「科学哲学」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 科学哲学とは

2024-03-22

anond:20240322122217

——————————————————————————————


5/15

理学部物理学教室 浅川

科学哲学第二」のレポートは、5/31 までに1号館1階の浅川レターボックスに提出すること。

このレポートを提出しない学生には、単位は出ません。

——————————————————————————————


6/3

理学部物理学教室 浅川

期限を過ぎて提出されたレポートは、いかなる理由があろうとも 受けつけません。

締切を過ぎてもまだ私のレターボックスに「科 学哲学第二」のレポートを入れる者が居ますが、5/31 の午後 5:00 以降に投函されたレポートは全て破棄しました。

——————————————————————————————


6/4

理学部物理学教室 浅川

「5/31 まで」と書いたら「5/31 の午後 5:00 まで」の意味です。

こんなことは社会常識です。

——————————————————————————————


6/5

理学部物理学教室 浅川

他の教官が午後 12:00 まで受けつけていても、関係ありません。

反例を幾つ挙げようと、定量的に述べなければ意味がありません。

——————————————————————————————


6/8

理学部物理学教室 浅川

なぜその熱意を使い、もっと早くにレポート作成しないのか理 解に苦しみますが、とりあえず午後 12:00 まで受けつける教官過半数であることは理解しました。

よって、6/15 の午後 12:00 まで「科学哲学第二」のレポート提出期限を延長します。

——————————————————————————————


6/10

理学部物理学教室 浅川

「6/15 午後 12:00 まで」ではなく「6/16 に浅川レターボック スを開けるまで」ではないか、との意見がありましたが、これら は全く違います。必ず 6/15 中に提出するように。

——————————————————————————————


6/12

理学部物理学教室 浅川

私のレターボックスに猫の死骸を入れたのは誰ですか。

——————————————————————————————


6/13

理学部物理学教室 浅川

「私がレターボックスを開けた瞬間に波動関数収束し、内部状 態が定まるので、レターボックスを開けるまではレポートが提出 されたかどうか分からない」と主張したいことは分かりました。

今回は、提出場所を1号館302の浅川研究室前のレポート提出 用ボックスにします。

この箱は、6/15 午後 12:00 にシュレッダー へと自動的に切り換わるので、シュレーディンガーの猫の問題は発生しません。

——————————————————————————————


6/16

理学部物理学教室 浅川

いかげんにしなさい。午後 12:00 は「グリニッジ標準時」では なく「日本標準時」です。

これは常識以前の問題です。

普段日本時間生活しているくせに、レポート提出時だけグリ ニッジ時間を求めるなど言語道断です。

——————————————————————————————


6/18

理学部物理学教室 浅川

信じ難いことですが、「科学哲学第二」を受講する学生過半数グリニッジ標準時生活していることが分かりました。

夜型にも程があるとは思いますが、とりあえずレポートの提出は6/30 の午後 12:00 GMT まで待ちます

——————————————————————————————


6/22

理学部物理学教室 浅川

時間連続性についての疑義は受けつけません。どうやらベルグソン時間論を曲解している者がいるようですが、主観的時間がどうあれ、 7/1 の後に 6/30 が来ることはありません。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

