はてなキーワード: 女子とは
1位 上野愛咲美(22)8.235 東京 タイトル14期 女性初の新人王
2位 牛栄子(25)6.813 千葉 タイトル2期 仲邑菫を倒して初タイトル
3位 万波奈穂(38)5.417 兵庫 タイトル1期 NHK杯司会を3年務めた
4位 井澤秋乃(45)5.057 奈良
レート平均:6.3805(4位)
平均年齢:32.5歳
1位 藤沢里菜(25)8.258 埼玉 タイトル25期 秀行の孫
2位 星合志保(27)6.557 東京 NHK杯司会を6年務めた
3位 徐文燕(19)5.997 東京 囲碁フォーカス現役MC
レート平均:6.937333(1位)
平均年齢:21歳
2位 王景怡(37)5.835 東京(所属は中部)タイトル1期
4位 羽根彩夏(21)5.544 愛知 平成四天王・羽根直樹の娘
レート平均:5.8625(5位)
平均年齢:25.75歳
1位 上野梨紗(17)7.287 東京 タイトル1期 仲邑菫からタイトルを奪取
レート平均:6.43(3位)
平均年齢:28.25歳
1位 謝依旻(34)7.096 台湾 タイトル27期 藤沢里菜が出てくるまで女流最強だった
レート平均:6.45825(2位)
平均年齢:26.5歳
もうすぐ誕生日を迎えて33歳が終わるので、いい機会だと思って平成初期生まれである自分のロマンス観の奥底に眠る作品について、水面まで引っ張り上げて雑語りしてみた。なお性別は男。
GL:これ
ガールズラブと項目を立てておいてなんだけど、実は未だによくわからない概念(もしかして期待して読みに来たかもしれない人がいたらゴメンなさい)。とりあえず自分のステートオブジアートとして率直な気持ちを残したいと思う。
BLの方で書いたように、筆者は昔からティーン向けの少女漫画や少女小説を摂取していたので、(少)女同士の関係性は友情(たまに愛憎)のものとしてプリセットされていた。なので女と女の距離が近くても「ああそういう感情ね」として頭の中の知っている感覚にラベルを振り分けていた。そこに特別な名前を付けることはなかった。ただ「友情・親愛」と。
その後、オタクとして成長すると共に、だんだんと百合という概念が男オタクの間に伸長してきたが、百合市場が出来上がるのを横目に眺めるだけで、自分自身がどうこうということはなかった。
覚えている限りだと、高校生の時(2006年くらい?)にオタク同級生の間で少女同士の関係性を題材にした漫画だったかラノベが友人の男オタクの間で流行っていたと思う。なんだっけ……4コマ漫画で……メガネの女子の眼の前で授業机の中から大量の煮凝りがぬぽって落ちるシーンだけは覚えているんだけど……。当時は百合という言葉は使っていなかった気がするけど、可愛い女の子同士がいちゃいちゃしているのがいいんだ、みたいなことを言っていた気がする。自分はそれに対して、特に思う感情はなかった。いや、逆に今更?という感情だったかも。なぜならば既にその場所は訪れたことがあったから。
自分が初めて少女同士の恋愛にも似た感情のやりとりを意識したのは、小説だった。図書館で借りてきたとある作家の小説で読んだS(エス)といううら若き乙女同士の関係。女学校に通う少女同士の疑似恋愛。そこにあったのは上辺は花畑を舞う蝶のように煌めき美しいが、内側に潜ると内蔵のようなヌメついた湿った感情だった。疑似恋愛、嫉妬、そして混じる疑似ではない気持ち。
そんな作品を読んできていたので、かわいい子とかわいい子がかわいいことをしている、みたいな作品に喜んでいるオタ友がどうにも幼く見えてしかたがなかった。
そうして百合とかGLとはあまり仲良くないまま、女同士の関係は友情というフォルダに入れて今の年齢まできたのだけど…………ただ……心の中で唯一引っかかっている、消化できなかった少女同士の関係があった(過去形)。それが恩田陸の小説「蛇行する川のほとり」に出てくる若い女子高生二人の関係性だ。
