はてなキーワード: そもそもとは
そもそも条件と結婚できないのに条件にこだわるのあたおかだと思ってる
早いとこ条件とは結婚できないを自覚してそれ以外にリソース割いて欲しいところ
家や土地を残すために結婚しなきゃいけない人がとってるアクションは古代から現代まで違うぞ
そもそも石器時代から近親婚を避けるために時に船で移動してまで婚活というか性的な交流を図ってたって言うのに
紀元前の書物に『父と兄と一緒に寝たときにのように』と書かれる程度には近親の性的な関係を避けるのは一般的な認識なのに
ロリコン強弁と同じくあのさぁって感じ
ただ土地を継承みたいな概念が生まれてからは割と世界中で文化的に近親婚してますね
庶民ではなく12歳で嫁入りみたいな政治的な理由の結婚だけどな
気持ちはめちゃくちゃわかるし、そもそも私自身が他の人が言う「正気」を保てられているようには思えない
ただ、人間は社会性の生き物で社会の単位のひとつが「家族」だから、そういう風に本能レベルでプログラミングされてるところはあるんじゃない
ブログ読んだ。
オリンピックは仕事と違ってやらなくて良いって書いてたので、そもそもやらなくても良いたかがスポーツ大会で大活躍した人ごとき国民栄誉賞あげるなくらい言って欲しかった。
あとお笑いライブでマスクしてても笑い声出してるのが不快って書いてたけど、これからライブで声出し解禁するらしいけどもう行かないかんじ?声出し解禁ライブは行かないよね?行かないよね???と思った。
異性婚には認めるのに同性婚で配偶者控除を認めちゃいけないのはなぜだろう
そもそも異性同性問わず結婚できないカスは知らないけど、パートナーを尊重して結婚まで到達できたカップルを異性か同性かで分断するのは差別だと思う
同性婚がいいなら近親婚もいいだろうというのは結婚というものの範囲はどこまで緩めるべきなのかという議論なのだけど、そもそもなんで近親婚がだめなのか
遺伝的な病気になりやすいというならば、それほどでもないというデータもある。
ハプスブルグ家みたいに顎がしゃくれてしまうくらいまで近親婚を繰り返したことで栄華をほこった一族もいたけど、結婚制度というのは突き詰めると相続制度でもある。
今でこそ一夫一妻が素晴らしいと言われてるけど昔の貴族はそこら中に妾がいたようで、これによって起きた問題が相続とその貴族の弱体化だ。
貴族が弱体化するとその貴族が面倒を見ている領民たちも困るので、国の治安が乱れるとかそういう理由で一夫一妻にせよ、となったというのは聞いたことがある。
では近親婚だ。
相続によって貴族が弱体化するのか困ったから結婚制度ができたならば、相続によって貴族の力が強大になるから近親婚を禁止したという捉え方はできないだろうか?
一夫多妻や、多夫一妻、多夫多妻と言うのがだめなのはこれだろうとも思うんだよな。予め取り決めておけばヨシかもしれないがこんなのいざとなったらもめるにきまっている。
遺伝子の多様性がとかそういう科学めいたことを言うならならば何世代ごとに外から血を入れれば問題ないのかという話でも良さそうだ。
久しぶりに6Pチーズを買って食べたのだけど、すごくバターの味がする。
最近、牛乳が余って廃棄になってるとか、本来調整弁のバターも在庫がいっぱい、とかの話があったけど、、、
そもそもパッケージに北海道って大きく書いてるけど、小さい字で「原料チーズ中、5%以上北海道産カマンベールチーズ使用」て書いてるところからしてちょっと詐欺っぽい商品だよね。残りの95%は何かも書いてほしい
そもそも近親婚を「明らかにクレイジー」という感覚がわからん。
まあ俺は非対人性愛者だし、むしろ対人性愛はすべて例外無く「明らかにクレイジー」だろと思ってる、と言った方が正確だが。
生きた人格のある他者の内蔵に内蔵をぶち込んで体液を注入するというおぞましい儀式をどうやったら欲望できるんだ。怖いよ。そこに近親だろうが同性だろうが異性だろうが差は無い。
俺は感覚として「近親婚とか良識で考えて人としてナシに決まってんだろボケ」って思うけど、しかし、近親婚反対意見論破増田の言っていることはリベラル的価値観を前提に置くなら概ね正しいと思う。
俺自身、リベラル的価値観を支持しているので、この増田に反論できない以上、消極的にでも近親婚には賛同しないといけないんだろうな。
