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はてなキーワード: 科学哲学とは

2019-09-17

anond:20190917073800

政治というシステム自体あんまり科学哲学が発達してない頃に作られたものからなあ。

どのような問題が発生しているのか、というのは本来政治家が決めるべきレイヤーではないが

かつてはそれを高い確度で判断する材料がなかったので、

どの問題リソースを割くのかという判断の一部として政治家が扱っていた。

それ以外にも政治システムには、かつては存在しなかった技術改善できる点が多くあると思うが、

どうやって政治を行うかは政治家が決めるので、現行システム当選した政治家には

それを変えようとするインセンティブが無い。

 

人類三権分立みたいな感じで、政治システムをより良く変更する権限を、政治から分離すべきなんだよ

2019-09-15

anond:20190914145556

これはな、ファイアアーベントについて調べろ。

ファイアアーベントというのは、一般には知られてない、科学哲学という分野の対価だ。哲学の中でも「科学的に正しいとはどういうことか?」についてやっている。

ファイアアーベント科学哲学の始祖的な超有名教授に学んだ(「証明されているとは?」みたいなことはその超有名人定義した)。そしてその道を、突き詰めて突き詰めきった。

そしてファイアアーベントはこういった。

 

科学的に正しい、なんてねーわ! だって科学が正しいかを決める科学は無いんだから!」

 

この考えはもう一理あるとしか言いようがなくて、かれは一斉を風靡した。

増田が言ってるのも、知らない間にこのファイアアーベントの影響を受けてるやつなんだ。

 

ただなあ、ファイアアーベントはやっぱだめなんだよ。

彼の言うことはもっともだったが、しかし彼は「科学的に正しい」を破壊した後に、何も残すことはできないんだ。新しい正しさとか、正しさよりも相応しいなんらかのルールを用意することができない。

結果、ファイアアーベント理論を一番援用している人たちは誰かっていうと、オカルトが好きなやつと詐欺師なんだよね。科学的に正しいなんてありませんよ。だから宇宙人はいまよ。水に音楽を聴かせたら健康になりますよ。

そういう結論しか、ファイアアーベントの行く道の先にはなかったんだよ。

 

そういうわけで、Daigo馬鹿にするときには「科学的に正しいとは必ずしも言えない」という言い方をするようにしたまえよ。

科学は何も証明できない、なんて態度はとるな。不毛から

2019-07-20

新左翼科学哲学好きな人に『三体』を全力でオススメする

おい、そこのお前!あさま山荘事件が大好きすぎてカップヌードル食う度に機動隊気持ちになっているお前!なおかつ伊勢×戸田戸田×伊勢かで議論したい相手がいないお前!お前だ!お前に向かって俺は今書いてる!

『三体』だ!『三体』を買って読め!せめてKindle無料サンプルは落とせ!BGMRHYMESTERのThe X-Day無限リピートだ!

よし、Kindle無料サンプルは読んだか?読んでないよな。面倒くさいもんな。あんくらいWeb上で読めるようにしといてほしいよな。まあいい、せめてSpotifyRHYMESTERのThe X-Dayリピート状態にして以下の文章を読め!

『三体』は最高だ!一般的なあらすじは「文革物理学者の父を失った娘が云々」などとぬかしているが、無料サンプルで読めるその描写が最高であることはまったく紹介されていない。引用するぞ。

 シュプレヒコールがおさまるのを待って壇上に立つ男の紅衛兵の片方が批判対象をふりかえって言った。

「葉哲泰、おまえは力学専門家だ。自分がどれほど大きな合力に抵抗しているか、わかっているだろう。そうやって頑なな態度をとり続ければ、命を落とすだけだぞ! きょうは、前回の大会のつづきだ。くだらない話はもういい。次の質問に真面目に答えろ。六二年度から六五年度の基礎科目に、おまえは独断相対性理論を入れたな?」

相対性理論物理学古典理論だ。基礎科目でとりあげないわけにはいかないだろう」と葉哲泰。

「嘘をつけ!」そばにいた女の紅衛兵のひとりが荒々しい声で叫んだ。「アインシュタイン反動的学術権威だ。欲が深く、倫理に欠ける。アメリカ帝国主義のために原子爆弾をつくった男だ! 革命を起こす科学を築くためには、相対性理論代表される資産階級理論の黒旗(反動象徴)を打倒しなければならない!」

(中略)

「葉哲泰、これは言い逃れできないはずよ! あなたは何度も学生反動的コペンハーゲン解釈を撒き散らした!」

「それが実験結果もっとも符合する解釈であることは厳然たる事実だ」これだけ厳しい攻撃さらされても、葉哲泰の口調は落ち着き払っていた。紹琳はそれに驚き、畏れを抱いた。

「この解釈は、外部の観察者によって波動関数の収縮が引き起こされるというもの。これもまた、反動的唯心論の表れであって、その中でも、じっさいもっと厚顔無恥表現よ!」

思想実験を導くべきか、それとも実験思想を導くべきか?」葉哲泰がたずねた。突然の反撃に、批判者たちは一瞬、言葉をなくした。

「正しいマルクス主義思想科学実験を導くのが当然だ!」男の紅衛兵のひとりが言った。

「それは、正しい思想が天から降ってきたと言うに等しい。真理は実験によって見出されるという原理否定し、マルクス主義思想がどのようにして自然界を理解するかという原則に反している」

 紹琳とふたり大学生紅衛兵は、無言で同意するほかなかった。中学生労働者出身紅衛兵とは違って、彼らは論理否定することができなかった。しかし、附属中学の若き闘士たち四人は、反動分子を確実に攻め落とすための革命手段を実行した。

最高かよ!!! 時はあさま山荘事件の数年前だが、アカの本場中国でも似たようなどうしようもないことが起こっていたのだ!引用最後の部分で作者がたくみカメラワークを用いて批判者側の「論理の欠如」を指摘しているのがまた光り輝いている。そうなのだ。この手の議論には論理というものがまったく存在しない。あるのは連想ゲームだけなのだ(「物理学者のお前は自分がどれほど大きな合力に~」「アインシュタイン核兵器帝国主義=敵」)。あさま山荘事件でもそうであった。無色のリップクリームを塗ったことと、彼女が死ななければならないということの間にまったく論理的な関係存在しない(そもそも何かと誰かが死ぬということの間に論理関係が成り立ちうるのかという問題は置いておくとして)。そこにあるのは、「革命」や「自己批判」といったマジックワードを挟んだアクロバティックな地滑り連想ゲームだけである

しかし、しかである。われわれはそうした連想ゲームに時として身を委ねてしまう。どころかしばしば喜んでその中に身を投じさえする。あさま山荘の彼らが目指した「革命戦士」という存在にどうしてもワクワクしてしまうのは、そこからこれまでわれわれが目にした「革命」や「戦士」についての輝かしい言説やビジュアルがまさしく連想ゲーム的に引きずり出される快感にわれわれが抗えないかである

ベネディクト・アンダーソン国民国家を『想像の共同体』と呼んだ」と言われるとき、たいていアンダーソンが主張したかたことは無視されている。アンダーソンはこうも書いている。「国民国家は『想像の共同体であるからこそ強いのだ」と。どういうことか。例えばご近所たちは想像の共同体ではない。そこに想像力が働く余地はないからだ。近くてよく見えるがゆえに嫌いなところがよく見えてしまう。しか国民国家想像の共同体であるから、そうしたデメリット回避することができる。逆の意味で、人類もまた想像の共同体ではない。そこにもまた想像力は働かない。あまりに大きな対象であるがゆえに、想像することができないかである(それを想像できるように「地球市民」とかいろいろなレトリックが開発されては頓挫した歴史があるわけだ)。つまり国民国家想像するのに小さすぎも大きすぎもしないがゆえに、人間の持つ最も偉大な能力想像力創造力を刺激する存在であるがゆえに、これほど大きな存在になり得たのだ。世界大戦を二度経験して、戦後エコやらなんちゃらがあってメイクアメリカグレートアゲインな今、人類人類想像力対象にすべきであると誰も[誰?]がわかっているはずであるが、そうした方法は未だ見つかっていない。めっちゃナウい想像力を持ってそうなイスラム国ですら国を名乗る時代である

そうした状況にある人類に対して、「地球市民」としての自覚想像力を持たせるために一番手っ取り早い方法は、宇宙人に攻めてきてもらうことである映画インディペンデンス・デイ』があれだけ面白いのは、その「俺たち感」を徹底して純粋ものとして描けているからだ(もちろん「俺たち」と書いたようにそこから女性排除されているのだが、それもまた「俺たち」の盛り上がりを純化させるように働いている)。しかし、この方法には大きな問題がある。それはわれわれの知る限り宇宙人が当分の間攻めてきそうにないという点である。したがって二番目の方法が取られることになる。それが科学教育である。ひとりの神様とか王様の下で人類みんなが仲良くするのは無理だとわかったので、次は科学様の下で人類全員集合しましょう、というわけだ。まあ、承知のようにこの方法にもいろいろ問題はあるのだが、他に良さそうな方法もないので多くの人々からのんべんだらりと支持されているといってよい。

科学の持つ大きな問題として真っ先に挙げられるのが、それが神様よりも信頼可能か?というものだ。科学教の信者はそうだとなんの疑問も持たずに答え、異教徒たちはおらが村の神様の方が偉いと主張する。そこを調停するのが科学哲学者の役割ひとつであったが、どっちつかずとして双方の陣営から攻撃されるため調停役に名乗りを上げる科学哲学者はほぼ絶滅している。

(注:ネタバレ防止のため人名固有名アルファベットに置換している)

「Aくん、きみは仕事範囲を逸脱しかけている」Bが首を振りながら言った。「研究理論的なものだけに絞るべきだ。こんなに手間をかける必要が本当にあるのか?」

「Bさん、この実験は、大きな発見につながる可能性があるんです」とAは懇願した。「実験絶対必要です、とにかく、一回だけやらせてください。おねがいします」

「B、一度だけやらせてみたらどうかな?」Cが言った。「オペレーションはそれほど大きな手間でもなさそうだし。送信後、エコーが帰ってくるのに要する時間は――」

「十分、十五分だろう」Bが言った。

「だったらXシステム送信モードから受信モードに切り替える時間もちょうどある」

 Bがまた首を振った。「技術的にもオペレーション的にも造作ないことはわかっている。しかし、C、きみはどうも……、この手のことには鈍感みたいだな。赤い太陽に向かって超強力な電波送信するんだぞ。こういう実験政治的にどう解釈されるか、考えてみたことは?」

AとCは、どちらも茫然としたが、Bの反対理由荒唐無稽だとは思わなかった。逆に、自分たちがその可能性を考えもしなかったことにぞっとしたのである

 この時代、すべてのもの政治的意味を見出す風潮は、不合理なレベルまで達していた。紅衛兵は、隊列を組んで歩く際は左折のみ許され、右折は禁止された。信号機は、赤が進めで、青が止まれでなければならないと提案されたこともある(周恩来首相却下されたが)。

(中略)

そういう風潮に鑑み、これまでAが研究報告を提出する際は、Bが必ず綿密な査読を行っていた。とくに、太陽に関する記述は、専門用語であっても、くりかえし吟味し、政治的危険がないように修正した。たとえば、“太陽黒点”という言葉使用が禁じられた。太陽に向かって強力な電波送信するという実験については、もちろん、千通りのポジティブ解釈可能だが、たったひとつネガティブ解釈がなされるだけで、関係者全員が政治的な災難に見舞われるにじゅうぶんだった。Bが実験要請を拒絶する理由は、たしか反駁のしようがなかった。

イアン・ハッキングがイヤンと言いそうなくらいむき出しの「科学社会的構成である!ここでも論理連想ゲームに膝を屈している。このことを中国特殊ものだと考えるのは科学教の信者である。似たようなことはどこの国でも多かれ少なかれ起こっている(また国家がくくりとして出てきてしまった!)。STAP細胞論理を飛び越えればどんなものまでが「発見」されてしまうるか、という好例であろう。それでも科学教の信者は言うだろう。「STAP細胞は誤りであることがわかった!これこそが科学勝利ではないか!」と。残念ながら科学はそんな単純なものではない。たとえばケプラー理論はそれ以前の理論よりシンプルでもなければ正確でもなかった。そのあたりのことはスティーブン・ワインバーグ『科学の発見』に詳しく書いてある。「それでもわれわれは今はケプラー理論が正しいということを知っている!これが科学進歩だ!」という主張は残念ながらワインバーグとは仲良くなれるが歴史学者から異端扱いされるだろう。このワインバーグの本は、「ノーベル賞物理学者科学歴史について論じたら歴史学者から攻撃を食らった」というそれじたいSFガジェットとして出てきそうなシロモノなのだが、けしてトンデモ本でなくワインバーグ確信犯的にその地雷を踏んでいる。非常に面白い本なので『三体』を読んだあとにはぜひこの本を読んでほしい。『三体』に出てくる宇宙物理学理解の助けにもなるし。

話がそれた。『三体』である。まあ、歴史学者から異端扱いされようが科学者は科学者でやっているのである。……本当に?「科学をする」とはどういうことか説明できるひとは今のところ地球上に存在しない。どころか説明できるひとが今後現れる可能性もまた科学哲学者によってほとんど否定されていると言ってよい。では科学者は何をやっているのか?われわれのような皮肉屋に言わせれば「教義精緻化とその確認作業」とでも言い捨てられるだろうが、『三体』はそこに真摯に向き合っている。どころか、その先までをも作品の中に織り込んでいる。ネタバレになるので詳しくは話せないが、科学を「打倒する」ことを本気で考えてみた人はいるだろうか?いないだろう。『三体』はそれを本気で考えている。誰がなんのためにそんなことをし、さらにそれに抗うには何をするべきかを描いている。そしてその描き方がまた最高なのである。作中、ある「組織」が出てくるのだが、それがまたなんとも、「アカい」のである。もちろんそれは最初引用で出てきたような無知蒙昧なアカさではない。連想ゲームではなく論理によって貫かれた「アカさ」というものがあるとしたら、こういうものだろうという迫力がある。

作中にこういうセリフがある。「中国では、どんなにすばらしい超越的な思想もぽとりと地に落ちてしまう。現実という重力場が強すぎるんだ」と。これはおそらく作者の嘆きでもあろう。その重力場から逃れるために、作者はこれを書いたのだと思う。中国現実の重みは、隣にいるわれわれも知るところだろう。この作品は、その中国現実の重みを、実に力強く脱出していると思う。それがこの文章で伝わったかどうかは甚だ心もとないが、一人でも多くの、未だ北田暁大先生Twitterの件に心の整理がつけられていない人々が、『三体』を手にとってくれるよう望む。

2019-06-09

anond:20190609203009

脳が自分意思で手を上げたりハイヒールを履いたと認識していたとしても、実はその認識自体が後づけにすぎず、行動が先に生じているという場合もあるんだよ

科学哲学における心身問題、あるいは自由意思問題と言われるもの

女性に外見的魅力を要求するミソジニー環境下でハイヒールを履いたことを、自分意志で履いたのだと女性自身が誤解しているだけかもしれない

2019-04-16

anond:20190416183224

それが理想的社会から

・誰にとっての理想

理想を追って死ぬのは一人でやってくれ

両立できる制度があれば、時間はかかれど、いずれ人口バランスするようになるはず

・両立できることが証明された制度サンプルは目下ない。

時間はもうない。維持率を割ってる。

人口バランスするようになる証明もない。「はず」という見通しの根拠もない。願望だ。

多様性に力があることは、これまでの生物歴史を振り返ると導出できる。

導出してくれ。出来るというだけでは出来てない。

また、科学はどこまでいっても所詮は仮説にすぎないので、証明することはできない。

今の科学も完全に証明されたものといえるものはなく、単に現時点でうまく説明できている、というものにすぎない、科学哲学的には。

言葉遊びだな。

現状において最も尤もらしい仮説は証明出来るだろ。

君はうまく説明できてすらいない。願望だけだ。

これは私ではなく、経済証明してくれる。

証明してくれてる、じゃないんだろ?

それが間違ってることが証明されてからじゃ遅い。その損失はどう責任とる?

そして資本主義人口ボーナスの項はスルーか?

anond:20190416181657

社会の維持が不可能になったら制度設計も何もないでしょ。

「ゆがみ」の実態女性社会進出だとしたら、両立させる事は不可能だ。

社会の維持を犠牲にしてまで「女性の機会」を維持しなければならない理由とは?

それが理想的社会から

両立できる制度があれば、時間はかかれど、いずれ人口バランスするようになるはず。

証明されてない」といわれてるのになぜ証明されてない事で返すの?

多様性に力があることは、これまでの生物歴史を振り返ると導出できる。

また、科学はどこまでいっても所詮は仮説にすぎないので、証明することはできない。

今の科学も完全に証明されたものといえるものはなく、単に現時点でうまく説明できている、というものにすぎない、科学哲学的には。

男性ばかり=弱い、は証明されてないよ。自明でもない。

これは私ではなく、経済証明してくれる決してくれる。

2019-03-19

anond:20190319211252

ウィルバーは『科学宗教統合』が一番スピリチュアルな仮説控えめで、テーマも広げすぎずコンパクトで、無理のない一般向け科学哲学本のひとつとして読める一番良い本だと思ってるんだけど

残念ながらずっと在庫切れのまま入荷する気配がない

あとポンコツAmazon洋書邦訳をごっちゃに管理しててマケプレすらまともに機能しなくなってるのがひどい

2019-03-11

科学哲学勉強しましょう。

物理法則は、人間がいなくても、存在する」という説は、科学的に証明されていません。

物理法則は、人間がいなくても、存在する」という説は、科学的実在論の立場に近いでしょう。

科学的実在論は、科学哲学では主流ですが、正しいと証明されているものではありません。

バカ

IQ20以上違うと話が通じなくなる、という俗説がありますが、それは、あなたが100で、相手が120である場合にも当てはまります

人を中卒だなんだという人間は、カスです。

以上。

2018-10-11

anond:20181011083926

千田とかどうでもいいけどwikipediaのFeminist Epistemologyを読んだ限りじゃ

主体性社会的偏見以上のものは読み取れねーぞ

フェミニスト科学批判の部分なんて6文しかないし

それも科学視点から取りこぼされる部分が存在するって科学哲学上当然認識される部分やん

レイプマニュアル云々はこれ比喩表現につかった臭いぞ?

ソーカル事件とも関わり深いようだしサンドラハーディング自身反省の弁を述べてる

素人調べだがちょっと煽り目的過ぎた投稿だろ

2018-10-10

anond:20181009235544

大学を中心に科学者共同体みたいなものがあって、その人たちがジャーナルに仮説を投稿して共同体内で共有すれば、長い目で見れば間違いも正されるし知識が集積されて人類社会のためになるよね!

みたいなのが多分最近科学哲学界隈の穏当な科学観。

増田の興味と違ったらゴメンね。

2018-10-09

anond:20181009235023

科学哲学界隈においては、どのような考え方が主流なのですか?

anond:20181009234414

実際その疑問があるのでパラダイム論を言い出した科学哲学界隈では

「まあ科学史を見渡せばそういう解釈ができる現象もあるけど科学の営みのメインでは無いよね」

ぐらいの扱いになってるんだが、ぱっと見で分かりやすいので他分野の先生たちはこの言葉を使いがちなんだ。

2018-06-26

anond:20180626203205

彼が本当に「議論を避けて、罵倒だけをしていた」ならそれもありうるかもしれないけど

現実には彼は「罵倒メインだけど、たまに思いつきで議論らしきものをふっかけて、知識不足で逆にボコボコにされる」ことを繰り返してたんよ

から長く付き合ってきた人ほど、彼の学歴と実際に見た議論レベルとの乖離に戸惑っている

 

たとえば彼は「論理学には詳しい」と自称しておきながら、命題と述語の区別がついておらず

「"Aする"の否定は"Aしない"ではないぞ低能w」という恥ずかしいミスをしても最後まで間違いを認めないほどだった

 

また彼は偽科学批判をやっつけたいという動機から科学とは何か(科学哲学)」の議論を始めたこともあったが、

どんな入門書にも必ず書いてある「反証可能性」という概念をどう扱うかまったく考えていなかった。そもそも知らなかったように見えた

(これは古典的概念なので、賛成しても批判してもそれぞれに理論は組み立てられる。科学権威を崩したいならこのテーマスルーすることはありえない)

2018-03-07

anond:20180307151918

そろそろみんなから勧められた科学哲学の本一冊くらい読んだ?

読む気も調べる気もないなら、もう知らないことに首つっこむのやめようね

2017-10-22

anond:20171022091057

そうですね。

議論手法やあしらい方もそうなんですが、

ぶっちゃけ科学哲学社会道徳倫理規範にするぐらいのことをしてもいいと思います

科学の「これは所詮仮説である」「みなで検証すべきであるし、みなが検証可能である」「結果を根拠ものごとを考えよう」のことです。自由平等友愛はこれらに含まれているはずです。

2017-10-03

anond:20171003133310

http://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20170726201519

「どうせお前らニセ科学批判者は科学宗教の違いも定義できてないだろ!」ってドヤ顔したら、実はみんなそれなりに科学哲学を学んだ上で参加していたとわかり、逆に総ツッコミを食らった時の図

親切に入門書を教えてくれた人もいたのに、それに対する返事が「似たような本ならもう読んだよ」とかじゃなくて「読まねーよバーカ」だったあたりが恥ずかしさのピー

2017-07-02

高学歴なのに頭が固い人の特徴

1. ガチガチ科学至上主義

実験と観察に基づく検証を経ない言説に懐疑的なため、社会科学の成果のほとんどを受け入れがたいと感じている。

2. 拝金主義

競争に打ち勝ってカネを稼いで美人の奥さんをもらって安定した生活を送るのが幸せ」という価値観を持っているため、これを覆すような宗教文学などを受け入れがたいと感じている。

3. 学部

科学至上主義標榜する人も、大学院まで行くと科学哲学などに触れたり、じぶんのやっていることの意味などを考える過程で、科学至上主義を脱することがある。

学部卒ではこういう機会があまりないので、思考修正することな社会に出ることになる。

どれか当てはまる人は気を付けましょう。

2017-03-07

http://anond.hatelabo.jp/20170307214858

試しにA~Eを逆にしてテストしてみてほしい。そういうテストをしないのにふざけて書いたとは思えないというのは科学的態度ではない。あとこれがアンケート方式で取ったなら知識とは別に疑っている、というのも子供心としてはあるんじゃなかろうか。教わった知識はこのとおりだけどそう簡単に信じていいものか?と考えるのは科学哲学素養があるといえる。したがって(大人と同じように)中学生知識のないアホであると決めるのは時期尚早。

2016-11-10

優生学科学的に正しいのか

アイドルグループ衣装ナチス制服類似していたという騒動に関連して、妙な論争が起こっている。

ニセ科学批判で有名な人物が(俺はこの人物の行動力に敬意を表するが、支持できない点も多い)、この騒動を軽視するような発言を繰り返しているため、ニセ科学批判批判派(定義曖昧な粗雑な表現だが)が「ニセ科学批判派はナチス容認している」「ニセ科学批判派はニセ科学である優生学批判しない」と言い出しているのだ。この問題に関して俺の考えを述べてみたい。

俺は「優生学は完全にニセ科学とは言えない。科学的に正しい部分もある」と考えている。ここで「ニセ科学とは何か」「科学的に正しいとは何か」という科学哲学上の概念定義を厳密に行うことは俺の能力を超えるし、そもそも分厚い専門書になるくらいの問題なので、簡単に述べるに留める。