タイトル | 蛇行する川のほとり |
作者 | 恩田陸 |
本作は、高校美術部に所属する女子部員たちが、野外音楽堂で行う演劇の背景美術を仕上げるために夏休みに川のほとりにある合宿を行うというシーンから始まる。(一応)主人公の毬子は憧れの美術部の先輩である香澄さんに合宿に誘われ、有頂天で彼女が主催する合宿に参加する。本来ならば年頃の少女たちの楽しいお泊り会となるはずだったのだが、香澄さんをはじめとする他の参加者は、彼女に何かを企んでいるような、隠しているような態度を取る。次第にただの楽しい合宿ではないことが分かってきたころ、毬子本人が忘れていた幼い頃にあった事件が浮かび上がり彼女の過去を照らしてくる。そして過去を失い、少女は大人になる。
本作のあとがきで、作者の恩田陸は「私が感じていた『少女たち』を封じ込めたいと想って書いた」と記している。その言葉の通り、本作には様々な「少女」が登場する。まだ大人と子供の奇跡の狭間をうつろう毬子、過去を持たない完成された香澄、彼女の相棒で天才肌の絵描き芳野、一足先に大人へと羽化した真魚子。4つの章を通じて彼女たちは多様な顔を見せる。無垢でいながらも自分でも把握していない秘密を握っている毬子、どこまでも独立して半身の芳野にすら内心を明かさない香澄、優れた美術家の観察眼で本質を見抜きながらも最も大切な自分の中の香澄への気持ちに気付いていない芳野、そしてとある事件がきっかけでその輪に無理やり入れられた真魚子(まおこ)。章ごとに語り手が代わり、一つの側面の形質は、語り手へと姿を変えてると主観となる。
本作には、登場人物のうちに公式に女女カップルと呼べる組み合わせが存在する。香澄と芳野だ。常に二人で行動し、二人で一日を過ごし、どこでも二人の世界を作る。互いに互いを引き立て合うようなお似合いの二人。しかし二人は望んで一緒にいるわけではない。過去を共有してしまって、もはや離れられないのだ。お互いに過去という鎖を結びあってしまったと言っても良い。しかし、少なくとも芳野の方は、共に鎖を結びあった相手が香澄で良かったと思っている。
門外漢の自分が考えるに、多分世の中のGL?百合?好きは、芳野編を大いに好むと思う。そこで繰り広げられるのは、互いに誰よりも近く、親密で、そしてお互いに内面の99%まで理解しているのに、その残りの1%が、相手への愛が本当にそこにあるのか分からないという愛の物語だ。芳野編の、今まで無意識に避けてきた香澄の肖像画を描くことで、自分の中の気持ちを形作るという展開はとても美しいものがあると思う。
ただ、自分はこの二人の関係性は処理出来ていた、と思う。友情、親愛、そして強い愛情と。自分が最も咀嚼できなかったのはもう一つの組み合わせ、毬子と真魚子の方だった。
同級生の中でも子供っぽい毬子と、級友に先駆け一足先に大人になってしまった真魚子。恋愛面でもお子様な毬子と既に大学生の恋人がいる真魚子。正反対の二人は対極に位置するからか、親友同士であった。香澄と芳野という二人と比べると、一生離れずに共にある彼女たちに対し、高校生の間は親友でも卒業したら普通に進路が離れ疎遠になり、それでもたまに会ってお茶をする、というような関係だろう。仲良しで大好きだけど、互いに混じり合う程に近いわけでもなく、恋人よりも好きというわけでもない。そう、それだけなら十分に理解できたんだ。
物語の後半、とある事情により毬子の代わりに真魚子が合宿に参加することになる。自分が一番よくわからなかったのがそこだった。毬子が事情により参加できなくなるのは分かる、でもあんな事態になったとは言え、真魚子が嫌っていた香澄たちのところに単身乗り込むようなことをするのか、と。だって毬子と異なり彼女にはなんにも過去の事件に因縁が無い。だからいくら毬子に頼まれたからって、わざわざ事態を究明するために乗り込む必要はなく、ほとぼりが冷めるまで、物語が閉じるまで放っておけばいい。しかし、彼女は乗り込んだのだ。