「それで、確かに君は 6/30 中にレポートを提出したというんだね?」

浅川助教授皮肉っぽい口調で生徒に尋ねた。

「ええ、ギリギリでした」

まだ若い学生が無邪気に答える。

「だが、君のレポートは私の手元には無い。君は時間を間違えたのではないかな?」

「いいえ、日に 0.1 秒も狂わない、正確な電波時計を使っていますから

先生レポートボックスこそ、時刻を間違えたんじゃないですか?」

冗談だろう。GPS 補正で ±5 ミリ秒の精度で合わせてある」

「それで、24:00 GMT ちょうどにシュレッダーに切り換わるわけですね?」

「そうだ」

「うーーん。あ、そうだ。多分うるう秒の差ですね」

うるう秒?」

「ええ。グリニッジ標準時、正確には協定世界時と言いますが、

これは太陽の公転周期から計算する平均太陽時と違い、原子時計によって

計られることになっています。この協定世界時と実際の天文時刻との

差を縮めるため、12/31 や 6/30 などの午後 24:00:00 に、閏年2月29日

と同様の 1 秒を挿入することがあるんです。いやあ、このうるう秒

間に僕はレポートを提出して、先生シュレッダー動作したんですね。

困っちゃうなあ。学生レポートもっと大切に扱ってくださいよ」

学生は目をキラキラさせながら答える。

科学哲学第二のレポートは、まだ集まりそうにない。

anond:20240321122400

締切の話で 「科学哲学第二」のレポートネタが出てこないのは時の流れを感じるな

2023-09-12

anond:20230912195121

科学者科学哲学を学ぶことには意味があると思うし、

科学者示唆を与えてくれるような科学哲学者にも存在意義があると思うけど、

科学にちっとも貢献しないやつが科学哲学適当に聞きかじって振り回しているのを見ると、薄ら笑いしか出てこない。

下世話に言えば、童貞AV博士セックスを語るのを拝聴する気分。

2023-05-21

anond:20230521124221

それな。なんであんなしつこく絡んでくるんだろ。哲学科学哲学一家言あるの自慢したいのかな

2023-03-05

科学哲学やってんなら国際英文誌に査読つきで論文出せよ

日本国内雑誌に出した論文だけでも素晴らしいと評価される分野があるのは理解出来る

それはそれとして科学全体をテーマにした科学哲学を専門にしてる人達ちゃん国内英文誌に出せって思う

日本雑誌でなきゃいけない事情なんてロクに無いだろ…

そして雑誌のIFもモロに見られるべきである

ホント…ただ日本語の本出してるだけで科学哲学の研究者面してる人とかさぁ…

2022-11-27

哲学科の意義

昨日あたりからやたらとたたかれてるけど、個人的言葉定義を厳密にやろうとかそういう話は大好物でどんどんやってほしい

ただ哲学の人と話していて悲しくなるのは、言葉定義し言い換えゲームをやった後でそこから特に何もないことなんだよね

お前は翻訳機かよって言いたくなる

それも他分野へのリスペクトが足りず曖昧訳語を作って謎の枠組みを作った後、そこから連想ゲームで別解釈を初め、その曖昧さを利用して最終的によくわからない結論を導く

いやそれお前の訳語曖昧なせいだからwwwみたいなことを思ったことは一度や二度ではない

過去の立派な哲学者がどうなのかは知らんが、哲学ってある種の思考の体系なので、普通にどの分野をやっていても哲学っぽい話は生じるし、そこであえて「哲学」をメインにいろいろやろうっていう人が最終的に何を目指しているのかわからない。分野specificでない一般的哲学をできるほど頭のいい人は(今の科学が発展しすぎて)全体を包括するような理論を作れないことに早々に気付いて個別分野をやっていて、それに気づけない、IQも足りてなさそうな二流の人間が小難しい言葉で煙に巻きつつなんかわめいている感じがある。私見

(今思ったがこれ科学哲学限定の話だな)

2022-11-14

はてなーで「3種の読書

クリエイティブになるには、3種の読書を1000日続けよ

https://note.com/hoshinomaki/n/n1c2fd844ed21

これ。毎日、(短編)物語1つ、詩を1つ、論考(essay)を1つ。

面白そうだけど、3種×1000個も探してらんないじゃん。今こそ集合知じゃん。よろしくお願いします。

自分から

  1. 川端康成掌の小説』より『火に行く彼女
  2. 谷川俊太郎『62のソネット+36』より『今日
  3. 野家啓一『「実証主義」の興亡 -科学哲学視点から-』 https://www.jstage.jst.go.jp/article/ojjams/16/1/16_3/_pdf