俺は「科学的に正しい(ニセ科学ではない)」とは、「実際に効果がある・機能する」ことだと考えている。永久機関作動しないかニセ科学だ。原発は発電しているかニセ科学ではない。原発安全性経済性の評価に関して科学的に不正確な部分が多いことは事実だが、だからといって「原発ニセ科学だ」とはならない。

まり科学的に正しいかどうかは「正誤」の問題であり、「善悪」の問題ではないということだ。科学自然現象説明する道具なので、善悪などあるはずがない。道具に善悪はない。善悪は使う人間にある。包丁料理にも殺人にも使える。科学道徳倫理を追求する営みではない。自然現象原理を追求する営みだ。「科学工学技術)の違い」みたいな話はややこしいので避ける。

優生学核兵器毒ガスと同じで、科学的には正しい。ただし、優生学には民族人種血液型関係のような変てこなものも多いので、全てとは言わない。これらは「間違った(正しくない)科学」ではなく、「悪の科学」だと見なすべきだと思う。

そもそも俺が優生学を「科学的に正しい(部分もある)」と考える理由は、優生学進化学、遺伝学、育種学(品種改良)に基づいているからだ。優生学は究極的には人類進化遺伝的改良)を目的としている。これはそのまま人間品種改良だ。進化学、遺伝学、育種学、統計学大家であったロナルド・フィッシャーが優生学者であったことがいい説明になると思う。品種改良は紛れもなく科学からね。まさか品種改良ニセ科学だ」なんて言い出す人間はいないよね。遺伝学の契機となったメンデル実験だって背景にはエンドウ豆の品種多様性が背景にあったわけだから。同じく進化学の元祖であるダーウィンも鳩の品種多様性に着目していたわけだし。

血統書付きの犬猫機動戦士ガンダムZZのプルシリーズはどう違うの、というお話人間品種改良理論的、技術的に可能だ。絶対にすべきではないけど。でも希望する人間は必ず現れるだろうね。機動戦士ガンダムガンダムSEEDシリーズコーディネイターみたいに。現代でも胎児出生前診断問題になるわけだし。

もっとも、言うまでもないことだが、上に述べたように優生学理論には科学的にデタラメな部分が多い。その意味ニセ科学だとも言える。ただし、全てが間違っていたわけではない。優生学科学的に正しいかどうかは個別に論じるべき問題だと思う。優生学から無条件にニセ科学に違いないと断じるのは、それこそ科学的な態度ではない。

結論を強調しておくと、優生学科学的に正しい面もあるので、完全にニセ科学とは断言できない。しかし、完全に否定すべき科学である。その理由は「科学的に正しくないから」ではなく、「倫理的に正しくないから」である

慎重な表現を心掛けているのでどうにも歯切れが悪いな。

ちなみに言うと、上に書いたこととは少し反するが、人間という生物根本的に品種改良に適していない。その意味でも優生学科学的にあまり妥当ではない。その理由は以下の通りだ。

現代では品種改良技術が向上し(受精操作とか遺伝子組換えとか)、ピンポイントで作物や家畜目的とする遺伝子を導入できるが、つい最近まで、場合によっては今でも、育種選抜と交配による。優れた特徴を持つ個体同士を交配させ、生まれ子供を更に選抜し、交配させる。これの繰り返しだ。要は博打で「下手な鉄砲数打ちゃ当たる」なわけで、ここでの要点は「短期間で多数の子供を得られること」だ。人間はこの点であまり効率が悪い。

子供が生まれから交配するまで、およそ20年もかかる。犬猫ならわずか1年だ。妊娠期間は280日もある。犬猫ならわずか2・3か月だ。出産間隔は2年ほどもある。犬猫ならば年2回の出産可能だ。

一度に生まれ子供の数は、1体だけだ。犬猫ならば5体は可能だ。

さら人間以外の生物品種改良では、ごく限られた特定の特徴のみを伸ばすことを目的としている。「あちらを立てればこちらが立たず」式にある特徴を向上させたら別の特徴が低下した、みたいな場合でも許容されることはある。犬猫の中には遺伝的に病気に弱い品種があったりするが、他に優れた特徴があれば淘汰されない。肉用に改良された家畜はすぐに成長して肉にされるので、早死にでも何の問題もない。ところが人間場合は、ありとあらゆる能力を伸ばさねば優れた人間とは認められない。「遺伝子操作の結果、知能が向上しましたが病弱になりました」みたいなことになったら大失敗だ。人間誰しも多少は不利な遺伝子を抱えているものから進化学的かつ遺伝学的には遺伝子多様性こそが種の存続に有利だと言えるわけだし。ただし、生命科学進歩により遺伝子操作受精操作技術が向上して、理想デザインドベイビーを生み出せるようになる可能性も否定できないけどね。人間科学的に可能なことは何でもする生き物だから

そもそも種全体の改良を目指すのか、特定個人家系のみの改良を目指すのかで社会的意味も全く変わる。優生学の明確な定義があるわけでもないし。

人間品種改良に向かない。その意味優生学科学的に非常に難しい。でも科学的に完全に間違っているわけではない。倫理的には完全に間違っている。

2016-02-10

http://anond.hatelabo.jp/20160208223627

>> 文系でも検証したり

この検証が可能でないと科学ではないという、考えはおそらく、科学哲学者のカール・ポパー

最初提案した考えだと思う。

まり文系区分研究であっても、科学哲学という理系の道具に基いてそれが行われるということだ。

よって、その理系の道具の取り扱いの練習という意味で、理科を学ぶ利益はあるのではないか?