まあ現実的に近親婚が認められることはどんなに少なく見積もっても数十年はないと思うので思考実験の域を出ない話だけど、でもこの話はリベラリズムの内包する破滅性を示すという意味ではとても面白く感じたわ。
リベラリズムは個の権利を非常に高い位置において、今までなんとなく「こうでなくてはいけない」となっていた保守的な価値観を人権観と理屈で解体し、許されなかった行為を当然認められるべきものとしてきたけど、その結果、近親婚という明らかにクレイジーな行為を認めざるを得なくなるっていうのは、リベラリズムの危険性を端的に表していると思う。
リベラリズムの理屈に対して逃げを許さず、本気で筋を通すとどうやってもこういうヤバいラインに行き着いちゃうんだよ。
「なんとなくそれはダメでしょ」を認めてしまうと、それはもう保守主義と変わらないから。
リベラル自認でありながらそれを嫌い丁度良いバランスを求めてふんわりお気持ち倫理観を振り回すヤツ等もいるけど、結局、その倫理観はどこまでがありでどこまでがなしか同じリベラル同士でも折り合いがつかないし、最後は理屈で決着をつけようとすると増田みたいなヤベー強者が現れる。
はてなでも表現の自由を謳いながら倫理を騙って萌え絵ヘイターやってるヤツとか見るけど、そいつらのボコられっぷりを見たらふんわり倫理がリベラル内でどれほど無力かは明らかだ。
別に近親婚とか極論じゃなくても、例えば国難である少子化問題でもリベラル的価値観は家制度を重んじる保守的価値観よりも遥かにマイナスだし、そもそもリベラリズムって別に社会をより良くする正義ではなく、ある種の享楽性や無軌道さを孕む考え方なんだよな。
それはダメだろに対してブレーキが効かない破滅性こそがリベラリズムの本質だと俺は思う。
別にオレはリベラリズムを正義だと思っているからリベラリズムを支持しているわけではないので、それで全然構わないんだけど、リベラリズムを正義に基づき世の中を良くしてくれるものみたいに考えているような人にはこうした事実は直視し難いだろうな~。
同性婚が認められるなら近親婚も同様だというのを見て、まあ確かに言われてみればそれらしい理由も思いつかんなと思ってたけど、1つ思うのは同性愛者ってまあ色々いるけどいわゆるレズとかゲイとかは「同性」というくくりの中じゃないと恋愛的に好きになれんという人間で、人生で何人好きになろうと異性を好きになることはないし、チンコもたたんみたいな。それに比べて近親愛者(?)ってあくまで特定のとある身内を好きになったってだけで、恐らく「身内じゃないと好きになれない!」というのは少ないんじゃないか。
だから何かっていうと、こういう考え方がそもそもめちゃくちゃ嫌ではあるんだがやっぱり国としては子供(しかも健康な)を産んでくれな困る。そして同性愛者もその点を長い間持ち出されてるわけだが、じゃあ同性婚認められたら異性と結婚して子供産むかというと、昔ならともかく今はもうそんな人は少ないと思う。なぜなら「同性」という括りの中でしか恋愛できないから。そうなると同性婚認めても認めんくても出生率の変動なんて微々たるもんじゃないか。ただ近親婚の場合ちょっと違う気がして、さっきも言ったみたいに「近親」というくくりで好きになったわけじゃなく、好きになった人がたまたま「近親」だった。だからもし次に新しい恋をするとしたら、多分必ずしも近親になるとは限らない。それなら近親婚認めない方が障害児が産まれるリスクも下がるし…と考えるかもしれん。「いや、他の人を好きになるなんて有り得ない!」って人もいるかもしれんけど、同性異性近親その他何でも同様に結局人間なんて大半は付き合っては別れ、結婚しても離婚し、どんなに愛し合っててもいつかは冷める。同性愛者見てても性別違うだけでやってることは異性愛者の恋愛と何ら変わらんからな普通にめちゃくちゃ別れてる。ただ近親しかり同性しかり、世間から反対されてる境遇だと共通の敵が出来てお互い結束しやすくなるというか、冷めにくいみたいなんはあるけどな。
こんな書いてるけど近親婚に対して反対の気持ちは特にない、子供産めとか障害児増やすリスク上げんなとか、人の自由を制限する理由にまではならんわな、本人の責任やし。まあ同性愛者にも自分の身に降り掛かってる差別には気づけるけどそうじゃない事には鈍くなる人もおるし、何より何十年もずっと同性婚や同性愛が認められるよう活動してきたコミュニティとか人間らやったら、やっと世間的にまだギリ許容の雰囲気も出てきたとこに突然さらに現状ヘビーな近親婚が「お前たち認めるなら俺らも認めてくれ!」って付いてきたら認められるハードルがまたグッと下がるリスクになるから一旦、とりあえず別個にしてくれとはなるんちゃう。
