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はてなキーワード: 1990年とは

2017-06-10

アニメ史上『ふしぎの海のナディア1話』を超える第1話存在しない説

甘酸っぱい少年少女青春

魅力的な主人公、そしてヒロイン

悪役とのエキサイティングアクション

冒険のワクワク感、

当時の少年達の心に未だに残り続けるのも納得の、このアニメの全てが第1話に詰まっていると言っても過言じゃない物語の滑り出し。

1990年放送開始ってことはもう27年も昔のアニメになるけど、未だにこの第1話を超える第1話が出てこないなんてちょっと不思議だよね。

2017-06-04

山川出版日本史の何がすごいのか、さっぱり分からない

山川出版の日本史いかに凄いかについて情熱的に説明する」

http://blog.tinect.jp/?p=40198

はてなブックマークの人気記事だったので開いてみたのですが、驚くほど中身のない記事でした。

これ、おっさん居酒屋でしゃべっているレベルですよね??

『詳説日本史』を引用するなり参照するなりして、具体的にどこがどうすごいかを語ってほしかったです。

僕も10代の頃はあれが本当に理解できなかった。けど今ならああい教科書が作り続けられる理由がよくわかる。物事を語るにあたって、中立を維持しようとするとなると、事実しか語れなくなるのである

ストーリーというものは、基本的には何らかの価値観を元に構築されるものである日本民族いかに優れているかという視点で歴史を分析すると、それは右翼的な記述にならざるをえないし、平等であろうとすれば、それは左翼的価値観を元に記述せざるをえなくなる。

客観的な記述がされている、左右に偏向していない、中立だからすごいゾ、という感想には呆れ果てました。

いったい全体、どこが情熱的ですか? 教科書を読み返さず、いい加減な記憶をもとに語っても、多分これくらいのことは言えると思います。 

  

クソ記事を読んでしまい、あんまりにもムシャクシャしたので、私が自分で『詳説日本史』を引っ張りだしてきて調べました。

例えば「源平の騒乱」という項目は、次のように記述されています

平清盛後白河法皇幽閉し、1180年に孫の安徳天皇を位につけると、地方の武士団中央貴族・大寺院のなかには、平氏の専制政治に対する不満がうずまき始めた。この情勢を見た後白河法皇皇子以仁王と、畿内に基盤を持つ源氏源頼政は、平氏打倒の兵をあげ、挙兵を呼びかける王の命令(令旨)は諸国の武士に伝えられた。

これに応じて、園城寺(三井寺)や興福寺などの僧兵が立ち上がり、ついで伊豆に流されていた源頼朝信濃の木曾谷にいた源義仲をはじめ、各地の武士団挙兵して、ついに内乱全国的に広がり、5年にわたって騒乱が続いた(治承・寿永の乱)。

平氏は都は福原(現・神戸市)へと移したが、まもなく京都にもどし、畿内を中心とする支配を固めてこれらの組織に対抗した。

しかし、畿内西国を中心とする養和の飢饉や、清盛の死などで平家の基盤は弱体化し、1183年(寿永2)年、平氏北陸で義仲に敗北すると、安徳天皇を報じて西国都落ちした。やがて、頼朝の命を受けた弟の源範頼義経らの軍に攻められ、ついに1185年に長門の壇の浦で滅亡した。

この一連の内乱の行末に大きな影響をおよぼしたのは地方の武士団の動きで、彼らは国司荘園領主に対抗して新たに所領の支配権を強化・拡大しようとつとめ、その政治体制を求めていた。

ここには明らかに編者の歴史観と、因果関係説明が詰め込まれています

  

まず、平清盛後白河天皇幽閉したこと、安徳天皇即位させたことは、この教科書では「平氏の専制政治」と評されています

当時の人たちがそう感じていたのか、それとも教科書の編者がこの評価を下しているのか、どちらなのか判然としませんけど、ともかく本書はこの評価にもとづいて記述がされています

  

次に、この「平氏の専制政治」が地方の武士団中央貴族・大寺院の不満につながって、 以仁王源頼政はそういう情勢を見たので挙兵したと書かれています

これはまさしく因果関係に言及しているわけです。

  

このように、教科書は単なる事実の羅列ではありません。歴史に対する評価因果関係がしっかりと述べられているのです。

そこにどういう学問的な裏付けがあるか、歴史学に無知な私はよく知らないです。あのブログ記事ではそのへんの話を説明していると思ったのですけど、まったくの期待外れでしたね。

  

なお、この教科書とおなじ編者がつくった参考書『詳説日本史研究』(山川出版社)によると、次のように説明されています

治承・寿永の乱は、一般には源氏平氏の戦いといわれている。しか歴史学的にみた場合、この全国的な動乱を単に源氏平氏勢力争いとみるのは正しい理解ではない。以仁王挙兵以降、軍事行動を起こすものが相次いだ。美濃近江河内源氏若狭越前加賀の在庁官人、豪族では伊予の河野氏・肥後の菊池氏である。彼らはあくまでも平氏の施政に反発したのであって、はじめから源氏、とくに源頼朝に味方したわけではない。彼らの背後には在地領主層があり、在地領主たちは自己の要求を実現するために各地で立ち上がったのである

彼らの動向をまとめあげ、武家棟梁となる機会は頼朝以外の人、例えば源義仲源行家、あるいは平宗盛にも与えられていた。頼朝が内乱に終息をもたらし得たのは、彼こそが在地領主層の要望に最もよく答えたからである。この意味で幕府の成立は、時代の画期ととらえることができる。

教科書である『詳説日本史』では、これがたった一文にまとめられているのです。

この一連の内乱の行末に大きな影響をおよぼしたのは地方の武士団の動きで、彼らは国司荘園領主に対抗して新たに所領の支配権を強化・拡大しようとつとめ、その政治体制を求めていた。

こういう史観が妥当なのかというのは、私にはちょっと分からないんですが、この点を強烈にプッシュしているのが『詳説日本史』の特徴と言えるでしょう。

他の教科書を読んでみても、三省堂の『日本史B 改訂版』(日B 015)を除き、この史観はあまりプッシュされていないと感じました。

  

【参考文献】

山川出版社『詳説日本史』(日B 001)

山川出版社『高校日本史 改訂版』(日B 017)

山川出版社新日本史B 改訂版』(日B 018)

東京書籍日本史B』(日B 004)

三省堂日本史B 改訂版』(日B 015)

実教出版日本史B 新訂版』(日B 014)

桐原書店新日本史B』(日B 011)

(このエントリは上記7冊を参照しています。いずれも平成22年ごろ購入。)

  

  

  

余談:教科書の読み比べ

  

山川出版社新日本史B 改訂版』(日B 018)

伊豆に流されていた源義朝の子・源頼朝も、妻・北条政子の父北条時政とともに挙兵して南関東を掌握し、10月には源氏根拠地鎌倉に入った。頼朝は父祖以来の結びつきを背景に、三浦千葉上総氏などの有力な東国武士主従関係を結んで御家人とし

頼朝の挙兵が、東国武士との「父祖以来の結びつき」を背景にしていたものだったということは、他の教科書ではなかなか分からないと思います

三浦千葉上総という武士名前が沢山出てくるのもおもしろいですね。(三浦氏名前が出てくる教科書は多いですが、それはこの時点ではなく幕府成立後、十三人の合議制か、宝治合戦ときに唐突に登場します。)