1種類だけでもいいし、元動画が言うほどビッグネームじゃなくていいよ。歴史に残っててぱっと読める論考なんて知らないよ

別にマイベストじゃなくていいから気兼ねなく頼むよ

2022-11-04

anond:20221102154429

確率人類にはまだ早いから仕方がない。

確率とはなんなのか?という疑問には、コルモゴロフの数学構造を認めても答えは出ないのです。

頻度主義ベイズ主義の血で血を洗う抗争に身を投じて科学哲学の深奥に迫ってくれたまえ。俺はやんないけど。

2022-10-13

anond:20221012124620

アブのおかげで長者になったわけではない

男が藁を手にした時点でアブは男の周りを飛び回る運命が決定づけられていたのである

アブに自由意志はない

なぜらなもしアブが男の周囲を飛び回らなければ男は長者になることは無かったのであり

これすなわち観音が嘘をついたことになってしまうからである

アブに自由意志は無いが、男は手にしたもの観音のお告げ通り大事に持っているか棄ててしまうのか自己決定可能

棄ててしまったら長者になれなかったわけだが

男には自由意志があるのである

このおとぎ話は非常に科学哲学的な話なのであーる

2022-10-03

anond:20221003003435

あの漫画科学哲学の扱いがめちゃくちゃモヤモヤする

反証可能性っぽい話を登場人物がするけど、反証可能性ポパーが唱えるのって地動説なんかよりも全然先の未来だかんなって感じてしま

地動説科学重要性を説明するのに作中でさらに先の概念である反証可能性」の話をするのはズルいというか、命がけで「地動説」を受け継ぐ話なのに、科学の発展の話なのに、発展した先の未来概念持ってくんのは道理が通ってなくない?と思ってしま

大航海時代にどらえもんが「どこでもドア使う?」って言って台無しにしているような感じがする

2022-09-26

anond:20220926143640

理系だったか大学時代の友人もほとんど理系だが、科学哲学よりの話はたまにするぞ。おまえの周囲ではワンピースの話しか通じないだろけど。

2022-09-10

anond:20220910145914

から頻度論なら「同じ観測」を何度もやってカウントした頻度のことだと定義する(しかない)し、ベイズ決定理論なら観測者の頭の中にある行為の決定基準が期待効用として書けるときにそこに出てくるものを「確率」みなす定義してるだけやで。そっから先は科学哲学やるしかないと思うで(やってもあんまり意味ないと思うけど)。

2022-07-24

anond:20220724022334

よく知らんけど、科学方法論だったり、パラダイムだったりを扱うのは科学哲学の領域からそこらへんの本を読むといいと思う

2022-07-20

anond:20220720124155

なんか一冊だったら『人間 この信じやすもの』をおススメするよ

人間がなぜ間違った考えを信じてしまうのかを解説する本だよ

何でこれをおススメするかと言うと単純に読み物として面白い本からだよ

あいうの信じちゃう人がいるけど、こういう理由からだよと根拠を示しながら、ばっさばっさと誤認あるあるを切り捨てていく様は読んでいて痛快で楽しい

また、なんとなくあれって胡散臭いと思うけど、その理由言語化できないなあってことを平易な言葉説明してくれて、ぼくとしては腑に落ちる感じがすごくしたよ

一冊限りでこの本をおススメする理由としては、この本を読むことで他の本の説明が理にかなっているか考えることができるようになるからだよ

この本を読むことで胡散臭いものへの嗅覚がかなり鋭くなるよ

この本は誤認を認知的・社会的側面からとらえた本でしかいから、そもそも科学科学ってだけで妄信していいの?って思う人には『科学哲学冒険』がおススメだよ

科学哲学冒険』を読むと、文系でも科学とは云々が語れるようになるし、疑似科学科学の線引きができるようになるよ

哲学って難しいって思う人もいるだろうけど、この本はセンセイと文系テツオくんと理系リカちゃんの会話形式で話が進んでいくのでとても読みやすいんだ

『チ。』っていう漫画最近話題になってたけど、『チ。』の登場人物セリフの中には科学哲学の考えを元ネタにしてるものがあるから、『科学哲学冒険』を読むと『チ。』について科学哲学的な話題がだせるようになるかも

ぼく自身は『チ。』の舞台中世なのに、登場人物自分が思いついたこととして、1900年代のポパー反証可能性っぽいことを言及することについていまだに上手く気持ちの整理がついてないよ