2015-02-24

趣味サークル団体図書館業務を担う「科学史家」と復興イベント

東日本大震災が発生してから半月ほど経った頃である。或る趣味サークルサイト上で、被災地を元気づけるためのプロジェクトを立ち上げるという告知があった。内容は、趣味に関する書籍を集約して被災地の各地で無償配布すると共に、募金海外サークルメンバー日本に招待し、子供たちに様々な芸を見せて心の平穏を取り戻す一助となろう、というものであった。このサークル団体東京を中心に活動しており、地方にも幾つかの支部があって(東北には無い)、全体としては数百名の会員で構成されている。

当時、私は知人を何名か津波で喪ったにも関わらず、自分としては動くこともできず歯がゆい思いでいた。そこで、このイベント賛同し、大切にしていた書籍を何冊か団体に贈った。この団体と私の関係一方的もので、単にサークル機関紙を購読しているに過ぎなかったのだが、「自分と同好の人々が運営するサークルでそのような活動をしてくれるのならば、何某かの縁もあろうからそれに任せよう」と思ってサークルに託したのだ。後に、保管場所が確保されない状況下で古書を送る行為問題について色々と知り後悔したが、恥ずかしながら当時はそこまでの考えに思い至らなかった。当時は自分も何かの拍子で突然死亡する怖れが頭から離れず、死んだ場合は所有している書籍が活かされぬまま捨てられるということを恐れていた。そこで、所持していた書籍の多くは近所の市民図書館にも置いてあるのでそれを読むことにして、いつでも本を読みたいという若い子の手元に本があった方がいいのでは、と考えていた。書籍を送付後、サークル団体代表から書籍被災地での活動のために有効に利用させていただく」との返信があった。

サイトの報告によると、2011年4月最初活動があったらしく、趣味サークル内の数名と海外サークルメンバー数名が宮城県沿岸部にある数か所の避難所に赴いたようである東北縦断するイメージだったので、宮城県のみに限定した活動であったことに若干の違和感を覚えたが、その後も幾度か被災地へ向かうようであり、「落ち着くまでは様子を見ようという判断なのだろう」と思っていた。

この活動について違和感以上に不信感を抱いたのは9月頃だったと思う。その団体では例年8月に大きなイベントがあり、海外サークルメンバーが何名か来日するため、そのメンバーらと共に再び被災地へと出向いて活動したという報告が機関紙上でなされた。だが、その下に「なお、送付された書籍のうち入手が困難な貴重な書籍については、団体運営する有料の図書館に納入した」と書かれていたのである(この図書館というのは避難所地域図書館に納入したという話ではなく、団体が所有する蔵書を団体東京事務所において有料で読むことができるサービスのようである)。

これには目を疑った。最初の告知にはそのような記述は無く、代表から手紙にもそのような記述は無かった。これでは震災に乗じて個人の貴重な書籍サークルが吸い上げた格好になるのではないか。しかも具体的にどういう書籍を何冊納入したのかという記述も無い。貴重な書籍図書館に納入したというのに、閲覧する権利のある側にその内容を示さないというのはおかしな話だ(無理やり擁護する見方をすれば、一般的にこの手のプロジェクトにおいて自分史が持ち込まれ場合が多々あり、そうした配布しづらい物を自身図書館倉庫代わりに納入したという線はあり得なくもないのだが、もしそういうことがあったのだとしても何らかの説明は欲しいところだ)。そして、活動先は相変わらず宮城県のみであり、岩手県でも福島県でも活動していなかった。

宮城県での活動というのは、このボランティアイベント参加者の一人が宮城県内の教育機関に務める人物らしく、それ以外の地域においては土地勘が無いのかも知れないと思っていた。しかしその機関紙には、当団体とは別の団体組織に属する福島県サークル震災後の自身活動について述べた寄稿を寄せていたので、「寄稿を載せるくらいならばその団体メンバーにも声をかけて福島県で合流して一緒に活動をすればいいのではないか」とも思った(福島の人々に案内の負担を強いるのかということもあるが、そもそも既に宮城県内に在住する人物を連れて活動しているのだから福島県内の人を連れて活動することにさほど躊躇する理由は無いように思えた)。宮城県東北で最も津波被害の大きかった地域であるということは重々承知しているが、図書館の件とあわせて、「被災地に赴くと言いながら宮城県のみというのも少しおかしいのではないか」と若干訝しく思い始めていた。

少し話は変わるが、2011年10月ごろだったろうか。私は当団体活動に関わっている主要なサークルメンバーブログを幾つか覗いていた。そこで、サークル団体において有料図書館運営管理に携わっているという或るメンバーブログが目にとまった。

そのブログにはクリストファー・バズビー氏やアーニー・ガンダーセン氏の名が載っていた。ブログ記事を遡ってみると、LNT仮説に基づいて「福島県では年間千人が癌で死亡する」「トータルでは6桁もの人が死ぬ」などの記述があった。福島県だけではなく、当時千葉県で見つかったホットスポットについても、その周辺で7000人が死ぬと書かれていた。ブログ記事の日付を見ると2011年6月中旬ごろであり、まだまだ情報錯綜していた時期ではあったものの、ブログの内容は怖れによって混乱しているという様子ではなかった(LNT仮説に従ったとて、ガンが発生する人数の予防的な見積もりであって、ガンの発生が100%死に直結するという話ではない筈だ)。ツイッターアカウントもあったので見てみたが、「福島廃県」「日本核武装を目指している」などの字面が踊っていた。

この人物は機関紙上において度々評論を行っていたため、名前だけは知っていた。東京在住で、東京大学大学院において科学史科学哲学を専攻していたらしい(名前検索したところ、在学中に科学技術社会論若手の会に参加したこともあったようである)。また、サークルの有料図書館運営管理に携わるほか、海外メンバー通訳書籍翻訳作業も担っている。どうも他の主要メンバーからサークル入会当初から知的存在として一目置かれていたようで、未だにこの人物の評論サークル誌に載っていることを見ると、その状況はあまり変わっていないようである

ボランティアイベントの報告によれば、そのメンバー名前イベントスタッフの中には含まれていないため、この人物は被災地には訪れていないのだろう。しかし、有料図書館での管理業務を考えれば、貴重書の選別には関与していた筈である。また、仮にそのメンバーイベントに深く関与していなかったにせよ、ブログツイッターで垂れ流される内容やサークル内での立場を考えると、そのイベント活動に何等かの口添えをしている可能性は十分考えられ、イベントメンバー海外メンバーを連れながらも東京により近い福島県には訪問していないという事実個人的に気になるのである。この活動に全く関与していなかったにせよ、被災地のためと銘打った活動をする団体がこの人物の主張をどう考えているのかという疑問は残る。

2012年にもこの団体は同様のイベント活動をしたようであるが、結局今までに宮城県以外で活動したという報告は無い。何故それ以外の県に行かないのかという理由も明かされていない。「こちらが勝手東北縦断するようなイメージ想像していただけだ」と指摘されればそれまでなのだが、協力する側としては、被災地活動すると宣言していた以上、宮城県以外でもこのサークル団体活動することを期待した上で書籍を寄贈したのではないか(募金の一部については額が提示され、育英会に納入されているようである)。

はいえ、未確認なことも数多く、単に私の邪推だと指摘されればそれまでであるため、増田として具体的なサークル名や人物名を明かさずにここに述べた。愉快ではないが、こちらとしても寄付金書籍の使用用途サークルに任せた面もある。目論見には具体的な訪問先について特に記載は無く、書籍の利用方法も「子供に配布するなど」という風に書かれていたうように記憶しているため、最初から宮城県内のみで活動するつもりだった、あるいは有料図書館書籍を納入するのも有効な利用方法の一つだ、と言われてしまえば元も子もない。

件のメンバーはその後も、宮城県石巻市でのがれき処理の背景には巨大利権が絡んでいるとのブログや、甲状腺調査で嚢胞の数が異常に多く見られているというヘレン・カルディコット氏の主張を掲載したブログ不正選挙についてのブログリンクなどをツイートし、先の選挙において安倍首相福島入りをしていないというフェイスブック記事までリツイートしていたりする(なんでも福島水田の前で会見をした首相の影が不自然で明らかに合成なのだそうである)。先日のISISによる人質事件においては、日本において大政翼賛会形成がすでに始まっていると述べている。残念ながら、ここまでではないにしても、彼以外にもこの団体においてそうした主張に近い人物は何名かおり、先日も東海地方の支部で活動する人物がどこぞのブログの「福島県農産物安全ではない」というリンクツイートしていた。百人に一人くらいはこういう人はいるのだろうとは思っていても、少々心配するくらいにはこうしたものを目にする。福島県在住のメンバーがこうした主張を目にした時にどう思うのだろう。私としては混乱時に古書を贈る行為については恥じ入るところだが、敢えて述べれば、もし団体の中枢にこのようなメンバーがいることを事前に知っていれば、贈る前にもう少し検討しただろうとは思う。震災からもう4年近く経過している。周囲の人々も、もう少し目を開いて物を見て、自分で考えてもらいたいと思う。

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