[寿永二年十月宣旨から義仲滅亡までの]この間、鎌倉の頼朝は没収した平氏の所領(平氏没官領)を法皇より与えられ、経済基盤を固めていった。また御家人を統制する侍所を設置し、その長官である別当には和田義盛を任命した。これに加えて、行政裁判制度を整えるための公文所(のちに政所)・問注所がおかれ、その長官にはそれぞれ京から招かれた朝廷の役人である大江広元三善康信就任した。前後して、義経軍らは一の谷・屋島平氏を追い、1185(文治元)年に壇ノ浦平氏を滅ぼした。

[]は引用者註。

この教科書の特徴は、幕府の政治機構の形成過程を、治承・寿永の乱の進行に併記していることです。

鎌倉幕府の成立が1192年(いいくに)なのか、1185年(いいはこ)なのかという論争は、世間でよく知られているぐらい有名になりました。どちらが正しいかは諸説あるとしても、ただ一つ言えることは、どこかの時点でいきなり幕府が完成したというわけではありません。治承・寿永の乱が続いていた期間に、徐々に幕府の政治機構が形成されたのです。この教科書はその史観が反映されています

  

  

  

桐原書店新日本史B』(日B 011)

北条時政の援助によって挙兵した頼朝は、東国武士たちに支持されて、富士川の戦い平氏を破ったが、その後は鎌倉にとどまって、東国地盤を固めることに専念した。これに対して平清盛は一時、都を福原神戸市)に移して態勢を立てなおそうとしたが、まもなく京都に戻り、1181(養和元)年に病死した。一方、義仲は1183(寿永2)年、北陸方面から急進撃して、平氏一門を京都から追い出した。しかし、義仲は後白河法皇対立したので、法皇は同年、頼朝に東海東山両道(東国)の支配権を認め、義仲追討を命じた。頼朝は弟の範頼・義経らを上京させて、義仲を討たせた。範頼・義経さら平氏追討に向かい、1185(文治元)年、長門壇ノ浦平氏一門を滅ぼした。

この教科書歴史用語の詰めこみを回避しているようで、内容は簡単、文章としても平易です。

上記引用でも分かるとおり、「頼朝に東海東山両道(東国)の支配権を認め」という記述があるくせに、寿永二年十月宣旨というキーワードがありません。治承・寿永の乱、一の谷、屋島の戦いなどは年表に記載されていますが、本文中に記載なし。養和の飢饉、平氏都落ち安徳天皇を伴ったことも言及なし。

というわけで受験生には不向きですが、他の教科書にはない特色もあります

  

鎌倉将軍に尽くして家人となった武士のことを、鎌倉御家人といった。鎌倉御家人になる目的は、将軍面接して(見参)、先祖伝来の所領を承認してもらい(本領安堵)、さらに勲功のあった者は新たな所領を恩賞としてうける(新恩給与)ことにあった。

教科書の中では唯一、桐原書店けが「見参」を掲載しています。これは鎌倉幕府の権威の構造がどういったものであったかを知るための手がかりになるかも。

(他の教科書ではこの用語がないどころか、「将軍面接して」という説明も省かれています

  

["新恩給与"についての註]

土地のものよりも土地に対する一定の支配権と、それにともなう収益権を与えられるのが普通で、そのおもなものが地頭職であった。

これは「職の体系」のことを言っています。他の教科書とは違って、地頭をあえて「地頭職」と見なす視点を紹介し、その意味するところを簡潔に説明しているのがすごい!

所有権が重層的に重なりあっていたというのは、中世土地支配構造を知るうえで一番大切なポイントだと思います

なお、山川出版の『日本史B用語集』には「職の体系」という用語は不掲載で、かわりに「職」の項でそれを説明しています

職(しき)②:一般に職務に伴う土地からの収益とその職務自体を指す。荘園場合、有力者への寄進が何回も積み重なり、下記のような複雑な職の改装秩序を生じた。

本家職①、領家職②、預所職②、下司職②、荘官職①

  

[引用者註:丸の数字はこの用語を掲載している教科書の数]

山川出版『日本史B用語集』より

この説明は悪くないと思いますが、桐原書店は「土地のものよりも土地に対する一定の支配権と、それにともなう収益権」のことと明記しているので、その方が的確です。

しかも、いかんせん、『日本史B用語集』は「職」の用語説明を「院政期の社会文化」のページに掲載しているので、これと鎌倉時代の地頭職との関連が全然分からないです。そして「鎌倉幕府の成立」のページにある「地頭職」の用語説明は、次のようになっています

地頭職(じとうしき)⑤:職とは役職に伴う権益意味。地頭職は御家人が地頭に任命されて認められた兵糧米の徴収や免田(給田)経営などの権利

  

山川出版『日本史B用語集』より

これは間違っていませんけど、この説明を読んで、重層的な土地支配構造があったことを理解できますか? 絶対に不可能ですよね?

せめて「職」「地頭職」という用語同士を紐付けて相互参照させてほしいです。ふざけんなってかんじです。

  

さて、桐原書店教科書に話をもどすと、欄外にこういう豆知識も載っています

幕府とは、近衛府の唐名であるが、転じて近衛大将の居館のことをいった。のちには近衛大将とは関係なく、武家政権意味する語となった。頼朝は1190年に上洛し、右近大将に任ぜられたが、まもなく辞任した。

[ふたつの源頼朝像]

Aについては南北朝時代武将とする説もあり(伝・藤原隆信筆,京都神護寺蔵)、Bも注目されるようになった(山梨甲斐善光寺蔵)。

とてもユニークですね。受験には使えないかもしれませんが、知っておいて損はないです。

  

  

  

東京書籍日本史B』(日B 004)

養和は平氏政権が用いた年号で、これを認めない頼朝の支配する関東では、ひきつづき治承の年号が用いられた。

網野善彦著作『東と西の語る日本の歴史』に、たしかこの話があったと思います

他の教科書には載ってませんが、ピンポイント東大入試に出題されました。

  

源氏鎌倉の関係は、源頼信のころに源氏氏神となった石清水八幡宮を、前九年合戦の際、子の頼義が相模国由比郷に勘請して鶴岡若宮八幡宮前身)を建設したことから始まった。鎌倉は前面に海をもち、三方を山にかこまれた要害の地で、切通によって外部と結ばれていた。

鎌倉という土地をこれだけ情熱的に語っているのは、東京書籍教科書だけです。

上記引用とはまた別に、「コラム 武家の都鎌倉経済流通」というのも掲載されています

東大入試では、「院政時代から鎌倉時代にかけての京都と鎌倉都市の発展」について論述させる問題が出されたことがありますが(1990年)、この教科書はその答案を書くうえで非常に役立つものだと思います

  

  

  

山川出版社『高校日本史 改訂版』(日B 017)

こののち、後白河法皇義経を重んじ、頼朝追討の命令を下したが、これに失敗すると、頼朝はその責任を追及し、逆に義経追討の命令を得た。さらに頼朝は義経をかくまっていた奥州藤原氏を滅ぼそうと朝廷に追討の命令希望したが、法皇がそれを拒否すると、1189(文治5)年に頼朝は追討の命令を待たず、大軍をもって奥州藤原氏を滅ぼした。ここに全国を平定し、その後、法皇死後の1192(建久3)年に頼朝は念願の征夷大将軍に任じられた。

頼朝の悪人っぷりがこれでもか!?というぐらい強調されています

あいつは自分の野望を実現するため、ときには法皇に逆らって圧力をかけたり、朝廷命令無視して独断専行する奴だった、ということを言いたげな記述です。

  