2022-07-19

anond:20220719143323

そもそも「本当にある」ことを確定させることは原理的にできないんだよ。

科学哲学の初歩を勉強してこい(そんなの勉強しなくても考えれば分かることではあるが)。

2022-06-05

anond:20220605214725

科学論文とかの相互批判モデルもそうですけど

批判というのは

議論価値自体を認めない、一連の議論そもそも価値だという批判

議論価値自体は認めるが、事実認識に誤りがあるという批判

の2パターンあって、両者を形式的類推して判定できないとそもそも相互批判が成立しないのでは

建設的な議論と言うなら、議題自体価値はとりあえず認めないと無限に発散するし

前者だったらメタ科学なり科学哲学のレベルになるかもしれないし、ペーパーやリプライレベルでやっても不毛でしょう

それを本当にやり合うならともかく、リプライレベルでなんの根拠もなくそういう話を持ち出してくるのは

水掛け論を狙った難癖だとして却下するのはそこまで特殊立場だとは思いません

まあ長くなったのでこのへんでやめときます

2022-03-26

anond:20220326024434

自然科学とは何か、という議論は確かにまり聞かないね

科学とは何か、は科学哲学という分野があるくらい大事だけど、自然科学とは何か、はあまり見解の不一致がないので語られないのだと思う

一方で、人文科学とか社会科学にとってのその疑問はその分野のアイデンティティに関わることだから、色々と語られてるんじゃないですかね

2022-03-05

悪魔の証明

そもそも考えてみれば悪魔の証明とは二値(真偽)命題特殊な例に過ぎない

たとえば「生きている」は「死んでいない」ともいえる。

「死んでいる」は「生きていない」ともいえる。

ある人間に関して、生きているかどうかという証明は、死んでいるかどうかという証明でもある。

一体証明義務はどちらが負うべきなのか?

かりに否定文を主張する人が負うべきと考えてみても「死んでいない」と主張する人間が負うべきとも「生きていない」と主張する人間が負うべきともいえてしまう。

翻って「全くないかどうか」という話はそもそもあるかないか」という話ともいえる。

悪魔の証明はなぜか根本的には真偽命題という構造が同じもののなかで、存在論に関する命題だけを特別視し「あると主張する方が証明せよ」ということにしている。

しかしその理屈はどこにあるのか?

前の例になぞらえれば、「ある」は「存在しないわけではない」と否定文にもできる

「ない」は、「全く存在しないという認識事実に反する」「反さない」とこれもまた肯定文と否定文と自由に行き来できる形式に置き換えられる。

悪魔の証明一見(なぜか存在非存在に関する命題に限って)肯定文を主張する側が証明せよという約束事に見えて、実はそこには一貫性がないのだ。

上のことを踏まえて、なんで悪魔の証明詭弁とすることが都合のいい弾圧じゃなく合理的ものなのか説明することは可能か。

悪魔の証明っていうのは対立側が存在しないということが証明できなければ自分たち存在するという主張を真とすること

俺がやってるのは存在しないということが証明できなければ、わからないということにすべきだと言ってるだけのこと。

俺は存在するということが証明できない人間にも、わからないということにすべきだというだけなので、俺の発言動機自分にとっての都合のよさとか党派性はない。公正な態度で議論しているに過ぎない。

悪魔の証明否定する人間には悪魔の証明をしてくる側が正しい証明をできなれば存在しないということを真とするという人が往々にしている点で自分達が嫌悪してる人間と同じ穴の狢なんだよね。

からないことをわからないということにできない時点で、悪魔の証明を用いる人間も、用いて来た側の主張を無効にするような人間学問にはそぐわないんじゃないかなって思える。

自分なりに悪魔の証明について考えてみて、やっぱり悪魔の証明詭弁に組み込むことには合理性がないように思えるのでした。それを詭弁とする方が結局学問の妨げになるんじゃないかという科学哲学的な意見をここに残しておく。

今でこそ確かに悪魔の証明学問でも唾棄されているようだけどね。

学者自身別に哲学やってるわけじゃないか悪魔の証明というものについて深く考えてみた人は少ないからこの現状なんじゃないか

悪魔の証明を悪しきものとする考え方は結局、どちらかといえば誤まった事実認識を横行させる方向に強く働くのではないのか。これを詭弁としないほうがましになるかもしれない。

2022-02-04

繰り上がりの計算を教えてもらえればだいたいどんな桁数でも計算できるじゃん?

同じように「光速度不変の原理」ってものさえあれば特殊相対論効果が関連するどんな状況設定に対してもこうなるという解を論理的に導き出せるはず。

でも実際は「お互いに反対方向に光速の90%で進むもの同士があるのは相対論矛盾してるか→してない」

「公転を公転を公転するものって光速超えない?→超えない」「一秒までの時計光速一秒分ある巨大な時計ってどうなってるの→秒針がうずをまく」

みたいにそれぞれに応じて適切な解を「光速度不変の原理からだけで導き出せる人は少ない。

ようするに手ほどきが雑なんだよ。もっといろいろな状況設定自分でできてかつ自分で考えられるように、つまり応用が効くようになるためには言葉足らずだと思うん

だ。

なんというか正の数と正の数を足し合わせたら数が大きくなりますってすごく雑な法則を教えてもらってるだけって感じ。それでは繰り上がりの計算ができるようにはならないし、実際もっと筆算の手順は具体化されている。