実際、同性婚認められたら近親婚の説得力にも多少はなるやろうし、下手に乗っかって同性婚認められる確率下げるよりは認められてから声上げていった方が個人的にはいいと思った。
プリキュアに男出てくるのショックすぎてそれどころじゃない。
同性婚が認められるなら近親婚も同様だというのを見て、まあ確かに言われてみればそれらしい理由も思いつかんなと思ってたけど、1つ思うのは同性愛者ってまあ色々いるけどいわゆるレズとかゲイとかは「同性」というくくりの中じゃないと恋愛的に好きになれんという人間で、人生で何人好きになろうと異性を好きになることはないし、チンコもたたんみたいな。それに比べて近親愛者(?)ってあくまで特定のとある身内を好きになったってだけで、恐らく「身内じゃないと好きになれない!」というのは少ないんじゃないか。だから何かっていうと、こういう考え方がそもそもめちゃくちゃ嫌ではあるんだがやっぱり国としては子供(しかも健康な)を産んでくれな困る。そして同性愛者もその点を長い間持ち出されてるわけだが、じゃあ同性婚認められたら異性と結婚して子供産むかというと、昔ならともかく今はもうそんな人は少ないと思う。なぜなら「同性」という括りの中でしか恋愛できないから。そうなると同性婚認めても認めんくても出生率の変動なんて微々たるもんじゃないか。ただ近親婚の場合ちょっと違う気がして、さっきも言ったみたいに「近親」というくくりで好きになったわけじゃなく、好きになった人がたまたま「近親」だった。だからもし次に新しい恋をするとしたら、多分必ずしも近親になるとは限らない。それなら近親婚認めない方が障害児が産まれるリスクも下がるし…と考えるかもしれん。「いや、他の人を好きになるなんて有り得ない!」って人もいるかもしれんけど、同性異性近親その他何でも同様に結局人間なんて大半は付き合っては別れ、結婚しても離婚し、どんなに愛し合っててもいつかは冷める。同性愛者見てても性別違うだけでやってることは異性愛者の恋愛と何ら変わらんからな普通にめちゃくちゃ別れてる。ただ近親しかり同性しかり、世間から反対されてる境遇だと共通の敵が出来てお互い結束しやすくなるというか、冷めにくいみたいなんはあるけどな。こんな書いておいて別に近親婚に対して反対の気持ちは特にない。まあ同性愛者にも自分の身に降り掛かってる差別には気づけるけどそうじゃない事には鈍くなる人もおるし、何より何十年もずっと同性婚や同性愛が認められるよう活動してきたコミュニティとか人間らやったら、やっと世間的にまだギリ許容の雰囲気も出てきたとこに突然さらに現状ヘビーな近親婚が「お前たち認めるなら俺らも認めてくれ!」って付いてきたら認められるハードルがまたグッと下がるリスクになるから一旦、とりあえず別個にしてくれとはなるんちゃう。
実際、同性婚認められたら近親婚の説得力にも多少はなるやろうし、下手に乗っかって同性婚認められる確率下げるよりは認められてから声上げていった方が個人的にはいいと思った。
プリキュアに男出てくるのショックすぎてそれどころじゃない。
普段先輩後輩の関係や社内恋愛など権力勾配の温床になっている社会的シチュエーションに文句を言わないくせにこういうときだけ嘯く。
そもそも、日本人の大半(主に女性)は、ジャニーズ事務所のジャニー喜多川が金と権力を利用して長年にわたって少年へ性的暴行を行っていた
実態が白日の下に晒されても、黙殺するどころかジャニーズ事務所に貢献し続けたという動かぬ事実がある。
普段先輩後輩の関係や社内恋愛など権力勾配の温床になっている社会的シチュエーションに文句を言わないくせにこういうときだけ嘯く。
そもそも、日本人の大半(主に女性)は、ジャニーズ事務所のジャニー喜多川が金と権力を利用して長年にわたって少年へ性的暴行を行っていた
実態が白日の下に晒されても、黙殺するどころかジャニーズ事務所に貢献し続けたという動かぬ事実がある。
ミオリネは「グループを立て直す起爆剤」として会社設立を提示しました。
でもこれ、デリングからするとミオリネの横にいるスレッタに首輪をつける手段に使えるんじゃないですか?
この形になると、会社設立そのものがプロスペラに対する牽制にも使えます。
お前が送り込んだ手駒(スレッタ)は私(というかミオリネ)の手の内にある、と。
つまりデリングは、78億使って娘可愛いポーズを外向きに取ると同時に、78億の重さでミオリネをスレッタの鎖、または首輪として利用しているのです。
ずいぶんお高い首輪ですね。
かなり楽観的だけど、デリングは2話でミオリネが言い放った「私たちが勝ったらあんたはスレッタを婚約者として認める」に賭けたんじゃないでしょうか。それくらい娘のことは買っている、というか理解しています。
けれど、決闘を無効にしてスレッタを水星に送り返し、別の婚約者を宛てがおうとしたくらいにはスレッタ自身のことは信用していません。
ミオリネはスレッタを信用しています。でもスレッタが今後ミオリネに何をするか、デリングにはわかりませんから。
ミオリネが決闘に勝ったらミオリネがスレッタの「首輪」になります。
ミオリネが審問会に乗り込んでくるほどスレッタを気に入っていること、おそらくミオリネがスレッタを手なずける/スレッタがミオリネを裏切らない状態になることを考慮したのではないでしょうか。
ミオリネが決闘に負けたら、デリングが用意した婚約者とミオリネが結婚することになります。
どっちに転んでも、この決闘を了承したところでデリングに負けはありません。
仮にスレッタとミオリネが結婚したとしても、レンブラン父娘とシン・セー開発公社だけでは総裁選を勝ち抜けません。
あくまでもスレッタをミオリネの側に送り込むのがプロスペラの主目的です。
何かでうまく転がって二人が結婚すればそれでよし、そうでなくてもプロスペラにとっては構わないのです。
スレッタをミオリネの側に置いてデリングを牽制するのが狙いですから。
「あんたの娘の命はこっちの手の中よ」って。
つまり、スレッタという存在を介してデリングとプロスペラが綱引きをしているのです。
ミオリネは関係者のようでいて、実は蚊帳の外です。むしろデリングとプロスペラ、両者に利用される立場です。
株ガンに耳目を集めることで、グループ内でも秘密のクワイエット・ゼロを隠す。
デリングが11話で「今は私の計画だ」である以上、発案者はデリングではありません。むしろ彼は出資者です。
では発案者は誰でしょう?
これはプロスペラ=エルノラ・サマヤしかいません。いまさら登場していない人物を計画の黒幕にはしないでしょう。
エアリアルのネットワーク構築データがクワイエット・ゼロ計画の進行に必要なら、それを提示できる人間こそが計画の首謀者です。
でも、この二人の計画の終着点は同じではありません。
プロスペラは最後の最後で計画を横取りするつもり……ですよね、これ。
水星の魔女プロローグにおけるヴァナディース襲撃事件ですが、そもそもフォールクヴァングってどこにあるのでしょう?
そしてガンダム・ルブリスは水星まで飛んで行けるほど電力あったんでしょうか?
スレッタ&エアリアルは水星から貨物船に乗って学園のあるフロントにやってきました。
おそらく学園のあるフロントは地球圏と呼ばれる範囲の中だと思います。
エアリアルの電力が水星→フロントまで持つのなら、操縦するスレッタの体力を考慮してもエアリアルで学園まで飛んで行った方がお金かからないですよね。しかもスレッタ、貨物船の中でエアリアルのコックピットにいますから、ただ運んでもらうだけの最低料金しか払えてないんですよね、あれ。
つまり、水星から学園のあるフロントまではエアリアルで移動できません。
同様に、エアリアルより形式が古いルブリスでは、地球圏から水星に移動するのは難しいのです。
ここが、デリングがクワイエット・ゼロに絡むポイントとなると思います。
デリングは1話で3期連続で赤字を出したパルネオ社に「潰れろ」と言い放っています。
利益を出さないものに、彼は興味を示しません。彼は厳格な企業人です。
つまり、クワイエット・ゼロは彼にとって投資してリターンの見込める事業なのです。
ただし、これに「ガンダム(ルブリス)」が関わっているため、カテドラルを前身としたベネリットグループの総裁である彼はおおっぴらにクワイエット・ゼロ計画を表に出すことができません。
エアリアルを接収/廃棄したいのは、いずれクワイエット・ゼロを表に出すための布石、そしてクワイエット・ゼロを進めるためのデータ収集機体として手元に残しておきたいのでしょう。
デリングは元軍人です。兵器の使い道ならいくらでも思いつきます。
サマヤ親子がフォールクヴァングを後にして水星に逃げる際、最大のネックとなるのがエネルギー/動力です。
フォールクヴァングのある地球圏から水星まで、その距離は8210万〜2億1710万km(公転しているため距離が異なる)。
もし最大値である2億1710万kmだった場合、ルブリスでは水星にたどり着くのは不可能ではないでしょうか。
ここで、デリングがガンダムを受け入れるに至った理由が発生するのではないでしょうか。
発生した可能性があるのは、
1)量子テレポート
エアリアルは12話時点でパーメットスコア6を達成しています。スコア6は特定空間内におけるガンビットのネットワーク構築です。ガンビット達はこのネットワーク内で情報交換、あるいは周辺区域の索敵を行い、エアリアルのパイロットに情報として提供しています。
パーメットスコア3で自分の体にはない機能「ガンビット」を手足のように動かし、スコア6で自立型索敵ネットワークを構築したのなら、スコアがさらに上がったその先にあるものは? 時間と空間を自在に操作する……福井晴敏氏が提唱する「ニュータイプ」能力の発現にほかなりません。
赤子が服を着るようにGund-armを操作するのなら、Gund-armのスコア向上の先にあるのは時間と空間の操作……四次元的空間移動「量子テレポート」しかないと思います。
この量子テレポートを再現し、実用化してベネリットグループの基幹事業として組み込む。これがデリングの狙いではないでしょうか?
青パーメットは、プロローグでエリクト・サマヤが発現させています。
一方で、赤パーメットを出した廃人達は、意識を失ったまま赤パーメットを光らせつづけています。これは、廃人と量産試作ルブリスのAIが未だ接続されたままの状態(しかも、データストームを押し付けられている)です。
他方、エリクトはエルノラとルブリスの間にデイジーチェーン状態で繋がって、ルブリスと意思の交換を行っています。
ここで思い出すのが9話のグラスレー寮との対抗戦で出てきた「アンチドートのオーバーライド」です。
オーバーライドとは、ハッキングしてきた相手に逆ハッキングを仕掛けている状態だと思ってください。
青パーメットは、人間側がAI側に逆ハッキングを仕掛けている状態だと考えるのが妥当でしょう。
そして青パーメットの行き着く先は、AIを支配し時間と空間を操作する一方で、接続した人間の意識がAIに吸い込まれている状態だと予想されます。つまり、パーメットスコアが上がり、エリクトがルブリスAIを支配して、量子テレポートを敢行した結果、エリクトの意識がルブリスAIに吸い込まれてしまったのです。
2)はルブリスが地球圏から水星に移動するだけのエネルギーを賄えた場合、モビルスーツ1機で戦艦並の動力が確保できたことになります。
莫大な金額をかけて大型ジェネレータを作らなくても、モビルスーツサイズで大型ジェネレータと同じ働きができるのなら、アド・ステラ世界における電力供給が大幅に低コスト化されます。
これをベネリット・グループの基幹事業として組み入れることができれば、グループの「起爆剤」となり、企業戦争の「ゲームチェンジャー」となり得るのです。
ミオリネのGUND医療事業がなくても、あらたな収益の芽としてこちらをグループで育てれば良い。
そのためにはルブリス=エアリアルを強化して、エリクトが青パーメットを発言させた状態と同じ条件で稼働させる必要があります。
「エアリアルのネットワーク構築データ」を利用して、フロント・クエタにある機材で低コスト高出力のジェネレータを作っているのではないでしょうか。あの縦穴がまるごとジェネレータになれば、とんでもない電力が作り出せるかも。
プロスペラはこの膨大な電力とネットワークを用いて、エアリアル(ルブリス)AIの中に吸い込まれたエリクトを表層に連れ出すのが目的ではないでしょうか。
エアリアル=Gund-armをまとったエリクト。ただし現在はエアリアルAIが表層に出てきているため、対グラスレー寮戦のような状態にならないとエリクトが出てこれない……とか。
デリングに少しずつダメージを与え、最後はデリングを殺すんでしょうね。
自分の家族を、仲間を殺したリーダーが「英雄」と讃えられている世界は、プロスペラ=エルノラであるとするなら唾棄すべきものでしょう。
自分と同じ、もしくはそれ以上の苦しみを彼に与えたいのなら、ジワジワと彼の家族一人一人を手にかけた方がダメージ大きそうですよね。「また守れなかった」ってなるので。
ですので、プロスペラはデリングの妻、ノートレットの死に一枚噛んでるのではないでしょうか。
弱いもの順に倒してデリングの力や意思を削ぐならミオリネ→ノートレット→デリングですが、これですとミオリネの代わりを生み出されかねないので、まずノートレット、次にミオリネ、最後にデリングの順番で殺すつもりなのか、あるいは最初にミオリネを殺すつもりだったのがノートレットがミオリネをかばって死んだのではないかと予想します。
だから、デリングから可能ならベネリットグループを取り上げられれば、プロスペラの復讐がデリングを対象にしたものであった場合、ミオリネとスレッタの結婚ってプロスペラにとっては願ったり叶ったりです。
ミオリネと結婚してグループに影響を与える立場にスレッタがついたら、間接的にグループを操ることができます。
そもそも結婚が子孫を残すためとかセックスするためとか二人の社会的な関係とか恋愛とか合意とかの話ではない
結婚はそれぞれお互いの血筋の一族に組み入れられるという事 家系に加わるということ
なにそれキモいありえない全世代的といわれるのはわかってるがそういうもの
そういうものじゃないってのなら結婚しないと子孫が残せなかったりセックスできなかったり社会的地位で夫婦というのを利用したことがどれほどあるのか恋愛ありきなのかって言われたらないでしょ
家系に加わるのは養子縁組でもいいじゃんって話もあるよね いいじゃんって思うよ
なんで二人の関係性のトロフィーのために結婚なのかっては思うよね 親子や兄弟姉妹じゃ見栄えがよろしくないからだよね
恋愛もできてセックスもできてしかも子供をつれても見栄えがいい関係が結婚しかないからだよね
むしろ夫婦の絆よりも兄弟姉妹や親子でつなぐ関係性のほうが多いでしょ いまどきはその関係性すぐないがしろにするからありがたみがないと思うけど
これで血縁者と結婚がなくてもいい理由がわかるよね する意味がない すでに家族だから
家族のなかでも親密さの等級をあげたい みたいなのは知らんから適度にあげればいい そのなかでもトロフィーとして結婚がいいんだろうね
同性婚はそういう意味では家をつなぐのに兄弟姉妹にするのか セックスとか恋愛ありって関係で結婚にするのかって意味で「同性での恋愛やセックスの認め方がわからない」から現状OKってはならないんだろうね
もっと同性のトイレや入浴で性的な被害にあうかもとかそういうボーダーレスな状況に慣れないとその発想にはついていけないんじゃない?
そうでなければ血縁関係を法的に結んで社会的にめっちゃ近い位置になればいいだけの話
一世代では終わらないということだよ。
この違いによって何が生じるのかを皆見失っている。
話にならないんだよね。
前回のあらすじアルバムで音楽を聴くというのがやはり理解できない
とにかくお前らの言い分を把握するために一通り聞いてみることにした。
どうせ家では一日中パソコンの前にいるからゲームしたりSNS見ながら聞いてりゃいつの間にか大体消費しきれたぞ。
最初に言っておくが12勝8敗であったとこっちは思ってる。
こっちの勝利条件は「これは単なる詰合せであり単品で買えば良いものがお得に集まってるだけだ」とこっちが思ったかどうか。
逆を言えば「このアルバムの曲はこの曲順と組み合わせじゃないと駄目っぽいな」と感じたらそっちの勝ちだ。
そもそもなんで勝ち負けなんか決めなきゃあかんのかは知らんが、お前があんまり反論してくるせいでこんな感じになっちまった。
これがコンセプトアルバムだ!みたいに言う割には似たような曲を揃えて最初と最後にそういう設定を入れただけじゃんっていう。
これこそまさに「詰め合わせセット」だ。
なんだろうな……まさしくアルバム単位で売る以外のやり方が存在しなかった時代の遺物って感じ。
「交響曲というシステムをパクってみせることで抱き合わせセットを売りつける」というアイディアを持ち込んだのは凄いと思う。
だが今の時代にこれを聞かされても「その市場に他所のアイディアを持ち込んだ事が凄いだけ」としか思えんね。
むしろ「コンセプトアルバムのスタート地点はこの程度だった」という意味で、音楽業界が歩んできた距離の長さを感じた。
まあ「参考」にはなったよ。
「100年前、100m走の世界記録は10秒6だった。この100年で人類はそれを1秒丸ごと縮めたのだ」みたいな「感動」もね。
これも普通に詰め合わせパック。
ある程度時代が固まっているけどその中でも方向性がいくつかあるんだなーって感じで終わってる。
まあ「一時期を切り取っている」というコンセプトの公式プレイリストとしては成立してるんでファンがCDラックに並べてニンマリして時折聞くためのファングッズとしてありなんかもだが、それシングルでもよくねっていう。
izumiya1948 例えばベートーヴェンの第九を第4楽章から聴く(第4楽章しか聴かない)、なんなら「歓喜の歌」だけでいい、ようなやつなんだな。
単品で聞いちゃ駄目なのか?
それなら駄目な奴ばっかだぜ日本人は。
音楽オタク様にゃそういう粗雑なイエロモンキーと同じ血が流れていることがずいぶんと恥ずかしいらしいねえ?
進歩はしているがサージェント・ペパーズの域を出てない印象だ。
ある種の時代を切り取っている感はいいが、その背景にある時代の物語を描ききれているかという微妙。
未来趣向をテーマにした結果として発売当時の時代感の再現が弱まっている気がする。
うーん……シングルで聞いた場合との違いがあんまりわからない。
異世界冒険譚とか人生の底でファイティングポーズみたいなコンセプトの曲だけで固めていれば……と言う気もしなくはないがそれでも単なる詰合せになりそう。
まあお得ではあるとは思う。
mamemaki こういう人がいるからプリンスのlovesexyは曲送り出来ない形でリリースされたんだよね。「黒人の命のようにアルバムも大事」とはプリンスの言葉。
この曲は売れてるんだろうなあってのがあるのはいいんだけど、そこまでの流れにきちんと相乗効果があるかって言われると微妙な気がする。
当たりと微妙が入り混じった福袋をそれっぽく並べ直しただけというか。
ランダム再生よりはちょっと上なんだろうけど、アナリーゼ100%の作者本人が並べ直した割にはって感じ。
これなら当たりの曲だけで聞く側が自分でプレイリスト作ればよくねって気がする。
ただ詰めているだけじゃない気はするけど、この順番で聞かせることを推奨するだけの何かがあるのかという疑問が。
anepan 椎名林檎のアルバムの曲構成が線対象になってる話とか曲名の頭文字を拾うとアルバム名になってるプロトタイプナナクジャクの話する?
だから何?って感じが凄い。
単にパッキングされた曲を聞いてるだけなのにLIVEにおける曲感のMCやちょっとした特殊な入り、繋ぎに似た感覚が得られる。
ライブ・ビューイングの缶詰を開けたような体験だ。
なるほどこれはアルバムじゃなきゃ無理だな。
だが逆を言えば、この感覚がない大部分のアルバムはシングルをユーザーがプレイリストにしたものと大差はない「詰め合わせパック」でしかないということなのでは?
映画のようなある種の段取りに合わせて何か長い物語のイメージが共有されていくような錯覚がある。
音楽によって表現したい世界観をいくつもの曲を組み合わせることで多角的に伝える感じか。
相互に作用し合うことで一つ一つの曲の解像度が単品よりも上がっているな。
単品で聞くと「あの映画の曲だ」にしかならなかったモノが、その奥にあるTMの世界観に意識を向けられるようになる。
なるほど、ドラクエ1~3を詰め合わせて一気に遊べば世界観の解像度が上がるに決まってるだろという話か。
単品で聞いても意味わかんねになるような曲をいくつも聞くことでいつの間にかノリが見えてくるこの感じはアルバムじゃねーと無理だわ。
強烈なクセや世界観があるアーティストにとっては束ねることによって理解度を深める機会を得られるアルバムは追い風になるか。
レイン・ドッグと比べると単品でも成立しやすい曲は多いがシナジーの効かせ方はそれ以上にさえ感じる。
この辺は公式推奨プレイリストとしてしっかり仕事してるのでアリだと思う
narukami ユニコーンの風を聞いた後忘れた頃に風IIがかかるからいいのであって風IIが先に来たり連続してたりするとあまり笑えないので
はい。
実物聞いたらまさにその通りでした。
初めて聞いたがいいバンドだな。
表題曲を聞かせるための下準備に1/3を使って、その後もマイルストーンになる曲によってアルバム内でサビの曲みたいなのを作っていってる。
捨て曲があるという程ではないけど盛り上がる曲とそれ以外にやはり別れるんだが、その中でいい感じにカタルシスを得られる。
単に好きなものを詰めただけの個人制作プレイリストではやりにくい、「公式から押し付けられたプレイリストだから貯めを委ねられる」みたいなノリだなあ。
「三部作のセットは、ただの詰め合わせではない」とでも言いただけだな?
どうやらそうらしいな。
なんだったんだこの戦いは……
ここまでやられると「コンセプト」を認めるしか無い。
「コンセプトアルバムっていうけど似たような曲詰めてるだけだよね~~~」ぐらいの奴多すぎるから油断してたわ。
本当にコンセプト突き詰めるとここまで尖るのね。
味が定期的に変わるすげー長い千歳飴食ってるような気分だ。
いやいやこれは映画のストーリー通りに音楽が流れてくるだけでしょ。
……いや……それでいいのか……。
物語にそって流れるサントラはそれ自体が巨大な物語を表現した一幕のオペラか。
いやいや……それは反則だろ。
あーでもアルバムの定義次第だからサントラが無しとは言えないんだよな。
じゃあとりあえず負けでいいや。
あちこちで言われているだけはあるな。
噂の「猫背の虎」とやらを一番最初にやることで「どういうコンセプトのバンドであるのか」を紹介してくるのか。
最初の数曲は全体的に基礎コンセプト紹介しつつ万人受けしそうな感じの曲が並んでいて、「まずは名刺配りますんでよろしくお願いします」みたいな礼儀正しさがある。
そういう態度を取られるとこっちもまあ残りも聞いてやろうかなってなるな。
いきなり「忘れてやんない」とか言われたら「は?お前がそもそも誰?」にしかならんかったと思うし。
アルバムという形に込めた一つのライブという感じだが、押し付けがましいようなコンセプトもなくただ満足した気持ちで聞き終わった。
単純に出来がいいアルバムは単純に出来がいいので単純に評価が高くなる。
オタク君に人気のスパロボ歌手だと思ってたけど、オタクくんもライブ行ったら最後の曲で肩組んで「ララ~~ラ~~ララ~~~ラ~~~」って脂ぎった体でやるの?
というイメージが浮かんできた時点で今回のルール的には完全にこっちの負け。
曲順によってこういう曲単品で聞いただけでは存在してなかったであろうビジョン見せられるアルバムの例として良かったぞオタク君。
この話題でそれ出されても「そりゃそうだろ」にしかならんと思う。
ああいうのは一つのミュージカルを章ごとに分けてるだけだからアルバムって名前だけど実際には「長大なシングルに近い」と思うぜ?
こっちは別に「スターウォーズなんて三部作最後の3と6だけ見ればいいじゃん。どうせ途中の話は前回までのあらすじって感じで分かるだろ」みたいなことは言ってないぜ?