それはともかく、奥州藤原氏を守ろうとした法皇朝廷側と、それを潰そうとした頼朝の厳しい対立がわかるのは、この教科書だけでしょうね。

両者のぴりぴりした緊張関係が伝わってきます

関西にある政権東北地方を使って、関東独立の動きを牽制するというのは、日本の歴史において繰り返し出てくるパターンなので、この視点を漏らさず記述しているところはアッパレ

  

  

  

実教出版日本史B 新訂版』(日B 014)

平氏安徳天皇を奉じて西国に落ちていったが、後白河法皇は京都にとどまり、新たに後鳥羽天皇をたてて政権を維持した。法皇は義仲には平家追討を命じるいっぽう、頼朝には上京をうながして、京都の義仲に対抗させ、武士たちをたがいに牽制させて政局の主導権をにぎろうとした。しかし頼朝は、東国の安定に意をそそいでみずからは鎌倉を動かず、弟の範頼・義経を上京させて、1184(元暦元)年、義仲を討たせ、源氏一族の長となった。ついで義経らは、その当時勢力回復して都にせまっていた平氏を一の谷・屋島などの合戦でやぶり、さらに翌1185(文治元)年にはこれを長門壇ノ浦に追いつめて滅亡させた。

この時代に2人の天皇が同時に存在していたとする視点を取り入れているのがナイス

都落ちした平氏はそのままあっけなく滅んだわけじゃなくて、京都にいる天皇とは違う天皇を奉じて勢力を盛り返していたのです。

どちらの天皇が正統かというのは、つまるところ結果論にすぎません。この教科書はそんな歴史観に基づいて書かれています

  

ちなみに、この教科書の編者は、大半が関西教育機関に属する人たちみたいです。後白河法皇平氏を主軸にした書き方は、編者の関西びいきが反映した結果なんでしょうか。(笑)

例えば奥州合戦について、「奥州進撃のために頼朝は東国だけでなく西国武士もひとまず鎌倉に動員し、これを機会に国ごとに御家人組織の整備をいっそうすすめた」とありますさら西国御家人東国御家人とどう違うかを説明しているのもおもしろく、この教科書関西中心っぽい史観は独特です。

  

  

  

三省堂日本史B 改訂版』(日B 015)

  

……って、おい!? 増田がここで文章を掲載できなくなったんだが??

せっかくこの先が本番なのに、文字数の上限なのだろうか。

つづき→http://anond.hatelabo.jp/20170605001028

2017-05-10

90年代の名作少女漫画はなんですか

が、語られていないという指摘が増田であった。いやどっかで語られてるだろうけど。

この時代少女漫画にはまったサブカル人たちが、まだ年齢的に影響力無いのがでかいかな。番組に取り上げられるの80年代の多いよね。

漫勉などもこの辺の影響や、影響を受けた作家あたりはスルーされる印象はあります


このあたりでしょうか。当時の思い出と抜けてる作品トラバブコメ

2017-04-22

西暦の下二桁の覚え方は

昭和年+25年=西暦下二桁年 

平成年-12年=西暦下二桁年

大正年は分からん

大正年は西暦1912年からなの

下二桁の覚え方は

大正+11年=西暦下二桁年

ちなみに今年は

西暦2017年

平成29年らしい

29-1217

えーと

昭和1926年からなの

昭和は64年までなの

1926+64=1990

平成1990年からなの

違うの

日本元号の終わりと元号の始まりが同じ年なの

もう分からん

早見表置いとくわ

http://seireki.hikak.com

元号の終わりの年は元号の始まりの年だから

昭和64年平成1年なの

から

1990-1=1989ってなるのか

えー

1989年昭和64年

1989年平成1年

から今年は

平成29年

1989+29=2018

2018-1=2017

よく分からんが-1するのだな

2017-04-18

最近食べていないもの

外食

ピザ……………………1988年デパートの大食堂

冷麺……………………1989年映画館の帰り

寿司……………………1990年、親戚の家で

ハンバーグ…………1990年ファミリーレストラン

ドーナツ……………1991年ミスタードーナツ

焼き肉…………………1992年焼き肉店で家族

天ぷら…………………1993年旅行帰りの駅の食堂街で

ステーキ……………1994年、親戚に連れられてのステーキハウス

チャーハン…………1994年家族でのバイキング

ハンバーガー……1995年、友人とマクドナルド

鍋焼きうどん……1995年病院帰りに母と

牛丼………………………2000年二次会明けに

パスタ…………………2001年、友人の通夜帰りに

ラーメン……………2002年、雀荘

焼き鳥…………………2003年飲み会

ホットドッグ……2005年、ひとりで

懐石………………………2008年家族で行った最後外食

2017-04-17

時給1500円て

時給1500円。

25年ほど前、京都市内であった。いわゆる日雇い建築現場手伝い。

朝7時に集合し、朝ごはん食べ放題を食べさせてくれる。

そのあとバンに乗って、8時から17時まで、建築現場ゴミをまとめる。

別にノルマなどない。色々落ちているガラをゴミ袋に入れてまとめる。

昼の休みは1時間12から13時。他に適当タバコ休憩。

これで、12,000円取っ払い。

計算すると

12,000/8h=1500円h

ちょっと早いだけで誰でもできる仕事

いまは日雇いドカチンはいくらなんだろうなぁ。

1990年バブル前後だな。

最低時給は1500円以上あったほうがいいよ。

2017-04-14

本屋大賞以外のランキングジャンル別(7選)

http://anond.hatelabo.jp/20170414013324

ミステリーSF映画歴史時代

名前2016年ベスト(一部2015年リンク所感等
週刊文春ミステリーベスト10国内 『罪の声』塩田武士 海外『傷だらけのカミーユ(文春文庫)』ピエールルメートル年末恒例! ミステリーベスト10 - 週刊文春WEB40回も続いている老舗。
このミステリーがすごい!国内 『涙香迷宮竹本健治] 海外 『熊と踊れ(ハヤカワ・ミステリ文庫)』アンデシュ・ルースルンド、ステファン・トゥンベリ1988年
本格ミステリベスト10国内聖女の毒杯 その可能性はすでに考えた』井上真偽 海外 『ささやく真実 (創元推理文庫)』ヘレン・マクロ1997年
ミステリが読みたい!国内真実10メートル手前』米澤穂信 海外 『熊と踊れ』アンデシュ・ルースルンド、ステファン・トゥンベリ2007年から早川書房実施
SFが読みたい!国内『夢みる葦笛』上田早夕里 海外 『死の鳥 (ハヤカワ文庫SF)』ハーラン・エリスン2016年のベストSF小説は? 『SFが読みたい!』ランキング特別公開1990年から早川書房実施
映画本大賞(キネマ旬報日本映画について私が学んだ二、三の事柄〈1〉―映画的な、あまり映画的な』山田宏一2015年発行が対象【公式】映画本大賞 2015 結果 | キネマ旬報 | KINENOTEハイコンテクスト
歴史時代小説ベスト10週刊朝日室町無頼』垣根涼介週刊朝日「2016年 歴史・時代小説ベスト10」を発表! 〈PR TIMES〉|dot.ドット 朝日新聞出版ちなみに『この時代小説がすごい!』(宝島社)は過去3年は12月に発行されていたが2016年版は発行されていない。

絵本料理本、漫画ラノベ割愛

※その他の該当するランキングがあれば是非ご教示ください!特にノンフィクション科学の分野であれば。

2017-04-05

1990年に25歳の男たち

均等法も氷河期もなく大卒で男なだけでろくに就活しなくても上場企業選び放題で

トレンディードラマ見てアッシーメッシーに励んでクリスマス赤プリ全室占拠してセックス

女はクリスマスケーキ!25までに寿退社しないBBAは行き遅れ!って粋がってたのに

まさか1/4が生涯未婚とは想像もしなかったろうな…

そんなイージーモードで今まで何やってたんだよ…

2017-03-15

http://anond.hatelabo.jp/20170519185418

最近1990年1995年のグレが多い。

基地外youtuberに然り、バカッター然り。

ところでこいつは知らないと思うが、相模原津久井でMUSOUした人、才いくつだと思う?