同じように「光速は不変なんです」だけじゃなくて、もっと具体的に教えるべきことがあると思うんだよね、ってか絶対あるでしょ。

科学哲学の話がしたいんじゃなくて、自分の頭で考えられるようになりたいだけ。それには教えることがが足りてなさすぎてるんじゃないのって話。

本来は同一の法則から導ける問題なのにちょっと状況設定が変わってるだけで他人に聞かないと分からないなんて状態は不便すぎるもの。いちいち会計とかで他人に聞かないと合計額がわからない頭のままなのは不便でしょっていうのと同じで。

あなたのようなすでに理解してる側は初心というか初学者の頃のことを忘れてしまっているというか、理解できない側にいる人の気持ちがわからなくなっちゃうみたいだけど。

あなたも初学者のころは光速度不変の原理提示されてもすぐにはさまざまな状況設定に対して的確にこうなるという解を導き出せなかったころはあったと思うよ。

もしそんな雑な説明理解できる人だらけだったらそんなのより程度の低い高校物理でもあんだけ問題集が出てるわけないし。

さっき手ほどきが雑って書いたけど足し算引き算なんて大人にとっては簡単概念なはずなのにわざわざ「さんすうセット」なんて買わせておはじきとかで教えるでしょ。

そりゃ子供にとっては足し算引き算だって真新しい概念から当然。これを当然とするなら相対論大の大人にとっても十分真新しい概念たりうるから学ぼうとする人には同じようにもっと直感的な理解の助けになるような教材とかも充分用意されてるべきなんだよ。

anond:20220203192223

anond:20220203193029

anond:20220204141338

2022-02-03

anond:20220203191643

物理じゃなくて科学哲学をやりたいなら科学哲学の話をするべきで、ただの物理理論である相対性理論科学哲学言葉記述しようとするのはやめるべき。

2021-10-21

赤池弘次(京都賞2006受賞者)からメッセージ

https://www.youtube.com/watch?v=QAugnlK74Tw

今後統計学重要になる分野

実はですね、統計学というのは、非常に複雑な対象をですね、適当な形にまとめてなんとか処理をしていくと、そういうときにどうしても必要な考え方なんです。私自身のそういう見方は必ずしも現在ふつう統計学上のみなさんの考えとは、全面的には一致しないかもしれませんですけれども、でも、あらゆる科学の分野に関係している、技術の分野関係している、そして事実私自身の仕事哲学者がですね、関心を示しているようなことがありますから科学哲学、ようするにものの考え方に関連するところは、どこにでも関係していくと思います

創造性を維持していくには

創造性を維持するっていうよりも、やはり即当面の問題に集中するっていうことですね。そして、適当な、常識的な解で満足してしまわないということです。要するに自分が当面している問題を徹底して理解するというか把握して、納得するまでやると、そういう構えがあれば、どんな問題でも創造性は出てきます。要するに簡単問題なんかないんです。実際は一見簡単で、みんなが普通にこういうことをしているから同じように処理すればうまくいくと思ってしまうところで、創造性なくなるわけです。そうじゃなくて自分で本当に納得するまで捉えると、そういうことを続ければ、どなたでも誰でも創造的な仕事に到達すると、そういうものだと思います。それが科学ですね。問題っていうのは、こうやはり一種の戦いのように思うんですけれども、これを累積させない限り創造性は出てこないと思いました。