この機序がずっと咀嚼できていなかったのだけど、最近、もしかし自分の考えは順序が逆であるかもしれないと気が付いた。頼みを受けて乗り込まねばならないほど、本当は彼女にとって、親友は本当に大切な存在だったのだ、と。誰よりも冷静で頭が切れる真魚子であっても、いや毬子の親友の彼女だからこそ動かざるを得なかったのだと。その時、すとん、と腑に落ちた音がした気がした。
香澄と芳野の唯一無二の分かち難い強固な結びつきとはまた違った、同級生の親友というどこにでもある女子高生の毬子と真魚子の結びつきも、それはそれで一つの思春期の素朴な輝かしい感情の頂点なのだと。
人々が抱える問題や感じる不公平感については色々あるが、トランスジェンダーや黒人のアスリートがスポーツで活躍することについては注意深い議論が必要だと思う。
まず、全てのアスリートは公平な競技を目指して努力しているし、どのカテゴリーに属する人でもその存在を公平に評価することが重要だ。トランスジェンダーのアスリートが女子スポーツで活躍することについての論争は複雑で、一方には公平性と競技の純粋性を守りたいという考えがあり、他方には人権と平等の観点がある。
また、黒人が特定のスポーツで強いパフォーマンスを見せることは、遺伝的要因や環境要因、歴史的背景など様々な要素が絡んでいるが、それを理由に競技に制約を設けることは逆差別を生む可能性がある。
スポーツの魅力は多様性と異なる背景を持つ人々が競い合い、その中で成長していける点だと考える。全てのアスリートが公平に評価される場を作るために、どういったルールやシステムが最適なのかを慎重に考え続けていく必要がある。
ウメハラが43歳で格ゲーしてようがイチローが50歳で女子高校選抜と野球してようが
依然としてその辺の一般人が受容されているわけではない
アラサーこどおじワイがゲームコミュニティ内で年齢をカミングアウトすればキッチリとドン引きされる
これが現実
これが世の中
件名の通り
若い頃から男性のことが嫌いではないが恋愛対象とみなすことができないまま年を取った
ビアンなわけではない
Aセクなわけではない、性欲はある
一応それなりに顔とスタイルには恵まれていたので若い頃からつきあってくれと言ってくる男は多かった
たまに気が向いて付き合うがそもそも恋愛感情を持っていないので結局塩対応になる
しかも彼氏なんて別れたら終わりなので優先順位が遙かに下になり
のカーストになる
あまり遊び回るのが好きではないのでせっかくの休みをどこかに出かけて潰したくないし、彼氏が家に来られるとパンツ一丁で歩けないしやだ
あとセックス嫌いじゃないけど面倒臭い。毛の手入れとかしないといけないしさあ~
分かるが故に申し訳ない
でも「めんどくせえ」が先に立つ
友達と遊ぶのは楽しいしめんどくさいとも思わない、なぜだ?と考えると女子同士だと隠し事とかないし、価値観も似てるしセックスしなくていいし楽なんだよね話してて
恋愛感情を男に抱ければ彼氏とのデートも違う楽しさがあるのかもしれないけど、めんどくせえ、どうせこのあとホテル行くんだろうなあ
マメに優しいLINEくれても「返事するのめんどくせえな…」ってなる。女友達だと「ばかwwwwなにしとんwwww」とか即レスできるのに
「いつか好きな人が現れるよ」なんて言われるもんだから出会えてないだけかも、と思ってまあある程度の数の彼氏と付き合ったがどの人にも等しく興味を持てない
あと私は仕事のせいかもしれないが男相手だと完全に営業モードに入る(水商売ではない)
彼氏でも一緒で、こう思われたがっている、こうされたがっている、というのを察するので反射的にそういう態度を取ってしまう
本音を語ることはまずない。できない。理解されないと思ってしまっているし、性別の差で仕方ないのだろうと思う。
逆に自分に興味を持ってない彼女持ちなどのほうが気が楽で楽しく過ごせる
これがもう30年間ずっとだった
そして40過ぎた頃になってもまあまあ彼女になってくれの引き合いはある
こっちもおばさんだが言ってくるのは独身おじさんなので50になっても結局モテ度あんま変わってない
20代の頃から体重体型変わってないのと美容整形に金かけてるからかもしれんが
こんな性格なので結婚なんてするつもりもないし、年齢的に子供も無理
今の彼氏とももう別れたい。いい人だけど会う度セックスしたがるし、気を遣っているであろうLINEが面倒になってしまった…
結局なんだったんだろうな~?ビアンでもセクでもないけど、ほんっと男の人と遊んでて楽しいと思ったこと一度もないまま、この人好き!と恋愛感情抱くこともないまま50年経つとは思わなかったわ
結婚願望でもあればまた違ったんだろうけど、自分の生活を乱されるのが激しくいやで自分のやりたいことだけやってたい我が儘な性格だから無理なんだろうな
ワイ男なんだけれど、時々名前から女だと思われることがあってな、そういう時に嫌だなーと思うからワイの性自認男なんだろうな。
当時は町内会が小学校入学時にいろいろとプレゼントしてくれたんだけれど、そのプレゼントがピンクだったか赤だったかで (当時、赤やピンクは女子の色) なんか自分が否定されたような気分になったものだった。親を通して抗議して、男の子らしい黒とか青とかのに変えてもらった。
いろんなところから参加してくる習い事の合同合宿で、受付で部屋番号を告げられるシステムだったのだが、部屋に行ったら女子しかいなかったとかも結構ショックだったな。
その部屋にいた先輩 (女) のアドバイスを受けて、本部にその旨を伝えて、部屋を変えてもらった。
ドキドキしたり好感を抱いたりする相手はふっくらとした同じかちょっと上くらいの歳の女性ばかりだったから、性指向は女性だったんだろうな。
多分、性自認はどちらにカテゴライズされることに納得感があるかだと思う。
その文化におけるステレオタイプをどれくらい受容できるかは多少はあると思うけれど、あまりそれにこだわるといけないのかなって思う。
かつては車は男のものって感じだったけれど、今は女のレーサーも評論家も見るしな。
かつては短髪は男のものだったけれど、今は短髪の女性もたまに見る。
かつては女はスカートだったけれど、ズボンをはいた女も普通に見るしな。
時代が変わればステレオタイプとされるものは変わるので、それになじめないからと言って一生変えられないスティグマを打ち込むのはいかれてるってことを言いたいだけ。
そして、フランク・フラゼッタですよね
フラゼッタの絵に初めて出会ったのは小学生低学年ぐらいだったでしょうか
親戚からスーパーマンのアメコミをもらったりしたのが切っ掛けでした
ビキニアーマーどころかトップレスの女性が川で怪物たちから逃げているところを、筋肉ムキムキマンが救う、その彼の背中が強調された絵だったと思います
当時の私は大興奮でした
トップレスのねーちゃんにも大興奮でしたが、やっぱりムキムキマンの背中がいいですね
やはり、描いても楽しい題材です
そんな私も、今では立派なキモいデブのオッサンになってしまいました
余りの日本の夏の暑さに、クーラー稼働させつつも、パンツいっちょでキモいデブのオッサンが集合住宅の、この世界の片隅でひっそりと暮らしているのです
チャイムが鳴っても居留守を使うことが多いのですが、出たくてもいちいち服を着るのが面倒なんですよ
パンツいっちょで玄関に登場してもいい、なんならフルチンでもいい、というならやりますけど
スーパーやコンビニに買い物に行くのも億劫なんですよ、服着なければいけないから
パンツいっちょで買い物できる世の中にならないですかね
そういえば、中国のタワマンなんかは、寝間着とか着たままで外出するのがステータスだって聞いたことあります
要は、高級住宅街でも部屋着で歩けるぐらい、この世界は俺の室内なんだ、という主張がカッコイイといいますか
つまり、俺もパンツいっちょでスーパーで買い物するということは、中国流の金持ちアピールにもなるのではないか
いっそ、女性も下着でスーパーで買い物してもいいようにすれば、猛暑の日本の夏も快適になるのではないだろうか
下着は良くないですね、水着とかビキニアーマーとかがいいですね
日本の古来からの言い伝えに、パンツじゃないから恥ずかしくない、というのもありますし
トカゲ?に跨ったビキニアーマーのアラレちゃんの絵とかプラモもあった気がします
なんなら、自分が率先して手本になるべく、ビキニアーマーを装備して外出するのもいいかもしれません
男女平等の時代ですからね、男性がオッパイデュエルで勝つことだって時代としてはアリだと思うんですよね
○ご飯
朝:サンドイッチ。昼:サンドイッチ。夜:サイゼでワイン。間食:なし。
○調子
むきゅーはややー。おしごとは、それなりー。
そろそろタイムスリップローテーションの区間が変わるけど、次はアズヴォルトなのか。
ローテのときは財宝使ってたけど、今回はカットスロート使いたいな。
もうすぐ誕生日を迎えて33歳が終わるので、いい機会だと思って平成初期生まれである自分のロマンス観の奥底に眠る作品について、水面まで引っ張り上げて雑語りしてみた。なお性別は男。
BL:これ
男なのだが、BLについては、実はかなり小さい頃から存在・概念自体には触れていた。
ひとつ前で話題に出した図書館には、ティーンガール向けの(おそらく少女漫画を卒業した近所のお姉さんたちからの)寄付所蔵があり、その中には白泉社系の漫画が数多く存在していた。当時の自分は、文字と絵があるなら何でも噛まずに飲み込む悪食だったので、男が少女漫画を読むとか特に何も考えずに頭を空っぽにしていろんな作品を乱読していた。そのお姉様方が残した漫画では……まあ割と頻繁に男と男がベッド・インする描写がございまして。たぶん清水玲子さんの作品だと思うのだけど、フツーに女が男と、男が男となんやかんやベッドで一緒に寝ていた。
当時は臥所をともにする意味を知らなかったので、ふーんで流していたけど、たぶんこれが原因でボーイ同士のラブにはじめから拒否感が無かったような気がする。長じて、そこそこの男オタクがBLを〇〇という蔑称で呼んで弄ぶおもちゃにしたり嫌ったりしている(た)のを見て、そんなに嫌う?と思ったこともあった。
あと、漫画の中にラッキーなことに「ぼくの地球を守って」もあって、それを血とし肉とし、年の差カップルやらTSやらやおいやらを学習していった。当時は倫くんに精神年齢が近かったから、亜梨子のことをすっげー年上のお姉さんとしか思ってなかったけど、今思えば……いや、今思っても流石に年の差はあるわ。(ぼくたまは面白かったなあ……【懐古】。好きなキャラはキャーおよびJrです)。
しかしながら、BLにハマる、つまり男と男のカップリングに熱を上げることはなかった。あくまでも、そういう価値観もあるという認識を持った程度。そんな自分のカチコチに固まった頭をぶっとばしたのが、数年前の自分の誕生日近くに発売された某ゲームに出てくるLくんというキャラクターだった。ここまでが前置き。
タイトル | ? |
ジャンル | SRPG |
(とくにBのLを主題にした作品ではないし、勝手に自分が思っているだけなので作品名はぼかす)
このゲームは、とある学校の先生となって選んだクラスの生徒たちを戦乱の時代に生き残れるように育て導いてゆくというもので、作り込まれた世界観に加えて、複数ある学級にそれぞれ個性豊かなキャラクターが何人もいる(しかも完全フルボイス!?)ことで、いろんな育成を試したり、生徒との恋愛シムを楽しんだり、生徒間でカップリングを作ったりと、様々に遊べて大きくヒットしたのだ。例に漏れず自分のオキニのキャラがおり、それがLくんだった。
いや、はじめはまっとうに可愛い女子陣(LとかMとか)にエへエヘしていたんだけど、なんか気が付いたらLくんのことがすげー気になる存在になっていたのよ。そのゲームにはいわゆるコミュ的な、キャラ同士が交流するイベントがあるんだけど、Lくんは初っ端からエンジン全開で仲間に対して自分のことを「容姿端麗にして才気煥発」とナルシ発言カマして、空気の読めない高慢ちきナルシスト変な髪型貴族として高笑いしながら自分のフルネーム(しかもミドルネームあるから長い)を連呼していたんだ。それでおもしれーやつ〈ルビ:コメディリリーフ〉的にLくんが気に入っていたんだけど、ゲームが終盤に近づくにつれて、なんかLくんが覚醒して、おかっぱナルシストからアシメ耽美長髪美人ノブレスオブリージュグレート薔薇大貴族に大変身したのね。おもしれーやつだと思っていた可愛い生徒が、ウルトラスーパーデラックス紳士になってしまって困惑3割感動7割で、まあ端的に言うと「り゛っば゛に゛な゛っ゛た゛ね゛ぇ(泣)」だった。
それで一周目をクリアする頃にはLくんを含めた学級の全員を超大好きになっていたのだが……話はここから。そう「一周目をクリア」が意味するのは二周目があるということ。実はこのゲームは学級の数だけ、正確にはさらに隠し的なルート一つがあり、何周もしないとストーリーの全容が分からないという恐ろしい作品だったのだ。
そこで、ゲームをクリアして二周目を違う学級ではじめたのだけど……完全に元の学級ロスになっていた。新しいルートを進める傍ら、最初のルート(ファンの通称は「実家」)の思い出を反芻する日々。新ルートで元の学級の子達と交流すると、現学級のライバルなのにいい働きをしたら「うちの子立派!」と思わず叫んで親バカの如く他学級を褒めるというしまつ。ついには、日々彼らのファンアートやらキャラ語りを探し回るゾンビになっていた。
このゲームは発売当時にそこそこ話題になった作品だったので、ネットを検索すると、それはもうファンアートや感想の海……いや大海原の如く豊穣な熱情(しばしば劣情)にありつけた。そうすると、次は二次創作というグランドラインに正面から向き合うことになるのは必然だった。名支援と呼ばれるLくんとMちゃんを描いた漫画作品、平民と貴族の組み合わせのLくんとLちゃんの小説、声デカ貴族組のLくんとFくんファンアート、そして学級長のCとLくん、LくんとC、またCとLくん、LくんとC……そう、実はLくんは異性とのカップリングよりも、学級長であるC(男)とのカップリングが、多分最も人気があったのだ。
CというキャラはLくんの真逆とも言えるキャラクターであった。級長のくせして腹黒軍師系だし、すぐに策を弄してハメようとするし。だが、内心にとんでもなく大きな野望を抱えているという複雑なキャラクターでもあった。やや高慢だが優等生のLくんと人当たりはいいが腹の底を見せないC。二人はストーリーでもコミュでも犬猿の仲というべきであった。
二次創作という大海原には様々な島が浮かんでいた。デフォルメされた姿でうさ耳が生えて赤面しているLくんがいたと思えば、リアル等身でどシリアスな殺して殺されての戦場で汚泥に塗れている姿があり、Cを言葉攻めしていたり逆にされていたり、現代パロ、学パロ、性転換、敵対シチュ、モブ、死ネタ、etc... ニュービーだった自分には直接的な官能的な絡み合いこそ刺激が強かったが、ネットの海に放流される彼・彼女たちの漫画・イラスト・小説・イメソン・etc……そこには確かにキャラクターへの愛があった。
そんな調子で元の学級への未練(飢え)を同志達の供給で癒やしつつ、数百時間かけて全ルートを回りきり、ついに念願の最初のルートに戻って最高難易度でもう一度やり直すことに。そこにはかつてと変わらぬ愛すべき学級の生徒たちの姿があった。Lくんも相変わらずCに突っかかって、Cはそんな彼のことを面倒臭がって、変わらぬ犬猿の仲……いや、なにかおかしい。
それは衝撃が固体になった瞬間だった。
初見プレイ時にはまだBL筋が十分に発達していたかったため見逃していたのだが、チャクラが開かれた今となって見ると、それはもうコッテリとした男と男のクソデカ感情がこれでもかと描かれていたのだ。
先に少し述べたように、Lくんはナルシストの傾向があれど、基本的には名門貴族の跡取り息子としての教育を受けている礼節を持った男であった。先に紹介した他のキャラとの珍妙なコミュにしても、彼は彼なりに真面目に誠実な態度を取っていた、ただ空回りしていただけで。しかしどうだこれは! Cとのやりとりに彼がこれまで受けてきた教養のある態度は認められない。そう、それは嫉妬。内側に秘めていた激情。むき出しの激重感情がそこにあった。
名門貴族の跡取りとして生まれた彼は、諸侯が己が利益を優先し団結をしようとしないこの諸侯連盟の現状を憂え、この国を正しく導くのは自分の責務であると自負していた。学問を修め、領主としての振る舞いを学び、着々と目標に邁進していた。そんな彼の前に現れたのが出自不明でありながらも突如として諸侯長の跡取りとなったCだった。全く貴族らしさを感じさせず、あまつさえ貴族の位なんて屁とも思っていない異物。それがLくんにとってCだった。
自分が欲しくてたまらなかった立場にありながらも、それを歯牙にもかけず、貴族の責務にも無関心で、それでいて何かを企んでいるのに見せようとしない見通せない。だから「君など現れなければ……」と本心が溢れてしまう。悔しそうな声。それは俺先生や他のクラスメイトには見せない、彼の心からの嫉妬だった。しかし、その心は、先生とCの隣で彼が望む未来の片鱗に触れていくにつれて変わっていった。領内の、国内ことだけしか考えていなかった彼は、この世界の人種差別や身分のことまでも変えていこうとするCの考えに触れ、彼こそが皆を率いていく器だと内心は認めるようになる。そして、二人きりのとき「君のいない世界など味気ない」と告げ、自らにとって彼が大切な存在であると言外と認める。
このやりとりを再見した時、なぜ、自分はこの感情のドッヂボールに気が付けなかったのか、と唖然となった。「お前さえいなければ」からの「お前がいない世界など」という完璧な回収。こ、これがブロマンスなのか……と濡れた泥を投げつけられたような衝撃だった。これで完全にチャクラが開いた感覚があった。
今思えば、刷り込みみたいなものもあったんだろうけど、小4ぐらいまでは全然人気なかったりする女子好きだった。
高学年とかでみんなで好きな子発表するとかで、みんなが好きそうな子(自身も嫌いではない)の名を挙げることにより
そういったこに注目するようになってしまって、好みが変わったというか一般化した。
今更、中学生の時に一緒に遊んでたグループの女子(女子4~5人いて、2~3人好きだった)、当時は全然注目してなかったEさんともっと仲良くなっていればよかったと思い始めた
どうして「性犯罪」じゃない? 同僚女子のハチミツに「体液」入れた男性が問われた罪 - 弁護士ドットコムニュース
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.bengo4.com/c_1009/n_17782/
性犯罪が特別視されているというのなら、それは不当に軽く見積もられているという意味での特別視だと思うけどねえ。
だってラジオと目覚まし時計を大音量でかけた程度でも傷害罪が成立してるんだし。