2017-02-15

ものづくり大国ニッポンは終わったし二度と戻ってこないよ!

18世紀イギリス世界工場として世界綿織物ほとんどを作ったけど戻ってきてないよ!

19世紀アメリカは製鉄所たくさんあって鉄鋼業が盛んだったけど、いまはほとんどないよ!

1930年頃に日本世界一シルクの産地だったけどいまのシェアは1%切ってるよ!

1980年台に日本ブラウン管TVビデオデッキ世界中で売ったけど、いまはほとんどないよ!

1990年台もかろうじてAV機器や小型情報機器で強みはあったけど、もう誰も買ってくれないよ!

1999年日産ルノーに買われてゴーンがいろいろ改革したけど、もはやフランス会社だよ!

2016年シャープ台湾メーカーになって液晶技術海外に渡ったよ!

2017年東芝は140年の歴史に幕を下ろしつつ、メモリ部門海外に売り渡しそうだよ!

歴史をみても一度手を離したものは二度と戻ってきてないよ!

欧米から日本そしてアジア次はアフリカというように、きっとこれは自然の流れだよ!

イギリスアメリカもモノづくりはやってないけど他のことでお金儲けしてるよ!

から離れたものを悔いたってしょうがないよ!

資源もなにもない国だけど、手放したんだから忘れるしかないよ!


イギリスアメリカのように知恵ははたらかないし!

これから何して食べていくのかしらないけど!明日もおなかが空くよ!

さようならさようならさようなら

2017-01-23

当たり前なんだけど今って2007年じゃなくて2017年なんだよな

1980年←昔

1990年←昔

2000年最近

2010年未来…んん?

ってなる

いや業務とかで普通に2017年って打つけど年代別に並べられたり、

更新が数年単位サイトの新着に「2017.01.23」とか書いてあったら一瞬「…んん??」ってなる

あと3年で「2020年」って書類に書くわけだけど物凄く奇妙な感覚になると思う

何がそうさせてるのかハッキリとした理由は分からない

2017-01-13

世代交代必要もの

http://qiita.com/jj1bdx/items/a9cd77807e0d689fb4b6

オープンソース活動をまったくしていない僕が勝手に考えた「世代交代必要もの

(若者)

1. 今後、10年(?)はコミットできる「若さ」を持つ

2. メンテナンス継続的に行う「時間」を持つ

3. プロジェクト関係しそうな新しい技術継続的学習する「時間」を持つ

4. 該当プロジェクト以外の活動を行える「時間」を持つ

5. 既存ライブラリの制約を継承把握する「意欲」を持つ

6. メンテナンス継続的に行う「責任感」を持つ

7. 該当プロジェクト継続的に関わり続ける「強い理由」を持つ

(世代交代を望む現役)

1. 若者が失敗から学ぶチャンスを与える「寛容さ」を持つ

2. 若者責任を与える「寛容さ」を持つ

3. 若者が成長してきたときに引き継がせる「寛容さ」を持つ

4. 既存ライブラリの制約・意図を共有できるよう「整理する能力」を持つ

5. 後続が入ってくるようプロジェクトに「魅力を作り出す能力」を持つ

(6). 若者が知りたいときに適切な情報を与える「バランス能力」を持つ

(7). 雑談に走りすぎない「バランス能力」を持つ

大きなコミュニティではないが、1990年に一人の人が立ち上げ、2000年くらいから後続の人と盛り上げているプロジェクトの例を知っている。

ただ、その二人が費やしている時間は、プロジェクトに関する質疑応答だけでも相当な時間を割いている様子が見られる。

後続の人も17プロジェクトに関わっていて、すでに「次の後続」が見つからないとプロジェクト継続は難しいだろう。

上に書いている「必要もの」は健全状態コミュニティ継続されるための条件としている。実際には、時間がないけど頑張ってメンテナンスしているコミュニティは多いと思っている。

2017-01-05

まもなく1980年代が40年前になる時代がやってくる

1990年からみた1950年と同じだぞ

2016-12-23

5年くらい時代が進んでない気がする

1980年台 覚えてない

 

1990年初期 バブル崩壊

1995年 大震災 エヴァ アムラー

1997年 ワンピース テレビバラエティなどが最盛期 モー娘。

1998年 ハンターハンター

1999年 宇多田

2000年 ミレニアム ネオ麦茶 ITバブル崩壊

2001年 911テロ 千と千尋 アフガン

2003年 世界に一つだけの花

2006年 ハルヒ ライブドア・ショック PS3

2007年 ニコ動Youtube 動画時代

2008年 リーマンショック

2009年 政治とか荒れる・民主 就職ヤバイ AKB総選挙 オバマ

2010年 アバター3Dがどうの

2011年 大震災 まどマギ 地デジ ジョブズ死去

2012年 スマホ全盛期~ 民主

2013年 おもてなし アナ雪 PS4 艦これ

2014年 小保方 マイクラ

2015年 イスラム国

2016年 SMAP Brexit トランプ 君の名は

 

年取っただけかもしれんが

なんか薄いんだよね

平和なんだろうが

 

政治・・・ずっと安倍

経済・・・可もなく不可もなく

流行・・・中ヒット

ヲタ・・・アニメ映画漫画、中ヒットは量産だが社会現象までいかない

技術・・・スマホクラウド絡みくらいか

スポーツ・・・10年以降で誰でも知ってる人って錦織くらい?

災害・・・東日本大震災ネタいつまでやるんだよ

ネット・・・5年前と何か変わった?

音楽・・・ずっと死んでる

 

この5年はスマホ絡みばっかだった気がする

ドローンアクションカム、VR、SNSLINEみたいなところも

 

 

情報面について個別主義が進んだからかもしれん

流行が作りづらい

災害政治経済戦争たまたま起こらなかっただけ?

電子書籍なんかは何かが変わったという感じもしない

 

個人的にはここ5年仕事しかしてなかったからいいんだけどさ

 

来年は何か変わるかなぁ

2016-12-06

http://b.hatena.ne.jp/entry/blog.livedoor.jp/itsoku/archives/48359547.html

1980年

日本「成長世界一!やっぱり日本最強だぜ!」←最盛期

中国東南アジア「すげえ」

1990年

日本バブル弾けたけどまだいける…」

中国最近仕事増えてきたよ」

東南アジア「すげえ」

2000年

日本「苦しいけど中国東南アジアよりマシ…」

中国「なんか仕事増えてきた、GDPも上がってきた」

東南アジア「こっちも仕事増えてきた」

2010年

日本中国に抜かれたけど東南アジアよりマシ…」

中国世界から求められるようになってきた、調子いいよ」

東南アジア「こっちも調子いいよ」

現在

日本「我々は優れた民族で他の国が憧れてる、四季があるし食べ物うまい

中国アメリカヨーロッパからの信頼も出てきた、特に製造業調子が良い」

東南アジア「発展してきたし、中国インフラ買います

問題人口動態だよ、馬鹿者?

http://d.hatena.ne.jp/himaginary/20161024/Its_the_demography_stupid

このエントリーにあるように人口動態は自然利子率に影響を与える。人口動態で自然利子率が下がってしまと金政策効果に制約が掛かるのでこれは大きな問題である

日本デフレはその結果であり、藻谷浩介勝利・・・ということなのだろうか?どこの国においても人口動態は自然利子率に影響を与えるにしても、先進国の中でも特に人口動態の問題が深刻な日本では自然利子率への影響が巨大だったのだろうか。

日本では1990年2000年デフレに嵌まり込み、そこからの脱却に苦労している。このような状況は日本だけである自然利子率が大きく下がったのもこの時期だと考えられている*1。では、この間の日本人口動態は他に類を見ないほどの大きな影響を自然利子率に与えたのだろうか。



そこで、実際のデータを見てみよう。

まず元のエントリーの2.依存人口比率である生産年齢以外の人口生産年齢人口で割った依存率は1990年に43.5%だったのが2000年に46.9%と上がっている*2。65歳以上の人口生産年齢人口で割った場合1990年17.3%から2000年の25.5%までもっと顕著に上がっている。依存人口比率が高くなると経済の貯蓄率が下がり、自然利子率は上昇することになる。

次に3.平均寿命を見ると年々安定的に上がっている。このことは長い老後に備えての貯蓄が増えるので、経済の貯蓄率が上がり、自然利子率は下落することになる。

この2.依存人口比率と3.平均寿命効果はどちらも貯蓄を通じたものである。そこで家計貯蓄率のデータを見ると1990年から2000年にかけて日本では下がっている*3。家計貯蓄率が低下した人口以外の理由もあるだろうがその下落が大きいことからすると、2.と3.の効果を合わせたものでは自然利子率は上昇している可能性が高い。

まり人口動態が自然利子率を下げてしまったという場合、1.労働供給の伸び率の効果がとても大きく2.と3.を合わせたもの以上になっている必要がある。

では生産年齢人口はどうであったか1990年86,140千人、2000年86,380千人である*2。増えている。つまり生産年齢人口の変化は自然利子率にプラスに働いていた。

よって1.2.3.トータルで人口動態は自然利子率にプラスに働いていた、マル、終了。藻谷浩介残念!









・・・とは、もちろんならない。

確かに人口動態は1990-2000年にかけて自然利子率にプラスに働いていた可能性は高いものの、それ以前の人口動態がもっと大きなプラスに働いていれば、その大きなプラス効果が剥げ落ちてしまった分だけ自然利子率は低下する。

では何を見れば良いのか?それは、1.については1990年から2000年にかけて15-64歳人口が増えたか減ったかではなく、15-64歳人口の増加率が高まったか低くなったかである人口が何%変化したかではなく人口増加率が何%ポイント変化したかである

たとえば生産年齢人口が年10%で増えていたのが年3%にまで増え方が下がった人口増加社会ではそれが理由自然利子率は下がるが、年1%での生産年齢人口減少が続く人口減少社会ではそれだけなら自然利子率は下がらないのである

では人口増加率のデータを見てみよう。

1980-1990年の間の15-64歳人口の平均増加率は年0.88%であったのが1990-2000年にはこれが年0.06%となっている*4。増加率は0.82%ポイントも下がっている。これが他で類を見ないほど大きな低下であれば、15-64歳人口の動きによって日本では他の国よりも自然利子率が大幅に低下し、日本けがデフレに嵌まった可能性が高まる藻谷浩介勝利なるか?


さっそく他の国の15-64歳人口の平均増加率を見てみよう。


おお、これらの国と比べると日本比較にならないほど急速に劇的に人口動態が悪化していると言えそうだ。やはり藻谷浩介勝利か?

ところが、


と増加率の変化幅で見れば日本以外にも劇的な人口動態の悪化が見られる国がある。しかし、これらの国ではこの間にデフレにはなっていない。

しかも、何もこの時期だけが人口動態でデフレになるわけではないだろう。日本デフレになったときと同じ程度の劇的な人口動態の悪化があればデフレになるのであれば、他の時期に人口動態が悪化した国ではその時期にデフレになっている可能性が高い。ところが、15-64歳人口の増加率が0.5ポイント以上という劇的に低下する経験をした国は数多くあるのである


先進国に限らなければ


かように人口増加率が低下して自然利子率を引き下げたケースは多数あり、その規模も日本けが急速に劇的に悪化したとは言えないものである

2.依存人口比率の上昇は日本が劇的であると言えるがこれは元のエントリーにあるように自然利子率を引き上げるものであり、3.平均寿命はどの国でも長くなっていて日本けが特徴的な動きはしていない。

まり人口動態は、こと自然利子率への影響という点においては、日本けが特に急速で劇的なわけではなく問題が深刻なわけではない。なのに日本けがデフレに長く嵌まり込んでしまった。

これはデフレの原因として、人口動態の悪化が決定的な要因であったわけではないということである藻谷浩介残念!




*1日本自然利子率

http://www.jcer.or.jp/j-fcontents/report.aspx?id=10KYE8ASWCENXJDAI8125N3CI51I8NV1

*2日本人口

http://www.stat.go.jp/data/jinsui/2014np/pdf/gaiyou2.pdf

*3家計貯蓄率

http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/4520.html

*4世界人口

https://esa.un.org/unpd/wpp/DVD/Files/1_Indicators%20(Standard)/EXCEL_FILES/1_Population/WPP2015_POP_F15_1_ANNUAL_POPULATION_BY_AGE_BOTH_SEXES.XLS

2016-12-02

低学歴ほど自殺するという統計結果

国立がん研究センター大阪大学大学院医学研究科大阪医科大学の共同研究チームが明らかにしたもの

1990年から2012年までの期間の自殺リスクと最終学歴関係調査したところ、

最終学歴大卒か院卒の男性では、中卒の男性に比べ、自殺リスクが53%低下していることが分かりました。

女性場合も同様に、最終学歴高卒場合では中卒よりも自殺リスクが56%低く、

特に調査開始時40代だった女性では、高卒自殺リスクが中卒に比べ80%以上低下していた

やっぱ「職に就けない・就いても簡単に失いやすい・再雇用されにくい」んだろうな。

女性でも低学歴ほど自殺する傾向があるのは、受け皿のなさを示してる気がする。

2016-12-01

メジャーリーグ史において最も重要な40人」について調べてみた

メジャーリーグ史において最も重要な40人」はアメリカの著名スポーツメディアスポーティングニュース」が先日発表して話題となったもの。ソースはこちら。

The 40 most important people in baseball history, ranked | MLB | Sporting News

ここで挙げられている40人について調べてみたんだけど、筆者はMLBにそこまで詳しいわけではないので、何か誤認・誤訳があったらごめんな。

1位 ベーブ・ルース(1895-1948)

MLB史上最大のスター。驚異的なペースでホームランを放ち、MLBの野球を「ライブボール時代」へと変えた。当時、ブラックソックス事件により信頼を失っていたMLBは、ルースの人気によって復活し、さらにはアメリカ最大のスポーツにまでなった。

2位 ジャッキー・ロビンソン(1919-1972)

近代MLBにおける初の黒人選手。ニグロリーグで活躍した後、1947年ドジャースでMLBデビューして、MLBの「カラーライン」を打ち破った。またMLBの初代新人王でもある。

3位 ケネソー・マウンテンランディス(1866-1944)

1920年ブラックソックス事件の収拾を図るために、強大な権力を有するコミッショナー職が新設され、判事であったランディスが就任した。事件に関わった8人の選手は永久追放とされ、その厳格な対処がMLBの信頼回復に繋がったと考えられている。

4位 バン・ジョンソン(1865–1931)

1900年アメリカンリーグを創設し、現在まで続くMLBの2リーグ体制を作り上げた。審判に権力を与え、違反行為に厳しい罰則を課すことで、クリーンイメージを生むことに成功した。強権的な性格から、のちにランディスと対立して辞任した。

5位 ブランチリッキー(1881-1965)

カージナルスドジャースのGMを歴任し、MLBで初めて選手育成のためのファーム制度を整えた。また、ジャッキー・ロビンソンと契約して、黒人選手がMLBに参加する道筋を作った。

6位 マービン・ミラー(1917-2012)

1966年エコノミストとしての経験を買われてMLB選手会の代表に就任し、最低年俸の増額、選手年金の拡充、そしてFA制度の導入に貢献した。彼の在任期間中に選手の平均年俸は1.9万ドルから32.6万ドルにまで向上した。

7位 アルバートスポルディング(1850-1915)

スポーツ用品Spalding社を興し、ナ・リーグ創設にも関わった。初めて野球のルールブックを出版、ボール標準化に努めるなど、初期のMLBの発展に尽力した。野球選手としても超一流で、通算勝率のMLB最高記録を保持している。

8位 ウィリアム・ハルバート(1832-1882)

シカゴ・カブス(の前身)の社長であり、1876年のナショナルリーグ創設者の一人である。のちにナ・リーグの第二代会長に就任して公正かつ厳格な運営を行い、MLBの基盤を作り上げた。スポルディングとは盟友だった。

9位 ルーブ・フォスター(1878-1930)

黒人野球チームのスター選手であり、また球団オーナーとしても成功した。彼の呼びかけによって、1920年ニグロリーグが設立された。「ブラックベースボールの父」と呼ばれる。

10位 ヘンリーチャドウィック(1824-1908)

野球評論家・統計家で、「野球の父」とも呼ばれる。ボックススコアを考案して試合の記録を取り、「打率」などの指標を提唱した。またスポルディングのもとでガイドブックを刊行するなど文筆活動も盛んに行い、野球の普及に多大な貢献をした。

11位 バド・セリグ(1934-)

元はブルワーズオーナー。MLB選手会オーナーの対立が激化していく中で、1998年実質的には1992年)に第9代MLBコミッショナーに就任。リーグの再編、収益分配制度の導入、オンライン配信の開始などにより、就任前と比較して5倍以上とも言われる空前の収益をMLBにもたらした。

12位 ウォルターオマリー(1903-1979)

ドジャースオーナー。冷徹な経営者であり、1957年に球団をブルックリンからロサンゼルスへ移転させた。それによりアメリカ西海岸における野球ビジネスを開拓し、経済的には大成功を収めたが、ブルックリン住民からは深く恨まれた。

13位 ビル・ジェームス(1949-)

1977年から1988年まで刊行した「Baseball Abstract」を通じてセイバーメトリクスを提唱した。米国野球学会(SABR)のデータと統計の手法を用いて、RCやRFなどの様々な新しい指標を作り出した。

14位 フランク・ジョーブ(1925-2014)

1974年ドジャースの選手だったトミー・ジョンに、自らが考案した靭帯再建手術を施し、それを成功させた。この手術は「トミー・ジョン手術」として、いまでは広く施術されている。また、1990年には肩再建手術も成功させている。

15位 ハンク・アーロン(1934-)

ブレーブスで活躍し、ベーブ・ルースの記録を超える通算本塁打755本を放った。黒人のアーロンが白人のルースの記録を破ることには反発もあったが、彼はそれを乗り越えた。通算打点2297点は現在でもMLB記録である

16位 ルー・ゲーリッグ(1903-1941)

ヤンキースに所属し、当時の記録である2130試合連続出場を達成して「鉄の馬」と呼ばれた。しかし筋萎縮性側索硬化症に苦しみ引退、そして37歳の若さで亡くなった。背番号の「4」はMLBで初めて永久欠番となった。

17位 ドク・アダムス(1814–1899)

野球クラブのニッカーボッカーズや全米野球選手協会(NABBP)において、チームの人数や塁間の距離、一試合のイニング数、バウンドルールの撤廃など、基本的ルールの策定に貢献した。遊撃手ポジション創始者とも言われる。

(野球ルールの策定に関してはアレクサンダー・カートライトの名前がよく挙がるが、現在ではドク・アダムスを評価する声が多いようだ)

18位 バック・オニール(1911–2006)

ニグロリーグで活躍した後に、MLBで最初の黒人スカウトとなり、最初の黒人コーチとなった。ニグロリーグ野球博物館の設立や、ドキュメンタリーへの出演、多くのインタビューを通して、ニグロリーグへの関心を高めることに尽力した。

19位 ロベルト・クレメンテ(1934-1972)

MLBにおけるヒスパニック系選手の先駆けであり、中南米出身で初めてMLB殿堂入りした。慈善活動中の飛行機事故により38歳で亡くなり、そのため慈善活動に貢献した選手に贈られる賞にその名が冠されることになった。

20位 ジェームス・アンドリュース(1942-)

肩、肘、膝に関する整形外科医。1985年ロジャー・クレメンスに施術した関節鏡手術で脚光を浴び、以降もスポーツ医学の権威として数多くの選手の手術を担当している。

21位 ジョー・ジャクソン(1888-1951)

シューレス」の異名で知られるMLB初期の名選手。しかし、MLB最大の八百長事件であるブラックソックス事件に巻き込まれ、MLBから永久追放された。ファンは彼に同情的であり、いまなお悲運の選手として記憶されている。

22位 ピート・ローズ(1941-)

最多安打4256本や最多出場3562試合などのMLB記録を持つ「安打王」。しかし、引退後の1989年に野球賭博に関わっていたことが発覚し、MLBからは追放された。

23位 ウィリー・メイズ(1931-)

走攻守すべてに優れたMLB史上最高のオールラウンダーであり、当時MLBにおいて台頭しつつあった黒人選手の代表格でもあった。オールスター24回出場は最多タイであり、「オールスターはメイズのために作られた」と評された。

24位 コニーマック(1862-1956)

1901年アスレチックスの初代監督に就任すると、それから1950年まで指揮を取り続け、5度のワールドシリーズ制覇を成し遂げた。もちろん監督の就任期間としてはMLB史上最長である

25位 ハッピーチャンドラー(1898-1991)

上院議員ケンタッキー州知事、そして第二代MLBコミッショナーランディスが黒人参加に否定的だったのに対して、チャンドラー進歩的であり、1947年ドジャースおよびジャッキー・ロビンソンを支持し、その契約を承認した。

26位 オリバー・ウェンデル・ホームズジュニア(1841–1935)

連邦最高裁判所の名判事として著名。1922年、球団が選手の移籍を制限できる「保留制度」について、それが反トラスト法に該当しないとの判決を下した。これにより、現在までもMLBは反トラスト法適用免除の特例として扱われている。

27位 バーニー・ドレイファス(1865-1932)

1900年パイレーツオーナーとなった。その後のナ・リーグア・リーグの対立を調停し、「ワールドシリーズ」を提唱して1903年の初開催に尽力した。また1909年に、鉄筋コンクリート製の近代的な球場を建設したことでも知られる。

28位 アレクサンダー・クリーランド(?-?)

スコットランド出身のビジネスマン1934年、野球発祥の地であるクーパーズタウン(これはスポルディングが広めたデマであるが)に野球博物館を作ることを思いつき、そのアイディアアメリカ野球殿堂の元になった。クリーランド自身は野球に全く興味がなかった。

29位 テッド・ウィリアムズ(1918-2002)

レッドソックスで活躍し、MLB史上最高のバッターの一人とされる。最後の4割打者であり、通算出塁率.482はMLB記録である1970年に刊行された、自身の打撃理論を記した「The Science of Hitting」は、後の多くの打者に影響を与えた。

30位 デビッド・ネフト(1937-)

大学で統計を学び、1969年スポーツ百科事典「The Baseball Encyclopedia」を、1974年からは「Sports Encyclopedia: Baseball」を毎年刊行し、高い評価を得た。他にサッカーバスケットボール百科事典も編纂している。

31位 トニー・ラルーサ(1944-)

ジョン・マグローらと並んでMLB史上最高の名将とされる。ホワイトソックスアスレチックスカージナルスの監督を歴任し、ワールドシリーズを3度制した。データを駆使した細かな継投を得意とし、現代的な「クローザー」というポジションの確立に貢献した。

32位 レフティオドール(1897-1969)

MLBで首位打者を獲得するなど活躍し、引退後は監督となった。1934年に日本の野球チームと対戦したとき、相手チームに「ジャイアンツ」というニックネームを贈った。1949年に訪日した際にはチームを率いて全国巡業を行うなど、戦後日本に野球を広めるのに貢献した。

33位 ロイ・ホフヘインズ(1912–1982)

アストロズオーナー1965年世界初ドーム球場アストロドームを建設し、さらにドーム球場では天然芝が使えないために、人工芝アストロターフを開発した。人工芝70年代に流行し、その走りやすさからMLBの野球をスピーディなものに変えた。

34位 ロバート・ボウマン(1955-)

MLBのインターネット部門であるMLB Advanced Media社(MLBAM)のCEO。MLB.comを運営し、試合のオンライン配信や、チケットの販売などを開始したことで、巨額の利益を上げている。

35位 マーク・マグワイア(1963-)

1998年サミー・ソーサとの最多本塁打争いにより、1994年ストライキで低迷したMLBへの注目を取り戻した。最終的に70本塁打を放って当時の新記録を作ったが、2005年頃からステロイドの使用が確実視されるようになり、その名声は失墜した。

36位 カート・フラッド(1938-1997)

1969年カージナルスに所属していたフラッドはトレードを拒否し、マービン・ミラーと共に「保留条項は反トラスト法違反であり、トレードは無効である」との訴訟を起こした。裁判には敗れたが、この事件をきっかけにFA制度が導入された。

37位 野茂英雄(1968-)

日本での任意引退を経て、1995年にMLBのドジャースと契約した。30年以上前の村上雅則を除けば、MLBで長年に渡って活躍した初めての日本人選手であり、その後も続々とMLBに移籍する日本人選手たちの先駆けとなった。

38位 メリッサラットク(1951-)

1977年ワールドシリーズで、当時のMLBコミッショナーだったボウイキューンは、女性記者であることを理由にラットクの取材を許可しなかった。彼女は平等な取材を求めて訴訟を起こし、勝利した。これ以降、全てのチームが取材に制限を設けないようになった。

39位 ビル・ドーク(1891–1954)

1920年カージナルスの選手だった彼は、野球用品メーカーとして有名なローリングス社に、グラブの親指と人差指のあいだに「網」を貼るべきだと提案した。これにより現在の形の野球グラブが完成した。

40位 セオ・エプスタイン(1973-)

2002年レッドソックスのGMに史上最年少となる28歳で就任する。2004年のWS優勝で「バンビーノの呪い」を打ち破ると、2012年には新たにカブス球団社長となり、2016年のWS優勝で「ビリー・ゴートの呪い」までも打ち破ってみせた。

2016-11-20

アメリカではマイノリティ差別によって生命を脅かされている

ではマジョリティである白人生命を脅かされていないのかというと、脅かされているが答である

米国白人中年の死亡率上昇、依存症など要因」

http://jp.wsj.com/articles/SB12055383950015144394104581334663298544334

「米白人平均寿命が低下、黒人男性は延びる」

http://jp.wsj.com/articles/SB10834865168797973818204582019062757056648

トランプ現象の背後に白人絶望──死亡率上昇の深い闇

http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2016/06/post-5278.php

「「ドナルド・トランプ米国」の生と死 寿命が短くなる白人ブルーカラー男性

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/48141

1970年には、低所得中年男性平均寿命は高所得の同じ年齢の男性のそれよりも5年短かった。1990年までに、この差は12年に広がった。最新の推計ではほぼ15年になっている。

だいたい寿命が短くなるとき子供中年の死亡が増えている。アメリカ場合はほぼ中年の死亡の増加が原因である

ここまで生命が抑圧される社会的圧力が昨今の白人ブルーカラー層には存在している

共和党でも民主党でも寿命は縮んできた(殺されてきた)のだから、そりゃ「共和党はぶち壊す!エスタブリッシュメントはぶち壊す!」のノリで来たトランプを支持する向きはあろうというものである。この状況で特に白人男性に手を打とうとしないヒラリーは逆に白人男性差別していると言われても仕方がない。

2016-10-29

問題人口動態だよ、馬鹿者?

http://d.hatena.ne.jp/himaginary/20161024/Its_the_demography_stupid

このエントリーにあるように人口動態は自然利子率に影響を与える。人口動態で自然利子率が下がってしまと金政策効果に制約が掛かるのでこれは大きな問題である

日本デフレはその結果であり、藻谷浩介勝利・・・ということなのだろうか?どこの国においても人口動態は自然利子率に影響を与えるにしても、先進国の中でも特に人口動態の問題が深刻な日本では自然利子率への影響が巨大だったのだろうか。

日本では1990年2000年デフレに嵌まり込み、そこからの脱却に苦労している。このような状況は日本だけである自然利子率が大きく下がったのもこの時期だと考えられている*1。では、この間の日本人口動態は他に類を見ないほどの大きな影響を自然利子率に与えたのだろうか。



そこで、実際のデータを見てみよう。

まず元のエントリーの2.依存人口比率である生産年齢以外の人口生産年齢人口で割った依存率は1990年に43.5%だったのが2000年に46.9%と上がっている*2。65歳以上の人口生産年齢人口で割った場合1990年17.3%から2000年の25.5%までもっと顕著に上がっている。依存人口比率が高くなると経済の貯蓄率が下がり、自然利子率は上昇することになる。

次に3.平均寿命を見ると年々安定的に上がっている。このことは長い老後に備えての貯蓄が増えるので、経済の貯蓄率が上がり、自然利子率は下落することになる。

この2.依存人口比率と3.平均寿命効果はどちらも貯蓄を通じたものである。そこで家計貯蓄率のデータを見ると1990年から2000年にかけて日本では下がっている*3。家計貯蓄率が低下した人口以外の理由もあるだろうがその下落が大きいことからすると、2.と3.の効果を合わせたものでは自然利子率は上昇している可能性が高い。

まり人口動態が自然利子率を下げてしまったという場合、1.労働供給の伸び率の効果がとても大きく2.と3.を合わせたもの以上になっている必要がある。

では生産年齢人口はどうであったか1990年86,140千人、2000年86,380千人である*2。増えている。つまり生産年齢人口の変化は自然利子率にプラスに働いていた。

よって1.2.3.トータルで人口動態は自然利子率にプラスに働いていた、マル、終了。藻谷浩介残念!