社会のために科学ができること

科学者に限らないんですけど、私、戦争が終わった時にちょうど海軍兵学校卒業間近でした。もう一期前の人は特攻に行ったような人もいるような、戦死した人もいるような、そういうクラスでしたから、やはりその頃はですね、明日自分が出ていくのかなという日々でしたから、それはもうやっぱりそういう問題には直面してたわけです。それで「人間が生きていくっていうことはどういうことなんだ?しかもそんなところで自分毎日何をしていたらいいだろう?」そこで私は先に戦死した叔父の残していった数学の本をですね見ながらまあ数学でもやっていますかと言って海の水を見てた訳です。ところが終戦になって帰ってきた。だから当然今度はその国家社会復興と、そういうことに自分たちが努力してなきゃいけないと思って帰ってきた。ところが社会のですね、価値観というか倫理観のようなものは急激に音を立てて変わる訳です。それを目の前で見ているとですね、それは茫然自失するっていうか、どこに自分が足場を置いたらいいのだろうってことはもう非常に悩みました。悩んでいるうちにですね、やはり結局、自他の生命尊重と、自分生命と人の生命尊重すると、それが全ての道徳の基本なんだと、自分たちの生き方を律していく上での基本なんだと、これさえしっかり押さえていけば、どこでどんな生き方をしてもよろしいと、こういうふうに考えるようになりました。ですから、いわゆる科学者じゃなくても、どんな人がどんなところで働いていても、そこだけ抑えていってくだされば、将来は明るいと思いますけど、ややもすれば、単純な専門分野の知識に惑わされて盲目的な行動に走る、この点だけは、やはりこうはっきり分けて認識していただくしかないと思います

これから研究者アドバイス

好きなことに熱中してですね、とことん妥協しないでちょっとの混乱には絶対へこまないでですね、やり抜くと、要するに頑張り抜くとこういうこと以外ありません。これさえあればどんな分野でも、どんな仕事でも、必ず成果が得られるとそういうふうに思います

2021-05-21

anond:20210516225443

科学リテラシーって要するに権威主義って認識であってる?

からその認識は間違ってる。「権威主義」と「科学リテラシー」は真逆。同じにはならない。「人」を重視するのではなく「科学」==実証主義を重視する考えなので。

権威主義」がある種の科学リテラシーの一部に見られる可能性があるのは正しい。

が、「権威主義」が「科学リテラシー」に取って代わられることはない。逆は真でも偽でもない。

怪しいウイルス退治法を自らの持ってる知識技術だけで完全に論破できるか?

「偉い人が批判たかトンデモ」以外の判断基準が我々にあるのか?

からという理由で諦めて、「偉人が言ったから全肯定」が「権威主義」。

科学リテラシーは違う。自分の持ってるだけの知識技術でできるだけ追求する「姿勢」が科学リテラシー

「偉い人」が言ってただけだが、科学リテラシーに照らして、ある程度合致したなら、「とりあえず」否定しない。

完全に間違ってれば、「とりあえず」否定しておく。そもそも絶対結論は得られないという覚悟科学リテラシーの内。

判断基準はあるし、持つことが出来る。少なくとも、私はその程度の勉強はしてるし、知識もある。

なんで「他人勉強してない」ことが前提なわけ?それはあなたが諦めただけ。他人敷衍する理由はない。

権威主義を使わずに信用に値する専門家を見つけるの辛くない?


別に辛くない。自分理解できるまである程度は真偽をはっきりさせるから

物事を判定する際に「権威主義」を使う必要はない。

そもそも科学リテラシーとは最初から物事完璧理解することじゃない。

システムとしての科学個人が身につける科学リテラシーは別だと思うんだけど

科学というのは哲学含むんだよ。科学システムだけじゃない。科学哲学は切っても切り離せないものだ。

科学リテラシーは、科学の土台としているので、どうしても定義を含まざる得ない。

一般人には実験再現も物的証拠検証も無理だし

から科学リテラシーは「態度」も含む。検証できないからという理由だけですべて投げ出すのは「科学」ではない。

一般人には科学リテラシー必要ないし我々にもありません」って主張なら分かるんだけど

もしかして科学というのを実験器具と同じものだと思ってないか?全く間違ってる。

実験を重視するが、科学実験器具のものじゃない。

ある実験をしてある結果が出る、ことだけを「科学」と呼んでるならそれ自体間違ってる。

科学哲学を学べ、とは言わないが、

存在自体知らない人が「科学リテラシー」は「権威主義」と一緒だなどと言えるのは「ああ知恵が足りないんだな」としか思えない。

2021-02-21

anond:20210221222345

科学哲学とかは理系っぽい要素もあるし、数学哲学で似通う部分はあるし

哲学を推すことがそこまで理系主義からの脱却になるかは要検証なのでは

2021-02-17

anond:20210217180703

科学哲学、という分野で議論されている。 

 

反証性や再現性がある、広く公共に認められている、実験確認できている、などの条件が一般的

 

真の科学的な正しさな存在しない、と言った哲学者もいる。

 

いずれも古典だ。興味あるなら初学者向けの教科書でも取り寄せてみろ。俺は結構すきだった。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん