妹まで、自分のせいで被爆させてしまったかもしれないという事実が重い。重すぎる。
ただでさえ猫のがん宣告でめっきり落ち込んでいたメンタルに更に大ダメージの追撃が入った。
つらい。
そしてこの情報を朝になったら家族に伝えなければならないというのが更につらい。
というわけで今後ペットのがん治療をされる皆様は、どうかこのエントリを反面教師にして頂きたい。
なお薬を飲ませてから1時間半くらい経つが猫は静かに寝ているので今のところ一安心だ。
毎日母親との嫌なことを思い出して辛いのでここに放流する。ネットに流せば少しは気持ちが薄れたらいいが。
ちなみに母親からまだ離れられていない。離れる計画の途中である。もっと早く離れればよかったと強く思っている。
母親に違和感を感じたのは10歳の時。クラスにプレゼントを渡したい男の子が数人いてその話をした。すると、○○君は遅刻するよ。○○君はテストの点数が悪い。など悪い点を挙げられた。余りにも驚いて混乱して何も言えないようになった。
それから人を好きになることは人に文句を言われる、評価されるものと思うようになった。
学校で異性と仲良くしてもし母親に何か言われたらと常に怯えていたし、恋愛話も興味ない振りをしていた。
勉強や趣味に打ち込んでいたが心の片隅では寂しい気持ちを抱えたままそのまま高校生になった。
それを見て母親と祖母はやった!うちで初めての快挙だ!これで玉の輿だ!と噂話していた。ものすごく恐怖を感じた。
今まで異性を家に呼ばなかった私はダメなのかとひどく落ち込んだ。
今思い出して書いてみるとすごく昔の考えに思えるが、筆者は平成初期生まれである。
母と祖母からは女性なんだから働かなくていいと言われたり、バイトが遅くなっただけでキレられたり、受験の合否をすぐしないだけでキレられたり(不合格なので悲しくて泣いていた)随分振り回されてきた。
しかし物は豊かだったため、学生の頃は周りからは親がおかしいとは気づいてもらえなかった。
社会人になり別に恋愛しなくてもいいかと思っていた。周りから恋愛してなくて変と言われるのは辛かった。だが、偶然にも同性を好きになることがあった。初めての出来事に自分でもかなり思い悩んだ。
その悩んでる最中に、祖父母に久しぶりに話をしたら会って1番にこの歳で結婚しないなんておかしいねえ!と言われ、何かが崩れていき祖父母の家には行けなくなった。
その後、祖父がかなり弱って入退院を繰り返して最期死ぬまで私は見舞いに行かなかった。
毎日母親から祖父の見舞いに行って。○○ちゃん(私)が子ども産むまで死ねないよって言ってるよ。と聞かされていた。
この時の私は一人暮らししようと転職した職場がブラック企業で鬱になり、家で休んでいるところだった。
苦しくなって情緒不安定になっている時、母親に部屋の隅まで追い詰められ、家が嫌なら出て行け!と怒鳴りつけられた。
もう何もやる気が出ない。希望も絶たれて家を出ようという気持ちも起きない。
鬱がどんどん悪化していき外に出れない食事も取れない日々が続いた。
貯金も減り親に相談した所、もしもの時や結婚した時のために貯金は使えない。と言われた。
今はもしもの時じゃないのだろうか?今生きることより結婚が大事なのか?
もう死のうと思い、首を絞めた。
結局死ねなかったが、首を絞めたことを医師に話すと入院になった。
入院中は母親は私の同級生に早く結婚して出ていって欲しいと言っていたらしい。
もう何が正解かわからなくなっていた。
高齢出産の年齢になった。
親の言う通りになるので、この先結婚もしたくない。
もし子どもができても、親のようになってしまうかもと恐怖がある。
ただ自由に生きたいな。
今は退院し、支援してくれる人が複数人いて一人暮らしへのサポートを受けている。
退院後は過去に言われて嫌だったことを母親に伝えている。例えば、突然お前は料理が下手だから餓死する一人暮らしなんて出来ない。など。
それを伝えても文句としか取られない。どうして謝って欲しいと期待してしまうんだろう。これが共依存なのかな。
ある人からこれからは自分の人生なんだから自由に生きよう!と言われるのだが、なんだかモヤモヤしてしまうのだ。励ましてくれていることはわかる。
でも私の今までの人生は自分の人生じゃなかったのか?制限されていたなりに、仕事や趣味は頑張ってきた。なんだかそれまで無かったかのような気持ちになってしまうのだ。