・・・とは、もちろんならない。

確かに人口動態は1990-2000年にかけて自然利子率にプラスに働いていた可能性は高いものの、それ以前の人口動態がもっと大きなプラスに働いていれば、その大きなプラス効果が剥げ落ちてしまった分だけ自然利子率は低下する。

では何を見れば良いのか?それは、1.については1990年から2000年にかけて15-64歳人口が増えたか減ったかではなく、15-64歳人口の増加率が高まったか低くなったかである人口が何%変化したかではなく人口増加率が何%ポイント変化したかである

たとえば生産年齢人口が年10%で増えていたのが年3%にまで増え方が下がった人口増加社会ではそれが理由自然利子率は下がるが、年1%での生産年齢人口減少が続く人口減少社会ではそれだけなら自然利子率は下がらないのである

では人口増加率のデータを見てみよう。

1980-1990年の間の15-64歳人口の平均増加率は年0.88%であったのが1990-2000年にはこれが年0.06%となっている*4。増加率は0.82%ポイントも下がっている。これが他で類を見ないほど大きな低下であれば、15-64歳人口の動きによって日本では他の国よりも自然利子率が大幅に低下し、日本けがデフレに嵌まった可能性が高まる藻谷浩介勝利なるか?


さっそく他の国の15-64歳人口の平均増加率を見てみよう。


おお、これらの国と比べると日本比較にならないほど急速に劇的に人口動態が悪化していると言えそうだ。やはり藻谷浩介勝利か?

ところが、


と増加率の変化幅で見れば日本以外にも劇的な人口動態の悪化が見られる国がある。しかし、これらの国ではこの間にデフレにはなっていない。

しかも、何もこの時期だけが人口動態でデフレになるわけではないだろう。日本デフレになったときと同じ程度の劇的な人口動態の悪化があればデフレになるのであれば、他の時期に人口動態が悪化した国ではその時期にデフレになっている可能性が高い。ところが、15-64歳人口の増加率が0.5ポイント以上という劇的に低下する経験をした国は数多くあるのである


先進国に限らなければ


かように人口増加率が低下して自然利子率を引き下げたケースは多数あり、その規模も日本けが急速に劇的に悪化したとは言えないものである

2.依存人口比率の上昇は日本が劇的であると言えるがこれは元のエントリーにあるように自然利子率を引き上げるものであり、3.平均寿命はどの国でも長くなっていて日本けが特徴的な動きはしていない。

まり人口動態は、こと自然利子率への影響という点においては、日本けが特に急速で劇的なわけではなく問題が深刻なわけではない。なのに日本けがデフレに長く嵌まり込んでしまった。

これはデフレの原因として、人口動態の悪化が決定的な要因であったわけではないということである藻谷浩介残念!




*1日本自然利子率

http://www.jcer.or.jp/j-fcontents/report.aspx?id=10KYE8ASWCENXJDAI8125N3CI51I8NV1

*2日本人口

http://www.stat.go.jp/data/jinsui/2014np/pdf/gaiyou2.pdf

*3家計貯蓄率

http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/4520.html

*4世界人口

https://esa.un.org/unpd/wpp/DVD/Files/1_Indicators%20(Standard)/EXCEL_FILES/1_Population/WPP2015_POP_F15_1_ANNUAL_POPULATION_BY_AGE_BOTH_SEXES.XLS

2016-10-25

[] ブーブ

『ブーブ』(VooV)とは、バンダイ2010年3月27日から発売している、車両玩具である

  

特徴は「変身※可能模型」。模型の側面・前後を開き、ひっくり返して組み立てると別の車両が出来上がる仕組みとなっている。

対象年齢は「未就学の男児」。

  

車両が別の車両に変形する」という機構を持つ玩具は、1981年テレビ放映された『タイガーマスク二世』の主役専用の

スポーツカータイガーハリケーン玩具名は『DXポピニカ タイガーハリケーン』)や1982年ポピー

(現:バンダイボーイズトイ事業部から発売されていた玩具シリーズチェンジマシン」、1990年テレビ放映された

特警ウインスペクター』の主役専用のパトカー・ウインスコード(ファイヤーコード玩具名は『DXウインスコード』)等が

有る。但しVooVと変形方式は異なる。

  

2010年12月24日からアンパンマンの乗り物模型玩具に同様の機構を組み込んだ『チキチキ変身!』が、2011年8月13日から

同『NEWチキチキ変身!』が同社より発売されている。

  

2013年11月より、大型ビークルとの合体機能が加わったVG(ブーブガーディアンシリーズが、展開された。

  

※「変身」はバンダイ登録商標

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%BC%E3%83%96_(%E7%8E%A9%E5%85%B7)

2016-10-24

ヴィンテージモノが新品価格を追い抜く不思議

ワイン時計、車やバイクに至るまで

世の中にはあらゆるヴィンテージがある

機能性もデザインも新品のそれに劣る物が

よくよく新品より高値取引されるのだ

例えばワインなんかはよく見る話だ

シャトー・マルゴー2013年物は今なら2万円以内で買える

http://store.ponparemall.com/echigoyanet/goods/1299104/

しかし、1952年シャトー・マルゴーなど、30万円必要

http://store.ponparemall.com/katsuda/goods/2004-1510025/

1952年といえば、「風と共に去りぬ」が大ヒットして、なおかつ鉄腕アトムが連載開始された年。

ちなみに有名人では、中島みゆき坂本龍一村上龍夏木マリ秋元治や浜ショーが生まれた年。

わかりやすい例

ワイン趣味性が強すぎるが

いわゆる旧車と呼ばれるバイクならわかりやすいかもしれない

1986年ホンダCBX400Fなんかがいい見本だろう

いわゆるネイキッドタイプバイクで、1990年以前は最も売れた気がする

丁度、このときバイクが好きでたまらなかった世代が今の48歳の人

葉加瀬太郎佐々木倉之助、大沢たかお新田恵利渡部篤郎さんと同い年

そのCBX400Fはいま、ノーマルの極上状態で200万超の買取価格(!)

https://www.bikeone.jp/bikeone_blog/category-05/cbx400f

買取価格で後継機、というか血脈を引き継ぐ

最新モデルCBR400Rを、2台買ってもお釣りがくる

というか、CBシリーズ最新モデルの中で最上級CB1100すら2台買える

http://www.honda.co.jp/CB1100/

50歳前後といえば、ちょうど子どもが手を離れて少しは時間がつくれる頃

バイク好きだった人はこれを機に、新しいモデルに買い替えたりすると

空いた時間を楽しく活発にすることができるかもしれない。

ヴィンテージにもいろいろある

ちなみにヴィンテージといえば、

最近ではこんなヴィンテージも人気らしい

http://www.vintage-mansion.tokyo/about/

ヴィンテージマンションとはこれまた…

古い建物にそんな価値はあるのかと思うが、意外とあるのだ

というのも、丁度ヴィンテージマンションと言われる建物

1985~1993年あたりに建てられたものが多く

恐ろしく経済が活発だったこともあり、とにかく贅沢

什器や共用空間意匠が、今でも素晴らしい物ばかりなのである

しかヴィンテージマンションは車やバイクと違い、

新品価格より高くなることはない、あくまでお洒落価格だ。

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