同上。
音と向き合える素晴らしい名盤だとは思うが、「この組み合わせ、この曲順でなければいけない」と言えるかというと微妙に思う。
まさに「お中元用の定番セット」のような……最高が揃っているが、最大公約数的な組み合わせには凡庸さがあるという印象だ。
まあ期せずしてベストアルバムみたいになってしまった物の一種として考えれば最高にお得だし、これを買った当時の人達は盛り上がったんだろうなと思う。
今の時代になってから戻ってきて「こんなの自分でプレイリスト作れば~~」と言っているこっちがおかしいのは分かるが、「アルバムってのはよ~~単なる詰め合わせじゃなくてよ~~~」で上げてくるのもなんか違うと思う。
対戦ありがとうございました。
さてまあ今回色々と紹介してもらったわけですが、アルバムごとに個性ってやっぱあるもんですね。
そもそも個性のあるアルバムみたいな題で聞いてるんだからそうなんですけど、どういう形を目指すかっていうのが色々あったと思います。
アルバムってシングルと違って「始まり」と「終わり」があるわけで、そうすると勝手に他のも「始まりからいくつ」とか「ちょうど真ん中ぐらい」とかになるわけで、するとそこに何らかの意図が絶対産まれるんですよ。
シングルだと結局はメインとサブっていう真っ二つの役割だけになりがちで、何故この流れでこの曲を流すのかの意味が単品で感じさせにくくなる。
もちろんアーティストの歴史の中で曲を出した順番やタイアップ、近況とかも把握して追っているファンであればそれぞれの中に意味を見いだせるんでしょうけど、そういった意味をキャッチアップするのは音楽を日常的に聞くほどではない人間には厳しいです。
アルバムはその点において構成によって意味を補ってくれるというか、「曲を単品ではなく何らかの奥行きを持って味わいたいけど、そのために調べるほどの気力はない」って人間にマッチする部分があると感じます。改めて感じました。
「お得な詰め合わせ」というのも単に悪い意味だけでなく「シングルにあの値段を出すほどの熱意は音楽に持てない」という人間でも新しい体験にドンドン踏み込んでいける緩さがあると感じます。
ただ、そうして手に取ったアルバムがただ「とにかく最近のを入れました」だと、ずっと追ってきた人なら「最近はこういうのが増えたんだね」と感じ取れたとしても、そうじゃない人間は順番に曲を聞くだけ、それもシングルほどには気合の入ってない、時には捨て曲のようなものが混じった体験をすることになるわけで。
この辺がちょっと悔しいと素人は思ってしまうんですが、音楽が好きな人はそういった「シングルなら世に出られなかったような曲」も味わせることにも価値を感じたり出来るのかなと羨ましくもあります。
今回漠然と「勝ち」「負け」なんて決めたわけですけど、実際にはそれぞれの価値観において音楽との向き合い方があり、そこに他人をいちいち踏み込ませたくないようなパーソナルスペースのようなものもあると思うと、ちょっと言い過ぎたのかなと思いますので最後に一言誤ります。ごめんね。m(_ _)m
一部のブクマカが触れているとおりに国民栄誉賞は褒章授与の基準に日本国籍であることが求められ、王貞治のように日本国籍ではないが日本で活躍し国民へ大きな影響を与えた人物へ褒章を贈ることが出来ないというジレンマが存在している
敢えて基準をふわっとしたものとすることで国民の多くが「この方はもう褒章ものだろう!」と言える活躍をしている場合、細かいことは抜きにして政府がスピーディに国民の賛辞を代行し国民褒"賞"として贈るものが国民栄誉賞なのだ
国民栄誉賞の基準が曖昧だと叩くのは、そもそも国民栄誉賞を成立させたトンチを理解していないということであり、褒章を与えることが出来なかった王貞治というエピソードを知っていれば国民栄誉賞は事実上褒章相当であるのを理解してないといけないのだ
国民栄誉賞は褒章相当でありながら褒章の基準という在り方を否定するアンチテーゼであり、国民栄誉賞はその在り方から乱発されることすら国民栄誉賞らしい姿で、権威でありながら権威でない、我々日本国民が素晴らしい方々へ対して贈れる花マル100点満点一等賞であり唯一の褒章なんだよ
国民栄誉賞の基準を明確にするのは国民栄誉賞の在り方を否定するものであって、自民党だろうが共産党だろうが多くの国民が国民栄誉賞を贈るべきだと言う方へ贈らない、贈るべきでないと多くの国民が言う人へ贈ることを叩くべきであり、政権の人気取りとか国民栄誉賞の在り方からすりゃ些細な問題でしか無いんだ
問題があるとしたら、繰り返すが国民栄誉賞を贈るべき方はまだまだ数多く居り、政権与党自民党は国民栄誉賞を贈るという仕事をちゃんとしてないということだ、現状はむしろ全く足りてねぇんだよ!